• Tidak ada hasil yang ditemukan

Yunesuko ni yoru bunka isan hogo eno apurochi to sono henyo

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

Membagikan "Yunesuko ni yoru bunka isan hogo eno apurochi to sono henyo"

Copied!
26
0
0

Teks penuh

(1)Title Sub Title Author Publisher Publication year Jtitle Abstract Notes Genre URL. Powered by TCPDF (www.tcpdf.org). ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容 安江, 則子(Yasue, Noriko) 慶應義塾大学法学部 2008 慶應の政治学 国際政治 : 慶應義塾創立一五〇年記念法学部論文集 (2008. ) ,p.307- 331. Book http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koar a_id=BA88455213-00000011-0307.

(2) ユネスコによる文化遺産保護への. アプローチとその変容. 安江則子.

(3) はじめに 世界遺産の認定における変化. ユネスコ条約と文化的多様性. 無形文化遺産条約とT Smvggmo への視点. おわりに.

(4) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). はじめに. 一九四六年に設立された国際連合教育科学文化機関︵以下ユネスコ︶は、教育、科学、文化、コミュニケーシ. 25ロ︶の採択を契機に、人類の共通財産と 一九七二年の﹁世界遺産条約﹂︵叶宮司2EZggmop 号. ョン・情報の分野を通じて、平和の構築、貧困の削減、持続可能な開発、異文化問の対話に貢献する国連の専門 機関である。. しての文化の保護は、ユネスコ精神に基づく主要な活動のひとつとなった。現在では、文化関連のユネスコ条約 は全部で七つを数える。. 世界遺産条約が保護の対象とする文化遺産と自然遺産は、﹁顕著な普遍的価値﹂︵。 55舎同開552才色5︶をも. っ人類共通の遺産として国際的に認知されたことを意味する。しかし文化遺産は地理的に西欧に偏り、認定基準. も石の建造物を念頭においたものであると批判されていた。そうした批判を受けて、九0年代以降、 ユネスコに. よる人類共通の遺産の意義づけ、あるいは﹁保護の対象としての文化﹂の捉え方に関して注目すべき変化が生じ. ている。本論では、主に以下に取りあげる文化関連のユネスコ条約を通して、こうした変化を考察するものであ. 第一に、世界遺産条約に基づく遺産の認定基準における変化が、特に次の二つの点において現れたことである。. − g 巳EE282︶という概念の導入が合意されたのに続き、文化遺産と自然. まず一九九二年に、﹁文化的景観﹂︵2. ZS 遺産との複合遺産を保護の対象とするようになったこと、次に、一九九四年のいわゆる﹁奈良文書﹂︵. ロ2zEg同︶によって、普遍的価値の解釈について認識の変化がもたらされ、それが登録のための基準に実質的に. 影響を与えたことである。文化的な背景の多様性を尊重した広い視点で遺産の保護を考えることが確認されたの である。. 309. る.

(5) 国際政治 慶麿の政治学. 吋. 第二に、二 O O一年の﹁人類の口承および無形遺産に関する傑作宣言﹂︵司geE包8 えZ20122えp − oos BEEgmFzzgs唱え国Z585︶を皮切りに、ユネスコにおいて無形遺産の保護への具体的動きが開始されたこ. −. とである。さらに、﹁無形文化遺産条約﹂︵門85ESF25rpmgEEm。 ごFOEsaFZPzEF号おの︶が、二 O. O三年に採択され、二 O O六年に発効した。この条約に基づき、先の傑作宣言は無形文化遺産として改めて登録. された。世界遺産条約では、西欧文化を基準にした﹁顕著な普遍的価値﹂が遺産の認定基準の基礎とされていた. のと比べ、無形文化遺産条約では、文化相対主義の視点や、無形文化を支えるコミュニティの重視が鮮明になっ ている。. さらに、自由貿易や開発による文化への影響が強まる中、二O O五年には﹁文化的表現の多様性条約﹂︵ P 雪ggロ. E − 555ロ自牛耳。B88え吾oE52qえ門己EEF官235︶が採択され、二O O七年に発効している。グロ l 。Z. バル化と文化の多様性の関係に関する議論背景とした新たな展開である。. 本論は、これらの条約とその運用を通して、ユネスコを中心とした有形・無形の文化遺産や、文化的多様性の 保護への視点が変化していく有様とその方向性を明らかにしたい。. 世界遺産の認定における変化. 一九七二年に採択された世界遺産条約に基づく世界遺産への登録は、条約の採択から三五年以上を経た現在で. 八七八件を数えている︵二OO八年現在︶。九0年代初頭まで、世界遺産は文化遺産と自然遺産に明確に峻別され、. それぞれ別個の基準に基づいて認定されていた。このうち文化遺産は、条約上、さらに記念工作物、建造物群、 遺跡の三つに分類されている。. 310.

(6) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). 世界遺産には、﹁顕著な普遍的価値﹂が求められることや、遺産の登録申請や保護政策を行う能力の問題もあ. って、登録される遺産は西欧に地理的に偏っている。しかし、九0年代以降に進められた遺産登録の基準や運用 指針の見直しなどにより、遺産の認定のあり方にも変化が生じてきた。. 第一に、﹁文化的景観﹂という新たな概念の創出と、文化遺産と自然遺産の認定基準をあわせもつ﹁混合遺産﹂. というカテゴリーの導入である。第二に、﹁奈良文書﹂を通して示されたオlセンティシティ ZEZ52q、真正性. または真実性︶の認定における多様な文化圏の価値観の尊重である。こうした方向性は、後の無形文化遺産条約. および﹁文化的表現の多様性条約﹂の締結へとユネスコによる人類共通の文化の保護体制に受け継がれていく。. 世界遺産の認定基準や解釈の変化をみていく前に、世界遺産保護の体制と手続きについて簡潔に紹介しておく。. 世界遺産保護の体制. ユネスコの最高意思決定機関は、すべてのユネスコ加盟国からなるユネスコ総会であり、これは二年に一度聞. かれる。世界遺産条約に関しては、すべての締約国からなる締約国会議の下に、選任された構成国による世界遺. 産委員会︵顕著な価値を有する文化および自然遺産の保護のための政府問委員会︶が設置されている︵現在二一カ国で. 構成︶。世界遺産委員会は、世界遺産目録や危機遺産目録の登録、世界遺産基金からの援助などに関する決定を 下す重要な任務を負っている。. 世界遺産条約の締約国は、文化および自然の遺産で自国内に存在するものを認定し、保護、保存、整備活用し、. 次世代へ伝承することを確保する。そのために、自国のもっすべての能力を用いて、また適当な場合には、取得. しうる限りの国際的援助、協力、特に財政、美術、科学、技術に関する援助協力をうける。締約国は、自国の文. −. 化または自然遺産で世界遺産目録に載せることが適当と思われる遺産の目録︵暫定目録、EE5E︶を政府問委. 311.

(7) 慶麿の政治学. 国際政治. 表 1 世界遺産登録基準( 2005年 ) ( i ) 人類の創造的才能を現す傑作であること。 ( i i ) ある期間、あるいは世界のある文化圏において、建築物、技術、記念碑、都市計画、景観. 設計の発展における人類の価値の重要な交流をしめしていること。 ( i i i)現存する、あるいはすでに消滅した文化的伝統や文明に対する独特な、あるいはまれな証. 拠を示していること。 ( i v ) 人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式、あるいは建築的または技術的な集合体または 景観に関する優れた見本であること。 ( v ) ある文化(または複数の文化)を特徴づけるような人類の伝統的集落や土地・海洋利用、 あるいは人類と環境との相互作用を示す優れた例であること。特に抗しきれない歴史の流れ によってその存続が危うくなっている場合。 作) i 顕著で普遍的な価値をもっ出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術作品、あるいは文学的 作品と直接または明白な関連があること(ただし、この基準は他の基準とあわせて用いられ ることが望ましい)。 やi ) 類例を見ない自然美および美的要素をもっ優れた自然現象、あるいは地域を含むこと。 州生命進化の記録、地形形成において進行しつつある重要な地学的過程、あるいは重要な地 質学的・自然地理学的特徴を含む、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な例であること。 ( i x ) 陸上、淡水域、沿岸および海洋の生態系、動植物群集の進化や発展において、進行しつつ ある重要な生態学的・生物学的過程を代表する顕著な例であること。 ( x ) 学術上、あるいは保全上の観点から見て、顕著で普遍的な価値をもっ、絶滅のおそれがあ る種を含む、生物の多様性の野生状態における保全にとって、もっとも重要な自然の生育地 を含むこと。 上記の基準のいずれか一つ以上に合致することが求められる。( i)から付i )の基準の場合は文化 遺産、同からは)の場合は自然遺産、どちらも含む場合は複合遺産として登録される。 O p e r a t i o n a lG u i d e l i n e sf o rt h eI m p l e m e n t a t i o no ft h eWorldH e r i t a g eC o n v e n t i o n ,WHC.08/01.UNESCO, WorldH e r i t a g eC e n t r e ,2 0 0 8 .. 員会に提出する。二000年にケアン. 一度に審査される案件に上. 一度に. ズで開催された世界遺産委員会の決定. によって、. 限が付され、しかも加盟国は、. 一つの物件しか申請できないことにな. った︵その後二 O O四年に自然遺産を含. めれば二つまで申請が可能とされた︶。. 世界遺産申請件数の増加と審査体制の. 問題からである。. 世界遺産への登録は次の手順で行わ. れる。まず、登録を求める対象を管轄. する政府機関が暫定目録の中から候補. 地をユネスコ世界遺産センターに提出す. − s−n。52. る。世界遺産センターが文化遺産につい. ︵. 色 。 てはICOMOS EOB. 。 ロ 冨 。E Egg自己∞5目︶に、自然遺産に. 自主80− ついてはIUCN220 口ESF 同. ︶. ω吉 BSιzmzs−一問。目。cEg に 評 価 岳 。Z. を依頼する。結果は、①留保なしの登. 312.

(8) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). 録の勧告、②登録しないよう勧告、③推薦または延期の勧告の三段階で提示される。この結果は世界遺産センタ. ーを通して世界遺産委員会に通知される。世界遺産委員会は、世界遺産に登録するか否かを採択する。. 世界遺産の登録への審査の詳細は、運用指針︵。苦EES 巳宮EoEg︶にしたがってなされる。この運用指針は時. 代の要請に応じて何度か見直されている。世界遺産登録の基準も後述するように二 O O五年に改正された︵表 1 参照︶。. ﹁文化的景観﹂の認知と混合遺産. 世界遺産条約の二 O周年にあたる一九九二年、まず、﹁文化的景観﹂という概念が世界遺産に新しい視点をも. たらした。﹁文化的景観﹂は、文化遺産と環境との関係を重視し、また文化遺産が実は人々の生活や信仰の形態 と密接に関係する場合が多いという事実を反映させようとしたものである。. ﹁文化的景観﹂がユネスコの文化遺産の概念として明確にされたのは一九九二年にサンタフェで開催された第. 一六回世界遺産委員会においてである。文化的景観については、一二つのカテゴリーに分類して説明されている。. 第一は、人類が意図的に意匠・創造したことが明らかな景観で、庭園や公園がこれにあたる。第二は、﹁有機的. に進化する景観﹂︵。G 国 宮︶で、人類が自然に手を加えながら、どのように自然とともに生き mEg−−可 2 gES ロ仏g − 。 て き た か を 示 す 農 村 景 観 や 鉱 山 遺 跡 な ど で あ る 。 こ の 第 二 の カ テ ゴ リ ー は さ ら に 、 ① 残 存 す る 景 観 ︵BE2. 仏8 ZE280︶と②継続する景観︵85BEts8 0︶に二分される。第三は、人類と自然との精神的な交流や対話. を示す遺産で、無形文化としての宗教、芸術、文学などとも密接な関連をもっ。信仰の山などがこのカテゴリー の典型である。. 文化的景観として最初に遺産目録に登録されたのは、 ニュージーランドのトンガリロ国立公園やオl ストラリ. 313. 2.

(9) 国際政治 慶醸の政治学. アのウルル・カタ・ジユタ国立公園であった。 ウルル・カタ・ジユタ国立公園は、地殻変動のもたらした典型的. な自然美、石柱︵モノリス︶を中心に自然遺産として一九八七年に登録されていた︵基準 HH m︶。その後、締約 ⋮ ・ 国会議において﹁文化的景観﹂をもっ文化遺産として認められ、一九九四年にこの国立公園は新たに混合遺産と. して、文化遺産の基準︵ v ・吋︶とあわせて再登録されることになった。ただし、文化的景観がすべて混合遺産 であるとみなされるわけではなく、その多くは文化遺産としてのみ登録されている。. ウルル・カタ・ジユタの場合は、 アボリジニ社会が、自然遺産であるモノリスに対する伝統的な信仰と一体化. した形で、この自然遺産を聖域として保護してきたという事実が重視されたからである。立入りの制限や開発な. どの手が入ることなく、現在でも一部の土地は、この地域のアボリジニの団体から国に貸出されていることにな っている。. また一九九四年には、新たな文化遺産への視点として、﹁歴史都市﹂、﹁運河遺産﹂、﹁遺産街道﹂といった主題. 的な要素が考慮されるようになった。人々の過去・現在の杜会生活の形態と文化遺産との有機的な関係に着目し. 一九九六年には、 フランスで開催された専門家会議において、世界遺産の認定については包括的アプ. た類型の方法が試みられるようになった。 その後、. ローチが必要であり、自然遺産と文化遺産の基準を一体化させるべきだとの提案がなされた。またこの提案によ. り、世界遺産の地理的均衡の是正にもつながることが期待された。二O Oコ一年に世界遺産委員会は、基準を一体 化する決定を下し、二O O五年にその基準が採択されている。. またユネスコと並行して、欧州地域では、二000年に欧州審議会︵円。52− えEB宮︶において、独自に欧州. 景観条約︵EB宮BEE忠告の会雪85ロ︶が採択され、欧州地域において世界遺産条約の補完的な意味合いをも. っに至っている。ただし、欧州景観条約では、世界遺産条約とことなり﹁顕著な普遍的価値﹂を要求されてはい. 314.

(10) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). ない。この時期、欧州地域からは、古城群と一体化したロワ l ル渓谷︵二 000年登録・フランス︶や、アランフ ェス地域の文化的景観︵二 O O一年登録・スペイン︶が世界遺産として登録された。. 日本では、﹁紀伊山地の霊場と参詣道﹂︵二 O O五年︶と﹁石見銀山遺跡とその文化的景観﹂︵二 O O七年︶が世. 界遺産条約における文化遺産として、また特に、﹁文化的景観﹂にあたるとして登録された。. 石見銀山遺跡は、六百メートル級の山々に一六世紀から二 O世紀にかけて稼働した鉱山の遺跡と精錬所跡地、. 採鉱集落の他、銀鉱石を運ぶ運搬路と港町の一帯である。この遺跡は、﹁有機的に進化する景観﹂のカテゴリー. に属する文化的景観にあたることも認定された。銀鉱山そのものは、その広い範囲が再び山林となった﹁残存す. る景観﹂であり、人々が暮らす集落は﹁継続する景観﹂に該当すると判断された。 一六、七世紀に大量の良質の. 銀を生産し、その生産方法の伝播によって日本各地の鉱山の発掘に貢献し、日本や東南アジアの経済発展に大き. く寄与した。さらに大航海時代には東西交流の歴史に多大な影響を与えた点に顕著な普遍的価値が認められた。. 石見銀山に関する記述は、日本だけでなくアジアや欧州の文献にも見られ、銀山の世界史的位置づけを立証した。. こうした事実が遺産のオiセンティシティを高めることにつながった。また環境への負荷が少ない灰吹法と呼ば. れる精錬方法や、全体で六百以上とされる間歩のほぼ完全な保存状況も評価された。加えて地元の団体が、廃坑 後もその景観や歴史を留める活動を長年展開していたことも積極的な評価となった。. 九0年代には、世界遺産条約の精神を理解する鍵でもある﹁顕著な普遍的価値﹂や﹁オiセンティシティ﹂の 概念の解釈についても新たな展開があった。次にそれを取り上げる。. 3 1う. ﹁奈良文書﹂の意義. 司. s−CEqF2Z∞E身え昏O 582色。ロ 一九九四年一一月に奈良で開催されたユネスコ、 ICCROM ︵ 。 EOB色. 3.

(11) 国際政治 慶麿の政治学. 山岡山. 凹. ︵. −. 二 U EE gn OZSHFOロえ︵ 己 482可︶およびICOMOS HEO自主。ロ己円。52 g z。EEggg仏盟件。回︶ の共催による会. 議で、世界遺産条約の認定基準にかかわって、﹁ォl センティシティに関する奈良文書﹂が起草された。この文. 書に法的効力はないが、同年タイのプlケットで開催された世界遺産委員会で確認され遺産の認定の実務におい て大きな意味をもつことになった。. この﹁奈良文書﹂は、文化遺産の保存に関する実践において、日本政府が議論を提起し、その結果としてもた. らされたものである。文書は、その前文で、すべての社会の社会的・文化的価値を最大限尊重し、世界遺産とし. て提案された対象の顕著な普遍的価値を検証することを調っている。また文書は、一九六四年のヴェネチア憲. 章の精神のうえに立ちながら、現代世界において文化遺産に対する懸念と関心が拡大しつつあることに対応する. ことの重要性を説いている。グローバル化と画一化の作用の下で、文化的な独自性の追求は、時に過度の民族主. 義やマイノリティ文化への抑圧を生むが、世界遺産の保存の実践は、人類共通の記録を明確にし、可視的にする ためのものであることを強調している。. 奈良文書は、文化の多様性についても言及している。文化と遺産の多様性は、人類の世界のかけがえのない知. 的・精神的な豊かさの源であり、その多様性を保護し促進することは、人類の発展の重要な側面である。文化・. 遺産の多様性は、時間と空間の中に見出され、他の文化やその信仰体系のあらゆる側面を尊重することを求める。. すべての文化と社会は、遺産を構成する有形・無形の固有な形式や手法に根ざしており、それらは尊重される。個々. の文化遺産は、すなわち人類の文化遺産であるというユネスコの基本原則を確認することは重要である。文化遺. 産とその保護に関する責任は、第一義的にはそれを創出したコミュニティに属する。それに加えて、文化遺産の. 保護のために起草された国際的な憲章や条約に参加した当事者は、それに基づく原則と責任を考慮することを義. 務づけられる。他の文化的なコミュニティの要求と自らの文化的コミュニティの要求を均衡させることが、それ. 316.

(12) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). が基本的な文化的価値を傷つけない範囲で、強く望まれる。. さらに価値とオlセンティシティの問題について、奈良文書は以下のように述べる。あらゆる形式や歴史区分. における文化遺産の保全は、遺産に備わっている価値に由来する。これらの価値を理解する能力は、これらの価. 値に関する信頼性・信濃性の高いと考えられる情報源にかかっている。文化遺産の原型とその後の変化の特徴、. その意味に関する情報源に対する知識と理解は、オlセンティシティのあらゆる側面を理解する基本である。ヴ. エネチア憲章で確認されたオlセンティシティの理解は、世界遺産条約や他の文化遺産の目録への登録手続き、. および文化遺産の保存・修復計画の学術研究において基本的な役割を担う。文化財に備わった価値についての評. 価は、情報源の信頼性と同様に、文化ごとに、あるいは同じ文化であっても各々異なっており、固定的な基準で. 価値やオl センティシティを測ることは不可能である。逆に、すべての文化への尊重という立場から、遺産の属. する各々の文化的コンテクストの中で考慮され、遺産が判断されることが求められる。したがって、各々の文化. において、遺産の価値と関連する情報源の信頼性・信濃性の特別な性質について共通の認識が得られることは極. めて重要かつ緊急を要する。文化遺産の性質、文化的文脈、経年的な展開を通してなされるオlセンティシティ. の評価は、情報源の多様な価値と関係している。それは、形式と意匠、素材と材質、用途と機能、伝統と技術、. 立地と配置、精神と感性、その他の要素を含むものである。こうした情報源の使用は、文化遺産の芸術的・歴史 的・社会的・科学的に精微な検証につながる。. このように格調高い表現で綴られた奈良文書は、世界遺産としての価値を判断するうえでパラダイム転換とも. いうべき変化をもたらした。文化遺産や文化固有の価値をどのように理解するかという困難な問題について、あ. る立脚点をもたらしたといえよう。それに留まらず、その後ユネスコにおける無形文化遺産および文化的表現の. 多様性条約の採択へと導く要素を内包していた。次節では、世界遺産条約を補完する意味合いをもっ、無形文化. 317.

(13) 国際政治 慶醸の政治学. 遺産条約について検証してみたい。. E 口開gzgmo への視点. 無形文化遺産条約と− ﹁無形文化遺産﹂概念の登場. 世界遺産条約のように文化遺産・自然遺産のような有形の文化だけではなく、工芸や芸能など無形の文化をも. 国際的保護の対象とすべきだという主張は、かなり早くから存在した。世界遺産条約が締結された翌年の一九七. 三年に、南米のボリビアから民間伝承︵EWEB︶の文化的価値を世界遺産として国際的に認めるよう要求された。. けれども、その後長年にわたって、 ユネスコによる文化の保護は、歴史的建造物を中心とする文化遺産と、自然. 一九五O年に﹁文化財保護法﹂が制定され、伝統工芸や芸能など無形文化財を保護しようとする社. 遺産に限定されてきた。 日本では、. 会的な意識が他の国と比べて高かったが、欧米をはじめ世界ではこうした意識は一般的ではなかった。世界各地. z i a zュsmo︶は、伝承者がいなくなれば消えて. で伝承される工芸技術、芸能など形を伴わない﹁生きた遺産﹂︵. しまう運命にある。生物の多様性が保護すべき国際公共財であるのと同様に、無形文化遺産も国際的な保護の対. 一九八九年の﹁伝統文化と民間伝承の保護に関する勧告﹂. 象であると国際的な認知がなされるまでには時間を要した。 無形文化遺産に関連するユネスコの取り組みは、. p. 含まロ。EZEF官民是認。コg 仏5 政 5 − − E582a E20︶に端を発する。その後、無形文化遺産条約の締 ︵同oSEES − 。 結に先行して、 ユネスコは、二 O O 一年から三回にわたって、﹁人類の口承および無形遺産に関する傑作宣言﹂ を行ってきた。. 318.

(14) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). 傑作宣言では、①民衆の表現あるいは伝統的表現の形式、②﹁民衆の伝統的文化活動が集中した形で行われる 場所﹂と定義される文化的空間の二つに分類していた。. また傑作宣言では、候補として推薦される文化的表現あるいは文化空間について、次の六つの点が考慮された。. それは、①人類の創造性を表す傑作として、顕著な価値をもつこと、②当該社会の文化的な伝統または歴史に根. ざしていること、③当該社会の文化的独自性を発揮する手段としての役割を果たしていること、④技術の実践及. び技術的特質において卓越していること、⑤生きた文化的伝統の類ない証となっていること、⑥保護手段の欠知、. または急速な変化の進行により、消滅の危機に晒されていること、である。さらに申請に際しては、申請された. 文化的表現あるいは文化的空間の保護と促進のための実質的な行動計画の添付が求められていた。. 傑作宣言においては、発展途上国に対して、申請書類の作成のためのいわゆる準備支援と呼ばれる財政的支援. も提供された。二O O五年までに選ばれた傑作は、世界七0カ国以上から九O件に上る。地域別の内訳は、アフ. リカ一四件、アラブ八件、アジア太平洋三O件、欧州二一件、ラテンアメリカ・カリブ海地域から一七件であっ た。この数字は世界遺産と比べてはるかに地理的な均衡がとれている。. 二O O五年に発効した無形文化遺産条約に従って、まずこれらの傑作が無形文化遺産条約の代表目録︵日官gg’. E5口三︶に登録され引継がれる。ただし、無形遺産保護条約を批准していない国の﹁傑作﹂についてはその限 りではない。. また、傑作宣言と無形文化遺産条約では、対象となる﹁無形文化﹂の定義の仕方や認定基準について異なった. 表現がとられている。無形文化遺産条件︶による﹁無形文化遺産﹂の定義は、﹁慣習、描写、表現、司式および技. 術ならびに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、コミュニティ、集団、場合によっては個人が. 自己の文化遺産の一部として認めるもの﹂︵第二条︶とされる。特に、次の分野において例示される。①口承に. 319.

(15) 320. よる伝統および表現︵無形文化遺産の伝達手段としての言語を含む︶、②芸能、③社会的慣習、儀式および祭礼行事、. ④自然および万物に関する知識および慣習、⑤伝統工芸技術である。条約では、先の﹁傑作宣言﹂を踏まえて、 より具体的な例示がなされている。. 無形文化遺産条約によって認定される文化遺産は、①既存の人権に関する国際文書、②コミュニティ、集団、. 個人間の相互尊重、③持続可能な発展の要請と両立するもののみであり、伝統に立脚する無形文化であっても、. 国際的に受け入れられてきた他の価値、すなわち、人権、基本的自由、持続可能な開発などを侵害する社会的な. 慣習や行事は、国際的な保護は受けられない。世界遺産と比べて無形遺産は、人々の社会生活や信仰の形態とよ. り直接的に関係しており、こうした国際的に形成されてきた規範との整合性も慎重に考慮される必要がある。. 無形文化遺産とコミュニティ. 無形文化遺産条約によるコミュニティの重視は、後述するように、遺産認定の基準のみならず、遺産の登録手. 的に異なったものである。. 地域・コミュニティを代表する無形文化であれば保護の対象となるという認識は、世界遺産条約の立場とは基本. やコミュニティの住民が自らの文化的アイデンティティを確認することに意義が見出されたことにもある。国や. ﹁顕著な普遍的価値﹂を証明するのは困難であった。無形遺産の国際的な保護の必要性は、こうした多くの国民. 条約で求められていた歴史を記録した文書がなく、アクロポリスに匹敵するような遺産をもたない国にとって、. するにあたって、条約によってこれらの文化聞に階級性がもたらされることが懸念されたことによる。世界遺産. かった。これはかなり長い議論を経て、集団やコミュニティの独自性や継続性に関連が深い無形文化遺産を保護. 無形文化遺産条約では、﹁傑作宣言﹂の認定基準では用いられていた﹁顕著な価値﹂という言葉が使用されな. 2. 国際政治 慶躍の政治学.

(16) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). 続きや維持管理における役割に至るまで、その参加を求めるという一貫したものである。この条約は、無形文化. の存在形式や空間のみに注目するのではなく、それを育んだコミュニティや集団の存在を重視したところに特徴. がある。国民国家が、その下位集団を国際的に可視的な存在とすることは、民族の自決権の問題ともかかわり、 従来はむしろ主権国家との関係で消極的であったことを考えると大きな変化である。. 国際的な環境の変化は、複数国家による同一の無形遺産の傑作宣言への登録申請によっても推察することがで. きる。二O O五年までに三度行われた傑作宣言で、七0カ国、九O の無形遺産が傑作として宣言されているが、. このうち複数回家による申請が受理されたものが数件あった。ベルギーとフランスによる祭り、中米四カ国によ. る一言語・舞踏・音楽︵カリフナ︶、 エクアドルとペルーによる口承伝説、バルト三国の歌謡・舞踏フェスティバル、. アフリカ南部三カ国による儀式的な舞踏︵グレアムクル︶、 モンゴルと中国による長歌︵オルテインド︶、西アフリ. ︶ カの二カ国による成年の儀式︵カンクラング︶、タジキスタンとウズベキスタンによる古典音楽︵シャシユマカ lム. である。これらは、人為的で政治的な国境線を跨いで継承されてきた民族やコミュニティの文化遺産であり、こ. うした文化を国際的に認知してもらうために、関係国が合同で申請を行ったという事実がすでに多くのことを示 唆している。. 条約の実施体制 政府問委員会. 条約の実施に関する最高責任機関はすべての締約国が参加する締約国会議であるが、実施や運用に際して締約. 国会議にその方針を提案し承認を得て行動するのは政府問委員会である。この構造は世界遺産の場合と同様であ るが、政府問委員会の構成因の地理的配分や選出方法は異なっている。. 321. 3 ( 一 ).

(17) 国際政治 慶醸の政治学. 無形遺産条約の政府問委員会は二四の締約国で構成される︵締約国が五Oに達するまでは一八カ国︶。委員会の. 任務は、①条約の目的を促進し、その実施を奨励、監督すること、②遺産の保護のための最良の経験に関する指. 針を提供し、そのための措置を勧告すること、③﹁無形文化遺産の保護のための基金﹂の使途に関する計画案を. 策定し、締約国会議に提出すること、④条約実施のための指針を作成し締約国会議に提出すること︵二 O O八年. 六月に提出︶、⑤各締約国が提出する報告書を検討し、その要約を締約国会議に提出すること、締約国が求める. 無形文化遺産目録への登録と、国際的な援助の供与に関して、⑥締約困会議が承認した客観的な選考基準に従っ て決定することである。. 政府問委員会は、文化遺産の認定や保護に関する﹁基金﹂の支出など、実質的な権限をもつため、その選出基. 準は重要である。政府問委員会の構成について、無形文化遺産条約は、世界遺産の政府問委員会と異なる方法を. 採用している。政府問委員会の構成因の選出は、﹁衡平な地理的配分に基づく﹂︵第六条︶という点である。. 他方、世界遺産委員会の政府問委員会は、地理的配分に従って選出することを義務づける条約上の規定はなく、. 単に﹁世界の異なった地域や文化の均衡の取れた代表性が考慮される﹂とされているのみである。また世界遺産. 委員会は、地域の代表性を考慮し、現在二一カ国で構成される委員国数の増加について議論してきたが、二 O O. 八年の締約国会議においてもその決定に至っていない。世界遺産条約の政府問委員会は、六年の任期で二年毎の. 締約国会議で三分の一が改選されることになっているが、実際には四年日で降板する国が多い。これは多くの国. に委員国を経験させるべきだと各国が独自に判断しているからだという。しかし、その一方で後任となる委員国. を実質的に指名しようとする場合もあり、公平な選出という点から問題とされてきた。無形文化遺産条約では、. 政府問委員会の委員の任期は四年で、地理的配分と輪番制が原則とされ、世界遺産条約の制度上の問題点はある 程度克服されている。. 322.

(18) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). 口助言団体. 世界遺産の保護において、遺産の認定や保護等に関わる民間の助言団体は固定的であった。前述のように、文. 化遺産に関してはICOMOS、自然遺産についてはIUCNといった特定の団体がその役割を担ってきた。し. かし、無形文化遺産条約においても、登録のための審査や緊急の保護の必要性の判断などの場面で同様に民間団. 体をパートナーとするが、その任命は複数の機関からアドホックになされるのが原別である。対象となる無形遺. 産の性質が世界遺産と比較して多様であるため、より個別的な対応が必要であるとの認識に基づいている。. 無形文化遺産の保護体制 国内的保護. 自国内の無形文化遺産を暫定目録に載せる決定を締約国が行う点は世界遺産と同様であるが、大きな相違は、. そのためにコミュニティ・集団・関連民間団体の参加が﹁条約上﹂で要請されていることである。無形文化遺産. の担い手は、伝統的、自発的に形成されたコミュニティであることが多く、こうした主体の参加を前提とせずに、. 無形文化遺産の適切な保護は行うことができない。この考え方は先の傑作宣言事業で採用され、ユネスコは、伝. 統を担うコミュニティの合意の下で提出された申請書のみを受理する。条約によると、締約国は、まず自国内の. 種々の無形文化遺産の認定を、コミュニティ、集団、関連民間団体の参加を得て行う。締約国は、無形文化遺産. の保護に関する活動の枠組みの中で、無形文化遺産を創出し、維持し伝承するコミュニティ・集団・および適当. な場合には個人の、できる限り広範な参加を確保するよう努め、その管理に積極的に関与させるよう努める。. 締約国は、無形文化遺産の目録を作成することにより、その保護の重要性を知らしめ、特に保存・修復のため. に教育や学術的能力を発展させることが求められている。また、自国内の無形文化遺産の保護、発展および振興. 323. ( 一 ) 4.

(19) 324. のために一般的政策をとる他、権限のある機関を指定または設置し、特に、危機に晒されている無形文化遺産を. 効果的に保護するため、学術的、技術的および芸術的な研究や調査の方法を発展させる。さらに、無形文化遺産. の認識、尊重および拡充を確保するため、一般公衆、特に若年層を対象にした教育、意識の向上および広報に関. する事業計画を策定し、無形文化遺産の保護のために管理および学術研究のための能力を向上させる活動を行う ことを求められる。 国際的保護. それに対して、無形文化遺産の場合は、通常の遺産目録に載せるための条件は、世界遺産と比べて緩やかであ. 目録からの削除を申し出たオマ l ンの自然遺産の例であった。. ため、遺産の普遍的価値が失われるという勧告に対し、二O O七年の第三二回世界遺産委員会において自ら遺産. これまで世界遺産目録から最終的に削除された唯一の例は、油田開発が優先され野生動物の保護区が縮小した. を行い、二O O七年には危機遺産目録から正式に外された。. が損なわれると勧告を受け、二O O一二年に危機遺産目録にのった。これを受けてネパ l ル政府は都市計画の変更. マンズは一九七九年にすでに世界遺産への登録を果たしたが、その後の市街化開発により文化遺産としての価値. の価値が減少するというだけでなく、自国の遺産管理能力が問題とされたことになるからである。例えば、カト. を受けた加盟国は、可能な限りそれを回避しようとするのが一般的である。それは、観光資源としての世界遺産. 市街化、開発、自然災害、紛争などの理由で世界遺産委員会から遺産としての文化的価値が損なわれるとの勧告. なっている。登録された自国の世界遺産が危機遺産目録に載ることは不名誉であると受け止められることが多い。. sza えdGOEEFmcR舎をの役割がある。これは世界遺産の危機遺産目録に当たるが、その意味合いは幾分異. 次に、無形文化遺産の特徴として、 いわゆる﹁緊急に保護する必要がある遺産目録﹂︵口三えE sa−−母国ggmo. コ (. 国際政治 慶膳の政治学.

(20) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). り、条約の本質的な目的はむしろ緊急に保護の必要がある遺産目録にあるとされる。ユネスコの政府問委員会は、. ﹁緊急に保護する必要がある無形文化遺産﹂の目録を作成し、常時更新され公表される。この基準は締約国委員. 会で承認される。この目録の文化遺産は、国際協力・支援の優先的な対象となる。無形文化遺産の場合、緊急に. 保護する必要がある遺産の目録に載ることは不名誉というよりも、国際的保護を要請し支援を受けるという積極. 的な意味を有している。無形文化遺産が危機に瀕している理由は、多くの場合、国家の標準化政策や財政手段の. 不足、開発や市街化といった囲内要因だけでなく、災害や紛争などによる民族の移住、外部世界からのメディア. の影響といった外的要因による場合も多く、国際的協力が必要な理由の一つになっている。. ユネスコ条約と文化的多様性 世界遺産と無形文化遺産の関係. 世界遺産条約から約三O年遅れて無形文化遺産条約が成立したが、文化遺産および自然遺産と無形遺産の関係. は相互依存的である。世界遺産は、無形遺産と表裏一体であり、世界遺産の物質的な側面のみ保護しようとして も困難である場合が多い。. 一九九七年に歴史都市景観とそれを. その一例として、世界遺産として登録された中国雲南省の古都、麗江︵中国の登録名は麗江古城︶がある。麗江 一三世紀から栄えた標高二千四百メートルに位置する高原の町である。. 構成する建物群の様式、雲南のお茶とチベットの馬を交易した﹁茶馬古道﹂と﹁南のシルクロード﹂の交差点に. 位置する都市の地理・歴史的背景が評価され、世界遺産目録への登録が決定された。中国で三七件︵二 O O八年 現在︶ある世界遺産のうち、少数民族が集住する都市として唯一のものとなっている。. 32ラ. は.

(21) 国際政治 慶麿の政治学. しかし同時に、麗江に居住する少数民族ナシ︵納西︶族の伝統文化について十分な評価がなされず、人々の生. 活文化への配慮が不足したことが大きな問題となった。麗江の町並みはナシ族の人々の生活と不可分の関係にあ. るが、ナシ族の文化は、文化大革命時代には打破すべき四旧の一つとして抑圧された歴史をも旬。ナシ族の使用. するトンパ文字は、現在世界で実際に用いられている唯一の象形文字だといわれる。また独特の民族衣装と、日. 一般的には世界遺産登録のメリットと考えられるが、麗江の場合、観光. 本の雅楽とも共通するナシ古楽という民族音楽をもっ。 伝統的な町並みへの観光客の増加は、. 地化と外部からの商業目当ての人の流入は、生活の中心であった水路の汚染など、ナシ族の民族的伝統への大き. な影響をもたらした。歴史都市をそこに住む人々の暮らしに配慮せず物理的に遺産として保存しようとしても困. 難であることを示している。二O O七年、麗江を含む中国の世界遺産保護体制に対し、世界遺産委員会は警告を 発している。. 一九九五年に文化遺産として世. 世界遺産条約と無形文化遺産条約が、同じ対象について異なった観点からの保護を試みている事例もある。フ ィリピン北部の島コルディリェ l ラの棚田が典型的な事例である。この棚田は、. 界遺産目録に登録され︵基準の⋮m −w v︶、二O O一年には危機遺産目録にも載せられた。さらに、この棚田で − ・. 働くイフガオ族の人々によって種を蒔くときや収穫のときに歌われる伝統的な歌謡が、﹁人類の口承および無形. 遺産に関する傑作宣言﹂の目録に載せられた。この別々に認定された文化遺産︵世界遺産条約︶と傑作宣言︵無. 形文化遺産目録に統合︶とは、相互に不可分の関係にあり、口承される歌謡を通して、棚田の維持に必要な知識. や技術がおよそ二000年もの間伝承されていたことが明らかになっている。このように有形遺産と無形遺産は 不可分な結びつきを示していることも多い。. 無形文化に対する負の影響は、人の移動や貿易自由化の流れの中で拡大している。イフガオ族の棚田は後継者. 326.

(22) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). 不足が深刻で、日本からも支援が行われている。次に、文化的多様性を保護するために採択された文化的表現の 多様性条約について概観したい。. 文化的表現の多様性へ. グローバル化と文化的多様性を扱ったユネスコの新たな動きとして、二O O一年に採択された﹁文化的多様性. に関する世界宣言﹂がある。越境するT V番組や映画、雑誌などが文化的多様性を損なうという問題意識が生じ たためである。. その後二O O五年に、﹁文化的表現の多様性の保護および促進に関する条約﹂が採択された。先の世界宣言が、. 哲学的、理念的な文言を多用しているのに比べ、条約では、文化的表現の多様性保護の要請から、締約国が具体. 的な措置をとる主権的権利の行使を認めている。締約国がとることのできる措置として、規制や公的な資金援助. が含まれる。また国内の文化的な活動、物、サービスの創造、生産、普及、配布、享受に関して、妥当な方法で. 機会を与え、効果的なアクセスの提供を目的とした措置をとることができる。さらに、公共放送を含めメディア. の多様性の強化を目的とする措置も認められる。この条約は、﹁地域的な経済統合のための機関﹂に加盟が開放 されており、 E Uが二O O六年に加盟している。. 問題となるのは自由貿易に関する条約との関係であるが、条約の文言によれば、他の国際条約との関係につい. て、締約国は、他のすべての条約に基づく義務を誠実に履行するとされる。その一方で、自国が締約国である他 の条約を解釈、適用する場合は、この条約の関連規定を考慮することとされている。. 条約によると、﹁文化的表現﹂とは、﹁個人・集団およびコミュニティの創造性から生じ、かつ文化的内容を有. する表現﹂とされる。条約は、広範で均衡のとれた文化交流のための文化問の対話を奨励し、文化相互性を育成. 327. 2.

(23) 国際政治 慶鷹の政治学. することを謡、っとともに、開発と文化の関係にも言及している。この条約に米国は参加していないが、開発途上 国や、中国やインドなど多様な少数民族を抱える国々に受け入れられている。. 文化的表現の多様性条約は、商品化され、消費される文化とその国際移動を念頭においた初めての国際文書で. あり、保護されるべき利益の輪郭がいまだ不明確であるが、世界遺産条約や無形文化遺産条約と共通の理念に基 づいていると理解される。. おわりに. 世界遺産条約の締結から三五年が経過し、文化遺産を取巻く状況は大きく変化している。それはユネスコによ. る有形・無形の文化遺産や文化の多様性保護に関する規範形成やその運用に影響してきた。九0年代には、次の. ような変化が起きている。まず、人類の生活空間と自然や文化遺産との関係について、﹁文化的景観﹂の概念に. 代表されるような遺産の価値の新たな捉え方が注目される。自然遺産として保護されてきた空間における人々の. 営みや、人々が自然に造形を加えて創出した景観や、自然と調和した産業遺跡といった、遺産への新たな着眼点. が示された。また、世界遺産認定の基準が、固定的な理解から、次第に文化が創出された社会の多様性への理解 に基づく解釈へと変化していくことが明らかになった。. 一二世紀に入って採択された無形文化遺産条約は、世界遺産条約と対をなすものであるが、二つの遺産の概念. は二者択一的なものでなく、その遺産をもたらした社会集団を通して両者に深い結びつきがみられる場合が多い。. 文化遺産を、周囲の人々の生活やコミュニティと切り離して物理的に保護するだけでは、目的が達せられないこ. とは様々な事例により実証されてきた。﹁無形遺産は、有形遺産が形と意味をもつための、より大きな枠組み﹂. 328.

(24) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). というICCROM会長の表現に示されている。二O O二年九月にイスタンプl ルで開催された文化大臣による. 円卓会議では、﹁文化遺産へのアプローチは、有形遺産と無形遺産の間のダイナミックなつながりと深い相互依. 存を考慮した包括的なものであるべきだ﹂との宣言も発せられている。今日、﹁文化﹂も市場や開発の文脈で評. 価され、位置づけられる運命にある。紛争や災害はもとより、近年の都市化、観光地化、グローバルな文化の浸. 透といった大きな変化の中で、 ユネスコ条約が本来目的とする人類共通の遺産の保全が損なわれないために、そ. こに暮らす人々とともに、国際的なモニタリングや協力の体制を整備していくことが一層重要となろう。. 文化とは、二O O五年に採択されたユネスコの文化的多様性の保護条約によれば、﹁特定の社会または杜会集団に特有の、. 精神的、物質的、知的、感情的特徴をあわせたものであり、また文化とは芸術、文学だけでなく、生活様式、共生の方法、価. に関する現代的課題の核心であるとしている。. 値観、伝統および信仰も含む﹂ものであるとされる。さらに文化は、﹁アイデンティティ、社会的結束、知識に基づく経済の発展﹂. ︵2︶本稿で扱う三条約以外では、﹁知的所有権条約﹂︵一九五二年︶、﹁紛争下における文化財保護条約﹂︵一九五四年︶、﹁文化財. の不法な輸出入・移動の禁止に関する条約﹂︵一九七O年︶、﹁水中文化遺産保護条約﹂︵二O O一年︶がある。. 一九六五年設立. O. m. ︵. 国際記念物遺跡会議というN G O ︵民間団体︶で、文化遺産の認定や保全、危機遺産目録への登録など. 叶 目 同0 N 同⑦ 司。円−仏出 0ユ 加。門。自旨﹄=。伺唱門 可。吋件。ご︸凶。 N品丹町回。田回﹄。ロ。同丹﹃ 0 t. s. Egg−。巳号EgpzzE匂庁 0唱 0 ggsgロ。E− 3S唱円。ロ︿g s∞0 υ白ロ可。. z o p 者国内・ ∞ \ 。 ァ ロzg円0・t弓。同−仏出白江 5 君。ユ仏国 。. 0. ︵3︶二 O O八年の世界遺産委員会までの数字で、文化遺産が六七九、自然遺産が一七四、混合遺産が二五である。また世界遺. ︶. 現在でも登録された世界遺産の約半数が欧州・北米地域にある. 産条約締約国のうち、世界遺産を持たない国が四Oある。. ︶. ︵. 5. ︶ ︵. ︵. 7. 6. 329. 4.

(25) 国際政治 慶醸の政治学. におけるユネスコの公式パートナーである。. ︵8︶国際自然保護連合、一九四八年設立、本部はスイスのグラン。国家、政府機関、 NGOなどにより構成される。約一万人 の科学者がIUCNの活動に関与している。. ︵ 同 ︶ 3HA ゆ 可 唱 ・ ∞ 斗 目 。 N・. 。 円Ezgg宮内。ロ︿85P屯 gP2zmHBMUOBOES802zo君 。 旬 。5 5ロ乱。巳色町一s ・ ミ ・. 月報﹄二O O二年一月号。. O O汁勺・=∞一稲葉信子﹁世界遺産における文化的景観の保護﹂﹁文化庁 ︵9︶唱さ﹃丘町内コ言明♀ミ言明︾可雪量守ミミミ戸口Z開 ∞ ︵ リ ︵ ︶ ゆM. ︵ 日 ︶ ﹄ ヨ 九 九 .. ︸. ︵ 口 ︶. 目. ︵日︶開口B宮g − P E。 gopz。一試・二O O七年現在、批准国は二九カ国である。 g g宮内。ロg E。 B PNOUハM。。。ゆ肘一号。宮告、司gq∞ ゎ ロ 国 仏 M B向 。 。EE−図。日向日。口出口ggpMOO ︵凶︶ぎωBEES巴τqZ508仏宮門巳EE−F自 己 目gu o u O自己目−m22P巴Ego− ・ ∞ ︵ 日 ︶ FE・世界遺産アカデミー監修﹃石見銀山と日本の世界遺産候補地﹄毎日コミュニケーションズ、二O O七年。. ︵打︶一九六五年設立。国際記念物遺跡会議というNGO ︵民間団体︶で、文化遺産の認定や保全、危機遺産目録への登録など. ︵凶︶一九五九年設立、本部はロ l マ。日本語で文化財保存修復研究センターと呼ばれる国際機関︵政府問機関︶。. におけるユネスコの公式パートナーである。. ︵同︶者同︵γ玄\門OZ向。。凶\広・松浦晃一郎﹁世界遺産l ユネスコ事務局長は訴える﹄講談社、二O O八年。. ︵円︶ヴエネチア憲章は、世界遺産条約の採択に先立って、一九六四年にヴェネチアで開催された第二回歴史建造物関連建築家. 技術者国際会議において採択された。この精神を実現する民間組織として、 ICOMOSが設立された。. ︵却︶ボリビアは、民間伝承を保護するための知的所有権などに関する規定を設けた議定書を、世界遺産条約の付属文書とすべ. ﹃人類の口承及び無形文化遺産の傑作の宣言﹂ UNESCO、二 O O六年。. 二O O三年のユネスコ総会で一二O国の賛成、八カ国の棄権、反対国はなかった。. きことを訴えた。 ︵ 引 ︶. w m. σ]四回。号恒例ou∞ o ω S H O印 白 。 。 口 内HOES臼 。 ﹀ 目 印O BZ旬。ごv 可 担52zpo円 。 ロ ︿gt。口明。円吾o∞問 ﹃ 神 宮 町E 。 ∞ ロm 司 ∞ 白 回 目 ﹄ 。P w E E m。 − HEm Bog−. ︵ 刀 ︶ ︵ 幻 ︶. 330.

(26) ユネスコによる文化遺産保護へのアプローチとその変容(安江則子). − 。 ﹄g C M U− −ふ i M m M C C∞ w Hzb M−。﹀\︵UCZ同N ∞ , − \. 期の各グループの委員回数は、西欧会二、東欧︵五︶、ラテンアメリカ︵四︶、アジア太平洋︵四︶、アフリカ︵五︶、アラブ︵コ一︶. ︵ M︶地理的配分の方式は、ユネスコ独自の区分に従って五つの地域グループごとに最低含まれる委員の数を決めている。第一 である。アフリカ・アラブは、同じグループ内でさらに二分されている。. ︵お︶世界遺産条約の危機遺産目録には、現在三Oを超える遺産が登録されている。大多数は、開発途上国であるが欧州地域に も二カ所ある。 ︵ お ︶ ORa−。ロ∞﹀色。宮o色白円同町乙−2ω25ロ。ご︸H 。E EP吉田司君国内’ミ・内ozb少可・凶M・ O君。Ezssmm円 ︵ 幻 ︶. 旧文化、旧民族、旧習慣は、旧思想とともに四旧と総称され、伝統文化の継承に大きな打撃を与えた。. 2・ NEAU方七日叫。1 山村高淑・張天新・藤木庸介﹁世界遺産と地域振興﹂世界思想社、二O O七年。. ︵ お ︶ ︵ 汐 ︶. ︵ 却 ︶ U2505﹀号宮a a岳 乙EPE802Z当日E 出02恒例。円。自E5P岩国内’s −宍︶冨\M少匂−s −. ︵引︶この棚田については、日本ユネスコ協力により、若い世代における伝統的知識の専門家要請について支援が行われている。 二O O六年度支援額は、一四O万円程度。 ︵党︶二O O五年に一四八カ国の賛成、二カ国の反対、四カ国の棄権で採択された。 ︵日︶ただし地域機関とその加盟国は、条約に基づく権利を同時に行使することはできない。. ︵ M︶﹁文化相互性﹂とは、多様な文化の存在および衡平な相互作用ならびに共有する文化的表現が対話や相互の尊重により生ず る可能性をいう。. −. − ∞. 同. 3 3 1. − s−出2 zozE円切。ロのF Oロ町長一﹁叶,FOM。。凶巴Z開∞向。円。ロ︿820ロ向。円任。∞m 色0 m w p m g賞金口∞。内同FOESE zmnzz F g m o一 5 Z H U5 ロ件。ごv. ぐ852EHFopa回同呂田えFEE OBOEOgpE8220gos−−円円安︶戸 ds。宮司戸MこggqN。。∞ c oロ. 3 5.

(27)

Referensi

Dokumen terkait

Yuntho, Emerson, et al., 2014, Hasil Penelitian Penerapan Unsur Merugikan Keuangan Negara Dalam Delik Tindak Pidana Korupsi Policy Paper Indonesia Corruption Watch 2014,

Girsang, Juniver, 2010, Implementasi Ajaran Sifat Melawan Hukum Materiel Dalam Tindak Pidana Korupsi Dihubungkan Dengan Putusan Mahkamah Konstitusi Republik Indonesia Nomor:

Sehubungan dengan hal itu, penelitian ini merupakan studi yang memaparkan dan menganalisis dua tipe produk terjemahan, yaitu versi harfiah dan bebas, dari Alkitab terjemahan

Merujuk pada pertimbangan tersebut, maka lokasi yang dapat diwujudkan untuk kebutuhan ruang terbuka hijau publik bagian wilayah kota, diantarnya adalah : Ruang Terbuka

Namun, kata Rizal, ditegaskan kepada Dirut Bank Mandiri ICW Nelloe agar tak boleh ada dana keluar (penarikan dana) sedikit pun.”Dan ternyata dalam waktu

Banyak dana talangan bank century yang tidak sesuai dengan keadaan yang sebenar nya, dalam masalah century ini sebenar nya adalah masalah krisis keuangan yang dialami oleh

(a) Deputi Gubernur BI bidang Pengawasan Perbankan Dra Sti Chalimah Fadjriah, MM sudah mengemukakan di depan rapat KSSK tanggal 20 November 2008 itu bahwa sebaiknya Bank Century

Manajemen perubahan tidak akan berhasil tanpa adanya implemtasi organisasi pembelajaran yang menyediakan ruang untuk selalu improvement, diharapakan menjadi atau