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Kyushu daigaku fuzoku toshokan zo "Ochibanashi fushimizake" kaidai honkoku

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Academic year: 2021

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(1)Title Sub Title Author Publisher Publication year Jtitle Abstract Notes Genre URL. Powered by TCPDF (www.tcpdf.org). 九州大学附属図書館蔵『落噺ふし見酒』解題・翻刻 石川, 俊一郎(Ishikawa, Shunichirou) 慶應義塾大学国文学研究室 1988 三田國文 No.10 (1988. 12) ,p.66- 72 資料紹介 Departmental Bulletin Paper http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koar a_id=AN00296083-19881200-0066.

(2) ︹資 料 紹 介︺. 題. 九州大 学附 属図書 館蔵. 解. 石 川 俊. 一郎. 毎 半葉 六行 。 毎行 約 一三字 。漢 字 平 仮 名 交 り 。 間 々振 仮. 上 部 に ﹁ふ し み﹂、 下部 に丁 付 の み。. 無 辺 無 界。 字 高 約 一一 ・九糎 。. 名あり。. 行数字数. ﹃落 ふ噺 し 見 酒﹄ 解 題 ・翻 刻. 今 回 翻 刻 す る ﹃購 ふし 見 酒 ﹄ は ﹃国 書 総 目録 ﹄ に拠 れ ば、 九 州大. 浦 邊 の斗 石圃 ﹂ と序 年 薯 名 あ り.. 四 ウ ・五 オ、 十 八 ウ ・十 九 ナ、 見 開 き 二図 。 一九 。. 奥付 半 丁 は巻 末 にあ る以 外 に、 四 丁 と 五 丁 の間 にも 誤 綴 さ れ. 序 末 に ﹁寛 政 三 辛亥 初 春. て いる。. 購 ふ し見 酒 動林計一丁 全 一冊. ( 1) ﹃割印 帳 ﹄ の寛 政 二 戌年 十 二月 廿 日 割 印 の項 に、. を 氏 の ﹁中 期 噺 本 の調 べ㊨ ︹寛 政 年 間 ︺ 承 前﹂ (﹃小 咄 研 究 ﹄第 十 一. と の記載 が あ る。 そ し て本 書 は、 噺 本 研究 の先 駆 者 であ る宮 尾 しげ. ... 学 に 一本 所 蔵 され る のみ で あ る。 伝 本 も 少 な く、 ま た噺 本 基 礎 文 献 作 業 の現 時点 で の到 達 点 であ る ﹃噺 本 大系 ﹄ にも 未 収 録 で あ る の. ナ シ。. 改装 。 砥 粉 色 後 補 表紙 。 堅 一五 ・九、 横 =. ・三 糎。. で、 今 回 九 州大 学 附 属 図書 館 の御 許 可 (九大 相 第 10号 ) を載 い て紹 介 ・翻 刻 す る こと にし た。. 表紙. ま ず 本書 の書 誌 を 記 す。. 題籏 ナ シ。. 最 終 丁 奥 付 に ﹁此 はな し 古 く は帰 せ板 元 へ門 松竹 の音 のあ る. 内 題 ・序 題 ・尾 題. 浦 辺 の斗 石 述. 寛 政 三亥 春. 三 一丁 半 ( 内 、序 一丁、 本 文 三〇 丁、 奥 付 半 丁)。. 刊記. う ち﹂ と いう 歌 のあ と に、. 序 は丁 付 ナ シ。 壱 ﹂ ∼ 廿 八 ﹂ 、 廿 九 ノ 三十 ﹂、 三 十 一終 ﹂。. 清水治兵衛. 丁数. 板 元売 出. 丁付. 寛 政 三 辛亥 の と し 江戸本芝三丁目 清 水治 兵 衛 板 ﹂ と あ り。. 備 話 挿 柱 匡 考 数 画 刻 郭.

(3) 号) に、 富 士見酒. 哨 寛 政三年. 蒲邊斗石作. 末 の署名 三 松山 の斗石 翻=圃 と記真. 奥付 は本書 ﹃ふ し見酒﹄. 江戸本芝三丁目清 水 治 兵衛 衛 板 ﹂ と い. と 全く 同趣 向 で ﹁此 はな し古 く は帰 せ版 元 へ門 松 竹 の音 の あ る う ち ﹂ の歌 と ﹁寛 政 五 う し のと し. う 刊 記 であ る。 同 趣向 、 同 じ 板 元 であ る こと も 考 慮 に入 れ れ ば、 高. 保 と いう名 を媒 にし て浦 辺 の斗 石 と松 山 の斗 石 が 同 一人 物 であ る、. 浦邊 斗石 は道邊斗石 の誤りで、松山の斗石 のことである。 にも同. と いう こ と は確 かな こと とな るだ ろ う。 恐 らく は 宮 尾 氏 の ﹁浦 邊 斗. 年表(審. じ 記 載 が あ る。 ﹃割 印 帳 ﹄ を振 り返 ってみ る と、 そ の作 者 は 明 ら か. と紹介されゑ そ の後は同氏 の ﹃定姦. と な って い る の であ ろう が 、 し か し ﹃ふ し見 酒 ﹄ に明 ら か に浦 辺 と. 石は道邊斗石 の誤り﹂との言 嫉 ﹃ 恵方 みやげ﹄ の 爾一の印記が鑑. 難 青. に浦 辺 の斗 石 とあ る。 ま た 本書 序 末 の署 名 にも 浦 邊 の斗 石 と 刻 さ れ. 次 に書 舜 清 水 治 兵 衛 に つい て考 え る。 井 上 隆 明 氏 ﹃近 世書 林 板 元. あ る 点 であ る。. れ ぽ、 短 絡 的 に ﹁誤 り﹂ と決 め つけ て良 いも の であ ろ う か、 存 疑 の. あ る事 実 、 ﹃ふし 見 酒﹄ の方 が 二年 も 出 版 が 早 い こと を考 え合 わ せ. て おり 、 ﹁道邊 の斗 石 の誤 り﹂ と謂 わ れ る宮 尾 氏 の論 拠 は、 今 一 つ. ﹃国 書 総 目録 ﹄ に は、 浦 辺 の斗 石 の名 で 本書 が 挙 げ ら れ て いるだ. 判 然 と し な い。 (これに ついては後述す る。 ). け で、 道 辺 の斗 石 の項 目 はな い。 ま た天 保 末年 の俳 諸 師 に斗 石 な る. 総 覧 ﹄ (昭 56、 青 裳 堂書 店 ) に拠 れば 、清 水 治 兵 衛 は 芝 神 明 前 三 島. が わ かり、 他 に ﹁天 明 に常 陸 祭 文 類 刊。 他 に新 内 本 多 し 。﹂ と の 由 ( 3) であ る 。国 学 院 高 校 藤 田小 林 文 庫 蔵 の合本 ﹃新 内 集 ﹄ には ﹃比 翼 の. る松 山 の斗 石 と は い かな る 人物 であ ろう か。 ﹃国 書 総 目 録 ﹄ に 拠 れ. 者 が いる が、 本 書 の作 者 と は考 え ら れ ま い。 で は、 宮 尾 氏 の謂 わ れ. 会 の ﹃祭 文 ぶ し 正本 ﹄ は実 は ﹃恋 の しら 玉 ﹄ の仮 外 題 で、 全 く の同. 初 旅 ﹄ ﹃仇 比 恋浮 橋 ﹄ ﹃恋 衣対 白 む く ﹄ を は じ め とし て十 六 点 、 東 大. 町 に店 を構 え、 安 永 七年 から 寛 政 一 一年 に かけ て活 動 し て いた こと. 板 であ る。 残 る 二点 は いず れ も噺 本 で、 安 永九 年 刊 の ﹃笑 ひぞ め ﹄. 教 養 学 部 にも ﹃明 烏 夢 泡雪 ﹄﹃浮 名 初 紋 日 ﹄等 十 一点 にも のぼ る 清. ば 、 そ の著 作 は 四点 。 東 大 教養 学 部 蔵 の ﹃ 泓栢屋 恋 のし ら 玉 ﹄ は松. と寛 政 五年 刊 の ﹃ 恵 方 みや げ ﹄で あ る。 ﹃笑 ひぞ め﹄ は安 田 文 庫 に旧. る記 載 も あ る。 これ も ま た浦 辺 の斗 石 の別名 だ とす れば 、 斗 石 と 清. 水 板 の新内 本 が あ る。就 中 、 ﹃藤蔓 恋 の柵 ﹄ に は ﹁浜 の斗 石 述 ﹂ な. 山 堂 斗 石 の名 で、 天明 四年 に同 じく 清 水 治 兵 衛方 よ り出 て いる。 国. 蔵 さ れ て いたも の で、 焼 失 し たと 謂 わ れ る 。 ( な お尾崎久弥 コレクシ ョ. 清水治兵衛函﹂. 松山堂斗石. と あ る 。 こ れ に よれ ば、 書 舜 清 水 治 兵 衛自 身 の名 が 高保 、 と いう こ. 正本所 江戸本芝三百. 天 明 四年 甲辰 初 春 鰍作 者. と ころが 、 前 掲 の ﹃ 瓢栢屋 恋 のし ら 玉 ﹄ の奥 付 を見 る と. 水 の関 わ り が 一層 強 いも の であ る こと の証 拠 とな ろ う 。. ンにも所蔵されている、 とあるが、 これは全 くの別本 の影写本 である。 )同. け だ も のや 迄十 話 。 松 山 の斗. 書 に つい ては、 ﹁中 期 噺 本 の調 べ 三﹂ (﹃ 小 咄研 究 ﹄第 四 号 ) に、 序 一丁 、本 文 十 七 丁 、 年 忘 れー. 石 こと 、道 邊 高 保 の落款 が 、 寛 政 三年 ﹁恵 方 み やげ ﹂にも あ る 。 とあ る。 更 に ﹃恵 方 み やげ ﹄ は、 宮 尾 氏 の編 にな る ﹃寛 政 笑 話 集 ﹄ ( 昭 14、 小 咄 頒布 会 ) に翻 刻 ・ 一部 複 製 が あ る。 そ れ に よれば 、 序. 一67一.

(4) と にな ろう 。 さ れぽ 作 者 松 山 堂斗 石 (腫浦 辺 斗 石 ) と は、 即 ち 書 騨. ・ 樋 ・秀雄 ・朝倉治彦校訂 ﹃ 譲. 注. 国 文 学 研 究資 料 館 蔵 の マイ ク ロフ ィ ル ムに 拠 った。. 東 洋文 庫 獅 ﹃江 戸 小 咄 集 2 ﹄ ( 昭 46、 平 凡 社 ) 所 収. 江戸出版 青 ﹄ ( 昭㌍、未刊国文資料). 3. 刻 ︹凡例 ︺. 翻. 2. に 拠 った。. 清 水治 兵 衛 の筆 名 に ほ かな ら な い。 そ の よう に考 え れば 二者 の深 い 繋 り の謎 が 解 け、 斗 石 の人物 像 が おぼ ろ げ な が ら 浮 か び 上が って 来 よ う、 と いう も の であ る。 今 一度 ﹃割 印帳 ﹄ に立 ち 戻 る 。清 水屋 治 兵 衛 の名 が 見 え る書 を探 ってみ ると 、 本書 の他 には寛 政 五年 の書 道 の書 ﹃書 字 立 教 ﹄、 寛 政 九 年 の将 棋 の書 ﹃象 戯 楷 梯 抄抜萃 ﹄、 寛 政 = 年 の将 棋 の 書 ﹃将 棋. く 出 版 し て いる新 内 本 、 祭 文 類 が 全 く無 い、 と いう こと は、 出 版 に. いも のと す る よ う努 力 し た。 そ の方針 は概 ね次 の通 り で あ る。. 一、 翻 刻 にあ た って は、 忠 実 な 活 字 化 に つと め る と同時 に、 読 み易. 盤 面 図 ﹄だ け であ る。 これ が 清 水 の全 出版 物 で はあ るま いし、 数 多. 際 し不慣 れ な ジ ャ ン ル、 係 争 の起 こる可 能 性 のあ る、 例 えば 本 書 の. 一、 本 文 の行 移 り 丁移 り は底 本 に従 わ な か った。. 如 き 噺本 等 の書物 に つい てだ け 願 出 を し た と考 え て は いけ な いも の だ ろ う か。. 一、 仮 名 の字 体 は現 行 の平 仮 名 に改 め た。. 一、 句 読 点 は 、読 み易 さ を考 え 、 私 に施 し た。. 一、 仮 名 遣 いは 混乱 し て い るが 、 底 本 通 り と し た。. 最 後 に本 書 の咄 に つい て みて み た い。 当 時 、 安 永 ・天 明 の咄 本 の. であ る。 強 いて先 行 話 を 求 め る とす るな ら ば 、最 終 話 ﹁かご かき ﹂. 、 春 の初 の咲 花 な んぞ 。 夢 に見 て さ へよ いや と申 。 其. 剰 窃 が多 か った中 で、 本 書 は奥 付 の歌 に謂 う よう に新 作 の咄 ぼ かり. で、籠 かき が客 に やり 込 め ら れ る、 と いう モ チ ー フを 享保 一五年 刊. 目 出 た やく. 序. の ﹃座狂 はな し﹄ 上 之 巻 第 四話 ﹁かご かき の 二役 ﹂ に、 同話 の落 ち の ﹁すく に かけ お ち﹂ を 、 明 和 九年 刊 の ﹃鹿 の子 餅 ﹄ 第 一五話 ﹁密. 花 の宿 に ふく みた る 君 の笑 顔 、 誠 に若 松 初 日 のさす か こと し、 是 は. いふ こと の葉 をま ね て、 お とき 一坐 笑 草 の落 し噺 、 鵜 のま ね す る か. 又、 人 まね を す る鵬 鵡郭 中 へ (序 ナ) 入 て、時 斗 の音 を し らす る と. であ る。. 椎 ﹂ の ﹁みち か ら欠 落 ﹂ に求 め る ことが でき る か否 か、 と い う程 度. と も かく も 本書 ﹃ふ し見 酒 ﹄ は 、 新内 本 ・祭 文 を手 が け た書 騨兼. ( 序ウ). ら す、 亥 のと し の若 水 を の む と か や。. 作 者 の清 水治 兵 衛 11斗 石が 、 本 来 の仕 事 か ら離 れ て作 った新 作 の咄 本 、 と 見 て よさ そ う であ る。. 浦邊の斗幽. 寛政 一 二辛亥 初 春. ・:.

(5) れ よ。 お 久米 にも そ のと ふ りを い Σ付 て おく から。 さんか し こ ま り. 落 た の、 わ れ た、 ちる のと い ふ事 はな ら ぬ か ら、 そ ふ おぼ へて いや. ま し た。 ほ とな く 、 げ んく わ んた のみ ま せう 。 関兵 衛 で (五 ウ) 御. 正月 是 松 兵 衛 、正 月 だ が な んぞ 目 出 た いはな し はな いか 。あ ると もく. さ り ます 。 年 頭 の御 し うぎ 申 入 ま す。 女房是 へ御 と う り被 成 ま し、. 、. 夕 部 な 一ふ じ 二た か 三 なす び を夢 に見 た。 そ れ は め で た い、 いわ っ. と座 敷 へとう す 。 は やく. (六 オ) き やと いや れ、 か わら け も 出 し やれ と、 いや、 娘 く い つみ. た ふ御 ざ り ます 。 是 さ ん よ、 御 栄 よ、 おく め にお さ か つき をも って. と御 入 来、 相 かわ ら す御 たが ひ に御 目出. て、 血 ゑ ん近 付 千 五百 人 の余 あ る か ら、 是 を 残 ら す よ ふ つも り だ。. し や れ 。 ヲムサいわ ふ つも り だ 。 ( 壱 オ) ま つ し ん も ろ は く を か つ. そ ふ す れ ば 長 者 に な る と いふ から、 お ぬし も き てく れ 。 ヲ﹂そ れ は. と た が ひ に顔 を にら みく ら を し て いる。 娘さ ん、 お. ぬ し に い 工付 てお いた (六ウ ) から は やく たし や れ な。 さん私 の は. 娘 女中 よ ろく. に三組 の さ か つき を 出す 。 女房是 かわ らけ を はや く た し や ら ぬ か。. 大 き な こと だ 、 さ れば 。 イナ大 き く ( 壱 ウ) な く て は長 者 には な ら. あ った と さ。. れ ま い。 ま つ お れが はな し を き か つし やれ 、 此 や うな こと かむ か し く. 正月 の内 はだ さ れ ま せ ぬ。 おく め さ ん のが よふ 御 さ り ま せう 。 女房. か いぞ め 初 右 衛 門 ば く ろ う の所 へ行 、 御 て い しゆ (ニナ) 内 に か、 一寸 御 目. なぜ に。 さんわ た く し の はわ れ てお り ます 。. 若 者 四 五人 あ つま り て、 こと し は (七 ナ) 福 引 も な る ま い し、 た か. た から ふね. に か Σり た い。 亭主な ん て御 ざ り ます 。 初御 そ うだ ん申 た い儀 は、. ら ふ か。亭主しご く け な みも よ し、 心 も よし、 (ニ ウ) 何 れ ま いり候. ら ぶ ね でも う ら ふ で は あ る ま い か。 し か しあ れ は 一日 二日 斗 で、 あ. 旦那 の御 のりぞ め の御 馬 が 入 用 た か、 毛 な み のよ いす な を な のがあ. ても御 気 に入 ます 。 誠 に名 馬 て御 ざ り ま す 。請 合 て上 ケま し や う。. と も つま らす 。 そ し て残 つたら と ふ し よ ふ。 八兵衛は て残 つ たら 、二. 。 (七 ウ). し かし な が ら、 な じ ん でま いり ます と 少 し 申 ぶ んが 御 ざ り ま す。 旦. 日 のば ん にあ く ふ け ぞう と い つ所 に西 の海 へさ ら りく. か 。八兵衛ヲ ・な んな り と 銭 にさ へな らば 、 相 手 にな ら ふ。 此 せ つの. ヲ ・よ い銭 も ふけ の思 ひ付 が (八 オ) あ るが 、 そ うだ ん に の ら ぬ. こと て も おな じ事 さ 。 な んぞ 銭 も ふ け の 口が あ らぽ た の む よ。九兵衛. 是 八兵 衛 、 久 し いな 。此 比 はき つ いひ ま たが 、 お ぬ し はど ふだ 。 ど. いざ り. 那 を の せ ま し てあ た 玉か に な り、 こ エろ (三 オ) も ち が よ く な れ ば 、 へつび り を いた しま す 。 か ご かき. ま にな つ ては、 やす ひ米 のめ し が (三 ウ) く わ れ、 け ふも な い。 こ. し のき だ。 そ んな ら おぬ し、 いざ り のま ねが でき よふ か。 でき る と. 是 か Σ アど のき か つし や れ 、 け ふ て 五日 六日 あす びだ 。 此 よ ふ にひ. ま つたも んだ 。 女房ひ まな ら よふ御 ざ り ます 。 あ す か らめ し が く わ. る から、 お ぬ し いざ れ 。 そ れ は よ か ろふ。 思 ひ付 だ 、 あ す か ら 出 よ. も 。 そ ん な ら おれ が ざ る をも って 口上 を いふ て (八 ウ) 銭 を あ つめ. す ば 、 酒 でも のん で い まし や う 。 かは ら け 是 、 さ ん よ、 正月 の内 は物 の かけ (四 ナ) (四 ウ ・五 ナ挿 画 ) た の、. .・.

(6) ナ) 立 る。 ひと り は いざ る。 も は や 七 ッ時 ぶ ん にな り、 も ら いた め. と ふ り の御 だ ん な様 が た、 おた す け な され 下 さ れ ま し、 と よび (九. ふ。 夜 のあ け る を まち かね て、 新 き いさ り て な んぎ いた しま す、 お. し て唐 の神 く. へま だ う そ を い ふ。 日 本 の神く. 日 本 六 十余 州 の神く. め は せ ぬ。 そ ん (十 ニ ナ) なら せ いも ん す る か。 万す ると も く. 。. の銭 おも く な る と、 人 の見 ぬ間 に、 是 八兵 衛 、 あ ま り きが つき た か. り う き う 人 にく わ し く き いて お い た。 唐 のせ いも んは な ん と書 。 万. ( 十 三 オ). ぽ アく. 。. る。 当 年 は ほ う ね ん に付 、 め で たく も ち を つき、 御 たが ひ に と り や. 猿 と も 寄 合、 さ てけ ふ より 合 の義 は、 も ち つき のそ うだ ん て 御 ざ. 猿 のも ち つき. が し れ る も のだ 。 万 (十 ニウ) そ ふ いや んな 、 此 間. 様 さ へく わ しく し ら な ひ で、 ど ふ. 様 ても かけ る。 手 ま. ら 一っば い のん でく る から 、 かな ら す立 ま い よ、 と いふ て酒 や へ行. 書 てみ し や う か。 ウΣ見 よ ふ。 万書 。 ち ち ん ぷ いく. 様 、 唐 四百 四 州 の神 く. と、 跡 で八 兵 衛 仁 王立 に た つ て (九 ウ) お ふあ く び す る。 九 兵 衛 帰 り て、 は てじ や う の こわ い、 なぜ にた つた。 いざ り あ ま りく たび れ た か ら休 そ くす る。 親 嘉 兵 衛 子嘉 兵 衛. しめ し で ( 十 三 ウ) 御 さ り ま す。 小 猿 と も は し め 口を そ ろ へて、 其. り を 致 ま し やう 、 と の御 そ う だ ん で御 ざ る が 、何 れ も いか メ の お ほ. おぼ し め し よ ろ しく 御 ざ り ま し やう と そ んし ます 。 見ざ る、 き かざ. の Σ (十 ナ )新 見 せが 出 来 たが 、 是 か ら行 か ふ ては な いか。 子嘉兵衛. る、 も の いはざ る ま ても 、 是 大悦 とそ のだ ん定 め る。 さ る 廻 シ、 そ. 親 嘉 兵 衛 子嘉 兵衛 にあ い、 是 嘉 兵衛 よ こ 丁 に ほ た んも みち のす いも. イ ヤそ のよ ふ なぼ た ん のも みち のと いふ は い名 の つ いた も の は、 つ. の て いを き く よ りも 、 これ か Σ アど の (十 四 オ) め てた い事 が でき. 猪 鹿 た ぺた 事 か な い。 ( 十ウ). た、 き か つし やれ 。 女房ど の よふ な め て た い事 で御 さ るぞ 。 ていしゅ. むす ご. 母 むす ご に いけ ん。 是 吉 よ、 こな た のど ふ らく ゆ へに、此 比 は し よ. あ す は のさ る のも ち つき 。. 軍兵衛御 た が い. く じも た ぺら れ ぬ。 酒 斗 り の ん て いる。 おれ が いけ んす る う ち にし. ぢしん. 村 田 は や い御 出 き ん先 當 日 は御 目出 たう 御 ざ り ます. ま つてく れ、 そ ふ なく ては あ す が 日 に、 親 父 が か んど うす る、 と い. く. 。 (十 四 ウ) 扱 夜 前 は 大 き なぢ し ん、 め づ ら し い事 て御 ざ り ま. ハテそ の時 は、 女 郎 か い に行 のさ。. ふ。 もし か んど う ( 十 一ナ) し ら れ た ら、 ど こ へゆ こふ と思 ふぞ 。. し た。角兵衛私 は外 へ出 る ひや う し、 上 り 口 より 落 て大 き にけ が を致. (十 五 オ ) し て、 あ ま り う ろ た へて、 か Σ アを わす れ ま し た 。 ま た. まし た 。軍兵衛私 も き い て下 さ れ、 早 く 子 と も を外 へだ そ ふ と ぞ ん. せ いも ん 是 万好 、 手 ま へは む か ふ のむ す め を な め たな 。 万公と ん だ こ とを い. う ろ た へた事 が 御 さ る 。 番 丁 で は火 見 から てん ぐが 落 て、 は な を ぶ. ふ。 いやく そ ふ いや んな 、 う そ ては な い。 此 間 (十 一ウ) 唐 人 け ん ぶ つの時 、 お み よ さ ん か手 ま へが や つたれ は、 さ じ き か ら い つそ の. ゑ ほう参. つかき まし た 。 (十 五 ウ). ても うそ か かく す と、 これ から つき 合 は せ ぬそ よ。 万せ いも ん、 な. ぞ いて唐 人 を は 見ず 、 手 ま への かげ の見 へる ま て は見 て いた。 そ れ. =70一.

(7) 是作 兵 衛 ど の、 此 正月 はど こ の内 へゆ き ても 、 も ち と 酒 か た く さ ん な にも かも さ が り、. に. し、 な ん ぞ お う つり を 、 と い Σな か ら先 筆 箱 に紙 を 入 レと さが す 。. な にも喰 も の Σな き し あ ん の 所 へ大 悦 び 、 あ いさ つも つと く. も と より 紙 も な し。 アェ ( 廿 一オ) 折 わ る い、 と い 玉な が ら 附 木 を. な。 世 の中 が よく な り ま し た。 是 から だ んく く ら し か たも (十 六ナ) いた し よく な り ま せ う。 き の ふゑ ほう ま い. さが す 。 これ も 又 ひ とさ き も な し 。 アェこ ま つた 、 と い へば、 亭主此. 山 に ふる 雪 が よ ひ。 (廿 一. よ ふな 目 出 た い時 のう つり には ま つ く. ゑ んま 王 の前 へご く そ つど も 罷 出、 さ て親 方 、 此 ご ろ は か ま を は、. む け ん のか ね. た。 し よ じ か此 通 り にさが る て御 ざ り ま し やう 。 (十 六ウ ) 友たち手 ウ). り に行 て、 小 判 百 両 を廿 四文 で か つ てき た 。大 き に やす く な り ま し. ま へは ど ん な事 を いふ。 小 判 百 枚 は 六 十 メす るコ そ れ を廿 四 文 や 三. ち んも ち に かし て や る し、 鉄 ぽ う は し ち に おき 、 商 費 を やす ん で い. 十 二文 にう る べら ぼ うが あ るも の か。 あ ん ま り な た はけ な こと を い ふな 、 ち つと たし な め。 ヲΣそ の よふ に いぢ ( 十 七 ナ) め る な よ、. し れ ぬ事 を ま つて いる よ ふな 、 ゆ る や か し い事 で はな い。 い つそ し. 又 よ い事 も あ ら ふ か ら、 し んぼ う を し やれ 。 ごくそっども其様 な先 の. て つま ら ぬ も ん だが 、 ど ふし (廿 ニ オ) た ら よふ 御 ざ ら ふ。 ゑんま王. 奥 州 のじゅ んれ い八 つ山 を見 て、 扱 愛 は 山 を引 う け 、 海 を 見 は ら. やぼ へい つて、 むけ ん の かね でも つく べ い。(廿 ニウ). 八 つ山. 是 は な ほ う ね ん のね ご とだ 。. し、 け いの よ い おも し ろ い (十 七 ウ ) 所 で御 ざ り ます 。 此 所 にく つ. 子 おろ し. たく な く す む人 は誠 にご く ら く た、 う ら や ま し い 。やと引おま へ達 ア 髪 の如 来様 を お かま つし や つたが 。 イェェま だ て御 ざ る。 宿引そ ん な. よふ と 二人 で行 けば 、 子 お ろ し のと な り よ り友 だ ち 出 る 。 こ れ 八. 横 丁 に 子 お ろし が で き た。 き け ば う つく し い者 だ と い ふ。 い つ て見. よ、此 子 おろ し は (廿 三 オ) ど こ から 来 た 。 そ し てう つく し げ な、. ら おが みな さ い。 ず つ (十 八 ナ) ( 十 八ウ ・十 九 ナ挿 画) とむ か ふ. ほん の事 か。 囚 こり や、 あ の手 ま へた ち も し つて い よふ 。當 麻 の中. の奥 に見 へるが 如 来 様 、 両 わき のが ぺ ん てん様 、 よ く おが ん で おき な さ い。 道者あ りが た ふ 御ざ り ます 。 誠 の生如 来 、 是 で は定 佛 を い. 将 ひめ た。 二人ウェそ の中 将 姫 と いふ 、 は す の 糸 と つた人 か。 囚 ウ ・. から こ つち へみ せを だ し た、 女 い し や の元 そ よ。 二人そ んな ら き み. そ の中 将 姫 だ (廿 三 ウ ) か ら、 中 條 流 のく わ ん そ た。 そ こ でた へま. いつ く と も な く鬼 ど も罷 出、 定 佛 す ると いふ が ま だ 是 で はな ら ぬ。 定 佛 と申 者 は、 万 ほう そ う う て から の事 。 まだ か け た 事 が あ る 。. たす で御 ざ り ま せ ふ、 と な みだ を こぼ し て (十 九 ウ) おが む 内 に、. 道者な にが かけ ま し た。 (廿 オ) 鬼愛 に はち ご く が な い。. 雪 ふ り 忙、 流 人 者 は な はだ く ら し かた に こ ま り、 二 三日 食 も く わ. 中将 ひめ せう じ を 明 て、 私 だ と て ま んだ ら でも ね い。 ( 廿 四 ウ). り やう じ、 あ ぶな いも んだ、 と高 ご への はな し、 内 からき 玉付 て、. いし 、 し ら ふ (廿 四 オ) と だ によ ってき みが わ る い。命 に か Σわ る. のわ る いも んだ 。 な んぼ い つて も、 あ ま では 子 を う んだ 事 はあ るま. ず 、 いか 黛せ ん と しあ んじ て 居 る所 へ、 た の みま せふ 、 と中 間 が く. 流人. る。遠 ( 廿 ウ ) ゑ ん の所 より 、 暮 の餅 一かざ り、 こ まめ 一袋 来 ル。. 一71一.

(8) 大雪. わ る いのだ 。 お いら か よ ふな 上 手 のかご に の つて 見 な さ い。 ち つと. のり な さ い。 わ る くな つた ら こ つち から 薬 代 を 上 ま し や う 。 サ ア. (廿 八 ウ) し よ くが わ るく な つて はわ る いか ら よそ ふ。 かごひら に. く. 、 かご のしゆ 、 大 ぶ んき. な ま ゑ い かご に も た れ. も ゆ れな い から 、 き し よく が わ るく はな ら な い。 男夫 て も も し き. ひ な さ つた そ う な、 そ ん (廿 五 オ) な に雪 を し ま つ てお いて ど うす. さぎ よく (廿 九 ノ三十 ナ)行 と、 だ んく. 大 雪 のふ る 臼、 て い しゆ か 瓦を よ ん で、 た んす の引 だ し を おも て へ. る へ。 ていしゅも ふ 日が ね いは、 正月 も の Σわ た入 にす る。 女房そ れ. て、 き し よく が わ るく こ み上 ル。 男是 く. 出 し て、 あ の雪 を た んと し ま つて おき や れ。 女房お ま へはき が ちが. は思 ひ付 だ か、 春 の日 のあ た る所 を き て行 たら 、 す そ か ら 雨だ れが. し よ くが わ る く な つた。 是 た か ら おれ が のる ま いと い つた 。 こ ふき. と と いふ ゆ へ、 そ んな ら と かご に の る。 一つさ ん に かけ ご へい. は し にす る 。. 落 よ ふ。 ていしゅじ よ さ いが (廿 五 ウ) あ るも の か、 と い竹 を す そ ま. 通 人 と かた い武 士 と、 二人 つれ に て琉 球 人 のち やく を 見 ん と、 高輪. かご かき かま は す いそ い で行 。 かご の中 から、 是 く. や アす ま ね い。 酒 手 をく れ ろ。 も う 一つ へん よ い直す 、 と い へど 、. せ つかく よ つ て おも し ろ い に、 ゑ いが さ めて せ つな くな つた。 是 じ. し よ くが わ る く (廿九 ノ三 十 ウ) な つち や ア、 只 は済 ね い。 そ し て. もむしや. 琉球人. を さ し て行 。 な じ み の (廿 六 ナ) 茶 屋 へ上 る。 通 人 道 く. ど ふす る (三. う に しや れ 、 し ほ や に てう ぬ ほれ を いふ。 壱 人 は かた く る し い 武. 宿 も近 く な る 、 ぽ うく み とそ う だ ん し. 十 一終 ナ) のた 。だ んく. とせが. 士 、 つり 合 ぬ つれな り。 茶 屋 へ上 てむ し やう に かな ぽ う を引 来 ル。. 酒手 く. て、 よ い よふ に酒手 を く り や れ。 じ よさ いは あ る ま い、 と い へ と. 是 はと ふも い へん、 日 本 だみ \ と い へは 、 武士い. も、 かご かき あ いさ つせす。 中 より は、 だ ん く. 、 アΣき た く. り う き う 人く る よふ す 。 ( 廿 六 ウ) 見 せ 先 へ通 人 罷 出 、 の び 上 り. やあ れ が 琉 き う 人 で御 ざ る 。. く. 此 は な し古 く は 帰 せ. む 。 かご かき 本 し やう を 見 て と り、 す く にか け お ち。 (三 十 一終 ウ ). 音 のあ る う ち. 板 元 へ門 松 竹 の. かご かき よ い から よ ん で いれ と も、 い つ (廿 七 オ) こう に のら ふ と いふ 人も. し のな ま ゑ Σど う か、 女 郎 買 ら しく 見 へるゆ へ、 し てや つた り と、 寛 政三 辛亥 のと し 江戸本芝三丁目 清 水 治兵 衛 板. な し。 つま ら ぬ も のと お も ふ て、 四 つ過 ま で立 つく す所 へ、 千 鳥 あ. 旦那 かご や ら ふ、 と 付 ど も の りそ ふも (廿 七 ウ) な し。 かご かき 、 お ま へは よ つて 御ざ る から あ ぶ な い。 も ど り かご 、 や す いのだ 。 ひ ら に の って 御 いで、 と い へぽ 、 か の男 、 お れ は かご が き つ いき ら い. (廿 八 オ) 宿 ま て行 。 かご夫 は下 手 か か く から 、 そ こでき し よく が. だ 。 のる とち き にき し よく かわ る く な る。 そ れ て こう し て ぶら く. 一72一.

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Referensi

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