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Josei ga kigyo ni itaru haikei yoin

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(1)Title Sub Title Author Publisher Publication year Jtitle Abstract Notes Genre URL. Powered by TCPDF (www.tcpdf.org). 女性が起業に至る背景要因 早見, 弓子(Hayami, Yumiko) 坂爪, 裕(Sakazume, Yu) 慶應義塾大学大学院経営管理研究科 2014. Thesis or Dissertation http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=KO40003001-00002014 -2988.

(2) 慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程 学位論文(. 2014. 年度). 論文題名. 女性が起業に至る背景要因. 学籍番号. 主. 査. 坂爪 裕 教授. 副. 査. 小林 喜一郎 教授. 副. 査. 大藪 毅 専任講師. 副. 査. 81331057. 氏. 名. 早見 弓子.

(3) 論 文 要 旨. 所属ゼミ. 坂爪裕研究会. 学籍番号. 81331057. 氏名. 早見弓子. (論文題名). 女性が起業に至る背景要因 (内容の要旨) 現在、女性起業家の廃業率は開業率を上回る。女性起業家が多く誕生することは経済発展 が促進される効果があるとされる。日本の経済縮小が叫ばれる中、女性起業家を増やすこと は我が国にとって喫緊の課題である。女性起業家の多くは結婚や子育てなど、所謂社会的制 約を終えた後にビジネスを興すことが指摘されている。そこで本研究では女性はどのような 背景で起業しているのかを探った。 まず事前調査において 1. 初職(初めての職)での成功体験 2. 大学卒業時の就業継続意 思や起業意思 3. 職場の上司や周囲のサポートの有無 4. 起業時の苦労等について面談を行 った。社会人としてスタートを切る時点での意識やその後の人生に影響を与えると考えられ る初職の風土、将来を左右する業務知識の習得や成功体験を調べた。その結果、成功体験と 就業継続意思、サポートは全員もしくは半数以上が有していることが分かった。また、興味 深いことに苦労についての回答は一切なく、むしろ全員が人脈に助けられたと回答した。 人脈が重要との回答が得られたことで第 2 次調査においては事前調査の 4 問に加え、人脈 の有無、商売を興すのに必要と考えられる顧客の信用の有無、また社会的制約が原動力とな って起業に至ったのか. について面談を行った。結果は大多数が社会的制約を感じていない. と回答したのに対し、社会的使命感を抱いて起業していると答える例が多かった。 そこで第 3 次調査では成功体験、顧客の信頼、人脈、社会的使命感という主な 4 要素につ いて詳細な面談を実施し、各人のライフヒストリーを作成した。その上で抽出項目表、因果 関係図を作成した。するとほとんど全員が 4 要素を有していることに加え、実績や自信、チ ャレンジ願望、最後の一押しといった要因と共に市場の潜在可能性という外部要因を有して 起業に至っていることが分かった。 この結果を踏まえ、第 4 次調査においては第 3 次調査と同様の内容で男性起業家に面談を 行い、男性がどのように回答するかにより女性起業家特有の背景要因を探ることにした。結 果、成功体験、顧客の信頼、人脈に加え実績、自信、チャレンジ願望、市場の潜在可能性は 大多数に当てはまったが、使命感を感じないとの答えが多数だった。また最後の一押しにつ いては半数が有する結果となった。 以上、成功体験、顧客の信頼、人脈、実績、自信、チャレンジ願望は男女に共通する起業 の背景要因ではあるが女性特有だということは出来ず、従って女性起業家に共通する背景要 因としては社会的使命感が挙げられることが結論付けられた。.

(4) [目次]. 1. 問題意識・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2. 研究目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3. 先行研究 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・. P. 1 P. 2 P. 3. 4. 事前調査の目的、インタビュー項目等・・・・・・・ 5. 事前調査のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・ 6. 先行研究・事前調査結果からの仮説の構築 ・・・・ 7. 仮説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8. 第 2 次調査の概要・・・・・・・・・・・・・・・・ 9. 第 2 次調査の結果・・・・・・・・・・・・・・・・ 10. 第 3 次調査の概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 11. 第 3 次調査の結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 12. 第 3 次調査のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・. P. 4 P. 7 P. 8 P. 9 P. 11 P. 12 P. 13 P. 23 P. 23. 13. 第 4 次調査の概要 ・・・・・・・・・・・・・・・ P. 24 14. 第 4 次調査の結果 ・・・・・・・・・・・・・・・ P. 32 15. 第 4 次調査のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・ P. 32 16. 考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ P. 33.

(5) 1. 問題意識 アベノミクス三本の矢の「成長戦略」の中に「女性が輝く日本」という政策 目標がある。かつて女性の社会進出を支援する政権は存在していた。しかし、 実質的施策として掲げたのは安倍政権が初めてである。その政策目標の一つに 「指導的地位に占める女性の割合を 2020 年までに 30%程度にする」という女 性管理職に関する文言が掲げられている。このスローガンは画期的であるが、 私を含めた多くの女性がこの施策の実効性に疑問を感じているのではないだろ うか。下記のグラフは世界経済フォーラムが毎年発表している「グローバル・ ジェンダー・ギャップ・レポート」の各国における女性取締役比率である。こ れによると、日本の企業内における女性取締役比率はたった 1.4%でしかな い。女性が企業内で昇進する機会がほとんど閉ざされている中で、多くの女性 は本当に自分たちが将来管理職になれると期待しているのか、疑問を感じざる を得ない。. 各国の女性取締役比率. 図1 45.00% 40.00% 35.00% 30.00%. 日本 1.4%. 25.00% 20.00% 15.00% 10.00% 5.00%. ポルトガル. 日本. イタリア. ギリシャ. スイス. スペイン. ベルギー. フランス. ドイツ. オーストラリア. EU. アイルランド. イギリス. オランダ. カナダ. アメリカ. デンマーク. フィンランド. スウェーデン. ノルウェイ. 0.00%. European Professional Women’s Network Corporate 2008Corporate Women Directors International より. 女性起業家が増えることの有効性とは? 97 年 9 月、米国バブソン大学とロンドンビジネススクールの共同プロジェク 1.

(6) トである「グローバル・アントレプレナーシップ・モニター」がスタートし た。この調査によると企業活動とその成長には密接な関係があるという。そし て女性起業家が多く誕生することは経済発展が促進されるという効果があると いう。※1 女性が社会で働こうとするとき、企業という組織体が壁となる。 男性社会に合わせた就業時間は拘束時間が非常に長い。家事や育児・介護な ど、今まで女性の役務とされてきたこれらの仕事をこなしつつ企業で働くのは 勝手が効かない。女性が入り込める余地がないことが女性の活躍の場を奪う原 因となっている。 少子高齢化で経済の縮小化が叫ばれる現在、女性の力を結集し、社会を活性 化することは日本経済の最後の拠りどころと考える。企業においては女性管理 職を増やし、社会のニッチなニーズに対しては女性起業家の誕生を促進するこ とでシナジーを生み出すことが求められよう。女性の力を活かした企業が増え ていくことは変化し続ける社会の新しいニーズの穴を埋めることとなり、経済 規模も拡大する。女性の就業率が男性並みになった場合、日本の GDP は 15% 上昇するという試算もある。※2 女性が興す企業は女性向きの仕事が多いと され、女性が働きやすい職場づくりに重点が置かれている。※3 女性起業家 が増えることで女性の活躍の場が広がり、経済の裾野が広がっていくことが望 まれる。. 2.研究目的 現在、女性起業家の数は年々減ってきており ※4、総務省「就業構造基本 調査」によれば 1992 年に 268 万人であった総数が 94 年に 244 万人、02 年に は 201 万人、07 年には 183 万人まで減少している。また、起業率よりも廃業 率の方が高いとされる。※5 私は女性経営者が増えていくことで日本も米国 のように社会を活性化することができると考える。 平成 16 年以降、女性起業家に焦点を当てた調査は少ないが ※4、私は将来 起業を志す者として、また自身と同じ背景を持つ大学院卒の女性起業家の共通 項を探ることとする。 ① 起業している女性に共通する背景要因を明らかにする。 ② 「起業した女性」に共通する事項は何か。 これらを調査し私の起業の際の参考として、また今後女性特有の感性を生かす サービスとはどういうものかを知る手がかりにしたい。 2.

(7) 3.先行研究 女性起業家の研究は非常に少なく、2011 年時点での研究論文は計 35 本であ る。内訳は起業支援に関する内容が 10 本、キャリアおよび起業家の特徴各 7 本、起業プロセス・起業家教育・経営戦略各 3 本、リソースおよびジェンダー に関するものが各 1 本の合わせて 35 本である。※6. 主に日本の女性起業家に. 求められるサービス、例えば融資に関するメンターの必要性や自治体における 一元的サービスの必要性についての記述が多い。データに関しては、総務省が 5 年毎に発行する就業構造基本調査、毎年発行される日本政策金融公庫の新規 事業実態調査および経産省の女性起業家実態調査の計 3 種類がある。これらを 調べたところ、私の探したいテーマである「背景要因」は皆無に近く、政策金 融公庫のアンケート中にある「起業要因」に「年齢性別に関係なく仕事をした い」が 1 位に上がっている程度であった。ちなみに 2 位に「時間にゆとりが欲 しかった」 、3 位に「趣味を生かしたかった」が挙げられている。これらの調査 はアンケート中心で上位 3 種を選択するものや、与えられたテーマのうち上中 下などの 5 段階評価で答えるもの、創業時の年齢などを答えるものなど合計 26 問である。どういう職種の起業家がどの選択肢を選んだかは分からないことも 分かった。起業家の最終学歴は高卒が第 1 位で 29.8%、2 位が専門学校卒で 27.3%でありこの 2 つを合わせれば約 6 割が高専卒であることも判明した(大 学は 21.3%、大学院卒は 0.3%)。このことから日本の女性起業家について調べ ようとしても院卒の女性たちの声は反映されていない可能性が高いことが分か った。そこで、より広い対象に範囲を広げて先行研究を調べなければならない と考え、働き続ける女性の背景要因を調べることとした。 女性の就労継続を促すのは、大卒時あるいは卒後 最初の 3 年間に仕事をや り遂げたと実感した経験であるとされる。この間、新入社員や移動してきた社 員に対する指導の役割を担ったり、目標とする人物がいたりしたことなども勤 続年数に作用するという。また大卒当時、働き続ける意思があった女性の 57.1%が結婚・出産後も仕事を継続しているという。※7. 卒業時に長期的な. 就業志向、あるいは展望を持っていることがキャリア形成に大きく関わってい ることは見逃せない。初職(大卒後初めての職)での成功体験は働き続ける女 性に共通の事項とされ、上司のバックアップのもと大きな仕事を任される職場 の風土があることも欠かせないという。業務遂行能力を示すことで外部の客観 的評価が得られ、仕事への自信と面白味を感じ、キャリアの長期的見通しを形 3.

(8) 成することにつながるのだという。※8. とはいえ、企業内には当然ガラスの. 天井が存在する。有能で実力のある女性は会社という組織でなく自らの力によ って社会へアプローチしていくことが望ましいと考える。. 4.事前調査の目的およびインタビュー項目等 先行研究およびデータの結果から院卒女性起業家が少ないことが分かったこ とで、まず第一に院卒起業家に共通する事項を調べることにした。面談者およ び質問内容は下記の通りである。 表1. 事前調査の対象者およびインタビュー内容 都築葉子氏(慶応 MBA) Fines.t 代表取締役 実施日 2014 年 5 月 7 日(水)13:00~17:00 木村佐知子氏(法政 MBA) マーベリックス(株)取締役. インタビュー対象者. 実施日 2014 年 5 月 30 日(金)12:30~13:30 大石弥生氏(グロービス MBA) (株)Vive 代表取締役 実施日 2014 年 6 月 5 日(木)14:00~15:30 高木和子氏(グロービス MBA) インタースペイン代表取締役 実施日 2014 年 6 月 30 日(月)16:00~17:00 どんなビジネスを立ち上げどのような背景で起業したのか。. インタビュー内容. キャリアアップする女性に共通するのは初職の成功体験が関係するという。 初職または前職において上司や周りのサポートはあったか。 大学卒業時から起業もしくはずっと働き続ける意思はあったか。 起業に至るまでの手続きや苦労などで何か感じた点はあるか。. 事前調査 事例 1). 都築葉子氏. 業種: 背景:. まちづくりコンサルタント いつか社長になるという思いを抱いていた。コンサルタント会 社で経験を積もうと思ったがそれでは遅いと思い、行動に移し. きっかけ:. た。 生まれたまちが栃木の足尾銅山であった。自然は失われてしま 4.

(9) 成功体験:. ったがまちを再生させたいという強い使命感を感じていた。 男女雇用機会均等法施行初年度の総合職として情報通信系商社 に入社、1 年かけて顧客にアプローチ、大型の案件を成約した。 周囲のサポート、特に直属上長の具体的サポートが大きい。 千人規模の説明会における司会進行役や総務部長からは新人研 修を任されるなど、ほかの上司からも信任を得られる環境を作 り出してもらえた。支社へのサポートや苦情処理を任されたが. 最終的には事なきを得、顧客にも喜んでもらえたことが自信に つながった。 企業風土: 社長及び直属上司、その他数名の上司が常に肯定し続けてくれ た。余計な心配をせずに仕事に打ち込める雰囲気であった。 就業継続意思:子供の頃から持っていた。二人姉妹の長女として生まれ、両親 は長男のように期待し育ててくれた。立派になること、イコー ル社長になることだと考えていた。死ぬまで働きたい。 感じたこと: KBS の教授の助言、登記の際など KBS の同期に助けられてい る。. 事例 2). 木村佐知子氏. 業種: 背景: きっかけ:. 飲食業 ベンチャー企業の社長の下で働いていた際、このようなスキ ームでも成り立つのかと思ったとき自分にもできると感じた。 三国志の英雄に重ね、起業しない人生は人生ではないと感じ た。. 20 代の頃に社会人教育のプロジェクトを成功させた。 自分の企画に対価を払ってくれる人がいることが喜びだった。 就業継続意思:母も親族の女性にも専業主婦という人がいなかった。働かない選 択肢はなかった。徳島県出身だが、県民性のためか女性は良く働 く。 感じたこと: 起業は今回で4度目であるが、最初の 2 回はビジネスパートナ ーと蜜月であった。その後関係が悪化し最後は顔も見たくなく なる事態に陥った。3 度目は独りで立ち上げたが、趣味の延長上 で会社も売上も拡大しなかった。ビジネスパートナーは非常に 成功体験:. 重要でスタートアップ時のスピードが早いと感じている。売上 高も予想通りに上がるので、0から1を創り上げて行くスピー 5.

(10) ド感とダイナミックさが味わえる。 過去の教訓を生かし今度は過去の失敗を繰り返さない予定であ る。. 事例 3) 大石弥生氏 業種: 背景:. きっかけ:. 成功体験:. 企業風土:. 人材アウトソーシング業 外資系企業で長く働き続ける中で幾度となく大きな企業に買収 される経験をした。外資系はこうした中で経験を積み 30~40 代 で独立する人が多い。 リーマンショックで人員の大幅削減を経験した。その時限界を 感じることがあり、将来を見据えて MBA を取得する道を選んだ。 自分で考え、自分で回答を出す企業風土に慣れていたこともあ る。 外資系ハードディスクの会社で日本のメディア向けにマーケテ ィングの仕事を任されていた。リテール商品を日本で展開する のがメインだった。英語力を活かし、マサチューセッツの本社に 4 半期に 1 度の割で半月ほど出張、現地社員との信頼関係を確 立、自信を持つに至った。メディアに対し商品における他社との 違いをどのようアピールするか、どのように戦うかを自分なり に確立、コンパニオンの派遣から量販店での接客まで幅広く営 業をこなす中でマーケティングの面白さを学んだ。 外資系の特徴で先輩が指導するという風土はなかったが、言え ば助けてくれた。. 就業継続意思:経済力ある女性が望ましいと考えていた。高校時代には米国へ留 学、現地の 4 年制大学へ進学した。自分の人生を切り開く意思 は若い頃から持っていた。母親の積極的な支援も大きい。 感じたこと: スキルの高い主婦の潜在力を引き出したいという思いと指導教 授・同期の仲間との連携が起業につながった。授業の中に「志塾」 という必修科目があり、松下幸之助や西郷隆盛の強烈な生き方 に感銘を受けた。成功をイメージする力を養ったことが大きく、 起業しない人生はないと感じた。. 6.

(11) 事例 4). 高木和子氏. 業種: 背景: きっかけ: 成功体験:. スペイン語学学校および海外書籍販売 実利を追求したかった。 パートナーに恵まれたこと、人と人をつなぐ仕事に自信があり、 実利追及を考えたときに起業するという結果になった。 スペイン通訳者と日本人ビジネスマンをマッチングする仕事を. 20 代のときに成功させた。人をつなぐ仕事には自信があり 仕事はその延長上にある。 就業継続意思:ずっと働き続ける意思はあった。 感じたこと: ビジネスパ―トナーの存在が大きい。. 5. 事前調査のまとめ 表2. 事前調査の回答結果 都築氏. ビジネスの内容. まちづくり. 木村氏 飲食業. コンサルタント 起業理由. 大石氏. 高木氏. 高学歴主婦の再就職. スペイン語の書籍販. 斡旋. 売及び語学学校経営. 足尾銅山被害で自然. ベンチャー企業の社. リーマンショックに. パートナーとの. 破壊されたまちで育. 長の下で働いていて. より人員削減に遭う。. 出会い。実利追求. った。自然と共生する. 自分にもできると感. 外資系出身なので自. まちづくりをしたい. じた. 分で独立しようとし た. 初職の成功体験. ○. ○. ○. ○. 上司(上段) ・. ○. ―(公務員はなし). (○)※. ○. 周りのサポート. ○. ―(公務員はなし). (○)※. ○. ○. ○. ×. ○. ○. ○. ○. ○. 言及なし. 言及なし. 言及なし. 言及なし. た点(上段) 、. KBS の教授、同期に. ビジネスパートナー. 同期の仲間がいたか. ビジネスパートナー. 感じた点. 支えられている. の存在は重要、売上も. ら起業できた. の存在は重要. 大卒時の起業意 思(上段) 就業継続意思 手続きで苦労し. 早く上がる. ※外資系の為、率先して助けてもらえる風土ではなかったが頼めば助けてもらえる 素地であったとの回答からカッコ書きとした。 7.

(12) ここから言えるのは 4 人全員に成功体験、就業継続意思があったことだ。ま た、上司・周りのサポートも元公務員の木村氏以外、3 人が持っていた(公務員 は対等かつ平等な関係であるためにサポートする風土がないということだっ た)。注目すべきは苦労した点を挙げた起業家が 1 人もいなかったことである。 例えば政策金融公庫 2013 年度の調査によれば起業後に苦労したことの上位 3 つ は(起業後のみ。起業前の質問項目はなし)1. 顧客・販路の開拓 2. 資金繰り 3. 財務・税務法務に関する知識不足 である。特に質問を投げかけていないに も関わらず、全ての女性が良きビジネスパートナーについて言及していたのは 驚きだった。これは MBA を出た女性起業家特有の事由かと思われる。4 人は経 営を学んだ女性たちであり、成功体験により構築した社内外の人脈や大学院で 知り合ったパートナーの存在から起業に至ったことがその背景にあると思われ る。 しかし、この要素(成功体験、周りのサポート、就業継続意思、人脈)だけで 起業に至るとは考え難い。そこで改めて先行研究・事前調査とは別に自ら仮説を 着想してみることにした。. 6. 先行研究・事前調査からの仮説の構築 ここで導き出したのは社会的制約を受けたことが大きな原因ではないかとい う仮説である。つまり、「上司から仕事を任され、成功体験により自信・能力 を向上させたが結婚・出産など女性特有の社会的制約を受けることで歯車から 外れ、その際に受ける負のエネルギー原動力をなって起業に至るのではない か」というものである。. 8.

(13) 図2. 社会的制約. 上司から仕事を任され る. ステップ アップ. 結婚・出産等で ステップアップがブロック. 良い歯車 目標達成. が回る. 信頼形成. される. 結婚・出産等の(社会的制約)により、良い歯車から出された際に受ける負のエネル ギーが起業の原動力となるのではないだろうか?. 7. 仮説 ① 起業している女性には成功体験がある。 人間はイメージなしにはものを考えられない。※9 かつて成功した自信が将 来の姿をイメージさせ、具現化するように作用しているのではないか。売上げや 業務の拡大に貢献すれば、次第にマネジメントに関わるようになり、他の一般職 女性とは違う経験をすることが可能になる。これがビジネスを興す際に有利に 働くと考える。. 9.

(14) ② 顧客の信頼を勝ち得た経験がある。 ポジションが上がるにつれ内外の信用を獲得している可能性が高い。特に外 的評価を受けておらず、人脈もなければ自信を持って外に踏み出すことは難し い。一般的な女性事務職社員とは違い、客観的な評価を受けた実績も起業要因と して大きく関わるものと考える。 ③ 人脈を持つ 上記と関連することであるが、仕事を通じて幅広い人脈を構築していること が考えられる。こうした人脈を生かせる背景を持っていることが起業に大きく 関係するものと思われる。 ④ 社会的制約を感じている 女性特有の社会的制約を経験することが大きな原動力となっている可能性が ある。起業の意思を持ちながら実際に起業に至る女性は 5%にも満たないとされ るなか ※4、最も多い創業年齢は 40~49 歳で 32.9%、2 位が 30~39 歳で 31.2%、 3 位が 50~59 歳で 19.7%である。ビジネスには忍耐が必要だが、女性には交渉 力や忍耐力が国際的に認められている。※4 起業という一大事業は何かの制約 を越えた後に生まれるものと考えるならば、女性がこうした制約をエネルギー に変えて起業すると考えるのは自然であり、この力が起業を導く鍵になると考 える。. 10.

(15) 8. 第 2 次調査の概要 女性起業家に共通する背景要因を調べるため新たに 4 つの質問を加え、4 年制 大学卒業(MBA 卒 1 名)の背景を持つ 7 名の女性起業家にインタビューを行っ た。7 名の女性起業家の回答内容については付属資料 1~7 を参照されたい。. 表3. 第 2 次調査の対象者およびインタビュー内容 田中春奈氏(青山学院大学卒) おとなりカウンセラー代表取締役 実施日 2014 年 7 月 11 日(金)14:00~15:00 杉浦なな子氏(4 年制大学卒) 聴和代表(登記準備中) 実施日 2014 年 7 月11日(金)16:00~17:00 三谷晶子氏(グロービス MBA 卒)㈱ ICHIGO ブランドマネージャー 実施日 2014 年 7 月 14 日(月)17:00~18:00. インタビュー対象者. 野村美幸氏(広島大学卒) 親と子の相談所「めばえ」所長 実施日 2014 年 8 月 25 日(月)14:00~15:30 阪上富貴子氏(関西学院 MBA 在学) ㈱塚口オープンカレッジ代表取締役 実施日 2014 年 9 月 1 日(金)21:00~22:00 阿部恭子氏(米国 4 年制大学卒) newyork concierge 代表 実施日 2014 年 9 月 9 日(火)19:00~20:00 中山瑞穂氏(文教大学卒) ㈱メリーポピンズ代表取締役 実施日 2014 年 9 月 15 日(月) 14:00~15:30 どんなビジネスを立ち上げどのような背景で起業したのか。. インタビュー項目 (旧). キャリアアップする女性に共通するのは初職の成功体験が関係するという。 初職または前職において上司や周りのサポートはあったか。 大学卒業時から起業もしくはずっと働き続ける意思はあったか。 起業に至るまでの手続きや苦労などで何か感じた点はあるか。 顧客の信頼を得ていたか。. インタビュー項目. 社員時代の人脈は生きたか。. (新). 生きなかったとすればどのような人脈が必要か。 結婚・出産など女性特有の社会的制約が生きた点. 11.

(16) 9. 第 2 次調査の結果 表4. 第 2 次調査の回答結果 田中氏. 杉浦氏. 三谷氏. 野村氏. ビジネスの. カウンセ. カウンセ. 自然化粧. 児童. 内容. リング. リング. 品販売. 相談所. 阪上氏. 阿部氏. 中山氏 インテリ. IT 講師. 通訳・ アコーデ 翻訳業 ィネータ. 成功体験. ○. ○. ○. ―※. ○. ○. ○. 顧客の信頼. ×. ×. ○. ―※. ○. ×. ○. 人脈. ×. ○. ○. ○. ○. ○. ○. 社会的制約. ×. ×. ×. ×. ×. ×. ○. 上司の支援. ○. ×. ○. ―※. ×. ×. ○. 周りの支援. ○. ×. ○. ―※. ×. ×. ○. 起業の意思、. ×. ×. ×. ×. ×. ×. ○. 就業継続意思. ×. ×. ○. ○. ×. ×. ○. 使命感. ○. ○. 言及なし. ○. ○. ○. ○. ※「成功」や「職場でのサポート」などの概念がないとの回答には「-」で記載した。. 「成功体験」に関しては公務員である野村氏のみが「教師に成功はない。全て の子どもを無事に卒業させることが責務であり、成功という概念はない」と回答 した以外、6 名全てに成功体験があった。因みに野村氏は成功体験がないと回答 しているが、定年までに勤め上げたこと、何度か学年主任を務めるなどしており、 教師としての力量は評価されていたと考える。と考えると、 「成功体験」は全員 が有していたことになり必要不可欠な背景要因と言える。 次に「上司や周りの支援」についてであるが、 「公務員は平等であるので上司 や周囲がサポートする意識はない」と答えた野村氏以外、半数があったと答えて いる。支援がなかったのは、実力がものをいう社風の阪上氏、外資の阿部氏、事 務職の杉浦氏であった。 「起業意思」については 1 名が有していただけであったが「継続意思」は約半 数が有していた。このことから「継続意思」も起業に一定の影響を与えているこ とが分かる。 「顧客の信頼」はやはり野村氏が公務員で非該当であること以外、半数が獲得 している結果となった。この点について、前述のとおり野村氏は高い信頼を有し ていたと見るのが妥当だろう。氏は学年主任を数回担当しているので教員内で の信頼・評価はあったと考えるのが自然である。とするならば、 「顧客」という 12.

(17) 概念が野村氏に当てはまらないことを除けば「顧客の信頼」は起業に至る背景要 因として大きな要素と考えることができる。 「人脈」も「成功体験」同様、7 名中 6 名が有していることから、重要な要因 と考える。唯一田中氏だけが「人脈」を否定したが、それは 新しい道を開拓す るには客室乗務員のプライドや JAL 時代の人脈を切り離さなければ先へ進めな いからとのことだった。氏は人脈を頼りにはしていないが、JAL 時代の厚い人 事制度や上司・周りのサポートの存在を強調する。つまり、人脈に代わる前職の 蓄えを有していることで起業につながったと考えて間違いないだろう。これは 客室乗務員という特殊な背景が結果に表れたものと言える。 以上、野村氏を除き全員が有している「成功体験」 「人脈」は起業に不可欠な 背景要因であることが判明した。また「信頼」も上述の通り該当数が高かった。 この結果から、 「成功体験」 「人脈」 「信頼」の 3 要素が不可欠な背景要因である ことが明らかになった。因みに「社会的制約」については 7 名中 6 名が感じて いないとの答えであった。しかしながら、質問項目に挙げていない使命感につい て回答する起業家が 6 名もいる結果となった。 こうして、第 2 次調査の結果から「社会的使命感を感じて起業しているので はないか」との仮説が新たに着想された(因みに事前調査の段階で既に都築氏は 使命感について言及している)。そこで次回調査では該当数の多かった「成功体 験」 「顧客の信頼」 「人脈」に「社会的使命感」を感じているか の質問を加え、 さらにインタビューを行うことにした。. 10. 第 3 次調査の概要 社会的制約を除いた上で「社会的使命感」を加え、4 つの仮説である「成功体 験」 「顧客の信頼」 「人脈」 「社会的使命感」について既存の 4 名に詳細なインタ ビューを実施した。インタビューの内容については個人のライフヒストリーを 年表として整理、起業に至る背景要因を丁寧に拾い上げ抽出項目表を作成した。 その上で 4 つの仮説の前後関係を因果関係図として整理した。最後に詳細なイ ンタビューを通じ新たな仮説創出を行う、という流れでまとめることにした。. 13.

(18) 表5. 第 3 次調査の対象者およびインタビュー内容 野村美幸氏(広島大学卒) 親と子の相談所「めばえ」所長 実施日 2014 年 12 月 8 日(月)14:00~15:30 中山瑞穂氏(文教大学卒) ㈱メリーポピンズ代表取締役. インタビュー対象者. 実施日 2014 年 12 月 12 日(金) 17:00~18:00 都築葉子氏(慶応 MBA 卒) Fines.t 代表取締役 実施日 2014 年 12 月 16 日(火)13:00~15:00 三谷明子氏(グロービス MBA 卒) ㈱ ICHIGO ブランドマネージャー 実施日 2014 年 12 月 17 日(木)16:00~17:00 成功体験の有無. インタビュー内容. 顧客の信頼を得ていたか 人脈を持っているか 社会的使命感を抱いていたか. 全 4 名の起業家について年表作成後、起業に至る背景要因と考えられる一つ 一つの事例を抽出し、同要因を中分類→大分類の順で抽象化、抽出項目表を作成 した。そして最後に大分類で挙げた要素を因果関係図にまとめた。 詳細の年表や抽出項目表、因果関係図等の資料については付属資料 8~19 を参 照されたい。. 野村氏 成功体験:. 公務員であることから、成功体験はない。子どもが安全に過ごし 無事卒業することが責務であるので教師に成功はない。. 顧客の信頼: 顧客の概念がないので当てはまらない。 人脈: 広島市産業振興センターの人脈や元教員・教え子の人脈 社会的使命感:不登校の子は非常に繊細な心の持ち主である。大人の対応次第で 子どもは変わっていく。起業は社会へ報恩であり感謝の気持ち がきっかけとなった。子どもたちが元気に登校し、感謝される ことが何よりの励みである。 野村氏ライフヒストリー 広島大学では教員養成課程に在籍し心理学を専攻、卒業後は広島市の小学校 の教員となり定年退職まで教鞭を執る。教員である間は受け持ちのクラス以外 14.

(19) の児童には関わることができなかった。教員は男女平等で昇進等の面で差別が ない反面、担任でない教員が他の担任教師の指導方法について意見や提言がし にくい。対等であるがゆえに互いの聖域を冒すことをタブー視するのだ。このよ うな背景から他のクラスで危険信号を発している子を助けたいと思いながらも 立場上や時間上、対応することは難しかった。 そうした中で 3 人の子の母親になる。3 人の子の母親になったことで経験も 増え、子どもに対し柔軟な対応ができるようになっていく。しかし周囲では核家 族化が進行し家族の問題が表面化、地域社会の希薄化が進み社会で子どもを育 てる風潮が退化していくのを目の当たりにする。不登校児も増え、メディアでも 大きく取り上げられるようになる。文部省もこうした問題を見過ごすことがで きなくなり、平成 7 年度(1995 年)よりスクールカウンセラーを全国に設置、 対策をとるようになる。不登校児は非常に繊細な心の持ち主なので周囲が早め に気づいて対処すれば大概は解決するものである。だがスクールカウンセラー は歴とした医療関係者で学校関係者でないことから、直接の問題解決にならな いことが多い。なぜならカウンセラーは週に 1 度しか来ないので不登校児の全 体像を見ている訳ではなく、患者として対応してしまうため齟齬が起きるのだ った。矛盾に悩む日々が続いた。 97 年、神戸で児童殺傷事件が起きる。社会が子どもを見きれていない状況が 現実化したことを痛感する。また学級崩壊、いじめ、モンスターペアレント、暴 力などの問題が顕在化し対応に追われる教師の辞職、欠勤、鬱の発症などが相次 ぐようになる。このほか、不登校児の担当教師は毎朝児童を出迎えに行かねばな らず、健常児が犠牲になるケースが多く見られるようになる。03 年、04 年にか けて子どもが幼児を転落死させたり、女児が校内でクラスメートを殺害するな ど、社会を震撼させる事件が多発するようになっていく。 07 年、引きこもりと不登校児が初めて 100 万人を超え、全国集会が開かれる。 全国から本人・親・教育関係者など 2 万人もの参加者が集まり、事態の深刻化を 痛感する。集会では引きこもりを続けて 50 代となった男性の将来を 70 代の母 親が泣きながら案じるのを見て「これは何とかしなければならない」と思うよう になる。その後、積極的に講演会に参加しはじめる。臨床心理士でもあり、引き こもり問題の専門家である竹中哲夫氏の講演の中で「学校が外部機関と連携す る必要性」や「本人・親・先生を社会が支援する必要性」を聞き、その重要性を 痛感するようになる。そこで不登校児と常に接している教師が資格を身につけ ることで問題解決を図りたいと思うようになり「学校心理士」 「スクールカウン セラー」の資格を取得する。自閉症や精神障害を持つ患者のための臨床心理士で なく、教育的配慮から対応できる教師が解決を目指していこうと考えたためで ある。広島市には公立の相談所が 3 軒しかない。相談したくても 1 週間、1 ヶ月 15.

(20) 待ちというのは当たり前だ。その間、不登校児や親は解決することもままならず、 問題を抱えたまま卒業してしまう。勉強も追いつかず、あるいはひきこもりを続 けたままったまま大人になっていく。こうした児童に対する受け皿として「相談 所」や「フリースクール」の必要性を痛感するようになっていく。 08 年 12 月 11 日、退職を 3 か月後に控え、教育を外から支えたいとの思いか ら広島市女性創業支援認定事業に応募する。相談所を開くにあたりデリケート な問題を解決するのには客観的な評価が必要だと考えたのだ。教師として実績 のある相談員が市の認定を受けた上で開いた機関であれば、相談談者側の親子 は安心して相談できる。認定の条件は 3 か年の事業計画を立てること、創業後 最低 3 年間は事業を営むこと、その間の決算報告書を提出すること、上述のプ レゼンを市の職員の前で行うことであった。市のサポートは 1.100 万円以内の 助成金の交付(対象支出の 1/2) 2.原則毎月 1 回、2 年間にわたり経営アドバ イザーの派遣を受けられる 3.5 年間に 5 回メンターと面談できる、というも のである。そして翌 09 年 1 月、晴れて認定が下り 3 月の退職とともに「不登校 児問題の解決」を目指し起業に至る。決算報告書の作成には会計知識のある長女 が助けてくれている。 開所後、相談に来ていた小学生が登校できるようになり、現在中学校へ元気に 通っている。社会に報恩したいとの思いが使命感となって起業した。子どもに笑 顔が戻り元気に通学することが願いである。これが仕事の原動力である。. 中山氏 成功体験:. ナショナルリフォームコンテストで優秀賞を獲得、東京大会 1 位、全国大会 2 位の成績を修める。大手と競合しても自分の. アイデアが採用されることが多かった。 顧客の信頼: 近所の顧客から口コミで直接リフォームの依頼を受けていた。 人脈: 近所の主婦の口コミや取引先の業者 社会的使命感:どうしたらお客様の満足につながるか常に考え、自らの技術と 魔法でその夢を叶えること。 中山氏ライフヒストリー 小学校時代から何かを作ることが好きな少女で家庭科の評価は常にAだった。 親族はほとんどが教員で、自分も自然に教員をめざすようになり家政科がある 文教大学へ進む。高校教員免許を取り、卒業後は故郷・新潟で小学校の家庭科教 16.

(21) 員となることが決まる。卒業制作課題はウェディングドレスだった。布地の選定 から始まり、布地の特徴を生かしたミシンの使い方からドレープやギャザーの 取り方まで、服飾全般の知識を習得した。 卒業と同時に故郷のある新潟へ戻り教員として働き始めるが、結婚後、夫の仕 事に伴い東京へ転居する。いずれ教員に復帰しようと考えるが、教員免許は新潟 限定のため復帰は難しいと考えるようになる。東京は刺激的だったが知り合い が多いわけではなく、子どもの頃から何かを工夫することが得意であったこと から発明学会へ通い始める。この学校はアイデアをお金に変える力を養うため の学校で、講師は弁理士である。独創的なアイデアであれば特許を取るまでのノ ウハウを教えてくれるので、多くの生徒が様々なアイデアを企画し発表してい た。ある日授業で便利なコンセントのアイデアを発表したところ、某企業から先 に特許申請されてしまう。また、ある日の授業ではカエルを持ち手にした児童用 の傘を発表したが、これもしばらくして別の企業から特許申請され製品化され てしまう。その後、その傘は街で多く見かけるようになり、今やその柄はパンダ やクマにまで広がるほどの人気ぶりである。2 回の苦い経験から特許の重要性を 痛感、以後は即申請に動くようにスタンスを変える。同時にこのことはアイデア 力があることを気付く転機にもなる。その後子どもが生まれ、新居を建築したが その際インテリアは全て好みのデザインで注文した。内装を決めるにあたって 東京中のショールームを片っ端から見て回ったり、カタログを見続けて明け方 の 3 時まで考え続けたりしたこともあった。そして完成した自宅は建築会社の 社長から「この地区のダイアモンド」と呼ばれるほど凝ったデザインに仕上がっ た。このことが自身のデザインセンスに気付くきっかけとなったほか、インテリ アコーディネーターという職が存在することを知る契機にもなった。 子どもが入園し、1996 年には土日祝日のみ勤務できる建築会社のインテリア コーディネーターのパートを見つけ働き始める。実はこの時、無資格者であった が飛び込みで社長に直談判し、採用が決まったのだという。当初から独立目的で 「自分にセンスがあるのなら天職として人のために役立てたい」との思いで町 田ひろ子アカデミーに入学した。 98 年、ナショナルリフォームコンテストで優秀賞を受賞する。東京大会 1 位、 全国大会 2 位の成績を修める。これが転機となり仕事への自信を深めていく。 この時期、土日祝日以外にも勤務時間を増やし始める。子どもが一人っ子である ことから、申し訳なく思うこともあった。そんな中、女性の視点を生かした提案 が受け、大手不動産関連のリフォーム会社と競合しても自らの企画・提案が選ば れるようになる。また近所の主婦からは口コミで直接リフォーム依頼を受ける ようになっていく。顧客の要望を聞き、希望に合ったデザインを考え、大工を手 配するという一括したオペレーションを手掛ける中でさらに自信を深めていく。 17.

(22) 平日夕方以降は子どもを引き取りに幼稚園へ行き、会社の奥で折り紙をさせて 仕事に打ち込む日々が続いた。 インテリア以外でも、入浴時に映らないカーテン(=遮影カーテン、のちにこ のカーテンは特許取得)や取り外し可能なウォッシャブルカーテン、防カビカー テンなど、女性ならではの相談も受けるようになっていく。便利で楽な商品が欲 しいという要望に応えるため、良い生地がないかと百貨店・ホームセンター・カ タログを探し回るが、それに見合う素材は世の中に存在しないことが分かって くる。そして世の中に表れていない女性特有の潜在ニーズがあること、ニーズに 応えるには自分で作るしかないと思うようになっていく。反面、顧客に誠心誠意 応えようとすればするほど 子どもを独りで留守番をさせることが多くなり、 母としての葛藤を感じるようにもなっていった。中山氏の会社はナショナル系 であったことから、壁には創始者・松下幸之助の言葉が貼られていた。 「夢は必 ず実現する。実現すると考えて行動するなら、夢は半ば達せられたと考えられ る。」というものだった。氏はこの言葉に勇気づけられ、起業を決意する。そし て 2000 年 4 月、5 年勤めた建築会社を退職し自宅を事務所としてメリーポピン ズを創業する。この社名は「どのようにしたらお客様の満足につながるかを常に 考え、お客様の夢を技術と魔法で叶えたい」と願いを込めて命名したという。. 都築氏 成功体験:. 地方支社へのクレーム対応処理を任された際、その対応から客 先および支社からも信頼を得て評価が高まる。他部門である総 務部長から新人研修の企画・運営を任される。千人規模の説明会 の司会進行役を担う。大型の契約を受注する。. 顧客の信頼: クレームへの対応姿勢が評価され客先から信頼を得る。 人脈: 地区の実行委員会会長を務める中で築いた地域における人脈、 KBS 人脈、修論訪問の際に築いた各地の人々との人脈 社会的使命感:破壊された自然は元に戻らない。持続するまちづくりを考え、 後世の人に豊かな自然を残すこと。 都築氏ライフヒストリー 小学校時代からすでに社長になる夢を抱いていた。職業婦人であった母や伯 母の影響で働き続けることに興味を持ち、ずっと働き続けるだろうと考えてい た。大学卒業後は情報通信系商社に就職、男女雇用機会均等法における初の女性 18.

(23) 総合職として働き始める。社長をはじめ直属上司は大いに期待し、率先して活躍 の場を与える配慮をしてくれた。しかし、女性新人総合職の活用について疑問視 する男性ももちろん存在した。そんな中、新人のうちから地方支社へクレーム対 応に当たるよう指示される。本社営業部門の期待を受け、重責を担い、顧客対応 からまず見直しを図ることにした。クレーム対応では困難を極めたが、無心にな ってお客様対応に励んでいる中で問題は収束、解決を見ることができた。そのこ とから顧客は元より、支社からの信頼をも獲得し評価を高めていく。こうして如 何にリーダーシップを発揮し組織を統率していくかを学ぶ中で、業務のオペレ ーションノウハウを身につけ自信を蓄積していった。 顧客や支社の信頼を得たことで、トップである社長や多くの上司のサポート のもと、他部門である総務部長からも新人研修の企画・運営を任されるようにな る。こうして直属上長や他部門の上司の期待を受け、仕事に専念する土壌を得て チャレンジ精神からさらに業務に邁進していく。しかし他部門の業務をも任さ れる活躍ぶりに女性活用を快く思わない向きがないわけではなかった。トップ はカリスマ的で求心力があり、新しいことに対し果敢に挑戦するタイプであっ たので、氏は千人規模の説明会の司会進行を任されるようになる。それは組織自 体が有機的でイノベーションを生みやすい体質であったからこそで、カリスマ 社長は初の女性総合職を臆することなくフル活用し、それを実践していたよう だった。こうして数々の貴重な経験を蓄積する中、今度は 1 年がかりで大型契 約を受注、大きな自信を得る。当時、世はバブル時代であったがトップはコスト 意識も非常に高かった。そしてバブル期においても投資すべきものを見極め、常 に無駄を省くことを忘れなかった。こうした企業風土の中で、どのような状況で あっても常に危機意識を持つことが企業の持続要件であることを学んでいった。 氏はこの後退職するが、チャレンジ精神旺盛な氏はワーキングホリディビザ で即座に豪州へ向かった。面白いビジネスの種を求めて海外で仕事をしようと 考えたのだ。現地では旅行会社で 1 年間働きながら語学力を磨いた。帰国後出 産し、その後皮革靴の商社に入社、営業として顧客開拓に奔走する。同社はファ ミリー企業であったので次期継承者を巡る後継人事の難しさを目の当たりにす ることになる。このことが、節度と規律ある組織人事の重要性、秩序維持の難し さを再認識する機会になったという。その後二人目の子どもを出産する。仕事を 続けたかったが、 「自分はいつでも復帰できる。しかし子供の成長を見守るのは 今しかない」との思いで子育てに専念するため退職した。 子育てに専念するうち、地区の夏まつりの実行委員会会長を務める責務を負う ことになる。就任後、組織に旧態依然とした方式が残りうまく機能していないこ とに気付き組織改革に着手、やがてまち全体をまとめる任務をも担うようにな る。この改革で人を率いることの難しさ、トップの厳しさは想像以上であること 19.

(24) を学ぶ。その後、区民会委員に選ばれるが、まちの活性化には協力者が必要だと 痛感しはじめる。だが、協力者がいても人を率いる立場に立たなければ見えない ものがある。多くの経験の中で、決断時の孤独さやリーダーの本質について実感 するようになり、加えて孤独に打ち克つ精神力を身につけていった。 子育てが終わると新たなキャリアを積みたいと思う気持ちが強くなっていく。 直後の 2011 年 3 月、震災が起こり、氏は被災したまちについて復興の必要性を 痛感するようになる。初めての復興事業に今すぐ携わりたいと心は早ったが、ま ずは KBS で勉強し様々なビジネスノウハウを学ぶことが先決だと考えた。KBS への入学前、氏は生まれ故郷である足尾のまちに足を運び、足尾銅山の後遺症の 残る山を見て改めて強く思ったことがある。それは「破壊された自然は戻らない。 後世に負の遺産を残してまで企業を誘致することへの疑問と、このような過ち を二度とは繰り返してはならない。」という思いだった。そして「まちを活性化 させ、日本を元気にすることが足尾で生まれた私の使命である」との思いから 2012 年 4 月、慶応大学大学院・経営管理研究科入学する。翌 13 年、組織研究 の教授のゼミに入る。修論では地域づくり事業で特に優秀であると国から表彰 されたことのある約 40 の自治体を精力的に研究する。その中で日本にはまだ美 しい自然やまちなみという財産がたくさん残されていることを実感する。そし て、まちづくり事業を四つの事業形態に区分し、それぞれの形態において持続す る様々な条件があることを発見、まちづくりにも戦略的アプローチが必要だと の結論に至る。コンサルタント会社で実績を積もうと考えるが、経営全般の基礎 知識を習得したことから社長として独立することを決意、2014 年 3 月、慶應義 塾大学大学院・経営管理研究科を卒業すると同時に起業する。それに伴って指導 教授の助言や、同期で公認会計士のサポートを得て会社登記も完了させる。 現在は「持続するまちづくりの研究」をベンチャー学会で発表したり、まちづ くりのコンサルタントとして各地で講演会を行い、パネラーとしても出席して いる。まちづくり事業を先導するリーダーを助けたいとの思いや、今あるそのま ちならではの資源を生かしたまちづくりをサポートしたい、との思いから活動 を続けている。 三谷氏 成功体験:. イブ・サンローラン(以下 YSL)プロダクトマネージャーとし て大きな責任を担っていた。当時売り出したベビードール(香水) が爆発的な人気となり売上げが増加、自信を深めた。プロダクト マネージャーは他部門との連携を図り、社内横断的なまとめ役 を担う。 20.

(25) 顧客の信頼: アサツーデイ・ケイ(以下 ADK)社内外のスタッフでチームを 結成、ディレクションを行う中で築いた。 人脈: YSL、ゲラン、ADK 時代の人脈。グロービスの人脈。 社会的使命感:感じたことがない。 三谷氏ライフヒストリー 1994 年、大学を卒業後 総合職として入社し 1 年間働く。入社当初より自身 のキャリアパスについて明確な意識を持っていた。大学では語学を習得したも のの自身の語学力には満足していなかった。そこで、仕事のステップアップには 語学が不可欠だと感じフランスへ留学する。語学を強化する中で海外で生きる タフさをも身につけていった。その後、イギリスへ移動、計 2 年間の留学を経て 帰国後はコンサルティング会社へ転職する。マーケティングやプロジェクトマ ネージメントの仕事に就く。2 年の間にプロジェクトマネージメントの基礎を身 につけ自信を蓄積すると、今度は B to C のプロモーションに挑戦したいという 願望が強くなっていった。 2000 年、総合職で培った経験と語学力をもとにマーケティング分野(主にプ ロモーション)へ挑戦、YSL へ転職する。販促部門に配属され、期の前半に販 売戦略を考える中で、マネジメントの知識を蓄積し自信をつけていく。その後プ ロダクトマネージャーに異動、責任あるポジションへ抜擢されることとなる。こ の頃売り出したベビードールが爆発的な人気を博し、売上げが増加、さらに自信 を深める結果となる。プロダクトマネージャーはディスプレイ部門・物流部門と いった他部門との連携を図り、社内横断的なまとめ役を担う。こうして氏は香水 部門のマネージャーとして成長戦略等で業務を考える(担当部門を損益計算書 で管理)ようになっていく。 ところで、化粧品産業において美容部員の力は絶大である。売り上げは彼女た ちの力によるところが大きい。そこで美容部員を巻き込み、一丸となってベビー ドールの認知拡大・売上増加を図ることを計画する。しかし、YSL コスメティ ックのキー部門はメイクだった。日本では、スキンケアは市場規模が大きく、顧 客固定化につながるカテゴリーである。やがて氏はスキンケアへの興味を高め ていく。だが製品ラインに関しては基本的にフランス本社が企画していた。よっ て、香水の販売につき売上を拡大しても経営決定権はあまり日本にない。製品に 対する本国の考え方は日本市場のニーズとは乖離しており、次第に経営決定へ の疑問を感じ始めるようになっていく。自身のキャリアパスを考えたとき、スキ ンケアプロダクトマネージャーの経験は有効と感じ 4 年間勤めた YSL を退職、 2004 年、ゲランに転職する。スキンケアに対するビジネス上かつ個人的な興味 21.

(26) からスキンケアプロダクトマネージャーに着任、最高級ライン「イシマ」を担当 する。入社 1 年後に妊娠が判明、完璧主義の性格のせいか両立が難しいと実感 し大事を取って退職する。妊娠によって初めて女性特有の社会的な壁を感じた という。 2006 年 ADK へ転職する。成長市場での経営に携わりたいと思っていたこと から配属先は営業部門で化粧品ブランドのクライアントを担当する。年間コミ ュニケーションプラン(戦略、クリエイティブ、メディア)の立案をし、企画が 認められると社内外のスタッフでチームを結成、ディレクション(実行)を行う。 しかし、クライアントの獲得は旧態依然としたものだった。未知の成長市場で顧 客を開拓、販路を広げる方が本当のマーケティングで面白味もあり、日本経済の 為にもなる。しかし現実は縮小する日本市場でのパイの奪い合いであった。やが て海外市場へベクトルを向ける方が社会的価値があるのでは?との考えを強め ていく。そんな中、40 歳以上の社員であればつねに価値を生み出せる人間でな いと退職すべきであるという理不尽な社風にも疑問を感じ始めるようになって いった。 2010 年、グロービス経営大学院に入学する。誰でも終身雇用制で守られる時 代は終わり、40 代以降の働き方や社会におけるポジションについて考える必要 がある中での決断だった。ゲラン~ADK 時代に中国に行く機会があり、数年で 中国人のメイクが劇的に洗練されていくのを目撃したが、その際、アジアにおけ る化粧品市場の成長率に注目したのだという。またアジアにおける日本スキン ケア製品の人気の高さも、肌で感じた。こうして経営大学院では自身の将来のキ ャリアを考える上で「好きなこと」「得意なこと」「稼げる仕事」の 3 点を重視 し、それが重なるポイントが日本化粧品のアジア展開だと考えた。ずっと経営に 近いことがやりたいと思い続けていたが、それを ADK の中で行うか起業する か、両方の選択肢を考えていた。それに前後して既に台湾ではいちごを使った美 白化粧水が売られていることを知る。綿密な調査によって美白市場拡大の潜在 性があることを知る。本格的に経営について考えるようになってからは、企業に しがみつくのではなく「いかに自分自身で価値を生み出すか」が重要になるとの 意識に変化していく。アジアの中間層が伸びていることを痛感する中で、大規模 いちご農園を経営する東北出身のビジネスパートナーに出会う。彼は先端農法 と MBA 的手法を用いていちごの安定供給を図るという、新しいサプライチェ ーンの構築(ネット販売)に取り組んでいた。このいちごは無農薬で、食べる宝 石と呼ばれており栄養価(ビタミン C)も高い。ビタミン C が多いことは美白 成分も高いことを意味し、化粧品の成分として申し分ない。次第に起業の話が持 ち上がり一緒に起業する価値がある相手と感じ、起業を決意する。2011 年、退 職による収入面での不安を感じながらも ADK を退職、12 年に同期と起業に至 22.

(27) る。交渉や調整を行い、長らく責任者としてチームを率いてきた自信と自らの強 みは化粧品だという思いから、化粧品のグローバル展開を目指す。日本(東急ハ ンズ、東急ハンズオンラインストア、楽天、アマゾン)で販売を開始する。14 年、 台湾、タイ、香港で販売開始。一定の手ごたえを感じつつも、長期的に持続可能 なビジネス構築に向けて、活動中である。. 11.第 3 次調査の結果 表6. 第 3 次調査の回答結果 野村氏 起業内容. 中山氏. 都築氏. インテリア. まちづくり. コーディネーター. コンサルタント. 児童相談所. 三谷氏 自然化粧品販売. 成功体験. ―※. ○. ○. ○. 顧客の信頼. ―※. ○. ○. ○. 人脈. ○. ○. ○. ○. 社会的使命感. ○. ○. ○. ×. 実績. ○. ○. ○. ○. 自信. ○. ○. ○. ○. 経営ノウハウ. ×. ×. ○. ○. チャレンジ願望. ○. ○. ○. ○. 市場の潜在可能性. ○. ○. ○. ○. ○. ○. ○. ○. 資本金. 100 万. 300 万. 100 万. 300 万. 年商. 60 万. 1,000 万. 20 万. 非公開. 従業員. 1名. 2名. 1名. 2名. 起業の直接のきっかけ (最後の一押し). ※野村氏は元教員のため成功体験や顧客の信頼が該当せず、 「-」で表記した。. 12. 第 3 次調査のまとめ 4 つの仮説である「成功体験」 「顧客の信頼」 「人脈」 「社会的使命感」について、 公務員である野村氏が「成功体験」 ・ 「顧客の信頼」が当てはまらないこと、及び 三谷氏が「社会的使命感」を感じていないと回答した以外、全ての女性起業家に 4 要因が該当することが判明した。よって女性起業家は上記 4 つの背景要因か 23.

(28) ら起業に至ることが考えられる。 「経営ノウハウ」を持たない起業家が半分いた。 都築氏や三谷氏のように MBA で経営基礎知識を習得する機会がなかったこと が挙げられるが、長い間の「実績」や「自信」、その中で育まれた「人脈」を有 することで不足を補う力を蓄え、起業に至ったものと考える。野村氏や中山氏が 自身の財務知識不足について指摘しながらも、それぞれ広島市産業振興センタ ーや旧知の弁理士や知合いの会計士のサポートを活用していることから、起業 には「実績」、「自信」、「人脈」が不可欠であることが分かる。 一昨年、カネボウが白斑問題を起こしたことで注目を浴びたアジア市場の「美 白ニーズ」や、富岡製糸場の世界遺産登録で有名になった「まち再考のニーズ」、 昨今の「フリースクールのニーズ」など、 「ビジネス環境変化」を背景にした「潜 在ニーズ」も起業の要因となっている。 こうした環境変化のもと、定年あるいは終身雇用制の崩壊、子育て終了に見ら れる「最後の一押し」をきっかけとして起業に「チャレンジ」するという流れが 認められた。 「チャレンジ願望」に関してもほとんどの女性が非常に明確な将来像をもって 人生に挑戦してきたことが分かる。都築氏は幼少の頃より起業の意思をもち女 性総合職第 1 号として入社した経緯を持つし、中山氏は将来独立することを念 頭に修練の場として 5 年の期限付きで再就職している。この再就職に至る流れ も氏の回答は際立っている。即ち「インテリアコーディネーターの資格はないが、 これから取得するので採用してほしい」と社長に直談判し、採用が決まったとい うものだ。野村氏も不登校児の全国大会参加をきっかけとして積極的に学校心 理士やカウンセラー資格を取得するなど意識が高かった。三谷氏は第 3 次調査 の際、自らのチャレンジ願望について「非常に明確な上昇志向のもと、キャリア パスを構築してきた。入社時から常にこの精神で臨んできた。」と断言するなど、 全員が旺盛な精神の持ち主であることが明らかとなった。こうした強い意欲を 背景に「最後の一押し」を引き金として女性起業家へ転身を図ったことが分かっ た。. 13. 第 4 次調査の概要 第 3 次調査の結果で明らかになった 4 つの仮説が女性起業家特有のものである かを確認するため、新たに 4 名の男性起業家にインタビューを行うことにした。 質問内容は女性起業家との整合性を図るため、第 3 次調査と同様とした。 また全 4 名の男性起業家について、女性同様年表作成後、起業に至る背景要 因と考えられる一つ一つの事例を抽出し、同要因を中分類→大分類の順で抽象 24.

(29) 化、抽出項目表を作成した。そして最終的に大分類で挙げた要素を因果関係図に まとめた。 詳細の年表や抽出項目表、因果関係図等の資料については付属資料 20~31 を 参照されたい。. 第 4 次調査の対象者およびインタビュー内容 表7. 第 4 次調査対象者およびインタビュー内容 TO 氏(慶応 MBA 卒) IT 関連企業 代表取締役 実施日 2014 年 12 月 4 日(水)14:00~15:30 KN 氏(慶応 MBA 卒) ㈱RETAIL INNOVATION 代表取締役社長. インタビュー対象者. 実施日 2014 年 12 月 4 日(金) 17:00~18:00 TM 氏(慶応 MBA 卒) ㈱スタッフコミュニティ代表取締役 実施日 2014 年 12 月 15 日(月)13:00~15:00 KF 氏(千葉大学卒) 国際テクノ㈱代表取締役 実施日 2014 年 12 月 17 日(木)10:30~11:30 成功体験の有無. インタビュー内容. 顧客の信頼を得ていたか 人脈を持っているか 社会的使命感を抱いていたか. ※男性起業家についてはイニシャルで表記することとする。. TO 氏 成功体験: 事業部長より問題収拾の実績を買われてリスク管理部に異動。 顧客の信頼: リスク管理部であり前線部隊ではなかった。問題収拾に当たり顧 客への対応はしっかり行い上記実績を残した。 人脈: 前職時代の人脈、KBS 人脈、コ・ワーキングスペースの人脈。 社会的使命感:学生時代から社会にために尽くしたいと考えていた。 TO 氏ライフヒストリー 大学は法学部だった。起業の明白な内容は決まっていなかったが将来独立した いと考えていた。大学卒業とともに大手電機メーカーに就職、SE として配属さ 25.

(30) れ 2 年間 SE として勤務した。最初の部署は社内でもあまり重視されていない 不人気の部署だった。不満は感じたが、仕事とは起業への布石でありスキルアッ プにつながる道だと考え、目の前の仕事を必死にこなす日々が続いた。営業では あるが、B to C の裾野を広げ新規顧客を開拓する形ではなかった。そんな中、 次第にシステム管理の知識を習得していく。大企業でもあり歴史も長い会社で あることから専ら既存顧客対応が多く、保守的な社風だった。スキルアップを希 望し、上司には違う仕事にチャレンジしたいと要望したが、聞き入れられなかっ た。大企業的ルーティーンワークの中で新規顧客開拓への道筋がないこと、韓国 勢の猛追の前に大手メーカーもこのままではいけないと痛感、仕事の限界を感 じるようになる。そんな中、部署の中でも問題視されている顧客対応を急に任さ れることになる。加えて経営的視点から見て非合理的に思える決定(恒例的業務 処理)をする組織に不信感を覚えるようにもなっていく。その後問題ある顧客は 自身が主体となって対応、収拾させる。やがて自ら組織を運営するため経営を学 ぼうとの意識を持つようになる。問題収拾後、部署は解散、システム開発および リスク対応・問題収拾の自信をつける。事業部長より法学部出身であること、問 題収拾の実績やビジネス実務法務の有資格者であることを買われ、リスク管理 部への異動命令を受ける。主に契約書作成やリスクの洗い出しを行う。2 年目に なって次年度の仕事内容が読めるようになり、余裕が出てくると、勤務経験が長 いという理由や同じ内容の仕事をしている社員でも高給であることに矛盾を感 じ始める。リスク評価は大事だが、リスク管理部にいても仕事に変化はなく、今 後独立に必要なスキルや顧客開拓への挑戦の機会もない。やがて、起業に必要な 経営全般の基礎知識を学ぶため KBS に入学しようとの気持ちが高まる。KBS に 合格、大手電機メーカーを退社する。前職の友人とともに IT で起業、KBS に入 学する。会社を B to B にするかどうかを熟慮する。なぜなら企業からのシステ ム開発の請負(システム完成後お金をもらうビジネススキーム)であれば比較的 早い時期に売上が立つからだ。そこで B to B ビジネスに手を付けようかと悩ん でいたところ、ある日知人から一緒に起業しないかと提案を受ける。しかし、経 営したい人間が多いと問題を抱えることになることを憂慮し、断る。IT は開拓 途上の分野であるからリスクを取らなければ成長はない。そのためアプローチ するセグメントについては非常に熟慮が必要だ。ゆえに提案を断念したのであ る。氏が考えたのは多くの人が面白いと感じるシステムを構築、潜在顧客を掘り 起こすことだった。そうすることでファーストムーバーとして高いリターンが 見込める可能性があるからだ。 そんな中、こういうビジネスがあったら面白いのではないかという Web サー ビス構築の方向性で話が決まる。 「メディアからの一方通行でない、自分たちで 一から創造するまったく新しい SNS を構築する」というものだ。SNS を使用し 26.

(31) 顧客と双方向で楽しみながら使ってもらえるような、人が集まるプラットフォ ームを考案したいと考えての結論だった。潜在顧客にアクセスすることを仕事 にしたいとの考えから B to C にすることを決意後、今度は別の知人から一緒に 起業しないかとの提案を受けるようになる。しかし、経営したい人間が多いと問 題を抱えることになることを憂慮し、再び断る。経営全般の基礎知識を習得し KBS を卒業後、会社を登記する。起業にあたっては前職、大学院、コ・ワーキ ングスペースの仲間の人脈を活用した。 起業後、仕事とは計画通りには進まないもので最初の顧客を得るまでは難し く、苦労して市場を開拓するものだと実感するようになる。再び知人よりビジネ スの支援をして欲しいとの提案を受ける。が、やはり経営したい人間が多いと問 題を抱えることになることを憂慮し、断る。前職の友人をパートナーとして現在 は一人で活動している。人脈作りは重要だが、深く入り込み過ぎず立場に胡坐を かかない形で構築を心がけている。スタートアップに大切なのは選択と集中だ。 結果を出すまでは娯楽を避け、仕事に注力することが現在の矛盾や制約である。 自分に課されたのは IT を使って顧客に楽しんでもらうことだ。社会を面白くす るのは恵まれた人間の使命と考えるからである。. KN 氏 成功体験: 数字に絶対の自信がある。確率的ゲームで負けたことがない。 顧客の信頼: B to B の商品が主であったので、対法人の信頼関係は築けても 直接顧客との接点はなかった。 人脈: KBS 人脈は広く浅く持つようにしている。 社会的使命感:全くなし、感じたことはない。 KN 氏ライフヒストリー 学生時代は確率的ゲームに凝っていた。数字が好きで常に確率で判断、負けな しの実績を誇っていた。戦い続ける中でどこでリスクを取るか、過去や現在の状 況から総合的・厳格に判断する力を養っていった。この成功体験が数字に基づき リスクを取る自信に繋がった。大学卒業後大手金融企業に入社、融資・資産運用 のセクションに配属される。B to B の商品が主で数百億の運用を行っていたが、 個人にリターンのない投資活動には面白味が感じられずにいた。自らの仕事が 顧客の役に立っている実感が湧かず、やがて B to C の仕事をしたいと思うよう になる。日本のサラリーマンライフには限界があるとの結論に至り、この思いを 27.

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