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Keio gijuku toshokan zo "Shaka no honji" kaidai honkoku

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Academic year: 2021

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(1)Title Sub Title Author Publisher Publication year Jtitle Abstract Notes Genre URL. Powered by TCPDF (www.tcpdf.org). 慶應義塾図書館蔵「釈迦の本地」解題・翻刻 石川, 透(Ishikawa, Toru) 慶應義塾大学国文学研究室 2002 三田國文 No.36 (2002. 6) ,p.47- 55. Departmental Bulletin Paper http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koar a_id=AN00296083-20020600-0047.

(2) 所 蔵 、慶應 義 塾 図 書 館. 本 書 の書 誌 は 以 下 の通 り 。. あろう 。. 古 写 本 であ る こ と に は 変 わ り な く 、異本 の研 究 にも役 に立 つで. 石 川 透. 慶應義塾図書館蔵[釈迦の本地]解題・翻刻. 解題. ﹃ 釈 迦 の本 地 ﹄ で あ. 古 来 、 釈 迦 の 一代 記 を 記 し た も の は 数 多 く あ る が 、 室 町 時 代 を 中 心 に物 語 ふう に記 し た のが 、 室 町 物 語. 番 号 、 一 一〇 X l 三 三 六. る 。 仏 教 の創 始 者 の物 語 で あ る か ら 、 さ ま ざ ま の写 本 が 現 在 に 伝 え ら れ て い る。慶應 義 塾 図 書 館 に は 、 ﹃雪 山 童 子 ﹄と 題 す る室. 形 態 、 袋 綴 、 一冊 時 代、 [ 室 町末 江戸初 期 ]写. 町 後 期 の写 本 も あ り 、 す で に翻 刻 も な さ れ て いる が 、 そ れ と は 別 に、今回紹 介 する古 写本 が存 在す る。. 外 題、 な し. 表 紙、 濃標 色表 紙. 寸 法 、 縦 二 六 ・七 糎 、 横 一九 ・九 糎. 内 題 、な し. 本 書 に ついては、松 本隆 信氏 が ﹁ 増 訂室 町時 代物 語類 現存 本. 二系 統 に分 類 し て い る 。 C 系 統 は 、 版 本 の 系 統 を 含 み 、 写 本 の. 簡 明 目録﹂ ( ﹃御 伽 草 子 の世 界 ﹄、 一九 八 二 年 八 月 )に お いて 、 C. 字 高 、 二 二 ・四 糎 料 紙 、斐紙. 数 も 多 い の で あ る が 、 C 二 系 統 は 、 松 本 氏 の分 類 で は 、 本 書 の. 本 書 は 、 く せ の あ る 文 字 で 記 さ れ、 誤 写 と思 わ れ る 箇 所 も 相. みである。. 行数 、半葉 八行. 印 記 、 ﹁慶應義 塾 図 書 館 蔵 ﹂ ﹁月 明 荘 ﹂ ( 朱 印). 奥 書 、 ﹁元 和 七 年 ﹂ の奥 書 が あ る が 後 補. 丁数 、 二九丁. 書 の奥書 があ る最後 の丁 は、紙 質 も異 なり、 後補 であ ると 思わ. ﹃ 釈 迦 の本 地 ﹄ の 前 半 部 分 し か 存 在 し て い な い。 さ ら には 、 本. 当 に 多 い。 ま た 、 こ れ ま で 指 摘 さ れ て こ な か った が 、 本 書 は 、. れ る 。こ の よ う に 、多 く の 問 題 が 残 さ れ て い る 写 本 で は あ る が 、. 一47一.

(3) 読 点 ・﹁ ﹂括 弧 等 を 記 し 、 改 行 も 加 え て 読 解 の便 宜 を は か った. 漢 字 ・異 体 字 は お お む ね 現 行 書 体 に 改 め た 。 ま た 、 私 に句 点 ・. 翻 刻 に際 し て、本 文 は底 本 の お も か げ を 残 す よ う に努 め た が 、. 生而 は滅 し、滅 ては すく ひ、唯 、寂滅 以 楽を遂 り 。今 、我 、此. 寂 滅 為 楽 ﹂、 ﹁け に く. は、 此銘文 を、木 葉 に書付 、 ﹁ 諸 行無 常、 是生 滅法 、 生滅 々己 、. か 身 を あ た ゑ ん ﹂と の 給 ふ 。 ﹁去 は 、 唱 ぬ ﹂と申 。 則 、 唱 。 童 子. 童 子 の言 か 、 ﹁去 は 、残 り の 文 を 唱 へよ 。 聴 聞 而 、其 後 者 、丸. か な る 、 し ︾む ら を た へ候 へは 、 忽 、 た す か り 候 ﹂ と 申 。. が 、 煩 項 に な る の で (マ マ)は記 さ な か った 。 小 字 の ﹁ノ﹂ ﹁ヲ ﹂. 文 を 得 た り 。 末 世 の衆 生 の た め ﹂ と て 、 鬼 人 の 有 谷 へそ 下 り 給. 、 諸 行 は 無 ︽生 ︾ ( 常 )也 。 是 生 は 滅 法 也 。. 等 は 、 本 行 に 平 仮 名 で記 し た。 見 せ 消 ち は ︽ ︾、 補 入 は ( )、 割 書 は ︿ ﹀ に入 れ て 示 し た。 虫 損 部 分 は お よ そ の字 数 を 口 に. ふ。. 童 子 、 此 法 一心 余 の 理 を 、 悟 り た ま ひ て 、 至 広 業 依 の信 意 を. 物 也 ﹂。. 常 菩 提 に の ほ る 、 上 の橋 也 。 寂 滅 已 楽 と 云 は 、 則 、 浄 土 へ参 乗. 抑 、諸 行無常 と 云は、 つるき の山を越 也。 是生 滅 法 と云 は、無. 地 、 ひるし やな ふ つのけし んな り。童 子 の心指 を奉 見 た め也。. の 蓮 花 に請 と め 、 鬼 人 、 申 様 、 ﹁ 我 は 、 是 、誠 の鬼 に あ ら す 。 本. 四 句 の 文 に 、 御 身 を 替 へて 、 懸 る 谷 の鬼 の 口 へ入 給 へは 、 八 葉. の 有 所 は 近 く 成 、心 ほ そ く は 思 へと も 、未 来 種 行 済 度 の た め に 、. 後 を 還 り 見 は 、 ひ わ 石 、 霞 を へた て 、 つ の嶺 者 遠 く 成 、 鬼 人. し て掲 出 し た 。. [ 釈迦 の本地 ] 釈 尊 は 、( 今 )始 而 仏 に成 給 ふ と 思 へは 、五 百 甚 伝 九 億 こ ふ 寄 、 当 先 の仏 に て ま し ま す 。 八 千 度 迄 、 し や は に往 来 し 給 て 、 三 千 大 千 世 界 に、 身 命 を 捨 給 わ す と 云 事 な し 。 去 は 、 抑 も 、 し や く そ ん 、 御 お ん と く に漏 す 。 是 は 、 ひ と へ に 、 衆 生 のた め な り 。 有 時 は、 御 身 大 地 にな け て 、 衆 生 の 言 に か わ り 、 又 、 王 子 と成 て は 、 望 の者 を た す け 、 説 善 の童 子 成 て. 請 給 ひ、此 四句 のけ の其中 に、 八万 四千 の仏法 納 れ り。童 子 八. 葉 の蓮 花 に生 し 給 ひ て 、文 を 唱 へ、 の 給 わ く 、 ﹁鬼 人 、 八 葉 の蓮. は 、 四句 の文 に御 身 を 替 へ、 有 時 は 、 此 文 (を )わ し の 嶺 に て、. 花 に請 留 、 説 善. 鬼 の いわ く 、﹁此 山 に、 日 数 経 て候 へと も 、 い ま た 、食 を く わ. や 方 遍 而 、 目 出 度 、 王 子 、 大 日 如 来 のけ し ん 。 第 二 を は 、 国 本. 彼 王 の 御 子 、 四 人 ま し ま す 。 第 一を は 、 上 本 王 、 し や う し き じ. ひ て寄 已 来 、 八 万 四 千 拾 六 代 目 の 王 を は 、 し ﹀き や う 王 と 申 。. し ゆみ せん依南 、拾 六太 国之中 に、皆等 国 と申 国有 。王 治給. 童 子、 釈迦如 来 とけ んし給 ふ。. ( 童 子 ) 一体 、 釈 迦 尊 ﹂ と 唱 へ、 心 実 貴 以 説 善. 童 子 、 是 を 聞 給 へ (い)、 尋 いり 御 覧 す れ は、 鬼 也 。 童 子 、 の. ﹁ 諸 行無 常、 是生滅 法﹂ と、 はん けひ、 こく ふ にとな ふ。. 給 わ く 、﹁ 諸 行 無 生 と唱 へ つる は 、な ん ち か﹂と の 給 ひ け る 。﹁四. す 候 間 、か つゑ て 物 か い わ れ ぬ ﹂と 申 せ は 、﹁な ん ち か う へを は 、. 句 の文 と 申 。 去 は 、 残 り は ん け ひ を 唱 へよ ﹂ と の給 ふ 。. 何 に て助 へき ﹂と 問 給 へは 、 ﹁鬼 人 の身 に て 候 へは 、 人 のあ た ﹀. .・.

(4) し んと ふ而、 見明 の御 ︽ 覚︾ ( 楽 )、 こ く ふ に み ち く. し や く せ ん た ん の木 の本 に て 、 生 れ 給 ひけ る 。 大 地 、 六 し ゆ に. 王 来 給 ひ て 、 お か み 給 へり 。 四 方 の草 木 、 雲 い 寄 は 、 五 色 の光. 、 四大 天. 王 と 申 、 六 天 の魔 王 の け し ん な り 。第 三 を は 、 わ く 本 王 と 申 也 。. 然 に、彼 上 本 大 王 、御 年 五 拾 に及 給 ふ迄 、王 子壱 人 ま し ま (さ ). 第 四を は、 かんろ本 王と申 。. た ん し や う 有 て、 七 日 と 申 に 、 四 方 に向 て 、 七 足 あ ゆ み 給 へ. 明 か ﹀や き 、 金 銀 し ゆ 玉 、 七 珍 万 宝 、 こく ふ 寄 来 臨 而 、 いき や. は、 御 足 の下 寄 蓮 花 開 け り 。 太 子 の御 足 を 請 奉 り 、 光 明 十 方 を. う く ん す る 也 。 有 得 国 か寄 こ く ふ 、 其 数 二 万 四千 人 、 上 本 王 は. 照 給 ふ 。左 の 御 手 以 天 を 指 、右 の 御 手 を 以 地 を 指 、 ﹁天 上 天 下 唯. す 。 大 王 、 是 を歎 き 給 ひ て 、 有 時 、 ま さ し き 僧 人 を 食 て 、 せ ん. は 、 ま や ふ 人 と申 。 壱 人 を は 、 け ふ と ん み と 申 。 彼 ま や ふ 人 を. 国 の内 、 長 者 有 。 名 を は 、 説 光 長 者 、 二人 の ひ め 君 有 。 壱 人 を. 我 と く そ ん ﹂と 唱 給 へり 。 此 心 は 、 ﹁天 にも 地 に も 、 只 、 我 一人. 参給 ふ。. 迎 取 、 后 と か し つき 給 は ﹀、 其 御 腹 に 、 必 ま し ま す へき ﹂ 由 、. 貴 ﹂ と 、 の給 へり 。. し 有 け る は 、﹁都 内 に、代 を 次 へき 王 子 、生 み 給 ふ へき 后 や ま し. う ら な ひ申 け れ は 、 太 王 、 大 き に 祝 給 ひ、 臆 而 迎 取 奉 り 、 一の. ま す か﹂と 御 尋 有 け れ は 、 僧 人 、 せ ん し を 承 、 そ ふ も ん 申 、 ﹁此. 后 と 祝 給 ひ て、 二世 の御 契 り 、 浅 か ら す 思 食 ほ と に 、ま や ふ 人 、. せ奉 り、 七多太 子 と申 ける。 懸り け る処 に、生 死無常 のかな し. な ん た 、 は つな ん た の龍 来 、 す い た う の 荷 を 出 し 、 う ふ 湯 参. し や か如 来 、 人 間 の 腹 に や と り 、 仏 法 の た ね を 次 、 未 来 衆 生. 御 す ひめん有口。. さ は 、 ま や ふ 人 、 太 子 を 生 み奉 り 、 七 日 と申 に 、 花 の 御 姿 を 、. 上 本 王 を 始 奉 り 、 一天 の暗 闇 、 中 く. 不 及 申 に。 太 子 を は 、. 無 常 の風 にさ そ わ れ 給 ひ て 、 は か な く な ら せ 給 ひ け る 。. 済 度 の御 た め 、 本 覚 の 月 明 に 、 又 、 発 生 の 御 身 を 、 皆 等 生 に 現 し 、たん 上を、菩 提種 の本 にせ んし、 法を こく ふ に説、 ね はん. け ふ と ん み 、 取 上 給 ひ て 、 箱 く み 給 ふ 。 五 百 人 の め の と、 い つ. を お こし 、 な し や う に し め し た ま は ん た め に、 上 本 王 の御 子 、. き か し つき 奉 り 、 去 程 に 、 月 日 漸 く. に至 迄 、山 野 の け た も の、 か ふ か のう る く す に 至 迄 、皆 二 親 有 。. 御 覧 し て 、菩 提 心 を 発 、 思 食 け る は 、﹁む し く わ う 、 こ ふ る 。今. か く て 、七 歳 の 夏 の 比 、鳥 の、 す へ虫 を く わ へて 来 り け る を 、. 悦給 ひける。. 父 大 王 、 の給 は く 、﹁七 歳 に も 成 な ら は 、世 を ゆ つり 参 せ ん ﹂と 、. 送 り 迎 、 三 年 に 成 給 ふ。. ま や ふ人 を 母 と定 奉 覧 と て、脇 下 寄 入 た ま ふ と 、御 覧 し け れ は 、. 去 は 、 御 懐 人 の 間 、 種 々 の き と く 有 。 枯 た る木 に 、 花 咲 、 み. 后 、 臆 而 、 御 懐 人 の心 ち に て そ 、 ま し ま す 。. な り、 ( 為 )老 も の も 、 参 て拝 み奉 は 、 若 成 、 病 者 成 者 も 、 奉 拝. か成も のも、 ゆた かになり 、惣而 、 しや まけ たう に いたる迄 、. い わ や 、丸 は 、 五 百 六 億 の主 そ か し 。 父 大 王 は 、 ま し ま せ と も 、. 者 、 病 、 忽 にな を り 、 し や け ん 成 も の も 、 慈 悲 の心 を 発 、 お ろ. 拝 し おかみ奉も の、し やう しき に成 すと云 事な し。如 何様 の、. 母 と 云 人 な し 。天 な く し て は雨 ふ ら す 、地 な く し て は 草 木 生 す 。. 種 々 のき と く の す ひ さ う ︽也 ︾。 其 数 多 。 去 程 に、 ね ん か う も 替 り 、正 承 元 口 甲 寅 、卯 月 八 日 の 日 中 に 、. 一49一.

(5) 母 な く し て は 、 生 す へか ら す ﹂と て 、 公 行 大 臣 に と わ せ 給 へは 、. 太 子 、 御 泪 を な か し 給 ひ て、 有 時 、 け ふ と ん み に 申 さ せ 給 ふ. かく と 申 人 も な し 。. 父 大 王 、是 を 聞 食 給 ひ て、 僧 人 を 食 て 、被 仰 有 け る は 、 ﹁太 子. 食 、 七 歳 の御 歳 寄 、 菩 提 心 を 発 給 ひ け る。. 算 書 を 開 、 申 け る は 、 ﹁王. にわう さう まし ます か、 わう さうま しま さは、 う らな ひ奉 覧﹂. と 、 せ ん し 有 け れ は 、僧 人 、 い ち く. 僧 人 か 名 を は あ ひ と ふ と 申 。 彼 あ ひ と ふ 、申 様 、 ﹁太 子 、 王 相. 相 、目 出度 候﹂ と申。. まし ます とは申 な から、仏 法僧 王 ましま す。十 九 に て、 王宮を. や う は 、 ﹁抑 、 鳥 類 け た 物 に至 迄 、 二 親 有 。 丸 は 母 と 申 人 な し ﹂. を お さ へて 、申 さ せ給 ふ 、﹁か な し き か な や 、太 子 、未 し ら せ た. 出 、 た ん と く せ ん の嶺 に て 、 御 出 家 有 て、 御 歳 、 是 に て 、 御 身. と の 給 へけ れ は 、 け ふ と ん み、 誠 に 哀 に 思 食 て 、 な か る ﹀御 泪. ま わす や、御 母は、説 覚長 者姫 君 、ま や ふ人と て、 わら わかた. し て、 仏 法 の御 名 を 、. 然 処 に、 往 浄 寄 北 、 弐 百 五 拾 里 を 去 て、 山 有 。 名 を は 、 浅 多. 大 王、聞食 、太 気 に驚給 ひ て、け きり ん、 以外成 。. 則 聴 聞 せ ん事 、 猶 寄 以 、 嬉 敷 御 事 、 添 ﹂ と 申 。. ︽ひ ︾ ぬ 。 其 時 、 此 お き な 、 と ﹀ ろ く. め に は 、 あ ね 君也 。 太 子 を う み 奉 り て、 七 日 と 申 口 、 は か な く. と 聞 召 て 、 ﹁哀 、 は か な か り け る 丸 か 心. 皆 、 こ ん し き と 成 給 ひ て、 仏 法 を 世 に 説 広 、 衆 生 を さ ひ と し 給. 太 子 、此 由 、 つく く. な ら せ 給 ひ し 時 、 わ ら か取 上 奉 り て 、 は や 七 歳 に成 給 ふ ﹂。. かな 。 会 者 定 離 の習 ひ 、 生 す る も の は 必 す 死 身 を 持 な か ら 、 母 を た す く る い と な み な く し て、 一天 の主 、 は ん し や う の身 に ほ た さ れ て、 二度 、 三 つ の古 郷 へ還 ぬ 事 の 口惜 さ よ ﹂ と 思 召 。. は 、仏 法 の 太 子 と 成 給 ひ候 へし 。某 は 、 三 世 る つ ふ し て 、去 に、. と 云 。 彼 山 に住 給 ふ仙 人 、 大 王 へ飛 来 て、 の給 わ く 、 ﹁七 多 太 子. 偽 な し﹂ とて、本 山 ゑそ飛 還 り給 ふ。. ﹁千 秋 万 歳 と い の る 身 も 、 今 日 を 不 知 。 命 は 水 辺 の あ わ の こ. は ね を 野 へに捨 ぬれ は 、 二 度 、 其 いせ いな し 。 然 に 、 其 身 き へ. と し。魂 は老鳥 のことし。 かたち 、破 ぬれ は、留魂 も なし。 か. き 給 ひ て、 ﹁如 何 ﹀か す へき 。 太 子 の心 を 慰 奉 へき ﹂と 、 せ ん し. 其 時 、 相 東 か申 事 、 ( 誠 に)成 て、 御 審 め け る 。 此 事 、 大 王 嘆. 成 。 公 行 大 臣 、 せ ん き 有 て 、 先 、 四方 に 四 季 の 山 を つき 、 御 永. な は 、 今 生 の余 波 も な か る へき に 、 善 悪 の潭 ︽中 ︾ ( 重 )に寄 て、. ( は) こせ. の地 獄 に落 、今 生 に てなせ る罪業 悉請 く へし。. しゆく. 何 事 も 、 石 の火 の間 、 い と な み 也 。 不 定 世 界 の何 を. 各く. 覧 成。. 残 り の 雪 か と 疑 れ 、 は や、 う す 霞 梢 に は 、 も ﹀さ へ つり の 鴬 、. 太 子 、先 、東 春 の有 様 を 御 永 覧 有 。見 、 明 野 にを け る 白 露 は 、. に は 、 冬 の 姿 。 臆 而 、 太 子 、 行 向 を す ﹀め 申 さ れ け る 。. 東 に は 、 春 の有 様 、 南 に は 、 夏 の有 様 、 西 に、 秋 の有 様 、 北. ん や。 ゑひく わと云 も、 まと しき 口云 も、唯夢 中 の夢 、ま ほ ろ し の 内 の ま ほ ろ し 也 。 め いと 世 界 は 、 き せ ん を も き ら わ す 。 去 は、 御 母 ま や ふ 人 も 、 此 雲 い を 出 給 ひ て 、 御 供 ︽中 ︾ ( 申 )人 も. 其後 は、 母ま やふ人 を は、誰 か弔 ゐ参。 然 は、五 百六 億 の国を. と う か ん 、 せ ひ か ん の柳 の枝 、梅 か 小 枝 に、嵐 や 花 を さ そ ふ 覧 、. な く 、 く わ う せ ん 、 三 つ の苦 能 を 請 ま し ま す ら ん 。 丸 か 死 て の. 持 て 、 何 な ら す 。 発 心 を し て 、 母 ︽を ︾ の菩 提 を 弔 奉 覧 ﹂ と 思. 一50一.

(6) 松 に懸 れ る藤 な み の、 立 帰 る 也 。 か り か ね の鳴 音 も 、 いと ﹀哀. 病 を 請 、 宴 、 病 苦 也 。 い や し き も 、 必 又 、 老 少 不 定 の業 と 也 。. ち を と ろ ひ 、 色 替 り 、 身 心 を な や ま す 。 坊 主 病 者 、 苦 の中 の地. の次 第 、 百 壱 病 つ ︾合 、 四 百 四 病 也 。 病 遊 は 、 五 体 不 安 、 か た. 有 時 は 、 次 第 不 円 也 。 鬼 魔 の使 を 得 、 本 病 の い ん ゑ ん な り 。 病. 獄 也 。 又 、 死 の も と ひ也 。 誰 か い と ひ、 誰 か遁 つ覧 や 。 身 心 な. 太 子 、 此 有 様 を 御 覧 し て 、 い と ﹀、 無 常 の御 心 を 催 所 に 、 年. 成 る。. 八 拾 余 り 成 老 翁 、 行 向 を 拝 み 奉 り け れ は 、 太 子 、 臣 下 以 、 ﹁如 何. や ま す 時 は 、仏 法 種 行 も 、龍 つ の 行 法 な ら す 。行 法 か け ぬ れ は 、. す る身 体 也 。 一体 違 は 病 と 成 、 時 の三 け ん 合 力 も 、 必 、 七 珍 万. 何 く ふ (ふ ) も 成 へ から す 。 人 は、 皆 、 地 水 火 風 空 以 借 に 造 立. 老 人 、答 申 様 、 ﹁我 は 、是 、若 か り し 時 、 二人 の親 に か し つ か. 成 者 そ﹂ と、 せんし有 。. れ 、 七 珍 万 宝 に、 あ き み ち つ れ と も 、 何 事 も 、 唯 、 夢 ま ほ ろ し. 宝 も あ た な り。生 類 春 属 も た す け す 。始 、せ ん は ん し や う の 身 、. と 成 。 既 八 十 に余 り け る。 か み に は、 し も を 載 、 ひ た ひ に は 、 な み を 被 寄 、 腰 か ﹀み 、 六 根 不 安 、 昔 は 人 を 嘲 り 、 今 は 人 に 云. 世 間 のう ひ 無 常 を く わ ん し 、 又 、 西 面 を 祈 、 秋 の気 色 を 御 覧 す. 其 時 、太 子 、 臣 下 以 、 彼 お き な に 、水 を あ た へた ま ふ け る に 、. 下 、 せ ん け ん か の類 も 、 病 を 請 事 か く の こ と し ﹂。. れ は 、 露 せ き か く る 女 郎 花 、 萩 か 立 への う す む ら さ き 、 木 々 の. 苦 妙 を 請 へき や 。 君 も 、 今 、. せ め ら れ 、 い に し へを な す わ さ 、 皆 是 、 罪 過 也 。 死 へき 今 日 を. 百 官 万 臣 に い ね ふ せ ら (れ ) て 、 た のし み の永 過 に、 ほ こ り た. 紅葉 もそ. 不知。 然 は、必地 獄 に落、 各く. ま ふ と も 、 老 か程 な く 来 り な は 、 花 の御 姿 も 色 替 り 、 青 柳 の ひ. る 迄 、 大 六 天 、 一す ひ 五 十 年 の 内 に 、 翁 か 有 様 に、 違 給 ふ へか. 今 日 は 死 人 と 成 て 、 愛 後 世 に 引 さ ら し 、 し ﹀む ら や ふ れ て 、 白. 染 草 村 に 、万 の 虫 の 鳴 音 迄 、 物 哀 成 折 節 に、 又 、昨 日 の お き な 、. し く 、 身 に し みく. (よ ) め 渡 る、 秋 を 時 雨 の山 際 、 を し か の音 も す さ ま. ん は つ は、 皆 と ふ し み を み た せ る 。 よ く 足 手 の 御 つま 先 に い た. ら す ﹂と 申 せ は 、 太 子 、 是 を 聞 食 、 ﹁本 寄 、唐 人 ま し ま は 、 理 也 ﹂. と吹 風 は 、 誰 を 恨 の ま く す は ら 、 う ら か れ. と 思 食 、 又 、 南 天 に 行 向 成 、 夏 の気 色 を 御 覧 す れ は 、 卯 花 、 か. る も 哀 也 。 生 死 にま よ ふ 虫 の 音 の、 か す か に残 る 下 草 に 、 雪 の. 松 の梢 も見 えわ かす。 ま かき か本 のしら きく は、う つろ ひは つ. 北 面 に 行 向 成 、 冬 の気 色 を 御 覧 す れ は 、 雪 は霜 の 山 に み ち 、. け る 。 弥 々、 御 た う ち ん ふ か か り け る 。. 太 子 、 こ れ を 御 覧 し て 、 正 蓮 花 の御 眼 寄 、 御 泪 を な か し 給 ひ. 骨は ( 男 ) 女 に替 す 。 今 日 の 行 向 は、 殊 に哀 を 催 す 。. 夕 暮 に、 山 時 鳥 の 音 つれ も 、 い と ﹀す ご さ のま さ り け る 。 岩. き つは た 、う ら む ら さ き 、朝 顔 の 日 影 し ほ る有 様 も 、物 哀 な り 。. 間 の 水 に す ﹀み と り 、昔 の 人 之 待 た へて 、花 た ち 花 の 匂 ひ に は 、. ぬ心 哉 。. た か 袖 懸 て か ほ る 覧 。 池 の は ち す の そ よ め き に、 こ ふ り に し ま. と 悲 き に、 又 、庭 ︽主 ︾ (上 ). ろ の魚 之 、 寄 へも な き 有 様 を 、 残 す 御 覧 し て、 哀 催 す 所 に 、 薄. 隙 、 朝 道 た へて 、 と を り と め た る 岩 間 の 水 の、 氷 と ち た る あ し. 秋 を 哀 の さ よ 風 も 、身 にし み く. 病 人 、 答 て 申 様 、 ﹁以 前 、 永 覧 有 し 時 の 翁 也 。 軽 き 身 に、重 き. に、 病 者 有 。太 子 、 こ れ を 御 覧 し て 、 ﹁ 如 何 成 者 そ ﹂と せ ん し 有 。. 一51一.

(7) ( 有 )。. 太 子 、 こ れ を 御 覧 し て、 臣 下 以 、 御 尋 有 (け れ は )、 僧 、 答 て. 墨 染 の衣 き た る僧. 太 子 、重 而 せ ん し 有 、﹁無 常 を く わ ん す る と は 、如 何 成 事 そ ﹂。. 申様 、 ﹁ 我 は 、 是 、 浮 世 い と ひ 、 無 常 を 関 す る 聖 也 ﹂ と申 。. 僧 の曰 く 、 ﹁其 、 三 界 は 、 う ひ の 住 か な り 。 生 は 死 の も と ひ也 。. ﹁ 如 何 せ ん ﹂ と 、 皆 々 、 歎 き た ま ひ つ ︾、 公 行 大 臣 せ ん き 有. て 、 各 々申 さ れ け る は 、 ﹁人 間 の 心 を 留 に は 、 ふ う ふ の道 成 と 、. の中 に、 こ や す 大 臣 の 姫 君 に 、こ や す た ら 女 と て 、 お わ し ま す 。. 聞 へけ る 。 如 何 成 人 を か 、 后 と 祝 申 へき ﹂と て、 ﹁五 百 人 の大 臣. 大 王 、 聞 食 、 御 悦 限 な し 。 文 を あ そ は さ れ て、 安 大 臣 へ被 遣. 三 拾 さ う 、 し ま わ う ご ん の御 姿 に て お は し ま す ﹂ と 申 。. る ﹀。安 大 臣 の御 返 事 に 曰 く 、﹁人 之 上 下 を き ら わ す 、鉄 のま と. た る 野 へに 迷 。 日 数 は 、 罪 に寄 て. いや し き も 、 只 一人 、 広 く. 宵 光朝露、 石 の火 のこと し。魂 肉身 を去 て、 中 に趣則者 、高 も. 太 子 、 是 を 聞 食 て 、 ﹁丸 も 見 物 せ ん ﹂と て 、 安 大 臣 の御 本 へ行. を 七 枚 重 而 、 其 間 四 拾 里 に 而 、 いと を し た る 人 を 、 む ご に取 へ. 向有 。此 由、御 天竺 、披 露有 け れは、 き せん上下 参種 て、う ん. し﹂ と申 され ける。. あ ほ ふら せ つ か慮 り 、 く わ う て つ た う を 香 と無 。 有 時 は 、 明 火. か の こと く 也 。 我 も く. し や う 、 し ゆ ら 、 人 、 天 、 八 寒 八熱 の苦 を 請 。有 時 は 、獄 そ つ、. の 上 に縄 を は り て 、 せ め ら る ﹀。 眼 を ぬ ひ て 、 は り を さ し 、 舌. し。. 多 少 有 。 か く て 、 め いと に 至 、 こ ふ に寄 て 、 地 獄 、 か き 、 ち く. を ぬ い て、く ひ を 打 、頭 に 火 ゑ ん を 戴 き 、足 に 鉄 の 火 を ふ ま せ 、. ひけれは 、此 人は、 経 をそ しり、 出家 を見 は、忽 いこ ろし、仏. 愛 に、 国 本 王 の御 嫡 子 、 大 破 た つた と 申 人 、 来 り て 、 いた ま. と いけ れ 共 、 壱 枚 も い と を し 申 人 も な. 滅 す れ は生 而 、 頭 を こ ん り う し て 、 夜 ひ る の ひ ま も な く 、 せ め. も 出 かた き 。 然 る 処 を 出 な か ら 、 結 句 、 人 間 生 れ な し ひ 侍 に 、. に持 、 六 万 八千 人 の け た う を あ つめ て 、 春 属 と し 、 か ひ に ま か. 法 の て き と 成 人 也 。 し ゆ み せ ん 寄 北 の 谷 に 、 鉄 の 城 を 四拾 四町. ら る ︾。 如 何 様 に て は 、 い つ た す か る へき に、 千 こ ふ 万 こ ふ に. 三 つ の こ き や う へ帰 ぬ 事 、 南 無 う ら め し き は、 五 飲 本 能 、 い と. に な ら ん ﹂ と申 、 い給 ふ 。 ね ん の ふ、 五 枚 は い と を し た ま へと. 大 波 、被 仰 有 け る は 、 ﹁我 、此 ま と を い と を し、 安 大 臣 の む ご. せ て、ほ こり給 ふ 人也。. 仏 法 を 聞 な か ら 、 一段 の名 理 に た ふ さ れ て 、 む な し く 又 、 本 の. ふ へき は、 苦 の 三 業 、 懸 事 有 を 聞 な か ら 、 此 度 、 生 死 の 苦 界 を. 界 六 道 出 て 、 生 楽 の門 に入 な ん 事 を 、 い と な み 給 へ。 君 も 、 十. に ま さ る ﹀人 あ ら ﹂ と 、 い か り け れ と も 、 安 大 臣 、 も ち ひ た ま. も 、 残 り 二枚 と を ら す 。 そ れ 、大 波 、 被 仰 け る は 、 ﹁天 下 に 、我. 出 す は 、 未 来 、 いか て か 、 一か ん の 浮 木 にも 合 ぬ か 。 故 に、 三. せ ん の位 に そ な わ り 給 ふ と も 、 此 度 、 い と ひ給 は す は、 必 、 悪. は 有 す 。 末 代 の衆 生 の 、 み せ し. ( め ) の た め に ﹂ と て、 御 年 拾. 懸 け る 所 に 、七 多 太 子 は 、 此 由 御 覧 し て 、 ﹁ 我、后 のほし き に. わ す。. 道 に落 給 ふ へし と 、菩 提 心 を 発 て 、 ひ と へに 、仏 道 を 願 給 は ﹀、 至 広 業 の罪 、 悉 ︿消 書 ﹀ 滅 、 忽 に本 覚 の如 来 と 成 給 ふ へし ﹂ と 申 せ は 、 太 子 、 聞 食 、 ﹁丸 も 、 何 か、 砂 門 之 姿 と 成 覧 ﹂ と 思 食 、 御 泪と共 に、行向 成、 弥 々、御 心 を留 たま わす。. 一52一.

(8) 又 、し や ぬ く と 云 と ね り を 食 て 、﹁こ ん て い駒 に鞍 を 置 て 、丸. せんし を承、 思煩 てそ有 け るか、 君 のせんし を背 ては不 可叶 と. を たん とく せん迄 送付 よ﹂ と の せんし也 。し やぬく は、 太 子 の. 六 歳 に し て、 鉄 の御 秘 蔵 の御 弓 に 、 御 矢 を 番 、 よ つひ (い )て 、 し は し か た め て、 は な し 給 へは 、 七 枚 の ま と を は 、 羽 中 を せ め. か し 奉 り 、 の 給 わ く 、 ﹁日 比 申 つ る事 、唯 今 挟 を 別 出 候 へは 、 目. 思 切 給 ひ て、 出 さ せ た ま ふ か、 又 立 帰 り 、 君 の 御 枕 に近 付 、 驚. 太 子 は 、 御 年 拾 九 、 壬 申 の弐 月 八 日 の 夜 半 に 、 御 心 つよ く も. (思 )、 彼 駒 に 鞍 を 寄 、 南 の門 に そ引 立 け る 。. てたち にけ り。 御 け ひ ほ く のら く 、 安 大 臣 の御 む ご に、 定 給 ひ け る 。 此 世 の. を く わ ん し 、御 た う し ん ふ か く 成 給 ふ 。 ﹁丸 か年 五 拾 に余 り 、只. 出 度 、 仏 法 執 行 を し 、 三 界 と く そ ん と習 、 第 一番 の 所 に ご ゑ 参. 御 契 り 、 浅 か ら す 。 然 と も 、 弥 々 、 浮 世 の 有 様 の、 あ た な る 事. ら 女 の御 心 内 、 さ そ 思 や ら れ て哀 也 。. を し け れ と も 、 后 も 思 食 切 給 へ。 如. 壱 人 有 王 子 也 。太 子 、 王 宮 を 出 る は 、 一天 の暗 闇 成 へし ﹂。安 た. せん。御 余波 は、 さ まく. し 、 悪 道 に落 候 は ん 事 、 口 惜 御 事 也 。 仏 法 の師 と 成 は 、 后 も 我. 何 様 候 と も 、 つ ひ に は 、 そ ひ は つま し き 浮 世 也 。 こ れ を 徒 に 暮. 彼安 たら女 は、御 天 竺 にかく れな き人也 。見 人聞 人、心 をう こ かさ ( た )る は な かり け り 。 七 多 太 子 、 前 世 の 契 り 浅 す し て 、. も 諸 共 に、 安 楽 世 界 に 生 ぬ 事 、 何 疑 あ る へか ら す ﹂と の 給 へは 、. 此 度 、 ゑ ん わ う を む つ (ふ ) 事 、 ひ よ く の か た ら い、 深 玉 の す. 后 は 、 悲 ふ か く ま し ま さ と も 、 是 を 限 の あ つき な れ は 、 人 目 も. ﹁ 后 も 能 々思 切 給 へ﹂と て 、 ﹁心 よ わ く て か な ふ ま し ﹂と 思 食 、. 泪 に そ 、 む せ は せ た ま ふ。. 恥 す 、太 子 の御 た も と に す か り つき 、兎 角 の御 言 葉 も な く 、た ﹀. た れ の内 は 、月 の 光 、は や く う つ る事 を う ら み 、あ つき の窓 に、. 錐 然 と 、 太 子 は、 ( 無 )常 菩 提 の 御 心 、 深 か り け れ は 、 王宮 を. や も め か ら す の音 を 哀 み 、 片 時 も 立 離 へき を 、 歎 き 給 ふ。. 女 は 、 何 や 覧 、 む ね 打 さ わ き つ ﹀、 ﹁契 り末 の如 何 成 覧 ﹂と 、 歎. 出 、 誠 の 道 に 入 と 思 食 定 つ ﹀、 常 の む つ事 こ ま や か に 、 安 た ら. 太 子 は 、 (い )た け し ゆ 上 の 御 く つ を は き 、 こ ん て い 駒 に 打 乗. (か ) ぬ別 の た ま の こ て 、 只 一人 ふ し し つみ 給 ひ け り 。. 余 波 の御 たも とを引 切給 ひて、 しや りん天 を出給 ふ。 后 は、あ. の給 へと も 、 出 し た ま わ す 。 大 裏 を は 、 鉄 の つ ひ地 を 四拾 定 に. き 悲 み 思 食 は 、 太 子 の御 年 、 拾 三 の秋 の比 寄 、 出 家 の御 暇 乞 、. つき 、太 子 を 出 し 奉 覧 と の た く み と も あ り 。千 人 の兵 子 を す へ、. も な し 。 然 り け る 所 に、 四 天 王 あ ま 下 給 へは (ひ て )、 太 子 の め. 給 ひ て 有 け れ は 、 四 門 の 兵 子 、 用 心 き ひし く て、 出 給 ふ へき 様. ね ふ せ ら れ て お は し ま す に、 菩 提 の道 に入 給 へは 、 し や ぬ く と. 太 子 、 常 の行 向 に は 、 公 行 大 臣 、 百 官 万 民 に、 前 後 左 右 を い. 出 し 、 心 懸 の山 へそ 趣 給 ふ。. さ れ た る、 こ ん て い駒 の 足 を 指 上 て 、 四拾 て や う の つ ひ地 を 取. 四 の門 を か た め 、 け ひ こ せ さ れ 、太 子 を は 、木 の内 の鳥 の如 く 、. 有 時 、 太 子 、 一の御 馬 や に立 た ま ひ け る 。 こ ん て ひ と 云 駒 に. 出 し 給 ふ へき 様 も な し 。. 向 て、仰 け る は 、 ﹁己 は 、 こ く ふ を か け る能 有 。丸 を た ん と く せ ん 迄 、 送 り 付 て被 参 よ ﹂ と 、 せ ん し あ り け れ は 、 彼 駒 、 ひ さ ま つひて、泪 をそ なかし け る。. 一53一.

(9) 山 と云処 を通給 ふ。. ね り計 也 。 太 子 、 た ん と く せ ん の ふ も と に、 と く り ふ と く し ゆ. 安 た ら 女 、参 よ 。今 は あ ぬ わ か れ を 思 切 候 へは 、さ こ そ 悲 敷 も 、. て い駒 と か む り を は 、父 大 王 に参 せ よ 。衣 と は た の ま む り を は 、. 又 は 御 恨 も 候 は ん 。 な れ と も 、 誠 の道 に 入 な は、 後 に は 嬉 敷 思. 食 候 へし 。此 世 界 と申 は 、抑 も 罪 深 事 の身 也 。夢 の中 の す ま ひ 、. 此 山 の ふ も と に、 一切 の け た う あ つ ま り て 、せ ん き す る や う 、 ﹁七 多 太 子 は 、 菩 提 心 を 発 、 今 王 宮 を 出 て、 た ん と く せ ん に 入. ひ た ま は 口 、 必 廻 合 ぬ事 、 疑 有 へか ら す ﹂ と 、 こ ま く. ま ほ ろ し の問 敷 也 。 別 を 歎 き 候 共 、 浮 世 を い と ひ 、 仏 道 を ね か. と文 を. 申 さ ぬ 。 此 人 、 麦 に つき 給 は ﹀、 わ ら は か 悪 業 ほ ん の ふ も 成 へ. あ そは して、 た ひにけ り。. か ら す ﹂ と て、 こ く ふ にあ つ ま り て 、 大 は ん し や く を 、 太 子 の 上 へな け 懸 奉 り け れ は 、 帰 而 、 け た う と も 、 み ち ん と 成 儘 、 太. 申 ける は、﹁ 都 寄 是 迄 御 供 申 、参 事. も 、 御 出 家 に 成 給 ひ 候 は ﹀、 某 も 、 出 家 仕 、 宮 仕 申 へし と 存 候. 其 時 、 し や ぬ く 、な く く. 愛 に、 せ ん 人 お わ し ま す 。 本 地 、 願 自 ︽在 ︾ ( 在 )王 仏 の け し. に、 王 宮 へ帰 れ と被 仰 候 は、 返 々 も 悲 敷 候 ﹂ と て 、 鰭 而 、 も と. 子 は 、 た ん と く せ ん の大 波 等 衆 と 云 、 此 本 に 、 付 給 ふ。. ん也 。三 世を鏡 の ことく しり、 八万証諸 経を 明給 ふ仙人 也。 太. 太 子 、重 而 被 仰 有 け る 、コ か の な か れ を く み 、 一し ゆ の影 に. ゆ ひ を 切 覧 と す る。. 其時 、太 子、御 泪 をな かし、 尊声 によはわ り給 ひけ る。 ﹁ 我、. 子 の 御 心 指 を 奉 見 た め に、 三 日 間 隠 て 、 相 給 わ す 。. て、 何 方 へ行 つ覧 も 、 し ら せ 給 わ す 。 父 大 王 始 而 、 百 官 万 民 に. と成事 、. 至 迄 、 一天 の暗 闇 、 さ そ 有 覧 。 夫 に付 而 も 、 様 々 形 見 を 奉 、 御. ひ な き ゑ ん 也 。 然 は 、 丸 か命 を 背 へか ら す 。 其 上 、 王 宮 を 忍 出. ﹁ 如 何 成 人 に て ま し ま す 。 と り 、 け た も の た にも 通 ぬ ほ ら へ、. 心 を は 慰 奉 覧 こ そ 、 丸 か 二世 の御 供 な れ 。 し ゆく ん は 、 七 生 の. や と る 事 も 、 此 は多 生 の ゑ ん 也 。 い わ や 、 し ゆう く. 尋 来 給 そ ﹂と 、問 た ま へは 、太 子 、 答 て 曰 く 、 ﹁ 我 は、御 天竺 に、. 契 り な り ﹂と 、 様 々 にす か し 給 へは 、 ﹁ 被 仰 を 背 へ か ら す ﹂と て 、. 生 死 を 離 、 仏 法 を 為 聞 に、 丸 か 身 を 仙 人 に奉 覧 ﹂ と 、 よ は わ り. 皆 等 正 、 五 百 六 億 の主 、 上 梵 大 王 の 子 に て 候 か 、 丸 か 母 ま や ふ. なく く. 給 へは 、 其 時 、 仙 人 来 り 給 て 、 太 子 に 相 給 ふ 。. 人、我 を生 み置 かれ、 此世 は かなく成 給 ふ事、 悲敷 候 に、其 菩. し く 引 て 、 王 宮 へそ 帰 け る。 心 の 内 、 思 や ら れ て 哀 也 。. け わ し き 雨 の音 計 、 是 や 此 、 め い と の た ひ か と思 は れ て 、 物 す. 聞 物 と て は 、 山 河 木 石 、 い か つち. ご き 事 限 な し 。 少 も ま と ろ む へき や う あ ら さ れ は 、 王 宮 は 、 夢. も 人間 の通 ひなし。 た まく. さ な き た に 、 た ん と く せ ん は 、 せ き か ん か ︾と そ ひ へ、 借 に. 御 形 見 の物 を 給 り つ ﹀、 こ ん て い駒 の足 な み も 、 む な. へは 、 仙 人 之 曰 く 、 ﹁去 は 、 御 姿 を 替 へ候 得 ﹂ と て 、 ﹁留 天 三 界. 提 を 弔 奉 覧 か た め に、 五 百 六 億 の位 を 捨 て 、 是 迄 参 候 ﹂ と の 給. 忠、音 相 不入段 、貴窓 入文 意、 心至 法音舎 ﹂ と、 三返唱 て、 太. れ う ら き ん し ゆ の衣 を 、 あ さ の衣 に ぬ き か へ給 へて 、 し や ぬ. に も み ゆ る 事 も な し 。 三 歳 の 雪 、 谷 の つら く. 子、御 出家成 。御 名 をは、 く とん坊 とそ付 給 ふ。. く と ね り に被 仰 有 様 は 、 ﹁ 此 か み を は 、 け ふ み に 参 よ 。年 月 、 一. も とけ やら す。. す ち を 千 す ち と な て給 ひ、 か み 、 唯 今 そ り お と し て 候 也 。 こ ん. 一54一.

(10) 倦 も 、 太 子 を は 、 た ん と く せ ん の ほ ら に、 只 一人 捨 置 奉 り 、 帰. 鹿 の通 路 跡 た へて 、 遠 近 人 も 通 ね は 、 道 を 問 へき や う も な し 。. る 心 の 道 し ゆ ん 、 泪 は 袖 に せ き あ へす 、 悲 む 音 は 、 天 にも ひ ﹀. こ ん て い駒 も 、太 子 の 御 余 波 を 惜 み、黄 成 泪 を そ な か し け る。. く計也 。. た ん と く せ ん へ、 太 子 を く し て 飛 給 ひ し は 、 唯 一時 の 間 也 。 し や ぬ く は 、 明 ぬ暮 ぬ と せ し ほ と に 、 三歳 三 月 と 申 に、 王 宮 へそ 帰 り け る 。 様 々 の御 形 見 の物 と も 、 取 出 し 参 せ け る 。 歎 き 悲 み. 后 安 た ら女 は、 し や ぬ く か袖 に す か り 付 、被 仰 け る は、 ﹁太 子. 給 事 、 今 更 に、 都 の内 、 か き く ら し て そ た へた り け る 。. の御 出 家 而 お わ し ま す 、 た ん と く せ ん ゑ 、 く し て 行 ﹂ と て 、 な. 学誉. 稽住 之時 ( 花 押). 様 々 の御 事 共 、 御 座 候 へ共 、 次 巻 有 之 也 。. き いら せ 給 ふ 御 有 様 、 目 も あ て ら れ す 哀 也 。. 元 和 七年 無 神 月 吉 日. 一55一.

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Referensi

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