• Tidak ada hasil yang ditemukan

その間、日本も平和構築の国際的パート

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2023

Membagikan "その間、日本も平和構築の国際的パート"

Copied!
10
0
0

Teks penuh

(1)

はじめに

冷戦が終了して早くも20年以上が過ぎたが、その間、日本も平和構築の国際的パートナ ーとして世界政治に登場するようになった。1992年の国際平和協力法の成立を機に、自衛 隊・警察の派遣を含む本格的な国際連合平和維持活動(PKO)への参加が可能となった。ま た、文民分野での平和構築への関心が高まり、平和構築は人間の安全保障と並んで日本の 対国連支援や援助理念の中心的な地位を占めるようになった。9・11米同時多発テロ事件以 降、「対テロ戦」が米国を中心に繰り広げられるようになると、日本はインド洋における給 油活動を展開し、さらにはイラクで人道復興支援を

2年半、空輸を 5

年余りにわたり行なっ た。

このような動きは、2005年に一度頓挫したものの、日本の国連安全保障理事会常任理事 国入りの思惑と、世界政治に台頭しつつある中国との勢力争いの観点から、重要な意味を もつ展開である。その一方で、自衛隊の海外での活動をめぐる憲法解釈上の問題や、文民 組織の活動上の制約などもあり、日本の国際平和協力は近年ますます複雑さを増す平和構 築の現実に十分に対応しきれていないというジレンマがある。世界レベルでは、特に途上 国で頻発する内紛や国家破綻、混成型戦争(hybrid war)などに対処するためオペレーション が変容しており、日本がその潜在的能力をもってしても既存の体制や経験で十分に対応で きるかどうか疑問が生じる。にもかかわらず、冷静な現状分析、能力や制度の検討といっ た作業には手つかずの感が否めない。

今日の紛争や戦争の特質を考えたとき、日本が本当に平和構築の「前線」の問題に取り 組んでいく政治的意思があるのかという重要な問いに対する答えはいまだ見出せていない が、本稿では政治的議論ではなく、むしろ、果たして日本には今日の世界における平和構 築の要請に対応する準備(preparedness)があるのか、という問題を検討することを目的とし ている。これには物質的力に加え、制度、ノウハウなどの側面が含まれるが、もし日本の 能力や体制に不備なところがあるとすれば、それはどのような点で、どのような改善が望 まれるのか。多くの課題を抱えているとすれば、優先事項はどのような点であろうか。

以下、まずは国際環境の変遷を分析し、それを踏まえ、日本の能力と体制を検討するこ ととする。最後に、日本の平和構築体制をより国際的な要請に見合ったものにするための 改善点を議論する。

(2)

1

冷戦後のオペレーションの変遷と平和構築

周知のとおり、冷戦後、内戦への介入が世界各地で増加することとなったが、これに伴 い、低烈度戦争分野でのオペレーション(活動)が世界レベルで変遷を遂げることとなった。

まず、平和活動分野では、伝統的な意味での強制行動(あるいは戦争)と、非強制的な活 動である伝統的平和維持活動との中間に位置する「グレーゾーン」―戦争ほどの大規模な 軍事力は必要がないが、伝統的平和維持活動よりは強制力をもつ活動―に対応するアプ ローチに対する需要が増えたことが注目される。平和支援活動(PSO: Peace Support Operation)

がその例である(1)。平和支援活動は英国が中心になって編み出したアプローチであり、北大 西洋条約機構(NATO)がバルカン半島などにおいて用いてきたが、これを単に

NATO

諸国 を中心とした地域的アプローチとするのは誤りであろう。PSOにおいては平和維持活動の理 念上の展開がみられたのであり、類似の展開は、米国独自の平和活動・安定化活動ドクト リンや、アフリカの活動、2008年国連平和維持活動局が出版したキャップストーン・ドク トリンにも部分的にではあるがみられる。

折しも、冷戦後の国際社会が内紛や国家破綻に対処することが増え、平和支援活動はそ のような要請に見合うように発展してきた。英国の定義によれば、平和支援活動とは「通 常は国連憲章の目的と原則に沿って、平和の維持か回復のために不偏的に実施される外交、

文民および軍事手段を伴う活動」と定義される(2)。平和維持、平和強制、平和創造、平和構 築、そして人道援助からなるスペクトラムとして概念化される。

平和支援活動においては、以下の

2点で重要な展開がみられる。第 1に、活動の軍事的要

素に、信頼性の観点から平和強制が加わった点である。平和支援活動の軍事的要素は平和 強制(PE)と平和維持(PK)となる。もちろん平和活動においてはミニマムフォース(必要 最小限の武力行使)が鉄則であり、際限ない武力行使を容認するものではない。平和支援活 動において同意は変数として捉えられており、平和強制は和平合意や人権擁護などの原則 をすべての紛争当事者の行動に照らして一律に適応するため、不偏的な活動であるとされ る。

第2に、平和支援活動は紛争下にあり破綻した国家を紛争サイクルから離脱させ、自律的 に平和を維持できる国家へと再生させることを目的とする。平和支援は国家建設に向けた 包括的かつ長期的なアプローチである。そこでは、軍事的要素は外交や援助などの文民活 動を可能とするための「条件」を生み出す役割を果たすが、軍事力のみでは平和へ結びつ かないことは言うまでもない。文民活動の支援とそこから派生する関係調整が軍事活動の 焦点であり、部分的な文民支援の「肩代わり」はあくまでも危険な環境下での最終手段で ある。

今世紀に入り、9・

11

後、米国がアフガニスタンとイラクに侵攻したのを受け、「長い戦 争」への傾向がさらに決定づけられることとなった(3)。イラクでは、

2003年のイラク戦争後、

米軍率いる連合軍が安定化作戦に迅速に移行するのに失敗したことをきっかけに不安定化 が進み、反乱が全土にはびこることとなった。米国はそれよりも先にフルスペクトラムオ

(3)

ペレーションのひとつの要素として位置づけられていた安定化作戦(Stability Operation)に力 を入れることとなり、2005年

12月には国防総省指令により戦闘と並んで安定化作戦も米軍

の主要な任務と明確化したのである。さらに、安定化作戦の強化の一環として、「政府全体 の対応」の見直しが図られ、2006年の大統領指令

44

により、国務省内の復興安定化調整官 室(S/CRS: Office of the Coordinator for Reconstruction and Stabilization)と呼ばれる部署が安定化作 戦の米国政府内での主導的役割を果たすよう任命を受けた。

さらに、2001年より国際社会が復興に取り組んできたアフガニスタンでも、国家建設と 経済復興が遅れ、その隙間を縫って

2005

06年にはタリバンの反乱が再び現地社会に浸透

することとなった。イラクと同様に、安定化の失敗から反乱の伸長を招いた例である。イ ラクよりは長い安定化の「機会の窓」があったとは考えられるが、国際社会の対応は統一 性に欠け、安定化の鍵となるはずであった司法改革を含む安全保障部門改革の遅れ、汚職 や麻薬問題の蔓延といった難問を前に、国際社会は安定化の効果を上げることができなか った。

以上の経験から、特に米軍を中心にベトナム戦争以降「避けるべきこと」として忌み嫌 われてきた反乱鎮圧作戦(COIN)に対する関心が高まり、古典的反乱鎮圧の理論を内包す るフィールドマニュアルFM3-24が米軍によって出版された。2007―08年までのイラクにお けるいわゆる「増派」がこのドクトリンの成功裏の適用となり、反乱の鎮静化の助力とな ったことは周知のとおりである。

さらに重要な展開は、イラク・アフガンの活動を通して、従来型の反乱鎮圧アプローチ では、破綻国家や脆弱国家で起こる今日の反乱に十分に対処できないとの認識が定着した ことである。このような考え方を最も体系的に推し進めたのが、反乱鎮圧分野では伝統的 な強みをもつ英国国防省が2009年

11

月に発表した「安全と安定化」ドクトリン(JDP 3-40)

である。英国防省の最初の安定化ドクトリンで、しかも統合レベルで発表された本文書で は、安定化を「紛争下や、紛争状態になりつつある、あるいは脱しつつある国家を支援す るプロセスであり、その目的は、暴力の防止または低減、人民と主要インフラの保護、暴 力によらない権力争いを制度として確立するような政治解決へとつながる政治プロセスお よびガバナンスシステムの促進、持続可能な社会・経済開発の準備である」と概念化して いる。反乱鎮圧は、安定化のなかでも「敵」としての反乱軍の所在が明確化した場合に対 応し、安定化のなかに位置づけられている。以下の点が特筆すべき展開である(4)

まず、第1に、安定化とは、日本において主要な活動区分である「紛争後」や治安の観点 から許容度の高い(permissive)環境を意味するものではないという点である。安定化は紛争 下や、紛争状態になりつつある、あるいは脱しつつある国家を支援するプロセスをさすの であり、時期区分に依拠する概念ではない。

第2に、安定化とは、政治解決に向かうプロセスであって、活動そのものを指すものでは ない。その最終到達点は、紛争の「政治解決」であるが、その政治目的が重要なのであっ て、手段によってある活動領域を定義するものではない。ただし、後述するように、この 政治解決という最終到達点は固定した状況ではなく、むしろ流動的な状況である。

(4)

第3に、安定化は国家建設パラダイムにほかならないが、安定国家の概念を英国国際開発 庁(DFID)の国家建設枠組みから導入している。つまり、安定した国家とは、人民、エリ ート、政府の間に政治解決が存在し、かつ①安全(国家と人間双方)、②経済・インフラ開発、

③ガバナンスと法の支配という相互に影響しあう3つの国家の生存機能も兼ね備えている。

これらのうちいずれが欠けても、安定は得られない。

一般に、今日の活動の目的は、軍事的な「勝利」ではなく、政治解決を得るための条件 を形作るという意味での「成功」である(5)。ただし、平和支援活動、安定化・反乱鎮圧とも 求める政治解決は、往々にして流動的なものであり、活動の到達点が定義しづらいのであ る。また、成功に至る道筋には多種多様な主体が関与し、入り組んだものとなる。

こういった活動の特色にかんがみ、以下の条件が成功のためには欠かせない要件である と考えられる。まず、第

1

に、包括的アプローチである。これは、活動の広範な領域(安 全・治安、経済・社会援助、ガバナンス支援など)を相互に齟齬なく行なうという意味合いを もつが、そのためには省庁間、多様な国際的主体の間の活動調整を通じた「努力の統合」

(unity of effort)が重要である。政府内では「政府全体(whole of government)の対応」の達成の ため、英国、オランダといった西側諸国で「安定化ユニット」(米国では国務省内のS/CRS)

と呼ばれる省庁間部署が新たに作られ、実現への努力が続けられている(6)

ただし、安定化・反乱鎮圧の文脈での包括的アプローチは、軍事機構との連携を嫌う文 民組織にとって、最も難しい局面である。従来、反乱鎮圧のためには、住民や基幹インフ ラの保護といった作業に加えて、社会・経済援助が住民と反乱分子を引き離すという政治 目的のために使われることを意味するからである。

第2に、長期的視点との結合である。活動は長期間行なわれることが常であり、そのため の準備がなければならない。ただし、上述したとおり、長期的な開発戦略が軍事介入の

「後」にくるという段階的思考は安定化においては誤りである。軍事作戦の特色上、環境が

「許容的でない」状況から、「許容的」な環境下、つまり建設や現地主体への権限移譲が優先 となる活動へと「移行」することは必要であるが、安定化活動の開始当初から長期的視野 に基づき、包括的な活動を行なう準備がなければならない。

2

日本の平和構築へのアプローチの特徴

以上の国際レベルでの活動の変遷にかんがみて、日本の支援の特色はどのようなもので あろうか。まず、第

1に、ポストコンフリクト

(紛争後)平和構築に対する支援が主要な貢 献であることである。平和支援・安定化双方が関心対象とする紛争の政治解決の形成に対 する支援も増えているが(紛争中の援助や和平プロセス支援など)、日本の場合は自衛隊の派 遣について制約が多く、紛争中に文民が展開することが安全上の考慮から難しいことがあ る。また、国際平和協力法のPKO参加5原則も、「当事者間の停戦の合意」を要員派遣の条 件としている点から、日本の体制は紛争後を重視していると言えよう。

第2に、関連して、「安定化」の概念枠組みの不在である。自衛隊の海外での活動を規定 する現行法枠組み内では、自衛隊が安定化作戦にかかわることは想定しづらい。もっとも

(5)

過去、特別措置法に基づく

2004

―06年のイラク派遣はこの範疇ではあった。また、日本の 文民支援も、「脆弱国家」枠組みを設けておらず、安定化の文脈に開発援助を適用してきた 点で特徴的である。

第3に、弱い省庁間関係、あるいは「政府全体の対応」の不在である。特に、民軍連携は 歴史的な「軍事」に対する不信もあり、難問である。特措法に基づき陸上自衛隊がイラク 南部サマーワに派遣されたが、そのときの外務・防衛の協力関係、すなわち陸自の活動と 政府開発援助(ODA)の組み合わせが唯一の日本としての民軍活動である。

4

に、これは必ずしも日本に限ったことではないが、自ら課した活動枠組みのなかで

「成功」を定義しており、この範疇では活動の評価は高いが、活動全体の成功を確保するた めという視点は必ずしも中心的ではない。たとえば、関連法内で国際平和協力任務が箇条 書きになっており(いわゆるポジティブリストの問題)、融通が利かないなどといった問題で ある。

特に、今日の平和構築活動のなかでも軍事的側面において、日本は引き続き制約が多い 活動を余儀なくされるであろう。その分、特に、先進国としての日本の能力―輸送や建 設、技術力など―をどのように生かしていくのか、検討する必要がある。たとえば、英 国、米国、フランスといった国連安保理常任理事国はもとより、オーストラリアなどの先 進国は、大規模な部隊派遣を通して国連PKOに恒常的に参加する途上国(バングラデシュや インドなど)とは違い、国際活動の枠組みを提供する「中枢国(pivotal state)」としての役割 を担ってきた。たとえば、英国がシエラレオネの国連ミッションを立て直した2000年の介 入の例などである。あるいは、2010年に立ち消えになったが、国連緊急即応待機旅団

(SHIRBRIG)などを通じて、先進国は早期展開能力を国連に対して提供してきた。日本がい わゆる中枢国となることは考えづらいが、先進国が国連

PKOや地域組織に対する希少価値

の提供―輸送などロジスティックス能力、情報、早期展開能力、強制力の提供など―

へと軸足を移したのにかんがみ、日本としても提供できる「希少価値」を効果的に投入す るべきである。

また、国内での政治的議論が自衛隊派遣をめぐる法論議に集中してきたことから、自衛 隊の国際活動での活動枠組みやドクトリンには世論や専門家の関心も向かず、あまり検討 が進んでいないのが現状である。自衛隊の活動枠組みについて特徴的なのは、平和支援活 動、安定化のいずれもが概念化されていない点である。自衛隊の活動を規定するのは、関 連法、すなわち、国連PKOの場合は国際平和協力法(1992年施行、1998年、2001年改定)お よび特別措置法(過去、いわゆる対テロ特措法、イラク人道復興支援特措法、給油法があった)

である。

国際平和協力法は、国連PKO、国際人道援助、選挙監視への自衛隊員を含む日本の要員 参加を規定する法であるが、これにはいわゆるPKO参加

5原則が含まれている。つまり、

(1) 紛争当事者の間で停戦の合意が成立していること

(2) 当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活 動および当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること

(6)

(3) 当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的な立場を厳守すること

(4) 上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加 した部隊は撤収することができること

(5) 武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること という条件を満たしたときのみ、自衛隊(および文民)のPKO派遣ができる。

ここで想起されねばならないのは、これらの原則は同意、中立、自衛以上の武力の不行 使に立脚するいわゆる「伝統的平和維持活動」に匹敵するのであり、平和支援活動以降の ドクトリンが前提とした環境の変遷はまったく考慮していない点である。今日の紛争の現 実にどの程度このような条件を適用することができるのか疑問である。また、安定化は

「政治解決」の条件を形作る活動であり、軍事力の展開や文民支援が上記の条件がそろわな い状況においてより重要となることは言うまでもない。

また、自衛隊の果たすべき任務は関連法によっていわゆる「ポジティブリスト」に限定 されている。たとえば、平和協力法は、国際平和協力業務として

16

の項目を設けている。

このうちパトロールなど6項目が自衛隊(部隊および個人)に関連するものである。特措法 関連活動でも、自衛隊の任務がリストアップされた項目に限定されていることは同様であ る。言うまでもなく、国連ミッションはもとより、紛争がいまだ政治解決に至っていない 状況下での平和支援、安定化といった活動における活動の幅の広さに、このようなリスト では到底追いつかないのが現状である。また、活動の内容自体が流動的になりがちな環境 下での融通性もこれでは期待できない。もっとも、他国においても部隊の活動が限られて いることはままあるが、活動全体にとっては望ましい状況でないことは確かであるし、自 衛隊の場合は、国連ミッションにおける基本的な業務―移動の自由の確保や施設の防御、

逮捕・拘束など―さえもできないのであるから、このポジティブリストは根本的に吟味 され直す必要がある。

さらに、平和支援、安定化を問わず、自衛隊の武器使用規定が限定的であることも重要 な点である。特に、「正当防衛、緊急避難」に武器使用の権限が限られ、任務遂行のための 武器使用が許可されていない点は問題である。国連ミッションでも任務遂行のための交戦 規定(ROE)があり、たとえば、今日の活動のなかで重要な移動の自由の確保、国連施設な どの防御、逮捕・拘束などのため武力行使が許される。現在、国連ミッションでは、任務 とならび交戦規定がミッションの構成や性質を決める最も重要な要素とされており、日本 としてもこの点を十分に認識する必要があろう。

日本の文民活動も、特に平和支援や安定化といった枠組みに沿って活動が概念化されて いるわけではない。伝統的に、日本の開発援助は円借款の割合が高く、また援助の額自体 も大きい。特に、インフラ開発(経済・社会)に関する日本のノウハウは高く、長らく多額 の日本の開発援助は資源の確保と、貿易摩擦が悪化した日米関係の維持といった目的と結 びついていた。それが、湾岸戦争後には日本の援助理念は援助受益国の人権、軍事支出や 環境といった点を関心事項として含むようになり、1999年には人間の安全保障の概念を含 有するようになった。2003年には、ODA大綱の改定により、平和構築が重点分野となった。

(7)

平和構築の概念は、紛争後のみならず紛争予防や紛争に対する対応も含まれ、日本として も紛争前・中への支援に対する関心が高いことがうかがわれよう。平和構築の重点活動は、

和平プロセスの支援、人道・復旧、インフラ改善、武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)、 地雷除去、復興、政府行政の支援である。国際協力機構(JICA)も、平和構築の指針を

1999

年に採択し(2003年改定)、平和構築の重点領域を、和解、ガバナンス、安全保障セクター、

社会インフラ、経済復興、社会的弱者支援、そして緊急人道援助としている。

過去、たとえば、カンボジアなどでは日本の和平協定締結へ向けた貢献は大きかった。

しかしながら、日本が支援した数多い平和構築のなかでも、最重要ツールとしてのODA供 与は、やはり紛争後の平和構築に向けられた部分が大きいであろう。カンボジア、東ティ モール、フィリピン、スリランカなど平和の定着と国づくりに向けて日本は和平プロセス やPKOへの参加を絡めつつ、長期的な平和構築と開発の観点から支援を続けてきた。

日本の援助で特筆すべきもうひとつの点は、「安定化」という概念や「脆弱国家」という 支援対象枠組みを設けず、通常の開発援助を安定化の文脈に当てはめてきた点であろう。

アフガニスタンでは、日本は安全保障セクター改革の5つの柱のひとつ、DDRを支援した が、これはボン和平後のアフガンにおける平和の定着に向けての努力であった。地方復興 チーム(PRT)への支援については、これに自衛隊を関与させず、規模の小さい草の根無償 で行なってきた。元タリバン兵士の職業訓練やアフガン警察の給与の拠出については、反 乱鎮圧の文脈では間接的な誘導政策とも位置づけられよう。アフガン警察の給与の拠出は、

日本の対警察支援のなかでも最も大規模なものである。

一方、JICAによるアフガニスタン援助は、純粋に中期・長期開発プロジェクトとして立 案されているのである。重点領域はカブール首都圏のインフラ整備と能力開発であり、ま たアフガン社会が農村社会であることから、所得増加と雇用創出の観点から農村開発を重 要視してきた。また、教育、保健、ガバナンスもJICAのアフガンでの重点領域である。組 織文化的観点から、これらは厳密に非政治的・非軍事の開発援助である。

一方、JICAによるイラク支援は、イラクの経済発展のレベル、当初の軍事介入をめぐる 政治的文脈、周辺諸国の関係のダイナミクスの違いを反映し、アフガン支援とは大分違う ものとなっている。2003年

10月には、反乱が勃発していたにもかかわらず35

億ドルの円借 款と15億ドルのグラントを決定した(対照的に、アフガニスタンでは2002年に、その後2年半 分の5億ドルのグラントを決定したにすぎず、また円借款は行なっていない)。イラク支援は、イ ラクに対する民間投資の「呼び水」としての位置づけであり、港湾、製油所、電力、道路、

水の供給などが対象であったが、反乱のはびこるスンニ派の居住地域にも援助が導入され た。自衛隊が活動をしていたムサンナ県には最も多数の援助案件が導入され、最大の案件 はサマーワの発電所建設であった。

以上より、インフラ建設など、通常の開発援助が安定化の文脈でも使われてきたことが 理解できる。ただし、開発援助を安定化状況に使った場合、開発の効果は安全が許す限り において期待できるが、開発援助の安定化への影響を測るのはきわめて困難であることが 知られており(7)、日本としても援助にどのような効果を期待するのかについて熟考する必要

(8)

があろう。開発援助と安定化の関連、援助の効果については今後さらなる研究が必要とさ れる分野である。

3

民軍連携

日本の平和構築支援の特色のひとつに、政府全体の対応を基調とした民軍活動が想定し づらい点が挙げられる。戦後日本の「反軍事」を基調とする政治・社会文化にはさしたる 変化はない。また、政治文化上、保守派は国際活動に自衛隊を現状以上に関与させること に興味はなく、一方左派も反軍事の立場から平和構築への自衛隊の関与を否定することか ら、両者の間に奇妙な立場の一致がみられる。また、関連省庁や援助団体の「縦割り」の 傾向はそう簡単には乗り越えられそうもない。関連して、日本の援助機関は援助の非政治 性と独立性を維持する観点から、政府全体の対応からは一定の距離を置いている。

したがって、日本以外の先進国では、統合、遠征といったトレンドと並んで「政府全体 の対応」が主流となっているのに対し、日本が実施した民軍活動は、2004―

06年の陸上自

衛隊のイラク活動のみにとどまっている。イラク活動では、いわゆる「車の両輪」と呼ば れるようにODAと自衛隊の活動が連携して使われたが、これは、政府内でこのような連携 が必要であると認識されたからである。治安が不安定ななか、民間の資本や人材は投入で きないという現実もあったが、現地で活動していた自衛隊にとっては、ODAとの連携はフ ォースプロテクションの観点から必要不可欠なものであった。先に述べたように、自衛隊 の活動するムサンナ県には日本の援助の案件がイラク内で最も多く導入され、現地人の雇 用を通じて治安の安定が図られた。自衛隊は、最も大きなグラント案件であった127億円の 発電所の建設開始と時期を合わせて撤退した。「安定化」段階の終了、開発の時期の開始を 人々に印象づける目的であった。

日本には、活動レベルで活動調整を行なう安定化ユニットがないため、活動調整はもっ ぱら現場レベルに集約していたようである。自衛隊の復興支援群とともに活動していた100 名ほどからなるイラク復興業務支援隊が、イラク現地での民生支援の計画と他組織・他国 軍および現地住人との調整の担い手であった。ローカルオウナーシップを重視する「民主 主義促進型」の援助案件選定プロセスも考案されるなど、ボトムアップの立案が行なわれ た。

日本の平和支援あるいは安定化の能力を考慮するうえで、自衛隊の民生支援分野での自 律的な活動能力は、建設や輸送の技術と並んで特筆に値するであろう。また、この分野で あれば武力行使などの分野と違い経験もある。ただし、自衛隊の民生支援活動の説明責任 と円滑性を確保するため、プロジェクトの立案、資金の調達をめぐる意思決定、実施、評 価の段階を通じて、自衛隊の活動が政府全体のアプローチのなかに位置づけられることが きわめて重要である。この政府全体のアプローチが文民主導であることは言うまでもない。

また、このような政府全体のアプローチは現場レベルのみではなくて、活動レベル、戦略 レべルを連携したものであるべきである。多くの先進国では、安定化ユニットやタスクフ ォースのような部署がまさにこのような活動レベルでの調整役を担っているが、これはさ

(9)

らに上位の(たとえば内閣府レベルの)委員会などに統率されている。事実、過去の研究で は、現場レベルのプロジェクト実施の決定(米軍などでは軍の司令官が一定の財源と権限をも つ)は必ずしも戦略レベルでの現地の人々の支持を取り付けるのに適していないということ が知られている(8)。安定化ユニットなどで全体像を把握し、長期的な計画のもと、民側・軍 側双方の了承のもと、プロジェクト運営の決定はなされるべきであるとの結果が出たので ある。

活動が省庁間プロセスを伴う場合、適切なドクトリンが必要となってくることが想定さ れる。現在、日本には平和構築分野での指針が文民組織側に点在しているのみである。ま してや安定化ドクトリンなどはどの組織にも存在しない。関連組織は早急に関連分野での ドクトリンを整備し、かつ他省庁、さらには国際機関などとの関係構築をどのように行な うのか、役割分担と原則を明確化する必要がある。

4

今後の課題

日本はこれまで平和構築分野で重要な役割を果たしてきたし、これからもよりいっそう 重要な地位を占める能力があることには疑いの余地はない。しかしながら、現状では、制 度の不都合のため、必ずしも日本の能力が今日の活動全般に役立つようには使われてはい ないということが明らかになった。特に、平和支援あるいは安定化枠組みの不在は、今後 改められるべき点であると考えられる。

以下が日本が平和構築分野で優先的に取り組むべき事項である。

第1に、日本は安定化をも含む状況に要員を派遣する恒久法を採択することを真剣に考慮 することである。現状では、国連

PKO、国際人道支援、選挙支援に参加することはできる

が(国際平和協力法)、これ以外の活動には携わることはできない。恒久法は、PKO参加5原 則や、制約的すぎる武器使用規定を改善する役割も果たすであろう。特に武器使用権限は、

任務の実施が可能となるよう改定すべきである。

第2に、日本は「政府全体の対応」を強化すべきである。特に、安定化の局面に対応する 安定化ユニットと安定化基金の創設を検討すべきであろう。少なくとも、安定化基金のみ でも早急に設置する必要がある。安定化ユニットは活動レベルでの省庁間活動調整を行な う。具体的には外務・防衛・開発(JICA)がその中核の構成員となるが、特に開発援助の非 政治性を保存するために、安定化ユニットは各省庁から独立して、外部に作られるのが適 しているであろう。ただし、安定化にかかわる状況下では、安定化ユニットが各省庁を束 ねる権限をもつ。安定化ユニットは安定化の概念と状況、活動内容を具体的に定義し、安 定化に関連する状況を監視し、計画を策定し、活動を指示する。安定化基金をユニットが 管理することによって、活動を全般的に調整する。また、基金の使用には関連するすべて の省庁の協議と了承が必要というルールを設けるべきである。また、戦略レベルにも、脆 弱国家支援あるいは安定化分野に特化して内閣を補佐する新しい部署が必要である。

第3に、上と関連して、脆弱国家支援枠組みが必要と考えられる。現在まで、通常の開発 援助を通じて脆弱国家に対応してきたが、ガバナンスの歪みや混成型脅威など脆弱国家特

(10)

有の問題への対応についてさらに考慮する必要がある。

最後に、よりアップツーデートなドクトリンが必要である。特に安定化への言及を含む ドクトリンが開発される必要がある。また、政府全体の対応を可能とするため、省庁間で ドクトリンが調整される必要がある。今日の活動により合致したドクトリン、特に、文民 機関については開発援助と安定化の関係、脆弱国家支援の枠組みの導入など、自衛隊にと っては建設、輸送に加え民生支援に関する考察が重要なポイントとなるであろう。長期的 な観点からは、教育のため

PKOトレーニングセンターに要員を派遣するのみでは十分では

なく、海外の社会科学の大学院博士課程レベルのプログラムに積極的に民軍の要員を派遣 し、活動の歴史的・理論的背景について専門知識を深めることも不可欠であろう。

結  語

以上、日本の平和構築への取り組みと課題を検討してきた。上に述べた提言を実施するこ とは、平和構築に対して現在よりもはるかに高いレベルの人材を含む資源の投入を意味する。

そのような変革を加える政治的意思やリーダーシップが日本にはあるだろうか。最終的には、

日本人一人一人が、世界の現状を冷静に判断したうえで、どのような目的をもって日本はそ ういった活動に関与しなければならないのか、真摯な検討を加える必要があろう。

1) 青井千由紀「平和の維持から支援へ―ドクトリンから見た平和支援活動の生成と制度化」、軍 事史学会編『PKOの史的検証』、2007年。

2 UK Ministry of Defence, Military Contribution to Peace Support Operations(JWP 3-50), para. 103.

3) 反乱鎮圧を含む安定化作戦に関する理論的研究として、Chiyuki Aoi, Legitimacy and the Use of Armed Force: Stability Missions in the Post-Cold War Era, London: Routledge, 2010.

4) ここでの理解は、ドクトリンの起草過程で、筆者が英国国防省で行なったインタビューによるも のである。

5 Rupert Smith, The Utility of Force: The Art of War in the Modern World, Penguin, 2006.

6) 青井千由紀「包括的アプローチ―破綻・脆弱国家の安定化と復興の課題」、東京大学科研報告 書『破綻国家の生成と再生をめぐる学際研究』(平成17―20年度)

7 Richard Teuten and Daniel Korski, Preparing for Peace: Britain’s Contribution and Capabilities, RUSI

(Royal United Service Institute)Whitehall Paper 74(2010), Chapter 6.

8 Teuten and Korski, op. cit., pp. 145–146.

あおい・ちゆき 青山学院大学准教授

Referensi

Dokumen terkait

B:「家族」というキーワードに関連した用語についてあ る程度説明をすることができる。また、家族の生活に必要 な衣食住に関することをある程度理解している。そして、 国際比較より家族の多様性を知り、客観的なデータを用い て自分なりの考えを表現することができる。 C:「家族」というキーワードに関連した用語について説 明をすることができる。また、家族の生活に必要な衣食住

1.目的 デイサービスとは、介護を必要としている人に対して昼間の一定時間、専門の福祉施設 で日常生活上のお世話や機能・適応訓練などを受けることとされている。デイサービスに 関する研究はこれまで以下大きく2つの課題が検討されている。一つ目はサービスの利用 効果や質に関するものであり、二つ目はデイサービスの利用に影響する要因の研究である。