はじめに
いずれの社会秩序も、およそ権勢(力)、欲(利害)、規範(理念、道徳、価値)の時代状況 に合わせたほどよい匙加減でできている(山本
2008、2
章)。グローバル化と金融危機がその 配合を大きく揺るがした。「力」は政治学が、「欲」は経済学が、各種の規範論が宗教や文化 を主たる検討対象として専門分化しているとはいえ、危機が長引くとすべてが絡み合い個 別領域で対処できないまま、混乱が深化することが多い。2007年に始まるサブプライム危機は、2007― 10
年に世界の金融機関に306兆円もの損失
を生み(2009年9月30日発表の国際通貨基金〔IMF〕推計)、全世界的な失業、さらに途上国の 食糧難まで引き起こし、危機と言うにふさわしい。ただ「金融危機」の部分は、金融界の すばしこい人々が仮想資産を膨らましては売り抜けた挙げ句、水膨れした資産価値が崩壊 した市場(膨らみすぎた欲)調整であって、調整が終わればいずれ元に復する話であろう。
国際政治にとってもう少し深刻なのは、この「宴の後」の力関係の変化である。国際的な 地位の変動は政治の運営に直結し、国際政治を長く不安定にする可能性がある。
しかしそこからさらに先が見通せなくなるのは、社会混乱が長引き、人が社会(家族、学 校、職場、地域……)から切り離されて規範、価値観(アイデンティティーと言ってもよい)
に揺らぎが生じるときであろう。現代国家は民主主義と福祉を「堤防」として用意するが、
大量の人間が不安、恐怖、不満に駆られて行動することに対する処方まで描けているわけ ではない。そこではしばしば非合理な勢力や言説が容易に跋扈する。
したがって危機後の国際政治の課題は、究極的には危機がめぐりめぐってこうした社会 の最深部に至らないようにすることにある。もちろん今のところそこまで考えるのは杞憂 に近い。しかし今回の危機にはいくつも大きな変化が重なっており、そこまでの見通しを もって考えるほうが慎重であろう。直接の問題は景気の回復である。しかし今回はそこに 第2次大戦後50年も続いた国内/国際経済モデルを再編するという困難な問題が重なってい る。さらに、今やそれを
150― 200年の超長期の世界的な力の分布の変化のなかで考えなけ
ればならなくなったのである。三重苦の国際政治である。1
市場調整と構造変化サブプライム危機は、大規模な市場調整である。資本主義的な市場経済は、資本の信用
創造機能をひとつの基礎として不可避的に投機を含むから、17世紀オランダのチューリッ プ投機以来、ほどほどのところで安定的に持続したことはあまりない。1930年代の大不況 を教訓に景気のマクロ的な管理技術は大いに進歩したが、資本の本質からして完全ではあ
りえない(岩井
1994)
。今回の金融危機も、いずれ来るとわかっているにもかかわらず政策的対応が失敗することを改めてみせつけた事例である(福田
2008;納家 2009)
。国際政治の問題は、この後危機の影響がどのように連鎖するかにあるが、大きくみれば2 つの面が重なっている。ひとつは、危機の深化は不況の長さに等比級数的に比例するから、
現在の景気後退からどのくらいの時間の幅で脱却できるか、そのための政策協調ができる かであろう。この点では、現在の国際社会の対応は
100
年前の大恐慌時とはまったく異なっ ている。アメリカはかつてとは逆に債務国とはいえ、金利を下げ、不良資産の切り離し処 理を促し、不良化の可能性のある債権を買い取り、金融機関に公的資金を注入し、さらに 量的緩和という新手法で資金を市場に供給し続けた。金融が傷み債務が急激に膨らんだア イスランドなど47
ヵ国へは、IMFを通じる融資を、アジア危機に比べても迅速に繰り出し た。IMF融資枠も倍増される。かつては悪名高いスムート = ホーリー(関税)法(1930年)をもって最大貿易国アメリカ が内に閉じこもった貿易分野においても、今回は主要国間(先進
7
ヵ国財務相・中央銀行総裁 会議〔G7〕、20ヵ国・地域〔G20〕金融サミット)で保護主義防止を確認し、世界貿易機関(WTO)がこれを監視する。財政支出によって雇用を創出し、各種給付で需要減退を防止し た。金融市場規制についても、どの程度の合意になるか不明ではあるが報酬制限、大規模 金融機関の監督、自己資本比率見直し、資金洗浄(マネーロンダリング)対策、金融会計の 基準など(2009年
9
月5日、G7共同声明)、国際的な枠組み作りに関心が向いている。もちろ ん景気後退が今秋の「二番底」に続き数年続くとの観測もあるなかでさらに大きな課題は、こうした応急処置から先の新たな体制の構築にあるが、それは後述する。とりあえず危機 における国際協調は、「危機後の国際政治」の最初の特徴のひとつとして挙げておいてよい ことである。
もうひとつの問題は、今後の協調がかつての「大不況の教訓」の周辺にあり、現在台頭 する新興諸国を含まなければならないということである。20世紀末から顕著になっていた 新興国の台頭は、ゴールドマン・サックスの顧客レポート(2003年)が「BRICs(ブラジル、
ロシア、インド、中国)」という略語を当て、とくに中国の国内総生産(GDP)が2027年には アメリカを凌駕する(2050年にはアメリカの倍)と予測したことから、脅威感を伴ってみら れるようになった(みずほ総合研究所
2006)
。そしてこの危機でも、規制が多かった分、中国、インドの金融システムの傷みは軽く、また成熟経済に比べれば財政支出の需要刺激効果も 大きいから(2008年11月の中国の
53兆円もの景気刺激)
、それだけ危機からの脱出は早く、先 進国に対するキャッチアップも加速するであろう。国連貿易開発会議(UNCTAD)は2009年
の投資が先進国で29%減、中国、インドなど途上国で17%増と予測する(2009年9
月17日)。IMFも 2010年の成長率を、アメリカ 1.5%、日本 1.7%、ユーロ圏 0.3%、他方、中国 9.0%、イ
ンド6.4%と推計した
(10月1
日発表)。ここでは、新興国として中国、インド、新興とは言えないが旧ソ連解体後に出直したロ シアを加えた3国を考え、これに先行組のアメリカ、日本を加えた主として
5
ヵ国のユーラ シアを舞台とする国際政治を念頭に置いている。もちろん問題によっては欧州連合(EU)、 韓国、オーストラリア、さらに将来は挑戦国としてイランも加えて検討する必要があるか もしれない。ところでこの超長期の力の移行には、冷戦期に発展した国際政治学の想像力が及ぶかど うか、不安を呼び起こすところがある。例えば19世紀初期のユーラシアには、ロシア、オ スマン、ムガール、カジャール朝ペルシャ、清の多帝国併存の状況があり、とくに中国の 富の世界シェアは1820年には
32.9%を占めたと推計される
(Maddison 2007)。その頃国際政 治の原型をなす欧州の主権国家体制は、まだローカル・システムであった。第2次産業革命(重化学工業化)が、領土・人口を基礎とする世界の国力の分布を突き崩 した。20世紀前半には中国の富の世界シェアは
1913
年8.8%、1950年4.6%にまで縮小する。
ナショナリズムの勃興に支えられた国民国家化とともに、帝国は軒並み解体するか周辺に 追いやられた。それ以来、世界システムの「中心」は、この第
2次産業革命に成功した諸国
に占められ、今日まで大きくは変わっていない。ところが今生じている変化には、国際政 治学が前提としてきたこうした超長期の状況を丸ごと覆すところがある。巨大な国土、人口を擁する国家が工業化を遂げれば、「1人当たりの
GDP
×人口」が急拡 大し、再び大国の地位を窺うのは自然な趨勢であろう。中国もインドも国民国家に再編さ れ当初は社会主義的な工業化を進めたが、1980年代に中国が、1990年代にはインドも、外 国資本の導入による輸出主導の急成長を開始した。今回の危機でもそれは止まらない。国際政治学は、スペイン→オランダ→パクス・ブリタニカ/ウィーン体制→世界大戦→
冷戦/パクス・アメリカーナと繋いで、国際政治を近代化先行組の物語のなかで考えてき た。新興国の台頭が不安を与えるのは、それぞれが地域的文明圏を構成するほどの新興大 国を交えた国際政治がどのようなものになるか、その像がこれまでの見方のなかでうまく 結ばないからでもある。危機は、それが加速した超長期の力の移行がどのような政治・経 済的な枠組みを作れるかという、より大きな課題を突き付けた(田中
2009)
。2
新興国台頭の意味新興国台頭の国際政治上の意義から考えてみたい。これが警戒されるのは、分権的な国 際秩序にとっては急速な「力の分布」の変化が常にアキレス腱のようなものだったからで あり、想像力がドイツ台頭と世界大戦といった記憶に向かうからである。実際、新しい力 の分布については、中・長期的に多極化、関係原理としては慣性的思考として新しい勢力 均衡という見通しが多い。しかしグローバル化した経済状況や新興国の発展段階を考える と、こうした慣性的思考にはいくつもの注釈が必要であろう(Paul 2004; Kang 2007; Overholt
2008)
。第一に、力の移行はザカリアが言うように「その他諸国の台頭」であって、アメリカの 衰退ではない(Zakaria 2008)。新興国のキャッチアップに伴って世界GDPのおよそ20%を占
めるアメリカの優位は相対的に平準化される。しかし重要なのは、GDP規模よりも力の質 であろう。経済では市場管理について新興国との協議は増えるが、後述するように新興国 の経済力がこの相互依存が深まった国際経済のなかで容易に政治的影響力に変換できると は考えられない。また新興国の台頭で不安を感じさせる最大の要因は、意図(戦略)や内容 が著しく不透明なまま、中国、インドで大陸間弾道ミサイルや最新鋭戦闘機、空母などの 調達を含む軍備が急速に拡大していることである(日本国際問題研究所
2009)
。ただこれも、個々の兵器、戦力規模、性能だけで世界的な力関係を計測できるかどうか疑問であろう。
国際秩序を考えるときに問われるのは、むしろ衛星、偵察機、無人機を駆使した監視、
探知、位置確定、通信、指揮・命令、兵器誘導を含む世界的なシステム、その総合的な運 用、管理能力であり、それは同盟国、友好国を組織する外交的連携能力によって支えられ る。これほど多くの同盟国と世界
150ヵ所にも及ぶ基地・事前集積地ネットワーク
(小規模 施設を含み700ヵ所以上、Johnson 2007、p. 139)を維持するアメリカの力は、新興国の追随を 許さないものがある(Kay 2006; Brooks and Wohlforth 2008)。新興国の周辺地域における軍事活 動は間違いなく活発化するが、能力的には依然として地域大国であって、合意を妨害でき るという意味での影響力は拡大しても、アメリカに代わって代替秩序を提示できるわけで はない。国際政治は依然として「ドライヴァー付きのシステム」が続く。第二に、多極化は歴史の類推として19世紀的な勢力均衡システムを連想させる。しかし ここでも重要なのは、大国の数よりはそれら国家間の安全をめぐる戦略的相互依存の密度、
一般的に言えばシステム度(systemness)であろう。この点、多極化の議論には複数大国の併 存という事実状態と、相互の紛争や交渉を通じて生じる相互作用パターンを含む多極シス テムの議論とが入り混じっている。例えば
18― 19
世紀ユーラシアには複数の帝国が併存し ていたが、紛争はあっても全面戦争の可能性は低く、不断の利害調整も必要ではなかった。現在はそこまで「疎」な関係ではない。しかし勢力均衡といってもその性質は多様である。
ここでの均衡は必ずしも「敵対的」とは言えず(Little 2007)、国家の行動動機として「力」
(攻撃的現実主義、Mearsheimer 2001)よりも安全保障の追求を考える防衛的現実主義の見方が 妥当であろう(Glaser 1994/95)。19世紀欧州におけるような連鎖的な均衡行動は考えにくい。
新興国は経済発展に伴って急速に軍備を増強するが、現在のユーラシアの状況は、力が およそ同程度で国境を接する諸国が狭い欧州大陸に押し込められて国力を競った
19
世紀欧 州の勢力均衡システムとは異なる。地域大国間の利害は、違いが大きいから対米同盟の形 成はありえない(上海協力機構〔SCO〕の同床異夢)。主要国の間でも冷戦期米ソのように戦 略兵器の数合わせ(軍備管理)をしないと安定感が得られないという状況ではない(冷戦期 の遺産を引き継ぐ米ロの軍備管理も象徴的な意味合いが大きい)。第三に、他方で経済的には相互依存が急速に深まっている。ただし今のところ新興国の 台頭は既存のシステムへの参入という性格が著しく強い。中国もインドも、アメリカや西 側諸国が作り上げた国際経済体制のなかで1980年代に本格化した金融化、グローバル化を、
外資導入によって自国に引き込むことによって輸出主導的な成長を開始した。中国は
2001
年のWTO加盟によって貿易を格段に増やし、世界最大の貿易額を達成した。ロシアも2009
年のWTO加盟を目指している。今回の危機でも新興国は
G20
を従来のG7
/8に代わる優位 フォーラムとすることを求め、IMFでは出資比率(議決権)の拡大を求め成功した。いずれ も既存秩序内の地位の認知欲求なのである(Yahuda 2005)。さらに言えば、新興国の台頭といっても、GDPは大きくても中国の
1
人当たりのそれは、いまだ
3800
ドル(2009年中国政府発表)と日本の10
分の1
である。先進国市場からの自立(デカップリング)論にもかかわらず市場の懐が浅く、急成長に伴う社会変動(中国では毎年 約1000万人の求職者が発生する)を吸収するために必要な
10%
ほどの成長は、いまだ内需主 導では達成できないであろう。したがって新興国の成長は、依然として開放的な先進国市 場に依存せざるをえない。新興国は台頭する。しかし当面はそれだけ既存の国際体制依存 度も高まる(Deudney and Ikenberry 2009)。以上のように安全保障上の相互依存が比較的「疎」で、経済的相互依存が急速に「密」
になるというのが、グローバル化した政治経済への新興国台頭の特徴である。言うまでも なく新興国の軍事的台頭への対応には抑止体制が、また新興国の周辺で国境や領土がらみ で活発になる軍事行動には危機管理能力の向上が不可欠である。ただ新興国の行動様式に は現状維持的な性格が多々みられ、そこに世界的な覇権争いといった構図を想定するのは 難しい。
3
グローバル化と国内体制先に挙げたもうひとつの問題、危機対処を超えた先に破綻した経済体制に代わるどのよ うな国内/国際経済体制を見出すか、という問題のほうが実ははるかに難題である。同時 にそれは先進国にとってだけでなく、新興国に対して長期的な目標となる持続可能な国内 経済・社会モデルを示し、新興国を国際政治・経済体制に包摂するという課題でもある。
端的に言えば、直面している問題は、グローバル化した経済と安定した国内社会・経済 体制の両立が困難になったという点にある。したがって新しい政治・経済思想の軸は、冷 戦後を席巻し破綻したネオリベラリズムに対して「埋め込まれた自由主義」の再建(「埋め 込まれた自由主義パートⅡ」)、もう少し広くは市場の社会的規律の回復という方向に振れる であろう。国内福祉体制の再構築がその中心に位置する問題であるから、伝統的な表現で は社会民主主義政策と言っても同じかもしれない(Held & McGrew 2007)。これが重要なのは、
福祉の後退や崩壊は冒頭で述べた社会の規範や人間の価値観の動揺を呼び、危機が深部に 至る可能性をもつからである。
しかしこの問題を考えるのは著しく難しい。その一因は理論的でもある。というのは国 内モデルと言ってもグローバル化した経済においては国際体制との何らかの整合性が求め られるのに、国際政治学の国内/国際連関を理解する枠組みはきわめて貧弱だからである。
比較政治学や政治経済論からのいわゆる「逆第
2
イメージ」論研究は多いのであるが(Gourevitch 1986; Rogowski 1989; Andrews 1994; Garret 2000)、ここでは紙幅の都合もあるので、や や大きな視点で国内/国際連関の問題を一般的に検討するにとどめたい。
今日におけるこの問題の難しさは、グローバル化経済が従来の福祉体制の基礎を掘り崩
すという点にある。国内/国際連関をめぐる市場思想の軸には大まかなサイクルがあった。
19世紀末以降の金本位制に基づく国際経済体制は、国内経済に負担を強い、国よっては社
会主義運動の激発をもたらした。大不況期の国内優先、それを延長した広域経済圏思想は、国際体制を崩壊させた。国際/国内体制の両立という意味では、ブレトン・ウッズ体制が 事実上初めて成功したのではないかと思う。それは為替を固定し資本移動も厳格に規制す るように設計された国際体制で、その下で国内のケインズ主義的なマクロ政策(金融、財政)
の自律性を維持し、福祉政策を可能にするものであった(埋め込まれた自由主義、
Ruggie 1996)
。 この福祉体制はいわゆる「フォード主義」を前提とした(山田1994)
。産業的には製造業 を中心とする大量生産/消費体制、雇用形態は企業/工場の長期の男性稼得者の正規雇用、そこでの生産性向上に対応する高い家族賃金、高い組合組織率が基盤であった。ケインズ 主義的な経済管理も需要不足から不況を招かないことを旨として、安定した雇用と賃金、
職域の社会保障と政府による需要喚起・福祉のための財政支出が補完し合う政策体系であ った(Garrett & Lange 1996)。この
20―30年、グローバル化、最終的にはネオリベラルの市場
思想が崩したのは、このような福祉の基盤だったのである。具体的には第一に、産業的には先進国経済は金融・サービスを中心とする高い生産性向 上が期待できない第3次産業へシフトし(雇用拡大と低賃金)、その特徴でもある就労形態の 不規則化、グローバルな競争に伴う雇用形態の柔軟化/多様化が急激に進んだ。非正規雇 用が大きく膨らみ、労働組合は組織率も労使交渉における影響力も低下し、産業、職域ご との一律の社会保障は難しくなった。男性稼得者の家族賃金、保険、年金を中心に形成さ れた家族、職域、地域といったコミュニティーも弛緩する。
第二の難しさは、国際/国内経済をグローバル化以前に引きもどすことができない以上、
分配問題だけで福祉を考えることはできなくなった。福祉の再構築は社会的安定のために 不可欠だが、そのためにはそれを支える持続的な新たな経済成長のエンジンも組み込まな ければならない。福祉は、グローバル経済の下で高コスト体質として忌避されるように、
市場介入は非効率な資源配分と腐敗を生みやすく、高じればかつての社会主義のように停 滞する。どのようなタイプであれ、市場経済にとって成長と福祉への資源配分の両立は難 しいが、グローバル化がさらに困難の度を加えた。
第三に、グローバル化はもちろん一方的に政府を制約するものではないが(Weiss 1998;
Garret 2000; Jones 2000)
、福祉のための政策の幅は狭めた。マンデル = フレミング・モデルによれば、資本移動が自由化されると自律的な金融政策と為替政策にはトレードオフが生じ るから、社会的セーフティー・ネット構築の前提である自律的なマクロ政策は制約される。
先進国の成熟経済では、政府の財政政策による雇用創出(需要喚起)効果も低下する。
こうしてネオリベラリズムからの転換と言っても、とりわけ福祉体制の再構築は雇用、
医療、年金だけではなく、新たな産業の振興や公共事業、地方分権と政府―自治体関係の 再編、インフォーマル/ボランタリー部門と公的部門の連携、コミュニティーの再構築、
それに見合う雇用形態の創出、保育・教育、奨学給付・職業訓練(人的資本開発)までを含 む総合的モデルの設計でなくてはならなくなったのである。それはほとんどグローバル化
時代の新しい社会像を見出す作業に等しいであろう(新川ほか
2004;広井 2006;宮本 2008)
。 国内・国際いずれの政治もしばらくは福祉と市場効率の間で揺れる、明確な軸のみえない 時代に入ると思われる。この点で国際政治学がとくに心しておかなくてはならないのは、福祉政策は誰が国民か を決める問題に近いところにある、ということであろう。福祉は一国主義的で国境で止ま り、貿易では福祉保護主義を、国内では移民労働者の差別(「福祉ショーヴィニズム」)を呼 び起こしやすい。それは国際協調を難しくする問題のひとつと言ってよく、社会民主主義 の国際化という議論は寡聞にして知らないし、歴史的にはそれが広域経済圏思想(時には帝 国主義)と親和的でさえあったことは注意を要することであろう(酒井
2009)
。さらに福祉志向は、今日の課題である新興国の国際社会への適応を難しくする可能性も 孕んでいる。新興国は、経済成長に伴ってそれがもたらす社会変動圧力(格差是正、雇用圧 力、政治参加要求)の緩和や権力の正統性確保を、いよいよ自転車操業的に成長によって担 保せざるをえない時期を迎える。台頭期の国家は国内政治的には脆い時期を迎えているの であり、成長と福祉への資源配分はきわめて機微な問題なのである。アメリカは2009年9月、
世界がアメリカの消費に依存する不均衡の是正を求めたが、新興国が輸出主導の成長を続 け、先進国に社会的ダンピングや労働基準などを盾に取る福祉保護主義が広がる、1980年 代のような貿易紛争の構図が再現されれば、新興国との協調はしばらくは頓挫せざるをえ ないであろう。
ネオリベラル市場思想の修正が、グローバル化と一国主義的福祉の均衡を求めて漂流す るならば、危機後の国際政治はその時期の国際協調維持に特別の注意を払わなくてはなら ないということなのである。
4
国際協調とアジェンダ以上の検討を踏まえて、危機後の国際政治がどのように運営されるか若干の付言をした い。力の分布が大きく変わり、グローバル化に伴って新しい課題が次々に出来する過渡期 には、大国間の明確な枠組みやフォーマルな制度が形成される可能性は高くない。新興国 も含む主要国間の利害関心は違いが大きいから、問題ごと、地域別の多様な枠組みを柔軟 に使い分ける焦点の定まらない国際政治が続くであろう。それは大国の力の競争ではある が、それ以上に誰が大国かをフォーマルには決めない、相互主義的な「大国の地位承認」
政治(1990年代から続く「戦略的パートナーシップ」外交の延長)といった性格をもっている。
したがって国際政治の望ましいありようは、重要問題にかかわる決定からいずれの主要国 も排除しない緩やかな協調(コンサート)となろう。
コンサートの主要な課題は先に挙げた2つである。ひとつは新興国を既存の国際制度のな かに平和的に包摂することであり、その過程はすでに始まった。例えば2008年
11
月に招集された
G20は、2009
年9月の第 3回会合で経済問題の最重要フォーラムとの位置づけを与え
られた。もちろんこの緊急の枠組みがそのまま定着するか、別の枠組み(G2〔米中〕、G4
〔米、中、日、EU〕)が発展するかはまだわからない。参加国間の利害の違い、政治・経済体
制と価値観の違い、何より
20ヵ国もの多数で実質的、実効的な決定ができるかどうか、が
不透明だからである。しかし長期的に新興国が大きな役割を果たすようになることは間違いなく、環境問題に おけるG13(主要
8
ヵ国〔G8〕、中国、インド、メキシコ、ブラジル、南アフリカ)や地域ごと に叢生する多様な枠組みを通じて、新興国にはできるだけ早期かつ円滑な既存制度への参 入を促すべきであろう。主要国が直面するいわゆるグローバル・イシューの解決には新た な規範の形成、浸透が不可欠であり、それは諸制度のなかで新興国に積極的に役割を振り、責任を課すことによる以外、達成できないからである。
もうひとつの課題は、各国が危機後、基本的に内向きになりがちな経済・社会モデルの 模索期に入るとすれば、その時期の国際的な攪乱要因の芽はできるだけ摘まなくてはなら ないということである。先に触れたように新興国を含む主要国の間では、基本的な抑止や 危機管理の能力を維持すれば、戦争まで想定する伝統的な安全保障問題は当面顕著とは言 えない。しかし冷戦後、安全保障問題は「国際警察活動」(核不拡散、武器密輸・麻薬・テ ロ・海賊取り締まりなど)と、いわゆる「人道レジーム」形成(破綻国家と平和構築、内戦に おける大量殺害や難民・避難民への対応、対人地雷・クラスター弾禁止、国際刑事裁判など)の 領域に急速に拡大した。こうした新しい安全保障領域では主要国の間で共通関心事をいく つも見出すことができるが、コンサートの発展につながるという意味ではとりわけ核不拡 散とテロ対策の2つが重要議題であろう。
経済発展に伴う電力需要の増大と環境問題への対応から、今後ユーラシアでは原子力平 和利用の上流(ウラン開発、燃料生成)、原子炉建設・運転、下流(使用済み燃料の再処理や廃 棄物処理)のいずれにおいても活動が著しく活発化する。その裏面の問題が核拡散である。
冷戦後の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、イランの例からみてもウラン濃縮や使用済み燃 料再処理を個別国家の管理下に置く限り、核不拡散条約(NPT)を中心とする現在の体制は 拡散防止の負担に耐えられなくなる可能性が高い。当面の拡散懸念国との交渉や制裁の組 織化調整、あるいは長期的には、アメリカ、ロシア、フランス、国際原子力機関(IAEA)
などから多くの提案が示された国際「核燃料バンク構想」の地域的制度の詰めを行なうの は、いずれの枠組みでの議題としても重要である。包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准 促進、米ロ軍備管理交渉、中央アジア非核地帯の強化など関連議題が多いこともコンサー トの発展に資するであろう。
テロ対策は、少数民族との武力紛争を抱える中国やロシアにとってはきわめて機微な問 題であり、この問題での協調が容易だということではない。しかし中国、ロシア、インド いずれにとっても、民族対立に国際テロリストが浸透することは大きな脅威であり、さら にはその温床とも言うべきアフガニスタンやパキスタンの破綻は決して望ましいことでは ないであろう。さらにテロリストへの大量破壊兵器の流出は最大の脅威である。したがっ て実行は各国に任されるにしても、情報交換や司法的・警察的協力をめぐる協議は可能で あり、国際的な攪乱要因の管理としては最も緊急性の高い議題と考えられる。
国際社会は金融、環境から核拡散、破綻国家まで協力すべき多様な問題を抱えている。
危機後の国際政治の問題解決能力を高めるためには、新興国を含むコンサートの発展と国 内体制モデルの模索のための安定した環境を維持するという観点から、アジェンダを選択 することがとりわけ重要になったのである。
おわりに
経済危機は、直接国際政治危機に結び付くわけではない。しかしかつて大恐慌から
10年
で世界大戦に至ったという事実も忘れることはできない。その間に政治的な打開の機会は 多かったが、経済危機がとりわけ国内社会・政治と悪循環を生じると外交的選択肢は急速 に狭くなった。国際危機はむしろ国内で増幅された。今回の危機後の国際政治は、やや大げさに言えばしばらく三重苦のなかにある。危機対 応で内向きになる国家間の協調維持、グローバル化の下での国内社会・経済モデルの模索、
新興国台頭への適応、これらはいずれも時間のかかる厄介な問題であり、グローバル化が さらに厄介にする。グローバル化により世界経済は統合されたが、この間
1980年代以降の
世界は同時に民族紛争、宗教対立、移民差別など人間のアイデンティティーにかかわる政 治の先鋭化も経験した。グローバル化によって緊張を高める国内社会が新しい持続可能な モデルを見出せるかどうかは、したがって国際政治にとっても最も重要な課題となったの である。それが見出せないとき、しばしば危機突破を呼号する専制的な体制が現われる。専制体制の国際的連繋というR・ケーガンの最悪シナリオは、すでに述べたところからも 可能性が高いとは言えない(Kagan 2008; Deudney and Ikenberry 2009)。しかし分権的な国際社会 で解決できるかどうかわからない根本的な困難を
3つまでも抱えた危機後の国際政治が、そ
の問題処理能力を過信することは許されないであろう。とりわけこれまで十分に注意を払 ってこなかった国際政治・経済が国内社会に緊張を強い、時に体制を動揺させるという問 題は、国際政治の問題と言えるかどうかわからないが、国際政治にとって十分に深刻であ る。それが専制体制への芽を孕むなら、国際政治はそれを丹念に摘み取るように運営しな ければならなくなったように思う。■参考文献
岩井克人(1994)『資本主義を語る』、講談社。
酒井哲也(2009)「社会民主主義は国境を超えるか?」『思想』第1020号(4月)。 新川敏光ほか(2004)『比較政治経済学』、有斐閣。
田中明彦(2009)『ポスト・クライシスの世界―新多極時代を動かすパワー原理』、日本経済新聞社。
納家政嗣(2009)「『ポスト冷戦』の終わり」『アステイオン』第70号。
日本国際問題研究所(2009)『中国軍事力白書2009年版について』、日本国際問題研究所。
広井良典 (2006)『持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想』、筑摩書房。
福田慎一(2008)「金融・資本市場の混乱と世界経済の動揺」『国際問題』第571号(5月)。 みずほ総合研究所(2006)『BRICs―持続的成長の可能性と課題』、東洋経済新報社。
宮本太郎(2008)『福祉政治―日本の生活保障とデモクラシー』、有斐閣。
山田鋭夫(1994)『20世紀資本主義―レギュラシオンで読む』、有斐閣。
山本吉宣(2008)『国際レジームとガバナンス』、有斐閣。
Andrews, David(1994)“Capital Mobility and State Autonomy,” International Studies Quarterly, Vol. 38.
Brooks, Stephen G. and William C. Wohlforth(2008)World Out of Balance, Princeton University Press.
Deudney, Daniel and G. John Ikenberry(2009)“The Myth of the Autocratic Revival,” Foreign Affairs, Vol. 88, No.
1, Jan./Feb.
Glaser, Charles(1994/95)“Realist as Optimist,” International Security, Vol. 19, No. 3.
Garrett, G and P. Lange(1996)“Internationalization, Institutions and Political Change,” R. O. Keohane and H. V.
Milner, eds., Internationalization and Domestic Politics, Cambridge University Press.
Garrett, Geoffrey(2000)“Globalization and National Autonomy,” Ngaire Woods, ed., The Political Economy of Globalization, Macmillan Press.
Gourevitch, Peter(1986)Politics in Hard Times: Comparative Responses to International Economic Crisis, Cornell University Press.
Held, David and Anthony McGrew(2007)Globalization / Anti-Globalization(2nd ed.), Polity.
Jones, R. J. Barry(2000)The World Turned Upside Down?Manchester University Press.
Johnson, Chalmers(2007)Nemesis: The Last Days of the American Republic, Holt Paperbacks.
Kagan, Robert(2008)The Return of History and the End of Dreams, A. A. Knopf.
Kang, David C.(2007)China Rising: Peace, Power and Order in East Asia, Columbia University Press.
Kay, Sean(2006)Global Security in the Twenty-First Century, Roman and Littlefield.
Little, Richard(2007)The Balance of Power in International Relations, Cambridge University Press.
Maddison, Angus(2007)Contours of the World Economy, 1–2030 AD, Oxford University Press.
Mearsheimer, John J.(2001)The Tragedy of Great Power Politics, W. W. Norton.
Milner, Helen V.(1988)Resisting Protectionism, Princeton University Press.
Overholt, William H.(2008)Asia, America and the Transformation of Geopolitics, Cambridge University Press(The RAND).
Paul, T. V., et. al.(2004)Balance of Power: Theory and Practice in the 21st Century, Stanford University Press.
Ruggie, John Gerald(1996)Winning the Peace: American and the World Order in the New Era, Columbia University Press.
Rogowski, Ronald(1989)Commerce and Coalitions: How Trade Affects Domestic Political Alignment, Princeton University Press.
Weiss, Linda(1998)The Myth of the Powerless State, Cornell University Press.
Yahuda, Michael(2005)“The Evolving Asian Order: The Accommodation of Rising Chinese Power,” David Shambaugh, ed., Power Shift: China and The Asia’s New Dynamics, University of California Press.
Zakaria, Fareed(2008)The Post-American World, W. W. Norton.
なや・まさつぐ 青山学院大学教授