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はじめに 近年、対外的な政策議論が行き詰まったり

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はじめに

近年、対外的な政策議論が行き詰まったり、閉塞感が強く感じられたりすると、決まり 文句のように繰り返されるのが「日本にもシンクタンクを」という掛け声だ。本誌本号が 明らかにしているように、一言にシンクタンクと言っても、各国ごとにその在り方は多種 多様である(1)。しかし、「日本にも本格的なシンクタンクの設立を」ということが唱えられ る場合、たいていモデルとして想定されているのは、米国のシンクタンクである場合が多 いように思われる。2010年には設立

50

周年を迎える本誌の発行元である日本国際問題研究 所も、その設立趣意書には、イギリスの王立国際問題研究所(Royal Institute of International

Affairs)

とならんで、米国の外交問題評議会(Council on Foreign Relations)に範をとって「一大

中央研究施設」を設立すると記載されている(2)

しかし、一言に米国型のシンクタンクと言っても、その在り方は国際的な多様性を凌駕 するほどに多様性に富んでいる。日本に導入される際の雛型として米国型のシンクタンク への言及がなされる場合、米国におけるこの多様性が十分に認識されていない場合も多々 みられる。また、近年はG・

W・ブッシュ政権下において展開されたイラク戦争をめぐる

政策的な議論において、新アメリカの世紀プロジェクト(Project for New American Century)

[1997年設立]やアメリカン・エンタープライズ研究所(American Enterprise Institute for Public

Policy Research)

[1943年設立]をはじめとする新保守主義(ネオ・コンサバティブ)系とされ

るシンクタンクが果たした役割が時に過大評価され、「シンクタンクがわからなければ米国 政治の実態がわからない」という俗論を拡張した「シンクタンク決定論」、場合によっては

「シンクタンク陰謀論」めいた議論さえ聞かれる。

ワシントン

DC

では連日数多くのシンクタンクが多種多様なイベントを開催し、「シンク タンカー」たちが、大学の教員がしばしばみせることができない機動性をもって、日々生 起する諸問題を解説・分析する姿がメディアに頻繁に登場する。シンクタンクで開催され るイベントの多くは公開されており、活発な議論が繰り広げられる。政策提言の類いも連 日のように発表され、シンクタンク業界は一大政策産業の様相を呈している。これらをも って政策市場が活気づいていることの証左とみなすことはもちろん可能だろう。しかし、

連日そのような場に出入りしていると、意外とそこに来ているメンバーは固定していたり、

現実に第一線で仕事をしていたりする人は不在であったりという実態もみえてくる。また、

(2)

政策提言も、新しいニュースを絶えず追い求めるメディアに消費され、その多くが瞬く間 に忘れ去られていく。このような実態を前にすると、シンクタンクの活動がどこまで政策 的な議論と直結しているかということは容易には評価しにくい。むしろ、シンクタンクの 政策コミュニティーにおける役割は、シンクタンクが看板を掲げて実施している活動だけ ではなく、人的なネットワークの形成などの可視化されにくい、政策コミュニティーのイ ンフラ整備であったりする場合が多いという実態がみえてくる。秘匿性が他の諸領域と比 べても高い安全保障問題や外交問題については、とりわけその傾向が強いと言えるかもし れない。

本稿は、米国のシンクタンクを、当事者が語る「あるべき姿」から捉えるのではなく、

その実態や活動に即して捉え、その制約も踏まえつつ、日本における外交・安全保障シン クタンクの在り方を考えていく際の一助としたい。

1

米国におけるシンクタンクの多様性―外交・安全保障シンクタンクの場合

米国におけるシンクタンクは、その規模、資金源、スタッフの構成、イデオロギー的立 場、活動形態、専門領域、そしてそもそもの活動目的に至るまで限りなく多様であり、ひ とつとして同じ形態の組織はないと言っても過言ではない。それをあえて類型化する場合、

活動の種類に即した分類が最も一般的である(3)

第一類型はブルッキングス研究所(Brookings Institution)[1927年設立]型であり、これはし ばしば「学生不在の大学」型とも呼ばれる。この型は、党派政治とは無関係の公共善に寄 与する政策研究が可能であるとの前提に立っている。このモデルは、政府の積極的な役割 に関する合意(ニューディール・コンセンサス)の上に成立し、価値中立的な政策知を提供す ることが可能であるとするモデルであった。しかし、ニューディール・コンセンサスが崩 れていくとともに、第一類型のシンクタンクのなかにも第三類型の「アドボカシー・タン ク」型(後段参照)の特質を身につけていくシンクタンクがでてくる。第一類型の典型であ るブルッキングス研究所は、今日、「学生不在の大学」型の特質を維持しつつも、研究活動 の「劇場化」という趨勢には抵抗できないでいる。ただし、その一方で、研究重視という 姿勢の象徴として、大学出版部にひけをとらない質の出版部を依然として維持もしている。

第二類型はランド研究所(Rand Corporation)[1948年設立]型で、連邦政府の援助を受ける 研究所(Federally Funded Research Institutions)である。東西冷戦の最中、この型は主として政府、

とりわけ軍からの大口の委託研究によって運営され、イデオロギー対立の時代にあって、

委託された研究プロジェクトにイデオロギー色を排して合理的に取り組む専門家集団と位 置づけられた。この型は「委託契約(コントラクト)」型とも呼ばれる。第二類型の特質とし ては、なによりも組織の規模が大きいこと、また研究プロジェクト自体の規模が大きいこ となどが挙げられる。ランド研究所はいまなお全米最大規模のシンクタンクである。ただ 第三類型台頭の時代にあっても党派性を露わにすることはあまりないので、規模のわりに 露出度は低く、淡々と仕事をこなしているとの印象が強い。

第三類型はヘリテージ財団(Heritage Foundation)[1973年設立]型である。それは上述した

(3)

ように「アドボカシー・タンク」型とも呼ばれる(4)。この型のシンクタンクは政策的役割と いうよりも、むしろ政治的役割を自覚的に引き受けていると考えたほうがいい。ヘリテー ジ財団は、1970年代初頭、保守主義運動の戦略的拠点となるべく設立された。特定の候補 者や政党を支持することは税制上制約があるものの、イデオロギー的立ち位置は常に鮮明 に打ち出してきた。その目的は、第一類型のように価値中立的な公共善の追求ではなく、

保守イデオロギーの浸透にあった。1970年代前半にはニューディール・コンセンサスが崩 れはじめ、その空白を埋めるべく保守イデオロギーが力をもち始めると、イデオロギー色 の濃い党派的な政治対立が米国の政治文化を規定し始めるようになる(5)。このような傾向に 適合し、それをさらに加速させたのがヘリテージ財団をはじめとする第三類型のシンクタ ンクであった。当初、第三類型のシンクタンクは、ニューディール・コンセンサスの外部 からニューディール連合に挑戦する立場にあったため、その多くが保守系であった。しか し、近年はリベラル派のヘリテージ財団に相当するアメリカ進歩センター(Center for American

Progress)

[2003年設立]のようなシンクタンクも設立されている(6)。また知名度はまだまだ低

いが、党派政治の行き過ぎを是正すべく設置された超党派政策センター(Bipartisan Policy

Center)

[2007年設立]のような新しいタイプのアドボカシー・タンクも設置されている。超

党派を訴えることが、アドボカシーたりうるということは、過剰な党派政治が常態になっ てしまったということだろう。第一類型のシンクタンクの多くは、イデオロギー的党派性 をそのまま受容するということはないにせよ、とりわけ活動の手法の面で第三類型をモデ ルにして、影響力を維持しようとしている。第三類型の機能上の特色は、なによりも情報 発信、メディア戦略に長けていることだろう。

なお、上記3類型はいずれも理念型であり、現実には多くのシンクタンクが

3類型のハイ

ブリッドであることは言うまでもない。

以上、三つの類型を外交・安全保障シンクタンクに当てはめ、資金源や活動形態にも着 目しつつ、いくつかのサブカテゴリーを追加して、整理を試みるとどうなるか。紙幅の制 約もあり、外交・安全保障シンクタンクをすべて網羅することはできないが、そもそも政 策コミュニティーで発言力を有する外交・安全保障シンクタンクは、内政・経済問題を扱 うシンクタンクや地域社会をベースにしたローカル・シンクタンクほどには数は多くない。

また、後者の場合、しばしば研究部門をもつ利益団体や業界団体のステルス団体である場 合もあり、シンクタンクとその他の団体との間の境界線を引くのが難しい場合がある。し かし、外交・安全保障シンクタンクの場合、特定産業との関係が深いごく一部の例外を除 いて、その活動をみれば外交・安全保障シンクタンクであるということを比較的容易に特 定することができる。ただし、外交・安全保障問題を扱うシンクタンクがすべて、それに 特化しているわけではない。なかには、あらゆる分野の問題を扱う総合シンクタンクが、

問題群の一つとして外交・安全保障問題を扱っている場合もある。これは、米国に特有の 事例で、他の国ではあまりみることができないパターンだろう。また、日本でもよく知られ ている大手シンクタンクは総合シンクタンクが多いが、総合シンクタンクは全体としては 必ずしも多くはない。むしろ、外交なら外交、内政なら内政に特化したもののほうが多い。

(4)

興味深いのは、総合シンクタンクの多くはイデオロギー色が強く、外交・安全保障政策、

内政・経済政策を共に貫く共通の思想的基盤の上に立脚していることである。もう一歩踏 み込んで言えば、ある特定の問題を解決しようという個別の政策的関心ではなく、ある特 定の統一した世界観に拠って立っているからこそ、総合シンクタンクたりうるということ だろう。このような総合シンクタンクの例としては、保守系のヘリテージ財団、アメリカ ン・エンタープライズ研究所、そしてリバタリアン系のケイトー研究所(Cato Institute)[1977 年設立]などがある。中道左派系の総合シンクタンクとしては、ブルッキングス研究所があ るが、保守系ほど党派的な統一感がないのが実情である。

総合シンクタンクの多くは、予算規模も大きく、基本財産(endowment)が安定している ため、時代の雰囲気や短期的な政策的ニーズに応えることばかりに気をとられる必要がな い。ヘリテージ財団の場合は、保守主義の原則に則った活動に共鳴する個人からの寄付金 に依存している部分が大きいため、構造的に党派的たらざるをえないという面がある。ま た資金獲得という点から言うと、いまや少なくない数の財団が、「党派的寄付行為」とも呼 ばれる寄付活動を行なっていると言われる。そこには「リベラル派の牙城」とも言われる 大学ではポストを得にくい保守系の知識人を、シンクタンクを拠点にして養成していこう という意図も作用している。これらの財団は、大規模財団ではなく、中規模の財団である ことが多いが、保守系の総合シンクタンクにとって安定した財源になっているケースが多 い(7)

このほかはほとんどが外交・安全保障問題に特化したシンクタンクである。なかでも外 交問題評議会[1921年設立]、戦略国際問題研究所(Center for Strategic and International Studies)

[1962年設立]、カーネギー国際平和財団(Carnegie Endowment for International Peace)[1910年設立]、 米国平和研究所(United States Institute of Peace)[1986年設立]などが存在感の点で際立ってい る。いずれもオフィスをワシントンに構え(外交問題評議会の場合、ニューヨークを本部とし、

ワシントンにはワシントン・オフィスがある)、党派色はあまり強くない。また外交問題評議 会、戦略国際問題研究所、カーネギー国際平和財団は、それぞれ『フォーリン・アフェア ーズ(Foreign Affairs)』誌、『ワシントン・クォータリー(Washington Quarterly)』誌、『フォー リン・ポリシー(Foreign Policy)』誌を刊行しており、これらの刊行物はどれも、それぞれ専 門家を中心に高い評価を得ている。これらのシンクタンクは、三つの類型のなかでは、第 一類型に近い。しかし、外交問題評議会と米国平和研究所は、機械的な類型化には適さな い特殊なケースとみなしたほうがよい。

「〔党派〕政治は水際で終了する(politics stops at the water’s edge)」というアーサー・バンデン バーグ上院議員(共和党)の有名な言葉があるが、外交・安全保障政策における超党派性を 体現してきたのが外交問題評議会であると言える(8)。冷戦中、現実には、朝鮮戦争、そして 続くベトナム戦争をめぐって、党派的な対立が深刻化していくものの、米ソ対立という大 状況のなかで米国が果たすべき役割については、党派を超えた合意が存在すべきであると いう了解事項が存在していた。外交問題評議会の基本思想には、「賢人による外交」という 発想があり、外交エスタブリッシュメントのクラブといった色彩が強い点で他のシンクタ

(5)

ンクとは際立った違いをみせている。研究員のメディアへの露出度が高まったり、一般の 有識者向けにウェブの充実を図ったりと、シンクタンクの「公共性」を高めようとはして いるが、いまだに会員主体の閉じられたシンクタンクであるという点で他に類をみない。

しかし、次節でもみるように、そのタスクフォース型の研究・提言作成プロジェクトの質 は名高い。

米国平和研究所は、なによりも連邦議会によって設置された外交・安全保障シンクタン クという点で際立っており、自ら「ナショナル・インスティテューション」と銘打ってい る。一見すると第二類型のようだが、予算的措置は米国平和研究所の設置が定められた法 案(The United States Institute of Peace Act, 1984)で確保されており、政府からの大口の委託研究 に頼るランド研究所とは異なる。それは、ヘリテージ財団をはじめとする第三類型のシン クタンクとはまったく逆に、いわば構造的に党派性を排する研究を行なうように条件づけ られていると言える。そのことをなによりも象徴したのが、近年、超党派的な外交・安全 保障プロジェクトのなかでもおそらく最も大きなインパクトを有したイラク研究グループ

(Iraq Study Group)の事務局を務めたことだ。政治の季節になるともっぱら党派的なシンクタ ンクが目立ってしまうが、安定した政策的議論を進めていくうえで、「無党派性(nonpartisan)」 は単に「無色透明」であるということではなく、積極的な役割も果たしうるということを 実証したケースと言えよう。本ケースについても、次節で若干詳しく言及する。

外交・安全保障問題に特化したシンクタンクでも、中小規模のシンクタンクになってい くと党派色を露骨に示すものや、ある特定の政策目標を掲げるシンクタンクもでてくる。

例えば安全保障政策センター(Center for Security Policy)[1988年設立]、新アメリカの世紀プロ ジェクト、ハイ・フロンティア(High Frontier)[1981年設立]などがその例であろう。安全保 障政策センターはレーガン流の「力の外交」を標榜し、多国間協調や融和的な外交路線を 一貫して批判する保守強硬路線のシンクタンクである。1997年、後に

G・ W

・ブッシュ政 権に入ることになる複数のタカ派の安全保障専門家によって設立された新アメリカの世紀 プロジェクトは、ネオコンの拠点とされ、政権の外からイラク戦争を積極果敢に支持した。

現在は、その目的を終了し、事実上アメリカン・エンタープライズ研究所に吸収されたか たちになっている。これはその名が示すとおり、プロジェクト型のシンクタンクの典型で あろう。ハイ・フロンティアは、弾道弾迎撃ミサイルの導入を一貫して提唱してきた。1981 年に設立され、1983年に発表されたレーガン政権の戦略防衛構想(Strategic Defense Initiative)

の下地を策定したことでも有名だ。ハイ・フロンティアはヘリテージ財団と連動し、活動 を行なっていた。これらは言うまでもなく第三類型の典型だが、新アメリカの世紀プロジ ェクトがアメリカン・エンタープライズ研究所と、ハイ・フロンティアがヘリテージ財団 と連動していたことからも明らかなように、党派的な政治文化のなかで、知的尖兵のよう な役割を担っていたとみなすことができる。

以上はいずれも保守系のシンクタンクだが、そうでないものもある。2007年に設立され た新アメリカ安全保障センター(Center for New American Security)がそれだ。これはもっぱら

2008

年大統領選挙に向けて、「安全保障に強い民主党」というイメージを再構築することを

(6)

課題に設置されたと周囲から理解された。2009年に民主党政権が誕生し、同センターの主 要スタッフが政権入りした場合、いまのままの活動を維持できるとは考えにくい。他方、

一部、共和党の穏健派を取り込んでいるので、今後「ホールディング・タンク」(政権から 出た人を迎え入れるシンクタンク)的な機能をもつようになる可能性はあるだろう。

第二類型の外交・安全保障シンクタンクは、ランド研究所以降、同規模のものは設置さ れていない。しかし、海軍分析センター(Center for Naval Analyses)や国防分析研究所(Institute

for Defense Analyses)

、あるいは国防情報センター(Center for Defense Information)など、同類型の ものは地味ながら活動している。また最近になって、「新しい非対称戦争」に対処すべく、ラ ンド研究所型のシンクタンクが必要であるとの意見が表明されるようになっている。いま はまだ明確な輪郭はみえてこないが、それは「ミネルヴァ・コンソーシア」(Minerva Consortia)

と呼ばれているようだ(9)

2

米国における外交・安全保障シンクタンクの活動の多様性

前節では米国におけるシンクタンクの多様性を、活動の種類に即した分類に基づき論じ た。本節ではこのようなシンクタンクがいかにして政策論議にインパクトを与えるのかに ついて、研究プロジェクトを立ち上げるまでのプロセスに主に着目しつつ検証する。

シンクタンクが何らかの政策問題に関してプロジェクトを立ち上げる際には、いくつか のアプローチがある。最も基本的なアプローチは、資金助成を助成金拠出財団(grant making

foundation)

に求める方法である。米国ではマッカーサー財団(MacArthur Foundation)、フォー

ド財団(Ford Foundation)、フリーマン財団(Freeman Foundation)、スター財団(Starr Foundation)、 スミス・リチャードソン財団(Smith Richardson Foundation)、カーネギー・コーポレーション

(Carnegie Corporation)など、シンクタンクの研究活動に対して助成金を拠出している財団が 多く存在する。これらの財団の多くが公共政策論議の活性化を奨励する目的でシンクタン クや大学の研究者に助成金を提供している(10)。外交・安全保障政策のどの分野に重点をおい て助成活動を行なうかは、各財団によって異なり、シンクタンクの研究者は自らプロジェ クトを企画し、各自の専門分野に重点的に助成を行なう財団を探して、そこに助成金を申 請する(11)

また、政府の政策が行き詰まったときに客観的な考察や政策のたたき台になるようなア イデアを政府に提出するために、すでに政府高官ポストを何度も務め、外交・安全保障分 野で「賢人」的立場に立つ個人が座長となり、連邦議会や政府の求めに応じてプロジェク トを立ち上げる場合もある。最も最近の例では、2006年12月に最終報告書を発表したイラ ク研究グループがこれにあたる。このグループは連邦議会の主要議員からの強い要請に応 じ、「イラク情勢の現状および今後の見通し、右が近隣地域や米国の国益に与える影響に関 して超党派かつ未来志向の評価を行なう」ことを目的に

2006年 3

月に発足し、同年

12

月に 最終報告書を発表した(12)

このスタディ・グループは、ジョセフ・バイデン上院議員(民主党)によれば、議会が設 置した委員会でも行政府のスタディ・グループでもなく、独立したスタディ・グループで

(7)

あった(13)。米国平和研究所、戦略国際問題研究所、大統領学研究センター(Center for the

Study of the Presidency)

およびライス大学のジェームズ・ベーカー

3

世公共政策センター

(James Baker III Institute for Public Policy)がスタディ・グループを共催したが、実際のスタデ ィ・グループの運営(スタディ・グループの下で個別問題を議論する四つの専門家会合の開催、

報告書の発行など)は、先にも述べたように米国平和研究所が事務局として一括して担当し た。さらに、「独立」「超党派」の枠組みを維持するために、ジェームズ・ベーカー元国務長 官とリー・ハミルトン元下院国際関係委員長が同グループの共同座長を務め、その他のス タディ・グループ委員も民主党系と共和党系の人数が同数になるように注意が払われた。

専門家会合の人選も、共同座長が議会の民主、共和両党の主要議員と検討を重ねながら党 派色が強くない専門家の間から行なわれている。例えば、ブッシュ(父)政権下でベーカー 氏の後任の国務長官となったローレンス・イーグルバーガー氏は共和党側のスタディ・グ ループ参加メンバーであるし、日本では朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)問題における特 使としての活躍で知られるウイリアム・ペリー元国防長官は、民主党側からの参加メンバ ーである。

行政府や議会の要請に応じてこのような政策研究プロジェクトが立ち上げられる場合に は、プロジェクトの運営が議会や行政府とは切り離され、独立して行なわれている場合で も、予算は国庫から歳出されることが多い。イラク研究グループも例外ではなく、事務局 となった米国平和研究所に対して連邦議会は

100

万ドルの予算支出を認めている。この予算 は、スタディ・グループの事務局として米国平和研究所が活動するための経費に充てられ、

スタディ・グループのメンバーは、グループの会合に無報酬で参加している。

シンクタンクが自らのイニシアチブで始めた研究が、国際安全保障環境の変化に伴い、

急に注目を集め、政府からの助成金を受けるに至る場合もある。戦略国際問題研究所は、

ポスト

9・ 11

の戦略環境に適応するためには米軍の統合を規定したゴールドウォーター― ニ コルズ法の範囲を超えて国防省の組織改編・改革を追求する必要があるとして、かかる可 能性を模索するため、2003年

11

月に「ゴールドウォーター ― ニコルズを超えて(Beyond

Goldwater-Nichols〔通称BG-N〕

)」という研究プロジェクトを立ち上げた。この研究の第1段階

は、スミス・リチャードソン財団からの助成金によりスタートしたが、研究の対象の範囲 が国防省の組織改編から、国防省に主眼をおきつつも行政府の国家安全保障機構全体の改 編へと広がった第

2段階以降は、各年度の国防省歳出法案のなかに研究のための予算が盛り

込まれるようになった。

現在、このプロジェクトは第3段階を経て、第

4

段階に入っている。そのテーマも第

1段

段階では「国防省の組織改編・改革」、第

2

段階では「米行政府の国家安全保障政策コミュ ニティーのあり方」、第

3

段階では「予備役および州軍の改革」と「国防省による調達のあ り方検討」と、各段階ともに

1― 2

項目に絞られていたが、現在進行中の第

4

段階では、①

21世紀の国防政策の優先課題、②国防省の運営、③核戦略のあり方、④国内緊急事態時の

対応、と広がりをみせてきている。助成金も、第1―3段階までは国防省予算からのみ提供 されていたが、第4段階では国土安全保障省からも提供されている。

(8)

さらに、シンクタンクが自らのイニシアチブで、政策提言を行なうことを目的にタスクフ ォース型のプロジェクトを立ち上げるケースもある。日本に馴染みのある問題領域では、外 交問題評議会が事務局となって運営する「朝鮮半島に関する独立タスクフォース(Independent

Task Force on Korean Peninsula)

」がその例である。モートン・アブラモウィッツ元情報調査担

当国務次官補(元駐タイ大使)とジェームズ・レーニー元駐韓国大使が共同座長を務めるこ のタスクフォースは

1997年以降継続的に開催されており、現在に至るまで1998年、2001年、

および2003年の

3度にわたり報告書を発表している。

タスクフォースの事務局長は、その時々の北東アジア安全保障担当主任研究員で、マイ ケル・グリーン前国家安全保障会議(NSC)上級アジア部長(1998年報告書)、ロバート・マ ニング元国務省アジア政策アドバイザー(2001年報告書)とそうそうたる顔ぶれが並んでお り、2003年報告書の取りまとめを行なったのは若手アジア安全保障専門家のエリック・ヘ ーギンボーサム現ランド研究所主任研究員であった。タスクフォース参加者もその時々に 応じて入れ替わりはあるが、リチャード・アーミテージ元国務副長官、ロバート・ガルー チ元不拡散担当無任所大使、ポール・ウォルフォウィッツ元国防副長官、ドナルド・グレ ッグ元駐韓大使、ビクター・チャ前NSCアジア部長、ウインストン・ロード元東アジア太 平洋担当国務次官補、スティーブン・ボズワース元駐韓国大使、フランク・ジャヌージ上 院外交委員会スタッフ、ウエンディ・シャーマン元国務省顧問など、新旧世代の朝鮮半 島・東アジア情勢専門家が名を連ねている。

このタスクフォースは報告書の発表以外にも、タスクフォースとして北朝鮮政策につい て大統領に書簡を送付するなど、積極的に政府に対して提言を行なうことで知られている が、タスクフォースとして正式に発表する報告書自体はあくまで「共同座長による総括報 告」という形式をとっており、末尾に必ず、異なる意見表明をした委員の意見を掲載して いる(14)

また、現在進行中の活動の例としては、海軍分析センター、国防分析研究所、新アメリ カ安全保障センター、パシフィック・フォーラム

CSIS

(Pacific Forum CSIS)[1975年設立]、そ して国防大学傘下の国家安全保障戦略研究所(Institute of National Strategic Studies)[1984年設立]

の五つの研究所が共催で進めている「アジア太平洋戦略レポート(United States Security Strategy

for the East Asia and Pacific Region for a New Century and a New Administration)

」の発表に向けた努力 が挙げられよう。このプロジェクトは2009年に発足する米国の新政権に対しアジア太平洋 戦略を提言することを目的に2008年

3月に始まった。共同座長はジェームズ・ケリー前東ア

ジア太平洋担当国務次官補とカート・キャンベル元アジア太平洋担当国防次官補代理が務 めている。2008年3月10日の初回会合以降、5月

21― 22日に第2

回会合が、9月

25― 26日に

第3回会合が行なわれ、最終報告書取りまとめに向けた作業が進んでいる。会合の出席者に は、過去10年の間に政権に何らかの形で関与した研究者が数多く含まれている。

このように、米国のシンクタンクが行なう活動のなかでも政府の政策に影響を与えるプ ロジェクトをみていくと、スタディ・グループ形式をとったものであることが多い。さら にまた、外交問題評議会の「朝鮮半島に関する独立タスクフォース」などの例外を除いて

(9)

は、活動の事務局的役割を務めているのは、委託契約や研究助成金など、何らかの形で米 政府から財政的支援を受けているケースが多いことがわかる。また、活動の中心的役割を 担うのは、いずれの場合も、過去に実務に携わった経験をもち、実務的知識をもちつつ政 策提言をしうる能力を有し、政府から信頼されている人物である。

また、プロジェクトが立ち上がるまでの経緯にも若干、注意を払う必要がある。シンク タンクが正式にプロジェクトを立ち上げるまでの経緯は前述のとおりであるが、プロジェ クトを具体的に企画する前の段階、つまり着想の段階で重要な要素が、日常的に非公式に 継続されるシンクタンク研究者と政府・議会関係者間の対話・交流である。ワシントンDC では、連日、多くのシンクタンクにより公開参加型のシンポジウムから参加メンバー限定 型の勉強会まで多数の会合が催されていることは本稿の冒頭ですでに述べたが、このよう な会合のなかでの議論はもちろんのこと、会合に参加する研究者・政府関係者・議会関係 者の間の非公式な会話を契機にプロジェクトの構想が生まれ、フォローアップの議論を経 て具体的なプロジェクトの企画に結びついていくことが非常に多い。シンクタンクが主催 する各種の会合の目的には、公開参加型会合の場合には研究実績の発表や特定の政策問題 について会合を迅速に企画・実施することによる最新の政策問題を常にフォローしている ことのアピール、参加者限定型会合の場合には、政策問題をめぐる率直な意見交換の場の 提供などが挙げられる。加えて、研究者と政府・議会関係者の交流の場を提供することに より、政策にインパクトを与えうるプロジェクトの企画構想に寄与する部分があることも、

ワシントンのシンクタンクによる活動の特徴であると言えよう。

3

シンクタンクが機能する要件

ここまでシンクタンクの類型、具体的な活動事例をみてきたが、米国においては、この ような活動を支える諸条件が整っており、それらが総体としてシンクタンクが機能する環 境をつくり出している。本節では、これらを踏まえ、米国で民間非営利シンクタンクによ る政策提言活動が一定の政策上の効果をもつことを可能にしている要件をいくつか導き出 すこととする。

第一に、シンクタンクのプロジェクトが政府の政策アジェンダと補完性をもつものであ るということが挙げられる。たとえば、目先の案件の処理に追われがちな政府に対して、

中長期視点から問題提起をする研究・政策提言活動(「ゴールドウォーター― ニコルズを超えて」

プロジェクトが該当)は政府の関心を集めやすいし、中長期的な戦略策定に政府が取り組む 際にそのプロセスに影響を与えやすい。またイラク研究グループのように、活動そのもの は政府から独立したものであっても、行政・立法府側からの要請で企画されたプロジェク トの場合は、活動結果が政策担当者により真剣に考慮されることは自明である。シンクタ ンクに補完的な役割を求めるこのような開かれた政策環境は、シンクタンクが機能するに あたっての基本的要件となる。

第二に、現政権幹部との個人的つながりを、シンクタンクの幹部や研究員が日々の対話 や非公式な意見交換などを通じてもっていることである。このことで、政府が政策のなか

(10)

で何を重要視しているのかを窺うことができ、また、政策提言に対する率直なフィードバ ックを得ることも可能になる。第2節でも触れたように、ワシントン

DC

で日々開催されて いる種々の会合は、研究者と政府・議会関係者の個人的関係の構築を促進し、そうするこ とで政策問題をめぐる率直な意見交換をしやすい環境をつくる効果をもっている。このこ とが当局者を含みつつも、それを超えたより広範な政策コミュニティーを成立させており、

シンクタンカーたちもその一部を構成している。

第三に、財源である。前節でも触れたが、シンクタンクの研究プロジェクトの財政的側 面を担うのは助成金拠出を目的とする財団からの研究助成や行政府からの委託研究はもち ろん、研究所の活動に共鳴する個人や企業からの寄付である。米国に根づくフィランソロ ピーの伝統や、非営利団体への献金に対する税制上の優遇措置が存在することが、企業や 個人による寄付行為を奨励している(15)

第四に当該シンクタンクが「非営利」「民間(非政府)」であるというだけでなく、事実に 基づく政策分析を行なう組織であり、偏った党派的利益に基づく活動はしないという信頼 感が政府とシンクタンクの間に存在することが、常に政策への一定の影響力を保持するた めには重要である。そのようなシンクタンクでない場合は、いかに財政基盤が磐石であっ ても、いかに成果物を頻繁に発表していても、その政策提言活動に制約がかかる。例えば、

保守系のシンクタンクであるヘリテージ財団やアメリカン・エンタープライズ研究所、あ るいはリベラル系のシンクタンクであるアメリカ進歩センターが発表する刊行物は、どち らの党が政権を担っているか、あるいは議会で多数党であるかによって、その影響力が大 きく左右される。厳密に峻別することは難しいものの、政治レベルで影響力を行使しよう とするシンクタンクと政策レベルでそうしようとする二類型があることを認識しておくこ とも重要であろう。

第五に(これは第

2

点目とも深く関係するが)、シンクタンクの研究員や研究所幹部が、政 府や議会関係者の間で、「実務的議論ができる人物」であると信頼されていることも重要で ある。米国の場合、政治的任命者制度があることで政権が交代するたびに行政府の幹部ポ ストが一斉に交代し、民間企業はもちろん、直前まで大学で教鞭をとっていたり、シンク タンクに勤務していた人間が、政府の中堅・幹部職に就くことは日常茶飯事である(16)。大学 では「公務休職」が期限付きではあるが認められているところがほとんどで、政府の仕事 を終えた後の生活も確保される(17)。シンクタンクでは、さすがにポストを空けたままにはし ないが、政権が交代する際に次期政権に入るためにシンクタンクを離れる人間の後に、政 府から出てきたばかりの人間が職を得ることが頻繁にある。これがいわゆる「回転ドア」

の実態であるが、これに加えて政府や議会に勤める公務員が他の役所に異動したり、行政 府から議会に移ったり、公務員を辞して大学やシンクタンクに転出し、再び政府や議会に 戻るケースも珍しくない(18)。このような雇用市場の流動性が常に確保されていることが、

結果として、実務経験のある研究者の数を増やすことに貢献しており、このことが、この ような研究者自身、また彼らを擁するシンクタンクの信用度を高めている点は重要だろう。

第六に、米国において政党組織があまり力をもっていないことも、シンクタンクにとっ

(11)

てはプラスに作用している。米国では、個々の政治家が政策上の判断で政党に拘束される ということはあまりない。であるがゆえに、議員たち自らが新たなアイデアを求めている という一面がある。これはシンクタンクからしてみると、政策を売り込む余地があるとい うことになる。また、これと関連して、米国ではホワイトハウスや行政官庁に加えて連邦 議会が大きな政策的イニシアチブを握りうる。連邦議会はシンクタンクにとって政策プロ セスへの重要なエントリー・ポイントでもある(19)

最後に、研究者自身の意識が挙げられる。本節の第三点目とも関連することであるが、

米国のシンクタンクのほとんどはプロジェクトごとの独立採算制をとっており、アメリカ ン・エンタープライズ政策研究所、ヘリテージ財団、アメリカ進歩センターのように党派 的色合いが強く、研究所の思想的ベースに共鳴する個人からの大口の献金が財政基盤の中 核を成している研究所や、ブルッキングス研究所のように大規模な基本財産をもつ研究所 は例外である。研究員は職を維持するためには自分の給料や福利厚生経費はもちろん、出 張旅費、オフィススペースの賃貸費用、出版費用、さらには自分のスタッフの給料や福利 厚生経費のすべてを賄うだけの資金を研究助成金や企業からの寄付を通じて集めなければ ならない。したがって、資金集め(fundraising)は研究員に求められる重要な能力であり、こ の能力を維持するためには、常に政策問題について新聞に論説を発表したり、メディアか らのインタビューに応じたり、さまざまな会議やシンポジウムで発表したり、公の場で活 動することを通じて、自分の知名度を保たなくてはならない。このような環境におかれて いる研究者は常に、「どのような問題が実際の政策にとって重要なテーマか」についてアン テナを張ることになり、それが政策論議の促進にもつながるのである。

むすび

ここまで、外交・安全保障シンクタンクを例に、米国のシンクタンクの機能と、その活 動を維持するための基本要件について検討してきた。本稿からも窺えるように、「米国のシ ンクタンク」と言っても、その財政基盤・活動形態は多岐にわたり、その活動が実際に政 府の政策にどの程度影響を与えうるのかについては評価が難しいことがわかる。特に、シ ンクタンクによるプロジェクトの着想から構想に至るまでのプロセスはおおむね可視的で ない場合が多いし、シンクタンクの活動の成果が実際に政府の活動に影響を与えるための 人的・財政的・政策環境的側面は日本とは大きく異なる。したがって、日本に米国型のシ ンクタンクをそのまま導入しようとしても、そのようなシンクタンクが機能しうる要件が 日本に整わない限り難しいし、無理に形だけの導入を図っても活動を継続させることは困 難であろう。

例えば、人的側面だけとってみても、いまの日本では、若干の例外を除いては、政策に 携わる人材は官僚機構が独占しており、そこに民間の研究者が期限つきで入る機会はわず かしか存在しない。また、民間の研究者が期限つきで政府の職に就くことが可能になった 場合でも、任期が終了した後の仕事が必ずしも保証されないのであれば、たとえ機会があ ったとしても、そのような機会を利用して政府に勤めてみようとする研究者は出てこない

(12)

だろう。さらに、日本では特に外交・安全保障政策分野では研究助成を行なう財団の数が 米国と比較して圧倒的に少ないし、その財政基盤もはるかに小さい。また、外交政策や安 全保障といった、企業活動の実益に直接結びつかない政策分野での活動を支援するための 企業や個人からの寄付も非常に少ない。かような状況では、大学の教員になる場合を除き、

外交や安全保障政策の研究が職業として成立することはきわめて難しい。このような状況 が変わらないまま、米国式のシンクタンクを導入しようとしても無理があるだろう。

他方で、官僚機構からのボトムアップ型政策形成の限界が唱えられて久しいいまの日本 では、シンクタンクが活動できる余地は確かに存在する。ただその際に留意すべきは、い たずらに「米国型のシンクタンクの導入」を解決策として唱えることが必ずしも状況の改 善にはつながらないという点である。むしろ、米国で効果的な政策提言活動が可能になる 上記のような要件を念頭におきつつ、そのうえで、日本の社会制度にあった形式のシンク タンクの姿を模索することがこれからの日本には必要なのではないだろうか。

1) 各国におけるシンクタンクの在り方の多様性に関するより詳細な分析については、James G.

McGann & R. Kent Weaver, Think Tanks & Civil Societies: Catalysts for Ideas and Action, New Brunswick:

Transaction Publishers, 2000を参照。

2) 佐藤行雄『国問研の現状と課題―シンクタンクのあり方を考える』、日本国際問題研究所、2008 年、5ページ。

3 R. Kent Weaver, “The Changing World of Think Tanks,” P. S.: Political Science and Politics, September 1989, pp. 563–579.

4) ヘリテージ財団については、Edwin Feulner, “The Heritage Foundation,” McGann & Weaver, op. cit., pp. 67–85を参照。

5) 党派政治については、Jacob S. Hacker & Paul Pierson, Off Center: The Republican Revolution & the Erosion of American Democracy, New Heaven: Yale University Press, 2005を参照。

6) ヘリテージ財団をモデルとしてアメリカ進歩センターが設立された経緯については、Matt Bai,

“Notion Building,” New York Times Magazine, 12 October 2003を参照。

7 Cf., Sally Covington, Moving a Public Policy Agenda: The Strategic Philanthropy of Conservative Foundation, Washington, DC: National Committee for Responsive Philanthropy, 1997.

8) 外交問題評議会については、Peter Grose, Continuing the Inquiry: The Council on Foreign Relations from 1921 to 1996, New York: Council on Foreign Relations, 2006[1996]を参照。

9 Jonathan Stevenson, “We Need a New Think Tank For the War on Terror,” Wall Street Journal, 7 August 2008.

(10) Smith Richardson Foundation, “Our Mission,”〈http://www.srf.org/mission/〉(23 August 2008); The John D.

and Catherine T. MacArthur Foundation, “Overview,”〈http://www.macfound.org/site/c.lkLXJ8MQKrH/b.

860781/k.D616/Overview.htm〉(23 August 2008). 財団の活動については、Joel L. Fleishman, The Foundation: A Great American Secret, How Private Wealth is Changing the World, New York: Public Affairs, 2007を参照。

(11) なお、前節でも紹介されている米国平和研究所は、自らがシンクタンクとして活動する一方で、

他のシンクタンクや大学に対して助成金を拠出している非常にユニークな存在である。

(12) United States Institute of Peace, “United States Congress Announcement of Iraq Study Group(unofficial tran- script),” 15 March 2006,〈http://www.usip.org/isg/isg_transcript.pdf〉(23 August 2008).

(13) Ibid.

(13)

(14) 外交問題評議会のタスクフォース報告書については、同ホームページ(http://www.cfr.org/publication/

by_type/task_force_report.html)を参照。なお、20086月の時点で、61本のタスクフォース報告書

が発出されている。

(15) シンクタンクは米税制上、基本的に「非営利団体」として扱われており、通常、関連規定の名を とって「501(c)(3)団体」と呼ばれる。このカテゴリーに属する団体への寄付は所得税申告の際に 控除の対象となる。501(c)(3)団体については、吉原欽一「共和党多数議会と『新しい権力構造』

の創出―アメリカ政治の新しい局面」『国際問題』第491号(2001年2月)、68―69ページを参照。

(16) 例えばジョン・ハムレ戦略国際問題研究所所長はクリントン政権で国防副長官を務め、ストロー ブ・タルボット = ブルッキングス研究所所長も同じくクリントン政権で国務副長官を務めている。

コンドリーザ・ライス国務長官は2001年に国家安全保障担当大統領補佐官として政権入りする前 はスタンフォード大学副学長だった。このような例は枚挙にいとまがない。

(17) 最近の例としては、ジョージタウン大学を休職してNSCアジア部長を務め、その後同大学に復 職したビクター・チャ氏がこの例に当たる。

(18) 例えば拉致問題に関心をもち、2006年4月に拉致被害者家族の連邦議会下院国際関係委員会アジ ア太平洋小委員会公聴会での証言に尽力したデニス・ハルピン下院国際関係委員会スタッフは元 国務省員である。

(19) Donald E. Abelson, A Capitol Idea: Think Tanks and US Foreign Policy, Montreal: McGill-Queen’s University Press, 2006, p. 7.

たつみ・ゆき 米国:スティムソン・センター主任研究員 [email protected] なかやま・としひろ 津田塾大学准教授 [email protected]

Referensi

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