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講師 棟居 勇氏
学長 𠮷 岡 利忠
大学一号館入り口の真上が学長室だ。学長室の窓からは、図書館を真正面に斜め左前に大学本部(五号館)右には体育館が見え、その前庭に
学校法人弘前学院 理事長・学院長
阿保 邦弘
は桜、白樺などいくつかの種類の木々が春夏秋冬それぞれの様子を呈し季節感を添えてくれる。ここで執務をすること早や三年。授業終了時あるいは授業の短い合間に、円形の広場を囲んだベンチや藤棚の下にあるベンチから学生達の声がよく聞こえ、それぞれ個性あふれる服装や髪型、帽 子、鞄やバッグ、そして必需品である携帯電話と、いつも新鮮な感覚で学長室から眺めている。多くは、二人、三人のグループを作り、時々、二階から眺めている私を気にしながら話している。一言でいうと、学生達は明るい。屈託の様相がない。悲壮な雰囲気を示す学生はここからは感じ取れない。最初の年は、よくタバコを吸う学生がいたが今はいない。ゴミを散らかす学生もいない。大学のキャンパスは、やはりクリーンであるべきだ。 小さいながらも地方の総合大学であるが、教職員全員が一人ひとりの学生に目が届く客員教授
六月二十二日、創立記念礼拝・教職員研修会・社会福祉学部三年生リトリートを開催しました。礼拝と研修会の講師は棟居勇氏(国際基督教大学・東京神学大学大学院終了後牧師を経て、現在、好善 宗教主任
中澤 實郎 創 立 記 念 礼 拝 に つ い て
「 私の回心」について
本多には、五十五、六歳ころに彼の二十三、四歳ごろのキリスト教入信当時の意識を回顧してまとめた「私の回心」と題する英語演説原稿がある。 本多は日清(一八九七
―
一八九八)、日露(一九〇四―
一九〇五)の両戦争の際、時の宗教人に増して積極的な協力をあえてした。彼はこれによってキリスト教に関する日ごろの誤解を解き、社会的 社理事長)にお願いしました。好善社とは、ハンセン病によってハンデイキャップを負った人々に対して、精神的、物質的に支援するキリスト教団体です。 棟居氏とハンセン病との関わりは、神学大学の夏期伝道でハンセン病療養所教会(四国高松、国立療養所大島青松園、霊交会)に行ったことから始まったと述べています。 礼拝説教は、「『私の隣人』とは誰か」と題してルカによ る福音書十章に記載されている「善いサマリア人」の譬え話、傷ついた人を助けたのは、同胞の祭司や神殿に仕えるレビ人ではなく、差別扱いされていたサマリア人であったというエピソードを引用して、ハンセン病の人たちに関わってこられた体験を話された。 教職員研修会では、「『人間』を見るか、見ないか」と題して話された。ハンセン病の患者は、一九〇七年(明治四十年)「癩予防二関する件」という法律が制定され、療養所に隔離されてきた。二〇〇一年(平成十三年)「ライ予防法」違憲の判決が確定したわけですが、現在も患者さんは、本 六月二日午後五時四十分より礼拝堂において「私立大学の当面するクライシス」と題して本学客員教授永野孝和氏の講演が行われ教職員約三十名が聴講した。 永野教授は、私立大学を取り巻く厳しい環境の中、教職員一人一人が学生としっかり向き合い、自分の五感で社会の動きを感じ取り、大学本来の使命、教職員一人一人の使命を再認識することが鍵になると強調された。 また、私立大学における自由な教育研究と、教育研究の諸条件並びに環境整備を行う経営管理を一体に結びつけるのが建学の精神であり、大学は外部からの介入・干渉を廃し、大学内で自己完結する自治を基本とすべきもの。大学は教育研究を行う社会的使命 を持つ組織体であること。教員は教育研究に、学生は勉学に専念できる環境の維持発展を約束し、職員は組織の一員として機能することで目標実現を図るものであるとした。 更に西日本で廃校になる大学が増えているなど、危機的状況があり、この動きが次第に北上の兆しを見せていると指摘した。このような状況を招来しない組織として、設置者や管理永野孝和氏講演会開かれる
承認を得る好機と考えたようである。時は日露戦争の終わりころ、外務次官は珍田捨巳であった。珍田は東奥義塾における本多の教え子で義塾からの最初のアメリカ留学生の一人であり、帰国して義塾の教師となり、牧師の資格を得ていたので黒石教会の牧師に任命されたりしたが、外務省入りをして順調に出世街道を登っていった。 時の政府は、日露戦争は侵略戦争にあらず、自衛のための義戦であると宣伝するため に、民間使節を欧米諸国に派遣することにした。珍田はこれを青山学院長たる本多に依頼し、同行者に明治学院長の井深梶之助を決めた。本多らのこの外遊には、いまひとつ本来の目的があった。それは、欧州の各国で開催されるキリスト教関係の国際的会合に日本代表として出席することにあった。彼らは、明治三十八年三月から十一月までの長期にわたって欧米各国を回り、各地で演説する機会があった。民間施設の用務もさることながら、機会があればあちこちで「私の回心」と題する英語演説を試み、彼の入信事情や日本におけるキリスト教情況などを紹介した。これは朗読演説で、二十分くらいかけて彼個人の体験を隠すことなく語っているほか、わが国キリスト教草創期における初代のキリスト者の意識内容をよく伝えている。 では、最初の部分(相澤文 名も名乗れず帰郷できません。家族に迷惑をかけるからです。人々は、患者さんを、ひとりの人権を備えた「人間」として見ないからです。結婚も認めず、男性は断種させられたのです。ハンセン病の現実について学ぶことができました。 午後は、社会福祉学部三年生のリトリートを開催した。 講師は前田敏雄教授で「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」と題して話された。今年度の主題成句です。前田先生の信仰から溢れ出る心情を学ぶことが出来ました。 平成十八年四月十七日に文部科学省から科学研究費補助金採択者の通知があった。いわゆる、科研費と言われているが、全国の大学や研究機関の教員、研究者を対象に研究助成が行われているものである。毎年、我が大学の教員が申請しているが、その採択率は低い。採択率が上昇することは、同時に大学の評価を高めることになる。 本年度は、吉岡利忠学長が 基盤A研究で総額三千八百二十万円(四年間)、北村繁助教授(社福学)が基盤C研究で総額三百六十万円(三年間)、斉藤美紀子講師(看護学)が萌芽研究で総額百七十万円(三年間)の交付内定があった。また、研究助成継続者として、楠本紀代美助教授(文学)、櫻井尚子教授(看護学)、三上聖治教授(看護学)が補助金を交付される。 ようであって欲しいし、その反対に、学生から常に注目されている教職員であって欲しい。 今年初めて、学生、教員および職員に大学のエンブレムバッジ(確か、阿保理事長の娘さんがデザインをした)を作り胸に付けて貰おうと渡した。この三者は、何事につけても同等に話し合い、相談し、行動して欲しいと願いを込めたものである。二年生、三年生、四年生の学生には予算の関係で渡せなかったが、なんとかしなければならない。幸いにして胸に付けている学生もいるしバッジを何時も持ち歩いている学生もいる。どちらかと言えば教員の場合が物足りない。たかがバッジ、されどバッジである。心を一つにするための、弘学(弘前学院大学)人というプライドを共有するための第一歩であろう。どんな企業でも団体でもバッジとともに社旗がある。毎朝、社旗、校旗あるいは国旗を見上げて胸に手を当てる姿は、諸外国でよく見られる シーンである。このキャンパスの何処かに校旗がはためく日も近いのではないかと期待している。もちろん、学長室から見える所に、である。 出張などがない時には、朝早く出勤することにしている。学長室の窓から学生、教職員が三々五々一、二、三、四および五号館、図書館、体育館に吸い込まれて行くのを見ながら、今日も、有意義な授業、実習あるいは仕事が開始されることを念じている。六号館は看護学部であり、ここからは見ることが出来ない。学長室でモニターできるカメラでも付けようか。学長室の窓の反対側は入り口であり、常にオープンにしており廊下からは部屋が丸見え。これも、学長の挙動が観察されてしかるべきと考えしていることだ。何処かの県知事室もガラス張りにしている。いつでもどなたでも訪問して欲しい。多くの知識は智慧に変わるだろう。そんなことを考え、今は、学生達が校舎から出て行く姿を眺めている。
蔵訳)を紹介しょう。「私が自分の回心について語るのは、何か特殊な体験をしたからでなく、ただキリスト教がまだ日本の社会にぜんぜん広がらなかったころの最初の入信者の一人であったというそれだけの理由です。 一八五九年(安政六)に最初の新教伝道者たちがアメリカから来朝しました。彼らはこの日本という処女地の開拓者でありました。それは日本が約三世紀にわたって鎖国の状態にあり、かつてゼスイットによって宣教されたキリスト教が流血の迫害によって根絶されて以来禁制とされてきたからです。彼らは無事に日本に到着したものの禁制がまだ生きていたので、民衆に接近して宣教することができず、十三年の間、しのびがたい忍耐を持って時期を待ち、ついに宣教のときがきました。」(以下次号) 者が自分の理念のみに基づいて他人を強いるというアドミニストレーションから、他の人々の力を使って物事を達成するというマネージメントへの発想の転換が必要であること、大学の五大クライアントである在校生、(教育費を負担する)父母、卒業生、(学生を雇用する)ビジネス界、地域コミュニティとどう向き合うかを自分のこととして検討して貰いたいと結んだ。 学長は今後も客員教授による講演を企画したいと話しており、多くの教職員の聴講を期待している。 (文責・竹内明夫)
() 第 24 号 2006年7月27日牙 弘 学 時 報
第 24 号
編集発行 弘 前 学 院 大 学 広 報 委 員 会
印 刷 所
㈲小野印刷所
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お さ ら い 会 講演者:客員教授
中屋敷 宏氏
新入生リトリートは、キリスト教精神に基づく人格形成教育の一環として重要である。 四月十~十一日に南田温泉
アップルランドにおいて三学部の学生・教職員約三百人が参加して行なわれた。 三学部合同プログラムは、学長挨拶に始まり、開会礼拝、
本学の歴史、讃美歌・校歌練習、閉会礼拝が行われた。「建学の精神」について阿保邦弘学院長から奨励がなされた。 文学部と社会福祉学部で
は、教職員の自己紹介、グループ懇談がなされた。それに続き文学部は、学生時代の思い出を梶木剛教授と関直規講師が語った。社会福祉学部は、
私の青春時代・学生生活を北村繁助教授、西東克介助教授、藤岡真之助手が語った。看護学部は、看護学部で学ぶ基本姿勢と社会人として生きる力
をつけるための学習方法について講話があった。グループを三回変えて学生生活の抱負を語りあい、教職員から新入生への期待が伝えられた。ま
た、学生がふれあうことを目 的に構成的グループ・エンカウンターが行われた。 学生からは、「友達が出きた」「学院の歴史を興味深く聞いた」「これからの学生生活について自分なりに考えることができた」「学ぶ意欲が
わいた」等の感想があった。一方、宿泊や集団行動を負担に感じている学生もいた。 運営に関しては食事の配膳に時間を要した等の改善すべ
きことも幾つかあった。これらの課題を含め今後も教職員間で、より良い内容になるように検討を深めていきたい。 全教職員の協力に感謝。
(文責・櫻井尚子) 五十年前、高校入学と同時に汽車通学となり親から門限(今では死語かもしれない)六時と言い渡されてしまった。
中学時代バレーボール部員であったが運動部入部は諦めざるを得なかった。進学校のため勉強の方は厳しかったもののそれだけで高校生活を
終えるのも能がないと思った。そこで部員が少なく、部活も厳しくなく、帰りの汽車に間に合う部を探索し、見つけたのが筝曲部であった。筝
曲部は、旧制中学と女学校が統合してできた高校の女学校時代のなごりであった。指導は和服を着た先生(女学校の先輩)で、楽譜もメモもなく暗譜であった。幸い青高から
浦町駅(今はない)まで徒歩で二五分位かかるので、英単語など暗記する時間にしてい たが、週一回の部活の時は筝の音階を口ずさみながら覚えた。目標は文化祭での演奏であったが、一生懸命練習した
記憶がない。私が部員であることは、親も知らなかったはずである。その後、筝爪は持っていたものの筝のことをすっかり忘れていた。数年後看護
師として就職した聖路加国際病院の近くに筝を教える所があることを知り、無性に筝の音がなつかしくなりすぐ入門した。仕事が激務であったこ
とからおけいこの一瞬が私にとって癒しとなっていたのかもしれない。それから転勤、結婚、子育てと私のライフイベントは様々あったけれども
筝の音色はいつもほっとする時間を与えてくれた。密かに始めた筝ではあったが、今まで二回華やかな場所で演奏す る機会があった。昭和五十年東京の歌舞伎座で、平成十五年には新橋演舞場でとテレビで見る舞台で仲間と演奏した
時には、感無量であった。これからもゆっくり楽しみながら続けていきたいと思っている。 父母と教職員会定例総会が五月二十日(土)、本学において開催され、次の議案が審
議の後、決定されました。
第一号議案 二〇〇五(平成十七)年度活動報告及び二〇〇五(平成十
七)年度収支決算報告につい て第二号議案 二〇〇六(平成十八)年度活動計画(案)及び二〇〇六(平成十八)年度収支予算(案)について また、新役員については、次のとおり決定されております。 会 長 伴 恵美子 副会長 犾守 達幸 副会長 佐藤 和博
(本学教授) 監 事 吉川 秀樹 監 事 佐々木正晴(本学教授)
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弘前学院大学国語国文学会では、七月一日に「夏季大会」を開催し、中屋敷宏客員教授が「グローバリーゼーションの中の日本と中国」と題して講演しました。中屋敷教授は、
毛沢東らの思想が中国思想史 の中でどのように位置づけら
れるかを明らかにし、現代中国の状況と問題点、さらには日本のとるべき道について論じました。深い学識と洞察に対し、会場では「感銘をうけ
た」との声が頻りでした。また、これに先立って本学大学院教授畠山篤、同教授中村幸弘が研究発表を行い、先端的な研究成果を公にしました。
(国語国文学会 会長 井上諭一)
() 第 4 号 006年7月7日牙 弘 学 時 報
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受 託 式
本学の地域看護学領域の教科構成は、地域看護学・在宅看護論・家族看護学・健康管理論・地域看護システム論・地域看護実習よりなる。 地域看護学は、二年次前期から始まる。学生の出欠は、開始時に配布した紙片に、当日の授業に関する学生の気づき、考察、感想、質問等を記載し提出することで確認する。したがって授業は、前回授業の学生の質問に応えることから始まる。出された全ての質問に対して誠意を持って答えるようにしている。学生 の学びたい、知りたいという意欲に応えることが学びを深めることに繋がると考えるからである。 訪問看護ステーションや地域包括支援センター等で行う在宅看護活動や、保健所や市町村保健センター等で行う保健師の公衆衛生看護活動のいずれも、家庭訪問による健康相談を、個別支援技術のひとつとして重視している。 家庭訪問の技術を学ぶ演習は、脳梗塞後遺症の夫を介護している高齢の妻から保健センターへ電話相談があった事 例を想定しロールプレイの方法で行っている。六~七人ずつ九グループに分けて、家庭訪問を電話で予約するところから行う。学生が脚本をつくり在宅療養者の家族役になった教員へ電話をする所では、相手を確認せず話し始めたり、呼称の表現が不適切だったりと学生は悪戦苦闘である。家庭訪問の場面でのロールプレイは、学生が高齢者夫婦役と二人の保健師役を演じ二十五分の脚本を作成し、訪問鞄のバックテクニックと血圧測定を含め実演する。グループの実演毎に演者と見学者がロールプレイの良かった点や改善した方が良い点などについて意見を出し合い学習 二〇〇五年度の全国的な就職状況はこれまでの「就職氷河期」から一転してバブル期の求人数に近づいたといわれている。 ただ全くの学生の
「
売り手市場」
かというとそうではなく、各企業の採用のスタンスは「厳選採用」に変わりはなく依然厳しいものがある。 また、本学の学生の志望が多い公務員・教員の採用につ いては、いずれも採用数が少なく、極めて狭き門であった。しかし、そのなかにあって今年度初めて警視庁・千葉県警に採用者が出たことは特筆すべきことであった。 さて、本学の就職状況は就職内定率で一〇大学の平均就職内定 青森労働局によると、県内 上回ることができた。
90
・7%と昨年を 利用者一人一人に合ったクラ 等様々な訓練です。その他、 の分別やはさみ・針の使い方 挨拶や時間を守ること、ゴミ を立てます。例えば、基本的 う願い、全て学生たちが計画 将来スムーズに活動できるよ す。短期訓練は子どもたちが強会の様子です。 練と呼ばれる活動をしていま この写真はMRLGでの勉 児と生活訓練する通称短期訓能性偐ABLE做を信じて」 冬休みに3~4日間、自閉症動しています。「一人一人の可 現在の活動は主に夏休みとれそれを生かし、私たちは活 生の集まりです。たくさんのアイディアが生ま という想いのある学生・卒業はそれぞれです。そのため、 ンジしている人を応援したい 人間一人一人の想い・考え方 MRLGは知的発達にチャレいます。 がい関連勉強会』といいます。ンティア勉強会も共に行ってG ro u p s
の略で『知的発達障者への理解を深めようとボラR e t a r a t io n L e a r n in g
卒業生との交流もあり、利用M e n ta l
す。MRLGとは、活動に参加しています。また、 卒業生が結成したサークルでシャル・オリンピックス等の をするために、二〇〇二年度挑戦しトレーニングするスペ は、知的障がい児の生活訓練様々なスポーツプログラムに MRLG(ミスターラージ)のびのび会。一年を通して 利用者と一緒になり遊戯する ブ活動をするピュアフレンズ。バスケットを通して
社会福祉学部三年 佐々木美穂 私たち女子バスケットボール部は、弘前大学の人たちと共に、『オール弘学』というチームで活動しています。合同チームのため、学生リーグでなく社会人リーグに所属し、大会に参加しています。今年度は、4月に行われた大会で準優勝することができました。 活動としては金・日曜の週2日、ゲーム
(
5対5)
をメインに練習しています。現在は大会中で、弘前の社会人9チームと総当たりで試合を行い、6戦6勝中です。昨年は、惜しくも2位でした。ユニフォームも新しくなって心機一転になり、日本を出てバスケッ しまいましたが、とても勉強 も行いました。試合は負けて を狙います!他には台湾遠征
!!
このまま無敗で優勝 ば充分です ケットが好きな気持ちがあれ モノは関係ありません。バス まれていきます…技術なんて 流すことでチームワークが生 ームメイトとなり、共に汗を 人と交流し、知らない人がチ 齢も出身も学校も違う多くの 学ぶことはたくさんあり、年 バスケットボールを通して い経験でした。 トができたことは、とても良しくお願いします ル部改め、オール弘学をよろ こんな女子バスケットボー ませんか?? れます。素敵なことだと思い も、楽しく笑顔で乗り越えら
!!
だから辛い練習!!
六月八日(木)、十一時十五分から十二時三十分まで本学の英語・英米文学会主催による新入生歓迎ティー・パーティが、大学中庭で例年通り開催されました。 文学部ばかりでなく社会福祉学部、看護学部の教員や学生も参加して英語・英米文学科の新入生を囲んで、ドーナツ、コーヒー、紅茶をとりながらの賑やかな集まりになりました。 三〇名程が出席したパーティに、本学へ短期留学中のウイスコンシン大学の学生2 名もゲストとして招待されました。ジェームズ・ボーズマン君とメーソン・ジョンソン君は、二人とも非常に流暢に日本語を話し、参加者と楽しく、やりとりをしているようでした。教員に促されて一年生も英語で留学生と会話に挑戦する姿も見られました。少しは、英会話の練習になったのではないかと思われます。 一年生は、上級生や教員と話しながら、実は、自分のコミュニケーション能力を磨いているのだ、と意識してもらいたいところです。そのためにも相手が誰であろうと柔軟に対話できるように、いろいろな方面に関する話題を普段から仕入れておくことが望まれます。本や映画や音楽等、自分の好きなものについて情報を集めておくのも良いでしょう。また同時に、教員も学生のコミュニケーション能力(日本語も英語も)を伸ばすように常にサポートするのを怠ってはいけない、等あれこれ思いながら参加したパーティでした。 を深める。 これらの演習と授業を通して、学生は知恵を出し合いグループで話し合う中で理解が深まる楽しさや、敬語を含む社会人としてのマナーを身につける必要性にも気づいたようである。
率は
内定率は で県内就職の場合の平均就職 内就職の比率が高いが、文系 る。本学は文系の大学で、県 が高いという結果になってい 又、文系と理系では理系の方 較では県外就職の方が高く、 のなかで、県内と県外との比
92
・8%であったが、そ就職を検討されることを望む。 今後も積極的に県外企業への 職が徐々に増えてきており、 幸い本学においても県外就 い結果になっている。
74
・7%と極めて低 受託式には、募金活動に協力した社会福祉学部や看護学
部の学生有志三十七名が参加
し、活動の代表者で社会福祉
学部三年の吉田聡恵さんが、
日本赤十字社県支部の嵯峨事
業推進課長に目録を手渡した。
又残る十八万九千八百六十
五円については、日本国際飢
餓対策機構に送金することに
なっている。
学生たちは、「募金がこん
なに集まるとは思っても見な
かったのでとてもうれしい」
と、そして「やっとみんなの
気持ちを現地の人に届けられ
る」と喜んでいた。
本学生有志が、ジャワ島中部地震災害者を救うために募 金活動を行い、総額 369,731 円が集まり、26 日、大学内 で集まった募金の内 179,866 円を日本赤十字社に寄託する 受託式が行われた。
() 第 4 号 006年7月7日牙 弘 学 時 報
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アメリカ合衆国の三大学と交流をしている。 一 ウイスコンシン大学とは二〇〇五年四月に学長が出向き締結の調印を行っている。 現在二名の研修生が本校を訪れ、一ヶ月の期間で日本語(四単位)と日本文化(二単位)を研修している。午前中に日本語の授業を行い、午後は茶道、華道、書道、日本舞踊、こぎん刺し、凧作り、一輪車を体験させている。帰国した二人の感想を聞いて、来年は研修生が更に多く来るように期待する。 先方への留学は文学生の学生のみであり、六月より一二月まで一名が英語を習得しており、九月より十二月まで三名が行くことになっている。 二 シェナンドア大学には英文科の学生が十二名、二月から三月に掛けて語学研修に出かけた。午前中は英会話の授業、歌を歌いながら、リズムに乗せて発音していく。指導者のアッシュマン氏が声がよく、歌で引っ張っていくので、学生はいやおうなく、口 まねで、それらしい表現ができるようになった。午後は、マーケットに行き、商品の場所を探し、店員に聞きながら値段を調べたりする。自分の買い物も出来るので楽しい実習。警察では防弾チョッキを
持ってその重さに驚いたり、普段見ることが出来ない内部を見学し、学生がそれぞれに準備した質問をする。答えも理解して、覚えなくてはならない。ビジターズセンター、図書館、病院などを訪問し、 実質的な語学の研修を行う。酪農農家、ワシントンDCでの歴史的モニュメントの見学、乗馬など、盛りだくさんのプログラムであった。週末はホストファミリーと過ごし、中にはニューヨークにまで連れて行って貰ったラッキーな者もいた。一月の研修・滞在費は約二十三万円であった。帰国してから、総務課の新課長が立派な感謝状を世話になった人たちに贈ってくれた。同じ時期に出かけた弘前大学生と行きの飛行機が一緒であったので、聞くと、一ヶ月間の研修費は四十万円。学院大に入学した者の方が幸せであったことになる。 三 ノースセントラル大学へは三週間で四十万円程度で研修に行くことができるが、現在は利用者がいない。 社会福祉学部が昨年まで独自に行っていた研修旅行は担当教員の転出で今年は行っていない。看護学部は、シェナンドア大学に看護学部の修士課程があるので将来の交流が楽しみである。シェナンドア音楽院には音楽療法の教授が居り、日本の大学に毎年来ているそうである。集中講義など実現させたいものである。
国際交流委員会報告
委員長 笹森 建英
海外 研 修に参加して
英語・英米文学科 四年 伊藤亜由美
私は春休みの約三週間、海外研修としてアメリカのバージニア州でホームステイをしながらシェナンドア大学で英語を学びました。入学時から興味はあったものの、参加人数や他科目の履修の関係上、機会を逃していました。大学三年生の春休み、これが最後のチャンスかもしれないという思いと同時に、英語を学ん でいる以上、大学在学中にぜひアメリカで生活しながら生きた英語を学びたいという気持ちで、海外研修の講義を履修することに決めました。 アメリカでの三週間は私にとって大変貴重なものとなりました。ステイ先の家族にお世話になりながら午前中は大学で英語の講義、午後は様々な活動をしました。例を挙げると、農場訪問、現地の歴史的建物見学、デイケアセンター訪問(折り紙や歌を通じての子供たちとのふれあい)、警察署見学など、本当に盛りだくさんの内容でした。文化の違いを学んだり現地の事を深く知ったりする中で多くの人たちとの出会いもあり、大変充実していました。ショッピングモールでの買い物やワ シントンDCへの観光などもあり、これ以上のないという程、楽しみながら生活することができたと思います。本当にあっと言う間の3週間でした。 一緒に暮らしたホストファミリー、お世話になった英語の先生との別れの朝は涙を止めることが出来ませんでした。英語に囲まれて生活する中で自分の言葉が相手に伝わる喜びを体感し、言葉で伝えようと努力することの大切さを学びました。 これからの私を成長させてくれる経験となったことは言うまでもありません。せひ後輩のみなさんにも海外研修に参加してほしいと思っています。
研 修 生 か ら の メ ッ セ ー ジ
私の名前は、
Jo h n so n Mason
です。四週間弘前に滞在しました。弘前はきれいな町で津軽の文化はとても興味深いです。弘前が大好きです。 私のホストファミリーの石川さんは私の滞在をとても楽しくしてくれました。来年また青森に来たいです。☆ ☆ ☆ ☆ 私の名前は、B o z e m a n J a m e s
です。私は弘前の人はやさしくてしんせつだと思います。ぶんかけんしゅうはたのしくておもしろいです。文学部一年 乗田 康代(三本木農業高卒) 新緑が眩しい季節となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。私は非常に充実した日々を過ごしています。 思えば昨年の今頃、部活一色の毎日で(馬術部だったため)馬中心の生活で、あわただしく、一年に最低一回大きな怪我が起こるというとても刺激がありすぎる普通の高校生では味わえないような高校生活で、とても楽しく過ごしてきました。 そして今無事に大学へ入学して、四月の頃よりは心身ともに 落ち着いてきて回りを見渡す余裕も出てきました。入学する前は授業についてある程度覚悟していましたが、入学してみると確かに大変な授業もあり、このままだといつか煮干しのようになるのではないかと懸念しています。しかし、そのような毎日でも仲の良い友達や何度も同じ事を聞いても親切に答えてくれる心優しい先生方に出会えたお陰で、幸運な事にも楽しく毎日を過ごしています。 そして最後にこれを書いている時点、約一ヶ月後に、大学生生活の中で初めての夏休みがやってきます。約二ヶ月と言う夢のような休みですが、その前にテストが山のように立ちはだかっています。本来ならば逃げたいところですが、逃げたら単位を落とすという悪夢が待っている為、しっかりと気を引き締めて勉学に励みたいと思います。 社会福祉学部 田村 将和(大船渡高卒) 今年の四月、私は少しの期待と多くの不安を胸に、この弘前学院へ入学しました。その不安とは、第一志望ではなかったこの大学で学ぶことへの迷いや、親元を離れて一人暮らしを始めることなど様々ありました。しかし、入学して三ヶ月が経ち、今はそれらの不安はほとんどありません。一番気にしていた勉強面での不安は、一生懸命努力している、先輩たちの姿を見たり、何人かの先生の研究室を尋ね、いろいろな話をすることによって自然になくなっていきました。また、この弘前学院には暖かく応援してくれる先生や、共に頑張ろうとしている仲間がいることに気づき、この大学へ入って良かったと思えるようになりました。一人暮らしも一週間ほどで慣れ、今ではとても楽しく生活しています。しかし、毎日食事を作ったり、掃除や洗濯なども全て自分でやることは大変で、今まで多くの面で親が支えてくれていたことを実感するとともに、その度に感謝しながら毎日を過ごしています。 次に、入学する前から抱いていた少しの期待ですが、それはどんな友達ができるかということと、サークル活動のことです。三ヶ月経って友達も増え、一緒に楽しむだけでなく学ぶことも多くあります。 私はバトミントンサークルとボランティアサークルに入りました。サークルは楽しむだけでなく、自分なりに目標を立てて責任を持って真剣に取り組みたいと思います。 これからの四年間を通し、専門の勉強や学校以外での出会いを大切にし、自分の価値観を広げていきたいと思います。また、周囲の人への感謝の気持ちを忘れることなく、その時々の「今」を大切にしながら、最高の友達と共に大学生活を思いっきり楽しんでいきたいです。
人との出会い
看護学部一年 小田桐史典
私は、弘前学院大学で色々な人と出会うことができた。十四歳下の同級生や年上の同級生、これから色々なことを教えていただく先生方である。 十四歳下の同級生とは、年齢 の壁が生じるのではないかととても不安であった。しかし、朝夕の挨拶をしているうちに少しずつ仲良くなってきていると思う。その他にも、気軽に「おだっち」と言って話しかけてくる子や「小田桐さん」と言って話しかけてくる子がいる。どちらも同級生でもあり、私の大きな財産でもある。これから、これらの同級生と喜びや悲しみなどをいっしょに分かち合いたいと思う。時には、社会人だった経験を生かし、彼らにアドバイスしたり、新しいことを教えて貰ったりもしたいと思う。卒業時には、同級生みんなが国家試験に合格し、看護師の資格を取得して人のために働けたらなあと思う。 次に、看護の専門的な分野を教えて下さる先生について書いてみたい。まず、医学概論を教えて下さっている吉岡学長先生。体のことを色々な例を挙げながら、分かりやすく講義している。生理学をいつも楽しく教えて下さるのは、片桐先生。解剖学を一所懸命教えて下さるのは片桐展子先生。看護技術方法論を津軽弁を交えながら、実践的に教えて下さるのは工藤千賀子先生。基礎演習で時には優しく、時には厳しく見守って下さる櫻井先生。これらの先生方に出会って教えていただくことが私の貴重な財産である。 たとえば小学校に行ったり、きゅうどうをしたりしました。ホストファミリーがしてくれた事にかんしゃします。四週間のたいざいでの一番の思い出は友達をたくさん作ったことです。また弘前に来たいです。
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出会いとありがとう
一九九七年三月 日本文学科卒業佐藤奈緒美
まだ女子大だった弘前学院大学を卒業して十年目を迎え、それと
共に社会人としての十年目も迎え
ました。 思い起こせば、月並みではありますが、「楽しかった」の一言に尽
きます。そう言えるのも小学・中学・
高校そして大学へと進学し、自分が過ごす世界が変わるごとに出 会った人達のお陰です。もちろん
社会に出てからも人との出会いが
私を育て、励ましてくれています。 大学四年生の八月、私は現在就
職している企業を受験し内定を頂
きました。もしかしたら、「遅す
ぎる」と笑われるかもしれませんね。真夏に着るリクルートスーツ
は私が凛と見える演出をしてくれ
なかったように思います。入社して何年後かに与えられたのは偶然
にも採用担当という仕事。就職活
動をしていた自分を見ているよう
で、「頑張れ」という思いがついつい厳しい言葉になったり、また十
年前の自分の甘さを今更ながら反
省させてくれる学生達に出会う事
も度々あります。そんな時は心の中で「ありがとう」。
皆さんの就職活動はどんなもの になるでしょうか?第二二号「弘
学時報」に掲載の学内就職セミナー
に参加させて頂きました。どんな後輩達に会えるのか、お世話になっ
た先生達に会えるのか、期待で会
場へ足を運びました。「企業の採用
担当者」という立場で学生達と話をし、一方で「弘学の卒業生」と
して先生方を目の前にした時は、
何とも言えない気恥ずかしさでし
た。先生方と名刺交換をする、ましてや先生方に「学生を宜しくお
願いします」と頭を下げられるな
ど十年前は想像すらしなかった出来事です。
社会に出て十年目という今年、
ようやく弘学の卒業生が入社して
きました。なぜかもの凄く身が引き締る思いをさせてくれます。こ
れも人との出会い。私が今こうし
ていられることを、これまで出会い、
育ててくれた人たちに感謝しなければ、と年月が経つほど感じてい
ます。「ありがとうございます」。 7777777777777777777777777777777777777777777777777777777777777777777777777777