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序章 イラン・イスラム政治体制の変容 山内昌之

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序章 イラン・イスラム政治体制の変容

山内昌之

2005年6月の大統領選挙の投票が締め切られると、イラン・イスラム共和 国の最高指導者ハメネイは対立する両陣営に緊急メッセージを送り、せっか ちな勝利宣言によって人心の混乱を招かぬよう冷静沈着に振る舞うことを呼 びかけた。この中立性こそ、憲法に定められたシーア派の「法学者の統治」

を担う者にふさわしい態度というべきだろう。そして、こうした警告はラフ サンジャニ元大統領とアフマディネジャド現大統領との間でヒートアップし た選挙戦による国民分裂を抑える役割を果たした。

しかし、それから4年後、ハメネイはまるで別人のように、アフマディネ ジャド大統領に驚くべき早さで勝利の祝福を送り、ムサビ元首相の異議申し 立てを断固として斥けた。ハメネイは世俗の争いを超越する聖なる調停者の 立場を捨て、一党派の選手として競技場に降り立ってしまった。「公正は統治 の基礎」というイスラムの金言がある。こうして疑惑の選挙結果への抗議は、

市民が最高指導者の権威と決定に挑戦する前代未聞の大事件へと発展した。

6月19日の金曜礼拝でイランの最高指導者ハメネイは、アフマディネジャド 大統領の陣営に公然と加担したことで、「法学者の統治」における超然的権威 を自ら放棄したのである。この日は、選挙結果に異議を申し立てた改革派の 市民にとって、詩人フォルーグ・ファッロフザードの表現を借りれば、「古い 路地のように哀しい金曜日」や「病的で怠慢な考えが浮かぶ金曜日」として 記憶に残ることだろう(「金曜日」『現代イラン詩集』鈴木珠里・前田君江ほ か編訳、土曜美術社出版販売)。

核開発の疑惑が取沙汰されるイランの現代政治の行方は、中東だけでなく グローバルな国際関係の動向を左右する。私たちは、現代イラン分析をめぐ る研究会を立ちあげて、幅広い観点から多面的に21世紀イランの動向をさぐ ろうとした。その成果が本報告書にほかならない。専門家として御参加いた だいた各位には心から御礼申し上げたい。もとより、個々に書かれた分担部 分は各自の責任で執筆されたものだが、全員がこうした研究に参加した直接

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の動機は、2009年大統領選挙以後のイランの不安定と周辺に対する脅威の増 大にあったことは多少なりとも共通している。

イランには中立の選挙管理機関がない。国際監視団のモニタリングでもな ければ、イランでは集計の公正さを最終的に確かめるすべはない。重要なの は、ハメネイが再選挙の必要なしと答えた護憲評議会の判断に守られながら 改革派の主要人物を逮捕し、革命防衛隊やバシジ(若者志願兵)の暴力で「緑 の波」と比喩される市民のエネルギーを押さえこんだことである。ハメネイ らが一番おそれるのは、この波がビロード革命やオレンジ革命のような平和 変革の「ツナミ」に発展する点なのだ。国際映像でも流れた女性の非業の死 は、7 世紀に初代イマームのアリーが惨殺されて以来、人々が殉教者を追悼 しながら圧制に抗議し結束してきたシーア派教徒の心を揺さぶった。非暴力 と沈黙のデモに加えられた苛烈な弾圧は内外で孤立するイランの現体制の象 徴的縮図ともなろう。

そもそもシーア派はスンナ派の王朝体制に抵抗する信仰として生まれた。

反抗や革命の批判理論には秀でたシーア派の指導者も、「法学者の統治」とい う権力の座に就くと深刻な矛盾を露呈してしまった。イランで起きている事 態は、深く傷ついた民主主義を守ろうとする改革派が体制権力の圧迫によっ て死傷者や逮捕者を出すことで、最高指導者ハメネイが中期的に全権威を失 いかねない逆説なのである。他方、20世紀から 21世紀にかけて、イラン=

イラク戦争の復興需要と石油ブームで潤ったラフサンジャニ元大統領や、文 明の対話を唱えて社会的自由の確保を理想としたハタミ元大統領は、革命や 戦争で多くの犠牲者を出した労働者や農民の貧困層や失業者の救済に十分な 関心を示したとはいえない。

そこに登場した「鍛冶屋の息子」アフマディネジャドは、さながら「被抑 圧者」らしい質実と廉潔を印象づけながら、前回選挙では63%の高得票率で 選出されたのであった。とくに都市の貧困層は、資産の蓄積と新自由主義経 済でグローバリゼーションに対応する中間層と対決するアフマディネジャド を味方と考えた。彼にはラフサンジャニはじめ高位の宗教者に見られる蓄財 や腐敗を批判し、イスラム革命の純潔にこだわる理想家肌のところがあった。

その限りで世界的な映画監督キアロスタミのような芸術家の理想主義と共鳴

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しあう部分もあった。実際、別の著名な監督マフマルバフの作品『神聖な結 婚』の主人公は、イラクとの戦争でトラウマを背負う貧しい若者であり、そ の像は革命防衛隊の指揮官だったアフマディネジャドの姿とも重なる。

しかし、キアロスタミは前回の選挙では「不恰好な継ぎ当て」をまとった 古めかしい政治信念をもつアフマディネジャドと縁を切った(ハミッド・タ バシ『イラン、背反する民の歴史』作品社)。また、マフマルバフに至っては 2009年の選挙をクーデターと呼び、ムサヴィらの支持に回った。理念で近い 者同士が袂を分かつ辺りにイラン政治の複雑な“ねじれ”と階級差による同 族意識の強さがある。

信仰の禁欲と神秘性を重んじるアフマディネジャドは、最初の最高指導者 ホメイニだけでなくハメネイをも熱心に信奉している。聖地コムのシーア派 高位の宗教者からすれば軽量級のハメネイは、ラフサンジャニの力で現在の 地位につけられたのに、権力をまず固めると政治基盤を宗教者機構から革命 防衛隊やバシジなどの暴力装置に移すようになった。

一時は10万人のデモが街頭に出た熱気は、ハメネイとアフマディネジャド の結託した体制暴力によって封じこめられてしまった。イスラム共和国の制 度変革を求めた市民の意志は潰えたかに見えるが、「法学者の統治」というシ ーア派の宗教者が全能の裁定者となる政治構造は長期的に見て「終わりの始 まり」の局面に入ったといえよう。何よりも一党派の領袖に転落してしまっ た最高指導者は、民主主義の担い手たる市民の意志を無視してしまったため に、体制を構成する力の均衡を自ら崩してしまった。そのうえ当初から学識 や修業の面で、最初のホメイニはもとより聖都コムの高位宗教者と比べて見 劣りしたハメネイの指導力や判断力に疑問符が付けられてしまった。窮地に 陥ったハメネイを失脚から救ったのは、革命防衛隊やバシジの神をも畏れぬ 街頭暴力にほかならない。

ムサヴィとの因縁も今度の事件の隠れた逸話である。1989年にホメイニが 死ぬと、ハメネイは首相職を廃止して合法的にムサヴィを失脚させたが、ホ メイニに任命されたムサヴィは師の直系という意識が強く、ハメネイに政界 を追われた屈辱を忘れていないのだ。

2009年から現在に至るまでイランで起きている事態は「終わりの始まり」

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なのかもしれない。大統領選挙は宗教指導者内部の亀裂をさらけだし、革命 防衛隊やバシジをアフマディネジャド個人の親衛隊に変え、イスラム国家と してのイランのいびつさを内外に露呈することになった。2005年のアフマデ ィネジャド当選は汚職や腐敗の匂いがするラフサンジャニに市民が否をつき つけ、「ガス工場の配管のように複雑に入り組んだ国家制度」(『ル・モンド』

6月23日)の隙間を掻い潜った民意の表現であった。しかし、2009年のアフ マディネジャドの当選疑惑と改革派への暴力は、アラブ諸国にはない政権の 円満交代という民主主義的な回路を塞ぎ、“格差解消”の名目で“ばらまき”

政策を革命防衛隊中心の軍国主義と結びつけるポピュリズム(大衆迎合主義)

の将来を暗示している。内の敵を外の敵と関連づけて米英による内政干渉を 批判する手法は、最悪の場合に国内ではファシズム、国外でも戦争を導きか ねず、イスラム政治体制を支える力の微妙なバランスを崩してしまうだろう。

イランの核ミサイル開発と北朝鮮との技術協力が絡んだ危機は日本にも確実 に波及する。

カリスマ性の喪失を印象づけたハメネイの精神的権威に代わって、これか ら体制の中心になるのは「軍国主義化」を進めている革命防衛隊の力になる だろう。アフマディネジャドの第二期の施策は内外ともに歓迎されるとは思 えない。ばらまきと熱狂によって下層貧困層に訴えるポピュリズム、「イスラ ムの核」の開発で米国やイスラエルとの均衡をはかる軍拡路線、ヒズブッラ

(レバノン)やハマス(パレスチナ)を支援する革命的ロマン主義、思想や 生活の欧米モードを無慈悲に圧迫する狂信性。これらの行き着くところ、イ ラン人の重んじる教養や知識の侮蔑、民主主義の妥協的手続きの拒否、中東 からイスラム世界を見渡すコスモポリタニズムならぬ「超国家主義」への執 着などの傾向がますます顕わになるだろう。こうした流れのゆきつくところ、

1930年代の欧州ファシズム運動と比較しながら「イスラム・ファシズム」に なるのではと予測する論者もいるほどだ(『ル・モンド』6月23日)。こうし た見通しは極端かもしれないが、第1期でも大臣21人のうち14人が革命防 衛隊やバシジ出身者だったアフマディネジャド政権の第2期に国際協調や緊 張緩和の点で期待できる要素はあまりなさそうだ。核開発を止める動きはま ったくなく、オバマの対話協調外交の現実的な可能性はますます薄らいでき

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ている。

市民に現在以上の“恐怖”を与えず「法学者の統治」の構造を守るには、

ハメネイ任免の権限をもつ専門家会議の責任も大きいが、その議長がラフサ ンジャニであるあたりに、イランの複雑な政治の構図があるのだ。ハメネイ 後の最高指導者になる人物をいま予見できないが、確かなのはホメイニのよ うな革命的カリスマがもはやいないことだ。選挙でアフマディネジャドを押 し上げた貧困下層民と熱狂的な革命防衛隊が手を組んでイランの誇るべき知 性や教養を軽蔑し民主主義の可能性を排除する構図こそ、いまテヘランの街 頭で繰り広げられる公の暴力の将来なのだ。

「人々の怒りは常に平和への要求であり、慰めを得る方法は常に動揺の中 にある」とは、13世紀の詩人ルーミーの『マスナヴィー』の一節である。い まの「動揺」がイランや中東の「平和」を生み出す陣痛となることを願いな がら、本報告書の序に代えさせていただきたい。

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