() 第 38 号 200(平成22)年3月30日(火) 弘 学 時 報
学長 𠮷岡 利忠
先日開催された卒業式における
祝辞の一部を記載します。
総勢一八七名の諸君が弘前学院
大学から卒業・修了して行きまし
た。 昨今は、社会情勢、経済情勢と
もに大変厳しいものがあり、就職
に関しては私どもの大学のみなら
ず、多くの大学で頭を悩ましてい
学校法人弘前学院理事長 阿保 邦弘
本多庸一とともに津軽に入った
キリスト教は、社会改革において
も大きな働きをすることになった。
特に、禁酒を主張してアメリカに
起こった婦人運動である「キリス
ト教婦人矯風会」は宣教師によっ
て日本にもたらされ、明治十九年
弘前教会にも結成された。その集
会記録が「矯風会記録」である。
第 38 号
(年4回発行)
編集発行 弘 前 学 院 大 学 広 報 委 員 会
印 刷 所
㈲小野印刷所
るところであります。大学で開催
される3学部を対象にした就職セ
ミナーも恒例の行事になりました。
このセミナーには首都圏および
北東北3県から多くの会社、企業、
医療施設などが参加しております。
その甲斐もあり現在の就職率は全
体で
80
%と上昇しております。今後さらに内定率が増え、最終的に
は100%になるものと期待して
おります。特に、看護学部卒業生
はほぼ全員の就職が決まっており
ます。
さて、諸君は、キリスト教主義教
育を貫くわが弘前学院大学および
大学院研究科を卒業・修了しまし
儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉
「矯風会記録」に つ いて
― 明治の貴婦人 たち ― 元聖愛高校教諭 岩渕 玲子
この度は、弘前学院のご協賛を
頂き、「矯風会記録」を上梓する
ことができ、まことに有難うござ
いました。
この本は弘前教会所蔵の「矯風
会記録」(全三冊)を、元聖愛高校
教諭、柏崎節子さんと私の二人で
解読編集したものですが私どもの
動機には学院にあった二つの出来
事がかかわっております。
平成四年七月、パトリシア、ア ン・マーズイリー氏が夫君と共に
聖愛を訪問されました。氏はかっ
て宣教師として本校に赴任した、
オットーさんの孫娘にあたり、祖
母の足跡を尋ねて遥々来られたの
でした。
柏崎さんはこの時まだ在職し
ていたので、通訳と接待にあた
り、マーズイリー氏との交友を深
め、退職後は渡米して再会します。
この時、彼女には祖母の伝記を書
く計画があることを知り、日本に
おけるオットーさんの足跡を調べ
ることを約束したのでした。
オットーさんの名は「弘前学院
百年史」には載っていません。旧
職員名簿にもなく、写真もありま
せん。私も調べた事がありますが、
明治三十二年一月の東奥日報に、
メアリー夫人の葬儀に列した宣教 師の一人として名前が出ていただ
けでした。何の手がかりもない。
もう一つの出来ごとは、平成六
年、閉園した聖愛幼稚園から「矯
風会記録」が発見された事です。
このニュースに私は驚き、また
無念でもありました。百年史を編
集した時どうして出てこなかった
ものか、是非一覧したいと思って
いました。
オットーさんを調べて行くうち
に柏崎さんがみつけ出した「矯
風会記録」を、図らずも読ませて
頂き、私は明治の女性を再認識し、
特に文語体を使って会議の記録を
残した書記能力の高さに関心を抱
きました。私も在職中会議や講演
の書記をさせられましたが、なか
なかたいへんなものでした。
多分、津軽弁もまじえたであろ た。諸君は、入学時にリトリートと
いう行事に参加し、建学の精神と
聖書の心を学び、木曜日の通常礼
拝のみならず創立記念礼拝、秋の
特別礼拝、クリスマス礼拝、クリス
マス音楽の夕べでは、宗教主任、牧
師さん、教員、そして諸先輩の貴重
な話や心が和む音楽や歌唱を聴く
ことができました。静かな環境の
中で、貴重な経験をしました。そし
て、いま、この卒業式に参加してお
ります。これらの経験は、これから
社会に出る諸君にとって自分が置
かれている状況や今後の進むべき
方向を見定める時の態度を知らず
知らずのうちに養ってくれていま
す。たとえ短い時間の礼拝であっ
ても、極めて有意義な体験であっ
たと思っております。 さて、弘前学院は創立一二五年
目に入ります。歴史と伝統のある
大学に在学したことに、堂々たる
プライドを持って欲しいと思いま
す。弘前学院創設以来の歴史や伝
統は、見え隠れしながら皆さんの
誇りや自信を
形成してくれ
ています。崇
高なプライド、
誰にも負けな
い誇りと自信
を抱き社会に
飛び立って下
さい。そして、
この伝統を持
つ弘前学院大
学に入学し卒
業・修了した
ことを諸君が
卒業した高校
の先生方、後
輩、兄弟、友人たちあるいは職場
の先輩たちに大いに誇りとして下
さい。弘前学院聖愛中学校・聖愛
高等学校そして大学は、いわゆる
中・高・大そして大学院までの一
環教育の必要性を意識した結果で
う話し合いや、
集会ごとにな
される講話は、
簡潔に、ある
いは詳細に、
的確に書かれ
ています。そ
の知的教養からみて、矯風会のメ
ンバーは当時の上流の人々であっ
たでしょう。
明治にアメリカから宣教師と
ともに日本に渡ったキリスト教
は、禁酒運動と抱き合わせでした。
日本ではこれに、廃娼(売春を禁
ずること)をつけ加え、「矯風会」
が発足します。
この記録をみると、弘前教会婦
人部の中に結成された「矯風会弘
前支部」は、禁酒・廃娼のほか、災害
救助・孤児・孤老への慈善などいろ うちに現代漢字による活字の文書
にしておけば、何か役立つ事もあ
るかと考え、解読・編集を思い立
ちました。
この記録でオットーさんが第二
代会長として指導力を発揮したこ
と、その離日の年月日が分かっ
たことは大発見でした。「学院史」
を左右する事実はありませんでし
たが、歴代宣教師の人がらがほう
ふつとするのも大きな収穫でした。
終りにその一例を紹介したいと思
います。
明治四十五年、グリフィス(第
十代校長)の講話を、書記高杉つ
る子は口述のまま伝えています。
その出だしの部分、
『私は御国の言葉で皆様の前に御話
することを誠に憚り度く思ひます
が、私は米国に於て見たアルコール いろ活躍して
おります。それ
は会員の、寄付
や、催し物によ
る利益金など
でなされ、信仰
なしには出来
ない奉仕でした。私が貴婦人と思
うのは、そんな点です。
この矯風会という県下最初の婦
人運動については当時の新聞にも
報道され、すでに文献もあります
が、この記録は史科としても貴重
なものを含んでいます。しかし毛
筆書きのため、楷行草変体仮名が
入りまじり、旧字体で書かれてい
るので現代の人には難読と思いま
した。また弘前教会では「禁持出」
として大切に保管しておりますか
ら一般の目には触れにくい。今の の恐ろしい魔力におそはれないや
うに御警告申し上げたい切なる心
から暫く御話をいたします』
この丁寧な日本語をグリフィス
は使いこなし書記は一語も洩らさ
ず筆で書き留めました。見事と言
うほかありません。グリフィスの
徳望が実感される一文です。 すし、理事長ならびに全教職員の
強い想いを背景に地域から望まれ
た結果だと信じております。聖愛
中学校は大学の看護学部と同様に、
この3月に第2回生を送り出しま
した。キリスト教主義を背景とし
た中・高・大
そして大学院
を通した一環
教育は東北地
方にあっては
誇れるもので
あります。さ
らに、在校生、
卒業生、同窓
会の強い絆が
形成され、地
方の教育機関
として輝いて
おります。
諸君はさま
ざまな環境に
飛び込むことになり、色々な人た
ちと巡り会います。年齢の異なる
人たち、学歴が異なる人たち、地
位が異なる人たち、大学生時代で
は友達、部活の仲間というほぼ横
の繋がりが主であったものが、歴 然とした上下関係が存在する中に
入るのです。皆さんにとっては強
烈な試練が待ち構えています。寝
不足になったり、頭痛を訴えた
り、たまにはお腹も痛くなるで
しょう。どのような環境でも前向
きに進むということ、この緊張を
持つ姿勢が厳しい環境にも馴染む
ものです。社会に飛び立つと、周
囲はストレスだらけ。正確に言い
ますと、ストレスとは私たちの体
の中に生じる得体の知れないもの
で、ストレスを惹起させるものを
ストレッサーと言っております。
ストレッサーが環境そのものなの
です。ここに輪ゴムがあるとしま
す。図に示しているように、引っ
張り過ぎの状態だとそのうちに劣
化して切れてしまいますが、適度
に張られている、すなわちある程
度緊張しているゴムは弾性として
の機能が発揮されます。その状態
では、少しくらい引っ張っても切
れません。また、パンパンに張っ
た風船を外から圧すと、すなわち
ストレッサーが加わると弾けてし
まいます。あまり空気を入れてお
かない風船では、外からの圧力が あってもほんの少し凹むだけ。輪
ゴムの例は、「心の引っ張り」で
あり、風船は「心への圧迫」であり、
緊張が強くても緩めることがうま
ければ長持ちするし、何時も張り 様化は、避けて通れません。環境
に馴染むことが求められています。
環境に適応し・順応し・順化する
ことは生命科学の分野の専門用語
ですが、良い意味でその場に適応
することが大切。なにが嫌、これ
が駄目などと言わず、どんなこと
にでも挑戦する姿勢です。弘前学
院大学で学んだ諸君には充分その
姿勢が備わっています。
諸君は、弘前学院大学を卒業・
修了したことに、自信と誇りを持
ち、胸を張って諸君の志を達成す
るために歩み続けてください。そ
して、将来、諸君が素晴らしい伴
侶を得て、行く行くは諸君のお子
様たちが弘前学院聖愛中学校・高
等学校そして母校となる弘前学院
大学を目指していただき、弘前学
院の歴史を作っていただきたいも
のです。そのような、諸君に愛さ
れる大学になるように私ども教職
員は一丸となって前進したいと思
います。
以上、皆さんの前途を祝し、私
の式辞といたします。諸君にそし
て全ての大学関係者に神の思し召
しを。
God Bless You! 伸ばし過ぎずに
学位記授与式
切っていると疲れやすいし余裕が
なくなるでしょう。今の社会環境
は厳しい。これに馴染もうとする
ことは、他ならぬ輪ゴムを緩めに
張る、あるいは風船に空気を入れ
すぎないことでしょう。そこそこ
緊張状態にしておくこそ、毎日の
進歩があり精進できるというもの
です。また、さまざまな環境にい
る人たちとのコミュニケーション
も大切です。仕事をする上での多
(2) 第 38 号 200(平成22)年3月30日(火) 弘 学 時 報
古い書物たちとの語らい
文学部 准教授 森田 猛 555555555555555555555555
研究紹介⑨
談話室 ソーシャルワーカーの羅針盤 「ケースワーク原則」は、
社会福祉学部 准教授 葛西 久志
55555555555555
昨年の十二月十九日(土)、看
護学部棟に於いて2009年度卒
業研究発表会が二つの教室で行わ
れました。学生達が発表会の準備・
進行を行い、
10
のセッションに分かれて
54
課題が発表されました。私は「H病院におけるチーム医
療のあり方について」というテー
マで研究発表を行いました。三年
生の後期にテーマの提出期限があ
り、最初はテーマを決めるのにと
ても迷いました。これまでの実習
で最も印象に残ったことを思い出
し、それをテーマに出来ないだろ
うか?と考えました。私の受け
持った患者さんは退院後に施設に
入ることが決まっていて、退院後
の不安を私にいつも話しておりま
した。私は話を聞くことしか出来 なかったのですが、そこの病棟の
看護師さんやソーシャルワーカー
の方々が、退院後に入る予定の施
設について説明したり、患者さん
が少しでも自立できるよう理学療
法士、作業療法士、言語聴覚士の
方々が毎日リハビリを行ったりな
どと、様々な職種の人たちが関わ
り患者さんをサポートしていまし
た。その結果、患者さんは笑顔で
退院していったのです。このこと
から、円滑なチーム医療を行うに
は、職種間でどの様な連携を行っ
ているのか探求したいと思い、卒
業研究のテーマにしました。
テーマ提出後、担当教員に指導
していただき、研究計画書を作成
しました。何度も書き直しをしま
したが、卒業研究を進める中で、研
究計画書の作成が一番大変でした。
その後、自作のアンケートを作成
しました。アンケートはH病院に
勤務する看護師さん全員(約
60
人)を対象としたので、収集やデータ の集計に時間がかかりました。し
かし、臨床の生の声を聞くことが
出来、アンケートの一つ一つが文
献からは知ることの出来ないもの
で、とても参考になりました。
十二月に入って、論文と発表用
のスライドの作成にかかりました。
スライドは研究した内容をわかり
やすく、的確に発表できるかを重
点に考え作成しましたが、十分以
内に終えることが難しく、何度も
練習を重ねました。同じゼミの皆
でわかりづらいところやスライド
で見づらいところなどを指摘し合
い、より良い発表になるよう協力
しあいました。発表会では、自分
がやってきたことに自信を持って
話し、終わった後に大きな達成感 を覚えました。また、他学生の発
表を聞き、質問を出し合う中で多
くを学びました。四年生では、実
習や就職活動、国家試験の勉強や
卒業論文とやることがたくさんあ
り投げだしたい時もありましたが、
自分が興味をもったテーマだった
ので、最後までやり遂げることが
出来たのだと思います。指導して
くださった先生方や、支えてくれ
た友達、協力してくださったH病
院のスタッフの皆さんには本当に
感謝しています。これから私は看
護師として医療チームの一員と
なって働きます。他職種の方と関
わって、患者さんの笑顔のために
看護していきたいです。
卒業研究発表会を終えて
看護学部 看護学科 四年 豊嶋 純恵
「あすなろマスターカレッジ」と
は、青森県総合社会教育センター
が主催する、社会教育の一環です。 その目的は、「平成
20
年度あすなろマスターカレッジ記録集」によ
れば、「高度な学習要求に応える
とともに、社会参加活動を促進す
るため、大学、博物館等と連携する
ことにより、専門的・実践的な学習
機会を提供し、地域において、主体
的に活動できる人材を育成するこ
とをねらいとして平成
16
年度から実施」ということです。受講生の課
程は2年間で、合計200時間の
学習により修了証書の授与となり
ます。既に第1期~第3期におい て
74
名が修了し、それぞれの地域で活動しておられます。
本学は、地域とともに歩む大学
として、当初からこの構想に積極
的に参加し、企画委員・運営委員
の派遣のほか、講師・場所を提供
するなど、できる限りの貢献を惜
しまず、今日に至っています。
2008年度から、弘前市にお
いて第4期のうちの1コースである「人文科学コース」が開設されて
いましたが、このたび2年間のカ
リキュラムが無事に終了いたしま
した。特に今回のこのコースにお
いては、受講生の皆さんに実際に
本学まで足を運んでいただき、学
生さんとともに学んでいただくな
「青森県 あすなろ マスターカレッジ」 への協力
ど、より積極的に大学が関わっています。
21
世紀における大学のあり方として、全国的に見ても先進
的な取り組みであり、受講生の皆
さんにも大変好評を博したと自負
しております。
弘前学院大学は、これからも地
域の人々の学びにおける中心的な
場所として、学生さんに対するの
みならず、多くの人に広く教育資
源を提供していくことを企図して
います。学生の皆さん、ご父母の
皆さんのご理解とご協力をいただ
ければ幸いです。(「あすなろマス
ターカレッジ」企画委員ならびに
同「人文弘前校」運営委員
文学部教授 井上 諭一) 史学史(歴史学の歴史)という
少々古風な分野を専攻しているこ
ともあって、わたしの研究生活は
クラシックなものである。最新鋭
の機材を使ったデータ解析や大
がかりな実験をするわけではない。
古い文献をていねいに読んで、そ
れについてじっくり考える。基本
的にはただそれだけである。だか
らといって、カビの生えたような
つまらないことばかりというわけ
ではない。古い書物たちとの語ら
いには、何度となく新鮮な発見が あったし、素敵な出会いもあった。
古い書物は独特の字体や美しい
装丁をもち、新刊本にはない魅力
がある。刻印された蔵書印、書き
込みやアンダーラインは、何人か
の持ち主の間を渡り歩いてきたそ
の本の「個人的な歴史」を物語っ
ている。一冊一冊が実に
個性的な存在なのである。
わたしはスイスの文
化史家ブルクハルトを
中心に研究を進めてい
る。彼の著作だけでなく、 内外で出版された研究書を網羅
的に収集してきた。あるとき、ド
イツの古書店から届いた研究書
の第一頁にふと眼をとめた。そこ
には「
Ex libris/ Paul Egon
H ü binger/1942
」とブルーブラックのインクでサインがほど
こされてあった。パウル・エゴン・
ヒュービンガーの蔵書(一九四二
年)という意味だが、この人物、最
近読んでいた『ボン大学歴史学ゼ
ミナール史』(一九六三年刊)の著
者とまったくの同姓同名である。
ひょっとすると同一人物ではない
だろうか?
一九世紀の後半、歴史学の専門
教育制度化の過程で、ジーベルと
いう稀代の
学術政策家 が活躍した。ボン大学歴史学ゼミ
ナールとは、彼が設置した教育施
設である。このジーベルとブルク
ハルトは、ともに「近代歴史学の
父」ランケの弟子であるが、前者
がつねに歴史学界の中心に位置し
ていたのに対して、後者はアウト
サイダー的立場に終始した。この
対照的な両者を結びつけた研究は、
ブルクハルト研究の中心地ドイツ
でも、誰もまだ着手していないも
のであった。
だが、ヒュービンガー氏がかつ
て所蔵した研究書を前にして、わ
たしはこの「不思議な縁」に何か
背中を押されるような気がしてき
たのである。やがて試みた論考
は、稚拙なものであったが、その
後の研究を方向づけるものとなっ
た。その恩人たる古書は、十数年
前にドイツのハンブルクから船出
し、日本で待つ新しい持ち主のも
とへと向かったわけである。最初
の頁に大切なプレゼントをたずさ
えながら。 私の人生設計の中で、全く想定
外だったのが、5年前の大学院へ
の進学であった。大学を
27
年前に卒業し、その後は精神科病院をは
じめ、精神障害者社会復帰施設の
ソーシャルワーカーとして従事し ていた。また、仕事では精神障害者
の社会復帰(地域支援のあり方)を
テーマに病院から社会復帰施設へ
と転職しライフワークとして取り
組んでいたので全く大学院につい
ては考える余地もなかった。
しかし、そんな時に、大学の非常
勤教員の話が舞い込み、後継者育
成や実習教育のあり方などにも興
味関心があった私は容易に引き受
けてしまったのである。ところが、 大学で講義することは思った以上
に大変なことであった。臨床現場
の話は十分にできたとしても学問
的知識や技術のなさは否めず、不
全感の続く毎日が過ぎて行った。
そんな折、修士を持つ細君の勧め
もあり大学院への進学を決意した
のである。
進学後は、仕事とレポート課題の
両立にとても苦労した。仕事を終え
てからレポート課題に取り組もう
と専門書などを読むのだが、数ペー
ジも進まないうちに睡魔に襲われ、
毎朝後悔の念に苛まれていた。
さて、大学院への進学により、出
会った書籍は数知れず、中でも
ソーシャルワーカーの原点である
Felix P.
バイステック著「ケース ワークの原則」やMary E.
リッ チモンド著「ソーシャル・ケース・ この度、2009(平成二十一)年度の成績優秀者が決まり、三月
二十日に表彰状の授与が卒業式後
に行われました。
この賞は、学業成績・人物とも
に優秀で、社会福祉士・精神保健
福祉士養成校の養成課程修了者に
対し贈られるものです。受賞者は次の方々です
■日本社会福祉士養成校協会成績
優秀表彰者 山内麻祐子 ■日本精神保健福祉士養成校協会
成績優秀表彰者 秋元 理那
zzz zz
zz zz
zz zz
社会福祉士 ・ 精神保健福祉士養成校協会 成績優秀者表彰される
zzzzzzzzzzzzzz zzzzzzzzzzzzzz
zz zz
zzzzzzzzz
ワークとは何か」を読むことで、こ
れらの書籍がケースワークの歴
史のなかで、初めて援助関係とい
う基本にこだわり、援助関係の意
義を具体的に提示し、さらに関係
形成の技法を整理したという意味
で、大変大きな意義をもっている
ことを確信した。奇しくも「ケース
ワークの原則」は、私が生まれた頃
の1959年に刊行されたもので
あり、半世紀を迎えた今でも古さ
を感じさせず、今後も私たちソー
シャルワーカーの羅針盤的な本と
して生き続けていくことと思う。
現在、入職後再び同じ書籍に出
会い、地域で働くソーシャルワー
カーや学生、教員らが開催してい
る誦読会(松本研究室主宰)に参
加し、さらに研鑽を積んでいると
ころである。
444444444
4444444
4
4 4 444444 4 4 4 4 4 44
(3) 第 38 号 200(平成22)年3月30日(火) 弘 学 時 報
111111111111111111111111111111111111111111
本学院卒業生が入会する弘
前学院校友会(工藤幸会長)か
ら、1月
22
日(金)母校援助金30
万円が𠮷岡学長へ寄贈されました。校
友会母校援助金は毎
年度寄贈され、昨年
度は体育館ステー
ジ引き幕、今年度は
AED(自動体外式
除細動器)の機械を 購入しました。看護学部事務室
に常備して、いざという時の設
備として有意義に活用します。
去る一月八日(金)、今年度の
学内就職セミナーが本学体育館に
て開催されました。
学内就職セミナーの開催も今年
度で5回目となりすっかり定着し
た感があります。
セミナーを本学内で開催するに
あたっては次のような意義があり
ます。
1.採用予定のある企業を本学に
招くことで、直接、学生と面
談をしてもらえる。
2.面接や言葉遣いの練習にもな
り、コミュニケーションの訓
練にも役立つ。
3.学生にとっては、一度に複
数の企業の説明が直接に聞け、 また、業界研究、企業研究に
も役立つ。
4.企業にとっても、本学の学生
を知る良い機会となる。
5.加えて、これから始まる就職
活動に対するモチベーション
の高揚が図られる。
当日は青森県内を中心に
38
の企業・施設、
55
名の採用担当者の出席を頂きました。また、学生の
参加は、既に就職活動に入ってい
る3年生を中心に、これから就職
活動するための準備となる2年生、
及び4年生(4年生参加可の企業
もあり)の計107名と、多数の
参加がありました。
当日は冬季にしては温かく天候 にも恵まれました。セミナーは予
定通り午後1時、畠山文学部長の
開会のあいさつに始まり、開始の
合図を待ちかねたように学生は一
斉に希望の企業のブースを訪問し
ていました。皆、事前に行ったオ
リエンテーションで指導されたこ
とをよく生かし、熱心に説明を聞
き、質問やメモをとるなどしてい
ました。そして予定通り午後4時
にはセミナーは無事終了しました。
参加した学生からは、「目指す
企業の情報が得られた」「就職を
具体的に意識できた」などの前向
きな意見が多数寄せられ、また、
企業からも
「
皆、熱心に説明を 聞いてくれた」
「是非また参加したい」などの意見が寄せられまし
た。 今回のセミナー開催に当たって
は前回以上の企業
・
施設にご案内を差し上げたものの、参加は昨年
を下回っています。このことから も、昨今云われている就職氷河期
が実感されるものです。今後の就
職状況は大変厳しいものがあると
予想されますが、学生諸君にはこ
の経験を生かし就職活動に励んで
もらいたいと思います。
最後に、本セミナー開催のため
にご尽力いただいた関係者の方々、
また、ご出席頂いた企業の方々に
厚く御礼申し上げます。
学内就職セミナー開催!
文学部・社会福祉学部対象
就職課長 福井 修
弓 道 部
文学部 日本語・日本文学科 四年 中村 圭吾
クラブ紹介
弓道部は、現在三年生中心で部
活をしています。主な活動場所は
弘前市営弓道場で、私たちは月、
水、金の放課後にそこに行き一、二
時間練習をします。その他に個人
の空き時間を使って、道場に行き、
練習をしたりします。練習は各々
の都合に任せていて、強制はして
いません。
弘前市営弓道場ではコーチが一
人一人丁寧に指導してくれます。
また、弘前市営弓道場では弘前市
弓道連盟の方々がいますので、一
緒に活動させていただいていま
す。ときどき、弘前市弓連の人た
ちから指導をいただいています。
そのため、弘前市弓連の方々には
いろいろとお世話になっていま 今、弓道部は部員がたりなくて
困っています。今回の優勝した大
会も部員二人が出て優勝しまし
た。もし、弓道に興味がありまし
たらぜひ参加してみてください。
経験者・未経験者を問わず誰でも
大歓迎です!無理なく出来る部活
なので気軽に始めてみませんか。
●●
● 大学での経験は必ず活かされる ●
●●文学部 日本文学科卒 原 千昌
二〇〇四年三月卒業
大学を卒業して早いもので6年
が過ぎようとしています。卒業し
て一般企業を経て、現在社会教育
主事として働いています。
社会教育主事の仕事は、とても
地味ですが幅広くハードな仕事も
数多くあります。一言で言うと学
校外教育ですが、対象の年齢層が
子どもからお年寄りまでと広く、
どの世代の人でも気軽に学習でき
る場を作り、スポーツ・文化・文 学・歴史・政治など全ての分野が
対象となります。この仕事の難し
いところは、各講座等を受ける側
のニーズを正確に把握すること
と、それに合った講師を探すこと
です。
21
年度は新型インフルエンザが県内で一斉に流行したことか
ら、急きょ当初から計画していた
講座に追加して新型インフルエン
ザに関する講座を開催したり、そ
の時々によってニーズが大きく変
化するため、最大限それに応えて
いく必要があります。また講演を
開催するにあたりその分野の専門
家を探すのですが、各自治体の予
算が大きく削られている中、予算
内で見つけることは大変難しく、 無料の県内大学の講師派遣制度や
県職員の出前講座の講師にお願い
して節約しながら何とか開催して
います。
学院で社会教育主事の資格を取
得し、一般企業へ就職した時は一
生この資格は使わずに終わるだろ
うと思っていましたが、気がつけ
ばこの仕事をしています。学生時
代に見たり聞いたり学んだ事はい つ役立つかわかりません。在学し
ている皆さんも同じです。どうか
4年間しかない学生生活の中で
色々な経験をして下さい。その経
験は必ず社会に出たときに役立
ち、それまでの生き方を大きく変
えてくれるものです。色々な経験
をした皆さんといつか一緒に仕事
をできることを楽しみにしていま
す。
uuuu uuuu uuuu uuuu uuuuuuuuuuuuuuuuuuuu uuuuuuuuuuuuuuuuuu
u
ただきました。青森大学さんには
この場を借りてお礼を申し上げま
す。
この大会を通して、部員たちは
大きく成長すると共に、他大学の
選手たちと交流を深めることがで
きて、とても充実した大会になり
ました。 私は昨年8月に一カ月ほどアメ
リカ合衆国のシカゴ近くにあるネ
イパービルという町に海外研修に
行ってきました。私は海外研修に
行くことが初めてだったので、行
く前までは初めての場所に行くこ
とへの期待と不安でいっぱいでし
た。 海外研修には私たち日本人の他
に、台湾人、カタール人の学生も
参加していました。私たちは寮で
一緒に過ごすことになり、一か月
のスケジュールもすでに組まれて
ありました。平日は決まった時間
にそれぞれのクラスで授業を受け、
授業の後や休日には寮の近くにあ
る町中に買い物に行ったり、シカ
ゴ観光をしたり、動物園に行った 分にコミュニケーションをとるこ
とができたし、絆を深めることも
できました。私の中では、日本に
帰る前夜にチューターの女の子と
あることがきっかけで喧嘩をして
しまったことがとても印象に残っ
ています。その日のうちにちゃん
と仲直りをしましたが、私たちは
喧嘩できるくらい仲良くなってい
たのだと思うとすごく良い思い出
です。
私は弘前学院大学に入学しよう
と決めた頃から絶対に一度でもい
いから海外研修に行きたいと思っ
ていました。というのも、私が中
学生の頃、海外研修に行くことが
決まっていた手前でアメリカのテ
ロ事件と重なってしまい、残念な
がら行くことができなかったから
です。また、私は決して英語が得
意という訳ではないのですが、他
国の人たちとコミュニケーション をとることができたら楽しいだろ
うという思いと、英語を話すこと
ができたらあらゆるところに視野
が広がるだろうという思いがあっ
たので、海外研修に参加すること
を決めました。ですから、ぜひ皆
さんも積極的に海外研修に参加し
て、たくさんの発見をしてほしい
と思います。
「初めての海外研修」
文学部 英語・英米文学科 四年 市村 未希
り、遊園地に行ったり、ここには
書ききれないほどたくさんの経験
をしました。また、私は一日だけ
でしたがホームステイにも行くこ
とができて、とても充実した時間
を過ごすことができました。
海外研修を通して一番に感じた
ことは、やはり他国の人と英語で
コミュニケーションをとることの
難しさでした。私は自分の英語力
の未熟さに落ち込むこともありま
したが、へたくそでも片言でもそ
れを恥ずかしいと思わず、自分か
ら相手に伝えようと語りかけてい
く努力をしなければ英語は上達し
ないと思いました。たった一カ月
という短い期間でしたが、全ての
プロジェクトを通して私たちは十
yy yy yy yy yy yy yy yy yy yy
す。この場を借りて、お世話になっ
た方々にお礼を申し上げます。
これが弘前学院大学弓道部の特
徴です。一般の方々と雑談や弓道
の話などをしてのんびりと活動し
ています。
この度、弓道部は第
39
回東北地区女子学生弓道大会Ⅳ部リーグ
において、団体の優勝と個人3位
を獲得することができました。こ
の第
39
回東北地区女子学生弓道大会Ⅳ部リーグというのは東北学生
弓道連盟主催の大会で、Ⅳ部リー
グというのは女子の中で一番下の
リーグです。この大会の主管は今
回弘前学院大学が行い、場所は弘
前市営弓道場で試合をしました。
その際、青森大学さんにも協力い
弘 前 学 院 校 友 会 よ り 母 校 援 助 金
30 万 円 の 寄 贈
uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu() 第 38 号 200(平成22)年3月30日(火) 弘 学 時 報
uu uu uu uu uu uu uu uu uu uu uuuuu uu
uu uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu
学べることのありがたさ
文学部 英語・英米文学科卒 長尾 友花
弘前学院
大学での4
年間は、まさ
に私を成長
させてくれ
た4年間でした。高校生活までと
は違い、親元を離れてのアパート
での一人暮らし…。大学ではホー
ムルームというものが特別設けら
れておらず、担任の先生もいなけ
れば、講義も自分で受講したいも
のを選択するため、友人たちと同
じ講義ばかり受けるとは限らな
い…。アルバイトも自由にやって
よい…。といったように、何もかも 「自分次第」で決まり、「自分次第」
で変わる、『自分らしく歩める環
境』であったように感じます。
そんな4年間で、私はとても多
くの出会いを経験し、刺激を受け
ました。まずは、個性溢れる友人た
ちとの出会いです。一人ひとりが
その人らしさを持っており、様々
な考え方があることに良い意味で
驚かされる場面が多々ありました。
私もしっかり自分を持たなければ
…と、生きていく力を喚起させて
もらえた気がします。
そして、長年研究を積み重ねて
こられた先生方との出会いはもち ろん、どのような先生方によって
繰り広げられる日々の講義内容に
もたくさんの出会いは潜んでいま
した。入学当初は只々難しく堅苦
しいと感じていた講義も、慣れて
くると楽しく奥深いものである
ことがわかり、先生方が不意に発
する名言に感銘を受けながら必
死にノートをとる、有意義な毎日
でした。先生方の助言を受けなが
ら、自分だったらどう思うか、ど
う動くかなどを考えさせられる
ような講義は、私にとって特に魅
力的で、一時限
90
分の講義を終えた後の自分はそれまでとは別の
人間に生まれ変わったようで、新
たな自分に出会えたようなとて
も清々しい気分になれたことも
ありました。
他にも、社会教育実習として公
民館での事業に携わったり、教育
実習生として母校の高校に迎え
入れていただいたりと、本当に多
くのことに挑戦し、たくさんの
方々と触れ合い、 学ぶ機会を与えていただいた、中
身の濃い4年間でした。
と同時に自分は一人で生きて
いるのではないということにも
改めて気付かされました。一人
暮らしで寂しい思いをしている
時、悟ったかのように連絡をくれ
た古くからの友人、体調を崩した
時に差し入れをしてくれた大学
の仲間、そしてたまに帰省した時
には、おかえりと温かく迎えてく
れた家族…。4年間を振り返ると、
思い出と共に、わたしを支えてく
れたみんなの顔が浮かびます。感 謝の気持ちでいっぱいです。
大学生活では、今がチャンスだ
と感じた時には自分からチャレ
ンジする精神を得ることができ
ました。また、前向きな姿勢で学
ぶことは楽しく、それはきっと自
分の為になる「何か」を獲得でき
るということも実感させられま
した。学べることを当たり前と思
わず、学べる環境を与えられるこ
とにいつも感謝しながら、今後の
人生においても日々勉強し、自分
らしさを確立させていきたいと
思います。
かけがえのない四年間
文学部 日本語・日本文学科卒 柴田 恵佳
大学四年
間というの
は意外にも
あっという
間で、まだ
まだやり残したことがたくさん
あるような気がします。
入学当初、親も高校時代の友人
も傍にいない環境で、人と話すこ
とがあまり得意ではない私は何
をするにも不安で仕方がありま
せんでした。
それでも、趣味や目標が同じ友人
ができ、講義や演習にも慣れた頃に
は毎日がとても楽しく、余裕ができ
自信がつくようになってやっと、こ
こでは自分の夢や目標に向かって 好きなことを存分にやってもいい
のだと思えるようになりました。そ
れからは、友人と一緒に買い物や食
事に出掛けたり、時には気ままに一
人で旅行をしてみたり、はじめてア
ルバイトに挑戦してみたりと、今ま
での私では考えられないくらい積
極的になれたと思います。もちろん
講義でも、自分の興味のある分野を
専門的に学ぶことができるのでと
ても有意義な時間を過ごすことが
でき、教育実習では大変ながらもや
りがいのある貴重な経験をするこ
とができました。
時には寂しさや辛さを感じたり
することもありましたが、大学生活
はどうだったかと聞かれたら「と ても充実して楽し
かった」と自信を持って言うことが
できます。それでもまだ挑戦し足り
ないと、まだ学生のままでいたいと
感じてしまうのは欲張りでしょう
か。そう思えるほど、大学生活は離
れ難い時間になっていました。
知識や経験だけでなく様々な
面において私がここまで成長で
き、充実した四年間を過ごすこと
ができたのは、大切な友人達や先
生方をはじめとするたくさんの
方々のおかげです。弘前学院大学
での経験と思い出を糧に、これか
らは社会人として精一杯努力し
ていきたいと思います。
今まで支えてくださったすべて
の人とかけがえのない四年間には
感謝の気持ちでいっぱいです。本当
にありがとうございました。
卒業にあたり
社会福祉学部社会福祉学科卒 八戸 美晴
私たちが
弘前学院大
学に入学し
てから、早
いもので4
年の月日が経とうとしています。
この4年間の大学生活を振り返
ると、私はたくさんのものを得ま
した。それは福祉的な知識、価
値観、援助技術などだけではな
く、多くの人と接し、多くのこ
とを感じ、人間性を高めること
ができました。
特に社会福祉実習や精神保健
福祉援助実習では、様々な利用
者さんや支援スタッフの方々と
出会い、「自分はいったいどんな
人間なのか」「どんな考え方を持 ち、どのように人と接している
のか」などの自問自答を日々振
り返っていくことで、自己覚知
を深めることができました。ま
た、私はハンドベル・クワイアに
所属し、毎週木曜日の礼拝や他
教会での奉献、福祉施設などで
の演奏のために、毎日練習に勤
しんできました。メンバー全員
で息を合わせて音を鳴らし、一
つの楽器として曲を奏でること
で、お互いに助け合い、協調し
あう心を育むことができました。
講義ではたくさんの素敵な仲
間や先生方に恵まれ、グループ
ワークや国家試験勉強のほか、
休憩時間などでもたくさんの刺
激を受け、楽しい充実した時間 を過ごすことができました。特
に実習中や受験勉強中、不安や
焦りで気が折れそうになったと
きには、友人も私と同じ大変な
状況にも関わらず、相談にのっ
てくれたり、励ましてくれたり
と、仲間がいることの心強さと
優しさを実感することができま
した。時には競い合い、励まし
あい、支えあい、そして笑いあっ
た仲間ができた、この弘前学院
大学で、私はひとまわりもふた
まわりも人間性を成長させるこ
とができたと思います。
私の大学生活を最高のものへ
と導いてくれた先生方、仲間、地
域の方々、家族、全ての方々に
感謝して、卒業したいと思います。
四年間、お世話になりました。
また、楽しい充実した四年間を
ありがとうございました。
卒業にあたって
看護学部 看護学科卒 鈴木千津子
4年前の
入学式の日
は、四月と
いうのに
オーバーが
必要なほど寒く、校舎の隅には たにしたことが、卒業を前にし
た今、まざまざと思い出されます。
学生生活は、入学式の決意な
ど吹き飛んでしまうほど、しっ
かり勉強させられました。テス
トやレポートの連続で、ヒーヒー
言いながら日々をこなしました。
しかし、どの勉強もより良い看
護のためです。そのことを病気
で苦しんでいる患者さんを目の
前にしたとき、どれほど痛感し
たことかわかりません。
最も印象に残っているのは、病
院や施設での実習です。特に最後
の実習(看護総合臨床実習)で
は、自分のやりたい分野が選べ
ます。どんな患者さんを受け持
ちたいのか、どんな看護をした
いのか、明確な目的・目標を決め、
十分な下準備を行って実習を行
います。私はがん看護(緩和ケア)
を選びました。患者さんを目の
前にして、自分の知識不足、技
術の未熟さ、意識の不十分さを 痛感しました。そんなとき教員
や指導看護師は厳しい(それは
同時に優しさでもある)指導で
支えてくれました。患者さんと
の心のふれあいでは、看護師と
しての喜びも味わうことができ
ました。また、同級生とは、愚
痴を言いあい、励ましあい、涙
しあい、笑いあい、飲んだくれて、
一歩一歩、前に進んできました。
だからこそ今の自分があると思
います。
こうして無事に卒業できるこ
との感謝を伝えたいのは、前記
弘前学院の思い出
大学院 社会福祉学研究科修了 西川 直子
弘前学院
大学大学院
の社会福祉
学研究科
に、入学し
てから早いものでもう、2年の
月日が過ぎようとしています。
私は、
37
歳の時に本大学院に入学を致しました。入学する前か
ら私は、大学院は学部とはどのよ
うな違いがあるのかと、大学院
では自分の専門を深めていって、
自分なりの「研究」をすること
だと思っていた私は、はたして
私に「研究」を進めていき、そ
して、それをまとめて「修士論
文」を書き上げることは出来る
のか、とても不安でした。さら
に私は、学部を卒業してから数
年、教育現場で働いておりまし
たので、数年間のブランクがあっ
てからの大学院入学でしたので、
学生生活は上手くやっていける
のだろうか。など、とにかく不
安ばかりでした。
しかし、実際に入学してみると
本大学院は、様々な職業の方や、
年齢も様々な方々と一緒に学べ uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu 除雪された雪が山のようにうず
高くありました。雪のあまりな
い仙台から来た私にはその光景
は衝撃的であり、「弘前に来たん
だ、これからしっかり勉強して
看護師になるんだ」と決意を新 る大学院だったので、わたしの不
安は嘘のように消え、次第にこん
なに素晴らしい仲間と一緒に学
んでいくことができる私は、恵ま
れていることを実感し、新たな興
味や可能性を見つけることがで
きました。それから、仲間に遅れ
をとらないようにと、必死に学
び、充実した2年間を過ごすこと
ができたと思っています。
そして、恵まれていたことは
一緒に学んだ仲間は勿論ですが、
私を指導してくださった先生方、
様々な面でサポートしてくだ
さった事務部の皆様、2年間私
を見守ってくれた家族、たくさん
の人達に支えられて、たくさん
の力が私を励ましてくれました。
このように、たくさんの力が私
を励ましてくれたことで、私は
不安に思っていた「研究」や「修
士論文」を書きあげることが出
来たと思っています。
この2年間は、毎日が福祉につ
いて考えさせられ、学び、実践し
てきたように思います。この学び
を糧に、自らが選んだ道を歩んで
いきたいと思っています。 uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu の方々だけではだけではありま
せん。事務の方々をはじめ、
(
失 礼ですが親しみをこめて)
掃除のおばちゃん、用務のおじちゃ
ん、警備のおじちゃんたちには、
裏方から私たちの学生生活を支
えてもらいました。
私はいま、弘前学院大学で学ぶ
ことができてほんとうに良かっ
たと思っています。言葉では伝
えきれないたくさんの気持ちを
胸に、私たち看護学部二期生は
立派な社会人、看護師として巣
立ちの日を迎えます。
uuuuu uu uu uu uu uu uu uu uu uu uuuuu
uu uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu
uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu
uuuuuuuuuuuuuuuu uu uu uuuuuu uu
uu