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木村幸雄 : 賢治の「心象スケッチ」について

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(1)

賢治の「心象スケッチ」について

木村 幸 雄

 宮沢賢治が,生前刊行した第一詩集『春と修羅』

を,詩集としてではなく,「心象スケッチ」集だと 考えていたということは,よく知られている通り である。「前に私の自費で出した『春と修羅』も,

亦それからあと只今まで書き付けてあるのも,こ れらはみんな到底詩ではありません。」柱ωと,賢治 は,『春と修羅』も,それ以後に,いわゆる詩の形 式で書きつけてきたものも,みんな詩とはみなし ていない。それは,詩作上の上手,下手の問題で はない。もともと賢治は,上手に詩を書くことを めざしていたわけではない。書く目的を別のとこ ろにおいていたのである。「私がこれから,何とか して完成したいと思って居ります,或る心理学的 な仕事の仕度に,正統な勉強の許されない間,境 遇の許す限り,機会のある度毎に,いろいろな条 件の下で書き取って置く,ほんの粗硬な心象スケ

ッチでしかありません。」注(2)ところが,そのように して書かれた「粗硬な心象のスケッチ」が,結果 として,賢治独特の新しい詩の誕生をもたらした のである。そこで,「心象スケッチ」として書かれ た賢治詩が,いわゆる近代詩一般とは異質な構造

と方法とをもって制作されたものであるというこ とに,あらためて注目してみたい。

 たとえば,賢治詩の詩的表現の特異性の一つと して,吉本隆明は,賢治の作品の記述の中に多用 されている()書きの問題をとりあげている。

 《いずれにしても()のなかの言葉は,心象 のスケッチがすすもうとする地の流れと,はっき

りちがった位置からでてきている。そして地を流 れている意識にたいしては切断にあたっている。

ほんとをいえばこの切断は,詩としては不可解な ものだ。大なり小なり持続のインテグレーション を詩の価値とみなせば,なぜそれを切断してしま うのか,理解しにくいからだ。作者はわたしたち が詩とみなすものを,かならずしも詩とかんがえ

ていないようにおもえる。じぶんは詩を書いてい るのではなく心象のスケッチをやっているだけだ とかんがえていたかもしれない。そこで,この種 の切断は障害とはみなされていない。》注(3)

 たしかに,作中に()書きがしばしばさしは さまれることは,ふつうの詩的表現の流れとして みるならば,切断であり,障害になるところであ ろう。ところが,いわゆる詩としてではなく,「心 象スケッチ」としてみるならば,それが意識の流 れに点滅するさまざまな心象を,同時に,重層的 に,そして多元的にすくいあげるためにあみ出さ れた新しい方法にみえてくるのである。

 さて,「心象スケッチ」として書かれた賢治詩の 構造と方法の特徴をまとめてみると,(1)詩的空間 の重層性・多元性,(2)映像(イメージ)の重層性・

多元性,(3)視点の転換・移動,(4)記述の重層性・

多元性の四点になる。

 まず,(1)の詩的空間の重層性・多元性という特 徴は,たとえば,「永訣の朝」などに,明瞭な形で あらわれている。この作品の詩的空間の構造に注 目するならば,死んで行く妹に対する悲痛な哀惜 と祈りとが,三つの異質な空間の重層的なひろが りのなかにおいて歌いあげられていることが分か

る。

永訣の朝

げふのうちに

とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ    (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

        いんざん

うすあかくいっそう陰惨な雲から みぞれはびちよびちよふってくる    (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

 じゅんさい

青い蓴菜のもようのついた          たうわんこれらふたつのかけた陶椀に

おまへがたべるあめゆきをとらうとして

(2)

わたくしはまがったてっぽうだまのやうに このくらいみぞれのなかに飛びだした    (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

さうえん

蒼鉛いろの暗い雲から

みぞれはびちよびちよ沈んでくる

 まず,詩の作品世界をおおっているのは,みぞ れのびちょびちょ降ってくる「うすあかくいっそ

う陰惨な雲」,「蒼鉛いろの暗い雲」である。すな わち,東北の冬の空の下にひろがる現実的・自然 的な空間である。これは,賢治の生活経験的実感 に裏打ちされている空間で,われわれもすぐに共 感できる詩的空間にほかならない。

 ところで,この作品の詩的空間は,そういう現 実的・自然的な空間を超えてひろがって行く。

はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから おまへはわたくしにたのんだのだ

 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

 死にぎわの妹が,兄の一生を明るくするために 取って来てくれと頼んだ「雪のさいごのひとわん」

は,「銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいのそ ら」から降ってくるものでなければならない。さ きの「陰惨な雲」,「蒼鉛いろの暗い雲」から,び ちょびちょ降ってくる「くらいみぞれ」が,ここ で,そういう生活経験に密着した空間を超え,「銀 河や太陽 気圏などとよばれたせかいのそら」か らやってくる「さっぱりした雪」に変わる。すな わち,「空」のイメージの変化と,「みぞれ」のイ

メージの変化とが対応している。そして,そうい う「空」と「みぞれ」のイメージの変化を,自然 的・経験的な次元から宇宙的・形而上的な次元の 方向へとうながしているものが,妹とし子との心 の交流にほかならない。

 この第二の詩的空間は,第一の現実的・自然的 な空間が,宇宙的な規模にまで延長拡大されたも のといえよう。しかし,たんにそれだけのもので はない。すぐに気がつくことだが,「銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいのそら」から雪が降っ てくるなどということは,現実的にはあり得ない。

すなわち,超現実的で幻想的な空間のイメージの ひろがりにほかならない。つまり,この第二の詩 的空間のひろがりには,一種の超越性と幻想性と

がともなっている。そして,その宇宙的な超越性 と幻想性とは,さらに宗教的な方向へと高められ

て行く。

おまへがたべるこのふたわんのゆきに わたしはいまこころからいのる

どうかこれが天上のアイスクリームになって おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

 最後には,妹の死後の平安をねがう賢治の祈り が向けられる天上の世界一宗教的な空間が現 れてくる。「天上のアイスクリーム」は,後に「兜 卒の天の食」に改められるが,その改訂によって いっそう宗教性が強められている。

 つまり,「永訣の朝」は,これら次元の異なる三 つの空間   現実的・自然的な空間,幻想的・宇 宙的な空間,そして形而上的・宗教的な空間が,

多元的に重層する詩的空間をふくんで成立してい る。このような,詩的空間の重層性・多元性とい う構造が,賢治詩の特徴の一つとしてあげられる。

そのわかりやすい例として,「春と修羅」,「宗教風 の恋」,「青森挽歌」などがあげられる。たとえば,

「春と修羅」のなかには,「すべて二重の風景」と いう言葉も出てくるが,実は,「修羅」をとりかこん でいる空間は,「永訣の朝」と同様,現実的・自然 的空間,幻想的・宇宙的空間,そして形而上的・

宗教的空間という三つの次元の異なる空間が,多 元的に,重層的にからみあって成立している空間 なのである。そういう詩的空間のなかにおいて,

「修羅」の意識も,それを表出する詩の言葉も,複雑 に屈折するものとなっているのである。むしろ,

その複雑な屈折をはらんで流動する特異な詩的表 現に,賢治詩の特質がみとめられるのである。

 また,「宗教風の恋」のなかには,「そこはちや うど両方の空間が二重になってみるとこ」という 言葉が出てくるが,それは,現実的・自然的空間    「がさがさした稲もやさしい油緑に熟し」,

「草穂はいちめん風で波立ってるる」空間と,形 而上的・宗教的空間   「燃えて暗いなやましい

もの」や「信仰でしか得られないもの」が存在す る空間とが・二重になっているところをさしてい

る。

宗教風の恋

(3)

      ゆりよくがさがさした稲もやさしい油緑に熟し 西ならあんな暗い立派な霧でいっぱい 草稿はいちめん風で波立ってみるのに 可哀さうなおまへの弱いあたまは

くらくらするまで青く乱れ いまに太田武か誰かのやうに

眼のふちもぐちやぐちやになってしまふ ほんたうにそんな偏って尖った心の動きかたの  くせ

なぜこんなにすきとほつてきれいな気層のなか  から

燃えて暗いなやましいものをつかまへるか 信仰でしか得られないものを

なぜ人間の中でしっかり捕へようとするか  (中略)

どうしておまへはそんな瞥される筈のないかな  しみを

わざとあかるいそらからとるか いまはもうさうしてるるときでない けれども悪いとかいいとか云ふのではない あんまりおまへがひどからうとおもふので みかねてわたしはいっているのだ

さあなみだをふいてきちんとたて もうそんな宗教風の恋をしてはいけない そこはちやうど両方の空間が二重になってみる  とこで

おれたちのやうな初心のものに 居られる場所では決してない。

それはおれたちの空間の方向ではかられない 感ぜられない方向を感じようとするときは たれだってみんなぐるぐるする

 (耳ごうど鳴ってさっぱり聞けなぐなったん   ちやい)

さう甘えるやうに言ってから たしかにあいつはじぶんのまはりの 眼にははっきりみえてみる

なつかしいひとたちの声をきかなかった にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり それからわたしがはしって行ったとき あのきれいな眼が

なにかを索めるやうに空しくうごいてみた それはもうわたくしたちの空間を二度と見なか  つた

それからあとであいつはなにを感じたらう それはまだおれたちの世界の幻視をみ おれたちのせかいの幻聴をきいたらう       (「青森挽歌」)

 賢治は,自分が生き残っているこの世の現実的 空間と,妹とし子が死んで行ったあの世の宗教的 空間との交信   生者と死者との交信をもとめ,

詩的想像力を極限にまではたらかせ,宗教の超越 的な異空間のイメージを身近かに引き寄せ,それ をも「心象スケッチ」の一つとして書きとめてい るのである。たとえば,「青森挽歌」の一節には,

つぎのような宗教的な空間の美しいイメージが,

幻想的に書きとめられている。

 ここでいう「ちやうど両方の空間が二重になっ てみるとこ」というのは,内部と外部とが交錯す る領域,生と死とが交流する領域,すなわち,現 実的な空間と,宗教的な空間とが出会い重なり合

う特別の領域ということになろう。

 妹とし子の死によって,賢治の内部は,そうい う特別な境界領域に強く引き寄せられ,心がたえ ず二つに引き裂かれるという精神的な危機にさら されていたようである。賢治の一連の挽歌は,そ のような精神的な危機をのりこえるために制作さ れた「心象スケッチ」にほかならない。

とし子はみんなが死ぬとなづける そのやり方を通つて行き

それからさきどこへ行つたかわからない

わたくしはその跡をさへたづねることができる そこに碧い寂かな湖水の面をのぞみ

あまりにもそのたひらかさとかがやきと 未知な全反射の方法と

さめざめとひかりゆすれる樹の列を ただしくうつすことをあやしみ やがてはそれがおのづから研かれた 天の瑠璃の地面と知ってこころわななき 紐になつてながれるそらの楽音

また理略やあやしいうすものをつけ 移らずしかもしづかにゆききする 巨きなすあしの生物たち

遠いほのかな記憶のなかの花のかをり

っぎに(2)の映像(イメージ)の重層性・多元性

(4)

ということでは,「春の修羅」のなかに凝縮して表 出されているさまざまな「二重の風景」というも のが注目されよう。そこでは,「れいろうの天の海

  せいは り

には/聖玻璃の風が行き交い/ZYPRESSEN春の

         エ テル

いちれつ/くろぐろと光素を吸ひ」という清浄で明 るいイメージと,「日輪青くかげろへば/修羅は樹 林に交響し/陥りくらむ天の椀から/黒い木の群落 が延び/その枝はかなしくしげり」という陰欝な暗 いイメージとが,「二重の風景」を織りなしている。

そして,その「二重の風景」の裂け目に,賢治に おける宗教的憧憬と修羅的現実との二元的な分裂 の苦悩が露呈している。

 また,「屈折率」に見られるように,作中に登場 する人物の映象(イメージ)が,重層性・多元性 をおびることが多い。

屈 折 率

七つ森のこっちのひとつが 水の中よりもつと明るく そしてたいへん巨きいのに

わたくしはでこぽこ凍ったみちをふみ このでこぽこの雪をふみ

向ふの縮れた亜鉛の雲へ 陰気な郵便脚夫のやうに       ラムプ   (またアラツディン 洋燈とり)

急がなければならないのか

 ここでは,「わたくし」という登場人物に,「郵 便脚夫」と「アラッディン」という二つの異質な イメージが重ねられている。「陰気な郵便脚夫」の イメージと,魔法のランプを手にしたアラディン のイメージとでは,大変異質なとり合わせだとい うべきであろう。すなわち,一方は,きわめて現 実的・倫理的なイメージであり,他方は,幻想的・

メルヘン的なイメージである。そういう二つの異 質なイメージを同一人物の上に重ねることによっ て,「わたくし」という人物の映像(イメージ)は,

重層的・多面的で,奥行きの深いものとなってい る。あえていうならば,賢治は,自己の分身であ る「わたくし」という人物に,一方の「陰気な郵 便脚夫」のイメージによって,求道的実践家の面 影をあたえ,もう一方に「アラッディン 洋燈と

り」というかけ離れたイメージをもってきて,空 想的芸術家の面影をあたえたかったのではなかろ

うか。同じことが,「過去情炎」に登場する「わた くし」という人物の映像(イメージ)にもみられ

      ピュリタン    わるもの る。そこでは「わたくし」の上に「清教徒」と「悪漢」

という相反するイメージが重ねられている。

 こういう例から,賢治詩の特徴の一つとして,

映像(イメージ)の重層性・多元性ということが あげられる。

 三つめの特徴として,(3)の視点の転換・移動と いうことをあげたい。まず,賢治の作品における 視点の設定の重要性が注目される。たとえば,「山 巡査」という題の作品がある。

山 巡 査

おお

何といふ立派な楢だ

  ナ イ ト

緑の勲爵士だ

      ナ イ ト雨にぬれてまっすぐに立つ緑の勲爵士だ

栗の木ばやしの青いくらがりに

しぶきや雨にびしやびしや洗はれてるる その長いものは一体舟か

それともそりか

あんまりロシヤふうだよ

沼に生えるものはやなぎやサラド

    よし

きれいな盧のサラドだ

 一読しただけでは,なんでこの作品の題が,「山 巡査」でなければならないのか,見当がつかない。

ここに歌われているのは,春の山中の風物にほか        ナ イ ト

ならない。「楢」を「緑の勲爵士」に見立てたり,

 よし「盧」の若芽を「サラド」に見立てたりしている ところが面白い。そして,この「山巡査」という 題は,これらの風物を巡視する視点人物を「山巡 査」に見立ててつけたものにちがいない。つまり,

「山巡査」という題によって,この作中に描かれ ている風物が,どのような視点から眺められたも のであるか,それらを独持の眼をもって巡視する 視点人物を提示しているのである。

 また,「風景観察官」という作品も,その風変り な題とからんで,視点の問題について考えさせら

れる。

風景観察官

(5)

あの林は

   ろくしやう  も

あんまり緑青を盛り過ぎたのだ それで自然ならしかたないが

また多少プウルキインの現象にもよるやうだが

       たうわうせん

も少しそらから橙黄線を送ってもらふやうにし  たら

どうだらう

ああ何といふいい精神だ 株式取引所や議事堂でばかり

フロックコートは着られるものではない

      シ ト リ ン

むしろこんな黄水晶の夕方に

  さをまつ青な稲の槍の間で        ぐん

ホルスタインの群を指導するとき よく適合した効果もある

何といふいい精神だらう

      やうかん

たといそれが羊羹いろでぽろぽろで あるひはすこし暑くもあらうが あんなまじめな直立や

風景のなかの敬虔な人間を

わたくしはいままで見たことがない

 これは二連からなる作品だが,「風景観察官」と いう題がわかりにくい。これも「山巡査」と同じ く,作品の視点人物を,「風景観察官」に見立てて つけられた題であろうか。もしそうだとするなら ば,第一連の林の風景も,第二連のフロックコー トを着た登場人物も,表題にある「風景観察官」

の視点から眺められたものということになる。し かし,最後の「わたくしはいままで見たことがな い」という一行からするならば,フロックコート を着た「風景のなかの敬虔な人間」という登場人 物の姿を,はじめて見るものとして眺めているの

は,「わたくし」の視点にほかならない。そうだと するならば,「風景観察官」というのは,「わたく

し」のことなのだろうか。いや,そうではあるま い。やはり,第二連において,フロックコートを 着た「風景のなかの敬虔な人間」が「風景観察官」

のイメージにふさわしい。そして,第一連の林の イメージは,その「風景観察官」の視点から観察 されたものということになる。

 ところが,この第三の読み方をする場合には,

第一連から第二連への移行にともない,視点の移 動・転換がおこる。すなわち,第一連の風景は,

「風景観察官」に見立てられた視点人物の視点か

ら観察され,批評される対象となっているが,第 二連になると,こんどは,その「風景観察官」自 身が,風景の中にはめ込められる登場人物として,

最後に出される「わたくし」の視点によって対象 化されている。

 このような視点の移動・転換は,「屈折率」にお いてもみとめられる。前半の「七つ森」の風景は

「わたくし」の視点から眺められているが,後半 では,「わたくし」自身の姿が,眺められる対象に 転換して,風景の中にはめ込まれている。

 もう一つ,視点の移動・転換ということで,単 純・明快な例をあげれば,「岩手山」がある。

岩 手 山

そらの散乱反射のなかに 古ぼけて黒くえぐるもの ひかりの微塵系列の底に きたなくしろく澱むもの

 これはすぐれた四行詩となっているが,前半二 行では,岩手山が,地上の視点から,空へ上昇す る視点のひろがりのなかに,「古ぼけて黒くえぐる もの」という力強いダイナミックなイメージで把 えられている。ところが,後半二行では,視点が 逆転し,こんどは上空高くに設定された視点から 地上に下降する視線によって,「ひかりの微塵系列 の底に/きたなくしろく澱むもの」と,停滞したイ メージをもって眺められている。ここでは,視点 の転換にともなって,イメージも転換している。

イメージの転換についてみれば,「散乱反射」と「微 塵系列」とが,いわば光と影とのコントラストを なしていることに気づく。

 一つの岩手山が,視点の転換によって,きわめ て立体的に重層的に見えてくる。賢治詩における このようなさまざまな視点の転換・移動は,自己 と自己をとりまく自然とを,一体のものとしてい く。そして,総体的に,全体的に把握し,本質的 な要素を凝縮したイメージによって,簡明に描き あげることができているといえよう。

 最後に,(4)の記述の重層性・多元性という表現 上のスタイルにかかわる特徴についてみておきた い。「青森挽歌」の一節に例をとる。

あいつはこんなさびしい停車場を

(6)

たったひとりで通っていったらうか どこへ行くともわからないその方向を

どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを たったひとりでさびしくあるいて行ったらうか  (草や沼やです

  一本の木もです)

 (ギルちゃんまつさをになってすわってみる   よ)

 (こおんなにして眼は大きくあいてたけど   ぼくたちのことはまるでみえないやうだつ   たよ)

 (ナーガラがね 眼をぢつとこんなに赤くし   て だんだん環をちひさくしたよ こんな   に)

 (し 環をお切り そら 手を出して)

 (ギルちゃん青くてすきとほるやうだったよ)

 (鳥がね たくさんだねまきのやうに

 まず,死んだ妹とし子の行方を追う主人公の内 面的な意識の流れが,内的独白風の文体で記述さ れて行く。「あいつはこんなさびしい停車場を/た ったひとりで通っていったらうか」にはじまる記 述がそれである。ところが,その記述の流れを途 中で切断して,別の次元からの声が,別の文体で,

()つきで挿入される。(草や沼やです/一本の木 もです)という言葉は,わきから語られたナレー ションの声と文体とをともなっている。その言葉 は,死んだ妹の行方を幻視する主人公の眼に,死 者の行く世界が,一つの鮮明な幻想として見えは じめたことを告げている。その後につづく,()

でくくられたメルヘン風な会話の文体は,その幻 想の世界の中から聞えてくる不思議な会話の声を 記述する文体に変換している。この例についてみ れば,主人公の意識の流れに沿った内的独白風の 記述,それにわきからそえられるナレーション的 な記述,さらには,幻想のなかから聞えてくるメ ルヘン風の会話の記述,という三つの異質な文体 による記述が,多元的・重層的に進行している。

いわば,ポリフォニックな詩的表現となっている。

 以上,賢治詩の特徴を四点にわたって見てきた が,もちろん実際には,これらの四点は,ばらば らになっているものではなく,密接に有機的にか らみあいながらあらわれているものなのである。

 このように,四つの特徴が,密接にからみ合い ながら,賢治詩の基本的な構造として,重層性・

多元性がつらぬかれている。そして,そういう重 層的・多元的構造をささえているものが,賢治の

「心象スケッチ」の原理と方法にほかならない。

 さて,宮沢賢治が,自分の「心象スケッチ」と は何か,ということについての考えを,もっとも 原理的に,体系的に述べているのは,『春と修羅』

の序においてである。後に,「私のあの無謀な『春 と修羅』に於て,序文の考を主張し,歴史や宗教 の位置を全く変換しやうと企画し,それを基骨と したさまざまの生活を発表して,誰かに見て貰ひ たいと,愚かにも考へたのです。」注(4叱述懐してい る。その序文は,詩の形式をふんで書かれている。

わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといっしょに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の

ひとつの青い照明です

(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

 まず第一連で,「心象スケッチ」の記録主体であ る「わたくし」についての存在論的な自己規定が 述べられている。賢治は,「わたくしといふ現象」

を「ひとつの青い照明」にたとえ,その背後に,

「有機交流電燈」と「因果交流電燈」というべき ものの存在を仮定している。これは,賢治の一種 の存在論にほかならない。「有機交流電燈」は,存 在を空間的な構造の側面から照らしている。空間 の中において,存在の実体を見るならば,それは,

森羅万象の有機的交流にほかならない。

 また,「因果交流電燈」は,存在を時間的構造の 側面から照らしている。時間の中において,存在 の実体を見るならば,それは,過去・現在・未来 の交錯する因果交流として,明滅しつつ持続する

ものにほかならない。

 そして,そういう「有機交流電燈」,「因果交流 電燈」という空間的・時間的構造をもつ存在から 発する「ひとつの青い照明」としての自己の意識 現象は,「風景やみんなといつしょに/せはしくせ

(7)

はしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつ づける」ものとして現れる。それは,空間的に見 れば,「風景やみんなといつしょに」,森羅万象と の有機的な交流の「複合体」として出現している。

そして「あらゆる透明な幽霊の複合体」として,

眼には見えないものとも交流している。

 また,それは,時間的に見るならば,「せはしく せはしく明滅しながら」,過去・現在・未来という 時間の因果交流のなかで,たえず変化しながら,

しかも「いかにもたしかにともりつづける」もの,

持続するものなのである。

 こういう独特な存在論が,たんに「わたくしと いふ現象」についてあてはまるばかりではなく,

あらゆる存在の現象にあてはまるものである,と 賢治は考えていたようである。

 たとえば,「小岩井農場」の第一章においては,

そういう存在論が,小岩井農場という一つの実在 にも適用されている。

冬にきたときとはまるでべつだ みんなすっかり変ってみる 変ったとはいへそれは雪が往き

  ひら雲が展げてっちが呼吸し          じゅえさ

幹や芽のなかに燐光や樹液がながれ あをじろい春になっただけだ

それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね          ばんぼふるてんすみやかなすみやかな万法流転のなかに 小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が        けいざ

いかにも確かに継起するということが どんなに新鮮な奇蹟だらう

ここでは,そういう存在論の原理が,小岩井農場 という一つの実在にも適用されている。すなわち,

「小岩井農場」という一つの実在は,大自然の変 化  四季のうつりかわりのなかにおいて,それ に有機的に交流して変化しながら,一つの「標本」

一モデル,本体としての「小岩井農場」は,不 変的なものとして存在を持続しているのである。

云いかえれば,「小岩井農場」という現象は,「万 物流転」のなかで,たえず変化しつづけながら,

その変化を通じて不変の本体が持続されていると いうことである。

 序の第二連は,「心象スケッチ」の成立について 述べている。

これらは二十二箇月の 過去とかんずる方角から 紙と鉱質インクをつらね

(すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの)

ここまでたもちつづけられた かげとひかりのひとくさりづつ そのとほりの心象スケッチです

 「二十二箇月」というのは,冒頭の,屈折率」(大 11・1・6)にはじまる,『春と修羅』の制作期間 を示している。これらの「心象スケッチ」は,「す べてわたくしと明滅し/みんなが同時に感ずるも の」とあるように,空間的構造においては,「わた

くし」という個体と,「みんな」という全体との有 機的交流において感じられ,意識されたものの「ス ケッチ」として成立したものなのである。また,

時間的構造においてみれば,これらは,時間の困 果交流のなかにおいて,「たもちつづけられた」「か げとひかりのひとくさりづつ」を記録したものに ほかなりません。

 さて,そのようにして成立した「心象スケッチ」

を第三連において,賢治は,宇宙的な空間のひろ がりのなかに投げ出してみている。そうしてみる と,これらの「心象スケッチ」について,さまざ まな立場からの「それぞれ新鮮な本体論」も考え られようが,それらの「本体論」も,「畢竟こころ のひとつの風物」にほかならず,相対的なもので

しかない。そこで,賢治は,これらの「心象スケ ッチ」について,確信をもっていえることは,た だたしかに記録されたとほりのこのけしきで,記 録されたそのとほりのこのけしきで」あるという

ことを確認している。これは森佐一宛書簡で述懐 していた「私がこれから,何とかして完成したい と思って居ります,或る心理学的な仕事の仕度に,

正統な勉強の許されない問,境遇の許す限り,い ろいろな条件の下で書き取って置く,ほんの粗硬 な心象のスケッチでしかありません。」ということ

と一致している。つまり,これらの「心象スケッ チ」をささえている賢治のよりどころが,記録の 精神と方法であったことがわかる。そのような記 録の精神と方法とによって生み出された「心象ス

ケッチ」の意義を,賢治は,「すべてがわたしの中 のみんなであるやうに/みんなのおのおののなか のすべてですから」というところに認めていたの

(8)

である。

 ついで,第四連では,こんどは,「心象スケッチ」

を巨大な時間の流れのなかに投げ込んでみてい る。そうしてみると,これらの「心象スケッチ」

も,「因果の時空的制約のもとに」,われわれが共        デ タ 

に感じるための「いろいろの論料」のひとつとい うことになる。そして,「心象スケッチ」を一つの

 デ タ 

「論料」としてわれわれが感じることのなかに,

時間とともに変化するものと,その変化を通じて 不変に持続するものとがあるというのが,賢治の 主張であると考えられる。つまり,「心象スケッチ」

の「変化と持続」という原理を,巨視的に拡大さ れた「因果の時空的制約」のもとにおいて述べて

いる。

 最後の第五連は,以上に展開したような「心象 スケッチ」の命題が,「第四次延長」のなかで主張 されるものであると結ばれている。「第四次延長」

という言い方に,空間と時間とを一体的に結合し て,しかもそれを生成・発展・変化しつづけるも のとして考える賢治の思想があらわれている。

 以上のように,序の第一連から第五連までを通 してみると,「心象スケッチ」の記録の主体の存在 論的自己規定と,その主体によって記録された「心 象スケッチ」の性格規定とが,同じ原理でつらぬ かれていることがわかる。その原理を,一言でい えば,「差異と統一」,「変化と持続」の原理という ことになる。「差異と統一」は,空間論的な原理で ある。そして,「変化と持続」は時間論的な原理で ある。記録の主体も,記録された「心象スケッチ」

も,空間論的にみれば,さまざまな差異をふくん だ諸要素の統一から成る「複合体」である。また,

時間論的にみるならば,過去・現在・未来が錯綜 する因果交流のなかにおける「変化と持続」であ る。そして,それらをその通りに記録しておこう とする記録の精神と方法から,さきにみてきたよ うな賢治詩の諸特徴が発生したものと考えられ

る。

 r春と修羅』第一集の中で,r心象スケッチ」の 原理と特徴が,最大限に発揮されているのが,「小 岩井農場」である。これは,賢治が,岩手山麓の 小岩井農場を訪れ,その中を歩き廻りながら,そ の歩行にしたがって,心に明滅する心象を,その 流れのままに,その通りに記録するという方法で

制作された長篇である。歩行と記録とを結びつけ て,「心象スケッチ」独自の記録の方法を大がかり に駆使したきわめて実験的な作品になっている。

テクスト論的にみるならば,「小岩井農場」は,賢 治が記録した実にさまざまな「心象スケッチ」の モザイクとして構成されたものとなっている。

 吉本隆明は,「小岩井農場」にふくまれている「心 象スケッチ」の要素を,三つの次元の異なる要素 に分類している。

 《長詩「小岩井農場」がみせているものは,詩

「春と修羅」が凝縮し融合させた領域を,もうい ちどばらばらにして,段階のちがった要素におき なおしたものだといってもよさそうだ。ありふれ た景物や,景物をつくっている植物,生きもの,

天然などとの飽くことを知らない対話,好奇な視 線の発散,景物からとびたつ空想,そして空想か ら地史的な世界の幻影と,大乗教の理念がはぐく んだ清浄な死後世界の幻想へ深まってゆき,また もとにもどってくる。その循環した情熱の全体の 姿だ。自然の景物にエロスを感じ,幻想に地史と 信仰を流しこんでゆくこころの形象は,宮沢賢治 の資質的な謎で,要素にわけてみれば,詩「小岩 井農場」という作品に,全貌がいちばんよく鳥瞰

される。

 〔第一の要素〕 告白やひとり言のつぶやきみ  たいに語られている眼のまえの景物のスケッ

 チ。

 (パート三参照)

 〔第二の要素〕 こころのなかにはいってきた  形象と,眼のまえの景物とが融けあった領域を  じぶんを修羅に擬したときよりも,あかるく自  由な感じで口語調をつかってつくりあげてい

 る。

 (パート四参照)

 〔第三の要素〕 こころの形象をつくる感官の  はたらきの外側に,もうひとつ異次元(異空間)

 の言葉だけでっきつめた幻想の記述がやってく  る。この記述はおわりにはまるで幻想からさめ  たように,第一の独白調の景物スケッチにもど  り,また接続される。(パート九参照)》控(5)

 さて,吉本は,「心象スケッチ」の記述の,「要 素」として三つをあげているが,ここで私は,「心 象スケッチ」におけるスケッチの「対象」,あるい は「内容」に注目して,五つの分類を提起してお

きたい。

(9)

〔第一の心象スケッチ〕 記録主体の感覚に知 覚される実在する対象を記録したもの。知覚的 心象スケッチ。

〔第二の心象スケッチ〕 過去の記憶が,回想 のなかに心像(イメージ)としてうかんでくる

ものを記録したもの。記録の対象は,事物の知 覚像ではなく,心像(イメージ)となる。回想 的心象スケッチ。

〔第三の心象スケッチ〕意識の流れのなかに,

刻々と生起し,消滅する思惟と言葉の記録。内 的独白風の記録。思惟的心象スケッチ。

〔第四の心象スケッチ〕幻想のなかに生起し,

消滅する心像(イメージ)を記録したもの。幻 想的心象スケッチ。

〔第五の心象スケッチ〕 宗教的な信仰・心情 によって喚起される超現実的な心像(イメージ)

を記録したもの。宗教的心象スケッチ。

 こういう五種類の「心象スケッチ」の組合せに よって,一枚の壮大なタペストリーを織り出して いるのが,「小岩井農場」という長篇詩の世界にほ かならない。そのモザイク風な図柄の特色を,「パ ート四」を具体例にして確認しておきたい。

 まず,冒頭から第三段までをあげる。

   き ど

本部の気取つた建物が 櫻やポプラのこっちに立ち そのさびしい観測台のうへに ロビンソン風力計の小さな椀や ぐらぐらゆれる風信器を わたくしはもう見出さない

     つ や け

 さっきの光澤消しの立派の馬車は

いまごろどこかで忘れたやうにとまってやうし 五月の黒いオーヴァコートも

どの建物かにまがって行った

冬にはここの凍った池で       互 こどもらがひどくわらった

 (から松はとびいろのすてきな脚です   向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか  それとも野はらの雪に日が照ってみるので   せうか

 氷滑りをやりながらなにがそんなにおかし   いのです

 おまへさんたちの頬っぺたはまつ赤ですよ)

葱いろの春の水に      匡

ペ  ム ペ  ロ

楊の花芽ももうぼやける・…一 はだけは茶いろに掘りおこされ 厩肥も四角につみあげてある 鮭樹ざくらの天狗巣には

いぢらしい小さな緑の旗を出すのもあり 遠くの縮れた雲にかかるのでは

みづみづした鶯いろの弱いのもある……

 第一段は,農場の中を歩いて行くにつれて,歩 行者の眼に映ってくる風景のスケッチではじまっ ている。すなわち,肉眼でもって眼前に展開する 実在の風景を知覚しつつ記録して行く,知覚的心 象スケッチの部分である。

 つぎの第二段は,この前の冬に来たときに,こ こで見かけた風景が,イメージとして回想のなか にうかんできたのをスケッチしたものである。す なわち,回想的心象スケッチになっている。

 そして第三段では,また,「葱いろの春の水に」

と,眼前の農場の春の光景をスケッチする,知覚 的心象スケッチにもどっている。

 このように「心象スケッチ」の記述は,知覚的 心象スケッチと回想的心象スケッチをおりまぜな がら進行して行くが,やがて,幻想的心象スケッ チという異次元の世界に飛躍する。

      プラチナスポンジ

  (空でひとむらの海線白金がちぎれる)

      けんてうそれらかがやく氷片の懸吊をふみ 青らむ天のうつろのなかへ かたなのやうにつきすすみ       たすべて水いろの哀愁を焚き

    はんせう  へんくわう

さびしい反照の偏光を截れ いま日を過ぎる黒雲は

修羅や白堊のまっくらな森林のなかじゅら

爬轟がけはしく歯を鳴らして飛ぶ その氾濫の水けむりからのぼつたのだ たれも見てみないその地質時代の林の底を 水が濁ってどんどんながれた

 ここでは,()に入れられている「空でひとむ らの海綿白金がちぎれる」という超現実的で鮮明 な暗喩を含む一行が,いわば幻想開始の合図とな っている。その合図にうながされて,記録主体の 意識は,空に舞いあがり,「かがやく氷片の懸吊を ふみ」,「青らむ天のうつろのなかへ/かたなのやう

(10)

につきすすみ」はじめる。「爬轟がはげしく歯を鳴 らして飛ぶ」古代世界ヘタイムスリップし,「保羅 や白垂のまっくらな森のなか」の様相が,幻視さ れ,記録される。これは,まさしく「幻想的心象 スケッチ」と呼ぶべきものになっている。

 さて,幻想の高揚にともない,内省的な思惟も 高揚し,幻想的心象スケッチは,思惟的心象スケ

ッチヘと移行する。

いまこそおれはさびしくない たったひとりで生きていく

こんなきままなたましひと たれがいつしょに行けようか 大びらにまっすぐ進んで それでいけないといふのなら

田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ それからさきがあんまり青黒くなってきたら一 そんなさきまでかんがへないでいい

ちからいっぱい口笛を吹け

 ここでは,歩行中の意識の流れのなかで高揚す る内省的な思惟の断片が,内的独白風の言葉をも って記録されている。そして,この思惟的心象ス ケッチは,次のような宗教的心象スケッチヘと接 続される。

      ひ   さくそう

口笛をふけ 陽の錯綜 たよりもない光波のふるい

すきとほるものが一列わたくしのあとからくる ひかりかすれ またうたふやうに小さな胸を張り またほのぼのとかがやいてわらふ

みんなすあしこどもらだ

    やうらく

ちらちら瓔珞もぬれてみるし

めいめい遠くのうたのひとくさりづつ

ろくさんじゃくじゃう

緑金寂静のほのほをたもち

         こしゆ   きんなら

これらはあるひは天の鼓手 緊那羅のこどもら

 ここに登場する「すあしのこどもら」は,きわ めて幻想的で透明な姿をしており,賢治好みのイ メージにはほかならない。そして,それが,「瓔珞」,

「緑金寂静」,「緊那羅」などという仏教の用語と イメージをまとっているところに,宗教的な幻想 としての特徴がみとめられる。したがって,これ を宗教的心象スケッチと呼んでもさしっかえある

まい。

 こうしてみてくると,「小岩井農場」という一つ の長篇テクスト全体が,これら五種類の心象スケ ッチの組合わせによって構成されていることがわ かってくる。これは,「心象スケッチ」の壮大なタ ペストリーであり,モザイクにほかならない。そ

して,このユニークな長篇テクストは,賢治が,

その「心象スケッチ」の原理と方法とを最大限に 駆使して行なった一種の心理的な実験の結果とし て生まれてきたものであったといえよう。

 ところで,『春と修羅』第一集には,賢治がわざ わざ(mental sketch modified)と付記している 作品もおさめられている。「春と修羅」,「原体剣舞 連」,「青い槍の葉」の三篇が,それである。

 ここで,mental skechをmodifyするとは,ど ういうことなのか,という問題にぶつかる。『春と 修羅』の序で述べられていた「心象スケッチ」の 原理からするならば,それは,「こころのひとつの 風物」の,「記録されたそのとほりのこのけしき」

でなければならない。また,賢治が書簡に書いて いたように,それらが,「或る心理学的な仕事の仕 度」として書きとられた「心象のスケッチ」であ るのならば,修飾を加えることはさけなければな るまい。つまり,賢治が考えていた「心象スケッ チ」というものと,それに修飾を加えるというこ ととは,本来あいいれないことであったのではな かろうか。

 にもかかわらず,なぜ賢治は,「心象スケッチ」

に修飾を加えようとしたのだろうか。その目的と 方向は,どこに向けられていたのだろうか。実際 に,賢治は,どのような修飾意識をもっていたの か,まず修飾がきわめて形式的に目立つ例をとり あげてみよう。

青い槍の葉

 (mental sketch modified)

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

雲は来るくる南の地平 そらのエレキを寄せてくる 鳥はなく啼く青木のほづえ くもにやなぎのかくこどり

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

(11)

雲がちぎれて日ざしが降れば

キ ン   げんとう  くさ

黄金の幻燈 草の青 気圏日本のひるまの底の 泥にならべるくさの列

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)

雲はくるくる日は銀の盤 エレキづくりのかはやなぎ 風が通ればさえ冴え鳴らし 馬もはねれば黒びかり

  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)(後略)

心象のはひいろはがねから あけびのつるはくもにからまり のばらのやぶや腐植の湿地       てんごく いちめんのいちめんの詔曲模様

(正午の管楽よりもしげく  琥珀のかけらがそそぐとき)

いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を

つばさ

唾し はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ

 これは,水田に植えられた稲の葉を,「青い槍の 葉」と,ほめたたえて歌ったものであるが,一見

して,作品の形式が,整いすぎるほどに整えられ ていることがわかる。各節とも,一節が四行に揃 えられている。そして,七・七調と七・五調との 行を交互におくことで,定型的な音数律による韻 律を整えている。そのために,「雲は来るくる南の 地平」とか,「鳥はなく暗く青木のほづえ」という ような,たんに音数律を整えるための陳腐な修辞 が目立つところがある。また,各節の前後には,

「(ゆれるゆれるやなぎはゆれる)」と,三・三・

四・三の音数律で構成される語句が,リフレーン として配置されている。つまり,この例について みるならば,「心象スケッチ」に修飾をほどこせば ほどこすほど,結果として,その作品がますます 古風な定型詩を踏襲するものになって行き,精彩

を欠くものになるということである。賢治として は,「粗硬な心象スケッチ」に修飾を加えることで,

より詩に近づけたかったのであろうが,その際に 彼が抱いていた近代詩の理念というものが,かな

り古風なものであったのではなかろうか。そこで,

その古風な詩の理念によって修飾が方向づけら れ,本来の「心象スケッチ」にそなわるべき記録 性が,それに屈服するとき,「青い槍の葉」のよう な陳腐な作品が書かれることになってしまうので

ある。

 ところで,「春と修羅」,「原体舞剣連」の場合に は,それとは事情が異っている。そこでは,「心象 スケッチ」本来の記録性と,詩的な修飾性とがは げしい緊張をはらんでぶつかりあっている。

春と修羅

 (mental sketch modified)

 ここには,さきの「青い槍の葉」に目立ってい たような形式的な修飾性は目につかない。詩的な 修飾も,切迫した「心象スケッチ」の記録性のな かにとけこんでいる。つまり,修飾性と記録性と が緊密に結合することによって,一種の化学変化 のようなものをおこし,新鮮な詩的表現を創出し ているのである。きわめて凝縮された密度の濃い 詩的表現となっている。

 これに比べるならば,「原体剣舞連」の方が,よ り修飾性が強まっている。とくに,七音を基調と する音数律が整えられている。ローマ字書きによ るオノマトペのリフレーンにも工夫がこらされて

いる。

原体剣舞連

 (mental sketch modified)

    dah−dah−dah−dah−dah−sko−dah−dah    いさう

こんや異装のげん月のした

とり        づきん

鶏の黒尾を頭巾にかざり

かたは片刃の太刀をひらめかす

はらたい    をどりこ

原体村の舞手たちよ

とさ      じゅえさ

鵯いろのはるの樹液を

      しんさん

アルペン農の辛酸に投げ

せい

生しののめの草いろの火を 高原の風とひかりにささげ

ま だ か は

菩提樹皮と縄とをまとふ        とも 気圏の戦士わが朋たちよ

最後の二連になると,ほぼ「青い槍の葉」と同 じレベルにまで,形式がととのえられている。

  dah−dah−dah−dahh 夜風とどろきひのきはみだれよかぜ

(12)

  い月は射そそぐ銀の矢並    は打つも果てるも火花のいのち

   きし

太刀の軋りの消えぬひま

    dah−dah−dah−dah−dah−sko−dah−dah

   いなづまかやぼ

太刀は稲妻萱穂のさやぎ

   せいざ

獅子の星座に散る火の雨の        あま

消えてあとない天のがはら 打つも果てるもひとつのいのち

    dah−dah−dah−dah−dah−sko−dah−dah

 つまり,(mental sketch modified)と付記され た作品の問題は,賢治における「心象スケッチ」と

「詩」の問題にほかならない。それは,言いかえ るならば,「心象スケッチ」をめぐる記録性と修飾 性,科学性と芸術性の問題としてひろがって行く

ことになる。

 ふりかえってみるならば,「心象スケッチ」には,

発生的にみても,もともと二面性がつきまとって いたのである。賢治が,書簡のなかで述べている ことを信じるとするならば,「或る心理学的な仕 事」の資料にするため「粗硬な心象のスケッチ」

として生まれたということになる。同時に,「心象 スケッチ」がたとえどのような意図をもって書か れたものであるにせよ,言語による心象の記述が,

おのずから詩的表現になって行くということは,

あり得ることなのである。むしろ,最初から詩を 書くことが意図していなかったからこそ,ありの

ままの「心象スケッチ」として書かれたさまざま な心象の記述が,結果として,詩的表現の新領域 を開拓することに通じていたのである。

 賢治は,自分が書きつけているのは,「詩」では なく,「心象スケッチ」なのだと考えることによっ て,実は彼自身が抱きつづけていた古風な詩の既 成概念にとらわれることなく,新しい独自の詩を 創出することができたのである。そして,『春と修

羅』第一集におさめられていた「心象スケッチ」

がそのまま新鮮な独自の魅力に輝く賢治詩群の誕 生となったのである。

 『春と修羅』の詩群には,(1)詩的空間の重層性・

多元性,(2)映像(イメージ)の重層性・多元性

(3)視点の転換・移動,(4)記述の重層性・多元性な どの諸特徴がみられるが,それらを基本的にささ えているのが,「心象スケッチ」の原理と方法にほ かならない。「心象スケッチ」は,原理的には,独 自の存在論の上に成立している。それによれば,

存在するものは,空間的には,「差異と統一」,「個 と全体」,「存在と非存在」の「複合体」として存 在し,時間的には,「万物流転」をつらぬく「変化

と持続」において存続するものなのである。

 そして,「心象スケッチ」を方法的にささえてい るのは,記録の方法にほかならない。森羅万象を 心象に映してとらえ,それらをありのままに記録 するということは,けっしてたやすいことではな い。記録の方法は,強靱な記録の精神によってさ さえられなければならない。賢治における記録の 精神は,科学と芸術と宗教を一つに結合さして,

進もうとする精神でもあった。「心象スケッチ」は,

賢治のそういう記録の精神と方法との産物であっ たのである。そして,その「心象スケッチ」が,

近代詩の既成概念を内部から変革し,現代詩の地 平を新領域におしひろげて行くことになったので

ある。

−∩∠34EJ

森佐一宛書簡(大14・2・9)

(1)に同じ

吉本隆明『宮沢賢治』(筑摩書房89・7)

(1)に同じ

(3)に同じ

(13)

On Kenziフs Mental Sketch

Kimura,Yukio

  Kenzi Miyazawa regarded his works in the Haru to Shura as the mental sketches.The mental sketches are Kengi s unique poems.We recognize that the expressional features of his works are pluna1;the poetical spaces,the viewpoints,the images and the descriptions are not unified but plunaL These features of his works come from the principle and method of the mental sketch,and the works written as the mental sketch became the original modem poem.

Referensi

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