18 世紀以前のヨーロッパの「人魚」像
―
「セイレーン」から「マーメイド」へ
―九頭見 和 夫
I. は じ め に
ヨーロッパにおける「人魚」像の原点として,
ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』等ギリシ ア・ローマ時代の文献に登場する上半身が人間で 下半身が鳥の妖精「セイレーン」についてはすで に分析した。ところがこの「セイレーン」像が,
後には例えば19世紀にアンデルセンの「人魚姫」
に登場する「人魚」像では,上半身が人間で下半 身が魚の「人魚」像に変わり,このアンデルセン の「人魚姫」の影響によるのか,「人魚」といえば 半人半魚の容姿をしているのが一般的である。そ れではこの「セイレーン」の容姿は,いつ頃から「人 魚」(マーメイド)の姿に変化したのか。「セイレー ン」と「人魚」との関係を解明するため『OED』
の“mermaid”の項目を検索する。
An imaginary species of beings, more or less human in character, supposed to inhabit the sea, and to have the head and trunk of a women, the lower limbs being replaced by the tail of a fish or cetacean. In early use often identified with the siren of classical mythology.1)
さらに“siren”の項目も検索すると,
In early use frequently confused with the mer- maid.2)
とあり,“in early use”の最も早い同一視の例とし て,チョーサーの翻訳詩『薔薇物語』(The Ro-The Ro- maunt of the Rose)の)の 684684684 行(Though we mer-行(Though we mer-行(Though we mer-行(Though we mer-Though we mer- maydens clepe hem here, …Men clepen hem sereyns in Fraunce.)が紹介されている。これら の『OED』の引用から,“in early use” においては しばしば,“mermaid”と“siren” とが混同して同一 のものとして使用されていたことがわかるのであ
る。それでは“early”とは,『OED』に紹介された チョーサーも含め具体的にはいつ頃までの時期な のか。なおチョーサーの翻訳詩『薔薇物語』につ いては,後に検討するが,チョーサーは14世紀に 活躍したイギリスの詩人であることから,少なく とも14世紀には“siren”が“mermaid”に変化し ていたと考えても問題はないのではないか。例え ば『世界大博物図鑑』には,「セイレーン」から「マー メイド」への変化の時期について「中世」とのみ 記されている。
ギリシアの女怪セイレンSeirēnも人魚伝説 形成に多大な影響を与えている。上半身が女,
下半身が鳥というこの怪物は,その妖しい歌 声でオデュッセウスとその一行を魅惑し,海 中へ引きこもうとしたが果せず,怒って海に 身を投じ魚に変じたといわれる。ここに鳥と 魚が結びつき,中世に翼をもつ人魚の出現を うながすひとつの要因となった。3)
本論においては,前述の『OED』等の説をふま え,ギリシア・ローマ時代の半人半鳥の「セイレー ン」が半人半魚の「人魚」に変化していった過程 を中心に,中世から近世においてヨーロッパで出 版された様々な文献に登場する「人魚」像を分析 する。主として取り上げるのは,ダンテの詩『神曲』
の「浄罪篇」,前述したチョーサーの翻訳詩『薔薇 物語』と,その原本であるギョーム・ド・ロリス の韻文物語『薔薇物語』の「第一部」とジャン・ド・
マンの同「第二部」,シェイクスピアの喜劇『真 夏の夜の夢』と悲劇『アントニーとクレオパトラ』,
そしてジョン・ミルトンの叙事詩『失楽園』であ る。
II. ダンテの詩『神曲』
中世期を代表する詩人ダンテ・アリギエリ
(Dante Alighieri,1265年-1321年)は,イタリアの 古都フィレンツェの没落した小貴族の家庭に生ま れる。早くから政治問題に関係したダンテは,フィ レンツェ国の要職につくが,神聖ローマ帝国皇帝 ハインリッヒ派と教皇ボニファキウス派との対立 に巻きこまれ,ダンテが支持した皇帝派の敗北に より,ダンテは汚職の罪名をきせられて国外追放 となり,終生フィレンツェの地に足を踏み入れる ことはなかったのである。問題の「シレーナ」(セ イレーン)が登場する作品は,『神曲』(la Divina Commedia,1304年-1321年)の「浄罪篇」の「第 19歌」である。「地獄篇」,「浄罪篇」,「天堂篇」の 三部から構成されている『神曲』は全体で100歌 からなり,ダンテは自分の道案内人として「地獄 篇」と「浄罪篇」には『アエネイス』の著者であ る古代ローマ時代の詩人ウェルギリウスを,また
「浄罪篇」から「天堂篇」には,ダンテが生涯思い を寄せ天国での再会を信じた女性ベアトリーチェ を登場させている。
さて「シレーナ」が登場する「浄罪篇」の「第 19歌」であるが,怠惰の罪が浄められる「第4円」
でダンテは,「シレーナ」の夢をみ,道案内人ウェ ルギリウスによって「シレーナ」の正体が暴露さ れる所で目をさます。「シレーナ」に関係する部 分を引用する。
日中の熱が地球,または時には
土星の寒さに負けて,もはや月の寒さを やわらげることができなくなる頃,
また夜明け前に,地占者が大きな幸福と 呼んでいるものが,ほどなく白む道を 伝って東へ昇るのを見るときに,
私の夢のなかに,どもりで目が斜視で,
足が曲がり,両手とも切り落されていて 顔色が蒼白な一人の婦人が現われた。
私は彼女を眺めた。すると夜がけだるくした 人間の手足を太陽が暖めるのと同じように,
私の視力は彼女の舌を敏活にした。
そして間もなくそのからだはまっすぐになり,
いままで蒼白だった顔色は,見る人に恋情を 起こさせるほど美しい色に変わった。
さて彼女が言葉の自由を得ると,さっそく 歌いはじめ,私の注意力を彼女からわきへ 向けるのが大変むずかしくなった。
「われこそ」と彼女は歌った,「われこそは 優しきシレーナ,聴く楽しき声にみちて 水夫らを海のただなかに迷わす。
われ歌をもてウリッセを漂白の路より誘えり。
われと馴れ親しむのち,去る者は少なし 心に満ち足りぬところなければ」
彼女がいまだその口を閉ざさぬうちに,
その女をなじるために一人のすばしこくて 聖なる婦人が私のそばに現われた。
「おお,ヴィルジリオ,おおヴィルジリオ,
これは誰なのだ」彼女は怒った調子でいうと,
私の案内者は有徳な婦人にのみ眼をそそいで 進んだ。
すると彼女はもう一人の女を捕え,衣服をひ き裂いて
からだの前を開き,その腹を私にしめした。
するとそこから出た悪臭のため私は目をさま した。4)
怠惰の罪が浄められる「浄罪界」の「第四円」
をヴィルジリオ(詩人ウェルギリウス)に導かれ て通過中の私(ダンテ)は,夢の中でウリッセ(オ デュッセウス)を美声によって誘惑し成功しな かったシレーナ(セイレーン)に出会う。上の第 三円で貪欲,暴食,多淫の罪の償いをしていたシ レーナは,女性でその容姿は,「どもりで,目が斜視 で,足が曲がり,両手とも切り落されていて,顔色 が蒼白」という悲惨なものである。ところが男性 である私(ダンテ)が彼女を眺めると,不思議な ことに彼女の舌は敏活になり,顔色は「見る人に 恋情を起こさせるほど美しい色に変わり」,得意の 歌をうたいだす。彼女の歌の魔力は,聖なる婦人
(聖ルチア)が現われ,シレーナの汚れた正体を暴 露しなかったら「私(ダンテ)の注意力を彼女か らわきへ向けるのがたいへんむずかしい」ほどで
ある。以上のことから,このダンテの『神曲』に おいても,ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』
に描かれた美声によって船人を誘惑し破滅に導く というセイレーン像が受け継がれていることがわ かるだけでなく,罪を償っている最中においても なお人(男性)をみればその美声によって誘惑し てやまないダンテの描く天性の誘惑者としてのセ イレーン像には,ホメーロスの描いたセイレーン 像以上に救いがないのである。
III. 1. チョーサーの翻訳詩『薔薇物語』
中世を代表するイギリスの詩人ジェフリー・
チョーサー(Geoffrey Chaucer,1343年-1400年)
は,すでに紹介した『OED』の記述にもあるよ うに,フランスの寓意文学の代表作『薔薇物語』
(Le Roman de la Rose,ギョーム・ド・ロリスとジャ ン・ド・マン執筆)を翻訳した『薔薇物語』(The Romaunt of the Rose,1370年)の中で,水の妖精
「サイレン」(siren)と「マーメイド」(mermaid)
とを同一視しているが,この事実はヨーロッパに おける「人魚」像の変遷,特に「セイレーン」か ら「人魚」への変遷の過程を解明する際の重要な 鍵を提供している。なおフランス語原典の『薔薇 物語』に登場する「シレーヌ」(セイレーン)に ついては後に分析するが,意外に思われるのは,
このチョーサーの翻訳詩『薔薇物語』がチョーサー 自身生涯にわたって大きな影響を受けたフランス 語の原典『薔薇物語』全体の約3分の1の英語訳 にすぎないこと,さらに言えばその英語訳自体も チョーサー単独の翻訳ではない可能性が高いこと である。
この中期英語版『薔薇物語』の断片A,断片B,
断片Cの原作者(翻訳者)が,チョーサー自 身であるか否かは,学者により意見が分かれ る。しかし,現在では概ね断片Aは翻訳の文 体や言語的特徴からして,大部分のチョー サー学者はチョーサー自身の初期の作品と見 なしている。5)
「断片B」と「断片C」については,言語や作風か
らチョーサー自身の翻訳とすることに疑問符がつ
いている。なお「断片A」とは英語版の一行から 1705行まで,「断片B」とは1706行から5810行 まで,「断片C」とは5811行から7692行までであ る。特にチョーサーの翻訳と推測される「断片A」
についてフランス語の原典と比較すると,「断片
A」はフランス語の原典の1行から1670行まで
に相当する,つまりギョーム・ド・ロリスが執筆 した「第一部」4,058行のうちの前半部分約3分 の1がチョーサーによる翻訳と推測されている。
さて問題のチョーサーが「シレーヌ」(セイレー ン)を英語で「マーメイド」(人魚)と記してい る個所であるが,それは,「断片A」の645行から 684行までの部分にある,つまり「私」(ギョーム・
ド・ロリス)が20歳の時にみた夢の描写,5月の ある朝野原を散歩していた「私」が,やがて果樹 園をへて鳥たちが美しい声でうたう草原に到達す る場面である。
これらの小鳥たちは歌の調べで,素晴らしい 朝の礼拝を上げていたのである。彼らの歌に は天使の霊歌のように心を魅了する響きが あった。わたしはこれらの小鳥たちの歌声を 聴いていると,ひどく愉快な気分になった。
このような美しい旋律は死すべき人間の耳に はふれたことがなかったものと思う。小鳥た ちはあまりに快い調べでさえずるので,小鳥 の歌声というよりは,清らかな海原に住む人 魚のものと思えるほどであった。われわれは いつも英語でマーメイドと呼び,フランスで はサイレンというあの人魚の歌と聴きまごう ばかりにである。6)
若い頃からフランス軍の捕虜になるなどフランス と深い関わりを持っていたチョーサーによれば,
イギリスでは「人魚」のことを「マーメイド」と 呼んでいるが,フランスでは「サイレン」(フラン ス語でシレーヌ)と呼んでいるとのことである。
このチョーサーの言葉の持つ意味は重い。「人魚」
の記述として「セイレーン」から「マーメイド」
に変換した時期,つまり「マーメイド」と「セイ レーン」がヨーロッパで同一視され,その後「マー メイド」に統一されるようになる変換の時期が,
チョーサーの前述の言葉によって,遅くとも チョーサーが活躍した14世紀頃からギリシア・
ローマ時代の半人半鳥の「セイレーン」像とは異 なる半人半魚の「マーメイド」像がヨーロッパ,
少なくともイギリスでは定着していたことがわか るからである。
原作者の理想と現実,純愛と官能愛の総合と 調和のねらいを,チョーサーも,この作品を 英訳しているうちに理解したのだろう。オ デュッセウス的な,半人半鳥の妖女サイレン と,北欧神話の美しい人魚を同一化したのも,
そのためかもしれない。7)
これは,「セイレーン」と「マーメイド」を同一視 したチョーサーの心の動きに対する松浦暢の解釈 である。
2. ギョーム・ド・ロリスとジャン・ド・マ ンの寓意物語『薔薇物語』
チョーサーが英語の部分訳を試みたフランス文 学史上最も特異な中世寓意文学『薔薇物語』(Le Roman de la Rose)は,「第一部」がギョーム・ド・
ロリス(Guillaume de Lorris, 生没年不詳)によっ て1225年から1240年の間に,「第二部」が哲学者 ジ ャ ン・ ド・ マ ン(Jean de Meung,1240年 頃- 1305年)によって1269年から1278年の間に執 筆されたといわれる8)。この作品の特徴を記すと,
8音節詩句4,058行からなる「第一部」が,既婚の
貴人女性に献身的な愛をささげる中世騎士の愛の 作法を説く宮廷風恋愛文学の色彩が濃いのに対 し,同じく8音節詩句17,722行からなる「第二部」
は,「第一部」とは対照的に百科事典的な知識をふ りまわし社会批評をする現実主義的な性愛文学の 色彩が濃いのである。
「シレーヌ」(セイレーン)が登場するのは,「第 一部」であるが,比較のためすでに引用したチョー サーの英語訳に相当する部分(662行から675行)
を引用する。
私が今挙げた小鳥たちは
美しい役目を充分に果たしていた。
小鳥たちの歌声は
空の天使たちから響いて来るかと思われた。
その歌声を聴いていると 激しい喜びが込み上げてきた。
こんなに快い調べを
これまで聴いた人間はいないだろう。
あまりに美しく快いので,
小鳥の歌声とは思われないほどだ。
むしろ 清冽な歌声で よく引き合に出される 海のシレーヌに
比肩するほどだったかもしれない。9)
なお「シレーヌ」(sirēne)について,訳者による
「注」があるので引用すると,「上半身が女性,下半 身が鳥あるいは魚の尾の,人を魅する歌い手であ る海の怪物」とある10)。「下半身が鳥あるいは魚 の尾」の記述から,名称こそ「シレーヌ」であるが,
ギリシア・ローマ時代の,例えばホメーロスの『オ デュッセイア』に登場した「セイレーン」から続 いていた半人半鳥の容姿に加えて,半人半魚の
「マーメイド」の容姿も読み取れるのである。お そらく訳者は,前述したチョーサーの翻訳等,『薔 薇物語』が発行された13世紀以降の文学作品に 登場するシレーヌ像から推測してこのような「注」
をつけたものと思われる。
IV. シェイクスピアの喜劇『真夏の夜の夢』
ほか
イギリスが生んだ世界最大の劇作家といわれる シェイクスピア(William Shakespeare,1564年- 1616年)の作品には,「妖精」(fairy),「セイレーン」
(siren),「マーメイド」(mermaid)が登場するも のが少なからず認められる。例えば発表された年 代順に記すと,喜劇『間違いの喜劇』(The Come-The Come- dy of Errors,1592年-1593年),同じく喜劇『真夏 の夜の夢』(A Midsummer Night’s Dream,1595年- 1596年),悲劇『アントニーとクレオパトラ』
(Antony and Cleopatra,1606年-1607年)などがあ る。中でも「人魚」との関係で特に注目したい作 品は,かりにシェイクスピアの創作活動の時期を 4期に分類した時,習作時代といわれる第1期の
作とされる喜劇『間違いの喜劇』である。シェイ クスピアの習作時代の作品ということもあり,あ るいはチョーサーの頃の「人魚」像をシェイクス ピアが踏襲したのか,この作品においてシェイク スピアは「セイレーン」と「マーメイド」を同一 視している。
1. 喜劇『間違いの喜劇』
シェイクスピアが「セイレーン」と「マーメイ ド」を同一視して用いた場面は,第3幕第2場で ある。25年前船が難破し,交商を互いに禁じてい るエフェサスとシラキュースの両国にわかれてく らすことになった双子のアンティフォラス兄弟 は,顔がよく似ていることによって様々な間違い に巻き込まれる。兄をさがして弟が兄の住むエ フェサスにやってきた時に最初の間違いが発生す る。兄の妻エドリエーナから兄と間違われ愛の行 為を求められただけでなく,心をひかれ求愛した エドリエーナの妹ルシアーナからも兄と間違われ 狂人扱いされる。以下の台詞は,アンティフォラ ス弟のルシアーナに対する愛の告白である。
でも私がいまのままの私であれば,いま奥で 泣いているお姉さんは私の奥さんではありま せん。
あの人のベッドをかたじけなく思う義務はあ りません。
私の心はもっとずっとあなたのほうに傾いて います。
ああ,美しい人魚サイレン,あなたの美しい歌 で私を誘い,
お姉さんの涙の海に私を溺らせないでくださ い。
ご自分のために歌えば,疑いなく私は聞きほ れます。
白銀の波の上にその黄金なす髪をひろげれ ば,それを臥所に私は気がねなくあなたを抱 きしめ,
横たわります。そういうすばらしい想像をし ながら,
こういう死に方ができる男は死ぬのがしあわ
せと思います。
恋する心は浮き浮きと,と申しますが,浮くか 沈むか,
さあ,沈むものなら溺れ死にさせてください。11)
これらのルシアーナに対するアンティフォラス弟 の愛の告白を通してシェイクスピアは,ルシアー ナが「美しい人魚」(sweet mermaid)であると同 時に魅惑的な歌で男性を誘惑する「セイレーン」
(siren)でもあること,つまり男性を魅惑する存 在として,「人魚」と「セイレーン」のあいだには 明確な区別がないことを示唆しているのである。
2. 喜劇『真夏の夜の夢』
妖精(fairy)が登場し,彼らの口から「人魚」
(mermaid)について語られるのは,第2幕第1場 の「アテネ近郊の森」の場面である。父親のすす める結婚相手を拒否するハーミアは恋人ライサン ダーとともに妖精たちの出没するアテネ近郊の森 をめざして駆け落ちする。さらにこの森には,ハー ミアを愛するディミートリアスとディミートリア スを慕うヘレナも向かう。「人魚」を話題にする のは,妖精王オーベロン,話の相手は妖精のパック
(別名ロビン・グッドフェロー)である。オーベ ロンの言葉は,お供の妖精たちとともに退場する 妖精の女王タイテーニアに対する捨て台詞から始 まる。
ええい,勝手に行くがいい。だがこの侮辱に たいし
仕返しをするまでは,この森から一歩も出さ ぬぞ。
おい,おとなしいパック,ここにきてくれ。
おまえも覚えているだろう,いつだったかお れは
岬の出ばなに腰をおろし,人魚がイルカの背 で
歌うのを聞いていた,その美しいなごやかな 歌声に
さしもの荒海もおだやかに静まりかえり,
星も海の乙女の音楽に心をひかれ,狂おしく 天から流れ落ちたものだった。12)
まず「人魚がイルカの背で歌う」についてである が,この表現は詩人アリオンが船員に殺されそう になった時,海にとびこみ歌に誘われて近づいた イルカに助けられたという伝説に基づいたもので ある。ところで人魚,イルカ,流れ星については諸 説あるが,16世紀末のイギリスの上流階級で催さ れた盛大な饗宴の席で行われた余興の一部とみな されている13)。さてこの場面に登場した「マーメ イド」(人魚)の特徴についてであるが,それは古 代ギリシア時代のホメーロスの叙事詩に登場した
「セイレーン」と同様聞く人々を魅了する「美し いなごやかな歌声」の持主である。しかし「セイ レーン」の歌が船員を誘惑し死に導くのとは異な り,「マーメイド」の歌は荒海をしずめ,空の星をも 狂わせて流れ星となって空から落ちさせるのであ る。このようなシェイクスピアの「人魚」観につ いては,「明らかにプラトン学派の天球の音楽の名 残が見られる。」との指摘も存在するのである14)。
3. 悲劇『アントニーとクレオパトラ』
「人魚」という表現が出てくるのは,第2幕第 2場,場所はアントニー,シーザーとともにロー マの三頭政治をになった執政官レピダスの邸であ る。この邸内でのシーザーの味方アグリッパとの 対話の中で,アントニーの味方イノバーバスの口 から,アントニーを夢中にさせたエジプトの女王 クレオパトラのシドナス河にうかべた船上での様 子が語られるのである。
侍女たちは一人一人が人魚だ,それがニンフ のように
女王の前にかしずき,腰をかがめ,女王をいっ そう
美しく見せる飾りとなっていた。舳にはその 人魚の一人が舵をとる,たおやかな花の手が あざやかな綱さばきを見せると,それにつれ て
絹の帆が誇らしげにふくらんでいく。舟から は
えもいわれぬ香りがただよい出て,近くの岸 に立ち
見物しているものの鼻をうつ。みんな見にき たので
町はからっぽとなったのだ。アントニーはた だ一人
広場にとり残され,空にむかって口笛を吹い ていた,
だがその空気にしても,真空を作っていいも のなら,
やはりクレオパトラを見に出かけ,自然界に 大きな穴をあけたろう。15)
まるで侍女のように「人魚」たちにかしずかれた 船上でのクレオパトラの存在は,「舟からはえもい われぬ香りがただよい出て」とあるように極めて 官能的で,アントニーが夢中になるのも無理はな い。一方この場面に描写された「人魚」の姿は,
女王に献身的につくす侍女の如き存在であって,
『オデュッセイア』に登場した「セイレーン」に みられたような誘惑者としての姿は認められな い。むしろこの人魚たちは,愛する人の愛を得よ うと献身的につくすフケーの『ウンディーネ』
(1811年)やアンデルセンの「人魚姫」(1837年)
に近い存在,つまり19世紀以降のヨーロッパの
「人魚」像を予感させる存在のように思われるの である。
以上シェイクスピアの三つの戯曲,『間違いの喜 劇』,『真夏の夜の夢』,『アントニーとクレオパト ラ』に描写された「セイレーン」,「妖精」,「マーメ イド」(人魚)について分析してきたが,これらの シェイクスピアの描く「人魚」像は,日本の作家 たちにも影響を与えることはなかったのであろう か。シェイクスピアが世界的な劇作家で,彼の作 品が比較的早い時期にわが国に紹介され,演劇界 を中心に多くの人々に影響を与えたからである。
シェイクスピアの作品がわが国に本格的に紹介 されたのは,1875年(明治8年)仮名垣魯文によ る『ハムレット』の梗概を記した『“葉武列士”
筋書』が最初で,さらに明治10年『胸肉の奇訟』
(『ベニスの商人』),明治12年『李王』(『リア王』),
明治15年『ヘヌリー第四世』(『ヘンリー第四世』
が翻訳されている。その後も英文学者等により数
多くの翻訳が出版されている。後世への影響の点 から,これらの翻訳中で特に注目したいものは,明 治17年『ジュリアス・シーザー』を浄瑠璃体で 翻訳した『該撤奇談自由太刀余波鋭鋒』を発行し,
その後長い時間をかけて昭和3年ついに日本で最 初の詩集三篇を含む戯曲の全訳を完結した坪内逍 遙(1859年-1935年)による翻訳である。シェイ クスピア作品の全訳を試みたものには,明治38年 に『ハムレット』の刊行から始めた戸沢正保・浅 野和三郎による『沙翁全集』があるが,この全集 は戸沢の病気によりわずか10篇の翻訳で終了し ている。
ところでシェイクスピアの日本の文学者に対す る影響についてであるが,例えば詩については,島 崎藤村や北村透谷等への影響が考えられるが,戯 曲についてはなんと言っても『桐一葉』等を発表 した坪内逍遙が挙げられるであろう。演劇改良運 動,さらには自由劇場運動など演劇界へのシェイ クスピアの影響は計り知れないものがあるが,こ こでは坪内逍遙等の翻訳を通してシェイクスピア の影響を受けたのではと推測される,特に「人魚」
を扱った作品に限定して論じてみたい。
早稲田大学英文科で坪内逍遙の指導を受けた文 学者は少なくないが,その一人に小川未明(1882 年-1961年)がいる。彼は早稲田大学英文科在学 中に坪内逍遙の紹介で明治37年『漂浪児』を「新 小説」に発表し,卒論には坪内逍遙の指導のもと ラフカディオ・ハーンの文学論を取り上げている。
小川未明が大正10年「東京朝日新聞」に発表し た童話『赤い蝋燭と人魚』は,小川未明のふるさ と新潟県高田地方に伝わる民話やアンデルセンの 童話「人魚姫」の影響が大きいとみなされている が,師坪内逍遙を通してシェイクスピアの戯曲か らも影響を受けてはいないのであろうか。ここで シェイクスピアの描いた「セイレーン」,「人魚」,
「妖精」が,『赤い蝋燭と人魚』に描かれた「人魚」
像に投影していないか検討する。喜劇『間違いの 喜劇』に描かれた「人魚」はアンティフォラス弟 をして美しい歌声で誘われるのなら溺れ死んでも いいと言わせるほどの美声の持ち主であり,同じ
く喜劇『真夏の夜の夢』に登場する「人魚」もあ やうく溺れ死ぬところを美声に誘われて近づいて きたイルカに助けられている。これらギリシア時 代の「セイレーン」の持つ特性,聞く者を近づけ ずにはおかないという「人魚」の特性「美声」は,
小川未明の『赤い蝋燭と人魚』に登場する「人魚」
にはない特性である。しかし悲劇『アントニーと クレオパトラ』に登場する「人魚」には,「セイレー ン」的な美声で船人を誘惑する特性はなく,ひた すら女王クレオパトラに献身的に仕えるかわいい しもべとして描かれている。小川未明の『赤い蝋 燭と人魚』に描かれた「人魚」も,捨て子の自分 をひろって育ててくれた蝋燭屋の老夫婦の仕事を 献身的に手伝うかわいい女の子である。あるいは
『アントニーとクレオパトラ』に描かれた「人魚」
像が小川未明の「人魚」像形成に影響を与えた可 能性も否定できないのである。
V. ミルトンの叙事詩『失楽園』
ジョン・ミルトン(John Milton,1608年-1674年)
の代表作に英文学史上第一の傑作ともいわれる
『失楽園』(Paradise Lost,1667年)がある。大悪 魔サタンの謀略により楽園「エデンの園」を追放 された人祖アダムとイヴを扱ったこの叙事詩は全 12巻からなるが,「人魚」とおぼしき半人半魚の 姿をした異教の神ダゴンが登場するのは,「第一 巻」,詩神に助けを求めるミルトンが,イスラエル の人々と関係の深い異教の神々について紹介する 場面である。
次に来たのは,自分の神殿で,
盗み出されてそこに置かれていた神の聖櫃の ために己の
獣の像を傷つけられ,頭と両手を切断されて 門閾の上に
無残に倒れ伏し,参拝者の心を忸怩たらしめ ただけでなく,
自らもまた深く悲嘆にかきくれたという或る 者であった。
その名はダゴン,海の怪物,―上半身は人間だ が,
下半身は魚であった。このような姿にもかか わらず,
彼はパレスチナの全域にわたって畏れられ,
その宏壮な
神殿は,アゾトに,ガテに,アシケロンに,アッ カロンに,
さらにまたガザの辺境にいたるまで高々と聳 えたっていた。16)
問題の「ダゴン」(Dagon)についてであるが,訳 者の「註釈」には,以下の解説がある。
「ダゴン」 本来は古代セム族の農業神だが,
のちに半人半魚の海神とされるにいたった。
ペリシテ人の間に崇められ,その神殿は作者 が示しているように地中海に面した五つの都 に建てられていた。ペリシテ人が神の櫃をダ ゴンの神殿に入れておいたところ,ダゴンの 像が倒れていたという記事は,「サムエル前 書」の「五・一-四」に述べられている。17)
ミルトンが『旧約聖書』の「創世記」を題材とし たといわれる『失楽園』に登場する半人半魚の海 神の名は「ダゴン」,これまでに取り上げた「マー メイド」(mermaid)でもなければ,「セイレーン」
(siren)でもない。ミルトンが『失楽園』を執筆 した時期は17世紀,博物学者荒俣宏の言葉をかり れば,「西洋における人魚に対する科学的見解は時 代によって変化している。<存在の連鎖>が信奉 された17世紀ごろまでは,海中にも陸上と対応す る生物相が存在するとの世界観から,海中の人間 すなわち人魚の実在を当然視していた」18)頃であ る。もしそうであるならば,例えば「ダゴン」の ような海中の人間が存在していたとしてもなんら 不思議ではないわけである。ところが作者ミルト ンの描く「ダゴン」像については,海の怪物であ ること,上半身は人間で,下半身は魚の姿をしてい ること,パレスチナ全域で畏れられ,神殿がガザな ど数カ所にあったこと以外何も述べられてはいな い。ここで「ダゴン」像をより明らかにするため,
『神話・伝承事典』より「ダゴン」に関係する部 分を引用する。
ペリシテ人の海の神,ヤハウェの主な敵の1
人である。(『士師記』16 : 23)。ダゴンの姿 は人魚,魚人間,あるいはヘビ人間であった。
ダゴンは,ペリシテ人の間では,アスタルテに 相当するアタルガティスと結ばれた。アタル ガティスは自分と双子の姉妹であるミケーネ のデメテルと同じように,大地と海の女神で あったため,夫のダゴンもまた農業と漁業の 守護神となった。カナンでは,ダゴンは「穀 物神」ダガンであった。ダガンはバールの父 親で,アナテ(カナン人の太女神)と結ばれた。
聖書の中で悪く言われたために,ダゴンは,自 然,キリスト教の地獄の中の主要なデーモン になってしまった。19)
さらに『世界神話辞典』をみると,「ダゴンはたぶ ん海と関係があったらしい ―― 近くに見出され る貨幣には魚の尾をもつ神が描かれている」とあ る20)。以上のことからわかることは,「ダゴン」が,
『旧約聖書』に登場する海と関わりのある半人半 魚,つまり「人魚」の姿をした異教の神というこ と以外は全くなにもわからない謎にみちた存在で あることである。
VI. お わ り に
本論においては,ヨーロッパにおける「人魚」
像の原点であるギリシア・ローマ時代の文献に登 場する半人半鳥の「セイレーン」が,いつ頃から 半人半魚の「マーメイド」(人魚)に変化したか を検証するため,中世から近世に至る,おおよそ 18世紀頃までに出版された文献を中心に分析を 行った。主として取り上げた作品は,ダンテの『神 曲』の「浄罪篇」,ジェフリー・チョーサーの翻訳 詩『薔薇物語』とその原本のギョーム・ド・ロリ スの寓意物語『薔薇物語』の「第一部」,シェイク スピアの喜劇『真夏の夜の夢』と悲劇『アントニー とクレオパトラ』,そしてジョン・ミルトンの叙事 詩『失楽園』等である。
14世紀の初頭に出版されたダンテの『神曲』
ではまだ「セイレーン」が登場し,半人半魚の「マー メイド」は認められないが,『神曲』より早い13 世紀前半に出版されたギョーム・ド・ロリスの『薔
薇物語』の「第一部」を14世紀後半に翻訳したジェ フリー・チョーサーの翻訳詩『薔薇物語』(1370年)
には,「われわれはいつも英語でマーメイドと呼 び,フランスではサイレンというあの人魚の歌」
とあり,少なくとも14世紀後半のイギリスでは
「マーメイド」(人魚)という語が使われていたこ とは明らかである。以上のことから14世紀後半 頃が「人魚」の表現として「セイレーン」から「マー メイド」へと変化していった時期と推測されるの である。
シェイクスピアの戯曲においては,作品が発行 された時期により表現が異なっており,微妙であ る。発行順にみると,喜劇『間違いの喜劇』には,
「セイレーン」(siren)と「マーメイド」(mermaid)
が登場し,同じく喜劇『真夏の夜の夢』には,「妖精」
(fairy)と「マーメイド」が,悲劇『アントニーと クレオパトラ』には「マーメイド」が登場し,シェ イクスピアの戯曲の中では,「セイレーン」,「妖 精」,「マーメイド」が並存して使われていること がわかるのである。
『旧約聖書』の「創世記」を題材にしたことに よるのか,ジョン・ミルトンの『失楽園』には,半 人半魚の海にすむ異教の神「ダゴン」が登場する。
「セイレーン」でも「マーメイド」でもない「ダ ゴン」を半人半魚の容姿からのみ「人魚」とみな してもよいのか悩ましいが,「創世記」を題材とし ていることからやむなく名前が「ダゴン」になっ たのであって,それゆえダゴンをギリシア・ロー マ時代の「セイレーン」に先立つ,いわば「人魚」
の祖先とみなしてもよいのではないだろうか。
以上の分析から,「人魚」の表現として「セイレー ン」から「マーメイド」に変化していった時期に ついては,遅くともチョーサーの翻訳詩『薔薇物 語』が出版された14世紀後半頃とみなすことに 特に問題はないと思われる。なおこのことについ ては,「人魚としてのセイレンをはじめて語った著 述家は,『愛のベスティアリ』(1252年)を上梓し
たリシャール・ド・フルニヴァル(1190-1260)
ではないか」21)という説もあることを付け加えて おきたい。
(2010年9月30日受理)
注
1) The Oxford English Dictionary. 9 vols. Second Edition, Clarendon Press, Oxford, 1989. p. 637.
2) The Oxford English Dictionary. 15 vols. p. 548.
3) 荒俣宏『世界大博物図鑑,第5巻[哺乳類]』(平凡社,
1992年)pp. 378-379.
4) 野上素一訳『世界文学大系 ダンテ』(筑摩書房,
1969年)pp. 156-157.
5) 瀬谷幸男訳,ジェフリー・チョーサー『中世英語版 薔薇物語』(南雲堂フェニックス,2001年)p. 249.
6) 同前掲書。pp. 25-26.
7) 松浦暢『水の妖精の系譜』(研究社,1995年)p. 56.
8) 日本フランス語フランス文学会編『フランス文学辞 典』(白水社,1974年)p. 135, p. 176, p. 542 参照。
9) 見目誠訳,ギョーム・ド・ロリス,ジャン・ド・マン
『薔薇物語』(未知谷,1995年)p. 25.
10) 同前掲書。p. 25.
11) 小田島雄志訳『シェイクスピア全集I』(白水社,
1976年)p. 30.
12) 小田島雄志訳『シェイクスピア全集III』(白水社,
1975年)p. 89.
13) 石井正之助編注『大修館 シェイクスピア双書,夏 の夜の夢』(大修館書店,1999年)p. 243.
14) 荒俣宏監修,ヴィック・ド・ドンデ『人魚伝』(創元 社,1993年)p. 132.
15) 小田島雄志訳『シェイクスピア全集IV』(白水社,
1976年)pp. 357-358.
16) 平井正穂訳,ミルトン『失楽園』(筑摩書房,1980年)
pp. 28-29.
17) 同前掲書。p. 30.
18) 荒俣宏『世界大博物図鑑 第5巻[哺乳類]』p. 382.
19) 山下主一郎他訳,バーバラ・ウォーカー『神話・伝 承事典―失われた女神たちの復権』(大修館書店,
1988年)p. 168.
20) 左近司祥子他訳,アーサー・コッテル『世界神話辞 典』(柏書房,1993年)p. 64.
21) 松平俊久『図説 ヨーロッパ怪物文化誌辞典』(原 書房,2005年)p. 109.
「ダゴン」像
バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典―失われた女神たちの復権』(大修館書店,1988年)
Das Bild der ,,Meerfrau“ in Europa vor dem 18.
Jahrhundert : Von der ,,Sirene“ zu der ,,Meerfrau“
KUZUMI Kazuo
Der Ausgangspunkt des Bildes der ,,Meerfrau“ in Europa ist die ,,Sirene“, die den Oberkörper des Men- schen und den Unterkörper des Vogels hat, in der griechischen und römischen Zeit. Aber die Gestalt dieser ,,Sirene“ wandelt sich im Laufe der Zeit und z.B. die Gestalt der ,,Prinzessin der Meerfrau“ von Andersen im 19. Jahrhundert ist die ,,Meerfrau“, die den Oberkörper des Menschen und den Unterkörper des Fisches hat.
Seit wann wandelte sich die ,,Sirene“ in die ,,Meerfrau“ ?
In diesem Aufsatz wurden für die Aufklärung der Zeit, wo sich die ,,Sirene“ in die ,,Meerfrau“ wandelte, die folgenden Werke hauptsächlich untersucht.
(1) Das Gedicht ,,Die Göttliche Komödie“ von Dante.
(2) Das Gedicht ,,Der Roman von der Rose“ von Geoffrey Chaucer, der das Gedicht von Guillaume de Lor-offrey Chaucer, der das Gedicht von Guillaume de Lor-ffrey Chaucer, der das Gedicht von Guillaume de Lor- ris übersetzte.
(3) Die Komödie ,,Der Traum bei Nacht im hohen Sommer“ und die Tragödie ,,Antony und Cleopatora“ von Shakespeare.
(4) Das Epos ,,Die Vertreibung des Paradieses“ von John Milton.
Von dieser Untersuchung wurde das Folgende aufgeklärt : Chaucer identifiziert das Wort der ,,Meerfrau“
mit dem Wort der ,,Sirene“ im Gedicht ,,Der Roman von der Rose“.