はじめに
2000年にニュージーランドとシンガポールが自由貿易協定
(FTA)を締結するまで東アジ ア地域に2
ヵ国間FTAは存在しなかったが(1)、それを機会に、同地域では2ヵ国間FTAのネ ットワークが拡大され、域内の政治、経済、ビジネス情勢に大きな影響を与えている。皆 無であった2
ヵ国間FTA
が域内で急速に増加した要因はどのように説明できるのであろう か。本稿では、東アジア地域の通商政策環境が、2000年を境に大きく変化した点に注目し、FTAを「採るべきではない」政策から「採っても構わない
(あるいは採るべき)」政策に転換 させた規範の変化と解釈、さらにその新しい規範を他の域内国が踏襲するという社会化(socialisation)が起こり、その後この動きが域内に伝播、FTA締結に動く国が一挙に増加する
「ドミノ現象」が生じた過程に分析の焦点をあてる。つまり、無差別原則の世界貿易機関
(WTO)を通じてのみ貿易自由化を達成しようとしていた「マルチ・オンリー」の通商政策 から、差別的な2ヵ国間アプローチを加味し「マルチ・プラス・バイ」の通商政策に転換し た要因を、法的、道徳的に国家の行動を規定・制限するルールと定義される規範の観点、
特に通商政策における差別的
FTAを容認した要因と域内での波及過程を、日本、中国、シ
ンガポールの役割に焦点をあてながら説明を試みたい。1 2
ヵ国間FTA
と通商政策における規範規範とは、物事を「すべき」あるいは「すべきではない」について共有された信念・認 識を示し、その意味で国家や個人の行動を規定するが(Chayes and Chayes[1995])、この規範 が、他者(国)に波及するには、社会化を伴うことが多い(Finnemore and Sikkink[1998])。こ の場合の社会化とは、規範がある国から別の国に伝わり、それが国内社会において幅広く 受け入れられる過程と定義付けられるが、国際関係では、ある国(々)の政策に変化が生じ たとき、それと同じ政策を他国が踏襲することを指し、社会化の波及とは、その政策が拡 大、伝播していく過程と定義する。
東アジアのFTAの場合、二つの社会化のパターンが存在する。まず、ある国が近隣国の 政策転換を観察・研究し、その結果FTAから得られる政治的あるいは経済的な同様の利益 を望む動機が生じ、その結果
FTA政策を踏襲するようになる「利益誘導」型と、近隣諸国
がFTA政策のため、貿易転換効果などが生じることで不利益を被る可能性、あるいは自身の政治的威信やステイタスなどの低下の可能性を見出す「危機管理」型である。後述のよ うに、前者の例としては当初、東南アジア諸国連合(ASEAN)の一体感を弱めるという理由 でFTAに反対し、シンガポールを非難していたマレーシアとインドネシアが、日・シンガ ポールFTAの交渉に影響を受け、両国も
FTAを進めるようになり、その最初の相手国とし
て日本と交渉・締結していることが挙げられる。後者の例は、2000年10月、中国がASEAN
に対しFTA
を提案したことに強い影響を受けた日本が、その後ASEAN
をまとまった交渉相 手とみなし、2002年1
月、同様にFTA
をASEAN
に提案、さらに中国によって生み出された この「ASEANプラス1」のアプローチが、その後、韓国、インド、オーストラリア・ニュ
ージーランドに波及し、現在、ASEANをハブとした東アジア地域統合案を日本が提案して いることなどに見て取れる(経済産業省[2006])。この規範の社会化においては、特に2ヵ国間
FTA
のように、単一の協定にとどまらず、同 じような協定を複数締結していくという連続性をもつ政策の場合、規範転換を起こす「イ ニシエイター」と同様に、かなりのスピードと数でその政策を実施し、規範変化の社会化 を推進する「ファシリテイター」の存在が重要と考えられる。イニシエイターとファシリ テイターが同じ国である場合もあれば、違う国であるケースも想定できるが、ある一定の 地域において規範が波及していく過程では、イニシエイターは多くの場合、影響力のある 大国、特にFTAだと、大市場を梃子に交渉を持ちかけることのできる経済大国である可能 性が高い。だが、ファシリテイターは必ずしも経済大国である必要はなく、その政策を俊 敏にかつ連続的に履行し、変化した規範(この場合、差別的なFTA)
の社会化に常に努める ことのできる国がその範疇に当てはまる。確かに東アジアにおける通商政策の規範の変化は、2ヵ国間
FTA
を進めるからといって、従来の
WTO重視の政策を破棄することを必ずしも意味しない。これまで、差別的であるこ
とから「採るべきではない」と思われていた政策を「採っても構わない」という意味での 変化を指し、したがって、貿易政策の選択肢を広げる「追加」を意味し、「変化」ではない との解釈も成り立つ。しかし、実際のビジネス活動、通商政策において多大な影響をもた らすという観点から、これを規範の変化と本稿ではみなす。
まず、差別的な
FTA
では、非関税の対象となるのは締結国で生産された製品に限られる ため、締結国間の貿易は増大するが、それ以外の国の製品は締結国市場から関税により差 別を受けることになり、ビジネス機会の喪失につながる。この現象は、欧州連合(EU)な どすでに約30ヵ国・地域と FTA
を結んでいるメキシコおいて、日本からの輸出品が関税の 対象(平均16%)
となり、価格のうえで不利に立たされることになった日本が、メキシコと のFTA締結を急いだ点に見受けられる(2)。この傾向は多くの輸出製品が競合する東アジアで は特に顕著であり、例えばこの規範の変化の重要性は、不利益を被らないためにもより多 くのFTAを主要貿易国と結ぶ必要があるとの認識が東アジアのビジネス界を中心に広がり、通商政策に関するヒアリングやスタディーグループへの参画などを通して、多くの国で政 府へ関与、働きかけが行なわれてきていることに示されている(Sally[2007]
, Yoshimatsu
[2005])。また、FTAが多く結ばれれば、それだけ自社製品が非関税扱いを受けることがで
きる海外市場の数が増えるため、海外企業がそのような国を魅力的な投資先として選択、
経済成長につながることも規範の変化をうながした重要な要因である。そして何より、こ の2ヵ国間
FTA
ネットワークの密度が増し、域内の主要国をほぼ網羅するようになると、独 自の基準や手続きをもつ原産地規則が多く規定され、同一の産品に対して異なる原産地ル ールが適用される「スパゲティー・ボール現象」が生じる可能性が出てくる(Bhagwati[1995])。 それを防ぐためにも、全体で自由貿易地域を作ろうという動機が特にビジネス界から生じ、欧州や北米、南米などにある自由貿易地域(欧州は関税同盟)の後塵を拝してきた東アジア での自由貿易地域形成の動きにつながっているのは、この規範の変化の最も重要な結果で あろう。何より、東アジアで地域統合を達成しようとする機運は、同地域の安全保障に絶 対的な影響力をもつアメリカを排他した形で進められることから(3)、東アジアの地域秩序に 大きな変化をもたらす可能性も指摘でき、この政策規範の変化の重要性を物語っている。
2
規範変化のイニシエイターⅠ:日本2000年以降、2ヵ国間 FTA
の数が世界的に増加しているが、最もその傾向が強く現われて いるのが、東アジア地域である。最初に述べたように、2000年にシンガポールとニュージ ーランドが結ぶまで皆無であったが、その数は2007
年前半の段階で30
に上る(4)。そのFTA
は、1999年6
月暮れに、ニュージーランドがシンガポールに持ちかけたことに端を発するが(宗像[2001]、p. 105)、シンガポールはそのときすでに日本に
FTA
を打診しており、日本・シンガポール(日星)間のFTA(正式には日本・シンガポール新時代経済連携協定)の発表は、
同年の
12月に行なわれている
(Terada[2006], p. 10)
。シンガポールが日本へFTAを打診して きたのは、日本がメキシコからの要請を受け、1998年8月あたりから通商産業省で同国との FTA締結への可能性の研究が開始され、さらに韓国との間で、同年 10月、歴史問題に終止
符を打ち、新たな日韓関係構築を重要課題として誕生した金大中韓国大統領の訪日を機に、FTA
を結ぶ機運が高まってからであった。その意味で、東アジアにおける通商政策に2ヵ国 間FTAが加味される契機を作り、イニシエイターとしての役割を担う域内国は日本であっ た。それまで、日本はWTOによる多国間貿易体制の維持と発展に専心し、その体制を弱める ことにつながる差別的なFTAには、反対の姿勢を示してきた。実際、日本の
FTA
政策を報 じる海外メディアは、「多国的貿易体制への確固たる関与」(Reuters, 25 October 2000)、あるい は「最も強固な多国間主義者」(New York Times, 9 November 2001)、といった表現で日本のFTA
政策関与への変化の重要性を報じている。その動きを察知し、即座にFTA
をアプローチし てきたのがシンガポールであった。シンガポールが日本の最初のFTA相手国として望ましかったのは、WTOが扱わない投資 環境整備や中小企業協力、知的財産保護、貿易手続きの電子化、ビジネスに関する人の移 動の円滑化など、いわゆる「新時代」要素、つまり「WTOプラス」の分野を盛り込んだ経 済連携協定(EPA)を締結できる国であったことも重要である。日本、シンガポール両国は、
情報技術(IT)産業の発展が目覚ましい点など産業構造が似ており、また1人当たりの国内
総生産(GDP)においてもあまり差がなく、途上国の多い東アジアにおいて、韓国と並んで シンガポールは唯一と言っていいほど、関税撤廃の分野を超えた「新時代」のEPAを締結 することのできる国であった。
これら関税撤廃以外の分野は、差別性とはほぼ無関係であり、FTAよりもさらに扱う範囲 の広いEPA方式は、欧州などで発達した差別的な関税撤廃に特化した地域貿易協定に反対 してきた日本にとって、関税撤廃のみの
FTA
と比して進めやすいアプローチでもあった。WTOのラミー事務局長は、WTO
の規則に一致し違反しない限り、FTAはWTO
にとってマ イナスではないとしているが(Straits Times, 11 May 2006)、このWTOルールとの整合性を保つ ことが、FTAを取り込み、通商政策に関する規範に変化をもたらす重要な条件であった。日 本は従来、無差別の最恵国待遇を謳った関税貿易一般協定(GATT)1条の遵守を主張するこ
とで、GATT/WTO体制の重要性を訴え、FTAを批判してきたが、1998年にFTA政策を採る
と決断してからは、差別的なFTA締結の条件を規定した同24条を厳守することで、WTO
重 視を訴えている。つまりWTO重視のあり方を、FTAを導入したことで、変えざるをえなか った。また、シンガポールは日本に農業分野の自由化を求めることは、FTA推進の妨げになると 考え、事前折衝の際には農林水産省も訪れ、当時日本へ最も多く輸出されていた農産品で ある乳製品への関税率が
30
パーセントを超えていたにもかかわらず、農産品の自由化には 関心がないことを示し(Terada[2006], p. 11)
、日本がFTA交渉を進めやすい環境を作った。2000年当初、シンガポールから日本への農産品輸出は、日本の 2番目の FTA
締結国であるメ キシコと比しても、それほど差があるわけではなく(シンガポールの対日農林水産物の輸出額 は2.7億ドル、メキシコは4.3
億ドル)、そのメキシコとのFTA交渉においては、豚肉とオレン
ジジュースの関税の取り扱いに関して交渉が難航し、その妥結が大いに遅れたことに鑑み れば、シンガポールが日本とのFTAにおいて農産物を最初に外したことは、その関税引き 下げ・撤廃に抵抗を示す農業関係者、農林族などの抵抗をあらかじめ抑え、迅速な交渉を 進めるための戦略としては、成功であったと言える(5)。そのためか、
FTA交渉期間はシンガポール・ニュージーランド FTA
のそれよりも短かった。ただ、全貿易における農産物の割合が0.2パーセントしかないシンガポールとの
FTA
でさえ 新たな農産物の関税引き下げを取り入れなかったため、日本とのFTA締結の可能性を否定 する声が一部ASEAN内で挙がったのも事実である(Terada[2006], p. 25)
。農産物を関税撤廃 からはずし続けることは、「WTOプラス」ではなく、「WTOマイナス」となり、日本がFTA 導入の際に掲げたWTOとの補完性の意味は薄れ、日本の通商政策のなかで、FTA
推進が突 出して重要とみなされる要因の一つとなった。規範変化のイニシエイターとしての日本の役割が最も顕著に発揮されたのは、中国に対 してである。2000年、中国の
ASEAN
へのFTA提案は、日本を含め域内各国を驚かせたが、
それは当時、中国が無差別な最恵国待遇を原則とするWTOへの加盟を急いでいたため、差 別的
FTAには批判的と思われていたからである
(Straits Times, 22 November 2000)。しかし、中 国をFTAに向かわせたのは、FTAの流れに乗り遅れることを懸念した孤立感であった。1990年代後半まで、世界の主要先進国のトップ30のなかで
FTA
を結んでいなかったのは、中国(香港も含む)、日本、韓国、台湾だけであったが、2000年に入り日本はシンガポールとの間 でFTA締結に向けた研究会をスタートさせ、韓国もまたチリとの
FTAを模索していた。中
国にとってみれば、突如自分だけがFTA
を結んでいない状態が東アジアに生まれたのであ るが、その事態の端緒となったのは、日本の通商政策における規範の変化であった(Hatake-yama
[2003])。東アジアにおける2
ヵ国間FTA
の「ドミノ現象」を論じたバルドウィン(Boldwin[2006]
, p. 1491)
は、ドミノ開始を中国に求めているが、むしろ日本から始まったと 解釈するほうが適切であろう。3
イニシエイターⅡ:中国日本の通商政策の変化に影響を受けた中国ではあるが、中国自身も規範変化のイニシエ イターとしての役割を担ったと言える。それは、東アジアの貿易構造において、ASEANを 単体とみなして
FTA
交渉を始めたこと、さらに、その提案が地域機構として連帯性を欠い ていたASEANの市場統合のスピードを速めたこと、そしてASEAN
とFTAを結ぼうと望む
国がその後増加し、この動きによって、現在ASEANをハブとした東アジア地域統合構想へ つながっていることなど、中国とASEANのFTAの影響力は多岐にわたる。中・ASEANの
FTA
が提案された当初、中国の1人当たりの労働賃金の平均はマレーシア やタイの4分の 1
ほどで、したがって、FTAを結び、安い労働力を利用した廉価な製品が中 国からASEAN
市場にほぼ非課税で入り込むということは、価格の面で不利を余儀なくされ るASEAN内の産業が衰退し、多くの失業者を産み出すことを意味していた(Tongzon[2005],
p. 10)
。その意味で中国は、ASEANとしてもそう容易にFTA
を結べる相手ではなかった。ただ、ITバブル崩壊によるアメリカ経済の低迷を受け、同市場に強く依存してきた
ASEAN各
国の輸出量が低下し、さらに成長が鈍るなか、「9・11」がこの低迷傾向にさらなる追い撃
ちをかける。つまり、ASEANにとってはアメリカ市場に続く新たなる有力市場の確保が緊 急の課題となっていたのも事実である。中国のFTA提案は、この
ASEAN
の「脱アメリカ化」の動きと合致した。さらに中国は、ラオス、ミャンマー、カンボジアには自由化完了の時期を遅らせること、自らの農業市場、
特にFTAに否定的とみられていたマレーシアやインドネシアの主要産物である木材やゴム などを先にASEANに開放すること、さらに
WTO
未加盟のインドシナ諸国にも最恵国待遇 を与える用意があることなど示し、ASEANに対し大きく譲歩する姿勢をみせた。全人口の 約7割が従事すると言われる農業市場を優先的に開放するということは、中国側も痛みを引 き受ける覚悟を示したと言え、これらの譲歩は、ASEAN内での中国脅威論を和らげ、困難 と言われた中国とのFTA締結を決定付ける大きな要因となった(Cai[2003], p. 398, Terada
[2003]
, p. 271)
。この中国の動きに影響を受け、2001年
11月の中・ ASEANの FTA
交渉開始合意の後、逆に 焦燥感を深めたのが日本であった。日本は長年にわたりASEAN
諸国に対し多大な投資と政 府開発援助(ODA)をつぎ込んできており、その結果、多数の日本企業が進出するビジネス環境とネットワークを東南アジア全域に作り上げている。したがって、日本政府のなかに は、この経済的結び付きの強さから東南アジアと日本の関係を特別とする意識が強い。日 本は、中国・ASEANの結び付きが、ビジネス面で長い時間をかけて築いてきた日本と東南 アジアの特別な関係を霧散させかねないと懸念した。実際、ASEANの主要メンバーである シンガポールやインドネシアが中国と国交を結んだのは1990年であり、中国が
ASEAN
のダ イアログパートナーとなるのは、日本に遅れること20年以上経った1996
年であった。しか し、中国がASEAN
にFTAを提案するまで、ASEAN
を一つの経済単位とみなしてFTA
を推 進する考えは日本にはなく、それまでは、外務省を中心に常に2ヵ国間アプローチでFTA締
結を意識していた。日本の東アジアにおけるFTA
政策は、中国の影響によって大きく変化 したと言え、この意味で通商政策の規範変化のイニシエイターの範疇に中国は属する。確かに、ASEANでは域内先進国と途上国の経済格差が広がる
2
極化現象が進み、1人当た りの国民総生産(GNP)の格差がメンバー間で最大と最小で100倍近くになるため、一つの
経済単位として扱うには無理があった。関税同盟ではないASEANは域外共通関税をもって おらず、またASEANを一つの単位としてFTA交渉を進めるにせよ、ある域内途上国から自 由化措置の延期や例外措置の要求が出た場合、それが他国からの同様の要求を誘発し、交 渉が頓挫する危険性もあり、2ヵ国間のFTAを ASEAN
各国と結ぶほうが、日本にとっては 容易であった(寺田[2003])。その反面、1990年代に入り日本から中国への直接投資が増加 し、その傾向が中国のWTO加盟によってさらに強まると、アジア経済危機で投資先として の魅力を失っているという懸念をもっていたASEANはこれを機に域内統合を進め始め、こ の文脈で日本にもASEAN
全体としてのFTA
を進めてほしいという希望ももっていた。ASEAN
全体でのFTAにより、日本からの投資減少傾向に歯止めをかけたい思惑がASEAN側 にはあったのである(Lim[2003], p. 80)
。しかし中・ASEANの
FTA
は2005年 7
月に発効、後から交渉を始めた韓国も同年末に基本 合意に達した一方、日本は、先進国的な包括的EPAアプローチを採ったため、交渉の遅れ が生じ、時として国内で批判を招いた(6)。ただ、特定分野の農産物の自由化を前倒しして行 なうアーリーハーベストは、中国とASEAN諸国が開発途上国であることから、授権条項に より可能になった措置で、先進国の日本とのFTA
には適用できない。そのため、交渉が長 引いても、この制度を使ってFTAの結果を先に示すことはできず、中国より遅れた印象を
与える一つの原因となった。また、日本側のASEANアプローチは、シンガポール、マレー シア、タイ、フィリピン、インドネシア、ブルネイ(後からベトナムが追加)の域内先進国 グループと、カンボジア、ラオス、ミャンマーのインドシナ・グループに分け、域内先進 国グループでは各国別にEPA
を結び、そのあとでインドシナ・グループとはまとめて結ぶ、合計8個の
FTA形成方式をとっていた。ただ、オン・ケンヨン ASEAN事務局長は、このア
プローチだと後発国が取り残されてしまう恐れがあると懸念を表明しており、また2ヵ国間EPAの成果をどのようにASEAN
全体とのFTAに組み込めるかの疑問もあり、ASEAN全体を 扱う中国アプローチのほうがASEANにとって望ましい点を指摘している(Ong[2005])。ただ、日本のアプローチにも利点はある。ASEANが進めたい投資協定締結の取り組みに
中国は消極的であるが、日本はすでに東南アジアの多くの国と
2
ヵ国間協定を結んでおり、2ヵ国間 EPA
と共に、投資分野においては、かなりの自由化が確保されている。ASEANは 単一の投資地域を2015年までに創設することを目指しているため、将来的には、地域レベ ルの投資の自由化に向けた基盤を構築することを日・ASEANの枠組みは謳っており、東南 アジアにサプライ・チェーンを張りめぐらせる日系企業、そして投資をさらに呼び込みた いASEAN双方にとって、最終的により好ましいビジネス環境を招来する可能性を日本のア プローチは秘めている。また日本とASEANの関係からみれば、国会の批准を必要とし、法的拘束力を伴う国際協 定で、なおかつ広範な協力分野を含むEPAは、従来の関係に新しい一面をもたらしたと言 える。ASEANとの関係は、フォーラム中心に展開されてきており、このような法的根拠を 欠いていた。またODA、直接投資、特恵関税、技術移転など、日本の一方的な付与に基づ く片務的な要素の存在が大きな特徴の一つであった。日・ASEANの
EPAは、このような日
本とASEANの関係に、法に基づく相互主義の要素を新たに加味し、相手国から関税撤廃や 投資における内国民待遇を日本が得る「ギブ・アンド・テイク」な関係を新たに作り上げ てきた点で、大きな変化をもたらしたと言えよう。イニシエイターとしての日本や中国の役割は、2ヵ国間
FTA
ネットワークをさらに拡大さ せ、域内の自由化の趨勢に影響を与え続けたが、両国がファシリテイターとしての役割も 担っているかどうかは疑問である。中国は国内規制制度の変更につながるサービス貿易市 場の開放に躊躇しており、そのためオーストラリアなど先進国とのFTA
交渉は難航してい る。中国のWTO加盟交渉の責任者であった龍永図(元中国対外貿易経済協力省次官)による と、中国は2001年12月にWTOに加盟したばかりで、通商問題に精通した経験豊富な交渉官 が不足しており、積極的に交渉団を組んで2ヵ国間 FTA
ネットワークの数を一挙に増やすこ とが難しいという事情があった(Straits Times, 6 March 2003)。他方、日本は交渉官など人材は 豊富だが、逆に省庁間の調整が未発達で、また東アジアの途上国が望む農業市場開放にき わめて消極的である。加えて、これら途上国であるFTA
相手国に対し、知的財産権やサー ビス分野の自由化など、包括的なEPAアプローチにこだわった要求を突き付けるため、交 渉がなかなか進まない状況にある(尾池[2007], p. 23)
。その意味で、両国とも2ヵ国間FTA
のネットワークを素早く拡大しているとは言えない。域内FTAの波及効果を弱めない役割を担うファシリテイターは、例えば、北米のメキシ コ、南米のチリなど、域内のみならず域外諸国とも積極的にFTAを締結している国である。
東アジアでは、これら同様、中小国の部類に入るシンガポールがこの役割を担っている。
かつてはタイもこの役割を担いつつあった。しかし、2006年のクーデターでタクシン政権 が崩壊した後、FTAを積極的に進める政策をとっていない。
4
ファシリテイター:シンガポール輸出額、輸入額の対
GDP
比がいずれも世界で最も高いシンガポールは(7)、貿易で成り立 っている国である。1996年12月、設立されたばかりの WTOの第 1回閣僚会議のホスト国と
なり、貿易立国としての面目を示したシンガポールだが、そのWTOでの貿易自由化の進展 がみられないことへの不満が、シンガポールを
2
ヵ国間FTA
締結へと駆り立てている。ゴ ー・チョクトン首相(当時)は、WTOへの不満として、決定に際しコンセンサスが必要で 時間がかかるうえ、自由化への抵抗を示す国が存在し、関税が最も低いレベルになるとは 限らないことを挙げているが(8)、シンガポールは、迅速に、しかも相手国の関税がほぼ撤廃 される2ヵ国間FTAを数多く締結することで、WTO交渉の進展がみられない間、相手国市
場への特恵的アクセスを得る手段として利用している。ただ、シンガポールとFTA
を結ぶ 利点を相手国が見出さない限り、域内FTA波及のファシリテイターとしての役割を担うこ とはできない。実際、人口400万強と市場が小さく、99.9%の輸入品に関税がかからないシンガポールは、
相手国に関税撤廃をし、同様に特恵的な市場アクセスという「うまみ」を与えることがで きないため、サービス分野の自由化や相互認証システムの付与など、物品貿易以外の分野 をFTAに入れ込み、相手国からの投資に付与する優遇制度などのアプローチを通して、シ ンガポールとFTAを締結する利点を訴えざるをえない。また小さい国内市場を補うため、
統合を深めようとするASEANの5億人市場進出への足場としての役割を担うことも、2ヵ国 間FTAを増やすためには重要で、したがって、ASEAN統合の遅れは、シンガポールにとっ て重要な問題である。また、小国ゆえ行政官の数は多くないが、日本やアメリカなどの大 国との
FTA
では、退官した元大使(例えばアメリカはトミー・コー、日本はリム・チンベン)を交渉団のトップに据え、相手国を熟知し、政府関係者に知己も多い元大使を活用するこ とで、迅速に交渉を進め、一度に複数国とのFTA交渉を行なう手段を講じている。
シンガポールは、最初のニュージーランドを除き、日本、アメリカ、オーストラリアな ど主要貿易取引先と真っ先に
FTAを結ぼうとしたが、これに対しマレーシアは、シンガポ
ールがこれら域外大国と差別的なFTAを結ぶことはASEAN
の連帯感を損ねるものだと痛烈 に批判し、「マレーシアはどの国ともFTAは結ばない」(ラフィーダ貿易大臣)との立場を示 していた(Terada[2005], p. 5)
。しかし、日星EPAが締結されると、シンガポールのFTAに批 判的であったマレーシアやインドネシアの政府関係者が、日星EPAを研究するため、東京 の経済産業省の担当者を訪問、自らが日本とFTAを結ぶ準備を開始した(9)。そして、2002年12月のマハティール首相の訪日の際に、マレーシアは日本との FTA
交渉を発表、その後も シンガポールの後を追うように、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドとの2ヵ国 間FTA交渉を行なっている。インドネシアも2005年6
月のユドヨノ大統領の訪日の際、最初 のFTA相手国として日本と交渉することで合意し、2007年8月に調印している。これらマレーシア、そしてインドネシアの2ヵ国間FTA参加は、「社会化」の結果とみる ことができる。マレーシア、インドネシアにとって、相互主義に基づく関税撤廃で域外大 国市場への特恵アクセスを手に入れることのできる意義は大きく、これらの成果をシンガ ポールの成功によって理解し、自らも進んで最大の貿易相手国である日本との締結に動き 出した。その意味で、シンガポールはファシリテイターとしての役割を果たしたと言える。
FTAを締結すればするほど、メディアが取り上げる数も増し、デモンストレーション効果が
効率よく働くこととなる。これは、他の域内国を統合に関与させるための説得の際にも有 効に働いている。さらに、2001年
1
月に政権に就き、2ヵ国間FTA
を積極的に進めたタクシ ン首相下のタイが、シンガポールと自由化推進で協調路線をとり始め、両国が共同歩調を とることでFTA
推進のデモンストレーション効果が発揮されてきた。例えば、タクシン、ゴー両首脳は2003年
9
月、ASEAN域内の単一市場構築を目指すASEAN経済共同体実現の時
期を2020年から繰り上げることを提唱、その後、ゴー首相がフィリピン、タクシン首相が ベトナムに対して同構想の説得を試みた結果、両国はこれに同意、徐々にその支持国の輪 を広げていき、最終的に前倒しの合意にこぎつけるなど、2ヵ国間のみならず、シンガポー ルはASEAN
域内統合のファシリテイターにもなっている(Business Times, 9 October 2003)。新しい規範が社会化するために、規範の変化を起こさせた者(国)は他者(国)を説得
(persuasion)しなければならないが(Finnemore and Sikkink[1998])、シンガポールは日本に
FTAを働きかけた際、その説得に成功しており、イニシエイターとしての日本の役割を下支
えする役割も担った。通産省の担当官(宗像[2001]、pp. 107―117)
によれば、日本の対応は、当初「おおむね否定的、良くて懐疑的」であったが、シンガポールから
FTA
締結の意義の 説明を受け、「多くの〔日本の〕官僚は……WTO
を補完する政策の選択肢を確保すべきだと いう確信をさらに強め」、人、物、金、情報の双方向の流れを推進する伝統的なFTAを超え た貿易協定を結ぶ日本にとって、最初の相手国として「まさに最適]という結論を導き出 すのである。国際関係理論における現実主義者は、規範が重要となるのは、それが大国の政策目的と 一致した時のみであると論じる(Mearsheimer[1994/95])。その意味で、東アジア通商政策に 規範の変化を起こし、それが域内の政治、経済、ビジネスの動向に影響を与えているのは、
大国である日本や中国がイニシエイターとして中心的役割を果たしてきたことによるもの であることは論をまたないが、FTA推進という通商政策における規範の変化の意義と必要性 を認め、またそれを共有し、大国の影響力を駆使して、自らの望む通商環境を創造した小 国シンガポールのファシリテイターとしての役割も同様に重要であったことも、本稿は明 らかにした。現在、アメリカとこの域内で最も先進的なFTAを結び、EUとの合意を視野に 入れる韓国も、このファシリテイターとしての役割を担いつつあり、実際、この動きに影 響を受けた日本では、同様にアメリカやEUとの
FTA締結の議論が巻き起こっている
(畠山[2007])。
おわりに
本稿では、東アジア諸国が
2000年に入って、それまで皆無だった 2
ヵ国間FTA
を、急速 に締結し始めた過程を、通商政策の規範の変化とその社会化、そして域内における波及に 基づき検証した。その際、イニシエイターとファシリテイターのそれぞれの役割の特徴を 指摘し、日本、中国、シンガポールの政策と行動を議論、結果として大国だけではなく、中小国に属するシンガポールの果たした役割の重要性も明らかにした。
現在、東アジアは、2ヵ国間の
FTA
がほぼ主要国で締結されたことから、「リージョン」の時代へ向かいつつある。ただ、東アジア地域レベルでの統合が実際に進むのかについて、
現実主義者の立場から疑問符がつけられている。例えば、アメリカのような大国は、相対 的な交渉力が弱まり、小国の「ただ乗り」を許すリージョンのアプローチより、自らがハ ブとなり、すべてのスポークに対し特権的な市場アクセスを享受できる2ヵ国間のネットワ ークを中心とした「ハブ・アンド・スポーク体制」の発展・維持に関心があり、地域レベ ルでFTAが形成されることに懐疑的である。例えば、日本も、ASEANおよびその参加国と
FTAを締結したが、そこでは経済力の観点から、日本のほうがタイやフィリピンなどの相手
国より圧倒的に交渉力は強い。その結果、多くの場合、日本が望まない農産物の関税撤廃 を棚上げすることを可能にし、最終的にこれらのFTA
は、日本の優位性が反映された形と なっている。これは、「政治的痛みなき自由化」(liberalisation without political pain)と称されて いるが(Ravenhill[2003])、日本は、その代わりに自らの経済力に基づく経済協力の供与とい う形で、相手国への利得を与え、説得する方策をとっている。日本は、このパターンを駆 使し、農産物自由化の約束を極力避けたFTA
だけしか現在のところ結んでおらず、その意 味で、現実主義者は、農産物輸出を日本市場に望む多くの輸出国が交渉の際、徒党を組む ことを可能にする東アジア地域での地域統合に日本が積極的に関与できるかどうか疑問で あることを論じている(Hughes[2007])。ただ東アジアでは、地域統合のハブに
ASEANがなり、そこを拠点として五つの「ASEAN
プラス
1」が成立している状態であって、日、中、韓、インド、オーストラリア・ニュージ
ーランドの五つの「プラス1」国の間では、FTAはいまだ結ばれていない。したがって、大 国主導の地域統合アプローチはいまだとられておらず、これまでのところ現実主義者の見 解とは異なる状況である。この意味で、現在、統合への意志を固め、動きつつあるASEAN がどの程度、東南アジアを超えた広域 FTA へ関与し、規範変化のイニシエイターとしての 役割を発揮できるかが、リージョンの時代では重要となろう。
(1) オーストラリアとニュージーランドは、1983年に経済緊密化協定(Closer Economic Relations)を 締結、世界的にみても早い時期にFTAを結んでいる。ただ両国の経済規模がそれほど大きくなく、
また両国とも東アジアとの経済・政治関係が比較的緊密でない頃の締結だったため、本稿では東 アジアでのFTAとみなしていない。東アジアには1992年に開始された東南アジア自由貿易地域
(AFTA)という、2ヵ国間ではなくASEAN域内のFTAがあるが、これはむしろ自由化推進に躊躇 しがちな途上国同士が統合を目指すということで、日本は当時歓迎した。AFTAの形成は、まず域 内貿易率が低く、そこで単一市場ができても貿易転換効果があまり起きないと思われたことと、
中国の経済成長が始まったことを受け、日本からの投資を継続して誘致するための中国への対抗 措置としての思惑があったことがその要因である(Inouchi and Terada[1993])。
(2) メキシコは政府調達における国際入札をメキシコ企業とFTA締結国企業に限定しているため、
日本企業は特に欧米企業に対して、競争上不利な立場に立たされているとし、日本経団連は、FTA がないことによる損失額が年間約4000億円と推計、政府に嘆願書を提出している(日本経団連日 本メキシコ経済委員会[2003])。
(3) 元日本貿易振興会(JETRO)理事長の畠山襄[2005年]は、東アジアでFTAが成立したとして も、アメリカが東アジア地域に属する国でないことから、参加は難しいとしている。
(4) この場合、東アジア・サミット参加国(16ヵ国)を東アジア諸国とみなし、どちらかが締結国
になっているFTAを含めている(http://aric.adb.org/)。
(5) シンガポールとの交渉では、日本での金魚の関税撤廃をめぐり難航したと多くの報道がなされた が、これは事実ではなく、むしろ両国がこのような話をリークし、メディアが金魚でさえも日本 は関税を撤廃することができないと騒ぐことで、シンガポールが日本とのFTAで本当に欲した繊 維や石油化学製品の関税撤廃でもめたことをカムフラージュするために、両国政府がとった戦術 であった(Terada[2006])。
(6) 例えば『日本経済新聞』はその社説で「日本にとって最も重要な舞台である東アジア地域で日本 の交渉の進め方が見劣りする印象は否めない」とし、迅速な交渉妥結を求めている(『日本経済新 聞』2006年3月8日)。
(7) 国際貿易投資研究所のデータベースによる(http://www.iti.or.jp/staff.htm)。
(8)「ゴー・シンガポール首相の会見要旨」、時事通信、2002年11月11日。
(9) 梅原克彦氏(経済産業省通商政策局地域協力課長)への筆者インタビュー、2002年4月11日、
霞が関にて。
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てらだ・たかし 早稲田大学准教授