はじめに
盧武鉉政権は
2003年、韓国経済が信用カード乱発による消費バブルの崩壊、家計の負債
急増という前政権後半の景気浮揚策のツケに直面するなかで登場した。政権は大量の信用 不良者への処理によって、アジア通貨危機後、再び信用不安に陥った金融市場の安定化を図 るとともに公約の社会政策全般を強化し、「人為的な景気浮揚政策は採らない」という原則 を掲げた(1)。不動産政策や規制緩和、労働組合の不法行為への対処など、財界には一連の政 策一貫性欠落に批判が強いが、反面、確かに急速なウォン高への介入もなく、景気に対す る無理は少なかった。一方、内政とは対照的に外交面では朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)支援で一貫し、自由貿易協定(FTA)締結の相手国さえ、北朝鮮問題のグローバル化と足並 みをそろえてグローバル化していった。
小稿は日本同様、農業市場開放の困難を抱えながら慎重に進められてきた韓国の
FTA交
渉が盧武鉉政権下で大転換され、 同時多発FTA に至った政治的・経済的背景を論じ、併 せて日韓の地域主義(リージョナリズム)乖離修復に向けた課題を探る。1
金大中政権(1998―2003
年)のFTA政策
―グローバリズムから地政学へ(1) アジア通貨危機と韓国の地域主義
韓国は日本や他の東アジア同様、伝統的に世界貿易機関(WTO)による多国間交渉を通 商政策の基本とし、2000年代に入ってから世界的な地域主義からの 取り残され 懸念に よってFTAなどの地域交渉に傾斜した。しかし、何と言っても通商政策の転換に際して大 きかったのは通貨危機で、地域主義の初期性格はこれに強く規定された。
まず、第一の点は通常の地域主義とは異なり、近接性よりグローバルな結びつきが重視 される傾向である。韓国の危機は「財閥」による過剰投資・負債膨張もさることながら、
世界新興市場全体の混乱や、ここに投融資を行なっていたことによる流動性枯渇を特徴と した(2)。収拾にあたった金大中政権は、国際通貨基金(IMF)の求める新自由主義的な構造 改革推進で市場信任の回復を急ぎ、グローバルなFTA推進はその一環であった。韓国はFTA の相手候補を伝統的な 巨大交易圏 の日米および欧州連合(EU)と、各地域の 橋頭堡 と位置付けるチリ、タイ、オーストラリアなどに分け、前者とはまず、投資誘致を狙った 投資協定(BIT)締結から
FTA交渉に進むこととし、交渉開始は後者からと決めた。危機直
後の輸出主導型経済再生には米国市場へのアクセス確保が絶対条件であったから、後者か らまずは北米自由貿易協定(NAFTA)への参加が確実視され、豊富な
FTA
交渉経験をもつチ リとの交渉が1998年末から始まった。第二に、FTAが経済再生の切り札であったことから、交渉相手国の選定にも貿易の拡大
(とりわけ輸出の拡大)や経済厚生の改善、直接投資の増大など積極面がより強調された。韓 国はもとより輸出依存度が高いため、FTAのインパクトは日本よりはるかに大きい。この点 で地域主義は、脆弱産業(農業)への影響最小化や、多国間
FTAの締結先行による貿易転換
効果の防止といった消極的な理由に引きずられた日本のFTA戦略とは対照的に野心的な性
格が形成された。日本がシンガポール、メキシコなど比較的交渉しやすい相手を選び、い ったん合意すれば批准をスムーズにこなしていったのに対し、韓国は最初の相手であるチ リとの批准に2年もの歳月が必要となり、金大中政権下では結局、その先に進めなかった。第三の点は貿易のみならず、直接投資やサービスが重視される包括的な交渉を志向する ことである。韓国は他の東アジアの国とは異なり、危機直前までは直接投資誘致にそれほ ど積極的でなく、基幹産業においてはむしろ警戒的でさえあった。しかし、危機後は外資 誘致が構造調整の速度を左右し、さらに雇用の受け皿として、また国際競争力再強化の点 からもサービス部門の生産性が重視された。これによりすでに十分な直接投資ストックを もつ中国や東南アジア諸国連合(ASEAN)とも異なる包括性が
FTAに求められるようになり、
相手も全般に関税引き下げの余地が大きな途上国より先進国を強く志向することとなった。
(2)「太陽政策」と東アジア地政学への回帰―日中韓の枠組みの登場
金大中政権下の地域主義は、以上のような基本的性格を維持しながらも、2000年の歴史 的な南北首脳会談、いわゆる「太陽政策」の加速といった外交政策大転換の影響を強く受 けた。加えて経済的に2000年にはマクロレベルでの回復を達成し、経済自由化の推進や外 資誘致への切迫感が後退した。逆に金融機関や上場企業に対する外資所有の急増、所得格 差の拡大などから新自由主義改革への疑念が発生し、東アジア域内協力によって域外経済 への依存を是正することへの関心が増大した。このタイミングで南北の経済交流が推進さ れたことは、それまで純粋に経済的基準に規定されてきた
FTA政策に政治・外交的文脈を
持ち込むことになり、「 北東アジア 地域=日中」の優先順位を大きく上昇させた。1998年の金大中大統領の訪日以来、日韓関係は包括的かつグローバルな協力関係の強化、
韓国の対日文化輸入開放、サッカー・ワールドカップ(W杯)の共同開催決定、韓国への観 光客急増などで順調に発展した。とりわけ2002年には小泉純一郎首相が第1回北朝鮮訪問を 実施し、日朝平壌宣言が出されるなど、北朝鮮に対して補償問題を抱える日本が積極的に なったことは金大中政権に大きく歓迎された。
ただし日韓間の貿易は危機後も相変わらず韓国側の圧倒的入超が続き、貿易赤字はFTA 交渉入りを遅らせる最大要因となっていた(3)。これに対し、対中輸出の急増、貿易黒字の拡 大は次第に米国と並んで対日貿易赤字を補填するものとして期待されるようになった。第1 図は韓国の対米、対日、対中輸出の推移を示すが、IT(情報通信技術)バブル崩壊に見舞わ れた
2001
年以降、日米への輸出の伸びが鈍化したのに対し、中国向けは飛躍期に入った。1992年の国交回復以来、中韓貿易は順調に増加してきたが、中国の成長加速とともに爆発
的な勢いとなり、2003年にはついに米国を抜いて韓国の最大市場となった。さらに、直接 投資においても中国は一貫して最大の相手国であった。自身の経済関係に加え、「太陽政策」を推進するうえで北朝鮮の最大の経済的後ろ盾である中国への配慮は欠かせない。他方、
日本については日朝交渉加速への期待が強く存在した。
外交政策の転換を受けて、韓国のFTA関連研究は大多数が「日韓中」の枠組みに集中し て地域色を強く帯びるようになり(Lee Chang Jae、2003;
2004など〔末尾「参考文献」参照。
以下同様〕)、かつ同時に、かつてはあまり考慮されなかった第三国を含めた地域としての得 失が初めて持ち込まれ、当初のリージョナリズムからは若干、変質した。中国は韓国との
FTA交渉入りを早くから働きかけており、日中の優先順位を考えざるをえなくなった。さら
に「太陽政策」の推進は地政学的関心に加え、投資やサービスを含めて交渉する包括主義 にも新たな政治条件を付け加えた。すなわち、金大中政権による「太陽政策」は単なる貿 易拡大のみならず、分断されてきた鉄道や道路網の復興、北朝鮮における工業団地建設や ここへの韓国企業の進出などによって、北朝鮮に「改革開放」を呼びかけるものであった。
韓国はかねてより北朝鮮との取引を準国内取引として一般外国との貿易と区別している。
そこでFTA交渉においては相手国にも韓国同様の対応、例えば北朝鮮内の工業団地で韓国 企業が生産した物品の原産地証明を韓国産として認めることを求めるようになった。
2
盧武鉉政権(2003―08
年)のFTA
戦略―地政学から再びグローバリズムへ(1) 日韓
FTA
交渉の挫折結局、金大中政権は北朝鮮の核開発問題の浮上により思うような成果を上げられず、ま た北朝鮮支援事業をめぐるスキャンダルの露呈で「太陽政策」そのものへの支持も大きく 揺らいだ。しかしながら、対北宥和政策は一段と民族主義に傾斜した盧武鉉政権の下でむ しろより積極的に推進されることとなった。盧政権は北朝鮮との交通インフラストラクチ
70000
60000
50000
40000
30000
20000
10000
0 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005(年)
対米輸出 対日輸出 対中国輸出 第 1 図 韓国の対日・米・中輸出
(100万ドル)
ュアを前提とし、周辺地域の経済的相互依存が進むなかで朝鮮半島安定への共通利害を促 す、といった外交政策を経済政策にも織り込んだ。
この文脈によって、前政権以来議論の続いていた日韓FTAは
2003
年12月に正式交渉に入
った。日韓は「ハイ・レベルFTA」による高い水準の自由化、包括的枠組み、明示的な制度 化で合意し、域内統合への共同リーダーシップを目指した。ただし、交渉は関税のみなら ず、サービス自由化や人の移動を含めた広範なものとなったが、実際には韓国の視野は伝 統的な対日貿易赤字拡大懸念に縛られ、自国の競争力があると信じた農水産部門全体を高 水準で開放することを具体的な交渉への前提条件として迫った。しかし、日本側は農水産 物貿易のシェアが低いこと(加工品を除くと日本側輸入7.8%、韓国側同 1.6%
で往復2.9%)を理 由に真剣にとりあわず、より早く個別交渉に入ることを求めた。一部では日本側の開放水準 提示が極端に低いものだったことが伝えられた。このため交渉は個別交渉に到達できずに 終わり、韓国側は日本側の対応を誠意のなさと受け止め、他方、日本側はサービスや投資 よりも開発戦略上それほど重要にみえない農業に執着した韓国のアプローチの合理性を疑 い、最後は伝統的な相互不信の構造に逢着して膠着した。やがて農産物市場の開放への失望と前後して、韓国は内政上で過去清算作業を本格化さ せた。日朝関係打開に期待した盧武鉉政権は当初は植民地時代の親日分子追求・断罪を行 ないながらもこれを外交争点にはしない方針だった。しかしながら拉致家族問題の浮上と ともに日本の世論が硬化し、対北朝鮮政策で盧武鉉政権のとる融和策とは正反対の姿勢が 明確になると、北朝鮮を国際社会に引き出すことに価値を置いた韓国の地域主義において、
貿易赤字を覚悟して日本に接近する意味は消失した。小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題、
竹島(独島)領有権問題の噴出などが続くと、大統領府がむしろリードした対日感情悪化は
FTA交渉再開を妨げる大きな障害となった。
(2)「同時多発
FTA」の推進と「ハイ・レベル FTA」原則の変質
日韓交渉の膠着と前後し、韓国は
2004年からチリの批准以来遅れ気味だった FTA
交渉を グローバルに加速させる「同時多発FTA」を宣言し、地域主義は再び、地政学的配慮よりグ ローバル市場を志向する方向に戻った。韓国は小規模経済との実験を終える意味で、チリ(米州)に続き、2004年にシンガポール(アジア)、2005年には欧州自由貿易連合(EFTA〔欧 州〕)との交渉で合意し、ASEAN全体との交渉も
2006年 5
月に中国方式(4)で商品貿易につい て合意を達成した。しかしグローバル志向への回帰にあたって重視されたのは再び北米で、2005
年にはカナダ、メキシコとの戦略的経済関係強化交渉がインドと並行して開始された。2006年 5月には米国との交渉入りが決まり、2007
年4月には合意が成立、5月からはEUとの 交渉が予定されるなど、交渉相手は宣言どおり2006年8月現在で14ヵ国にわたった(5)。韓国 政府は多国間の条件調整が可能となるとして同時交渉のメリットを主張している(6)。グローバル志向に回帰しはしたが、金大中政権時代の二ヵ国間交渉構想とは異なり、近 年の「同時多発」交渉は必然的にその究極の形であるWTO交渉との明確な差別性、もしく は整合性を要請される。韓国の「同時多発」交渉はこれを曖昧にしたまま、交渉速度を上 げようとしたため、WTO整合性や一貫性という点では疑問も残るものであった。
例えば、WTO交渉においては依然として日本やスイスなど農水産物貿易保護を主張する グループに属しつつ、他方で日本のように農水産物貿易の比重が高い相手国との
FTA交渉
を避けず、突き進んだ。この結果、日韓交渉ではその挫折要因を一方的に日本の農水産貿 易開放への消極姿勢に帰して非難したが、自身の農水産物貿易では大きな譲歩はできず、矛盾が露呈した。対EFTAの農産物の譲許率は
84.2%
(EFTA側は100%)
でそれなりに高くみ えるが、関税の即時撤廃は15.8%にすぎず、残りは期限付きの撤廃でもなく、10―50%
の関 税引き下げが61.5%と大半である。対ASEANは農水産部門に強い関心をもつタイが韓国案 を不満として署名を拒否し、不完全な合意となった。他方、米韓FTAでの例外はコメ程度 にすぎず、EU交渉とともにEFTAとの再調整が提示される可能性もあろう。また、韓国政府は対メキシコでは「戦略的経済補完協定」(SECA: Strategic Economic
Complementary Agreement)
、インドとは経済緊密化協定(CEPA: Closer Economic PartnershipAgreement)
という名称を他のFTA
交渉とは別途、用いてきている。多数のFTA締結に対するメキシコ国内の反発によって交渉は出発点で「FTAとしない」ことで合意し、実行関税の 高いインドとの交渉も不透明だ。ASEANもまだ物品だけの先行合意にすぎず、サービスや 投資その他の交渉は先送りされた。実は韓国は依然として
WTO体制内では途上国扱いで授
権条項を有し、日米欧のように「事実上すべての貿易自由化」を義務付けた24
条規定に拘 束されない。その意味で柔軟な協定交渉が可能な面があるが、反面、譲許率や包括性低下 で質が犠牲になれば「同時多発FTA」の意味は形骸化する。さらに盧武鉉政権は北朝鮮の開城工業団地製品の原産地認定に大きな優先順位をおき、
シンガポール、EFTA、ASEANとは限定的品目ではあるが、韓国の要請が認められたことが 合意の大きな要因となり、韓国は金融などで北朝鮮への締め付けを強化する米国との交渉 においてもこれを条件として提示した(7)。この点で「太陽政策」以来の
FTA
交渉の政治性は グローバル展開になっても引き継がれ、「同時多発FTA」の成否は質に加え、政治目的にど の程度の比重をおくかによっても左右されてゆくとみられる。(3) 米韓
FTA
と韓国のFTA
戦略「同時多発FTA」のなかで圧倒的な比重をもち、今後の韓国のFTAに大きな影響を与える とみられるのは、2006年年初に突然発表された米韓
FTA
の成立である(8)。韓国は米国側が提 示した、①スクリーンクォータ(9)の縮小、②牛肉の即時輸入再開、③薬価算定制度の導入猶 予、④自動車排気ガス規制の緩和の4
条件を飲み、トップダウンでスピード交渉を決めた。米国大統領が貿易促進法(Trade Promotion Act 21)で議会から得た一括交渉権の期限切れが
2007
年7月1
日であることから、2006年5
月に始まった交渉は2007年3
月合意、5月署名、9 月批准のスケジュールを想定し、2007年4月には合意をみた。
唐突な交渉開始で米韓
FTAについては国内コンセンサスがなく、当初はスケジュールど
おりの合意にいくつもの疑念が提示された。第一の点は韓国側の負担がほぼ一方的に大き いことにある。両国の平均関税率は米国4.0%に対し、韓国は10.6%と高い。このため、一
般均衡(CGE)モデルを用いた研究の多くは、韓国にとっては静態的プラス効果は大きくな く、対米輸出より輸入の増大効果が大きいことを予想する(USITC, 2001)。KIEP(2006)では第1表が示すとおり、韓国に対する影響は静態的には国内総生産(GDP)0.42%増加で、
厚生水準の改善も
0.15%にすぎず、雇用はむしろ悪化が予想された。所得の増大による資本
蓄積、特に生産性の増加を加味したモデルではGDP成長率は7.6%、生産は 6.2%
増加し、雇 用も3.3%のプラスに転じるとされるが、こうした予測は日韓のときと同様、国内の議論を「動態的効果はどうやって確保するのか?」に向かわせた。
第二に、韓国にとって最大の調整セクターは言うまでもなく、米国の関税
9.8%
に対し、韓国が52.2%と突出して高い農水産物となる。しかし、専業農家比率が日本より格段に高く、
都市勤労世帯との所得格差の大きな韓国の農業者や地方の関係者は、地域感情を除けばむ しろ与党の支持基盤であった。大統領選挙(2007年)を迎えるタイミングでは政治化がきわ めて容易であったが、韓国はあえてこれを甘受することとなった。
第三に、交渉前提
4条件が示したように、米国が比較的明確・具体的な経済関心をもって
いるのに対し、韓国側で目立つのは先の開城工団の原産地規制認定や、ビザ要件の緩和と いったむしろ政治的な関心であった。また、第四に、米国は2006年2
月までで韓国に対し24の反ダンピング・相殺関税を課し、鉄鋼については 2
度のセーフガード(緊急輸入制限措置)を発動しており(10)、経済的関心のひとつは貿易救済にあった。しかし米国はFTAにおい てこれを交渉したことはほとんどなく、結局、大きな譲歩は引き出せなかった。
第五に、韓国政府はサービス部門のさらなる自由化による生産性向上、直接投資誘致を 通じた高付加価値化、雇用拡大を目指し、米韓交渉ではサービスに重点をおくはずであっ た。ただし、教育、医療、金融サービスの開放本格化を含めて「深い統合」を希求する場 合、国内の関連労組の反発は当然であり、実際にほとんど除外された。
ただし米韓FTAの合意で、韓国の
FTA
政策は大きな影響を受け、順調に批准されれば東 アジア統合全体にも影響の波及が予想される。ひとつは韓国自身が世界の10大貿易国で一 定の市場規模をもつことから、米韓FTAからの貿易転換効果を被ったり、東アジアにおけ る米国のプレゼンスに対抗する動きが生まれ、アジア版FTA
ドミノ現象(11)が起きること である。韓国はEUとの交渉入りに加えて日本との交渉再開にも言及し、他方で農水産物の
対韓輸出が米国への転換を被る可能性のある中国(12)は早期の交渉入りを働きかけている。第 1 表 米韓FTAが韓国に与える影響
実質GDP(ドル、%) 29 0.42 135 1.99 352 7.75 厚生水準(ドル、%) 10 0.15 33 0.72 302 6.65 生産(兆ウォン) 8.5 0.61 27 1.94 86 6.18 雇用(1000名) ▲8.5 −0.51 104 0.63 551 3.3
増減
金額 金額 増減 金額 増減
生産性増大あり 生産性増大なし
短期・静態的効果 動態的効果(資本蓄積を加味)
(注) ①製造業の関税完全撤廃+農産物80%を韓国だけが開放し、サービス障壁20%が撤廃 された場合を想定。
②生産性増大シナリオは製造業において約1%の生産性改善がみられた場合を想定。
③動態的効果は静態的効果に所得増加による資本蓄積を加味している。
(出所) KIEP(2006).
また、韓国やタイ(13)が米国と交渉しながら、グローバル化を志向する場合、通貨危機以 来のASEANプラス
3
(日韓中)もしくはASEANプラス 3プラス 3
(オーストラリア、ニュージ ランド、インド)といった「東アジア共同体」の求心力が薄れる可能性もある。米国は東ア ジアの結束には伝統的に懐疑的であり、周辺国がもつ、日中による覇権競争懸念を的確に 捉えて交渉に入った。米国との二ヵ国間交渉の増大には東アジアの求心力低下構造がある。さらに、東アジアの経済統合は伝統的に市場による成功を枠組みや協定が追認する、と いう政経分離、実利重視型のプロセスをとってきた。歴史問題を抱える日本、華人問題を 抱える中国とその周辺国にとっては非政治的アプローチが現実的であり、アジア太平洋協 力(APEC)に対する米国の安全保障問題持ち込みはほとんど成功しなかった。しかし韓国 のFTA政策は前述のとおり「太陽政策」から次第に政治化し、米軍の作戦統帥権返還問題 など、安保と並行した米韓交渉は政治性をさらに増大させてきた。実際のところ北朝鮮問 題が国家存続に一義的重要性をもって切迫する以上、韓国のFTAが非政治的アプローチを 採り続けることは困難であり、米韓は日本の経済権益中心とも、中国の実利実現中心とも 異なる、東アジアに初めて政治性の高いFTA交渉を持ち込む結果となった。
3
日韓地域主義の乖離と修正(1) 韓国の地域主義とその変化
「太陽政策」以降の韓国の地域主義は、以上概観したように急速に変化し、独特の特徴を もつに至った。まず、大統領制の下で、韓国の
FTA
交渉権は一括して通商代表本部(米国の 通商代表部〔USTR〕を模して作られた組織)が国内経済官庁から独立してもっており、その 人事を握る大統領府の意向を強く受ける。そもそも輸出依存度が日本よりはるかに高く、海外市場確保の必要性は大統領の政策優先順位を強く規定することから、FTAは日本のよう に国内経済の補助輪ではなく、成長戦略そのものと位置付けられて大統領府は常に関心を もたざるをえない。
しかも日本のいわゆる族議員と経済官庁間のような関係がほとんどないため、通商交渉 は国内政治からも、国内官庁の縦割りからも切り離して進行させることが可能である。反 面、大統領府の関心が経済から外交に傾斜した場合、これを制止する勢力は存在しない。
「太陽政策」への外交大転換後、FTA交渉が次第に経済実利追求から政治化し、さらに北朝 鮮外交の一環に組み込まれていった背景にはこうした構造が存在した。
次に北朝鮮外交を中心に組み立てた場合、金大中大統領訪朝前後には地域主義はいった ん、北東アジアの地政学に軸足を移した。しかしながら、その後、核兵器開発問題が発覚 して6者協議の枠組みが形成され、米国が中心になって北朝鮮問題が グローバル化 する と、リージョナリズムもまたこれに追随せざるをえなかった。しかも次第に中国の台頭が
「機会」のみならず、「脅威」としても認識されると、韓国は北東アジアでは政治的・経済的 に 日中の板ばさみになる といった伝統的被害意識をもつようになった。米韓
FTA交渉
は北朝鮮をめぐる米韓同盟危機の一方で決断されたが、危機がなくても、日中が別の利害 ながら共に東アジアの結束を重視するなかで、被害意識をもつ韓国が域外国である米国と結びつきを模索した可能性は大であった(14)。
(2) 日韓地域主義の乖離
結局、「太陽政策」以降の韓国の地域主義は日本と同質どころか、ことごとく反対の性格 を帯びた。とりわけ第2次小泉訪朝後、北朝鮮政策が正反対になったことは大きいが、日韓 の乖離は二つの点でより構造化されており、今後も持続する可能性が高い。
まず、日本の場合、FTA交渉に対する政治家の関与は弱く、むしろ極力、政治介入を避け つつ行政サイドで推進されてきた。4省(外務、財務、経済産業、農林水産)による
FTA
交渉 は官僚の得意な枠組み作りや厳密さがみられる反面、政治的リーダーシップを欠き、しば しばいつもの行政縦割りに陥る。FTA交渉は包括的に国益を積極追求する外交の一環という よりも、市場環境の改善、日系企業の権益保護など、ビジネスに直結した狭い利益を追求 する「経済交渉」となり、省庁間にまたがる広域問題では速度が落ち、まして米韓のよう な安保・外交文脈を踏まえたものには到底なりえない。FTA
がどの程度、純粋の「経済交渉」であるべきかは別として、韓国のそれが政治化すればするほど、日韓の地域主義は乖離し、
韓国は引き続き中国など外交関心を共有する国への傾斜を強めるだろう。
また、「狭い経済権益」を考えた場合の関心地域にも大きな差が生まれる。先進国間では すでに関税率は低く、日米間では1980年代の構造協議以来の対話が、日欧間でも内容の似 た経済協議が規制緩和や基準認証、競争法などを中心に続いている。直接投資誘致にも韓 国ほどの切迫感はなく、自ずと日本の関心は先進国より、①まだ関税引き下げ余地が大き く、②市場の潜在成長力が大きく、③日系企業が集積して企業内貿易が大きく、一体感の ある東アジア全体(ASEANプラス
3)
に集中した(経済連携推進閣僚会議、2004)。しかも、貿 易・直接投資とも中国への依存度が際立つ韓国に対し、日本は中国、ASEAN双方にバラン スのとれた経済権益を有する。さらに農業問題では、中国よりは南洋農業が中心で比較的 競合の少ないASEANのほうが取り組みやすい、といった事情もあり、ASEANとの交渉が優 先されてきた。日韓交渉が再開されても、韓国が期待するように短期間でこれが日中韓に 拡大する可能性は低く、日韓は共通の地域ビジョンを有していない。(3) 乖離の修正
日韓の地域主義の乖離は深く、容易に収斂するとは考えにくい。2006年の北朝鮮核実験 以来、日本の北朝鮮への姿勢は独自の経済制裁にも踏み切るなどいっそう硬化しており、
2007年の金融制裁解除など米国の北朝鮮政策大転換にも追随する動きはない。しかし、東
アジアで授権条項によらないFTAは日本と ASEAN先発国、およびオーストラリア―タイ間
のFTAしかなく、それも金融や通信などサービスの規制緩和や競争法、相互認証に基づく 人の移動など、「深い統合」を可能とする枠組みにはない。日本が制度化とこれに担保され た実践、透明性によって東アジア経済連携を図るのなら、主権問題やナショナリズム問題 を引き起こさない統合への国内法制度、例えば明示的な競争法・商法の存在、資本市場の 開放度などで、やはり韓国以外に「ハイ・レベルFTA」への期待はできない。また、
ASEANプラス 1の完成後、プラス 3
に進むのか、それとも日本の主張するプラス6(プラス3 プラス3)
交渉が散漫な形で継続するのか不透明だが、この点でも日韓FTAは「東アジア共同体」の求心力と形成速度を大きく左右する。プラス
3
の取り掛かりが今のところ日韓FTA しかない、という点でも日韓の乖離を修復する価値は大きいと言えよう。ではどういった修正が可能だろうか。ひとつは経済戦略のなかで互いを再度、正確に位 置付けることであろう。韓国は結果としての輸出拡大にこだわるのではなく、むしろイノ ベーションの促進、競合企業間の提携強化、中小企業基盤の強化など、総合的に日本との 経済連携機会を捉える必要がある。たとえ農水部門で日本が大胆な市場開放を約束したと しても、韓国の農水産部門の競争力がそれほど大きくない以上、韓国経済に対する影響は 限定的だ。今後を考えれば、サービスの規制緩和、競争法の調和、知的財産権、基準認証、
人の移動などのほうがはるかにこれらの機会に貢献する重要分野であり、交渉戦略を検討 する価値がある。他方、日本も漠然と「ハイ・レベル
FTA」を期待するのではなく、対中交
渉の橋頭堡、IT協力、産業調整の促進など、韓国をより具体的に位置付けてこそ、日系企 業の投資環境保全に代わる経済権益を見出しうる。農水産市場の開放水準を上げ、「ハイ・レベル」の欺瞞を解消する必要性は言うまでもない。
より政治的には、日本にとっては米国との協力は重要だが、地政学的な利害関係は異な ることを冷静に認識する必要がある。米国の朝鮮半島に対する一義的関心は核兵器の拡散、
台湾問題を含めた中国との関係などグローバルで、拉致問題や北朝鮮の経済破綻、体制転 換などのローカルなものではない。だとすれば日本にとっても、韓国との経済緊密化が北 朝鮮の変化の前に確立するかは朝鮮半島外交を左右する。パートナーシップを欠いたまま 北朝鮮に関与するとき、韓国は伝統的な疑心暗鬼(15)を膨らませ、摩擦は絶えないであろう。
したがって、北東アジア
FTAを「狭い経済権益」だけで捉え、あくまで非政治的に進め
るには限界がある。とりわけ米韓の交渉が始まり、中国がこれに強い地政学的関心を示す 以上、日本といえども日韓FTAには政治的、外交的文脈での位置付けが必要だ。そもそも
「ハイ・レベルFTA」による「深い統合」を標榜する以上、相手国の政治的背景を無視した 交渉は不自然だった。あまりに政治化した韓国の地域主義にはより具体的かつ明快な経済 戦略が必要だが、逆に政治外交戦略の希薄な日本のそれには、行政ばかりに頼らず、政治 による包括的な交渉意義付与が必要だろう。2つの取り組みでも日韓地域主義の乖離修復は 容易ではないだろうが、これらはこじれたFTA交渉再開には不可避と言える。
結 論
韓国の地域主義は北朝鮮外交の転換と共に政治性の増大、地政学的関心の後退といった 変化を遂げ、実利優先・
ASEANプラス3
の結束重視、といったこれまでの東アジアの伝統 から乖離し始めている。「狭い経済権益」しか視野に入れられない日本は、この乖離に柔軟 に対応することができず、プラス3の最初の交渉であった日韓FTA交渉は頓挫し、他方、中 国も日韓に代わって中韓FTAの交渉を開始できなかった。
北東アジアの地域主義の歴史は浅く、
FTA
が経済・外交交渉の両面をもつことへの認識は、恐らく先行経験をもつ
ASEAN
に比してもナイーブである。ただし、歴史観の統一は当面不 可能で試行錯誤が続くにせよ、文化交流の活性化など、日韓関係は成熟を模索する段階には入っており、地域主義の乖離を率直な対話によって乗り越えうる体制は共有されている。
韓国が自らの開発戦略との綿密な連動において具体的な経済実利を適切に見極めて明快な 交渉優先順位をもつ反面、日本が日韓FTAの政治的含意を十分考慮して外交戦略のなかで これを明確に位置付けることができれば、再交渉の余地は存在するであろう。地域主義の 収斂には 政治的意志 の持続が不可欠であり、その成功体験が「東アジア共同体」形成 を一歩前進させるものになることを見逃してはならない。
(1) 韓国開発研究院(KDI)(2006)など。
(2) タイなどとは異なり、韓国は危機以前に自ら海外投資に進出し、ロシア、ブラジル、あるいはタ イなどの他の新興市場で高い利益を上げていた。他方、国内は実需規制などが敷かれていたこと から「財閥」による過剰投資が顕著であったが、株式・不動産ともバブルを呈するほどの過熱は みられず、危機には新興市場危機による金融機関の流動性枯渇が大きな役割を果たした。
(3) 日本貿易振興機構(JETRO)―韓国対外経済政策研究院(KIEP)間の初めての共同研究(JETRO―
KIEP、2000)から産官学による最後の共同研究(外務省、2003)に至るまで、韓国側の関心は一 貫して対日貿易赤字の膨張阻止に向けてどういう協力や交渉が望ましいか、に集中した。
(4) それぞれが「敏感品目」「超敏感品目」などを選び、残りは大枠の範囲でそれぞれ関税引き下げ を実施する、原産地規制は付加価値率40%で累積を認める、など。ただし、タイは韓国の農水産 物自由化が不十分として不満を表明し、この合意に署名することを拒否した。
(5) もっとも当初の計画は2007年までに50ヵ国以上としており、現実的に修正されたとも言える。
(6) タイ、フィリピンとの個別交渉で日本はむしろ、いったん合意した内容にそれぞれ後から修正・
調整が申し込まれるなど調整に苦慮し、多数の同時交渉には否定的である。
(7) 結局、核開発問題の進捗を見極めながら、北朝鮮産の韓国企業製品の原産地を韓国と認めるかど うかについての共同委員会を設置することで折り合ったが、米韓の解釈は大きく異なっている。
(8) 韓国は正式交渉に先立ち、官民の共同研究会を重ねる方式をとってきたが、米国についてはこれ がほとんどないまま交渉が始まった。
(9) 韓国の国内映画産業を保護するため、上映期間146日が義務化されていたが、米国の要求により、
73日への縮小が決まった。
(10) 韓国は鉄鋼ではWTO提訴に勝利したが、その後の輸出額はむしろ減少した。
(11) Baldwin(2004)はアジアのFTAハブ競争とドミノの可能性に言及している。
(12) 一般均衡モデルを使った阿部(2002)は特に米・麦、大豆などの雑穀、野菜、畜産物などで中国 から米国への転換効果を計測した。
(13) 米国・タイは2005年に交渉入りしたが、タイの政情不安などで進展していない。
(14) 盧武鉉政権は大国が錯綜する北東アジアでは韓国が「バランサー」となって安定に寄与する、と いう外交政策を標榜し、関係者を驚かせた。しかし、斬新なようでも「バランサー」論のルーツ はすでに南北会談直後の金大中大統領演説にみられ、考え方としては十分、定着している。
(15) 韓国では「朝鮮半島の統一を最も願わないのは日本」といった根強い見方があるが、その理由と しては(韓国を無視して)日本が影響力を残したいというものから、統一すればアジアの強固な 反日勢力になるから、といったものまでさまざまなものがある。
■参考文献
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ふかがわ・ゆきこ 早稲田大学教授 [email protected]