はじめに
2008年、チャベス政権
(1)は10年目をむかえる。その政治過程を本稿では便宜的に 4
期に 区分する。まず第1期(1999―2000年)は、《新体制始動》期である。公選による制憲議会が招集され、
新憲法が制定された。第2期(2001―
04年)
は、《政局激動》期である。授権法(2)の手続きに より改革諸法が施行された。新自由主義政策の復旧を求め、改革諸法の撤廃をめざした諸 派が尖鋭な反政府運動を展開する。反政府派は、クーデタ(2002年)、石油公社サボタージ ュ(2002―03年)
といった脱法・暴力的な闘争に失敗する。のちに遵法闘争に立ちかえって 反政府派が挑んだ罷免投票(2004年)をチャベスは大差でしりぞけ、危機を乗りきる。こう して迎えた《新モデル模索》の第3期(2004―06年)では、すでに着手されていた「社会開 発特別計画」に加え、「内発的発展」が叫ばれ、協同組合運動や少額融資運動が奨励された。2006年 12月再選されたチャベスは翌年第 2
次政権を始動。《21世紀の社会主義構築》が宣言される。これ以降を政権第4期と区分しておく。
2007
年初頭、チャベスは21
世紀の社会主義構築のための政策プログラム「五つのエンジ ン」(3)を発表した。最重要課題とされた改憲過程は大統領主導の強引な手法で推進され、2007
年12月の国民投票により否決される。こうして《21世紀の社会主義構築》期は、挫折 の初年度を閉じる。その間チャベスは、社会主義の前衛党として「ベネズエラ統一社会党(PSUV)」の創立を提唱。結党準備に1年以上もかけ、2008年3月、党員公選により執行部を 選出。PSUVはようやく政党としての第一歩を踏み出した。
以上の流れで展開したチャベス政権下ベネズエラの政治を、本稿では「民主主義の質」
「参加民主主義の実験」「民主的価値」という3点から論評する(4)。
1
チャベス政権と民主主義の質(1) 選挙過程
チャベス政権は過去10年、任期満了による大統領選挙(2006年)のほかに、新憲法制定後 の再選挙(2000年)ならびに罷免国民投票(2004年)という国民審判を経験してきた(第
1表
参照)。この間、2度の国会選挙(2000年、05年)、2度の地方行政首長・議会選挙(2000年、04年)
、制憲議会招集国民投票・制憲議員選挙・新憲法承認国民投票(いずれも1999年)、といった選挙が平和裏に行なわれてきた。2007年末には、チャベス肝いりの改憲案が、大き な混乱を招くことなく国民投票で否決されている。「自由で公正な選挙が定期的に行なわれ る制度」という民主主義の最小定義を高水準で満たしていると言える。
選挙が実施されてはいても、多くの有権者がこれに参加しない(できない)社会では、民 主主義は機能しない。チャベス政権下、有権者登録率は過去最高に達し、棄権率は政治不 信の1990年代と比べて著しく減少した(第
1
図参照)。より多くの国民が参政権を行使する ようになったということであり、この点で民主主義の質は向上したと言える。だが、これらの選挙過程に問題がないわけではない。2004年罷免国民投票に際しては新 規導入された電算集票システムに不正疑惑が投げかけられた(ただし選挙結果は国際選挙監 視団により公正と認められ、システム改竄はついに立証されなかった)。また、罷免投票の直前
3ヵ月に約 100万人以上の外国人にベネズエラ国籍と選挙権を付与する政策が実施され、罷
免投票請求に署名した公務員にたいする馘首や左遷が公然と行なわれ、さらには署名者リ
第 1 表 チャベスが信任をうけた選挙
チャベス 3,673,685 56.20%
サラス 2,613,161 39.97%
その他 250,458 3.83%
有効票数 6,537,304 100%
棄権率 36.54%
チャベス 3,757,773 59.76%
アリアス 2,359,459 37.52%
その他 171,346 2.72%
有効票数 6,288,578 100%
棄権率 43.69%
1998年大統領選挙 2000年新憲法下再選挙
罷免反対 5,800,629 59.10%
罷免賛成 3,989,008 40.64%
無効票数 25,994 0%
有効票数 9,789,637 99.74%
棄権率 30.08%
チャベス 7,274,331 62.87%
ロサレス 4,266,974 36.88%
その他 28,476 0.25%
有効票数 11,569,781 100%
棄権率 25.24%
2004年罷免国民投票 2006年大統領選挙
(出所) ベネズエラ選挙管理評議会(CNE)ウェブページに基づき、筆者 が加工、作成。
70 60 50 40 30 20 10
0 1958 (年)
総人口に占める有権者登録数割合
1963 1968 1973 1978 1983 1988 1993 1998 2000 2004 2006 第 1 図 ベネズエラにおける政治参加率の推移
(%)
大統領選挙棄権率
Brandler[2007]ならびにCNEウェブページに基づき、筆者が加工、作成。
(出所)
ストがネット上に流出したことなどは、「自由で公正な選挙」の前提を揺るがす事件であっ た。
こうした過程を審査すべき全国選挙管理評議会(CNE)は、新憲法の規定により、市民社 会の推薦を受けた非政党員5名から構成され、国会での投票により選出される。政治的に2 極化した現在のベネズエラにおいて、このような方式では選管の公正・中立性を保つこと は困難と言われる。2008年現在、5人の選管評議員中
4
人がチャベス派であることが知られ ている。(2) 議会の自律性低下
チャベス政権下、議会は軽視され、その自律性が低下してきた。政権発足直後に招集さ れた制憲議会(定数128)においてはチャベス派が議席の
9
割を占めた。並行して存立した旧 国会(両院制、定数250。両院ともに与党「第 5
共和制運動〔MVR〕」は少数会派)は、国権最高 機関としての地位を脅かされた。2000年、新憲法に基づき一院制の新国会が選挙される。ここでも与党
MVR
は単独過半数をとれず、旧2
大政党(民主行動党とキリスト教社会党)を はじめとする野党勢力が3
分の1前後の議席を占めた。チャベスは授権法を行使することに より、反新自由主義的な改革法案を行政立法した。かつて「南米の優等生」と呼ばれた民主政治を担った旧2大政党が、クーデタをはじめと する院外闘争(後述)に連座した要因には、立法府における少数意見尊重の機会が閉ざされ ていたことがある。のちに大統領罷免投票を通じて選挙運動にいったんは回帰した野党勢 力であったが、2005年末には国会選挙を棄権し、代表権をみずから封印する。その結果、
連立与党が議席を独占する異常事態が現出し、2008年
6月現在に至っている。
こうした状況下の2007年初頭、ふたたび授権法(有効期限2009年
8
月)が成立した。同年8月以降拙速に進められた改憲過程においても大統領案を議会に丸呑みさせようとする手法
がとられた。これらの事実をみるかぎり、議会軽視は、守旧派を封じこめて改革を推進す るためのやむをえない戦術というよりも、代表民主制を批判するチャベスの政治信条の反 映であると解釈したほうが妥当であろう。(3) 脱法闘争に逸脱した「市民社会」
市民組織が合法的世論形成に従事し、自由なロビー活動を通じて政治に影響力を行使す る文化が形成されていることも、民主主義の質を保つ要件である。
行政の議会軽視に直面し、かつ選挙で負けつづけた反政府派は、2003年までの闘争舞台 を院外に求めた。その中心となったのは反政府派空間として占有されたマスメディアなら びに首都カラカス富裕地区の路上であった。これらの空間において反政府派は、「市民社会」
の名を独占的に僭称した。反政府運動を主導した諸派(財界、メディア企業、守旧派労働組合、
石油公社守旧派幹部、軍部反チャベス派)は、闘争手段としてさまざまな脱法行為を実行に移 した。その極端な事例として、クーデタならびに石油公社サボタージュが挙げられる。
2002
年4月のクーデタにおいては、2日間とはいえ臨時政権が名乗りを上げ、公選された 現職大統領が軍部叛乱派により幽閉された。その間、「臨時大統領」の地位を簒奪した財界 団体会長は、独断で国会を解散し、最高裁判事を解任し、改革新法を廃止し、国号を旧称に戻すことを宣言した。チャベス派の行政首長や国会議員が理由なく逮捕・拘禁された(5)。
2002年末から翌年にかけてのベネズエラ石油公社
(PDVSA)操業停止は、ベネズエラ労働法や国際労働慣習の観点からは、ストライキとは呼べない。石油公社の組合は操業停止に 先立って、特定の要求を掲げこれを総会や執行部決議によって組合員の総意となし、使用 者側との団体交渉を経た後に、操業停止に踏み切るという手続きを踏んでいない。「政権退 陣と即時選挙」を求めて「ゼネスト」を提唱したのは使用者団体であり、これに同調した 石油公社の守旧派幹部が操業停止を決行したのである。これは民主的に公選された政権を 倒すための「産業叛乱」と言うべき事件であった。
違法な操業停止によって石油公社が被った機会損失は約
1000
億米ドルと言われ、2002年 第4四半期の国内総生産(GDP)は15.8%
減、2003年第1四半期は24.9%減に及んだ
(6)。その 巻き添えを食って、政争とは無縁の企業・事業主が倒産・廃業においこまれ、多くの失業 者を生むに至った。(4) 司法の政治化
これまで述べたような違憲・違法の反政府運動に対して、自律した司法府が法の正義に 基づく裁定を下し、チェック機能を働かさなければ、民主主義の質は低下することになる。
2002
年のクーデタ後、最高裁判所は賛成8
・反対6・棄権6という分裂判定で軍部反政府派 ならびに財界指導者の行動を叛乱とは認めない裁定を下し、司法府さえもが党派対立にさ いなまれていることを示した(Medina et al.[2007]。末尾「参考文献」参照。以下同様)。2004
年、国会は最高裁判所組織法を可決する。これにより最高裁判事定員は20名から 32
名に引き上げられ、さらに単純多数決による任命権が国会に付託された。こうして司法府 は「2極」の重心を政府派に移し、その自律性をも低下させて今日に至る(Human RightsWatch
[2004])。(5) メディアの政党化と「表現の自由」
民主主義の質を左右する条件の一つとして、メディアをつうじた表現の自由が挙げられ る。
「政局激動期」において、民放・2大全国紙らは「中立報道」の建前を放棄し、政権打倒 をめざす政治主体と化した。なかでも民放2大テレビ局は、クーデタ前後、大規模かつ計画 的な情報操作によって騒乱を煽動した。クーデタに先立つデモの混乱のなかで、正体不明 の熟練狙撃手の特殊な銃弾により親政府・反政府の両派に多数の死者が出たにもかかわら ず、地上波民放2大テレビはこれを親チャベス武闘派の拳銃による凶行であるかのように捏 造したニュース映像を執拗に放送した。事前に録画準備されていた軍人の声明ビデオを、
「生中継」を装って「政府による民衆弾圧を憂慮した軍人の叛乱声名」であるかのように放 送したのも、また事実無根の「チャベス辞任」をいち早く報道したのも地上波2大テレビ局 であった。チャベス派民衆の抗議運動が功を奏し、チャベスが政権復帰した4月
13日朝、2
大テレビ局は古いハリウッド映画を放送し、国民を情報から遮断しようとした(7)。このように政治化したメディアに対して、チャベスは、国営テレビの生番組を使って報 道機関や記者個人を名指しで罵倒するという戦術で対抗し、報道規制を敷くことはなかっ
た。2005年末、チャベスがはじめて実施した具体的なメディア対策は、社会的騒乱を煽動 する放送事業にたいする罰則を含む「放送責任法」の立法であった。こののち、多くのメ ディア企業が、行きすぎた偏向報道を自粛するに至る。
「放送責任法」施行後も、尖鋭な反政府偏向報道を続けたメディアに、地上波2大テレビ 局の一つRCTVがある。同社は2007年5月、地上波免許の更新を政府から拒否され、ケーブ ル放送への移行を余儀なくされた。この間、放送倫理を問うためにこそ立法された新法に 基づき、司法の枠組みで反社会的放送事業の質や量が、公正に審理されることはなかった。
RCTV以上に過激な反社会的放送を一時期実践していた他の民放は、
(すでに穏健化していたため)地上波免許を更新できている。この不公平な処遇にかんする行政側の説明責任が果た されることもなかった。
以上、チャベス政権下ベネズエラにおける政治状況が、民主主義の最小定義は満たすも のの、その質を精査するとき問題点が浮上することを指摘した。民主主義の質的劣化をも たらしたのは、「大統領の強権」ばかりではない。脱法闘争も厭わず、国民生活をないがし ろにしてまで「チャベス降ろし」に専心した反政府諸派の行動によるところも大きい。
しかしながら、こうした世相のなかで、民主的価値を積極的に構築しようとする草の根 民衆の活動が、停滞しているわけではない。次節では、チャベス政権下実践される参加民 主主義の実験に着目し、「カリスマ的指導者に煽動される無知蒙昧な貧民」といったステレ オタイプには収まりきらない、人々の姿を紹介する。
2
参加民主主義の実験1998年の選挙運動以来、チャベスは理念のうえでは一貫した主張を継続してきた。それら
は、(a)代表民主制に代わる人民主体(protagónica)の参加型(pariticipativa)民主主義、(b)新自 由主義経済に代わる連帯経済、(c)米国一極支配に代わる多極的世界、の構築である。これら を統括する思想は独立の英雄シモン・ボリバルの名にちなんでボリバル主義(bolivarianismo)と呼ばれている。
2006年末までの第 1次政権下においては、激動する政局に即応するかたちでその都度新し
い政策が実施され(その一部は成果をみる前に忘却されて)きた。初めて公表された首尾一貫 した政策プログラムは、2007年初頭の「五つのエンジン」であろう。それゆえチャベスの 政策の成果を数量的に評価するのは、政権10年目にしてなお困難な作業である。ここでは、
参加民主主義の実験として、2008年現在までなんらかのかたちで継続・継承されている主 要事例の概要のみ紹介したい(8)。
(1) ボリバリアン・サークル
参加民主主義の実験としていち早く提唱されたものに、ボリバリアン・サークル(以下
CBと表記)
がある。CBは、チャべス自身が発案した小サークル運動で、新憲法の条文とボリバルならびに啓蒙思想家ロドリゲス、農地改革の祖サモーラらの思想を学習し、地域社 会に貢献することを目的に、10人前後の成員により結成された。2004年当時約
1
万件のCB が全国で活動した(Hawkins & Hansen[2006])(9)。CBが注目されたのは、2002
年のクーデタの際である。政情についての正確な情報が臨時 政権によって遮断されるなか、CB成員らが中心となり、口コミ・携帯電話・Eメール・地
域放送を通じてチャベス辞任の虚報を打ち消し、クーデタに抗議する100万人以上の民衆を 迅速に動員した。これはチャベスの政権復帰に大きく貢献した。また、石油公社操業停止 によって打撃をうけた下層社会において互助活動を組織し、苦境を乗りきるうえでも、CB のネットワークが力を発揮した。(2) 地域放送
ベネズエラにおいては1980年代から都市下層地域(バリオ)あるいは地域社会や大学等を 拠点とした代替ラジオ・テレビの運動が台頭した。新憲法は放送・通信の権利を万人に開 くことを謳い、この精神にしたがって地域放送の振興が図られた。2008年現在、監督官庁 の認可を受けた地域放送はテレビ11、ラジオ52が活動しているが、無認可の独立放送局は、
この数倍にのぼるとみられる。2002年クーデタに際して、叛乱派の暴力により国営放送が 閉鎖され、民放が臨時政府の御用報道に特化するなか、地域ラジオは人々に事態を伝達す る(字義どおりの)代替メディアとして実力を発揮した。
(3)「ミシオン(社会開発特別計画)」
「ミシオン(Misión)」とは、2003年の石油公社サボタージュ終息後、公社の実権を掌握し た政府が、石油経営の特別会計予算を使って展開しはじめた事業である。3年間で公称
150
万人の修了者を出した成人識字教育や累積1500件の診療所をバリオに開設した医療事業、必須食料品を安価で提供する食糧流通事業などがその代表的成果である。2008年現在
20以
上のミシオンが展開している。(4) 選挙戦部隊(UBE)
2004年の大統領罷免国民投票対策のため、チャベスにより提唱された。UBE
は、チャベス自身が指揮する「司令本部」を頂点にいただき、末端は
10人前後の「偵察班」によって
構成された。UBEは、CBやミシオンの経験をもとに、地域社会における人間関係網を最大 の資源とし、民衆の「ボリバル主義革命」支持行動と大統領のカリスマ的指導力とを節合 する試みと言える。与党MVRが、全国組織を固める以前に汚職問題等によって機能不全に
陥ったことから、別個の選対組織が必要とされたと考えられる(Ellner[2007b])。(5) 公共サービス技術委員会と地域社会評議会
「技術委員会(mesa técnica)」とは、水道・光熱が未整備のバリオにおける公共サービスを 監視し、行政との交渉にあたるための住民組織である。2002年の「公共計画のための地域 評議会法」により提唱された。公共サービスとあわせて地域社会における政治・社会・経 済の諸活動に永続的制度基盤を与え、各分野を節合するため再導入されたのが「地域社会 評議会(consejo comunal)」である。都市部では200―400世帯程度、農村部では40世帯程度 の住民参加によって、地域社会評議会は構成される。
2004年から 06年にかけて監督官庁(民衆権力地域社会経済省と民衆権力社会参加保護省)
が設立され関連諸法が整備されたことにより、地域社会評議会は参加民主主義に実質を与 える自治単位としてがぜん脚光をあびた(Maingón[2007])。のちに「21世紀の社会主義構築」
構想において、いっそう重視されるに至った。
ここに紹介した諸政策は、導入後日も浅く、その実績を評価するのは現時点では容易な 作業ではない。2006年以降ようやく実地調査に基づく研究速報が発表されはじめた状況で ある。次節ではこれらの先駆的成果に基づき、チャベス政権を支える草の根市民が信奉す る民主的価値について一瞥を加えたい。
3
「ボリバル主義革命」の民主的価値ボリバリアン・サークル(CB)について実証研究を行なった
Hawkinsと Hansen
[2006]は、「一般ベネズエラ人」「与党
MVR
支持者」「CB成員」の3者が信奉する民主的価値を比較し
ている。その結果によれば、「議会を軽視する強権的指導者」ならびに「軍政」を拒絶し、「民主体制」を支持する傾向において、CB成員は他の
2集団より卓越している。
「革命的な 社会変革」を支持する傾向においてCB成員が際立つと同時に、「政権転覆」「サボタージュ」「違法スト」「不法占拠」などの実力行使を拒絶する傾向においてCBは他の2集団と類似の 傾向を示した。反チャベス派からは「密告組織」「パラミリタリー的危険分子」とさえ揶揄 されたCBであるが、そうした偏見に反して、Hawkinsと
Hansenが描く CB成員は、政治・社
会活動を通じて民主的価値を内面化し、これを地域社会に普及する役目を率先して担う人々 である。しかしながら、CBの全国的組織基盤は脆弱であり、個々の
CB
内における活動規範の制 度化も未熟である。CBはその活動目標を大統領の上意下達に左右されている。行政サービ スをチャベス支持者に対して優先的に供与する行動を容認する傾向においてもCB
は際立 つ。以上の点からHawkinsと Hansen
は、CBを「カリスマ的指導者の属人的影響下にある行 政依存体質の市民組織」と論評している。Hellinger
[2007]は、「バリオ」ならびに「中間層地域社会」から、ともに住民組織の強固 な地区を選び、比較調査した。その結果、両地域における「親政府派」「反政府派」「無党派」のいずれの層も、平素の地域活動において異なる立場の発言を尊重する態度を示した。一 方、「民主主義を支える重要な要素」として選ばれた項目の順位では、バリオにおいては
「教育・医療の平等」「権利の平等」「貧者救済」が上位を占めたのに対して、中間層地域社 会においては「表現の自由」「自由公正な選挙」「権利の平等」が上位にあげられた。チャベ スの強固な支持基盤と言われるバリオにおいて、「自由」「多様性」をめぐる(リベラル・デ モクラシーの)価値よりも、「平等」「連帯」に関する(ラディカル・デモクラシーの)価値に 重きがおかれていることがみてとれる。
「無知蒙昧な愚衆」という偏見に反して、Hellingerが描くバリオの人々は、民主主義を支 持し、平和的な政治行動と社会運動を実践する市民であり、「反政府派」「無党派」の人々の 意見にも耳を貸す寛容さをもちあわせている。しかしながら、Hellingerは、「表現の自由」
「自由公正な選挙」「複数政党競合」がバリオにおいて重視されないことも指摘する。これら は、前節で述べたとおり、民主主義の質と深くかかわる問題である。
むすびにかえて―チャベス派の多様性と自律性
「チャベス派」の人々に対しては、ステレオタイプにとらわれた偏見のまなざしが注がれ がちである。だが、2006年の大統領選挙におけるチャベスの得票率は6割以上。その数は
700
万を超える。これほど多くの市民を一枚岩の集団として括るのは、そもそも不可能なこ とである。チャベス支持者層の多様な内実は、実証研究によって少しずつみえはじめた段 階である。そうした試みの一つであるWelschと
Reyes
[2006]は、全国の有権者をサンプリング調査 し、チャベス支持者の社会・経済的・文化的属性を解明しようとした。その結果、「親チャ ベス派」「反チャベス派」の間には階層・人種意識・学歴などにおいて際立った差異はみら れず、むしろ両者と「無党派」の間に有意の差が出たと報告している。チャベスの強固な支持基盤とされるバリオでさえ、地域の特性によって政治意識や行動 は大きく異なる。このことは現地調査において筆者も実感するところである。1970年代以 来、住民運動を展開し、生活インフラが整っている古いバリオにおいては、チャベス批判 も頻繁に聞かれる。こうした地域の古参活動家は、チャベスの政治プロジェクトとみずか ら率いる地域運動の利害が一致するかぎりにおいて支持の立場を選択をする。一方「水道 技術委員会」を通じた交渉により、30日に
1度の上水供給をかろうじて確保するような新興
のバリオでは、チャベスを支持するか否かは、死活問題となる。「末端のチャベス支持者」と「チャベス派の職業政治家」の間にも大きな溝が形成されて きた(Ellner[2007b])。2005年国会議員選挙における棄権率の高さ(75%)と、その
1
年後に 行なわれた大統領選挙の棄権率の低さ(25%)との乖離は、このことを示唆するという(Brandler[2007])(10)。こうした状況を突破し、CBやUBEにおける成功経験を資源として活用 する必要から、チャベスは新党PSUVの結成に踏み切ったものと思われる。
諸研究が共通して指摘するのは、チャベス政権の制度基盤の脆弱さ、それと表裏一体の、
カリスマ的指導力への依存体質である。「21世紀の社会主義構築」構想は、これまで実効性 をあげたさまざまな政策実験を制度化する試みであると解釈できよう。なかでも「地域社 会評議会」に重心をおいた地方自治制度の一新は、その根幹を担うとされる。2007年末時点 で、全国に5万件以上の地域社会評議会が設立されたと言われる。だが、予算折衝などにお いて地域社会評議会と対峙し、諸権限を行使するのは、公選されない中央官庁の役人であ る。「参加民主主義」を標榜しながらも結局は大統領を頂点に据えた国家コーポラティズム に向かうのではないか、と懸念させる官―民関係の恩顧主義的構造が、そこからみてとれる。
明るい材料は、2007年の改憲過程にかろうじて見出せる。改憲案の否決は、カリスマ的 指導者が執心した拙速な政策に、支持層の多くが「待った」をかけた結果とも解釈できる からだ(11)。チャベスの政治プロジェクトと戦略的に共闘する諸運動、あるいはこの政権の下 で政治参加を果たした最下層の民衆が、大統領の属人的影響力から距離をおきつつ人民主 体の民主主義を実践するときにこそ、「ボリバル主義革命」は真の深みに達したと言えるだ ろう。
(1) 無名の陸軍中佐であったウゴ・チャベス(1954― )が、1992年にクーデタの失敗により歴史 の表舞台に登場し、のちに政治家に転身して現在に至る過程については、石橋[2008]を参照のこ と。
(2) 授権法とは大統領に立法権を付与する時限法(現行憲法第203条・第236条に規定)。授権法の枠 組みによって提出された法案は、国会の5分の3の賛成によって、審議なしで成立する。2001年の 授権法によりチャベスは炭化水素法や土地法など一連の改革法を成立させた。
(3)「五つのエンジン」とは、①授権立法、②憲法改正、③モラルと啓蒙(民衆むけ社会主義教育)、
④新権力布置(行政区分刷新と地方自治改革)、⑤住民権力の発揚、である。
(4)「民主主義の質」についてはMcCoy and Myers[2004]、「民主的価値」(民主主義アイデンティテ ィ)については恒川[2006]を参照のこと。
(5) この一連の事件を評して、「権力の空白を埋めるための緊急避難でありクーデタではなかった」
とする論者がいまだに存在する事実は、驚嘆に値する。
(6) PDVSAウェブページによる(“El sabotaje contra la industria petrolera nacional,” http://www.pdvsa.com)。
(7) この日、全国紙は号外すら出さずに休刊することで事件を黙殺した。クーデタの経緯ならびに
「労・使・メディア・石油連合」の関与の詳細を描いた映像資料として、K・バートレイ/D・オ ブライエン監督によるドキュメンタリー映画The Revolution will not be Televised(2002年、アイルラ ンド、邦題『チャベス政権―クーデターの裏側』)を参照されたい。
(8) 連帯経済の実験、とりわけ協同組合事業の推進はきわめて重要な主題であるが、紙数に限りがあ るため本稿では扱わない。概要についてはEllner[2007a]を参照のこと。
(9) CBは、のちに選挙対策運動を担う「選挙戦部隊(UBE)」へと吸収された。さらにUBEは新党 PSUV結党とともに「社会主義部隊(BataSo)」へと改組された。
(10) Ellner[2007b]ならびにBrandler[2007]によれば、大統領チャベスを支持しつづけながらも、チ
ャベス派の政治家への不支持を選択する有権者が増加している。2006年国会選挙の高い棄権率は、
こうした人々の投票行動を反映しているという。
(11) 改憲投票の結果を素朴な算術で分析すると、つぎのようになる。2006年大統領選挙における野 党候補の得票は、約427万票。2007年の改憲反対票は約450万票。約5%の上乗せにすぎない。一 方、大統領選挙におけるチャベスの得票は約725万票。改憲賛成票は約438万票。4割もの目減り になる。棄権率は、大統領選の25%に対して、改憲投票では40%以上に及んだ。ここから、チャ ベス支持者の多くが護憲の意思をもって棄権したことが、チャベスの最大の敗因ではないかとい う仮説が設定できる。チャベス支持者の棄権行動の分析についてはBrandler[2007]を参照。
■参考文献
Brandler, N.[2007]“Elecciones en Venezuela: de la abstención como protesta a la participación inusitada,” paper presented at the 2007 Congress of the Latin American Studies Association, Montréal, Canada September 5–8, 2007.
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[付記]本稿は、日本政治学会2007年度研究大会・企画委員会企画「ラテンアメリカの『左傾化』・
『左翼政権』に関する政治学的分析」における発表原稿を改稿したものです。企画者・出岡直也
(慶應義塾大学)、討論者・恒川惠市(東京大学、当時)、報告者・上谷直克(アジア経済研究所)
ならびに大串和雄(東京大学)の4先生よりいただいた質疑・コメントに、心より謝意を表します。
現地調査は日本学術振興会科学研究費の支給により実施しました。
いしばし・じゅん 東京大学准教授 [email protected]