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53ヵ国のうち、28が

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はじめに

政治制度の分類方法の一つに大統領制と議院内閣制の二分法があることは、古くから政 治制度論のなかで議論されていたが、そうした制度上の相違が、ガバナビリティーや政治 的安定や民主化の成否と関連づけて広く議論されるようになるのは、1980年代後半になっ てからである。それ以前の時期の政治制度論の典型とも言えるサルトーリの『政党と政党 システム』(1976年出版)やレイプハルトの『多元社会の民主主義』(1977年)、『民主制―

21ヵ国における多数型政府と合意型政府のパターン』

(1984年)においては、政党制や連合

政府が主な関心事であり、大統領制と議院内閣制の長短が中心テーマとなることはなかっ た。またサルトーリの研究やレイプハルトの研究で使われた事例のほとんどは、民主制が すでに定着した先進諸国であり、発展途上国は一部の国が分析対象に加えられたにすぎな かった(1)

発展途上国を含めた広範な国々における大統領制と議院内閣制の長短というテーマにま で議論が広がるのは、「民主化の第三の波」が分析対象となり、そのなかで政治エリート間

(民主化派と反民主化派)の戦略的かけひきと短期的な選択が民主化の成否にとって枢要であ るという見解が、シュミッターとオドンネルの仕事によって急速に影響力をもつようにな ったことをきっかけにしている(2)。シュミッターたちは制度選択までは検討していないが、

エリートによる短期的選択の対象として政治制度が注目されるようになるのは、自然な成 り行きだったのである。

制度選択として特に議論の的になったのは、多極共存型(コンソシエーショナル)か多数 支配型かというレイプハルトが提起していた問題、それと関連する選挙制度、そして大統 領制か議院内閣制かという選択である。1990年に発表された論文のなかで、最後の問題を 鋭角的に提起することで、その後の活発な議論のきっかけを作ったのは、フアン・リンス である。大統領制は政治的競争をゼロサム的にするので、民主化にとって不利だとするリ ンスの議論は、それを支持する多くの論考をもたらしたが、その反面、大統領制か議院内 閣制かは民主化の成否とは関係がないとする研究も登場した。

そこで本稿では、まずリンスの見解とリンスを支持する議論をまとめ、その後それを批 判する研究を検討する。この検討のなかで、大統領制か議院内閣制かは体制の安定性とい う点では、大きな違いをもたらさないことが明らかにされるであろう。他方、大統領制は

(2)

その国民投票的な特性のために、ポピュリズム的な政権運営と結びつきやすく、それが民 主制の質を悪化させるという有力な議論もあるので、最後に大統領制とポピュリズムとの 関係を検討する。その結果、近年は議院内閣制下の首相の「大統領」化を指摘する研究も あり、大統領制か議院内閣制かの相違はポピュリズムとの関係においても重要性を減少さ せていることが明らかになるであろう。

1

フアン・リンスの大統領制欠陥論

フアン・リンスの1990年論文およびそれを発展させた1994年の論文によれば(3)、大統領 制は議院内閣制との比較で、二つの基本的特徴をもっている。第一に議院内閣制の首相は 議会によって選出されるのに対して、大統領は議会とは別に国民の直接投票によって選ば れるので、独自の正統性を主張できる。第二に首相は議会によって任期を左右されるが、

大統領は(弾劾という例外的な場合を除いて)議会によって解任されることがない。この二つ の制度的特性の結果、大統領制は政治状況の変化に応じる柔軟性を欠いた制度となるとい うのがリンスの観察である。

例えば議院内閣制の場合、首相は議会によって選出されるので、諸政党は行政府を組織 するために交渉で多数派を形成する必要があるが、大統領制の場合大統領は独自に内閣を 組織できるので、多数派形成のインセンティブが弱い。したがって大統領府と議会が別々 の政党によって支配される分裂政府になる可能性が議院内閣制よりもずっと高く、政策形 成の有効性が失われやすい。特に多党制の国では大統領与党が議会を支配できない可能性 が高くなる。二大政党制の場合、分裂政府でも(アメリカ合衆国にみられるように)政党間の イデオロギー的距離が小さく、政党の党内規律も弱ければ、大統領は争点ごとに議会の多 数派工作を行なえるので安定するが、二大政党間の距離が大きく、党内規律も強い場合に は、行政府と立法府が対立して行き詰まる可能性が高い。

政局が行き詰まったとき、議院内閣制であれば、議会が内閣不信任によって首相を選び 直したり、逆に首相が議会選挙を招集したりすることで、新たな合意に基づく内閣組織の 方向に動く柔軟性があるが、大統領制の場合、大統領が国民に選ばれたという正統性を主 張して辞任を拒否すれば、行政府と立法府の紛争は大統領の任期中は継続することになる。

そうした行き詰まり状態を打開するために、反大統領派は軍事クーデタのような非合法手 段に訴えやすいし、大統領側は対決的なポピュリズムに走る可能性がある。これが、大統 領と議会が別々に選挙で選ばれる「二重の正統性」に由来する大統領制固有の矛盾である

―というのがリンスの主張である。ここでは、大統領制は、ガバナビリティーや安定性 を欠くというだけでなく、民主主義体制そのものを危うくする制度として把握されている。

ステパンとスカッチは、民主主義体制の持続に失敗した国々の制度を比べることによっ て、リンスの主張が正しいことを証明しようとした(4)。彼らによれば、1973年から

89

年の 間に一年でも民主主義体制を経験した非

OECD

(経済協力開発機構)の

53ヵ国のうち、28が

議院内閣制の国、25が大統領制の国だったが、この間軍事クーデタを経験した国は、前者 で18%だったのに対して、後者では

40%に上った。また 1945

年から

79

年までに独立を達成

(3)

した93ヵ国をとりあげると、独立時に議院内閣制だった国が

41、大統領制と半大統領制の

国がそれぞれ36と3、君主制の国が

13だったが、1980

89年の間ずっと民主主義体制を維

持したのは、議院内閣制の15ヵ国のみだった。

他方、リンスの議論を受け継ぎながらも、大統領制一般が不安定なのではなく、一定の 政党制や一定の大統領立法権限などと重なったときに困難に直面するという議論を展開し たのがメインウェアリングやシュガートたちである。西半球の大統領制に関する編著のな かで彼らは、大統領制のガバナビリティーは政党数と政党の内部規律によって異なると論 じた(5)。すなわち大統領制はアメリカ合衆国やコスタリカやベネズエラのように、政党数が 少ない(2政党あるいは2政党に近い)場合にはうまく機能するが、政党数が多く、大統領与 党の勢力が非常に小さい国(ボリビア、ブラジル、エクアドル)では困難である。それは、民 主主義体制において大統領が有効な統治を行なうには、議会の同意が必要だからである。

政党数が多い場合は与党が少数与党になる可能性が高く、議会で継続的な多数派を形成す ることも難しい。大統領与党が少数派である場合、政党の党内規律は低いほうが野党を切 り崩せる利点があるが、他方、選挙後に個々の議員を内閣にリクルートすることで与党連 合を形成しようとした場合、政党の党内規律が弱いと個々の議員の支持を政党としての支 持に繋げることができない。メインウェアリングらによれば、与党連合の不安定性が政局 を混乱させる好例がブラジルだという。

他方シュガートとキャレイは、大統領のもつ立法権限と非立法分野の権限の大きさ次第 で、大統領制の安定性が影響を受けると考えた(6)。すなわち、大統領に大きな立法権限(強 い拒否権、特定分野の法案の優先提出権、臨時大統領令を出す権限、国民投票実施権限など)が 与えられている場合、立法をめぐって議会との対立に陥りやすいので、大統領制は安定し ない。また大統領が内閣組織権限を独占しており、同時に議会を解散させる権限をもつ場 合にも、民主制は安定しない。民主主義にとって安全な大統領制とは、①議会と大統領が お互いに罷免したり解散させたりすることができないという意味で相互に自立しており、

同時に大統領の立法権限も小さい場合と、②議会と大統領が相互に罷免したり解散させた りする権限は強いが、大統領が内閣の任免を自由にできない場合、すなわち大統領の非立 法分野の権限が中程度である場合の二つだという。①は大統領と議会が相互に自立して棲 み分けが行なわれている場合であり、②は大統領と議会が相互牽制する同等の力をもって いる場合である。

大統領制が民主主義体制の安定にとってもつ意味は政党制などの態様次第だという議論 は、計量分析を元にした研究によってもなされている。プシェヴォルスキーらのグループ は、1950―

90

年の間の体制変動についての詳細な分析によって(7)、まず大統領制の平均寿 命が21年であるのに対して、議院内閣制は

73年であること、結果は所得レベルでコントロ

ールしてもほとんど同じであることを明らかにした。そのうえで彼らは、議会において過 半数政党が存在しない場合、有効政党数が3―4の場合、あるいは最大政党の議席が

3分の1

と2分の1の間の場合、大統領制が崩壊する確率が有意に高くなること、しかし「分裂政府」

の影響はずっと小さいことを計量分析によって示した。この研究はリンスの議論の基本線

(4)

を支持しながらも、分裂政府そのものは民主制を不安定化させるわけではないこと、単に 政党数が多い場合ではなく、中間的に多い場合に大統領制が崩壊する確率が高くなること などを示すことによって、大統領制と民主主義体制の不安定性との関係が、非常に複雑で あることを示したのであった。こうした分析をさらに発展させて、リンスの議論そのもの を否定する研究者たちが登場する。

2

大統領制欠陥論への反論

リンスの大統領制欠陥論は、当初政治学者たちから強い支持を受けたが、最初から疑問 を挟む少数派がいなかったわけではない。例えばサルトーリは、大統領制も議院内閣制も 純粋形態においては同じくらい不安定だと論じた。純粋な大統領制の場合は分裂政府にな る可能性が高いのに対して、純粋な議院内閣制の場合、首相が大臣の任免を管理できない ので、やはり不安定だというのである(8)。サルトーリは議会における合意の達成と行政府の 行動能力の確保をいかに両立させるかという観点から、権力分有(パワーシェアリング)を制 度化できる半大統領制か半議院内閣制こそが民主制に安定をもたらすと主張する。半大統 領制においては首相が議会の信任を必要とするので、大統領は議会多数派との共存の道を探 るであろうし、半議院内閣制においては内閣における首相の権限が強められるので、(同時 に党内規律も高ければ)行政府の政策実施能力を確保することができるだろう。サルトーリの 主張は、さまざまな制度条件がそろったときに政治的合意と政策実効性を両立できる―そ の結果安定する―という点で、議院内閣制も大統領制も変わりはないということである。

サルトーリが主に先進国の経験を下敷きに自分の主張を行なったのに対して、アルヘリ ーナ・チェイブブとフェルナンド・リモンジは、不安定な大統領制の典型と考えられてい たブラジルをとりあげ、実際には決して不安定ではないことを論証しようとした(9)。彼らに よれば、ブラジルの大統領制をとりまく制度は、多党制や選挙の非拘束リスト方式など、

大統領が多数派を形成し維持することを困難にする可能性の高い制度であり、したがって 典型的にガバナビリティーを低める制度になっているようにみえるが、実際にはブラジル の大統領は、ほとんどの法案を通過させることに成功しているし、諸政党の党議拘束も効 いているという。それは、一つにはブラジルの大統領は議院内閣制の国の首相と同じよう に、大臣職をそれに付随する政策影響力やパトロネージとともに配ることで連立政権を作 ることができ、他方ブラジルの議会では、さまざまな手続き上政党指導者の署名が政党議 員全員の意志として扱われる制度になっているために、事実上党議拘束が効きやすいから である。さらにブラジルの大統領は、臨時大統領令を出したり、特定の政策領域において 先議権をもっていたり、議会に緊急議決を要求する権利をもっていたりと、比較的大きな 立法権限を有するので、議会に対して大きな交渉力をもつという点も重要である。このよ うな制度的配置のおかげで、ブラジルの大統領は、少数与党であっても十分安定した統治 を担えるというのがリモンジらの結論である。

大統領制は議院内閣制より不安定だとする命題を、計量分析によって論駁しようとした のがアントニオ・チェイブブである。2002年の論文のなかでチェイブブは、議院内閣制と

(5)

比べて大統領制のほうが、少数与党になる場合が多いこと、特に選挙が比例代表制であっ たり、政党制が多党分立であったり、大統領選挙と議会選挙の時期が一致しなかったりし た場合に、少数与党現象が顕著にみられるという、これまでなされてきた観察を追認した うえで、なお少数与党であることは必ずしも政局の行き詰まり(deadlock)と民主制の崩壊 を意味するわけではないと論じる(10)。政局が本当の意味で行き詰まるのは、大統領が自分の 政策を通すことができない一方、野党も大統領の拒否権を克服するだけの議席をもたない 場合だが、この行き詰まり状態に陥った場合と、そうでない場合を比べると、民主主義体 制が崩壊する確率はほとんど変わらないというのである。それに加えて、大統領の政党が 少数派であるかどうか、大統領を支える政党連合が少数派であるかどうかも、民主制崩壊 確率に有意な影響を与えないというのが、チェイブブの分析結果である。

チェイブブは

2002年の研究では、一般的に大統領制が不安定だとされる要因が実際には

有意に効いていないことを実証しただけで、その理由にまでは分析を進めていないが、2007 年に発表した本のなかでは(11)、大統領制は本当に議院内閣制よりも民主制を不安定化させや すいのか、大統領制は不安定だとする一般命題が間違っているとしたら、それはなぜなの か―という問題に正面から取り組んでいる。

まずチェイブブは、民主制の維持に失敗した事例を数えて、大統領制のほうが議院内閣 制よりも崩壊の確率は高いという、従来の計量分析の結果を追認する。しかしチェイブブ の大きな発見は、軍事政権を過去に経験したことがあるかどうかという要因を入れてコン トロールすると、大統領制と議院内閣制の差がまったくなくなるということである。同じ 民主主義体制であっても、軍政から民政移管した体制と、文民独裁から民主化した体制と では、崩壊の確率が大きく異なり、前者は後者より70%も高くなるというのである。

もちろん軍政後の民主化過程において大統領制をとる場合が67%に上るので、大統領制 と軍政が密接に結びついているのならば、軍政経験と大統領制の影響とを切り離すことは できないが、実際には、軍政後大統領制が採用されるか議院内閣制が採用されるかは、経 路依存的に決定されることがほとんどである。すなわち独立時や大きな変動後に採用され た政治制度は、その後も繰り返し採用される傾向が強い。したがって軍政経験と大統領制 は独立した現象であり、もともと軍部が政治に介入しやすい国に、たまたま大統領制の国 が多いことを示しているだけなのである。計量分析の結果は、大統領制という制度が不安 定をもたらすのではなく、軍部が一度でも政治介入すると、また介入する確率が高まるこ とを示しているということである。

それではなぜ軍部の政治介入は繰り返されるのか。チェイブブはサンプルの多くを占め るヨーロッパ諸国とラテンアメリカ諸国の状況を比較することで、この疑問に答えようと する。すなわち、オーストリア、西ドイツ、イタリア、フィンランドなどヨーロッパ諸国

(そこではたまたま議院内閣制の国が多い)では、第2次世界大戦時の敗北によって軍部が正統 性を失い、政治介入への支持をとりつけられなくなったのに対して、敗北しなかったラテ ンアメリカ(そこではたまたま大統領制の国が多い)の軍部は戦後政治介入を繰り返すことが できた。結果として大統領制の国で軍事クーデタが多いようにみえるというのである。な

(6)

お、そのラテンアメリカでも、最後の軍政による過度の弾圧によって軍部が正統性を失っ たので、これからはラテンアメリカでも軍部の政治介入の可能性は薄いというのがチェイ ブブの予測である。とすると大統領制の国で民主主義が崩壊しない事例が増えることにな るだろう。

3

大統領制とポピュリズム

以上の検討から言えることは、大統領制が民主制を危うくするかどうかは、それがどの ような特徴をもった政党や政党制と結びついているか、政治的亀裂の特徴は何か、大統領 が保有する立法権限の範囲は何か、議会運営手続きはどうなっているかなど、多くの条件 によって左右されること、そしてそれぞれの国の過去の経験にも大きく影響されることで ある。大統領制そのものが議院内閣制よりも不安定であり、民主制を崩壊に導きやすいと いう命題は誤りである。

しかし、大統領制が民主制崩壊確率を高めるとまでは言えないとしても、ポピュリズム 的政権運営に結びつくことで、民主制の質を下げるという非難はあたっているだろうか。

確かに、議員と違って大統領は全国でただ1人を選ぶ投票によって選出されるので、国民の 代表としての正統性を主張しやすい位置にあり、国民の名でゼロサム的な行動に出やすい というリンスの主張もにわかには否定しがたい。政党制が弱い場合や政党が有権者の信頼 を失っている場合、政治的アウトサイダーが選ばれて、国民の名で強引な統治を試みると いう、同じくリンスの主張も首肯しうる。

頻繁に引用されるオドンネルの「委任民主主義」は、大統領制がポピュリズムに結びつ いた典型例だと考えられる(12)。オドンネルによれば、委任民主主義においては、有権者は自 由選挙で大統領を選ぶが、選んだ後は受動的な観客になることを期待される。大統領は、

政党や利益集団が担う個別利益や、その間の紛争を超越して、国民全体の面倒をみる家父 長的なリーダーとしてふるまう。その場合大統領が制約されるのは、固定された任期と、

政治勢力間の赤裸々な力関係だけであり、議会や裁判所などによる制度的な制約は無視さ れたり軽視されたりする。その結果民主主義の質は悪化する。

オドンネルの委任民主主義は、ペルーのフジモリ大統領やアルゼンチンのメネム大統領 のネオ・ポピュリズムと呼ばれる行動様式を説明するうえで有用である。しかし、委任民 主主義は一部の国で一定の時期にみられる現象であり、大統領制に固有の現象とまで言え るかどうかは疑わしい。たとえば戦後のペルーで、フジモリ以外に委任民主主義的だとの 非難を受けた大統領はみあたらない。アルゼンチンでも、ペロン大統領(任期

1946

55年)

を除けば、メネム的な大統領はいなかった。今日の世界でポピュリズムに堕した大統領制 の典型として扱われるベネズエラでも、ポピュリズムが問題にされるようになったのは、

1998年以降のチャベス政権においてであり、それ以前ではない。大統領制の国でも、民主

制の質を下げるほどのポピュリズムと結びつくことは稀なのである。

以上は大統領制をポピュリズムと結びつける議論であるが、議院内閣制の国でも政治の

「大統領制化」が進んでいると主張しているのがポグンケとウェッブである(13)。ここで言う

(7)

「大統領制化」とは、行政府や政党のなかでトップ・リーダーが同僚からの自立性を高め、

選挙においても政党そのものよりリーダーの露出と重要性が増えることを意味する。ポグ ンケらによれば、この現象は、サッチャー首相やブレア首相を輩出したイギリスのような 多数支配型の国はもちろんのこと、ベルギーやオランダのような合意形成型の国でもみら れるという。

われわれは、ここに日本の小泉純一郎首相を加えることもできよう。小泉の登場をネ オ・リベラル型ポピュリズムとしてとらえた大嶽秀夫によれば、小泉は自民党の主要政治 家や派閥が腐敗や失政によって国民の信頼を失った状況のなかで、予備選を通して得た一 般党員の支持を基礎として自民党総裁に当選し、首相になった(14)。さらに小泉は、ショー ビジネス化したマス・メディアを通して、直接大衆に善悪二元論的な訴えかけをすること で、既得権益に反感をもつ世論の支持を集めた。ただ小泉のポピュリズムは、自民党的な 利権政治と官僚による浪費への批判を「小さい政府」の訴えに結びつけたという意味でネ オ・リベラル的である。

いずれにせよ小泉現象も、議院内閣制におけるポピュリズムの例である。このようにみ てくると、ポピュリズムもまた大統領制固有の現象とは言えず、大統領制か議院内閣制かに かかわらず、何らかの条件がそろったときに現出する現象だと考えたほうが正しいだろう。

一つの条件は、制度変更によって政府や政党におけるリーダー(大統領や首相)の権力が 強化されることであろう。例えば日本では、1990年代半ばに行なわれた衆議院における小 選挙区・比例代表並立制の導入と政党助成金制度の新設および政治資金規正法の厳格化に よって、政党の党首(首相候補でもある)をはじめとする執行部の権限が飛躍的に高まった。

選挙において政党や党首の果たす役割が拡大しただけでなく、選挙資金配分という点でも 党執行部の権限が広がった。他方2001年に実施された一連の省庁改革は、行政府内におけ る首相の権限を大幅に拡大するものだった。内閣法の改正によって重要政策についての首 相の発議権が法制化され、同時に内閣官房の権限が強化された。さらに首相直属の内閣府 が設けられ、首相を補佐する人員や組織が拡大された(15)

このように日本では1994―

2001

年に行なわれた政治・行政改革によって、政党における 党首(同時に行政府における首相でもある)の権限が大幅に拡充されたので、大統領的な首相 を出す制度が整ったとみることができる。ただし、多くの国で同時に「大統領制化」がお こっているとするポグンケとウェッブの観察が正しいとすると、制度変化によってすべて を説明することは難しいだろう。すべての国で同時に首長の権限を強化する制度改革が行 なわれたとは考えられないからである。

さらに、日本においても、小泉に続く安倍晋三首相は大統領的首相になりそこない、福 田康夫首相は最初から合意達成型の行動様式をとったことをみると、制度だけでは首相の

「大統領化」を説明することはできない。首相が自党の派閥や議員の意向に反する行動をと ったとしても、彼らが従わざるをえないほど世論の圧倒的な支持を首相が受けていること が必要なのである(16)。世論の支持どころか、排斥を受けるようになった安倍首相の末路は、

この点を象徴的に示している。

(8)

しかし、政党や議会の頭越しに一般大衆と結合しようとするトップ・リーダーを、有権 者が常に支持するというわけではない。ポグンケとウェッブは、強力な行動力による対処 が必要だと感じさせる内外の短期的な危機に加えて、既存の政党制の源になった伝統的な 社会亀裂(宗教、階級など)の弱体化という構造的な要因を指摘する。結果として政党間の 差異がはっきりしなくなったために、有権者が、政党の体現する政策よりも人物としての 指導者の(見かけの)資質で判断するようになったというのである。確かに日本でも、経済 成長や冷戦終焉による階級イデオロギーの後退や、(それを一因とする)政党再編が、政党間 競争における基本的政策対立の意味を薄れさせた面がある。だからこそ、小泉首相は野党 と戦ったというよりも自民党自身と戦ったようにみえるのである。ラテンアメリカにおい ても、ポピュリスト的大統領の登場がみられた国(例えばペルー、ベネズエラ、エクアドル)

は既存の政党が有権者の信任を完全に失った国々である。アルゼンチンのメネム大統領の 場合は、既存のペロン党から出てきたようにみえるが、すでに有権者の間にペロン党も含 む既存政党への幻滅は広がっており、したがってメネムも従来のペロン派政策を(自党内の 抵抗を抑えて)

180

度転換させることを余儀なくされたのである。

ただし、日本やラテンアメリカにおけるポピュリスト的首長登場の背後には、ポグンケ とウェッブも触れた短期的危機があることも忘れるべきではない。日本の世論が強いリー ダーの出現を希求したのは、バブル崩壊後の長期的な経済停滞に強い閉塞感をもつように なっていたからであったし、ラテンアメリカのポピュリスト的大統領は、累積債務危機以 後の長期的な経済停滞と物価高騰や高失業率に対する有権者の危機感に訴えることで、支 持を拡大したのである。こうした深刻な危機を、既存の政党が解決できないばかりか、政 治腐敗を続けたことが、有権者をして、既得権益にまみれておらず、同時に実行力のある ようにみえる、個人としてのリーダーに向かわせたのである。

このようにみてくると、現代世界におけるポピュリズム現象は、制度が大統領制だから というよりは、多くの国を襲った短期的な危機と長期的な社会構造・国際構造の変化によ っておこっているとするのが正しいであろう。

結  論

大統領制は、リンス以来、民主主義体制の不安定化やポピュリズム化をもたらしやすい 制度として扱われてきた。民主主義体制崩壊の数が、議院内閣制の下でよりも、大統領制 の下でのほうがずっと多かったという現実が、前者の主張を裏付ける証拠として提出され た。しかし、リンスの見解を支持する研究者たちでさえ、大統領制が民主制を不安定化さ せるのは、特定の政党や政党制などの制度条件と結びついた時だと論じているし、近年の 研究では、過去の軍政経験をコントロールすれば、民主制崩壊を説明するうえで大統領制 と議院内閣制の差はなくなることが明らかにされている。

大統領制はポピュリズム化ないし委任民主主義化しやすいという議論に関しても、大統 領制の国でもポピュリスト的大統領が登場するのは一部の国の一部の時期に限られている こと、近年では日本を含む議院内閣制の国でも首相のポピュリスト化が観察されることを

(9)

みると、大統領制か議院内閣制かという違いはポピュリズムの説明にとって枢要ではない。

むしろ、既存の政党制が変化する社会的亀裂やイデオロギー状況に対処できなくなり、有 権者の政党離れをもたらしているという構造的な要因と、深刻な危機が強力なリーダーに よる迅速な対処を有権者に希求させるという短期的な要因が重なった結果、政党や議会の 頭越しに首長が有権者と結びつくポピュリズム現象が広がったとみるべきであろう。

ただしポピュリズムは、制度ではなく世論という流動的な要因に依っているが故に、常 に不安定化の危機にさらされている。ポピュリズム的な政権運営は、有権者を満足させ続 けることができる限りにおいて可能だからである。

1 G. Sartori, Parties and party systems, Cambridge: Cambridge Univ. Press, 1976; A. Lijphart, Democracy in plural societies: a comparative exploration, New Haven: Yale Univ. Press, 1977; A. Lijphart, Democracies: pat- terns of majoritarian and consensus government in twenty-one countries, New Haven: Yale Univ. Press, 1984.

2 G. O’Donnell & P. Schmitter, Transitions from authoritarian rule: tentative conclusions about uncertain democracies, Baltimore: The Johns Hopkins Univ. Press, 1986.

3 J. Linz, “The perils of presidentialism,” Journal of Democracy, Vol. 1, No. 1(1990), pp. 51–69; J. Linz,

“Presidential or parliamentary democracy: does it make a difference?” in J. Linz & A. Valenzuela, eds., The Failure of presidential democracy, Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 1994, pp. 3–87.

4 A. Stepan & C. Skach, “Presidentialism and parliamentarism in comparative perspective,” in J. Linz & A.

Valenzuela, eds., op. cit., pp. 119– 136.

5 S. Mainwaring & M. Shugart, “Conclusion: presidentialism and the party system,” in S. Mainwaring & M.

Shugart, eds., Presidentialism and democracy in Latin America, Cambridge: Cambridge Univ. Press, 1997, pp.

394–439.

6 M. Shugart & J. Carey, Presidents and assemblies: constitutional design and electoral dynamics, Cambridge:

Cambridge Univ. Press, 1992.

7 A. Przewrorski et al., Democracy and development: political institutions and well-being in the world, 1950–

1990, Cambridge: Cambridge Univ. Press, 2000.

8 G. Sartori, “Neither presidentialism nor parliamentarism,” in J. Linz & A.Valenzuela, eds., op. cit., pp. 106–118.

9 Argelina Cheibub & F. Limongi, “Presidential power, legislative organization, and party behavior in Brazil,”

Comparative Politics, Vol. 32, No. 2(2000), pp. 151–170.

(10) J. A. Cheibub, “Minority governments, deadlock situations, and the survival of presidential democracies,”

Comparative Political Studies, Vol. 35, No. 3(April 2002), pp. 284–313.

(11) J. A. Cheibub, Presidentialism, parliamentarism, and democracy, Cambridge: Cambridge Univ. Press, 2007.

(12) G. O’Donnell, “Delegative democracy.” Journal of Democracy, Vol. 5, No. 1(1994), pp. 55–69.

(13) T. Poguntke & P. Webb, “The presidentialization of contemporary democratic politics: evidence, causes, and consequences,” in T. Poguntke & P. Webb, eds., The presidentialization of politics: a comparative study of mod- ern democracies, Oxford: Oxford Univ. Press, 2005, pp. 336–356.

(14) 大嶽秀夫『日本型ポピュリズム―政治への期待と幻滅』、中公新書、2003年。

(15) 竹中治堅『首相支配―日本政治の変貌』、中公新書、2006年。

(16) 内山融『小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか』、中公新書、2007年。

つねかわ・けいいち 政策研究大学院大学教授

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