カント良心論の体系的位置づけ
神へと至るもう一つの道
小野原 雅夫
1 はじめに
倫理学において「良心Gewissen」は大変重要な 概念であるが,カント倫理学において良心は必ず
しも主要なテーマとして扱われているとは言えな い。それは,カント倫理学の基礎づけの書と言う べき『道徳形而上学基礎づけ』や『実践理性批判』
に,良心概念がほとんど登場してこないことに象 徴的に表れているω。
カントの良心に関する最もまとまった叙述は,
『倫理学講義録』の中に見出される。これは1770 年代から90年代初頭にかけて,バウムガルテンの
『哲学的倫理学』や『実践哲学綱要』を教科書と して行われた講義のノートである〔2)。その中で1 節を割いて良心について詳しく論じられている。
ただしこの講義録は,学生のノートが数種類残さ れているだけで,生前カントによって公刊される
ことはなかった。
公刊された著作の中で良心概念を使用している ところは144ヶ所ある。良心概念が登場するすべて の著作(執筆年代順)とその頻度を次頁《表1》
にまとめてみた。名詞Gewissenの数,ならびに Gewissenhaftigkeitやgewissenlosなど名詞,形 容詞を問わず複合語の数とを別々に掲げてある。
ラテン語のconscientiaに関しては,「良心」とい う意味で使っているのか「意識」という意味で使 っているのかを確定しなくてはならないため,こ の表では割愛した。これを見てみると,処女作か ら最晩年にいたるまで一貫して良心概念が使用さ れていたことがわかるが,しかしその多くは単発 的に出てくるだけで,「良心論」と呼べるようなま
とまった叙述は数ヶ所しかない。しかも,その数
少ない良心論にしても,それらはいずれも講義録 の良心論に比して分量的に大きくないし,そこで 論じられている内容も様々で,色々な要素が良心 論という坩堝に一堂に会しているといった印象を 拭いされず,それら相互の間で,また講義録での 言明と比べてみても,一貫性に欠けているように 見える。したがって,従来カントの良心論をめぐ
っては,様々な問題点が指摘されてきている(3)。
残念ながら,本論ではそれらの問題を総括的に 扱うことはできない。ここではさしあたり公刊さ れた著作での言及に限定して,以下の点を確認し ていきたい。1.良心概念は三批判が完結した後 に多用されるようになったことを確認した上で,
それがいかなる理由によるものかを探る。2.公 刊された著作の中では最もまとまった良心論を含 んでいる『道徳形而上学』に着目し,その中での 良心論の体系的位置づけを確認する。3.そこで の良心論の内容を祖述し,とりわけ良心と神との 関連について確認していく。以上の考察を通じて,
カント実践哲学体系の中で,良心論が特異な形で の宗教論を成していることを明らかにしていき
たい。
2.三批判後のトピックとしての良心
もう一度《表1》を見てみよう。ここには明ら かに,ある偏りのあることが見て取れる。一著作 中に2桁の数の良心概念が出てくる初めての論文 が,1791年の『弁神論におけるあらゆる哲学的試 みの失敗』(以下『弁神論』と略記)であるが,そ れ以前,すなわち『判断力批判』までとそれ以後 とを比べてみると,1790年代以降にその使用例が
福島大学教育学部論集第70号 2001年6月
《表1》「良心Gewissen」概念使用頻度一覧
『活力測定考』(1749)
『負量の概念』(1763)
『汎愛学舎論』(1776)
『啓蒙とは何か』(1784)
『ヘルダー論評』(1784)
『道徳形而上学基礎づけ』(1785)
『人種の概念の規定』(1785)
『思考の方向を定めるとは何か』(1786)
『実践理性批判』(1788)
『判断力批判』(1790)
『弁神論の哲学的試みの失敗』(1791)
『たんなる理性の限界内における宗教』(1793)
『万物の終末』(1794)
『道徳形而上学』(1797)
『実用的見地における人間学』(1798)
『諸学部の争い』(1798)
『論理学』(1800)
『教育学』(1803)
名詞 複合語(含形容詞) 計 1 0 1 1 0 1 0 1 1 3 1 4 0 1 1 2 0 2 1 0 1 0 1 1 2 0 2 0 1 1 12 5 17 29 13 42 2 0 2
34 12 46 3 0 3 4 6 10 2 1 3 3 3 6
総 計 99 45 144
集中していることが分かる。『判断力批判』までで は単独名詞10個,複合語5個,計15個であるのに 比して,それ以後では単独名詞89個,複合語40個,
計129個と,いずれもほぼ90%が三批判以後に使わ れている。しかも上述したようなある程度まとま った叙述というのも,『弁神論』,『たんなる理性の 限界内における宗教』(以下『宗教論』と略記),そ して『道徳形而上学』の三著と,やはりすべて晩 年に集中しているのである。『判断力批判』までと それ以降とでこれほどの違いが生じているという ことに関しては,何らかの説明が必要であるよう に思われる。
この顕著な変化の原因として,さしあたり次の 2点を指摘することができるであろう。1つは,
良心と宗教との関連である。「良心の自由」という 概念が,とりわけ近代においては,信仰の自由と 重ね合わせて用いられていたことからも明らかな
ように,良心は宗教的な文脈のなかで使われるこ ともある概念である。カントにおける良心と宗教 との関連については後でも若干触れるつもりだ が,カントによる良心概念の使用が,『弁神論』や
『宗教論』など,90年代の宗教関連諸論文を契機 として激増してきたのは,たんなる偶然の一致で はない。三批判の仕事を仕上げたカントが,次に 最初に取り組んだのが宗教の問題であった。それ
との関連で良心が,とりわけ良心の自由が問題と して浮上してきたと言うことができるであろう。
もう1つは良心と悪との関連である。中村正雄 によれば,良心には「悪いとする良心」と「善い とする良心」があり,「これまでの通説としては,
『悪いとする良心』が本来の良心で,『善いとする 良心』はそれの欠如態であるという見方が有力」
であった19。そうみなされてきたのにはそれなり の理由がある。一般に良心現象というものは悪と
の関連で発動する場合の方が圧倒的に多い。日本 語の良心という言葉は「良い心」と書くが,しか し良心がかかわるのは,善い行為,善というより は,悪,ないし不正な行為である。良心の声が聞 こえてきたり,良心の呵責に苛まれるのは,自分 がしょうとしている行為や自分がしてしまった行 為が不正な行為,悪い行為である場合なのである。
もっとも,目の前に立っている老人に席を譲って あげられないという場合などのように,善い行為 をできなかった場合に良心の痛みを感じるという ことも現象的にはありうるが(5),その場合もやは り良心は善いことをする心ではなくして,善いこ とができなかったことを悔やむ心であると言うこ とができる。つまり良心というのは善いことをす る心ではなくして,悪を回避する心,あるいは悪 を回避できなかったこと(または善いことをでき なかったこと)を悔やむ心なのである。
このことはカントにも当てはまる。カントも良 心を論ずる場合,基本的に「良心の呵責」という 現象に依拠して論じており,したがって「悪」「罪 責」「不正」「違反」「悪徳」といった概念とセット で良心を語っている。カントによる良心の公式の 定義は,「人間の内なる法廷の意識」というもので あるが,法廷とのアナロジーが成り立つというこ と自体が,良心と悪との密接な連関を示唆して
いる。
そして,カントが悪について語りだしたのが,
やはり三批判書が完成した後なのである。ターニ ングポイントとなった『弁神論』は,まさに弁神 論,すなわち,この世に悪が存在することに関す る神の弁護を主題にしている。同様に『宗教論』
も,これは4編の論文から成る著作であるが,そ れぞれの標題から明らかなように〔6〕,この著作は 悪の原理に対する善の原理の戦いを主題としてい
る。このように良心概念はたんに宗教(信仰の自 由)との関連ばかりでなく,悪との関連の中で登 場してきているのである。最多の良心概念が登場 する『道徳形而上学』については次節以降詳しく 見ていくつもりだが,この書が「法論」と「徳論」
から成るという点は,批判期80年代の倫理学と比
べて大きな違いと言うことができるの。『道徳形而 上学』において初めてカントは法Rechtの問題
を,すなわち心術の善さではなく,行為の正・不 正を論ずる枠組みを確立したと言うことがで
きる。
つまり,カントが悪ないし不正の問題に本格的 に取り組み,主題として取り上げるようになった のが1791年以降なのである。その点は,「悪」「不 正」「悪徳」といった概念がその時期に集中してい ることからも確認できる〔8}。そして,こうした悪の 問題への取り組みがカントを良心概念へと導いて いったのだと言えるであろう。
3.『道徳形而上学』における 良心論の位置づけ
さて以上の点を踏まえつつ,カント実践哲学体 系における良心論の位置づけを問題にしてみた い。上述したように,公刊された著作の中で良心 論と呼びうるまとまった叙述があるのは,晩年の 三著の中である。そのうちの『弁神論』の「結語」
の部分(V皿267ff.)と,『宗教論』第4論文の第2部 第4節「信仰の事柄における良心の手引きについ て」(W!85ff.)とが主題にしているのは,良心そ のものというよりも,むしろ「良心性Gewissen−
haftigkeit」である。この語には「誠実」という訳 語が当てられることもあるが,カントは多くの場 合この概念を「信仰告白における誠実さ」という 意味に解することによって,良心の自由,すなわ ち,信仰の自由の問題を論じている。カントの良 心論を考える上で,こうした側面を度外視するこ とは許されないが,しかしこれら二著においては,
良心をめぐる問題の全体像が取り上げられている
とは言い難い(9)。
これに対して『道徳形而上学』では,良心の問 題がそれとして包括的に扱われている。しかもこ
の書は,先にも述べたとおり法論と徳論から成っ ており,当初から実践哲学の体系として構想され ていた〔10)。したがって,良心論の体系的位置づけ を確定するにあたって最も重要なのがこの『道徳
4
福島大学教育学部論集第70号形而上学』だと言えよう。
まず『道徳形而上学』の構成について見ておく ことにしよう。《表2》に『道徳形而上学』の概 観を示しておいた。
〈表2》『道徳形而上学』概観
1「法論の形而上学的原理」
2 「徳論の形而上学的原理」
2過 徳論への序論 2−1 倫理学原理論
2−r1 自己自身に対する義務について 2−1−1−1 自己自身に対する完全義務について 2−1−1−2 自己自身に対する不完全義務について 2−1ぞ 他人に対する徳義務について
2−2 倫理学方法論 2−2−1 倫理学教授論 2−2−2 倫理学修行論
『道徳形而上学』の中では良心論と呼べるよう な箇所が2ヶ所出てくる。それらはいずれも徳論 の中に置かれている。
そのうち1つは「徳論への序論」の第皿節「義 務概念一般に対する心性の受容性の予備概念」で ある。ここでは道徳感情,人間愛,自己に対する 尊敬の感情と並んで,良心も,万人が根源的に自 分の内にそなえている自然的感性的素質であると いうことが論じられている。この箇所は良心概念 が多く使われているが,アカデミー版全集で1ペ ージ強くらいと論述内容はそれほど多くはない。
もう1ヶ所は,徳論の本論「倫理学原理論」の 中にある「自己自身を裁く生得の裁判官としての 自己自身に対する人間の義務について」という節 である。次節で見るように,公刊された著作の中 ではここが最も包括的かつ内容豊かな良心論を提 供している。そしてこの節は,徳論の中でもきわ めて興味深い位置に配置されているのである。
《表2》からわかるように,倫理学原理論は,
2章から成っていて,自己自身に対する義務と他 人に対する義務に分けられている。自己自身に対 する義務はさらに2つに分かれ,自己自身に対す
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る完全義務と不完全義務を含んでいる。このよう な義務の区分は『道徳形而上学基礎づけ』(以下『基 礎づけ』と略記)以来のカント得意の分類である。
完全義務とは守って当然の義務であり,これに違 反すると罰せられる。これに対して不完全義務は
「功績的義務」とも呼ばれるように,これを果た すと功績とみなされ賞賛されるのであり,たとえ それを果たすことができなかったとしてもただち に罪とはならず,たんに道徳的無価値とみなされ るだけの義務である。『基礎づけ』ではカントは義 務を,自己自身に対する完全義務,他人に対する 完全義務,自己自身に対する不完全義務,他人に 対する不完全義務の4つに区分していた。
これに対して『道徳形而上学』「徳論」では,ま ず24−Hで自己自身に対する完全義務が論じら れる。そこでは,自殺,性の濫用,飲食物・嗜好 品の濫用,虚言,貪欲,卑屈といった6つの悪徳 に関する禁止が論じられる。次に,2−1−1−2で自己 自身に対する不完全義務が論じられ,自らの自然 的能力の完成と道徳的完成とを目指して努力する ことが論じられる。自己自身に対する義務はやは りこのように完全義務と不完全義務とに分けられ ているわけである。一方,他人に対する義務の方 にはそうした区別はない。2−1老は「他人に対する 徳義務Tugendpflichtenについて」と題されてい
るだけで,その下位区分としての完全義務や不完 全義務という標題の節は含まれていない。ただし,
ここで中心的に論じられるのは他人に対する援助 義務(愛の義務)であり,これはカントによれば 不完全義務にほかならない。すなわち,2−1−2では 完全義務は扱われず,他人に対する不完全義務だ
けが論じられるのである㈹。したがって,徳論全 体を見渡してみた場合に,他人に対する完全義務
は取り上げられていないことになる。他人に対す る完全義務はどうなったのだろうか。カント自身 が直接明言しているわけではないが,徳論ではな く,第1部の法論が全体として他人に対する完全 義務を取り扱っているのだと考えるのが最も妥当 な解釈であろう。
さて良心論がこの中でどこに位置づけられてい
るかというと,自己自身に対する完全義務の章の 末尾に付録的な節が3つ付されており,その内の 最初の節が,上述した「自己自身を裁く生得の裁 判官としての自己自身に対する人間の義務につい て」の節なのである。つまり2−1−1−1と2−1−1−2の 間に良心論は置かれているわけである。徳論の中 だけで考えた場合,この位置はやけに中途半端で あるように思えるかもしれない。そもそも良心と は自己自身に対する義務にしかかかわらないの か,またたとえそうだとしてもなぜその中の最初
とか最後ではなくして完全義務と不完全義務の中 間に置かれるのかといった疑問が生じてもおかし
くないであろう。
ちなみに『倫理学講義録』では,良心論は自己 義務の始めの方に置かれていた働。およそバウム ガルテンに依拠していたと推定される『倫理学講 義録』の目次と比べてみるなら,『道徳形而上学』
の構成はひじょうにカント独自のものであること が感じられるし,『基礎づけ』におけるカント自身 の4つの義務の配列と比べても工夫が感じられ る。その意味で良心論の位置づけについても,一 見不自然な位置のように見えるが,実は相当考え 抜かれていると言えるのである。
つまり徳論だけでなく『道徳形而上学』全体で 見た場合,法論で他人に対する完全義務が扱われ,
徳論で自己自身に対する完全義務が扱われた後で 良心論が登場するわけで,全体として完全義務と 不完全義務の間,完全義務の末尾に良心論が位置 づけられていることになる。しかも法論自身は外 的行為の正・不正のみを扱うのだから,人間の内 面的な問題としての良心を直接に問題とすること はなく,その意味で良心論はあくまでも徳論の中 に位置づけられなければならないのだが,良心が 働くのは自己義務と他者義務とを問わず,完全義 務に関する違反,つまり悪徳ないし不正が行われ ようとしているときである。このように考えると むしろ『道徳形而上学』の構成は良心論の正確な 位置づけを確定するために練り上げられたかのよ うでもある。前節で見たような良心と悪との関連 を顧慮するならば,カントにとって良心論はまさ
にここに,つまり他者義務も自己義務も含めた,
完全義務の後ろに,そして不完全義務よりも前に 置かれなければならなかったのである。
4.神へと至るもう一つの道
以上のような体系的位置づけを踏まえた上で,
そこでの良心論の内容を見ていくことにしよう。
この節で展開される良心論は,実はカントの良心 をめぐる様々な発言の中でも,きわめて特異なも のであると言うことができる。段落ごとにその流 れを追ってみよう。
まず,①「人間の内なる法廷の意識が良心であ る」という定義が述べられ,②「すべての人間は良 心をもっている」,内なる裁判官から逃れることは できない,③良心の法廷の裁判官は,被告として の自分とは異なる,他の人格(観念的人格)とし て考えられねばならない,と続く。この第③段落 には注が付されていて,英知人と現象人という二 重の自己を想定することによって,他の人格によ る裁きという問題を解決しようとしている。とこ ろがここから話は一転して,④「このような観念的 人格(権威ある良心の裁判官)」は,「衷心照覧者 HerzenskOndiger」であり,「万人を義務づける者」
であり,「(天上と地上における)一切の力を持つ 者」でなくてはならず,それゆえ「神」であると 断言される。そして「良心は,己の所為に関して 神の前で果されるべき責任の主観的原理である」
という新たな定義が下されるのである。そして,
⑤以上は神の実在の客観的証明ではなく,宗教と は「自分のあらゆる義務を神の命令として判定す る」という実践的・主観的原理であり,「良心性(そ れはまたreligioとも呼ばれる)」は「我々自身とは 区別されるがしかし我々に最も親密に存在する神 聖な存在者(道徳的立法的理性)に対して責任を 負うこと」であると宣言される。この後は良心の 法廷の進行が簡単に論じられる。⑥まず行為前に は「警告する良心」が発言し,⑦行為が為されて しまうと原告による告発と弁護人による弁護が行 われ,⑧最後に無罪放免か有罪かの判決が下され
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る。この判決は何か報酬を与えるという積極的性 格のものではない,という注意が付される。
議論の流れは以上である。特に第④,第⑤段落 は,慎重な物言いになってはいるが,良心の裁判 官は神であるとしか考えられないような議論の進 み具合になっている。『倫理学講義録』において良 心は「神的法廷の代理人」であると言われたり,
『宗教論』では「私の内なる神的な裁判官」と言 われたりしているが,いずれも比喩的な表現にと
どまっており,それに比べて『道徳形而上学』の この箇所ではカントは良心を積極的に「神」に結 びつけている。
「我々のすべての義務を神の命令とみなすこ.と」
というのは,『純粋理性批判』以来のカントの公式 の宗教の定義である。『道徳形而上学』の結語にも あるように,神に対する義務という意味での宗教 は『道徳形而上学』の限界外にあり,さらに言え ばカント哲学の埒外にある。しかし我々の一切の 義務を神の命令とみなすことという意味での宗教 をもつことは,神に対する義務ではないにせよ,
人間の自己自身に対する義務であるというのが,
カントの宗教ないし神に関する一貫した主張で
ある。
ただし批判期,80年代のカントは,このような 意味での宗教に至る道筋として「最高善」の思想 を用意していた。特に『実践理性批判』の弁証論 において詳しく展開されているが,カントにおい て最高善とは徳と幸福の合致である。たんなる徳 だけでもたんなる幸福だけでもなく,両者が比例 的に結合することによって,あるいは,完全なる 徳(神聖性)と完全なる幸福(浄福)とが結合し て初めて最高の善を形成するというのである。道 徳法則は人間に対してこのような最高善を促進・
実現せよと命ずるわけだが,しかし有限な理性的 存在者にとっては,この世において完全なる徳を 手に入れることは不可能であり,従って徳の完成 を目指して永遠の努力を重ねられるように霊魂の 不死が要請される。またかくしてたとえ最上の徳 を手に入れたとしても,それにふさわしく幸福で ありうるかどうかは人間の力の及ぶところではな
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い。一切が思いのままになるという意味での幸福 を獲得するためには自然に依存するところが大で あるが,人間は自然の創造者ではないので,完全 なる幸福を手に入れることはできないのである。
そこで,最高善を促進せよという道徳法則の命令 と人間の有限性との間のギャップを埋めるため に,全知全能にして自然の創造主である神の現存 在が要請されるのである。カントは霊魂の不死や 神の現存在を理論的客観的に認識したり証明した
りすることはできないが,以上のように最高善に 対する実践的関心を通じてそれらの主観的要請へ
と,つまり純粋な実践的理性信仰へと至ることが できると考えていた。これはいわば善を通じて神 へと至る道である。
たしかにこの場合の神も判決を下す者である。
人間の道徳性を測り,それに見合った幸福を報酬 として与える。しかし良心法廷における神の判決 はこれとは性格を異にする。第⑧段落でも述べら れているように,良心法廷では有罪か無罪放免か の判決が下されるだけであり,有罪の場合には良 心の呵責という罰が下される。『宗教論』では,カ
ントはこれら二種類の法廷を「功績の有無につい ての法廷」と「罪責の有無についての法廷」とし て区別している(VI145f.Anm.)。後者において は,外的法廷と同様に,悪や不正が行われたか否 かが裁かれる(もちろんここでは外的法廷と異な り,自己自身に対して為された悪も取り上げられ るが)。いずれにせよここには甘い約束などない。
偽善や自己欺瞞をも許さない,人間の弱さに対す る冷徹な反省があるのみである。
そして我々は,悪や不正に近づいたとき,とり わけそれを為してしまったときに,良心という名 の我々の内心の神に出会う。そこで出会われるも のを道徳法則とか純粋実践理性と呼んでもよかっ たし,実際この節のタイトルは「自己自身を裁く 生得の裁判官としての自己自身に対する人間の義 務について」となっているように,表向きは良心 法廷の裁判官は自己自身(つまり,純粋実践理性 や英知人としての自己)であるかのようなポーズ をカントはとり続けている。むしろそうしておけ
ばカントの体系は揺らぐことなく整合性を保つこ とができただろうに,叙述の中ではカントはこれ をわざわざ「神」と呼んだ。しかも前節で見たよ うに,この良心論を一見するとひじょうに中途半 端な位置に置くという危険を冒してまで,この良 心二神の問題にこだわった。こうまでしてカント が守ろうとしたのは,善ではなく悪を介した,神 へと至るもう一つの道だったと言うことができる のではないだろうか。
5.結
び最高善を介した神の要請の議論がカントのオフ ィシャルな表の宗教論であるとすると,良心論は,
特に『道徳形而上学』徳論における良心論は,い わば裏の宗教論ということになるであろう。どち らも行き着く先は同じで,我々の一切の義務を神 の命令とみなすことという意味での宗教である。
しかしそこへと至る道は正反対で,片や善を通路 とし,しかも最高の善を通路とし,片や日常の具 体的な行為における悪や不正を通路としている。
カントが前者を公認し,後者には継子的な位置 づけしか与えなかったのは,カント哲学の性格か
らしてわかる気はするが,しかしカントの最高善 を梃子とする要請論には疑問点が多々ある側。例 えば,和辻哲郎などは,徳福一致というのはたし かに「常識的な応報観念」としてはわかるが,「[『実 践理性批判』]分析論の立場からは,実践理性の対 象が幸福を含まねばならぬということは決して出 てくる筈がない」と批判している{14)。カントは道 徳宗教を打ち立てようとした。それは,宗教や宗 派の違いを超えて,人類の普遍的な連帯を可能に するような純粋理性宗教を求めたからであった。
しかし,カントの最高善思想は,神へと至る唯一 の道として人類の普遍的な同意を勝ち得ることが できるようなものになっているだろうか。
それと比べると,良心を介した,つまり悪を介 した神への道の方が,私などにははるかに理解可 能である。つまり,徳の完成など及ぶべくもない,
それどころかふとしたはずみで悪や不正を犯して
しまう弱い存在者である私が,それを犯してしま ったまさにそのときに,自分自身の内に私を見つ め私を告発し裁く超越的な存在者を見出し,後悔 や改心を通じて,神に帰依していくという道筋は,
まったく信仰心のない私などにも十分魅力的であ り,説得的であるように思われるのである。
(2001年4月10日 受理)
・王
噂囑
カントの著作からの引用は,アカデミー版カント全 集に基づき,巻数をローマ数字,頁数をアラビア数字 で示した。訳出にあたっては各種既訳書を参考にさせ ていただいた。
(1)それぞれ2度ずつ(《表1》参照)。石川文康は,
良心概念がカント倫理学にとってたんに傍系の付 加的な概念であるのではなく,カント倫理学はまさ に良心をその中心的テーマとしていたと論じてい る(石川文康『カント第三の思考 法廷モデルと無 限判断』名古屋大学出版会,1996年,第4章,参照)。
大変示唆に富む論文であるが,カントの講義録にお ける発言と公刊された著作における発言とを同等 に取り扱っているという方法論に対しては異を唱 えておきたい。ただし本稿においてはその問題につ いて論じることはできない。
(2)それらの講義には「道徳哲学」や「哲学的道徳学」
など様々なタイトルが与えられているが(Vg1.X〕㎝),
ここではメンツァーに倣って一括して「倫理学講 義」と呼んでおくことにする(Vg1.Menzer,Pau1
(hrsg.),Eガn8 γoκ8s㍑ 9κ zn孟ε 廊わ召r E∫hf々,Pan
Verlag,1924.)。なお,講義録の年代確定については 以下を参照。Lehmam,Gerhard, ZurAnalysedes Gewissens in Kants Vorlesungen Uber Mora1−
philosophie , in ders, κα箆孟s T㍑9θη4θn, ノV2記2
B8緬98z㍑rGε∫6hioh∫8観ゴ∫漉吻ε観io冗砂
Phπosoヵh∫εκαn∫∫,Walter de Gruyter,1980,S.
27ff.
(3)例えば,良心の働きを司るのは人間の心性のどの 能力なのか。感性か,広義の理性か。後者だとした
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場合,悟性,判断力,理性のうちのいずれなのか。
またカントは良心を「人間の内なる法廷の意識」と して定義するわけだが,法廷では被告・原告・弁護 人・裁判官という四者関係が成り立つのに対し,こ れを哲学的に説明しようとするとき,カントは得意 の,英知人と現象人という二者関係を用いることも あれば,またそれと同時に悟性・判断力・理性とい う認識能力の三分法を用いたりもする。こうした説 明相互の整合性はどうなっているのか。さらに,良 心法廷における裁判官は誰なのか,良心をもつこと は義務なのか否か,良心は誤るのか誤らないのか,
など枚挙に邉がない。これらの問題を包括的に扱っ た研究として以下のものを挙げることができる。三 渡幸雄「カントにおける良心の問題」(京都女子大学 人文社会学会「人文論叢』37号,1989年)。
(4)中村正雄『良心の自由 一倫理学的考察一』,
晃洋書房,1994年,124頁。『岩波哲学・思想事典」
や『平凡社哲学事典』にも同様の記述がある。その さい前者では「やましい良心(bad conscience)」,
「やましくない良心(good conscience)」,後者では 「良心のやましさ(dasb6seGewissen)」,「良心に やましくないこと(dasguteGewissen)」という訳 語が使われている。なお中村自身は,「善いとする良 心」を本来的良心として捉え直そうとしている。
(5)例えば,吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩 波文庫,1982年,240頁以下,参照。
(6)各論文のタイトルは,第1論文「善の原理となら んで悪の原理が内在することについて,ないしは,
人間本性のうちにある根本悪について」,第2論文 「人間の支配をめぐる善の原理と悪の原理の戦い について」,第3論文「悪の原理に対する善の原理の 勝利と地上における神の国の建設」,第4論文「善の 原理の支配下における奉仕と偽奉仕について,もし くは,宗教と僧職制について」である。
(7)法論と徳論がそれぞれ何を問題にしているかと いう点に関しては,以下の2本の拙論を参照。「カン ト『道徳形而上学』の区分の原理」(法政大学大学院 人文科学研究科『哲学年誌」21号,1990年),「法と 倫理の臨界」(法政大学大学院人文科学研究科『哲学 年誌』24号,1993年)。
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(8)それぞれ『判断力批判』以前と以後で使用頻度を 比べてみると,b6se(含B6se)76:357,unrecht 27:109,Laster20:84と,いずれも80%以上が「判 断力批判』の後に用いられている。
(9)良心性,ならびに良心論の宗教的意義について は,上掲の三渡論文が詳しく論じている。なお,『倫 理学講義録』の段階から,『弁神論』や『宗教論』で の議論を経て,『道徳形而上学』での最終的な良心論 に至る生成の過程を辿ることが可能であると思わ れるが,この点に関しては別稿に譲ることにしたい。
Vg1.HeubUlt,Willem,Z)fεGε跳sεnsZεhr2κ朋云s 加 ∫hz召プEηのらηη ∂on lZ97,Bouvier Verlag,
1980.
⑳ 『道徳形而上学基礎づけ』においてもその旨は明 記されていたが(IV391f.),構想の出発点はさらに 以前に遡る。ただし法論をも含み込んだ形での体系 化の構想が固まったのは90年代に入ってからだと 推定される。上掲拙論,「カント『道徳形而上学』の 区分の原理」参照。
(m ただしここには若干留意すべき問題がある。正確 に言うならば,2−1−2は愛の義務と尊敬の義務から 成っている。この後者は「たんに消極的」な義務で あり,「法義務に類似しており」,「愛の義務に比べる とより狭い義務」であると言われている(VI449f.)。
こうした表現は,尊敬の義務が完全義務であるかの ような印象を与えるが,しかしカントはこのように 言う場合もひじょうに注意深く言葉を選んでおり,
けっして尊敬の義務が完全義務であるという言い 方はしない。もしもそのように考えていたのであれ ば,第1章の自己自身に対する義務と同じように,
はっきりと完全義務と不完全義務に区分するとい う方途を選んだであろう。
(12)メンツァー編の『倫理学講義録』の目次に従うな らば,第2部「倫理学」の中の,第1節から10節ま では宗教義務,第11節から27節までは自己義務,第 28節から42節までは他者義務,第43から48節までが 人間以外にたいする義務や人間の状態による義務 等を扱っている。この中で良心論は第13節に置かれ ている(VgLMenzer,Pau1(hrsg.),a.a.0.)。この 位置づけはコリンス記やムロンゴヴィウス記の講
義録でも同じである(Vg1、X〕㎝237ff.,1395ff.)。
α3)特に英米系の研究者より出された異論に関して は,拙論「カントの『最高善』思想」(法政大学大学 院『法政大学大学院紀要』21号,1988年)を参照。
αの 和辻哲郎『実践理性批判』岩波書店,1935年,
157頁。
付記 本論文は,東北哲学会第44回大会(於・福島大 学,1994.10.22.)における発表「カントの良心論 一神へと至るもう一つの道一」の一部を基に 加筆修正して成ったものである。
10 福島大学教育学部論集第70号 2001年6月
APositionofKanゼsTheoryofConscience
in his System of Practical Philosophy Another Way to God
Masao ONOHARA
Conscience is not a central concept of Kant s ethics.There is a theory of conscience in his L80劾名2s oηE孟hゴos in1770−91. But in h量s published works,there are less references to it,and interestingly just short of90%of them are found in his works which were written in1790}s(after κn 搬4θ7U吻fZs勧瞬).That s because conscience is a concept which is concemed with religion and evil,and it was in1790 s that Kant began to talk about them officially and systematicaHy.
In this connection,Kant gives his theory of conscience a strange position in〃ααρ勿s漉ゴ8プ S魏θn,which is his system of practical philosophy.But this paper will show that the position of it is the very one that should be given to it properly.And the theory of conscience in〃「ε∫勿hッs魏 4召7S癖2ηhas such a strange character that it insists the judge of conscience court is God himself.
This claim about God and religion is different from his official theory of religion which is comected with his theory of the highest good. Kanゼs theory of religion connected with his theory of conscience is not the official one,but it provides another way to God,not through the good,but through the evil、