() 第 27 号 2007 弘 学 時 報 (平成9)年6月1日 ㈮
学長
𠮷 岡 利 忠
後援会、交友会、卒業生、大学在学生そして教職員の皆さんにおかれましては年度初めでお忙しい毎日をお過ごしのことと存じます。皆さま方のお仕事が滞りないことをご祈念し、また、弘前学院の理事、評議員、監事の皆さまの重責には日頃深謝申し上げております。 さて、4月4日(水)のその日は雪が舞ったり止んだりの一
学校法人弘前学院 理事長・学院長
阿 保 邦 弘
本多庸一の
「
私の回心」(
英文演説から)
本文の続きを紹介する。 『そのときキリストは私の唯一の逃れ場所でありました。(
中略)
そこに力がわき、勇気と平安がありました。すべての恐怖と心のわずらいは消え去りま第 27 号
(年に4回発行)
編集発行 弘 前 学 院 大 学 広 報 委 員 会
印 刷 所
㈲小野印刷所
日でしたが、本学体育館において厳かでかつ和やかな入学式が挙行されました。第
科は第3回、文学部は第 看護学部および大学院文学研究 が整いました。今日の入学式は、 を擁する総合大学としての体制 学部、4学科、2大学院研究科 弘前学院大学は数年前より3 す。 式辞の一部をご紹介いたしま 学時報」の紙面を借りまして、
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号の「弘ださい。教職員も出席しており北にあっては、これに基づいた スト教の精神にあります。北東には、是非、礼拝に参加してく 拝があります。新入生の皆さん教育の背景を流れる姿勢はキリ イプオルガンの響く礼拝堂で礼 弘前学院は、申すまでもなく れたステンドグラスが輝き、パになります。 りですが、約100年前に作ら祉学研究科は第5回ということ 社会福祉学部は第9回、社会福毎週木曜日の午前の一時間ばか
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ります。この建学の精神の基に、回、 を迎え、卒業生も送り出してお 学の精神として、多くの入学生 「神を畏れ、人を愛する」を建 のです。「畏神愛人」、すなわち 邦弘理事長学院長の筆によるも の額が飾られております。阿保 口ピロティーには、「畏神愛人」 号館、5号館、6号館の入り 思いますが、弘前学院大学の1 皆さまには既にお気づきだと ます。 をとおしてご存知のことと思い れ、各報道機関、弘学時報など に創立120記念式典が挙行さ 一昨年には、大々的しかも厳か る唯一の教育機関であります。 み、同時に伝統を積み重ねてい 教育が120年以上の歴史を刻儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉儉
した。
(
後略)
』後略の部分は、日露戦争の時局にわたる事なので省略する。「わたしの回心」は彼の入信時における事情や動機などについてよくまとまった内容を持つものであり、貴重な資料である。なお、ここからは本多庸一の生涯と人物を青山学院出版「本多庸一」・教文館発行「植村正久と其の時代」を中心に概観する。生い立ち 一、家系 本多庸一は、一八四八年
(
嘉永元)
十二月十三日、津軽藩弘前城下の在府町に出生した。今日の在府町、独立行政法人弘前 大学医学部の正門前に位置する。幼名徳蔵。父は本多八郎左衛門久元。三百石の藩士であった。 本多家の家系は三河武士深津兵衛親久にさかのぼる。親久は三河の本多家の出で、これは徳川家中に有名な本多家との関係を思わせる。(
本多家の家紋は丸に立ち葵)
彼は家康の臣として江戸に移り、その養女満天姫の津軽家への輿入れに際して、これを奉じて弘前に至る大任を果たすとともに、とどまって津軽藩士となった。その後、この家系は三河武士の血統から純然たる津軽武士となり、深津を改め、旧姓本多に復している。 親久から数えて九代の孫に本多東作久貞がある。東作久貞は津軽家十代信順のもとにあって町奉行となって良政をおこな い、十一代順承のもとに御用人として幕末の困難な変動期を、次の承昭の代にわたる二十六年間、藩政の中心人物として活躍した。悠々迫らぬ大身武士の風格と、新時代に即応して藩政を改革する進歩的見識とをかねそなえ藩学稽古館に蘭学所を設けたり、西洋兵術の輸入につとめ洋砲採用を断行したりした。 この東作の娘とも子に別家本多家から迎えた養子が八郎左衛門久元であり、その間に三男四女が生まれた。この長男が徳蔵のちの本多庸一である。徳蔵には三人の姉、さだ、ため、なつ、があり、次弟斎(いつき)、妹しな、末弟武雄があった。斎は、のちに日本メソジスト教会の牧師となった。末弟武雄は津軽藩の重鎮西舘弧清の養子となり、東奥義塾塾長、大館中学校校長、 その他を歴任、教育界に活躍した人物であった。 二、幼年時代 徳蔵は幼くして聡明であった。満五歳の春、父から孝経を学び始め七歳の頃藩校稽古館の教師について漢籍の素読を学び、稽古館に入学した満十歳のときまでに大学・中庸・論語・孟子・礼記等(儒学の枢要の書)の素読コースをマスターしたという。 徳蔵が稽古館に入った一八五九年(安政六)、母とも子は病没し、父は翌年、同藩士豊島九十郎の娘いろ子と再婚した。満十一歳にして継母を迎えた長男徳蔵は、この継母にも良くつかえ、その後、こと、りつ、まさ、末四郎の異母弟妹をも加える一家の中心として、まとめていった。弟妹はその寛大と同 情を深く尊敬し、父も家庭のことはたいてい徳蔵に任せていたという。 稽古館における徳蔵は優秀な学生であった。十二歳の秋には早くも特選で会読席(上級)に進んだ。十三歳からは稽古館での学問とともに小野派一刀流の剣術を学び、さらに翌年からは馬術・砲術の修業にも励んだ。このような徳蔵の修業経験は当時の藩中におけるエリート・コースの過程であって、このことは、そのように生まれそのように形成された彼の一生を通じての行動・思考様式の決定と深く関係していることとして記憶にとどめたい。 一八六四年(元冶元)徳蔵十五歳の正月、彼を深く愛しその前途に絶大な期待を寄せていた祖父東作が世を去った。折か ら、父久元は藩主に従い京都に勤務中であった。看病から祖父亡き後の家中の大黒柱としての一切が徳蔵の肩にかかったのであった。徳蔵は、剛毅不屈の傑物として藩に重きをなしたこの祖父から、その資質において最も多くを受け継ぎ、祖父もまた、己に似たこの初孫を愛し、その優れた才能を認識して前途を嘱望していた。「古武士のような風貌を通して、学生に質実剛健と博愛を鼓吹」した青山学院長本多庸一の姿、「人もし事変に逢はば卒然(かるはずみなさま)之に赴かず、まず安座して一考するの余裕なかるべからず」という祖父の遺訓を終生のモットーとしていた彼の人格形成には、その祖父の影響感化が決定的であったと考えられる。 (以下次号) ます。牧師さん、理事長、大学教員、私もそうですが、毎回の礼拝では講師になってさまざまな人生論、体験談、貴重な講話があります。これからの大学生活を送るにあたって必ずや有意義なものになると思います。 さて、弘前学院大学の一員となられました皆さまには、今日この良き日に大学のエンブレムバッジをお配りしました。私どもからのささやかなプレゼントです。まったく同じバッジを教職員も持っております。そのバッチの色がスクールカラーです。弘前学院大学にいる私たちは、全て学生も教職員も同じ仲 間であるということを意識して作りました。この何とも言えない上品なバッジを所望したい弘前学院関係者は、是非、お申し出下さい。お分けします。 皆さんには、今日からの4年間あるいは2年間を、優秀な教員によって、多くの専門的でありかつ良質な教育を受けることになります。しかし、単なる教育ではありません。教員においては、常に学生主体の教育や研究指導を考え、いつでもどこでも皆さんからの要望、疑問などを受け、少数教育を念頭に置き、皆さんと一人ひとりと同じ目線で議論し合い、受動的ではなしに能動的に進めるという、いわゆる問題解決型の教育を進めようとしています。問題解決型の教育こそ、将来、社会に出て行くときに必要な姿勢です。 また、弘前学院大学では積極的に国際交流を進めており、二年前の四月に米国ウイスコンシン州のウイスコンシン大学と姉妹校を締結し両校学生の交流が続いています。それぞれの大学で単位取魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚魚
得が出来るようになっております。ヴァージニア州シュナンドーア大学、イリノイ州ノースセントラル大学へは、弘前学院大学学生による海外研修、短期留学が継続しております。このような国際交流については、時々、テレビ、新聞などで報道されました。国際的感覚を身につけるための行事であり、皆さんにも積極的に参加して欲しいと思います。 私たちは、皆さんが、将来、社会活動に即応できるような環境設定の構築に努力しております。皆さんの健康管理、こころの悩み、さまざまな心配事に対しても、適切に対処する体制も充実してきています。安心して、毎日を過ごして下さい。因みに、学長室は常にドアをオープンにしております。気軽にお出で頂き何でもご相談下さい。また、当然ながら、キャンパス内は全面禁煙です。青森県から「空気クリーン施設」のマークも頂きました。今や、公共的な場所では禁煙は当然のことですし、将来、就職する際の一つの条件にもなります。このようなクリーンな環境の中で心に残るキャンパスライフを経験し、部活や毎日の運動による体力つくりにも精を出し、そして何でも話し合える素晴らしい友人も得て欲しいものです。 文学部学生、社会福祉学部学 生、看護学部学生そして大学院生の皆さんは、それぞれ専門性の高い教育や実習を受けます。もちろん、その道のスペシャリストにならなければなりませんが、社会で活動していくためには人間どうしの係わり合いが必要になります。それには、先ず人としてのこころや感性、からだのこともそうでしょう、これらのことについてゆっくり思い巡らすことが必要でしょう。その場の雰囲気を感じ取り、自然体でその状況に溶け込んで行く、これが大切です。学生生活を送るにあたり、勉学ばかりではなく、最も大切な感性、態度、こころを育んでください。いずれ人と人とのコミュニケーションの場である社会に飛び立つ者としての姿勢が形作られます。 昨今の大学を取り巻く環境は大変に厳しいものがあります。これまで、大学は大学の中だけで、言い換えれば閉鎖された環境の中で、教育、研究、大学運営をしてまいりました。はたしてそれが高等教育機関として妥当なものかどうか疑いを持ちます。ご承知のことと思いますが、大学は公的機関や周囲の方々によって厳しく評価されます。大学も教職員一人ひとりも自己を見つめなおし、それを評価して、改良の余地あるところは改善し、良い点を伸ばしていかなければなりません。大学は、 第三者機関により点検・評価されることが法律で義務化されました。今年3月に、弘前学院大学は、財団法人大学基準協会の加盟判定審査の結果、大学基準に適合しているという認証評価を受けました。大学の教育、研究、財政など全てに対する評価です。このことは、とりもなおさず文部科学省から大学基準認証を頂いたことを意味するものであります。全国でこのような評価を受けた大学はまだまだ少ないようです。もちろん今後とも大学の自己点検・評価は続きます。新入生の皆さま、保護者の皆さま、関係者の皆さま、どうぞ、弘前学院大学は公的に認証された大学であり、そこで学びかつ学生生活を送ることに誇りを持ち進んで行って欲しいと思います。 以上が少し修正加筆した式辞です。4月2日(月)には全教職員集会が礼拝堂でありました。理事長、学長の本年度の所信表明ともいうべきものです。特に、学長からは学生を主体とした大学教育の充実、積極的な外部資金獲得などについて述べ、本年度も続けて大学の自己点検自己評価に対して真摯な姿勢で臨むように、かつ、質の高い高等教育機関として継続発展することが私ども私立大学の使命であることを訴えました。その結果、希望に燃える入学生を受け入れ、教育に満足する在学生、そして限りない能力を秘めた卒業生を送り出すことができるようになりましょう。 大学のキャンパスには、新しい校舎や古いもの建造物が散在しますが、それぞれに思いでもあるものでしょう。どうぞ、「弘学時報」を手に取り発展しつつある私どもの弘前学院大学へ足をお運び下さい。
桜と宣教師館
2 0 0 7 年 入 学 式
() 第 7 号 007 弘 学 時 報
(平成19)年6月1日 ㈮
宗教教育の事始めは、文字の習得であった。例えば、仏教の原典は、サンスクリット語である。この文字を学ばねばお経は読めない。しかし、仏教は中国を経由して渡来したので経文 は、漢語で書かれている。僧侶は漢文を習得せねばならなかった。儒教の論語も漢語である。学問は、漢文を読み書きすることであった。この事情は、江戸時代の庶民の子弟教育まで継続されてきたのである。キリスト教はどうだろう。旧約聖書はヘブライ語で書かれている。ヘブライ人の言語を習得せねばならない。ギリシャ人が支配する時代になると、新約聖書はギリシャ語で書かれた。この言葉を 習得せねば、専門家は原典を読むことはできない。ローマ帝国時代になると、ラテン語に翻訳された。宗教改革後、聖書は民族の母国語に訳された。しかし、問題は、内容が変容するのである。例えば、「神」という用語である。ヘブライ語は「ヤーウエ」で「天地の創造者」、唯一神である。ギリシャ語は「セオス」、ラテン語は「デウス」、英語は「ゴッド」であって、唯一神ではない。我々日本人は、「神」という言葉から如何なる形態の神を連想するのだろうか。「八百万の神」(ヤオヨロズ)という表現がある。
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キリスト教教育について
宗教主任
中澤實郎
社会福祉学研究科においては、これまで総勢
ある女医さん、短期大学講師、慮しておりました。結局、適していて、いまや院生のみな ならず、授業計画づくりに苦士済々で、ご高齢の内科医でる人間福祉学探求の内容をな 院生の皆さんは、これまた多う事情とも取り組まなければ学院開設当初からの目標であ 現在、研究科に在籍している京都などからの遠隔通学といの保育論などは、いずれも大 でしょう。大学としては、仙台、が修士号を授与されました。学の体系化の試み、野口教授
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名の方々ではなく、至難の業と言える方法論、齋籐教授の福祉心理 学業を達成することは並大抵学、工藤教授の社会科学研究 お勤めを続けながら2年間の伊藤教授の教育と福祉の人間 うち社会人学生は3名ですが、インクルージョン論の展開、 都府1名、青森県1名です。授の人生福祉学、八卷教授の 宮城県2名、岩手県2名、京ト教社会福祉の神学、杉本教 成になっています。出身地は、あります。中澤教授のキリス らの一般学生が3名という構る研究活動も軌道に乗りつつ 幼稚園の園長先生と、学部か 大学院の人間福祉学に関す 次第です。 を満たす目途がついたような ることで、なんとか修了要件大学院は多士済々
宜授業の集中方式を取り入れ社会福祉研究科長
齋籐 繁
今年度の文学部入学生は
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名、文学研究科の入学生は1名でした。文学研究科を除き、例年にない学生増で、少子化と文学部冬の時代にあって、まことに喜びに堪えません。 この成果は、教職員が通常業務に努めてきた賜物です。その通常業務とは、教員による、①丁寧な授業の励行、②学生指導の徹底化、③専門の研究の励行、④専門を生かした社会活動の励 行、そして⑤入試広報センターを中心とした職員による、実意・熱意ある仕事です。 今年の活気を上回るためには、さらにこの通常業務に努め、また理想の文学部・文学研究科を追求しなければなりません。 そのためにも、文学部のアドミッションポリシーを次のように掲げます。 「英語圏あるいは日本や地域の言葉、文学、文化に強い関心を持ち、それらを学ぶことを通して人間の営みについて考えを深め、鋭い感受性、柔軟な思考力、論理的な理解力を持ち、自分の言葉で明解に表現しようとする人を、文学
文学部のアドミッションポリシー
文学研究科長・文学部長
畠山 篤
「保健医療福祉」は一つの重要な専門用語ではあり、多くの人たちが目にする耳にするありふれた単語になりつつある。決して、その意味するところは「保健・医療・福祉」というように、分けて考えるべきではない。対象は我われ一人ひとりである。さまざまに悩める人たちそれぞれの一個体を対象とするべき実践的学問であるとも言える。個々を取り巻く環境問題も当然その対象になりうる。やりがいのある学問、それを社会福祉学部の多くの教員によって社会福祉学部学生に確実に還元されるのが本筋であろう。もちろん、教員だけが供走って僑はいけない。学生と同じ目線による相互の討論、問題解決など、すなわち医学・看護・社会福祉教育の真髄とされるところである。 弘前学院大学の社会福祉学部立ち上げは、阿保邦弘理事長学院長の並々ならぬご尽力の賜物である。もちろん藤田月衛弘前学院事務長、木村督彦大学学務課長ら事務方による設立時の仕事振りを機会あるごとに聞いている。今回、その学部長として 学長の私が兼任することになり、極めて重い責任を背負うことになった。社会福祉教育研究所長も兼任である。丁度、開学部願いしたい。 特別なるご支援を賜りたくお には、社会福祉学部に対して 「弘学時報」を手に取る皆さま 実していかなければならない。 会に乗じて社会福祉学部は充 討されている。やはりこの機 係各省庁によって前向きに検 社会福祉士制度の在り方が関 のような現状と課題をふまえ、 いという現状分析がある。こ 体系などの整備が進んでいな 会的認知度が低いとか、研修 その養成が充分でないとか、社 い実践力が付いていないとか、 祉士については依然として高 資格取得可能である。社会福 別支援学校教員(準備中)の 神保健福祉士の受験資格、特 国家資格である社会福祉士、精 つかの教諭免許、そのほかに さて、本学部卒業ではいく 策を考えている。 教員とともに真剣にその対応 ければならない。社会福祉学部 人材をよどみなく送り出さな 県を含めた東北地方に必要な 分だとは決して言えない。青森 境、社会福祉行政においても充 ない。県民衛生の動向、生活環 依然としてワーストの域をで 三大疾患、自殺などの死亡率は 新生物、脳血管疾患、心疾患の 平均寿命・余命のみならず悪性 民の医療情勢をとってみても、 くなっているというが、青森県 て社会福祉学部学生数は少な とであろう。全国的な傾向とし う現実的な問題に対処するこ 学生数がその後減少するとい 学部当初、定員を満たしていた けなければならないことは、開 学部長として最初に手を付 きそうである。 育、学部運営に当たることがで スタッフの協力を得て学生の教 を拭えないが、幸いにも優秀な を継続して維持できるのか不安 され、果たして私ごときが学部 雄先生が指導力を遺憾なく発揮 これまでの学部運営には前田敏
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年目を迎える節目である。開 学部
10 年目を迎える
社会福祉学部 社会福祉学部長兼学長
吉岡 利忠
新設の看護学部も今年で3年目を迎え、いよいよこれから、臨床実習が始まる時期に来ています。 臨床実習は、看護教育の重要な位置を占め、どの大学でも全教育期間の四分の一に相当する時間を割いています。本学でも3年後期から4年前期の一年間が臨床実習に当てられ、学生がこの期間に、成人、老年、母性、小児、精神、地域の各施設で実習することになっています。 この時期の課題は、如何によい体験をして、看護に必要な能力を身につけていくかに置かれています。換言すれば、これまでに学習してきたことを、個々の看護場面や患者に当てはめ、適切なケアをする能力を如何に身につけるかということです。 このためには、学生の積極的な姿勢に加えて、適切な臨床の場ときめ細かな臨床指導体制が必要なことはいうまで もありません。 臨床の場は教室と違って、絶えず変化する動的な場です。いろいろな職種の専門家が入れ替わり立ち替り出入りし、患者の状態も絶えず変化します。そこで見聞きされる病態には、これまで学習してきた知識では理解できないものも沢山あります。 そんな中に身を置き、それぞれの状況にあったケアを導き出す作業は学生にとっては容易なことではありません。 このため、実習の始めには、医療の場のこのような状況に圧倒され、手も足も出ない学生や健康すら維持できない学生が出ることさえあります。しかし、そうした中で、殆どの学生は、先輩や同僚、あるいは指導者の励ましを受けて、次第に自信を深め、そこから抜け出し、看護に必要な能力を身につけていくようになります。 こうした点を考えると、看護学部のこれからの一年は、学生がこれまでの知識を統合し、看護に必要な能力を如何に身につけられるようになるかに腐心し支援することにあるということができよう。
三年目を迎えた看護学部
看護学部長
神郡 博
2004年以降、すべての大学、短大、高等専門学校は、国の認証評価機関による評価を受けることが法律によって義務付けられました。 本学では、これまでの自己点検・評価を土台に、2006年4月、大学基準協会に認証評価を申請しました。
認証マークが交付されまし との評価を受け、会員章と 協会の正会員に認定」する 年3月、「大学基準に適合し、
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月の実地視察を経て、本 (文責 総務課) 結果公表の予定です。 年の申請、2011年3月、 次回認証評価は、2010 ルとなります。 れ、本学のステータスシンボ やホームページなどに使用さ た。マークは、大学の印刷物大学基準協会員に 大学基準に適合
格形成」を目指すのである。 の血となり、肉となること「人 の「こころと思想」が、その人 語がある。キリスト教は、聖書 語読みの論語知らず」という俗 と「思想」を学ぶことにある。「論 スト教教育は、聖書の「こころ」 ある。今は、状況が違う。キリ では、洗礼も行われていたので 徒であった。函館の遺愛女学校 る。勿論、教師陣はキリスト教 含めて学校教育をしたのであ ミッショナリーが宣教の目的を ン・スクールと呼称されていた。 てである。かつては、ミッショ さて、キリスト教教育についさんと一体となって、新しい福祉学構築を目指して汗を流していきたいと念願しています。ここで、紙上をお借りして学生募集のことで、お願いがあります。ぜひわたしたちの大学院の存在を、世間の人々に知って戴けるようご協力ください。要点はこうです。①講義は夜間開講をしますから、お勤めをしながら通えること、②短大または専門学校の学歴とプラス3年以上の福祉関連業務の経験があれば受験できる③年齢は問いません。ご希望の方が居られれば、ぜひ本学広報入試センターにお問い合わせ願います。
部は求めています。」 それを学科ごとに言い換えると、英語・英米文学科のアドミッションポリシーは、次のようになります。 「英語・英米文学科は英語という言葉を通して、人間を理解、研究しようとする学科です。その領域は、言語学、英米文学、英米文化の三つに分かれています。いずれの領域も、少人数による、「問題発見」のための訓練、「発表能力」の養成、徹底した「討論」等により、高度な専門的内容まで到達するよう指導しています。 英語・英米文学科では、以下のような人を求めています。①英語のコミュニケーション能力を高めたいと考える人。②日本文化以外の文化にも興味を持ち、海外留学を考えている人。③教養を身につけ、宗 教的感受性も磨き、広く世界に向かって日本文化について発信しようとする意欲にあふれる人。」 日本語・日本文学科のアドミッションポリシーは、次のようになります。 「日本語と日本文学、さらにはそれらを含む広い意味での日本文化を研究し、ともに学ぶ学科です。社会や人間の問題を根本に立ち返って考え、かつ表現する力を持つことで
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世紀の世界で活躍していける、そういう柔軟で強靱な人材を育てていくことを目標としています。もちろん、旧来の「国語学」「国語文学」の伝統も大切にしています。 日本語・日本文学科では、以下のような人を求めています。①日本を中心に東アジア、ひいては世界の言語・文学に強 い関心がある人。②強力で幅の広い日本語力によって、社会の中で専門家として活動していきたいと考える人。③地域社会の言語・伝統・民俗などに関心がある人。④日本語・日本文学・東アジア文化の研究者を目指す人。」。 文学研究科のアドミッションポリシーもまた、基本的に右の延長線上にあります。 本年度は、教員、職員、学生(院生)の理想像を明確にし、その理想にむけて大きな第一歩を踏み出さなければなりません。 tttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttttt
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() 第 27 号 2007 弘 学 時 報 (平成19)年6月1日 ㈮
吉岡学長は、2007(平成
3月
19
)年 おいて、平成20
日、ホテルオークラ東京に18
年度(第彰を受けている。 団、明治生命厚生事業団などから表 学学会功労賞、上原記念生命科学財 賞、国際健康コミュニケーション科 および奨励賞、神奈川県体育功労者 長は秩父宮記念スポーツ医・科学賞 に寄付された。これまでに、吉岡学 弘前学院創立120年記事業協賛 に対し贈呈された褒賞金の一部は る顕彰として表彰された。その業績 顕著な功績があった研究者に対す 学の研究およびこの分野の発展に を主体とする健康増進に関する科 おり、吉岡学長は、長年に亘る運動 進に関する科学の研究に助成して 学および運動を主体とする健康増 健康の維持・増進について医学・薬 を記念して設立されたものである。 正義の私財を基に創業140周年
文 学 部
団は久光製薬株式会社前会長中富 康科学振興賞を受けられた。この財19
回)中冨健英語・英米文学科長 教授
佐藤 和博
日本語・日本文学科長 教授
井上 諭一
学務主任 准教授
吉永 直子
学生主任 准教授
坂井 任
社 会 福祉 学 部
社会福祉学科長 学務主任 准教授
八戸 宏
学生主任 准教授
西東 克介
看護学科長 教授
木村 紀美
学務主任 教授
片桐 康雄
看 護 学 部
学生主任 教授
三上 聖治
○退職 (平成
18
年11
月5日付)大学看護学部 助手 泉 朱子
(平成
19
年3月31
付日)大学文学部 大学院文学研究科 教授 中村 幸弘 教授 梶木 剛
大学社会福祉学部 大学社会福祉学研究科 教授 前田 敏雄
大学看護学部 講師 東中須恵子 講師 葛西智賀子
梶木 剛 中村 幸弘
後藤 勝正
吉岡利忠学長 中冨健康科学振興 財団から表彰される 平成十 九年度 各学 科 長 ・ 各学 科 ・ 主任紹介
大学文学部 大学院文学研究科
教授 野沢 勝夫
大学社会福祉学部 講師
小川 幸裕
大学看護学部 助手
長内志津子
大学看護学部 助手
菅原 大輔
新 任 客 員教授紹介
(平成
19
年4月1日付)新 任紹介
(平成
19
年4月1日付)tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt tt
人事発令
() 第 27 号 2007 弘 学 時 報
終える必要があり、6月頃はら良いパーティーになるよう た。個人写真は前期中に撮り校生活最後のイベントだか ムに載せる写真を集めまし 後期は卒業パーティー。学 画・進行。前期は卒業アルバが残念だった。 作成と卒業パーティーの企る楽しみが無かったのでそれ 主な仕事は卒業アルバムの知っているために卒業後に見 ず苦労の連続でした。アルバムの内容をほぼすべて ました。なかなかうまく進まう達成感があった。その反面、 りして試行錯誤しながら進めと「やっと完成したな」とい を見たり学生課の方に聞いたページずつ完成したのを見る いのか解らず、前年度の資料労しましたが、アルバムの1 わせでの時まず何をすればよ 卒業アルバムの作成には苦 4年生の春、最初の打ち合た。 懐かしく楽しい想い出です。な写真を撮影して集めまし で活動していたこの1年間はんなでアルバムに載せれそう していたと思います。委員会しかなく、少なすぎるのでみ 属して活動していた時が充実が回収ボックスには数枚だけ(平成19)年6月1日
で4年の卒業関係委員会に所ことです。写真の募集をした を行いました。大学の4年間載せるスナップ写真を集める 作成、卒業パーティーの企画番苦労したことはアルバムに ンバーとして卒業アルバムのバムを作成するにあたって一 私は、卒業関係委員会のメ準備に忙しかった。卒業アル㈮
uuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu ●
● ● プリンシプルの確立 ● ●
●2007年3月卒 文学部 英語・英米文学科
高橋 直樹
2006年度の卒業生による「卒業記念パーティー」が3月17
日(土)に開催され、した。 れ、吉岡学長に手渡されま へ寄付することに決定さ バーで検討した結果、大学 した。卒業関係委員会メン
20
万円の剰余金がありま卒業記念パーティーを終えて
社会福祉学部・社会福祉学科卒
成田 知哉
に最後まで内容を検討・調整しましたが、パーティーが終わるまで緊張が続いた。パーティーの中心となる余興は学生の中から募集しましたが、お願いできる人がいなく先生方のみだったのが残念でした。余興をする人が少ないが、パーティーが盛り上がれば一人か二人は飛び入り参加してくるだろうとカラオケなどを用意してパーティーに臨みました。パーティー当日はたくさんの人がカラオケに飛び入り参加し、予想以上に盛り上がりを見せた。 残念なことはパーティーの時間が2時間と短く、途中で切り上げた点です。もう少し時間があればもっと盛り上がったと思います。パー ティー全体では予想以上に盛り上がったために学校生活最後のイベントとしてとても良かったと思います。 卒業関係委員会の活動では今までに無い経験をさせてもらいました。問題なく委員会の仕事が終わったので良かったです。月日が経つのは本当に早いもので、弘前学院大学の門をくぐってから4年の歳月が流れました。今、こうしてこの4年間を振り返ってみますと、実に様々な思い出が脳裏に去来いたします。 私は、大学生になって初めて一人暮らしというものを経験しました。弘前には身寄りもなく、当時はまだ友人もごく僅かでした。そこで大変だったのは、何でも自分で判断しなければならなかったことです。何かトラブルが発生 した時なども、自ら行動し、自らの責任で対処していかなければならなかったことは、まだ高校を卒業したばかりの私にとって、決して容易なことではありませんでした。 高校生と大学生の一番大きな違いは、何でも自分で決めるということです。何でも自分で決めるためには、確固たる自己というものが不可欠です。「プリンシプル」という言葉があります。これを辞書で引くと「原理、原則」などと書いてあります。しかし、かつて旧貿易庁長官を歴任した白洲次郎氏は、このプリンシプルの意味を「筋を通す」と言っているのです。この、筋を通すことこそ、確固たる自己を確立して生きていく重要な要素で す。時には批判を浴びることもあれば、戦わなければならないこともあります。でも、一本の筋が強固に通っていれば、そう簡単に揺るぎません。周りの人間が何を言おうと、最終的に決断するのも、そして、その責任を負うのも、自分自身なのです。 大学とは、プリンシプルを確立する場だと私は思いま
●
● ● 大学生活で得たもの ● ●
●2007年3月卒 社会福祉学部 社会福祉学科
佐藤 弥生
私の大学生活を一言で表すと、まさに供出会い僑だったと思います。大学で出会った友人は私の弘前での生活に喜びや楽しみを与えてくれまし た。辛い時や落ち込んでいる時には励まし、側にいてくれたのも友人でした。国家試験に向けて刺激し合い、辛かった受験生としての一年を乗り越えることができたのも、共に闘った友人がいたからでした。 ボランティア活動ではスペシャル・オリンピックス(SO)に参加し、アスリートやファ ●
● ● 扉 は開 かれる ● ●
●2007年3月卒 大学院文学研究科
N・S
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者にはひらかれる。」(聖書・マタイによる福音書7章7~8節) 十数年前に大学を卒業し、普通ならば、仕事に家庭に子育てにと忙しい日々を送っているであろう年齢に達していたが、それには縁遠い生活を送っている中で巡り合ったのが、大学院への入学であった。 始めのうちは、学生としてのカンを取り戻すのに精一杯で、これほどまでに社会人体質になってしまったのかと、十数年の歳月を重く実感した。 徐々に慣れた頃から、学ぶことの楽しさや、よい意味での苦しさなどを味わうようになっていた。過ぎてしまえばあっという間の2年間であっ たが、沢山のことを吸収することができ、充実した日々であった。 社会人として働きながら再び戻るには、生活の糧で、ある仕事をどうするかが一番の問題となる。しかし、ここでは、仕事環境を変えることがく学ぶことができた。社会人の受け入れを考慮し、勤務時間に合わせた時間割で開設していただいた。このような環境を整えてくださった諸先生方や大学の職員の方、学生の方の理解と協力には、本当に感謝している。 冒頭の言葉は、入学式で聞いたものだ。学びたい気持ちがあれば、この学校はいつでも門を開いている。卒業して間もない人も、暫くたった人も、現状に何かプラスを求めているのであれば、是非、この門をたたいてほしい。自分を求める何かが見つかる筈である。 4月
かりました。 音・工藤春菜さんの4名とわ 十川祐哉・岩沼 将・本間愛 びかけたところ、看護学部の があった。そこで掲示等で呼 とお礼を述べたいという電話 さがしてほしい、そして感謝 な対応をしてくれた本学生を 傍で元気付けてくれて、適切 し、救急車が来るまでずっと 人を励まし、救急車の手配を 通事故に遭い苦しんでいる婦 駅の組合マーケット付近で交
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日の昼頃、西弘前 この度、平成いただきました。5月 において研究助成金の決定を して応募したところ、審査会 る青森県を目指して~」と題 研究~誰もが安心して暮らせ システムの構築に向けた調査 状把握と、子ども・家庭支援 の三市における早期療育の現 年吉田聡恵他)が、「青森県 ループ(代表社会福祉学部4 療育研究ネットワークのグ 生を中心とする発達障害早期 デア募集に、本学の船木ゼミ 来をつくる波をおこせ!アイ り県民政策研究(学生枠)未
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年度あおも青森国際ホテルにて行われ、 (月)、交付決定通知伝達式が
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日あおもり県民政策研究を獲得!
本学生の研究成果が、青森県の地域づくりに活かされます。 ミリーに出会いました。また、SOという活動そのものも貴重な出会いとなりました。 SOを通して、自分に何ができるのか、何をするべきなのかを考えて行動するようになりました・そして、私の障がいに対する考え方やボランティアをする意識に大きな変化を与えたのもSOでした。スポーツを通して触れ合っている時間、仲間を共によりよく活動できるようにと考え合った時間は大きな財産となりました。ひとつの活動にこれ程熱くなることができ、その一員として参加できたことを嬉しく思います。 4年生のゼミでは信頼できる先生とかけがえのない7人の仲間に出会いました。同じ文章を読み、それぞれの考えや意見を交換し合ったことは
交通事故に遭った婦人から 感謝の電話 !
す。現代は、価値観の多様化が無制限であり、何をするにも判断することの難しさを痛感せざるを得ません。このような時代だからこそ、個々の生き方が問われるのです。在学生の皆様には、この4年間で自分自身を深く見つめ、自らのプリンシプルを確立していただきたいと思います。ttttttttttttttttttttttttttttttt
学長から、卒業生の皆様に対し、「思いがけない沢山の寄付をいただき、感謝を申し上げるとともに、後輩の学生のために有効に活用したい」と、お礼を述べられた。 この寄付金は120周年記念事業へ寄付することになりました。 様々な視点が存在することや自分にはなかった視点を知ることができたとても良い経験だったと思います。同じ目標に向かう友として、お互いを励ましあう仲間として出会えとこと、このような機会を与えてくださった先生にはとても感謝しています。 この4年間で多くの人と出会い、多くの時間を共有したことで人とのつながりの大切さを知りました。その中で信頼すること、信頼されることの素晴しさを知り、自分のあり方を考えるようになりました。供出会い僑は人を成長させます。在学生の皆さんも多くの人・ものと出会い、つながりを大切にしていってください。そして、自分自身を磨いていってください。
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