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asoshiashion eno jiyu : kyowakoku no ronri

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論文概要書 『アソシアシオンへの自由 〈共和国〉の論理』 高村 学人 0. 論文の成立ち 本論文『アソシアシオンへの自由 〈共和国〉の論理』(勁草書房2007年2月刊行)は、 学位申請者が大学院進学以来、取り組んできたテーマである近代フランスにおける中間団 体の法的位置づけの特徴に関して、アクセスしうるあらゆる史料を現地で徹底的に蒐集し、 それらを総体として分析することで、法社会学の視点から理論的な説明を与えたものであ る。 申請者は、1997年3月に早稲田大学法学研究科に提出した修士論文「フランスにおける 反結社法の〈社会像〉」(小野梓記念学術賞受賞)で、フランス革命期の議事録史料を分析 することで、革命期の反結社法として有名なル・シャプリエ法に関して、「公共圏」の組み 替えという観点から再解釈を行った。この成果は、早稲田法学会誌48巻(1998年)に公表し、 加筆・修正が施され、本論文の第一部を成している 次に、東京大学社会科学研究所助手時代の中間成果論文(社会科学研究50巻6号,1999年) として、19世紀の間、維持された刑法典の結社罪の規定やナポレオン1世の中間団体政策 を分析し、革命期の反結社と19世紀の反結社の理念には、断絶があることを明らかにした。 この論文は、第一回日本法社会学会学会奨励賞(論文部門)を受賞し、現地での史料調査 を踏まえた加筆が施され、本論文の第二部第一章を成している。 その後、申請者は、1999 年~2000 年の1 年間にわたり、フランスのエコール・ノルマ ル・シュペリゥール・ドゥ・カシャンを受け容れ校として、国立文書館、ロワール県文書 館、ロ・テ・ガロンヌ県文書館のそれぞれで19世紀におけるアソシアシオンやその規制に 関する手稿文書史料を網羅的に解読するという作業を行い、2001年3月に東京大学社会科 学研究所にその成果を助手論文として提出した。 この助手論文は、政体の変化によって変遷した19世紀におけるアソシアシオン規制やア ソシアシオンのあり方の実態を、都市化が進んだサン・テチエンヌ市、農村的要素が残っ たアジャン市を比較することで明らかにし、1901年アソシアシオン法成立前夜の統治者の 結社観の転換を解明しようとしたものであった。しかし、かなりディティールに拘泥しす ぎたこと、また警察行政(ポリス)過程のみに焦点をあわせ、判例や法学説におけるアソシア シオンの扱い、立法史料の十分な分析を行うものではなかったため、公表には至らなかっ た。 その後、2003年~2004 年の1 年間、再び留学の機会が与えられ、助手論文で欠落した 作業に取り組んだ。2001年のアソシアシオン法百周年を契機として多くのアソシアシオン 法に関する研究が、フランスや我が国で公表されたが、本論文では、それら研究を、自ら 解読した史料の理解に基づき、批判的に位置づけることで、法社会学の立場からアソシア シオン法に関する独自の解釈を提示することに努めた。

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本論文が辿り着いた認識については、以下で要約していくが、その概要については、2004 年1月にパリで行われたフランス社会学会(Association française de sociologie)で報告も行 い、フランスの法社会学・法制史研究者からの批評・コメントも仰いでいる。 1. 論文の方法と分析対象 本論文は、あらゆる中間団体を否認することで「国民国家」と「諸個人」の二極構造を 創り出したフランス大革命から、この中間団体否認を転換して、「結社の自由」を承認し、 届出を行った非営利組合(アソシアシオン)に法人格を付与する1901年のアソシアシオン 法の成立過程までを時代対象として分析を行っている。 フランス近代を分析対象とした理由は、中間団体否認を徹底することにより「近代」を 人為的に設計したフランスにおいてこそ、<国家>―<中間団体>―<個人>の関係をめ ぐる問いが絶えず自覚的に考究されてきたからであり、この問いを追いかけていくことが、 「中間団体」への思考法を豊かにすると考えたからである。また「社会学」というディシ プリンそのものもこのような「中間団体」をめぐる問いの探究を問題意識として生成して おり、さらに「社会学」による「中間団体」の把握方法を法や法学がどのように取り込む かというのは、法社会学という学問そのもの中心的課題であるゆえ、アソシアシオン法の 成立史を辿ることは、社会学と法学との関係史=法社会学の形成史にとっても重要である と考えた。 フランスの中間団体否認の歴史過程については、これを「個人」析出、「主権」確立のた めの不可欠な過程として積極的に位置づける樋口陽一による一連の問題提起がある。また 他方で、実際の歴史的近代は、樋口が図式化したように、国家とアトム的個人のみの世界 が貫徹したのではなく、多様なアソシアシオンやコルポラシオンを媒介としたソシアビリ テが民衆の共同性を支えており、それらの存在こそが人格の陶冶となったとする村上淳一 (ドイツ史)、喜安朗や槇原茂(フランス史)の社会史的アプローチが存在する。本論文は、 これらの先行研究を踏まえつつ、次の三点を分析方法としながら、史料に取り組み、新た な歴史像を示そうとした。 第一は、「法の社会像」である。社会像とは、法が、「国家」―「中間団体」―「個人」 のそれぞれのそれらの相互連関をどのように観念しているか、ということを捉えるための 概念である。分析にあたっては、フランス革命から1901年法までのあらゆる中間団体に関 する法令を対象としながら、「国家」―「中間団体」―「個人」の連関構造を図式的に確認 するにとどまらず、立法者の言説をつぶさに観察することで、いかなる「個人」像、「国家」 像が前提にされていたのか、を詳細に析出し、その変遷過程を辿っていくことに努めた。 第二は、「法と社会の相互作用」である。本論文では、法が禁止したはずの中間団体、ア ソシアシオンが事実上、存在したことを示して、法と社会のギャップ、悠久の社会を提示 することに満足せず、なにゆえ中間団体の存在が事実上、許容されたのか、その結果、実 際の規制はどのようなものであったか、規制の結果として中間団体の機能がどのように変

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化したか、を規制過程の警察行政文書の分析を通じて解明することに努めた。 第三は、「法の相対的自律性」である。ブルデューやコマイユが議論しているように、「法 の圏域」は、政治的、経済的、社会的要因に還元されない相対的自律性を有しており、新 たな法概念が創り出されるには、既存の法体系との関連において、その新たな法概念が十 分に位置づけられなくてはならない。中間団体の法的位置づけは、政治的、経済的、社会 的要因に規定されて変動したが、この中間団体をどのように法的に表現するか、どのよう な法的地位を与えるかについては、法人学説という固有の法的アーギュメントが展開され た。法人学説こそが、「国家」―「中間団体」―「個人」の相互連関をどのように観念する かという問いが理論的に論じられた場であり、そこに焦点をあわせることで、社会学的言 説と法的言説の交錯のフランス的なあり方、フランス独自の歴史的経路を明らかすること に努めた。 2. 各部・各章の要約 次に各部・各章の内容の要約を行う。 第 1 部「反結社という近代」では、フランス革命期における反結社法の「社会像」の特 殊性を析出した。これまでの我が国の研究は、労働者の団結を禁止したル・シャプリエ法 の研究は厚かったが、本論文では、立法者としてのル・シャプリエが提案した請願権の制 限、民衆協会の制限、劇場の自由に関するデクレと彼の言説を検討素材としながら、ル・ シャプリエによる一連の反結社法を社会学的に分析し、それらを「公共圏」の再編の法と して解釈できるという主張を行った。 「国家」が旧い「社団」から「個人」を解放することで、後に自由な諸個人からなるア ソシアシオンの成立可能性が開かれていったとする近代化論の図式は誤りであり、革命の 条件を、経済関係の矛盾の激化ではなく、絶対王政末期における民主的なソシアビリテや 市民的公共圏の発展といった「新しい政治文化」の成立に求める歴史学によれば、すでに 革命前夜に、階層的な「社団国家」の体系とは異質な原理を有する自由で対等なアソシア シオンがすでに成立していたとされる。 フランス革命の特殊性は、このような革命の原動力となった新しいアソシアシオンも「社 団」廃止と同一の論理で禁止・制限し、「国家」のみを唯一のアソシアシオンとして表象し たことにある。 「国家」と「諸個人」の間に、独自の領域としての「社会」は、観念されず、「中間団体」 から解放された「個人」は、討議を通じてではなく、独り穏やかに書物と法律を読むこと で教養を身に付けねばならず、摂理の持ち主たる「国家」は、「社会的なるもの」を一身に 引受け、「公共」を独占的に采配するという特殊な「社会像」が存在した。 このような「社会」の空隙を埋めるために演出されたのが、「国民祭典」という「共和国」 と「市民」の一体化であった。「人」は、異質な他者とのアソシアシオンではなく、「共和 国」全体と直接結びつくことで、「国民」となった。 また革命期における中間団体廃止は、教会財産の国有化や修道会の廃止の際の議会討論

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に見られるように、政治的・哲学的理由からのみ正当化されたのではなく、法人は、法律 による擬制であるので、これを廃止するのも立法府の権限に属するという法人擬制説とい う法理論の正当化が伴ったことも本論文では確認した。 第2部「中間団体政策の変遷」では、革命期の反結社法や中間団体観が、19世紀におい て事実上、存在する中間団体、アソシアシオンを前にして、どのような変容を被っていく のかを析出することを試みた。 第 1 章「中間団体と公共の秩序」では、ナポレオン第一帝政期の中間団体政策を総体と して分析した。従来の研究では、革命期の反結社法がナポレオン刑法典の結社罪によって 確認・強化されたと位置づけられてきたが、本論文ではそれとは異なる理解を示した。刑 法典の結社罪の制定過程においては、革命期のような「個人の解放」、「自由の実現」とい う理念は消失しており、大革命の恐怖が再び起こらないように「公共の秩序」を維持する ことが結社罪の目的であった。また第一帝政期、部分的に職業団体や商工会議所の復活、 社会的有用性のある修道会の復活がなされるが、これらの承認された中間団体は、結社罪 と矛盾するものではなく、「公共の秩序」の維持のためという共通の動機から説明できると いう見方を本論文では打ち出した。 結社罪をどう適用するかは、全国ポリスの長である警視総監や県知事に委ねられたため、 実際、黙許されるアソシアシオンが多かった。しかし、この黙許は、アソシアシオンが政 治的存在にならない限りで行われたものである。よって、19 世紀の間、維持された結社罪 は、「個人」を「中間団体」から解放すべく機能したのではなく、「国家」の承認を得ない アソシアシオンを私的領域にとどまらせておく機能を果たしたのである。 第 2 章「『社会の解体』から『社会の再建』へ」では、復古王政期におけるユルトラ派、 七月王政期のリベローや初期社会主義者が、どのようにして大革命による「社会的空隙」 を埋めて、「モラル」や「社会」を再建しようとしたのかを具体的な立法との関連で明らか にすることを試みた。 復古王政期のユルトラ派は、ド・ボナールの社会理論に見られるように、「社会」を家族 のメタファーで捉え、宗教心に基づく犠牲的精神を発揮する修道会の復活・奨励こそが社 会に有機的繋がりを取り戻すものであると考え、修道会に贈与・遺贈を受領できる法人格 を与えることを目指した。しかし、この修道会優遇策は、修道会(コングレガシオン)が 政体を操っているという反コングレガシオン神話を招き、政体を瓦解させるきっかけにな っていった。 七月王政期の1834年に、刑法典の結社罪を強化する法律が制定されるが、この議会過程 では、この法律に反対するリベローにより、「結社の自由」は、自然権、基底的権利である という議論が展開された。「結社の自由」を人権の一つとして位置づける議論が現われるの は、フランスにおいては、この機会が初めてであった。しかし、「結社の自由」は、秩序の 確立による自由の確保を第一の課題とするリベローにとって、いまだ中産階級が十分に成 熟・拡大していない状況を前提にすれば、将来まで留保される権利にならざるを得ず、こ

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のような認識は、トクヴィルにおいても共有されていたことを明らかにした。 1840年代から初期社会主義者によって、あらゆる社会問題を解決するメシア的公式とし て〈アソシアシオン〉が盛んに論じられ、実験もされるが、これは、団体類型の一つとい うより、賃労働関係のオルタナティブとして新たな生産-所有関係を意味し、あらたな生産 協同組織が包括的機能を有し、構成員の生存条件を支えるという共同体主義的な志向を持 ったものであった。 第3章「『友愛』の共和政」では、上記の初期社会主義者の〈アソシアシオン〉論が第二 共和政において部分的に実験されていく過程およびその帰結を分析した。二月革命、第二 共和政憲法により「結社の自由」が実現するが、それは一時的なものであり、また「公共 の安全」という観点から制約を内在したものであった。〈アソシアシオン(生産協同組合)〉 の奨励・実験がなされるがその圧倒的大部分は失敗に終わる。失敗の原因は、政府の奨励 策の対象が、コルボンらアトリエ派が望んだ通りに、「労働者による生産協同組合」のみを ターゲットとしたものにはならず、経営者をも含んだ協同組合(実際は、破綻しつつあっ た会社)をも含むことになったからであるとも言われるが、その後のプルードンによる〈ア ソシアシオン〉論の献身的・共同体主義的性格への批判をコルボンも受け容れることにな る。よって、その後の「アソシアシオン」論は、社会変革性・包括共同体的性格を弱め、 機能別に分化した集団になっていくことになる。 第二共和政の後、結社罪が復活する中で取られたのは、第 4 章「個別法による中間団体 の制御と法への抵抗」で検討したように、機能別に中間団体を把握し、それに個別法で承 認しつつ、団体の内部構造に強行法規を強いることで、統治者の秩序観に合致する方向へ と中間団体を再編するという政策であった。 1852年の相互扶助組合法は、同職であることを媒介にした相互扶助組合を、カトリック 司祭のイニシアティブと金持層の温情によって運営される地域単位の様々な職業者からな る相互扶助組合へと再編することで、権威帝政の秩序観の浸透、階級宥和を実現しようと したものであった。1864年のコアリシオン承認は、一時的な結合を労働者に認めることに よって労使間のコミュニケーションを円滑にし、罷業を減少させることを目的とした。1884 年の職業組合法も、罷業減少という目的で推進され、その法の規定には、「政治圏」に「職 業組合」を接近させないという立法者の意図が確認された。 しかし、このような立法者の意図が、そのまま社会のアクターに受容され、浸透してい くということにもならない。相互扶助組合は、自由組合に留まるものも多く、労働者は、 合法とされたコアリシオンを拡張的に解釈することで継続的な組織を合法であると主張し、 職業組合法については、激しい抗議が行われ、職業組合は、広域的な連合組織を発展させ ることを通じて、職業の連帯を表現し、「政治圏」へと影響を与えていくことになる。 また1898年の共済組合法も広域的な連合組織への道を開くものであり、合理的なリスク 計算を通じて、職業・生存のリスクという「社会的なるもの」を引受ける組織が、「社会」 の中に拡大していくことになった。

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アソシアシオン法の成立前夜である 19 世紀末は、1867 年の商法典改正による準則主義 の導入の結果、会社組織も発展を遂げており、社会・経済領域においては、小さなアソシ アシオンではなく、組織(オルガニザシオン)の時代が到来していたのである。 第 3 部「アソシアシオン法の形成」では、アソシアシオン法の成立を促した要因を分析 するために、その形成過程を、1)社会理論の営み、2)法人学説の形成、3)規制慣行と判例、 4)議会での審議過程という四つの側面から描いていった。「結社の自由」の承認をもたらし た社会的要因を分析するのみに満足せず、「組織」の時代が到来しているにもかかわらず、 アソシアシオンの法的表現は、諸個人の「契約」という構成を取った理由はどこにあった のかを内在的に探究することを第3部の課題とした。 第 1 章「急進派の共和政と中間団体の再定位」では、第三共和政が大革命の完成を使命 とする急進派によってリードされていったことを確認した上で、デュルケム社会学の営み と回勅「レールム・ノヴァルム」の社会教説を素材に、共和政国家と矛盾しない形で中間 団体論が再構成されていく過程を分析した。 デュルケム社会学の貢献は、「個人」の自立化の条件が、孤立ではなく、異質な他者との 分業関係の進展にあるという見方を提示したこと、「中間団体」の存在こそが「個人」の自 由とモラルの源泉となるとしながらも、「国家」を、それぞれの「中間団体」の個別主義を 超越して普遍を思惟する機関として位置づけたことにあった。 「レールム・ノヴァルム」の新しさは、これまでのカトリック君主制国家の復活という 路線を断念し、政治的統合とは別の次元で、自発的な「中間団体」による社会的統合の必 要性を説いた点にあった。 このような社会理論における「中間団体」に対する位置づけの変化は、アソシアシオン の自由についての好意的な見方をもたらした。 しかし、この自由を法的に正当化し、アソシアシオンの権利能力を論証するには、法学 説の媒介を不可欠のものとした。 第2章「法人学説の意図と理論的射程」では、フランスの19世紀末の法人理論の活況化 は、議会のアソシアシオン法案への批判を意図として促されたものであると位置づけなが らも、それら理論をアソシアシオン法への影響如何という狭い観点から検討するのではな く、その当時における法人理論は、国家の法的性質の解明をも射程に入れた「法の一般理 論」であったことに留意しながら、それぞれの学説の理論的射程、「国家」―「中間団体」 ―「個人」のそれぞれの観念と連結構造がどのように把握されていたかを浮かび上がらせ ることを課題にした。 旧い法人擬制説では、アソシアシオンや修道会に不利な法的帰結を導くため、新たな法 人学説は、この擬制説を乗り越える必要があった。 この時期の法人理論には、大きく括って二つのアプローチがあった。一つは、国家承認 に先立つ、法人そのものの実在性を論証する法人実在説であり、もう一つは、法人という 概念をあえて封印し、団体の法律関係を、すべて既存の民法の枠内から説明することで、

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国家の干渉からの自由を確保しようとした法人否認説である。後者の法人否認説は、「レー ルム・ノヴァルム」の「結社の自由」の論証法に対応したものであり、フランスでは、主 としてカトリック系の法学者によって修道会の自由を擁護するために展開された。 本論文では、前者の法人実在説を、ドイツのギールケの社会有機体説と比較しながら、 その代表的論者としてオーリウとミシュウの法人理論を詳細に検討した。本論文は、オー リウやミシュウの法人理論においては、ギールケのように社会学的に観察される集団意思 を実体化させて、それをそのまま法の世界に持ち込むことが拒否されているということに 注目した。本論文は、その拒否の理由をフランス人の個人主義的気質に還元するという文 化論的説明に満足せず、その当時の法人理論が「法人としての国家」をも射程に入れたも のであったことに注目し、未だ集権化が進まないドイツにおいては、統一的な国家意思の 実在性を強く打ち出す必要があったが、集権化が十分に進行していたフランスにおいては、 肥大化しつつある国家機関の権力を「法」によって統制することが課題であったゆえ、法 人理論の構成においても団体の意思を実体化させず、その権力を「法(規約=憲法)」によ って枠づけることが重視されたという比較歴史社会学的な説明を与えた。今日、「法人」と いう概念は、私法上の法技術とみなされるが、その概念を歴史的にクリティークすれば、 それは、公法学にとっても最も重要な概念であったのであり、それゆえに、国家化のあり 方というマクロな要因によってその法概念の構成のあり方が国ごとに異なったのである。 団体の機関の権力と構成員の権利とが緊張関係に立つという問題意識は、彼らのアソシ アシオンに関する理論にも貫かれ、それゆえに非常に精緻な理論が彫琢されることになる。 オーリウの制度理論は、社会学的に観察される団体の客観的個体性をそのまま法主体とし て認識したのではなく、規約法という客観的法秩序の成立によって、団体が持続的な法的 制度へと転化し、主観法上の権利主体になっていくという法人格化のプロセスを動態的に 把握しようとした理論であった。その意味でオーリウの制度理論は、法現象観察のための ミクロな社会学理論でもあった。オーリウは、自律的な規約法を備えたあらゆる団体は、 法的制度へと転化するのだから、その団体に完全な法人格を承認することを求めた。しか し、このような要求は、第 4 章で検討するように、アソシアシオン法の立法者に採用され なかった。 立法過程の分析に入る前に、第 3 章「増大するアソシアシオンと規制様式の変容」にお いて、サン・テチエンヌ市を事例に19世紀後半から1901年法前夜までのアソシアシオン の傾向とそれへの規制様式の変容過程を手稿文書の網羅的分析から明らかにした。19 世紀 半ばまでは、アソシアシオンの種類は、伝統的な競技の会、地域エリート達のセルクルな どに限定されていたが、時代と共に種類は、多様化していき、セルクル、スポーツ協会、 音楽協会も民衆に開かれたものになっていく。これらのアソシアシオンは、許可を求めれ ば、許可を受ける確率は高かったものの、1896年までは、市長・警察署長の所見や構成員 の名簿をもとにアソシアシオンに危険性がないかが実質的に審査されていた。それに対し、 1896年以降は、通達により、規約の文言のみを形式的に審査するという形に改まり、政治

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結社であっても、その規約の中に「政治の議論を禁ずる」という文言さえあれば、許可さ れることになる。中央との繋がりをもった政治結社が蜂起を起こすのではないかという警 戒が、「結社の自由」の承認を遅らせた要因の一つであったが、この時期以降は、地方の政 治結社が中央の政治組織に加盟しているということがむしろプラスの材料として許可過程 で考慮されることになる。この変化に、本論文は、政治的なアソシアシオンも近代的な組 織の中に位置を持つことでこそ国家との対話者になりうるのであるという統治者の結社観 の転換を確認した。 また第 3 章では、1901 年法以前の判例におけるアソシアシオンの扱いも分析し、1901 年法以前に、アソシアシオン(非営利組合)は、利得の非分配、契約性、知識・活動の共 同、恒常性といった要素から定義が与えられていたこと、法人格を有するには、営利組合 とは異なり、別途、公益性の承認が必要であるとされていたことを確認した。 第 4 章「アソシアシオン法の成立」では、議会での討論とアソシアシオン法の構造を分 析することで、アソシアシオン法の成立の要因を解明することを課題にした。これまで1901 年法の先行研究としては、アソシアシオン一般の自由と修道会の特別規定を別々に扱うも のがほとんどであった。修道会の問題は、ドレフュス事件を契機とした急進共和派と王党 派の対立の激化という政治的・状況的要因に還元され、アソシアシオン一般の自由に関し ては、現代市民社会論の文脈で、アソシアシオンを契約として構成したフランス法の精神 に、社交関係を契約によって軽やかに創り出していける新たな人間像を読み込もうという 議論が大村敦志などにより近年、行われている。しかし、本論文では、両者を別々に扱う のではなく、アソシアシオンと修道会との間に境界線が引かれる場面、それを正当化する 法的レトリックに注目し、その当時における「市民社会」観念を明らかにするという方法 を取った。 その際、検討の素材としたのが、アソシアシオン法の立法者であるワルデック・ルソー のこれまでの立法提案とそれを正当化する言説である。アソシアシオンを契約として構成 するというのは、これまでの他の立法提案者にはみられなかった考えであり、ワルデック・ ルソー独自のものである。ワルデック・ルソーは、「集団の叢生」という事実、方法論的集 団主義という社会科学のパラダイム転換を直視しながらも、あくまでアソシアシオンを一 時的な契約として構成した。アソシアシオンは、原則として期限付の契約であり、一構成 員の意思のみで解散するものとされた。またこの契約としてのアソシアシオンは、財産所 有において制限がなされ、公益性が承認されない限り、法人格が付与されないとワルデッ ク・ルソーは考えていた。 アソシアシオンを契約として構成した理由には、もちろん個人主義と集団の承認との調 和という理由もあったが、本論文では、許可なき修道会の解散という特別規定を正当化す る法的レトリックとしても重要な役割を演じたという主張を行った。ワルデック・ルソー によれば、アソシアシオン契約も、契約であるゆえ、民法典の諸原則に服さねばならない。 よって、終身役務や民事的人格の放棄を伴う修道会を結成する修道誓願は、民法典の諸原

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則に反し、「市民社会société civile」の原理に対立するものとされ、特別な許可がなければ 解散とされたのである。 ここで言う「市民社会」とは、「国家」から自律的な空間という意味ではなく、「宗教的 なもの」の凝集が存在しないライックで均質な空間として観念された。 アソシアシオンが契約として構成されたのは、19 世紀を通じた反結社によって中間団体 が解体されつくし、バラバラの諸個人からなる社会が成立したからではなく、強い凝集性 を有する修道会との対比において、その法概念が練られたからである。アソシアシオンは、 公的な性格を有した団体ではなく、私人間の契約の一つであるので、民法典の他の契約類 型と同様に「国家」からの自由が保障されることになる。 しかし、このアソシアシオンが、「国家」が関知しないところで財産を集積し、自律的な 「市民社会」を形成することには、なおも警戒がもたれていた。アソシアシオン一般につ いても、遺贈・贈与の受領能力は、公益性が承認されるアソシアシオンにのみ限定され、 届出によって取得しうる法人格の権能は、かなり制限されたものとなった。「結社の自由」 の実現よりも、このような権能の制限にこそ、フランスのアソシアシオン法の特徴が存す るのである。 アソシアシオン法の成立は、アソシアシオンを通じた緩やかな契約的結合の中に「個人」 の人格的発展の基盤を見出すという点で革命期の「社会像」を修正するものであったが、「市 民社会」を「国家」から自律した空間として観念せず、「国家」こそが「市民社会」の中心 に位置し、「社会」を「文明化civiliser」する役割があると捉えていたという点で、なおも 革命期の「社会像」の痕跡を留めるものであった。 現代の「新しい市民社会」論は、アソシアシオンの活発化という現象に、伝統的な公/ 私の境界が揺さぶられ、国家中心社会でもなく、市場原理が支配する社会でもない第三の 社会が出現する可能性を展望している。しかし、1901年法の立法者にとっては、公/私の 境界を揺さぶり、国家から自律していくような「新しい市民社会」は、観念されていなか った。アソシアシオンを私法上の契約と構成することで私的領域に位置づけ、均質でライ ックな「市民社会」にとっての脅威である修道会の監督・排除という役割を「国家」が積 極的に演じることで、「公共res publica」は、「共和国République」こそが創り出すもので あるという観念をなおも維持していたのである。 本論文では、そのような観念を表現するアソシアシオン法の構造に、中間団体否認とい うフランスに固有な歴史的経路の影響が見出せるという見解を打ち出し、このような固有 性を、「〈共和国〉の論理」と名づけた。このような見解に辿り着けたのは、本論文が取っ た法社会学アプローチの結果である。すなわち、革命期の反結社法からの中間団体に関す る法の社会像の変遷過程、実際の規制態様を詳細に追いかけながら、中間団体の再編過程 を明らかにし、「契約」ではなく、「制度」としてアソシアシオンを構成しようとした法人 学説との対比の上で、ワルデック・ルソーの言説の特徴を位置づけ、アソシアシオン一般 の契約的構成と修道会への特別規定を別々に扱うのではなく、そこに共通して流れる法的

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アーギュメントを発見するという手続を取ったからである。 なお第三部補章では、1901年法の受容過程を概略した。まず 1901 年のアソシアシオン 法が、アソシアシオンの叢生をその直後に促すという状況変革的立法ではなく、19 世紀後 半以降の変化の到達点として理解されるべきであることを、1901年以降のサン・テチエン ヌ市の届出アソシアシオンに関するデータから導いた。次に法制定直後の学説の受け止め としては、受領能力の制限への批判が強かったことを明らかにした。最後に、この制限が 判例によって徐々に緩和されていく中で、1971年の憲法院判決、1970年代以降の団体訴権 や政策形成への参加権の付与、2001年のアソシアシオン法制定百周年が行われ、今日では、 アソシアシオンに自律した「新しい市民社会」のアクターとしての期待が高まっているこ と、アソシアシオンの規制のあり方も「市民社会」の自己調整メカニズムに委ねるべきと いう考えが基本となっており、アソシアシオン法の「契約」に委ねるという精神が再評価 されていることを示した。 3. 本論文の意義と残された課題 本論文の意義は、「法の社会像」、「法と社会の相互作用」、「法の相対的自律性」という 3 つの明確な視角に基づき、革命期の中間団体否認から1901年のアソシアシオン承認までの 中間団体の法的位置づけをめぐる問いの変遷に一貫した歴史的見通しを与え、これまでの 研究とは異なる新しい歴史理解を提示したことにある。 第一に、革命期の反結社法の理解について、「中間団体」からの「個人の解放」の過程で あったという樋口の理解に対して、「公共」の意味が、多様で開かれた批判的なコミュニケ ーション空間としての「公論」を核においたものから、「国家」によって公民が身につけね ばならないとされた画一的な徳である「公共精神」へと転換した過程として描き出した。 第二に、19 世紀を支配した刑法典の結社罪の理念と機能について、革命期の反結社法を 継承したという理解に対して、その理念は、「個人の自由」ではなく、「公共の秩序」の維 持を目的としたものであり、実際の機能としては、確かに結社罪が適用されることは稀で はあったが、結社を私的領域に押しとどめ、政府は、アソシアシオンへの許可・監督権限 と個別法による各種中間団体への枠付を通じて、統治目的に適合的な形に中間団体を機能 別に再編しようとした過程を克明に描き出した。確かに、社会史が強調したように、禁止 にも関わらず存在したアソシアシオンの生命力、対抗社会の存在を論証することも重要で あるが、本論文では、このような社会的事実を前提としながら、実際の中間団体規制がい かに変容と遂げていったのか、規制の影響を社会のアクターはどのように被ったのかに注 目し、アソシアシオン法成立前の各種中間団体の機能を描き出した。 第三に、アソシアシオン法成立の位置づけについて、19 世紀後半に進んだ各種中間団体 承認の到達点、第三共和政における公的諸自由の承認の完成点として、「結社の自由」実現 の側面、中間団体否認からの転換を強調するのではなく、その法の特徴や歴史的文脈を正 確に捉え、制限されて実現された自由のかたちにフランスの特殊性、中間団体否認の痕跡

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を読み取った。 また、この法の産出過程が、①アソシアシオンや各種中間団体の増大や役割強化→②社 会学における方法論的集団主義の見方の成立→③法学説における法人実在説の誕生→④立 法者への影響、という順接的な道筋を辿ったのではなく、「法の相対的自律性」という性格 に起因して、幾つものプリズムを伴ったものとなっていたことを明らかにし、そのような プリズムが生じた要因について歴史社会学的な説明を与えた。すなわち、社会学における 集団意思実在説がそのまま法学説に採用されなかったのは、法人学説が国家をも理論的射 程に入れたものであり、ドイツよりも国家化が進んだフランスでは、国家意思の実在性の 証明よりもそれを法的に制約することが法学説の課題であったからであり、また法学説に おける法人実在説が立法者によって採用されなかったのは、国家の関知しない領域で財産 の蓄積が生じ、自律的圏域が生まれることへなおも警戒感が残っていたこと、立法者が、 民法典という既存のコードの枠内で新しい法概念であるアソシアシオンを定位することに 優越性を置いたことをその理由として提示した。このような知見は、立法による新たな法 概念の創出という現象を分析していく際にも、有力な分析フレームになるだろう。 第四に、「市民社会」、「civil」といった観念のフランス的な固有性を新たに提示したこと である。フランス近代法の性格づけについては、我が国でも多くの議論が存在する。とり わけ民法典Code civilの「civil」の意味内容について、川島武宜のような商品交換関係とし て捉える見方に対して、水林彪は、「売りのための買い」という商事的取引世界とは異なる 市民的オイコス経済に対応した規範、「生活の安全」という価値を読み込み、大村敦志は、 生活世界において緩やかな社会的絆を創り出していける洗練された人々という意味におい て捉え、アソシアシオン法を民法典の領域に組み込みながら、社交を切り拓くことを促進 するものとしてdroit civilを意味づけている。これらの市民社会・市民法論は、日本社会の 歪みや日本法の脆弱な部分を理論的に補強していく上で重要な指針となろうが、本論文で は、ワルデック・ルソーの言説、1901年のアソシアシオン法の構造を分析することで、そ の当時における「市民社会」の概念を歴史的に明らかにすることに努めた。その結果とし

て、「civil」は、「religieux 宗教的なもの」の対立概念であり、むしろ「société civile」と

は、世俗世界とか非宗教的社会という意味で用いられており、国家に対峙する自律的社会 として「市民社会」は、観念されておらず、むしろ「国家」が「市民社会」の中心に位置 しながら、未だ脱魔術化しない「社会」を文明化 civiliser していくという観念が存在して おり、そこに革命期の中間団体否認の痕跡、歴史的経路依存性を見てとることができるこ とを明らかにした。このような議論は、現代の市民社会論に規範的インプリケーションを 与えるものにはならないだろう。しかし、今日、国家中心社会でもなく、市場経済社会で もない、「新たな市民社会」の中核として非営利組織に熱い注目が注がれるということがグ ローバルな現象となっている中で、そのような現象もややマクロな視点から眺めてみれば、 それぞれの国の非営利組織を支えている法は、その国の国家―市民社会の関係の歴史的規 定性を色濃く帯びた個性あるものとなっており、その法の構造や成立過程を分析していく

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ことこそが、その国における「市民社会」概念の特質を浮かび上がらせることにとりわけ 有効な道筋に成りうるという研究仮説を導く。 本論文の意義は、以上のような新たな歴史像を提示しながら、新たな研究の可能性を示 したことにある。 今後の研究課題としては、第一に、この論文での作業を基礎に、他国の非営利法人制度 の構造の特徴、それを生み出した歴史社会学的要因を分析し、より一般化可能な比較歴史 法社会学の理論枠組を構築すること、第二に、1970年代以降から今日にいたるフランスの アソシアシオンの役割や位置づけの変化について、福祉国家論や民主主義モデルの変容と いった議論も射程にいれながら、各法領域における実証研究を行っていくこと、第三に、 本論文でその理論の輪郭を描いたオーリウの「法の社会学」理論を手懸りに団体の内部法 の構造や動態について経験的研究を進めていくことを掲げた。

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