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Taihoku, Pekin ni okeru wakosyo oyobi kaiga siryō ni tsuite no oboegaki

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(1)

台北・北京における和古書及び絵画資料についての

覚え書き

著者

小峯 和明

雑誌名

中国に伝存の日本関係典籍と文化財

17

ページ

273-278

発行年

2002-03-29

その他のタイトル

Taihoku, Pekin ni okeru wakosyo oyobi kaiga

siryo ni tsuite no oboegaki

(2)

絵 画 資料 につ い て の覚 え書 き

小 峯

和 明

立教大学 1台 湾 大 学 所 蔵 の和 古 書 をめ ぐっ て 国 文 学 研 究 資 料 館 文 献 資 料 部 に在 任 中 、 文 部 省 科 学 研 究 費(海 外 学 術 研 究)に よ っ て 、 1985年 に台 湾 大 学 の 資料 調 査 に赴 い た。 当 時 の 文 献 資 料 部 長 の 福 田秀 一 教 授 を中 心 と し、 旧 台 北 帝 大 の 国 語 国 文 研 究 室 の和 古 書 の 悉 皆 調 査 を行 っ た 。 調 査 は84年 か らは じ ま り、 私 は85 年 の 秋 に 三 週 間 ほ ど滞 在 した 。 国 語 国 文 研 究 室 旧 蔵 本 の 調 査 は す で に 鳥 居 フ ミ子 ・金 子 和 正 ・須 田悦 生 各 氏 に よっ て 試 み ら れ て お り、 そ れ らの 後 追 い調 査 の か た ち に な っ た が 、 仮 目 録 を作 成 、 科研 費 の 報 告 書 と して 「台 湾 大 学 研 究 図書 館 所 蔵 ・旧 台 北 帝 大 文 政 学 部 国 語 国 文 研 究 室 本 仮 目録 」 を 出 した。 台湾 大学 側 との 折衝 が 不 調 に終 わ り、 「仮 目録 」 を公 開 す る こ と は で き なか った 。 この 目録 が い つ の 日か 日の 目を 見 る こ とが あ れ ば と願 っ て い る。 旧国 語 国文 研 究 室 の和 古 書 は 損 傷 が い ち じる し く、 白衣 にマ ス ク をか け て書 誌 調 査 を行 っ た ほ どで 、水 をか ぶ っ た た め か 紙 が くっ つ い て はが れ な い もの も多 く、 虫 損 の は な は だ しい も の は我 々 の 間 で 「畳 鰯 」 本 な ど と呼 ん で い た 。 しか し、 近 世 文 学 を中 心 に き わ め て 質 の 高 い コ レ ク シ ョ ンで あ り、写 本 の揃 い の 『岷 江 入 楚 』、 『和 漢 朗 詠 集 私 注 』、 『徒 然 草 』、絵 巻 の 『田 村 麻 呂 』、版 本 『伊 曽保 物 語 』 な どが 個 人 的 に は印 象 に残 って い る。 また 、 調査 の 余 裕 は なか っ た が 、 戦 前 の 活 字 本 もそ の ま ま所 蔵 さ れ て お り、 きわ め て 資料 価 値 が 高 い と思 わ れ る 。 滞 在 中、 た また ま滞 留 中 の 金 文 京 氏(京 大 人 文研 、 当 時 は 慶 応 大)の お世 話 で 国立 中央 図書 館 に も赴 き、 版 本 『三 国伝 記 』 や 刊 本 『白 氏 文 集 』 な ど を 閲覧 させ て い た だ い た。 台 湾 大 本 に く らべ て 保 存 の よか っ た こ とが 印象 に残 っ て い る。 なお 、 近 年 、 国 文 学研 究 資 料館 で 再 び 旧 季眠 地所 蔵 資 料 の 調査 が 行 わ れ て い る よ う で、 いず れ 総合 的 な資 料 の 様 相が 掌握 で きる よ うに な る で あ ろ う。 2台 湾 故 宮 博 物 院 の 和 古 書 を め ぐっ て 2000年 春 に 、85年 の折 りに は機i会が な か った 台 湾 故 宮 博 物 院 図 書 館 に赴 き、 和 古 書 を閲 覧 させ て い た だ い た 。 楊 守 敬 旧 蔵 で 名 高 い 資 料 群 で あ る 。 予 約 な しで い き な り行 っ てす ぐ閲 覧

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小峯 和明 で きる シ ス テ ム は本 当 に あ りが た い もの だ っ た 。 こ こ は か つ て 慶 応 大 学 斯 道 文 庫 の 阿 部 隆 一 氏 を 中心 に 調 査 が 実 施 され(『 中 国 訪 書 志 』 汲 古 書 院 、 後 に 著 作 集)、 そ れ を も とに 目録 も出 され て い るが 、 索 引 が ない の で検 索 が や や不 便 で あ る。 ここ で は室 町期 写 本 『歌 行 詩 』 と近 世 期 の 『冥報 記 』 を閲 覧 。 前 者 は今 テ ー マ と して い る中 世 の未 来記 の 代 表作 『野 馬 台 詩 』 の 最 も流 布 した 注 釈 書 で あ る 。 書 名 の 由 来 は 『長 恨 歌 』 『琵 琶 行 』 『野 馬 台 詩 』 が セ ッ トに な っ てお り、 そ れ ぞ れ の 末 尾 一 字 を合 わせ た こ とに よる。 この 三 作 品が なぜ 合体 され た の か 、 詳 細 は 不 明 だ が 、 前 二 作 は有 名 な 白楽 天 の 代 表 作 で 、 『野 馬 台 詩 亅 の み 六 朝 時代 の 宝 誌和 尚 の作 と され る。 奈 良 時代 の遣 唐 使 で 有 名 な 吉備 真 備 が こ れ を解 読 し、 日本 に持 ち帰 る話 が 『吉 備 大 臣 入 唐絵 巻 』 な どに み え る。 本 書 の 書 誌 の 概 要 は以 下 の 通 り。 室 町 期 写 本 一 冊 。 外 題 ・長 恨 歌 琵 琶 行 野 馬 台 。 表 紙 ・無 文 素 紙 。 料 紙 ・楮 紙 。18丁 。 縦26.8、 横19.2cm。 楊 守敬 の 印 あ り。 裏打 ち 補 修 あ り。 一 冊 の三 分 の 一 は コ ピー して よい との こ とで 、 『野 馬 台 詩 亅の 部 分 だ け コ ピー させ て い た だ い た 。 斯 道 文庫 に もマ イ ク ロ フ ィル ムが あ るが 鮮 明 で は ない 。 『野 馬 台 詩 』 と は五 言 二 十 四句 の 短 い詩 で あ る が 、 そ れ に さ まざ ま な注 釈 が 書 き加 え られ て お り、 詩 句 に続 い てつ け られ た 本 文 注 と欄 外 に加 筆 され た 欄 外 注 の 二 層 か らな る 。 日本 の 未 来 、 終 末 を予 見 した テ キス トと さ れ 、天 皇 百 代 で 日本 が 滅 び る 百 王 思想 の典 拠 と も され る。 詩 句 の 表 現 が 注 釈 に よ っ て ま ざ ま ざ と 日本 の 歴 史 を よ み が え らせ る 興 味 深 い テ キ ス トで あ る (拙稿 「野 馬 台 詩 の 言 語 宇 宙」 『思 想 』1993年7月)。 残 念 なが ら故 宮 本 は欄 外 の 注 釈 の 書 き入 れ が 多 くは ない が 、 そ れ で も小 野 篁 が竹 か ら生 ま れ た 話 を は じめ 、 ヲ ノ ゴ ロ 島 ・秋 津 島 ・敷 島 ・扶 桑 な ど 日本 の七 種 の 異 名 等 々 、 い くつ か 注 目すべ き注 釈 が み られ る(こ れ らの注 も諸 本 に よ って 差 異 が あ る)。 貴重 な写 本 で あ る。 ま た、 後 者 の 『冥 報 記 』 は 、唐 の唐 臨 の撰 に な る仏 教 説 話 集 で 、 冥 途蘇 生譚 や仏 経 の霊 験 譚 を中 心 に構 成 さ れ る。 す で に 『日本 霊 異 記 』 に 名 が み え、 『今 昔 物 語 集 』 の 典 拠 と して も知 ら れ る。 中 国 で は逸 書 とな り、 『法 苑 珠林 』 や 『太 平 広 記 』 な ど に逸 文 が み られ る。 一 方 、 日本 で は 古 鈔 本 が複 数伝 存 し、 承 和 五 年(838)、 唐 人書 写 本 を霊 厳 寺 の 円行 が 将 来 した 高 山寺 本 (巻子 三 巻)、 長 治 二 年(1105)写 の 前 田 家 尊経 閣 文 庫 本(三 巻 一 帖)、12世 紀 写 と され る 知恩 院 本 な どが あ る。 三 本 と もに 説 話 の 出 入 りが あ り、 知 恩 院 本 が 最 も話 数 が 少 な く、 前 田家 本 が 最 も多 い 。 前 田家 本 は 別 系 統 と考 え られ る。 前 二 本 は い ず れ も尊 経 閣叢 刊 な どの 複 製 が あ った が 、 近 時 、 高 山寺 本 は 『高 山寺 資 料叢 書 』(東 大 出 版 会)に 所 収 され、 前 田家 本 は勉 誠社 版 の 影 印 本 が あ た ら し く出 た 。 知 恩 院 本 はす で に 『学 苑 』(昭 和 女 子 大 ・1993年)に 翻刻 され て い る(但 し、書 誌 の詳 細 は 不 明)。 ま た 、集 中 的 に 『冥 報 記 』 を利 用 し翻 訳 した 『今 昔 物 語 集 』 は 、前 田家 本 系 の 誤 写 や 脱 文 に 共 通 し、 前 田 家 本 に最 も近 い本 文 に よ る こ と は 明 白 で あ る(拙 著 『今昔 』物 語 集 の 形 成 と構 造 』 笠 間 書 院 ・1985年)。 故 宮 本 は近 世 末 期 写 本 。 識 語 か ら三縁 山本 の影 写 本 で寛 永 寺 で写 され た もの で あ る こ とが 知 られ る 。 書 誌 は前 記 阿 部 著 書 に詳 し いの で 省 略 す る。 三縁 山 とは 芝 の 増 上 寺 の こ と。 増 上 寺 の 鵜 養 徹 定 寮 の 蔵 本 を さす 。楊 守 敬 『日本 訪 書 志 』 に は、 「三 縁 山寺 保 元 問写 本 」 と され る。 鵜 養 徹 定 は後 に知 恩 院 に 移 るか ら知 恩 院 本 は こ の 三 縁 山 本 で あ ろ う と され る。 こ の推 定 は阿

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部 著 書 以 来 の定 説 と な っ て い る。 しか し、 翻 刻 さ れ た 知 恩 院本 と故 宮 本 を対 校 す る と、 訓 点 の 有 無 な ど若 干 の 相 違 が あ る。 た と え ば 故 宮 本 で は 、 中巻 第11条 の 冒 頭 の 人 物 厂中書 令 岑 文 本 」 に 「誦 観 音 品 得 死 報 」 とい う傍 注 が つ き、 中 巻 第8条 の 末 尾 の 割 注 の最 後 に 「誦 観 音 品 鎖 忽 自解 」 とあ る の に対 して 、知 恩 院 本 の翻 刻 に は み られ な い。 中 国 で も高 山寺 本 な ど を も とに 復 元 研 究 が 進 ん で い るが(古 小 説 叢 刊 『冥 報 記 広 異 記 』 中 華 書 局 、 李 剣 国 『唐 五 代 志 怪 伝 奇 叙 録 』 南 開 大 学 出版 社)、 前 田 家 本 や 故 宮 本 な ど諸 本 へ の 目配 りが まだ 充 分 で は な く、近 年 よ うや く研 究 が 動 き出 して い る段 階 で あ る(李 銘敬 「『冥 報 記j的 古 抄 本 与 伝 承 」 『文 献季 刊 』2000年7月3期)。 知 恩 院 本 の紹 介 が 不 十 分 で あ るた め 、 故 宮 本 との 関 連 を完 全 に 立 証 す る に至 ら ない が 、 故 宮 本 が 知恩 院 本 の 転 写 本 で あ る こ と は ほ ぼ 確 実 で あ ろ う。 まだ 充 分 検 討 す る余 裕 が な い が 、 故 宮本 の 詳細 な紹 介 を い ず れ試 み た い と考 え て い る。 『冥 報 記 』 は 唐 代 に成 立 して 日本 に影 響 を及 ぼ し、 しか も平 安 期 の 写 本 が 伝 存 す る貴 重 な 作 品 で あ り、 思 想 的 に も仏 教 と道 教 の習 合 した 泰 山 の 冥 途 世 界 が うか が え る な ど興 味 はつ き な い 。今 後 の 日中 共 同研 究 の足 が か りを担 うテ キ ス トの ひ とつ とい え よ う。

3北

京所在の和古書をめ ぐって

1999年 …春 、北 京 日本 学 研 究 セ ン ター に 出 講 し た折 り、北 京 国 家 図 書 館 及 び北 京 大 学 図書 館 所 蔵 の 和 古 書 を 閲 覧 す る機 会 に恵 ま れ た 。 前 者 は貴 重 書 室 で 閲覧 した が 、 目録 もな く、 中 国 刊 本 と混 在 して い る ため 、 カー ド検 索 に 頼 る ほ か な か っ た し、 出納 に 時 間 が か か り、 きわめ て 効 率 が よ くな か った 。 しか し、 漢 籍 に ま ぎれ て 日本 の 写 本 が い くつ か あ る の を見 る こ とが で きた 。 今 そ の 折 りの メモ を紛 失 して し まい 、 詳 しい情 報 が 記 憶に な いが 、 『黄 帝 内経 』 類 の 中 世 の 医 書注 釈 書 を転 写 した もの で あ っ た 。 ま た 北 京 大 学 図 書 館 で は す で に李 玉 編 『北 京 大 学 図 書 館 日本 版 古 籍 目録 』(北 京 大 学 出版 社 ・1995年)が 刊 行 さ れ て お り、 これ に も とつ い て い くつ か 閲 覧 す る こ とが で きた 。 大 半 は 版 本 で あ る が 、 一 部 写 本 も含 まれ て い る 。 た とえ ば 、 天 台 宗 の事 相 口 伝 を集 成 した 『阿 娑 縛 抄 』 の 写 本 が あ り、 奥 書 は 天 保 七 年(1836)で 七 冊 存 し、 本 奥 書 は元 禄 十 六 年(1703)で あ る。 こ の本 奥 書 に は比 叡 山横 川 の 兜 率 谷 鶏 頭 院 の厳 覚 の名 が あ っ た 。 この 厳 覚 は 、 以 前 調 査 して い た早 稲 田 大 学 総 合 図 書 館 の 所 蔵 す る教 林 文 庫 の 中核 を な す 人 物 で あ る。 教林 文 庫 の名 は 、 も と も と蔵 書 の あ っ た 天 台 宗 の教 林 坊(近 江 国 湖 東)に ち な む(織 田信 長 に焼 き討 ち さ れ る)。17世 紀 後 半 か ら18世 紀 に か け て 活 躍 した 学 僧 で、 多 くの写 本 を残 して い る(弟 子 に写 させ る場 合 も多 い)。 独 特 の 筆 跡 なの で す ぐに そ れ とわ か り、 仙 台 の 仙 岳 院 の調 査 の折 り、偶 然 に も こ の厳 覚 の 直 筆 本 が 出 て きた の に は驚 か され た。 同 じ天 台 宗 の 縁 で は あ ろ うが 、 経 緯 は ど う あ れ 比 叡 山 で写 され た 本 が 近 世期 に遠 く仙 台 ま で 運 ば れ て い た の で あ る 。 そ の 歴 然 た る事 実 に感 嘆 させ られ る。 人 と と もに書 物 が 動 く歴 史 を ま ざ ま ざ と感 じ させ られ た。 この 厳 覚 の名 は ワ シ ン トンの議 会 図書 館 の資 料 に も出 て きた。1998年 よ り立 教 大 学 の 同僚 渡 辺 憲 司 氏 を 中 心 に議 会 図書 館 の和 古 書 の 調 査 を進 め て い る が 、 遇 目 した嘉 永 二 年(1849)写

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小峯 和明 の 『灌 頂 面授 抄 」 の 本 奥 書 に厳 覚 の 名 が 出 て きた の で あ る。 しか もこ の 本 は、1907年 に ア メ リカ の イ エ ー ル 大 学 教 授 朝 河 貫 一 が 収 集 した コ レ ク シ ョ ンの ひ とつ で あ った 。 朝 河 貫 一 は収 集 した 日本 の和 古 書 を イ エ ー ル 大 学 と ワシ ン トン議 会 図 書 館 の 双 方 に納 め た 。 和 本 で あ りな が ら表 紙 が 洋 装 の ハ ー ドカ バ ー に改 装 され て い るの が 特 徴 で 、 明治 期 当 時 の 写 字 生 の 写 した 写 本 が 多 い こ とで も注 目 され る。 こ れ も国 文学 研 究 資 料 館 在 任 中 、1987∼89年 に イ エ ー ル大 学 の朝 河 コ レ ク シ ョ ンの調 査 を行 っ て い た の で 、 こ の 議 会 図 書 館 の調 査 とあ わせ て 、 よ うや くイ エ ー ル と ワ シ ン トン双 方 にあ る朝 河 コ レ ク シ ョン の 全 貌 が 把 握 で き る よ う に な った 。 ち なみ に イ エ ー ル 大 学 の貴 重 書 収 集 で 知 られ る バ イ ネ ッキ ラ イ ブ ラ リ ィに は、 日本 イ エ ー ル協 会 が 出 資 した別 の コ レク シ ョ ン もあ る(こ れ も直接 集 め た の は朝 河 で あ る)。 話 が ア メ リカ調 査 に そ れ た が 、 間接 的 な 本 奥 書 と は い え 、北 京 ・ア メ リ カの 双 方 で厳 覚 の 名 を見 つ け た こ と に不 思 議 な因縁 をお ぼ え ず に は い られ なか っ た。 北 京 で の 調査 は き わ め て 不 十 分 な もの に と ど ま っ た の で 、 今 後 も機 会 を と らえ て 詳 し く見 て い きた い と念 願 して い る 。 本 との 出会 い は前 世 の 縁 と しか い い よ うの ない 機 縁 で 結 ば れ て お り、 思 い もか け な いつ な が りをみ せ て くれ る。 書 物 の 背 後 か ら人 の つ ら な り もみ え て くる の で あ る。 4絵 画 資 料 と して の 絵 巻 ・絵 本 を め ぐっ て 2月 の 国 際研 究 集 会 の折 り、 最 後 に報 告 され た 劉 暁 路 氏 の 「中 国 に 秘 蔵 さ れ た 日本 芸 術 品 につ い て」 は 、 中 国 に所 蔵 され る 日本 美 術 の全 貌 を総 括 的 に紹 介 され た 大 変 有 益 で刺 激 的 な 報 告 で あ っ た。 た だ 、 日頃 か ら関 心 を持 っ て い る文 学 と絵 画 の 相 関 に つ い て 、 特 に絵 巻 や 絵 本 へ の 配慮 が あ ま りみ られ な い こ とを感 じた の で 、 若 干 の コ メ ン トを加 えた い 。 日本 の8∼19世 紀 に か け て 、 お び た だ しい 物 語 の 絵 巻 や 絵 本 が 作 られ た 。 世 界 的 に み て も そ の 質 量 は か な り水 準 が 高 い は ず で あ るが 、 日本 で も充 分 関 心 が 払 わ れ て こ な か っ た 。 文 学 研 究 で はつ とに注 目 され て は い た が 、 『源 氏 物 語 絵 巻 』 な ど12世 紀 の著 名 な もの を の ぞ い て 、 か な らず し も絵 そ の もの へ の 着 目は 充 分 で は な か っ た 。 ま して や 美 術 研 究 で は ほ とん ど無 視 され て い た に等 しか った 。 近 年 、 絵 画 が 歴 史 史料 と して 注 目 さ れ る よ う に な っ て 、 だ い ぶ 方 向 が変 わ っ て きた とい え る。 と りわ け15世 紀 以 降 の物 語 群 はお 伽 草 子 とか 室 町 時 代 物 語 とか 呼 ば れ 、 と くに絵 の つ い た もの は 「奈 良絵 本 」 と呼 ば れ る。 「奈 良絵 」 は 奈 良 の絵 草 子 屋 に ち な む もの だ が 、 そ れ を テ ク ニ カル ター ム と して使 う に は 問 題 が 多 く、 さ した る根 拠 は 認 め られ な い 。 古 本 屋 が好 ん で 使 い 、 「奈 良 絵 本 」 とい う だ け で 、絵 巻 や絵 本 の 形 態 も区 別 せ ず 、 とに か く高 い 値段 が つ くの が 現 状 で あ る。 それ を廃 す る ため に も 「奈 良 絵 本 」 の 呼 称 は避 け た方 が よい 。 物 語 本 文 の 多 くは 『室 町 時 代 物 語 大 成 』(角 川 書 店)に 翻 刻 され た が 、絵 は 完 全 に省 略 され て し ま った 。 ま た 、完 結 か らだ い ぶ 時 間 が 経 過 して お り、 そ の 後 に発 見 紹 介 さ れ た新 出 の 物 語 もす くな くな い。 い ず れ に して も、 ず いぶ ん 関 心 は 集 ま って きて い る が 、 絵 巻 や絵 本 の 絵 画研 究 は い ち じる し く遅 れ て い るの が 現 状 で あ る。

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以 下 に 問 題 点 を整 理 して お くと、 まず 第 一 に絵 巻 は形 態 が巻 物 で あ っ て も、物 語 性 の有 無 に よ っ て絵 巻 と図 巻 とに 区 別 す べ きこ と(双 方 の 呼 称 の使 い 分 け は まだ 一 般 化 し て は い な い が)。 第 二 に原 本 と模 写 本 の ヒ エ ラ ル キ ー を廃 し、 す べ て の テ キ ス トを等 価 値 に み るべ きこ と。 第 三 に絵 巻 や絵 本 は文 芸 と絵 画 の 一 方 に 偏 す る こ と な く双 方 の 視 点 か ら統 合 的 にみ るべ き こ と、 の3点 が あ げ られ る。 第 一 は 、 形 態 は絵 巻 で あ っ て も物 語 絵 巻 は詞 書 を と もな うの が 通 例 で あ り(詞 書 の な い場 合 もあ るが)、 動 植 物 や 祭 礼 、 年 中行 事 な ど を列 挙 す る絵 巻 は 「図 巻 」 と して 区 別 すべ きだ と 考 え る 。 ス トー リ ィ性 の あ る な しは絵 巻 ジ ャ ン ル を と らえ る上 で 重 要 な 意 味 を もち 、 た ん に 巻 物 の 形 態 だ け で 一括 す べ きで は な い 。 つ ま りス トー リ ィ性 の あ る絵 巻 こそ が 日本 の 巻 物 の 特 性 で あ り、 中 国 や 西 洋 に もみ られ ない 特 徴 なの で あ る 。 図 巻 類 は 中 国 に も多 く、 ま た 日本 に も多 い が 、物 語 絵 巻 こ そ 日本 絵 巻 の 最 大 の 特 色 で あ る とみ て よ い。 第 二 は、 美 術 史 の 観 点 か ら作 者 の わ か る 一 級 品 だ け が 重 視 さ れ、 底 辺 や 裾 野 は無 視 され て きた 。 そ の結 果 一 級 品 の 模 写 本 は 価 値 の な い も の と され た が 、 模 写 とい う行 為 もま た ひ とつ の 表 現 行 為 で あ っ て、 一 個 の独 立 した テ キ ス トと して 意 義 を復 権 させ る必 要 が あ る 。 こ と に 近 世 の 住 吉 派 や 狩 野 派 は前 代 の 作 品 の 模 写 を よ く行 って お り、 模 写 本 とい う名 の不 当性 か ら テ キ ス トを救 出 しな くて は な らな い。 第 三 は 、 絵 巻 は 通 常 、 美 術 品 と して扱 わ れ が ち だ が 、 物 語 性 の あ る もの は文 学 で も あ る 。 そ の た め に も図 巻 と絵 巻 の 呼 称 の 使 い 分 け を主 張 して い る わ け で 、 双 方 に ま た が る ジ ャ ンル と して 総 合 的 にみ て い く こ とが も とめ られ て い る。 ま た、 図巻 類 で あ っ て も絵 画 の 情 報 は文 学 と も切 っ て も切 れ な い 関係 に あ り、横 断 的、 学 際 的 な 視 点 か らの扱 い や 解 読 が 要 請 され る。 ま た、 絵 巻 が 美 術 品 と して 扱 われ る結 果 、 一 級 品 を 除 い て屏 風 絵 や 掛 幅 図 な ど大 型 の 作 品 に く らべ て あ ま り対 象 に な らない ケ ー ス が 多 い 。 次 に 問題 に な るの が 、版 本 の絵 入 り本 で あ る(版 本 の 絵 巻 もあ る が今 は 略す)。17世 紀 以 降、 近 世 期 の 出版 文 化 が 確 立 す る と、 次 第 に絵 入 り本 が 増 え て くる。 墨 だ け の 墨 印 か ら華 麗 な多 色 刷 り本 まで さ ま ざ まで あ り、 歌 麿 や 北 斎 な ど著 名 な浮 世 絵 師 らが 描 く場 合 もす くな くな い。 近 世 の 刷 り物 とい う と、 一 枚 物 の い わ ゆ る 浮世 絵 ば か りが 注 目 さ れ る が 、 絵 入 り版 本 も また 実 に精 巧 で色 彩 が み ご とで あ り、 一 枚 物 の 浮 世 絵 と等 価 値 にみ るべ き もの で あ ろ う。 した が っ て 、 浮 世 絵 の コ レク シ ョ ンの あ る と ころ に は こ う した 多 色 刷 りの絵 入 り本 が あ る とみ て よ い。 一枚 物 も版本 も また 同 時 に 問題 にす べ きな の で あ る。 こ う した 絵 巻 や 絵 本 、絵 入 り版 本 の類 は ジ ャポ ニ ズ ムや 廃 仏 毀 釈 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 混 乱 な ど を 契 機 に海 外 に伝 来 し た ものが 多 い 。 どち らか と い う と欧 米 に 多 くみ られ る 。絵 の あ る もの が 好 まれ た こ と に も よ る だ ろ う。 言 語 よ り絵 の もつ イ メ ー ジ や メ ッセ ー ジは 通 じや す い か らで あ る。 西 洋 人 の コ レ ク シ ョ ンが 多 い の もそ の た め で あ ろ う。 欧 米 で私 が調 査 し た の は、 ダ ブ リ ンの チ ェス ター ビ ー テ ィー ラ イ ブ ラ リ ィ 、 ニ ュ ー ヨー クの パ ブ リ ッ ク ラ イ ブ ラ リ ィ の ス ペ ンサ ー コ レ ク シ ョ ン、 ハ ー バ ー ドの サ ック ラ ー ミュ ー ジ ア ム、 ロ ン ドンの 大 英 図書 館 な ど で 、 いず れ も有 数 の 絵 巻 や 絵 本 の コ レク シ ョ ンで知 られ る。 中 国 や 台 湾 に は こ う した個 人 の 収 集 に よる 絵 巻 ・絵 本 の コ レ ク シ ョ ンは あ ま りな い だ ろ う

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小峯 和 明 が 、 今 回 の 劉 氏 の お 話 で 美 術 品 が 実 にた くさ ん伝 存 す る こ と を うか が っ て 、 お お い に 蒙 が ひ らか れ た 。 そ の折 りに見 せ て い た だ い た ス ラ イ ドに、 刷 り物 の 『百 人一 首 』 の 歌 仙 絵 が あ っ た 。 こ う した絵 画 と文 芸 に ま たが る もの が ま だ まだ た く さん 出 て くる と思 わ れ る。 絵 巻 や 絵 本 の 出現 に おお い に期 待 したい 。 北 京 の 道 観 で有 名 な 白雲 観 に展 示 され て い た道 教 の 経 典 で 、 文 字 と挿 し絵 風 の 絵 が 交 互 に 出 て くる巻 物 が あ っ て び っ く り した 。 中 国 の 巻 物 は 大 半 が 物 語 性 の な い 図 巻 類 と思 っ て い た の で 、 文 字 と絵 画 が 交 差 す る巻 子 本 の 存 在 を知 っ て 認 識 を あ らた に した。 日本 以 外 で制 作 さ れ た 詞 書 と絵 画 が 交 差 す る物 語 絵 巻 の 出 現 を心 待 ち に して い るの で 、 ぜ ひ ご教 示 い た だ け れ ば幸 い で あ る。 お お き な紙 や 布 を手 に持 っ て 縦 に ひ ろ げ る絵 解 き用 の もの は イ ン ドな どで も 見 られ る が 、 横 に ひ ろ げ て なが め る形 態 で 、 しか も物 語 本 文 の 詞 書 もつ い て い る形 式 は 、 意 外 に も 日本 以 外 に は知 られ ない の で あ る。 文 字 と絵 画 の 交 差 す る絵 巻 や 絵 本 こ そ 日本 文 化 の核 の ひ とつ で あ り(マ ンガ や アニ メ の 原 点 で もあ る)、 日本 人 が 残 した もの 、 中 国 で 制 作 さ れ た もの な どの経 緯 の い か ん を 問 わず 、 中 国 での 絵 巻 の 出 現 を楽 しみ に して い る。 こ う した 絵 巻 や 絵 本 類 の絵 を集 め て 、将 来 は絵 画 デ ー タベ ー ス を作 成 す る必 要 が あ るだ ろ う。 そ の た め に も 中 国 に お け る 絵 画 資 料 の 調査 は急 務 で あ る と思 わ れ る。

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