第一次世界大戦および戦間期におけ
る日本文学の研究
中
山
弘
明
目
次
序
章
本論
文の意図
第一次世界大
戦と戦間期の日本文学
・・ ・・・ ・・・・・・1Ⅰ
第一
次世界大
戦と日本文学
・・・ ・・ ・・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・ ・・・ 18第一部
戦争
論と
メ
デ
ィ
ア
言
説
・・・ ・・・・・ ・・・・・・ ・・ ・ ・ ・ ・ 19第一章
生田
長江の
戦
争論
─ 第一次大戦期の批 評言説 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 19第二
章
中澤臨川の批評言
説
─ 世界戦 争 と 〈 科学〉 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 30第三章
報道
言語
の
中
の世
界
戦
争
─ 杉村 楚 人 冠 と 大庭 柯公 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 41第四
章
島崎藤
村
の
戦
争証言
─ 『仏蘭 西 だより』 と世 界戦争 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 55第五
章
『第三帝国』の
岩
野泡鳴
─ 第一 次大 戦期の メ デ ィ ア と ジェン ダ ー ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 67第二部
第一次世
界大
戦
の
現
象
学
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79
第一章
現象と
し
て
の
〈レマルク〉
─ 舞台の 上 の世界戦 争 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 79第二
章
坪内逍遙のデモクラ
シ
ー
─ 世界 戦 争 と ペ ー ジ ェン ト ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 93第三章
〈社会
講
談〉と
いう戦法
─ 世界 戦 争 と 民 衆 芸 術 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 105第四
章
〈赤光
〉
の時
代
─ 第一 次大 戦期 の短 歌表 現 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 115第五
章
落首と
米
騒
動
─ 危機の時代の短歌 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 126第六章
野口米次郎の翻訳
言語
─ 第一次大 戦期の日本文化論 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 137Ⅱ
戦間期の日本文学
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149第三部
戦間
期の知識人とメディア
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150第一章
戦間期を問う
─ 有島武 郎 と 人 民戦線 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 150第二章
満鉄の阿部次郎
─ 第一次大戦・企業・教養 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 157第三章
漱石山脈の地政学
─ 池崎忠孝と安倍能成 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 168第四
章
長谷川天
渓の
ラジ
オ
─ 「放送用語」と心理学 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 179第五
章
戦間期
の
モダニズム
─ バー ナー ド・ ショ ー来日をめ ぐ っ て ─・ ・ ・ ・ 191第六章
「プ
ラ
ー
ゲ旋風」の波紋
─西 條八十 〈映画主 題 歌 〉と 権利 問題 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 203第四部
戦間
期の『夜明け前
』
受容
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214第一
章
亀井
勝一
郎の
藤
村
論
─ 〈転 身〉をめ ぐっ て ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 214第二章
勝本
清一郎の転身
─ 『夜 明け前 』 と〈 人 民 戦線 〉 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 227第三章
資材
と
し
て
の
『
夜
明
け
前
』
─ 村山 知義 の作劇法 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ マテ リアル 239第四
章
監獄の『夜明け前』
─ 読書行 為と作劇法 ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 248第五
章
舞台の上の『夜
明
け前』
─ 〈コント ラ プ ンクト 〉 の周辺 ─ ・ ・ ・ ・ ・ 259終
章
〈
戦後〉へ向け
て
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272『荒地』のメ
ディア論
─ 戦争 ・ コ ラム・ ミ ステ リー ─ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 272付表「村山知義
獄中
読書リスト」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 282※初出一覧
・
図版一覧
凡
例
・ 引用文中 の漢字は 、原則と し て 現行 の字体を使用し、仮 名遣い 、 送り仮名 は原文の通り とした 。 固 有 名詞 につい て は 一 部、 旧 字 体 を 残 し た。 ・ 引 用文 中の ルビ・ 圏 点 な どは必要 に応じ て 省略した 。 ・誤記や一般の表記 に な じ まな い 場 合 は 適宜 ママを付した。 ・引用 者 の注 記 は ( ) で 括 っ て 示し た。 ・年次の 表記は 、 主と し て 西暦を 用 いて しる し、 必要 な 場 合のみ元号を 補 っ た。 ・本 文中 の 単 行 本 の 書 名 、 文学 作 品や論文のタイトル、新聞・雑誌名 は総 て『』 で 表記 し て あ る 。 原 文の引用が 多 い た めこ れと 紛 れ な い た め の配 慮 で あ る 。 ・本 文中の数字表記は、 例 えば「 一 九〇五年 」 、 「二三 」 などと表記した。引用文中の数 字表記 は 引用文その ま まの表記に統一した。 なお雑誌・紀要 な どの 逐 次 刊行 物 の 発 行 所、 巻号 につ いて は 省 略 し た。 ・雑誌・新聞から の引用文の表記は、原則 と し て それぞれの媒体の表記に 則 り、 全集類 な どがある場合は適宜参 照し て 、 異同を点 検した。序
章
本論文の意図
第一次世界大戦と戦間期の日本文
学
一 世界戦 争 を文学のレ ベ ルで 問う 試みは 、 こ れ まで いくつもなされ て き た だろう 。 しかし 第 一 次 大 戦 ( 「第 一 次 世 界 大 戦 」 を 本 文 中で は「 第 一 次 大 戦 」 の略 称を用 い る ) と 日 本 の 文 学 者の 認識 を 問 題化す る こ と は 、 ほと んど 手つかずの分 野 で ある 。そも そ も 、 〈第一次 大戦 と 日 本 〉 と い う 概 念 自 体が 、 言 わ ば 認 識 の 空 白で あっ たこと は 紛れもな い。確 か に 血 が 流 されることは少なかっ た。しかし、世界が全体性を持つ 時 代に あっ て 、 日 本 が そ れに 無縁 であ り得るはずもな い し、 こ の 〈海の彼方〉 で 発 生した戦争 を 距離 をお きつつ メ デ ィ アを媒 介 と し て 消 費す ることは 、極 め て 今 日 性の高いテーマ で ある。 例 えばそれ は、湾 岸 戦争 か ら イ ラ ク 空 爆ま で の 近 年 の〈 戦争 〉を考察 する手 掛 か り を与 え て も く れ る の で は な いか。 それはオースト リ ア=ハンガリー帝国の皇 太 子、F・フェルデナン ト 大 公夫妻の暗殺を 発端とす ると いう のが 歴 史 上 の 通念で あ る 。 しか し戦 争計画 そ のものは 、は るか以 前 から 既に整っ ており、平時からの徴 兵制は一九世紀に入ると常態 化 する。言 わば「サ ラエボの 銃声」は、破綻への一部 で しか ない。ヨーロッ パ はドイ ツ 、 オ ー ス ト リ ア、 オス マン帝国 を中 核とす る 同盟 側と 、 イ ギリ ス、フラ ンス、 ロ シアの連 合国の陣営に分かれて 世界戦 争 へと 突 入 した。普仏戦 争以来 、 半 世 紀ぶりのヨー ロ ッ パで の大戦 争 で あ る 。 当初は早期の 終結とい う 楽 観論 が大半 で あった。両陣営とも い まだ 騎 士 道精神 が 生 き ており、多 分 にロ マンティ ックな 祖 国 防 衛戦 の幻 想からスター ト し たようだ 。ドイツ帝国統治下のアルザス ・ロレーヌを描いたA・ド ー デの『最後の授業』 な ど に 、戦争の呼 び 水 と なる 卑俗化した ナ シ ョナ リ ズ ムの痕跡を確 認す るこ とは 容易だろ う 。 戦 争 は当 時のヨーロ ッ パ を 蔽って い た茫漠とし た 不安を解消する 手 段で もあ っ た わ け だ 。 一方眼を日本に転ずると ど うだろう 。様々な「大正史 」を ひ も とくと、そ こ に見られる 言説は ヨ ーロッ パ の 帝 国 主 義に よ る 世 界 支配の構造の破 綻 と 、 「デモ ク ラ シ ー」の気 運の 発端 を 捉 える 認識が 目 につく 。例えば米騒動を そう した動きを示 す 顕 著な兆候とす る (1) 指摘もあ る 。 し かしそれは確かなも の だろうか 。 米 騒動を戦 争 論 の視点か ら見る と き 、 (2 ) なに よりもそれは一種の〈市街戦〉 であり、国内の危機的状況 と 総 動 員 体 制へ の端緒を読 み取るべきで はな いか。確かに一九一八年は 象徴的な年だ。第一 次 大 戦 が 終 息 するととも に、普選運動が異様な 昂まりをみせ、寺内内閣はシベリア出兵 を強 行 す る。また 極東 にお ける 共産主義 の動向は 、朝鮮 半 島 で の三 ・一運 動 や中 国における五・四 運 動 の形を と っ て 日本への直接的脅威と な っ た 。 従来の歴史観は 、 それらを 「 民 衆 運 動 」 の萌 芽と位置づけ 、同時に ア ジアにおける 新 た な 帝 国主義 の 変奏を探 る。つま り「単一民族意識」と のせめぎ 合いの中に、日本の「民衆 運動 」を位置づけるとい う の が 大 正 史 の 歴史 的定説 と 言 え るだ ろう 。 第 一 次 大 戦 はその 意 味 で 、 「 挙 国 一致 」を偽 装 するため の 「 天 佑 」 で あった と する 見解 が生まれる所以 で ある。しかし これは「昭和史」を前 提と する一種の 顚 倒した論 法な ので は あ る ま い か 。 大 戦 期 の 諸 雑 誌 を 開 く と 、ま ず 目 に 飛 び込 んで く る のは 様々 の「 世界 地 図 」 で あ る 。それはヨーロッ パばかり でなく、 当時の植 民地地 域 も 含 む。 我々は こ の 戦 争 が 、日本人 にとって 何より も 「世 界」を学習 す る大 き な 起点 であっ た こ と に、 もっ と意 識 を 向けるべきで はな いか 。確かに日本をめぐる国際環境は、こ の 戦 争 を契機に劇的に変 質 す る。 日英 同盟を基軸としたそれ まで の外交方針は 自ず と失効し、ワシン トン体 制 をめ ぐるパワーポ リ ティクスの中に日本は組み込まれ て い く。 世 界 戦争 と 日 本の関わりを、 短 期間に終結した対独戦に 限 定することは出来な い 。山室 信 一 は 、対華二十一カ条要求 やシ ベリ ア出 兵、尼港 事 件 など を 総 体と して 含 ん だ 「 複 合 戦 争 」 とい う 視 点 を 提起 し て い (3) る。それは日英 、 日米、日中間に関わる 入り組ん だ「外交 戦」 のはじ ま り で あっ た。 こ う し た 問 題 意識 が、 当 時 の 文 学・ 文化 を捉 え る 上 で も必 要 で は あ る ま いか 。 ここでは戦争の現 象面 を今少し整理し て おこう 。 開戦当初か ら 新型銃器の導入 も 手伝い、 西部 戦線 は防御主体の 「塹壕 戦 」へ とた ちど ころに変質 す る。マ ル ヌ 会 戦を 経 て 、フ ラン ス北東部に両軍 は 延々 と塹壕を築く。それはや が て ベ ルギーへ と 広 が り 、 長 大な線を形成 した 。長 期的な 消 耗戦が 、 こ の 世界戦 争 を意 味づける 大きなポイン トであることは言う ま でもない 。参 戦国 は、 これを維持 す るため に 国 民 生活 全体 を導入 す る 総 力 戦 体制を 余 儀 な くされた。一方、植 民 地の実 態 はどうか。大 戦がはじまると 、 アフリカでは英 仏 軍がド イ ツ領トーゴ に 攻め 込ん だ。そ れ に 対 抗し てドイ ツ はイギ リ ス 領 南ア フ リ カを攻 撃 。 こ れに 呼応 し て ボ ー ア人の反 乱が 起 る 。 太 平洋 で は ニュ ージー ラ ンド がドイツ領サモ ア に侵攻し、 オーストラリア 軍 がドイツ領ニューギニアに 上陸攻撃を開始した。また、イギ リ ス 軍 がア ラ ブ 人を支援す る 中で ト ル コを圧迫、所謂「ア ラ ブ反乱」が勃発した。日 本 は早くも一九 一四 年一 〇 月 三一 日、 ドイ ツ 領 青 島 を占 領 す る 。 ドイ ツ東洋 艦 隊の 牽制 と山 東 省 の 租 借地、 及び膠州湾の要塞攻略を目標に、首相大隈重 信は 、充分な審議を経る こ となく 参 戦を決定 した とい う。一方海 軍 は、植民地からの輸送船護衛の名 目 で 地 中海へも進 出 し て い く 。大 戦後 、日本は山東省の権益と南 満州鉄道の利権ばかり でなく、ドイツが統治し て い た 南洋 群島を委任統 治領とし て 手 中にす る 。 そ ればかりか、国際 連盟の常任 理 事国入り を果 た す ことによっ て 、文字通り国際社会の 中に確実 な 地 歩を築 く こと に な るの である。 こうした 状況 は、 当 時 の 日 本の メ デ ィア の 中 でどの よ う に 伝 え ら れ た の だ ろ うか 。 文 学 言 説 を 考 え た場合、そこ に 〈 戦 争 〉を めぐる直接 的 記載がな い こ とを も っ て影響 な しと す る の は あた らな い。大和田 茂 が 、 「文壇 や 作家 た ち の 反 応もけ し て 微 少で はな かった 」 と明言 す (4 ) る よ うに、それを当時の読 者の視点から考えた場合、 世 界 戦争の〈 影〉 はより慎重な検証 が 必 要になっ て くるはず で あ る。 一九一七年、ペト ログ ラ ー ドで 巨大なデモが 起る。一 〇月革命 で あ る。 レーニンの指導 する 左派急 進 派の ボルシェビ キ が武装蜂起 し 、 ニ コライ 二 世 を 退位 へ と 追 い 込 む 。大 戦そ のも の は 、ロ シアの 離 脱に よって 漸 く 終 結に向けて 動 き 出 すが 、 こ う し た革命 軍 の拘束か ら チ ェコを 救抜 す る と の 口実 で ア メリカ ・ イギリスが ロ シアに侵 攻した 。 一九一八年 六 月 、 米ウィルソン大統領は 日本に派兵を要請。こ れが シベリア出兵 となるが 、 こ こ で は 〈 起源
とし ての ロシ ア革命〉 とでもい う認 識 論 に 注 意し てお きた い 。 先 の 「民 衆 運 動 」 「デ モ ク ラ シ ー 」 を中核とする〈大正〉 史観の成立が、 こ れに関わる こ と は 言 う ま で も な い 。 ここ にもまた認識の顚倒 が ありはしまいか。当時の視点 に 立っ てみれ ば 、 ボ ルシ ェビ キは未 だ 政権奪取の成否も分からぬ パルチザン で あった。 む し ろ〈防共 〉意識 が メディア を通 じ て 浮上することに留意したい。 国 際社会の中の 日本とは 、常に こ う し た極東地域にお け る各 国の複雑な 利 害を反映した存在に他な ら ぬ わ けだ 。シベリア出兵 以 降、特に 注意を要 する のは アメリ カ で あ る 。 一九 二四年に 、アメリ カは 排日移民法 を 施行する 。日 露戦争以 来 の 黄 禍 論の 世界 的な 広が りの 中で 、第 一次 大戦 を「 人種 戦争」とす る 認識 が 生 まれる の も 故 無しと し な い 。大戦中日本で は 様々な「戦 争 論」が 書 かれたが 、 こ れに加 わ った文学者、 批評 家 の 数 は 多 い 。 そ こ で は戦 争 を 国 家 レ ベ ル で の 〈 生存闘争〉 と みる意識が顕著 である 。 詳し くは後に見 る が、根 無 し草 となった 都市 大衆に 生 命 力 を回復させ、国家の活力を誇示 す る 一種の浄化作用が 、戦 争に 期待され て い たの である。 ここ から〈文明の戦争〉 〈 正義 の戦争 〉 、とい う 大義名分も派生 す るので は な い か。 斯く の 如 く 、 こ の 世界 戦 争 を視 野に 入れるこ とは 二〇世紀全体への問い を 発 す る ことに 等し い。足 か け 六 年 の 歳月 の中 、のべ九〇〇 万を越える 兵 士の 血 が 流され た 。 非 戦闘 員の 死者は 実 に一〇〇〇万人に及ぶと い う 。 そ ればかり ではない。従 来の〈戦争 の 概 念 〉を 根 底から覆す 事 態は 、二〇 世 紀の人間 認識をも 変え た。笠 井 潔が 指摘 す る ように 、飛 行 (5) 機 ・ ガ ス ・戦車などの 新兵器に よる無差別殺 人と 大量死は 、 「 人間 性」そのも の を変容さ せ、 正 体 不 明 の 群 衆 時 代 の 到 来 を予告 す る も の と なった。 また この 時 代 は、 相 対 性 理 論 ( 一 九〇五)に代表されるよ う な、二〇世紀の科学革命の時代 でも ある。 時 空 間 をめ ぐる 古典 物 理 学の拘束から、よ うや く人間は解放されつつあっ た の である。世界 戦争 は、どこをも っ て 開始 ・終結と いう定義はな い。あらゆる日常の境界 線 を 無効化し、秩序 を 液状化させ る。世界恐慌の波 及にともなう労 働争議は 、危機意識を恒 常 化 さ せ日常を 戦争状 態 に変 え た。ま た メ デ ィア の質 が 大 きく 変化す る 契機もこ の 時 代に 求めら れ る 。 『改造 』 『 解 放 』 が創 刊さ れ、そ れ を代表 す る オ ピニ オン リーダ ー が現 れ て く る の も 大 き な特 質 と 言 わ ねば な る ま い 。メ デ ィ アと の関わ り で 言 えば 、全体主義 の 起源がこの戦 争 と 関わることも 言 う まで も あ る ま い 。 つ ま り メ デ ィ ア を 介 して 、 日 本 は 〈 海 の 彼 方〉 の戦 争を消 費 して いたは ずな のだ 。 日常的な身体の レ ベルに目を向ければ 、 スペイン風邪 が人 間の交通 にとも な っ て 世 界 へ 波及し 猛 威を ふるったし、塹壕 戦の 恐怖に長時間さらさ れ た兵 士は 戦後、 強 度の 「シ ェル ショッ ク 」 ( PTSD)に悩まされる こ とに もなる。まさに世界が一つの 空 間の中で 、 〈 二 〇世紀的苦悩〉を体験 することになっ た わけだ。考え て み れば、 日 露 戦 争 が 終結したの は 一九〇五年 。 日本の 世 界戦 争への参加まで 九 年 し かな い 。 そし て 大 戦終結から、 次なる一 五年戦争までの時 間もわずか 一〇年余 で あ る 。 日本は日露戦争の 〈 影 〉 を 引きずりながら、 そ の 戦後処理 と次 なる太 平 洋を舞 台とした 日 米の 対立へ と 傾斜 し て いっ た。 第一 次 大 戦 を 問うこ と は 、 従 っ て 次 な る 世界 戦 争 と の 狭 間 の時間
ー
すなわち一九 二〇 ~三〇年代とい う〈 戦 間 期 〉 に焦 点 を 合 わ せ る ことに他 なら ない 。 む し ろ 極 東 の国 、 ア ジ ア の 日 本に おい ては 、 こ の〈 戦 間 期 〉 へ の 視 座 こそ が 重 要 と 考え たい 。 〈 戦間 期〉と い うコ ンセプト自体 は 、 社会 科学 の 分 野で は 既 に周 知 の 概念 で あ る 。 そも そも「 第 一次 」と いう 言葉の 起 源は どこ にあるのだろう か 。それは「二次」を 前 提と した〈 戦 後〉的認識を 前 提 にし て い る。「一次」とい う用語そのもの が 既に〈 戦 間期〉を 予告し て いる の で ある。 当 時 の 新聞 ・雑 誌を 瞥 見 す れ ば、そ こ には開戦 と 同 時に〈次 の戦 争〉を準備した言説にいくつ も 遭 遇 出来 る。 確か に「 『戦間 』 と い う 言 葉が 一九一九年 か ら一九三九年まで の期間を意味す る とす るならば、日本はこ の 鋳型にぴたりとは納まりきらな い 」 と 、 政治思想史家 の I・ニ (6) ッシュは 述べ て い る。しかし 〈 第一次大戦と日本〉を焦点化 す れば、 む し ろ ベルサイユ条 約が 調印さ れ た一九一九年 から一九三 〇 年 代 まで 、こ の約二〇年に満たな い 時代の 重 要性 が浮かび上がっ て 来 る はず である。外交的に日本は、ワ シ ン ト ン会議 ( 一 九 二一 ~一 九二 二 ) 、ジ ュネーブ会議(一九二七 ) 、パリ会議(一九二八) 、 ロ ン ドン会 議 ( 一 九 三 〇) と いった国際的な檜舞台に乗り出 す一方 で 、満州事変(一九 三一) に 象徴 され るよ う な 、 大 陸進 出へ の足 が か り を 、 確 実に得て いく 。その意味 で 、 〈 帝国〉へ向けて 歩みを刻み、日 本の植民地支配 と も深くコミッ トする時期 で ある。従っ て 〈 戦 間期 〉を問 う ことは、 所謂 総 力 戦 体 制の 本質 を正 面か ら見据える こ と で ある。旧 来の 「 大 正 」 とい う概 念は、 見 てき た よ う に 常に デ モ クラ シーと 結 びつけて 論 じ ら れ て 来 た 。し かし戦 後 民主 主義 の源 流を大 正デモク ラ シ ーに 見 る 論 法 は 、 〈 戦 間期〉を一つの「断絶 」 とし てしか認識し 得 な い (7) の で はない か 。 む ろんそ れ は、デモ ク ラ シ ー を無 視 す る こ と で は な い 。 繰り返 す が、世 界 戦争 を問 うこと は 、常 にそ の後の 時 間へ と射 程を広 げ る こ とを 意味 する わ け だ。 近年 、歴史学の分 野 で 一九三〇年 代 の再 考が進ん で い る 。それはデモク ラ シ ー の 中 (8) に潜 む負 の要素
ー
ファ シズムの萌芽を検証する視角を切り開き つつ ある。 ま た こ の時代 に見られる 超 国家主義的志向を、従来 不問に付され てきた 国 体論 や日 本主義の洗い 出し に よっ て 進 める 気 運 も 見 られる 。また、モダニズムの動向も多様な芸術 を横 断 す る こ と (9) に よ って 、 そ の イ デオロギーと の結び目を明らかにしつつある 。 〈 戦間期〉をめぐる検討 も当然そ れ ら と交差 す る だ ろう。H・ ハ ル ト ゥ ー ニア ン は 、 「 戦 間 期 に 凝 縮 さ れ た 、 め ま いを 覚えるほどの資本主 義 的近代化の進展」 に関し て 、 特 に 「 近代の 超 克 」 論 議 と (10 ) 絡め て 論 じて いる 。要は 国 民 国 家を超え出る契機が 、 どこ ま で 発見出来るかといった議 論 に関わ る 。 こ れらの知見に学びつ つ 、何よりも〈文学と知識人〉 と い う 、半ば言い 古され た問 題を再検 証 し てみる必要性 を私 は感じ て い る 。確か に 「戦 間期 は 知 識の 拡散 と文化 の 大衆 化が 進んだ 時期 」 と定義 す る こ と は 容 易 である 。 し か し そ う は い っ ても 、 「 知 識 (11) 人 」 とい う問 題系 が意味 を 失った わ け で は け し て ない 。い や 、 むし ろ思 想 弾 圧 と 転 向 の 時 代にあっ て 、 こ の テーマは 依然 とし て 重 要性を帯びたもの である は ず だ 。私 が、世紀転 換 の象徴と し て の〈戦 間 期〉と い う 枠 組みを設定す るのも、こ の 時代 を生きた「 知 識人 」の 動 向 を 、 こ う し た 概念 に よ って 描き 出す こ と が 可 能と 考え るから に 他ならな い。むろ ん 今 日、 「 知 識 人 」 を 無 謬 の 存 在 と し て 扱 う こ と は 許 さ れ な い 。 し か し 〈 戦 間 期 〉 と 「 知 識 人 」 を結びつける こと で 見 え て 来るもの もまた大きい。いず れ にせ よ こ こ で は、彼ら の認 識を 自己 目的化し な い 慎重 さが 求められるに違いない。 以上の縷説し てき た ご とく 、 〈 第 一 次大 戦 と 日 本 文学 〉につい て考察 す る こ とは、 従 来 の「 大正」と いう 枠組みを一度解除す る こ と が求 められる。そ れは ヨ ー ロッパを規準とし た価 値観が 大 きく動 揺 し 、 環 太 平洋地域や 、 東アジア世 界 を 軸 にし た世 界観 が浮上 す る時 代 で も あ る。次に来る時代を常に意識し ながら、時間の大き な 転 換 点 と し て 、当時 の 日本 の 文 学 や 批評 言説 を捉 え 直 して み よ う 。 こ れ が 本 研 究 の大き な ね ら いで ある 。二 前節 で は 、 い ささか大きな鳥瞰図を掲 げ ながら 、 概略的に述べ てき たが 、 本 研究は 、〈 第 一 次 大 戦 と日 本文 学 〉 とい う問 題 意 識 の もとに書 か れ た 論 攷 を 、 二 つの部 分 と四 つの 柱 の もとに まとめたもの で ある。 以 下、 各章の具体 的 な 展 開を少しく素描 し て お きたい 。 Ⅰはまず 、 〈 第一 次大戦と日本文学〉のテ ー マ に 即し て、世 界 戦争 を直接、 間接 に捉 え た様々の日本の言説 を 俎上に載せた。テーマ の巨大さに目を 奪 わ れ る こ と な く、 出来る限 り 具 体的な問題を取り上げ 、言説の襞の中に分け入ること で こ の転 換期 の質 を描 き出 すこ とを意図 した。第一部「戦争論とメ ディア言説」は、はじ めに生 田 長江 、中 澤臨川 と い っ た こ の時期を生き た批評 家 の、主に世界戦 争 に関わる文章を分析した 論 攷 を 据えた。 ここ で補 助線 となるの は 、 「代 議 制 」 で あ る 。 戦 争 の 時 代 が、 日 本 に お け る デ モ ク ラシ ー と 重 なるこ と は 先 にも 触れた。文士の 政 治活動や選挙立 候 補がとりざたされるの もこ の 時 期 で ある 。長 江・臨川もデモク ラ シ ー の 時代にあっ て 、 「 戦争論」と同時に、多くの「代議制 論」を残し て いる。二 つはけ し て 無 縁で はな い。戦 争 を、言葉のレベル で「代 理 」させつ つ認識 す る と はどのよ うな ことなのか
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大戦 期の日本 の批評水位が 、自然 に そこから測 定出来る であろう。また、世 界 戦争 がそれを報じるメディア言説 を 肥 大 化さ せた ことも疑 い な い。当時のジ ャーナリスト杉村楚人 冠と大庭柯 公 は、共に新聞 人 と し て 当時 海外 で 活 躍し 、世界戦 争を報 じ た。日 本 人が「 新 聞」を通じて ど の よ う に戦争を消費したか は 、そ れ自体興味深 い問題 で ある。本章 で は 、 こ の 時代を〈新聞記者の 時 代 〉 と位置づけ、戦争 論と ジャーナリ ズ ム 論 をクロスさ せ た。 そこ で 課 題となる のは、大戦期の紙上に氾濫す る 一 人 称言説にみられる視野の固有性の隠蔽と い う 問題である。さら に重要 なの は作家 島 崎 藤村の存 在 で ある。彼は一九一三年 五月から 一六年四月ま で 、 約三年の 歳月をフ ランス で 過ごし て いる。それは 大戦 勃発の一年 前 か ら 、ヴェルダン要塞の攻防 戦 の 時 期にあ た る。 こ の 時期藤村は『仏蘭西 だ より』の総題で 、 様々の 記 録を『東京朝 日 新 聞』に寄稿した。 執筆の期 間は一 九 一三年八月二七日から一五年八月三〇日ま で 、 一 二〇回 に 及 ん で い る 。 こ の 間、フ ラ ン ス 政府はボルドーに移転 し、 藤村も一四年八月 にはリモ オジ ュに難を逃 れ た。ド イ ツによるパリ 空襲もこ の期間で ある 。ま さに 彼 は 、第一次大戦と〈現場〉で遭遇 したの で ある。従来「新 生 」事 件 と の関わりから伝記的に論 じ ら れ ることの多 か っ た 藤村 の言説を、世界戦 争の〈現場〉証 言 と し て 、 当時の新聞言 説と 交差させながら、 こう した 証言 が 創 り出 す 虚 構の リ ア リ テ ィについ て 検 討した。また雑誌 『第 三帝国 』 は、 こ の 時代 を象徴 す る総 合誌 とし て多 くの論者の活 動拠点 と なった 。 い さ さか 面妖 な名の こ の 雑 誌 に 掲載された岩野泡鳴の戦争論や女性論を論じることで 、大 戦期のジェ ン ダー編成の 一 端 が 明らかになるはず で あ る。女性 と戦争の関わ りは、総 力 戦 体制 をめ ぐっ て、近年様々 に調 査が進ん で い るが、本章は その源 流 を探る試み でもあ る 。世 界史的 に 見 て も、 第一次大戦 が女性参政権 運動と深く結びつい て い る 事実 は、古くから指摘 が あ る。 出征した男 性 に 代 わる 〈女の時代 〉 が、当時意識 されて い たの で あ る。 第二部 は 、「第一 次 大 戦の現 象 学 」 とくくった論攷を集めた 。 世 界 戦争は文学に描かれ 、 舞 台 で 上 演 さ れ た 。 戦 争 が 生 ん だ 稀 有 の ベ ス ト セ ラ ー 、 E ・ レ マ ル ク ( E,M,Remarque 18 98 -197 0 ) の 『西 部戦 線異 常な し 』(一九 二 九 ) は 、 そう し た 中で 最も 著名 な も ので ある 。 その日本 への移入と し て 、 劇化の問題が重 要 性を 持つ。 こ の芝居は映画や レ ビ ュ ーといった当 時 の 先端 的な 表現媒 体 を利用 し つつ 、 舞 台上に〈戦争〉を現出 させた 。 こ こ では 劇評 や当時 の 舞台 写 真 を 使 って 、そ の一端を 解明した。続く二章 で 注目したいのは、一九 二〇 年 前 後 坪 内逍遙 が 大衆を動員した 「 ページェント 」 と い う イ ベ ントを立ち上げ 、 それを 「 世 界戦争 の 代 用 物」 と位置 づ けた 問 題 である。世界戦争 を 回 避 す べ く 企 画 さ れ たペ ージ ェン トが 、総動 員 体制の基盤を 創 っ て し まうと い う の は 、 いかに も皮肉 な 光景と 言 わねばなる まい 。 こ こで鍵 に なるの も や は りデモク ラシ ー で ある。 逍 遙 が ペ ー ジ ェ ン ト を企 図 す る に 際 し て 参 照 し た 二 冊 の 原 書
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ア メ リ カ の 劇 作 家 「 パ ー シ ー ・ マ カ イ 」 ( P, Ma ckaye 18 75 -19 5 6 )の 『 戦 争 の 代 用 物』 ( A Sub stitu te fo r W a r 19 15 )と 社 会 心 理 学 者 「 G ・ T ・ W ・ パト リ ッ ク」 ( G, Patrick 185 7-1 949 )の 『 弛 緩 の 心 理 学 』 ( The P sy chol ogy o f R el ax ati o n 1 916 ) の分析 を 踏まえ 、 都 市 大衆を 巻 き 込 んだ 大 規 模な イベ ントが 、 世界戦争の影 響下に生 み出 されて く る 背 景を 解 明 した 。次 の三章で は 、 演芸の世界でこ の 時期 、 「 社 会 講 談 」と題す る試みがあった こ とに焦点をあて た 。一九二〇年七月の雑誌 『 改 造 』に は堺 利彦、 上 司小 剣、沖野岩三 郎らによる 創 作講談が 掲載 されて い る。旧来の講談に 社 会 性・ 時代性を盛り 込ん だ「社会講談」と い う 形式 は、折からの 「民衆芸術 論 」との 関 わりの 中 で、 この 戦争 期に 浮上し て くる。それは伝統的な 旧話を大胆に読み替え、正史 に 俗説 を対置 さ せ 、 また 当時 の様々な 「争議 」 「騒乱 」 を 読 者に想起させることで 資本主義 社会の構造的な断裂を 露 わ にする 。 こう した 「社会講 談 」 の営みを 、 白 柳秀 湖ら の実作にあ た りながら分析した 。 また短詩型表現の分野への焦 点 化も逸することは出来な い 。斎 藤茂吉 の 著名 な『赤光』 ( 一 九一三 ) は 、 同時代の歌人に大きな影響 を与えた が 、 ここ で は そ の受容の一 端とし て 、 当 時 創られ た 『 赤 光 』 模倣 歌を 、読 者投稿欄 から 拾 い 上げ る 作 業を 行った。その特 質 と 世 界戦争 の 関連性を 探っ ていく上 で注意を要 す るのは、 W・ ヴント ( W, Wu ndt 183 2-1 9 2 0 ) の社会心 理学 である。茂吉は三井甲 之との論争を媒介に、ヴントの所謂 「 創 造的総 合 」 を 短歌 に応 用 す る こ とを 標榜 し 、 個人 の さ さやか な 〈 声 〉を 「国 家 」 や 「 民 族 」へ 向 け て総 合化し て い く 構想 に取り憑かれ て い た。 ここでは世界戦争の 時 代 が 、日本 に おい て 紛 れも なく〈赤光の時代〉 で もあった事 実 を解明した。また、 こ うした 恐 慌と危機 の時代 の 日本 にあっ て 米騒動 を 無視す る ことは出来な い。第一次大戦の 末 期 、浮き立つよ うな戦 争 景気 の後にやっ て来た天井 知らずの米価高騰が、世界 戦 争 を現実の もの とし て実感 さ せた 側面 も否定出来ない。言 わ ば日常の戦争化 で ある。新聞や雑誌に は 、 当 時の 政治 や社会 を 風刺 した多くの「ざれ歌」が掲載された。五章 で は米騒動の時期に『東京 日 日新 聞』 に現れた 安成 二郎の風刺歌を 、 「落首 」 と い うコンセプトで 検 討した。 ここでも 新聞の「埋め草」 の如 く書 か れ た 歌 々 の 中 に 、鋭 く世 界 と 切 り 結 ん だ 時 代 性 を 見 て取 る こ と が 出 来 る で あ ろ う。 最 後 の六 章 で は、 日系二世 の美術家 とし て 高 名 な イ サ ム・ ノ グ チ の 父野 口 米 次郎 を と りあ げ た 。 彼 は 一 八九 三年 、 わ ず か 一八 歳で 渡 米 し 、 学僕 を し な が ら 詩 集 Seeen and Unseen 18 96 を刊行し て名を 挙 げる。以 降、 ロ ン ドンに 渡 っ て 次 々 と詩や 評 論を 英 語 で発 表 し 一 躍英米文壇の 寵児とな った。彼 はこの大戦期 に 、 「二重の国籍」を生き ながら多くのユニ ーク な文化論を残 した。 こ こでは野口の「 翻 訳言 語」の持 つ特 殊性を 探 る べ く、 一九一 三 年にロンドンの日本協会とオックスフォード大学 で 行 っ た 〈 日 本文 化〉に 関 わる講演 記録 であ る 三 つ の テ ク ス トー
The S pi ri t o f Jap an es e P oe tr y 1 914 と そ の 日 本 語 版 『 日 本 詩 歌 論 』 (白日社 一九 一五・一〇 ) 、及び再刊 本 『野口米次郎詩論 』 ( 玄 文 社 一九二 二 ・六 ) の比 較対照 作 業を 行っ た。彼は英語で 〈 日本 〉を 語 り つつ 、それを自ら日本語に 翻訳していた わけだ。母国 語をめぐる表現行為の ねじれを 、 こ れ ほ ど端 的に 示 す 例 も 少 な い。 ここ では具 体 的な訳語に分け 入 るこ とで 、世界戦 争の時代における〈 翻 訳言 語〉の実態 を 明ら かにした 。 こ う して 見 て くると我 々は 、当 然視 野を 〈戦後 〉 に 広 げね ば収まりが 付 かぬ 事 実 に気づ く 。 Ⅱで は 、 〈戦間 期 〉と いう 視座を立てて 、その時空間に様々の文学言説を浮かべ て み る試 みを集成した 。そ こ で 焦点 を 当 て た い の が先 の島 崎藤 村の大 作 『 夜 明 け 前 』 である 。 成田 龍一は、 この〈 戦 間期〉を「歴史意識 が大き く 変 わ ろうとした時期」 と 捉え、 (12 ) 従 来 の唯物史観とも 、 アカ デミ ズムの歴史観とも異な る一つの〈維新論 〉を提示した 『夜 明け前 』 の意義を論じ て い る 。 ま た 渡 辺 一民は 、「 一 九三五年 前 後 における知の地 殻 変動」 を重 視 し 、 そ の中で 「 『夜明け 前 』 の磁場 」 とで も よ べる問題系が措定出来 ると 指摘 (13) し て もい る。 この大河小説 は、 これま で 多様 な視点か ら 議 論 さ れ て きた が、私 は 『夜 明 け 前』を 〈 戦間 期〉と い う 時 空に浮 か べて み た い欲望に 駆られる。 本 研 究 第四部にまと めた 一連の論考 は 、こ の作品を当時の知識人がどのよ うに受容・消費した か を様 々な角度か ら 探った も の で ある。作品 『 夜明け前』を論じる こ とを一 度 封印し、 その読書 形 態 に光 をあ て た 。 そ こ か ら浮 かび上が るのは 、 〈監獄〉と い うトポスの重要性 で あ る。転向と い う傷 を抱 えた 多くの 知 識人 が 、 競っ て 『 夜明 け前』 を 読 ん だ 。 そ れ は 今 日 我々 が 考 え る よ う な 、 古色蒼然た る 歴史小説とは趣 を 違える、 生々しい同 時 代 の 読書 の姿 に他 な ら ない 。勝 本清 一郎 や亀 井勝 一郎 ら が 、 〈 戦 間 期 〉 そ れ ぞ れ の 転 身 の 果 てに 藤 村 に 接 近 す る の もそ うし た 意味か ら 重要 である。そ し て 今 一つのポイ ン トに なるの が 、 『 夜明 け前 』 の 劇化 である。 村山知義、久保栄ら に よる脚色・演出は、単 に新 劇史上 の 傑 作 と言 う に 留 ま らず 、原 作 を 新た な角度から読み替えた当時の知識人の認識 が 浮き 彫 り に な っ て い る 。かく も 主人 公青 山 半 蔵 に 、多 くの 読者は 、 新鮮な 〈 転向者の肖像〉を見出したの で ある 。 『 夜明け 前 』こ そ 、 当時の知識人 が己を問 う 試 金石 であった と言いたい 。 むろんそ こに 、 〈 戦 間 期 〉 の 日 本を内発的に問 う 問題意 識 が潜ん で い る ことは言 う ま でもあ る まい 。 こ こ で は 村 山の 監獄 での 読書 を 整 理 し 表 に ま と め 、 さら に 劇 評 や 舞 台 写 真 、 そ し て 久 保 栄 が 残 し た 詳 細 な 戯 曲 『夜明け前』の演出記録(ミザンセーヌ)を分析する作業 の中から、 そ の舞 台の 実相を 出 来る 限り 具体化 し た 。 それはS ・エイゼンシュティ ン と V ・プドフキ ン が 『 トーキー 宣 言 』 (一九二八) で主張する「視覚と聴 覚の対位法」を、演 劇 へ と 転 用 した もの なの である。 これは少なくとも 従来 の島崎藤村研究とは一線を画 す 形 で 、 〈 戦間期〉の知識人の動態を 『夜明け前』を試験紙とする こ とによっ て 明 ら か にした も のに他 な らな い 。 ひ い てはそれ は 日 本近代文学研究の始発が 、 島崎藤村と深く関わる中で スタートした 事 実 とも 相 関 す る こと に な る は ず で ある 。 また第三部「戦間期 の 知識人とメディア」に まと めた 論攷は、い ず れも こ の 時代を 生 き る 知 識人の動向とメディア 言説を様々に追求した ものである。第一 章 で はまず 、 こうした 〈戦間 期 〉を問うこと そのも の の意 味を 吟味しつつ、有島武 郎 が一九一 九年、マス コ ミを 震撼させた所謂「 森戸事件」を契機に、知 識 人とし て の立 ち 位 置を意識 する契機 とな った 〈人民戦 線 〉 ( Fr ont Po pu laire ) と いう問題系を検討した 。先の 『 夜明け 前 』受容におい て も然 り だ が、 〈 戦 間 期 〉 を 考 察 する 手 が か り を 私 は こ の 〈 人 民 戦 線 〉 に 求 め た い 。 平 野 謙 が 終 生こ う し た 認 識に とらわ れ て い た事 実は 、 『 文学 ・昭和 十 年 前 後 』 (文 藝春秋 社 一 九七二・四)をはじめとするい くつもの著作により明らか であ る。 今日、 知 識 人 が共 同 戦
線を 張 り 、 〈 権力 〉に対 抗 す る 図 式 を徒に聖化するこ とは 出来な い 。む しろこう した構図 が大 きく浮上 すると こ ろにこそ、 〈 戦 間 期 〉 固有 の 知 識 人 の 夢 想 を 見 出 し た い と 考 え る。 それは次なる 〈戦 争〉と結託 す ることで 、総力戦体制の呼 び水ともなったの で は あるまい か。続く二章は、 当時 の先 端的企業 であった南 満 州鉄道 の 労 働 者を 対象に 、 阿部 次郎 がお こな った講演会の実態を掘り 起 し、そ こ に労 働 運 動と 企業の 関 わり、国 際社会 を 生 き る人 間の〈教 養〉の質 を問 うた論 で ある。阿部 は 一 九 二〇年に 「満鉄 読 書 会 」に 招かれ 、 各 地 を講演し て ま わ っ た 。 そ れ は今 日 、 『人格 主 義の 思潮 』 ( 満鉄読書 会 一九 三五 ・六) 掲 載 の 速 記 録と して 読む こ と が 出 来 る 。こ こで は 併 せて 彼が 旅しな が ら 読 んで いた 社会主義 文献 ( J, Spargo Th e P syc h o log y o f B ol sh ev is m 1 919 ) を 原書 で あたり ながら 、 当時 「 知 の 王 国 」 とも称された企業エ リ ート達と、大正期を 代 表 す る教養人 阿部 次 郎 の 「 人 格 主義」が、 ど のよ うに交 わ ったのかを 追 尋した。 ことは〈 戦間期〉の 日 本の植民 地支配 の 内実 とも 深く 関係 するはず であ る。 三章は〈戦間期〉の漱石に関わる表象に 光をあ て た。赤 木 桁 平 と安 倍能 成
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二人 はと もに 〈漱石山脈〉を構 成した論客だが 、 赤木は 大 正期文芸批評の急先鋒の役割を果 た した 後、本名の池 崎忠孝 と し て 膨大な「 軍事 評論 」を執筆 、 対 米 問 題 の 専門 家 と し て 名 を 成し た。一方の安 倍は、池崎が戦後戦犯容疑で 巣 鴨に収監され て い た 時 期、幣原 内閣 の文相 に 就任、教育改革の最前 線へと押し出され、折しもアメリカから 来日した「教育使 節団 」と 折衝を 担 当 す ることになる 。〈 漱石 山脈〉 を 形成した 池崎と安倍がいず れもこの 〈 戦 間期〉 に、ア メ リ カ と向き合った批 評 を数多く残し て い た 事 実 は 殆ど知 ら れ る こと がない 。 ま さ にそれはワ シ ント ン体制によっ て 国 際秩序 が 再 編 され 、 ア メリ カが 「 デ モクラ シ ーの帝 国 」 へと変容し て いく時代 でも ある。彼らが共有し て いた 〈 ア メ リ カ〉 とは何 で あったの か。 それは第二次大戦後にも連接し て い く、太平洋をめ ぐ る地 政学的認識論 を解 析する こ と に もつながろう 。ま た四章は 〈 戦間 期〉の ラ ジオと い うメデ ィ ア に 光を あてた論 である。 こ こで 焦点化 し たいのは長 谷 川天 渓 で ある。明治 末 、 「 自 然 主義論争」 で 名を馳せた 後 、彼 はメディア研究のため渡英。帰国後博文館に 入社し、傍ら早 大 英文科の教壇 にも立 ち 、大 戦後 のイギリ ス 文 学と 心理学を講 じ た。 同時に「 国語 国字問題」にも積極的に 発 言し、一 九三四年には「東京中 央放送局用語調査委員」に 任命されて い る。 時期は日本におけるラ ジオ 放送黎明期 で ある。天渓は 、心理学の裏付けに基づい て当時 こ の「 ラ ジ オ用語」の選 定と 規範作りに奔走した。 ここで は 〈 戦 間期〉の重要 なメデ ィ ア で ある ラ ジ オを 、 「 放送 用語」とユング 心 理学との関わりの 中から追及した。また 五章 は、 こうし た 〈 戦 間期 〉の モ ダ ニ ズ ム の 動 向 を 具 体 的 に 検 証 す る 糸 口 と し て 、 一 九 三 三 年 の バ ー ナ ー ド ・ シ ョ ー ( G,B,Sh aw 185 6-1 9 5 0 ) 来 日をとりあげ た。 当時 は 、 映画や舞台をも巻き込 む 「 ショ ー現 象」が世界的に 巻 き 起 っ て いた 。 『 ピグ マ リ オン』 は 映画化され、ブ ロ ードウエ ー・ ミュ ージ カ ル と し て空 前 の ヒ ッ ト を と り 、 一 九 二 五 年 に 彼 は ノ ー ベ ル 賞 を 受 賞 す る の で あ る 。 ま た その 来 日 の 前 年 に は 上 海事 変が 勃発し日本は 国 際連盟を 脱退し た 。小 林多 喜二の築地 署 で の拷問死があ り、佐野・鍋山の獄中転向を契機とし て 、日 本は思想史 的にも大きな転 機 を 迎え つ つ あ っ たわ け だ 。こ う し た 世 相に 対 し 「 警 句」 をま き 散 ら し なが ら、 シ ョ ー は 日本に や っ て き た 。木村毅、新居 格 、大宅壮一ー
モダンボーイ達は競っ て シ ョ ー を追い かけ 、ショーを 語 った。ここで は 新 聞・ 雑誌 を通じ て 、そ の来日と「ショー現象 」を出 来 る だ け詳 細に追跡した 。 さ らに六章で 採 り上 げ た のは 「著 作権」 の 問題 で あ る 。〈 戦 間期 〉は、サイ レン トか らトーキーへ と変容し て い くメデ ィ ア 転 換期 にあた る 。 西 條 八 十は 『唄 の自 叙伝』 ( 生活 百科 刊行 会 一九五六・七 )の中で 、当時「 映画には 必ず主題歌がは い るよ うになり 、しかも それの作者はほと んどわ た し一人」 であったと述べ て いる。注意せ ねばならぬのは 、 八十 の書いた映画主題歌『女 給 の唄』 を めぐっ て 大きな「 著作権」論議 が起 っ た 点 だ 。 そ し て この 国 際 化 の 時代 は、 問 題 を 国 内 に 留め ては お か な い 。 一 九二 九 年 、 外国音楽著作権 組 合の代理人 と し て 一 人 の ド イ ツ 人 が 来日 する。 ウ ィ ル ヘル ム・ プ ラ ーゲ ( W, Pla g e 1 88 8 -19 66 )な る こ の 人 物 、 来 日 す る や 日 本 の 音 楽 ・ 文 学 ・ 放 送 ・ 演 劇 な ど 広 範 にわ たる 著作権管理を精力 的に 実践し、権利問題に疎 い 当 時の日本人を驚嘆させた。 こ れ を「 ブ ラ ーゲ旋風」と称 す る。 ここでは「機械時代」 で あ る〈戦 間 期〉 にお けるメディア マ シ ン ・ エ イ ジ と権利意識の関係を、 こうした 「ブ ラーゲ旋 風」の実 態調 査を踏 ま え て 考 究 した もの であ る。 以上の 如 く、 本研究 は 〈第一次大戦と戦間期の日本文学 〉 の実 態を様 々 な角度か ら追 跡 した わけ だが、 最 後 に 〈結 び〉に代え て 、 「 『 荒 地 』 の メ ディア論 」と題 す る論 を据 えた。 時代が 飛 躍 す る よ う だ が 、 け し て そ んなことはな い。鮎川信夫、田村隆一、吉本隆 明
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戦後 詩の中で 、雑誌『荒地』の 存在は半ば神話化された も の と 言 え る。彼らは欧米の様々 な詩的実 験 が 、 第 一 次 大 戦 によ る危 機意識 を 発 端 に 生 まれ た こ と を 熟 知 し て いた 。そ れ が 日本 の〈 戦後〉 に お い て 、 「 現 実 逃 避」に終わ っ たので は な い かと いう 鋭敏な 自 覚が 彼ら にはあ っ た 。 『 荒 地』がT ・S ・エ リオッ ト の同名作品の影響の も とに作られた ことは、 極め て重要 で ある。 こ こでは第一 次 大戦と第二 次 大 戦ー
二つの世界 戦 争 を リ ン クさせる べく 、敢えて 『 荒 地 』 の問題を 採り上げ た。 しかも 、 鮎 川 信夫の従来等閑 に 付されて来 た コラ ムやミ ス テリー 批 評に 光を 当て た 。 〈戦間期〉のサスペンス・ミステ リ ーと モダニズ ムの関わ りは 、雑誌『 新青年 』 を一 つの源 流 と し つつ、後の日本文化全体を覆っ て い く現 象で ある。半ば神 聖視された『 荒地』を、 安 価な 週 刊 誌に載 ったコラ ム やミ ス テ リ ー と関 わらせ る ことは、一面 非 難 をまねきか ね ない。しかし 本 研 究 の 最後 では、 あ え て こうした 問題に 踏 み込んだ 。二つの世界戦 争 の〈戦後〉を結ぶ線を探ることで 、 ひ と ま ず の 区 切り をつけてみ よ うと い う のがそのねら い で あ る 。 次節 では、 こ うしたテーマの扉を開く意味から、まず 第一 次大戦を日本の文 学者や批評 家が どう 捉えて い たかに つ いて 幾つ か の 例 証 を 示 し た い。 所謂 総合 誌や文 芸 誌、 そして 新 聞各紙には当 時様々の 戦争論 が 踊った。言 わ ば戦争論の時 代 と は、 対 象 を距 離 を とりつ つ 消費 するとい う意味で 、 こ の〈第一次大戦と日本〉のテ ー マを 象徴 する現 象 と言 える 。文 学者 も ま た 、 そ れ に多 く荷 担し た の であ る。 ここ ではそ の幾 つか を 瞥 見 し なが ら、 そ こ に 見られる 特質を押 さえて お こ う 。またあわ せ て 「第一次大戦」と い う用語の起源も 、 〈文 学〉と の 関わ り か ら改 めて 問う 必 要 があ るに 違 い な い 。 三 さ て 本節 では、日本の文学者の 戦争認識 を探る端緒を 示 し て おきたい 。具体 的 には 『文 章世 界 』 一九一四年九月号掲載の特集『欧 州大戦観』に見ら れる 文学者 の 批 評 に、 同時期 『時事新報』に載 った諸 家 の戦争論を絡め て 描い て み たい。 む ろ ん 当時の『中央公論』 、 『 太 陽』など の批評 言 説も 参看 せね ばな るま い。 ま た 、 あ わ せ て 戦 争のはじまりと 終 わ りを確 認 す る上 で 、 一九一九年一月の 『時事新 報』の特集 『 戦 ひ は終 れり』 と 、 『 新 青 年』 一九二 〇 年一月の特集 『次の 戦 争』 も 瞥 見し ておく必要があるだ ろ う。 『中 央公 論』は開戦と 同時に 社 説『 欧州の大 乱を論ず 』 ( 一 九 一四・ 九 )を掲げ、一つ の指 標を示した。そ れ を見 ると「欧 州大 戦争 は 流 石 に 百 年 に一 回の 大事件 な れば 容易 にテ キハキと片付 くべし と は思はれず 」 とあり、 「日 本の参 戦 」につい て大 きくスペ ース を と マ マ って 論じて い る 。 「 近 年交通 の 道益々開け て 世 界 は比隣となり、戦局を欧 州 に局限 す るの 困難 なるは識者の夙とに認めた る処 なり」
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少 な くとも開 戦時の 諸 誌 の 言 説 を見 る と 、 当初 か ら この 「 大 戦 」 は け し て 「 対 岸 の 火 事 」 な ど で は な く 、 日 本 が世 界 の 中 で 大 き な 位 置を占 め るからには 、 それに当 事者と し て 関 わ り を持つ の は 必 定で あった。 すなわ ち 「欧 州大戦」 は、 日 本 を含 む世 界規模の 戦争 へ と 拡 大 する こと は、言 説 の レ ベ ルで は 早 い時 期から 認 識 さ れて いたので はな いか。 ま た や はり『中央公 論』の社説『戦 局 の 発 展と 大義 名分 』 ( 一九 一 四 ・一一)を 見 ると 、戦 争の〈現場〉 から の報 告と して 、早 くも「両軍 今 や 全 線に亘り殆んど半 要塞 戦の観を呈」すとの指 摘もある。事の是 非は置い て 、 「大 乱の勃発 するや世界人類 の道 徳観 念 は 為め に一大 震 衝 を 受 け し は 争 は れぬ 事実 」 と し 、 「 大義名分」 の 上から「 正 義 人道」のための参 戦も辞さぬ と いった気構えを示 す。 つまりデモクラ シ ーを擁護 す る 為の戦 争 と い う明確な「大 義」を、当時の日 本は言説の 上 で既に掴みつつあったと言える。 こ うした「大義」を声高に掲 げた 「派兵 」 の論 理は、今 日も イ ラ ク や アフガニスタン を めぐっ て 繰り返 さ れ て いる現象である。 ここで 文 学 者 の言説に目を向けよ う 。まず内田魯庵 が い る 。彼 は開 戦時か ら 、 雑 誌『太 陽』に『書斎の窓 より』の総題 で 様 々な 戦争論を掲載 した。例 え ば 『 Ger m an Peril 』 ( 一 九 一四・一〇 ) を 見 ると、日本の 参 戦 問題につい て か な り踏 み込ん だ 言及 がみられる。 「青 島を占領するは決し て 難 事 で は無からうが、 独 逸の民族を 敵 とするは大 厄 である」 と明 言 され 、 「 デモク ラ シー を以 て 国 民 の 思想を固め」つつある現在 のヨーロッパの中で 、 日本 が相手と す べ きはけし て ド イ ツ では ない との認 識 が披 瀝され て い る 。 『 戦 争 に由 て得た る 数四の教 訓 』 (一 二)なる論文 には 次のよ う な指 摘 も あるー
「憲政擁護 を 叫ぶもの が同 時に 直ぐ 鉄 血 的 対 外 交 を主張 し て ミ リ タ リ ズ ムを 煽動す る 。日本 の 国民は デ モク ラ シ ーの 真の 熱愛者で あ る 乎 」 。 こ こ に はデモク ラ シ ーとミリ タリ ズムを表裏一体と 見る意識が垣 間見える。 魯 庵 に すれば、 あらゆる 「挙国 一 致 は 強 ゆ べ き も の で は 無い 」の で あ り 、 そ れ にも関わらず 現今の「政府の挙国一致に盲従」する時代の 空気を強く懸念し て もいる。 彼 はデ モ ク ラ シ ーを 、 「 挙国一致」の精神と関わらせ る こと で一定の距離 をと り な がら、批 判的視 点 を確保し て い るの である。 「正 義人道 」 に基 づく戦争 を是認した 『 中 央 公論』の 社説 と一線 を 画 す 、魯庵の 戦 争 認識がうかがえる箇所とし て 注 目し ておきたい。 一方、 こ の世 界戦争に「文明の一転機」を読み取る見 解 も 多 い 。 そ の一 例が、 や はり雑 誌『太陽』掲載の上田敏『独語と対話』 ( 一二) で ある。彼 は「戦争の 為 に明白に なつた 二大傾向 の盛衰」を重視す る。即ち それは、当時支配的であった 「 帝国 主義」と「人道 主 義」の闘 争 で ある 。 「 大 戦 乱は 思想の戦争 だ 」といった表現 も みられ、今や世 界 は「文化 の為 の戦 争」に突 入したと いう 。つま り 「 人 間と して 考へて 行 く思想と独逸 人 と し て 考へ て 行 く 思 想 と の衝突」がこ の戦争の根本にはあるとする上田 は 、 そ のど ちら をも単 純 に良 しとは し な い ので ある。ここ に も 、 戦 争 を 人 間 認 識を根源から変える世界規模の闘争とみ る視 点 が 窺える 。 その意 味 では 、 『 欧 州 大戦観』に収められた相馬御風の次の見解 と も符合す る 。 ヨーロ ッ パ各 国が 一つにな つて 独逸を敵と し て 居 るの は 、 一方から見ればカ イゼルの 英 雄 主義 、 征 服 主 義 、 争闘主義に対する近代 的平民主義 、 和協主義平和主 義 の戦 ひで 、 他方から見れば虚偽 な 平和主義に対する仮面剥 奪 である。勝敗 の結果如何 と 云ふ事よ りも 、戦後に於る 欧州 各 国 の 国 家と して の態 度如何にある 。欧州 人 の政治思 想、外 交 思想 の変化 如 何 に ある 。 ( 『 日 本 人 と し て の 感 想 』 ) 「戦後 に 於 る 欧 州 各 国の 国 家 と し て の 態度 」 を 問題 化す る視 点がな に よりも重 要であ る 。 こうした「思想 戦 争」 、 「 文化 戦争」 は 勝敗 を 超 え て 〈戦 後〉の世 界観そ の もの に大 き く 作用 す る か ら である。日 本 が無 縁で い ら れぬ の も 、 こ こに起 因 する とい う 。 「文化 戦 争 」 を〈 戦後〉と結び つ け て論 じるの は 、 金 子筑 水の『 戦 後の 吾 思 想 界 』 ( 『 時 事新 報』一 九 一八・一一・二六) で あ る 。彼は「今回の世界戦争ほど明白 に 文化 の戦 ひであり民族 性の 戦 ひ で あ つた ものは極め て 稀」と ま ず述べる。それは、複数 の 異 な る「 文化 」が同 一 空間 に併存 す る こ とによっ て 起 った とし、 次 のよ うに述 べ る
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「思想 方 面に於 て も全体はい よく
世界化し て 、 我 国 の思 想界とて も 、従来 よりも 一 層直接 に 此の世界的潮流 に 感 化さ れ 支 配さるべ きは 、 火 を見るより も 明白 である」 。世 界が一体性 を持 つ中 で、 各国 間 の 差 異は 顕 在 化し 、思 想闘 争は 避け られな い と の 認識がここ に はある。日清 ・日露戦争の 如 く 直接的なもの でない だ けに、 む し ろ この戦争 は そ こから 受 ける 文化 的影響 や 衝撃 の方 が意 義 を 持 つ 。戦 争を 常 に 〈戦 後 〉 的 次 元で 捉え る 認 識も そこ から 生 ず る 。 そ の 「文 化」 の 担 い手とし て の 「文学者」が、 こ の世界 戦 争につい て 発 言 す るのは 当 然 と い う のが、 当 時、 一般 的な 見 解 で は な か っ た か 。 以下、そ の代表 的 なもの と 目される特集 『欧 州大 戦観』 を 中心に 据 え な がら 、文 学者の 世界戦争観を様々交差させつつ見 て い こ う。まず こ の 特集 だが、 六 人の 文学者が 寄 稿 し て いる。岩野泡鳴『 戦争即文芸 』 、 鈴 木三重吉 『愉快 な 戦争』 、 野口 米 次 郎 『 双方共 結 構 な 戦 争 』 、 三 井 甲 之 『 欧 州 動 乱 の 意 義 』 、 小 川 未 明 『 少 数 の 自 我 に 味 方 せ ん 』 、 相 馬 御 風 『 日 本人 とし ての感想 』 が そ れ である。 ここに共 通し てみられ る 特 質 は 、 戦 争 を 一 つ の 「 生命 現象 」と みる立 場 であ る。例 え ば三 井甲之は 、 「 内的生 命 の波動」により 、 「現状打破の 運動」 が 地殻変動 の如く起っ て いるとす る 。 「世 界 文 化 が 一転機」にあると 見 る 彼は 、 「 理 想主義 」 の代表者としてベ ルグソンをあげ 、 「理知主義打破 」 の こ うした 哲 学は 戦争の時 代に こ そ 意義 を持つとし て い る 。また日本が「東西文明の 交流の 創 造 的 苦痛 」を 体験し て いると見るのも、甲 之 の論の特質 で ある。 こ れは戦争 を 「 生存 の苦 悶」 と す る泡 鳴 の 視点 とも重なる し 、 よ り素朴には 、 「 訳 もなく愉快」とい う 鈴木三重吉の、時代を象徴した 生 命観 などにも 感じられる問題 で ある。泡鳴 は 戦時に起 る「不安と警戒 と 努力 」が、 生 活 の あ り よう を 根 本 的 に 変 えて いくだろ う と 言う 。従 って 文学も 、 そう した 緊張 感に適 応 せね ば な らな い 。 こ の よう な 視 点に 呼 応 す る のは 、 『 時事 新報 』 の 田 山 花 袋『戦 争 と 文 学 』 ( 一 九一四・八・一三~一四) である。 花袋 は言 うー
「力の緊 張 と 言 ふ 意味 から言 つ た ら 、 これほど壮快なこ とはあるまい。新しい芸 術 、そ こ か らは屹度 新しい 芸 術 の 気 分 が生れ て 来る 」 。 彼 は あ ら ゆるも の が 「 実行」に向かっ て 進ん でおり、そ う した 「気 分」を戦争か ら 感 じ と るこ とこ そ芸 術家の使 命で あ る と 力 説す る 。 ま さ に「 新し い芸術の気分 」を生 成 する 戦争 がそ こ に ある。 ま た、同 紙 二 七 日の 『戦争 と 思想 』 と 題され た 長谷 川天 渓の言 説 にも、共通した も のを 感じることが出来る。天渓は「世 界 を一新 す る大掃除」 に 戦争 を譬え、 「 我 が国 の 物 質 的 文 明 」 が 、 こ の 世 界 戦 争の「輸入杜絶」によっ て 一転し、 かえっ て その中 か ら「 新しい元気」が生 まれるは ずと説く。ヨーロッ パ 勢 力 の一 時的断絶を、日本 の主 権回復 の 好機と 見 るこう し た認識に は 、 植民地主義的野心も見え隠れし て い る。ここ には 、 戦 争を 国家レベルで の生存闘 争 と みる認識 が や はり 働い て い よう 。 人 種 的 な 「 退化 」 は 、 明 治 末期から 世界的に意識され た 現象だが 、 戦 争はそうし た 生命の闘争心を 蘇 生さ せ 、 文化的活力 を 取り戻 す 〈健康法〉として 認識され て い た。 ここに は 、 戦 争を 引き 起 す 「 生 命」の暗部
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破壊衝動 を対 象化す る 意 識 や、 漱石 が 『 點頭 録 』 ( 『 東京朝日新聞』一九 一六・ 一 ・一~二) で 語った よ うなシニカルな立場は殆ど感じら れ な い の で ある。 ところで 開戦時、既に 〈戦後〉への 予兆を 孕 んだ 論が 幾つか見いだせる。 次 の甲之の発 言 に は留意し ておきたい。 そ れ か ら 最 後 にア メ リ カ 及 ア メ リカ思想 に対 する態度 である が 、そ れ は ドイ ツ の 神 学 がジエームスのプ ラ グ マチズム を 取 入 れ たのを憤つた ヴン ト の 態度 を以 て 、 われら は アメリ カ の思 想 に 対 せ ね ば な ら ぬので あ る 。 アメリカに対して はアメリ カ 魂 と ア メリ カ主義と を 以 て し ては 量的に 日 本 は 敗北 せ ね ばなら ぬ 。 甲 之 はここ で 明確 に 、 「 ア メリ カ 及 アメリカ思想に対す る 態 度 」こ そが 今後重 要 で あ る とす る。それ に対 し て は「 量的に日本は 敗北 」することも、彼は こ の 時 点 で 既に警告し て いる 。三 谷 太 一 郎 『 大 正 デ モ ク ラ シ ーと ワ シ ント ン体制』は 、 「第一次 世界戦 争 後 の 政 治 的ア メリ カ ニ ゼ ー シ ョ ン」 が日 本 の デ モ ク ラ シ ー を 形 成 し た と い う 視点 を 提 起 し て (14 ) いるが 、 まさに対米問題 こ そは外 交 ばかり で な く 文化史的にも 緊要の課題で あった 事 実を 、 こうした文学者の戦 争 論 は 図らず も 照明し て い る の で あ る 。 こ こで 目 を 転 じ てお きた いの は 『 中 央 公 論 』 に 開 戦 間も なく 現れ た『 大戦後 の 予断 』 ( 一九一四・一一)と 銘 打たれ た 特集 で あ る。そ こ で 例 えば戸水 寛人『戦後に於ける軍 事問 題』は、明確 に「 戦 争 に於 て大 いに 教訓 を 得 たのは 米 国が 今 後 東 洋 に於て 跋 扈す る」事だと 述 べ 、 「戦後 日 本に於て は 大 いに 海軍 を 拡 張 」 す る 必 要 が あ るとも 強 調す る 。 ま た 中澤 臨川 『戦後 に 於け る思 想、芸 術 の 傾 向』 は、 先 の 甲 之 の 発 言 と 完全 に呼 応 し てい る 。 つ ま り 「 ベ ル グ ソ ン の 説 く 様 な 、 生 命の哲学、直観の哲学」が広く唱 道 され、 「 精 神 的新 生」 が各方面 で 起 る こ と で 「因習」 が 破 壊さ れて いく のが 今後 の 展 望で あ る とす る 。 世界 にお いても は や 「 思想や芸 術上 で は 、 国境 と 云 ふ 観 念は 、余程 薄 くな つて 居る」わけで 、日本も いずれ は そうした〈 戦 後〉的世 界観の 中 に取り 込 まれる だ ろうとい う の がその結論 で ある 。 こ うし て見 ると 、 や はり 戦争 そ の ものよ り も 、 〈そ の後〉の世 界 に対 する予見 が、 開 戦 時の 思潮 界の 主流 を占め て いた ことは 明 ら か であ る。 これ は 戦 争 の 〈 そ の 後 〉 を 常 に 問 う 、 陣 野 俊 史 ( 『 戦 争 へ 、 文 学へ』 集英社二〇一一・六)の提言とも響き 合 うものだろう 。 戦争は五年近く継続 さ れた が、 ここで我々は 終戦時に おける言説 を も視野に入 れ ておく 必 要 性を 感じる。それは 見 て き たよう に 当時の戦 争論が、常に 〈戦後〉を 先 取りしつつ 展 開す ると 考え る か らで あ る 。管 見に 入っ た限 りで は 、 や は り 『 時事 新報』が 一 九 一八年の 一一月から翌年に かけて 『 戦後の吾思想界 』 と『戦 ひ は終 れり』と題した 特 集を断続的に 組み、文学者 もこれに寄稿し て い る の が 目 に 付 く 。 内 田魯庵 『 強 兵 の 幻 滅 』 (一 九一 九・ 一・ 一~ 二) は、 「強 兵 万 能 の イル ユ ー ジ ヨ ン が 破 れ た 事 」 の 意 義 を 大 き く 論 じ てい る 。 つ ま り 「 戦争 に勝 つ て も世 界の大勢 に逆行 す る も の は 結局 は敗 れ る 」 こ との 実 例 が示 さ れ たと 言う 。 彼 はこ こで 「軍 備 制 限 」 を 強く 求 め る の だ が 、こ れは また困 難 な 課 題で あることも熟知し て いる。それは何より も 「徴兵制はデ モク ラシ ーと同時 に発 生した も の」 であ る か ら だ 。こ れは 代議制と 総力 戦 体 制を一体のも のとみる 、 当 時と しては か なり 先験的な 議論と 言 えるだろう 。米騒動の主体とな った〈大衆〉は、 ま た 徴兵の 対 象ともなる 存 在 で ある。総力戦 の時代は 、危機の常態化と紙一重 な の で ある。また長与善 郎 『 争闘心と愛の 葛藤 』 ( 一 九 一九・一・七~一〇) ではやはり、 戦争 を文化史的見地から捉 える認識 が顕 著 で ある。 彼 は「 争闘心と平和を愛す る 心と