『源氏物語』論
――物語の言
葉と異国――
序
章
―
―〈
言葉〉
と
し
て
顕
わ
れる〈
異
国〉
――
第一
章
『源氏物語』異国関連用語考
――「から」 「 もろこ し 」 を 中心に― ― 『源氏物語 』 の世界に異国との交 流 環境やその文化が いかに深く関わ っ て い る のか、そ れは 、 例 え ば 主人公の「光る君」と いう 呼称が異 国 高麗 こ ま の相人によっ て 名 づけられ 、 ま た その将来が 予見されたことからも 窺 い知るこ とがで き る 。 そし て ま た、物語に お い て 異国 の面 影 が 極め て重要 な 意味 を持 つとい う の は 、 多 くの 場面 で異国 の こと が語られる こ とか らも確認 できる。例えば、 「みなこ の御事をもほめたる筋にのみ、 大和 や ま と のも 唐 から のも 作りつ づけ たり」 ( 「賢木」 二・ 143) 、 「 聖 ひじり の 帝 みか ど の世に横さまの乱れ出 で来 る こ と、 唐土 もろこ し にもはべ りけ る。わ が 国 に も さ なむ は べ る 。 」 ( 「 薄 雲 」 二 ・ 454)と い っ た よ う に 、異 国と 日 本 を並 べて 書く と い う 表 現方 法 が 見 出 さ れ るが 、こ れは 、異 国と日本のこ とを取り揃えることに よっ て 、 ひ と つの空間 を完成したものとし て 成立させる と い う 、物 語の世界観 の あらわれ では ない だろうか。 豊富 な 用 例 を 精 査 す る と 、 「も ろ こ し」 は 外 国 と して 実 在 す る 場 所 、 一 方 の「 か ら 」 は 外国そのも の で は なく 、日本に軸足を置いた 、外国に対す る抽象的で 観 念的な も のと し て 理解 できる。 また、 「から (の うた) 」 と 「 もろこし (の う た ) 」 は 、 従来、 と もに漢詩をあ らわすものとし て 捉え られ て き たが 、 そ れら には大きな 違 い が ある 。 す なわち 、「から ( の う た ) 」 は 、 作中 人物 に よ って (再 )生 産され た漢詩 、 一 方 の「もろ こ し( の う た ) 」 は 、 物語の外側にある漢詩を指 す の で ある。 こ の よ う に、 物語の中 で 成 立した漢詩 (日本漢詩) 異国を表わす言葉の中でも、 『 源氏物語』 で は、 とくに「か ら 」 と 「も ろこし」が頻繁 に登場す る 。 こ れらは 、従来 、と もに中 国 を 指 すとされ 、その意味 や 用いられ 方が 明確に 解明され て こ な か った 。 第 一章で は 、「 から」 と 「もろこ し」 の相違 点 やそれぞ れの意味内 容を分析 し 、 さらに物 語の中にお い て ど のように機 能 して いるのか を 考察 す る 。 このよ う なことを考 え 合 わ せると 、従来の漢詩文受容の問題に止まらず、 異 国を示 す 言 葉 自体につ い て の 定義 、ある い は 、 異 国 を表す 言 葉が物 語 の中で 言 葉と し て かな り頻繁に 挙げられることの意味や機能を、 よ り積極的 に読み解く 必 要 が ある の で はな いだろうか。 本 論 文 で は 、 『 源氏 物 語』 にお い て 、 異国 が どの よ う な言 葉 に よ っ て、 どの よ う に 描 か れ て い る のか 、 ま た 、 そ の 描 か れ方 は、 物 語 に お い て どの よ う な意味 を 持 ち、い か に 機能 して いく の か 、と い っ た課 題 に つ い て 考 察す る 。第Ⅰ部
『源
氏物語
』
にお
ける異
国
物語は 、 先行す る 物 語 に影響さ れつつ、 自らの新しい 世 界を構築 し て いく。 異 国に関連 する言 葉 と い うの も、そ う した先行 物 語 との影響 関 係の中 で 再生産された もの である。 と くに、 『 うつほ物語』 『源 氏 物 語』 『狭衣 物 語』 には 「 唐土 もろこ し 」 「 高麗 こ ま 」の名が 共通 して 見え る
第三
章
権威
付け
の装
置と
して
の
「
唐土
」と
「
高
麗
」
第二章
「知らぬ国」考
――絵合 にお ける 『 う つ ほ 物 語 』提出の 意味― ― 「しる」と い う語には、 「 統治する 、治める 」とい う 意味もあり、 「知らぬ国」 は、 「 見 知らぬ国、 経験した こ とのな い 国」 の意以外 に、 「為政者 の政治力の 及 ばな い国」 と い う 意 味も含まれて いると思われる。それを考えると、絵合の 場 で 俊 蔭が 流れ着いた 国 が「知ら ぬ国」と語 ら れ て いる のは、俊蔭 の 辛苦の旅 を描くだけではなく、 宮廷社会と の 隔たりを 感じさせる 空 間と し て 描く ためのも のと 考え られる。そ し て さ らに 、それは 、 俊 蔭の旅 地 とし てだけではなく、後に披露される光源氏の「須磨の 巻 」をも見 据 え た表現とし て 読み 解くことが 可 能 で はな いか。 こ の 絵合 で の勝利が 、政治 家 とし て 返 り咲いた光源氏にさら なる地 位を齎 す ことを 考 えると、 そ う した 「 知 らぬ国」 の 重層的 な 空 間表現 と し て 、「 宇津 保の俊蔭」 が 「須磨の巻」 の前座として 披露され た意味があ っ たので は な い かと思わ れる。 と 物 語の 外側 に あ る 漢 詩 ( 中国 漢詩) に 対し て異 なる表現 が な さ れ てい る こ とを 勘案 する と、 仮 名 文学 に お ける、 中 国 とい う 外国 の 文 学 に 対 す る意識 の 如 何 も、 さ ら に掘 り 下 げ て いかなけれ ば ならな い 極め て 重 要な 問題と思わ れ る。 第 二 章 で は、 絵 合 で披露 さ れ た 物語 の 中 で、 と く に 『 うつ ほ 物 語』 が 「 俊 蔭 は、 は げ し き 浪風 なみ か ぜ におぼほ れ、 知ら ぬ国 に 放 た れ しか ど、 な ほ さし て行 き け る 方 の 心 ざし もか な ひ て、 つひ に 他 ひと の 朝廷 み か ど にもわが 国に もありが たき 才 ざえ のほどを 弘 め 、 名を残 しける古き 心」 ( 「 絵合 」 二・ 380) と 評されるところに注目す る 。 『うつほ物語 』 は 、 後に披露される光 源 氏 の 「 須 磨の巻」と 有 機的に結 び付い て お り 、ま た、 光源 氏の 流謫 地 で ある 須磨も「 知 ら ぬ国」と 表されて い た からで あ る。 『源氏物語 』 の絵合巻には、光源 氏 が後 見 す る斎宮の女 御 と 権 中納 言の娘 で あ る 弘徽殿 の女御方の間で 催 され る絵合の様 子 が 描 かれ る。 まず藤壺中 宮 の御前で 開かれた絵合 では、 一番目には 『 竹取物語 』 対 『うつほ物語』 、 二番目には 『 伊勢 物語』 と 『正三位物語』 の 対 決が展開され て い くのだが、 こ こでは決着 が つかず、その勝負 は冷 泉 帝の御前に持 ち 越さ れる ことになる。 そし て 冷 泉 帝の前 で 行 われた絵合 で は、 光源氏 が 須磨の地 で制作した 「須 磨の巻」が 披 露され、 斎宮の女御 方に圧倒的な 勝 利をも た らす 。 ― ―『うつほ 物語 』『 源氏物語 』『 狭衣物語 』を通 し て ― ―こう した 表現は、先 行 す る 物語 の伝統を踏まえつつ、 さらに当の物語 自 らの 論理に符合 させた 形 で あ ら われたもの であ ろう。 例 えば、 『 うつ ほ物語』 に 「 唐土」 が 突出した 形 で あ らわれるのは、俊蔭が 「唐土」から秘琴を獲 得した こ と と 強 く結びつい て いると 考 えられ る。また『 源 氏物語』で 「 唐土」とともに「 高麗」が重 要 な位置を 占めるのは 、 主人公光 源氏 の 運 命を、 「高 麗 人」 が予 言 し てい る こ とと 深く 関 わ っ て い る 。そ し て 、 『 狭衣 物 語 』 では、た だ 単 に前代の物語から培われ て きた「高 麗、唐土」とい う 権威に依存し、その権 威を記号的 図 式的に用 いることで 、 その世界 を構築し て い くの で あ る。 まず、 『 う つ 物語』 に は、 「唐土」 がもっ と も突出した 形 であら わ れ、 その 次には 「 高 麗 」 が 登 場す る。 『源 氏物語 』 には、そ の二つの用例数がほぼ 同 じだが 、 さらに「 高麗、唐土」 「唐土、 高麗」 と い う 併記表現 が 注 目される 。 そ し て 、『 狭衣物語』 に なると、 二つの国 が 「高 麗、 唐土」 と 固定した もの となっ て 、 ま る で 定型句のよ うに並べ て 語られて い くの で ある。
第四章
『河海抄』の「異朝」
と
「
本朝」
―― 『源 氏物語 』の 世 界を 読み 解く― ― 『河海抄』は、四辻善 成が将軍 足 利 義詮に選 進した『源 氏 物語』の注 釈書 で 、 前 代の注 釈を集成し 、 さらに 有 職故実、語 句の解釈、 典拠、引き 歌 などを博 捜 す る方法 を と っ て い る。 こう し た 『河海抄』 に は 、 その 以前の注 釈 書 にはあま り見られな い 「異 朝」 「 唐 朝」 「漢 朝」 お よび 、「本 朝」 な ど のことばが よ く用いられて いる 。 ま た、 そ の ような 言 葉が 多用さ れる だけ で は なく、 「 異 朝 」( 「唐朝」 「漢朝 」 ) の 例と 「本朝」 の 例を区別し て 書 き分ける と いう 例 が 目 立 つ 。例 え ば 、 『 紫 明 抄 』と 同 じ 記 事 を引 用 し な が らも 、 『 河 海 抄 』 に な ると 、 「異 朝」あ る い は「本 朝」の例で あることを 明 記す ると いう 特徴が 見 られるので あ る。そ の他にも 『 河 海抄』 に は、 「和 漢蹤 跡一同歟」 「 此外和漢例 多 之」 「 和 漢 先 蹤不可勝計」 のよ うに、 「 和」と「漢」を比較検討 す るよ うな 姿 勢 をうかがわせる表現も数多く見られる。 が、そ こにはある 種の表現 の 歴 史が流 れ て いるよ うに思われる。 こうした 『河海抄』 の 注釈方法は、 それが成立した南北朝時代の歴史的背 景 もあ ろうが、 まずは 『 源 氏 物語』 に 対する理解とし て 考え るべき で あろう。 実 は 、『 源氏物語 』 に は、 異 国と 日本 の 例 を 並 べて 語 る と い う 表 現方法が きわ めて 特 徴 的だ っ た ので あ る 。 第 四章で は 、 右 に 確認 した よ う な 『 河 海 抄』 の注釈 方 法 に つい て、 『 源 氏 物 語』 の世 界 を 和 と 漢の 空 間 に お い て 読 み 解 い て いる も の と 捉 えて いる 。第六
章
大宰府
と
唐
物
―― 末摘花 と そ の叔母 の「大弐の 北 の 方 」 を 中心 に― ―第五章
末
摘
花物
語の表現
構造
―― 「黒 貂の皮 衣 」と「からこ ろも」―― 物語に登 場する人 物どうし はそ れぞれ強い 関 係性 によっ て 結び付い ており、そし て各々 に付された呼称 は その関係性を読み解 く ひと つの鍵 と な る 。 す ると 、叔母 が「 大 弐の北の 方」へと転 じた こ との意味は、末 摘 花のあり よう 、 そ して 「 大 弐 」 と い う 官 職 の 特 性と 緊 密に関わ って いると 考 えられる。末摘花 は 実 に様々な 要 素 から異国のイメージが 強い姫君 であり、ま た 「大弐」は異国 と の交流地 で唐物を獲得 で きる唯一の官職 であった。姪の末 摘花に対して 常に劣等意識を持 ち 、 また末摘 花の「御調 度 」を狙う 「受領ども 」 の一人 で もあ った叔 母 が「 大弐 の北の方」 と な っ て 筑 紫へ下っ て い くこと か ら、受領層 の 唐物 への 希求を読み 解 く こ とが 可能 であろ う 。 末 摘花が所 蔵する唐物は、受領層にとっては、宮家 末摘 花は 『 源 氏物語 』 の中 にお いても 随 一と いって 良 い程の異彩を 放つ 女君で あ るが、 その特異な 造 型を際立 たせるも のと し て 、 「 黒貂 ふ る き の 皮衣 かは ぎ ぬ 」と「 か らころも 」のことにしば しば言及さ れ る。従来 、 こ の二つは「古代性」を表し、また「笑いの対象」と し て の 末摘 花 を 特 徴 づける も の と し て 理解 され てきた 。 し か し、 こ れ らを 引き合 わ せ て みる と、そ こ には「異国 か ら齎され た衣」と いう 共通要素が 秘 められて いること に気づかさ れる。しか も、彼 女 を囲繞 す る様々 な 要素 には異国 に 関 わる もの が極め て 多いの で ある。例えば、末 摘花と 呼 ばれるこ の女君だが 、 その 「紅」 色 は本来 「 呉藍 くれ のあ い 」 で 、 そ の名 前からし て 「異 国」 性が 強い色で あ り 、 ま た中 国伝来 の 琴 きん を演奏し、 さ らには 「 秘色、 唐 土のやうの も の」 「唐 櫛笥」などの唐物を多く所蔵する姫君 で もあったの で ある。 蓬生 巻には 、 末 摘 花の 叔母「 受領 の北の方」 が新 た に 物語 に登 場し てく る。 叔母 が「受 領の北の方」 と呼 ばれながら登 場し て い る こ とか ら も 分 か るよ うに、 こ の叔母は、 末 摘花 の「御調度」を虎視眈々と狙っ て いた「受領 ども」の一 人 と し て 位 置づけられて いる。こ の叔母は 、 物 語が 進んで い くと 「 大弐 の北の方」 と な っ て 筑紫 へ下 っ て いくこ と にな るが 、 「 受 領の 北の 方 」 か ら「大 弐 の 北の 方 」 へ と 転 じ た こ とは、 何 を 意 味 す る の だろ うか 。 従 来、 末摘花 は、 もっぱら 「古代性 」を持 つ 女 君 で「笑い の 対 象」とし て評価され て き たが 、 こ う し た彼女 の周 辺 に 配さ れ た様々な 要 素 から、 異 国のイメー ジ が極 め て 強い女性と して 位 置 づ け ら れ よう 。第Ⅱ部
『源
氏物語
』
の作
中人物
と
異国
――末摘
花・玉鬘
――
玉鬘十帖 で は 、 こ の世に稀 な六条院の栄華 が 描かれ、その雅 な 世 界 を表象すべく、物語 論 や 和琴論などの文化論 が 展 開 される。その玉鬘十帖の女主人 公とされる玉鬘は、 物 語論 や和琴論の聞 き役 とし て設定されて い る が、 光源氏 は 、 彼 女を相手 に文化論 を述 べながら、 「 他 ひと の 朝廷 み か ど のさへ、作りやう かはる、同 じ大和の国 のことなれ ば 、昔今の に変るべし 、 」 ( 「 蛍 」 三 ・ 212)、 「あ づま とぞ 名も 立ち 下 り た る やう な れ ど 、 御 前 の 御 遊び にも 、 まづ 書 司を召すは 、 他 ひと の 国 くに は知 らず、 こ こには これを 物 の親 としたるに こ そ あ め れ 」( 「常 夏」 三 ・ 231) と いったよ うに、 異 国の ことを引き合い に 出 す ことが 多 い。 従来 、 こうした光源氏 の 言葉は 、漢 学 を身につ けて いる男 性 貴族 で あ るがゆえに 発 せられ た も の と し て 理 解されて きた。しか し ながら、 会話とい う も のが、その相手次第で 話題が限定されたり 、 またその 語り方にも 変 化 が 生じたり する こ とを考 え合 わせ る と、光 源氏 が異 国 を 引き合い に出 すと い う の も 、やはり玉鬘とい う女君 の ありよ う に関わらせ て 解 す べ き ではない だろうか。玉 鬘は当時異 国 との交流がもっ と も 盛 ん で あった筑紫に育ち 、 物語の中 で も「筑紫人」と語 り 続 けられ て い た 。「筑紫人 」 玉鬘 であった から こそ 、 光 源氏 に 異 国の ことを 引 き合い に 出 させたの で は ない だろ うか。
第八
章
「玉鬘十帖」におけ
る
「隠ろ
へ
ごと
」の再生産
―― 末摘花 巻 との対応 関係から ― ― 夕顔の遺児玉鬘については、玉鬘 巻 で 「年月 隔 たりぬれど、飽かざ りし夕顔を つゆ忘れ た ま はず 」 ( 三・ 87)と 書き 起こ さ れ るが 、こ れ は 、 末 摘 花 巻の 冒頭 「 思 へ ど も な ほあ か ざり夕 顔 のつゆに後 れ し心 地を 、年月 経 れど 思し忘れ ず」 (一 ・ 265) に 酷似し て いる。六 条院に 迎え ら れ た 後 、 光源 氏をは じ めと して 多く の男性 の 胸をとき めかせる玉 鬘が 、 どう し て 『源氏物語』の女君の 中 で ももっ と も異 彩 を 放つ末 摘花 と 近似した表現 をもっ て 、 語 り起 こされなければ な ら な い の か。 そ れ は、 これか ら 始 ま ろうと す る玉鬘の 物語が、 「夕 顔 のつゆのゆ か り」で あ りつつも 、 直 接に夕顔 に 繋 がるので はなく、末 摘 花の物 語 を経由す るこ と を 示 唆 す る ので はな いだろ う か。 考えて み る と 、末 摘 花 と 玉 鬘は 、こ の冒頭 表 現の類 似 だ け で はな く 、筑紫に深 い 縁を 持 つなど、物 語 の見えな い と ころで 緊 密に繋 が っ て いた。 そ し て 、 こ の二人の関 連 は、末摘 花に失望して いる光源 氏を見 て 頭 中 将が 「 隠 い た まふこと 多かり」 ( 「 末 摘 花」 一 ・ 285) と 、 投げかける 言 葉に象徴 的に表れ て い る。実 は 、 こ の時、光源氏は頭 中将に対して 、末摘花第七章
玉鬘
と筑紫
―― 物語 論・和 琴論をめぐ っ て ―― の高貴性を象徴 す るも のに他 な らなかったのである。第十章
光源氏
の
「学
問」と
「
才
」
―― 異国 と い う 権 威 ― ―第九
章
『源氏物
語』の「本」
―― 〈書かれた物語 〉 とその主 人 公 ―― は勿論の こ と 、 夕 顔、 そし て 撫子 ( 後の玉鬘) の ことを隠し通し て いたの で ある 。 つ まり 、 この 三人 の女性 は 、 光 源氏 の 頭 中将に対 する「隠 ろへ ごと」の系譜に連 なる女君に他 なら なかった。玉鬘巻 と末 摘花巻の冒頭表現の類 似 は 、そ う した光源氏の「隠 ろ へごと」の系 譜を示唆 す る もの であ った とい え よ う。 このよ うに、 末 摘 花 と 玉鬘は、表面的には筑紫 と い う 共通点で 結合されながら、さ ら に物語の深 い 部分で 関 わ っ て い たの である 。 「本」は、 現代語にお い て 書 物 を 意 味 す るこ とが 自明 で あ るため、従来あまり分析の対 象に なら な か った。 し かし、 古代語の 「本」 で は、 現代語のブックとは違っ て 、〈モ ト とな るも の〉 〈 の っとるべき 規 範〉と いう意味が本 来 的にある 。故に、 『う つほ物語 』 や『源 氏 物語』 に お い て 、「本」 を 書 く ことは、 仲忠や光源氏のみに限 られた行 為とし て 描かれ て い る。また、 彼 らは「本 」を総括 す る 立場にあ り得た。さ ら に、光源 氏の晩年に 新 しい風を 吹き込ん だ玉鬘と、光源氏亡 き 後 、 物語の世界の 中心人物の一人 薫は、そ れぞれ「本」 と すべ き女 と男 と語られる。 光源 氏は 、 高 麗 人 と の 漢詩の応酬 を 通し て そ の「学問」 や「才」の 卓抜性が 強調される ものの、 一方 では、その高 麗人 の予 言 に よ っ て臣籍 に 降され、 ついに帝位に 即く こと が で きな かった 。 ところで 、光源 氏 は 、 夕霧の大 学入学を機 に 本当は「 才」が 欠 乏 し て いた こ と が 解 き 明か さ れ る 。 実 は 、 高 麗人 と の や り と り を 伝 え聞 い た 桐 壺 帝 は 、「 世 の 疑 ひ 」 を 回 こうし て みると、 物語は「本」と い う言葉に 極め て意識的 で、 またその執筆 や 所 有 に つ い て は、いわゆる主人公(格)に 限 定され て いることが 分 かる。それは、書かれた書 物に 対する物語 の信頼を示 唆 す るものであろう。 つまり、 主人公に対して 規 範とな る べき 「本」 を書 かせ、 ま た 「 本」 を集 中させ掌 握させ る こと、 そ こ に 、『 源 氏 物語』 自 身の 〈書 か れた 物語〉 、 つま り書 物として の意識や 自負 が読み 取 られるのである。 『源氏 物 語 』 は、 〈書かれた 物 語〉 、つまり書 物 とし て の自身に対 する意識 が極め て 強い のだが 、 と く に 、 異 国 の 書 物 や 、 その「 学 問 」は 、光源 氏 お よび夕 霧に関わ る 場 面に 限定 して 描 か れ る 。第Ⅲ部
『源
氏物語
』
の書
物と異
国
避 す べ く 、光 源氏 を臣籍 に 下 す とともに、 「学問 」 に邁 進する こ とを禁じ て い たの である。 光 源 氏 は 、幼 年 期 ・青年期に は その 「学問 」 「才」の卓越性 ゆ えに反逆を疑 わ れ て い た が、 六条 院とい う 私 的な空 間におい て栄華 を 極めた 後 に、 「学問 」 「才」 が 欠如 し て い た こ とが解 き 明か される。この期 に及ん で そ の欠乏 が 語られるの は 、 光 源氏 が帝位に 即か なか った ことに対し て の、ある種の理 由 づけとして 考 えられる。また後 に出生の秘密を知ると ころとな っ た 冷泉帝は、 「 学問」 を し、 光源 氏と藤壺の密通 の ような例 を 「 唐土」 の 「ふみ」 から発見 す る 。こ の冷 泉帝の「学 問 」は 、光 源 氏 と藤壺 と の密通は 勿論のこと 、光源 氏の 栄達を 正 当 化 す る も の で あ ろう 。 こう したこ と から、異 国の 書 物 や そ の学習のありよ う が、 〈光源氏の物語〉の中で い か に深 い部分 で 多面的に 機 能 して い る かと いう こ と が 窺 え る 。