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Kankoku no Nihon kenkyū

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韓国の日本研究

著者

崔 吉城

雑誌名

日本研究・京都会議 KYOTO CONFERENCE ON

JAPANESE STUDIES 1994 ?

.non01-01

ページ

131-137

発行年

1996-03-25

その他のタイトル

Kankoku no Nihon kenkyu

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韓 国の 日本研 究

城(中 部大学)

CxoiKil-Sung は じめ に 韓 国 に と って 日本 は単 な る異 邦 国 で はな く、 友 邦 国 で あ り、 かつ 敵 国 に もな る。 そ れ は 隣 国 で あ り、密 接 な 関係 に あ っ た こ と を意 味 して い る。 そ れ を歴 史 的 に い うな ら ば古 代 か ら江 戸 時代 に 至 る まで は朝 日関係 は文 化 的 交 流 か ら始 ま っ た友 邦 関係 に あ っ たが 、 近 代 の 初 め か ら終 戦 まで は 侵 略 主義 に よる 関係 か ら始 ま った 不 幸 な 敵対 関 係 が 中心 に な っ た。 そ して韓 国 人 の 日本 に対 す る 感 情 は 決 して 良 い もの と はい えな い 。 人 に よ って は友 邦 的感 情 を もっ て い る人 もい な い わ け で は ない が 、敵 対 感情 、 あ る い は どち らつ か ず の 感 情 を持 って お り、歴 史上 の二 つ の 感情 の総 合 と も い え る ア ン ビバ レ ン トな状 態 で あ る。 韓 国 に お い て1960年 代 の 政 治 的 ナ シ ョナ リ ズ ム は70年 代 を経 て"文 化 ナ シ ョナ リズ ム"に な っ て い く。経 済 高度 成 長 を成 し遂 げ た とい う 自信 と共 に1988年 の オ リ ンピ ック を契機iにして韓 国 の イメ ー ジ を 世界 へ 宣 伝 す る こ とが 出 来 た 。 日本 に対 して も初 期 の政 治 的 な反 日主義 か ら文 化 的 克 日主 義へ の 変化 が起 こ っ た。 韓 国 人 の 日本 へ の 関 心 は"克 日"と い うマ ス コ ミ的 言葉 が全 国的 に 流 行 り、 日本研 究 者 も急 増 して 日本研 究 も学 問 と して そ の位 置 を もつ よ う に な った 。 そ れ は"日 本 を批 判 す る学 問 とい うよ りは研 究 対 象 にす る こ と を意 味 す る"(韓 相 一 、1993:6)こ とで あ っ た 。 しか しナ シ ョナ リズ ム を背 景 に して い る 日本 へ の プ ラ イ ドと、 先 進 国 とい う事 実 を認 め ざ る を得 な い とい う複 雑 な感 情 を保 つ こ とは 前 の 時 期 と変 わ りな い。 大学 で は 日本語 学 ・文 学 の 教 員 を増 員 す る ため に 日本語 ・日本 文 学 を専 攻 す る学科 が つ ぎつ ぎ と新 設 され た 。 日本 学 科 は例 外 的 に 啓 明 大 学 に唯 一 存在 して い た。 学 科 名 で は 日本学 科 で あ って も、 カ リキ ュ ラム に は 日本 の 社 会 、 宗教 、 民 俗 な ど を設 定 して お り、民 俗 学 科 を作 る の か とい う 非 難 もあ っ た 。 そ の後2、3箇 所 の 大 学 で 日本 学 科 が新 設 さ れ たが 、今 だ に全 国 的 に 日語 ・日文 学 科 が圧 倒 的 に多 い 。 しか し研 究 所 な どの研 究機 関 で は む しろ 、 日本 学 研 究 所 、 日本 文 化研 究 所 、 韓 日問題 研 究所 な ど とい う名 称 が 普 通 で あ り、学生 や社 会 人 の 関心 を反 映 す る よ うに な って い る。 つ ま り大 学 の学 科 は学 制 に従 って 新 設 され た ので あ る。従 っ て 日本 研 究 へ の 必 要性 か ら直 接 設 置 され た わ け で は な い 。つ ま り日本 文化 の研 究 は 大学 の学 科 で は特徴 を見 る こ とが 難 しい の で あ る。 これ が 日本 語 学 ・文 学 の教 員 が 増 えた 主 な 原 因で あ ろ う。 日本 に お け る朝 鮮 学 が 朝鮮 語 と歴 史 が 中心 で あ る こ と とは異 な っ て、 韓 国 の 日本 学 が 文 学 中 心 で あ る こ と は こ の よ う な事 情 か ら理 解 で きる 。 一方、大 学 の付 設 機 関 と して 設 立 され た研 究 所 は独 立 的研 究 を主 導 す る もの が 少 な く、 ほぼ シ ンボ ル 的 な存 在 で あ り、実 際 の 研 究 機 能 を有 す る もの が少 な い。 しか し注 目 され るの は高 麗 大 学 付 設 の亜 細 亜 問題 研 究 所 の 研 究 成 果 で あ り、 東 国 大 学付 設 日本 学 研 究 所 が 文 化 人 類学 や民 俗 学 関

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係 の もの を扱 って い る の も特 記 すべ きで あ る 。例 え ば東 国大 学 付 設 日本研 究 所 で は、 金 思 煙 の 主 導 下 に 日本 民 俗 の 共 同 調 査 や シ ンポ ジ ウ ム を通 して 学 際 的 な研 究 を行 ない 、 「韓 ・日古 代 民俗 文 化 の 比 較 」(金 両 基 、竹 田旦 、崔 吉 城)の 特 集 を 出 して い る。啓 明 大 学 付 設 日本 文化 研 究所 の 『日 本 学 誌』 に 日本 の 天 皇 制 を特 集 した もの もあ る。 大 雑把 に研 究 所 や 学 会 の研 究 傾 向 を鳥 瞰 して み る と、古 代 か ら近 世 以 前 まで の朝 日関 係 史 に焦 点 を当 て て 、 朝 鮮 の 民 族 と文化 の優 越性 の 主 張 を直接 あ る い は 間接 的 に結 びつ け てい る ものが 多 い 。 なか に は 日本 近 世 にお け る朝鮮 通信 使 の 現代 版 の韓 国通 信 使 的 な文 化 宣 伝 を しよ う とす る形 式 的 な文化 行 事 が あ り、 国 際化 時代 に相 応 し く日韓 比較 研 究 に 関す る 国 際学 術 会 も頻 繁 に行 な わ れ て い る。 しか しこれ ら も 日本 自体 に関 心 を も った研 究 よ りは 日本 へ の韓 国文 化 の移 植 を探 る志 向 の もの が 多 い。 近 代 以 後 終 戦 まで にな る と、 日本 を敵対 視 した植 民 地 時代 の独 立 運 動 な どの研 究 と、 近 代 化 に と もな う侵 略 史 に注 目 して い るの が 多 い 。 そ れ も 日本 史 の研 究 で は な く、植 民 地 に対 抗 す る独 立 運 動 史 が 中心 に な って い る。 最 近 の 親 日文 学 論 的研 究 も侵 略 史 的脈 絡 か ら理解 出 来 る。 経 済 大 国 の 日本 に対 して は、 そ の 長 所 に驚 嘆 す べ きで あ る が 、侵 略者 で あ った とい うア ン ビバ レン トな心 理 で あ る。 1.日 本 学 と 歴 史 ・民 俗 学 韓 国 日本 学 会 に は歴 史 ・民 俗 学 分 科 が あ るが 圧 倒 的 に 日本 語 ・日文 学 中心 で あ り、 歴 史 ・民 俗 分 科 の研 究 成 果 や研 究 活 動 は非 常 に少 な い 。 『日本 学 報』 の32号(1994.5)の 構 成 を見 る と、 論文19篇 の 中9篇 が語 学 、6篇 が 文 学 の15篇 が 語 文 学 で あ り、 そ の 他 の4篇 の 中、 教 育 、 歴 史 、 社 会 が各 々1篇 と 日本 人 の もの1篇 で あ る。 こ れ は学 会 の 会 員 の 構 成 を反 映 す る もの で あ る。 会 員 の 専 攻 別 で は文 学 が203、 語 学185、 日語 日文2、 計390人 で 全 会 員 中85%を 占 め 、 そ の 他 は教 育8、 哲 学6、 西 洋 文 学5、 社 会 学4、 経 営 学4、 韓 国 語 学4、 民 俗 学4、 日本 文 化3、 歴 史3、 政 治 学2、 経 済 学2、 言語 学2、 数学1、 思 想1、 中 国語1、 韓 国文 学1、 法 学1、 そ の他 不 明 で あ る 。文 学 ・語 学 に偏 って い る こ とが端 的 に分 か る。 こ の傾 向 は学 制 に よっ て作 られ た もの の 性 格 を持 ち 、 学 際研 究 か 地域 的 客観 的研 究 よ りは 日本 国 内 の研 究 の延 長 線 の上 です る もの の よ う な傾 向 が あ る。 これ は独 自研 究 の独 創 性 が弱 く紹 介 が 主 な もの で あ る 。 大学 学 科 自体 が 伝 統 的 な デ ィ シプ リ ン中 心 で あ るの で 語 学 文 学 中心 に な る こ とは 日本学 の み で は な く一般 的仕 組 み か ら来 る もの で あ る。 尹 正 錫 教 授 は 「韓 国 に お け る 日本研 究 」(国 際 交 流 基 金 、1989)で 韓 国 で の 日本 研 究 が 日韓 両 国の 関 係 か らさ ま ざ ま な制 約 を受 けて お り、 日本 語 、 日本 文 学 の研 究 者 が も っ と も多 く、 次 に 政 治 学 、 経 済 学 、 歴 史 、 考 古 学 な どの 順 にな って お り、 ア メ リカ で の 日本研 究 に比 べ る と史 学 者 が 少 ない と して い る。 そ れ は対 日感 情 の た め か 、 あ るい は大 学 で 日本 史 の 講 義 を き ちん とす る こ と が 少 ない た めで あ ろ う と指 摘 して い る。 多 くの 政 治 学 者 は 日本 の 国 内 政 治 また は政 策 な ど に関 す る研 究 で あ る とい うよ りは、 む しろ韓 国 側 の 研 究 、 そ して 植 民 地 政 策 研 究 が 多 い 。 そ の た め 地 域 研 究 と して の 日本 研 究 は、 未 だ その 地 歩 を固 め られ ず にい る。 つ ま り、 氏 は韓 国 で の 日本 研 究 も 「地 域 研 究 」 と して一 社 会 又 は特 定 国 家 につ いて 総 合 的 、 か つ 学 際 的 に ア プ ロ ーチ す べ きで あ る こ とを主 張 して い る。 韓 国の 日本 学 会(1973年 設 立)は 機 関誌 『日本 学 報 』20号(1988年)の 記 念 特 集 「韓 国 に お け

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る 日本 研 究一 回 顧 と展 望 」 に よる と 「韓 国 に お け る 日本 語 学 」 は感 情 的 に成 熟 出 来 な か った こ と も事 実 で あ り、 日韓 両 国 語 で 完 全 とい え る くらい の 駆 使 能 力 を備 え る こ とが 民 族 の 恥 の象 徴 の よ うに思 い 込 んで しま った の で あ る。 日本 文学 研 究 は国 民 の 反 日感 情 と と も に忌 避 され て きた 。 日 本 民 俗 研 究 は主 にナ シ ョナ リズ ム に よる研 究 が 多 い 。 日本 教 育 に関 す る研 究 も歴 史 的 に不 幸 な 関 係 か ら 日本 研 究 の 忌 避 現 象 が 出 て 、研 究 が不 振 で あ った 。 「韓 国 にお け る 日本 史 研 究 」 は1940∼1980年 代 の 日本 史 関係 の 研 究 成 果 を統 計 的 にみ る と論 文 の総 数 が976、 単 行 本 が150で あ り、 そ の 中で 古 代 に 関す る もの が151で 全 体 の15.5%を 示 し、 し か も古 代 の 日韓 関係 に 関 す る もの が135で89.4%を 占め て お り、 日韓 関係 史 に傾 い て い る こ とが わ か る。一 方 、近 代 史 に 関 す る研 究 は396で 全 体 の40.6%で あ り、特 に 日帝 時代 の侵 略政 策 と支 配 、 収奪 に 関す る研 究 が 中心 で あ る。 日本神 話 を資 料 に して韓 国神 話 を復 元 しよ う と した 崔 南 善 の研 究 をは じめ 、韓 国文 学 、 歴 史学 、 民 俗 学 、 人 類 学 、 日本 文 学 な どの分 野 か ら神 話 を題 材 に研 究 を 行 な い 、 そ れ らは 、 日韓 両 国 の神 話 が 持 つ 親 縁 性 を中心 に 日本 文 化 の源 流 を韓 国 に置 く文 化 伝 播 論 的 な研 究 傾 向 が多 く、 また 、歴 史 の 歪 曲の 指 摘 も少 な か った。 大 体 そ れ らの研 究 は国 家 主 義 、 民俗 主義 の性 向 と も非 常 に密 接 な 関連 性 を持 つ もの で あ った 。 比 較 民俗 学 会 が創 立 され て 日韓 学 者 の研 究 が 目立 つ よ う にな った 。 そ こに は 日本 ・中国 ・韓 国 の 学 者 た ち が そ れ ぞ れ 自分 の民 俗 につ い て論 文 を発 表 した もの が 主 で あ り、本 格 的 な比 較 研 究 に は至 って い ない もの が 大 部 分 で あ る。 また民 俗 学 を歴 史科 学 の 一分 野 と考 え て い る人 た ち は実 証 的 な研 究 をす る とい う よ りは伝 播 論 的 な仮 説 的 な もの が 多 い 。 しか し比 較 研 究 も活 発 に な る こ と が 期 待 され る。 た だ 比 較 文化 的 な研 究 の 問題 点 は 自己 民 族 中 心 主 義 の 強 い こ とで あ る反 日か克 日 は学 問 と して客 観 性 の 欠 如 した もの に な りが ちで あ ろ う。 日韓 関係 史 や植 民 地 とは 関係 な く、 一 つ の異 国 、 異 文 化 の研 究 と して 戦 後 、新 世代 人 に よ る本 格 的 な 日本研 究 が望 ま しい 。 韓 国 の人 類 学 は外 国 を調 査 地 と して研 究 す る と い う伝 統 は ほ ぼ皆 無 に等 しい 。 異 国民 族 学 と し て 、人 類 学 を受 け 入 れ た 韓 国 の 人類 学 は創 立30周 年 を過 ぎた 現在 に お い て も、異 国社 会 で の フ ィー ル ド調 査 資 料 を基 礎 に して理 論 化 す る と こ ろ まで は い っ て い な い。 戦 後 に な って 、 ほ ん の小 数 の 学 者 が西 洋 で理 論 を学 ん で帰 国 して、韓 国 内 で 調 査 した り、文 献研 究 した りして い る にす ぎな い。 そ の 国 内学 とい う点 で は韓 国 の民 族 学 者 か ら非 難 さ れ て い る とこ ろで もあ る。 丁 度 、柳 田 国男 が 一 国民 俗 学 を提 唱 した 日本 民 俗 学 が 、国内学 としての傾 向の強 いこ とを韓国民族学者が無批判 的 に受 け取 っ て 、 人類 学 を外 へ 向 け る よ う語 っ て い る とい え る 。最 近 に な って 、 少 ない けれ ど も、 台 湾 、 日本 な どで 人類 学 的調 査 が行 な わ れ て い る こ とは耳 に して い るが 、 そ の成 果 につ い て は韓 国 内 で 出版 発 表 が な され て い な い の で、 そ の事 情 は把 握 しに くい 。 しか し国 内学 と しての 民 俗 学 で あ る と主 張 した 人 た ち も、旅 行 自由化 に よ って 、 む しろ 人 類 学 よ りも早 く海 外 へ 調 査 に出 る よ う にな った の も一 現 象 で あ ろ う。彼 らは韓 国 の民 俗 文化 の 日本 へ の伝 播 を探 る た め に 日本 民 俗 に 関 心 を持 ち 、 短 期 間で はあ るが 、 現 地調 査 研 究 も行 な った 。 「台 湾 高 山 族 の 民 俗 調 査 」(任 東 権)、 「日本 騎 馬 民 俗 征 服 説 と服 飾 の 相 関性 」(金 束 旭)、 「沖縄 の シ ャーマ ンにつ い て 」(崔 吉 城)、 「在 日韓 国 人 の 調 査 研 究 」(李 光 奎)、 「日本 農 村 で の観 光 事 業 と 〈家 〉 を 中心 に」(文 玉 杓)、 「祖 先 崇 拝 の韓 日の 比 較 」(崔 吉 城)な どが あ る が 、大 部 分 は本 格 的 な実 施 調 査 に基 づ い て は い な い。 以 上 の う ち 日本 に 関す る研 究 は李 光 奎 、 文 玉杓 、 崔 吉 城 だ けで あ る。 文 玉 杓 の 『韓 国 文 化 人類 学』(15、1983)は 長 期 間 に わ た る本 格 的 な現 地 調 査 を通 して行 な わ

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れ た 、社 会 人類 学 的研 究 と して貴 重 な もの で あ る。 群 馬 県 片 品村 花 咲 で 一 年 半 以 上 滞在 して 、 調 査 、観 察 した 資料 に基 づ い て分 析 さ れ て い る。 花 咲 村 は1960年 代 の初 め に この村 の 近 くに スキ ー 場 が 開設 され た こ とに よっ て、 他 の農 村 や 山村 とは異 な って 大 き く変 化 せ ざ る を得 な か っ た。作 業 の周 期 が 変 わ り、 も とは農 閑期 で あ っ た冬 が 、 最 も忙 しい 観 光 シ ーズ ン に な った 。 また 、 観 光 業 にお い て は若 い世 代 の意 見 が 重 要 視 さ れ る よ う に な った 。 しか し、 この よ うな状 況 の 中 で 、民 宿 、 観 光 業 の発 展 に よ って 新 た に変 化 した もの と して は村 と部 落 、 畑作 か らの 田作 へ の農 業 の変 化 、 炭 焼 きか ら他 の副 業 へ の 変 化 、 観 光 産 業 の 「民宿 」 へ の発 展 、 世 帯 、 親族 と姻 族 、政 治 と協 力 、 村 祭 り(猿 祭 、 祇 園 祭)な ど に関 して 書 か れ て い る。 氏 は 日本 の村 の調 査 資 料 、特 に英 文 の 論 文 を多 く紹 介 しなが ら、微 視 的 に花 咲 村 で の現 地調 査 に基 づ い て分 析 を行 な っ た。 ス キ ー場 は 村 人 の 経 済 的 打 算 を考 え させ る よ うな 変化 も生 じた け れ ど も、 農 家 の維 持 を妨 げ る要 素 に は な っ て い ない 。 そ れ よ りは む しろ 、民 宿 業 が 若 い 男女 に安 定 した仕 事 を与 え て お り、 経 済 的 発 展 が 社 会 、 宗教 的 行 動 を活性 化 させ て い る。 一 方 、経 済 的打 算 に よる利 己心 が 高 ま る傾 向 もあ る が、 そ れ は伝 統 社 会 にお い て も潜 在 して い た と思 わ れ る 。 こ の論 文 は現 地 調 査 に基 づ い た分 析 、 理 論 化 が試 み られ て い るが 、 そ の理 論 は 日本 人学 者 の諸 理 論 と関連 づ け た うえ、 一 般 化 の ため に再 検 討 をす る必 要 が あ る と思 わ れ る。 金 宅 圭 は1979年 の2,月 に 日本 の東 北 地 方 の 同族 部 落 で 調 査 を した資 料 に基 づ い て 韓 国 の 安 東 地 方 の 河 回 同 姓 部 落 と比 較 した 。「韓 日両 国 の い わ ゆ る 〈同族 〉部 落 に関 す る比 較 試 考 」(江守 五 夫 ・ 崔 龍 基 編 、1982)を 発 表 した。 そ の 内容 は主 に両 国の 同族 にお け る異 質 性(特 殊 性)を 中 心 に比 較 した もの で あ る。 2.主 な 研 究 テ ー マ 1)戦 前 の 朝 鮮 人 の 日本 研 究 韓 国 で の最 近 の研 究 は語 学 に しろ文 学 に しろ戦 後 か ら出 発 す る よ う に設 定 す る の が 一般 的 で あ るが 、 戦 前 の研 究 も背 景 にす るか 、 考 え に入 れ るか す べ きで あ る。 当 時 朝鮮 人 の 日本研 究 とい う の は、 主 に朝 鮮 史 と関 連 の あ る部 分 につ い て 若 干 あ る。 これ につ い て 戦 後 の 韓 国 人 に よ って 、親 日論 的 な もの と して 多 少 言 及 され て い るが 、研 究 と して 参 考 に しな い の が 普 通 で あ る 。 親 日派へ の 再 照 明 は、 ほ ぼ親 日化 して い く過 程 か 、 そ の 行 為 の み に 焦 点 を当 て て お り、 か れ の研 究 業績 な ど につ い て は、余 り言 及 され て い な い 。さ らに植 民 地 時 代 の 日本 人 に よ る朝 鮮 に 関す る研 究 で は、 日本植 民 地 政 策 な どの 日本 史 の 立場 を理解 す る た め に 、 韓 国 日本研 究 者 が研 究 すべ きで あ る 。 こ れ ら は、 日本 人 に よ って 日本 語 で行 な わ れ た朝 鮮 研 究 で あ り、 日韓 文化 の接 触 と して も研 究 す る 価 値 が あ る。 そ れ につ い て は色 々 と是 非 が分 か れ て い る 。 一 つ は 戦前 の 日本 植 民 地 の脈 絡 か らの 調査 や研 究 は、一切 使 え な い とい う見 解 か らの もの で あ る。二 つ 目は 日本 時 代 の もの で あ って も、 研 究 は もち ろ ん 調査 資料 は使 う方法 に よる もの で あ る か ら、資 料 化 は 可 能 で あ る とい う見 方 で あ る。 あ る 学 者 は植 民 地 談論 に よる もの で あ る の で 当時 の朝 鮮 に対 して正 しい客 観 的見 方 で は な い と非 難 す る 。 2)文 化 摩 擦 的 な研 究 『日本 と韓 国 の 文化 摩擦 』(辻村 明 ・金圭 煥 ・生 田正 輝)は 日韓 マ ス コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ン ・ギ ャ ッ プ の研 究 で あ る が 、 日韓 比 較 研 究 と して意 味 の あ る もので あ る。 こ の研 究 は韓 国 ・韓 国 人 につ い

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て の 日本 人 の イ メ ー ジ を探 る。 日本 人 は韓 国 に対 して 悪 い イ メ ー ジ を、 韓 国 人 に対 して優 越 感 を もっ て い る。 隣人 と して近 くに住 む こ と とか 、 日本 国 籍 を与 え る とい った こ と に、 寛容 度 が か な り低 い の で あ る。 が 、 その 影 響 源 と して は、 在 日朝 鮮 人 や マ ス コ ミの接 触 や 情 報 に よ る もの が あ る とい う。 しか し人 は直 接 的 な経 験 に よ って 否 定 的 な態 度 か ら肯 定 的 な もの へ 変化 す る こ とが分 か っ た。 文 化 的 に も中 国文 化 の 経 由地 と して しか 考 えて い な い。 個 人 と して の 韓 国 人 につ い て は や や勤 勉 的 とか肯 定 的 な評 価 もあ るが 、 集 団 的 に は韓 国 人 が 日本 人 をそ う思 うの と共 通す る 。 一 方韓 国人 の対 日イ メ ー ジ は 、多 く 日本 人 の対 韓 イ メ ー ジ に対 応 しなが ら差 異 を見 せ て い る 。 3)在 日朝 鮮 人 の研 究 在 日朝 鮮 人 に 関 して は韓 国研 究 と して注 目さ れ る よ うで あ るが 、 日本 人 社 会 を理 解 す る た め に も 日本 の研 究 と して も研 究 す べ きで あ る。李 光 奎 は在 日韓 国 人 が外 国 とい う特 殊 な事 情 の も とで 、 韓 国 人 と して の民 族 性 を ど う維 持 す る か とい うこ とに 関 して研 究 し、 在 日韓 国 人 の 形 成 史 と して 日帝 時代 の 渡 日史 、社 会 運 動 史 及 び社 会 変 化 、地 域 的 分 布 、職 業 、 出 身地 、家族 構 成 、家 庭 生 活 、 教 育 、差 別 、 日本 人 の偏 見 、民 族 主 体 性 の 回復 と して歴 史認 識 運 動 な どにつ い て述 べ て い る。 韓 国 人 の 人類 学 者 に よる 最初 の在 日朝 鮮 人 の研 究 で あ る こ と と し意 義 が あ る。 序 論 、 在 日韓 国 人 の 形 成 史 、社 会 運動 史 、分 布 、社 会 生 活 、教 育 、 日本 人 の差 別 、偏 見 、在 日韓 国人 の反 応 、 民 族 正 体 性 の 回復 運動 、 結 論 。在 日朝 鮮 人 の形 成 の 過程 で分 か る こ とは 、韓 国 か らの労 働 者 の 受 け入 れ や 強 制 連行 に よ り日本 人 か ら差 別 され る よ うに な った こ とだ 。 そ れ は韓 国 人 が 、世 界 中の 海 外 の 少 数 民 族 と して優 秀 な 評 判 を持 って い る こ と とは 、非 常 に対 照 的 な もの で あ る。 そ の よ う な 日本 の 事 情 の 下 で 差 別 され て い るの で 、 隠 れ た り同化 した り して い た が 、1965年 に 日韓 国交 が 正 常 化 され 、1970年 代 に な って か ら母 国訪 問 が 可 能 にな りは じめ 、韓 国 人 と して の意 識 が 成 立 す る傾 向 にあ った 。80年 代 に は韓 国 経 済 が発 展 した の で 、 韓 国 の 国 際 的 な発 言権 が高 くな り、在 日朝 鮮 人 の 母 国 へ の 意 識 が 高 ま って きた 。 た だ彼 ら は母 国 の南 北 分 断 とい う悲劇 的 な ものが 、無 条 件 に統 一 され る こ とを理 想 的 に望 ん で い る こ とが わ か る。大阪の生野区の韓国人町の ような住民 は、 日 本 人 か らあ ま り好 まれ ない 非 専 門 的 な 仕 事 を持 ち なが ら、 表 面 的 に は 日本化 され て い るが 、 食 事 な ど は韓 国 食 で あ る。 祖 先 祭 祀 は民 族 的 正 体 性 を保 ち 見 せ る に も良 い社 会 に な って い る。 在 日朝 鮮 人 は学 校 教 育 で 差 別 され る とい う。 小 学 生 が 述 べ た が 、 韓 国 人 は可 哀 相 で あ り恐 い とい っ た 。 も し うま く教 育 さ れて も就 職 の 時 に差 別 され る し、 また 、 最 も差 別 の 大 きい の は 言 う まで もな く 結 婚 差 別 もあ る。 しか し 日本 人 との 結 婚 は圧 倒 的 に多 い の が 現 状 で あ る。 季 教 授 は 最後 に在 日朝 鮮 人 の差 別 につ い て 日本 人 側 の 問 題 点 を指 摘 す る。"在 日韓 国 人 は民 族 的劣 等 意 識 と民 族 的虚 無 主 義 か ら脱 皮 しな け れ ば な らな い。 日本 人 の持 っ てい る偏 見 と 日本 社 会 が 持 つ 差 別 は、特 殊 な 条 件 か ら生 じた もの で あ り、 決 して普 遍 的 もの で も正 しい もので もない 。 あ ら ゆ る民 族 には民 族 な りの長 点 と欠 点 が あ るが 、諸 民 族 は互 い に長 点 を中心 に民 族 共 に生 きる意 味 を探 す べ きで あ る 。 しか し 日本 人 は在 日朝 鮮 人 の弱 点 の み探 し、 これ を韓 国人 像 に して 日本 人 が 自慰 す る こ とは 正 し くな い 。また そ れ を無 批判 的 に受 け 入 れ て 、劣 等 意識 と虚 無 主 義 に 落 ち る事 も正 し くない 。中 国 ・ 満 州 の延 辺 地域 に居 住 す る在 中韓 国 人 、 旧 ソ連 の タシ ケ ン ト地 方 の在 ソ韓 国人 も、 在 米 韓 国 人 ・ 在 ドイ ッ韓 国 人 ・在 ブ ラジ ル韓 国 人 も、 そ の地 域 に お い て韓 国 人が 一 番 勤 勉 で 熱 心 で あ って 、 他 の少 数民 族 の 規 範 に な って い る。 た だ 日本 で の み劣 等 視 され る こ とは 、 日本 人 の偏 見 が 正 し くな い こ と を意 味 す るの で あ る"。 この よ うな在 日朝 鮮 人 の特 徴 は 、1991年9月 ソ ウル で 韓 国 精神 文

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化研 究 院 の 主 催 で 開 か れ た 、「世界 中 の韓 国文 化:在 外 韓 人 の生 活 と文 化 」で よ り明 らか に な った 。 4)比 較 研 究 日韓 比 較 文 化 論 的 な研 究 へ の 関 心 は 高 い 。 そ れ が 実証 的 な次 元 へ の深 化 が 出来 な い もの と して も一 般 的 に も さ ま ざ ま試 み て い る もの も多 い 。 縮 小志 向文 化 論 とか万 葉 集 へ の解 釈 な どは一 般 的 に は知 られ て い るが 、 そ れ が 学術 的 に実 証 され る まで に は至 って い な い 。 しか しこ れ は比 較 研 究 へ の 関 心 が 高 い こ と を意 味 す る し、 さ ら にそ れ を触 発 す る もの と思 わ れ る 。学 問 的 に試 み る こ と も、 日韓 両 国 にお い て 行 なわ れ た こ と も少 な い なが らあ る。 最 近 日韓 文 化 フ ォー ラ ム に よ る 『日 韓 比 較 文 化 論 』 な どが そ れ で あ る。 日韓 の 共 同 ・協 力研 究 が盛 ん に行 な わ れ る傾 向 が あ る 。 5)沖 縄 へ の 関 心 筆 者 は 日本 留 学 中1970年 代 の 初 め 頃 、 沖 縄 で の 現 地 調 査 を若 干 実 行 して 帰 国 し、 沖縄 の シ ャー マ ンにつ い て発 表 したが 、 そ の現 地 調 査 をす る機 会 が 出来 なか った 。 崔 仁 鶴 の 沖 縄 の 昔話 の 調 査 な どの研 究 発 表 が あ るが 、 韓 国か らの民 俗 調 査 は難 し くなか なか 実 行 され ず に現 在 に至 って い る 状 況 で あ る。 しか し 日本 留 学 中 の李 鎮 栄(本 島 の名 護)、 崔 仁 宅(八 重 山 島)で の 長期 間 の 本 格 的 な現 地 調 査 が行 な わ れ て お り、 日本 の 『民 族 学 研 究 』 な どに一 部 の 成 果 を発 表 して い る。 韓 国 で も若干 発 表 して い る 。 しか し韓 国 人 の社 会 学 者 や 人類 学 者 が 関心 を持 って い る もの は、 沖 縄 の 門 中 とい う親 族 組 織 で あ る。 これ は全 く同 じ文 字 を使 って お り同 じ親族 組 織 で あ る ので 注 目す る わ けで あ る。 こ れ につ いて は中根 千枝 教 授 が 中 国 ・韓 国 ・日本 本 島 との 比較 を した の で 、 日韓 琉 の学 者 た ちが 高 い 関心 を持 って い る こ とで もあ る。 崔在 錫 の 門 中 の 韓 国起 源論 もあ る 。 6)天 皇 制 は植 民 地 との 関 連 の 強 い もの で あ り、 なお現 在 日本 を知 る うえ で も理 解 す べ きで あ る。 しか しこ れ につ い て の研 究 は殆 ど ない 。 韓 国 で は天 皇 を 日本 的 政 治 シス テ ム と して認 め て い な い。 天 皇 と言 う言 葉 を 日本 王 とい う表 現 をす る。 これ は王 制 と天 皇 制 が 異 な って い るに もか か わ らず 、 他 の 日本 語 の漢 字 造 語 を よ く受 け入 れ て い なが ら、 この 天 皇 とい う言 葉 だ け に拒 絶 反 応 が強 い事 は 、天 皇 は植 民 地 支 配 そ して 戦 争 に責 任 が あ る と見 て い るか らで あ る。 啓 明 大 学 ・日本 文化 研 究 所 に天 皇 制 につ い て の共 同研 究 が あ る。 3.研 究 発 展 の た め の 課 題 語 文学 中 心 の研 究 は 、日本 で の 日本 学 の 延 長 線 にあ る よ う な もの と して 、そ れが 日本 の 国文 学 ・ 国 史 な どの ナ シ ョナ リズ ム の つ よい もの を受 け継 い で 、逆 に韓 国 ナ シ ョナ リズ ム を作 る よ うに な る危 険性 もあ る と思 わ れ る 。そ の 意 味 で は比 較 研 究 的 な研 究 が 望 ま しい が 、そ れ も反 日思 想 に よ っ て 自己民 族 主 義 の 強 い 学 問 で あ れ ば 意 味 が な い 。 この ナ シ ョナ リズ ム は 歴 史 的 な もの で あ る と諦 め て はい け ない 。そ れ は現 在 の 日韓 関係 が 巧 く行 っ て な い か ら歴 史 を借 りて い る こ とに過 ぎな い。 現 在 を よ く見 つ め る学 問 が よ り積 極 的 に進 め ば、ナ シ ョナ リズ ム を取 り外 す こ とが 出来 る と思 う。 若 手 学 者 の 育 成 は、 国 内 で の 文 献 中 心 学 か ら脱 皮 して 、 留 学 な ど に よ り現 実 社 会 の 脈 路 か ら研 究 す る こ と を勧 め て い くべ きで あ る。 東 亜 細 亜 にお け る比 較 が よ り望 ま しい 。 漢 字 文 化 圏 とか 儒 教 文 化 圏 とい う共 通 文 化 を もって お り、 それ をモ デ ル に して 比 較 研 究 す る こ とが 効 果 的 か も しれ ない 。 研 究 環 境 を助 成 す る ため に、 学 者 の 交 流 を活 発 にす べ きで あ る。 比 較 的 に長 期 間 な体 験 的 な調

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査 研 究 が 出 来 る よ う に 協 力 し た ほ う が 良 い と 思 う 。 〔参 考 文 献 〕 「特 集:韓 国 の 日本研 究 どこ ま で来 た か」 『日本 学 報』30、 韓 国 日本学 会 、1993。 崔 吉 城 、 『日本 学 入 門』、啓 明大 学 出版 部 、1980。 崔 吉 城 訳 、 『朝 鮮 巫俗 の現 地 研 究 』、啓 明大 学 出版 部 、1987。 崔 吉 城 訳 、 『韓 国 の社 会 と宗 教 』、亜 細 亜 文 化 社 、1987。 金 宅 圭 、 『韓 ・日本 文化 比 較 論 』、文 徳 社 、1993。 反 民 族 研 究 所 編 、 『親 日派99人 』、 ドルベ ゲ 、1993。 尹 正 錫 、 『韓 国 に お け る 日本 研 究 』、 国 際交 流 基 金 、1989。 西 岡力 、 「韓 国 日本 語専 攻 大 学 生 の 日本 観 」 『現 代 コ リア』、1986年11,月 号 江 守 五 美 ・崔 龍 基 編 、 『韓 国両 斑 同族 制 の研 究 』、 第 一書 房 、1982。 李 光 奎 、 『在 日韓 国 人』、 一潮 閣 、1983。 李 光 奎 、 「在 日韓 国 人 の調 査 研 究1」 、 『韓 国文 化 人 類学 』、 第 一書 房 、1981。 我 妻 洋 ・米 山 俊 直 の 『偏 見 の構 図』、 日本放 送 出版 会 、1967。 李 長 燮 、「韓 国 民俗 学 の批 判 的検 討 」、 『文 化 人類 学 論』、1989。 韓 国 日本 学 会 、 『日本 学 報』、20号 、1988。 辻 村 明 ・金 圭 煥 ・生 田 正 輝 、 『日本 と韓 国 の 文化 摩 擦』、1982。 韓 国 精 神 文 化 研 究 院 、 『第1回 世界 韓民 族 学術 会 議i論文 集:世 界 中 の韓 国 文化 』、1992。

Referensi

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