大学のほか、広島駅に近い広島ガーデンパレスで聞かれたこともあった。毎回15名 前後の出席者があり、最近では部会終了後簡単な懇親会をもっている。過去の部会 では会長をはじめ、長老級の岡村邦輔、岩城 剛の両先生も何度か出席され、ご指 導をいただいたことが懐かしく思い出される。
学会の先達者たちが創設期から改革期における多くの試練のなかで、学会発展の ために尽くされたご功績に対レ心から感謝を申し上げる次第である。(
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年1 2
月2 5
日)商業英語学会との合同部会 (1968年9月、左から近藤太郎氏、笹森四郎氏、筆者)
(4
)組織改革と当時の中京地区を振り返って
岩 城 剛 1 .入会の経緯
貿易学会への入会をすすめられたのは、
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(昭和4 7
)年であったと思う。それ までは、貿易学会についての細かい話は知らなかったが、紹介者の松本新樹先生(高崎経済大学)や粕谷慶治先生(国士舘大学)からのお話によると、貿易学会は早 稲田大学商学部の上坂酉三先生を中心に、
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年に創設されたもので、どちらかと いえば、「貿易商務論」ゃ「貿易制度J
の研究に重点が置かれ、また「国際商品学J
などについての研究も多く、国際経済学会での貿易研究より、商学的、実証研究が 強いということで、私の当時の研究課題や、また当時、私が属していた商学部での 授業、研究との関連でも、より適した学会であるということであった。このような
ことで、入会の手続きをお願いすることになった。
2 .
研究テーマと海外留学当時、私の関心が強く、また当時の途上国との関連でも重要なテーマであった
「一次産品問題
J
の研究などとの関係でも、貿易学会の環境はきわめて魅力的で、あっ た。渡辺馨先生(当時、阪南大学)が繊維商品の研究、中京地区の科野孝蔵先生が 地場貿易商品の研究をなさっておられた。その後、私はイギリスのサセックス大学(S
u s s e x U n i v e r s i t y
)に1
年2カ月間、
留学することになる。この大学は、新古典派経済学に対する「構造主義研究者
( s t r u c t u r i s t s ) J
の牙城で、貿易問題でも有名な「プレピッシユ・シンガー命題( P r e b i s c h ‑ S i n g e r H y p o t h e s i s ) J
で知られていたシンガー教授、さらにD .
シアーズ 教授(D.S e e r s
)らの著名な研究者が集まっていた。当時、途上国の多くでは、開発 型社会主義政策がとられ、「途上国の開発が一次産品輸出に依存している限り、そ の開発は容易ではない」との考えが示され、チリの開発型社会主義、アフリカ・タ ンザニアのウジャマ一社会主義政策など有名であった。その基本は、今でも大きく 変わっていない。3 .
全国大会開催イギリスから帰国直前、
1 9 7 4
年6
月頃だ、ったと思うが、留守番役の妻から便りが あり、帰国したら貿易学会の全国大会を引き受けるようにとのこと、学会は今きわ めて重要な時期にあるので理解して欲しいとのこと、さらに会長を含めて理事会も 全面的に支援するとのこと、共通論題は当番校に一任するなどであった。当時、全国大会を開催するということは、学内、学外に対しでもそれなりに緊張 感をっくり出すことであった。学会は近代化、改革の過程にあったし、それを達成 することは、それなりに充足しなくてはならない条件も多かった。まだ大学紛争の 余波もあり、また、大学近代化の動きも残り、例えば、大学当局との大会への補助
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金交渉なども大きな問題であった。
当時、会長は、故人となられた福岡大学の中田操六先生であったが、実際、お約 束いただいた通り、多くの面でご協力、ご指導をいただき、お手紙でも細かいご連 絡、ご教示を頂戴したことをよく覚えている。ともかく当時は、大会を聞くにして も、学会の財政基盤は弱く、大会費用のかなりの部分は、当番校が負担、調達しな くてはならな治、った。
名古屋地区の会員の支援体制を考えても、きわめて弱く、会員は名城大学に集中 しており、お名前を挙げると、堀新一先生、橋本英三の各先生、それに名古屋商科 大学の加藤清先生などであったが、「組織改革の動き」は、会員諸氏の大会への動 きをも消極的なものにし、全面的な協力は容易に得られず、大変苦労したことも覚 えている。
そのようななかでも、「日本貿易学会」ということで、貿易港・名古屋港を持つ
「県や市当局jからは全面的な支援をいただき、大会運営に大いに役立つたことを 思い出すのである。
全国大会の当時の動きは、改革の波に大きく揺れていたため、外から見ると、貿 易学会は二分しているとも見られ、学会の報告内容に対しでも、厳しい批判の眼が 向けられていた。したがって、全国大会を聞いた場合でも、学会の内容一貫性
( i d e n t i t y
)は常に間われていたし、また、それを明示していかなくてはならなかっ た。大会は内容的にも外見的にも、参加者数から見ても盛会であることが大きな条件 であったし、取り扱われるテーマも、当然、貿易学会にふさわしいものでなくては ならず、当時の世界貿易の動きを反映したものでなくてはならなかった。私は、イ ギリスでの留学で学び、第三世界にとって最重要な貿易のテーマであると見られた
「国際商品/一次産品問題jを取り上げることにした。
このテーマについての日本での研究者は、当時、限られており、とりわけ貿易学 会の会員の中で、この問題の研究者は少なく、例えば、アジア経済研究所の深沢八 郎先生なども、入会を条件に大会での報告をお願いすることにした。
そのときの共通論題の報告者と内容は、次のようなものであった。
共通論題研究報告I
国際商品市場の諸問題一 座長 明治大学 学習院大学
石 田 貞 夫 氏 大 谷 敏 治 氏 1 世界穀物市場の若干の側面について
報告 アジア経済研究所 深 沢 八 郎 氏 2.石油資源開発とわが国の経済協力〜資源ナショナリズムをめぐって〜
報告 広島修道大学 稲 田 実 次 氏 共通論題研究報告E
国際商品市場の諸問題 座長 近畿大学 景 山 哲 夫 氏 市部学園短期大学 科 野 孝 蔵 氏
3.繊維貿易と国際繊維協定
報告 東洋紡績経済研究所渡辺 馨 氏 4.世界鉄鋼貿易に関する若干の問題
報告 共通論題予定討論
座長
1.深沢八郎氏の報告に対して 予定討論 2.稲田実次氏の報告に対して予定討論 3.渡辺馨氏の報告に対して 予定討論 4.戸田弘元氏の報告に対して 予定討論 共通論題一般討論
日本鉄鋼連盟 明治大学 学習院大学 近畿大学 市部学園短期大学 中央大学 近畿大学 伊藤忠商事 専修大学
戸 田 弘 元 氏 石 田 貞 夫 氏 大 谷 敏 治 氏 景 山 哲 夫 氏 科 野 孝 蔵 氏 長谷川幸生氏 木 下 昭 氏 田 中 進 氏 津 田 昇 氏
大会は、内容からも、参加者の数からしても、成功であった。これを機会に名古 屋地区においても新しい、意欲的な会員が増加していった。名古屋商科大学の山川 健先生、科野孝蔵先生、島村巌先生など、その一部であった。
4 .
中京地区の会員と研究活動を振り返る一結びに代えて一科野先生は、「日本・オランダ貿易史」の大きな業績を残されたが、その基礎に は、貿易商社社長の長い経験の蓄積があった。島村先生は、東海銀行ロンドン支店 次長のご出身で、その経験を生かされ、国際金融についてのまとまった仕事をなさ れ、貿易学会でも度々報告をしていただいた。
若くして亡くなれた山川先生は、先生個人の研究領域であった「貿易金融jのシ ステム分析で多くの業績を残されたが、それに加え、学会活動でもきわめて大きな 仕事を残していただいた。第29回全国大会を 1989(平成元)年 5月に名古屋商科大 学で開いていただき、年 2回、規則的に研究会を名古屋で聞くことなど下地も用意 していただいた。先生の独自の研究であった「多角的決済機構と貿易ーその実体と 理論化」は、大きな先生のライフワークであった。山川先生は、
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年に本務校を大 阪に移されたが、 99年に逝去されるまで、中京地区の運営に大きく協力、貢献して いただいたのである。一方、私はというと、発展途上国、特にアフリカの貿易構造 を中心に研究を続けてきたが、そこでは地元の中小企業開発にかかわった経験が重 ネ見されている。現在、中京地区は、年 l回の研究会を聞き、同地区の若手研究者の登竜門として、
毎回
2
〜3
名の報告者があり、全国大会報告への修練の場となっている。中京地区 は、山川先生の愛弟子であった河野公洋先生(岐阜聖徳学園大学)から広い領域で ご面倒をいただいている。日本貿易学会の中部、東海地域での更なる発展を祈って いる。名古屋は、自動車、地場貿易商品などを中心に、全国最大の貿易港であることを考えると、今後への期待はいっそう大きいのである。