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草 薙 正 夫
われ われ の人 文学 会が 創設 され たの は︑ 昭和 二十 八年 秋で ある から
︑今 年で 満十 年を 迎え たわ けで ある
︒十 年ひ とむ かし とい われ るか らに は︑ 十年 とい う歳 月は 決し て短 いも ので はな い︒ しか しま た光 陰矢 の如 しの たと えも あ るよ うに
︑ま たた くま に十 年が 過ぎ 去っ たよ うに も感 じら れる
︒こ のよ うな 忽忙 の感 じは
︑学 会の 過去 十年 の活 動 と発 展の スピ ード が目 覚し かっ たこ とに よる のか も知 れな い︒ 学会 の生 誕と 歩み が同 時に
︑新 制大 学と して のわ れ われ の大 学の 生誕 と歩 みで ある とい うこ とも
︑私 にと って は深 い感 慨を 催さ せる もの であ る︒ 学会 の生 誕は
︑新 制大 学と して のわ れわ れ大 学の 発足 より は三 年遅 れて いる
︒し かし 法経 学部 と工 学部 の二 学部 しか もた ない 大学 でわ れわ れの よう な特 に精 神科 学の 研究 を中 心と する 学会
︑し かも 相当 強力 で規 模の 大き い学 会 をも つこ とが でき たと いう こと は︑ おそ らく 他の 大学 には 見ら れな い稀 有の こと であ ろう
︒こ のこ とは われ われ の 大学 の誇 りで あり
︑特 徴を 示す もの であ って
︑他 大学 に教 鞭を とる 人々 から 屡々 羨望 の眼 をも って 見ら れる とこ ろ
15 神奈川大学人文学会50年史に代えて
でも ある
︒そ こで 十年 の回 顧に おい て︑ いま この よう な事 情を はっ きり と記 憶に 甦ら せて おく こと は︑ 意義 のあ る こと だと 思わ れる ので ある
︒ 新制 大学 の発 足に 当っ て︑ 特に 法経 学部 の学 部構 成に 関し て︑ 私も その 議に 参加 した 一員 であ るが
︑学 部の 内容 や性 格を どの よう なも のに する かと いう 問題 につ いて
︑私 は次 のよ うな 提案 を行 なっ た︒ それ は過 去の 東京 の商 科 大学 の特 異な 性格 に倣 って
︑学 科編 成を 単に 法経 の専 門的 学科 にの み限 定し ない で︑ 学生 の希 望に 応じ て広 く哲 学︑ 文学
︑歴 史な どの 諸精 神科 学を 学ぶ こと がで きる よう な学 科組 織を 造っ て︑ 本学 の教 学に 特色 をも たせ るこ とに し たい
︑と いう こと であ った
︒幸 にし て本 学に おい ては
︑専 門学 校時 代か ら一 橋出 身の 先生 が比 較的 多か った せい も あっ て︑ 私の 提案 は容 易に 容ら れる こと にな り︑ これ らの 精神 科学 に関 する ゼミ ナー ルも 設置 され るこ とに なっ た ので ある
︒わ れわ れの 人文 学会 が︑ この よう な本 学の 学部 別設 の趣 意に 従っ て生 れた とい うこ とは
︑忘 れて はな ら ない 大切 なこ とだ と︑ 私は 思う
︒こ のよ うな 趣旨 に従 って
︑新 制大 学の 発足 以来
︑現 在学 会の 中心 的な 存在 とし て 活溌 な研 究業 績を あげ てお られ る大 家や 新進 気鋭 の士 が続 々と して 本学 に就 任し てこ られ るこ とに なっ た︒ 学会 は これ らの 諸先 生の 熱意 と努 力に よっ て︑ 多少 のい きさ つは あっ たに して も創 設せ られ たの であ る︒ それ とと もに わ れわ れが 忘れ ては なら ない こと は︑ 学長 がわ れわ れの 学会 の創 設に 非常 な同 情と 熱意 を示 され たこ とと
︑当 時法 経 学部 の学 部長 の重 責を 担っ てお られ た故 園田 先生 や故 西垣 先生 が︑ 大学 にお ける 精神 科学 研究 の重 要性 をよ く理 解 せら れて
︑人 文学 会の 設立 に外 部か ら有 力な 支持 を与 えら れた とい うこ とで ある
︒も し学 長の よき 理解 とこ れら 諸 先生 の援 助と がな かっ たと した なら ば︑ 学会 の生 誕は もと より
︑今 日ま での 成長 は︑ とう てい 得ら れな かっ たこ と と思 われ るの であ る︒ この 機会 にわ れわ れは
︑こ れら 諸先 生に 対し て感 謝の 念を 新た にす るも ので ある
︒
学会 創設 の翌 年か ら学 会誌
﹁人 文研 究﹂ が発 刊せ られ て︑ 諸先 生の 優れ た研 究業 績が 続々 と発 表せ られ て︑ 本学 にお ける 人文 科学 研究 の成 果を
︑学 外の 諸学 会や 大学 に対 して など 広く 世に 問う 機会 を得 ると とも に︑ 学生 諸君 も︑ 講義 の他 に︑ 諸先 生の 生々 しい 研究 に接 する 機会 を得 るこ とに なっ た︒ 学会 誌の 発刊 と︑ 学内 にお ける 月例 研究 会 が︑ われ われ の研 究欲 を刺 戟し
︑新 しい 研究 業績 を生 む結 果と なっ たこ とは
︑い うま でも ない
︒こ れら の研 究業 績 が︑ 山本 新博 士や 信太 正三 博士 の学 位論 文と して 結実 した とい うこ とは
︑特 筆す べき こと であ って
︑私 もこ のよ う な恩 恵に 浴す るこ とが でき た一 人と して
︑深 く感 謝し てい るも ので ある
︒今 後も 学会 誌が
︑こ のよ うな 任務 を果 た すた めに も︑ 益々 活用 され るこ とを 期待 して やま ない
︒私 のこ とと いえ ば︑ 学会 の発 足以 来今 日ま で︑ 私は 学会 委 員長 とい う重 責を けが して いる わけ であ るが
︑こ れは 全く 私の 本学 就任 が古 いと いう こと によ るだ けで あっ て︑ 私 自身 自ら 格別 の働 きを して きた わけ でな く︑ 顧み て慚 愧に 堪え ない 次第 であ る︒ こう いう わけ でわ れわ れの 学会 誌は
︑号 を追 うに 従っ て︑ 漸次 内容 を充 実し てき て︑ 学外 の諸 学会 の注 目を ひく よう にな って きた
︒わ れわ れの 学会 誌に 発表 され たい くつ かの 論文 が︑ 全国 的な 諸学 会誌 に取 りあ げら れて 紹介
︑ 批判 され たと いう 事実 が︑ この こと を雄 弁に 物語 って いる
︒ この よう に諸 先生 の研 究成 果は
︑年 三回 刊行 され るわ れわ れの 学会 誌で その 都度 発表 され てき たの であ るが
︑そ れ以 外に 学会 は或 る共 通の テー マに つい ての われ われ の共 同研 究や
︑学 術上 極め て高 い価 値を もっ てい るが
︑そ れ が専 門的 であ るた めに 商業 上出 版の 困難 な外 国の 名著 の翻 訳を
︑学 会自 身の 手に よっ て出 版す る計 画を 立て て︑ す でに それ を実 行し てき た︒ 神奈 川叢 書と いう 名称 で創 文社 から 刊行 され た︑ アル フレ ッド
・ウ ェー バー の﹁ 文化 社 会学
﹂︵ 昭和 三十 三年
︶と
︑わ れわ れの 共同 研究 によ る﹁ 伝統 と変 革﹂
︵昭 和三 十六 年︶ の二 著が それ であ って
︑特
17 神奈川大学人文学会50年史に代えて
に前 者は
︑社 会学 専門 の人 々か ら好 評を かち えた もの であ る︒ この 叢書 には
︑目 下の とこ ろの 近く 刊行 され るレ ー ヴィ ット の﹁ 世界 史と 救済 の出 来事
﹂の 他︑
﹁現 代の 歴史 観﹂
︑﹁ 西洋 思想 の移 植﹂
︑﹁ 実存 的作 家論
﹂な どの 共同 研 究や その 他翻 訳物 の刊 行が 続々 計画 され てい る︒ これ らの 研究 著作 はお そら く︑ 学会 一般 に対 して
︑少 から ざる 貢 献を もた らす もの と︑ われ われ は期 待し てい るの であ る︒ これ ら学 会誌 や単 行書 によ る研 究発 表の 他に
︑学 会委 員相 互の 月例 の研 究会 や特 に学 生を 対象 とす る学 内講 演会
︵こ の講 演会 の講 師に は本 学の 諸先 生の 他︑ 学外 から 多数 の知 名の 学者 が招 聘さ れて いる によ る︶ 研究 活動 は︑ 別 稿の 年表 につ いて みら れる よう に︑ 極め て活 溌な もの であ った
︒そ の他 学会 は︑ 学外 にお いて 一般 市民 のた めに 公 開講 演会 を︑ 年一
・二 回開 催し てき た︒ この 公開 講演 会は
︑本 学の 教授 の他 に学 外の 知名 な学 者や 文化 人を 招聘 す る例 にな って いる が︑ それ は横 浜市 内だ けで なく
︑神 奈川 県下
︑た とえ ば平 塚市 など でも 行な われ
︑一 般市 民に 非 常に 歓迎 され てい る︒ ドイ ツの 大学 など では
︑大 学教 授は 毎年 大学 にお いて
︑市 民の ため に公 開講 義を する 義務 を 負わ され てい るが
︑そ れは
︑大 学が 学問 研究 を通 じて 社会 に寄 与す る義 務を 負わ され てい るか らに 他な らな い︒ わ れわ れの 学会 が︑ 市民 のた めの 公開 講演 会を 催す のは
︑こ のよ うな ヨー ロッ パの 大学 の伝 統に 倣っ てい るも ので あ るこ とは
︑い うま でも ない
︒ 以上 述べ てき た学 会活 動の 歩み は︑ 教授
・助 教授
・専 任講 師で ある 学会 委員 の研 究活 動の それ であ った が︑ 学会 はそ の会 員と して 法経 学部 学生 全体 を包 含す るも ので ある から して
︑学 会の 研究 活動 はこ れら 学生 をも 対象 とす る もの でな けれ ばな らな い︒ そこ で学 会は
︑学 生自 身の 研究 活動 を刺 戟し 活溌 なら しめ る目 的の もと に︑ 昭和 三十 二 年に
︑学 会の 中に 教授 グル ープ の研 究部 会の 他に
︑﹁ 学生 研究 部会
﹂を 創設 する こと にな った
︒こ の部 会に は学 問
研究 上必 要な 経費 を︑ 学会 から 支出 され
︑そ の中 心的 母体 は︑ 人文 科学 系の ゼミ ナリ スト によ って 構成 され てい る︒ この 学生 部会 の設 立に よっ て︑ 学生 自身 の研 究活 動は
︑年 を追 って 活溌 にな りつ つあ る︒ 昭和 三十 六年 にそ の研 究 発表 のた めの 年誌
﹁世 代﹂ 第一 号が 創刊 され
︑最 近そ の第 三号 が刊 行さ れた が︑ その 内容 の急 速な 向上 と充 実が
︑ その 実情 を物 語っ てい る︒ この 学生 部会 の設 立と
﹁世 代﹂ の刊 行は
︑最 近創 刊さ れた 商経 法学 会に 所属 する ゼミ ナ リス トの ため の機 関誌
﹁神 奈川 論叢
﹂の 刊行 とと もに
︑両 学会 相携 えて 本学 会に おけ る学 生諸 君の 学問 研究 の意 欲 を益 々全 体的 に強 めて ゆく もの と期 待さ れる であ ろう
︒ 以上 私は 人文 学会 の過 去十 年間 にお ける 歩み と︑ その 業績 を回 顧的 に略 述し てみ たの であ るが
︑私 はわ れわ れの 過去 の歩 みに
︑必 ずし も満 足し てい るわ けで はな い︒
﹁人 文研 究﹂ を季 刊に した いと いう われ われ の願 望も
︑ま だ 実現 され てい ない し︑ 人文 科学 関係 の教 授ス タッ フも 十分 では ない し︑
︵わ れわ れの 予定 した 計画 が︑ 予定 通り に 進行 しな いの も︑ 大部 分は スタ ッフ の不 足に 原因 して いる よう に思 われ る︶ また でき れば
︑工 学部 のジ ュニ ア・ コ ース の学 生を
︑人 文学 会の 会員 とし て包 含も した いの であ る︒ しか しこ れら の問 題は
︑学 会の 委員 諸君 の将 来の 努 力に 期待 した い︒ ただ 最後 に私 は近 い将 来の 明る い見 通し につ いて 報告 して おき たい
︒そ れは 学内 にお ける 或る 委 員会 の席 上に おい て︑ 非公 式に では ある が︑ 学長 が近 い将 来に おい て︑ 大学 院の 設置 と略 々時 を同 じく して か︑ 或 いは やや 遅れ てか
︑外 国語 学部 創設 の意 のあ るこ とを 漏ら され たこ とで ある
︒も ちろ んそ の具 体的 内容 に関 して は︑ 現在 全く 未定 のこ とに 属す る︒ しか し外 国語 学部 とい えば
︑一 般に 人文 科あ るい は教 養科 の学 科課 程と 貿易 学科 課 程︵ 何れ も仮 称︶ の学 科課 程の 併置 が︑ 当然 予想 され るし
︑わ れわ れは また それ を強 く希 望し たい
︒そ こで
︑も し この よう な希 望が 実現 され ると 仮定 する なら ば︑ われ われ の学 会は
︑劃 期的 な飛 躍の 段階 に際 会し
︑い ま述 べた よ
19 神奈川大学人文学会50年史に代えて
うな 学会 現在 の不 満の 諸点 も解 消す るに 相違 ない であ ろう
︒ 何れ にし ても
︑創 設以 来過 去十 年間 に︑ 人文 学会 の基 礎ら しい もの が︑ 曲り なり にも 出来 上っ たと いえ るの では ない だろ うか
︒こ の基 礎の 上に
︑ど うい う家 作り がな され るか
︑未 来に 夢を 托し つつ
︑こ の短 い回 顧録 を終 るこ と した い︒
︵﹃ 人文 研究
﹄第 二四 集︑ 一九 六三 年よ り再 録︶