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化学と生物 Vol. 54, No. 10, 2016
アルツハイマー型認知症におけるプラズマローゲンの意義
プラズマローゲン分子種のバイオマーカーとしての可能性
厚生労働省の報告によると,現在,日本では高齢者の 約15%が認知症罹患者であり,そのうちの65〜70%が アルツハイマー型認知症(以下,AD)罹患者であると 推定されている.ADの病理学的特徴として,脳の委縮 および老人班が挙げられる.脳の委縮はアポトーシスに よる神経細胞の脱落を伴うため回復は非常に困難であり,
そのため,ADの早期診断や予防法の開発が求められて いる.現在,老人斑の構成タンパク質であるアミロイド
β
(A
β
)に注目して,PETによる脳のアミロイドイメー ジングや脳脊髄液中のAβ
レベルによる診断法が検討さ れている.しかし,費用や安全性の問題から実用化には 至っていない.われわれは,生体脂質,特に膜脂質の構 造ならびに機能について研究しており,そのなかでAD と膜リン脂質との興味深い関係を見いだしつつあり,こ こに紹介したい.脳は臓器の中で最も脂質に富んだ組織(成人脳の乾燥 重量の65%)であり,総脂質の半分はリン脂質で構成 される.そのリン脂質の32%をエタノールアミングリ セロリン脂質(PE)が占め,ほかにコリングリセロリ ン脂質(PC, 30%),セリングリセロリン脂質(17%), スフィンゴミエリン(17%)が含まれる.さらに各グリ セロリン脂質はグリセロール骨格一位の結合様式により ジアシル型,アルキルアシル型,アルケニルアシル型の 3つのサブクラスに分けられる.脳中のPEは約60%が アルケニルアシル型PE,いわゆるプラズマローゲン
(以下,PEプラズマローゲンを単にプラズマローゲンと 表記する)である.一般的な組織ではPE中のプラズマ ローゲンが約20%(肝臓においては5%)であるのと比 較すると明らかに異質である.これは脳神経の機能的特 徴をプラズマローゲンが担っているためであると考えら れている.プラズマローゲンは通常のジアシル型PEに 比べヘキサゴナール構造という非二重層構造を取りやす く,これが神経細胞シナプス膜間における膜融合を介し た情報交換と伝達を可能にしていると言われる.さら に,プラズマローゲンのもつビニルエーテル構造は活性 酸素やラジカルを補足する能力を有し,酸素消費量の多 い脳において脳を酸化ストレスから保護していると考え られている.プラズマローゲン生合成系が欠損した遺伝
疾患(ツェルウェガー症候群)では,脳を含む神経系に 重篤な障害(ミエリン形成不全)をきたし,その多くが 生後半年以内に死亡することからも,脳神経系における プラズマローゲンの重要性がうかがえる.
脳の情報伝達に障害を伴うADにおいてもプラズマ ローゲンは何らかの形で関与している可能性がある.
Ginsbergらは,AD罹患者の脳のプラズマローゲン量が 健常者の脳と比べ30%低い値を示すことを報告した(1). その後の研究で,脳のプラズマローゲン量はADの進行 に伴い低下することが示された(2).この低下は脳中でA
β
やAβ
が原因となる酸化・炎症ストレスがプラズマロー ゲン選択的分解酵素iPLA2の活性化およびプラズマロー ゲンの合成にかかわるペルオキシソームの不活性化を引 き起こすためであると考えられている.また,われわれ は,神経芽細胞を用いた実験で,培地へのプラズマロー ゲンの添加が神経芽細胞のアポトーシスを抑制すること を報告しており(3),これらのことからプラズマローゲン がADの進行に関与していることが示唆されている.他方,これまでのプラズマローゲン分析は一位のビ ニルエーテル構造を利用したものが多く,二位の脂肪 酸構成を含む分子種まで分析したものは,血液成分など に関する鬼頭らの詳細な研究を除きあまりない(4).その 理由として,生体内のプラズマローゲンは分子種が多様 かつ微量であり分析が困難であったためである.近年,
LC-MS/MSの急速な発展によりプラズマローゲンの分 子種レベルの測定が可能になった.前述したADにおけ る脳プラズマローゲン量の低下は分子種により異なり,
ドコサヘキサエン酸(DHA)やアラキドン酸など高度 不飽和脂肪酸(PUFA)を側鎖にもつ分子種において著 しい低下を示すことが報告されている(2).また,われわ れは神経芽細胞におけるアポトーシスの抑制効果がプラ ズマローゲン分子種で異なり,特にDHAをもつプラズ マローゲン分子種で強いアポトーシス抑制効果を示すこ とを見いだした(5).一方,DHAをもつ各種ジアシル型 リン脂質はいずれも抑制効果を示さなかった.このメカ ニズムはおそらく,酸化・炎症ストレスにより神経細胞 のプラズマローゲン選択的分解酵素iPLA2が活性化さ れ,プラズマローゲンからのDHAの切り出しが促進さ
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れる.そして,切り出されたDHAはcPLA2やCOX-2の 活性を抑制し,アラキドン酸カスケードによるアポトー シスを抑制すると考えられる(図1).なお,DHAその ものの作用に加え,DHAの代謝物である17S Resolvins やNeuroprotection D1もまた抗炎症メディエーターと して働くことが知られている.さらに近年,A
β
の生産 にかかわるγ
-セクレターゼの活性をプラズマローゲンや DHAが抑制することが報告された.以上の知見から,プラズマローゲン,特にDHAをもつ分子種は神経保護 作用を有するが,長期のストレス負荷によりプラズマ ローゲンが消費され神経細胞中の濃度が低下すると,ス トレスに対する耐性の低下・A
β
の生産の増加が起こり,神経アポトーシスそしてADへとつながると考えられ る.
このようにADの進行と脳中のプラズマローゲン量に は密接な関係があると考えられるが,バイオマーカーと して脳中のプラズマローゲンを測ることは非現実的であ る.そこでわれわれは比較的採取が容易である血液にお いて,プラズマローゲンをはじめとする脂質の分析を行っ た(6).食事の影響をできるだけ除くためにAD罹患者と その健常配偶者を対象とした.健常配偶者と比較して,
AD罹患者の血漿,赤血球ともに総PEおよび総DHA量 に有意な差はなかった.しかし,PUFAを有するプラズ マローゲンを比較するとAD罹患者で30〜50%の減少が 確認された.特にDHAをもつプラズマローゲンで血漿,
赤血球ともに有意な低値を示した(図2).血漿中のA
β
と プラズマローゲンで相関を調べると,Aβ
42とDHAをも つプラズマローゲンに負の相関が見られた. 試 験により,DHAをもつプラズマローゲンはAβ
42の凝集 を強く抑制することが明らかになった.またAD罹患者 の赤血球において酸化の指標となる過酸化リン脂質が約 4倍に増加しており,さらにこの赤血球過酸化リン脂質 は血漿Aβ
40と高い正の相関を示した.われわれは以前,血漿中のA
β
が赤血球の過酸化を促進することを報告し ている(7).これらの結果は,血液中のDHAをもつプラ ズマローゲンと過酸化リン脂質のADバイオマーカーと しての可能性を示唆している.以上,ADにおけるPEプラズマローゲンの意義およ びバイオマーカーとしての可能性について論じてきた.
生体内にはPC型のプラズマローゲンも存在し,西向ら は動脈硬化のマーカーとして,血清中のオレイン酸をも つPCプラズマローゲンが使用できるのではないかと報
告している(8).プラズマローゲン分子種を分析すること により,将来的にADをはじめとする特定の疾病の診断・
予測が可能になるかもしれない.
1) L. Ginsberg, S. Rafique, J. H. Xuereb, S. I. Rapoport & N.
L. Gershfeld: , 698, 223 (1995).
2) X. Han, D. M. Holtzman & D. W. McKeel Jr.:
, 77, 1168 (2001).
3) T. Miyazawa, S. Kanno, T. Eitsuka & K. Nakagawa: “Di- etary Fats and Risk of Chronic disease,” ed. by Y.
Yanagita, H. R. Knapp & Y. S. Huang, AOCS Publishing, 2006, pp. 196‒202.
図1■プラズマローゲンによる神経アポトーシスの抑制機構 文献5使用の図を改変.
図2■AD罹患者における血液脂質量の変化
AD罹患者,健常配偶者それぞれ18人.*は健常配偶者との有意 差を表す.*** <0.001, ** <0.01, * <0.05(文献6使用の表を改 変).
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4) H. Takamura, K. Tanaka, T. Matsuura & M. Kito:
, 105, 168 (1989).
5) S. Yamashita, S. Kanno, K. Nakagawa, M. Kinoshita & T.
Miyazawa: , 5, 61012 (2015).
6) S. Yamashita, T. Kiko, H. Fujiwara, M. Hashimoto, K.
Naka gawa, M. Kinoshita, K. Furukawa, H. Arai & T.
Miya zawa: , 50, 527 (2015).
7) K. Nakagawa, T. Kiko, T. Miyazawa, P. Sookwong, T.
Tsuduki, A. Satoh & T. Miyazawa: , 585, 1249 (2011).
8) M. Nishimukai, R. Maeba, Y. Yamazaki, T. Nezu, T.
Saku rai, Y. Takahashi, S. P. Hui, H. Chiba, T. Okazaki &
H. Hara: , 55, 956 (2014).
(山下慎司*1,木下幹朗*1,仲川清隆*2,*1帯広畜産大 学食品科学研究部門,*2東北大学大学院農学研究科)
プロフィール
山下 慎司(Shinji YAMASHITA)
<略歴>2004年帯広畜産大学大学院畜産 科学研究科修士課程修了/2007年東北大 学大学院農学研究科博士後期課程修了/
2008年福島県県職員/2014年帯広畜産大 学食品科学研究部門助教,現在に至る<研 究テーマと抱負>食品成分,特にグリセロ リン脂質の機能性について<趣味>古代史 紀行,霊場巡り,日本犬を愛でること
木下 幹朗(Mikio KINOSHITA)
<略歴>1991年帯広畜産大学大学院修了/
1995年東北大学大学院修了,博士(農学)/
同年国立循環器病センター研究所科学技術 特別研究員/1998年基礎生物学研究所特 別協力研究員/1999年帯広畜産大学畜産 学部助手/2008年同准教授/2015年同教 授<研究テーマと抱負>山下先生がグリセ ロ脂質なので小生はスフィンゴ脂質の機能 性<趣味>ポタリング,ゆっくりとした山 歩き
仲川 清隆(Kiyotaka NAKAGAWA)
<略歴>1999年東北大学大学院農学研究 科博士後期課程修了/同年日本学術振興会 特別研究員/2000年科学技術振興事業団 科学技術特別研究員/2003年東北大学大 学院農学研究科助手/2004年同助教授/
2007年同准教授/2013年米国タフツ大学 Jean-Mayerヒトの老化/栄養研究所客員 研究員/2016年東北大学大学院農学研究 科教授,現在に至る<研究テーマと抱負>
分析化学を基盤とした食品機能性の研究に 取り組んでいます<趣味>愛犬との散歩
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.701
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