エネルギーと安全保障
―概念の生成・変容と再検討―
日本国際問題研究所 神保 謙
序
安全保障をめぐる諸議論の中で、エネルギー問題の重要性が再び脚光を浴びている。かつ て大平内閣の下に組織された私的諮問委員会が、「総合安全保障」の概念を打ち出し、エネ ルギー問題を安全保障の議論に組み入れるよう提言を行ってからすでに 20 年が経過した。
その間、いわゆる「エネルギー安全保障」の確立に向けた国際的、国内的な努力と、グロー バリゼーションの拡大と深化に伴い、1973 年のオイルショック時と今日とでは、石油を中 心とするエネルギー資源生産国の政治力、価格弾性も大きな変化を遂げた。そして、かつて のようなエネルギー供給途絶や価格高騰への懸念を中心とした、エネルギー安全保障の問題 意識は一段落したかにみえなくもない。
しかし、エネルギー資源が依然として産業化を経た国家における、死活的な要素であるこ とには変わりはない。そして、今後特定の産油国・地域への輸入依存度の上昇に伴い、域内 諸国の外交路線の摩擦(限られたパイをめぐる外交関係の緊張化)という問題や、国際・国 内紛争の生起・発展・収束過程において、エネルギー問題がいかに 影響したかという視点 がますます重要となることは避けられない。かつてエネルギー安全保障が想定したように、
石油の安定供給を主軸に据えた議論ばかりではなく、エネルギー問題の重要性によって引き 起こされる種々の安全保障問題を総合的に捉えなおさなければならない時期にいるのでは なかろうか。安全保障論がエネルギー問題に再着目している主な背景もここにある。
本稿は以上のような問題意識に基づき、エネルギーと安全保障の関係性を時代的に辿り、
今日の特徴と課題を明らかにする。そして、近年の総合安全保障、エネルギー安全保障等の 安全保障概念の生成と、それら概念の再検討の必要性について検討したい。
1.安全保障とエネルギーの概念 −三つの史的分岐―
エネルギー問題と安全保障との関係を示す時代的な分岐は少なくとも三回あったと考え られる。第一の分岐は、兵器開発史における火力の効率化である。14 世紀ごろ戦争におい て火薬の発明が火砲及び爆薬と結びつき、戦闘における攻撃能力を著しく高めたように、エ ネルギー源としての火力の利用およびその確保は、戦争におけるきわめて重要な要素となっ た。無論、古来より戦争における火の利用は、相手の陣地、土地、資源等に被害を与える重 要な手段であったが、戦争において火を効果的に管理するには火薬の登場を待たなければな らなかった。それまで戦争の破壊力の変化は、歩兵や軍馬を中心とした陣形の変化や、鉄器 や弓などの武器の改良、指揮統制システムの改変等によってもたらされた。しかし、火薬を
利用した大砲が移動式になり、機動力を備えた結果、戦争における「火力による圧倒」こそ が歩兵兵力とともに戦闘における決定的要因となったのである1。
その例を象徴的に示したのが、ナポレオン戦争における大砲の大量配備と、アメリカ南北 戦争における機関銃の使用が、戦闘における勝敗の決定的な要素であったことであろう。こ うした大砲・機関銃を自国の軍隊に組込むためには、火力エネルギーを中心した技術革新と、
原材料を計画的に大量調達し、仕様と規格を標準化して量産体制を整備する国家体制の確立 に取り組む必要があった2。第一の分岐は、戦争にエネルギーが決定的な要素として組み入れ られていく過程を示している。
第二の分岐は、エネルギー問題が国家の独立や国民の財産・福祉・繁栄に直接的に関わる 問題として浮上した 18 世紀の産業革命によってもたらされた。例えば第一次世界大戦後のフ ランスのドイツに対する多額の賠償の理由は石炭生産の復興が主な理由とされた。また戦前 日本の南方進出も、エネルギー資源確保が重要な目的であり、太平洋戦争開戦の契機の一つ となった、いわゆるABCD包囲網が石油資源の禁輸措置であったことも、産業化の浸透に 伴ってエネルギー問題が安全保障と深く結びついていたことを示す事例である。第一次世界 大戦勃発の契機となった「持つもの」と「持たざるもの」の根深い対立には、植民地を持つ
/持たないという意味と同時に、エネルギーの有無、つまり安定的なエネルギー確保ができ るか否かという意味が込められていたのである。
エネルギーの確保が国家の重要目標であった背景には、兵器開発とエネルギーの結びつき が更に深まったばかりではなく、国家の繁栄を支える産業構造が石油・石炭を中心とした化 石エネルギー源を基盤としていたことによる。前者の兵器開発においては、産業化の成果を 駆使した近代兵器によって武装された軍隊同士の衝突により、戦争はこれまでにない残虐性 を帯びるようになった。近代戦争の頂点は、第一次世界大戦で訪れ、火薬の強力化、毒ガス の使用、飛行機、戦車の使用など、欧州において史上かつてない犠牲者数を記録した。この ような近代戦争における兵器体系の発展は、エネルギー確保の重要性を益々高めた。また、
後者の産業構造では、軽工業から重化学工業への進展が進み、石炭・石油をエネルギー源と する生産力の維持・発展が国家の産業の中心となった。第二の分岐は、国力増進のための産 業化、そして戦争遂行のためのエネルギー確保を決定的な要素としたのである。
エネルギーと安全保障の関係を変化させたのは、第三の分岐としての国際的相互依存の深 化である。1973年の第一次石油危機は多くの先進国の「脆弱性」の高さを示す事例であった。
第四次中東戦争に際し、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)加盟のアラブ産油国が、アメリ カなどイスラエル支援国に対する全面禁輸、その他の国に対しても部分禁輸を断行し、多く の国を石油供給大幅減あるいは途絶の恐怖に陥れた。またOPEC(石油輸出国機構)が原 油価格を大幅に引上げたことで、世界経済を混乱させる要因となった。1978年末から79年 にかけて、イラン革命の混乱に伴い生じた第二次石油危機は、イランの原油輸出中断による 石油輸出逼迫とスポット石油市場における価格急騰、そしてOPECの段階的原油価格引き
上げ措置を招いた。二度の石油危機によって、とりわけ日本など、石油供給の多くをアラブ 諸国に依存する国にとってはその産業構造基盤の脆弱性を露呈することになった。
第三の分岐としてのエネルギー需給をめぐる相互依存関係が、国際関係に著しい影響を及 ぼすことを示すばかりでない。国際政治史上、国際秩序の変動が常に大国によって導かれて きたことを考えるならば、二度の石油危機は中小産油国群が国際秩序に主体的に影響を与え うることを示したのである。
2. 総合安全保障論とエネルギー安全保障の位置付け
安全保障が軍事的な脅威のみならず、経済危機やエネルギー途絶など、非軍事的な要因を 極めて重要な国家の脅威と見なすようになったのも、1970年代の経済・エネルギー危機(日 米繊維紛争、1971年のニクソン大統領による金ドル兌換停止声明を発端とする変動相場制 への移行、そして1973年と1979年の二度の石油危機)の影響が大きい。従来「下位政治」
としてその政治的役割を限定的にみなされていた経済分野が、1970年代に入り対外政策・
国内政策の優先順位が急速に浮上するようになる。R・クーパーのいう「高位政治と下位政 治の曖昧化」が訪れたのである3。こうした国際環境の変化を捉えて生み出された典型例が、
1970年代後半の日本における総合安全保障概念の発達である4。また同時期の米国における 経済安全保障概念の興隆も石油危機の影響を強く受けていた5。
1980 年に提出された大平正芳総理の「総合安全保障問題」研究のための政策研究会報告 書では、エネルギー安全保障を総合安全保障の重要な要素として位置付け、「中長期的なエ ネルギー危機の現実性はかなり高い」との認識の下に世界全体のエネルギー供給の確保とい う視点が重要だと分析している。そのために、第一に国際協力による省エネルギー、代替エ ネルギーの開発・利用、新エネルギー技術開発の推進、第二に当面の努力として、石油取引 の円滑化、産油国の工業化への努力、オイル・ダラーの還流の促進、第三に日本にとって重 要な産油国、産炭国、ウラン生産国との経済関係の緊密化の努力、日本自身による周辺大陸 棚での石油探鉱・開発、原子力、石炭の開発・利用の促進のための努力を検討項目として掲 げた。
1970 年代に生起した相次ぐ経済的事件は、相互依存関係の進化と拡大のプロセスを背景 に、国家の安定と反映に大きく影響することとなった。そしてエネルギー問題は「総合安全 保障」「経済安全保障」の核心部分のひとつとして、安全保障論に組み入れられざるをえな い重要性を持つに至ったのである。
総合安全保障
経済/
エネルギー 安全保障
図 1−1 総合安全保障論とエネルギー安全保障論の位置付け
3.グローバリゼーションと石油の市況化 ―安全保障論からの離脱か回帰か?―
「1970 年代の分岐点」を経験した先進民主主義諸国がエネルギー政策に危機感を抱き、
政策課題として取り組んだ結果、1980 年代以降のエネルギー問題は新たな展開をみせてい る。それは経済のグローバリゼーションが浸透する中で、石油市場が十分に国際化され、石 油の市況商品化が進んでおり、過去の石油危機のような生産者の政治的意図に基づく供給途 絶の可能性は、以前よりはるかに低下しているという状況である。
その第一の理由は、エネルギー安全保障政策の下で、石油エネルギーの供給途絶などに 対する危機管理対策が国家単位及び国際機関の中で進んだことにより、危機に対する緩衝シ ステムが整備されたことである。また、第二の理由は、欧米諸国を中心に経済の規制緩和、
自由化政策が本格的に進められる中で、エネルギー分野においても市場の役割が一段と重視 されるようになったことである。これら二つの大きなエネルギー安全保障をめぐる構造変化 により、石油市場においても先進国を中心に規制緩和、自由化が進む一方、OPECの影響 力が低下するに伴い、石油も短期的な需給関係や投機的な要因で価格が大幅に変動する市況 商品としての特性が強まってきたのである6。だが、果たしてこれはエネルギー問題が安全 保障論から離脱したことを意味するのであろうか。
確かに、今日の国際市場ではかつてのように米国メジャーや、OPECのような少数の 伝統的
安全保障
不特定
特定
脅威の特定
軍事的脅威 非軍事的脅威 脅威の性質
グループが支配する構図が薄まり、またOPECも石油価格を「政治的な武器」として利用 する可能性が低下したこと、またIEAによって供給途絶に対するセーフティ・ネットとし ての緊急時対策が整備されてきたことで、かつてのような石油供給途絶に対する不安感が大 幅に低下していることは事実である。
しかし、この議論をエネルギー安全保障への楽観論へと安易に譲り、この問題の関心の 低下を招くことは好ましいことではない。その第一の理由は、短期的課題として、石油供給 基地である中東地域は、依然として政治的にも極めて不安定であり、今日でも大規模な事故、
災害、紛争による供給途絶の可能性はこれまで述べたような観点から今後も真剣に討議され なければならないからである。とりわけ、東アジア諸国には、過去において本格的な石油危 機の経験が無いため、中東情勢の変化に十分対応できるとは言い難い状況にある7。例えば、
東アジアの相互依存関係の深化は、石油備蓄制度の不備によって生じる経済的なダメージが、
地域的に浸透する可能性を帯びているのである。
そして第二に、中長期的課題として、今後のエネルギー問題を考える際に、発展途上国の 産業化へのテイクオフを十分に組み込まなければならないことである。この意味で、今後生 じうる紛争の原因としてエネルギーの確保をめぐる競争や、エネルギー貿易摩擦、エネルギ ーを手段とした圧力外交などがよりクローズアップされることは避けられない傾向となる だろう。現在の世界には先進民主主義諸国の間の協調関係とならんで、領土問題が依然とし て重要な要素であり、さらに内乱や国家としての分裂の危険をもはらんだ途上国の国際関係 という性格のきわめて異なる二つの国際関係が並存している8。問題はこの二つの国際関係 が切り離されておらず、貿易、投資、資源・環境問題等で深く結びついていることである。
先進国と途上国を結びつける高付加価値商品としてのエネルギーは、この緊張関係を最も先 鋭化された形で表出しやすい性格を有しているのである。
かつてリチャード・ローズクランズは、産業化の進展した国家の性格が旧来の「領土国家」
から「通商国家(trading states)」へと変貌しつつあることを指摘した9。そして国家間の 競争は、領土拡張を目指す「パワー・ゲーム」から、産業化の成功をめぐる「ウェルス・ゲ ーム」へと移行したといわれる。しかし、これほど相互依存が進んだ今日でも、エネルギー の問題ほど地政学が影響する問題領域も少ない10。それは、世界における石油の確認埋蔵量 の 2/3 が中東地域に偏在していることにも表れている。エネルギー供給の確保をめぐり、
「パワーに裏付けられたウェルス」を必要とし、状況によっては諸国家が従来の主権原則や 領土尊重を主張して止まない、いわゆる「領土国家」への回帰現象が顕著に生じる可能性さ え帯びているのである。
このように考えると、従来の石油供給体制の脆弱性や、供給途絶に伴うリスクをどのよ うに小さくするかという、いわゆる狭義の「エネルギー・セキュリティ」という概念を超え て議論されなければならない問題であることを想起せざるをえない。従来のエネルギー安全 保障論の多くは、自国のエネルギーの確保・供給の量的な途絶や大幅な減少、さらに価格高
騰などの脅威にいかに対応していくかという観点から論じられてきた。しかし、エネルギー 世界と日本のエネルギー需給バランスの議論はもちろんのこと、エネルギー問題が世界の安 全保障にいかなる影響を及ぼすのか、あるいはその逆に安全保障情勢がいかにエネルギー問 題に結びつくのかという視点を含めて、総合的に再検討される必要があるだろう11。すなわ ち、我々は一度伝統的なエネルギー安全保障の枠組みから離れて、安全保障論からエネルギ ーを捉えなおす作業を行う必要があるのではないだろうか。
図 1−2 安全保障論からみたエネルギー問題の再検討
1 ジョン・キーガン、遠藤利国訳『戦略の歴史:抹殺・征服技術の変遷』(心交社、1997年)。
安全保障論からみたエネルギー問題の再検討
<エネルギー問題と国際関係>
① 特定の産油国・地域への依存度の上昇と、域内諸国の外交路線の摩 擦(限られたパイをめぐる外交関係の緊張化)
② 緊急時における各国の対応分析と安全保障上のスピルオーバー
③ 原子力エネルギーをめぐる諸問題
<エネルギー問題と国際・国内紛争>
① 国際・国内紛争の生起・発展・収束過程において、エネルギー問題が いかに 影響したかという視点
② エネルギー問題が原因にからむ紛争の国際的なスピルオーバーの分析 エネルギー・セキュリティ
① 石油を中心とするエネルギー供給の脆弱性と供給途絶のリスクに 対する今日的な評価と危機管理対策のありかた
② 世界経済の発展がエネルギー供給不足によって大きな制約を受け ないように、長期的な供給力の確保を中心にどのような予防的な 対策を講ずるかという施策
日本においては十六世紀に到来した火縄銃との遭遇がその後の戦国時代の趨勢を決定付ける 要因となる。例えば「長篠の戦い」において織田信長が三段横列による射撃戦術を取り勝利 したことは「第一の分岐」の重要性を象徴している。
2 猪口邦子『戦争と平和』(東京大学出版会、1989年)。
3 Richard Cooper, “Trade Policy is Foreign Policy,” Foreign Policy (Winter 1972-73).
4 もっとも1970年代後半の総合安全保障論が生み出された背景には、相互依存がもたらす社会 経済的変動を管理可能なものにしたいという問題意識と、権力政治の変容に応じた国家安全 保障政策を日本に根付かせたいという双方の意識の結合といえる。中西寛「日本の安全保障 経験 −国民生存権論から総合安全保障論へ―」日本国際政治学会編『国際政治』第117号
「安全保障の理論と政策」(1998年3月)。
5 納屋政嗣「経済安全保障論の意義とその展開」納屋政嗣、竹田いさみ編『新安全保障論の構図』
(●草書房、1999年)。
6 十市勉「21世紀のエネルギー安全保障と日本の課題」『国際問題』第476号(1999年11月)
7 東アジア諸国の石油備蓄制度の不備については、第2章「世界とアジアのエネルギー需要」第 2節「アジアの石油、天然ガス、石炭」の小川芳樹論文を参照。
8 佐藤誠三郎、前掲論文。
9 Richard Rosecranse, The Rise of the Trading State, Basic Books, 1986.
10 Strategic Energy Initiative, Center for Strategic and International Studies, “The Geopolitics of Energy in Asia,” draft unedited background paper, February 11, 1999.
11 このような問題意識に立つ特集として、『国際問題』第476号(1999年11月号、焦点:エネ ルギー安全保障の再構築)がある。このうち、巻頭の深海論文はエネルギー安全保障再構築の柱 として以下の四点を掲げている。①狭いエネルギー・セキュリティ自体にとどまらず、地球全体・
世界全体の持続可能な発展を究極的に目指す、②持続可能なエネルギーとしての再生・新エネル ギー、原子力・核エネルギーについての開発・供給増大を目指す、③多重的・多面的な国際的ベ ストミックス論ないしベストミックス政策体系の確立・展開をする、④狭いエネルギー・セキュ リティの再構築にとどまらず、世界的なエネルギー・セキュリティや地球環境安全保障をも考慮 する。「エネルギー安全保障の再構築と政策展開の基盤の検討−今なぜ問題なのか」『国際問題』
(1999年11月、第476号)。