【入選】 クリエイト
経済学部 現代ビジネス学科
4年手塚航 2040年現在、世界では3Dプリンターであらゆるものを自作、あるいは制作したものを販売するという事が一般的になっていた。椅子に机はもちろんスマートフォンケースや腕時計、食器など生活に必要なものはもちろん、ダーツボードやプラモデル、金管楽器といった趣味に使えるものまでなんでも作れるようになってきた世の中、私はそんな3Dプリンターで出力する上で必要な設計図を作るデザイナーとして活動している。この時はいつものように設計してプリントするだけ、そう思っていた……「という事で見積もりとしては400万円となりますがよろしいですか?」「はい、お願いします……しかし本当にお安いですね。安全性は大丈夫なのでしょうか?」「問題ありませんよ。わが社の開発した合成素材は地震や風雨に強く、そして長持ちします。経年劣化によって外壁が崩れてきたとしても、新デザインに作り替える事もできますよ」「なるほど。最近は便利な世の中になりましたね」「ここ10年で今回の商品のようなものはたくさ ん出てきましたからね。従来型よりもコストが低く、乗り換える方も多いです」「技術の進歩ってすごいですね~よろしくお願いします」「お買い上げありがとうございます。制作には2日ほど頂きます。その後内見ののち問題がなければ代金を振り込んでいただき、契約は完了となりますので、よろしくお願いします」席を外し、店舗を離れる顧客を見送って私はほっと一息つく。うちの部門ではデザイナーは直接接客をしなければならず、人と関わることがもともと苦手な私には大変な仕事だ。書類をまとめていると後ろから軽く肩を叩かれた。「やあ、また契約までもっていくなんてすごいじゃないか島村君」「ありがとうございます部長。これからもいいデザインを作っていきたいと思っています」「その心がけはよし。君のデザインはお客様から好評だぞ?
『今まで見たことない形をしている』
とか『最初は変な形だと思っていたけどしばらく したすごい便利だってことに気付いた』との声を頂いている。君はわが社のエースだよ」「それほどでも……でも私のデザインが好評なのは良かったです。今後10年、20年、もっと先も共にしていくものですから」「ああ、君のデザインは我々の時代で受け入れられなかっただろうな。今は3Dプリンターのおかげで作る側もずいぶんと楽になったもんだ。ただ、去っていった奴も多かったけどな……」部長は長くこの業界に関わっていたこともあり、多くの出会いと別れを繰り返してきたのだろう。大柄な背中には喜びや悲しみを背負っているのかもしれない。「だが、時代の流れというものに逆らったところで利益を出せなければ社員を食わせる事は出来ない。島村君のような人材が会社を未来に導いていくんだろう」「そうなれるよう、努力します」部長はにんまり笑ってもう一度肩を叩いた。技術が発展していけばいくほど古い考えの人間と新しい考えの人間の新陳代謝は加速していく。自分もいずれ古い側の人間になってしまうのだろ
うか?『お前の代わりなんていくらでもいる』そう言われてしまったら自分もデザインも凡庸でごみ箱行きのガラクタになってしまうのだろうか……
制作当日、私は巨大なホースの付いた重機に乗って作業を開始した。整地された土地に整えられた85㎡の区切りの中に素材を出力していく。そう、私の職業とは、建築デザイナー。パソコンで作成した3Dモデルを建築用フォーマットに変換し、巨大出力機によって出力していくのだ。ホースからはホイップクリームをチューブから出すように資材が出てきて、その間私の仕事はホースからたまに出る不揃いな部分が出てきた時に削り取るぐらいのものだ。従って他の従業員は一階部分が固まって床部分や窓を接着するぐらいの作業量しかなく、建設というよりも共同制作といった方がいいくらいに仕事量が少ない。この建築用3Dプリンターが一軒家やアパートの制作を始めてから15年、日本で初めてのプリンター製7階建てアパートが初めて建設され、建築業界には革命が起こった。物件を作るにあたって今まで必要としていた人件費や機材費は大幅にカットされ、賃料や持ち家の住宅費の相場は劇的に安くなっていった。その影響もあって今まで家を建てて生計を立てていた 人たちの一部は新しく3Dプリンター製の家を作るための土地を確保するために既存の家を取り壊す解体屋として活動しているのだとか。家を作るための知識が今や家を壊す知識になっているとはなんとも悲しくなってくる。いつの時代、どの業界にもシンギュラリティには光と影が存在するのだろう。そうやって人のいらない建設業界が形成されてきたわけだが、私たちの立場が安泰である保証はないのが現実である。人間と人間が循環していった今日、今度は人間がAIになり替わろうとしているのだ。アートや小説、音楽に映画など人間が人間たらしめている表現をAIは分析し試行錯誤していく事で人間が好ましく感じる領域を探り当て、それに準じた作品を容易に製造できる今、建築デザイナーも職を奪われるんじゃないかという危機を密かに持っている。明日巨大プリンターの上に乗っているのは、自分ではなくロボットなのかもそれない。
作業は5日ほどで完了し、2階建ての一軒家が建っていた。最近の流行りは衝撃に強いハニカム構造を組み合わせた外見となっていて、上から見るとちょうど正六角形の形になっている。以前までは長方形に近い形だったが、支柱を立てる必要がなくなったことにより、より自由な建築物を作ることを可能にしたのだ。 家が出来終わったら、今度は家具も作っていく。以前の3Dプリンターは主に樹脂などを使用していて耐久性に不安があったが、技術の進歩によって金属粉にレーザーを当てて指定の形をかたどることが出来るようになったこともあって、腕の形の支柱の椅子や灯篭鬼が足となって支える机など、凝ったデザインを出力する事も容易になったのだ。今回の物件はモダンな雰囲気だったので木をくり抜いたようなデザインの本棚や座席が葉っぱの形になっている椅子などを作っておいた。近年の物件は家だけでなく、家具もセットで販売していることが多く、新居を初めて見たときの感動を大切にしている。全行程が終わって時刻は午後7時、部長に制作完了の連絡をしたら片付けの後に飲みに行かないかという話になった。ここ最近過労気味だったこともあり、二つ返事で了解した。本社の倉庫に3Dプリンターを返しに行くと外傷の確認などが終わった後はすんなりと退勤する事が出来た。ふだんならこの後報告書をまとめなければいけないのだが、部長が口利きしてくれたらしい。あまりよくないことだが、今回だけは甘えさせてもらおう。午前9時頃、指定されたレストランの前に行くと部長ともう一人、会ったことのない若い女性が待っていた。「やあ、島村君。お疲れ様だ」
「お疲れ様です、部長。そちらの方は?」「私の娘だよ。京華というんだ」「初めまして。島村聡さん、ですよね。父からよくうちの会社のエースだと伺っております」「それほどでもないですよ。いまだに営業は慣れませんし……」「接客のスキルがなくとも君のデザインは素晴らしいものだ。誇りたまえよ」「ありがとうございます」「立ち話もなんですし、お店の方に入りましょう」京華さんに言われて私たちは店に入った。今日のお店はみなとみらいのクインズスクエア4階のレストランで、夜景にライトアップされた観覧車が映える。景色の見える窓側席に座れたこともあって仕事終わりというよりは奮発して高級感を味わいたいときに行く所といった感じだ。普段会社のオフィスで3Dモデルを試行錯誤して作ることが半分以上を占める私にとってほとんどなじみがない。「島村君の仕事ぶりに乾杯!」ワイングラスをこつんとぶつけてゆっくりと中身を飲んでいく。酒に弱いという事もあって自制しなければとんでもない粗相をしてしまいそうだ。「今月の売上は先月から120%の売り上げだそうだ。私としても鼻が高いよ」「これからもっと拡大していくかもしれませんね。まだまだ市場は発展途上ですし、地方のニュー タウン開発が進めば弊社の売上はもっと上がるかもしれません」「ああ、これからが楽しみだよ」3Dプリンターによる住居の建築が進み、わが社のように飛躍的に利益が伸びる業界がある一方で、伝統的な建築を続けている会社や新技術にリテラシーのない企業はどんどん苦しくなってくる。また、教育現場では小中高と教科書がタブレットで見れるようになった影響でランドセルがなくなり、スクールバッグが薄くなったということを考えるとテクノロジーは常識さえ変える力を変えるのだと実感する。それでもこのレストランのように変わらないことに良さがあるという事もあると思う。ボルドーから輸入したワインやワイン豚のソテー、砂糖より甘いトマトを使用したサラダ。味覚を数値化しておいしいを人工的に作り出せる世の中に対するレジスタンスなのかもしれない。「人工的ではない料理なんて久しぶりに食べました」「私もです。今は何でもおいしくなりましたし、いろんな味も自由自在だけど、食そのものがもつオリジナリティが失われてしまったように感じますわ」「なんでもおいしいというのは逆に味気ない世の中の象徴なのかもしれません」「お上手ですね。父が気に入っているのもうなず けます」そういって京華さんは小さく笑った。ばりばりの営業マン気質な部長とは雰囲気が全く似ていないように思う。母親寄りなのだろうか。「最近だとここのように天然素材を使ったレストランもめっきり減ってしまってなぁ……私のような古い人間には形見が狭いよ」「最近だとロボットが全部作っている飲食店も少なくないですからね。全自動家系ラーメンが出てきた時にはさすがの自分も驚きましたよ」「これからあらゆる仕事が人間から機械に入れ替わっていくのだろうな……次は私の番かもしれないしな」「まだまだ部長は現役ですよ。それに人と人のつながりは代替されることなんてないでしょう」「そうだな……だがな、自分の魂が代替できなかったとしても身体はそうじゃないようだ……いや、すでに魂も代替できるかもな」「……どういうことですか、部長?」少し上品な、穏やかな雰囲気が少しだけ不穏になってきた。「人間もな、代替できる世の中になりつつあるという事だよ。京華、少し席を外すが構わないな?」「構いませんわ、お父さん」「察しが良くて助かる。島村君、タバコに付き合ってくれないか?」「わかりました」部長に連れられて席を外し、喫煙室でタバコの火をもらうと、少し苦い顔をしながらも、本題を
切り出してきた。「君、保険に入る気はないかね?」「保険、ですか? こんな場所でしなくてもいいと思いますが……」自分の仕事の立場に関する話と身構えていたので少し拍子抜けしてしまった。「ああ、保険だ。それも飛び切り特殊なものでな、長い付き合いがあってなおかつ信用できる奴にしか頼めない話なんだ」「保険に入ることが、ですか? それはいったい……」「君は私に息子がいたことを知っているな?」「ええ、京介さんですよね? もうすぐ一周忌と聞きましたが……」「ああ、去年交通事故で亡くなったという事になっている」部長の息子の京介さんは20歳という若さで車に跳ねられて亡くなってしまった。その日の連絡を受けた部長の焦った姿は今でも鮮明に覚えている。「あの事件、自殺だったんだ。息子はいわゆるトランスジェンダーという奴で自分は女なんだとよく言っていたよ。女装をするときも女装じゃなくてあるべき姿だ、と。だが性転換したところで骨格や男としての体の名残がなくなるわけじゃない。だからわざと跳ねられた」「……なぜ、そうと言い切れるのですか? 確かに京介さんがそう思っていたかもしれないにしても確かめようがないじゃないですか」 「京華が言ったんだよ『私は京介。お父さんの息子であり娘です。自殺したけど新しい身体になって帰ってきたよ』と」「どういうことですか? 京華さんは部長の娘さんなのではないのですか?」「ああ、最初はどちら様ですか? と返すしかなかったが、彼女の話を聞くと私と京介の二人しか知らないことを体験してきたかのように話してきた。それに話し方は少し違っていても直感的に京介だと思ったのだ」「意味が分かりません、失礼ですが部長、詐欺にあっているのではないですか?」「その線もあるかもしれない。だがそうなった理由について京華は『生命保険に入っていて、新しい身体を手に入れた』と言ってきたんだ。そしてこれがその概要らしい」部長はバッグから薄い冊子を手渡してくれた。表紙には『新時代生命保険』と書いてある。内容は『科学であらゆるものが作れるようになった現在、人間の体をも作れる時代がやってきたのです。人はいつ不慮の事故や病気などで死んでしまうか分かりません。そこで当社では再生医学の大手であるエンゲージ社が培養した細胞を複製する技術によって作られた内臓や皮膚を作る技術を用いて臓器のスペアを作る技術を用いて人体のスペアを作ることにより、人体のスペアに脳を移植する事で死を回避し、新たな体で人生を送ることが出来るのです!』と信じられないようなことが書かれていた。 「京介はこの保険と契約し、わざと自殺して新しい身体を手に入れたというんだ。そして名前も京華に変えたんだ」「こんな、こんなこと信じられません! こんなことが出来たら世論は黙っていませんし、そもそも倫理の問題があります!」「ああ、もちろん。だからこの保険は一部の人間しか知らない。京華は政治家の息子の友人から教えてもらったと言っていた。そして表には決して出してはいけないことも」「部長は、私は大丈夫なのでしょうか?」「わからない。まあ私は来年で還暦だし人生に悔いなんてそこまでない。姿が違えど死んだはずの子どもが返ってきたことだしな。だが君はそうはいかないだろう。だから、だ。契約してみてくれないか? 別に死ねと言っているわけではない。真実を見つけてくれればそれでいい」「そんな、部長がやればいいじゃないですか!」「ああ、もっともだ。だがね、これを知ってしまった以上、他人事じゃないんだよ。それとここに書かれていることが本当なら、悪い話じゃないだろう」「卑怯ですよ、部長」「常に社員同士が競い合っている職場で10年部長職を務めてきたんだ。これぐらいはするさ」5年間付き合いがあった部長の黒い顔を初めて見てしまった。表情は変わらない、だが末恐ろしさを感じてしまう。
しかし、騙されたという気持ちは消えないが保険の内容に気になっている自分もいた。「まあ、君を巻き込んだのはエンゲージ社に潜入してほしいという事もある。うちの役員の一人があそこの情報を欲しがっていてな。人体を作る過程を手土産にするんだ」「私にそんなこと言われても何もできませんよ」「もちろん手助けはするさ。ほれ、これを使うといい」そういって部長から渡されたのは真っ白なカードだった。「クラッキングキーだ。京華の話では契約の際に臓器を生成する所を見せてもらえるらしい。そこで人体をどのようにして作っていくかを観察し、隙を見てこのキーで機密事項を盗み取るんだ。報酬は弾むと約束しよう」「私がする事はあくまで契約するだけです。それ以上のことはしません。出世に興味もありませんし」「ああ、結構結構。君が現場を見てそれを伝えてくれるだけでもそれなりの手土産にはなる。期待しているよ」結局、ハッキングキーを押し付けられてしまったが、それ以上のことはなく、タバコも無くなってしまったので席に戻ると、京華さんは少し退屈そうにして待っていた。「もう、二人してどんな話をしていたの?」「ああ、例の保険を島村君に勧めていたんだ。ぜひ入りたいそうだよ」 「へぇ、あの話を勧めたのね。けど興味があるのなら紹介するわ」「『新時代生命保険』の内容は興味深いと思いました。ぜひ詳しく伺いたいです」「わかりました。友人を通してエンゲージ社に紹介するから少し時間はかかると思いますが、島村さんなら審査は問題ないでしょう。具体的な日程が決まったら連絡しますね」こうして私は『新時代生命保険』という胡散臭い保険に契約してしまったのだ。
あの日から二週間たった頃、『保険の審査が通ったそうです。契約当日には島村さんの家に車が迎えに来るそうなので、家の前で待っていてください』との連絡が返ってきた。疑いとささやかな興味が入り混じったまま月日は過ぎ、部長に契約前日「うまくやれよ、君の働き次第ではポストも用意してやるからな」なんて言われたことを胸に抱えながら契約当日がやってきた。身だしなみを整えて家の前で待っていると十時ぴったりに家の前に黒塗りのハイヤーが止まって後ろ側のドアが開く。中には京華さんが座っていた。「こちらにどうぞ」「なんで京華さんがいるんですか?」「契約の際には紹介者の同行が必須らしいのです」中に入ると、かすかにバラの匂いがした。きっ と京華さんの香水の匂いなのだろうと。シートベルトを締めると、ハイヤーは静かに走り出した。内装はスモークで周囲が見えず、内密な事を進めるための車両のようだ。「単刀直入に聞きます。京介さん、ですか?「その名前は前の体と共に捨てました。今は京華と呼んでください」「……なんで身を投げるなんて事をしたんですか? あの時の部長は今でも夢に出てくるぐらい見てられなかったというのに」「……お父さんには申し訳ないと思っています。ですがどうしても女の身体でいたかった。性別適合手術で疑似的に性器を作ったり女性ホルモンを打ったとしても女性もどきにしかならない。そんな時に保険の話を知った時はこれしかないと思ったんです」自分はヘテロセクシャルで性自認も男性という事もあって、彼、いや彼女を理解する事は難しいし、それでも自殺はだめだと一般論を口に出す気にもなれなかった。「それで、今は幸せですか」「ええ、幸せです。もう女性の服を着る事が奇特な事ではないし、男の人を愛する事を誰も否定なんてしない。この体になるまで世界中のすべてが私を理解できないと思っていたけれど、今なら胸を張って生まれてきてよかったと思えます」部長からはたまに息子が理解できなくてどうしようもなく悩んでいる事をたびたび酒に任せて吐き出していた。だから嵌められた今でも黒い部分
が部長の全てだとは思っていない。自分だって息子か娘がトランスジェンダーだったら理解してあげられないかもしれないからだ。「それなら良かったです。私がつべこべいう事ではないので」「ありがとうございます。もしかしたら家に帰ってきた時みたいに怒られたり、軽蔑されるかもと思っていたので」「その時に部長が怒っていたのならそれでいいんだよ。俺はこないだ一緒に飲んでくれただけの人だからね。それにそこまで出来る保険に興味が湧いてきたよ」「きっと驚くと思いますよ。島村さんだって好きな姿に生まれ変わる権利があるんですから」自らの姿を理想の姿に変えられるとしたら自分はどのような姿にするのだろうか?1時間ほどで車が止まり、外に出て周囲を確認するとどこかの建物の地下駐車場だった。着くや否や黒スーツをビシッと決めた知性と気迫を感じる男が近づいてくる。「初めまして、デメテル生命『新時代生命保険』接客担当の峯と申します。この度は当社の保険に興味を持っていただきありがとうございます」「島村聡と申します、こちらこそよろしくお願いします」名刺を交換し会釈を返す。スーツや態度といい、自分のような庶民ではなく、上流階級を相手にしていそうな印象だった。峯さんに案内されてエレベーターに乗る。25 Fのランプがついているところを見るとずいぶん高いところに施設があるらしい。エレベーター止まり、ドアが開くとエントランスがあるかと思っていたのだか、目の前には殺風景な空間と大きなドアがあった。どこか重々しく、こまかいそうしょくが施されているところを見るに賓客をもてなす部屋のようだ。ドアの両脇には警備員が一人ずつ立っている。「ここからは通信機器は預からせていただきます。機密事項が多く、映像や音声など、リークされることがあってはいけませんので」私と京華さんは警備員にボディーチェックをされた。部長に渡されたクラッキングキーを財布の中にしまっていて、ばれるかもしれないと内心焦っていたが見つかることはなかったようだ。通信機器と手荷物を警備員に預けると、峯さんがドアを開く。中に広がっていたのは今まで見たことの無いほど豪勢な部屋だった。繊細な模様の描かれたカーペットにロココ調のような椅子やテーブル、天井にはシャンデリアまである。壁にまで装飾が施されているこの部屋はまるで18世紀にタイムスリップしたかのようだ。系統が違うと言えど同じデザイナーとして設計者には敬服の思いを捧げたい。「この部屋は社長の趣味でこのようになってます。最初は宮様驚かれますね」むしろ驚かない方がおかしいぐらいに部屋がま ぶしかった。ソファーに腰かけると、吸いつくような柔らかさに包まれる。ここで寝てしまいそうになるが、本来の目的を思い出し、峯さんに単刀直入に聞いてみた。「人体を複製するという事は可能なのですか?」「ええ可能です。IPS細胞をベースに当社は臓器や筋肉、骨に骨髄といった人間を構成するあらゆる部分を複製する事を可能としただけでなく、去年半ば骨密度や筋肉量、性別まで調節することに成功しました」峯さんに資料を渡されたの 目を通してみると、臓器を作る過程や骨だけの手に筋肉や脂肪がついて最後に皮膚がコーティングされていく過程が紹介されていた。「そして今年の初め、エンゲージ社の子会社である当社デメテル生命よりごく少数の方々に向けて事業がスタートしたのです」「そんな保険に私が契約できるのでしょうか?」「問題ありません。様は建築デザインにおいてたぐいまれなる才能をお持ちの方と伺っております。それにまだ契約者様は100人もいませんので、実績と信頼を得るためにもある程度のお客様は必要なのです」これがもし、1年後とかに契約しようと切り出していたら断られていたのだろうか? きっかけがきっかけなだけに運がいいんだか悪いんだかわからない。「先ほども申しましたが、くれぐれも内密に。も
し口外したとあらば相応の処置を取らせていただきます」「……わかりました」こんなことをもしSNSで発信したら契約している層を考えると何をされるかわからない。倫理的にも宗教的にも賛成しない人がほとんどだろうからだ。「さて、先に契約をお願いします。署名を頂ければよろしいですので」峯さんがさっと契約書と契約事項をまとめた冊子を出してくる。住所や名前の欄はすでに印字されており、署名欄にサインするだけの簡易的な契約書だ。冊子にも目を通してみると、いくつかの文章が目についた。『本契約による身体の提供は一回のみ』『身体の提供が行われた場合、本契約は満了となる』『死因が脳死の場合、保険は適応されない』『契約時の年齢以上に若い身体の提供はできない』「死亡しても保証されるのは一度のみなんですね」「はい、人体のフルパーツを生成するには時間と費用が掛かりますので。また、後にDNAサンプルを採取させていただきますが、細胞分裂を繰り返すことによる劣化自体は現代の医術ではどうにもできませんので契約時の年齢が新しい身体の年齢となります」「なるほど。少年の気持ちを持っていても少年に戻ることはできないのですね」「それは気の持ち方次第ですよ。医学によって解 決できる問題ではありません」なんだかお固いイメージがあったが冗談にも乗ってくれるらしい。しかし表情はあまり変わらないあたり、営業スキルは自分の方がありそうに思えてくる。冊子を一通り目を通して変なところが他にないか確認した後、契約書にサインして峯さんに渡す。「お預かりします」と言って契約書をファイルにしまうと立ち上がって「培養施設にご案内いたします」と言って部屋の端にあるクローゼットを開いた。近寄ってみると奥にクリーンルームのように真っ白な廊下が広がっている。なんともこの階の設計者はコンセプトの統一するという意識が欠けているらしい。通路に入ると、壁を指さし「こちらをご覧ください」と言われたので横を向く。すると壁がガラスを貼ったように透明になって向こう側には黄色の液体に満ちた容器に入れられた手足や臓器が浮かんでいた。昔にプレイしたゾンビものの映画に出てくる研究所を思い出してしまう。「これが各臓器になります。もし心肺停止や生命維持が難しくなった時には保険の規定により病院から体を運んで脳を取り出し、臓器をパズルのように組み合わせた身体に移植します。京華さんの身体もこうして作られたのですよ」そう聞いて思わず京華さんの方を見てしまった。 「じろじろ見ないでください、恥ずかしいです……」パーツを組み合わせたというが、結合後などは見られない。……何かが引っかかる。「すみません、お手洗いに行きたいのですが、大丈夫ですか?」「畏まりました、それではいったん待合室に戻って待っていますので待っていてください。入口の警備員が案内いたします」いったん待合室に戻ると峯さんがドアを開き、警備員が「ご案内します」と言ってエレベーターの下のボタンを押す。エレベーターは移動していなかったのか、すぐに開いた。案内されたのは1階下の24階だった。「そちらの突き当りを右に曲がりますと、左側にお手洗いがございます。戻ってきた際にはお声掛けください」トイレまで警備員はついてこないらしい。最初はクラッキングキーを使うつもりはなかったが、やはり違和感の正体を知りたくなってしまった。角を曲がり警備員の視界に入っていないことを確認して通路を見渡してみると奥の方に培養室という部屋があることに気が付いた。この先には何があるのだろうか? 違和感をぬぐいたい気持ちと未知のものに対する知的好奇心が身体を危ない橋へ誘導していく。当たり前のことだがドアには鍵かかかっていて、オートロックの電子認証タイプだった。
ここに来るときの車と同じように外から中が見えない。財布からクラッキングキーを取り出してカードをタッチする部分にかざしてみる。『認証できません。ユーザー情報が確認できませ、デキま、セン……ユーザー情報ガカクに二、カクニン……データベースサンショ……ニンショウ、カクニン……マスターキーケンゲンシュトク……ユーザーヲニンショウシマシタ』おかしな認証ボイスなおそらくクラッキングキーによるものだろう。ニンショウシマシタから3秒後、ドアが開いた。中には先ほど見た培養液よりも大きい、3メートルほどありそうな容器がいくつも並んでいた。そしてその中には人間が入っていて、下の方には名前らしき文字が書かれたプレートが付いている。そのうちの一つに目が離せなくなってしまった。知らない人物の名前が書かれた容器には人工的に作られたらしいへその緒のようなものに繋がれた胎児が浮かんでいた。「まさか、クローンを……」どんなに精工に作った家にだって設計時の痕跡はどうしたって出来てしまう。人体をパズルのように組み立てたのならその痕跡を消せるはずがない。「島村様、見てしまいましたか」知らぬ間に背後には峯が立っていた。右手には刃渡り30センチはありそうなククリナイフを持っている。 「……脳を、クローンに移植するんだな?」「これを見ただけでそこまで想像できるとは驚きです。しかし不正解です。とはいえここまで来た貴方にヒントをあげましょう。わが社は脳を1ペタバイトのハードディスクとして定義している」ハードディスク、1ペタバイト。その言葉がぐるぐると頭の中で繰り返し浮かんでは消え、やがて一つの答えへと至った。「脳を、記憶をコピーするのか……!」「ご名答。まさかこの短時間でそこに結びつくとは驚きですんね。しかし貴方は見てはいけないものを見てしまった」殺気を感じ、逃げようと思って走り出そうとしたときにはもう刃は背中に刺さっていた。途端に息が出来なくなり、その場に倒れこんでしまう。首を掴んで身体を持ち上げられ、心臓に強い衝撃を加えられたことを最後に意識を失ってしまった。
どれぐらい時間がたったかはわからないが、意識が覚醒した。意識を失う直前のことをうまく思い出せない。まるでそれだけが都合が悪いのかのように思い出せないのだ。ゆっくりと目を開けるとそこはごちゃごちゃの医療機器に囲まれた静かで病的なほど白い空間だった。ぼんやりとした意識の中、誰かが近寄ってくる。 「保険に入っておいて、良かったですね。島村さん」
世の中、代替できいなものなどどれほとあるのだろうか? もしかしたら、貴方も私も誰かの代替品なのかもしれない。
コメントこの小説を書こうと思ったきっかけはオランダの不動産会社ヴェステダが3Dプリンターで作ったというニュースを見たことがきっかけでした。科学技術の進歩はすさまじく、2050年に火星に住むことが出来るというマーズプロジェクトもSFの中の話ではなく、現実味を持ち始めています。サイエンス・フィクションを書いていて時々思うのは現実は自分の想像以上に進化しているという事実に対する焦燥感で、もしかしたら自分の書いてることは実はもう実現していてむしろ現実の方が進化しているんじゃないか、なんて感じる事もあります。人口着色料を使わないで食材の味を自由自在に作るAIやドラマの脚本と演技指導を行うAIなど、かつては創作の中でしか登場しなかったロボットたちはもはや空想の産物ではありません。小説を書くAIも登場する今、すべての小説家は近い将来AIと競わなければいけない時代がやってくるのかもしれません。