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ル ネ サ ン ス の 華 エ リ ザ ベ ス 一 世 と ホ ー ム レ ス の 女 性

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(1)

石 井

美 樹 子

アリ ス・ バル スト ンの 名を 耳に した 人は

︑法 制史 のそ れも 特殊 な分 野の 専門 家で もな いか ぎり いな いで あろ う︒ わた しも スー ザン

・ア ムッ セン の論 文﹁ エリ ザベ ス一 世と アリ ス・ バル スト ン︱ 近世 イギ リス にお ける 性︑ 階級

︑ そし て特 出し た女 性﹂ に出 あう まで 知ら なか った

︒一 七世 紀の イギ リス の女 性浮 浪者 に関 する 研究 は皆 無に 近い の で︑ この 論文 に多 くを 負い なが ら私 見を まじ え︑ 女王 陛下 と女 性浮 浪者 の生 涯を 互い の合 わせ 鏡に しつ つ︑ 当時 の 女性 たち が置 かれ てい た渦 や澱 みを 掬い あげ たい

︒ アリ ス・ バル スト ンは 高貴 な生 まれ の女 性で もな けれ ば︑ 教養 ある 女性 でも ない

︒彼 女は

︑一 七世 紀の イギ リス 社会 の最 底辺 に生 きた ホー ムレ スの 女性 であ る︒ なの に︑ 今日 まで 彼女 の名 が伝 えら れて いる のは

︑ア リス が犯 罪 をお かし たか らで ある

︒四 度も 裁判 にか けら れ︑ ドー セッ ト市 の裁 判調 書︵ 一六 二〇 年か ら一 六二 四年

︶に その 経 過が 記録 され てい る︒ 浮浪 者に して は珍 しい こと に︑ 死亡 した 年︵ 一六 二九 年︶ さえ わか って いる

(2)

一六 世紀 後半 から 一七 世紀 初期 にか けて

︑イ ギリ スは めざ まし い経 済発 展を とげ

︑国 威は 高揚 した

︒経 済発 展は 常に

︑大 都市 への 人口 の流 入を うな がし

︑物 価の 高騰

︑家 族崩 壊な ど深 刻な 社会 問題 を引 き起 こす

︒ア リス は︑ 繁 栄す る社 会か らお ちこ ぼれ た多 くの 名も なき 貧民 の一 人で ある

︒社 会の 最底 辺に 生き

︑辛 酸を なめ

︑極 貧の うち に 亡く なっ た︒ エリ ザベ ス女 王と アリ ス・ バル スト ン︒ 権勢 の頂 点を 極め た女 王と 社会 の最 底辺 で生 きた 女性

︑最 高権 力者 と浮 浪者

︒対 照的 な二 人に は共 通す る点 があ る︒ とも に︑ 父権 社会

︑男 性優 先社 会の 制約 を受 けた

︒と もに 夫を 持た ず︑ 特殊 な身 分ゆ えに 普通 の女 性と は違 った 生き 方を 強い られ た︒ ほと んど の女 性が 無名 の民 とし て歴 史の 闇に 埋没 し たが

︑二 人の 生涯 は文 字に よっ て記 録さ れ今 に伝 えら れて いる

︒エ リザ ベス 女王 は︑ 特権 階級 の女 性た ちの 実像 に 迫る 重要 な鍵 を握 って いる

︒い っぽ う︑ 裁判 調書 に記 され たア リス は︑ 社会 の底 辺に 位置 した 当時 の女 性の 真の 姿 を伝 えて いる

︒双 方を あわ せて 透け て見 えて くる のは

︑当 時の 女性 の置 かれ た現 実で ある

イギ リス 初の 女王 君主 は︑ メア リー 一世

︵在 位一 五五 三︱ 一五 五八 年︶ であ る︒ その 後︑ イギ リス には

︑五 人の 女性 君主 が誕 生し た︒ エリ ザベ ス一 世︵ 在位 一五 五八

︱一 六〇 三年

︶︑ オレ ンジ 公ウ ィリ アム と共 同統 治し たメ ア リー 二世

︵在 位一 六八 九︱ 一六 九四 年︶

︑ア ン女 王︵ 在位 一七

〇二

︱一 七一 四年

︶︑ ヴィ クト リア 女王

︵在 位一 八三 七︱ 一九

〇一 年︶

︑現 女王 のエ リザ ベス 二世

︒ち なみ に︑ 国王 は三 十五 名で ある

(3)

一五 五八 年︑ エリ ザベ スが 登位 した とき

︑姉 のメ アリ ー一 世の とき と同 様に

︑国 民は 女王 を例 外的 な女 性と みな して 受け いれ た︒ 女王 は弱 い女 の身 なが ら︑ 政治 体と して は︑ 国王 であ る︒ つま り︑ 両性 具の 君主 であ るエ リザ ベ スを 特異 な存 在と する こと で︑ 女王 を戴 くと いう 異例 の事 態を 乗り 越え よう とし たの であ る︒ 一五 五八 年一 一月 にエ リザ ベス を君 主に 推挙 した 枢密 院議 員た ちは

︑女 王は いず れ結 婚す るで あろ うと 信じ て疑 わな かっ た︒ 女王 は二 五歳 とい う結 婚適 齢期 にあ る︒ 当時 は︑ 九〇 パー セン トの 女性 が結 婚し た︒ 修道 院制 度が 廃 止さ れ︑ 独身 女性 を受 け入 れる 施設 が姿 を消 した ので

︑結 婚率 がい っき に上 昇し た︒ 女王 はち かい うち に夫 を持 つ であ ろう

︒女 王を 君主 とし て仰 ぎは する が︑ 実権 は女 王の 夫を 中心 とす る側 近た ちが 握る

︒そ の期 待と とも に︑ エ リザ ベス の時 代は 幕を 開け た︒ イギ リス の歴 代の 君主 のな かで

︑結 婚し なか った のは

︑ジ ョン 王︵ 在位 一一 九九

︱一 二一 六年

︶と エリ ザベ ス一 世だ けで ある

︒ジ ョン 王に は男 色の 傾向 があ り︑ 結婚 する そぶ りさ え見 せな かっ た︒ 君主 のも っと も重 要な 役目 は 後継 者を 残す こと であ るか ら︑ 君主 が生 涯結 婚し ない こと はあ りえ ない

︒結 婚適 齢期 をと うに 過ぎ

︑三 七歳 で即 位 した メア リー 一世 でさ え︑ 高齢 出産 にと もな う危 険を 恐れ なが らも

︑ス ペイ ンの フェ リペ

︵の ちの フェ リペ 二世

︶ と結 婚し た︒ 結婚 をお 膳立 てし たの は︑ フェ リペ の父

︑神 聖ロ ーマ 帝国 皇帝 カー ル五 世で ある

︒む ろん

︑イ ギリ ス をハ プス ブル グ家 の衛 星国 とし

︑宿 敵フ ラン スに 対抗 する ため であ る︒ スペ イン との 縁組 は︑ メア リー が望 みう る 最高 の結 婚で あっ た︒ しか し︑ この 政略 結婚 に反 対す る国 民の 声は 強く

︑結 婚を 阻止 しよ うと

︑反 乱が 一度 とな く 起こ った

︒だ れも が︑ 宗教 がカ トリ ック に舞 い戻 った うえ に︑ イギ リス がス ペイ ンの 属国 にな るの では ない かと 危 惧し た︒ メア リー 女王 の側 近た ちは この 結婚 を承 認し たが

︑結 婚式 の前 の議 会で

︑フ ェリ ペを 女王 の夫 とし て迎 え

(4)

はす るが

︑政 治体 とし ての メア リー は︑

﹁王

︵男 性︶

﹂で ある と定 め︑ フェ リペ の力 を制 限す る法 的措 置を とっ た︒ エリ ザベ スに は︑ 王女 時代 に︑ 幾度 とな く結 婚話 がも ちあ がっ た︒ メア リー 女王 時代 には

︑フ ェリ ペに 後押 しさ れた サヴ ォイ 公エ マヌ エル

・フ ィリ ベル トと 強制 的に 結婚 させ られ そう にな った

︒し かし

︑﹁ いま は結 婚す る気 持 ちに はな れま せん

﹂と いっ てき っぱ り断 った

︒ 即位 する と︑ 女王 に結 婚を 迫る 周囲 の圧 力は いっ そう 強ま る︒

エリ ザベ スが 即位 した とき

︑ヨ ーロ ッパ は﹁ 女性 の時 代﹂ をむ かえ てい た︒ スコ ット ラン ド女 王メ アリ ーの 母メ アリ ー・ ド・ ギー ズは ジェ ーム ズ五 世と 死別 した あと

︑幼 い女 王︑ 娘メ アリ ー・ スチ ュア ート に代 わっ て摂 政と し てス コッ トラ ンド に君 臨し てい た︒ メア リー

・ス チュ アー ト︵ フラ ンス 皇太 子フ ラン ソワ と結 婚︶ の嫁 ぎ先 のフ ラ ンス では

︑ア ンリ 二世 が馬 上槍 試合 で致 命傷 を負 い︑ 落命 する と︑ 妃カ トリ ーヌ

・ド

・メ デイ チが

︑つ ぎつ ぎに 王 位に 就く 息子 たち の摂 政と して 政権 を牛 耳っ てゆ く︒ ブル ゴー ニュ では

︑カ ール 五世 の妹 ハン ガリ ー王 未亡 人メ ア リー がカ ール 五世 の代 理と して 君臨 して いた

︒そ の前 の総 督は カー ルの 叔母 マル ガリ ーテ であ った

︒ この よう な状 況の なか

︑知 識人 や聖 職者 たち は︑ 女性 君主 の是 非を めぐ って 熱い 議論 をた たか わせ た︒π フラ ンソ ワと 死別 した スコ ット ラン ド女 王メ アリ ー・ スチ ュア ート が帰 国す ると

︑長 老派 教会 の牧 師ジ ョン

・ノ ック スが 女 性君 主に 対す る激 しい 説教 を展 開し て︑ 論陣 をは った

︒メ アリ ーは ノッ クス を宮 殿に 招き

︑彼 の説 教に 耳を 傾け

(5)

折り 合い をつ けよ うと 努力 した が︑ ノッ クス は態 度を やわ らげ よう とは しな かっ た︒ エリ ザベ スは ノッ クス をふ く め女 性君 主を 誹謗 する こと ばや 動き にた いし 断固 とし た態 度で 臨ん だ︒ だが

︑女 王に 敵対 する 活発 な情 宣活 動が 止 むこ とは なか った

︒一 五七 三年 のこ と︑ 女王 を誹 謗す る怪 文書 がロ ンド ンに 出回 った

︒怪 文書 には

︑女 王は 国の シ ンボ ルに すぎ ず︑ 実力 を掌 握し てい るの は側 近た ちで ある と記 され てい た︒ 女王 は激 怒し

︑パ ンフ レッ トの 回収 を 命じ ると とも に︑ パン フレ ット を所 持し てい る者 を厳 しく 罰し た︒ エリ ザベ ス女 王は 宰相 ウィ リア ム・ セシ ルを はじ めと する 経験 豊か で賢 明な 側近 たち に囲 まれ てい た︒ 彼ら を選 んだ のは 女王 であ った

︒当 初︑ 側近 たち は女 王が 女性 にふ さわ しく 振る 舞い

︑﹁ 賢明 な﹂ 男性 たち の意 見に 従う に ちが いな いと 期待 して いた

︒し かし

︑女 王は あや つり 人形 にな るこ とを 拒み

︑彼 らの 思い どお りに はな らな かっ た︒ 女王 の背 後で ひそ かに 実力 を行 使し よう とし た者 には

︑人 前で 口汚 くの のし り︑ はげ しく 叱責 した

︒姉 メア リー と は違 って

︑エ リザ ベス は名 のみ の君 主で はな かっ た︒ 父ヘ ンリ ー八 世の よう に︑ 絶対 君主 とし て権 力を 行使 し︑ 君 臨す るこ とを 欲し た︒ 議会 は数 度に わた って 女王 が結 婚す べき であ ると 決議 し︑ 女王 に嘆 願書 を提 出し た︒ 女王 が結 婚せ ず︑ 子を 残さ ずに 他界 した ら︑ 王位 をめ ぐっ て国 は混 乱す る︒ 女王 は彼 らの 憂慮 を知 って いた から

︑嘆 願を 無視 した り︑ 軽視 し たり はし なか った

︒嘆 願書 が出 され るた びに

︑自 分に ふさ わし い男 性が あら われ れば いつ でも 結婚 する と誠 実に 答 えた 結 ︒ 局︑ 女王 は結 婚し なか った

︒肉 体上 のあ るい は精 神上 の問 題が あっ たわ けで も︑ よい 結婚 相手 がい なか った わ けで もな い︒ 女王 はか なり 早い 時期 に独 身を 貫く をこ とを 決心 して いた よう だ︒ 結婚 すれ ば︑ 王権 を夫 と分 かち も

(6)

つこ とに なる

︒そ うす れば

︑女 王の 権力 は半 減す る︒ これ が︑ 女王 が独 身を 貫い た主 な理 由で あろ う︒ それ に︑ 姉 メア リー とス コッ トラ ンド 女王 メア リー がと もに

︑女 性君 主が 結婚 する こと の愚 かし さを 夙に 教え てく れて いた

使

結婚 や後 継者 問題 ばか りで なく

︑外 交・ 国政 の重 要課 題に つい ては

︑エ リザ ベス は主 体性 をも って 実権 を行 使し た︒ 外国 との 戦争

︑貴 族の 処刑

︑と くに スコ ット ラン ド女 王メ アリ ーの 処刑 など

︑重 大な 決断 をし なけ れば なら な いと きは

︑女 王は 熟考 し︑ 決断 し︑ その 決断 を翻 し︑ また 決断 し︑ 振り 子の よう に揺 れ動 いた

︒女 王に 翻弄 され た 側近 は︑ 決断 力が ない のは

︑女 だか らだ と陰 口を たた いた

︒誰 がど う思 おう とも

︑女 王は 慎重 を常 とし た︒ 女王 が王 にお とら ず一 国を 立派 に統 治で きる とい う事 実は

︑当 時の 人び とに とっ ては 驚嘆 以外 のな にも ので もな かっ たで あろ う︒ エリ ザベ ス女 王の 存在 その もの が︑ 人び との 女性 観を 根本 から 問い なお すこ とを せま った

︒だ が︑ 人び とは エリ ザベ スを 例外 とみ なす こと で︑ その 問題 に直 面す るこ とを 避け た︒ 女王 自身 も︑ 女性 の地 位向 上の た めに 努力 した 形跡 はな い︒ いつ の時 代で も︑ 国王 の情 事は 大目 に見 られ た︒ 国王 が情 事で 庶子 をも うけ たと なる と︑ 称賛 され ても 非難 され はし なか った

︒王 に貞 節を 期待 する 者は おら ず︑ 愛人 を持 たな い王 はい なか った

︒古 い話 にな るが

︑碩 学王 とし て 名を なし たヘ ンリ ー一 世︵ 在位 一一

〇〇

︱一 一三 五年

︶に は︑ 公認 の庶 子が 二〇 人も いた

︒女 王君 主の 場合 は︑ そ うは いか ない

︒愛 情面 で︑ ほと んど 自由 を持 たな い︒ エリ ザベ スに は︑ 寵臣 レス ター 伯爵 ロバ ート

・ダ ドリ ーと 秘

(7)

密の 結婚 をし たと か︑ 伯爵 との あい だに 幾人 もの 子を もう けた とい った 噂が 絶え なか った

︒根 拠の ない スキ ャン ダ ルは

︑人 の名 誉を 傷つ ける いち ばん てっ とり 早い 方法 であ る︒ 噂は 女王 の威 厳を 傷つ けた

︒女 王と ても

︑女 性に 貞 節を 強制 する 社会 規範 の制 約を 受け たの であ る︒ しか し︑ 女王 は噂 とい う﹁ 迫害 者﹂ に屈 せず

︑レ スタ ー伯 爵を 身辺 には べら しつ づけ た︒ 六回 結婚 し︑ ウル ジー

︑ トマ ス・ モア

︑ト マス

・ク ロム ウエ ルと いっ た右 腕の 側近 をご 都合 主義 で処 刑台 にお くっ たヘ ンリ ー八 世と は異 な り︑ 女王 は友 人を 大切 にし

︑信 頼し た︒ 宰相 ウィ リア ム・ セシ ルと の二 人三 脚は 彼が 亡く なる まで 半世 紀近 くも つ づい た︒ 一五 八八 年︑ スペ イン の無 敵艦 隊と の決 戦の 直前

︑女 王は 白い ビロ ード の衣 装に 身を つつ み︑ 鎧・ 兜で 身を かた め︑ 白馬 に乗 り︑ エセ ック スの テム ズ川 河口 のテ イル ベリ ーの 野営 地に 集合 した 兵士 たち のま えに 姿を 見せ

︑﹁ わ たく しは

︑繊 細で 弱い 女の 肉体 を持 つ者 です が︑ わた くし のこ ころ と精 神は

︑王 のよ うに 勇敢 で︑ 恐れ を知 りま せ ん︒ わが 王国 の境 界線 を踏 みに じる 者に たい して は︑ なん ぴと であ ろう とも

︑戦 いを 挑み ます

﹂と 演説 した

︒ ティ ルベ リー での 演説 から もわ かる よう に︑ 女王 は︑ 女王 であ ると 同時 に王 であ る︒ 私的 な場 面で は女 性ら しく 振る 舞っ たが

︑公 的な 場で は︑ 女王 は自 分を

﹁王

﹂と みな し︑ 臣下 にた いし ては 常に

﹁王

﹂と して 接し た︒ 女王 は いつ も﹁ 王で ある わた くし は﹂

we prince

︶と 言っ た︒ 実際

︑王 の勇 気と 決断 力を 持た なけ れば

︑権 力欲 の強 い 側近 をま とめ

︑国 を統 治し

︑外 国の 君主 と渡 り合 って ゆく こと はで きな かっ たで あろ う︒ 女王 は結 婚も せず

︑後 継者 を指 名す るこ とも 拒み つづ けた

︒女 王が 生き てい るあ いだ に︑ 次の 君主 が決 まっ てい たら

︑不 満分 子は 次期 王に 群が る︒ この こと を︑ 女王 は身 をも って 知っ てい た︒ 姉メ アリ ーの 時代 に︑ 野心 家の 貴

(8)

族た ちが いか にエ リザ ベス を利 用し よう とし たか

︒そ のた めに エリ ザベ スは ロン ドン 塔に 投獄 され

︑生 命を 失い か けた

︒一 八年 もの あい だた めら った すえ に︑ エリ ザベ スは スコ ット ラン ド女 王メ アリ ーを 処刑 した

︒イ ギリ スの 王 位継 承権 を持 つメ アリ ー︵ メア リー はヘ ンリ ー八 世の 姉マ ーガ レッ トの 孫︶ が生 きて いる かぎ り反 乱の 策謀 が絶 え ず︑ エリ ザベ スは 枕を 高く して 眠れ なか った ので ある

︒ エリ ザベ ス女 王が 男性 的な 側面 を発 揮し て貴 族た ちの 自生 力を 抑え

︑国 を支 配し たこ とは

︑生 涯の ライ バル であ った スコ ット ラン ド女 王メ アリ ー・ スチ ュア ート と対 照的 であ る︒ メア リー は背 が高 く容 姿の 美し い女 性で

︑男 の ここ ろを 魅惑 する 不思 議な 力を 持っ てい た︒ メア リー に会 った 男性 はこ とご とく

︑彼 女の 魅力 の虜 にな った

︒メ ア リー に魅 せら れた イギ リス 貴族 が幾 度と なく

︑イ ギリ スに 幽閉 され てい るメ アリ ーの 脱出 に力 を貸 そう と反 乱を 企 てた

︒そ のた めに 命を 落と した 者も 少な から ずい る︒ エリ ザベ スは

︑自 分を

﹁王 であ るわ たく しは

﹂と いっ たが

︑ 女の 魅力 を利 用し て男 たち を操 作す るメ アリ ーを

︑い つも

︑女 王︵

princes

︶と 呼ん だ︒ イギ リス の筆 頭貴 族第 四 代ノ ーフ ォー ク公 爵ト マス

・ホ ワー ドは

︑イ ギリ スの 王位 継承 権を 持つ メア リー と結 婚し て玉 座に 登る とい う陰 謀 にか つぎ あげ られ

︑陰 謀が 発覚 して

︑一 五七 二年 に処 刑さ れた

︒メ アリ ーの 女の 魅力 は彼 女の 力と もな り︑ いの ち 取り とも なっ た︒ メア リー がス コッ トラ ンド 女王 の座 を追 われ たの は︑ 夫ダ ーン リー 伯爵 ヘン リー の暗 殺者 ボズ ウ ェル と結 婚し て民 意を 失っ たた めで ある

(9)

エリ ザベ ス︵ 女王

︶は

︑当 時の 高貴 な身 分の 女性 が受 けう る最 高の 教育 を受 けた

︒エ リザ ベス が︑ 貴族 たち が女 子教 育に 熱を あげ てい ると きに 育っ たの は幸 運と いわ なけ れば なら ない

︒独 身を 守っ たこ との ほか に︑ 女王 の治 世 の成 功の もう 一つ の鍵 は高 い教 養で ある

︒ラ テン 語と フラ ンス 語と スペ イン 語と イタ リア 語を 自由 にあ やつ り︑ ギ リシ ア語 に秀 で︑ 楽器 の演 奏も 上手

︑舞 踏会 では 優雅 に軽 やか にス テッ プを 踏ん だ︒ 十 六 世紀 の イ ギ リ ス は︑ 女 性 の 人 文 学者 を 輩 出 し た

︒ラ テ ン 語 か ら の英 訳 版

﹃ わ れ らが 主 に 関 す る 論 考﹄

Devout Treatise upon the Paternoster

︶を 出版 した トマ ス・ モア の娘 マー ガレ ット

・ロ ーパ ー︑ キャ サリ ン・ オブ

・ア ラゴ ン王 妃の 薫陶 を受 けた メア リー 女王

︑プ ラト ンを ギリ シア 語で 読ん だ﹁ 九日 間の 女王 様﹂ こ とジ ェ ーン

・グ レイ

︑﹃ 罪人 の嘆 き﹄

The L amentation or Complaints of a S inner , 1547

︶や

﹃聖 書の 詩編 と祈 り﹄

Psalms or Prayers out of Holy Scripture , 1544

︶な どを 著作

・出 版し たヘ ンリ ー八 世の 六番 目の 妃キ ャサ リ ン・ パー

︑七 か国 語に 秀で

︑兄 フィ リッ プ・ シド ニー の作 品を 完成 させ て出 版し

︑み ずか らも

﹃詩 編﹄ や﹃ アン ト ニー の悲 劇﹄ など の翻 訳に 取り 組ん だペ ンブ ルク 伯爵 夫人 メア リー

・シ ドニ ー・ ハー バー ト︑ 日記 作者 アン

・ク リ フォ ード

︑同 じく 日記 作者 マー ガレ ット

・デ ィキ ンズ

︑恋 愛詩 や牧 歌劇 にも 手を 染め たレ ディ

・ロ ス︑ 古典 学者 と して 名高 いミ ルド レッ ド・ クッ クと エリ ザベ ス・ クッ ク姉 妹⁝

⁝︒ 女王 は自 分が 受け た最 高の 教育 を治 世に 存分 に生 かし た︒ 教養 あふ れる 女王 を賛 美す るこ とば は︑ エリ ザベ ス時 代の 文 学に あふ れて いる

︒エ リザ ベス の 退場 とと もに

︑﹁ 女性 の時 代﹂ は終 焉を むか えた

︒ブ ルジ ョワ 階級 の台 頭・ 富の 蓄積 とと もに 父権 制が 強ま り︑ プロ テス タン ト化 が進 んだ ため であ る︒ かつ ては 神父 が担 って いた 宗教 教 育を ふく め︑ 父親 が家 族の 教育 に深 くか かわ るよ うに なり

︑父 権制 の強 化に 拍車 をか けた

(10)

エリ ザベ ス時 代の 文人 ジョ ン・ フェ ント ンは エリ ザベ ス女 王を こう いっ て賛 美し た︒

﹁女 王は

︑す べて の女 性の 誇り であ る︒ 世界 の驚 嘆で ある

︒世 人は 女王 を賛 美し てや まな い︒

﹂ 興味 深い こと に︑ ジョ ン・ フェ ント ンは

︑ジ ェー ムズ 一世 をむ かえ たと き︑ こう いっ て新 しい 御世 を寿 いで いる

﹁わ れら はも はや 何も 恐れ るこ とは ない

︒王 を戴 くこ とに なっ たの だか ら︒ エリ ザベ ス女 王の 時代 には

︑い まほ ど幸 せで はな かっ た︒ なぜ なら

︑女 王が 病気 にな られ たり

︑お 亡く なり にな った ら︑ 国は どう なる かわ から ず︑ 国 民は 不安 にか られ てい たか らで ある

︒﹂ 女王 を戴 いた イギ リス は異 常事 態に あっ たと いわ んば かり であ る︒ ジェ ーム ズ王 をむ かえ てよ うや く︑ 通常 の状 態に 戻っ たと

︑だ れも が感 じた ので あろ うか

︒ 女王 の葬 儀で 弔辞 を述 べた 聖職 者の 一人 はチ チェ スタ ー主 教だ った

︒宰 相ウ ィリ アム

・セ シル に長 年仕 えた ジョ ン・ クラ パム は︑ チチ ェス ター 主教 の弔 辞を こう 伝え てい る︒

﹁チ チェ スタ ー主 教は 確信 にみ ちた 声で こう 言っ た︒ 女王 が玉 座に おら れた あい だ︑ いか に多 くの 神の 御祝 福が イギ リス にみ ちた こと か︒ 女王 は信 仰の 守護 者で あら れ︑ 平和 をも たら す者 であ られ

︑苦 しむ 者の 救い 主で あら れ た︒ 女王 は力 のか ぎり この 世を 疾走 され

︑い まや

︑永 遠の 幸福 とい うゴ ール を手 にさ れた

︒女 王を どれ ほど 賛美 し ても 賛美 しき れな い︒ だが

︑女 王の 偉業 を引 き継 ぎ︑ いや 増す ため に︑ 思い もか けず 神様 がわ れわ れの ため に選 ば れた 新し い王 を賛 美し よう では ない か﹂

ª 弔辞 のな かで 女王 は賛 美さ れて いる

︒し かし

︑希 望は 新し い王 にむ けら れて いる

︒女 性君 主の 時代 がよ うや く去 り︑ 王が 到来 した こと に安 堵し てい るか のよ うだ

(11)

さて

︑こ こで

︑話 をア リス

・バ ルス トン にむ けよ う︒ 一七 世紀 初頭 のイ ギリ スに

︑ア リス

・バ ルス トン のよ うな 浮浪 者は どれ ほど いた のだ ろう か︒ 戸籍 も国 勢調 査も なく

︑失 業者 数も 定か でな い時 代だ った から

︑正 確な 数字 をつ かむ のは むず かし い︒ それ に︑ 地域 差も ある

︒浮 浪 を理 由に 逮捕 され た人 の数 は︑ ホワ イト ホー ル︵ 政府

︶に 報告 がな され た年 に限 って みる と︑ 一五 六七 年か ら七 二 年に かけ て︑ 年間 平均

︑一 千五 百人

︑一 六三 一か ら三 九年 にか けて は︑ 四千 四百 七十 七人

º 女性 の浮 浪者 は︑ 二〇 から 三〇 パー セン トだ った とい う︒ 女性 浮浪 者は だい たい 三つ のタ イプ に分 けら れた

︒自 分を 捨て た夫 やパ ート ナ ーを 探す うち に住 所不 定の 貧困 者に なる 場合

︑娼 婦︑ そし て未 婚の 妊婦 と母

︒ アリ ス・ バル スト ンが ドー セッ トの 裁判 官の 前に はじ めて 姿を 見せ たの は︑ 雇い 主か ら二 五シ リン グを 盗ん だと 訴え られ たと きで ある

︵シ リン グの 単位 は一 九七 一年 に廃 止に なっ た︶

︒一 シリ ング は一 二ペ ンス

︒二 五シ リン グ は三 百ペ ンス

︑三 ポン ドで ある

︒当 時の 職人 の日 当は 六ペ ンス ぐら いと いわ れて いる

︒三 百ペ ンス は職 人の 五〇 日 分の 給料 に相 当す る︒ 盗み が露 見し たと き︑ アリ スは

︑雇 い主 から 盗ん だ二 五シ リン グの うち 二〇 シリ ング を返 し たが

︑五 シリ ング を﹁ 食料 やそ のほ かの 生活 必需 品﹂ に使 って しま って いた

︒ この 盗み から 数か 月後

︑ア リス

・バ ルス トン は二 人の 靴職 人を 訴え た︒ ウッ ドベ リー

・ヒ ルの 市︵ フェ ア︶ で︑ アリ スは 彼ら と性 交渉 を持 ち︑ その 礼に 靴職 人た ちが アリ スに 金を 支払 った と主 張し たの であ る︒ この 種の 売春 は

(12)

法律 で禁 じら れた いた

︒い っぽ う︑ 靴職 人た ちは 自分 たち が寝 てい るあ いだ にア リス に金 を盗 まれ たと 訴え た︒ それ から 数か 月後

︑ア リス が妊 娠し てい るこ とが 判明 した

︒裁 判で

︑ア リス は前 言を ひる がえ して

︑胎 の子 の父 は前 の雇 い主 の男 では なく

︑﹁ ロン グ・ ロビ ン﹂ とい う名 の男 であ ると いっ た︒ 子ど もの 父親 は前 の雇 い主 だと 言 い張 って いた のは

︑監 獄で 知り 合っ た女 性た ちに 入れ 知恵 され たた めだ った とい う︒ それ から 数年 を経 て︑ 一六 二三 年の クリ スマ ス・ イブ と元 旦を

︑ア リス はと ある 酒場 で過 ごし た︒ 酒場 に︑ 盗賊 の一 味が 居合 わせ てい た︒ アリ スは 彼ら の会 話を 小耳 には さん だ︒ 耳に した 盗賊 たち の会 話を 裁判 所に 通報 し︑ そ れが 記録 され た︒ アリ スは 一六 二九 年六 月前 後に 亡く なり

︑ト マス

・ゲ ング

Thomas Geng

︶な る男 が︑ アリ スの 子ど もの 養育 費を 支払 うよ うに 裁判 所か ら命 じら れて いる

︒一 六二 三年 以後 に︑ アリ スは 二度 目の 妊娠 をし たよ うだ

︒ アリ ス・ バル スト ンの 犯罪 は︑ 窃盗 と不 法な 性行 為で ある

︒最 初の 盗み で︑ 雇い 主の 家を 追い 出さ れて 投獄 され た︒ 出獄 した あと

︑ま とも な生 活に もど るこ とが でき なく なり

︑犯 罪を 重ね た︒ 職も 住む 場所 も失 った アリ スは

︑ ウッ ドベ リー

・ヒ ルの フェ アで ふた りの 靴職 人と 知り 合い

︑一 時生 活を 共に した

︒ア リス の訴 えに よれ ば︑ 男た ち はア リス に性 交渉 を強 要し た︒ いっ ぽう

︑男 たち は︑ アリ スが 彼ら の金 を盗 んだ と訴 えた

︒こ の事 件で

︑ア リス は 二度 目の 監獄 行き とな った

︒ 刑期 を終 えて 監獄 を出 たア リス はす ぐに 酒場 に行 った

︒そ して

︑い っし ょに 刑期 を終 えた 仲間 と祝 杯を あげ

︑そ のつ いで に一 人の 男と 性交 渉を 持っ た︒ その 結果

︑妊 娠し た︒ 当時

︑婚 外妊 娠は 犯罪 であ った

︒仕 事も 家も なく

︑ おま けに 胎に 子ど もを かか え︑ 命を つな ぐた めに は盗 みを はた らく ほか なか った

︒ア リス は︑ 子ど もが 生ま れる ま

(13)

での 十か 月の あい だに

︑盗 みを 繰り 返し てい る︒ アリ スは 他家 で奉 公し なが らま とも な生 活を おく って いた

︒と ころ が︑ 最初 の罪 みを 犯し てか らは

︑堕 落の 道を ころ げ落 ちて ゆく

︒底 辺に 生き る女 性が 犯罪 者の 烙印 を一 旦捺 され たら

︑名 誉を 回復 する こと はむ ずか しく

︑社 会 復帰 はほ とん ど不 可能 だ︒æ 頼り にな る親 類縁 者も 知り 合い もな く︑ 住む 家も 食物 を買 う金 も無 い女 性が 落ち てゆ く 先は

︑売 春か 物乞 いか 窃盗 であ る︒ アリ スの よう な女 性た ちの 姿は

︑犯 罪者 とし て裁 判に かけ られ たと きの 記録 など から しか わか らな い︒ もっ と運 がよ い女 性た ちは

︑文 盲で あっ ても

︑筆 記者 を雇 い︑ 遺書 や財 産目 録な どを 作り

︑生 きた 軌跡 を残 すこ とが でき た︒ 特権 階級 の女 性た ちは 文字 を所 有し てい たか ら︑ 手紙 や日 記や 覚え 書き や家 計簿 や︑ 創作 など をと おし て生 きた 証 拠を 残し た︒ われ われ が日 常経 験し てい るよ うに

︑問 題が 起き ても

︑裁 判沙 汰に なら ずに 済む 場合 のほ うが ずっ と多 い︒ アリ スは 犯罪 を犯 し︑ 裁判 にか けら れた ので

︑生 きた 証拠 を残 して いる

︒し かし

︑問 題も 起こ さず 平凡 に一 生を 終え た 普通 の女 性た ちは 時の 闇の なか に葬 り去 られ

︑痕 跡を 残す こと はな い︒

アリ ス・ バル スト ンの 裁判 記録 から は︑ 女性 が名 誉と 生活 基盤 を失 うの がい かに たや すい かわ かる

︒最 初の 盗み が︑ 彼女 のそ の後 の人 生を 決定 した

︒社 会か らは じき ださ れ︑ 名誉 を回 復す るこ とも

︑職 を見 つけ るこ とも でき な

(14)

かっ た︒ たっ た一 つの 罪の ため に︑ 靴職 人と の事 件で は︑ 確た る証 拠も なく 犯人 にさ れた

︒罪 を一 つで も犯 せば

︑ 別の 事件 の罪 まで なす りつ けら れて しま う︒ 弱者 に苛 酷な 社会 のメ カニ ズム であ る︒ 女性 が犯 した 罪の 大半 は窃 盗と 婚外 妊娠 と幼 児殺 しで ある

︒女 性は 婚外 妊娠 で罰 せら れる が︑ 男性 の場 合︑ 証拠 を見 つけ るの が困 難な ため に︑ おお かた が罰 をの がれ た︒ 男性 にた いす る告 発は

︑性 的な 問題 もあ るが

︑多 くは 社 会的 な問 題︑ ある いは 土地

・財 産・ 仕事 など にか らむ 経済 的な 問題 であ る︒ ほか に︑ 酒を 飲み すぎ る︑ 家族 を虐 待 する

︑給 料を 運ん でこ ない など など

︑問 題は 広範 囲に 及ん でい る︒ 女性 の場 合は

︑結 婚し てい るか どう か︑ 家族 がい るか どう か︑ いか なる 家系 の出 であ るか

︑金 持ち であ るか どう か︑ 読み 書き でき るか どう かが

︑そ の女 性の 価値 を判 断す る基 準と なる

︒ア リス のよ うな

︑金 も家 族も 地位 なも も たな い女 性が 社会 規範 を一 度破 った ら︑ 社会 復帰 はむ ずか しく

︑更 生へ の道 はほ ど遠 い︒ エリ ザベ ス女 王も アリ ス・ バル スト ンも 等し く︑ 男性 優先 の父 権性 社会 のな かで 生き た︒ かた や女 王︑ もう いっ ぽう はホ ーム レス の浮 浪者

︒身 分に は天 と地 の差 があ った が︑ 二人 とも 同じ こと を社 会か ら期 待さ れた

︒そ れは

︑ まと もな 結婚 をし て子 を生 み育 て︑ 従順 で寡 黙な 妻と して

︑慈 しみ 深い 母と して 生き るこ とで ある

︒だ が︑ 二人 は その 規範 に従 わな かっ た︒ 女王 の場 合も アリ スの 場合 もで きな かっ たと いっ たほ うが よい かも しれ ない

︒ 男性 より 富ん だ女 性も いた し︑ 男性 より も能 力が あり 教養 ある 女性 も大 勢い た︒ しか し︑ 女性 の場 合︑ 何よ りも 男性 に従 順で 貞節 であ るこ とが 求め られ

︑従 順さ と貞 節に よっ て︑ 女性 の価 値が 値踏 みさ れた

︒ イギ リス 国教 会の プロ テス タン ト化 が進 むに つれ

︑カ ルヴ ァン 主義 を奉 じる ピュ ーリ タン 的な 女性 観が 力を 強め てい った

︒ピ ュー リタ ンは 女性 の貞 節と 従順 をこ とさ ら重 んじ た︒ 女性 の従 順が 問題 にな った とき は︑ 男性 がい か

(15)

に横 暴で 理不 尽で あっ ても

︑女 性に 勝ち 目は ない

︒男 に逆 らう 女と いう レッ テル を貼 られ ただ けで

︑社 会の つま は じき にな る︒ この よう な社 会の なか で︑ エリ ザベ スに とっ ても アリ スに とっ ても

︑女 性ら しく 振る 舞い

︑貞 節で あ るこ とは なに より も大 事な 財産 であ った

︒女 王が 男性 の領 域を おお っぴ らに 侵し たり

︑貞 節を 疑わ れた りし たら

︑ 名誉 が傷 つけ られ

︑権 力が そが れる

︒社 会規 範か ら外 れる 行為 を理 由に

︑力 が制 限さ れ︑ 反乱 の誘 惑が 頭を もた げ るだ ろう

︒処 女王 とし てあ がめ られ るこ とを 女王 が望 んだ のは

︑社 会が そう 要請 した から であ る︒ アリ スの 人生 は︑ 父権 性社 会か らド ロッ プア ウト した 女性 がい かに 悲惨 な運 命を たど るか を物 語っ てい る︒ だれ ひと りと して アリ スの 更生 を期 待し ては いな い︒ 裁判 にか けら れて も︑ アリ スを 弁護 する 人は なく

︑犯 罪者 のま ま 一生 を終 えた

︒無 力な 女性 の現 実︑ アリ スを 守る 男性 の不 在︑ まと もな 身分 の欠 如︑ 婚外 妊娠

⁝︒ アリ スは 社会 か らは じき ださ れ︑ 人間 とし ての 尊厳 すら 守る こと がで きな かっ た︒ 最高 権力 者の エリ ザベ ス女 王は どう であ ろう

︒エ リザ ベス 女王 は﹁ 弱い 女の 身な がら

﹂と

︑女 性で ある こと を卑 下す るこ とば をし ばし ば口 にし

︑神 経質 なほ どに

︑自 分の 貞節 を主 張し た︒ 内に 燃え る情 熱も 恋も 縊り 殺し て︑ 処 女王 とし ての 印象 を国 民に 強く 印象 づけ よう と︑ あら ゆる 策を 講じ た︒ 国王 の場 合と ちが い︑ 女王 は国 民の 信頼 を 得る ため に︑ 真実 はど うで あれ

︑﹁ 貞節

﹂で あら ねば なら なか った のだ

︒ 女性 は結 婚す れば 夫の 支配 下に 置か れ︑ 裁判 を起 こす 権利 はむ ろん のこ と︑ 持参 金や 実家 から 相続 した 財産 を管 理す る権 利も 失う

︒女 王と ても

︑こ の制 限か ら自 由で はな かっ た︒ 女王 が夫 をも てば

︑王 権は 半減 され る︒ 独身 を 貫け ば︑ 権力 を独 占で きる

︒そ のた めに は︑ 大き な犠 牲を 払わ なけ れば なら ない

︒独 身に たい する 偏見

︑重 責を ひ とり で担 う苛 酷さ

︑後 継者 の欠 如と それ に伴 う社 会不 安︑ 孤独 との 闘い

⁝︒

(16)

女王 は結 婚を あき らめ た︒ しか し︑ 最後 まで 女ら しさ を装 い︑ 王の 心で 武装 した

︒女 王が 本当 に処 女の まま 天国 にみ まか った のか

︒事 実が どう であ れ︑ 処女 王と 賛美 され

︑葬 られ た︒ いっ ぽう

︑ア リス は未 婚の 母と なっ て身 を もち くず し︑ 社会 の最 底辺 に沈 んで いっ た︒ 女王 と女 浮浪 者は

︑男 社会 の圧 力を 受け

︑そ の制 約の なか で生 き︑ 異 なる 軌跡 を描 きな がら も︑ 合わ せ鏡 のよ うに 当時 の女 性た ちが 置か れた 現実 をう つし だし てい る︒ エバ の末 裔と して

︑す べて の女 性は 平等 だっ た︒ エバ の末 裔と して

︑す べて の女 性は 男性 より も罪 に陥 りや すい

︵と いわ れて いた

︶︒ とい う こと では

︑女 性は みな 平等 であ った

︒ つま り︑ 女性 はす べて

︑女 王で あっ て も︑ アリ ス・ バル スト ンで あっ ても

︑中 世以 来の 男性 優先 の社 会規 範に よる 差別 を受 けて いた ので ある

︒キ リス ト教 が女 性 たち をこ の頚 木か ら解 放し よう と努 力し た痕 跡は ない

︒女 王が

︑女 性君 主と いう 特殊 な立 場を 利用 して

︑女 性の 地 位の 向上 に努 めた 形跡 はな い︒ そん なこ とを した ら︑ 男性 の反 発を かい

︑反 乱を うな がし かね なか っっ たか らで あ エ る

リザ ベス 女王 とア リス

・バ ルス トン は︑ 普通 の女 性の 範疇 には 入ら ない 極端 な例 であ ろう

︒し かし

︑当 時の す べて の女 性が 同じ よう な運 命を 背負 い︑ 同じ よう な足 枷を かけ られ てい た︒

弔辞 は故 人の 一生 をし めく くる

︒人 びと は追 悼の こと ばに 耳を 傾け なが ら︑ いま 一度

︑故 人の 歩い た道 をふ りか えり

︑そ の人 柄を しの び︑ 霊の やす らか なる こと を祈 る︒ イギ リス 国教 会で も︑ 葬儀 では

︑牧 師や 説教 者が 故人 を

(17)

しの びな がら

︑聴 衆に 説教 をす る︒ 一七 世紀 の初 頭に

︑葬 儀の 説教 がい くつ かま とめ て出 版さ れた

ø その なか には

︑ 故人 とな った 女性 をし のぶ 説教 もあ る︒ 説教 から は︑ 彼女 たち のあ りし 日の 姿が 浮か びあ がっ てく る︒ 当時 の規 範 に照 らし てよ い妻 であ り︑ よい 主婦 であ り︑ よい 母で あっ たか どう か︒ とく に︑ 故人 の信 仰生 活が 重視 され てい る︒ 故人 は生 前︑ よき 信仰 生活 をお くっ たか 否か

︒よ き信 仰が 家族 や周 囲の 者た ちに

︑よ い影 響を あた えた か︒ 説教 者た ちは 例外 なく

︑妻 たち にむ かっ て︑ 主に 仕え るよ うに 夫に 仕え 従い なさ いと 説い た︒ それ でも なお

︑夫 とは 違う 信仰 を選 び︑ みず から の道 を歩 む女 性た ちが いた

︒ 女性 は男 性に 従属 しな けれ ばな らな い︒ しか し︑ 女性 に課 せら れた 従属 性は

︑信 仰生 活を とお して のみ 乗り 越え るこ とが でき る︒ ただ 信仰 によ って のみ

︑女 性は 性差 別か ら解 き放 たれ

︑神 にち かづ くこ とが でき る︒ 信仰 をと お して 自立 を果 たし た女 性は 少な くな い︒ 女性 たち が宗 教に 生き がい を見 いだ した 本当 の原 因を 探り あて るの は難 しい が︑ 女性 たち が信 仰に 深く かか わる よう にな る主 な原 因は 二つ ある と考 えら れる

︒一 つは

︑女 性は 本来 的に 男性 より も感 情的 であ り︑ 見え ない もの に 献身 する 傾向 が男 性よ りも 強い こと

︒も う一 つは

︑家 事と 育児 にあ けく れる 単調 な日 常生 活の なか で︑ 精神 的な 充 実感 を望 むよ うに なり

︑そ れを 宗教 に求 める こと

︒と くに

︑性 格の 強い 個性 的な 女性 は宗 教に 生き がい を見 いだ す 傾向 があ る︒ 家事 や育 児は 男性 の仕 事ほ ど価 値を 認め られ てい ない

︒家 事に あけ くれ る日 常生 活か らし ばし 逃避 し︑ 生活 の外 に生 きる 目的 を見 つけ

︑だ れに も咎 めら れず に︑ 内面 を発 露で きる とこ ろは

︑こ の時 代︑ 宗教 以外 にな か った

︒宗 教に 献身 する こと によ り︑ 夫や 父の 束縛 から 逃れ て自 分自 身に 立ち 返る こと がで きる

(18)

女性 は﹁ 弱く 愚か

﹂だ とみ なさ れて きた が︑ キリ スト 教は 強い 意志 をも つ女 性を 意図 的に 取り こみ

︑神 の御 業の 証明 のた めに 用い てき た︒ 聖書 のな かに も︑ 信仰 に生 きる 女性 は数 多く 登場 する

︒現 実世 界で も︑ たと えば

︑一 四 世紀 の神 秘主 義思 想家 で﹃ キリ スト の降 誕に 関す る黙 示﹄ を著 した スウ ェー デン の聖 女ビ ルジ ッタ や︑ 彼女 に深 く 帰依 し︑ キリ スト の幻 視に つき 動か され て聖 地に まで 巡礼 し︑ イギ リス 初の 自伝 を遺 した 商人 の妻 マー ジェ リー

・ オブ

・ケ ンプ のよ うな

︑感 受性 が強 く篤 い宗 教心 を持 った 女性 たち が︑ 世俗 の人 びと や宗 教界 に大 きな 精神 的影 響 をあ たえ た︒ ルタ ーに 端を 発す るプ ロテ スタ ント は︑ 信仰 にお いて 男女 に差 はな いと 主張 し︑ 進歩 的な 考え の女 性 を取 りこ むこ とに 成功 した

︒ イギ リス では

︑一 五三 四年 に︑ ヘン リー 八世 がロ ーマ と決 別し て国 教会 が設 立さ れ︑ プロ テス タン ト国 家の 仲間 入り をし た︒ とは いえ

︑霊 界の 首長 がロ ーマ 教皇 から イギ リス 王に 替わ った にす ぎず

︑ヘ ンリ ー八 世時 代の イギ リ ス国 教会 はロ ーマ カト リッ クの 伝統 をひ きず って いた

︒当 時の 国教 会主 義者 は︑ 従来 のカ トリ ック の伝 統を 守ろ う とす る保 守主 義者 と︑ カト リッ クの 伝統 を一 掃し

︑た だ聖 書に よっ ての み神 に近 づく こと をめ ざす 進歩 的原 理主 義 者の 二派 に分 かれ てい た︒ 進歩 的な 原理 主義 者は

︑カ トリ ック の伝 統の なか でも

︑聖 餐式

︑カ トリ ック のミ サ典 礼︑ 聖職 者の 貞節 の厳 守︑ 聖日 の行 列︑ 煉獄 の存 在︑ イコ ン︑ マリ ア像 など の聖 イメ ージ を槍 玉に あげ

︑迷 信︑ ある い は時 代遅 れの しろ もの とし て排 除し よう とし た︒ とく に︑ 聖別 され たパ ンと 葡萄 酒を キリ スト の肉 と血 とで ある と する 秘跡 を否 定し

︑キ リス トの シン ボル にす ぎな いと した

︒カ トリ ック の信 仰を 棄て ない 人は 国教 会委 棄者 とし て 迫害 され たが

︑パ ンと 葡萄 酒を キリ スト の肉 と血 とで ある こと を認 めな い過 激な 原理 主義 者も 異端 とみ なさ れた

︒ この 時期 に︑ 異端 者と して 処刑 され た者 は六

〇人 とも 七〇 人と もい われ てい る︒ その なか に︑ 女性 の殉 教者 が四

(19)

五人 まじ って いる

︒そ の一 人は アン

・ア スキ ュー であ る︒ アン が︑ アリ ス・ バル スト ンの よう に︑ 異端 審問 にか けら れ処 刑さ れな かっ たら

︑彼 女の 名が 歴史 に残 るこ とは なか った であ ろう

︒ 一五 四六 年五 月二 四日

︑ヘ ンリ ー八 世の 枢密 院は

︑﹁ トマ ス・ キム と︑ その 妻は

︑召 喚状 を受 けと って から 一〇 日以 内に 出頭 する べし

﹂と した めた 召喚 状を 二人 の従 者に もた せて

︑ト マス

・キ ムの もと に遣 わし た︒ この 召喚 状に は︑

﹁ト マス

・キ ムと

︑そ の妻

﹂と 記さ れて いる けで

︑ア ンの 名も アン の実 家の 名も 記さ れて いな い︒ 結婚 した 女性 は︑ 夫の 姓で 呼ば れる のが 慣習 であ った

︒ 一五 四六 年六 月一 八日

︑三 度目 に召 喚さ れた とき は︑ アン の名 は︑ 枢密 院の 報告 書に 明記 され た︒ リン

カン シャ ーの トマ ス・ キム は︑ アン

・ア スキ ュー とい う名 の女 性と 結婚 して いる が︑ 妻と とも に枢 密院 に 召喚 され た︒ トマ スの 妻は

︑正 当な 理由 がな いの に︑ 彼が 夫で ある こと を拒 絶し てい る︒ キム は︑ 再召 喚さ れる まで

︑帰 宅を 許さ れた

︒キ ムの 妻は 宗教 を論 じ︑ 自説 を曲 げず

︑考 えは 向こ う見 ずで

︑悪 しき 思想 を持 ち︑ いか に教 え諭 して も効 果が なく

︑ニ ュー ゲイ トに 投獄 され

︑法 にし たが って 審問 を受 ける こと にな った

¿ アン

はカ ルヴ ァン より さら に過 激な 改革 者ツ ヴィ ング リに 心酔 して おり

︑聖 餐式 での パン と葡 萄酒 をキ リス トの 肉と 血と であ ると する 秘跡 を認 めな かっ た︒ その ため に︑ 一五 四五 年三 月一 一日 に逮 捕さ れ︑ 二週 間拘 禁さ れて 異 端審 問を 受け た︒ いっ たん 釈放 され たが

︑同 年の 六月 一三 日に 再逮 捕さ れ︑ 二人 の逮 捕者 とと もに

︑異 端審 問を 受

(20)

けた

︒だ が︑ この とき も︑ 彼女 を有 罪に 追い 込む 証言 者が あら われ ず︑ 釈放 され た︒ 一五 四六 年六 月︑ アン は三 度目 の異 端審 問を 受け

︑原 理主 義的 な信 仰を 理由 に︑ 有罪 とさ れ︑ 七月 一六 日に

︑同 じ罪 を被 せら れた 三人 の﹁ 異端 者﹂ とと もに

︑ス ミス フィ ール ド刑 場で 火あ ぶり にさ れた

︒二 五歳 の若 さで あっ た︒ アン の殉 教は

︑保 守主 義者 にも 改革 主義 者に も同 様の 強い 衝撃 をあ たえ た︒ アン を糾 弾し た保 守主 義者 たち のな かに は︑ ロン ドン 司教 エド マン ド・ ボナ ー︑ ウィ ンチ ェス ター 司教 ステ ィー ヴン

・ガ ーデ ィナ ー︑ 大法 官ト マス

・リ オゼ ズリ

︑第 三代 ノー フォ ーク 公爵 トマ ス・ ホワ ード

︑枢 密院 議員 リチ ャ ード

・リ ッチ 卿︵ トマ ス・ モア を有 罪に 追い こん だ法 律家

︶な ど︑ そう そう たる 有力 者が 含ま れて いる

︒彼 らの 思 惑は

︑ア ン・ アス キュ ーの 背後 に見 えか くれ する 高位 貴族 の改 革派 の女 性た ちの 名を アン の口 から 吐か せ︑ 彼女 た ちの 夫た ちを 失脚 させ るこ とに あっ た︒ アン のパ トロ ンと して

︑ハ ート フォ ード 伯爵 エド ワー ド・ シー モア

︵故 ジ ェー ン・ シー モア 王妃 の兄

︶の 妻ア ン︑ 枢密 院議 員で ヘン リー 八世 の側 近ア ント ニー

・デ ニー の妻 ジョ アン

︑ラ イ ル子 爵ジ ョン

・ダ ドリ ーの 妻ジ ェー ンな どの 名が あが って いた

︒み な︑ 改革 主義 者と して 名高 いキ ャサ リン

・パ ー 王妃 と親 しい 夫人 たち であ った

︒キ ャサ リン

・パ ーは

︑﹃ 罪人 の嘆 き﹄

The L amentations of a Sinner

︶︑

﹃天 国 のこ とを 瞑想 する よう にす るた めの 祈り

﹄︵

The P rayers Striving the M ind-unto Heavenly Meditations

︶を 上梓 し出 版す るほ ど教 養豊 かな 女性 で︑ 進歩 的な 思想 の女 性た ちが 王妃 のま わり に集 まっ た︒ 王妃 は聖 書講 読会 を 主催 し︑ たが いに 信仰 を深 めあ った

︒﹁ 女は 神の こと ばを 口に すべ きで はな い﹂ と信 じる 保守 主義 者た ちに とっ て︑ キャ サリ ン王 妃は めざ わり な存 在で あっ たろ う︒ 彼ら の最 終的 な狙 いは

︑キ ャサ リン 王妃 を玉 座か らひ きず りお ろ すこ とに あっ たの かも しれ ない

︒だ が︑ アン は酷 い拷 問に もか かわ らず

︑キ ャサ リン 王妃 の名 を口 にす るこ とは つ

(21)

いに なか った

︒ア ンは

︑ハ ート フォ ード 伯爵 夫人 と︑ デニ ー夫 人か らお 金を もら い︑ 王妃 のい とこ ニコ ラス

・ス ロ ック モー トン の訪 問を 受け たこ とを 認め た以 外︑ 王妃 との 関与 は否 定し た︒ アン はリ ンカ ンシ ャー の紳 士︵ ジェ ント リー

︶階 級の ウィ リア ム・ アス キュ ー卿 を父 とし て一 五二 一年 に生 まれ た︒ 一〇 代の 終わ り頃 に︑ だい ぶ年 の離 れた トマ ス・ キム 卿と 結婚 させ られ た︒ キム は姉 マー ガレ ット の婚 約者 だ った が︑ 姉が 結婚 式を まえ に亡 くな った ので

︑姉 に代 わっ てア ンが キム と結 婚し た︒ 一昔 まえ なら

︑ア ンの よう な 宗教 的な 傾向 の強 い女 性は 修道 院に 生き る場 所を 求め たが

︑修 道院 が取 り壊 され たの で︑ 結婚 以外 に生 きる 場所 が なか った

︒ア ンは 夫と のあ いだ に二 人の 子を もう けた が︑ 家庭 生活 にな じめ ず︑ 夫と は不 仲で あっ た︒ 宗教 をめ ぐ って 教区 牧師 と言 い争 った こと を期 に︑ アン は婚 家を 追い 出さ れた

︒ア ンは ヘン リー 八世 が第 一番 目の 王妃 キャ サ リン

・オ ブ・ アラ ゴン を離 別し たと きの 理由

︵キ ャサ リン はヘ ンリ ーと 結婚 する 前︑ ヘン リー の兄 アー サー の妻 だ った

︒﹃ レビ 記﹄

︵二

〇・ 二二

︶は きょ うだ いの 伴侶 との 結婚 を禁 じて いる

︶に 倣い

︑キ ムが 姉の 婚約 者だ った 事実

︵婚 約は 結婚 と同 様の 重み をも つ︶ を理 由に 離婚 を教 会法 廷に 申し 出た が︑ 拒絶 され た︒ 夫と 別居 して から は︑ キ ャサ リン

・パ ー王 妃の よう に︑ 実家 の姓 を名 乗り

︑ロ ンド ンに 赴き

︑神 のこ とば を説 き宗 教活 動を 展開 した

︒ アン は三 度逮 捕さ れ︑ 三度 異端 審問 を受 けた

︒保 守派 の異 端審 問官 たち はア ンの 新約 聖書 の知 識の 正確 さに 舌を まい た︒ たと えば

︑大 法官 リオ ゼズ リが

︑ア ンに

﹁女 は神 のこ とば を口 にし たり 語っ たり して はな らな いと

︑聖 パ ウロ は教 えて いる

﹂と いう と︑ アン は慎 重に こと ばを 選ん で︑ 大法 官の 解釈 の間 違い を指 摘し た︒ その とき のこ と が︑ 異端 審問 の経 過を 克明 に綴 った

﹁異 端審 問﹂

Examinations

︶の なか で︑ 次ぎ のよ うに 記さ れて いる

(22)

わた しは

︑大 法官 にこ う答 えま した

︒わ たく しは あな たと 同じ くら い使 徒パ ウロ の教 えの 意味 を知 って おり ま す︒

﹃コ リン ト信 徒へ の手 紙一

﹄の 第一 四章 のな かで

︑パ ウロ は︑ 婦人 たち に教 会で は黙 って いな さい

︑婦 人た ちは 教会 で語 るこ とは ゆる され てお りま せん とい って いる ので あっ て︑ 神の こと ばを 口に して はな らな いと いっ てい るの では あり ませ ん︒ それ から

︑わ たし は︑ 大法 官に たず ねま した

︒こ れま でに

︑説 教壇 にの ぼっ て説 教し た女 性を 見た こと があ りま すか と︒ 大法 官は 答え まし た︒ 一人 も見 たこ とは ない と︒ それ をき いて

︑わ たし はい いま した

︒哀 れな 女性 たち のあ らさ がし をし ない でく ださ い︑ パウ ロの 教え に背 き法 を破 った のな ら別 です が︒¡ アン

は︑ 女性 が語 るこ とを 禁じ られ てい るの は︑ 教会 のな かに おい てで あっ て︑ 日常 生活 全般 にわ たっ てで ない

︑ 教会 のな かで 発言 する こと こそ 禁じ られ てい るが

︑女 性が 神の こと ばを 口に して なら ない と︑ 聖パ ウロ はい って い ない と︑ 反論 した ので ある

︒ アン は雄 弁だ った が︑ とき には 沈黙 によ って

︑審 問に 対抗 した

︒﹁ 聖餅 を食 べた ねず みは

︑神 のめ ぐみ を受 けた か否 か﹂ とき かれ たと きに は︑ アン は何 もい わず

︑た だ微 笑し た︒ 答え るに 足ら ない 愚問 であ るこ とを

︑微 笑に よ って ほの めか した のだ

︒ま たア ンは

︑謎 めい た︑ ほと んど 判じ 物の よう なこ とば で審 問官 たち を上 手に 煙に まい た︒

﹁祭 壇の うえ のサ クラ メン ト︵ パン と葡 萄酒 の聖 体︶ は︑ まこ との キリ スト の肉 体で ある か否 か﹂ とい う核 心に 迫 る問 いに たい して は︑ アン はこ う答 えた

︒﹁ それ なら

︑わ たく しが おた ずね いた しま しょ う︒ ステ ファ ノは なぜ 石 打ち の刑 にあ って 死ん だの でし ょう か︒

﹂ア ンは 答え を︑

﹃使 徒言 行録

﹄の 七章 と一 七章 に求 めた

︒神 のこ とば を宣 べ伝 える ステ ファ ノは

︑神 は﹁ 天地 の主 です から

︑手 で造 られ た神 殿な どに はお 住み にな らな い﹂

︵﹃ 使徒 言行 録﹄

(23)

一七

・二 四︶ と主 張し たた めに

︑殺 され た︒ アン は︑ 神は 人間 の手 で造 られ たも の︑ すな わち 聖餅 など に宿 らな い こと を暗 示し

︑カ トリ ック の秘 跡を 間接 的に 否定 した ので ある

¬ この 時期 にな って も︑ 国教 会の 極端 なプ ロテ スタ ント 化を 防ぐ ため に一 五三 九年 に発 令さ れた

﹁五 ヵ条

﹂︵

The A ct of Six A rticles

︶は 健在 だっ た︒ この 法律 にも とづ き︑ 聖餐 式の 秘跡 を認 めな い人 は異 端者 と断 罪さ れた ので ある

︒ 審問 官た ちは

︑正 確な 聖書 の知 識を 武器 に反 論す るア ンに 手を 焼き

︑憎 しみ を募 らせ た︒ 死刑 をい いわ たし たあ とで も︑ アン を拷 問に かけ た︒ これ はあ きら かな 違法 行為 であ った

︒ア ンは 骨が 砕け

︑肉 がは みで るほ ど酷 い拷 問 を受 けて も︑ 自分 の信 仰を 棄て よう とは しな かっ た︒ 一五 四六 年七 月八 日︑ アン を拷 問に かけ る五 日前

︑枢 密院 は︑ 聖書 講読 を禁 じる 触れ を出 した

﹁今 後︑ 八月 末日 以降

︑男

︑女

︑年 令︑ 身分 の差 を問 わず

︑テ ィン ダル ある いは コヴ ァデ ィル 訳の 新約 聖書 を読 んで はな らず

︑受 けと って も︑ 所持 して も︑ 貰っ ても

︑所 蔵し てい ても なら ない

︒﹂ 死を 覚悟 した アン は︑ 異端 審問 での 問答 を書 き綴 り︑ 世話 係に 持た せて 牢外 に持 ち出 させ た︒ アン の﹁ 異端 審問

﹂ は︑ オッ ソリ ー司 教を つと めた こと のあ る亡 命中 の劇 作家 ジョ ン・ ベイ ルの 手に 渡る

︒プ ロテ スタ ント に傾 倒す る ベイ ルは アン の﹁ 異端 審問

﹂に 深く 感動 した

︒そ して

︑多 くの 人に アン

・ア スキ ュー の殉 教と 彼女 の﹁ 異端 審問

﹂ を知 らせ たい と願 い︑ 彼女 の生 涯に つい ての 物語 を書 き添 えて

︑エ ドワ ード 六世 の時 代に なっ てか ら︵ 一五 四七 年 に︑ 続い て一 五五

〇年

︒一 五八 五年 に再 版さ れ︑ 多く の読 者を つか んだ

︶出 版し た︒ ベイ ルは

﹁ア ンは 主イ エス

・ キリ スト の貴 重な る血 によ って 聖人 に列 せら れた

﹂と 記し てい る︒ƒ

﹁異 端審 問﹂ は︑ 異端 狩り のお 先棒 をか つい だス ティ ーヴ ン・ ガー ディ ナー 司教 の教 区で も読 まれ

︑ガ ーデ ィナ

(24)

ー司 教は 摂政 エド ワー ド・ シー モア に宛 てた 一五 四七 年五 月二 一日 付け の手 紙の なか で﹁ 非常 に有 害で

︑扇 動的

︑ 中傷 的な 文書 が出 回っ てい る﹂ と︑ 報告 して いる

︒ガ ーデ ィナ ーは 同じ 年の 六月 六日 にも

︑摂 政に 手紙 を書 き︑ ア ンの 文書 がた やす く手 に入 るこ とに つい て苦 情を 述べ てい る︒ メア リー 女王 が玉 座に つき ふた たび カト リッ クの 世に なる と︑ アン

・ア スキ ュー の死 に勇 気づ けら れて

︑多 くの 市井 の女 性が プロ テス タン トの ため に殉 教し た︒ 国教 のプ ロテ スタ ント から カト リッ クに 回宗 した イギ リス 女性 のこ とも 語ろ う︒ 少し 時代 はく だる が︑ レデ ィ・ フォ ーク ラン ドこ と︑ エリ ザベ ス・ ケア リー も信 仰を 理由 に夫 と別 居し

︵夫 ヘン リー

・ケ アリ ーは のち に第 一代 フォ ーク ラン ド伯 爵と なる

︶︑ 自分 の信 仰を 貫い た︒ 一六

〇二 年に

︑エ リザ ベス はヘ ンリ ー・ ケア リー と結 婚し

︑一 一人 の子 ども をも うけ た︒ 子ど もた ちに フラ ンス 語︑ スペ イン 語︑ イタ リア 語︑ ラテ ン語

︑そ れに ヘブ ライ 語ま で教 えた とい う︒ エリ ザベ スは 一六

〇〇 年に

︑自 作 の叙 情詩 と牧 歌詩 を収 めた

﹃イ ング ラン ドの ヘリ コン

﹄︵

England s H elicon

︶を 出版 した

︒エ リザ ベス は︑

﹁学 問 の愉 しみ

﹂︵

learning ’ s d elight

︶と 呼ば れて 敬愛 を集 めた

一六 一三 年に 出版 され たフ ラン ス風 のセ ネカ 劇︑ 嫉妬 に狂 う夫 ヘロ デ王 に殺 され るマ リア ム王 妃の 悲劇 を扱 った

﹃マ リア ムの 悲劇

﹄︵

Tragedy of M ariam

︶は イギ リス にお ける 女性 作家 の手 にな るは じめ ての 創作 劇で ある

︒ 一六 二二 年︑ エリ ザベ スは 夫の 赴任 地ア イル ラン ドか ら単 身帰 国す ると

︑カ トリ ック に回 宗し たの ちに

︑﹁ 貞節 の誓 い﹂

︵夫 妻の 別居 を許 す中 世時 代か らの 慣習 法︶ をし

︑夫 と別 居し た︒ 母に つづ いて 六人 の子 ども がカ トリ ッ クに 回宗 した

︒四 人の 娘は フラ ンス のカ ンブ レー のベ ネデ ィク ト派 のイ ギリ ス系 修道 会に はい り︑ 二人 の息 子は 修

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