一般入試前期A日程 日目 日本史
Ⅰ
■出題の狙い
原始・古代の政治史・社会経済史について出題しました。Aでは、奈良時代の政治についての リード文を示し、聖武天皇の政治や政治と仏教の関わりなど、基本的な知識を問いました。Bで は、古代の貨幣をテーマとしたリード文を示し、和同開珎や皇朝十二銭に関する知識のほか、
『日本書紀』に関する知識まで幅広く問いました。
■採点講評
正答率が高かった( %以上)問題も低かった( %以下)問題もありませんでした。
各問題の解説は以下のとおりです。
大問 解答
番号 正答 解 説
Ⅰ
④ 藤原不比等後に政治を主導したのは長屋王。のちに、光明子の立后をめぐっ て藤原氏四子と対立して自殺に追い込まれた(長屋王の変)。
② 藤原氏四子のあとに、玄昉や吉備真備を重用して政治を主導したのは橘諸兄。
⑤ 橘諸兄のあとに政権を主導したのは、南家の藤原武智麻呂の子の藤原仲麻呂。
③
X誤り。聖武天皇の治世には太平洋側の陸奥国に多賀城が築かれた。出羽国 が設置されたのは 年で、元明天皇の治世である。
Y正しい。
①
②山背の恭仁京ではなく近江の紫香楽宮で出された。
③天台宗ではなく成実宗。天台宗は平安時代初めに最澄が開いた宗派。
④孝謙天皇ではなく光明皇后。
③
①行基に関する内容。
② 年に太政大臣禅師、 年に法王となった。
④淡路ではなく下野薬師寺に移された。
⑤ 富本銭が鋳造されたのは天武天皇の治世。
② 和同開珎が鋳造されたのは元明天皇の治世。銅の献上を受けて行われた。
⑥ 皇朝十二銭最後の乾元大宝は 年に村上天皇の治世に鋳造された。
④
①紀伝体ではなく編年体。
②刑部親王ではなく舎人親王。刑部親王は大宝律令編纂の中心人物。
③神武天皇の即位以前の神代から扱っている。
Ⅰ ①
②和同開珎の鋳造は 年で、藤原京ではなく平城京遷都の費用を確保する ために鋳造された。
③東市・西市では布・稲による物々交換が主流であった。
④蓄銭叙位令によって銭貨の流通をはかったが、あまり効果はなく、銭貨の 流通は京・畿内周辺に限定された。
① XY正しい。
Ⅱ
■出題の狙い
中世と近世の政治史・文化史について中心に出題しました。Aでは、北条氏についてのリード 文を示し、北条時頼や北条貞時の政治のほか、フビライ=ハンの治世の出来事など基本的な知識 を問いました。Bでは、織田信長と豊臣秀吉についてリード文を示し、当時の政治や文化など基 本的な知識を幅広く問いました。
■採点講評
正答率が高かった( %以上)問題は問 です。正答率が低かった( %以下)問題は問 で す。
各問題の解説は以下のとおりです。
大問 解答
番号 正答 解 説
Ⅱ
②
①評定衆ではなく引付衆。評定衆は 代執権北条泰時が設置した重要政務を 合議する役職。
③『立正治国論』ではなく『立正安国論』。『立正治国論』の著者は日親。
④円覚寺ではなく建長寺。円覚寺の開山は北条時宗が招いた無学祖元。
③ イ宮騒動の前将軍は藤原頼経。
ウ 年、北条時頼は有力御家人の三浦泰村の一族を滅ぼした(宝治合戦)。
② X正しい。
Y後深草天皇は持明院統、亀山天皇は大覚寺統である。
⑤ Ⅲ 年、国号を元と改めた。→Ⅰ高麗王の直属軍であった三別抄が元の支 配に抵抗していたが、 年に鎮圧した。→Ⅱ 年、元が南宋を滅ぼした。
大問 解答
番号 正答 解 説
Ⅱ
③
北条貞時が困窮する御家人救済のために出したのは③永仁の徳政令(
年)。
①② 年に鎌倉幕府が出した御成敗式目(貞永式目)。
④ 年に室町幕府が出した半済令。
④ キ織田信長が浅井長政・朝倉義景を破ったのは姉川の戦い( 年)。
ケ豊臣秀吉は賤ヶ岳の戦い( 年)で、信長の重臣柴田勝家を破った。
①
②織田信長と対立した本願寺 世は顕如。蓮如は 世紀後半に北陸などで浄 土真宗の布教につとめた僧。
③年行司ではなく会合衆。年行司は博多を運営した。
④織田信長は商品流通を盛んにするために関所を撤廃した。
②
①豊臣秀吉が全国統一を完成させたのは奥州平定( 年)で伊達政宗を服 従させたことによる。
③御料所ではなく蔵入地。御料所は室町幕府の直轄領。
④元和大殉教ではなく 聖人殉教。元和大殉教( 年)は江戸幕府 代将 軍徳川秀忠のもとで起こった。
①
②『山水図屛風』は海北友松。
③『松鷹図』は狩野山楽。
④『松林図屛風』は長谷川等伯の作品である。
■出題のねらい
近代の政治史・外交史を中心に出題しました。Aでは、 世紀後半の朝鮮をテーマとしたリー ド文を示し、当時の情勢や下関条約の内容、日清戦争後の日本政治の動きなど、基本的な知識を 幅広く出題しました。Bでは、明治中期以降から大正時代にかけての社会の動向についてのリー ド文を示し、当時の社会運動や工場法に関する基本的な知識、幸徳秋水の事績についての基本的 な知識を問いました。
■採点講評
正答率が低かった( %以下)問題は問 、問 です。
各問題の解説は以下のとおりです。
大問 解答
番号 正答 解 説
Ⅲ
②
ア日韓議定書は 年に結ばれ、これにより日本は軍事上必要な土地の収用 が認められた。
ウ西学はキリスト教のこと。甲午農民戦争は東学の乱ともいう。
④
①壬午軍乱( 年)発生時、大院君は攘夷・親清派で、閔氏政権は開国・
親日派。
②壬午軍乱で日本公使館が襲撃されたため、朝鮮と済物浦条約を結び、賠償 金などを得た。
③北京議定書ではなく天津条約。北京議定書は北清事変の際に列強 か国と 清国が結んだものである。
①
②新貨条例ではなく貨幣法( 年)。新貨条例( 年)を出して金本位 制をめざしたが、実際には金銀複本位制となった。
③日清修好条規ではなく日清通商航海条約。日清修好条規は、 年に、日 本が外国と初めて結んだ対等条約。
④山東半島ではなく遼東半島。
③
Ⅱ 年、地租の増徴をめざす第 次伊藤博文内閣に対抗するために、自由 党と進歩党が合同して憲政党を結成した。→Ⅰ 年、第 次伊藤内閣にか わって憲政党を与党とする第 次大隈重信内閣が成立した。→Ⅲ 年、政 党勢力との妥協をはかる伊藤博文を中心に立憲政友会が結成されると、立憲 政友会を基盤に第 次伊藤内閣が成立した。
④ カ『日本』は国民主義をとなえる陸羯南が発行した新聞。
キ鈴木文治は 年に労働者の地位向上などのために友愛会を結成した。
大問 解答
番号 正答 解 説
Ⅲ
②
X正しい。
Y誤り。施行が 年に延期されたのは資本家の反対があったからである。
また、延期された期間に労働者保護規定は拡充されていない。
③ ケ治安維持法は 年に制定された社会運動・思想弾圧法。
サ日本社会党は 年に結成された合法的な社会主義政党。
②
①幸徳秋水ではなく内村鑑三。
③『国民之友』ではなく『平民新聞』。『国民之友』は平民的欧化主義を説い た徳富蘇峰が創立した民友社が発刊した雑誌。
④伊藤野枝ではなく管野スガ。伊藤野枝は甘粕事件( 年)で殺害された。
④
①山川菊栄ではなく平塚らいてうなど。山川菊栄は、 年に結成された初 の女性社会主義団体赤瀾会に参加した。
②日本労働総同盟ではなく大日本労働総同盟友愛会。 年に日本労働総同 盟友愛会は改称して日本労働総同盟となった。
③堺利彦ではなく賀川豊彦。堺利彦は山川均らとともに 年に日本共産党 を非合法のうちに結成した。
Ⅳ
■出題の狙い
港川人や高坏といった原始・古代に関するものから、国際連合の安全保障理事会や日本の国連 加盟にいたるまで、時代と分野を限定せず、基本事項を幅広く出題しました。
■採点講評
正答率が高かった( %以上)問題も低かった( %以下)問題もありませんでした。
各問題の解説は以下のとおりです。
大問 解答
番号 正答 解 説
Ⅳ ③
①明石人は兵庫県明石市から発見された人骨で、縄文時代以降のものとされ ている。
②浜北人は静岡県浜北市(現浜松市)で発見された人骨で、約 万 年前 のものとされている。
④山下町洞人は那覇市で発見された約 万 年前の人骨で、日本最古の化 石人骨である。
③ ①甕は煮炊き、②甑は米を蒸す、④壺は貯蔵に用いられた弥生土器。
Ⅳ
①
②天台宗の説明。真言宗は初めから密教を取り入れていた。
③奨学院ではなく綜芸種智院。奨学院は在原氏・皇族のための大学別曹。
④和風の書ではなく唐風の書。和風の書が流行するのは国風文化期。
④
①保元の乱ではなく平治の乱。保元の乱( 年)は崇徳上皇と後白河天皇 の対立などから起こった戦い。
②平清盛は征夷大将軍に任じられていない。
③三大不如意をあげたのは白河法皇である。
③
X誤り。『建武年中行事』は朝廷の儀式や先例などを研究して著された有職 故実書である。
Y正しい。
②
①ヴァリニャーニは天正遣欧使節の派遣を建言した人物。
③フランシスコ=ザビエルは日本にキリスト教を伝えた人物。
④ルイス=フロイスは織田信長やと豊臣秀吉と親交を持ち、のちに『日本 史』を著した人物。
①
②徳川吉宗ではなく田沼意次の内容。吉宗は株仲間結成令を出して、株仲間 を公認した。
③田沼は株仲間の結成を積極的に認めた。
④株仲間再興令( 年)が出されるのは阿部正弘が老中首座のときである。
②
①赤痢菌ではなくペスト菌。赤痢菌を発見したのは志賀潔。
③『東京日日新聞』ではなく『横浜毎日新聞』。『東京日日新聞』は 年に 創刊された政府御用新聞。
④河竹黙阿弥ではなく川上音二郎。河竹黙阿弥は明治維新後に散切物などを 書いた歌舞伎作者。
④
①カイロ会談( 年)では日本が無条件降伏するまで戦うなどからなるカ イロ宣言が発表された。
②ポツダム会談( 年)では日本軍の無条件降伏などを求めるポツダム宣 言が発表された。
③マルタ会談( 年)では冷戦の終結が宣言された。
②
X正しい。
Y誤り。日ソ共同宣言( 年)により、ソ連と国交が回復し、日本の国連 加盟に反対していた常任理事国ソ連の支持が得られたことで、日本の国連加 盟が実現した。