中国の WTO 加盟と保険市場
外資系保険会社参入の影響
塔 林 図 雅
■アブストラクト
改革開放 の国策施行後,中国は長年の交渉を経て2001年にWTO加盟 を果たした。本稿では,WTO加盟から10年が経つ今,中国における保険市 場開放のプロセスを辿りながら,外資系保険会社による市場参入の影響を分 析した。とくに持続的な高度経済成長と市場開放の相乗効果により,中国保 険市場が急速な発展を遂げているなかで,戦略論の視点から外資系保険会社 の市場参入の考察を通じて,その背景にある中国固有の地域特性を浮き彫り にした。そして,地域の経済発展水準が外資系保険会社の市場参入基準にお いて,もっとも重要な前提要件となっていることを強調した。
■キーワード
WTO加盟,中国保険市場,外資系保険会社
1.はじめに
中国における対外的市場開放と規制緩和の実現が,その持続的な経済発展 に寄与するところが大きいといえる。国内の一連の改革は,3大改革(国有 企業改革,人事改革,金融改革)を中心に施行され,社会主義計画経済体制 から市場経済体制への漸進的な移行が実現した。国有企業において,従来の 国営企業の株式会社化改革を中心とする多面的改革により,競争メカニズム
*平成23年10月23日の日本保険学会全国大会(神戸学院大学)報告による。
/平成24年10月22日原稿受領。
を導入した。公務員改革を主とする人事改革は,肥大化する官僚システムの 改革を通じて,公務員採用に競争原理を導入し,間接的には国民の自立・自 助意識を高めた。金融改革は,国有企業の改革と密接に関連しており,産業 育成への資金提供や経済発展の円滑化のために機能した。
一方で,対外的開放は1980年代初頭,経済特区の試験的設置からスタート し,その後経済開放都市へと開放地域の範囲が拡大した。初期の対外開放の 経験と実績の下で,その後経済開放連帯地域へと徐々に対外開放への環境整 備が進み,急速な経済成長を実現した。世界経済のグロ⎜バル化は,労働集 約型輸出産業を主力とする中国にとって,さらなる飛躍のチャンスであり,
WTO加盟は中国の経済発展と国際社会の一員としての国際参加にも必要で あった。
本稿では,主に中国保険業におけるWTO加盟前後の変化について考察 し,市場開放が保険業の発展にどのような影響を与えたのかを検証する。と くに中国保険市場の開放プロセスを辿りながら,外資系保険会社の市場参入 に関する考察を主軸とし,保険市場の段階的な規制緩和を評価し,その影響 を論じることする。
本稿の構成は,以下の通りである。第2章では,中国経済発展にともなう 内在的および外在的要請によるWTO加盟のプロセスについて考察する。
第3章では,WTO加盟による中国保険業の市場構造の変化を考察し,第4 章ではその影響を戦略論の視点から論じる。
2.中国保険業における市場開放と WTO加盟プロセス
2.1 中国における市場開放と WTO加盟
1978年に中国政府が改革開放政策を施行以来,中国経済は急成長を実現し た。国内経済社会環境も大きく変貌し,中国政府は 社会主義市場経済体 制 と国民の ゆとりのある生活 の政策目標実現へ飛躍的な前進をした。
WTO加盟は,中国経済の世界経済との一体化を促し,自由競争の市場経済 原理が働く市場メカニズムに転換することによって,国策である 改革開
放 の実現が目的とされている。それには,次の3つの目的が含まれる。① さらなる改革開放の推進のためである。つまり,WTO加盟は中国が目指す 全方位的な改革開放にとって,必要不可欠であり,新たな時代を切り開いた ことの証として位置づけられる。②経済のグローバル化への参加のためであ る。つまり,中国がWTO加盟実現することによって,対外開放が加速し,
国際化,市場化,法制化の前進が期待される。③国内改革の加速のためであ る。つまり,国内経済の市場化と活性化をさらに進めるためである。
中国政府のWTO加盟約定を大きく3つの点に要約することができる。
①財市場とサービス市場の開放を含む市場開放に関する約束。②WTO加 盟後の輸出に関する約束。それには輸出保護手段と輸出商品の国外での待遇 が含まれている。③以上の約束の履行を保証するための諸体制作りに関する 約束。その対象は内国民待遇,透明性,統一した貿易制度の実施,法整備,
対外貿易の権利など幅広く含まれている。したがって,これらの公約を実現 するためには,国内経済システムの構築と市場規律の確立が重要である 。
また,WTOの原則は 公平な競争 と 選択の自由 であり,WTO加 盟は中国の経済発展と社会的な進歩を促進することが期待される。しかし,
競争力のない国内の弱小・未熟産業が外国資本の市場参入に強く影響される ことが懸念された。金融市場とくに保険業はそれに当てはまるため,保険市 場を含む金融市場の開放には,5年間の激変緩和措置が設けられた。
2.2 中国保険業における WTO加盟の経緯
1980年の保険業務再開から,WTO加盟前2000年までの中国保険業は,国 内環境整備期に位置付けられる。まずは,改革開放政策の施行にともない,
新規市場参入が認可され,中国人民保険公司の市場独占状態を解消する糸口
1) Potter(2001)は,特殊中国事情とくに社会経済制度を分析し,WTO加盟 に関する約定の履行や加盟後の制度の透明性と公平性を保つためには,法制度 改正がもっとも重要であると強調している。pp.592‑609。
に脚
本文 注が入らないため、強制的に送ります
が付けられた。さらに,平安保険公司 と太平洋保険公司 の設立によって 大手3社の体制が形成され,保険会社形態が多様化した。一方で,市場経済 システムに適用する保険監督体制,経営体制の確立に向けて,①初めての 保険法 の施行 ,②生損保の分割経営,③保険監督管理委員会(保監会)
の設立 ,④外資系保険会社の市場参入に関する規制緩和および制度構築が 進められた。
また,保険業を取り巻く経営環境が大きな転換期を迎え,社会主義計画経 済体制から社会主義商品経済,さらには社会主義市場経済体制が実現された。
これらの改革と環境変化は,現代保険制度の確立そして市場経済下の競争時 代の到来に向け,保険会社の 自助意識 と 市場競争意識 の向上を促進 したといえる。
外資系保険会社への市場開放は,中国にとって自国の幼稚産業である保険 業を保護育成することを優先しながら進めることを考慮する必要があった。
市場参入の制限条件について,大きく次の4つの制限,すなわち外資規制,
地理的制限,保険業務の制限,強制再保険の制限が設けられ,市場開放から 3年後,5年後の緩和措置によってWTO加盟の約定が実現され,2007年
2) 1988年に深圳市蛇口工業区招商局と中国工商銀行深圳信託投資公司の融資で,
深圳平安保険公司が設立された。これは中国初めての地域に業務を限定したロ ーカル保険会社である。その後,業務の拡大を受け1992年に中国平安保険公司 と社名を変え,全国範囲まで事業を拡大した。
3) 1986年に中国交通銀行が保険業務部を設置し,初めて中国人民保険公司の独 占的局面を打破した。1991年に中国人民銀行の業務分業経営規定によって,保 険業務部を撤廃し,太平洋保険公司を設立した。これは中国で初めて全国規模 で業務展開をした株式保険会社である。
4) 1995年に初めての 保険法 が施行され,国有保険会社の株式会社化改革お よび分社化,生損保の独立事業運営などを規定し,抜本的な制度改革が行われ た。
5) 保監会は1998年に保険業の行政監督機関として設立された。その背景に銀行,
証券,保険業の分業化の推進策の遂行がある。それと同時期に,銀行監督管理 委員会(銀監会),証券監督管理委員会(証監会)が設立された。これによっ て,人民銀行は中央銀行の機能を遂行する政策銀行へ組織変換した。
は保険市場開放元年となった(WTO加盟後の中国における保険の普及は,
図表1参照)。
外資規制については,外資系生命保険会社の出資比率の上限が50%までと なっており,合弁パートナーの選択に対する規制がない。損害保険会社の場 合,支店形式あるいは出資比率の上限が51%までとされた 。なお,合弁パ ートナーの選択は制限されていない。実質上,外資系生命保険会社の事業展 開が大きく制限され,100%単独出資の子会社方式と比較すると,合弁パー トナーとの企業文化の差異,市場戦略の遂行における行き違いや対立などが,
事業展開の足かせとなっている。
地理的制限については,中国市場参入時に外資系保険会社は限定された地 域のみにて保険販売が許された。その3年後に開放都市が拡大され ,2006 年12月以降は地理的制限が撤廃された。それは,外資系保険会社の脅威論,
図表1 中国における保険の普及度
( )内は,世界平均値。
保険密度=収入保険料/人口,保険深度=収入保険料/GDP 出典: 中国保険年鑑 各年度版,Swiss Re sigma統計デー
タより作成。
世界
順位 保険密度 (ドル) 保険深度 (%) 2.2 (7.83) 3.4 (7.94) 3.5 (7.49) 3.8 (6.89) 20 (393.3)
40 (511.5) 44 (533) 158 (785) 13位
11位 10位 6位 2001年
2004年 2007年 2010年
6) 2007年外資系損害保険会社の現地法人の設立が認められた。
7) 2001年の時点では,上海,広州,大連,深セン,仏山の5都市のみだった。
その3年後にさらに北京,成都,重慶,福州,蘇州,アモイ,寧波,瀋陽,武 漢,天津の10都市への市場参入が認められた。
つまり保険業界および保険研究者の間で外資系保険会社の市場参入ラッシュ が危惧されたことが,背景にあったからである。また普及が遅れている中西 部保険市場の保護のためでもあった。しかし,全面開放後の外資系保険会社 の市場参入戦略を分析してみると,後に述べるように,地域制限解禁後の外 資系による内陸地域市場への積極的な参入がみられない半面,むしろ依然と して東部沿岸地域をメインターゲットとする市場戦略に変わりはなかった。
保険業務の制限について,参入当時に生命保険商品の販売制限が厳しかっ たが,その3年後には個人向け健康保険,年金保険,団体保険の販売が解禁 された。一方,損害保険業務に関する規制において,地域制限のないマスタ ー保険契約が可能となった。外資系損害保険会社は,市場参入の当初から国 外企業や在中国外資系企業向け業務を中心としてきたが,2006年12月以降は 損保業務に関する制限が撤廃された。その後の展開をみると,外資系生命保 険会社は積極的な商品開発に取り込んでいるが,外資系損害保険会社は主力 商品である自動車保険分野への参入が遅れをとっており ,むしろ責任保険 など企業保険分野に強みを持っている。
強制再保険規定について,外資系保険会社は中国再保険公司へ強制的に再 保険の出再を義務付けられていた。それに対して,5年間の緩和措置を通し て,徐々に出再率が引き下げられ,最終的に廃止することが決定された 。
8) 強制加入の 自動車交通事故責任強制保険 は,従来許認可を受けた中国資 本の保険会社にのみ引き受け権利が与えられていた。しかし,外資系損害保険 会社の要請と国内市場の安定性を鑑み,中国政府は2012年3月に 国務院関於 修改 自動車交通事故責任強制保険条例 的決定 ( 自動車交通事故責任強制 保険条例 の改正に関する国務院の決定)を公布し,同5月1日より施行した。
同 決定 は,外資系保険会社にとって,強制自動車保険分野が開放されるこ とを意味しており,自動車保険市場の完全開放が実現された。それに対して,
東京海上日動火災保険株式会社は,年度内に中国人向けの自動車保険市場に参 入することをいち早く表明した。日本経済新聞(2012年5月2日付)を参照。
9) 外資系保険会社に課された強制再保険制度を具体的にみると,出再義務が個 人保険および健康保険の10%から3年後に5%まで引き下げられ,損保の場合 10%から同じく5%へ引き下げとなり,2006年12月以降はこのような強制的出 再義務が解除された。
2001年12月に中国がWTO加盟を実現後,段階的な市場開放が始まり,
保険業における競争環境の整備期に入ったといえる。それにともない,①外 資系保険会社の市場参入ラッシュ ,②大手3社の海外上場 ,③中国資本 の保険会社による新規参入の活発化とローカル保険会社の躍進 ,④さらな る規制緩和の進展 を受け,市場競争が多元化・複雑化し始めた。
3.WTO加盟後の中国保険市場の現状
3.1 WTO加盟後の中国保険市場の構造変化
中国保険市場の開放は,WTO加盟後新規参入が急増した結果,2010年末 の会社数(生損保ともに)は2004年の2倍近くになっている。それにともな う市場競争激化の相乗効果によって,大手3社の市場寡占力が低下しており,
新規市場参入が活発化している(図表2,3)。
また,大手保険会社の金融グループ化が進んでおり,多角化経営によるさ らなる市場獲得競争が予想される。一方で,中小保険会社は地域密着型の経
10) 外資系による中国保険市場へ進出の始まりは,1992年にアメリカAIA保険 グループが初めてであった。なお, 中国保険年鑑 の統計によれば,外資系 保険会社数は2001年の21社(うち生保11社,損保10社)から,2010年末までに は47社(うち生保28社,損保19社)へと急増した。
11) 2003年7月,損害保険の最大手である中国人民保険公司の組織改革が行われ た。つまり, 中国人民財産保険股份有限公司(損保業務) と 中国人保資産 管理険有限公司 に2社化され,それを傘下に統括する持ち株会社 中国人保 控股公司 を設けた。一方で,生保最大手である中国人寿保険公司も2社化さ れ,持ち株会社である 中国人寿保険集団公司 が設立され,その傘下に 中 国人寿保険股份有限公司 を設け,2003年8月にニューヨークおよび香港の証 券取引所にて上場した。平安保険グループは,2004年6月初めて新規株式発行 に踏み切り,香港証券取引上所にて上場した。太平洋保険グループは,1994年 に初めて増資を行い,全国規模での事業展開を実現した。
12) 中国において,地域経済格差により地域間保険特性が顕著である。中国保険 業における地域特性について,塔林図雅 (2011a) を参照されたい。
13) 具体的には,資産運用の規制緩和,商品の規制緩和,価格の規制緩和などが 挙げられる。ただし,それはあくまで漸進的な規制緩和であり,条件付き自由 化である。
営戦略を取っている。西部地域において,最大手の保険会社(中国人寿と PICC)がすべての省・自治区に支社を設けているのみであり,平安保険グ ループと太平洋保険グループでさえ選別的な地域戦略を展開している。つま り,規模の格差による保険会社間の経営戦略の相違が,地域経済格差の影響 を受け一層鮮明化している。
その背景には,消費者の所得増加と生活水準の向上による保険料負担能力 の上昇,経済生活の多様化・複雑化にともなうリスク社会の到来に対応する ための個人や企業の潜在的保険ニーズの高まりがあり,保険市場の拡大に大 きく影響している。そのほか,保険需要要因として,地域別の経済発展水 準・産業構造,社会保障制度の整備状況,教育水準が大きく影響する 。
14) ほか(2011)pp.43‑50。
図表2 中国生命保険市場の構造変化
注)CR3は上位3社,CR5は上位5位の累積市場集中度を表しており,中国保険 市場における上位1位から3位までの各保険会社の市場シェアを合計したも のである。
出典:中国保険監督管理委員会HPより作成。
成しています 図表がはいらないため、アキを作
なお,市場成果に関する研究は,主に市場開放後の保険会社の経営効率に 関する検証が中心となっている。Yaoほか(2007)は,DEA分析手法 を 用いて,生損保会社の技術的効率性(1999年〜2004年のデータ)を実証分析 した 。そこでは,技術的効率性の比較において,外資系保険会社が優れて いるという研究成果を示している。しかし,その実証分析期間は市場開放前 後を対象としており,保険規制の基準が異なる要素を配慮していない。また,
2004年までは市場開放にともなう規制緩和の激変緩和期であり,外部環境要 因の影響を無視したため,保険会社の効率性評価の客観性が問われる。
それに対して,黄(2009a) はDEA分析手法でとくに外部環境要素を考 図表3 中国損害保険市場の構造変化
出典:中国保険監督管理委員会HPより筆者作成。
15) DEA(Data Envelopment Analysis) (包 絡 分 析 法) 分 析 法 と は,1978年
にCharms等によって開発された経営分析手法の一つである。最も優れたパ
フォーマンスを示した事業体(企業)を基に 効率的フロンティア を計測し,
このフロンティアを一つのベンチマークとして他の事業体の業績評価,効率値 を測定する方法論である。新古典派経済学に見られる生産関数と同様に,事業 体(企業)を産出物(Output(出力))を生産するために,投入要素(Input
(入力))を使う変換プロセスを持つものとみなし,事業体がいかに効率的に運 営されているかを判断する目安としてより少ない入力で,より大きな出力が得 られる方が効率的であると見なせる。
16) 投入要素指標は従業員数,資本であり,産出物指標は収入保険料,保険金総 額&利潤,資産運用収益である。
慮した分析を行った 。ここでは,外部環境要因が保険会社の経営効率に幅 広く影響していると指摘した。そして,技術的効率性において,外資系の効 率性が中国系より高いことを示している。しかし,保険業の発展にとってネ ックとなっている地域経済格差要素を配慮していないため,考察が不十分と いわざるを得ない。
Chenほか(2009)は,DEA分析手法で外資系生保と中国系生保の効率 性・生産性比較を行った 。比較の結果,外資系保険会社の全体的な効率性 が高いことを示した。しかし,技術的効率性の比較において,中国系保険会 社のほうが高いという見解を示している。しかし,実証研究用データの蓄積 が不十分な上に,外資系生保会社の市場参入後の時間が短いため,資本規制 などの諸規制要因を考えた場合,経済効率の比較における客観的な基準の制 設定が困難であると言わざるを得ない。先行研究による分析の切り口が異な るものの,そこから得られる総合的な研究成果に基づけば,保険会社の経営 効率が改善されたことを確認できる。ただし,経営効率が改善した会社には,
外資系と中国系大手保険会社,さらには中小保険会社も含まれており,事業 規模や資本規模による顕著な特徴がみられない。
3.2 外資系保険会社の市場参入状況
そもそも保険産業はドメスティックな性格が強いため,WTO加盟後中国 保険業をめぐる規制緩和が進んでいるものの,参入障壁が依然として高く,
外資系のマーケットシェアが伸び悩んでいる(図表4)。参入障壁の主な源 泉は,規模の経済性,投下資本の大きさ,製品差別化・スイッチングコスト,
規模と独立したコスト劣位,政府の規制という5つの源泉がある。保険業の 公共性と保険商品の特殊性に勘案して考えると,参入障壁としての政府規制
17) 投入要素指標は従業員数,資本,営業費用であり,産出物指標は収入保険料,
総投資資産である。
18) 投入要素指標は,従業員,固定資産であり,産出物指標は銀行預金,生命保 険収入保険料,資産運用収益である(2001〜2007のデータ)。
がもっとも大きな影響を及ぼす 。
地域別参入状況をみると,東部・中部地域は外資系と中国系の保険会社間 競争の中心地帯となっている。後発の外資系保険会社には,競争激化してい る東部地域を避け,中部地域を市場参入拠点と選択する傾向がみられる。し かし,四川省・重慶市 を除く西部地域に関しては,外資系保険会社は依然 見込みのある市場として考慮していない(図表5)。
外資系保険会社のもっとも特徴的な戦略は,資本参加による中国保険市場 への間接的なコントロール力の強化である。つまり,現地法人の設置や合弁 会社の設立のほか,中国系保険会社への25%以下の出資を積極的に行ってい る。とくに,世界トップ規模の金融グループ会社のコングロマリット化 による優勢が存在し,金融市場において,総合的な影響力が高まっている。
19) 青島・加藤(2003)p.62。
20) 重慶市は,もともと四川省に属していたが,1997年に中央政府の直轄市に昇 格され,行政区分上は省レベルに当たる。西部地域において,その他の省と比 較すれば,四川省と重慶市の人口と経済規模が突出している。
21) 中国生命保険業における保険と金融の融合について,塔林図雅(2012)を参 照されたい。
図表4 外資系保険会社の市場規模の推移
出典:中国保険監督管理委員会HPより作成。
つまり外資系保険会社のほとんどがグローバル事業展開をしている金融グル ープ会社であり,保険業を中心とした中国市場参入というより,中国金融市 場全体がその参入の中核をなしている。
また,生命保険商品販売における銀行窓口販売チャネルへ過度に依存する 背景には,中国消費者の保険に対する認識が映し出されている(図表6)。
つまり,保険を生活リスクの移転手段,経済保障手段として捉えるより,一 種の投資手段としての関心が高い。そのため,外資系や中国資本の保険会社 が挙ってその潜在的保障ニーズを掘り起こすことに軸足を置いた市場開拓戦 略を展開してきた結果,保障型より投資型・貯蓄型保険商品の売れ行きが好 調を保っている 。一方損害保険市場において,外資系保険会社の存在感は まだ薄く,今後自動車保険市場への本格的な参入を展開できるかどうかが,
家計分野へのアプローチを左右する。
22) しかし,市場競争の激化にともない,さまざまな消費者トラブルや問題点が 露呈され,中国保険監督管理委員会 (CRIC) は,とくに保険の銀行窓口販売 をめぐる諸規制を強化している。
図表5 外資系保険会社の地域別市場参入状況(2010年)
出典: 中国保険年鑑 (2011)より筆者作成。
4.中国保険市場の開放と外資系保険会社の戦略
4.1 外資系保険会社の中国市場参入戦略
伊丹(2008)は,経営戦略を 市場の中の組織としての活動の長期的な基 本設計図 と定義している。その基本設計図の中核部分と展開部分をそれ ぞれ中核戦略と展開戦略と定義している 。さらに, 中核戦略は基本設計 図のもっとも中心的な部分として事業活動の基本枠組みを決め,展開戦略は その枠の中での事業の運動としての展開の指針を決める として,2つの 戦略の役割を区別している。そして,戦略を成功させるには戦略的適合,つ まり戦略の内容が,戦略を取り巻くさまざまな要因とうまくマッチした状態 を実現することが重要であると強調している。
具体的に,企業の戦略体系を6つの戦略的適合として捉え,企業の経営活 動を分析できる(図表7)。つまり,市場適合には顧客適合と競争適合が融 合することによって,戦略的競争力を高めながら,顧客へのさまざまなアプ
図表6 中国系と外資系生保会社間の販売チャネルの比較(2010年)
出典:王(2011)pp.11‑17より作成。
23) 伊丹 (2008)p.2。
24) 伊丹 (2008)p.4。
25) 中核戦略は,次の3つの内容を内包する。①製品・市場ポートフォリオ,② 業務活動分野,③経営資源ポートフォリオの設計をする部分であるもっとも中 核的な枠組みである。展開戦略は,中核戦略を土台としながら企業の特徴に合 った諸対策を展開する手段である。伊丹 (2008)p.4。
(収入保険料ベース)
ローチが可能になると同時に,競争相手に優位を保つことができる。それを 実現するためには,ビジネスシステムと技術の適合によってインタ⎜フェイ ス適合機能を高める必要がある。それは,企業が独自に保有する技術や組織 能力であり,コアコンピタンスを実現できるカギとなる。一方,企業の内部 適合は,資源適合と組織適合という2つの側面から経営資源の活用を通じて ビジネスモデルの構築に寄与する 。
26) 伊丹(2008)は,戦略のもう一つの定義を 企業や事業の将来のあるべき姿 を,そこに至るまでの変化のシナリオ としている。また, 戦略の原因は顧 客のニーズ, ターゲットとして狙う顧客 の明確化がもっとも重要である と指摘している。
図表7 戦略的適合の全体像
出典:伊丹(2008)p.25,青島・加藤(2003)p.115に基づき,修正加筆。
それに従えば,外資系保険会社 が広大な国土を有する中国で事業展開 するにあたっては,市場適合戦略(つまり顧客適合戦略と競争適合戦略)に よって,マーケットを絞り込みながら参入地域を選別することが重要となっ てくる。地域の経済発展度,地理的,市場環境の成熟度は,外資系保険会社 のロケーション選択にとって前提要件である。そのため,中国の地域間経済 格差が著しい経営環境において,外資系保険会社は経済発展レベルと市場開 放度の高い東部地域へ集中的に市場参入を果たしている。それは,営利目的 を追求する民間保険会社にとって,合理的な市場戦略であるといえる。
顧客適合戦略として,消費者のニーズを掘り起こし,保険商品の販売につ なげていけるかが課題となる。また,それと関連して重要となるのは,販売 チャネルの選択である。競争優位を実現するため,独自の保険ノウハウや技 術システムの構築能力,つまりコアコンピタンスが問われる。外資系保険会 社は特化型販売を重視しており,銀行窓口販売あるいは精鋭エージェントに よる保険募集を行っている。
内部適合戦略として,主に資源適合戦略と組織適合戦略の問題である。つ まり,いかに経営資源を効率よく集中させ,事業展開をするかが課題となっ ている。とくに,現地人材の確保と組織の柔軟性を高めることが重要な戦略 となる。したがって,自社の企業文化に賛同できる人材の育成が,今後中国 保険市場で戦略体制を整えていくうえでもっとも力を入れる必要性がある。
27) 中華人民共和国外資企業法 第2条と 中華人民共和国中外合資企業法 第4条の規定によれば,中国で事業展開をする 外資系保険会社 には3つの 経営形態が含まれる。これに従い,本稿では 生命保険・損害保険を問わず,
外国保険会社の資本参加による出資比率が25%以上である保険会社 を外資系 保険会社と定義づけることとする。詳細は,塔林図雅 (2011b) を参照された い。外資系保険会社の中国市場への参入形態は,合弁会社方式(出資比率が生 保は50%まで,損保は51%まで),資本参加(出資比率が25%以下)と現地法 人(損保のみ)の方式が存在する。
4.2 保険市場の開放と外資系保険会社参入による影響
中国保険市場は,新興市場としての潜在成長性が高く,外資系資本にとっ て魅力的な市場である。しかし,外資系が新規中国保険市場に適したビジネ スモデルを構築するのに時間がかかるため,現時点における外資系保険会社 による新規参入の影響は限定的である。その大きな要因は,中国市場自体が 未熟な市場であり,不均衡市場でもあるからである。外資系保険会社の市場 参入とそれにともなう保険事業の市場化(自由化)の影響について,Laver- tyほか(2009)では,地域制限と商品制限の撤廃を受け中国資本の保険会 社の技術的効率性と生産性も向上傾向にあり,今後さらなる成長の余地があ ると指摘している。 ・江(2008)と江ほか(2009)は,市場開放体制下の 生命保険と損害保険業をそれぞれ産業組織論の観点から研究し,外資系の市 場参入が保険市場の有効競争,保険会社の経営効率を高めたと主張している。
多くの外資系保険会社が東部沿岸地域を選定したことは,今後の事業展開 に有利であり,その市場で成功するためにいかなる競争優位性を発揮できる かがカギとなる。東部沿岸地域は,中国経済のけん引役であり,第3次産業 がもっと発展している地域でもある。いうまでもなく,これらの地域住民の 平均所得も高く,中国全土から優秀な人材が集まるため,人材の確保が容易 なうえ,消費意欲も高い。これこそ外資系保険会社にとって魅力的であり,
スムーズな事業展開を可能にする前提である。
東部沿岸地域において,外資系保険会社のブランド戦略が功を奏している。
グローバル企業として社会的信用度が高く,ブランド志向の先進地域の消費 者心理を捉えやすい。また,外資系保険会社は特化型チャネル戦略を武器に,
銀行窓口販売や通販型に特化することに力を入れてきた 。また,知名度を 高めると同時に契約獲得のため,独自のチャネルに合った商品戦略を展開し ている 。
28) たとえば,新規参入の外資系保険会社のなか,銀行窓口販売チャネルや電話 販売だけに特化した会社も存在する。
29) たとえば,銀行窓口にて職員は保険商品を資産運用の一環として客に勧める
また,消費者の保険意識とくに保険利用による自助意識・保障意識が低い 問題も大きな課題となっている。なお,外資系保険会社の商品戦略やチャネ ル戦略のアプローチからみれば,ローカル物件のマーケット開拓が進んでい ない。本格的な国内市場の開拓に多くの課題が存在する。中国消費者の価値 観と保険ニーズにあった商品戦略,差別化戦略が必要である。
外資系保険会社にとって,中国保険市場への参入は事業展開の幕開けに過 ぎず,今後さらなる長期的な経営戦略ビジョンが必要である。外資系保険会 社が新たな市場で顧客創出を図っていくなかで ,中国資本の保険会社との 競合や提携を通じて,市場規律の導入と保険サービスの質的向上が期待され る。青島・加藤(2003)は,企業の戦略は外部と内部要因の影響を受けると 指摘しており,またそれがどのようなプロセスで波及効果をもたらすかを論 じている。つまり,収益の源泉を外部の要因とプロセス,内部の要因とプロ セスの4つのセッションから論理展開ができる(図表8)。そこで,ポジシ ョンニング・アプローチでは,業界構造などを体系的に把握し,自社に有利 なポジションを発見するための諸対応によって,的確に自社の 位置づけ を確認する。資源アプローチでは,企業が独自に保有する経営資源の活用で ある。ゲーム・アプローチは,外部からの競争圧力・構造的圧力に対して,
積極的に外圧を変えていく特徴がある。学習アプローチは,自社の蓄積され た資源を再認識するうえで重要な手段である。つまり目に見えない情報や知 識に着目しながら,実現できなかった計画や失敗した戦略の見直し,ライバ ル企業の成功経験の分析などを通して,次段階戦略の実行力を高めることを 重点的に行う特徴がある。
傾向が強く,投資型や貯蓄型保険商品が圧倒的な人気を博している。
30) ドラッカー(2001)は,企業にとってマーケティングとイノベーションだけ が,真の企業価値を生み出すし,企業の目的である顧客創出を実現できると指 摘している。
に送ります 本文に表が入るため強制的
外資系保険会社は,新規市場参入のため,自社の位置づけをまず確認しな がらポジションニング・アプローチを展開する。そのうえ,いかに先進的保 険ノウハウを生かせながら競争優位を発揮できるよう資源アプローチに重点 を置くこととなる。一方,中国系保険会社は,外資系保険会社の市場参入に 対抗するためには,ゲーム・アプローチと学習アプローチに力点を置いた戦 略が重要であろう。保険市場の競争は,新規参入の増加によりその激しさを 増していっているが,競争優位をもたらす経営資源,真似されない経営資源 の蓄積をするための 戦略成功の本質は,戦略的適合にある 。また,そ の一方で,競争だけではなく,協調も重要であり,保険産業全体の繁栄につ ながる。
なお,中国保険業の成長において地域特性が強く働くため,地域別の保険 監督行政の柔軟性を高めていくことが必要であり ,保険事業全体の健全な 発展を促進できる保険経営環境を整えることが重要である。
5.結 語
中国保険市場において,WTO加盟に期待される効果は自由競争による保 図表8 戦略論の4つのアプローチ
出典:青島・加藤(2003)p.26。
外
内 利 益の 源 泉
ポジションニング・アプローチ ゲーム・アプローチ
資源アプローチ
要 因 プロセス
注目する点
学習アプローチ
31) 伊丹(2008)p.21。
32) DʼArcy(2003) では,厳しい規制を敷く中国の保険監督体制は,市場開放 以前には自国の保険業の育成と発展にとって有効であったが,WTO加盟後は 新規参入にとって構造的な障壁になりかねないとしている。p.17。
険市場の活性化である。とくに外資系保険会社の市場参入を認めることによ って,先進的な保険技術やノウハウの移転が期待された。本論では,WTO 加盟後の保険市場開放のプロセスを辿りながら,市場構造の変化や外資系保 険会社が先進地域の市場に特化して参入したことによる中国保険市場への影 響を考察した。WTO加盟後の中国保険市場における規制緩和が進展し,保 険会社間のマーケット獲得のための競争が激しさを増しており,諸制度整備 が比較的に進んでいる。保険市場開放による競争促進効果が中国保険事業の 健全な発展に寄与している。ただし,外資系保険会社の影響は,全国規模で はなく限定的といえる。東部沿岸地域における外資系の競争力が大きく,中 国資本の保険会社との市場獲得競争が激しさを増しており,事業規模の拡大 が期待される。
しかし,保険事業の特殊性と中国の地域経済格差の深刻さにより,外資系 保険の市場浸透度が依然低い。外資系保険会社にとって,参入障壁が依然高 く,許認可のプロセスにおいて手続きの効率化が要請される。また,限られ た地域で,制限された経営戦略施行によって,外資系保険会社は競争優位性 を十分に発揮できない状況下にある。
このように,市場開放を受け中国保険市場の市場構造が大きく変化してお り,経済成長とWTO加盟にともなう新規参入による相乗効果が大きいと いえる。市場競争の激化とくに価格や新規保険商品競争の進行,保険会社の 経営効率の向上などが市場の発展を大きく助長している。また,保険市場に おける公正な自由競争によって,よりよい保険サービスをより適正な価格
(保険料)で利用できれば,それは消費者にとってベストであり,消費者利 益向上も実現できる。
(筆者は慶應義塾大学通信教育部非常勤講師) 参考 献
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81 →注 が 1 行 落 ち る の を 防ぐため、行 オ 17H→行 オ 16・25H に な っ て い ます。注意
→1 行 落 ち る の を 防 ぐ ため、いつも と 違 う ア キ に な っ て い ます
注意
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