化学と生物 Vol. 50, No. 11, 2012
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今日の話題
呼吸能低下株は高い好気エタノール発酵能と熱耐性を同時に獲得する
Zymomonas mobilis 呼吸欠損株の新しい機能
エタノール発酵と言えば多くの読者諸氏が酵母菌をイ メージされるかと思うが,酵母菌以外にも一部の細菌,
藻類,さらには植物までエタノール発酵を行うことが知 られている.その中で は,1924年 にメキシコの発酵酒プルケから単離されたグラム陰性の 通性嫌気性の細菌で,テキーラの醸造菌としても知られ ている. は酵母菌よりもエタノール発酵速度 が格段に速く,またエタノール生産収率も高い.酵母菌 と比べて遺伝子数も1/3程度(約2,000個)で単純なゲ ノム構造を有することから,バイオエタノール生産菌と してバイオテクノロジーの絶好の対象とされてきた.
通常エタノール発酵菌は嫌気状態では多くのエタノー ルを生産するが,好気条件下ではほとんど生産しない
(パスツール効果).酵母菌の場合では好気条件ではクエ ン酸回路,呼吸鎖を経由して酸化的リン酸化で高効率に ATPを合成することで,嫌気条件(エタノール発酵)
と比べて高い増殖能を示す.一方で において は好気条件下では酵母菌とは異なる現象を示す.すなわ ち, はクエン酸回路が機能しておらず細胞内 のNADH量が乏しい.NADHは呼吸鎖とエタノール発 酵の両方で必要とされるため,好気条件下ではエタノー ル発酵のためのNADHが不足する.この結果,エタ ノール合成の前駆体のアセトアルデヒド(有害物質)が 細胞内外に蓄積し, は好気条件下では増殖能 とエタノール生産能が著しく低下する.
筆者らは抗生物質耐性株から好気条件下においても高 いエタノール発酵能(好気エタノール発酵能)を示す
変異株を複数単離することに成功した.解析 の結果,これらは呼吸の機能が低下した呼吸欠損株であ ることが明らかとなり,RDM (Respiratory-Deficient Mutants) 株と命名した(1).このRDM株は人為的な遺 伝子組換え体(2)以外では初めての 呼吸欠損株 であった.RDM株は静置条件でも高いエタノール生産 能を示し,エタノール理論収率で換算すると97.4%にも 達した.酵母菌の理論収率が90 〜93%であることから,
RDM株は高エタノール生産株であることが示された.
酵母菌においても一部の株(呼吸欠損株を含む)が好気 エタノール発酵能を示すことが報告されているが,
RDM株はこれらよりも発酵速度やエタノール生産収量 において上回る.また 遺伝子を導入したペン
トース発酵性の組換え や
も好気エタノール発酵能を示すが,こ れらと比較してもRDM株の発酵速度は遜色なく,生産 収率も上回ると推定される.また,さらに興味深いこと に,RDM株は熱耐性も同時に有することが明らかと なった.すなわち,39℃では(最適増殖温度は30℃)
静置培養下において野生株より7倍以上のエタノール生 産性を示した(1).
さらに,DNAマイクロアレイを用いた全遺伝子の発 現解析が行われ, 呼吸欠損株が好気発酵能と 熱耐性を同時に獲得したメカニズムについても調べられ ている.その結果,RDM株は野生株と比べて好気条件 下においてグルコース‒エタノール代謝経路の全遺伝子 の発現が活性化していた(1).また,これまで大腸菌や乳
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酸菌の呼吸欠損株は細胞内へ流入する酸素量が減少する との報告がある.RDM株においても,細胞内の活性酸 素濃度が野生株よりも低かった(1).RDM株は野生株に 比べて菌体の長さが短い(3) (図
1
A).細胞の長さは酸化 ストレスに関係があるとの報告があることから,RDM 株の細胞内酸化ストレスの低下が示唆されている.さら に,好気培養下ではRDM株は呼吸鎖によるNADHの消 費量が減少するため,多量のNADHをエタノール発酵 に利用できると考えられるが,実際にそうであり,アセ トアルデヒドの蓄積も見られない.以上の結果から RDM株では多くのNADHがエタノール発酵へ振り分け られること,および,細胞内酸化とアセトアルデヒドの 蓄積からくるストレスの減少によって,グルコース‒エ タノール代謝経路が活性化した結果,高い好気エタノー ル発酵能を獲得したと考えられる(図1B).一方で酵母 菌の高温条件下における主要なストレスは酸化ストレスであるという複数の報告を考慮すれば,RDM株が同時 に熱耐性を獲得した理由も細胞内酸化ストレスの低減と いう解釈から説明できる.
先にも触れたが, (野生株)の呼吸鎖は好 気条件下においては自身の増殖を阻害するように振る舞 う. にとって呼吸鎖は一見不要なものに思わ れるが,進化の過程で淘汰されず呼吸機能が保持されて いることは,この呼吸鎖には呼吸以外の別の細胞内機能 があるのではないかと推定されている.まだ詳細は明ら かではないが,最近, 呼吸鎖の別機能の一つ として細胞内酸化ストレス抑制因子としての機能が報告 された(4).現在予想されている の呼吸鎖を図
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に示した. はゲノム解析の結果,チトクロ ム オキシダーゼ(複合体IV)が存在しないことが明ら かとなっているが,それ以降の酸素分子への電子伝達の 活性は確認されている(4).チトクロム ぺルオキシダー 図1■ 呼吸欠損株の電子顕微鏡写真 (A) と好気発酵能の獲得メカニズム (B)図2■推定される 呼吸鎖 の概略図
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ゼが複合体IVの代役を担っているというデータもある が(5),最近それを否定する報告もあり(4), 呼 吸鎖の完全解明には至っていない.この呼吸鎖の情報を 基にすべてのRDM株に対して変異している呼吸鎖酵素 の特定を行ったところ,RDM株はNADHデヒドロゲ ナーゼ(複合体I),シトクロム 型ユビキノールオキ シダーゼ,シトクロム ぺルオキシダーゼのいずれかの 呼吸鎖酵素の活性が低下していることが明らかとなっ た.特に興味深いことにNADHデヒドロゲナーゼ活性 低下株は,RDM株間で最も高い好気エタノール発酵能,
熱耐性,エタノール生産収率を示すことがわかった.こ の結果から,NADHデヒドロゲナーゼ欠損が高機能エ タノール生産菌の創出において特に重要であることが明 らかとなった(3).おそらく,NADHデヒドロゲナーゼ 欠損は活性を補完できるほかの呼吸鎖酵素がないため
(乳酸およびグルコースデヒドロゲナーゼの電子伝達活
性は極めて弱い)呼吸能をほぼ完全に消失し,特に低い 細胞内酸化ストレスを生じたと考えられる.今後,
RDM株にさらなる機能増強が施され,高機能エタノー ル生産菌としてバイオエタノールなどの生産現場で活用 されることが期待されている.
1) T. Hayashi, Y. Furuta & K. Furukawa : , 111, 414 (2011).
2) U. Kalnenieks, N. Galinina, I. Strazdina, Z. Kravale, J. L.
Pickford, R. Rutkis & R. K. Poole : , 154, 989
(2008).
3) T. Hayashi, T. Kato & K. Furukawa : , 78, 5622 (2012).
4) I. Strazdina, Z. Kravale, N. Galinina, R. Rutkis, R. K. Poole
& U. Kalnenieks : , 194, 461 (2012).
5) K. Charoensuk, A. Irie, N. Lertwattanasakul, K. Sootsu- wan, P. Thanonkeo & M. Yamada :
, 20, 70 (2011).
(林 毅,古川謙介,別府大学食物栄養科学部)
石 田 健(Ken Ishida) <略歴>1988 年東京大学農学系大学院博士課程終了/学 術振興会特別研究員 (DC, PD),東京大学 農学部助手,講師,助教授を経て現在,大 学院准教授<研究テーマと抱負>秩父山 地,奄美大島,阿武隈山地をフィールドと する,生態系管理研究.主な対象は,鳥類 と樹木集団(特にドングリ).苔は3年,
葉陰に30年と思ってじっくり取り組むよ うなことに興味がある<趣味>苔庭,コー ヒー
今 村 伸 太 朗(Shintaro Imamura) <略 歴>2003年東京水産大学大学院水産学研 究科博士後期課程修了/2004年ハーバー ド大学医学部(博士研究員)/2007年水産 総合研究センター中央水産研究所/2011 年同主任研究員<研究テーマと抱負>魚類 におけるタンパク質分解系の可視化技術と 生理的意義の解明<趣味>フライフィッシ ング
今村 美穂(Miho Imamura) <略歴> 2001年九州大学理学部地球惑星科学科卒 業/2003年九州大学大学院生物資源環境 科 学 府 生 命 機 能 科 学 専 攻 修 了 /2003年 キッコーマン株式会社入社研究本部(現研 究開発本部)/2006年商品開発本部/2009 年研究開発本部.入社以来,一貫して官能 評価に従事<研究テーマと抱負>しょうゆ の美味しさの秘密を明らかにしたい! そ して,和食の素晴らしさを世界中に広めた い!<趣味>食べ歩き,旅行
鵜高 重三(Shigezo Udaka) <略歴>
1953年東京大学農学部農芸化学科卒業/
同年協和発酵工業(株)/1963年理化学研 究所研究員,同副主任を経て,1971年名 古屋大学農学部教授/1994年同大学名誉 教 授 / 同 年 東 京 農 業 大 学 教 授(〜 2004 年 ).こ の 間,シ カ ゴ 大 学 ポ ス ド ク(2 年 ),ハ ー バ ー ド 大 学 フ ェ ロ ー(1年 )
<研究テーマと抱負>私どもがこれまでに
開発した,アミノ酸やタンパク質を微生物 で生産する技術を最大限に活用して,人類 の福祉に貢献する研究の道を少しでも切り 開きたい
緒 方 靖 哉(Seiya Ogata) <略 歴> 1964年九州大学農学部農芸化学科卒業/
1969年九州大学大学院農学研究科農芸化 学専攻博士課程修了.農学博士/同年九州 大学農学部助手/1977年同助教授/1978
〜 1979年米国ウィスコンシン州立大学薬 学 部 研 究 員 /1987年 九 州 大 学 農 学 部 教 授/2000年九州大学大学院農学研究院教 授 /2003年 九 州 大 学 名 誉 教 授 /2003 〜 2010年崇城大学工学部(現 生物生命学 部)応用微生物工学科教授<興味をもって いること>若い研究者へ:好奇心,探究 心,そして感動 <趣味>昆虫採集