[要旨]
近年、国際社会が重大な人道危機に対処できていない現状から、保護する責任
(R2P)
に対する懐疑や落胆が広まっている。しかし、R2Pの理念自体は国際的に承認されてお り、いま問われているのは、R2Pを反故にすることではなく、その理念を実現する方途 を見出すことである。そのために、まずR2Pと国家建設/平和構築の錯綜した関係、ま た、R2Pの本来の意味を再確認する必要がある。そして、R2Pと国家建設/平和構築の 関係を再考することで、R2Pの今後の展望として「責任ある主権」の構築、すなわち
「主権構築」という方途が浮上する。さらに、R2Pに基づく「責任ある主権」の構築は、
平和構築あるいは平和形成に対して独自の意義を有する。その意義とは、平和構築にお ける「正当性」の欠損を補 し、平和形成における共通目標ないし指針を示しうるとい うことである。以上のように
R2Pを捉え直した場合、日本が果たすべき役割は大きいと
いうことも見えてくるだろう。はじめに
2021年8
月31日、アフガニスタンから米軍が完全に撤退した。撤退完了後、バイデン大統領は、他国の再建のためにアメリカが大規模な軍事作戦を行う時代は終わったと明言した(1)。 冷戦終結後には、不安定な国家や地域で紛争が頻発し、国際的な関与または介入による「国 家建設
(state-building)
」が国際社会の主要な課題となったはずであった。しかし、2001年にタ リバン政権を放逐してから20年、米軍はアフガニスタンに駐留し、国家建設に関与し続けて きたが、皮肉にも、再建されたのはタリバン政権であった。米軍とタリバンの交代劇は、ま さに国際的な国家建設プロジェクトの黄昏を象徴している。無論、国家建設に対する国際的な認識は、近年になって劇変したわけではない。冷戦終結 直後にフクヤマは、自由民主主義が最終的な勝利を収め、「歴史は終わる」と論じた(2)。しか し、冷戦後に試みられた数々の国家建設または「平和構築
(peace-building)
」の事例とともに、こうした議論は素朴な楽観論であるという疑念や批判が蓄積されてきた。また、国際社会は、
不安定な国家や地域でジェノサイドや民族浄化が発生するのを未然に防ぐこと、発生してし まった場合に早期に事態を収束させること、つまり重大な人道危機から人々を「保護する責 任
(responsibility to protect: R2P)
」を果たすことに失敗し続けてきた。結果論として、冷戦終結という夜明けは、国家建設の黄昏へと一歩ずつ歩を進めてきたのである。
本稿は、このような状況のなかで、改めてR2P概念の意義と今後の方向性を検討する。近 年、国家建設に対する認識と同様に、R2P概念に対する懐疑や落胆も広まっているが、同概 念は今後の方途を指し示す灯火となりうるだろうか。以下では、まず考察の土台として、国 家建設とR2P概念の錯綜した関係を確認する。次に、その帰結として、R2Pに依拠した国際 介入が失敗を半ば宿命づけられていたことを、2011年のリビア介入に触れながら考察する。
そして、リビア介入後の展開に着目し、国家建設の黄昏のなかで、むしろR2P概念の重要性 が再浮上しうることを論ずる。その際、問うべきは「何を構築するのか」である。最後に、
今後、日本が果たしうる役割に簡潔に触れて、小論を閉じたい。
1 R2P
の誕生と錯綜:国家建設(state-building)
と平和構築(peace-building)
周知のとおり、R2P概念は
2001
年末に「介入と国家主権に関する国際委員会(ICISS)
」に よって提唱され、その後、国際的な論争の的となった(3)。同概念は、奇しくも9・11米国同 時多発テロおよびアフガニスタン介入と同じ年、また2003年のイラク戦争と同時期に誕生し たため、当初から国家建設および平和構築との複雑な関係を抱え込まざるをえなくなった。R2P概念をめぐる議論の展開と国家建設/平和構築をめぐる議論の展開は、実質的には重な
り合っている。しかし、実際上、R2Pと国家建設/平和構築は注意深く峻別され、両者の混 同が避けられつつも、それぞれの議論が大きな流れとしては類似する展開をたどってきた。本節では、この奇妙に錯綜した関係を確認し、R2P概念を再検討するための土台作りを行う。
まず、国家建設/平和構築をめぐる議論の展開を概略しておこう(4)。冷戦後に主流となっ たのは、国際的な関与あるいは介入により、脆弱国家を自由主義的な国家モデルに沿って作 り直すという「自由主義的かつトップダウンの国家建設」であった。しかし、こうした国家建 設は、西洋的な価値基準を押し付ける「新たな植民地主義」であると批判された。実際、国際 的な主体が正当性を得ることは難しく、多くの国家建設が暗礁に乗り上げた。その結果、
2000
年代には、自由主義的な国家モデルよりも「現地(local)
」の伝統や規範、オーナーシップを 重視する「ポスト自由主義的なボトムアップのアプローチ」へと議論が傾くこととなる(5)。 また、それに伴い、国際秩序の維持というトップダウンの目的を含意する「国家建設」より も、現地社会の再建を重視する「平和構築」という語が頻繁に使われるようになった(6)。さらに、2010年代には、自由主義とポスト自由主義の二項対立を止揚し、両者を混合させ る「ハイブリッドな国家建設/平和構築」論が盛んになってきた。具体的なハイブリッドの あり方についてはさまざまな議論がある。例えば、国際機関と現地政府が協力し、現地の伝 統や制度を取り入れるのも一つの方策である。また、そうしたエリート層による公式の取り 組みだけでなく、草の根レベルの主体とその潜勢力、そして公式および非公式の活動による 自生的かつ動態的な「平和形成
(peace formation)
」の過程に注目する議論もある(7)。以上のよ うに、大きな展開としては、特定の国家モデルを目指して公式の制度や仕組みを構築してい く国家建設から、現地の伝統や規範を重視して現地社会を再建する平和構築、そして、より 多様な主体が織りなす流動的かつ多彩な平和形成の過程へと議論の重心が遷移してきた。こうした展開をもたらした誘因の一つは、国家建設/平和構築における「正当性」への着 目である。現地の人々による正当性の認否が国家建設/平和構築の成否を左右するという認 識が広まり、現地における正当性(local legitimacy)をいかに確保するかが重要な課題として 浮上してきたのである(8)。自由主義的な国家建設がこの点に大きな問題を抱えていたことは 論を俟たない。その反省から、実質的には、国際主体と現地主体が一定期間、主権を共有す る(sovereignty-sharing)ことになる国家建設/平和構築の取り組みにおいて、「現地政府の同 意」と「善意の目的」に基づく「関与自体(intrinsic, input)の正当性」および「実績」に基 づく「関与成果(output)の正当性」が不可欠であると指摘されている(9)。
では、R2P概念をめぐる議論は、上述の展開といかに交錯してきたのか。R2P概念は、当 初、重大な人道危機を「予防する責任」、人道危機が発生してしまった場合に「対応する責 任」、対応後に「再建する責任」という三つの段階を包括する概念として提示された。また、
ICISS
は「再建する責任(responsibility to rebuild)」との関連で、平和構築における現地のオー ナーシップの重要性に簡潔に触れている(10)。ただし、全体としては自由立憲主義的な国家建 設と国際秩序の維持が、R2P概念の理論的な基盤となっていた(11)。ところが、R2P概念の誕 生直後から、同概念と国家建設/平和構築の関係を論ずることが忌避されるようになる。な ぜなら、同時期に始まったアフガニスタンとイラクへの武力行使および事実上の国家建設に 対する疑念と批判が、R2P概念にも飛び火したからである。その結果、ICISSや
R2P
概念の支持者は、同概念について議論を発展させる前に、繰り返 し、人道的介入や対テロ戦争との相違を説明することを強いられた(12)。また、それにとどま らず、ICISSが核心と考えていた「対応」時の強制措置に関しても、R2P概念に対する国際的 な支持を集めるため、国連憲章の規定を再確認するというような抑制的な議論にトーンダウ ンせざるをえなかった。さらに、強制的な対応の後に実施することが想定されていた「再建」についても議論が避けられ、R2P概念と国家建設/平和構築の間に意識的に懸隔が設けられ ることとなった(13)。両者の間に奇妙な錯綜が生じ、その後の展開に暗い影を落とすことにな ったのである。次に、その帰結として、R2P概念が解体・再構築された経緯を概略し、「再 建」の段階を欠いたR2Pの実践が失敗を半ば宿命づけられていたことを論ずる。
2 R2P
の再建と隘路:国家の能力構築(capacity-building)
R2P概念の船出は前途多難であったが、20
年の間に、徐々に国際的な共通理解が形成され、R2P概念自体が否定されることはほぼなくなった。転換点となったのは、2005年の国連総会
首脳会合(世界サミット)である。同サミットでは、R2Pを盛り込んだ「成果文書」が採択さ れ、R2Pは国際社会が議論を継続すべきアジェンダとして認められた(14)。ただし、それにはR2P概念の大幅な修正が必要であった。その後、2009
年に潘基文が初めてR2Pを主題とする国連事務総長報告書を提出し、成果文書を基にR2Pを「三つの柱」からなる概念として再構 築した(15)。こうした展開は、大きくは国家建設/平和構築の展開と重なり合っている。ただ し、R2P概念をめぐる議論には、独自の展開をもたらす力学も働いている。結果的には、そ れが尾を引き、近年、R2Pの実践が隘路に差し掛かっている。
まず、成果文書と事務総長報告書で、R2P概念がいかに再構築されたのかを確認しよう。
成果文書は三つの段落でR2Pに触れている。その特徴は、各国が自国の人々を保護する「国 家ないし政府の対内的な責任」を最も重視した点にある。ICISSが当初、人道危機が発生し た際の「国際社会の責任」に力点を置いていたのと対照的である。この転換に伴い、武力行 使を含む強制措置は国連憲章を順守して決定することが再確認された。また、平和構築は成 果文書の別の節で説明され、意識的にR2Pから切り離された(16)。その代わり、国際社会には、
各国が対内的な責任を果たせるように「支援する責任」が課された。つまり、R2P概念の予 防・対応・再建という三つの段階が解体され、R2Pと平和構築の峻別が図られる一方、各国 の「能力構築(capacity-building)」が主要課題として前景化されたのである。
そして、2009年の事務総長報告書は成果文書で示された
R2Pの特徴を発展させ、R2P
を三 つの柱からなる概念として再構築した。三つの柱とは、各国が自国の人々を保護する「国家 の保護責任」(第一の柱)、各国の責任の履行を国際的に支援する「国際支援と能力構築」(第 二の柱)、国家が責任を果たさない場合に国際社会が適切に対処する「適時かつ断固とした対 応」(第三の柱)である(17)。この再構築に含意されているのは、人道危機への「対応」や対応 後の「再建」よりも人道危機が発生する前の「予防」を重視し、予防のために「各国の統治 能力を強化する」という考え方である。実際、事務総長報告書では、R2Pの目的は主権を「強化」し、それによって「国家」の成功を助けることであると明言されている(18)。
敷衍すれば、R2P概念の展開は、自由主義的かつトップダウンの国家建設との混同を避け、
現地のオーナーシップを重視する方向に転換された。ただし、それと同時に、R2Pは平和構 築とも峻別され、平和構築に関する議論のように多様な主体を包摂していく意識は希薄であ った。R2P概念における現地主体は、基本的に国家ないし政府である。そして、各国が国内 秩序を維持し、人道危機を予防するために、統治能力を強化することが第一義的な目的とさ れた。とはいえ、こうした展開をもたらす誘因は、そもそもR2P概念に胚胎していたと言え る。なぜなら、ICISSが「国家主権」をその名に冠しているとおり、R2P概念の核心は国家主 権を「責任」中心の概念として再構成し、国際的な共通理解として定着させることにあった からである(19)。つまり、国家を中心とする思考が暗黙の前提となっていた。
結果的に、R2Pの下で「構築する(building)」べきものは、機能的に分節化ないし断片化さ れた国家の諸能力に切り詰められた(20)。しかし、平和構築との切り離しは、ほどなくリビアで 隘路に直面した。2011年のリビア介入は、当初、R2Pの「教科書的な事例」と見なされた(21)。 ただし、強制措置を許可した安保理決議
1973は、実際はリビア政府の責任
(R2Pの第一の柱)に言及しているのみであり、国際社会がいかに
R2Pを果たしていくのか不明瞭である
(22)。つ まり、介入後の平和構築に対する国際社会の責任は軽視あるいは看過されたのである。その 結果、事実として「体制転換」に至った後も、リビアは不安定化したままとなっている。も ちろん、現地の要請に応じて、治安部門などの能力構築支援はなされたが、あくまで「あま り足跡を残さない(light footprint)」形の支援であった(23)。R2P概念の誕生からちょうど10
年目に行われたリビア介入は、R2Pにかかわる事例として最も注目されたが、その反動で、同概念への懐疑や落胆を深めることにもなった。実際、
2010
年代にはシリア、イエメン、ミャンマーなど、多くの国で重大な人道危機が発生し、R2Pが果たされているとは言い難い。もちろん、そうした状況はさまざまな要因が絡まり合
った結果であり、原因を単純化することはできない。しかし、国家建設/平和構築をめぐる 議論との錯綜のなかで、R2P概念の「再建する責任」は「国家の能力構築支援」を中心とす る議論に切り詰められた。また、人道危機後の「足跡を残さない」支援は、当然、それ相応 の「実績」を残すにとどまるだろう。こうしたR2P概念の展開は、人道危機に適切に対処で きていない現実と相まって、R2Pの実践を自縄自縛するような状況をもたらしている。3 R2P
の根本と展望:責任ある主権構築(sovereignty-building)
では、R2P概念はもはや無用の長物なのか。国際社会の状況をかんがみれば、R2Pへの評 価や期待が棄損されていくのも故なしとしない。しかし、その一方で、R2Pはすでに外交上 の共通言語として定着している。例えば、前述の事務総長報告書が2009年に提出されてから
2021
年までに、R2Pは80本の安保理決議と60
本の人権理事会決議で言及されている(24)。ま た、2009年以降、毎年、事務総長がR2Pを主題とした報告書を提出し、国連総会で公式また は非公式の討論が行われている。俯瞰的に見れば、R2Pはまだ誕生して20年足らずの発展途
上の概念である。今後の発展と運用は、国際的な議論と共創の過程に委ねられている。事実 として、リビア介入後も議論は続いており、興味深い展開も見られる。そのため、R2P概念 の意義と議論の展開を改めて検討し、今後の方途を探っていくことが重要になろう。まず、確認しておくべきは、R2Pの第一の柱(国家の保護責任)と第二の柱(国際支援と能 力構築)には、ほとんどの国が支持を表明している点である。換言すれば、国際的な強制措 置も含まれる第三の柱に対する懸念や疑念は根強いが、それ故に、むしろ強制的な介入を招 かないように、各国が自らの責任で、国際社会の支援を受けながら、自国内で重大な人道危 機が発生するのを「予防」することには異論はないということである。そのため、特に2011 年以降、R2Pをめぐる議論は、紛争予防または「虐殺予防(atrocity prevention)」を中心とす るようになってきた(25)。そして、実際上、人道危機前の予防と事後の平和構築に関する取り 組みは、多くが重複あるいは類似している。これまでR2Pと平和構築は疎遠な状況が続いて いたが、両者の関係を精査し、両者を再統合していくことは有意義であろう(26)。
また、その際、R2P概念と国家建設/平和構築をめぐる議論の展開、および
R2P
概念の本 来の意味を再確認する必要がある。前述のとおり、国家建設/平和構築をめぐる議論は、自 由主義的な国家建設からハイブリッドな平和構築、多様な主体が織りなす流動的な平和形成 へと展開してきた。R2Pの下でも、国家ないし政府以外の多様な主体を包摂しつつ、現地重 視に偏重しない再建の過程を視野に入れていくべきであろう。実際、事務総長報告書でも、国家だけでなく国連や地域機構、市民社会の能力構築が求められている(27)。ただし、平和形 成は、多様で動態的な過程を視野に入れるため、結局、何を形成するのか「目標」が不明瞭 にならざるをえない。論理的には、目標それ自体も平和形成の過程で形成されるわけだが、
現実に、多様な主体が協力して平和に向かうような力学を生み出せるかは定かではない。
R2Pと平和形成をかけ合わせる際、上記の難点には注意を要する。しかし、むしろその点
でR2Pは独自の意義をもつ。本来、R2Pは「責任」を中心とする主権概念、すなわち「責任 としての主権(sovereignty as responsibility)」を理論的な基盤としていたが、現実に人道危機が 起きる場所には、そもそも「責任ある主権(responsible sovereignty)」が存在しない場合が多 い。そのため、R2Pを果たすには、まず「責任ある主権」の実現、いわば「主権構築(sover-
eignty-building)
」が必要となる(28)。R2Pをめぐる議論において、各国の主権の「あり方」を問うことは盲点または禁句となってきたが、実際は、事務総長報告書で説明されている第一お よび第二の柱にはこの主権構築が含意されている(29)。そして、主権とは特定の領域における
「最高の権威」の謂いであり、「責任ある主権」の共創と維持は、多様な主体による紛争予 防/平和構築に一定のまとまりと方向性を醸成する共通目標・指針となるだろう。
敷衍すれば、R2Pが未来を切り開くための一つの方途は、「責任ある主権」という根本を見 つめ直し、何を構築するのかを問い直すことである。R2Pを果たすために構築するべきもの は、国家の能力に限定されない。むしろ主権構築こそ根本的な目標である。ただし、これま で「責任ある主権」とは何かが必ずしも明確にされてこなかった。そのため、今後の課題と して、いかなる要件を満たせば「責任ある主権」と見なせるかを議論し、共通理解を形成し ていく必要がある。平和形成の観点を借りれば、主権構築が正当性を得るために、責任ある 主権には、少なくとも人々中心(popular)、不可分(indivisible)、自生的(spontaneous)という 要件が含まれるべきであろう(30)。ここで言う「不可分」とは、権力の独占や領域的一体性で はなく、多様な主体を包摂した「人々の総体」を基体とするという意味である(31)。
こうした主権構築/平和形成は当然、さまざまな困難を伴う。正当性の確保は、とりわけ 難題である。長期的に自生的な主権の構築が目指されるとしても、人道危機の収束後、短期 的には国際主体と現地主体による「主権の共有」が不可避である。しかし、概して主権の共 有は歓迎されず、正当性を獲得し、維持していくのは容易ではない(32)。いきおい主権の共有 が拙速に打ち切られ、平和構築が暗礁に乗り上げることも多い。そのため、正当性をなるべ く高い水準で、長く維持する必要があるが、この点でもR2Pには意義がある。選挙などの仕 組みを通じて現地の人々の代表または代理人と認められる術がない国際主体にとって、「関与 自体の正当性」の獲得・維持は困難である。ただし、R2Pの理念自体は国際的に受容されて おり、その理念を順守することが正当性の欠損を補填することにつながるからである(33)。
おわりに
本稿は、R2P概念の意義と今後の方向性を検討するために、まず、国家建設、平和構築、
R2P概念という三者が錯綜した関係にあることを概観した。次に、その三者をめぐる議論と
実践を背景に、R2P概念と国家建設/平和構築が峻別され、R2Pの主要課題として国家の能 力構築が前景化されたこと、また、その帰結として、R2Pに依拠した国際介入が失敗を余儀 なくされたことを確認した。そして、R2P本来の意味を再確認し、平和構築/平和形成との 関係を考察することで、R2Pの今後の展望として「主権構築」という方途が垣間見えてくる こと、さらに、平和構築/平和形成においてR2Pが独自の意義を有することを示した。その 意義とは、R2Pに基づく「責任ある主権」の構築が平和形成における共通目標・指針となりうる、また、平和構築における正当性の欠損を補填しうるということである。
もちろん、主権構築という方途がどれほど有望なのか楽観はできない。現状を省みれば、
見通しは決して明るくないだろう。しかし、R2Pの理念自体は、すでに国際社会の広範な承 認を得ている。また、人々のR2Pへの希望も失われてはいない。2021年
2月 1
日にミャンマ ー国軍によるクーデターが発生した後、ミャンマーの人々は「We Need R2P」というプラカ ードを掲げて抵抗運動を行った(34)。いま問われているのは、私たち自身の「応責性(responsi-bility)
」である。R2Pはまだ課題も論争も多い概念だが、R2Pを反故にするのではなく、その理念を実現するための方途を見出すことが、保護を求める人々の声に応える道ではないか。
国家建設の黄昏のなか、R2Pは未来への灯火としていっそうの重要性を帯びてきている。
こうした観点から見るならば、日本が果たすべき役割は大きい。まずは、R2Pに対する議 論と理解を深めることである。上記クーデターの2ヵ月後、自衛隊統合幕僚長を含む
12ヵ国
の国軍参謀長等が、R2Pに言及してミャンマー国軍を非難する声明を出した(35)。日本政府関 係者が公式声明でR2Pを訴えるのは初めてである。ところが、その後、日本で議論と理解が 深まったとは言い難い。その原因は、R2Pと「人間の安全保障(HS)」を峻別し、後者を重視 する意識が強いからであろう。しかし、この峻別もまたR2Pを隘路へと差し向けている。主 権構築を中心にR2Pを実現していくならば、むしろR2P
とHSの関係を再考し、その関係を再 構築していくことが理に適っている。これまで、日本はHSの議論と実践を牽引してきた。そ の日本が先導役を担えば、国際的な議論と実践が大いに促進されるだろう(36)。また、日本は、R2Pと
HSの関係を再構築したうえで、多様な主体の間に立ち、対話を通し
て平和構築/平和形成/主権構築を進める「グローバル・ファシリテーター(Global Facilita-tor)
」の役割を担っていくこともできるだろう(37)。言い方を変えれば、日本政府や他の主体 は、多様な主体間の人間関係・社会関係の構築および継続的な対話を可能にするプラットフ ォームを形成し、また、自らも多様な主体の間を架橋するプラットフォームになりうる(38)。 こうした取り組みを通して「責任ある主権」を共創し、維持していく主権構築は、結果的にR2Pの正当性を高め、関与自体の正当性を支えるという好循環ももたらしうる。R2P
概念自体はまだ誕生したばかり、いわば黎明の中にある。その未来は、私たちの議論と実践を通じ た共創の過程、そして私たちが人々の求めにいかに応じるか(応責性)に委ねられている。
(1) The White House, “Remarks by President Biden on the End of the War in Afghanistan(August 31, 2021),”
https://www.whitehouse.gov/briefing-room/speeches-remarks/2021/08/31/remarks-by-president-biden-on-the-end- of-the-war-in-afghanistan/(最終閲覧:2022年2月1日).
(2) Francis Fukuyama, The End of History and the Last Man, Free Press, 1992.
(3) International Commission on Intervention and State Sovereignty(ICISS), The Responsibility to Protect, Inter- national Development Research Centre, 2001.
(4) 国家建設/平和構築をめぐる議論の展開は、藤重博美・上杉勇司・古澤嘉朗編『ハイブリッドな 国家建設―自由主義と現地重視の狭間で』ナカニシヤ出版、2019年などを参照。
(5) 自由主義的な国家建設に対する批判の初期の例として、Roland Paris, “Wilson’s Ghost: The Faulty Assumptions of Post-conflict Peacebuilding,” in Chester A. Crocker et al. ed., Turbulent Peace: The Challenges of Managing International Conflict, USIP Press, 2001, pp. 765–784、また、ポスト自由主義的アプローチの代
表的な論者として、Oliver P. Richmond, “A Post-Liberal Peace: Eirenism and the Everyday,” Review of Inter- national Studies, Vol. 35, Issue 3, 2009, pp. 557–580を参照。
(6) 国家建設と平和構築は明確に使い分けられていないことも多いが、両者の区別については、上杉 勇司「国家建設と平和構築をつなぐ『ハイブリッド論』」藤重・上杉・古澤編、前掲書(注4)、81- 82ページなどを参照。
(7) Oliver P. Richmond, Failed Statebuilding: Intervention, the State, and the Dynamics of Peace Formation, Yale University Press, 2014.
(8) Oliver P. Richmond and Roger Mac Ginty eds., Local Legitimacy and International Peacebuilding, Edinburgh University Press, 2020.
(9) John D. Ciorciari, Sovereignty Sharing in Fragile States, Stanford University Press, 2021, pp. 25–32.
(10) ICISS, op. cit.(注3), pp. 39–45.
(11) 西海洋志『保護する責任と国際政治思想』国際書院、2021年、115―121ページ。
(12) 例えば、ICISSの共同議長であったエヴァンスの著作では、「5つの主要な誤解」を解くために多 くの紙面が費やされている。Gareth Evans, The Responsibility to Protect: Ending Mass Atrocity Crimes Once and For All, Brookings Institution Press, 2008, pp. 56–71. それにもかかわらず、R2P概念の誕生当初に なされた批判と同様の批判が、現在もしばしばなされている。例えば、Philip Cunliffe, Cosmopolitan Dystopia: International Intervention and the Failure of the West, Manchester University Press, 2020.
(13)「再建」の後景化については、Albrecht Schnabel, “The Responsibility to Rebuild,” in W. Andy Knight and Frazer Egerton eds., The Routledge Handbook of the Responsibility to Protect, Routledge, 2012, pp. 50–63など を参照。
(14) UN Document, A/RES/60/1(24 October 2005), “2005 World Summit Outcome,” paras. 138–140.
(15) UN Document, A/63/677(12 January 2009), “Implementing the responsibility to protect”(Report of the Sec- retary-General).
(16) UN Document, A/RES/60/1, paras. 97–105; Alex J. Bellamy, “The United Nations and the Responsibility to Rebuild,” in Oliver P. Richmond and Gëzim Visoka eds., The Oxford Handbook of Peacebuilding, Statebuilding, and Peace Formation, Oxford University Press, 2021, pp. 276–278; Outi Keranen, “What Happened to the Responsibility to Rebuild?” Global Governance, Vol. 22, No. 3, 2016, pp. 338–339.
(17) UN Document, A/63/677, para. 11.
(18) Ibid., para. 10.
(19) ICISS, op. cit.(注3), pp. 12–13; UN Document, A/63/677, para. 10.
(20) 実際には、国連をはじめとする国際機関などの能力強化もR2Pの課題に含まれる。この点につい ては、3節で触れる。
(21) Gareth Evans, “Responding to Mass Atrocity Crimes: The Responsibility to Protect(R2P)After Libya and Syria,” Public Lecture, Central European University School of Public Policy, Budapest, 24 October 2012, http://
www.gevans.org/speeches/speech496.html(最終閲覧:2022年2月1日).
(22) UN Document, S/RES/1973(17 March 2011). 本決議で許可された強制措置が、R2Pの実践に含まれる か否かは議論がわかれる。例えば、千知岩正継「リビア紛争に対する保護する責任(R2P)の適 用?」『社会と倫理』第27号、2012年、9―28ページなどを参照。
(23) リビア介入後の平和構築/国家建設の概要については、Roland Friedrich and Francesca Jannotti Pecci, “Libya: unforeseen complexities,” in Paul R. Williams and Milena Sterio eds., Research Handbook on Post-Conflict State Building, Edward Elgar Publishing, 2020, pp. 430–452.
(24) Global Centre for the Responsibility to Protect(GCR2P), “R2P References in United Nations Security Council Resolutions and Presidential Statements,” https://www.globalr2p.org/resources/un-security-council-resolutions- and-presidential-statements-referencing-r2p/; GCR2P, “R2P References in United Nations Human Rights Council
Resolutions,” https://www.globalr2p.org/resources/un-human-rights-council-resolutions-referencing-r2p/( 最 終 閲覧:2022年2月1日).
(25) 西海洋志「保護する責任(R2P)とリビア後の展開の再検討―紛争予防論の系譜と『第2.5の柱
(Pillar Two-and-a-half)』?」日本国際連合学会編『国連研究』第22号(特集テーマ:持続可能な開 発目標と国連―SDGsの進捗と課題)、国際書院、2021年、133―156ページ。
(26) Bellamy, op. cit.(注16), pp. 283–286.
(27) UN Document, A/63/677, paras. 6, 45.
(28) Touko Piiparinen, “Sovereignty-building: three images of positive sovereignty projected through Responsibility to Protect,” Global Change, Peace & Security, Vol. 24, No. 3, 2012, pp. 405–424.
(29) UN Document, A/63/677, paras. 13–16.
(30) Piiparinen, op. cit.(注28).
(31) Ibid., p. 419.
(32) Ciorciari, op. cit.(注9), pp. 44–45.
(33) Ibid., pp. 28–29.
(34) さまざまな記事で、このプラカードの写真が掲載されている。例えば、右記URLを参照。https://
www.internationalaffairs.org.au/australianoutlook/the-responsibility-to-protect-the-people-of-myanmar/(最終閲 覧:2022年2月1日).
(35) 英語原文は“A professional military . . . is responsible for protecting . . . the people it serves” というやや間 接的な表現にされているが、日本語では「保護する責任」と訳されている。U.S. Department of Defense, “Joint Statement of Chiefs of Defense Condemning Military-Sponsored Violence in Myanmar”(March 27, 2021), https://www.defense.gov/News/Releases/Release/Article/2552778/joint-statement-of-chiefs-of- defense-condemning-military-sponsored-violence-in/; 統合幕僚幹部「ミャンマーにおける同国軍による 暴力行為を非難する各国参謀長等による共同声明(仮訳)」(2021年3月28日)https://www.mod.go.
jp/js/Press/press2021/press_pdf/p20210328_01.pdf?fbclid=IwAR1-36Sq5HV2HjzSr1Mdr_MgKpdnG5- Mnk5zVVirtbZYTyNEezyWHAG21Zk(最終閲覧:2022年2月1日).
(36) 政所大輔「保護する責任の実施と人間の安全保障―国際支援に着目して」日本国際連合学会編
『国連研究』第18号(特集:多国間主義の展開)国際書院、2017年、151―177ページ。
(37) 東大作「平和構築における正統性確立の課題」東大作編『人間の安全保障と平和構築』日本評論 社、2017年、49ページ。
(38) 上杉、前掲論文(注6)、89、98―100ページ。
にしかい・ひろし 聖学院大学准教授 [email protected]