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国 語 - 須磨学園

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(1)

2019年度 須磨学園高等学校入学試験

国  語

(注 意)

 解答用紙は、この問題冊子の中央にはさんであります。まず、解答用紙を取り出して、

受験番号シールを貼り、受験番号を記入しなさい。

1.すべての問題を解答しなさい。

2.解答はすべて解答用紙に記入しなさい。

3.試験終了後、解答用紙のみ提出し、問題冊子は持ち帰りなさい。

(2)

次の各問いに答えなさい。

問一  次の文章の空欄  A   B  に当てはまる語の組み合わせとして最も適当なものを後の選択肢の中から一つ選び、番号で答えなさい。

僕ガ昔カラ西洋ヲ見タガツテ居タノハ君モ知ツテルダロー。ソレガ病人ニナツテシマツタノダカラ残念デタマラナイノダガ、君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往タヤウナ気ニナツテ愉快デタマラヌ。モシ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ)。

  この手紙は、  A  に留学中の夏目漱石に向けて、自然を見たままに詠む新たな俳句のあり方を唱えるとともに、近代短歌の確立にも深く関わった  B  が病床から書いたものである。

1   イギリス     石川啄木 2    イギリス      北原白秋 3    イギリス      正岡子規 4   ドイツ      石川啄木 5    ドイツ       北原白秋 6    ドイツ       正岡子規 問二  次のの短歌の句切れについて、「○句切れ」の○の部分の数字の合計 00000を答えなさい。なお、初句切れの場合は「」と数えること。

  清 きよみづ水へ祇 をんをよぎる桜月夜こよひ逢 ふ人みなうつくしき

  金 こんじき色のちひさき鳥のかたちして銀 杏散るなり夕日の岡 をか

  海恋し潮 しほの遠鳴りかぞへては少 女となりし父 ちちはは母の家(以上、与謝野晶子)

問三  次のについて、熟語の構成が同じものの組み合わせとして最も適当なものを後の選択肢の中から一つ選び、番号で答えなさい。

  公文書      衣食住      審美眼   門外漢      好景気      市町村 1  ア    イ   

2  ア    ウ    3  イ    ア    4  イ    ウ    5  ウ    ア   

6  ウ    イ    問四  国学者である本居宣長は、『源氏物語』の本質をどのように表現したか。最も適当なものを次の選択肢の中から一つ選び、番号で答えなさい。  からごころ      もののあはれ

  をかし        ますらをぶり

問五  次の会話文中の空欄  X   Z  に当てはまる語句の組み合わせとして最も適当なものを後の選択肢の中から一つ選び、番号で答えなさい。

「この前、お父さんと一緒に、大阪の日本橋で  X を鑑賞したよ」

「私、あまり知らないんだけど、どういう感じなの?」

「三人一組になって人形が操られ、  Y  の伴奏とともにストーリーが進行していくんだよ」

「あ、思い出した。  Z  が江戸時代に脚本家として有名になった芸能だよね」

1   歌舞伎     三味線    Z 松尾芭蕉

2    歌舞伎      琵琶     Z  竹本義太夫

3    浄瑠璃      三味線    Z  近松門左衛門

4   浄瑠璃     笛      Z 松尾芭蕉

5   狂言      琵琶     Z 竹本義太夫

6    狂言       笛      Z  近松門左衛門

問六  次の会話文中の    線部「易」の適当な読みを、後の語群も参考にしながらカタカナ 0000で答えなさい。

「今年のセンター試験の数学は難化したらしいね」「国語は易化したって新聞に書いてあったよ」

語群  ──  安易   貿易   交易   容易

問七     線部の主語として最も適当なものを後の選択肢の中から一つ選び、番号で答えなさい。

「いま監督が呼び寄せた彼こそ、僕が絶大な信頼を寄せるチームのエースだ。」

  監督が      彼こそ      僕が   絶大な      寄せる      チームの

(3)

次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

  私が何ごとかをなすとき、私は意志をもって自分でその行為

を遂行しているように感じる。【  a  人が何ごとかをなすの

を見ると、私はその人が意志をもって自分でその行為を遂行し

ているように感じる。しかし、「自分で」がいったい何を指し

ているのかを決定するのは ヨウ ⌇⌇イではないし、そこで想定され

ているような「意志」を行為の源泉と考えるのも難しい。

  われわれはしばしば行為を「意志の実現」と見なす。しか

し、以上の短い検討だけでも、そのような見方が少しもダ トウ ⌇⌇

でないことが分かる。これだけ多くの条件によって テイされ

ているのだとすれば、行為はむしろ、それら諸条件のもとでの

諸関係の実現と見なされるべきだろう。このことは心のなかで起こることを例にすると より分かりや

すくなるかもしれない。【  b  、想いに耽 ふけるといった事態はど

うだろうか?

  私が想いに耽るのだとすれば、想いに耽るのはたしかに私

だ。だが、想いに耽るという プロセスがスタートするその最初

に私の意志があるとは思えない。私は想いに耽るぞと思ってそ

うするわけではない。何らかの条件が満たされることで、その

プロセスがスタートするのである。

  また、想いに耽るとき、私は心のなかでさまざまな想念が自

動的に展開したり、過去の場面が カイ ⌇⌇ソウとして現れ出たりす

るのを感じるが、そのプロセスは私の思い通りにはならない。

意志は想いに耽るプロセスを操作していない。

  心のなかで起こることが直接に他者と関係する場合を考えて

みると、事態はもっと分かりやすくなる。謝罪を求められた場

合を考えてみよう。

  私か何らかの アヤマ ⌇⌇⌇ちを犯し、相手を傷つけたり、周りに損

害を及ぼしたりしたために、他者が謝罪を求める。その場合、

私が「自分のアヤマちを反省して、相手に謝るぞ」と意志した

だけではダメである。心のなかに「私が悪かった……」という

気持ちが現れてこなければ、 他者の要求に応えることはできな

い。そしてそうした気持ちが現れるためには、心のなかで諸々

の想念をめぐる実にさまざまな条件が満たされねばならないだ

ろう。

  逆の立場に立って考えてみればよい。相手に謝罪を求めたと

き、その相手がどれだけ「私が悪かった」「すみません」「謝り

ます」「反省しています」と述べても、それだけで相手を許す

ことはできない。謝罪する気持ちが相手の心のなかに現れて 000

なければ、それを謝罪として受け入れることはできない。そう

した気持ちの現れを感じたとき、私は自分のなかに「許そう」 という気持ちの現れを感じる。  【  c  、相手の心を覗 のぞくことはできない。【  d  、相手が

偽ったり、それに騙 だまされたりといったことも当然考えられる。

【  e  、それは問題ではない。重要なのは、謝罪が求められた

とき、実際に求められているのは何かということである。

  たしかに私は「謝ります」と言う。しかし、実際には、私が 00

謝るのではない。私のなかに 00000、私の心のなかに、謝る気持ちが

現れる 000ことこそが本質的なのである。

  こうして考えてみると、 「私が何ごとかをなす I do

something 」という文は意外にも複雑なものに思えてくる。と

いうのも、「私が何ごとかをなす」という仕方で指し示される

事態や行為であっても、細かく検討してみると、私がそれを自

分の意志をもって遂行しているとは言い切れないからである。

  謝るというのは、私の心のなかに謝罪の気持ちが現れ出るこ

とであろうし、想いに耽るというのも、そのようなプロセスが

私の頭のなかで進行していることであろう。

(國 こくぶんこういちろう一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』による)

注1  プロセス …… 物事が進行している途中段階のこと。

(4)

の設問

問一  空欄【 a 】【 e 】に入る語句として最も適当なものを次の中からそれぞれ一つずつ選び、番号で答えなさい。

  だから      たとえば      また   だが       もちろん

問二

  「このこと」

(    線部)の意味内容として最も適当なものを次の中から一つ選び、番号で答えなさい。

  我々が行為の背景に当人の意志を見い出しがちであること。

  行為の背景には確固とした当人の意志が存在するということ。

  行為の背景には意志があるが、誰の意志なのかはわからないこと。

  行為の背景に当人の意志があるという考えは成立しがたいこと。

問三

なものを次の中から一つ選び、番号で答えなさい。 のように筆者が言うのはなぜか。その説明として最も適当   「    より分かりやすくなるかもしれない」(線部

  心のはたらきでは、行為の場合と比べて、その受動性や不随意性を自覚しやすいから。

  心のはたらきでは、行為の場合と比べて、より受動性や不随意性が高まることになるから。

  心のはたらきでは、行為の場合と比べて、結果ではなく過程がより重視されることになるから。

  心のはたらきでは、行為の場合と比べて、操作の及ばない過程は軽視されることになるから。

問四

  「他者の要求」

(    線部)とあるが、どのようなことを「他者」は「要求」しているのか。最も適当なものを次の中から一つ選び、番号で答えなさい。

  許してもらえるまで何度でも謝罪し続けること。

  自分の至らなかった点を十分に自覚して謝罪すること。

  謝罪の気持ちが現れるための内面的条件を満たすこと。

  謝罪の気持ちの現れを感じさせ許す気にさせること。 問五

    にも複雑なものに思えてくる」(線部)について、   「 I do something』という文は意外『私が何ごとかをなす

(ⅰ)筆者が「意外」だと言うのはなぜか。その根拠として最も適当な本文中の一文を    線部以前から抜き出し、その始めと終わりの三字をそれぞれ答えなさい。

(ⅱ)また「複雑なものに思えてくる」と筆者が言うのはなぜか。次の形式に合わせて最も適当な本文中の部分を十五字以内で抜き出して答えなさい。

【行為は       だから。】

※ただし、(ⅰ)(ⅱ)とも句読点などの記号も一字と数えます。

問六 

一つずつ選び、番号で答えなさい。 線部に相当する漢字を含むものをそれぞれ

①  ヨウ ⌇⌇

  この道具はヨウトが多い。

  食塩は水にヨウカイする。

  総力戦のヨウソウを呈する。

  脱税のヨウギで検挙する。

②  ダトウ ⌇⌇⌇

  社会問題をトウロンする。

  この目標はトウテイ達成できない。

  町会議員選挙でトウセンする。

  不動産にトウシする。

③ テイ

  ジョウギを使って線を引く。

  ジョウキを逸した行動に出る。

  ショウギを趣味として楽しむ。

  ショウキを失うほど驚く。

④  カイ ⌇⌇ソウ

  カイソウは食物繊維を多く含む。

  列車をカイソウして車庫に戻す。

  あらゆるカイソウの人に支持を受ける。

  古くなった店舗をカイソウする。

⑤  アヤマ ⌇⌇⌇

  小説に登場するカクウの団体。

  山間の市町村はカソに苦しんでいる。

  宇宙の誕生についての新しいカセツ。

  疑惑のカチュウにいる人物に会う。

(5)

  次の文章は歌人の河野裕子の随筆「たったこれだけの家

族」の一節であり、文章中に挿入されている短歌や選択肢と

して用いられている短歌もすべて筆者の自作である。これを

読んで、後の問いに答えなさい。

  四、五日の小さな旅行から帰ってくる。預けてあった子供た

ちに、四、五日ぶりで会う。「おや?」という気持ちになる。何

かよその子のような気がしてならない。私の子供としての感触

がなくなり、よその匂いというか、よその家の感じが子供たち

を包んでいる。私の子供ではない、というこの感じは、小旅行

のあといつも感じるものだ。

  家族とはしかし、親子兄弟、 つれあいであってもわからない

   X   であることに変わりない。ひとつ家の、ひとつ食

卓についている家族、夫婦と親子。 ことに ⌇⌇⌇夫婦というものは、

ひとことでつき崩れてしまう、はかない脆 もろいつながりである。

このはかなさを切実に感じるからこそ、関係を大切に必死で

守っているというのが、私の現状。

  父親役、母親役、子供役をやりながら、それぞれがすこしも

自分の役になじんでいないのも、家族という関係の中で考えて

みると当然のことかもしれない。私は、いまだに自分が母親で

あるとか主婦であるとか、妻であるとか、ましてやおばさんで

あるという実感に乏しい。たとえば、

        Y       という歌は、確かに母子の一体感を歌った歌にはちがいない

が、どこまでが自分なのか、自分が何なのかわからない、とい

う自分さがしの歌である訳なのだ。

  つきつめて思へば誰か分らざるあなたに夜 ごとの戸を開けて

待つ       (『桜森』)

  わが知るは君が片ぺん今君は 瓜けだるく肘つきて食ふ子の友が三人並びてをばさんと呼ぶからをばさんであるら

し可 笑し       (『はやりを』)

『桜森』や『はやりを』の中の私はよく動いている。ざんざん

ばらんと、蹴飛ばし、打ったり、抱きしめたり、つき放した

り、人を憎んだり、つまりは体ごと他者を問い求めているとい

うことだろう。

  私が何者なのか、相手が何者なのか、わからない。そのわか

らなさが、私を 駆りたてる ⌇⌇⌇⌇⌇のだろう。しかし、私が、他者が、

何者なのかわかることなど、もとよりできるはずはない。私の

歌は、その問いを問う現場の歌、問いを問うプロセスの歌なの

だろう。   手を洗ひ

を漱 すすぎてゐる背後伴侶といへる男が一人

  脚ながく太き筋肉もてる者ぬばたまの夜ごと見上げて不

可知       (『はやりを』)

  そして、

  たったこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山

道のぼる       (『はやりを』)

というのが、私の家族。

  これからも私は、 たったこれだけの家族にかかずらわって歌

を作ってゆく。今までの私は、歌の中でも、実生活の中でも、

動的にかかずらわってきた。そのことが主題でもあった。

  子供たちは、少しずつおとなの領域に近づいてくる。亭主

は、無給時代以上のエネルギーを使って、一日一日を渡りきる

ことを余儀なくされている。壮年期。家族の構図が、変わりつ

つある。これらの他者の間で、これからどんな風にやって行く

のか、私自身にはまるでわからない。

注1  つれあい …… 配偶者。パートナー。

注2  熟瓜 ………… よく熟した真 くわうり瓜。

(6)

の設問

問一 

で答えなさい。 なものを、次の各群の選択肢の中から一つずつ選び、番号 線部の本文中における意味として最も適当

  ことに   きっと   とりわけ   しかも   すなわち

  駆りたてる

  悩ませる

  落ち着かなくさせる

  不安にさせる

  突き動かす

問二  空欄  X  に入れる語として最も適当なものを、本文中から三字以内で抜き出して答えなさい。

問三  空欄  Y  に入れる短歌として最も適当なものを、次

の選択肢の中から一つ選び、番号で答えなさい。

  子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る

  君を打ち子を打ち灼 けるごとき掌 よざんざんばらんと髪とき眠る

  朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめをらねば子は消ゆるもの

  こゑ揃 そろへユウコサーンとわれを呼ぶ二階の子らは宿題に飽き

問四

なものを次の選択肢の中から一つ選び、番号で答えなさい。 とあるが、そう呼ばれた作者の心情の説明として最も適当   「    子の友が三人並びてをばさんと呼ぶ」(線部

  子供たちと良好な関係を築くことができていることを微 笑ましく感じている。

  社会における自らの責任を不意に痛感させられたことを重苦しく思っている。

  自覚があまりなかった、関係の中での自らの役割に気づき、滑稽さを覚えている。

  子供たちから見た自分と、自分自身が抱く自己像との違いに面白さを感じている。 問五  次の会話文は、この文章を読んだ五人の生徒がの短歌を話題にしている場面である。適切な発言をしている人物を一人選び、番号で答えなさい。

生徒

の短歌に登場する「君」というのは、作者の子供のことを指していると思う。父親についてはわからないけど、母親である自分自身のことはわかるから、「片ぺん」を知っていると言っているんじゃないかな。生徒

うーん。僕は「君」は夫のことだと思うな。ここでの「片ぺん」はこころとからだのうち、からだの方を指していて、頭の中で何を考えているかはわからないけど、肘をついていることはわかるという意味だと思う。生徒

の短歌はどうかな。伴侶というのは配偶者のことだよね。洗面所に行ったら夫が手洗いうがいをしていて、作者がそれを背後からしみじみと眺めているという情景が目に浮かぶな。生徒

の短歌にも夫が登場すると考えていいよね。「脚長く太き筋肉もてる者」は子供ではなさそうだから。そしてここに出てくる「不可知」というのが、文章全体で繰り返される「わからない」とつながっているね。生徒

そうだね。こうやって見てみると、三つの短歌にはすべて家族が登場するね。これらは、家族という存在がどうして必要なのかという問いを深めていく過程を歌ったものと言えるんじゃないかな。

  生徒      生徒      生徒   生徒      生徒

三の設問は裏面に続く

(7)

問六   「たったこれだけの家族」

(    線部)とあるが、こ

れについて次の問いに答えなさい。

(ⅰ)筆者の「家族」は、筆者を含めて何人と考えられる

か。算用数字 0000で答えなさい。

(ⅱ)この表現に込められた筆者の「家族」に対する思いは

どのようなものであると考えられるか、本文全体をふまえ

て最も適切なものを次の選択肢の中から一つ選び、番号で

答えなさい。

  家族の関係とははかないもので、どんな些細なことで

関係が崩れてしまうかわからないが、互いに協力しあっ

て生きるすばらしいものだと考えている。

  死の瞬間まで必ず続く親子関係と違って、夫婦関係と

いうのは容易に崩壊する一時的なものであるため、必死

に守っていかなければならないと考えている。

  家族についてわからないことの多さに虚 むなしさを感じる

一方で、変化しつつある家族を支えるという自らの役割

を誠実に果たしていこうと考えている。

  社会全体の中では一つの家族など取るに足らないもの

であることは認めつつ、家族の存在は自分の生活に大き

な影響を与えるものであると考えている。

  家族については判然としないことばかりである上、そ

の関係がいつまでも続くとは限らないが、自らを支える

ものとして肯定的な価値を感じてもいる。

(8)

  次の文章は、大伴家持の和歌と、それについて述べた二つ

の文章(甲と乙)である。また、丙はそれらについて先生が

生徒たちと話し合っている場面である。これを読んで、後の

問いに答えなさい。

(問題の都合上、一部表記を改めた箇所がある)

大伴家持の和歌

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けに

  ア 

  『

新古今集』冬部に題知らずとて入れり。鵲の橋といふ事はもと唐 もろこし土の故事にて、『淮 なん』に「七月七日夜烏鵲 塡河成橋以度織女」とありて、七夕には烏 からすどもが羽を寄せ合はせて、天の河に橋を架けて織女を度 わたすといひ伝へたるより起こりて、皇国にてもこのことを鵲のより羽の橋など歌に詠みて、鵲の橋といへば天上にある橋となりたり。しかるに帝を天子と申し奉るより、 禁中のことをすべて天上に譬 たとへていふ事、大和も唐 からも同じ事ゆゑ、鵲の橋を 禁庭の御殿へのぼる御 はしの事に いひならはせたり。さればこの歌の心は禁中に 宿 直して、冬の夜に禁庭の御階のあたりに置き渡したる霜の真白なるを見れば、まことに夜の更けたるよと思はるるといふ事なり。(尾崎雅 まさよし嘉『百人一首一 ひとよがたり夕話』)

注1  禁中皇居の中。   注2  禁庭皇居の庭。

注3  宿直夜、役人が皇居に宿泊して、事務や警備に当たること。

  (作者の大伴家持は)

『万葉集』の代表歌人の一人だが、この歌は『万葉集』にはなく『新古今和歌集』の「冬歌」の中にある。「かささぎの渡せる橋」は今日にも七夕飾りの風習が残る有名な星伝説にちなむ。中国から伝わり、七月七日の一夜のみの恋の おうが、平安時代には和歌の中では大きなテーマとして、さまざまな贈答歌を生んでいる。男女の間だけでなく、男どうし、女どうしでも贈答があるほど、恋の歌の場として広まっていた。

  この歌、冒頭に「かささぎの渡せる橋」をもち出しているので、  イ  の夜空の大ロマンで読者を捉えようとしている意図はまぎれもない。しかしそれはたちまち「おく霜」の情景に転じてゆき、読者は一瞬にして消された幻にとまどうが、はじめに与えられた妖 ようえん艶のイメージは全く消えてしまうことはない。そうした恋物語の終 しゅうえん焉の「あはれ」として「おく霜」をみるのである。 これはまことに新古今的な、定家好みの場面転換といえる。

  そして、場面は現実の 殿 てんじょう上の間 、夜遊の果ての階 きざはしに置いた霜のかがやきをみつめさせる。あるいは 神楽などが奏されたあと、庭 にわも消えた庭などを想像すれば、夜深く冴 えてゆく寒気の中に、殿上と庭を結ぶ「階」が名残の情緒をたたえながら、白い霜に覆われてゆくのがこの歌の主題だといえる。下句も「白きを見れば 0」と、順接の「ば」をもって「夜ぞふけに   ア  」という時の移ろいを認めたのであるから、置く霜の白さを見なければ、夜が更けたことすら忘れていたほどの事柄が一首の背後に想像されてよいはずだ。(馬場あき子『馬場あき子の「百人一首」』)

注4  逢瀬………男女が会う機会。

  殿殿

生徒

先生、これって中国の七夕伝説を主題にした和歌ですよね。先生

そうだね。鵲は烏に似た鳥で、それが集まって天の河に橋を架け、織姫と彦星の仲立ちをするというのは、何ともロマンチックだね。生徒

彦星は年に一度しか会えない織姫に会いに天の河を渡るのですね。先生

確かに日本では彦星が会いに行くことになっているけれど、中国では違うんだよ。生徒

どういうことですか。先生

甲の文章の「淮南子」という漢文の引用をよく読んでごらん。生徒

そういえば「度織女」ってあるから、織姫の方が会いに行くのですか。先生

そうなんだ。昔の日本は「妻問い婚」といって、夫が妻の家に夜に通うのが普通だったけれど、中国では

結婚すると女が男の家に同居するものだったことを反映しているといわれているね。生徒

へえ、女の人が結婚したら男の家で共に暮らすのが日本の伝統だと思っていました。先生

伝統とされることも意外に歴史が浅いということもあるということだね。日本の古代の例として、『万葉集』には久方の天 あまの河瀬に舟浮けて今 よひか君が我 私の所にいらっしゃるがり来まさ

     という和歌もあって、このころからすでに、中国から入ってきた伝説が、日本の風習に合わせて形を変えていったということが分かるね。生徒

ところで、先生、僕のおばあちゃんの家は大阪府の枚方市にあるんですが、そこにも「天野川」があって「鵲の橋」がかかっています。先生

確か鎌倉時代の『中 なかつかさのないしにっき務内侍日記』にも、作者がそこを訪れた際に詠んだ和歌があって、

       これやこの七夕つめの  ウ  天の河原の鵲の橋

     これは、これがあの織姫が恋しく思い続けた天の河原の鵲の橋かという意味だね。生徒

「恋しく思い続けた」ってところ、下の句にもつながっているのが気が利いていますね。

(9)

の設問問一  空欄  ア  に入る語句として最も適当なものを次の中

から一つ選び、番号で答えなさい。

  けら      けり      ける      けれ

問二

  「    塡河成橋以度織女」(線部)は「河を塡(う

づ)めて橋を成し以て織女を度(わた)す」とよむ。書き

下し文を参考にして、の位置に入る適当な返り点

を、それぞれ答えなさい。

    

河成

橋以度

織女

問三

  「いひならはせたり」

(    線部)を現代仮名遣いに

改め、全て平仮名で答えなさい。

問四  の文章で述べられていることに合致するものを次の中

から一つ選び、番号で答えなさい。

  中国でも日本でも禁中のことを天上にたとえていたの

で、天上にのぼっていく橋を「御階(みはし 00)」と呼ぶよ

うになった。

  帝は鵲の橋にまつわる中国の故事を習わせたので、皇居

の庭から天上の宮殿へとのぼることができるようになった。

  作者によれば、家持の和歌は「真っ白な霜が帝の御殿へと通ずる階段に降りたので、夜が更けたことが分かった」

というものである。

  七月七日なのに冬の部にこの歌が収められているのは、

夜が更けて光り輝く月の光で階段が照らされたのを霜にた

とえて詠んだ和歌だからである。

問五  空欄  イ  に入る語句として最も適当なものを次の中

から一つ選び、番号で答えなさい。

  晩春      初夏      梅雨      初秋 問六

    える」(線部)の内容として最も適当なものを次   「これはまことに新古今的な、定家好みの場面転換とい

の中から一つ選び、番号で答えなさい。

  美しい恋のイメージをもった鵲の橋から冬の厳しい寒さ

を表す霜へと転換することで、恋の終わりの情趣をはっき

りとではないが暗示するのが定家好みということ。

  定家は、鵲の橋という古い故事と、寒々とした冬の霜と

いう現在の新鮮な感覚を一つの歌に込めるという「新古今

調」を好んでいたということ。

  鵲の橋という架空のイメージから、冬の霜という趣深い

実景へと転換する新鮮な技巧を、鎌倉時代という新時代の

和歌集に載せるのに相応しいと考えたということ。

  鵲の橋という幻がいったん消されてしまうことに読者は

とまどうが、それを現実の冬に置く霜と重ね合わせて思い

描くことで、歌の趣がいっそう深まるということ。

  消えてしまった幻のように、恋しい人とのはかない恋の

物語の終焉をしみじみと味わう感性が『新古今和歌集』と

定家の嗜 こうに合致するということ。

問七

  「       神楽」(線部)・「久方」(線部)の読

みを、それぞれ答えなさい。

問八  空欄  ウ  に入る語句として最も適当なものを次の中

から一つ選び、番号で答えなさい。

  こひあかす      こひわたる

  こひそめる      こひしのぶ

問九  次の絵の中から、の内容を踏まえ、中国での七夕伝

説、日本での七夕伝説をイメージしたものとして最も適当

なものをそれぞれ一つずつ選び、番号で答えなさい。なお、

中国のものは、日本のものはから選ぶこと。

1          2         

4          5         

(10)

三 四

問三 問二

問四

問五

問六

問五

問六問七 問一問二問三問四

問一

問二

問三

問四

問六

中国

日本

問一

問五

問二

問三

問四

問七 問五問六

問八

問九 問一

15

受 験 番 号

二〇一九年度 須磨学園高等学校 入学試験解答用紙

  国   語  

※印の欄には記入しないこと︒

得   点

↓ここにシールを貼ってください↓

2019SUMAS0110

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