• Tidak ada hasil yang ditemukan

外交・安全保障政策は主要な争点とならなかった。オバマ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2024

Membagikan "外交・安全保障政策は主要な争点とならなかった。オバマ"

Copied!
16
0
0

Teks penuh

(1)

はじめに

2012年の米大統領選挙では、外交・安全保障政策は主要な争点とならなかった。オバマ

大統領に挑戦したロムニー前マサチューセッツ州知事が対外政策では明確な対立軸を打ち 出せず、また有権者の関心も経済問題に集中するきらいがあったからである。

そうしたなかでも、外交、安全保障をめぐる米国の施策が国際関係の現況に係る解釈に 対応したものであり、またその成否が世界秩序の将来を大きく左右するという状況には変 わりがない。本稿はこのような観点から、オバマ政権1期目の対外政策を振り返り、今後に 向けての課題を探ろうとするものである。

第1節ではオバマ政権の公式的な世界観を概観する。その世界観に基づく対外政策の有効 性を左右する要因として、特にイスラム圏および中国との関係に着目し、それぞれ第

2

節、

第3節で取り上げることとする。

1

オバマ政権の世界観

(1)「力の移行」と「力の放散」

オバマ政権の世界観には、国家間における、および国家から非国家主体への「力の移行」

(power transition)

、あるいは「力の放散」

(power diffusion)

が織り込まれてきた。大統領が

2010

年5月に発表した『国家安全保障戦略』では、冷戦終結このかた「より多くの主体が力と影 響力を振るっている」ことが強調された。中国、インドに代表される「新たな影響力の中心」

が出現すると同時に、非国家主体― 個人や企業、非政府組織

(NGO)

のみならず、犯罪 組織やテロ集団をも含みうる―が重要な位置を占めるようになったという認識である(1)。 国務省および国防総省からも、これと軌を一にした見方が示された。2010年12月に公表 された『4年次外交・開発見直し』報告によれば、「新たな影響力の中心」の浮上が国際場 裡における変化の「決定的な要素」となる一方、広範囲の非国家主体への「力の放散」が 進行してきた(2)。同年

2

月に提出された『4年次国防見直し報告』も、力の分布がより「放 散」していると述べ、また非国家主体の「引き続く成長と力」は、今後とも安全保障環境 の「重要な特徴」を成すであろうと論じたのである(3)

こうした状況は情報、ヒト、モノ、役務の「相互連結」

(interconnection)

、そして「全球化」

(globalization)

の進展によってもたらされたものであった。しかも、「相互連結」、「全球化」
(2)

は、米国主導の国際秩序によって促進されたものであり、そこには米国の価値が体現され てきた。したがって、それは「米国の指導性および米国民の創意の産物」と言い表わすこ ともできるのである(4)。「結合組織」としての「世界的共有地」(global commons)―公海、

公空、宇宙空間、さらには電脳空間―の保全が重要とみなされ(5)、またクリントン国務長 官が「接続の自由」(freedom to connect)をルーズベルトの「4つの自由」になぞらえたのも(6)、 このことを反映していた。

オバマ政権によれば、このような世界では、各国はこれまでになく共通の利益を有し、

共通の課題を抱えることになる。さまざまの争点が「相互連結」し、その解決には「ます ます協力を必要とするようになっている」からである(7)。大統領は2009年

9月、国際連合総

会で「人類の歴史におけるいかなる時点にも増して、諸国家および諸国民の利益は共有さ れている」と述べた(8)。『国家安全保障戦略』は、各国が共同で立ち向かうべき課題として、

「暴力的な過激主義」、核拡散、気候変動、「変化しつつある世界経済」等を列挙した(9)。『4 年次外交・開発見直し』報告では、電脳攻撃や国際犯罪、大流行病も「新たな全球的脅威」

に含められた(10)

また、こうした各国共通の関心事に対応するためには、米国が指導性を発揮することが 必須とされてきた。「力の移行」、「力の放散」にもかかわらず、「世界で最大の経済および最 強の軍隊、強力な同盟および活力ある文化的訴求力、ならびに経済・社会発展における指 導性の歴史」に照らせば(11)、オバマ政権にとって、現在の米国が国際場裡で指導力を働かせ る基盤を有していることは自明と言えた。詮ずるところ、大統領が

2009年2

月の議会演説で 語ったように、「米国は今世紀の脅威に単独で対処することはできない」が、他方で「世界 は米国なしでこれに対処することはできない」のである(12)

そこで、オバマ政権が精力を注ぐこととしたのは、既存の同盟国、友好国との紐帯を固 めると同時に、「相互利益」および「相互尊重」に基づいて、中国、インド、ロシアを含む

「新たな影響力の中心」との協力を深めつつ、世界各国と可能な限り広汎な提携関係を築く ことであった(13)。こうした観点に立てば、米国が「G8(主要8ヵ国)の

G20

(世界20ヵ国・

地域)への進化」を後押ししてきたのも頷けた(14)。クリントン国務長官の言葉を借りれば、

それは全球的な関心事に応えるべく、非国家主体をも包摂する「多提携者の世界」(multi-

partner world)

を創造しようとする試みの一環にほかならなかった(15)

こうした世界秩序―それは 進歩的リ ベ ラ ル な「問題解決の秩序」と表現しうる(16)―にお いては、「力」の性質も変化していかざるをえないであろう。国際場裡において、「力」は他 国との競争、対立よりも、むしろ共通利益の増進、共通課題の解決に使われることになる と想定されるからである。『国家安全保障戦略』が、「相互連結した世界」では「力はもはや 零和(zero sum)ゲームではない」との認識を示した所以である(17)

2) 学界・言論界の動向

このような特徴を有するオバマ政権の世界観は、専門家の間ではかなり広く支持されう ると考えられる。米国の情報機関を統括する国家情報評議会が、多数の有識者から徴した 意見を踏まえて

2008

年11月にとりまとめた『世界の趨勢

2025』は、経済の「全球化」を通

(3)

じて「権威と力の放散」が加速し、2025年に向けて新たな「多極」の状態が現われると展望 していた(18)。2012年

12月に発表された『世界の趨勢 2030』でも、個人の「能力増」

(empow-

erment)

が強調され、また国家間および「国家から非公式のネットワーク」への「力の放散」

が「2030年までに劇的な衝撃を及ぼすであろう」と記述された(19)。しかし、その一方で、

それらには、米国は「単一の最も重要な主体」あるいは「〔国家間における〕同輩者中の首席」

であり続けるとの予想も盛り込まれた(20)

持続的な高度成長による経済水準の「収斂」―それは、そのまま国家間における「力 の移行」に結び付く(21)― が、世界経済の「増大する開放性」および「増加する連結性」

によって可能となった旨は、マイケル・スペンスをはじめとする経済学者の力説するとこ ろである(22)。国際問題評論家のファリード・ザカリアは「アメリカ後の世界」における「残 余〔=西洋以外〕の台頭」(rise of the rest)を強調するが、その「残余」は国家のみならず「多 くの非国家主体を含む」と言う(23)。国際政治学者のジョセフ・ナイも、「電脳力

サイバーパワー

」等に着目 しつつ―国家から他の国家への「力の移行」と同時に進行する―国家から非国家主体 への「力の放散」の重要性を指摘している(24)

また、『世界の趨勢

2030』のみるところ、世界政治における「力」はより「多面的」―

争点の多様性を反映する―かつ「文脈的」―異なった争点には異なった主体や手段が 適合する―となっており、したがって米国の指導性は、「位置、絡まり合い、外交的手腕、

および建設的振る舞い」に依拠することになる(25)。「力の将来」についてのナイの主張は、

「力」が「正和(positive-sum)ゲーム」となり、「他者を凌駕する力」のみならず「他者と協 同する力」が重要となるなかで、今後とも「社会的ネットワークにおける位置」が「重要 な力の源泉」たりうるというものである(26)。ザカリアに従えば、「アメリカ後の世界」で米 国が演ずることのできる「死活的」な役割は、すべての主要国と緊密な関係を築くことに より、協議、協力、妥協を通じて「課題を設定し、争点を規定し、連合を組織する」とい ったものである(27)

(3) 対外政策の試金石

欧州およびアジアにおける既存の同盟国との関係が根底から揺らぐことはないとの前提 を置けば―オバマ政権

1

期目を通じて、その前提はおおむね妥当であった― 米国の外 交・安全保障政策が実効を上げるためには、まずイスラム圏との関係を調整することが必 須であった。ブッシュ政権の発動した「対テロ戦争」の一環として、イラクおよびアフガ ニスタンには万単位の米軍が展開していた。アフガニスタン = パキスタンの国境地帯にはア ル・カーイダが根拠を置いており、イランによる核兵器の開発が疑われていた。G20にはト ルコ、サウジアラビア、インドネシアも名を連ねていたが、イラク戦争は―拘留された テロ容疑者の取り扱い等と相俟って―それらを含むイスラム諸国における米国の評判を 著しく低下させていた。米国自身が直面する脅威に対処するためにも、国際社会が抱える 共通の課題を処理すべく広汎な提携関係の構築に踏み出すためにも、イスラム世界とどう 向き合うかが緊急に問われざるをえなかったのである。

オバマ政権の対外政策にとっての第2の試金石は、中国、インド、ロシアをはじめとする

(4)

「新たな影響力の中心」との協調がどこまで進むかであった。地域における「安全の提供者」

と規定されたインド(28)、整復リセットの努力が展開されたロシアとの関係もさることながら、米国は 中国との関係に最も神経を注がざるをえなかった。「新たな影響力の中心」のなかでも、中 国の全般的な国力は他を凌いでおり、また中国の経済規模が2020年代には米国を上回ると 予想されるなかで、両国間における「力の移行」に現実味が伴いつつあると受け取られた からである(29)。クリントン国務長官が、米中双方は「確立された国と台頭する国が行き合う 時に何が起こるかという古くからの問題」に「新たな解答を見出そうとしている」と述べ た所以である(30)

2

イスラム圏への関与

(1) イラクとアフガニスタン パキスタン

オバマ大統領は就任当初より、「相互利益」、「相互尊重」を基礎として、イスラム圏との 和解を追求することとした(31)。2009年

4月、トルコ議会で「米国はイスラムと戦争してはお

らず、また決して戦争することはない」と宣言した後(32)、6月にはカイロ大学において、米 国とイスラム世界との間の「新たな始まり」を唱道したのである(33)。オバマはイラク戦争を

「好んでする戦争」(war of choice)と呼んで米軍を全面撤退させる方針を確認するとともに、

アフガニスタンからの撤退が可能になる日をも待望している旨を訴えた。また、イスラム 教徒を「暴力的な過激主義」との闘争における「問題の一部」ではなく、「平和を促進する 重要な一部」と位置付け、「過激派がイスラム社会で孤立し、歓迎されなくなる」ことが

「われわれすべてがより安全になる」ことに直結すると述べた(34)

イラクからの米軍撤退は、オバマ政権の下でおおむね整然と実行された。2009年

2月にイ

ラク戦争の「責任ある終結」を唱えた(35)大統領は、ブッシュ政権の末期にイラク政府との 間で締結されていた地位協定に沿って、2011年

12

月までに米軍をイラク全土から引き揚げ たのである。両国はイラク治安部隊の訓練を目的として、小規模の米軍残留に向けた交渉 を行なったが、これは成功しなかった。

一方、オバマ政権にとって、アフガニスタンでの軍事行動は「迫られての戦争」(war of

necessity)

であった(36)。大統領はアフガニスタン = パキスタンにおける米国の目標をアル・

カーイダおよびこれと連携する過激派を「粉砕し、解体し、撃破する」ことと規定したう えで(37)、アフガニスタンへの米軍「一時増派」によってタリバンの弱体化を図ると同時に、

パキスタンにイスラム武装勢力の掃討を要請し続けた。アフガニスタンに展開する米軍は

2011

年7月には縮小の過程に入り、アフガニスタン政府への治安権限の移譲に伴って、2013 年中に戦闘任務の主導を止めた後、基本的には2014年末に撤退する運びとなった(38)

その間も、米国は2011年5月にオサマ・ビンラーディンをパキスタンで殺害するなど、ア ル・カーイダ幹部への攻勢を強めた。過激派への攻撃はアフガニスタン、パキスタンのみ ならずイエメン、ソマリア等でも展開され、特殊部隊や無人機が積極的に活用された。オ バマ大統領が2011年

12月に述べたところでは、

「アル・カーイダの最高指導者30人中

22人」

が「戦場から取り除かれた」という(39)。他方、オバマ政権は当初からテロ容疑者の処遇を適

(5)

正化する姿勢を示していたが、グアンタナモ収容所の閉鎖は果たせなかった。

このように、オバマ政権はイラクおよびアフガニスタンに展開する米軍を撤退の方向に 導き、またアル・カーイダには多大の打撃を与えたが、そのことはこれらの国々およびパ キスタンが安定に向かうということを必ずしも意味しなかった。イラクではシーア派の政 権と他の勢力との間の対立が収まらず、イランの影響も強まることとなった。アフガニス タン治安部隊の能力向上には限りがあり、米軍が引き揚げた後、タリバンが支配領域を拡 大する公算が大きかった。パキスタンの体制も挑戦に晒されており、万一の場合に核兵器 の管理が危うくなりかねないという状態は変わらなかった。

(2)「アラブの春」とその波紋

イスラム圏との関係改善を図るに際しては、パレスチナ問題への取り組みが避けて通れ なかった。オバマ大統領はカイロ大学で、パレスチナ国家の樹立およびそのイスラエルと の平和的な共存を、必要とされる「すべての忍耐および献身」をもって「直々に追求する つもりである」と述べた(40)。米国はイスラエルとパレスチナ自治政府との間の調整を進め たが、両者の交渉は2010年秋を最後に中断した。オバマは

2011

年5月に、「1967年〔第3次 中東戦争以前〕の線」を基本としてイスラエル = パレスチナの境界を画することなどを「交 渉の基礎」とするよう提議したが(41)、和平交渉の再開は困難であった。

そうしたなかで浮上したのが、「アラブの春」と総称される中東および北アフリカの諸国 における民主化運動であった。2011年中にチュニジア、エジプト、リビア、イエメンで長 期の独裁政権が崩壊したほか、シリアでは体制打倒の気運が高まり、バーレーンでも大規 模なデモが起こった。

オバマ政権は、民主化を求める動きそのものについては、これを支持する態度を強調し た。大統領は2011年

5月の演説で、

「地域全体にわたって改革を促進し、民主主義への移行 を支援する」ことが「米国の政策」だと言明したのである(42)。クリントン国務長官に言わせ れば、「民主国家はより強力で安定した提携国となる」ことなどから、「政治体制、社会、お よび経済を開放すること」は、単に「理想主義の問題」というだけでなく、「戦略的な必要」

でもあった(43)

しかし、オバマ政権の具体的な対応は、状況が「国ごとに劇的に異なって」おり、また アル・カーイダとの闘争やエネルギーの供給確保を含む「地域における他の利益」を考慮 に入れねばならなかったため、一様ではありえなかった(44)。米国はチュニジアではベンア リ大統領の退場を是認し、またエジプトではムバラク政権の崩壊をより慎重に受け入れた が、サウジアラビア等に依拠したバーレーンのデモ鎮圧は事実上黙認し、イエメンではサ レハ大統領の円滑な退陣に向けたサウジアラビア等の工作を奨励した。リビアでは多国籍 軍を組織して空爆を実施し、カダフィ政権の打倒を支援したが、アサド政権による反体制 派の弾圧が激しい内戦に繋がったシリアへの介入は躊躇し続けた。

リビアに対する空爆は、文民保護のため「必要なあらゆる措置を講ずる」権限を付与す る国連安全保障理事会決議に基づいて(45)、英・仏が前面に出るかたちで行なわれた。多国籍 軍にはアラブ諸国からも参加を得ており、その指揮権はほどなく北大西洋条約機構(NATO)

(6)

が担うこととなった。オバマ大統領は

2011年 3

月、軍事力の行使について、(1)米国民、米 本土、同盟国、および米国の「核心利益」を守るに必要な場合には、単独でも米軍を使用す る、(2)米国の安全は直接に脅かされていないが、自然災害への対応、大量虐殺の防止や平 和の維持、地域の安全確保や通商の維持をめぐって米国の行動が求められる場合には、国際 社会による「集団行動」の一環として行動する―という原則を提示したうえで、アフガニ スタンでの戦いが(1)に該当するのに対し、リビアにおける振る舞いは(2)にあたると主張 した(46)。2011年

10

月にカダフィが反政府勢力によって殺害されるに及び、オバマは「われ われは21世紀において、集団行動が何を達成しうるかを実証した」と述べたが(47)、このよう なかたちでの関与は「背後からの指導」(leading from behind)として議論の的となった(48)

「アラブの春」はもとより直ちには民主主義の定着をもたらさなかった。むしろ過激派を も含むイスラム主義の伸長がみられ、反米行動が激化する徴候も現われた。イスラム主義 勢力はチュニジアおよびエジプトの新政権を主導するに至り、またシリアにおいても反体 制派の中核を占めてきた。パレスチナでもイスラム主義組織・ハマスの影響力が増大する とともに自治政府の存在感が低下し、和平交渉に新たな難題が生ずることとなった。それ までもイスラム圏でしばしば起こっていた反米デモは、2012年

9

月には米映画への抗議とい う焦点を与えられて激発し、同時期にリビアでは過激派によって米大使が殺害されるとい う事件が発生した。

(3) 核拡散への対応

イランの核活動は中東地域における核兵器の拡散を誘発しかねず、またその過程で核兵 器が過激派の手に渡る可能性もあった。加えて、北朝鮮がすでに1度核実験を行なっており、

そこからの核拡散も懸念されていた。オバマ政権は、一面で核軍縮の促進や核不拡散体制 の強化を唱え、またイランおよび北朝鮮との対話を摸索しつつ、他面で両国への非軍事制 裁を通じて核拡散を阻止しようとした。

オバマ大統領は

2009

4月、プラハにおける演説で、

「核兵器なき世界」の下で「平和と 安全」を目指すと宣言し、そのために、①米国自身が「核兵器なき世界」に向けた「具体 的な措置」をとる、②核拡散防止条約(NPT)を強化する、③テロリストが「核兵器を決し て取得しない」ようにする―と強調した(49)

2010年 4月に発表された『核態勢見直し報告』

には、米国の保有する核兵器の役割低減が書き込まれた(50)。同月、米国はロシアとの間で 新戦略兵器削減条約(新

START)

に署名し、テロリストによる核物質入手の防止を主眼とす る初の核保安サミットを開催した。

オバマ政権は当初よりイランとの間でも「相互理解」、「相互尊重」に基づく関与を求め(51)

P5+ 1

(安保理5常任理事国およびドイツ)とイランとの核協議に参画した。また、北朝鮮の 核問題をめぐっても、中断していた「六者会合」の再開を探り、また折々は二国間の高官 協議を行なった。その一方で、米国は国連安保理における制裁決議の採択を主導するとと もに、日本や韓国、欧州諸国等と連携して独自の制裁を発動し、少なくともイランはこれ によって経済的に相当の打撃を被ることとなった。さらに、イランのウラン濃縮施設に対 しては、大規模な電脳攻撃(「オリンピック・ゲームズ」)が試みられた(52)
(7)

しかしながら、北朝鮮、イランにおける核能力の拡大は止まなかった。北朝鮮は2009年5 月に2度目の核実験を実施し、2009年

4

月、2012年4月、2012年

12月には事実上の長距離弾

道ミサイルを発射した(2012年4月の発射は失敗)。ゲーツ国防長官は

2011年 1

月、北朝鮮が

5年以内に米本土を大陸間弾道ミサイル

(ICBM)で攻撃しうるようになると警告した(53)。イ

ランでは

2009

年9月に第

2

のウラン濃縮施設の建設が発覚し、2010年

2月には濃縮度を 20%

に高めた濃縮ウランの生産が開始された。核弾頭の開発に向けた秘密裡の活動に疑惑が強 まると同時に、弾道ミサイルの開発でも一定の成果がみられた(54)

そうしたなかで、米国はイスラエルがイランの核施設を空爆する可能性をも真剣に受け 止めざるをえなくなった。イスラエルのネタニヤフ首相は2012年

9

月、国連総会において、

「来春、最も遅くとも来夏まで」に、イランに対して行動をとるべき「限界線」(red line)に 到達すると訴えた(55)

なお、イラン、北朝鮮の挑戦に対しては、ミサイル防衛も有効たりえた。2010年

2

月の

『弾道ミサイル防衛見直し報告』によれば、米国には「予見しうる将来にわたって予測され る北朝鮮およびイランからの脅威に対抗する能力」が備わっているとされたのである(56)。オ バマ政権は2009年

9

月、ロシアが強く反対していた東欧への防御体系の配備を撤回したが、

その後も欧州諸国や日本、ペルシャ湾岸諸国を含む同盟国、提携国との間で、ミサイル防 衛に関する協力を進めてきた。

3

アジア「旋回」の論理

1) 中国―「現状維持」か「現状打破」か

いったい、「力の移行」の意味するものは、台頭する国が既存の国際秩序を基本的に受け 入れる「現状維持」(status quo)、その根本的な改変を追い求める「現状打破」(revisionist)の いずれに傾斜しているかによって、大きく異なってくる。中国が「現状維持」の志向を強 め、共通の関心事に進んで対応しようとする場合、オバマ政権の構想する「問題解決の秩 序」はそれだけ有効となり、将来にわたって定着しやすくなるはずである。『国家安全保障 戦略』においては、まさに中国をそうした方向に導くべく、「積極的、建設的、かつ包括的 な関係」を追求することが謳われた。経済回復、気候変動、不拡散等の課題について、米 国および国際社会と協力しつつ「責任ある指導的役割」を引き受けるような中国を「歓迎」

すると言うのである(57)

そのような期待の下、オバマ政権は当初、中国に対して融和的な姿勢をとった。2009年

11月に訪中した大統領は、

「相互連結」の下で「力はもはや零和ゲームではない」のである

から、米国は「中国の台頭を封じ込めることを目指さない」と強調した(58)。米中共同声明 には双方が互いの「核心利益」を尊重することが「きわめて重要」であると記されたが(59)、 ここでの「核心利益」とは

2000年代初期から中国が公式文書に入れるよう要求していた文

言であり、その内容も台湾、チベット、新疆をめぐる主権・領土の問題を中核としつつ、

中国の政治体制や経済発展に関するものを含むようになっていた(60)

しかし、中国は必ずしもオバマ政権の思い描く方向に動かなかった。温室効果ガスの排

(8)

出削減をめぐっても、イラン、北朝鮮の核活動やミサイル発射に対する制裁をめぐっても、

中国は容易に米国と歩調を合わせず(61)、また米国では中国の経済政策や貿易慣行への不満 が募ることとなった。そのうえ、中国は紛争時における米軍の介入抑止・阻止を主眼とす る「立入阻害」(anti-access)の能力を中心に軍備増強を続け、南シナ海や東シナ海で自己主 張を強めていった(62)。特に、南シナ海は―物資の輸送路として枢要であり、また石油・

天然ガスや漁業資源に富むとされるだけでなく―中国の弾道ミサイル搭載原子力潜水艦

(SSBN)や空母の活動拠点となることが展望されえた(63)

人権活動家の抑圧や情報通信への検閲―「接続の自由」の侵害にあたると言えた―と も相俟って、米国の目には、このような中国の姿は、既存の国際規則・規範を全面的には 是認せず、国際社会が共有する課題の解決に消極的である一方で、自らの国力増大には精 力を傾注し、それを通じて―直ちに世界大で米国に挑戦することは控えるとしても―

少なくともアジアにおいて米国から優位を奪おうとするものと映りがちであった。

実際のところ、中国の対外態度に関する厳しい見方は、学界や言論界にも広がりつつあ った。中国が陸上、海上にわたって広大な「影響圏」(「拡大中国」〔Greater China〕)を形成し つつあるという国際問題評論家ロバート・カプランの主張や、中国の政治体制が変わらな い限り、米国との間での「優越を求めての抗争」は避けられないとする国際政治学者アー ロン・フリードバーグの議論が、一定の注目を集めた(64)。また、2004―

05

年の時点で、中 国はアジアにおいて次第に「現状維持」国家とみなされるようになっていると分析してい た中国研究者デービッド・シャンボーは、2011年には中国を「現状打破」国家と記述する に至った(65)

(2) アジア「旋回」の始動

そこで、オバマ政権は、各種の対話を通じて中国を「現状維持」に導き、共通課題の解 決に向けた協力を慫慂

しょうよう

し続けると同時に、中国が「現状打破」に傾いた場合に備える米国 自身の能力を確保しようとしてきた。そして、これらの目的を追求するにあたっては、ア ジア太平洋諸国との連携がきわめて重要となってくると想定された。2011年秋、オバマ政 権がアジア「旋回」(pivot)を打ち上げたのには、そのような背景があった。

もちろん、それまでの米国がアジアへの関心を失っていたわけではなく、オバマ政権は 当初から、むしろアジア太平洋の重視を印象付けようとしていた。クリントン国務長官は 最初の外遊先としてアジア諸国を選び、2009年7月には東南アジア諸国連合(ASEAN)地域 フォーラム(ARF)に出席して「米国は東南アジアに帰って来た」と語った(66)。また、オバ マ大統領も

2009年 11月、東京における演説で、

「太平洋の国家」、「アジア太平洋国家」とし ての米国を強調した(67)

しかし、オバマ政権におけるアジア太平洋への関与が「旋回」と言い表わされるように なったのは、クリントン国務長官による米誌『フォーリン・ポリシー』2011年

11

月号への 寄稿を契機とするものであった。それによれば、米国はイラク、アフガニスタン集中から の「旋回点」を迎えており、アジアへの「戦略的転回」(strategic turn)を行なおうとしてい

る。「今後

10年」における最も重要な課題のひとつは、外交的、経済的、戦略的その他の面

(9)

におけるアジア太平洋地域への精力傾注を「定着させる」ことだと言うのである(68)

同じく

2011年 11月、ハワイでアジア太平洋経済協力

(APEC)首脳会議の議長を務めたオ

バマ大統領は、次いで豪州を訪問し、豪州議会で行なった演説のなかで、米国はイラク、

アフガニスタンでの「2つの戦争を戦った

10年」の後、

「注意をアジア太平洋地域の巨大な 潜在力に向けつつある」と言明した。「太平洋国家」として「この地域およびその将来を形 作るに、より大きく、長期的な役割を果たす」との姿勢を示したのである(69)。オバマはその 足でインドネシアを訪れ、東アジア首脳会議に米国大統領として初めて出席した。

3) 海洋、貿易の国際秩序

米国のアジア「旋回」は、一面において、地域諸国との共同歩調を通じて中国に国際規 則・規範の受容を迫っていこうとするものであった。上記のクリントン論文によれば、よ り強固で一貫したアジアの「地域的構造」(regional architecture)は、有効な国際秩序の基礎を 成す「規則および責任の体系」を補強すると考えられる。米国が二国間同盟の強化に加え て、多国間制度への関与を推進するのは、まさにそのためだと言うのである(70)

クリントン論文には、「規則に基づいた」地域秩序の条件として、「航行の自由」および

「開かれた市場と公正な競争」の確保が掲げられた(71)。事実、米国がアジア太平洋諸国の協 力を得て中国に受け入れを働き掛けた国際規則・規範のうち、最も関心を集めることとな ったのは、海洋および貿易に関するものであった。

海洋にまつわる国際規則・規範をめぐっては、やはり南シナ海が焦点となった。中国は 南シナ海の大半に対して管轄権を主張しており、南シナ海を「核心利益」に含めるに至っ たとの報道すら現われていた(72)。しかし、中国の立場が国際法との関連で明確に示される ことはなく、また排他的経済水域(EEZ)における外国の軍事活動に制約を及ぼそうとする 中国の態度も、国連海洋法条約の解釈に照らして疑問とされてきた(73)。南シナ海に存在す る島嶼や礁に対しては他の沿岸諸国も領有権を主張してきたが、ASEANがこうした問題に 関して法的拘束力ある「行動規範」の策定に力点を置いたのに対し、中国は関係国それぞ れとの二国間交渉で問題を処理すべきだとの立場を崩さなかった。

「世界的共有地」の一部を成す南シナ海をめぐるこうした中国の動向は、米国にとって看 過しうるところではなく、すでに2010年

7

月の段階で、クリントン国務長官は、南シナ海に おける「航行の自由」や「国際法の尊重」を米国の「国益」と表現していた(74)。上記のク リントン論文においても、「航行の自由」は「死活的利益」とみなされ、多国間外交を通じ て「確立された国際法の原則」に基づいた紛争の解決を図るべきだとの立場が示された(75)

2011年11

月の東アジア首脳会議では「18人の指導者中

16人」が海洋安全保障に言及した

が、オバマ大統領は「常在する太平洋国家として、海洋国家として、通商国家として、お よびアジア太平洋における安全の保証者として」、米国は南シナ海問題の解決に「強力な利 害関係」を有しているとの立場に沿って発言し、特に「国際法に基づいた権利主張の明確 化」を要求したと言う(76)

その後も米国は南シナ海に関する「行動規範」の作成を支持し、特にクリントン国務長 官は2012年

9月、これを早期に―「望むらくは

〔同年

11月にカンボジアで開催される〕

東ア
(10)

ジア首脳会議に備えて」―完了するよう促した(77)。ASEAN諸国の足並みが乱れたことも あり、「行動規範」の交渉は進まなかったが、オバマ大統領は

2

年連続で東アジア首脳会議 に参加し、その直前には中国依存からの脱却を図るミャンマーを米国大統領として初訪問 した。

一方、貿易に係る国際規則・規範に関しては、特に為替レートや知的財産権の問題に注 意が向けられた。2011年

APEC首脳会議後の記者会見で、オバマ大統領は、中国の経済行動

のなかには、「米国だけでなく随分多数の〔中国の〕貿易相手および地域の国々にも損害を 与えている」ものが多々あると述べた。そして、人民元の価値が20―

25%

過小評価されて いるという「大半の経済学者」の推定に言及し、また中国で活動する米国企業が「知的財 産権が保護されていない」旨を不断に訴えていると主張したのである(78)。その他、政府調達 における内外差別や天然資源の一方的な輸出規制、電脳手段によるものを含む経済情報の 窃取といった問題も無視するわけにはいかなかった。

そうしたなかで、米国が狙うこととしたのが、まずは中国を含まない自由貿易地域の創 設を通じて経済に関する規則、規範を米国主導で確立し、中国がこれを尊重せざるをえな い状況を作り出すことであった。米国は2010年以来、豪州、ベトナム等アジア太平洋の

8ヵ

国と環太平洋経済連携協定(TPP)拡大の交渉を行なってきたが、2012年にはカナダおよび メキシコが交渉に参加し、またタイも参加の意向を表明した。

米国はTPPを「高水準」の「21世紀型」貿易合意と呼んできたが(79)、オバマ大統領が

2011年 11

月、豪州首相との共同記者会見で述べたところによれば、それは「皆が同一の規

則に従って振る舞う」ことを意味するものであった。市場の開放には「相互性」が伴わね ばならず、また関税その他の伝統的な分野に加えて、知的財産権や政府調達といった領域 でも一定の規則が遵守される必要がある。「中国を排除するつもりであるという見方は誤っ ている」が、中国がTPPへの参加を望むのであれば、貿易政策・慣行の一部を「再考する」

ことが要求されると言うのである(80)

そのような

TPP

の趣旨は、2012年

10

月の大統領候補テレビ討論会においても明確に示さ れた。オバマは、米国が「中国以外の国々との貿易関係」を構築しつつあるのは、中国が

「基本的な国際基準」の充足について「より大きな圧力を感じ始めるようにする」ためだと 述べたのである(81)

(4) 経済力、軍事力の補強

米国のアジア「旋回」は、他面において、アジア太平洋諸国との提携が―中国と対抗 する際にも必要となってくる―自国の経済力、軍事力を補強するに欠かせないとの認識 に基づくものであった。市場統合を進めることが米国の雇用および競争力にとって不可欠 となるなかで、TPPはその「最も有望な手段」と捉えられてきた(82)。2011年

APEC首脳会議

の冒頭、オバマ大統領は「米国の経済成長にとってアジア太平洋地域は絶対的に重要であ る」と述べ、地域の繁栄を「最高の優先課題」と位置付けた(83)。また、会議後の記者会見 でも、アジア太平洋地域以外のどの地域も、アメリカ経済の「長期的な将来を形作るによ り多くを寄与することはない」と強調した(84)
(11)

一方、上述したオバマ大統領と豪州首相との共同記者会見では、2012年半ばから米海兵

隊(当初は

200

250人、ゆくゆくは約 2500

人)を豪州北部に循環展開し、豪州軍との合同訓

練・演習を実施する方針が発表された。また、米空軍も豪州北部への循環展開を増大させ る運びとなった(85)。さらに、オバマは豪州議会において、米国は国防費を削減するものの、

自分はアジア太平洋における米軍の実在プレゼンスおよび任務を「最高の優先課題」にするよう指示 しており、したがって国防費の縮減が「アジア太平洋を犠牲にして行なわれることはない」

と力説した(86)

実際、その頃までには、イラク、アフガニスタンからの撤退進行を背景に、米国の国防 態勢も事実上中国を指向するものに変わりつつあった。2010年5月の『4年次国防計画』で は―「世界的共有地」への立入確保の重要性は指摘されたものの―アル・カーイダを主 敵とする「現行の軍事行動に打ち勝つ」ことが「最高の優先課題」と規定されていた(87)。 ところが、2011年

2

月に提出された『国家軍事戦略』報告は、「持続する戦闘作戦に従事し てきた戦力」から「将来に備えて形成される統合戦力」への移行を打ち出すものとなった。

「立入阻害」戦略を撃破する能力の必要性が強調され、「世界的共有地」の利用を危険に晒す ような「いかなる国の行動にも反対する意思を明示し、必要とされる資源を投入する用意 がある」と記述されたのである(88)。そして、オバマ政権が2012年1月に策定した国防戦略指 針においては、米軍展開の重心を「必然的にアジア太平洋地域に向けて再調整する」旨が 表明されるに至った(89)

そうした「再調整」の一環として、海兵隊を豪州に循環実在させるだけでなく、海兵空 陸任務部隊を沖縄のほかハワイ、グアムに設置する方針が示され(90)、またシンガポールに沿 岸戦闘艦が循環展開される運びとなった(91)。2012年6月にはパネッタ国防長官が、2020年ま でに太平洋に約6割の海軍戦力を配分すると述べた(92)。米国とベトナム、フィリピン等との 防衛協力が進展をみせ、ミサイル防衛レーダーの日本南部および東南アジアへの配置も検 討され始めた。尖閣諸島への日米安保条約の適用も、あらためて明確に打ち出された(93)

中国周辺の諸国はおおむね米国のアジア「旋回」を歓迎する一方で、米国がその姿勢を 貫徹する意思、能力を持ち合わせているか懸念してきた。また、アジア太平洋諸国の対中 関係が、経済面では概して対米関係よりも密接なものとなっている状況において、米国の 狙いが円滑に実現するという保証はなかった。そうしたなかで、2012年11月のASEAN関連 首脳会議では、米国を除外した地域包括経済連携(RCEP)の交渉始動が宣言された。

むすびにかえて

以上にみるように、オバマ政権1期目の対外政策は、「問題解決の秩序」構築の前提となる イスラム圏との関係調整をめぐって幾多の問題を積み残すものであった。一方、中国が自己 主張を前面に押し出してきたことは、利益、課題の共有に力点を置く世界観そのものに疑念 が募る可能性を指し示すものであった。

さらに言えば、選挙戦の終盤において、具体的な外交・安全保障政策をめぐるロムニー候 補の主張は大統領の立場に似通ったものとなったが、そのことは決してオバマ政権の対外政

(12)

策に米国内で強固な土台が与えられたということを意味するものではない。

そもそもオバマ政権の世界観を―専門家ではなく―一般の米国民に受け入れさせるこ とは、必ずしも容易とは言えない。「力の移行」、「力の放散」を前提として提携関係の拡大を 説くよりも、「卓越」(primacy)の維持を訴える―さもなくば「孤立」への回帰を唱える―

ほうが、有権者にはわかりやすいと考えられるからである。実際、ロムニー候補の陣営が作 成した政策文書には、オバマ政権が米国を「衰退しつつある国家」と捉えており、しかもそ の衰退を「逆転」するのではなく、世界的な福利のために「管理」する対象とみているとの 批判が盛られていた(94)。また、ロムニー候補自身も、「〔大統領と違って〕米国の力を恥じては いない」と強調し、大統領は「米国の指導性を毀損した」と攻撃した(95)

加えて、外交、安全保障への資源投入が財政的にどこまで許容されるか定かでない。オバ マ大統領は2011年6月、アフガニスタンからの米軍撤退に関する演説のなかで、「ここ本国で の国家建設に焦点を据えるべき時だ」と述べたが(96)、その後も米国の景気回復には力強さが 伴ってこなかった。「財政の崖」からの転落はひとまず免れたものの、財政再建をめぐる党派 対立は収束する気配がなく、2013年

1月現在、歳出の強制削減が発動される可能性は残って

いる。ところが、パネッタ国防長官に従えば、国防費の強制削減は米軍に「破壊的」な作用 を及ぼすとされるのである(97)

オバマ大統領は2期目の就任演説で、(主として内政に関する) 進歩的 な立場を明確に打 ち出しつつ、「これまで以上に一つの国家、一つの国民として」課題に取り組まねばならない と力説した(98)。政治的な分極化が進んだ米国で、外交、安全保障のための国内基盤をどこま で確固たるものにしうるか、そしてそれを基礎にどれだけ有効な外交・安全保障政策を展開 していけるか、大統領の手腕がいよいよ試されることになると言えよう。

1 Barack Obama, National Security Strategy, May 2010(以下、NSS2010と略)(引用はpp. 7, 8より)

2 Hillary Rodham Clinton, Leading Through Civilian Power: The First Quadrennial Diplomacy and Development Review, December 2010(以下、QDDR2010と略), pp. 12–13, 14.

3 Robert M. Gates, Quadrennial Defense Review Report, February 2010(以下、QDR2010と略), p. 7.

4 NSS2010, pp. 5, 7.

5 NSS2010, p. 49.

6 Hillary Rodham Clinton, “Remarks on Internet Freedom,” The Newseum, Washington, DC, January 21, 2010.

7 QDDR2010, p. 9.

8 Barack H. Obama, “Remarks to the United Nations General Assembly in New York City,” Daily Compilation of Presidential Documents(以下、DCPDと略), September 23, 2009, p. 1.

9 NSS2010, p. 12.なお、NSS2010, p. 3では、これらへの対応に加えて、武力紛争や大流行病に対する 取り組みが「共通の利益」として言及されている。

(10) QDDR2010, pp. 11, 12.

(11) NSS2010, p. 9.

(12) Barack H. Obama, “Address Before a Joint Session of the Congress,” DCPD, February 24, 2009, p. 8.

(13) NSS2010, p. 11.

(14) NSS2010, p. 13.

(15) Hillary Rodham Clinton, “Foreign Policy Address at the Council on Foreign Relations,” Washington, DC, July

(13)

15, 2009.

(16)「問題解決の秩序」は中山俊宏の用語である。久保文明・中山俊宏・渡辺将人『オバマ・アメリ カ・世界』、NTT出版、平成24年、23ページ。

(17) NSS2010, p. 3.

(18) National Intelligence Council, Global Trends 2025: A Transformed World(以下、GT2025と略), November 2008, pp. 1, 81.

(19) National Intelligence Council, Global Trends 2030: Alternative Worlds(以下、GT2030と略), December 2012, p. 15.

(20) GT2025, p. 1; GT2030, p. 98.

(21) この命題は、A. F. K. Organski, World Politics(New York: Alfred A. Knopf, 1958)以来、「力の移行」

論の主要な要素を成していると言ってよい。

(22) Michael Spence, The Next Convergence: The Future of Economic Growth in a Multispeed World, New York:

Farrar, Straus and Giroux, 2011(引用はp. 56より)

(23) Fareed Zakaria, The Post-American World, Release 2.0, New York: W. W. Norton, 2011(引用はp. 5より)

(24) Joseph S. Nye, Jr., The Future of Power, New York: PublicAffairs, 2011.

(25) GT2030, p. 101.

(26) Nye, Future of Power, pp. xvi–xvii, 17.

(27) Zakaria, Post-American World, pp. 257–258.

(28) QDR2010, p. 60.

(29) 例えば、GT2030は、中国が経済規模で米国を凌駕する時期を「2030年の両三年前」(国内総生産

〔GDP〕を購買力平価〔PPP〕で測った場合は「2022年」)とみている(p. 15)。ただし、経済力の 質や軍事力ではそれ以後も当分米国の優位が続くであろう。また、米国は人口構成の面で長期的 に中国より有利であるほか、シェールガス等の開発を通じて経済拡大を促進しうると予想される。

(30) Hillary Rodham Clinton, “Remarks at the U.S. Institute of Peace China Conference,” U.S. Institute of Peace, Washington, DC, March 7, 2012.

(31) Barack H. Obama, “Inaugural Address,” DCPD, January 20, 2009, p. 3.

(32) Barack H. Obama, “Remarks to the Grand National Assembly of Turkey in Ankara, Turkey,” DCPD, April 6, 2009, p. 5.

(33) Barack H. Obama, “Remarks in Cairo, Egypt,” DCPD, June 4, 2009, p. 1.

(34) Obama, “Remarks in Cairo,” p. 4.

(35) Barack Obama, “Responsibly Ending the War in Iraq,” Camp Lejeune, North Carolina, February 27, 2009

(http://www.whitehouse.gov).

(36) Barack H. Obama, “Remarks at the Veterans of Foreign Wars Convention in Phoenix, Arizona,” DCPD, August 17, 2009, p. 3.

(37) Barack H. Obama, “Remarks on United States Military and Diplomatic Strategies for Afghanistan and Pakistan,” DCPD, March 27, 2009, p. 2; Do., “Remarks at the United States Military Academy at West Point, New York,” DCPD, December 1, 2009, p. 2.

(38) ただし、2012年5月に結ばれた戦略提携協定により、アフガニスタン治安部隊の訓練等で2014 以降も米軍が展開する可能性が開かれた。“Fact Sheet: The U.S.-Afghanistan Strategic Partnership Agreement,” May 1, 2012(http://whitehouse.gov).

(39) Barack Obama, “Remarks on Senate Actions to Block the Vote on the Nomination of Richard A. Cordray to Be Director of the Consumer Financial Protection Bureau and an Exchange with Reporters,” DCPD, December 8, 2011, p. 2.

(40) Obama, “Remarks in Cairo,” p. 5.

(14)

(41) Barack Obama, “Remarks at the Department of State,” DCPD, May 19, 2011, p. 8.

(42) Obama, “Remarks at Department of State,” p. 4.

(43) Hillary Rodham Clinton, “Keynote Address at the National Democratic Institute’s 2011 Democracy Awards Dinner,” Andrew W. Mellon Auditorium, Washington, DC, November 7, 2011.

(44) Clinton, “Keynote Address at Democracy Awards Dinner.”

(45) United Nations, Security Council, “Resolution 1973(2011),” March 17, 2011, par. 4.

(46) Barack Obama, “Address to the Nation on the Situation in Libya,” DCPD, March 28, 2011, pp. 4–5.

(47) Barack Obama, “Remarks on the Death of Former Leader Muammar Abu Minyar al-Qadhafi of Libya,”

DCPD, October 20, 2011, p. 2.

(48)「背後からの指導」については、まずRyan Lizza, “Leading from Behind,” April 27, 2011(http://www.

newyorker.com)を参照。

(49) Barack H. Obama, “Remarks in Prague, Czech Republic,” DCPD, April 5, 2009(引用はpp. 3, 5より)

(50) Robert M. Gates, Nuclear Posture Review Report, April 2010.そこでは米国、同盟国、提携国に対する 核攻撃の抑止が米国核兵器の「基本的役割」と記され、またこれを「唯一の目的」とすべく努力 することが謳われた(pp. 15–17)

(51) Obama, “Remarks to Grand National Assembly of Turkey,” p. 4. なお、イランでは2009年6月に反政 府デモが盛り上がったが、米国は目立った行動をとらなかった。

(52)「オリンピック・ゲームズ」については、David E. Sanger, “Obama Order Sped Up Wave of Cyberattacks against Iran,” New York Times, June 1, 2012を参照。

(53) “Media Roundtable with Secretary Gates from Beijing, China,” January 11, 2011(http:// www.defense.gov).

(54) ただし、情報機関が2007年に下した、イランが核兵器の開発を2003年に中断したという判断が 捨てられることはなかった。その判断はNational Intelligence Council, National Intelligence Estimate:

Iran: Nuclear Intentions and Capabilities, November 2007に盛られている。

(55) “At UN General Debate, Israeli Leader Calls for ‘Red Line’ for Action on Iran’s Nuclear Plans,” UN Daily News, September 27, 2012, p. 3.

(56) Robert M. Gates, Ballistic Missile Defense Review Report, February 2010(引用はp. 15より)

(57) NSS2010, p. 43.

(58) Barack H. Obama, “Remarks at a Town Hall Meeting and a Question-and-Answer Session in Shanghai, China,” DCPD, November 16, 2009, p. 4.

(59) “Joint Statement by the United States of America and the Republic of China[sic],” DCPD, November 17, 2009, p. 4.

(60) Michael D. Swaine, “China’s Assertive Behavior: Part One: On ‘Core Interests,’ ” China Leadership Monitor,

No. 34(February 22, 2011). また、前田宏子「中国における国益論争と核心的利益」『PHP Policy

Review』第6巻第48号(平成24年2月2日)をも参照。これらの文献については、高木誠一郎氏の

示唆による。

(61) 加えて、中国はシリアの問題でも、3度にわたってロシアとともに国連安保理で拒否権を行使し た。

(62) 中国の「立入阻害」能力については、Department of Defense, Military and Security Developments Involving the People’s Republic of China, 2011: Annual Report to Congress, August 2011等に詳しい。

(63) こうした南シナ海の意義に関しては、例えばLeszek Buszynski, “The South China Sea: Oil, Maritime Claims, and U.S.-China Strategic Rivalry,” Washington Quarterly, Vol. 35, No. 2(Spring 2012), pp. 146–147 参照。

(64) Robert D. Kaplan, “The Geography of Chinese Power: How Far Can Beijing Reach on Land and at Sea?”

Foreign Affairs, Vol. 89, No. 3(May/June 2010); Aaron L. Friedberg, A Contest for Supremacy: China,

(15)

America, and the Struggle for Mastery in Asia, New York: W. W. Norton, 2011.

(65) David Shambaugh, “China Engages Asia: Reshaping the Regional Order,” International Security, Vol. 29, No.

3(Winter 2004/05), p. 65; Do., “Coping with a Conflicted China,” Washington Quarterly, Vol. 34, No. 1

(Winter 2011), p. 17.

(66) Hillary Rodham Clinton, “Press Availability at the ASEAN Summit,” Sheraton Grande Laguna, Laguna Phuket, Thailand, July 22, 2009.

(67) Barack H. Obama, “Remarks in Tokyo, Japan,” DCPD, November 14, 2009, pp. 2, 3.

(68) Hillary Clinton, “America’s Pacific Century,” Foreign Policy, No. 189(November 2011), pp. 57, 58.

(69) Barack Obama, “Remarks to the Parliament in Canberra, Australia,” DCPD, November 17, 2011, pp. 2, 3.

(70) Clinton, “America’s Pacific Century,” p. 61.

(71) Clinton, “America’s Pacific Century,” pp. 58, 59.

(72) そうした報道の先駆けとなったのは、Edward Wong, “Chinese Military Seeks to Extend Its Naval Power,” New York Times, April 23, 2010である。

(73) この点については、防衛省防衛研究所『中国安全保障レポート2011』(平成24年2月)、21ペー ジ等が参考になる。

(74) Hillary Rodham Clinton, “Remarks at Press Availability,” National Convention Center, Hanoi, Veitnam, July 23, 2010.

(75) Clinton, “America’s Pacific Century,” p. 61.

(76) “Background Briefing by a Senior Administration Official on the President’s Meetings at ASEAN and East Asia Summit,” November 19, 2011(http://www.whitehouse.gov).

(77) 例えばHillary Rodham Clinton, “Remarks with Indonesian Foreign Minister Raden Mohammad Marty Muliana Natalegawa,” Ministry of Foreign Affairs, Jakarta, Indonesia, September 3, 2012; Do., “Remarks with Chinese Foreign Minister Yang Jiechi,” Great Hall of the People, Beijing, China, September 5, 2012を参照(引 用は後者より)

(78) Barack Obama, “The President’s News Conference in Kapolei, Hawaii,” DCPD, November 13, 2011, pp. 4, 5.

(79) この表現はすでに2009年11月、オバマ大統領の東京における演説で使われていた。Obama,

“Remarks in Tokyo,” p. 5.

(80) Barack Obama, “The President’s News Conference with Prime Minister Julia E. Gillard of Australia in Canberra, Australia,” DCPD, November 16, 2011, p. 8.

(81) “Transcript of the Third Presidential Debate,” New York times, October 22, 2012.

(82) “Press Briefing Previewing the President’s Trip to Hawaii, Australia and Indonesia, 11/9/2011,” November 9, 2011(http://www.whitehouse.gov).

(83) Barack Obama, “Remarks at an Asia-Pacific Economic Cooperation Summit Working Session in Kapolei, Hawaii,” DCPD, November 13, 2011, p. 1.

(84) Obama, “News Conference in Kapolei,” p. 1.

(85) Obama, “News Conference with Prime Minister Gillard,” pp. 1, 3.

(86) Obama, “Remarks to Parliament in Canberra,” p. 3.

(87) QDR2010, p. 5.

(88) M.G. Mullen, The National Military Strategy of the United States of America: Redefining America’s Military Leadership, February 2011, pp. 14, 21.

(89) Leon E. Panetta, Sustaining U.S. Global Leadership: Priorities for 21st Century Defense, January 2012, p. 2.

(90) “Joint Statement of the Security Consultative Committee,” Washington, DC, April 26, 2012(http://www.state.

gov).

(91) “Joint Statement from Secretary Panetta and Singapore Minister for Defence Ng,” April 4, 2012(http://www.

(16)

defense.gov). なお、Thom Shanker, “Panetta Set to Discuss U.S. Shift in Asia Trip,” New York Times

(September 13, 2012)によれば、米国は「最新装備」をすべてアジア太平洋に投入する構えである と言う。

(92) Leon E. Panetta, “Speech,” Shangri-La Hotel, Singapore, June 2, 2012(http://www.defense.gov).

(93)「尖閣は安保対象 米次官補が証言 上院公聴会」『読売新聞』平成24年9月21日、Hillary Rodham Clinton, “Remarks with Japanese Foreign Minister Fumio Kishida After Their Meeting,” Benjamin Franklin Room, Washington, DC, January 18, 2013等を参照。

(94) An American Century: A Strategy to Secure America’s Enduring Interests and Ideals: A Romney for President White Paper, October 7, 2011, p. 9.

(95) “Transcript: Mitt Romney’s Remarks at VFW National Convention,” July 24, 2012(http://foxnewsinsider.

com).

(96) Barack Obama, “Address to the Nation on the Drawdown of United States Military Personnel in Afghanistan,”

DCPD, June 22, 2011, p. 3.

(97) Felicia Sonmez, “Debt-Panel Failure Would Result in ‘Devastating’ Defense Cuts, Panetta Says,” Washington Post, November 14, 2011.

(98) Barack Obama, “Inaugural Address,” DCPD, January 21, 2013, p. 2.

うめもと・てつや 静岡県立大学教授

Referensi

Dokumen terkait