1998年6月
﹁山崎与次兵衛寿の門松﹂の問題
勝 倉 壽 一
30 福島大学教育学部論集第64号
問題の所在
﹁山崎与次兵衛寿の門松﹂︵以下︑﹁寿の門松﹂と略称︶は︑享保三年
(一
オ一八︶正月二日初日︑竹本座で上演された︒近松世話物の二十曲
目の作品である︒しかし︑研究史を通観するとき︑従来この作品への研
究者の関心は乏しく︑本格的な作品論は数報に止まる︒このことは︑論
者の作品評価にも明瞭に認められる︒
つとに︑暉峻康隆氏はこの作品を﹁近松晩年の代表作の一つである﹂ ハにロと評して︑史的意義に価値を認めたが︑作品の内実に関する論者の評価
は必ずしも一定していない︒これより早く︑黒木勘蔵氏は﹁作全体とし
て中心人物の影の稀薄なる事︑お目出たづくしで正月気分が安価に出過
ぎて居るやうに思はれる点など︑近松の世話物としては上作とは言ひ得
ないが︑中の巻浄閑内の段だけは技巧の上に於ても︑又人物の活動の上 でヨこに於ても勝れた場面である︒﹂と説いていた︒
これに対して︑横山正氏は主に男主人公である山崎与次兵衛の人物形
象に注目し︑﹁性格の著しく鞏固な純粋に町人的な与次兵衛の人間像を
創造し︑形象化した﹂ところに評価の視点を据えて︑次のように説いて
いる︒ 他人︵与平︶の行為の結果を一言の弁解もせず︑自己の責任として
引受け︑粋に通じた純町人的意志の鞏固さを示している︒その発狂
も性格の弱さとみるよりも︑むしろ強すぎるための義と情との烈し ハヨロ い苦悩の結果と解すべきであろう︒ しかし︑義兄弟の約束をした難波屋与平︵難与平︶の傷害事件の身代わりとなり︑男同士の義理と周囲の恩情の間で煩悶から発狂するドラマの展開において︑目前の苦難に身を挺して対処すべき主人公の位相を欠き︑事の解決を他者に委ねた作品の構図について見るとき︑横山氏の所説は多くの異見を生ぜしめるものと思われる︒ 重友毅氏は﹁寿の門松﹂を﹁近松の作品として︑必ずしも上乗のものではない︒﹂とする全体評価を基盤として︑ しかし︑それは主として︑下の巻における事件の解決が︑あまりに も安易な形でなされていることによるもので︑上の巻︑中の巻は︑ それぞれに見所があり︑とくに中の巻に至っては︑堂々の出来栄え へまマ を示したものといってよい︒と説く︒氏の見解は黒木氏の所説に重なるものであり︑中之巻で罪に服した与次兵衛を救うために苦慮する父親浄閑の町人道の信念と︑情愛との葛藤に最大評価を与えている︒ 一方︑千葉篤氏は﹁この作品は悲劇的なものを含みつ\全体として喜劇的色調の濃い異色的作品である︒﹂と捉え︑﹁主人公与次兵衛にあるはずの吾妻への強烈な恋と行動力は︑与平という人物の創造によって代替されてしまっている﹂こと︑及び与次兵衛の妻である﹁お菊の処遇に割 ウうロり切れぬものが残る﹂ことを指摘している︒
千葉・重友両氏が指摘されたように︑近松は与次兵衛と大坂新町の遊
(一
j
一山崎与次兵衛寿の門松、の問題 29
壽倉
勝
ハ り女吾妻が﹁末は千秋万年も変らぬ︒妹背を重ね﹂たとする下之巻結末の
大団円に導くために︑夫のために献身する妻お菊を下之巻から消し︑与
次兵衛をはさむ本妻と情人との本質的な対立関係は曖昧なままに止めて
いる︒このことは︑﹁寿の門松﹂の評価と近松世話物における史的位置
について見逃しえない問題を生ぜしめていると言ってよい︒
ところで︑﹁寿の門松﹂の題材については︑宝暦七年︵一七五七︶刊
の﹃澪標﹄に所載の与次兵衛・吾妻伝承が典拠とされており︑一曲全体 なごの構成に紀海音作﹁椀久末松山﹂の影響を受け︑部分的に西鶴﹁目本永 ハヨい代蔵﹂巻一の二﹁二代目に破る︑扇の風﹂の趣向を取り入れたことが知ら
れている︒与次兵衛・吾妻の伝承は︑元禄長﹄一年︵一七︵︶○︶刊の﹃落
葉集﹄巻四﹁古来当流踊歌百番﹂中の第一番﹁山崎与次兵衛踊﹂をはじ
め︑当代の観客に周知のものであったと推測される︒従って︑近松が与
次兵衛・吾妻伝承を作品化するにあたっては︑観客に周知の条件を踏ま
えて構想することが求められたはずである︒
﹁山崎与次兵衛踊﹂︑及び﹃澪標﹄所載の伝承は次のとおりである︒
◇山崎与次兵衛踊
吾妻うけ出す山崎与次兵衛︑うけ出すく山崎与次兵衛︑今は思ひ
の下紐とけて︑廓住ひの憂さ辛さをば︑聞くもなかく恨めしや︑ <︑聞くもなかく恨めしや︑せうがのくこれくこれくし
ましよかの︑そつこでうけ出旦..百両︑二口合せて六百両︑すっと
しょ天秤︑はり口ちんからり︒
◇澪標 寛文年中此家︵富士屋︶の抱に吾妻といへる太夫ありて︑越中夕霧
にもならぶほどの全盛にてありし︑器量すぐれ天性位高く︑其L糸
竹一通はいふに及ばず︑万芸に通じ︑諸国の群客我一とまみゆる事
を争ふ︑其中に摂州山本村に坂ヒ与次右衛門といへる有徳人ありけ
る︑あるとき此津に来り︑あづまの名高きにひかれ︑九軒町井筒屋
太郎右衛門が方にて︑此あづまにふと折よく逢初しょり︑昼夜足を ︵一.︶
愛にとゴめ︑それより馴染をかさね揚詰のあそび︑井筒屋の座敷を
建直しやりけり︑此大臣与次右衛門定紋三ツ柏にて有けるより︑太
郎右衛門が座敷の釘かくし残らず柏のかな物を打したり︑結構の家
造筆にも及びがたし︑此井筒屋太郎右衛門といふ揚屋は︑四五年以
前絶はて今はなし︑与次右衛門建立のざしきも︑終に水上の泡と消
うせたり︑大臣山本与次右衛門を︑世に山崎与次兵衛とぞ云替たり︑
其比にも珍敷事にてありしにや︑歌を作り︑あづま請だせ山崎与次
兵衛︑うけだせく山崎与次兵衛︑そつこで請だせ三百両と謁ひし
なり︑其比女郎の身の代一.一百両といへるはめづらしき事にて︑今云
千金の幅よりもすさまじかりし︑此あづま坂上氏になじみて後︑我
すがたを画て賛望まれければ︑
身はなには心はみやこ名はあづまとのぶりのぼる恋の山本
と書付送りしょし︑今に摂津国河辺郡山本村某に件の一軸伝来すと
也︑寿門松︑在所駕などいへる作り浄瑠理文句も︑みな少しづ\由 ハぬ 縁あること也︑⁝・
与次兵衛・吾妻伝承の始発が寛文年中の事であるとすれば︑その踊歌
が﹁落葉集﹄に収められる︑二長年以前の事であり︑﹁寿の門松﹂の成立
は伝承の始発から約五十年後に当たる︒また︑その伝承が﹁澪標﹄に記
されたのは近松作から四十年後の事である︒﹃澪標﹂の記載内容が九十
年にわたる伝承を正確に伝えているとすれば︑それに先立つ﹁寿の門松﹂
がその伝承から一定の影響や拘束を受けたであろうことは想像に難くな
い︒その中心をなす条件が大尽山崎与次兵衛による吾妻身請けであり︑
﹁末は千秋万年も変らぬ︒妹背を重ね﹂たとする本作結末の大団円は︑
ドラマを性格づける決定的な条件であったことになる︒
しかし︑この結末は作品の構成に多くの矛盾︑破綻を生み︑読む者に
大きな違和感を与えることになった︒そのことは︑心中物を書き継いで
きた近松が︑自らの世話物が抱える基本的・本質的な問題に直面した作
品であったことをも意味していると言ってよい︒
1998年6月 28 福島大学教育学部論集第64号
二 登場人物の設定
L之巻﹁新町揚屋の段﹂は︑正月の大坂新町の遊里︑太夫吾妻の華や
いだ道中を妨げるように老母と息子の難与平が現れることから始まる︒
恋する男の真情にほだされた吾妻は︑自分には夫婦同然の男がいること
を語り︑杯を交わす︒そこに︑吾妻に執心の煙草屋彦介が酔って現れ︑
無理難題をしかけるので︑与平が彦介を追い出す︒吾妻の愛人山崎与次
兵衛も現れて︑与平と義兄弟の約束をする︒与平は吾妻に貰った金を元
手にして一旗揚げるために江戸にドるが︑途中で待ち伏せていた彦介と
喧嘩になり︑彦介に怪我を負わせて逃げ去る︒
以上が上之巻の粗筋であるが︑まず︑この難与平の設定をどのように
捉えるかが問題となる︒
与平は船場の豪商難波屋与左衛門の遺児であり︑父親が為替金に行き
詰まり︑零落して死去したため︑﹁千貫目の大釜の湯気で育つたやつな
れど︒今では銭一貫の廻しもならず﹂﹁その日過の日傭取﹂の境遇にあ
るという︒その与平が吾妻に一目惚れしたため︑恋患いを思い切らぜる
ために母親の思案で吾妻から杯を貰い︑揚屋で酒宴になった気分で満足
させようとする︒同情した吾妻は与次兵衛のために工面した十両の包み
を渡し︑大尽の身なりで揚屋に来るよう促すが︑与平は銀を投げ出しし
のび泣く︒
渡す小判を︑難与平︒吾妻が膝へどうど投げつけ︒胴欲にござる︑
曲がない︒おりや銀にや惚れぬ︒貧な者と侮って︑銀で口を塞ぐの
か︒我らが宿は庭かけてヒ畳半︒貧乏神のお旅所といひさうな住ひ︒
師走︑正月も回し布子↓枚なれど︒傾城に銀貰うて揚屋へ行たと言
はれては︒この難与平︑人中へ面が出されうか︒恋にかこつけ物取
とは︑目利が違うた吾妻様︒
恋の相手に対しても毅然とした態度を持する誇り高さと真情の証に小
指を切ろうとする一途さは︑ドラマの本来的な主人公の資格を有するも のと見てよい︒与平は︑吾妻の与次兵衛に寄せる真情と︑金で縛られた吾妻の境遇を哀れみ︑恋する女と恋敵のために義侠心を示す︒ 吾妻様と与次兵衛殿︑これほどの深い仲︒聞捨てては男が立たぬ︒ この銀をこのま\置けば︑揚屋の庭銭︑埃になってすたります︒小 判と見れば小判︑吾妻様の身の油︒銀をおれが預って︑こっちも身 からあぶら商ひ︒どか儲すれば︑どか損する︒ついと江戸へ下って︒ 十両を百両︑百両から二百両︒二︑白両から五百両︑だんく儲の商 ひ拍子︒千両にするは︑三つ羽の征矢︒関東廻しの商ひの筋道は︑ 我らが家︒吾妻様根引にし︑与次兵衛殿とお.一人悦びの顔を見て︒ 今日の情の御厚恩をおくらねば︒この難与︑平立たぬ<︒ しかし︑父親の破産により零落しきった与平母子の現状から見れば︑吾妻身請けを期待しうる計画ではない︒むしろ︑父親の破産を招いたその投機的な商いには︑さらに﹁どか損﹂の危険性さえある︒にもかかわらず︑この与平の言葉が以後のドラマの展開を支える予祝的な意義を担っていることから見れば︑そこに二器量ある男﹂の運命打開のための積極的・意志的な行動力と決断力が示されていると見なければなるまい︒また︑それが恋する吾妻への無償の義侠心であることからすれば︑そこに本来の主人公の資格を認めることも自然であろう︒吾妻の恋人でありながら︑すべてに受動的で運命打開の見通しや決断力∴何動力を持たず︑自ら破滅の道を歩む与次兵衛とは対照的である︒ このことは︑一方の当事者である与次兵衛が︑難与平に匹敵する主人公の要件を備えているかという問題を提起することになる︒千葉氏は次のように説いている︒ 主人公与次兵衛にあるはずの吾妻への強烈な恋と行動力は︑与平と いう人物の創造によって代替されてしまっている︒したがって︑目 力によるその窮地からの脱出は不可能となり︑事件はハッピーエン ドに落着しても︑それは︑他から持ち込まれた解決であり︑完全な
喜劇としての感動を呼び起こさないのである︒
︵三︶
︵四︶
山崎与次兵衛寿の門松」の問題 27
一
壽倉勝 金で買われた吾妻を廓から解放するという主人公の本来的な働きはすべて与平の力に委ねられ︑与次兵衛は与平との義理に命を懸けることになる︒しかも︑与平による致傷問題の処理策が彦介の﹁もがり﹂︵強請︶であることを見抜きつつも︑与次兵衛は座敷牢に軟禁の身として行動を縛られ︑運命の展開を座視するしかない設定となる︒事件は︑父親浄閑︑妻お菊︑岳父治部右衛門︑及び吾妻の悲嘆︑苦悩︑その果てに与次兵衛の逃亡を謀る実行行為へと展開する︒主人公である与次兵衛が︑情人である吾妻との恋の貫徹︑または遊女の境遇からの解放のために苦悩し︑行動するのではなく︑当てのない逃避行の果てに与平が解決を代行するという構図の抱えている問題に注目する必要がある︒ 次に︑吾妻の位相について考えたい︒吾妻は︑大坂新町藤屋勘右衛門抱えの全盛の太夫であり︑与次兵衛とは夫婦同然の間柄にあった︒ 恋というては︑ちよつとの言葉も交されぬ深い男があるわいな︒山 崎の与次兵衛様と申して︑新造の初床より︒面白いと悲しいと訳の ありたけし尽して︒勤は名ばかり︑夫婦というて︑いま一人と︒外 には漏す水もなし︒ 与次兵衛との間は過去に﹁面白いと悲しいと訳のありたけし尽して︒勤は名ばかり︑夫婦という﹂程の仲であるという︒絶対に離れえない間柄であり︑通常は破滅を予感させる設定である︒しかし︑借金のかたに
二重売りされる﹁心中重井筒﹂のお房や︑意に沿わない身請け話が進行
する﹁冥途の飛脚﹂の梅川︑﹁心中天の網島﹂の小春のような外部から
の強圧的・危機的な条件設定はない︒それは︑与平の真心に打たれた吾
妻が自らの境遇を語る次の二.一・葉に明瞭である︒
与次兵衛様には幼馴染の本妻あり︒父御様は隠れもないいしんぢよ
なり︒わしから起るお宿のもや<︑悋気やら御意見やら︒後の師
走の.一十日前︑ちよつと逢うて︑それからは︒不首尾︑不首尾の文
ばかり︑おろせ︑揚屋の付届︒初紋日の買論も︑わしが︼人の胸算
用︒年のあるヒ年切増し︑男の恥を包むほど︒身抜けのならぬこの 苦患︒廓で婆になる吾妻︒かはいと思うてくだされと︒恥もあはれ もうち明けて︒つがなくこぼす正月の涙も︒顔に憎からず︒ 本質的には妻ある男との恋であり︑吾妻の存在が男の家庭不和の原因となっている︒本妻の嫉妬や父親の意見事︑金銭の不首尾︑逢えない辛さなどは︑すでに宝永四年︵一七〇七︶の﹁心中重井筒﹂で取り上げたテーマである︒そのドラマは男と遊女の心中で決着しており︑その時に遊女側︑本妻側の抱える問題を本質的なところで捉えている︒十二年後の﹁寿の門松﹂で再び同様の設定を構えたについては︑﹁心中重井筒﹂のテーマをどこまで深めえたか︑翌々年︵一七二〇︶の﹁心中天の網島﹂の﹁女同士の義理﹂にどのように結びついていくのかが問題となる︒ 一方︑与次兵衛・吾妻を窮地に追い込む敵役の彦介は︑吾妻に岡惚れの煙草屋に設定されている︒ そこな遺手め︑よう聞け︒いかな吾妻殿でも︒太夫様でも︒ひつき やう値段の高い惣嫁ぢやないか︒なんと︒言やる︒いやとは申され まい︒それに山崎与次兵衛には売って︒この葉屋の彦介にはなぜ売 らぬ︒︵略︶忝くも桓武天皇無体の後胤︒摂州津の国服部の住人︑ 葉屋の彦介︒大阪に五間口の店も所持つかまつる︒貸蔵も持参つか まへさ︒大銀持を知らぬかナ︒︵略︶都島原︑上林の高橋に銀使う て髪切らせた︒伏見撞木町︑升屋の高尾に︒またした\か使うて︒ 心中に生爪を放してくれた︒また︑鼻もそいでくれた︒耳をそいで くれた︒大々尽の彦介︒山崎の与次兵衛にし負けて︒藤屋の吾妻に︒ 三度︑四度振られては︑この彦介一分立たぬ︒︵略︶金銀米銭ぐわ らり︒ぐわらりと蒔散したら︑吾妻がくるり/\と廻らざ賭ぢや︒ サア≦買うたと︑しなだれ寄れば︒ 全盛の太夫も﹁ひつきやう値段の高い惣嫁﹂と言い切る彦介は︑遊女を人間扱いせず︑金が支配する廓の非情な掟を信奉する上層町人の一員として設定されている︒遊女に生爪を放させることも︑髪を切らせるこ
とも︑すべては金次第であり︑財力に勝る自分が与次兵衛に心を寄せる
1998年6∫ヨ
26 福島大学教育学部論集第64号
吾妻を意のままに出来ないことに屈辱を感じている︒しかし︑彦介は︑
吾妻を与次兵衛と張り合い︑金の力で靡かせようとするが︑その財力は
吾妻の身請け問題で二人を窮地に追い込む力はない︒そこに﹁ぜいこき﹂
︵身の程を弁えずに大言を吐く者︶の﹁うるさい和郎﹂と蔑視される︑
廓の嫌われ者彦介の形象意図があった︒
エイあた贅張った︑聞きともない︒その高橋とやら︑高尾とやらは︒
そなたのやうなうつそりでも︒銀さへ使へば髪も切ろ︑爪も放そ︒
京や伏見は知らぬが︑この︒新町の傾城は魂が違うた︒おそらくこ
の吾妻はいかな<︒一生身揚りし暮しても︒そなたのやうな意地
腐に︒小判の挺子でも動く女郎ぢやないぞや︒
与次兵衛・吾妻を窮地に追い込む危機を︑借金︑他者による身請け問
題という常套的な条件設定から離れて︑結末の大団円に結合させる致富
談を取り込んだ時︑敵役は単なる憎まれ役に矮小化されざるを得ない︒
財力にものを言わせた彦介の傲慢な態度に︑吾妻は激しい反発と憤りを
示すのであるが︑その台詞は京・伏見の遊女に対する大坂遊女の意気地
と強烈な対抗意識を語るに止まる︒
そこで︑新たに構想されたのが︑与平による彦介への致傷事件と︑男
同士の義理を遂行するための与次兵衛の命を懸けた身代わりという構図
である︒
三 危機的状況設定の問題
次に︑主人公たちを窮地に追い込む危機的状況の設定について考えた
い︒ 酒に酔った彦介が吾妻に言い寄り︑従わせようと乱暴を働くのを︑炬
燵に隠れていた与平が懲らしめ追い払う︒与平に踏みつけられた彦介は
﹁聞えた<︒与次兵衛がまはし者︑彦介を踏んだぞよ︒山崎与次兵衛
覚えてをれ︒﹂と捨て台詞を残して逃げ去る︒彦介が初対面の与平を
﹁与次兵衛のまはし者﹂と即断したのはやや無理な設定であるが︑これ は吾妻をめぐる日頃の対立と酩酊のためであると解するしかない︒遺恨を持つ彦介は廓の外に隠れ︑﹁蛇の目の紋をしるべにて︑与次兵衛と見るよりも︒欺し賺してはたと斬﹂りかかり︑かえって怪我を負うことになる︒ 彦介はうろくと︒相手は山崎与次兵衛︒井筒屋の客めぢやと︑喚 き立つれば︑与次兵衛︒聞くより胸にはつしとこたへ︑与次兵衛こ れにと立出づる︒ 廓における顛末を聞き︑義兄弟の契りを結んだ与平が廓を出た直後の喧嘩騒ぎであるから︑与次兵衛が彦介の相手を与平であると判断することは︑一見自然であるように見える︒しかし︑与次兵衛は与平が彦介に疵を負わせた事実は見ておらず︑一方的な速断であるという感じは残る︒彦介も与次兵衛自身の手による負傷であると誤認している︒事は与次兵衛の死罪にも及ぶ決定的な危機の成立状況を語るものであるが︑蓋然性に寄り掛かり︑かつ与平に訴訟事に及ぶ加害の認識がなく︑与次兵衛の
一方的な義理立てを強調するためのやや無理な設定であるという感は否
めない︒ ともあれ︑彦介の負傷事件は公儀の手に委ねられ︑与次兵衛は父親浄
閑預かりとして︑座敷牢に謹慎の身となる︒
九軒町の喧嘩︒葉屋の彦介手負ひしこと︒代官所の沙汰となり︒相
手山崎与次兵衛と訴ふれば︒与次兵衛も男の義理︑難与平とは顕さ
ず︒わが身の替に引受け︑親浄閑に預けられ︒相手の傷は養生し︑
死ぬるか本復か︒二つ一つの左右次第︑我も生きる瀬︑しぬる瀬を︒
定めかねたる飛鳥川︒
事の処理が公儀の手に委ねられ︑与次兵衛がその罪を﹁わが身の替に
引受け﹂た以上︑彦介が死ねば死罪は免れない︒﹁男の義理﹂のために
身代わりの死を覚悟する︑切迫した状況設定であると言ってよい︒
しかし︑その負傷の状況はやや曖昧である︒
ひらりとはづし難与平︒さては宵の戯気者︑意趣返しの待伏せかと︒
︵五︶
︵六︶
一山崎与次兵衛寿の門松一の問題 25 勝倉壽
つ\と入って跳倒し︑小刀を逆手にめった突き︒眉間を突かれ︑の
た打って︒ヤレ人殺しと声立つる︒見つけられては出世の邪魔と︒
おくれを見せぬ難与平︑風を負うてぞ逃失せける︒︵略︶声を知る
べに彦介は後よりしっかと抱止め︒相手は捕へた組伏せた︒騒ぐま
いと言ひければ︒
﹁−めった突き﹂という表現は観客に彦介の怪我が重症であることを推
測させるとともに︑与次兵衛を組み伏せた行為と︑周囲を制止する彦介
の態度からは軽傷であったことをも想像させる︒彦介の負傷の程度が曖
昧化されていることは見逃せない︒
さらに︑事を表沙汰にした彦介の行為に﹁もがり﹂を推測する与次兵
衛の言葉も︑危機的状況の設定を曖昧化している︒
彦介めが︑与次兵衛やらぬ覚えたかと︑しかけた喧嘩︒身が斬った
も同然︒ことにその斬手とは男同士の義理ある仲︒奈落の底まで︑
この与次兵衛が斬ったになって︒相手が死んだら斬らる\覚悟︒と
はいへ彦介め︑さほどの傷ではなけれども︒ねだって銀にするもが
りとは鏡にかけたこと︒みすく銀で買はる\命︒こっちの蔵の金
銀では買はれぬさうな︒
﹁もがり﹂とは﹁非道をもととして言分をこしらへ理をうるたくみな ハロレどする者を︑かく云ふ也︒﹂︵﹁色道大鏡﹂︶とある︒与次兵衛は﹁男同士
の義理﹂のために死罪も覚悟しているが︑一方で彦介が大袈裟に騒いで
公けにしたのは﹁ねだって銀にするもがり﹂であると見抜いている︒事
実︑後に彦介から浄閑が示談金を巻き上げられることになるのだが︑生
死の淵に立たされたはずの与次兵衛の口から︑彦介が傷害事件を公儀に
届け︑示談交渉で大金を巻き上げる魂胆であると暴露されることにより︑
ドラマの緊張感は急速に薄れてしまうことになる︒
四 浄閑の町人道の問題
中之巻﹁山崎浄閑屋敷の段﹂は
、妻お菊の心労を見兼ねた父親梶田治彦介の傷と底意の程度を見て取り︑町人の本道に立ち戻った﹁生え抜き ﹁与次兵衛に対する︑教訓の意図﹂と不調に終わった示談交渉における ﹁中途半端なもの﹂であり︑﹁それほど積極的な意味があるのでない﹂が︑ 道の本来の道を貫く意志を示したのであると説かれる︒浄閑の長口舌は 浄閑が金銭による解決を拒否したことについて︑重友氏は浄閑が町人 坊主頭を将棋盤とんと投伏し泣きけるが︒ で惜しいもの︒たった一人の怖が命︒惜しうなうてなんとせうと︒ かねる︒吝い名をとるこの浄閑︑金銀ばかり惜しむでなし︒塵灰ま て︑いかなる天罰大難にがな逢ひをろかと︒かはいいほどなほ出し の道︒銀の罰の当ったやつ︑まだこの上に︑惜しげもなう︒銀出し 閑も知ったれども︒死ぬるまで金銀を神仏と尊ぶ︒これが町人の天 出さぬ︒なんぽう惜しみ貯へても︑死んでは帷子一枚とは︒この浄 銀︒大事の宝といふことを与次兵衛めが知ったれば︒この難儀はし 水させても︑いかなく助らねど︒金銀では助る︒命の買はる\金 る︒これが道と申すもの︒︵略︶国法で取らる\命には︑人参で行 利得を捨てて名を求め︒町人は名を捨てて利得を取り︑金銀を溜め の子は町人の親が育てて︑商売の道を教ゆる故に商人となる︒侍は 侍の子は侍の親が育てて︒武士の道を教ゆる故に武士となる︒町人 浄閑は町人の道を次のように説く︒ する武士的な覚悟と潔さを示すという皮肉な構図をなしている︒ よる解決を求めるのに対して︑町人である浄閑が子の身代わりに罪に服 くための準備設定であり︑武士である治部右衛門︑その娘お菊が金銭に との縁組を進めたのであるという︒浄閑が武士の道と異なる町人道を説 と治部右衛門が強情を張って︑町人で分限者である浄閑の息子与次兵衛 組を望んだのを︑浄閑は町人でも広く名を知られ﹁武士交りもする仁﹂ 治部右衛門は浪人の身で︑お菊の縁組の時︑老妻が小身でも侍との縁 町人の道を語って拒むことから始まる︒ 部右衛門が︑将棋にかこつけて浄閑に金銭による解決を促すが︑浄閑が
1998年6月 24 福島大学教育学部論集第64号
の町人たる︑静閑の基本的心構えが示されている﹂のであるという︒
浄閑としては︑町人の本道に立返り︑そこで納得の行く方策が︑万
一にも講じられぬ時には︑一つの逃道として︑この交渉も不得要領
の形で持続しておこう︑何しろ一人息子の命には代えられぬという
のが︑この折の彼の心中に秘められた考えであったと思われる︒
氏の所説は︑当代町人の誇り高さと︑苦難に対処する冷静な洞察力︑
及び慈父の典型である浄閑の肉親愛を見事に解きあかしていると見るこ
とが出来る︒しかし︑与次兵衛逃亡の教唆を︑﹁いつまでも財産を頼み
に︑これに縋る心の失せぬ息子に︑︸旦はそれを捨てて家を出てこそ︑
浮かむ瀬もあること﹂を教えるための﹁思慮に思慮を重ねた末に︑浄閑
が到達しえた︑問題解決の唯一の手段であった﹂と解するのはいかがで
あろうか︒
言うまでもなく︑妻のお菊と治部右衛門は金銭による解決を期待して
浄閑に迫ったが︑法を破って与次兵衛を逃走させることは想定していな
かった︒与次兵衛逃亡の計画が浮上してくるのは︑吾妻が廓を抜け出し︑
与次兵衛に心中の覚悟を伝えようとしたことから︑与次兵衛の身を案ず
るお菊と吾妻の遣り取りにほだされた浄閑が与次兵衛を逃がすことを言
い出したことによる︒
難与平の身代わりに与次兵衛が座敷牢に謹慎の身となり︑彦介死去の
折には死罪を免れないことを知った吾妻は︑﹁相手が死んだら自害させ
まし︒わしもお供と剃刀も用意﹂して廓を抜け出す︒その覚悟を記した
投げ文に激怒したお菊は吾妻を難詰するが︑吾妻の真情を聞いて打ち解
ける︒二人の遣り取りを聞いた浄閑は鼠取りの枡落としにかこつけて与
次兵衛を逃がす計画を語り︑お菊は安堵して︑吾妻に同行を頼むことに
なる︒ 従って︑与次兵衛を逃がすのは︑心中を期して廓を抜け出て来た吾妻
の覚悟と情念に︑浄閑︑お菊︑与次兵衛が引き摺られたためであると言
うことが出来る︒浄閑には﹁浅傷とは聞いたれども︑人の生身︑どうあ らうかと﹂万一の事態を予測しての不安があった︒また︑金銭による示談工作に失敗し︑﹁七十になる浄閑が︒もがられたといふ外聞悪さ﹂を抱える浄閑が︑嫁のお菊とその父親に吝嗇ぶりを責められてよんどころなく町人の道を揚言してしまったために︑﹁難をいとはぬ慈悲心﹂を示そうと﹁親の道﹂に逸ったためであると見ることが出来よう︒ また︑公儀の手から身を隠したとしても︑与次兵衛に目ら死の危機を抱えた事態を打開する方策がありえたであろうか︒一方︑わが子の逃亡による老親の苦難を与次兵衛は明瞭に推察しえていた︒ 預り者が駆落し︑先の相手が死ぬれば︒たちまち親は下手人に取ら れ首刎ねらる︒たとへ先が無事でも︑取逃したる咎めにて︒それほ どの罪は親仁様の身にか\る︒その難をいとはぬ慈悲心︑親仁は親 の道が立つ︒与次兵衛は今日まで︑始終親の気に違ひ︒あまつさへ︑ 親を身代に逃げて命助り︒百年︑千年生きるとて︑人交りもならね ば︒天地のうちには住まれぬ︒ 与次兵衛の逃走中に彦介が死ねば︑預かりの浄閑は身代わりとして死罪︑与次兵衛も探索のうえ死罪である︒たとえ彦介が快癒したとしても︑浄閑は公儀預かり人の逃亡幇助の罪に問われる︒事実︑下之巻で浄閑は
﹁吾妻︑与次兵衛尋ね出すまで︒道具諸色に封印つけ︑厳しい閉門﹂の
身となり︑与次兵衛も﹁出ればそのま\斬らる\首﹂︑吾妻も﹁関破り
の咎人︑こいつが命も助からぬ﹂仕儀となっている︒これは敵役彦介の
台詞ではあるが︑全快した彦介自身も﹁井筒屋再会の場﹂で﹁浄閑が言
訳させ︒閉門御免受けねばならぬと︑手ばしかく縛り上げ﹂られ︑吾妻
の身も藤屋による訴え取下げにより落着することが語られている︒
逃亡を求める浄閑・お菊に︑与次兵衛は﹁親仁は親の道が立つ﹂が︑
自分は親不孝の汚名を重ねる生涯になることを語っている︒与次兵衛は
﹁男同士の義理﹂を貫くために与平の身代わりになったのであり︑当然
死罪も覚悟していた︒その与次兵衛が逃亡することは︑親に苦難を負わ
せるうえに︑﹁男同士の義理﹂への背信行為となる︒
︵七︶
︵八︶
勝倉壽一一』山崎与次兵衛寿の門松一の問題 23
また︑逃げた与次兵衛と吾妻にとって︑彦介が死に︑与次兵衛の身代
わりとして浄閑が﹁︑下手人に取られ首刎ねらる﹂ことを知ったならば︑
名乗り出るのが子の﹁道﹂であり︑浄閑の死罪後に二人がその事実を知
れば心中しか選ぶ道はない︒吾妻は﹁相手が死んだら自害させまし︒わ
しもお伴と剃刀も用意﹂して廓を抜け出たのであり︑﹁廓を逃でし︒関
を破りし咎人と︑行方を求め捜﹂されている身である︒一方の与次兵衛
も﹁親を身代に逃げて命助り︒百年︑千年生きるとて︑人交りもならね
ば︒天地のうちには住まれぬ﹂ことを自覚しており︑やはり浄閑が死ね
ば心中しかありえない︒
与次兵衛は﹁男同士の義理﹂と浄閑・お菊の情との間で煩悶し︑﹁有
難き親の恩と妻の思ひ︒別れのつらさにうっとりと︒気抜のごとくよろ
くと︑前後も﹂分からぬ物狂いの状態となり︑吾妻とともに当てもな
くさまよい出ることになる︒
言わば︑浄閑・お菊による逃亡教唆は︑与次兵衛の発狂と下之巻の
﹁与次兵衛吾妻道行﹂の趣向のための準備設定であり︑浄閑とその吝嗇
を責める治部右衛門・お菊・与次兵衛との和解︑義理と恩愛との狭間に
落ちた与次兵衛の葛藤を描くための必要条件でもあった︒しかし︑その
要請のために︑浄閑が子への恩愛のために死罪を覚悟するという潔さを
示す反面︑与次兵衛は男同士の義理に背き︑親への不孝を重ねる背信に
苦悩しながら︑世俗の目を逃れて生き延びるという矛盾を露呈し︑主人
公たる資格に疑念を生ぜしめたことも見逃されてはなるまい︒
与次兵衛の逃亡は︑吾妻の廓からの解放︑彦介の﹁もがり﹂との対決︑
死を懸けた男同士の義理の貫徹という︑主人公に課せられたテーマから
の逃避であり︑﹁粋の粋を越えたる恋の山崎与次兵衛﹂という上之巻の
主人公像の紹介との間に大きな乖離をみせている︒与次兵衛・吾妻の逃
避行は無理を重ねた心中劇の設定であり︑結末の大団円に対する違和感
を呼び起こす原因となっている︒ 五 お菊の位相
次に︑中之巻のドラマの展開を支える妻お菊の位相について考えたい︒
吉江久弥氏は﹁寿の門松﹂が﹁身請けの俗謡を生かして仕組んだ芝居﹂
であり︑その﹁義理につまりてあはれ﹂の作劇法において﹁極点を作り
kげる重要な人物﹂であるお菊の扱いに﹁明らかな手落ち﹂が認められ
ると説く︒
作者はこの上に与次兵衛の妻︑菊を登場せしめて︑吾妻との三角関
係の趣向を加えたのであるが︑当然のことながら菊の存在はその後
は霞んでしまった︒︵略︶ここでは遊女と正妻とが共存の関係に入
らねばならなくなっているにも拘らず︑吾妻身請後の正妻の立場に
ついて何の顧慮も払われていない︒あくまでも吾妻が主役に押し出
されて︑女房菊のその後の運命は切捨てられてしまっていると見る
べきである︒彼女は中之巻に出て来るだけで︑吾妻と夫を相駕籠に
見送った後は︑もう出ないのである︒
一方︑白方勝氏は﹁二人の結びつきが妻のお菊を悲劇的な状況に追い
込﹂み︑﹁必然的に妻の座をおびやかすものであることを近松ははっき
り見ていた﹂とする立場から︑お菊の悲劇の曖昧化を指摘している︒
このお菊の悲劇はこれ以上つき詰められておらず︑これだけで終っ
ている︒下之巻で難与平による吾妻身請のことがあってめでたく落
着するのであるが︑お菊は再び顔を出すこともなく︑お菊︑与次兵
衛の関係の解決はない︒歌舞伎の傾城物ではないのだから︑お菊を
もっとつき詰めてみるべきではなかったろうか︒お菊が舅の守に徹
するのであれば︑その悲劇はもっと真正面から扱われてしかるべき ハロ であろうし︑このままでは後味の悪さは否めないものとなっている︒
両氏の所説は︑前掲の千葉・重友氏の指摘を追認・補強する位置を担
うものであるが︑このような矛盾・破綻を生じた原因を近松の世話物の
展開を踏まえて見ればどのようになるであろうか︒
1998年6月 22 福島大学教育学部論集第64号
このドラマを本妻お菊を中心に据えて見るならば︑本来は対立関係に
ある遊女への蔑視から吾妻の真情理解への道筋として捉えられる︒座敷
牢に謹慎の身となった夫を案じるお菊は︑﹁ハテ傾城は売物︑幾人にも
売らいでは︒よしない法界悋気から︑この難儀も起つた︒たゾし︑その
吾妻と私と一つに思うてくださんすか︒﹂と与次兵衛に迫る︒しかし︑
﹁傾城は売物﹂というお菊の遊女蔑視と︑家庭悲劇の因をなす﹁生傾城
の恥知らずと︑積る恨み﹂の念は︑死罪の恥辱を受ける前に共に自裁の
道を選ぼうとする吾妻の行為に︑自らと変わらぬ男への真心を認めるこ
とにより溶解する︒
本妻の側が遊女の境遇や男に寄せる心情を理解し︑自らと同格の位相
を認める構図は︑﹁寿の門松﹂の十二年前に書かれた﹁心中重井筒﹂に
おける妻お辰の自責の念として確立されていた︒紺屋の入婿徳兵衛は︑
馴染みの遊女お房の危機を打開するために妻お辰の印判を用いて借銀す
る︒しかし︑お辰の貞節に感じた徳兵衛はお房との縁を絶つことを誓う
が︑結局心中に至る︒行方を尋ねあぐねたお辰は自害をはかるも果たさ
れず︑煩悶とともに残されることになる︒
あさましや︑悲しやな︒女房︑子のない人ならば︒殺すまい︑死ぬ
まいものと︑さぞや最後の悔言︒おふさが恨みも思ひやる︑思へば
我がある故に︒人二人殺すよな︑位牌に向うて言訳ない︒冥途の旅
を連立たんと︑・⁝
婚姻制度が社会秩序の根幹をなし︑本妻がその公的な保障の下に存在
する以上︑本妻と遊女は︑家の倫理を守る者と︑その秩序・保障・倫理
に背馳して夫を奪う者という本質的な対立関係を生み出す︒お辰の目責
の念は︑家の秩序の回復を我が懐への夫の帰還として懇願し続けた人妻
の︑自らの存在の全否定として捉えられる︒
また︑﹁寿の門松﹂の二年後に書かれた﹁心中天の網島﹂の妻おさん
の悲嘆は︑本妻と遊女の本来的な対立関係を踏み越えてしまった者の悲
劇として捉えられる︒互いの境涯を認め︑﹁女同士の義理﹂を確認した とき︑一人の男を奪い合う構図は︑社会秩序や公的保障の問題としてではなく︑各人の真情と倫理の相剋として︑両者の破滅を招来せずには置かなかったからである︒両作品が一連の心中劇という基本線を踏まえ︑その決着点を指し示すものであったことは明瞭であろう︒ 一方︑﹁寿の門松﹂のお菊は︑お辰・おさんの心境には達していない︒それは︑吾妻身請けに絡む問題が︑傷害事件と与次兵衛の身を案じる当事者たちの真情の交錯のドラマを中心に展開されていることによる︒男同士の義理による与次兵衛の身代わり問題がドラマの骨格をなし︑その身を案じる当事者として︑本妻お菊と情人の遊女吾妻のみならず︑父親浄閑︑岳父治部右衛門も同格でドラマの展開に関与している︒そのために女二人の対立関係が状況の中で曖昧化されてしまったことは見逃せないであろう︒ さらに︑吾妻が妻お菊の立場や真情に近づく姿勢の乏しいことも指摘されよう︒言うまでもなく︑吾妻は自らの存在をお菊の妻の座を脅かす意図のない﹁勤ばかりも馴染だけ﹂であると断り︑自害の勧めも﹁もしものをりは︑かならずくさもしい者の手にか\らず︒清い御最期﹂を遂げさせ︑﹁お主の名も流さず︑私も情の御恩に︒命捨てる心ざし﹂によるものであると語ってはいる︒しかし︑遊女との交渉の果てが本来身請けを予定するものであり︑吾妻の存在が与次兵衛の命の危機と家庭崩壊を招来したのであってみれば︑この言葉はお菊の苦衷の口説きに対応するものとはなりえない︒ こなた故に大事の家業も余所になり︒内は野となれ山となれ︑夜を 日に継いでの里通ひ︒親御の不機嫌︑世上の悪口︒このたびの難儀︑ それ見たかと︒いよく人の嘲り︒我とても女の身︑腹が立たいで あるものか︒夫の恥辱︑さがない女房と言はれまいと︒たしなんで みれば︑おきくは奇特な︒悋気せぬ︑賢女々々と︒賢女ごかしの拝 み倒しにあうて︒吾妻殿に睫毛よまれみるわいの︒ そこには︑家業を顧みることなく遊女狂いに走る夫と舅の間で苦慮し
︵九︶
︵5︶
一山崎与次兵衛寿の門松一の問題 21
壽倉勝 つつ婦道の鑑に祭り上げられ︑嫉妬︑怨恨︑悲嘆︑憤りなどの心情を押し殺して生きねばならない妻の悲哀が吐露されていた︒従って︑吾妻にお菊の辛い立場や心情を理解する気持があれば︑夫から顧みられず︑形骸にすぎない婦道の倫理を強要される本妻の悲劇を実感しえたはずである︒そのことに深入りすれば︑ドラマは吾妻と与次兵衛の別離へと進行し︑結末の大団円への結合を妨げることになる︒近松はすでに﹁心中重井筒﹂のお辰に妻の悲しみを語らせ︑お辰の立場に心を向ける遊女お房を描いていた︒ 近松は︑お菊の位相を自らの本質的な悲劇性を自覚していない状態に止めている︒吾妻の身請け話はお菊の知らないことであり︑お菊がそれを知れば︑その対応は根本から異なるはずである︒そうであるとすれば︑別のドラマが必要であり︑次いで﹁心中天の網島﹂が書かれることになったのである︒ お菊はいまだ自分の立場について追い詰められてはいない︒夫から顧みられずに罵倒されるお辰︑遊女小春の身請け後の身の処し方を夫に問われて﹁ハテなんとせう︑子供の乳母か︒飯炊か︒隠居なりともしませうと︑わっと叫び︑伏沈む﹂おさんとは異なるのである︒ お菊は金銭による解決を願っていたが︑夫の命を助けるための窮余の策として与次兵衛の逃亡をはかる舅の言葉に従ったにすぎない︒夫の命
を助けるのが第一の目的であり︑助かる保障はない︒狂人と化した夫の
介助役を吾妻に委ねるが︑﹁まことを言はゾ︒我こそは︒夫を連れて退
くが道︒なんぢや︑妬み憎んだ人︒相駕籠でやる妬しさ︑羨しさと悲し
さ﹂と︑行き掛かりで吾妻に夫を託すことになった身を悲嘆することに
なる︒夫の介助こそは妻の勤めとする思いが舅仕えの婦道倫理に妨げら
れて︑夫を遊女に託さなければならない違和感と嫉妬心がその心の中心
を占めている︒
ドラマとしては吾妻・与次兵衛の道行は見所であり︑身請けによる大
団円は大前提である︒従って︑お菊に限定を与え︑二人の対立関係をド ラマから削除する必要があったのである︒お菊と吾妻の対立関係を突出︑先鋭化させた場合︑ドラマは与次兵衛の傷害事件関与のみならず︑お菊と吾妻の決定的な対立状況の中で︑与次兵衛・吾妻の道行は追い詰められた者たちの絶望の果ての死出の旅となり︑結末の大団円に導くことが出来ないからである︒
六 大団円の構図
下之巻﹁吾妻身請の段﹂は︑﹁与次兵衛吾妻道行﹂から始まる︒この
道行の位置について︑横山氏は次のように説いている︒
﹁与次兵衛あづま道行﹂は物狂いの形式であるため︑極めて舞踊的︑
歌謡的で︑劇的音曲性は豊富であるが︑過去の追想はあっても︑ま
とまりがなく︑要約的引締めは勿論見られず︑むしろ反対に散漫的
である︒
廓を抜け出た吾妻は﹁関を破りし咎人と︑行方を求め捜﹂されている
身であり︑座敷牢を抜け出た与次兵衛は父浄閑が﹁取逃したる咎め﹂を
受けることを知悉しており︑かつ彦介が死ねば死罪は必然である︒本来︑
吾妻は死を覚悟して与次兵衛に自害を勧めるために揚屋を抜け出して来
たのであり︑﹁最期の所は変るとも︒連立つ道はたご一筋﹂︵﹁心中二枚
絵草紙﹂︶という場所違い心中が意図されていた︒従って︑一︑人の道行
には︑本来︑死出の旅という明確な方向性が予定されていたのである︒
にもかかわらず︑︑一人には心中を選ぶ目由性は与えられていない︒与
次兵衛は正気を失っており︑吾妻はお菊・浄閑から与次兵衛の命の安泰
のための介添えをこそ託されていたからである︒従って︑一︑人には事態
打開の見通しもなく︑追手の手を逃れてさすらうことのみが許されてい
たのである︒分限者である浄閑が金銭による解決を拒否して与次兵衛を
逃走させ︑身代わりになるという処置の不整合性と︑本来対立関係にあ
るはずの妻お菊の委託を受けて︑遊女の吾妻が狂人と化した情人と当て
のない逃避行に出るという設定に無理があると言ってよい︒
1998年6月 20 福島大学教育学部論集第64号
また︑二人の道行には︑罪を問われる者たちの束の間の生の歓楽とい
うような︑切羽詰まった情念の奔騰は認められない︒彦介が死ねば直ち
に死罪に処せられるという生死の瀬戸際に立たされた与次兵衛と︑共に
死ぬべく廓を抜け出た吾妻であったが︑その道行には﹁ヤレ命生きよう
と思うて︑この大事がなるものか︒生きらる\だけ︑添はる\だけ︑た
かは死ぬると覚悟しや︒ア\さうぢや︑生きらる\だけこの世で添はう︒﹂
(「サ途の飛脚﹂︶と誓い合う忠兵衛・梅川の刑死を見据えた束の間の生
の燃焼に相当するような︑高揚した生への情念と死を見据えた濃密な時
間の進行も語られてはいない︒
妻の愛と遊女の真情を並列的に描き︑.一人への愛と義理の狭間に落ち
た男の矛盾を際立たせながらも︑韜晦としての狂乱の設定により矛盾の
露呈を回避したことも︑横山氏の指摘を裏付けるものであろう︒二人の
道行は︑難与平の分限者としての再登場による身請けという︑事の解決
を他者の力に委ねた結末の大団円を迎えるための準備設定にすぎなかっ
た︒そのように条件づけられた道行に纏まりや方向性を求めることは不
可能であったからである︒
最後に︑結末部について二点の問題を提起しておきたい︒
﹁井筒屋再会の場﹂は︑大尽として故郷に錦を飾る難与平の登場から
始まる︒与平が吾妻の身請け話を持ち出すと︑先に浪人者が鑑定書付き
の名刀宇多の国行と引き換えに吾妻身請けを名乗り出ており︑さらに彦
介もその交渉に割り込んでくる︒事は千両を持参した与平の身請けによ
り落着するのであるが︑彦介の口から浄閑が示談金を巻きkげられた事
実が暴露され︑かつお菊の父親治部右衛門が身請け争いに加わることに
より︑大団円の場はドラマの全体構図と著しく整合性を欠くことになる︒
彦介によれば︑傷害事件が表沙汰になったのち︑浄閑が﹁内証から手
を入れてだんくと詫言﹂があり︑傷も平癒したので︑﹁与次兵衛めは
憎けれども︒親めが心が不便さに許してやった︒その礼とて目腐銀︑樽
代としてよこした︒酒戻しはせぬもの故︑まあ請取って置いた﹂のだと いう︒この台詞は示談金で吾妻身請けを強行しようとする彦介の胴欲ぶりを強調するものであるが︑一面︑彦介の傷が全快し︑示談に応じたことにより︑与次兵衛の法的責任が解除され︑当面の危機が去ったことをも意味していると一一一︑・ってよい︒ しかし︑そうであるとすれば︑この示談交渉はいつ行われ︑決着したのであったのか︒中之巻における浄閑は﹁七トになる浄閑が︒もがられたといふ外聞悪さ︒人にこそ知らせね︒内証手を入れ︑︑一百両まで扱うても︒足元見て千両でも聞かぬといふ︒浅傷とは聞いたれども︑人の生身︑どうあらうかと︒親の案じはどう思ふ︒︵略︶思ひ出すほど胸苦しい﹂と苦渋の思いを吐露している︒浄閑は示談交渉が不調に終わったため︑﹁人の生身︑どうあらうかと﹂の懸念から与次兵衛の逃走を思いついたのであった︒しかし︑示談交渉が成立した今︑浄閑は公儀預かり人の逃走幇助の罪に問われて閉門となり︑与次兵衛も追尋を受ける身となっている︒浄閑は多額の示談金を巻き上げられたうえに︑その逃亡の教唆が事態をますます悪化させる結果を招いたことは覆うべくもない事実なのである︒お菊・治部右衛門の懇請を拒絶した浄閑の見通しの誤りが事態の混迷を生み︑難与平の大尽としての帰還のみが事態解決の唯一の手段として残されることになったと見ることも出来よう︒ さらに︑お菊の父親治部右衛門が吾妻身請けに関わるという意外な設定も見逃せない︒治部右衛門は娘お菊の心労を見るに耐えず︑分限者である浄閑に金銭による解決を迫り︑ついには将棋の駒をその顔面に打ちつける程に激昂する︒この行為の裏には︑浪人の身からくる手元不如意のため︑事態解決の能力を持たない自らへの無念の思いも含まれていたはずである︒従って︑治部右衛門が吾妻身請けの代金に相当する重宝の名刀を所持しており︑かつそれを投げ出す覚悟が存在したとすれば︑それは何よりもまず︑娘婿である与次兵衛の危機を救うべく彦介との示談交渉に向けられるべきものであった︒浄閑が閉門︑与次兵衛が追尋の身
となっている現在︑治部右衛門が吾妻身請けに乗り出すことは︑事態の
︵一︶
勝倉壽ぺ一山崎与次兵衛寿の門松一の問題 19
解決に何らの働きをなしうるものでもない︒これも︑俗謡を踏まえた身
請け争いの趣向を優先させたことによる不整合として︑結末の大団円に
生じた違和感の一部をなすものであると言わなければなるまい︒
︹注︺︵1︶暉峻康隆﹁﹃寿の門松﹄の題材と構想﹂︵﹁国語・国文﹂九巻一〇
号︑昭和一四・一〇︶︒
︵2︶黒木勘蔵著﹃近松門左衛門﹄︵昭和一七︑大東出版社︶﹁﹃寿の門
松﹄の成立とその人物﹂︵大正一五・九稿︶︒
︵3︶横山正著﹃浄瑠璃操芝居の研究﹂︵昭和三八︑風間書房︶第四章
第三節W﹁仮構浄瑠璃﹂︒以下︑横山氏の論は同じ︒
︵4︶重友毅著﹃近松の研究﹄︵昭和四七︑文理書院︶﹁﹁寿の門松﹄と
町人道﹂︒以下︑重友氏の論は同じ︒
︵5︶千葉篤﹁﹃山崎与次兵衛寿の門松﹄における近松の方法﹂︵﹁文学
研究﹂二七号︑昭和四三・五︶︒以下︑千葉氏の論は同じ︒
︵6︶本文の引用は日本古典文学全集﹃近松門左衛門集図﹄︵昭和五〇︑
小学館︶に拠る︒﹁心中二枚絵草紙﹂﹁心中重井筒﹂﹁冥途の飛脚﹂
﹁心中天の網島﹂の引用も同全集に拠る︒
︵7︶︵2︶に同じ︒
︵8︶吉江久弥﹁近松と西鶴︵ノート皿︶1﹁山崎与次兵衛寿の門松﹄
の場合−﹂︵﹁仏教大学研究紀要﹂六九号︑昭和六〇・三︶︒以下︑
吉江氏の論は同じ︒
︵9︶日本歌謡集成巻六所収︒
︵10︶近世文芸叢書第十所収︒
︵H︶﹃日本国語大辞典﹂︵小学館︶に拠る︒
︵12︶白方勝著﹁近松浄瑠璃の研究﹄︵平成五︑風間書房︶第三編四
﹁家の悲劇﹂︒
A Study of Yamazaki Yojibe Nebiki no Kadomatsu
Toshikazu KATSUKURA
contents
1.presentation of problems 2.establishment of characters 3.substance of the critical moment 4.pmblem of the support s r ole Jyoukan 5. phase of the heroine Okiku
6.composition of the grand finale
︵三︶