化学と生物 Vol. 50, No. 4, 2012 231 入試制度の多様化に伴い年に何回も行なわ
れる様々な入試,教養部の廃止による教養教 育科目の担当,様々な教育研究プログラムの 申請・実施に付随する会議やシンポジウムな どの運営,大学院生数の増大とは裏腹に研究 室教員数が減少したことによる雑務の増加な どにより,大学教員の仕事量が限界に達して いることはしばしば耳目に触れるところであ り,筆者自身も実感している.しかし,忙し くなったのは教員ばかりではない.10年頃前 までは,午後7時頃を過ぎると,緊急の問合 せなどで事務室に電話しても,職員が皆帰宅 してしまっており,翌朝に持ち越しとなるこ とが多かったように記憶しているが,近年で は,9時にメールを入れてもすぐに返事が 返ってくるようになった.土曜日や日曜日に もしばしば事務室の電気がついている.冒頭 で述べた様々な制度改変・多様化は必然的に 事務機構も巻き込んでいるため,彼らの業務 も以前に比べて大幅に増大しているのは当然 である.それと同様に,あるいはそれにも増 して,当代の大学院生の置かれている状況は 同情に値する.
以下,自戒を込めて述べるが,教員が多忙 であれば,結局のところ,学生にしわ寄せが いくことになる.日々のディスカッションを 通じて壁にぶつかった研究の解決策を一緒に 考えるための教員の時間が制約され,つい任 せて(放っておいて)しまう期間が長くなっ てしまうと,先が見えない試行錯誤の泥沼に 陥った学生は,成果を出せないまま時間だけ が過ぎ去ることに大きなストレスを感じるこ とになる.奨学金の返還免除や就職活動を有 利に運ぶためには,学生に対しても目に見え る研究成果が要求される時代になっているの である.また,以前は教員が行なっていた研 究室の雑務の仕切りを博士課程の上級学生に お願いせざるを得ない事態も生じ,自分の研 究との狭間で悩むこともあろう.学生と研究 や日常の諸々について無礼講で放言し合うコ ンパの回数も減り,意思疎通も儘ならぬまま,
知らず知らずのうちに,教授室の敷居を高く 感じさせてしまうことになる.
また,昨今の就職事情の厳しさは,学生の
最大の関心事であり,不安要因であろう.学 部4年の夏に実施される大学院入試に落ちて からでも就職先を見つけることができ,就職 活動と言っても,大抵の場合,教授が紹介す る会社に面接に行ってくるだけでおしまい だった30年ほど前の頃の話をしても,今の学 生は冗談としか思わない.現在就職活動を行 なっている学生達は,プレエントリーが前年 より少し遅くなって12月1日からとなったが,
内々定が出る4月,5月頃までは研究の進展は ほとんど期待できなくなる.研究室に学生が 時々しか来なくなる状況に学生を責める向き もあるが,学生には自分の人生がかかってお り,罪はない.本当は研究に集中して輝かし い成果を上げ,研究者としての自分に自信を もちたいと願っている学生は相当数おり,学 部を卒業してからの2年間という伸びが最も 顕著となる時期の半年間,移動に必要な多額 の経済的負担を負う一方で,思う存分研究に 打ち込めない状況にフラストレーションを感 じているのはむしろ学生のほうであろう.
大型教育研究プログラムによる大学院生の 活性化・国際化という文科省の施策は,学生 の国際意識を高め,部局・領域間の人的交流 も盛んにして学生の積極性を生み出しつつあ る一方で,落ち着いて思索を巡らせ,研究を 楽しむゆとり奪っているのではと感じること もある.通常の学会発表に加えて,プログラ ムに付随する様々なシンポジウムや成果発表 会,海外交流などがリサーチアシスタント経 費の支給を受ける学生の責務となっており,
そのような行事への参加を通告するとき,す でに研究と就職活動で手一杯の学生に対して 可哀想と感じることがある.
感じるままに,当世の学生の置かれた状況 のいくつかを憂えてみたが,今の学生はバブ ル崩壊後の厳しい世相の中で育ってきたせい か,自分の人生や社会貢献に関して前向きで しっかりした考え方をもっているように思う.
時代を元に戻したり止めたりすることはでき ない以上,何をおいても学生と一緒になって 研究を楽しむことを第一の仕事と肝に命じ,
学生が前向きになれるよう手助けをしていけ ればと思っている.