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独仏和解を軸に始まった西欧の経済協力は

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(1)

はじめに

第二次世界大戦後、独仏和解を軸に始まった西欧の経済協力は、冷戦後の1993年に市場 統合を、1999年にはついに通貨統合を実現させた。経済面での統合の制度化に比して政治 や外交の分野では、冷戦期にはゆるやかな政府間協力のレベルにとどまっており、安全保 障、防衛についても、強大な共通の脅威の存在のため、もっぱら米国を中心とする北大西 洋条約機構(NATO)により調整が行なわれていた。

しかし冷戦の終焉による東側の脅威消失と、欧州の自立性の高まりのなかで、経済、通 貨のみならず、外交や安全保障面でも統合を推進しようとする動きが出てきた。1992年

2月

調印のマーストリヒト条約(欧州連合〔EU〕条約)は、「共通外交・安全保障政策(CFSP:

Common Foreign and Security Policy)

」形成を明確に目標として掲げていた。

しかし

EUは、1990年代のボスニア紛争、コソヴォ紛争が、外交の失敗により激化してし

まった教訓として、危機管理能力、特に軍事的能力の不足を痛感することとなった。ここ からEUは英仏を中心に危機管理能力の不足を補う努力として、CFSPの重要な柱となる「欧 州安全保障・防衛政策(ESDP: European Security and Defense Policy)」を開始した。

Hirose Yoshikazu

「連載講座:EUの新たな挑戦」の開始にあたって

2007年1月1日、EU(欧州連合)はブルガリ アとルーマニアを新たな加盟国に迎え、EU 加盟国は27ヵ国となった。他方、欧州統合の 動きは、近年やや停滞の観を呈している。欧州 憲法条約は批准プロセスが頓挫したまま発効の 見通しは依然立っておらず、トルコの加盟交渉 も一部凍結された状態にある。また移民政策も EUの多くの国で喫緊の課題となっている。し かし、EUが現在も新しい挑戦を着実に進めて いることも事実である。中東欧諸国での単一通 貨ユーロの導入は、2007年1月のスロベニアで の導入を皮切りに今後少しずつ進むであろう。

また共通の安全保障政策(ESDP)の分野でも EUは着実に成果を挙げつつある。

こうした状況に鑑みて、本誌ではEUが現在 抱える課題や新たな挑戦について分野ごとに検 討や分析を行ない、欧州の統合が今後どのよう に進むのかを展望することを目的に、全5回の 特集連載を行なうこととした。日欧の協力関係 はここ最近急速に重要性を増してきており、欧 州の現状に目を向けることは日本にとっても非 常に重要かつ有益なことであろう。本連載が読 者諸賢のEUならびに欧州の現状への理解を深 める一助になれば幸いである。

(2)

軍事的能力の不足

1990年代末にコソヴォ紛争を経験した元米国防長官のコーエン

(William Cohen)はかつて、

「NATOの欧州加盟国は米国の

60%

の軍事費を使いながら、10%ほどの能力しかない。これ は変えなければならない」(1)と看破した。この言葉が象徴するように、欧州は米国との間に、

費用の面でも装備の面でも非常に大きな軍事的能力格差があった。

欧州NATO加盟国の軍事費は、2004年レベルでは米国の「60%」どころか約半分にすぎな い。国内総生産(GDP)比をみても米国の軍事費の割合は、2%台に落ちた

2000

年前後をの ぞくと

3%

台の半ばから後半となっているのに対して、欧州

NATO

加盟国は

1990

年代から

GDP比 2%弱と低迷を続けた

(2)

兵力については、2006年時点で欧州NATO加盟国が約240万に対して米国が約

154万と数

的優位にあった。しかしそのことは限られた軍事予算を人件費が圧迫する事態を引き起こ しており、同時期、米国の国防費における人件費割合が35%前後なのに対して、英国以外 の欧州諸国は軒並み

50%

以上となっていた。そのため相対的に装備の調達、研究開発など に振り向けられる予算は限られたものとなっていた(3)

装備については、特に「新しい脅威」への対処のために必要とされる輸送・兵站能力、

情報・監視能力を欧州主要

5

ヵ国(英、仏、独、伊、西)と米国とで比較してみると、2002 年レベルで海軍の輸送艦・支援艦は米国が欧州主要5ヵ国の

4倍を保有し、空軍の輸送機は

米国が欧州主要

5

ヵ国の

3.5

倍、空中給油機は米国が欧州主要

5

ヵ国の

30

倍となっていた。

また通信・情報衛星、電子戦機、偵察機など

C4ISR

(Command, Control, Communications,

Computers, Intelligence, Surveilance, Reconnaisance)

関連についても、米国が欧州をはるかに凌駕 していた(4)

現実の作戦においても、1990年代の2つのバルカンでの紛争は、欧米の軍事能力格差を露 呈した。欧州各国軍は、その地理的近接性にもかかわらず、ボスニアでもコソヴォでも遠 方展開能力、効果的戦闘能力において米軍に依存せざるをえなかった。例えば1999年のコ ソヴォ紛争で約

2

ヵ月半続いた

NATO

の空爆「同盟の力」作戦においては、米軍以外の

NATO

欧州加盟国空軍の延べ出撃回数は全体の

4

割近かったが、電子戦(妨害・攪乱電波)、 空中管制、全天候精密兵器、空中給油などはもっぱら米軍に依存しており、そうした任務 への米軍以外の出撃は

29%

にすぎなかった。総じて「同盟の力」作戦での欧州側の貢献が 大きかったのは、戦闘空域哨戒、偵察、損害評価など、直接の空爆とは関係のない任務の ものばかりであった(5)。この紛争によって

EU

は、軍事面での紛争解決能力の低さと、軍事 革命(RMA)の進んだ米国の能力との格差を痛感させられた。

欧州各国の軍事能力の近代化は、当然NATOの軍事力整備計画のなかでも重大な課題とと らえられていた。NATOの軍事機構改革をはじめとしたトランスフォーメーションは、欧州 諸国にとっては「新しい脅威」に備えての近代化のための触媒であった(6)。しかし冷戦後に 脅威認識が変化するとともに欧州各国と米国は安全保障上の利害が必ずしも一致しなくな り、その結果、欧州の軍事能力があまりに低いと欧州は米国に見捨てられるのではないか

(3)

との見方が発生し(特に英国)、他方で米国の単独行動主義的な振る舞いに対する反発もあ り(特にフランス)、やがて欧州独自の軍事能力の近代化を目指す動きが始まった。

すでにそうした動きはコソヴォ紛争前からみられ、1998年

12

月、英仏はフランスのサン マロでの首脳会談にて、EUが「国際的な危機に対応するために、信頼できる軍事力によっ て裏打ちされた自立的行動のための能力を保有しなければならない」とする共同声明を発 表した(7)。欧州の

2大軍事大国の合意を受けて EU

も翌

1999

6

月、ケルン欧州理事会にて 軍事能力の整備と近代化を正式に課題として掲げ、「欧州安全保障・防衛政策(ESDP)」を 打ち出すようになった(8)

具体的なESDPの戦力目標については、1999年12月のヘルシンキ欧州理事会にて、「加盟 国は2003年までに、EU条約第

17条の任務

(いわゆる『ペータースベルク任務』と呼ばれるも ので、人道支援・救難任務、平和維持活動、危機管理の際の平和創造を含む戦闘部隊任務)の全 範囲を実施可能で、60日間以内に投入可能かつ少なくとも

1

年間維持しうる

5万― 6

万人の 部隊を創設する」ことを目指した「ヘルシンキ・ヘッドライン・ゴール」が合意された(9)。 これがEU緊急展開部隊構想の始まりである。

さらに、EU加盟国の軍事能力不足改善をはかるための計画として、2001年に「欧州能力 計画(ECAP: European Capabilities Action Plan)」プロセスが開始された。これは具体的な問題点 を洗い出し、それを重点的改善目標として各国に提示することで改善を求めるものである。

そこでは空中給油能力、戦闘・捜索・救難能力、多国籍司令部、核・生物・化学兵器(NBC)

防護能力、戦域弾道ミサイル防衛、無人空中機、戦略輸送能力、宇宙関連装備などが取り 上げられていた(10)

しかし

EU諸国の軍事力は、冷戦期に重装備での専守防衛を基調として整備されてきたた

めに即応性、展開能力(特に戦略輸送力)が大幅に不足しており、作戦指揮の際の通信・情 報面でのハイテク化も遅れていた。そのうえ各国とも冷戦後の「平和の配当」を求める雰 囲気のなかで、そうした能力を補うために軍事費を増大させる状況にはなかった。

そこで、軍事的には

EU

の能力を補強し、政治的には米国や

NATO

EU

独自の動きへの 疑念を払拭するために、EUは、NATOとして関与しないような紛争について、NATOの能力

(計画立案、情報収集等)やアセット(装備、兵器、インフラストラクチュア等)を利用しなが ら、EUが独自に作戦を実施可能とする枠組みの構築をはかり、1999年

4

月のワシントン北 大西洋理事会で定式化(これは

1996年にベルリンで最初の基本合意がなされた経緯から「ベルリ

ン・プラス」と呼ばれる)され、2003年

3

月にNATOと

EU

でパッケージ合意として最終的に 承認された(11)

この結果、初の

EUによる軍事作戦として 2003

3

月末に開始されたのが、マケドニアの 和平合意監視と安定確保にあたった「コンコルディア」作戦である。「コンコルディア」作 戦は、「ベルリン・プラス」合意に基づき、作戦司令部がNATO欧州連合軍司令部内に設置 され、作戦司令官であるNATO欧州連合軍副司令官が

EU

軍事参謀部と密接に協力して行な った。

他方、コンゴ北東部ブニアの難民収容所とその近くの空港の安全監視、安定確保を主任

(4)

務とし2003年

6月から 8

月末まで行なわれた「アルテミス」作戦は、EUがフランス軍を中 心に、NATOの能力・アセットを使わずにほぼ単独で行なった平和維持活動であった(12)

しかしその後も、EUとしての軍事能力の近代化は遅々として進まなかった。さらに

2003

年のイラク戦争に際しては欧州内でも意見の対立があり、CFSPは機能不全に陥った。こう した状態は、EUとしての戦略の欠如という問題を浮き彫りにした。ここから

EU

としての 共通の安全保障戦略策定の動きが始まったのである。

安全保障戦略

EU初の安全保障戦略は、ソラナ

(Javier Solana)

CFSP

上級代表を中心に作成され、2003年

12月のブリュッセル欧州理事会において「より良い世界における安全な欧州」との題を付

して採択された(13)。14ページからなるこの文書は、EU自身をグローバル・プレイヤーと規 定する序文に始まり、第1章「新しい安全保障環境における新たな脅威」、第

2章「戦略目標」

、 第3章「欧州にとっての政策的インプリケーション」、そして最後に結論という構成をとっ ていた。

まず第1章「新しい安全保障環境における新たな脅威」で注目すべきは、EUにとっての 新しい脅威として、具体的にテロリズム、大量破壊兵器の拡散、地域紛争および破綻国家 と組織犯罪を挙げていることであった。これは従来よりも明確な形でのEUの脅威認識であ り、「9・

11

米同時多発テロ」事件以降の米国の「国家安全保障戦略」(2002年9月)などを 念頭に、米国の認識への歩み寄りをうかがわせた。

また脅威への対処アプローチとしては、第

3章「欧州にとっての政策的インプリケーショ

ン」において、「危機管理や紛争予防のために利用可能な政治、外交、軍、民間、貿易と開 発などのあらゆる広範な手段を用いる」として、ソフトな手法からハードな手法までの包 括的アプローチの必要性が説かれていた。同時に、脅威対処の際は「早期に、迅速で、必 要ならば強力な介入」という発想が重要であるとして、そのための軍事的・非軍事的な作 戦実施能力の整備を唱えていた。

この「強力な介入」との関連で、危機管理におけるNATOとの関係については、同じ章で

「EU-NATO取り決め、特にベルリン・プラスは、EUの作戦実施能力を強化し、危機管理に おける

2

つの組織の戦略的関係のための枠組みを提供している」として、マケドニアでの

「コンコルディア」作戦にみられたような両者の協力の重要性を確認していた。

他方で、米国による一国主義的傾向に対しては批判的で、序文でも、米国が最大の軍事 大国であることは認めつつも、「今日の複雑な問題に単独で対処できる国はない」として、

米国単独での行動に異議を唱えていた。そのうえで第2章「戦略目標」第

3

節「効果的多国 間主義に基づく国際秩序」では、「国際の平和と安全維持の主要な責任は国際連合安全保障 理事会が負っている」として、国連重視を明確に打ち出していた。グローバルな脅威には 多国間システムを重視すべきだとして、国連のほかに世界貿易機関(WTO)、国際司法裁判 所(ICJ)にも言及していた。

このようにEUの安全保障戦略は、「効果的多国間主義」の重視、ソフトパワーの活用を

(5)

唱えながら、他方で従来よりも明確にテロリズム、大量破壊兵器の拡散、破綻国家の問題 などを正面から取り上げ、軍事・非軍事の両面を含む包括的アプローチの必要性を打ち出 していた。

軍事的危機管理能力構築の展開

EUは 2003年に比較的小規模な作戦を実施したものの、1999

年提案の「ヘルシンキ・ヘッ ドライン・ゴール」に基づく戦力構築は、いくつかの問題に突き当たっていた。第1に、こ れは1990年代のボスニアにおける民族紛争の教訓に学んだものなので、主たる脅威が民族 紛争からテロリズムに移行しつつある状況を、必ずしも反映していなかった。第

2に、軍事

能力面での不足や課題が指摘されても、改善のための現実的な指針がなかった。

そこでEUは、安全保障戦略文書の方針に沿った具体的かつ現実的な目標として、新たに、

2010年までの戦力構築を目指した「ヘッドライン・ゴール 2010」を 2004年 6

月のブリュッ セル欧州理事会で採択した(14)。これは

EU

がグローバル・アクターとして「効果的多国間主 義」に基づいた国際秩序維持に責任を果たすために、展開能力、継戦能力、相互運用能力 の向上を重点目標として作成された。

特に重要なのは、即応能力と展開能力が高いコンパクトな統合戦力パッケージとして打 ち出された「戦闘群(Battlegroup)」構想である。「戦闘群」とは、大隊規模の戦闘部隊と、

戦闘支援(工兵、通信等)・戦務支援(輸送、医療等)部隊を束ねた約

1500

人からなる合同統 合部隊で、作戦開始命令から10日以内に展開可能で

30日までの地域確保を可能とし、また

必要に応じて大規模な平和維持部隊が入るまでに最大で

3ヵ月まで延長可能を目標としてい

る。そうした展開を支援するために、空中機動部隊や海兵隊部隊などからなる1個旅団規模 の部隊整備も想定されていた。

さらに、EU各国の軍事予算の停滞と装備の近代化の遅れに対処するため、2004年

7

月に 設置されたのが「欧州防衛機関(EDA: European Defence Agency)」であった。これは、EUとし て欧州各国の軍事力近代化を支援し、装備の共同開発や共同調達を促進することで資源の 合理化をはかる目的で設立された。しかしEDAはいまのところ調整機関にすぎず、各国の 軍需産業再編の思惑や雇用の問題もあるだけに、危機管理能力向上の見通しはいまだ不透 明と言えよう(15)

非軍事的な危機管理能力

軍事的危機管理能力の構築と並行して、非軍事的危機管理活動も活発化した。EUは安全 保障戦略にも示されているように包括的アプローチを提唱しており、特に非軍事的危機管 理能力については、NATOにそうした機能がほとんどないだけに、EUに比較優位があると 考えられていた。EUの非軍事的危機管理活動は、ミッションの数からすれば、軍事的危機 管理活動を凌駕していた(次ページの表参照)(16)

非軍事的な危機管理能力の具体的目標は、2000年6月のフェイラ欧州理事会で打ち出され た。その際、警察、法の支配、行政、市民保護という4つの優先分野が設定され、翌2001年

(6)

6

月のゴーテンブルク欧州理事会にかけて、軍事的危機管理能力同様、それぞれの分野で

2003年を達成目標とする「ヘッドライン・ゴール」が掲げられた。

しかし軍事的なヘッドライン・ゴール同様、これらはいずれも各国の提供可能な数量カ タログにすぎず、実際に出せるかどうかは状況次第であった。またこれらの要員は国連や 欧州安全保障協力機構(OSCE)にも利用可能の場合が多いため、提供予定数がそのまま展 開可能人数になるわけではなかった。

そこで2004年

6

月、ブリュッセル欧州理事会において、新たな非軍事的危機管理のための

「文民ヘッドライン・ゴール2008(CHG08)」が設定された。これは

2008年を達成目標とし

ており、具体的には4つの優先分野に加えて、治安部門改革や武装解除・動員解除の監視と いった活動が新たな課題として示され、即応性強化(派遣決定から30日以内に展開可能)、派 遣立案能力の強化、必要な能力リストの策定、各国の供給予定リストの評価などが掲げら

表 ESDPの危機管理作戦(2006年10月現在)

展開先(国・地域)

作戦名 任 務 要員内訳(概数) 期 間

Concordia

Artemis

Althea

EUPM

Proxima

EUJUST Themis

EUPOL

EUSEC DR Congo

EUJUST LEX

AMIS

AMM

EU BAM Rafah EU BAM Moldva

EUPAT

EUPOL-COPPS EUPT-Kosovo

軍人(350人)

軍人(1,800人)

軍人(7,000人)

警察官(500人)

警察官(150人)

法律顧問(10人)

警察官(30人)

顧問(9人)

顧問(20人)

警察官(16人)、

軍人(19人)

オブザーバー・

顧問等(130人)

オブザーバー(70人)

オブザーバー(69人)

警察顧問(30人)

警察顧問(33人)

顧問(24人)

2003年4   ―12月 2003年6   ―9月

2004年12月―

2003年1月―

2003年12月   ―05年12月 2004年7   ―05年7月 2005年4月―

2005年6月―

2005年7月―

2005年9月―

2005年9月―

2005年11月―

2005年12月―

2005年12月   ―06年6月 2006年1月―

2006年5月―

マケドニア

コンゴ

ボスニア=ヘルツェゴヴィナ

ボスニア=ヘルツェゴヴィナ マケドニア

グルジア

コンゴ コンゴ

(EU各国)

スーダン(ダルフール)

アチェ

パレスチナ(ラファ)

モルドヴァ

マケドニア

パレスチナ コソヴォ

難民収容所と空港の安全確保

警察に対する支援と助言 警察に対する支援と助言

刑事裁判システム改革支援

警察に対する支援と助言

国境管理の監視・検証・評価 国境管理の監視・検証・評価 警察に対する支援と助言

警察に対する支援と助言 法執行機関支援への準備

NATOのAllied Harmony作戦を継承

(2001年8月オーリド枠組み合意監視)

NATOのSFORを継承(1995年デイ トン合意監視)

治安部門の改革に貢献するような支 援と助言

EU内の14ヵ所で770人のイラク人判事、

警察幹部などの教育・訓練支援 警察に対する支援と助言、空輸支援、

部隊訓練

インドネシア政府とアチェとの和平協 定の履行状況の監視

(7)

れていた(17)。このうち数量的な目標については、例えば警察官が目標

5000人に対して各国

提供可能数が

5761人、法律専門家が目標 200人に対して提供可能数が 631人というように、

2004年11

月までにおおむね達成されていた(18)

さらに2005年6月には、CHG08の強化として、多機能な統合型の文民緊急展開ユニット 創設が新たに打ち出された。これがスウェーデン提案になる「文民即応チーム(CRTs:

Civilian Response Teams)

」で、主として

4

つの優先分野の要員とその支援要員の合計約100人

からなる多機能統合パッケージを結成し、派遣決定から

5日以内に展開して紛争や危機の評

価・事実確認、作戦開始支援、進展中の作戦強化などを実施するとされていた(19)。こうし た統合パッケージの発想は、軍事的危機管理における「戦闘群」と軌を一にしていると言 えよう。

またより大規模かつ遠大な構想としては、2004年

9

月にEUの委嘱で、ロンドン大学政治 経済大学院のカルドア(Mary Kaldor)教授を主査とする専門家グループによって提唱された 軍民混合の「人間の安全保障即応部隊」創設提案が挙げられる。これは同教授らが打ち出 した「人間の安全保障戦略」構想(20)の一部として発表されたものである。

「人間の安全保障戦略」構想においてカルドア教授らは、1999年のコソヴォ空爆や米主導 のアフガニスタン、イラクでの軍事作戦を分析し、破壊力をもつ兵器で軍事目標を達成し たとしても治安回復は必ずしも実現しておらず、空爆による市民の犠牲やインフラの破壊 が混乱に拍車をかけ、「軍事力行使と安定達成のギャップが示された」として軍事的対応の 限界を指摘した。そのうえで国際的な危機管理・紛争処理に対するアプローチとして、人 権尊重と法の支配、多元主義、ボトムアップ・アプローチの重要性と、軍事力の適切な行 使とをミックスさせるアプローチを推奨していた。

こうした認識から同構想は具体的に軍民混合の「人間の安全保障即応部隊」創設を提案 していた。これは1個師団(1万

5000

人)規模からなり、少なくとも

3分の 1

は文民(行政機 構再建支援、治安・法執行機関整備、インフラ整備および人道援助などの専門家)とする混成部 隊で、紛争終結後にすみやかに派遣され、復興・再建を支援するという発想である。

この構想は、EUとして正式に承認した政策文書ではないが、一方で「戦闘群」の整備を 推進し、他方で

CHG08の強化をはかろうとしている EU

の危機管理能力構築の動きに、一定 の影響を読み取ることもできるように思われる。

おわりに

EUの危機管理は、軍事・非軍事の両面での能力構築をはかり、包括的アプローチを目指

している点に特色がある。ESDPは当初こそ

NATOとの競合という観点から、軍事的危機管

理能力の展開が注目されていた。しかしNATO変革に欧州自身が積極的にかかわることで

NATOの「欧州化」

(21)と言うべき状況が生まれるなかで、ESDPの実践としては次第に非軍 事的危機管理活動の比重が大きくなってきている。ここには軍事能力において対米格差が 大きい欧州が、比較優位にあるソフトアプローチを推進することで、米国の単独行動主義 を牽制し、グローバルな役割と影響力を保持しようとする面もみることができる。

(8)

21世紀に入ってのアフガニスタン戦争やイラク戦争で明らかなように、米国は新国家機

構建設と経済復興の難しさに直面している。米軍は平和強制の面でこそ圧倒的な能力を有 しているが、安定化・復興局面における法執行機関支援あるいは行政機関支援といった非 軍事的な資源の多様な組み合わせについては、「逆向きのベルリン・プラス」の必要性が指 摘されるほど、経験も能力もEUに劣っている(22)

とはいえEUの非軍事的危機管理能力には課題も多い。CHG08で掲げられている即応性の 高い多機能統合型の枠組みは、軍事能力の近代化と異なり、そもそもモデルがないため今 後の可能性は未知数である。従来の非軍事的危機管理活動も、その多くは小規模な警察支 援中心で、それほど豊富な経験を有しているわけではないとの見方もある(23)

軍事能力不足の問題を契機に始まった

EUの安全保障・防衛政策の成否を占うのは、むし

ろ比較優位にあるとされてきた非軍事的な危機管理能力のいっそうの充実化にあるように 思われる。

1 Elizabeth Becker, “European Allies to Spend More on Weapons,” New York Times, 22 September 1999.

2 Julio Miranda Calha, “Reform of NATO Command Structure and the NATO Response Force,” Draft Report, Sub-Committee on Transatlantic Relations, NATO Parliamentary Assembly, 8 October 2003, p. 3.

3 “NATO-Russia Compendium of Financial and Economic Data Relating to Defence,” Compiled by Data Analysis Section, Force Planning Directorate, Defence Policy and Planning Division, NATO International Staff, 9 June 2005.

4 David S. Yost, “The U.S.-European Capabilities Gap and the Prospects for ESDP,” in Jolyon Howorth and John T. S. Keeler(eds.), Defending Europe: The EU, NATO and the Quest for European Autonomy, Palgrave Macmillan: New York, 2003, pp. 84―85.

5 Ibid., pp. 88―91.

6 Sten Rynning, NATO Renewed: The Power and Purpose of Transatlantic Cooperation, Palgrave Macmillan, 2005, 特に第4章。

7 “Joint Declaration on European Defence”(04/12/98), Joint Declaration issued at the British-French Summit, Saint-Malo, 3―4 December 1998.

8 “European Council Declaration on strengthening the Common European Policy on Security and Defence,”

Annex III, Presidency Conclusions, Cologne European Council, 3 and 4 June 1999.

9 “Common European Policy on Security and Defence,” II, Presidency Conclusions, Helsinki European Council, 10 and 11 December 1999.

(10) ECAPの経緯および2004年までの進捗状況は以下を参照。Capability Improvement Chart 2004, Council of the European Union, Brussels, 17 May 2004.

(11)「ベルリン・プラス」についてはJean-Yves Haine, “Berlin Plus,” Institute for Security Studies(http://

www.iss-EU.org/esdp/03-jyhb%2B.pdf)を参照。また「ベルリン・プラス」をめぐる論争については 次を参照。Robert E. Hunter, The European Security and Defense Policy: NATO’s Companion or Competitor?

Rand, 2002.

(12) ESDP作戦の詳細については次を参照。Giovanni Grevi, Dov Lynch and Antonio Missiroli, “ESDP oper- ations,” Institute for Security Studies European Union(http://www.iss-EU.org/esdp/09-dvl-am.pdf).

(13) “A Secure Europe in a Better World: European Security Strategy,” Brussels, 12 December 2003.

(14) “Headline Goal 2010”(6309/6/04), p. 2.

(15) EDAにより2006年10月に公表された「欧州防衛能力とその必要性についての長期見通し」報告

(9)

書は、ESDPによる作戦が、遠方展開可能で、多様な手段の活用が可能となることに留意すべきだ としたうえで、むしろ非軍事的な能力との組み合わせを重視する形でEUの将来の能力として、① 軍民の能力活用による相乗作用(Synergy)、②即応性(Agility)、③多彩な能力の適切な選択

(Selectivity)、④適切な後方支援(Sustainability)を掲げていた(“An Initial Long-Term Vision for European Defence Capability and Capacity Needs,” 3 October, 2006)

(16) Peter Viggo Jakobsen, “The ESDP and Civilian Rapid Reaction: Adding Value is Harder than Expected,”

European Security, Vol. 15, No. 3, September 2006, pp. 307―308.

(17) “Civilian Headline Goal 2008,” Council of the European Union, doc. 15863/04, Brussels, 7 December 2004.

(18) Jakobsen, op. cit., p. 308. ここで挙げられた警察官を中心にダブルハットの形で2004年9月、フラン ス、イタリア、ポルトガル、スペイン、オランダは800人の「欧州警備部隊(European Gendarmerie

Force)」を設立した(2006年7月には全面稼働態勢となったことを宣言)。同部隊ホームページ参

照(http://www.eurogendfor.eu/)

(19) “Civilian Headline Goal 2008: Multifunctional Civilian Crisis Management Resources in an Integrated Format, Civilian Response Teams,” Council of the European Union, doc. 10462/05, Brussels, 23 June 2005.

(20) “A Human Security Doctrine for Europe: The Barcelona Report of the Study Group on Europe’s Security Capabilities,” 2004.

(21) 広瀬佳一「NATO軍事機構の『欧州化』と米欧関係」『国際安全保障』(国際安全保障学会)第34 巻第3号(2006年12月)、73―92ページ参照。

(22) Giovanna Bono, “The EU’s Military Doctrine: An Assessment,” International Peacekeeping, Vol. 11, No. 3,

Autumn 2004, p. 453. こうした点を、かつてのケネディ大統領の就任演説になぞらえ、「いまや

NATOがEUに対して何ができるかを問うのはやめ、EUがNATOに対して何ができるかを問い始め るときだ」とする見解も登場している(Sven Biscop, NATO, ESDP and the Riga Summit: No Transformation Without Re-equilibration, Egmont Paper 11, Royal Institute for International Relations[IRRI- KIIB], 2005, p. 20)

(23) このほか、EU委員会と理事会事務局の対立、財政難を挙げて先行きに悲観的な見方もある。

Jakobsen, op. cit., pp. 317―318.

「連載講座:EUの新たな挑戦」

*次号以降取り上げるテーマと執筆者は次のとおりである。

第2回 EU の経済と単一通貨ユーロ(5月号)

田中素香(中央大学教授)

第3回 欧州における移民問題(6月号)

三浦信孝(中央大学教授)

第4回 EU の機構改革と憲法条約(7・8月合併号)

小窪千早(日本国際問題研究所研究員)

第5回 トルコの EU 加盟交渉(9月号)

八谷まち子(九州大学准教授)

ひろせ・よしかず 防衛大学校教授

Referensi

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ハミルトンは,この謎に理論的な答 えを与えた(2).彼は,女王とワーカーは多くの場合親子 なので,ワーカーが子どもを産まず働くとき,女王の産 む子ども(ワーカーにとっての弟妹)が大きく増えるの なら,働く遺伝子は女王を経由して将来増えていくこと を示した.つまり,単独でやるよりも,協力するほうが 大きな利益を得られるときに協力は進化する.この法則