はじめに
代議制民主主義にとって、選挙は政府のかたちや政策の方向性を決める、最も重要な制度 のひとつである。このことは韓国でも同じである。それゆえに、2016年4月に行なわれた国 会議員総選挙(以下、総選挙)は朴槿恵政権にとって重要な意味をもつ。大統領制諸国では、
大統領選挙の間に行なわれる国会議員選挙は政権に対する中間評価と解されることが多いが、
今回の選挙もまたそのように理解され、2017年
12
月に行なわれる大統領選挙までの朴槿恵政 権のゆくえを決定すると考えられてきた。選挙結果は、与党セヌリ党惨敗であった。本稿で は、比較政治学の観点からなぜ与党敗北となる選挙結果が生じたのかを分析したうえで、選 挙結果が今後の政権運営に与える影響を検討する。1
国会議員総選挙の結果総選挙は、予想外の結果であった。ほとんどの世論調査会社、マスメディア各社が与党大 勝を予測していたからである。国会の議席総数300のうち、与党が過半数を押さえることは 確実視され、改憲可能な3分の
2をうかがうとの予測すらなされていた。ところが、与党が獲
得した議席数は、改選前に保持していた146議席を122議席と減らしたうえ、過半数を大きく 下回り、第1党の座すら、123議席を獲得した野党「共に民主党」(以下、ト民主)に奪われて しまった。選挙結果を振り返ってみよう。第1表は、政党別、地域別に総選挙における獲得議席数を みたもので、第2表は比例代表での各党の得票率を地域別にみたものである。1票の格差を是 正する目的から広域自治体別の議席数には変化があることにも留意されたい。結果について は、大きく3つの特徴がある。第1に、地域主義的投票傾向の衰退である。1987年以降、韓 国では特定の地域を選挙基盤とする政党が、その地域の出身者および居住者から排他的な支 持を受ける現象が続いていた。これを地域主義という(1)。とりわけ、保守派政党が朝鮮半島 南東部の嶺南地域(釜山・大邸・蔚山・慶尚南道・慶尚北道)から、進歩派政党が南西部の湖 南地域(光州・全羅南道・全羅北道)から支持を受けていた。その傾向に変化がみられるので ある。セヌリ党は嶺南地域にト民主の進出を許した。この地域における得票率は有力な第3 党である「国民の党」の参加によりト民主のそれは2012年と大きな違いはないが、セヌリ党 の得票率は嶺南地域全体で10%以上落ちている。象徴的なのは大邱での議席独占崩壊である。
大邱は朴槿恵大統領の政治的本拠地であることからセヌリ党がとりわけ強かったが、無所属 議員を3名誕生させたほか、ト民主から
1名、しかもセヌリ党の次期大統領候補の 1人である
金文洙をほぼダブルスコアで打ち負かすかたちで当選させた。他方で、ト民主は湖南地域を 支持基盤とは主張できなくなった。これまでほぼすべての議席を独占してきたが、その地位 は国民の党に奪われた。第2に、国民の党の大躍進である。2015年12月にト民主の前身である「新政治民主連合」
から分裂して誕生した同党は、選挙前の20議席から
38議席へと議席をほぼ倍増させ、主要政
党となった。比例代表での得票率はト民主を抜きセヌリ党に次いで第2党である。国民の党
は、経済政策では中道左派、安全保障政策では保守派の位置をとっており、政策的にはセヌ リ、ト民主の中間的位置を占めている。得票率の高さと併せて考えると、38議席以上の存在 感を有していると言える。第3に、その結果でもあるが、進歩派政党の分裂である。後述するように、進歩派政党は 金大中政権以降分裂と統合を繰り返していたが、それは政治エリート内部のことであって有 権者レベルでは比較的まとまりを有していた。すなわち、進歩派政党の支持基盤は、中道、
第 1 表 2016年国会議員総選挙当選者数(政党別・地域別)
(注) 括弧内は2012年の選挙結果である。2012年と比較可能な政党のみ表示した。「共に民主党」の場合は前身政党であ る民主党の結果を表示している。計にある括弧内の数字は2012年時の広域自治体別の議席数。
黄色のアミ掛け部分は保守派政党の、緑色の同部分は進歩派政党の支持基盤地域を示す。
(出所) 韓国中央選挙管理員会ウェブサイトより筆者作成。
共に民主党 セヌリ党 国民の党 正義党 無所属 計
ソウル特別市 2 0 0
仁川広域市 0 0 2
京 畿 道 0 1 0
大田広域市 0 0 0
世宗特別自治市 0 0 1
忠清北道 0 0 0
忠清南道 0 0 0
光州広域市 8 0 0
全羅北道 7 0 0
全羅南道 8 0 0
釜山広域市 0 0 1
大邱広域市 0 0 3
蔚山広域市 0 0 3
慶尚北道 0 0 0
慶尚南道 0 1 0
江 原 道 0 0 1
済州特別自治道 0 0 0
比例代表 13 4
合 計 123 122 38 6 11 300
―
(48)
(12)
(52)
(6)
(1)
(8)
(10)
(8)
(11)
(11)
(18)
(12)
(6)
(15)
(16)
(9)
(3)
(54)
49 13 60 7 1 8 11 8 10 10 18 12 6 13 16 8 3 47
(16)
(6)
(21)
(3)
(0)
(5)
(4)
(0)
(0)
(0)
(16)
(12)
(6)
(15)
(14)
(9)
(0)
(25)
12 4 19 3 0 5 6 0 1 1 12 8 3 13 12 6 0 17
(30)
(6)
(29)
(3)
(1)
(3)
(3)
(6)
(9)
(10)
(2)
(0)
(0)
(0)
(1)
(0)
(3)
(21)
35 7 40 4 0 3 5 0 2 1 5 1 0 0 3 1 3 13
(注)1.
2.
中道左派、湖南地域であったが、今回の選挙で初めて、湖南地域・中道と中道左派がきれい に分かれ、結果としてト民主が首都圏を中心とした全国政党になってしまった(ユンヒウン
2016)
。2
予想外の与党惨敗与党セヌリ党はなぜ惨敗したのであろうか。この問いに答える前に、選挙結果がなぜ予想 外であったのか、選挙前の政治状況から説明してみよう。李明博政権時代と異なり、経済状 況が芳しくなく、外交的にも米中の間に立って苦しんでいる朴槿恵政権に対し、与党敗北と いうかたちで国民が選挙で中間評価を与えたとしても、常識的にみて予想外とは考えにくい からである。
選挙前、ほとんどの人々が与党勝利を予想した理由は、野党のあまりの弱さに求めること ができる。韓国は、日本と同じく国会議員に対しては任期4年の小選挙区比例代表並立制を 採用しているが、比例代表で選出されるのは47議席と少なく、残る
253
議席は小選挙区中心 に選出される仕組みになっている。このため、二大政党制になる傾向があり、実際に保守派第 2 表 地域別得票率(比例代表)
(注) 括弧内は2012年の選挙結果である。2012年と比較可能な政党のみ表示した。「共に民 主党」の場合は前身政党である民主党の結果を表示している。
黄色のアミ掛け部分は保守派政党の、緑色の同部分は進歩派政党の支持基盤地域を示 す。
(出所) 韓国中央選挙管理員会ウェブサイトより筆者作成。
セヌリ党 国民の党 正義党
ソウル特別市 28.83 8.5
仁川広域市 26.87 7.49
京 畿 道 26.96 7.78
大田広域市 27.14 7.57
世宗特別自治市 26.58 8.85
忠清北道 21.43 5.64
忠清南道 22.51 5.6
光州広域市 53.34 7.32
全羅北道 42.79 8.14
全羅南道 47.73 5.82
釜山広域市 20.33 6.02
大邱広域市 17.42 6.07
蔚山広域市 21.07 8.72
慶尚北道 14.81 5.2
慶尚南道 17.44 6.52
江 原 道 19.3 5.71
済州特別自治道 22.41 7.03
全国平均 26.74 7.23
標準偏差 10.62 1.17
共に民主党 25.93(38.16)
25.43(37.68)
26.83(37.74)
28.19(33.7)
28.47(38.73)
27.57(36.02)
27.05(30.4)
28.59(68.91)
32.26(65.57)
30.15(69.57)
26.64(31.78)
16.3(16.37)
22.76(25.22)
12.89(13.42)
24.35(25.61)
23.93(33.47)
29.59(39.53)
25.54(36.45)
4.69(15.80)
30.82(42.28)
33.42(42.9)
32.28(42.35)
30.96(34.31)
28.63(27.79)
38.6(43.81)
36.92(36.57)
2.86(5.54)
7.55(9.64)
5.65(6.33)
41.22(51.31)
53.06(66.48)
36.69(49.46)
58.11(69.02)
44(53.8)
43.4(51.34)
34.97(38.45)
33.5(42.8)
14.81(18.06)
1.
2.
の与党セヌリ党と中道左派の政党が議席のほとんどを占めていた。
通常与党への評価は政権への評価と結びつけられる。すなわち、朴槿恵政権への評価が低 ければ、野党への投票へとつながるので、そうならないとすれば野党に対する国民からの評 価が低いからということになる。実際に、野党は盧武鉉政権以降、高い評価を得るのが難し い行動を繰り返していた。すなわち、頻繁な分裂と統合である。2002年に大統領選挙で当選 した盧武鉉の基盤となる政党は「新千年民主党」であったが、金大中政権以前からの党内主 流派の折り合いがつかず、同党は大統領与党である「開かれた我らが党(ウリ党)」と「民主 党」に分裂する。ウリ党は2007年の大統領選挙を前に離党者が続出したため、大統領選挙で の敗北を避けるために2007年8月に離党議員を中心に結成されていた「大統合民主新党」へ 合流した。その後、2008年には民主党とも合流し
2月に「統合民主党」を結成するも、2008
年に党名を民主党に変更した。2011年には労働組合や市民団体を含めて「民主統合党」が発 足、2012年の総選挙と大統領選挙に挑むが、いずれも振るわず、安哲秀率いる「新政治連合」と統合し2014年に「新政治民主連合」となる。ところが再び党内対立が発生し、2015年末に 安哲秀を中心とするグループが離党して国民の党を結成し、残された新政治民主連合もト民 主に党名変更した。
このようなめまぐるしい党名の変更と離合集散が続くと、市民が政党アイデンティティー を維持形成することは難しい。加えて支持層が重なる国民の党との競合は両党候補者の共倒 れを引き起こし、セヌリ党にいっそう有利になると考えられたのである。
実際に、以上の野党の迷走は、朴槿恵政権期に行なわれた選挙結果にも表われていた。
2014
年6月に行なわれた統一地方選挙では、選挙直前に発生した大型旅客船セウォル号沈没事件 処理の不手際で与党不利と考えられていたにもかかわらず、野党の選挙結果は振るわなかっ た(2)。2010年の選挙と比べて(当時は民主党)、広域自治体(日本の都道府県に相当)の首長は7名から 9名に、基礎自治体
(日本の市区町村に相当)の議員は1025名から 1157
名に増えたものの、基礎自治体の首長では92名から
80名に、広域自治体議員で 360
名から349名へと減ら していた。2015年に4選挙区で行なわれた国会議員補欠選挙でも
(当時は新政治民主連合)、直 前に発生した与党幹部の不正資金疑惑にもかかわらず全敗となり、強みをもつ全羅南道光州 市の選挙区でも無所属候補に制された(3)。もうひとつ、セヌリ党が勝つと考えられていた理由は、地域主義的投票傾向の存在である。
韓国では、有権者の投票行動を説明する主要因を業績投票ではなく有権者の社会学的背景に 求めてきた。有権者は一票を行使するにあたって、政権与党に対する業績評価よりも政党ア イデンティティーを重視してきたと考えられてきた。政党アイデンティティーを構成する主 要な要素が出身地域である。最近の研究では、地域感情は伝統的に形成された象徴的な差別 意識に根ざしたものであるため、容易に変わることはないとされている(キムヨンチョル・ジ
ョヨンホ
2015;キムソンモ・イヒョヌ 2015)
。それゆえ、朴槿恵政権下での政策パフォーマンスに問題があったとしても、嶺南地域の有権者がセヌリ党を裏切るわけがない、と考えられ ていたのである。
3
惨敗の理由では、予想に反してなぜセヌリ党は惨敗したのであろうか。選挙後出されたコメントは、
大きく2つに分けられる。1つは、公認付与をめぐる内紛が有権者の信用を失墜させたという ことである(4)。セヌリ党は、朴大統領との距離をめぐって大きく二派に分けることができる。
大統領に近い人々を親朴派、遠い人々を非朴派と呼ぶ。今回の総選挙にあたって、非朴派の 議員に公認を与えられないことが多く、怒った非朴派議員が無所属で立候補する事態となっ た。セヌリ党は露骨な派閥人事を行なっているとみた有権者がセヌリ党への信頼をなくした のだという。実際に、公認付与過程を契機にセヌリ党への支持率は急速に低下した。韓国の 代表的な世論調査会社リアルメーターによると、3月第
2
週に44.1%あったセヌリ党支持率は
公認問題勃発後下げはじめ、選挙直前の4月第1
週には37.1%に、さらに選挙直後の第3
週に は27.5%に低下し、初めて野党ト民主(30.4%)に抜かれた(5)。もうひとつは、今回の選挙結果は、与党敗北にとどまらない、政党支持層が地殻変動を起 こす定礎選挙(Foundation Election)なのだという見方である(ジョンヨンイン
2016)
。韓国の 政党システムは、基本的には1987年の民主化時に形成されたと考えられている。同年12
月に 行なわれた大統領選挙で地域主義的投票が顕在化し、翌年に行なわれた総選挙で特定地域を 排他的な地盤とする4つの政党による政党システムが確定した。その後政党は2つに集約され るが、4つの組み合わせであることに大きな違いはない。とりわけ、嶺南地域と湖南地域の 対立構図に変化はないため、現在の政党システムは1987年体制とも呼ばれる。それが地域横 断的な政党支持構造に変化したのが今回の選挙であるという。第2表をみればわかるように、嶺南を支持基盤とするセヌリ党がとりわけ得票率を落としたのは、首都圏と嶺南地域である。
ト民主もまた首都圏と本来の支持基盤であった湖南地域で得票率を落としている。両党から 離反した有権者は、国民の党を支持したと考えられる。つまり、先述したように、政党のイ デオロギーはト民主が中道左派、国民の党が中道、セヌリ党が右派なので、地域ではなくイ デオロギーの違いが政党支持構造を決めることになりつつあると考えることができる。
以上の2つのコメントには、選挙結果を説明するうえで説得的な要素もあるが、それだけ では不十分と考えられる点が多い。前者について言えば、公認をめぐる問題の発生は今回に 限ったことでもなければ、セヌリ党に限ったことでもないということである。2008年の総選 挙では、公認問題をめぐって与党は分裂状態に陥っている(大西
2014、第 4
章)。セヌリ党の 前身であるハンナラ党は、前年の大統領選挙で李明博が当選したことを受け、親李派と親朴 派が深刻な対立に陥った。親李派はハンナラ党を李明博大統領中心の政党に作り替えるため、公認作業で相当数の親朴派の国会議員に党公認を与えず、自派の新人に公認を付与した。こ れに反発した親朴派の非公認議員は、「親朴連帯」という政党を形成して選挙活動を行ない、
時機を逸して無所属となった議員も無所属親朴連帯を掲げて選挙戦に突入する。結果的にハ ンナラ党は圧勝との事前予測にもかかわらず、かろうじて過半数の議席を維持するにとどま った。重要なのは、公認問題をめぐる分裂選挙にもかかわらず、ハンナラ党は比例代表で得
票率が
37.48%で、親朴連帯も 13.18%
をとり、公認をめぐる内紛が保守政党全体への不信にはつながらなかったということである。2016年の選挙で言えば、野党は公認問題どころか、
すでに述べているように党分裂に至っており、ト民主に至っては選挙の前面に立って指揮す るはずの党代表が不在であった。政党ガバナンスは与党よりも低かったと言える。にもかか わらず国民の党と併せて50%以上の比例代表での得票を得たことは、公認問題の内紛だけで セヌリ党の失速を説明するのは難しいということを示している。
後者のコメントについて言えば、選挙のたびに定礎選挙という言葉が選挙研究者から発さ れていることに注意しなければならない。韓国の選挙関係者は多くが、選挙は政策に基づい て戦われるべきものであり、地域主義は韓国民主政治の宿痾であると考えている(大西
2004a)
。 その意味からすれば1987年体制は克服すべきものなので、政策で政党間対立が生じる定礎選 挙の到来が待たれている。彼らが選挙のたびに定礎選挙を口にするのは期待も込めてのこと である。嶺南地域が全体としてみれば依然としてセヌリ党の地盤であることは間違いがない し、湖南地域もまた、まとまって特定の政党を支持している点に変わりはない。この選挙の みをもって定礎選挙のごとき地殻変動が生じたというのは時期尚早である。4
選挙サイクルと政治の全国化ただし、比較政治学の理論を通してみた場合、与党惨敗の原因についてのこれらのコメン トは検討に値するところがある。内紛を原因とする前者のコメントから引き出される検討課 題は、与野党双方で内紛が生じたことの重要性である。選挙で勝つためには、双方とも団結 する必要があるが、なぜ分裂するのか。また支持層の地殻変動によるとみる後者のコメント からは、有権者の投票行動の変化が引き出される。前者、後者ともに選挙を成り立たせてい る政治家と有権者という
2つの主役双方での変化について考えねばならないことを意味して
いる。政治家の行動を考えるときに重要なのは、選挙制度と執政制度である。韓国の執政制度は 大統領制で、国民の意思は大統領と国会の
2つが代表し、双方に民主的正当性が存在する。
選挙制度は、大統領については単純多数決制で、
5
年任期で重任はない。国会については、す でに述べたように4年任期であり、小選挙区比例代表並立制で選出される。ポイントとなる
のは大統領と国会議員の任期の違いである(6)。5年任期の大統領と4年任期の国会議員では、
選挙サイクルが異なり、20年周期で両選挙が接近したり、遠ざかったりする。最も近かった のは直近では2007年12月の大統領選挙と2008年
4月の総選挙で、その後両選挙は遠ざかりつ
つある。両選挙の時間的間隔は、選挙結果に影響を与える。一般的に、同日選挙の場合、コ ートテイル効果(便乗効果)と言って、総選挙は大統領選挙の影響を受け、大統領与党が勝 つ傾向がある。しかし遠ざかれば総選挙は政権に対する中間評価の意味合いをもち、与党が 勝ちにくくなる傾向がある。政権末期に実施される場合、大統領選挙の前哨戦となり、次期 大統領候補が前面に出、現職大統領は選挙戦の外に置かれる可能性が高い。こうした選挙サイクルの点からは、2008年と
2012
年の総選挙は比較的与党が結集しやすい 選挙であったと言える。2008年の場合、李明博大統領は当選したばかりであり、ハロウ効果(人やモノのある特徴的な印象・評価が全体にまで及ぼされること、後光効果)が十分に期待でき
た。党内が分裂状態になるという理論的にあまりない状況が発生したが、12月に李明博に投 票した有権者が野党に投票する可能性は低く、内紛が発生しても深刻化しない時期であった と言える。2012年は大統領選挙を直後に控え、大統領候補が事実上朴槿恵に確定していた時 期であったので、結束して選挙に臨むことができた。しかし今回の選挙のタイミングは党内 ガバナンス上最悪である。次期大統領を狙う政治家にとって、存在感を示す絶好の時期であ る。党を主導して選挙に勝てば、一挙に大統領候補に躍り出ることができる。それゆえに、
党内の主導権争いが深刻化し、政党は分裂含みの状況になる。与党の場合、事情はさらに複 雑になる。残り少なくなったとはいえ、任期いっぱい影響力を保持したい現職大統領にとっ て、次期大統領候補の指名権を維持することが党内での忠誠を確保するうえできわめて重要 であるので、非主流派の排除に乗り出す。他方、大統領職を狙う政治家は現職大統領から主 導権を奪い自立しようとするであろう。
以上の、選挙サイクルに関する比較政治学の理論的予測からすれば、与野党共に分裂騒動 となった今回の状況は十分にありうることであったと言うことができるであろう。
他方、有権者にとって選挙サイクルのずれは政治家ほど直接的な影響を受けないので、投 票行動を自覚的に変更するということにはならない。重要なのは、彼らが何を投票の基準と しているかである。投票行動は、政治学的には政党アイデンティティーを重視する社会学的 アプローチと、政治的有効性感覚などの社会心理学的アプローチ、業績投票などの経済学的 アプローチで説明される(7)。すでに述べたように、このうち韓国で重要視されてきたのは社 会学的アプローチで、出身地域が政党アイデンティティーを規定しているという説明であっ た。しかし近年、地域主義以外に、世代やイデオロギーも投票行動に影響を与えていると考 えられるようになってきている。2002年の大統領選挙時に若年世代が進歩派政党を支持し、
高齢者世代が保守派政党を支持する傾向が現われた(大西
2004b)
。この傾向は2007年の大統 領選挙時にやや弱まった嫌いがあったが、その後強く現われてきている。2012年の大統領選 挙時には、高齢者世代の8割が朴槿恵を支持するのに対し、若年世代の7割が進歩派の文在寅 を支持した(大西2014、序章)
。今回の選挙でこの傾向はいっそうはっきりしてきている。第 3 表 セヌリ党の政党支持率比較
(出所) ユンヒウン(2016)より引用。
20代 30代 40代 50代 60代以上
2012年選挙 27.4 23.7 33 51.5 61.8
2016年選挙 16.5 14.9 20.7 39.9 59.3
第 4 表 嶺南地域での変化
(出所) ユンヒウン(2016)より引用。
20代 30代 40代 50代 60代以上
セヌリ党 24.7 23.2 34.8 55.3 75.2 ト民主・
国民の党・ 67.1 70.3 58.4 38.1 19.6 正義党
第3表に示されるように、韓国の主要放送局
3社が行なった出口調査によると、セヌリ党支持
は2012年選挙でも高齢層に偏っていたが、2016年には若年層がいっそう離れているのに60代
以上のみが高い支持を与えている。世代の違いはセヌリ党の地盤である嶺南地域でも同じで ある。第4表はこのことを物語っており、40代以下ではセヌリ党支持は少数派で、50代以上 と顕著な差を示している(ユンヒウン2016)
。今回の選挙ではまだ分析結果が出ていないので確定はできないが、イデオロギーの違いも また明らかになってきている。21世紀に入って、新中間層が進歩的傾向を示し、進歩派政党 に投票する傾向をみせている(イヨンマ
2014;同2015)
。有権者にとって、依然として出身 地域は投票行動を考えるうえで重要であるが、それは相対化してきている。地域主義自体も イデオロギーの違いを加味するようになってきているともみられている(ジビョングン2015)
。有権者側の変化は、1987年以降の韓国政治のあり方を変えてきている。パクヨンファン
(2014)によると、民主化以降、政党支持率の地域的偏差は縮小傾向にある。実際、第2表が 示すように、2016年の選挙結果は、2012年と比べても、各党の地域的偏差は減っている。政 党政治は地域主義的傾向が薄まって全国化してきており、対立の争点も全国規模で考えられ るようになってきている。このような変化は、比較政治学において政治の全国化と呼ばれる もので、選挙の変動性を抑え、一般的に政党システムの安定化をもたらすと考えられている
(Tavits 2005)。
2016年選挙が定礎選挙であると言っていいかは留保されるべきだが、21
世紀に入ってからの投票行動の変化の方向性は変わっていない。地域主義的投票の衰退は明らかである。
5
レイムダック化?与党惨敗は今後の朴槿恵大統領の政権運営にどのような影響を及ぼすのであろうか。本稿 が依拠している比較政治学は将来を予測するのではなく、現在の政治を理解することが目的 であるので、今後の政権運営について展望することは困難である。しかし、政権が直面する 課題を整理し、過去の同様のケースから示唆を得ることは可能であるので、その範囲で展望 を検討してみよう。
総選挙を経て朴槿恵政権を取り巻く状況はどう変わったのかを確認しておこう。大きくは
2点の変化が生じている。1
点目は、これまで検討してきたように、国会の政党構成の変化である。与党セヌリ党は、その後無所属議員を迎え入れることで129まで議席数を増やしたが、
過半数割れの状況は変わらない。他方で、政権の外交安全保障政策に比較的近い国民の党が 躍進したことは、与野党が常に対決していた二大政党制的構造を変化させている。2点目は、
大統領の任期が残り1年半となったことである。この2点から一般的に言われるのは、大統領 が任期を残しながら実質的に影響力を失う、レイムダック現象の発生である。マスメディア でも次期大統領候補の動向に注目が集まるなど(8)、すでに大統領選挙の前哨戦は始まってお り、レイムダック化への言及も多くなってきている。議会の過半数を押さえていないことも 拍車をかけると考えられるであろう。
これらの変化を、朴槿恵政権の影響力を削ぐという結論につなげていいものであろうか。
もう少し検討してみよう。第1点目について言えば、現在の韓国国会において議席の過半数 を占めることに大きな意味はなく、この点において選挙の前後で変化はないと言ってもよい。
2012年に成立したいわゆる国会先進化法により、与野党が対立する法案を本会議に上程する
には全国会議員の6割の賛成が必要となっている。どの政権であれ、与党が180議席をとらな ければ大統領の政策を、野党の反対を押しのけて決定することはできない。与党の敗北は、政権の政策が国民から支持されていないことを意味するので政権にとって打撃であるが、野 党もまた180議席を有していないことから考えれば、国民の支持を背に勢いづいたとしても 野党の政策決定に与える影響力には限界がある。
国会の変化という点で注目すべきは与党の議席数ではなく、政党の凝集性である(9)。議院 内閣制と異なり原則として議員が内閣を構成しない大統領制では、一般的に政党の凝集力に は限界があり、政党は個々の議員の行動を十分掣肘することはできない。そのため、凝集性 の高い議会と低い議会で大統領の政策実現能力は異なることになる。政党の凝集性が高い議 会の場合、与党が議会の多数を占めれば大統領は政策を実現しやすいが、そうでない場合困 難になる。しかし、凝集性が低い議会の場合、与党が多数を占めるかどうかはあまり重要で なく、政策実現は個々の議員を大統領が説得できるかどうかにかかってくることになる。
この点で言うと国会には重要な変化が生じている(ユンホウ
2016)
。与野党共に政党ガバ ナンスが低下し、議員が政党に縛られずに行動する余地が大きくなっている。与党は親朴派 と非朴派に分かれており、しかもいずれも明確な大統領候補を抱えていない。野党はそもそ も分裂しているうえ、各党それぞれに深刻な内部対立を抱えている。ト民主は盧武鉉前大統 領的な進歩派勢力である親盧派と非盧派に分かれており、8月時点でも党首不在である。国 民の党は安哲秀というリーダーを擁してはいるが、議員の大半は彼と政策思考を同じくする とは言いがたい湖南地域出身で、大統領候補をト民主と統一するかどうかですでに議論が分 かれている。大統領にとって、議会との交渉次第では政策実現が可能となりうる。第2点について言えば、総選挙を終えたこの時期だからこそ、大統領は政策実現に挑むこ とができるとも言える。類似した事例として考えられるのが金泳三政権である(10)。1993年に 大統領に就任した金泳三は、韓国経済の飛躍のためには規制緩和が必要との考えから、政権 発足当初「新経済」をスローガンに大規模な経済改革を行なおうとした。しかし、規制緩和 を行ない経済への政府介入を控えると、与党の政治基盤である嶺南地域への利益誘導が困難 になることから与党が反対し、新自由主義改革を抑制せざるをえなくなった。しかし、1996 年の総選挙終了後、彼は新自由主義的な改革に踏み切る。金融制度改革のための委員会を立 ち上げ、経済副総理に対し任期内での改革断行を指示するのである。
金泳三がレガシーとして残そうとした新自由主義改革は、韓国経済に残る開発途上国的な 要素を払拭するうえで重要であり、経済協力開発機構(OECD)加盟国として経済の開放性を 確保するうえで必要な措置なので、全国民に向けてであれば支持を得やすい政策であった。
しかし、このような改革は政界と経済界の関係を希薄化するので、国会議員の影響力を削ぐ ことにつながり、当時の議員にとって望ましいものではなかったと言える。彼が踏み切れた のは、もはや国会議員の動向を気にする必要がなくなった任期末期だったからとも言える。
もっとも、彼の改革は
1997
年に発生したアジア通貨危機によって挫折し、国際通貨基金(IMF)と金大中政権によって実現されることになる。
金泳三政権の事例が興味深いのは、選挙サイクルの周期が朴槿恵政権と同じであるからで ある。総選挙と大統領選挙の間隔がより短い李明博政権では任期末期に政策実現は困難であ った。逆に長い政権では、政党の凝集性が高まるため与党が過半数をもたないと困難になる。
朴槿恵に残された任期は、政党の凝集性が低下するとともに大統領選挙レースも本格化しな いという、絶妙のタイミングであると言える。
(
1
) 詳しくは、大西(2004a)参照。(
2
) 災害が政治的支持に与える影響は、セウォル号事件に関しては政党支持を強化する方向にのみ表 われたようである。イヒョヌ(2015)参照のこと。(
3
)『日本経済新聞』2015年4月30日。
(
4
)『日本経済新聞』2016年4月14日。
(
5
)〈http://www.realmeter.net/category/chart/〉、2016年8月18
日最終確認。(
6
) 選挙サイクルが政治に与える影響については、浅羽・大西・春木(2010)参照。(
7
) 荒井(2014)、第3章参照。
(
8
) とりあえず、グジャホン(2016)、イスッキョン(2016)、イジョンフン(2016)。(
9
) 建林・曽我・待鳥(2008)、第4章を参照のこと。
(10) 事例の詳細は、大西(2005)、第
6章参照のこと。
■参考文献
浅羽祐樹・大西裕・春木育美(2010)「韓国における選挙サイクル不一致の政党政治への影響」『レヴァ イアサン』47号。
荒井紀一郎(2014)『参加のメカニズム―民主主義に適応する市民の動態』、木鐸社。
大西裕(2004a)「韓国―地域主義とそのゆくえ」、森脇敏雅ほか『〈新版〉比較・選挙政治』、ミネルヴ ァ書房。
大西裕(2004b)「韓国におけるイデオロギー政治の復活」『国際問題』535号(2004年10月)。 大西裕(2005)『韓国経済の政治分析―大統領の政策選択』、有 閣。
大西裕(2014)『先進国・韓国の憂鬱―少子高齢化、経済格差、グローバル化』、中公新書。
建林正彦・曽我謙悟・待鳥聡史(2008)『比較政治制度論』、有 閣。
Tavits, Margit
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パクヨンファン(2014)「地域の全国化と選挙変動性:広域水準での17代―19代総選挙分析」『韓国政党 学会報』13巻1号。
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イジョンフン(2016)「与党圏潜竜たち、一挙に沈没する」『週刊東亜』No. 1034。
イヒョヌ(2015)「2014年地方選挙にセウォル号事件が与えた影響―政府の責任と政党の対応への評 価を中心に」『韓国政治学会報』49巻1号。
ジョンヨンイン(2016)「予想外の少数与党、大転換のきっかけとなるのか?」『週刊京郷』1173号。
ジビョングン(2015)「民主化以降の地域感情の変化と原因」『韓国政党学会報』14巻
1号。
おおにし・ゆたか 神戸大学大学院教授 [email protected]