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5日のいわゆる「スーパー・チューズデイ」では南部ジョージア州で

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はじめに

バラク・オバマ米政権が誕生して早くも1年余り。合衆国大統領に対する評価が就任前と 後で大きく変化することは必ずしも珍しい話ではないが、さまざまな点でユニークなオバ マ大統領の場合、とりまく変化の質も従来とはいささか違っているようだ。とりわけ選挙 キャンペーンの全期間を通してあれほど大きな議論の的だった人種にまつわる問題が、い まや日々のニュースでは稀にしか聞かれなくなっているのである。

あらためて紹介するまでもないが、ケニア人留学生の父と中西部生まれの白人の母の間 に生まれたオバマは生い立ちや育ちの点で「奴隷の子孫」としてのアメリカ黒人の歴史を 象徴しうる存在ではなく、そこが大統領候補としての強みでも弱みでもあると言われた。

黒人社会にとっては明らかに異色の存在であるオバマを同胞とみなしうるかどうかが問わ れる一方、白人社会にとっては、彼が「黒人でありすぎない」からこそ広く受け容れるこ とができるという微妙な存在だったからである。メディアが当初からしばしば話題にして きたように、オバマは「十分に黒人と言えるかどうか」が問われねばならない黒人政治家 であった。しかもそれは単なる欠点というより、よくもあしくもこれまでの人種関係の常 識や枠組みを転覆させる可能性を秘めていた。その意味でオバマはアメリカ社会における 人種政治の実質的制度の埒外からやってきた、前代未聞の「他者」だったのである(1)

ところが選挙終了後の劇的な勝利演説から就任式以後にかけての祝賀ムードの時期が過 ぎると、まるで潮が引くように人種に関する議論は縮小してゆく。テレビの討論番組に並 ぶ面々のなかに黒人―それもたいていは女性の―が加わるのはもはや見慣れた光景だ が、その種の座談でもオバマ政権に関して彼らがことさら人種を話題にすることはめった にない。多少めだつ人種がらみの政治的発言を探すなら、右翼の毒舌ラジオ司会者として 人気のラッシュ・リンボーが「オバマの政策を批判すると人種差別だと言われる」のを槍 玉に挙げていることぐらいだろうか(2)

こうした状況は一般に、オバマ大統領の誕生をきっかけとする「脱人種政治」(post-race

politics)

への期待感とからめて語られてきた。たとえばジョージタウン大学の社会学者マイ

ケル・エリック・ダイソンはオバマ勝利演説の翌日の『ロサンゼルス・タイムズ』の時評 で、詩人ラングストン・ヒューズからラッパーのトゥパックまで、黒人が大統領になるな ど考えられもしないと嘆くアーティストたちの時代がつい最近までつづいたことに触れな

(2)

がら、黒い肌のオバマが大統領に選ばれたことはアメリカ社会の「希望の再生を象徴する」

出来事であり、「社会的な無視や文化的な孤立に甘んじてきたあまたの黒人にとって、オバ マの言葉とヴィジョンはアメリカをひとつの家族に戻すような橋をかけたのである」と絶 讃した(3)。これを踏まえるなら、人種問題が沈静化したようにみえる現状は、「脱人種政治」

が成就したとまでは言えないまでも、それへの期待感が持続し、何より黒人社会が強い力 でそれを支えているからだ―ということになるだろうか。

だが、事はそれほど単純ではない。現に発足後のオバマ政権が左派の期待に比して保守 派や共和党への妥協的な政治姿勢を明らかにするにつれ、黒人政界からの不満も徐々に高 まり、就任から10ヵ月で支持率が5割を切ったのを機にいわゆる無党派層のオバマ離れが指 摘されて、連邦議会黒人幹部会(Congressional Black Caucus)からも人種問題への政権側の取 り組みの弱さに対する抗議が正式に表明されるなどの動きがめだってきた。そればかりで はない。もともと黒人政治―とそれを理論的に支える知識人勢力―のなかには「脱人 種政治」なるものに対する強い違和感がかねて横たわっており、それが選挙戦期間から中 間選挙の年への経緯のなかで、浮沈をともないながらも徐々に沸点へと向かって勢いを強 めているのである。その様相を、以下に概観してみたい。

1

黒人政治の終わり?

まず黒人政治とは何かという話から始めよう。2008年8月の民主党全国大会の直前、『ニ ューヨーク・タイムズ・マガジン』は「オバマは黒人政治の終わりか?」と題する論争的な 特集記事を掲載した。現代の黒人政治は公民権運動を原点とし、不当な差別に耐えつつ逆 境を切り拓いてきた―そしていまなおそうである―という歴史の歩みを存在の独自性 や大義のよりどころとしているが、この記事によると、いざ黒人大統領が誕生したあかつ きには黒人政治の存在自体が事あらためて言及するまでもないものとなり、公民権運動の 時代からの闘士として知られたジェシー・ジャクソンら大物の黒人活動家・政治家たちの 存在感も、世代交代とともに次第に薄れてゆくだろうというのだった―「その昔アイルラ ンド系やイタリア系の政治マシーンが主流政治のなかに吸収されていったように、黒人政 治もいまやアメリカ政治のなかに姿を消しつつあるかもしれないのである」(4)

黒人大統領が誕生することで黒人政治が逆に独自性を奪われ、存在感すら失効させてし まいかねないというこの事態は、2008年が明けたばかりのときにはまだほとんど懸念され てはいなかった。黒人層をはじめ、ヒスパニック、白人労働者、女性など民主党の主だっ た支持母体をしっかり押さえたヒラリー・クリントンの民主党内における圧倒的優位は揺 るがない、というのがほぼ常識的な見通しだったからである。ところが1月半ばから

2

月初 めにかけての各地での党員集会で状況が一変する。ことに白人人口がほとんどを占める緒 戦アイオワ州でのオバマの勝利は南部の黒人社会に「万が一」の奇跡を信じさせる重要な きっかけとなり、2月

5日のいわゆる「スーパー・チューズデイ」では南部ジョージア州で

オバマがクリントンの倍以上の支持を得て圧勝、アラバマ州でも14ポイントの大差をつけ てオバマ勝利が確定するという結果へとつながってゆく。

(3)

このとき、ジョージアでの結果をみたアラバマ州選出の下院議員ジョン・ルイスが急遽 オバマへと支持を変えたことは、ことに影響が大きかったと言えよう。黒人政界の大物と して名高い彼は長年の公民権運動の闘士で、クリントン夫妻とも固い絆で結ばれた盟友だ った。その彼が苦渋の決断をしたのは、選挙区の広大な上院議員と違って地元に密着する 下院議員には選挙民の意向こそが最優先となる事情が働いたからだが、同時に、黒人大統 領誕生の可能性を本当には信じなかった政治のプロと、アイオワでの結果に大きな希望を 見出した一般有権者の感情に大きなギャップがあることも露呈させる 末となった。

結局、ルイスの転向が決め手となって、それまで両候補の間で躊躇もあった黒人政界は オバマ支持で事実上一本化。その後、激しいつばぜり合いを演じながらついにクリントン が選挙戦撤退を6月に宣言するまで、オバマ陣営の勢いがやむことはなかったのである。

2

世代交代論の背景

黒人政治家としては出自の曖昧なオバマを黒人大衆が熱狂的に歓迎したことは、従来の 政治常識が劇的に崩れ去りつつある印象をもたらすに十分な出来事だったが、さらにその 感を強めたのが、この期間を通して顕在化した黒人政界内部の世代交代の様相である。

先の『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』の記事によると、子供のころジム・クロウ 法の苛酷な差別を体験した公民権運動やブラック・パワー革命時代の黒人活動家たちと、

キング牧師暗殺のときに

7歳だったオバマら若手の間には、世代的な経験と価値観・社会観

の相違が大きく横たわっているという。特に後者には前者の無理解や流儀に対する苛立ち とジレンマが強い。これを示すのがルイスらと並ぶ黒人政界の大物ジェシー・ジャクソン の舌禍事件と、それに対する息子ジェシー・ジャクソン・ジュニアの批判である。

故マーティン・ルーサー・キング牧師に見出されて以来、絶えずメディアの注目を浴び てきたジャクソンはオバマ以前に全米で最もよく知られた黒人大統領候補(1984年、88年)

であり、オバマの勝利演説の会場で人目もはばからず男泣きした映像も、いまなお記憶に 新しい。しかしこのつい半年ほど前まで、ジャクソンは最も感情的にオバマ批判を展開す る急先鋒に立っていた。もともと彼は息子のジェシー・ジュニアがオバマと親しかった縁 で黒人の大物としては珍しく早くからオバマ支持を打ち出していたのだが、やがて人種問 題を争点にしたがらないオバマの言動を事あるたびに「まるで白人のようだ」と批判。そ のあげく保守派のFOXニューズの番組に出演した際、マイクがオフになっているものと勘 違いして「バラクは黒人を見下したような喋り方をするんだ。まったくあいつの金玉をち ょん切ってやりたいよ」と小声で悪態をつき、それが放映されてしまったのである(5)

さすがに慌てたジャクソンはただちに釈明の記者会見を開き、ライヴァル局のCNNにも 出演して公式に謝罪を表明したが、おそらくこの件で最も面目を失ったのはジェシー・ジ ュニアだったろう。イリノイ州選出の下院議員として同じ地元のオバマと親しい彼は、す でに前年からオバマ選挙対策本部の副議長の地位にあり、父の感情的なオバマ批判にも手 を焼いて、何度か公に苦言を呈してきたからである。結局、この件はオバマ陣営が問題を やりすごし、ジェシー・ジュニアが父の「醜悪なレトリック」に「深く怒り、失望してい

(4)

る」との厳しいコメントを文書で出すことで終わった(6)。ちなみに黒人大衆の受け止め方は と言えば、ジャクソンのガキ大将もどきの悪態にオヤジどもが腹を抱えて大笑いし、オバ さんたちはやれやれと呆れ顔で首を振るといった感じ、と言えばいいだろうか。

こう言うと、事は目立ちたがり屋ジェシーの個人的などで終わってしまいそうだが、

それだけで看過するには惜しい示唆がここにはある。というのもジャクソン発言の枢要な 点は、悪態そのものではなく、「黒人を見下したような」オバマのエリート性に対する叩き 上げの運動家世代の反感が思わず転がり出たところだからだ。言い換えればそれは黒人政 界内部におけるある種の階級対立の反映なのである。

現にこの事件に先立つ「父の日」の演説会で、オバマは多くの黒人男性が家庭を顧みず、

子育てにも無関心なことを「一人前の男とは言えない子供じみた」振る舞いだと戒め、長 年の差別は「言い訳にならない」と断じ、いつもながらの傑然とした口ぶりで父親として の責任ある振る舞いを促した(7)。といっても、内容そのものは若者たちに説教する老優ビ ル・コズビーのお小言より控えめなぐらいなのだが、みるからにエリート然としたオバマ の語気は鋭く、口調はにべもない。それは『ワシントン・ポスト』が「自分の仲間を公然 と批判するという(新人候補にしては)珍しいやり方」と評したとおりである(8)。そして旧 習に対する高飛車なほど挑戦的なこの種の態度が、オバマに代表される新しい黒人政治の 世代に総じて共通した姿勢なのだ。

事実、アラバマ州選出の下院議員アーサー・デイヴィスは従来の黒人政治家たちが自分 たちの社会への利益誘導にばかり走ってきたと公然と批判し、黒人票が分裂する危険性を いとわず弱冠

32歳で老練な先輩議員アール・ヒラードに挑戦して勝利をもぎとった野心家

だし、典型的なブラック・パワー世代の元ニューアーク市長シャープ・ジェイムズに挑ん で成功を収めた39歳の現市長コーリー・ブッカーも、「固定観念に縛られるのは願い下げ」、

「CNNが黒人政治家をとりあげるときに連想されるタイプの人間にはなりたくない」と明言 する(9)。ちなみにデイヴィスはハーヴァード大学で次席優等賞を得てそのままロースクール に進み、ブッカーはスタンフォード大学からイェール大学のロースクールを出てローズ奨 学生に選ばれたという折り紙つきのエリートだ。また黒人として初めてマサチューセッツ 州知事に就任したデヴァル・パトリックも、プレップスクールからハーヴァードとロース クールへ進学し、クリントン政権で司法省副長官を務めた。オバマは黒人学生として初め て『ハーヴァード・ローレヴュー』編集長に選ばれた秀才ぶりで話題となったが、そんな 経歴すら若手の黒人エリートたちの間では例外とばかりは言えないのである。

彼ら新世代はまた、政治的な価値観や発想の点でも旧世代とは大きく異なっている。た とえばフィラデルフィア市長として広い支持を誇るマイケル・ナッターは若手世代には珍 しくヒラリー・クリントンを強く推したが、それはオバマ支持者が彼の立候補を黒人政治 の偉大な進歩の証しとする考え方をそっくり裏返す発想からきていた。いわく、ナッター にとって「オバマを支持しないこともまたひとつの進歩」なのだ(10)

思えばアメリカの大都市行政は黒人でなければ務まらない時代が来たと言われたのは

1980年代に故ハロルド・ワシントンがシカゴ市長選に勝利したときだが、それから四半世

(5)

紀を経た現在、黒人政治はこれまでとはまったく異なった角度から「人種を乗り越え」つ つあるとの印象は、なるほど否み難いものがあると言えるだろう。

3

ラディカリズムの反撃

しかしながらこの手の言説に対して真っ向から異議を唱えてきたのが、黒人政治のなか でもとりわけラディカルな理論派の一群である。この勢力は、主義主張は異なるものの、

かつてのマルクス主義左翼と同じような存在感を学界で発揮し、リベラル派の知識人社会 にも無視できない影響力を発揮している。その思想が

1990年代に大学アカデミズムで一大

論争を巻き起こした多文化主義(multiculturalism)であり、わけても急進的な姿勢で伝統的知 識層との間に強い対立を生んだアフリカ中心主義(Afrocentrism)である。

多文化主義は、もともと民族差別を鋭く批判したユダヤ系の若手知識層を中心に

20

世紀 前半に登場した文化多元主義(cultural pluralism)の流れを汲む反差別思想だが、穏健中庸を 旨とするリベラル派の微温的な姿勢を嫌い、人種的・民族的少数者のプライドとアイデン ティティーの確立を最重視する「アイデンティティー・ポリティクス」と連携して、差別 を内在化した社会の価値観や制度、慣習といった「文化」のあり方そのものに強烈な異議 申し立てを行なうラディカルなイデオロギーとして登場した。

文化多元主義が肌の色の違いにこだわらず、多様な人々による調和にみちた「異文化共 存」をめざす啓蒙的・楽観的な姿勢をとるのに対して、多文化主義はこれを安易なまやか しとしりぞけ、リベラル派の「肌の色の違いにこだわらない」論理(いわゆるカラーブライ ンド論)を一見寛容な顔をした危険思想と批判する。「肌の色の違いにこだわらない」とは キング牧師が夢見た社会の理想的なあり方だが、現在のリベラル派(の特に白人知識層)は 中間層への配慮を優先して自己責任を説くレーガン政権以来の政治潮流に逆らうこともな く、黒人層の貧困などを肌の色にかかわらない―つまり人種差別の結果ではなく自助努 力の不足による―問題だとする議論に与しがちだからである。それゆえ多文化主義のな かの先鋭な一群は、文化の多様性を口では称えながら人種問題の実態に目をつぶる文化多 元主義を偽善的だとして強く批判し、人種差別主義(racism)ではなく人種意識を覚醒させ

“racialism” を主張する。そしてこのイデオロギーを最も戦闘的に牽引してきたのが「アフ

リカ中心主義」なのである(11)

興味深いのはアフリカ中心主義者たちがオバマやその周囲の政治現象を批評するときの 議論の立て方だろう。彼らは黒人政治の旧世代と違ってオバマその人を総じて高く評価し ながら、多くの有力メディアにみられる「脱人種」言説を痛烈に批判し、オバマがそこに 近接するのを強く牽制する。これを表わしているのが、アフリカ中心主義の理論的拠点に 当たる『ジャーナル・オヴ・ブラック・スタディーズ』誌が

2007年秋と 2010年初頭の 2度

にわたって企画した大規模なオバマ論特集である(12)

そのうち前者に寄稿したテンプル大学のモレフィ・K・アサンテはアフリカ中心主義を提 唱したこの分野の指導的存在で、あまたの白人リベラル派と激しい応酬を交わした攻撃的 な論争家としても知られるが、このときの論文ではユニークな生い立ちを率直に語ったオ

(6)

バマの自伝を踏まえ、彼が自ら意識的かつ理知的に「アフリカ系アメリカ人コミュニティ ーの一員」となることを選んだと評価する。アフリカ中心主義は一般に「人種」を自明な ものとして本質化しているとみなされがちだが、「文化の担い手」(cultural agency)という独 自の概念を駆使するアサンテは、アメリカの黒人社会に根を下ろそうとするオバマの自覚 的な振る舞いを「歴史を作ることの単なる目撃者ではなくアクター」たらんとする志の表 われだとして、それこそがアフリカ中心主義に通ずる姿勢なのだと言う。

しかし他方で彼は、オバマが「黒人大統領になるとは思われない」とも明言する。合衆 国の政治指導者になることは、あまたの多様性をはらむ勢力や集団の複雑な利害と対面す ることであり、そこに挑むオバマの前途は「ブッシュに任命されて閣僚となったコリン・

パウエルやコンドリーザ・ライスの先例に基づくものになる」からである―「ある意味で 奇妙なことだが、公僕として(国政における)存在感と成功を示したパウエルとライスは、

アメリカが直面する諸問題への指導力を黒人が発揮できることを白人にまのあたりにさせ たことで、オバマ大統領誕生の実現性を高めたのである」(13)

言うまでもなくパウエルとライスは共和党員であり、選挙地盤とは無関係の立場で国政 の要職に就いた存在でもある。つまり彼らは黒人有権者集団の利益を代表し黒人政治 家なのだが、そういった人々の「先例レガシー」の上に、民主党員として大統領選に挑むオバマを 位置づけるアサンテの見方はなかなか鋭い。というのもこれによって初めて、ジェシー・

ジャクソンやジョン・ルイスらとオバマの違いが単なる世代や学歴などの差に由来するも のではないことが論理的に明らかになるからだ。

それはしかし、オバマが大統領になったとしてもアフリカ中心主義の目から見て優れた 指導者であるかはわからない、ということでもある。一国の政治指導者は既存の国益に忠 実であることを強いられるものであり、たとえアフリカの血を引くオバマであっても、か ねて左派が批判する米アフリカ軍司令部(通称「アフリコム」)の設置計画などを見直せると は限らない。中東問題、パレスチナ情勢、グローバリゼーションと世界規模の格差問題な ども同様だ。おまけに議会歴が浅く、党内基盤も脆弱なオバマの行く手がいっそう困難に 縛られるのは必定だ、と、そうアサンテは言うのである。

4

オバマ批判の深まり

2007年のアサンテ論文はアフリカ中心主義というよりリアリスト的な目でオバマ政権の

その後を見通す試みだったが、政権発足から1年を経た

2010年初頭の『ジャーナル・オヴ・

ブラック・スタディーズ』オバマ特集号になると、より多文化主義的な批判があらわにな ってくる。それもぐっと若返った執筆陣のなかに黒人研究を専門とする新しいタイプの白 人を起用することで、より多彩な批判的アプローチを提示しようとする姿勢を打ち出して いるのである。

たとえば、オバマの有名な回想記(邦題『マイ・ドリーム』)における「語り」を分析した デイヴィッド・マスティはカナダの若い白人研究者だが、シカゴの貧困街におけるオバマ の地域活動家時代を読み解きながら、この経験を通して「黒人社会の一員」になる自覚と

(7)

決意を固めたとするオバマの告白が、多くの白人読者にとって格好の「スラム見物記」を 提供しているという。ことに突拍子もない黒人ナショナリストらとの出逢いを微苦笑まじ りに振り返るオバマの軽妙な筆致は、黒人社会での彼がいかに「他者」であったかを表象 すると同時に、ハリウッド映画ばりの黒人ステレオタイプにも通じている。そしてこれら のエピソードを巧みに重ねながら「アフリカ系アメリカ人」として自己形成するまでの半 生をたどるオバマの才筆は、それが精妙であればあるほど、白人読者のなかに「ここに描 かれた黒人たちとは違う自分」―黒人との差異のうえに成り立つ「白人意識」―を生 み出してゆく。言い換えればそれは「人種意識主義レ イ シ ャ リ ズ ム

」の思考態度と「人種差別主義 」の振 る舞いを二重に喚起する政治的な「物語」となっているのだ、というのである(14)

マスティの論文には日常的な政治意識を左右する大衆説話の表象分析や、「黒人性ブラックネス」を渇 仰するオバマの自分探しを「白人性

ホワイトネス

」の側から解読する横断的な問題設定など、いかにも 多文化主義カリキュラムで育った若手らしい目がみられるが、同じ特集に寄稿したもうひ とりの白人研究者トマス・エッジはオバマをめぐる保守派の動向に注目し、保守勢力の人 種戦略が「新しい段階」に入ったとして、これを「南部戦略2.0」と呼ぶ。

「南部戦略」とは1968年の大統領選挙で共和党のリチャード・ニクソン陣営が展開した人 種キャンペーンの通称で、公民権法を通した民主党政権への反発を利用して「ソリッド・

サウス」と呼ばれた民主党の強固な地盤を切り崩した前例を指す。現にこの戦略が功を奏 したことで、以後「レーガン・デモクラッツ」の登場や新保守主義(ネオコン)勢力の伸張 にみられる長期的な保守化潮流が定まったのだが、エッジによれば今回の選挙で保守派は ぐっと装いを改め、オバマの当選を表向き歓迎する新しい戦術的アプローチを編み出した という。彼らは例の「カラーブラインド」の論理を援用しながら、黒人大統領を選んだア メリカはもはや人種問題を克服した、ゆえに差別撤廃措置や福祉政策も無用となった―

とする持論をさらに広めようとしているというのである(15)

ちなみにエッジはオバマの「脱人種」メッセージを保守派が悪用したという解釈に立っ ているが、同じ号にはもっと手厳しく、オバマは保守派と取引したのだとする批判も掲載 されている。ジョージタウン大学のクリストファー・J・メッツラーによる「バラク・オバ マのファウスト的契約とアメリカの人種精神のための戦い」である。

題名が示すように、メッツラーは「脱人種」志向のメッセージを繰り返すオバマを、誘 惑に負けて悪魔との契約に走ったファウスト博士になぞらえる。とりわけ槍玉に挙げるの が、オバマの私淑するシカゴのジェレマイア・ライト牧師の白人批判をメディアが問題化 した事件への対応である。このときオバマはライト個人への非難を避けながら「より完璧 な社会」をめざそうと呼びかける有名な演説で危機を切り抜け、見事なスピンコントロー ルの技をみせたとメディアに評価された。しかしメッツラーはオバマの態度が人種をめぐ る言 説

ディスコース

ならぬ「妄 説

ディスカーシブ

」を生み出したと言う。たとえば有力ウェブマガジン『スレート』

のコラムニストは、教区民ならライトの持論など周知だったはずなのに「過去20年間も教 会に通った上院議員氏は、つい先週までこの怒れる牧師と縁を切り、聞き咎めようとは思 いもしなかったのだろうか」と揚げ足をとった。これを受けてメッツラーは「要するにこ

(8)

れが主流派メディアの人種言論なのだ」と言う―「こうして『脱人種』を標榜する候補者 はいまや前人種・現人種・超人種的存在となり、つまりは人種化レイシャライズされてしまったのである。

それはあたかもバラクが黒人

ブラック

に戻った

 バ ッ ク 

かのようなのであった」(16)

これだけでも相当な皮肉だが、メッツラーは挑発的言辞に溺れることなく、投票行動に みられる大衆の意思の変化を分析する。たとえば民主党予備選におけるアイオワでのオバ マの勝利は黒人票を決定的に左右したが、メッツラーは直前まで黒人票の大半がヒラリー 支持だったことをあらためて指摘し、果たしてオバマは黒人有権者の「ファースト・チョ イス」だったのだろうか、と問いかける―「もし黒人たちが彼を本当に選ぼうと思って いたのなら、一体なぜアイオワまで態度で示さなかったのか。それ以前、われわれ黒人は 何度も白人候補者に(カーター、モンデール、デュカキス、ゴア、ケリーに)票を投じては敗 れたのだ。そしてわれわれはそれらの候補者にどこまで勝ち目があるかなど考えもしなか ったのである」(17)

5

差別の品格

メッツラーはアメリカにおける黒人の政治的アイデンティティーがみかけほど不動でも 自律的でもないことを示唆している。先のエッジの論文は「黒人の一員」であろうとする オバマの体験記が読者の内部に作り出す「白人意識」を取り上げていたが、メッツラーの 分析は逆に、「黒人」候補が出現したときの黒人有権者の困惑を通じてそれまで自明だった はずの人種的根拠が不意に揺らぐさまを指摘する。そして、そこに付け入ったオバマが実 際には人種に関する明確な態度を示さないまま「脱人種」言説をふりまき、白人優位の実 質的制度を温存するのとひきかえに勝利を手に入れたのだ―と批判するのである。

興味深いのはアフリカ中心主義の薫陶を受けたメッツラーのこの議論が、もとは保守派 の黒人批評家シェルビー・スティールに啓発されたものであることだろう。スティールは

1990年代初頭に「ポリティカル・コレクトネス」論争が頂点を極めたころ多文化主義教育

やアファーマティヴ・アクションを批判して保守論壇に登場した論客だが、2008年選挙に 際しては独自の視点からのオバマ論で再び注目された。というのも彼自身、黒人労働者階 級の父と白人のソーシャルワーカーの母の間に生まれた混血児だからであり、人種的帰属 の曖昧さに苦しんだ点ではオバマと同等―ないし1960年代の若者だったことを思えばそ れ以上―だったからである。

スティールによれば異人種間の結婚で生まれた彼らのような人間は、白人からも黒人か らも「招かれざる客」とみなされる一方、相反する双方の利害を熟知し、調停する役目ま で押しつけられる。彼らは人種差別の加害者としての暗い過去に罪悪感を抱く白人たちの 負い目を慰撫し、白人社会での成功とひきかえに精神的な免罪符を与える「取引人

バーゲイナー

」とな るが、他方で黒人たちからまるで裏切り者のようにみなされる不快を避けるために「怒れ

る抗議人チャレンジャー」としても振る舞わねばならない。しかしどちらの役割もしょせん世を忍ぶ仮面

のようなものにすぎず、「本当の自分」を探す虚しい努力にあがきながら、たいていは白人 リベラル陣営の軒先で雨宿りする「物わかりのいい黒人」であるほかないのである。

(9)

ちなみにメッツラーはこうした議論のいわば半分だけを援用して「ファウスト的契約」

のアイディアを得たわけだが、スティール自身はと言えばあくまで黒人自身の誇りある自 己決定と自己責任を求めるリバタリアン的立場を明確にしたうえで、「取引人」として世間 的な成功を収める方途にも一種の戦略的価値があることを認めている。

それによると、現代のアメリカ白人社会には人種差別と縁を切ろうとする強烈な罪悪感 と衝動が―実際には差別意識も残っているがゆえになおさら強く―働いているという。

したがって差別に対して怒りではなく寛容さで応える「取引人」がこれをうまく利用すれ ば、白人たちからは感謝と善意が大きな波のように押し寄せてくる。と同時に白人たちの 内部には安堵感とある種の尊厳が生まれ、差別を克服するひとつの契機がそなわることに なる。言い換えればこのとき差別は単に消滅するのではなく「品 格ディグニティ」を与えられ、ひとつ 高次の段階へと押し上げられる―そうスティールは言うのである(18)

ただし彼は、この「差別の品格」戦略には限界があるとも言う。なぜならこれは過渡期 の処世術であり、あらゆる困難に抗して信念を貫くべき一国の政治指導者にも当てはまる わけではないからだ。ところがオバマは必ずしもそうはみえない、とスティールは示唆す る。たとえば

2007年に民主党の主要候補が出そろったとき、党幹部のジョー・バイデンは

オバマを「主流のアフリカ系アメリカ人としては初めて、理路整然と聡明で清潔でハンサ ムな男」と評して物議をかもした。まるで他の黒人は「理路整然と聡明で清潔」ではなか ったといわんばかりの言い草だったからだが、このときもオバマは「個人的には気にして ない」とする一方、「その指摘は歴史的には不正確」だとまるで学者のような言葉で白黒双 方に気を遣う優等生の受け答えに終始した。おまけに彼はその後バイデンを副大統領候補 に指名し、リベラル派の白人知識層を大いにほっとさせたのである(19)

スティールはこうしたオバマの態度を「脱人種」という信念を貫き通したので、 二重の仮面の下で信念を抑え、心ならずも取引に奔走した現われだとみる。そしてその結 果、彼は歴史的な人種的融和というファンタジーの象徴に祀り上げられ、自身の予想をは るかに超える熱狂を一身に集めながら、初の「黒人大統領」として政権をスタートさせる ことになったのだと言う。スティールの言葉を借りれば、相矛盾する価値観に縛り上げら れながら、その実どちらにも帰属しえない不条理な悲喜劇の主役として―。

おわりに

右派であれ左派であれ、ラディカルな政治言論というものはいつの世にも広範な大衆的支 持を得るわけではない。その意味ではアフリカ中心主義のオバマ批判もリバタリアンのそれ も、影響力の範囲は当面あくまで限られるとみるべきだろう。黒人活動家たちのなかにはこ れらの論理を採り入れながら各地の市民集会で周到なオバマ批判を展開する例もちらほら見 聞きされるが、黒人大衆一般の間のオバマ支持は依然として強い。

けれども、あの大統領選挙から一年余り。いま熱狂の波の引いた政治の舞台で孤独を深め、

早くも弱気を口にするようになった彼の横顔を通して、人々はあまりにあっけない潮流の変 化を目撃している。そう言えばスティールが最近の『ウォール・ストリート・ジャーナル』

(10)

に寄稿した記事は、前にもまして舌鋒鋭くオバマを「裸の王様」になぞらえるものだった(20)。 童話と違うのは、群集の間に響く子供の甲高い声がひとつではなく、右からも左からも聞こ え始めていることかもしれない。

1 Ta-Nehisi Paul Coates, “Is Obama Black Enough?” Time, Feb. 1, 2007(http://www.time.com/time/nation/

article/0,8599,1584736,00.html).

2) リンボーの発言については以下を参照、http://thehill.com/blogs/blog-briefing-room/news/62611- limbaugh-obamas-presidency-has-worsened-racial-problems?page=2#comments。

3 Michael Eric Dyson, “Race, post race,” The Los Angeles Times, Nov. 5, 2008(http://www.latimes.com/news/

opinion/la-oe-dyson5-2008nov05,0,5307282.story).

4 Matt Bai, “Is Obama the end of black politics?” New York Times Magazine, Aug. 10, 2008, p. 34.

5 http://www.youtube.com/watch?v=4aLGkFpsdHo

6 http://www.cnn.com/2008/POLITICS/07/09/jesse.jackson.comment/index.html

7 http://www.huffingtonpost.com/2008/06/15/obamas-fathers-day-speech_n_107220.html

8 Perry Bacon Jr., “Obama Reaches Out With Tough Love: Candidate Says Criticism of Black America Reflects Its Private Concerns,” Washington Post, May 3, 2007, A01.

9 Bai, p. 34.

(10) Ibid.

(11) 辻内鏡人「多文化パラダイムの展望」、油井大三郎・藤泰生編『多文化主義のアメリカ』、東京大 学出版会、1999年、60, 66, 68―72ページ。

(12) The special issue of “Barak Obama Phenomenon,” Journal of Black Studies, Vol. 38, No. 1(Sep. 2007);

“Barack Obama’s Improbable Election and the Question of Race and Racism in Contemporary America,”

Journal of Black Studies, Vol. 40, No. 3(Jan. 2010).

(13) Molefi Kete Asante, “Barak Obama and the Dilemma of Power,” Journal of Black Studies, Vol. 38, No. 1, p. 114.

(14) David Mastey, “Slumming and/as Self-Making in Barack Obama’s Dreams From My Father,” Journal of Black Studies, Vol. 40, No. 3, pp. 484–501.

(15) Thomas Edge, “Southern Strategy 2.0: Conservatives, White Voters, and the Election of Barak Obama,”

Journal of Black Studies, Vol. 40, No. 3, pp. 426–437.

(16) Christopher J. Metzler, “Barak Obama’s Faustian Bargain and the Fight for America’s Racial Soul,”Journal of Black Studies, Vol. 40, No. 3, p. 400.

(17) Ibid., p. 404.

(18) Shelby Steele, A Bound Man: Why We Are Excited About Obama and Why He Can’t Win, Free Press, 2007, p. 95.

(19) Ibid., p. 15. バイデン発言とオバマの対応については以下のNBCニューズを参照、http://www.

youtube.com/watch?v=f3rKpYT3kxw。

(20) Shelby Steele, “Obama and Our Post-Modern Race Problem,” The Wall Street Journal, Dec. 30, 2009.

いくい・えいこう 共立女子大学教授 [email protected]

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