序
アジアにおける地域通貨・金融協力は、今から10年余り前の
1997
年に発生したアジア通 貨危機を契機にして、2000年に東南アジア諸国連合(ASEAN:インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ベトナム、ブルネイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー)プラ ス3(日本、中国、韓国)の財務大臣が合意したチェンマイ・イニシアティブから始まった(1)。 チェンマイ・イニシアティブでは、ASEANプラス
3
の財務大臣が、これらの諸国のうちの どこかの国が通貨危機、特に国際収支危機に陥った場合に、その通貨危機を管理するため に、相互に資金を融通しあう通貨スワップ取極を締結した(2)。通貨スワップ取極がもっぱら通貨危機管理を目的としたものであることから、通貨危機 を予防するために、財務大臣代理会合においてピア・プレッシャーによって相互に監視す るサーベイランス・プロセスを行なうことも付け加えることとなった。すなわち、ASEAN プラス3 財務大臣代理会合において行なわれている「ASEANプラス
3 経済レビューと政策
対話(ERPD: Economic Review and Policy Dialogue)」と呼ばれる域内経済サーベイランスをチェ ンマイ・イニシアティブの枠組みに統合して、強化した。一方、通貨スワップ取極の総額 も徐々に増額されてきて、2009年4
月現在、名目合計で900億ドルとなっている。このようにして発展してきたチェンマイ・イニシアティブと通貨スワップ取極ではある が、アメリカ発の世界金融危機がこれらの問題点を露呈させることとなった。2007年夏に アメリカで発生したサブプライムローン問題が、2008年
9
月15
日のリーマン・ブラザーズ の経営破綻によって、アメリカの金融危機から世界金融危機に発展するという過程のなか で、その深刻な影響を受けた韓国ウォンの暴落を止めるために、韓国政府はチェンマイ・イニシアティブの通貨スワップ取極を利用しなかった。その代わりに、韓国政府はアメリ カの連邦準備制度と新たに通貨スワップ取極を締結して、早速、実行した。このことは、
今回の世界金融危機において、チェンマイ・イニシアティブの通貨スワップ取極を実行す るには、何らかの困難があるという問題があったことを示唆しているのかもしれない。本 稿では、この点を考慮しながら、チェンマイ・イニシアティブの問題点を指摘するととも に、その解決策を提示したい。
これらの問題点とその解決策を論ずる前に、まず、今回の世界金融危機においてアジア 通貨の動向を観察しながら、世界金融危機に対するアジアの通貨の反応が非対称的であり、
かつ、二極分化していることを指摘する。そして、危機時の域内為替相場の安定をめざす ことを考えたときに、チェンマイ・イニシアティブにおいて何が欠けていて、何が足りな いのかを考える。そのうえで、チェンマイ・イニシアティブの問題点を解決する方策を提 示することにしたい。
1
世界金融危機におけるアジア通貨の二極分化まず、2007年夏に始まったアメリカ発のサブプライムローン問題が世界金融危機に発展 するプロセスのなかで、アジア通貨の為替相場がどのように推移してきたかを観察するこ とにしよう。ここでは、アジア通貨の加重平均値がドルやユーロに対してどのように推移 してきたか、そして、アジア通貨間の域内為替相場がどのように推移してきたかの両方を 観察する。そのために、アジア通貨単位(AMU: Asian Monetary Unit)とAMU乖離指標を利用 する(3)。
AMUは、ASEAN10
プラス3
の通貨(4)の加重平均値であり、そのウェイト付けは、購買力 平価で測った各国の国内総生産(GDP)のシェアと、当該国の貿易額がサンプルとして抽出 された国々の総貿易額(輸出と輸入の合計)のなかに占める割合の双方の算術平均に基づい て算出している。また、AMU乖離指標は、各アジア通貨の対AMU
名目為替相場を用いて、各通貨のベンチマーク時(2000―
01年の 2
年間)の為替相場からどれだけ乖離しているかを 表わしている。第1図には、AMUの対ドルと対ユーロの名目為替相場とともに、ドルとユーロの通貨バ
スケット(5)に対する
AMUの名目為替相場の推移が示されている。真ん中の赤色の線で示さ
1.20 1.25 1.20 1.15 1.10 1.05 1.00 0.95 0.90 0.85 0.80 0.75 0.70 0.65
Apr 04 Jun 04 Aug 04 Oct 04 Dec 04 Feb 05 Apr 05 Jun 05 Aug 05 Oct 05 Dec 05 Feb 06 Apr 06 Jun 06 Aug 06 Oct 06 Dec 06 Feb 07 Apr 07 Jun 07 Aug 07 Oct 07 Dec 07 Feb 08 Apr 08 Jun 08 Aug 08 Oct 08 Dec 08 Feb 09
ベンチマーク時=2000―01年、バスケット・ウェイト=2004―06年。 (年月)
(注)
http://www.rieti.go.jp/users/amu/index.html#figures
(出所)
ドル・ユーロ/AMU ドル/AMU
ユーロ/AMU
第 1 図 AMUの対ドル・ユーロの為替相場の推移(2004年4月―09年2月)
(ドル・ユーロ/AMU)
れているドル・ユーロの通貨バスケットに対する
AMU
の名目為替相場は、2007年夏以降、比較的安定して推移している。ただし、リーマン・ブラザーズが経営破綻した
2008
年9月15日以降、ドル・ユーロの通貨バスケットに対する AMUの名目為替相場は数パーセント・
ポイントの増価を示した後、2009年に入って数パーセント・ポイントの減価を示している。
このような安定した動きに対して、上の青色の線で示されているドルに対するAMUの名 目為替相場は、2008年
3
月以降、減価傾向にある一方、下の緑色の線で示されているユーロ に対するAMUの名目為替相場は、2008年7月から 10
月にかけて急速に増価した。AMUが ドルに対して減価した一方、ユーロに対して増価したのは、AMUそのものの通貨価値の変 化というよりもむしろ、リーマン・ショック前後からのドルに対するユーロの暴落の動き が反映されているにすぎない。次に、第
2
図に示されている各アジア通貨のAMU乖離指標の動向を観察すると、世界金
融危機におけるアジア通貨の反応に関するいくつかの特徴が見出される。第一に、2004年
10
月以降、特に2006年から、20%ほどアジア通貨のなかで過大評価にあ り続けた韓国ウォンが、2007年11
月以降、減価し始めた。韓国ウォンは、2008年5
月に2000― 01
年水準にまで戻り、さらに減価が止まらず、2009年3
月には30%の過小評価にま
で達した。2007年10月から 2009
年3
月までの1年半の間に韓国ウォンは、アジア通貨全体 に対して50%
ポイントも減価することとなった。また、タイ・バーツは2006
年1
月より 徐々に増価し始め、2007年7
月には30%ほどアジア通貨のなかで過大評価となるまで増価し た。しかし、その直後に大きく減価し、2009年4月にはアジア通貨のなかで5%
ほどの過大 評価にまで下がり、結局この1年半の間に 25%
ポイントの減価が起こった。第二に、円については、2005年
9
月以降、アジア通貨の間では過小評価が続いていた。50 40 30 20 10 0
−10
−20
−30
−40
ベンチマーク時=2000―01年、バスケット・ウェイト=2004―06年(daily)。
(注)
http://www.rieti.go.jp/users/amu/index.html#figures
(出所)
Apr 04 Jun 04 Aug 04 Oct 04 Dec 04 Feb 05 Apr 05 Jun 05 Aug 05 Oct 05 Dec 05 Feb 06 Apr 06 Jun 06 Aug 06 Oct 06 Dec 06 Feb 07 Apr 07 Jun 07 Aug 07 Oct 07 Dec 07 Feb 08 Apr 08 Jun 08 Aug 08 Oct 08 Dec 08 Feb 09
(年月)
第 2 図 名目AMU乖離指標の推移(2004年4月―09年3月)
(%)
ベトナム カンボジア
フィリピン
ラオス 韓国
タイ
中国
インドネシア
マレーシア シンガポール
日本 ミャンマー
2007年7
月には、アジア通貨の間では10%を超える過小評価となっていた。しかし、その後、円は増価に転じた。増価が続いた後、2008年10月には円の過小評価が解消し、2008年末に は円は
10%ほどの過大評価となった。また、人民元は、一貫して 2000
―01年のベンチマー
ク時の水準にあったが、2008年3月より人民元もアジア通貨全体に対して増価し始め、2009
年2月には人民元も10%ほどの過大評価となっている。第三に、リーマン・ブラザーズが経営破綻を起した2008年9月以降、半年以上にわたって、
アジア通貨のなかで過大評価されている通貨と過小評価されている通貨に二極分化した状 態が続いている。増価傾向にある円と人民元、そして、減価傾向にはあったものの、シン ガポール・ドルとブルネイ・ドル、タイ・バーツが2000―
01年のベンチマーク時の水準に
比較して過大評価となっている。一方、他のアジア通貨(韓国ウォン、マレーシア・リンギッ ト、フィリピン・ペソ、インドネシア・ルピア、カンボジア・リエル、ラオス・キープ、ミャン マー・チャット、ベトナム・ドン)は2000
―01
年のベンチマーク時の水準に比較して過小評 価となっている。以上のように、2007年夏のサブプライムローン問題の発覚、その後のリーマン・ブラザ ーズの経営破綻の後、アジア通貨は、過大評価と過小評価に二極分化していることに現わ れているように、非対称的な反応を示している。このことは、Ogawa and Yoshimi(2009)に よって行なわれた、AMU乖離指標のβ収斂(各国通貨のAMU乖離指標が
AMU乖離指標ゼロ
に向かって収斂しようとしているのか)およびσ
収斂(クロス・セクションのAMU乖離指標の
標準偏差が収斂しようとしているのか)の実証分析においても、収斂するよりはむしろ発散す る傾向にあるという分析結果が得られている。2
危機時の域内為替相場の不安定性前節において観察されたように、今回の世界金融危機においてはアジア通貨が非対称的 な反応を示している。2007年夏から
1
年半の間に、韓国ウォンはAMUに対して 50%
ポイン トほど減価する一方、円は20%ポイントほど増価した。この原因には、サブプライムロー ン問題が発生するまで、欧米のインベストメント・バンクによって盛んに行なわれていた 円キャリー・トレードによって、2005年から07年半ばまで円安・ウォン高に向いていたも のの、世界金融危機が深刻化するにつれて、欧米のインベストメント・バンクがレバレッ ジ比率を低下させるとともに、円キャリー・トレードをクローズしたためであると言われ ている。これが主たる原因かどうかを証明する証拠を見出すことは難しいが、円キャリ ー・トレードの影響が少なからずあったことを否定するのは難しいかもしれない。いずれ にせよ、2007年夏以降の1
年半の間に、円が20%ポイント増価し、韓国ウォンが50%
ポイン ト減価したことは紛れもない事実である。すなわち、円/ウォン為替相場がAMUを基準に して70%ポイント円高ウォン安となったことに代表されるように、アジア域内の為替相場 がミスアラインメントを起こしながら、乱高下していたのである。しかしながら、欧米のインベストメント・バンクによって円キャリー・トレードがクロ ーズされたことだけが原因で韓国ウォンが減価したのであれば、韓国ウォンは、過大評価
され始めた2004年10月以前の水準にまで戻って、それ以上の減価、すなわち、30%ほどの 過小評価にまで減価することはなかったであろう。このときに韓国ウォンに関して発生し たことは、世界金融危機に直面してユーロやポンドで発生したことと類似のことであった と推察される。
欧州では、サブプライムローンを担保とした証券化商品で資金運用していた金融機関が、
アメリカ発の金融危機の影響を受けた。サブプライムローン問題の影響を受けて、欧州の 金融機関のバランスシートが毀損してしまったり、あるいは、そのバランスシートが毀損 しているのではないかという疑念が金融機関同士の間で高まった。こうしたカウンターパ ーティー・リスクの高まりから、バランスシートが毀損している可能性が高いと判断され る金融機関は、銀行間金融市場でドル資金を調達することができなくなった。欧州金融機 関によるドル資金の調達が困難となったのである。とりわけ、リーマン・ショック、すな わち、リーマン・ブラザーズのような大手のアメリカのインベストメント・バンクでも経 営破綻となる可能性が高まった後は、欧州金融機関によるドル資金調達の困難度はいっそ う深刻化した。そのため、第3図に示されるように、リーマン・ショック発生の前後からユ ーロやポンドがドルに対して急速に減価し、通貨暴落の様相を示した。さらに、他のユー ロ圏周辺諸国(アイスランドなど)の通貨が、ユーロに輪をかけて、大暴落した。特に、そ れまで国際金融取引を積極的に行ない、外国から資金を引き寄せていたユーロ圏周辺諸国 では、金融危機が伝染し、きわめて深刻な事態となった。そのため、一部の国々では、国 際通貨基金(IMF)に金融支援を要請せざるをえなくなった。
ユーロは、ユーロ圏はもとよりその周辺国との間の経済取引における決済通貨として、
第二の基軸通貨として、ドルに肩を並べつつあった。しかし、域内およびその周辺国との 間の経済取引における決済通貨として利用されているユーロであっても、域外との経済取
2 1.9 1.8 1.7 1.6 1.5 1.4 1.3 1.2 1.1 1
0.4 0.45 0.5 0.55 0.6 0.65 0.7 0.75 0.8
2006/4/26 2006/5/22 2006/6/15 2006/7/11 2006/8/4 2006/8/30 2006/9/25 2006/10/19 2006/11/14 2006/12/8 2007/1/3 2007/1/29 2007/2/22 2007/3/20 2007/4/13 2007/5/9 2007/6/4 2007/6/28 2007/7/24 2007/8/17 2007/9/12 2007/10/8 2007/11/1 2007/11/27 2007/12/21 2008/1/16 2008/2/11 2008/3/6 2008/4/1 2008/4/25 2008/5/21 2008/6/16 2008/7/10 2008/8/5 2008/8/29 2008/9/24 2008/10/20 2008/11/13 2008/12/9 2009/1/2 2009/1/28 2009/2/23 2009/3/19 2009/4/14
(年月日)
Datastream.
(出所)
第 3 図 欧州通貨(ドル/ユーロ相場とポンド/ドル相場)の推移
(ドル / ユーロ) (ポンド / ドル)
ポンド / ドル
ドル / ユーロ
引における決済通貨としてユーロはいまだ十分に使われていない。欧州域内における基軸 通貨とはなっていても、世界経済における基軸通貨とはいまだなっていなかったことが、
今回の世界金融危機においてあらためて明らかとなった(6)。
韓国においては、欧州の金融機関のようにサブプライムローンの問題が直接的には影響 していなかったと言われている。しかしながら、欧米のインベストメント・バンクが韓国 から資金を引き揚げる過程において、韓国国内において外貨の流動性不足となり、欧州の 金融機関で発生したことと類似の外貨流動性不足が発生したのであろう。そのために、韓 国ウォンが大きく減価することとなったと考えられる。企業レベルにおいては、ウォン建 ての資金でさえ資金調達が難しい状態にある。第
4図には、韓国の金利の動向が示されてい
る。この図より、2008年後半において、社債利回りが急上昇し、相対的にも図に表われて いる金利のなかで最も高い金利水準となっている。特に、2008年後半に社債利回りと国債 利回りとの金利差が急速に拡大していることを考慮に入れると、社債に対するリスク・プ レミアムが高まって、企業の資金調達に支障をきたしていることが推察される。このように今回の世界金融危機における世界的な通貨の混乱の原因は、外貨建ての流動 性、特に基軸通貨であるドル建ての流動性が不足した国においてその国の為替相場が大き く減価したことである。このような外貨建ての流動性、特にドル建ての流動性が不足して いる状況のなかで、通貨減価を止めるために資本規制や外国為替管理を厳しくしても、い っそうの流動性不足に陥るだけであって、なんら効果をもたらさない。むしろこれらの流 動性不足に対応すべく、ドル建ての流動性を中心に外貨建ての流動性を調達したり、他の 国の政府などに融通してもらうことが実効的である。
実際に、韓国経済がドル建ての流動性不足に陥るなか、2008年
10月 28日に韓国銀行はア
12
10
8
6
4
2
0
2000/1 2000/4 2000/7 2000/10 2001/1 2001/4 2001/7 2001/10 2002/1 2002/4 2002/7 2002/10 2003/1 2003/4 2003/7 2003/10 2004/1 2004/4 2004/7 2004/10 2005/1 2005/4 2005/7 2005/10 2006/1 2006/4 2006/7 2006/10 2007/1 2007/4 2007/7 2007/10 2008/1 2008/4 2008/7 2008/10
IMF, International Financial Statistics. (年月)
(出所)
第 4 図 韓国の金利
(%)
社債利回り
短期金融市場金利
貸出金利
国債利回り
メリカの連邦準備制度と通貨スワップ取極を締結し、通貨スワップを実行した。さらに、
2008
年12月13日の日中韓首脳会議において韓国銀行は日本銀行と円とウォンの通貨スワッ プ協定を、中国人民銀行と人民元とウォンの通貨スワップ協定を締結することを決めた。そして、日本銀行と韓国銀行は、同年12月
18日に通貨スワップ取極を締結した。
3
実効的なチェンマイ・イニシアティブをめざしてチェンマイ・イニシアティブは
ASEAN
プラス3
が2000年に合意した、アジアで初めての 地域通貨協力である。その中心となっているのが通貨スワップ取極である。チェンマイ・イニシアティブの枠組みの通貨スワップ取極は、第5図で示されるように、ASEANにおい ては多国間取極となっているものの、日本・中国・韓国とASEAN諸国との間は二国間取極 となっているために、二国間通貨スワップ取極のネットワークのかたちとなっている。ま た、徐々にその規模が拡大されてきて、2009年
4月時点で、一方向の取り極め額および双方
向の取り極め額を単純に合計した名目の金額では900億ドル、あるいは、一方向取り極め額 および双方向の取り極め額の大きいほうの実質の金額を合計した金額で640億ドルに達して いる。中国
第 5 図 チェンマイ・イニシアティブの下の通貨スワップ取極
フィリピン マレーシア
インドネシア ミャンマー
ベトナム カンボジア ブルネイ 名目合計900億ドル・実質合計640億ドル
ラオス
韓国
日本 タイ
シンガポール
総額40億ドル 韓国→→インドネシア20億ドル インドネシア→→韓国20億ドル
総額40億ドル 韓国→→フィリピン20億ドル フィリピン→→韓国20億ドル
総額40億ドル 日本→→シンガポール30億ドル シンガポール→→日本10億ドル 総額30億ドル
韓国→→マレーシア15億ドル マレーシア→→韓国15億ドル
〔中国→→インドネシア40億ドル〕
総額20億ドル相当
〔中国→→フィリピン20億ドル相当〕
総額20億ドル 韓国→→タイ10億ドル タイ→→韓国10億ドル 総額60億ドル相当
日本→→中国30億ドル相当 中国→→日本30億ドル相当
総額80億ドル相当 中国→→韓国40億ドル相当 韓国→→中国40億ドル相当
総額210億ドル相当
①日本→→韓国100億ドル 韓国→→日本50億ドル
②日本→→韓国30億ドル相当 韓国→→日本30億ドル相当
総額40億ドル
〔中国→→タイ20億ドル〕
総額20億ドル
〔日本→→マレーシア10億ドル〕
総額10億ドル
総額65億ドル
〔日本→→インドネシア120億ドル〕
総額120億ドル
〔中国→→マレーシア15億ドル〕
総額15億ドル
総額90億ドル 日本→→タイ60億ドル タイ→→日本30億ドル
日本→→フィリピン60億ドル フィリピン→→日本5億ドル
ASEANスワップ協定 20億ドル
2009年4月現在
は双方向のスワップ取極、 は一方向のスワップ取極を示す。
上記名目合計(900億ドル)は、一方向の取り極め額および双方向の取り極め額を単純に合計したもの。
上記実質合計(640億ドル)は、一方向の取り極め額および双方向の取り極め額のうち大きいほうの金額を合計したもの。
上記合計には、ASEANスワップ協定の取り極め額は含まない。
日中は円・元間、日韓②は円・ウォン間、中韓は元・ウォン間、中・フィリピンは元・ペソ間のスワップ取極。その他は、
米ドル・相手国通貨間のスワップ取極。
* 日韓②は、2009年10月末までの時限的措置として、200億ドル相当に増額されている。これを含めると、名目合計1240億ド ル、実質合計810億ドルとなる。
注1 注2 注3 注4 注5
(出所) 財務省ホームページ(http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/frame.html)。
*
*
また、小川(2006)で指摘したように、ASEANプラス3 財務大臣代理会合において行なわ れている「経済レビューと政策対話(ERPD)」と呼ばれる域内経済サーベイランスをチェン マイ・イニシアティブの枠組みに統合して、強化しつつある。特に、効果的な域内サーベ イランス能力を強化するための方策を検討するために、「専門家グループ(GOE: Group of
Experts)
」や「経済・金融の監視に関するテクニカル・ワーキング・グループ(ETWG:Working Group on Economic and Financial Monitoring)
」が設置された。さらに、現行の二国間通貨 スワップ取極のネットワーク全体を多国間通貨スワップ取極とするマルチ化をめざして、その第一歩として集団的意思決定メカニズムを確立し、集団的意思決定手続きが採用され ることとなっているが、いまだ実現していない。
通貨スワップ取極のマルチ化の問題については、これまでは、通貨スワップ取極の発動 が二国間取極の下で個別の要請と個別の意思決定によって行なわれることとなっていたが、
今後は、事前に調整国を決めておいて、ひとつの要請と集団的意思決定メカニズムによっ て通貨スワップ取極が発動されるようにしようというものである。集団的意思決定メカニ ズムの導入はマルチ化への進展のプロセスとして重要な第一ステップではあるが、時とし て個別の意思決定よりも機動性を阻害する可能性もある。そのような問題を回避するため に、多数決原理を導入することや、期限までに集団的意思決定がなされなかった場合に従 来の二国間スワップの個別の意思決定によることなどが検討されている。
前節で指摘したように、韓国ウォンの暴落を止めるためにドル資金を必要とする韓国政 府が、チェンマイ・イニシアティブの通貨スワップ取極を利用せずに、アメリカの連邦準 備制度と新たに通貨スワップ取極を締結し、実際にドル資金を借り入れた。このように既 存のチェンマイ・イニシアティブの通貨スワップ取極が利用されなかった最大の理由は、
「IMFリンク」なる条件がチェンマイ・イニシアティブの通貨スワップ取極に存在するから である。これは、チェンマイ・イニシアティブの通貨スワップ取極を実行したい通貨危機 国の政府は、IMFから金融支援を受けて初めて、チェンマイ・イニシアティブの通貨スワッ プ取極を発動できるというものである。総額の8割以上の発動については、この「IMFリン ク」が制約となることがチェンマイ・イニシアティブで決められている。一方、2008年
12
月に締結された日本銀行と韓国銀行との間の通貨スワップ取極は、このIMFリンクの条件 は適用されない。IMFリンクに関するこれらの間の相違は、チェンマイ・イニシアティブの通貨スワップ取
極は国際収支危機に対して発動される一方、日本銀行と韓国銀行との間の通貨スワップ取 極は、国際流動性危機に対して発動されるとされている。このような仕分けがあることか ら、IMFリンクの条件の適用を受けるか否かの相違があるとされている。チェンマイ・イニシアティブにおける通貨スワップ取極を実効的な地域通貨協力とする ためには、チェンマイ・イニシアティブのIMFリンクを撤廃するなり、もし撤廃すること ができなければ、IMFリンクの制約のかかる総額に対する比率を
8
割から引き下げる必要が ある。そして、IMFリンクを撤廃するとなると、ASEANプラス3の通貨当局が、IMFに頼る ことなく、自分たちの判断で通貨スワップ取極を発動することを意思決定する体制を構築しなければならない。それは、日常的に、各国経済が通貨危機に陥りそうなのか、実際に 陥ったのか、そして、その通貨危機は国際収支危機なのか、国際流動性危機なのか、を監 視する体制を構築する必要がある。また、同時に、通貨危機を予防するために、実効的な サーベイランスを日常的に実施することも必要となってくる。
これらを可能とするためには、年1、2回の会合における議論だけではなく、常設の機関 を設立することが必要である。これをアジア開発銀行のなかに設置するのがよいのか、あ るいは、ASEANプラス3財務大臣会議の下に常設機関として設置するのがよいのかは、議 論の分かれるところである。前者は、既存の資源を有効活用できるというメリットがある ものの、アジア開発銀行に対するガバナンスは必ずしも
ASEANプラス 3
のみによって占め られているわけではない。欧米諸国のガバナンスを受けていることがASEANプラス 3
の常 設機関をアジア開発銀行のなかに設置することのデメリットになるかもしれない。一方、後者は、既存の資源を有効活用できず、常設機関を新設しなければならないというコスト 面の問題があるものの、その常設機関に対するガバナンスという点では、まさしく過不足 なく対応することのできるシステムを構築することができる(小川
2009b)
。結 論
本稿では、はじめにAMU乖離指標をみながら、世界金融危機の影響を受けて、韓国ウォ ンに代表されるようにいくつかのアジア通貨が大きく減価する一方、円や人民元が増価し ていることを確認した。特に、韓国ウォンの大きな減価は、欧州で起きているユーロやポ ンドの大きな減価と様相が似ていることが指摘できる。ただし、欧州の場合とは違って、
韓国の金融機関はサブプライムローンの証券化商品の不良債権化には、直接には影響を受 けていないと言われている。むしろ、欧米のインベストメント・バンクが韓国から資金を 引き揚げた結果という意味で、間接的であるが、グローバリゼーションのなか、サブプラ イムローンの問題に端を発した世界金融危機の影響を受けている。
このときに問題となるのは、国際収支危機ではなく、国際流動性危機である。国際流動 性危機に対しては、ドル建ての短期資金などの国際流動性を危機国に迅速に救済的に融資 することが必要であり、国際収支危機に対して危機管理する際に
IMF
が実施しているよう なコンディショナリティー等の設定の交渉を、時間をかけて行なっている時間的余裕はな い。さらに、そのIMFの救済融資を待って初めて発動されるという条件、すなわち、IMFリ ンクが通貨スワップ取極総額の8割も占めているチェンマイ・イニシアティブは、その実効
性が疑われる。実際に、韓国は、チェンマイ・イニシアティブに頼らずに、あるいは、頼 ることができずに、アメリカの連邦準備制度と通貨スワップ取極を新たに締結し、実行し たのである。これは、チェンマイ・イニシアティブの問題点が露呈した典型的な例である。今回の世界金融危機におけるアジア通貨の非対称的な反応、そしてそれに対する対応(換 言すれば、チェンマイ・イニシアティブの限界)を認識して、今後の域内協力として通貨危機 の管理の方法を再考することが望まれる。その論点としては、チェンマイ・イニシアティ ブの通貨スワップ取極総額の拡大やマルチ化のほかに、IMFリンクの撤廃あるいは
IMFリン
ク比率の削減を検討することである。そして、IMFリンクの撤廃あるいは
IMFリンク比率の
削減を実現するためには、通貨危機予防も兼ねて、ASEANプラス3
自らがサーベイランス を行ない、相互監視する体制、そして、そのための常設機関を設立することが望まれる。(
1
) アジアにおける地域通貨・金融協力には、チェンマイ・イニシアティブのほかに、アジア・ボン ド・イニシアティブがある。アジア・ボンド・イニシアティブには、東アジアにおいて債券市場 を育成することを目的として2002年 12月の ASEANプラス3
諸国の財務省の非公式セッションにお いて提案された「アジア債券市場育成イニシアティブ(ABMI: Asian Bond Markets Initiative)」と、東アジア・オセアニア中央銀行役員会議(EMEAP)メンバー中央銀行(オーストラリア、中国、
香港、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、ニュージーランド、フィリピン、シンガポール、
タイの
11ヵ国・地域の中央銀行・通貨当局から構成される)が進めているアジア債券ファンド・
イニシアティブ(Asian Bond Fund Initiative:2003年
6月に設立されたABF 1と 2004年12
月に設立さ れたABF 2)がある。詳細については、小川(2009c)を参照せよ。本稿では、これらのアジア・ボンド・イニシアティブについては触れず、チェンマイ・イニシアティブに焦点を当てる。
(
2
) チェンマイ・イニシアティブの通貨スワップ取極に参加しているASEANは、インドネシア、シ ンガポール、タイ、フィリピン、マレーシアの5ヵ国のみである。
(
3
)AMU
とAMU乖離指標のより詳細な解説、特にAMU
における各国通貨のウェイトは、経済産業 研究所(RIETI)のウェブサイト(http://www.rieti.go.jp/users/amu/detail.html)を参照せよ。(
4
)AMUの構成通貨は、ブルネイ・ドル、カンボジア・リエル、中国人民元、インドネシア・ルピ
ア、日本円、韓国ウォン、ラオス・キープ、マレーシア・リンギット、ミャンマー・チャット、
フィリピン・ペソ、シンガポール・ドル、タイ・バーツ、ベトナム・ドンから成る。
(
5
)ASEAN
プラス3のアメリカとユーロ圏の貿易シェア65%:35%に基づいて、ドル65%
とユーロ35%の通貨バスケット。
(
6
) 詳細は小川(2009a)を参照せよ。■参考文献
小川英治(2006)「東アジアにおける地域金融・通貨協力」『国際問題』第
553号(2006年7・8月合併号)
。―(2009a)「米国金融危機の
EUへの波及とその対応」
『経済セミナー』第646号、25―29ページ。―(2009b)「金融危機とアジア:常設監視機関で通貨協調を」『朝日新聞』2009年2月15日。
―(2009c)『アジア・ボンドの経済学:債券市場の発展を目指して』、東洋経済新報社。
Ogawa, Eiji and Taiyo Yoshimi
(2009)“Analysis on
βand σ Convergences of East Asian Currencies,” RIETI
Discussion Paper Series, forthcoming.おがわ・えいじ 一橋大学教授 [email protected]