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90年代には、韓国、香港、台湾などの

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はじめに

かつて、米国の東アジア研究の碩学、スカラピーノ(Robert A. Scalapino)教授は、東アジア 地域とは絢爛蠱惑なモザイクのようだとして、「世界的にも、この地域ほど、千差万別のな かからの一致がさまざまな問題に遭遇していることを鮮明に示す地域はない。各民族の代 表的な特性、文化類型、経済制度、政治制度が錯雑に入り組み、その種類の多さ、範囲の 広さの面で、およそ人類が体験したすべての類型が含まれている」(1)と述べたことがある。

卑見では、東アジア共同体概念の検討を通じてのみ、この複雑なプレート構造に対し、全 面的な深い理解を得ることができるであろう。以下、本稿では、いくつかのレベルに分け て、東アジア共同体概念を検討し、各位の参考に供することとしたい。

1レベル:地理的・文化的な東アジア

地理的な意味での東アジアは、比較的容易に弁別されよう。せいぜいのところ、「小・東 アジア」(主として、日本、中国、モンゴル、朝鮮半島および極東ロシアから成る北東アジア)と

「大・東アジア」(北東アジアおよび東南アジア、後者は今日の東南アジア諸国連合〔ASEAN〕諸 国)の別があるにすぎない。いずれにせよ、地理学的意味での東アジアには、南アジア(イ ンド等)、西アジア(例えば、アラブ世界)は含まれず、また南太平洋諸国(例えば、オースト ラリア)、さらには、北米諸国(米国、カナダ)および西欧諸国が含まれることはない。

図らずも、文化的な東アジアと地理的東アジアの位置は一致しており、前者は、後者の 特殊な定位を強化したものと言うこともできる。文化人類学が説くところによれば、文化 的な東アジアには、基本的にモンゴロイドが居住、活動する範囲が含まれ、今日の語彙学 的意味での 黄色人種 が主に居住する国家グループであり、アジア東部地域から太平洋 西海岸一帯に至るまでが覆われる。それは、人類最古にして特性に富む文明形態のひとつ を代表している。いわゆる儒家文化、日本文化あるいは高麗文化等々の名称が与えられて いるが、それぞれの時代においてこの地域内部のそれぞれが自らを表現したものである。

この地域内の各国にいかなる差異があるにせよ、皮膚の色、容貌、言語と文字、飲食の習 慣、建築の風格、気性などの面において、東アジアの人々の類似性を見出すことはさして 困難ではない。

地理的・文化的な東アジアこそが、東アジア共同体カテゴリーを定義する礎石であり、

(2)

この礎石の上に築かれる大楼が最終的にいかなる建築様式であれ、この礎を忘れてはなら ない。後段ではこの複雑な変異を分析するが、理想的状態下では、 東アジア共同体 には、

独特の歴史的基因と文化的アイデンティティーがあり、絶え間なく進化することにより育 まれた風土と人情があり、人類進歩と世界文明の繁栄に対する貢献の現実的優勢と強大な 潜在力を有している。まさしく人々が 西欧 概念(この基礎の上に後に拡大された 欧州共 同体 を含む)を語る際には、ブラジル、メキシコ等の米州国家が含まれえないのと同様、

われわれが 東アジア および 共同体 を合わせた複合概念を討論するときには、まず、

地理的および文化的意義の東アジア概念を識別しなければならない。これは、いくつかの 層次構造にわたる東アジア共同体の第一歩であり、文明学の意味でのいかなる傲慢な態度 をも戒めるゆえんでもある。

重要なのは、地理的な東アジアと文化的東アジアを観察する視角であり、東アジア共同 体の建設に対し、貴重な歴史的知識と哲学的思惟を提供するものである。例えば、中国古 代の哲学者、孔子の教えに「己所不欲、勿施於人」(2)(=己の欲せざるところ、人に施すことな かれ)があり、現代中国の著名な社会学者、費孝通も「自美其美、美人之美、美美与共、天 下大同」(3)(=自ら理想となすところを人になし、理想を共にせば、天下大同なり)と記している。

日本、韓国などその他の東アジア地域でも、類似の透徹した思想、哲理は数多く、「中和」、

「中庸の道」などは再検討されるべきものであり、「和而不同」(=和して同ぜず)などは東ア ジア地域では周知の常識であり、上記孔子の教えのようにまさしくグローバルな共有知と なりつつある。いずれにせよ、それらは、近年「東アジア的価値観」、「アジア的価値」とし て喧伝されるものの重要な構成部分であり、新たな時代における複雑な人間関係、社団関 係、国際関係を処理する貴重な思想源泉である。筆者が強調したいのは、現代西欧文明あ るいはその他の文明のそれぞれの優れたところを学び、東アジア地域に存在するさまざま な欠陥と問題群をみる際には、われわれ自身の祖宗を忘れてはならないという点である。

伝統文化のルーツを抛擲してはならず、未来の世界の発展、人類の進歩のためには、地理 的東アジア、文化的東アジアによるユニークな貢献を肯定、吸収しなければならない。

地理的な東アジアと文化的東アジアという視座は、東アジア共同体を建設しようとの各 国政府・政治家の努力を後押しするものである。例えば、日本の鳩山由紀夫新首相が日本 国民および隣国民に対し、 友愛 理念(4)を語った際、いかに戦略家がこの理念の実行可能 性を批評し、叙述者本人がフランス革命の博愛思想と結びつけようとも、東方文明とその 表現に通じた人間ならば、直ちにここからこの東アジアにおける古代の先哲の「仁愛」の 重要な教えおよび東アジアの悠久の歴史のうちに堆積する「仁、義、礼、智、信」などの 伝統的美徳を連想するであろう。それは東アジアの地理的、文化的層次におけるある種の 抗いがたい心理的受容力を映し出すものであり、東アジアにおいていかなる重大な政治、

外交プランであれ、それが成功を収めるためには不可欠の前提のひとつとなっている。

2レベル:経済・貿易面の東アジア

経済面、とりわけ貿易の側面からみれば、東アジアはあたかも現代地球社会における最

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も希望にあふれた地域のひとつであり、東アジア共同体概念の依拠すべき主要なレベルで もある。この地域の人々が勤労を旨とし、特に、学ぶこと(その他国家の製品、技術の模倣を も含め)に秀でていることはよく知られている。東アジア地域内部の各国間には、経済・貿 易面において強い相互補完性がある(例えば、ある国家には豊富な自然資源があり、労働力の 大きな優位に立つ国もあり、資金、技術面で先行する国家などがある)。比較優位説、貿易開放 理論および相互依存等の理論学説に最も適合するのがこの地域である。さらにより広範な 意義からすれば、この東アジア地域には工芸教育、技術応用重視の長い伝統があり、市場 化貿易過程のための良好な基礎を形成した。

実践面で、東アジア各国には過去半世紀、賞賛と驚嘆に値する記録がある。第2次世界大 戦後、日本が率先して復興をなし遂げ、米国に次ぐ世界第2の経済大国へと急速に伸張した。

1980

90年代には、韓国、香港、台湾などの

小龍 、 小虎 および東南アジアをも含む

サブ地域が、驚異的なテンポで新興工業群へと発展した。ここ

10― 20年来は、かつて

東 亜の病夫 とされ、のちの一時期には 世界革命闘士 ともされた東方の大国、すなわち、

地球全体のおよそ

5

分の

1

の人口を占める中華人民共和国が登場し、 小平路線の指導下、

中国は経済の全球化(=グローバリゼーション)と国際貿易の大潮流の先頭に立っている。

とりわけ、アジア金融危機以降の十数年、東アジア地域の投資・貿易の自由化は長足の進 歩を遂げ、西欧、北米に次ぐグローバル経済を支える第3のブロック(あるいは 希望のブ ロック とも言う)へと急速に変貌した。

東アジア共同体の実現可能性を検討する際、誰もがまず容易に思いつくのは、東アジア の主要国家・地域の経済的組織、とりわけ貿易、投資領域における集団化の問題である。

例えば、西欧同盟(WEU)、あるいは欧州共同体(EC)のような堅固な法律的基礎、制度的 枠組みが一体化された形態には欠けるものの、過去

10―20年来、東アジア地域には、

「成長 のトライアングル」、「サブリージョナル経済補完連合」、「ASEAN10プラス

3」

、あるいは米 国など米州国家、オーストラリアなど南太平洋諸国を含むアジア太平洋経済協力会議

(APEC)等々がアジェンダとされ、その探求が喧伝され、さまざまな組み合わせの試みが摸 索しつつ推進されてきた(5)。とりわけここ

2、3

年は、世界経済危機に触発され、世界では 各地域内部の経済統合と相互補完に向けた努力が強化されつつあり、東アジア地域もその 例に漏れず、むしろ、東アジア地域の成果はその他地域をはるかに凌駕している。例えば、

中国、日本、韓国と金融危機回避の通貨システム、中国とASEANとの自由貿易協定(FTA)、 日本とメコン流域諸国との経済協力メカニズム(拡大メコン圏〔GMS〕)構想、ASEANとイ ンド等とのASEAN・インド洋協力メカニズム、韓国と米国との

FTA、日本とシンガポール

との

FTA

等々、顕著な進展がみられる。個性と抱負に富む鳩山首相が 東アジア共同体 を提唱したのも、まずは当然こうした東アジアの経済・貿易協力の進展過程に着目したも のと思われ、ここから出発して、小範囲のサブ・リージョナルな努力を地域全体へとより 大きな範囲に拡大し、欧州共同体にも類似した協調・協力メカニズムの構築を期待したの であろう。

しかしながら、現実には、日本国内あるいは隣国であるとを問わず、日本の新たなリー

(4)

ダーによる「東アジア共同体」の提唱に対しては批判、懐疑の声が多い(6)。その原因は、お そらく

3

つあるものと思われる。すなわち、第1に、この提案には、例えば、日本なのか中 国なのか、はたまたASEANあるいは韓国が東アジア一体化のエンジンとなり、主役を演じ るのか、というリーダーシップの所在が明らかにされていないこと、あるいは意図的にそ れが曖昧にされていることである。第

2

は、米国、オーストラリア等の伝統的西側諸国が、

予定される東アジア共同体に含められるのか否かが示されていないことであり、特に、こ れは容易にアメリカ人の疑惑と米国の友邦の懸念を惹起することとなった。第3は、この提 案が、この東アジア地域の複雑な政治的イデオロギーと軍事力の対峙を考慮していないこ とで、過度の理想主義の色彩が濃く、純粋な広報キャンペーンとの印象も拭い難い。これ らのなかでも、後二者は、地域を超えた国際関係およびグローバルな戦略問題にかかわる ものであり、前者は、中国と日本との間の錯綜した歴史の恩怨と現実的利害に関連する。

これらの3つの背景要因のうち、いずれが最大の論争因なのか、紙幅の関係から贅言を費や す余裕はないが、筆者の論点は、たとえいかなる困難と紆余曲折があろうとも経済・貿易 面の東アジア共同体は必ずや推進されるであろうし、文化レベル、安全保障あるいは社会 レベル等その他の領域に比べれば、より早く簡便なものとなろうという点にある。この判 断を堅持し、各国の政治家および外交当局は、アジェンダ設定の取捨選択と軽重の合理的 判断を行なうべきである。

3レベル:安全・政治面の東アジア

次に、安全保障・政治面をみると、経済・貿易面の位相とは鮮明な差異を示し、東アジ アは、グローバルな範囲でも地域共同体を形成するのが最も困難とみられる地域であり、

そのむずかしさは西欧、北米地域あるいはアフリカ、アラブ、ラテンアメリカ等のサブ地 域をはるかに凌駕する。おそらく東アジアは今日の世界でも最も色濃く冷戦構造の遺産が 残る地域であり、朝鮮半島における南北双方の敵対情況、台湾海峡両岸の不戦不和の姿勢、

そして朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)および、とりわけ中国を 仮想敵 とする日米安保 条約の防衛姿勢に示されている、というのも決して誇張ではない。東アジアは、世界的な 軍備競争が集中する地域であり、その規模からすれば、世界的にも最多の数となる8軍隊が

5ブロックのこの地域に存在し、質の面では、世界的にも最も先端的な武器装備・技術がこ

の地域に配備されており、そのテンポからすると、世界的に軍事費支出の伸びが最も高い 国家(台湾のような特殊な政治実体をも含む)が存在するのもこの地域である。こうした対峙 局面の背後にはそれぞれの歴史的成因があり、現時点のリスクと困難の度合いはそれぞれ 異なるものの、東アジア地域の集団的な安全保障あるいは共同安全保障の可能性、信頼性 を毀損、弱体化させていることでは共通している(7)

東アジアの軍事的安全保障面における対立局面の背後には、長期にわたって形成された 根深いイデオロギー対立と政治的不信感が存在している。例えば、日本、韓国の民衆の胸 中には、 先軍政治 の北朝鮮への恐れがあり、日増しに強大化する社会主義中国に対して も同様の不安感、不信感がある。逆に、中国の一般民衆には、日本軍の第2次世界大戦中の

(5)

対中侵略時の蛮行の記憶が拭いがたく刻まれており、韓国に対しても、北朝鮮との 血盟 関係という潜在意識がある。政府、外交当局が地域間の協力と理解のための措置を打ち出 しても、東アジア各国のメディアは時としてあれやこれやの批判を加え、これらの措置を やむをえぬ策略手段、外交姿勢だとみなすこともある。

もうひとつ指摘すべき事実としては、東アジア地域が一貫して世界のなかでも主権が多 様かつ複雑に紛糾している地域であるという点がある。例えば、日本と中国との間には、

東シナ海、尖閣列島(中国名:釣魚島)の帰属をめぐる分岐があり、韓国と日本の間の竹島

(韓国名:独島)の帰属をめぐる分岐、中国と東南アジア5ヵ国(ベトナム、フィリピン、マレ ーシア、ブルネイ、インドネシア)との南シナ海および北部湾一帯の主権をめぐる紛糾があり、

ASEAN

諸国内部にも陸上国境、海洋権益面でのさまざまな主権紛争がある。主権をめぐる

これらの紛糾の歴史は、各種の対抗を生み出したのみならず、流血の衝突すら発生させて おり、1994年の国際連合海洋法条約発効以来の

15

年間で紛糾件数はさらに増加の一途をた どっている(戦争等の対抗性現象は下降傾向にあるにもかかわらず)。主権をめぐる紛糾の存在 は、関係国政府、外交当局の対外協力の努力を妨げるのみならず、各国内部にもともと存 在する排外的な民族主義感情を刺激し、火に油を注ぐこともある。

多元的にして変動の真只中にある東アジアの政治体制は、あたかも 東アジア安全保障 共同体 を実現させるという命題に対し、いっそうの困難を予測させる変数のようにもみ える。のみならず、その他の国家は措くとして、筆者自身の国、中国の現有政治体系の多 重性が容易に戸惑いを与えることは十分承知してはいるが、その複雑性と変動性は国外の 眼からは見出し難い。中国は共産党が独自に政治を担当する社会主義国家であり、その国 家の正式なイデオロギーはマルクス・レーニン主義、毛沢東思想、 小平理論を集大成し たものである。だが、近年来、孔孟の道を主体とする中国の伝統文化、古代哲学が日増し に影響を拡大させつつあり、いわゆる 国学 の呼称で新世代エリート層に受容されつつ ある。同時に、中国は近代化以来、とりわけ、ここ

30年の改革期を経て、西側の各種思想、

文明形態の衝撃に一貫して晒されており、特に、若年世代の国民はそうである。したがっ て、現代中国の政治体系、政治文化は実際のところ、ソ連モデルあるいは教条的革命の一 色ではありえず、豊富にして変幻自在な 中国 、 西側 、 マルクス主義 の

3

者を下地に 組み合わされた特殊なフレームワークであり、表面的には、それらの間には張力と矛盾が 満ちているようにみえるが、実質は、3者間にはその他地域では見出し難い 創造的緊張 が存在している(8)。日本、韓国、東南アジア各国にも、類似の多元的な政治文化、体制要素 が多かれ少なかれ同様に存在していることがわかるであろう。歴史の長いスパンから分析 すれば、これらの多元的な政治要素はひょっとすると東アジア共同体を形成する独特にし て有利な基因とも思われるが、短期的には、元来慌ただしく事務に奔走する政府の職能部 門の分析に困難さを倍化するものであり、ましてやコントロールしにくい変数であること は言うまでもない。

(6)

4レベル:社会・法律面の東アジア

筆者からすれば、まさに地域共同体の高級形態とは、必ずや市民社会が自主的にして強 大な形態であるべきであり、政府の外交とは民意を表出し、体現するものでしかない。市 民個人には、十分にしてスムーズな情報チャンネルがあり、自身の権利と義務を了解する のみならず、良好なバランス感を具備し、国内政治と外交政策に対して直接、間接の影響 力がある。この形態は、周密完備した理性的かつ有効な法律を基礎とすべきであり、制度 的枠組みは同時に国内社会と地域的国際協力の運行を支えるものでなければならない。こ の種の地域共同体は、各国内部の彼我の間の戦争、暴力を用いた紛争解決の可能性を徹底 的に排除するもので、かつまた、人々の間の交流と信頼を唱導し、多様かつ創造性に富ん だそれぞれの社会の間の相互作用を奨励するものである。こうした形態の下、近代ヨーロ ッパの最大の社会学者のひとりであるマルクスの言い方を借りるならば、諸個人の個体と しての全面発展とは、あらゆる人々の充全な発展が前提である(9)。この標準を用いるならば、

社会と法律の意味での東アジア共同体とは、はるか遠く及びもしない夢想であり、その実 現の困難性は東アジア安全保障共同体の難度をはるかに上回る。現代世界の範囲でみれば、

およそ欧州連合(EU)がある程度近似するにすぎない(EUとて、社会共同体としての高い要 求水準にはほど遠いが……)。

正確な標準を樹立することは必要ではある。しかし、われわれは現実に対して冷静な評 価を下さねばならない。東アジア地域では、現在時点において社会・法律共同体としての 条件をいまだ具備しているわけではない。上述で分析した原因のほか、重要な社会的要因 があり、それは東アジア地域全体としてみれば、地球全体の近代化における後発地域であ り、旧時代の各種封建主義、専制勢力の強大な制約があり、依然として国家(政府)装置に は広範にすぎる専制的権力が賦与されており、市民社会の発育と市民個人の権利は依然大 きく制限されているという点である。例えば、単に非政府・非営利の社会組織(NGO)の規 模をみても、東アジアは全体として欧米の伝統的先進国から遅れているのみならず、南ア ジアおよびラテンアメリカ等の中進国にも後塵を拝している。これは、中国、朝鮮の事情 のみならず、東南アジア各国、韓国および日本にもかなりの程度あてはまるものである(10)。 提唱される東アジア共同体も、堅実な社会的基礎を欠く際には、暫定的な政治的結合、安 全保障面における妥協あるいは経済・貿易面における一体化も、強固なものとはなりえず、

たとえなんらかの推進、成果があったにせよ、逆行ないし中断を余儀なくされることもあ ろう。

東アジアのもつ優勢と短所は、いわばコインの表裏の関係にも似ている。前者の分析で は、東アジア各国の経済・貿易面の進展はめざましく、市場化の潮流とコンシューマリズ ムの熱情は世界のどの地域もはるかに及ばない。これは、地域経済一体化の良好な基礎で あり、かなりの程度これら国家政府の強力な指導と積極的管理の賜物である(現下の国際金 融危機に際しての大胆な経済刺激政策はその格好の事例である)。強力な政府がおそらく後発工 業化国家の不可欠の要素であることは、歴史的経験および理論面からも証明されている。

(7)

しかしながら、逆に後者、すなわち東アジアの短所という面から探求するならば、強力な 政府の政治文化はすでにある一定の思惟形式を形成しており、各方面の社会および市民が 遭遇する表立った、あるいは陰に隠れた圧政をさらに隠蔽する結果となっている。その他 の経済面の先進地域と比べて、日本、中国、朝鮮あるいはシンガポール等ASEAN諸国など 東アジア地域の各国政府は、経済界(commercial circle)との繋がりから先手を打ち、政界、

官界(political and governmental bureaus)のゲームのルールを熟知しており、社会各層と平等に 相対することに熱心ではないことも決して偶然ではない。法律面では、これらの政府は法 治(rule of law)より人治(rule by leader)を行なおうとする。東アジアのこうした後発近代化 地域としての特性から、社会・法律面の公正性欠如が決定づけられることになる。東アジ ア地域の高水準の経済・貿易交流と市場潜在力が、かえって社会面の交流と法律面の公正 の低水準をもたらしているものとみることもできる。

まとめ

帰納的にみれば、東アジア共同体のこれらの 4 レベルは、スーパーマーケットのそれぞれ の棚に並ぶ商品のように、それぞれなんらの関係もなく、必要に応じて任意に使うという ものではない。言うまでもなく、これら 4 位相は、ちょうど化石が層をなすように相互に錯 綜して複雑に積み重なっており、それぞれの紋様を見出すには慧眼を必要とする。そこに は重要な啓示が含まれている。すなわち、東アジア共同体を建設するという努力は、経 済・貿易面から安全保障面を経て、さらには文化、社会面へという「先易後難」(易しいも のから始め、難しいものへ)の順があるにせよ、畢竟するに、現実生活は動態的な立体の構 成であり、政治家と意思決定者に能力、資源があるとしても、それぞれの位相の内在関係 を完全に分割することはできない。最後に、これまでの議論をまとめ、東アジア共同体に 関する筆者の政策的判断と提案をいくつか述べることとしよう。

第1に、東アジア共同体の建設は、経済・貿易領域の協力と協商からスタートすることに よって、次第に政治、文化のそれぞれの方面の交流、理解、信任へと拡張させ、さらに軍 事面の相互信頼、安全メカニズムの深いレベルへと進展し、最終的には東アジアの社会的 および価値の全面的な制度化建設へと進めることができる。これは、実践面、政策面にお ける操作性の難易度によるもののみならず、理論的な論理分析面の低次から高次への進展 でもある。これは、各アプローチの同時進行あるいは交差進行が望ましくないとの含意で はなく、各段階におけるそれぞれの突破口の所在を強調するにすぎない。各国政策立案部 門およびシンクタンクはそれぞれのアジェンダと資源配置を決定し、短期的な日常業務と 統一的な中長期計画とを結合しなければならない。

第2に、これまで東アジア共同体概念を検討するなかで、筆者は、意図的に米国の役割を 省略してきたが、この東アジア域外大国は、実際のところ、無視・否定することのできな い重要な戦略的存在であり、深い経済・貿易面の利益など当初から東アジアとはさまざま な糸で結ばれている。東アジア共同体を考えるうえで米国にいかなる役割を期待し、それ をどのように位置づけるかは、「開放性」と「イニシアティブ」という

2つの難題の解決の

(8)

方向と進展に直接かかわる。率直に言えば、現段階は、東アジア各国内部および国際社会 のこの2つの難題をめぐる、ほとんどとどまるところを知らぬ論争であり、伝統的な米国の 盟友である日本においてさえ、意思決定層内部および主要政党間でもこれに関するコンセ ンサスは得られていない。したがって、柔軟かつ実務的な態度により、時と情況に応じて 適宜各方面の協商、協調を進めるべきであり、この超大国によって、従来からの難問の解 決を図ることも、また新たな問題を生じさせることとなってもならないというのが、筆者 の提案である。米国の東アジア地域とのかかわりの歴史は長く、このため、短期内にその 戦略収縮を行なうことは期待できない。この意味で、われわれすべては現実主義者であら ねばならない。

第3に、新たな日中関係の創造は東アジア共同体の前途にとってきわめて重要である。か つて中国が長期にわたって東アジアにおける独特の巨人の地位を占めたが、その際には、

日本は取るに足らぬ存在であった。近代以降、日本が、特に経済・貿易、技術の領域にお いて、中国に取って代わり、中国は、近代100年余りマージナルな位置に終始した。現在時 点、東アジアにおけるこの両大国の併存が誰の目にも明らかであり、その行方に衆目が集 中している。 一山不容二虎 (=同じ山に虎は2頭は棲めない)との俗言に言うとおり、日中 間のいさかいは絶えることはないのか、それとも、第2次世界大戦後の独仏関係(いわゆる 新たな欧州列車の牽引車)のようになるのか。日中の

100

年の恩怨と現実利害を考慮するなら ば、両国の東アジア共同体の建設に向けての試みは数多く、また多くの時間も投じられて きた。ASEAN、韓国が 四両撥千斤 (訳注:4両の力で

1000

斤の重さをも動かすという意の 太極拳の型のひとつ。「両」は「斤」の16分の1)の影響をもたらすこともあるが、畢竟、日中 両大国の強大な役割を代替することはできない。したがって、産業界であれ、官界、学界 あるいは民間団体であれ、日中両国の有識者が東アジア共同体問題に関して、深い全面的 な対話を行なうことを切に希望するものである。こうしたコミュニケーションには計り知 れない深い意義があり、未来の歴史がこの価値を検証することができるであろう。

最後に、東アジア共同体の建設において、中国は、時機と情勢を推し量り、隣国との協 議、協力を通じて、力に応じてその役割を果たすべきである。原則からすれば、東アジア 共同体の目標は、中国の根本利益と符合するものである。筆者の分析によれば、これらの 根本利益には、以下が含まれる。すなわち、①中国の国内経済改革、社会発展、政治安定 の局面を保持するために調和的で有利な周辺環境を長期に作り出す、②新たな対話と協力 チャンネルを通じて、中国に対する日米安保体制の敵視と懸念を軽減する、③中国の西部 地域および中央アジア一帯のイスラム地域の持続的 ブーム を背景にして、東部におけ る伝統的なホットイシュー(例えば、朝鮮核問題、主権の紛糾、台湾独立勢力など)が中国の 戦略負担として激化することを回避する、④西欧、北米等グローバルな主要経済ブロック との競争において、東アジア各国と有無相通じるウィン・ウィンの協力関係の経済グルー プを形成する、⑤東アジア各国の伝統的な文化形態間の相似性と親和性から、この面にお いて、中国はより多くの発言力と凝集力を求めることとなろう。中国の外交部門は東アジ ア共同体に関する方針、政策を現段階まだ明らかにしておらず、中国のメディア、学界に

(9)

は諸説入り乱れているが、上述の要素一切を考慮するならば、中国政府はこの面における 政策的検討と資源投入を増加させるものと確信する次第である。 (2010年初脱稿)

1) 斯 拉皮諾『亜洲及其前途』、北京:新 出版社、1983年翻訳出版、18ページ(訳注=原著は、

Robert A. Scalapino, Asia and the Road Ahead: Issues for the Major Powers, Berkeley: University of California Press, 1975)

2) 孔子《論語・衛霊公篇》

3) 費孝通「創造一个和而不同的全球社会」『文化的生与死』、上海人民出版社、2009年7月第1版、

353―363ページ。

4) 現代中国最大の発行量を誇り、大きな影響力をもつ国際時事紙『環球時報』は、米国ニューヨー クでの国連気候変動首脳会議(気候変動サミット)開催時に開催された日中首脳会談を報じてい る(2009年923日)。同首脳会談で、鳩山総理は、胡錦濤国家主席(共産党総書記)に対し、

「双方の立場の相違を承認することが友愛」と述べたとして、日本側メディアを引用する形で、こ の日本の新たなリーダーが自らの祖父の「友愛哲学観」を継承していると報じた。

5) 張蘊嶺(中国社会科学院アジア太平洋研究所所長)『東亜合作:尋求協調一致的方式』、北京:世 界知識出版社、2004年6月第1版。

6) 例えば、中国の『環球時報』は最近いくつかの特集記事を組み、日本の新首相が提起した 東ア ジア共同体 理念に関する討論を展開している。海外駐在のジャーナリスト、政府当局者からシ ンクタンク関係者、一般大衆が数多く参加しており、討論では、きわめて幅広いさまざまな意見 と提案が行なわれている。『環球時報』2009年10月9日、および同系列下の『環球網』ネット上の 討論とりまとめ(トピックス名は「中日韓サミットでの 東アジア共同体 討議に中国は大きな 役割を果たすべきか」)参照のこと。

7) この面における理論分析としては、鄭先武「安全複合体理論與東亜安全区域主義」『現代国際関 係』2005年第1期、北京)を参照のこと。

8) 学者出身の韓升洲前韓国外相が、東アジア地域には、独特な 創造的緊張 が存在すると指摘し たことがある。生気に満ちあふれ、活力と創造性に富むと同時に他方では各種の緊張と対峙に満 ちているとの指摘であり、これはきわめて洞察力に富んだ論点と思われる。

9) マルクス『共産党宣言』

(10) 李文・趙自勇・胡澎など『東亜社会運動』、北京:社会科学文献出版社、2009年第1版。

Wang Yizhou 北京大学教授 原題= 東亜共同体 概念辨識

(訳=菱田雅晴)

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