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Human Factor of FURUKAWASHOJI "DAIREN-JIKEN"

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(1)Kobe University Repository : Kernel タイトル Title. 古河商事「大連事件」の人的要因 : 企業不祥事と従業員の気質(Human Factor of FURUKAWASHOJI "DAIREN-JIKEN"). 著者 Author(s). 藤村, 聡. 掲載誌・巻号・ページ 國民經濟雜誌,216(2):57-72 Citation 刊行日 Issue date. 2017-08-10. 資源タイプ Resource Type. Departmental Bulletin Paper / 紀要論文. 版区分 Resource Version. publisher. 権利 Rights DOI JaLCDOI. 10.24546/E0041256. URL. http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/E0041256. PDF issue: 2019-04-18.

(2) 古河商事「大連事件」の人的要因 企業不祥事と従業員の気質. 藤. 村. 国民経済雑誌. 第 216 巻. 聡. 第2号. 平 成 29 年 8 月. 抜刷.

(3) 57. 古河商事 「大連事件」 の人的要因 企業不祥事と従業員の気質. 藤. 村. 聡. これまで主に人的資源管理の観点から戦前期の貿易商社の組織構造を他の業種と 比較しつつ分析した結果, 貿易商社は高等教育修了者を選好して多数を雇用した一 方で, 賃金やキャリア・パスなどの人事政策では学歴格差は希薄であったという特 徴が判明した。 その理由を解明すべく不祥事と従業員の規範意識を手掛かりの一つ に想定したい。 戦前期企業の不祥事に関する報告は史料的制約のために皆無に近く, そこで本稿は古河商事の大連事件を人的側面から考察する。 大正 6 年に開業した古 河商事は, 三井物産に準ずる大商社でありながら僅か数年間で破綻した。 その直接 の契機は海外駐在員による投機取引の巨額損失 (大連事件) であり, 文字化された ルールや監査は不祥事の抑止に機能せず, また事件の背景にはトップ・マネジメン トの弱さや学歴差別意識が指摘できる。 本稿では商社業務の特殊性を考慮しながら, 不祥事を起こした当事者と会社の動向を中心に大連事件の実態を検討する。 キーワード. 不祥事, 組織文化 (企業文化), 古河商事, 学歴. 1. 本 稿 の 課 題. 企業不祥事 (組織不祥事) は, 企業にとっては組織管理の重要な問題であり, リスク・コ ントロールや法務上の対策あるいは CSR (企業の社会的責任) といった様々な見地から論 じられている。 しかし従来の研究は散発的な個別事例の報告に留まり, 将来の予防に重心が 1). 置かれて観念的な制度設計の議論に偏っている印象は否めない。 また不祥事を 「企業の役職 2). 員による不正行為」 と定義しているせいか, もっぱら経営者あるいは会社ぐるみの不正行為 が対象になっており, 従業員による社内不祥事は組織の特性が先鋭的に発現しながらも議論 3). される機会は少なく, 先行研究とりわけ戦前期企業に関する報告は皆無に近い。 しかし三井物産を対象に明治 9 (1876) 年の創業直後から昭和23 (1948) 年まで約70年間 4). にわたる懲罰辞令の長期時系列データベースを作成したところ, 不祥事と学歴の密接な関係 が判明した。 即ち不祥事の当事者はもっぱら中初等教育修了者であり, 高等教育修了者が不 祥事を起こした事例は少なく, それは高等教育修了者の規範意識の強さを反映していると考 えられ, そのほか不祥事を含めて違反行為は国内よりも海外で頻発し, また事業所の規模が 小さいほど発生しやすいなどの興味深い規則性が発見できた。.

(4) 58. 第216巻. 第. 2 号. 本稿はそうした問題意識や分析の成果を踏まえて, 古河商事の大連事件を取り上げる。 古 5). 河商事を破綻させた大連事件の全体的推移は, すでに武田晴人論文が解明しているが, 人的 要因は明確でない部分が残されている。 以下の各節では大連事件の当事者の人物像や不祥事 抑止の実効性などを考察したい (なお本稿では不祥事という問題の特殊性を考慮して当事者 の氏名はイニシャルに変換し, その他は実名で表記した)。 2. 古河商事と大連事件の概要. 古河鉱業 (社名は数度変遷しており, 便宜的に 「古河鉱業」 と総称する) は明治初期に古 河市兵衛によって創業された。 鉱山経営以外に上海や漢口に銅製品を輸出し, 中国から錫や 鉛を輸入した。 営業能力の拡充を期して明治38年に商務課を設置し, 明治44年に営業部に格 上げしたものの古河内部では貿易商社の設立を望む意見が強く, 古河虎之助社長もそれに同 調したが, 古河財閥を統率する近藤陸三郎理事長は, 古河市兵衛の 「産銅一本主義」 の理念 を墨守して商社事業への進出を許さなかった。 しかし近藤理事長が大正 6 年11月に死去する や, 数日後に古河商事株式会社 (資本金 1 千万円) の開業が決定され, 財閥全体を統括する 古河合名会社, 鉱業部門の合名会社古河鉱業 (翌年に 「古河鉱業株式会社」 に改組), 貿易 部門の古河商事株式会社の 3 社態勢に再編成された。 さらに 「東京古河銀行」 (後年に 「古 河銀行」 に改称) を開業し, 複数の傍系企業を傘下に持つ一大財閥に成長した。 古河商事の業績は船舶事業で巨利を博するなど大戦景気で順調であった。 銅線などの古河 製品に加えて油粕・米・ゴムといったリスクの高い取引も容認するようになったが, 全体的 には 「安全確実ニシテ相当利益アリ, 且ツ当社ノ金融ヲ障碍セザルコト」 と経営方針は手堅 く, また古河製品の取扱いという強みを持つおかげか, 第一次世界大戦後の反動不況でも深 刻な財務状態に陥った形跡はない。 ところが大正10年11月に古河商事は突然に経営破綻し, 開業から僅か 4 年間で姿を消した。 その原因は, 豆粕や銀の投機取引の失敗で数千万円の巨 損をもたらした大連事件にほかならなかった。 大連事件の概要を整理すると, 古河商事はロンドン・香港・上海・漢口・大連・京城など に支店や出張所を展開し, このうち大連は明治42年の出張員派遣に始まり, 大正 4 年に出張 所が常設された。 日本からの輸出商品を運んだ船で満州産品を持ち帰りたいという船舶部門 の後押しもあって, 大正 6 年には大連出張所主任 AT に豆粕取引の許可と大連所在の各銀行 から貸付けを受ける権限が付与された。 小規模な出張所の一主任に過大な権能が与えられた 理由は, 開業直後の混乱で業務規程の細部や波及すべき影響が充分に吟味されなかったから と言われる。 しかし豆粕の取引高は低迷したので先物ヘッジの必要性を AT は申立て, 大正 8 年 3 月に 制限付きで先物取引 (思惑取引) を認める専務指令書が交付された。 ところが実際には前年.

(5) 古河商事 「大連事件」 の人的要因. 59. 7 年秋から AT は無断で買い方針に出て莫大な利益を上げ, 大正 8 年 1 月には再び大取引に 打って出た。 売方の三井物産や小寺洋行は市場を混乱させると激しく非難し, 大連特産物取 引所長は古河商事の上層部に報告すると脅迫して持ち玉の売却を強要した。 それに折れて持 ち玉を処分して損失を蒙り, その後も相場の予想は外れて膨大な含み損を抱えた。 東京本店 には虚偽の報告を繰り返し, 数度の監査もくぐり抜けて投機を続けたが, 大正 8 年秋の金融 引締めを契機に営業資金の返送や会計処理をめぐって本店の態度は厳しくなり, AT は大正 9 年 2 月に巨額の損失を重役に告白して大連事件が発覚した。 古河家の私財提供や古河鉱業 6). の肩代わりなど総計 6 千万円の損失の処理に財閥全体で対応したものの潰滅的な事態は挽回 できず, 古河商事は大正10年11月に古河鉱業に救済合併されて消滅した。 以上が大連事件の概要である。 初めは利益を上げながらも相場の先行きを見誤って損失に 転じ, それを埋め合わせるべく危険な投機取引を重ねた挙げ句に破滅に至るという今日でも 在りがちな事件にすぎない。 ただし 1 人の駐在員の暴走を経営幹部が見抜けず, 大商社の古 河商事が破綻したのみならず, 財閥全体の弱体化を招いたその深刻さが特異であり, 戦前期 企業で発生した不祥事の最も悲惨な事例と言えるかもしれない。 7). 大連事件に関しては. 大連事件顛末調書. (以下. 顛末調書. と略記) という表題を持つ. 調査報告書が作成されている。 同資料は大連出張所の開設前夜から大連事件の発覚までを叙 述する前編 7 巻と損失処理の過程を整理した後編 4 巻で構成され, 作成時期は後編に 「大正 十一年三月」 という記述があるので大正10年の古河商事の消滅後, 大正末年と思われる。 執 筆者を明示する文章はなく, 大連事件の処理を陣頭指揮した神津助太郎 (元上海支店長) が 関係文書を収集して報告書を編纂したという記述から 顛末調書 は神津あるいは同人の報 告書に拠って古河内部の人間が作成したと推定され, また資料は手書き謄写版で異なる筆跡 の部分が含まれ, 文体の相違も感じられるので執筆者は複数かもしれない。 以下の各節では大連事件の発覚までを記述した 顛末調書 前編に基づき, 主に人の動き に焦点を絞りつつ 顛末調書. の執筆者の意識を読み解いて古河商事の内実を分析する。 3. 大連出張所と AT 主任の履歴. 古河鉱業は満州地域の販路拡大を企図し, 明治42 (1909) 年 7 月に上海支店の KF を出張 員として大連に派遣した。 同人は入社して日も浅かったが, 熱心に商品の売込みに努めて百 万円程度の取引を獲得する好成績を挙げ, そのまま堅実に勤務していれば大連出張所の主任 に推奨されたはずだと 顛末調書. は述べる。 しかし満鉄幹部や実業家相手の交際費を捻出. すべく社費 2 万円を事業投資に流用し, その派手な交際振りを怪しんだ上海支店長は大正 4 年 4 月に出張所の設置と KF の上海帰任を提議して本店営業部長の裁可を得た。 不始末の露 見を恐れた KF は大連残留を望んだものの聴許されず, 事務引継で社費流用が発覚した。 東.

(6) 60. 第216巻. 第. 2 号. 京の営業副部長と上海支店長が大連に急行して調査に当たり, KF は帰国後に懲戒免職になっ た。 大正 4 年夏に開設された大連出張所には, 業務統括の主任に AT, 会計業務担当の HK など 4 名が配属され, 出張所の諸事項は AT が専決する態勢が取られた。 それでは大連事件を引き起こした AT は, どのような人物であったのか。. 顛末調書. は. 同人の履歴や性格を詳細に論評しながらも, 古河商事を破綻させた憎むべき首魁として一方 的に断罪する傾向は否めず, 過剰に辛辣な語句も少なくない。 資料には明らかにバイアスが あり, それに注意しながら人物像を観察しよう。 AT の最終学歴は中等教育課程の名古屋商業学校で, 大学や高商などの高等教育は受けて いない。 入社に際して名古屋商業学校の市村芳樹校長は AT を頭脳明晰, 記帳計算に長じて 筆蹟美麗で勤勉, 会計業務に適任と推薦しており, その言辞もあってか, 明治40 (1907) 年 4 月に赴任した上海支店 (当時は派出所) では会計事務や月末季末の報告書を作成し, その 仕事ぶりは迅速かつ正確で 「稀レニ見ル会計事務家」 と高く評価された。 荻野元太郎上海支 店長は 「規律アリ節制アリ, 頭脳明敏ニシテ紛糾セル会計事務ノ整理ニ於テ他人ノ追随ヲ許 サヾル技能ヲ有ス」 と真面目な勤務態度と会計業務の手際の良さを激賞しているから, 少な くとも相応の会計業務の能力を AT が有していたのは間違いなさそうである。 しかし明治45年 2 月に荻野支店長が大阪支店長に転じ, 神津助太郎が上海支店長に着任し た頃から AT の信用は一転して失墜した。 支店長次席への昇進を焦慮して競争相手の追い落 としを謀り, (どこまで事実かは疑わしいが) 女中を買収して家庭事情を詮索する, 信書を 開封して窃見する, 酒食を供して派閥を作る, 同僚を中傷誹謗するなどの奸計を弄した。 神 津支店長は店内秩序を保つために本店総務部長に AT の転出を要請し, 大正 2 年 2 月に東京 の営業部電線係に転任が命じられた。 電線係では精算事務を担当したが, そこでも評判は悪 く同僚たちは排斥運動を起こしたと伝えられる。 AT 自身も荻野大阪支店長や営業部長に海 外への転任を懇請し, ちょうど大連の出張所設置が議論されていた折柄, AT の配属が決定 して大正 4 年 6 月に家族同伴で大連出張所に着任した。 ここまでの. 顛末調書. で窺い知れるように, 上司と同僚の論評は極端なほど合致しない。. 同僚は 「徳義ノ観念低劣ニシテ名誉心強キコト, 陰険ニシテ心胸光明ナラザルコト, 嫉妬心 強クシテ執念深キコト, 奸智ニ長シテ油断出来ザルコト, 報復心盛ニシテ目的ノ為メニハ手 8). 段ヲ択バザルコト, 修飾ニ巧妙ニシテ信用シ難キコト等ノ点ニ於テ既ニ定評アリ」 と道徳心 は薄弱で性格陰険, 嫉妬や執念深く奸智は巧みで復讐心に強く, 目的達成に手段を選ばない 人間と酷評する。 その反面で荻野上海支店長や重役の印象は良好であり, 例えば AT を出張 所主任に抜擢した理由は,. 頭脳明敏ニシテ計算ニ精確ナルコト, 品行方正ニシテ行動ニ規律アルコト, 事ヲ処スルニ.

(7) 古河商事 「大連事件」 の人的要因. 61. 真面目ニシテ信用スルニ足ルベキコト, 但シ学校出身其他ノ干係ノ為メ同僚儕輩ニ誤解セ ラルヽモノト認メラレ, 寧ロ此種ノ人物ハ多数同輩ノ間ニ置カンヨリ責任アル一方面ノ代 9). 表者トシテ任用スルヲ以テ本人ノ為メニモ会社ノ為メニモ利益ナリ. 頭脳明晰で計数の能力は高く, 品行方正で規律意識に富み, 事に処するに真面目で信用に足 る人材と称讃し, 同輩中に置くよりも代表者的なポストを与えて勤務させるほうが本人にも 会社にも利益だと説明する。 これは重役に共通する認識であり,. 顛末調書. は AT が巧み. に本心を偽装して重役たちを瞞着したと述べる。 こうした意見の不一致は, 社内の意思疎通 が上下の階層間で断絶した状況の証左の一つと言えよう。 4. 不祥事の抑止の失敗. 4.1 監査システムの限界 大連出張所に赴任した AT は大正 7 (1918) 年秋から思惑取引に手を染め, 損失が生じて も本店へは虚偽報告で実情を隠蔽した。 しかし, なぜそれほど見事なまでに経営幹部は騙さ れたのだろうか。 欺瞞を察知する好機は数度あったものの結局は失敗に終わっており, 以下 では, そうした監査システムの限界を観察しておきたい。 経営幹部が欺瞞を見抜く最初の機会は大正 7 年12月に訪れた。 同年 8 月に大連出張所は銑 鉄取引で損金を出し, その調査に東京支店雑貨係の六所静一が大連に派遣された。 帰国後に 報告書を提出した六所静一は, 数々の問題点を列挙している。. AT 氏ト問答シ, 又タ書類ヲ親シク閲覧シ得ルニ及ビ事実ト大分相違アルヲ発見致シ候 (イ) 東京ヨリ十一月二十六日及十一月十三日大連ニ対シ解約依頼ノ打電ニ対シ, AT 氏ヨ リハ一々買付先キト交渉ノ上, 返事セルモノ如ク打電セルニ拘ハラズ, 小生右ニ関スル 書類ノ要求ニ対シ, 意外ニモ十一月一日付電報ハ先方ヘ交渉セシモ断然撥付ケラレタト 云フハ全ク AT ノ 「トリック」 ニ過ギズ, 打電モセネバ手紙モ出シ居ラズ (ロ) 又タ十一月十九日鍋今元価貴地沖百弐拾円見当故ニ十円以上ノ値鞘云々ト云フコトモ 何等書類ニ無シ (ハ) 更ニ十一月二十六日十一月三十日ノ電報ノ要求金額ハ皆恰昌ヨリ要求ニ非ズ, AT 氏 10). ノ作リシモノニ御座候. 即ち, 東京支店の解約依頼に AT は取引先と交渉中と返信したが, 実際は交渉しておらず 「トリック」 にすぎなかった。 そのほか言動を裏付ける書類は存在せず, 取引先が提示した 金額はでっち上げだと数々の偽計を暴露する。 しかし AT の規律意識の低さや不誠実さを暴.

(8) 62. 第216巻. 第. 2 号. 露した六所静一の報告書は東京支店内の回覧に留まり, 重役には提出されなかった。 その理 由を 顛末調書 は, 各支店は自己の業績至上主義に走って会社全体の利益を考慮する意識 が薄弱だったと説明する。 AT には品質確認の不充分さを理由に減俸 5 割 2 ヶ月の処分が下 されたが, それ以上の追加調査は実施されなかった。 もし六所静一の報告書が重役に回覧さ れ, 徹底的に精査されたならば大連事件は回避できたはずだと 顛末調書 は慨嘆する。 続いて大正 8 (1919) 年 5 月に, 豆粕など雑貨取引を統括する第二部長の井上定次常務取 締役が満州を訪れた。 ちょうど大連出張所から豆粕のロンドン向け輸出が提議されており, 満州の取引慣行や大連出張所の運営状況を調べるのが目的で, 満州各地を視察して 5 月 9 日 に大連に到着した。 しかし大連では AT の報告を鵜呑みにして, 現実には大量の投機にのめ り込んでいた豆粕取引を 「専務ノ指令ノ範囲内ニ於テ堅実ノ方針ニテ取扱ヒ居ルモノト認ム」 と御墨付きを与え, 正隆銀行副頭取や満鉄重役からは 「AT ハ質素倹約, 品行方正ニシテ事 務ニ熱心ニシテ精力主義ノ奮闘家」 という評判を聞いて 「AT ノ如キ人格者ノ行動ニ対シテ ハ絶対信用ヲ措イテ差支ナキコト」 と自己満足して帰国した。 井上常務は大連出張所の帳簿 検査など実態把握にそれなりに努力しているものの, 当初から厳格な態度で臨もうとする心 構えはなく, また AT は豆粕の取引場帳を改竄し, 豆粕の買付量と売約量の数値が齟齬を来 さないように操作していた。 このとき同帳簿はルーズリーフでページを入れ替えできた点が 改竄を容易にしたと言われる。 大正 8 年10月に今度は東京本店の木村会計係長が大連出張所を会計監査した。 これは定例 的な出張で特に大連出張所の異常を感知したわけではなく, 10月 4 日に神戸から乗船, 10日 に大連到着, 14日に京城出張所へ移動と慌ただしい日程で大した成果は挙げていない。 ただ し, それは日程の窮屈さだけが理由ではなかった。 まず大連出張所では会計業務を担当する HK が不在であった。 帰国中の HK は木村係長の 到着前に大連に戻る手筈であったが, 神戸の乗船に遅れて到着せず, やむなく木村係長は単 独での会計検査を余儀なくされた。 監査では収支計算表と伝票類は本店への報告と合致した 一方で, 仮勘定や為替及銀勘定は整理が不完全で混乱し, AT は木村係長の質問に担当の HK が居ないので分からないと答弁して帰任次第に帳簿を整理すると約束するだけであった。 11). 木村係長は 「大連出張所ノ会計不整理ノ状態ニツキテハ不尠激昂シ」 と帳簿の乱雑さに立腹 しながらも滞在時間は実質 3 日間しかなく, 今後の適切な記帳を指示するしかなかった。 顛末調書. は HK の帰任遅延は AT の策略だったと憶測し, また会計畑出身の AT が記帳. 内容を説明できないとは思われないが, ともかくも AT は監査を有耶無耶に誤魔化し, すで に大規模な思惑取引で生じていた損失の隠蔽に成功したわけである。 先の六所静一によって 真相が暴露された経験を学習し, 帳簿を未整理に放置して第三者には理解不能にする, 当事 者と面談させない等の姑息な手段で監査を妨害した公算は大きい。.

(9) 古河商事 「大連事件」 の人的要因. 63. このとき木村係長が特に重視したのが仮勘定であったのは興味深い。 木村係長は仮勘定の 仮買上代金・当座貸・当座預は混乱して早急に整理が必要だと指摘したが, 「大損失ノ隠匿 シタル伏魔殿タル商品ノ仮勘定ハ遂ニ其ノ秘扉ヲ徹開スルニ至ラズ」 と仮勘定内部の実態は 解明できなかった。 取引損益を未確定に放置する仮勘定は便利でありながらも経営上は極め て危険な存在であり, 神戸の貿易商社兼松でも同時期に問題になっていた。. 当店の仮勘定ハ Dr も入も同一の仮勘定といふ総勘定元帖中の一科目と相成居候為め, 其 帳尻ハ仮定二三四五円の少額なりとも, 一歩其中へ這入候て見ると貸借其々数十万円とい ふ奇観を呈し居申候 而て, 従来ハ此勘定を諸準備金の隠し場所として利用…悪用…し来りし訳なれども, 何時 迄も此三間間口ても奥ハ千畳敷といふ仕組を維持致居候事ハ怪我の台ニ付, 不悪 Hgh 事 件, 南阿輸出尻等の大略根一掃出来次第, 速かニ之を改正し, 仮払と仮受の二目乃至未払 12). 金を加へて三科目ニ分割記帳の正道ニ引直すべき覚悟ニ御座候. これは大正10 (1921) 年 3 月に, 兼松の神戸本店の前田卯之助取締役がシドニー支店取締役 に宛てた書簡の一節である。 仮勘定を準備金の隠し場所に使うなど重宝しているが, その帳 尻は数円でも内部に貸借数十万円が隠れている実情を警戒して帳簿組織の改善を決意し, こ の書簡後に仮勘定帳の廃止と未着商品輸入勘定帳の新設を実施した。 仮勘定は兼松では 「三 間間口ても奥ハ千畳敷」, 古河商事は 「大損失ノ隠匿シタル伏魔殿」 になっていたと述べら れており, 大戦景気で取引高が急激に膨張したのち, 反動不況で大量の注文キャンセルが発 生して経営幹部ですら手持ちの注文量や売掛金を把握できない情勢は広く貿易業界に共通し, 仮勘定が会計システムの宿痾になっていた企業は珍しくなかったのではないか。 大正14年に兼松の藤井松四郎取締役は 「大正九年ノ恐慌ニ当リ, 我等ノ同業者中ニモ一敗 地ニ塗レテ再ビ起ツ能ハザルモノガ数多アリマシタガ, 是等ノ内ニハ其経営ガ放漫ニシテ到 底救助ノ途ノナイモノモ御座リマシタケレトモ, 中ニハ帳簿ヤ記録ガ不完全ニシテ其現在ノ 13). 立場ガ明ラカナラザル為メニ意ニ悲運ニ陥ッタモノモアリマス」 と第一次大戦の反動不況で 倒産した貿易商社の中には放漫経営以外に, 経営者が自社の財務状況を把握できずに倒産し たケースがあったと伝える。 このとき藤井取締役の脳裏に古河商事があったか否かはさだか でないが, 古河商事の経営破綻の一因が巨額損失を埋没させた会計情報処理の不適切さにあっ たのは間違いない。 会計システムの改善をめぐる両社の対応の差異は歴然としており, 兼松の重役が機敏に仮 勘定帳の廃止や balance sheet の作成, さらにシャンド・システムから商業簿記方式への切 替えなど一連の会計改革を断行したのに対し, 古河商事では木村係長が帰国後に仮勘定の是.

(10) 64. 第216巻. 第. 2 号. 正や日計表の作製など改善項目を提言しながらも重役たちは採択しなかった。 重役が率先し て改革に臨んだ兼松と, 現場に疎くて適切かつ必要な指示を出せなかった古河商事のトップ・ マネジメントの違いが企業の命運を分けている。 木村係長に続き, 10月末には満州の産業事情を知見する目的で兼本雑貨課長が大連に到着 したが, AT の妨害もあって出張所の実態を見抜けず, また兼本課長自身も初めから監査に 熱意を持っていなかった。 重役たちは AT に絶対的信頼を寄せて 「部長重役間ニ於ケル AT 14). 主任ニ対スル信任ハ到底兼本課長ノ及ブ所ニ非ズ」 と何を上申しても無駄だと諦観し, 「AT 主任ノ行動及取扱振ノ是非ノ意見ハ極メテ平々淡々ニ部長又ハ重役ニ陳述スルニ止メ, 自ラ 進ンデ之レヲ調査シ摘発スルヲ回避セル」 と義務的に淡々と意見を述べるだけで積極的な行 動を取ろうとしなかった。 上下階層間の意思不通によって組織全体が致命的に硬直化してお り, AT の行動を阻むものは何もなく, 大連出張所は巨額の損失を累積させていった。. 4.2 専務指令書の発令 大正 6 年10月に大連出張所に豆粕取引の開始を許可したのち, 大正 8 年 3 月には豆粕の思 15). 惑取引を容認する専務指令書が発令された。 その経緯を見ると, AT の要請を受けて大正 8 年 1 月に雑貨課長は, 専務と第二部長に大連出張所の豆粕取引が低調な理由は自己裁量の思 惑取引を厳禁しているからだと述べ, 長期間に及ぶものは禁止する条件で思惑取引を認める ように上申した。 雑貨課長は提案書で数量やオファーの取次方法など細かい条項を詳しく列 挙し, 重役会議を経て 3 月 5 日に専務指令書として発令された。 専務指令書の要旨は, 大連出張所は内地各店の注文に見込値段を伝達 (オファー) し, 成 約までの価格騰貴による損失を回避するために大連重要産物取引所で買い繋ぎしてよいとい うものであり, オファーの有効期間は72時間と短時間に限定して, 長期の買持ちは認められ ていない。 取引数量は本店が承認し, 「商談成立不成立ヲ問ハズ, 各オッフハー提出ノ都度 其結果ニ関シ当分ノウチ本店ニ報告スベシ」 と成否に関係なく全ての取引の報告を義務づけ て東京本店の監視下に置くように規定された。 専務指令書は当然ながら投機的な空売空買を 厳禁しており, また大連出張所の視察後に井上常務は 「予テ専務ヨリ御訓示ノ通リ, 見越売 買ハ一切御見合相成度候」 と専務指令書を守るように AT に念押しするが, すでに前年から 無許可で大量の思惑取引を始めていた AT が従うはずもなかった。 諮問会議で上京した AT に, 専務指令書は取引の障害になっていないかと吉村専務が質問 したところ, AT は毫も支障はないと即答したという。 AT にとって専務指令書は単なる一 片の書類どころか, 思惑取引を帳簿上で合法的に偽装できる格好の手段にすぎなかった。 こ のように文字化されたルールは適用を受ける者に遵守する気がなく, また強制と監視の装置 が機能しない場合, まったく意味を持たなかったのである。.

(11) 古河商事 「大連事件」 の人的要因. 65. 4.3 大連事件の発覚 専務指令書を無視し, 数度の監査をかいくぐって AT は損失の隠蔽に成功した。 しかし東 京本店が要求する資金返送は現実的に不可能であり, 徐々に AT は追い詰められた。 さらに 大正 8 年12月15日に大連出張所から東京本店に届いた決算内訳書と22日到着の説明書を木村 係長と兼本課長は虚偽記載と断定した。 その手掛かりは仮勘定代金内訳表の金額に端数が記 載されていないという会計処理の些細なミスであり, 7 品目の内 6 品目で千円以下の端数が 記載されておらず, 故意に金額を操作した痕跡は歴然としていた。 これまで疑念を持ちなが らも明白な物的証拠がなく逡巡していた木村係長と兼本課長は断固とした監査を決意し, 16). 「従来提出ノ買付届ハ多ク事実ニ相違セリト断ズルノ外ナク」 と取引全般に関する疑念を露 わにした長文の質問書を12月30日に大連に発送した。 年を越して大正 9 年 1 月10日に届いた返信の内容は曖昧で, 資金返送もなかったので, 1 月23日に春日井経理課長は木村係長が起草した上申書を吉村専務・井上常務・荻野常務に提 出し, 大連に本店から人員を派遣するか, AT を東京に召喚するように提議すると共に再度 の質問書を大連に送り, 2 月中の送金は困難だとあらがう AT に百万円の返送を厳命した。 AT が言い逃れに終始する一方で, 本店では大連出張所を監査する準備が進められて木村係 長と兼本課長の派遣が決まり, 2 月19日に古河商事では前例のない業務全般の包括的な監査 を命じた専務指令書が発令され, 木村係長と兼本課長は21日に大連に向かった。 もっとも, この期に至っても経営幹部の信頼は失墜せず, 第二部長の井上常務は木村係長 と兼本課長に“AT は業務多忙かつ有能な助手がいないので連絡が遅延しているにすぎない と思う。 専務指令書が大幅な監査権限を許したとは言え, AT を差し置いて直接に取引先と 勘定を照合するといった行動は控えて, 充分に AT を信用して隔意なく打ち合わせるように せよ”と釘を刺すのを忘れず, 第一部長の荻野常務も同意見で, 監査しても事務遅滞による 単純な過失という結論になるだろうと楽観していた。 それとは逆に大連では AT は最早逃れられないと観念し, 腹心の HK に真相を告白する報 告書を携行させ, 大連出張所のダミー会社というべき仁泰洋行の熊野保一を付き添わせて日 本に帰国させた。 両名は23日には東京に到着しており, 大連東京間の旅程に 4 ∼ 5 日を要す るとすれば, 木村係長たちが日本に居た18日頃に大連を出発した計算になる。 東京で真相が 発覚した瞬間を 顛末調書 は次のように述べる。. 是レ実ニ青天ノ霹靂ト云ハンカ驚天動地ト云ハンカ, 商事会社幹部ニ於テハ僅々数日前迄 ハ否二月廿四日朝, 熊野保一ガ荻野常務ヲ往訪スル瞬間迄ハ, AT 主任ハ熱心精励認真努 力店務ニ鞅掌シ居ルモノトシテ満腹ノ信用ヲ繋ギ (中略), 大連出張所員 HK ノ上京齎シ 17). タル報告ハ大桁外レノ驚クベキ数字ヲ以テ商事会社幹部重役ヲ驚倒駭倒セシメタリ.

(12) 66. 第216巻. 第. 2 号. 当日の動きを見ると, 2 月24日午前11時に荻野常務の自宅を熊野保一が来訪し, 大連出張所 の損失の概略を伝えた模様である。 直ちに荻野常務は HK を呼び寄せ, 井上常務の自宅に場 所を替えて午後 4 時から吉村専務・井上常務・荻野常務は深夜まで事情を聴取した。 それま で重役たちは大連出張所の巨額損失を夢想もしておらず, その報告はまさしく 「青天ノ霹靂」 「驚天動地」 で, 大連出張所の巨損に 「驚倒駭倒」 した。 大連に26日に到着した木村係長と兼本課長は AT への尋問を開始したが, HK に報告書を 持たせて東京に送ったと言うばかりで多くを語らず, 木村係長と兼本課長は 「未ダ事実ノ真 相ヲ窮ムル遑ナキモ, 事態頗ル容易ナラザルモノト認メラル」 と本店に打電した。 古河商事 の基盤を根底から揺るがす巨額損失はこうして発覚したのである。 5 5.1. 大連事件の原因. 顛末調書 の総括. 大連事件の原因を 顛末調書 は総括し, 関係者の責任に加えて社内機構や人事政策の欠 18). 陥を挙げる。 そこから 顛末調書. の執筆者が, どのように大連事件の本質や古河商事の問. 題点を認識していたのかを観察しよう。 事件の責任者として 顛末調書. が最も糾弾する対象は重役であった。 とりわけ担当重役. であった第二部長の井上常務は 「何等ノ智識ナク何等ノ定見無ク何等ノ方針ナク, 只ダ其ノ 偉大ナル骨格ト鷹揚ナル態度ヲ以テ第二部長ノ椅子ヲ辱シメタリ」 と専門的知識の乏しさや 定見のなさを厳しく批判する。 元来, 同人は筑豊の炭鉱経営や石炭販売に従事した経歴の持 ち主で国際的な貿易業務の経験はなく, 大連事件の中核であった豆粕取引の危険性を充分に 理解できず, もし大連視察で 「AT 主任ノ無謀, 放漫, 背任ノ行動」 を見抜いていれば大連 事件は回避できたはずだと指弾する。 しかし大連事件を引き起こした AT の最大の庇護者は, 実は井上常務ではなく, 第一部長 の荻野元太郎常務であった。 荻野常務は上海支店長時代に, 規律心があるうえに頭脳明晰で 会計業務は余人の追随を許さないと AT を激賞し, その後も積極的に後援した。 当時の重役 3 名の頂点にあった吉村専務は部下に接する機会が少なく, 実務経験が乏しい井上常務は威 令がなく, 必然的に荻野常務の判断が最も尊重された。 「荻野重役ガ AT ヲ推奨スルト云フ コトハ他ノ重役ニ対シ若シクハ会社ノ上下内外ニ対シ, AT ニ対スル一切批判ノ口ヲ緘シタ リ」 と AT 批判は荻野常務への誹謗につながりかねない風潮が醸成され, 課長や係長など中 間管理層は萎縮して適切な行動が取れなかった。 さらに名目上だけにせよ, 古河商事の社長 の古河虎之助は 顛末調書 にまったく姿を現さず, 日常業務を指揮した形跡は皆無である。 財閥の統率者である古河虎之助に傷を付けられないと 顛末調書 の執筆者が, あえて触れ なかったのかもしれないが, 社長の不在は最高経営者としての責任の欠落にほかならず, 経.

(13) 古河商事 「大連事件」 の人的要因. 67. 営意思の形成には重大な齟齬が生じていたと考えられる。 次に社内機構では, 厳密な意味で古河商事には本社機能がなかったと 顛末調書 は指摘 する。 本店を東京に置きながらも主要な営業部門は東京支店に分離したので, 本店勤務の重 役たちは実際の商品売買に接する機会がなく, 取引の進展は各支店や出張所からの報告で初 めて知る有り様であった。 会計事務も 「会計事務ノ整理ハ本社ガ直接営業機関タラズシテ売 買取引ハ各店各所ニ委任セル結果, 区々不統一ヲ来ラシ, 必要ノ時ニ必要ノ報告ナク, 会社 全般ノ金融ノ緩急及本支各店営業資金ノ分布等ニツキテモ何等ノ統一, 何等ノ方針無カリシ モノトス」 と経営幹部は取引の進捗や財務状況を的確に把握できていない。 各支店は自らの 利益追求に走って会社全体の利害を考慮せず, 古河商事と古河鉱業の間でも利益分割をめぐ る争いが絶えず, 大古河を誇称しながらも内実はバラバラだったという。 また適材適所が貫徹しない人事政策は古河全体に共通した。 重職の任命は 「人格声望如何 ハ未ダ必ズシモ資格トナラズ, 経験閲歴モ亦タ必ズシモ問題トナラズ, 先ヅ第一ニ標準トナ ルハ其人ノ出身権衝, 親疎ノ別, 当社ニ於ケル年月, 給料ノ多少, 等級ノ高下ニアルガ如シ」 と出自や上層部との親疎, 勤務年数や賃金の多寡が重要視されて能力は等閑視され, 「自説 ヲ主張セズ, 他人ニ迎合スルヲ以テ円満無碍トナシ, 難局ヲ避ケ責任ヲ負ハザルヲ以テ明哲 保身ノ術ト鮮シ, 人ノ非行ヲ看過シ」 と事なかれ主義で自己の保身に努める気風が社内を覆っ ていた。 さらに景気が良ければ人員を採用し, 景気が悪化すれば馘首するので従業員は安心 できず, 「感奮激励熱心, 忠誠ノ心ヲ麻痺セシメテ, 此ニ規律ナク節制ナク統一ナク和親ナ キ状態ニ陥リタル」 と会社への忠誠心は麻痺し, 規律も節制も親和もなかったと述べる。 そ れらの結論として. 顛末調書. は大連事件の本質的な責任者は AT や HK でなく, 会計係長. や経理課長でもなく常務取締役でも専務取締役でもなく, 「最後ノ責任者ハ則チ上下ノ不真 面目ニアリ, 則チ綱紀ノ頽廃ニアリ」 と総括し, 真の理由は古河商事全体を覆っていた綱紀 の退廃にほかならないと締めくくる。. 5.2 古河商事の組織文化と商社業務の特性 以上は 顛末調書 が語る大連事件の原因であり, さらにその文章を注意深く読むならば, 執筆者の意識から古河商事が抱える組織文化の悪しき一面が浮かび上がる。 端的には, それ は社内に蔓延する学歴差別の意識であった。. 彼ハ其ノ学歴ニ於テ単ナル甲種商業学校出身ニ止マリ, 入社後事務家トシテ必要ナル学問 ノ修養ニ努メザリシノミナラズ, 自身人格ノ向上ニツキテモ何等工夫スル所無ク, 只々一 年志願兵トシテ軍隊生活ノ形式的訓練ヲ経タル結果, 外見上, 上長ニ対スル服従及規律ヲ 遵守スル点ガ主トシテ彼レノ上長ニ買被ブラレタル素因ト為リタルモノニシテ, 彼レハ入.

(14) 68. 第216巻. 第. 2 号. 社後瀕年昇給シテ儕輩ヲ凌ガントスルニ至リテ彼ノ精神上学問上修養ノ欠陥ハ遺憾無ク曝 19). 露セリ. これは. 顛末調書. の執筆者自身による AT の人格評価である。 冒頭の 「単ナル甲種商業学. 校出身ニ止マリ」 の文言には中初等教育修了者に対する侮蔑感が滲み出ている。 「入社後瀕 年昇給シテ儕輩ヲ凌ガントスル」 から推察すれば AT の賃金は特に低くはなく, また主任に 抜擢した事実をかんがみても人事政策に露骨な学歴格差はなかったと思われるが, 中初等教 育修了者に対する学歴蔑視が見られることには注意しなければならない。 それは執筆者だけ でなく, 出張所主任に抜擢した際に経営幹部が 「頭脳明敏ニシテ計算ニ精確ナルコト (中略), 但シ学校出身其他ノ干係ノ為メ同僚儕輩ニ誤解セラルヽモノト認メラレン」 と名古屋商業学 校という学歴が人間関係の障害になっていると述べるように, 学歴差別の意識は古河商事全 体に存在したと考えられる。 このとき古河商事は, 古河鉱業の営業部から生まれたという経緯が組織文化に影響した可 能性を指摘しておきたい。 戦前期企業を学歴別身分制社会と規定した氏原正治郎の主張はもっ ぱらメーカー企業が論拠であり, 一般に多数の職工を抱えるメーカー企業は, 職工と職員の 階層間だけでなく, 職員内部も学歴別集団に区分され, そうした構造は日本最大の従業員規 20). 模を誇った鐘紡でも明確に観察された。 古河鉱業が学歴格差を是認する組織文化を持ち, そ れを古河商事が継承した状況は充分に想定できる。 また在職する高等教育修了者の年齢にも留意する必要がある。 大正 6 年の開業時に約300 名であった古河商事の従業員の学歴構成を明示する資料は残っていないが, 大正 8 (1919) 年の官立 5 高商 [東京高商・神戸高商・長崎高商・山口高商・小樽高商] 卒業者の企業別在 職数を計測すると, 商社の業種では三井物産887名, 鈴木商店220名, 三菱商事170名の 3 社 が群を抜いて多く, 久原商事67名, 茂木合名会社66名, 高田商会61名に次いで古河商事には 60名が在職し, 古河商事も積極的に学卒者を雇用したことが判明する。 ただし60名中38名は 20歳代の若年者で占められ, かなり性急に学卒者を雇用しており, そうした短期間の学卒者 の大量雇用は従業員を学歴別集団に分裂させる危険を内包し, 実際に同じく高等教育修了者 を大量雇用した茂木合名会社や鈴木商店は社内が学歴別の集団に分裂して, 経営幹部は従業 21). 員をまとめるのに苦労したという。 もちろん不祥事は古河商事に限定されない。 大連事件に類似する事案は他の貿易商社でも 発生し, その一因には商社業務の特殊性が影響していた。 大正 9 (1920) 年に伊藤忠で貿易 業務を担当する神戸支店の支配人は, 従業員の仕事を 「学校を出た計りの新らしい人が自分 で色々の計画立てゝ, 自分で仕事を遣って行くといふ式でありましたので, 今日迄の事でも 並大抵の苦心ではありませんでした」 「受持の商品に就いては随分責任が重くて, 日常非常.

(15) 古河商事 「大連事件」 の人的要因. 69 22). に苦心をせられて場合によりて夜の目も碌々眠られぬ事もあります」 と紹介する。 日々に変 化する情勢の中で取引担当者は夜も眠れない日があり, また従業員には自律的な判断や活動 が求められた。 支配人の 「自分で色々の計画立てゝ自分で仕事を遣って行く」 という記述に は, 商社業務の特性や従業員に望まれる気質がよく表われている。 海外出張員や小規模な営業拠点ではさらに広範な権限が与えられ, 不祥事を誘発しかねな い素地になっていた。 社金流用で馘首された大連出張員 KF はその典型例であり, 書. 顛末調. は同人の業務を次のように説明する。. 販売事務ハ一個単独ナル出張員トシテ一切ノ処理ヲ為シ, 其ノ会計事項ハ上海支店ニ於テ 最後ノ整理ヲ為セリトハ云ヒ, 一出張員トシテ比較的多額ノ取引ヲ為シ, 其ノ商談ノ開始, 契約ノ交換, 荷物ノ受渡, 代金ノ領収等全般ノ事務ヲ処理スル為メニハ頗ル多忙ヲ極メタ 23). リ. 即ち取引相手との交渉, 商品の受渡し, 代金領収に資金管理といった雑多な作業を 1 人で遂 行し, 最終的な会計処理は管轄の上海支店が検認するとは言え, 多額の現金を手中にする機 会は豊富にあり, そうした幅広い業務が本社の監視が充分に行き届かない遠隔地の環境と相 俟って社費流用を誘引したと考えられる。 三井物産の分析では, 国内よりも海外の営業拠点 で違反行為が多発し, その反面で本社においては皆無に近く, また規模が小さな拠点ほど不 祥事が発生しやすいなどの観察結果が得られており, 従業員を監視統制する中枢からの距離 の遠さや, 従業員に与えられた広範な権限が秩序からの逸脱を招いている。 最後に AT の心理を付言するならば, 不遇感や焦燥感以外に投機取引に没入した最大の動 機が自己の栄達にあったのは間違いない。 ロンドンやニューヨークの駐在員が直貿易で好業 績を挙げていたのに比較して大連出張所の業績は劣り, その挽回に豆粕取引にのめり込んだ とも言われる。 従犯というべき HK は弟が大連の義信洋行に勤務し, 同社と大連出張所は大 豆代金や信用状発行をめぐって何かと疑惑が囁かれ,. 顛末調書. は 「HK 身辺ニ纏ハル暗. 黒面ナリ」 と何らかの不適切な便宜を計った嫌疑は濃厚である。 ただし帳簿改竄や巨額損失 の傍らで, AT たちに横領行為があったか否かは明らかではない。 6. 結. 語. 本稿は古河商事の大連事件を人的要因から検討した。 大連事件が AT の人格に起因したの は言うまでもないが, 同人が中等教育修了者だった点は三井物産や兼松で判明した不祥事と 学歴の観察結果と符合し, また中国という舞台も不祥事の多発地域の点で合致する。 もっと も大連事件には古河商事の様々な要因が複合的に影響し, トップ・マネジメントの弱さはそ.

(16) 70. 第216巻. 第. 2 号. の一つであった。 重役の陣頭指揮で会計システムを改革した兼松に対し, 古河商事では会計 係長の改善の提案は黙殺され, また兼松では重役が自ら帳簿を検査して不正行為 (無断の投 機取引) を発見し損害を最小限に抑えるのに成功しており, 膨張する損失を看過した古河商 事の重役との違いが浮き彫りになっている。 さらに AT の評価が重役と同僚で極端に異なり, 最後まで集約されなかったのは社内の意 思疎通に円滑さを欠いた状況を示している。 従業員の一体感や帰属意識が実現していたかは 疑問であり, すでに正社員として勤務する中初等教育修了者に対する差別意識は, 恐慌を乗 り切って経営拡大に成功した三井物産や兼松では見られない現象であった。 古河商事の組織 文化は内部統制を阻害し, それは従業員に大幅な権限を与える商社の特性を考慮すれば, 経 営を極めて危険な状態に陥らせていたと言えるのではないか。 文字化されたルールや社内監 査で従業員を完全に統制するのは困難であり, 規律のある効率的な集団形成には, さらに別 の手段が必要とされた。 おそらく最も効果的な方策は規範意識を備えた高等教育修了者を中 核にした従業員集団の構築であり, 帰属意識を高揚させる社内教育や社風の醸成 −換言す れば制度設定だけではなく従業員の意識の統制− も有効に機能したと思われる。 それらは 改めて別稿で検討したい。 古河商事が破綻した大正10年は第一次大戦の反動不況の最中で, 横浜の茂木合名会社・安 部幸兵衛商店・増田貿易, 大阪の久原商事, 神戸の湯浅貿易といった大商社が相次いで破綻 した時期に当たる。 しかし反動不況の最中でも古河商事の業績は大連事件発覚までさほど悪 化しておらず, 古河商事の破綻は従業員の規範意識の脆弱さによる不祥事, 即ち大連事件が 主原因であった。 従来の研究は漠然と同時期の企業倒産の理由を市況悪化に求める傾向が見 受けられるが, 古河商事で観察された内部統制の失敗がどの程度の企業で発生し, それが企 業の動向にいかなる影響を及ぼしたのか, あるいは投機取引による損失が発生しやすい商品 と企業経営の関連性などの問題は, 今後に解明すべき課題になっている。. 注 1) 近年の成果では間嶋崇 (2007), 樋口晴彦 (2012), 井上泉 (2015) を参照。 2) 社団法人日本監査役協会 (2009),. 企業不祥事の防止と監査役. 3) 管見では戦前期企業の不祥事を正面から扱った論考は武田晴人 (1980-a) と鈴木邦夫 (2014) だけであり, また陸軍内部の経理にまつわる本間正人 (2016) が報告されている程度にすぎない。 4) 三井物産の明治36 (1903) 年∼昭和23 (1948) 年の. 社報. の分析では, 口頭注意や減俸 1 ヶ. 月程度の軽い処分で済まされる一般的な違反行為は高等教育修了者が大部分を占めたが, 横領や 重大な取引上の手続き違反で解雇された不祥事17件の主体は高等教育修了者 4 名, 非高等教育修 了者13名という構成で, 明確な学歴別の差異が認められる。 藤村聡 (2017予定) 参照。 5) 武田晴人 (1980-a) 参照。.

(17) 古河商事 「大連事件」 の人的要因. 6). 顛末調書. 71. は大正 9 年下半期時点の損失額を25,726,166円と計算している。 これは商品取引. に伴う損失であり, 朝鮮銀行や横浜正金銀行に対する負債が同額以上に存在した模様である。 7) 東京大学経済学図書館所蔵 8) 顛末調書. 前編巻一, 第 1 章第 2 節 「満州特産品取扱ノ開始」. 9) 注 8 同 10) 顛末調書. 前編巻一, 第 1 章第 5 節 「鍋鉄及山西銑鉄ノ損失」. 11) 顛末調書. 前編巻四, 第 4 章第 1 節 「木村会計係長ノ会計検査」. 12) 山地秀俊・藤村聡 (2014), pp. 189202 13) 山地秀俊・藤村聡 (2014), p. 183 14) 顛末調書. 前編巻四, 第 4 章第 2 節 「兼本雑貨課長ノ満州視察」. 15) 顛末調書. 前編巻一, 第 1 章第 4 節 「大豆及大豆粕取扱ニ関スル専務指令書」. 16) 顛末調書. 前編巻七, 第 7 章第 2 節 「AT 主任ニ対スル詰問追究」. 17) 顛末調書. 前編巻七, 第 7 章第 3 節 「大連事件真相暴露」. 18) 顛末調書. 前編巻七, 第 7 章 「大連事件ニ対スル総括的批判」. 19). 前編巻一, 第 1 章第 1 節 「大連出張所主任 AT ノ選任」, 非学卒者の AT が入社後. 顛末調書. に必要な知識の修養に努めなかったという文言は濱中 (2013) や矢野 (2015) が提唱する 「学び 習慣仮説」 を想起させて興味深い。 20) 藤村聡 (2014) 及び清水・川村・藤村 (2015) 参照。 21) 茂木合名会社は. 茂木惣兵衛遺文集 , p. 245 を参照, 鈴木商店は. 昭和金融恐慌秘話. (朝日. 文庫, pp. 4547) を参照。 22) 伊藤忠合名会社 (1920), 「神戸支店員父兄諸氏に」, 23) 顛末調書. 紅之華. 151 第 5 号, pp. 147. 前編巻一, 第 1 章第 1 節 「大連出張所主任 AT ノ選任」 参. 井上泉 (2015),. 考. 文 献. 企業不祥事の研究 ―経営者の視点から不祥事を見る― , 文眞堂. 斎藤憲監修 (2007),. 企業不祥事辞典 ―ケーススタディ150― , 紀伊國屋書店. 清水泰洋・川村一真・藤村聡 (2015), 「戦前期の賃金分布:会社内・会社間比較」, 国民経済雑誌 第211巻第 4 号 鈴木邦夫 (2014), 「三井物産ニューヨーク事件とシアトル店の用船利益」, 武田晴人 (1980-a), 「古河商事と 大連事件 」,. 社会科学研究. 武田晴人 (1980-b), 「第一次大戦後の古河財閥」,. 経営史学. 三井文庫論叢. 第48号. 第32巻第 2 号. 第15巻第 2 号. 橋本光憲 (2001),. 金融不祥事と内部管理 ―銀行の組織風土を問う― , 星雲社. 濱中淳子 (2013),. 検証・学歴の効用 , 勁草書房. 樋口晴彦 (2012),. 組織不祥事研究 ―組織不祥事を引き起こす潜在的原因の解明― , 白桃書房. 藤村聡 (2007), 「戦前期兼松の人事採用」,. 神戸大学経済経営研究所 年報. 第56号. 藤村聡 (2008), 「創業期兼松の人員構成」,. 神戸大学経済経営研究所 年報. 第57号. 藤村聡 (2012), 「戦前期兼松の賃金構造 ―図像による概観の提示―」,. 国民経済雑誌. 第206巻第. 6号 藤村聡 (2014), 「戦前期企業・官営工場における従業員の学歴分布 ―文部省. 従業員学歴調査報.

(18) 72. 第216巻. 告 の分析―」,. 国民経済雑誌. 第. 2 号. 第210巻第 2 号. 藤村聡 (2015), 「戦間期鐘紡の職員構成 ―昭和12年名簿による職務と学歴の分析―」, 経済経営研究所 年報. 神戸大学. 第64号. 藤村聡 (2017予定), 「戦前期三井物産の規律と処罰」, 若林幸男編. 学歴と格差の経営史 , 日本経. 済評論社 古河鉱業株式会社 (1976),. 創業100年史. 本間正人 (2016), 「日本陸軍の経理上における非違行為」, 間嶋祟 (2007),. 軍事史学. 第52巻第 3 号. 組織不祥事 ―組織文化論による分析― , 文眞堂. 森川英正 (1966), 「日本財閥史における住友と古河」,. (法政大学) 経営史林. 第 3 巻第 2 号. 森川英正 (1980),. 財閥の経営史的研究 , 東洋経済新報社. 矢野眞和 (2015),. 大学の条件 ―大衆化と市場化の経済分析― , 東京大学出版会. 山地秀俊・藤村聡 (2014), 学経済経営研究所. 複式簿記・会計史と 「合理性」 言説 ―兼松史料を中心に― , 神戸大.

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