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Maketingu kenkyu niokeru kaishakuteki apurochi no hohoronteki haikei

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(1)Title Sub Title Author Publisher Publication year Jtitle Abstract. Notes Genre URL. Powered by TCPDF (www.tcpdf.org). マーケティング研究における解釈的アプローチの方法論的背景 松尾, 洋治(Matsuo, Yoji) 慶應義塾大学出版会 2005 三田商学研究 (Mita business review). Vol.48, No.2 (2005. 6) ,p.129- 155 本稿では,1980年代初頭の消費者研究において登場してきたマーケティング研究における解釈的 アプローチがどのような方法論に依拠しているのかを明らかにしていく。というのも,解釈的ア プローチには解釈の妥当性という重大な問題が指摘できるのであり,この問題を克服するために はまずその方法論を明らかにすることが焦眉の課題といえるからである。まず第2節では,解釈 的アプローチを構成している3つの研究プログラム(人文科学的研究プログラム,記号論的研究 プログラム,ナチュラリスティック・インクワイヤリー)の具体的な研究成果を確認した上で, それらが共通して「理解」の方法を擁護していることを明らかにする。次いで第3節では,その 方法を提供していると思われる3つの解釈学それ自体,すなわちロマン主義的解釈学,還元的解 釈学,存在論的解釈学それ自体をつぶさに見ていく。そして最後に,マーケティング研究におけ る解釈的アプローチがそれら3つの解釈学のどれに依拠しているのかを明らかにしていく。 Journal Article http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234698-20050600 -0129.

(2) 129 2005年4月26日掲載承認. 三田商学研究 第48巻第2号 2005年 6 月. マーケティング研究における解釈的 *. アプローチの方法論的背景. 松 尾 要. 洋. 治. 約. 本稿では,1980年代初頭の消費者研究において登場してきたマーケティング研究における解釈的 アプローチがどのような方法論に依拠しているのかを明らかにしていく。というのも,解釈的アプ ローチには解釈の妥当性という重大な問題が指摘できるのであり,この問題を克服するためにはま ずその方法論を明らかにすることが焦眉の課題といえるからである。まず第2節では,解釈的アプ ローチを構成している3つの研究プログラム(人文科学的研究プログラム,記号論的研究プログラ ム,ナチュラリスティック・インクワイヤリー)の具体的な研究成果を確認した上で,それらが共 通して「理解」の方法を擁護していることを明らかにする。次いで第3節では,その方法を提供し ていると思われる3つの解釈学それ自体,すなわちロマン主義的解釈学,還元的解釈学,存在論的 解釈学それ自体をつぶさに見ていく。そして最後に,マーケティング研究における解釈的アプロー チがそれら3つの解釈学のどれに依拠しているのかを明らかにしていく。 キーワード マーケティング研究における解釈的アプローチ,解釈の妥当性の問題,人文科学的研究プログラ ム,記号論的研究プログラム,ナチュラリスティック・インクワイヤリー, 完了」行動, 理解」 の方法, Diltheyのロマン主義的解釈学,Freud の還元的解釈学,Gadamer の存在論的解釈学. 1.問題の所在. これまで消費者研究において,消費者行動(研究対象)を分析し,説明するという目的の下に 様々な研究アプローチ(方法)が提出され,採用されてきた。消費者研究の萌芽期として位置付け られる1950年代にまで れば,経済心理学的アプローチや,モチベーションリサーチに代表される *. 本稿の作成にあたり,構想段階から親身になってご指導頂いた指導教授である堀越比呂志教授に心 より感謝を表したい。また特殊演習の場では,幾度となく貴重なご意見を頂戴した堀田一善教授,樫 原正勝教授,渡部直樹教授, 原研互教授,戸田裕美子助手,商学研究科大学院生諸兄に,この場を 借りて謝意を表したい。さらに,本稿の審査をして頂き,貴重なコメントを頂いた匿名のレフェリー の先生方にお礼を申し上げたい。.

(3) 130. 三. 田. 商 学 研. 究. 精神分析学的アプローチなどが指摘できる。1960年代に入ると,新行動主義的な心理学の流れを汲 む行動科学的アプローチが登場し,Howard-Sheth モデルなど周知のモデルが次々と提出された。 そして1960年代後半から1970年代にかけては多属性態度モデルに代表される態度理論が関心を集め るが,最も劇的だったのは認知心理学を基礎とした消費者情報処理理論が登場したことである。消 費者情報処理理論は,それまでの刺激−反応モデルでは分析不可能とされていた消費者のブラック ボックスを解明するという新たな分析視角を与えたのであった。また多属性態度モデルなどそれま で提出されてきた従来の理論を統合・包括していくことで理論的包摂性を高めていき,その後の消 費者研究の支配的な研究潮流になっていくのである(阿部[1984], p.121)。 さらに1980年代初頭には Holbrook や Hirschman の消費経験論を嚆矢とした解釈的アプロー 1). チが新たに台頭することとなる。解釈的アプローチはマーケティング研究における相対主義的な科 学観の台頭と時期を同じくしており,思想的にもその影響を色濃く受けているのであって,従来の 消費者情報処理理論を始めとする実証主義的な科学観を批判し,それに対立する形で登場したので あった。 実証主義的アプローチはもともと消費者の「選択行動」を「説明」し, 予測」することを主た る研究目標にしていたが,解釈的アプローチは従来の研究では軽視されがちであった消費者の「使 用行動」に着目し,それを「理解」することを新たに主張したのだった。とりわけこの「理解」は, 説明」や「予測」に取って代わる新たな方法として解釈的アプローチの中核に据えられており, この方法を旗印として当該アプローチは実証主義的アプローチに対する論陣を張るのである。両ア プローチは実際に1980年代から1990年代初頭にかけてどちらが消費者研究,ひいてはマーケティン グ研究を行っていく上でふさわしいのかをめぐる議論を巻き起こしている。それは「マーケティン 2). グ方法論論争」と呼ばれており,この論争では部分的には両アプローチが歩み寄りを見せることも あったが,大局的には両者物別れのまま終結してしまうのである。 その結果,消費者研究においては目下,消費者情報処理理論が支配的なパラダイムを築き上げて いる一方で,解釈的アプローチが隙間的な研究分野を新たに形成し始めている。またこのように両 パラダイム間での研究の棲み分けができつつあるなかで,アメリカやわが国においても解釈的アプ 3). ローチの具体的な研究成果は少なからず蓄積されてきている。しかしながら,提出される仮説は主. 1) 本稿で「マーケティング研究における解釈的アプローチ」あるいは「解釈的アプローチ」と言及す る場合,マーケティング研究において「理解」の方法を主唱し,擁護するアプローチの総称のことを 指している。この定義は便宜上,本稿第3節で紹介する解釈学それ自体の方法との混同を避けるため である。 2) 解釈的アプローチと実証主義的アプローチの論争は主として「マーケティング方法論論争」の下位 論争である「実在論論争」と「客観性論争」において交わされている。その詳細に関しては,特に堀 越( [1997-a],[1997-b] )を参照のこと。 3) 解釈的アプローチの具体的な研究に関しては次節で概観しているので,詳しくはそちらを参 にさ れたい。.

(4) マーケティング研究における解釈的アプローチの方法論的背景. 131. 観的な色彩が色濃く表れており,解釈的アプローチから受ける主観主義的な印象は拭いきれない。 また実証主義的アプローチに比べて,解釈がテストされる機会が少ないこと,さらには方法論的に もテストが軽視される傾向にあるという点を鑑みると,解釈または仮説が妥当なのかどうかを判断 4). できないという問題が指摘できるのである。 このように「妥当な解釈とはどのようなものか. 」が問われない研究状況は「解釈の妥当性の問 5). 題」として定式化できるが,この問題を正面から取り上げた研究はあまりない。それゆえにこの問 題を取り上げ,克服していく研究の必要性を痛切に感じるのである。そこで本稿では,解釈の妥当 性の問題を克服するための第1ステップとして,まずは解釈的アプローチの方法論的背景を探るこ とにする。すなわち解釈的アプローチがどのような方法論に依拠しているのか,より正確に言えば, 解釈的アプローチが擁護している「理解」の方法はどのようなものなのかを明らかにしていこうと 思う。 本稿の構成は以下の通りである。まず次節において,解釈的アプローチには3つの研究プログラ ム(人文科学的研究プログラム,記号論的研究プログラム,ナチュラリスティック・インクワイヤリー)が 展開している研究を概観した上で,それらの研究プログラムが「理解」の方法を擁護していること を確認する。そして第3節では,その「理解」の方法を提供していると思われる3つの解釈学それ 自体,すなわちロマン主義的解釈学,還元的解釈学,そして存在論的解釈学それ自体をつぶさに見 ていく。そして最後に,マーケティング研究における解釈的アプローチにおいて擁護されている 「理解」がそれら3つの解釈学のどの方法に依拠しているのかを明らかにしていく。. 2.解釈的アプローチのバリエーション. 一口に解釈的アプローチと言っても様々な研究が存在しているのであり,そのことが解釈的アプ ローチの研究にバリエーションや幅を持たせている。いまそれらを分類すれば,人文科学的研究プ ログラム,記号論的研究プログラム,ナチュラリスティック・インクワイヤリーという大きく3つ の研究プログラムに区分できるのであり,以下では各々で展開されている具体的な研究を簡単に確 認していく。. 4) 現在のところ,解釈のテストが行うことができないという方法論的な理由をむしろ逆手にとって, 解釈的アプローチの擁護者は各人各様好き勝手な解釈を多産しているといった観がある。 5) 解釈的アプローチの方法論について 察しているメタ研究論文としては,例えば Hirschman & ,Hudson & Ozanne[1988] ,武井[1997] , Holbrook[1992],Holbrook & OShaughnessy[1988] 石井[1993-b]といった研究者が挙げられる。しかしこれらの論文のいずれも,解釈的アプローチ の方法の紹介に終始してしまい「解釈の妥当性の問題」への問題にまで 察が及んでいないか,ある いは当該アプローチの相対主義的性格を強調するあまりにこの問題を等閑視してしまっているか,の どちらかである。.

(5) 132. 三. 田. 商 学 研. 究. 2-1.人文科学的研究プログラム 本稿の冒頭でも述べたように,1980年代初頭の消費者研究において,解釈的アプローチの台頭の 端緒となった研究が Holbrook と Hirschman による消費経験論であった。 消費経験論とは製品・サービスの使用経験に焦点を当てた研究のことであり,そこでは周知の 6). 「快楽的消費(hedonic consumption)」と呼ばれる新たな消費概念が提出されたのであった。Hirschman & Holbrook[1982]は「快楽的消費は製品使用における消費者の五感のイメージ,空想, そして情動の喚起として言及される。この影響の形態は快楽的反応と呼ばれるだろう」(p.93)と 7). 述べている。言い換えれば,快楽的消費とは製品やサービスの使用において情動やイメージの喚起 (情動的反応または快楽的反応)を伴う消費形態のことで,具体的には,音楽・演劇鑑賞,スポーツ観. 戦等の消費がこれに該当する。Holbrook らは,従来の消費者情報処理理論は製品・サービスの 「選択行動」の分析に注力するあまりに,その枠組みの下では快楽的消費を含めた製品の「使用行 動」が十全に取り扱われてこなかったことを批判し,そしてそれらを新たに研究する必要性を強調 8). したのである。 9). 次いで,Holbrook[1987]は「完了 (consummation)」という新たな消費概念を提出している。 6) 実際には,Hirschman や Holbrook が自身の研究を「消費経験論」と呼んでいるわけではないが, 彼らが消費の使用経験あるいは経験的側面に焦点を当てているということからわが国ではそのように 呼ばれることが多い。消費経験論を展開している代表的な論文としては,Hirschman & Holbrook [1982]と Holbrook & Hirschman[1982]の2つが一般的に挙げられることが多い。 7) 情動とは具体的には「愛,憎しみ,恐怖,喜び,退屈,不安,誇り,怒り,嫌悪,悲しみ,共感, 性欲,エクスタシー,強欲,罪悪感,上機嫌,羞恥心,そして畏敬の念といった多様な感情を含む」 (Holbrook & Hirschman[1982] , p.137)とされる。 8) 消費経験論の特徴は,消費者情報処理理論との対比の中で(1)心理的構成概念,(2)プロダク ト・クラス,(3)消費行動,(4)個人差,という4点に要約されている。 (1)多属性態度モデルでは信念や選好,態度といった心理的構成概念が取り扱われているけれども, そこでは情動という概念が下位概念として軽視されてしまっている。消費経験論では,むしろこの情 動的側面に光を当てた分析を行う(Hirschman & Holbrook[1982] , p.94)。(2)消費者情報処理理 論では主として有形の製品(タバコ・シリアル・洗剤など)を扱っているのに対して,消費経験論で は無形の製品(演劇・映画・オペラ・レコード・スポーツイベントなど)を中心に取り扱う(ibid.,p. 96-97)。また(3)消費者情報処理理論では製品・サービスに対する消費者の「選択行動」へ焦点が当 てられているのに対して,消費経験論ではその「使用行動」にフォーカスが当てられる。そして最後 に(4)消費者情報処理理論では消費者の個人差を規定する要因としてデモグラフィックス変数,サ イコグラフィックス変数,行動上の変数を措定している。対する消費経験論では,サブカルチャー変 数が消費行動を規定する主たる要因として挙げられており,サブカルチャーの相違が異なる情動的反 応を喚起すると えられている(ibid., pp.98-99 )。なお快楽的消費がサブカルチャーによって規定さ れていることを示唆した研究は Hirschman[1982]によってなされているので,詳しくはそちらを 参照されたい。 9) Holbrook は「完了(consummation)」を以下のように定義している。 (1)消費者研究は消費者 行動を研究する。(2)消費者行動は消費を伴う。(3)消費は製品の獲得や使用,そして廃棄を含む。 (4)製品は,潜在的に価値を提供するという点で獲得され,使用され,あるいは廃棄される財,サー ビス,アイデア,出来事,またはあらゆる他の存在物のことである。(5)目的が達成され,ニーズが 充足され,あるいはウォンツが満たされる場合,価値は,ある存在している有機体に対して生じるあ る種の経験である。(6)それらの達成,充足,あるいは満足が完了に達する。逆にいえば,目標を達.

(6) マーケティング研究における解釈的アプローチの方法論的背景. 133. 完了」とは,簡単に言えば,製品の「獲得・使用・廃棄」を含めた消費行動の総称のことである。 ここでは消費経験論で主張された製品の「使用行動」に加えて,新たに「獲得・廃棄」を含めた形 で消費を研究すべきだと主張されている。また「快楽的消費」や「完了」といった一連の概念を提 出するとともに,それらが人文科学的方法によって分析するべきことが主張されている(Hol)。従って,本稿では Holbrook と Hirschman の研究を総称 brook[1987] ,p.130;Hirschman[1986]. して人文科学的研究プログラムと呼ぶことにする。 人文科学的研究プログラムの具体的な研究成果としては,映画『Out of Africa』を解釈した Holbrook & Grayson[1986],WASP のサブカルチャーにおける消費行動を解釈した Hirschman [1986],映画『Tootsie』を解釈した Hirschman[1987]などが挙げられる。まずは Hirschman [1986]からみていこう。この論文では WASP の消費文化やライフスタイルを把握するために「理. 解」の方法が擁護されており,実際にそれに関する解釈が行われている。Hirschman によれば, 解釈を導出するまでにいくつかのプロセスを踏まなければならないが,いまそれを簡略化して言え ば,研究者が消費現場へと赴き,消費者との密接な交流を深めながら,研究者がいわば参与観察者 としてのスタンスを採りつつ,解釈を構築していくというプロセスを ることになる。 また Hirschman は解釈を構築する方法に関して次のように述べている。 研究者は他者(消費 者)の実在を知ること,すなわち彼らがどのように思い,感じ,そして信じているのかを理解する. ことができなければならないので感情移入が必要になる。研究者の感情移入を通じて獲得された解 釈は次に解釈に達するために個人的な直観と結合されなければならない」(Hirschman[1986], p. 240, 括弧内は付加)。つまり研究者は参与観察を伴う感情移入によって消費者の心理状態へと接近し,. そして消費者と同じ心理状態を獲得することを通じて,消費者の価値観やライフスタイルを「理 解」することができるのである。実際に Hirschman は WASP の生活の中へと入り込み,そこに 通底している消費文化を解釈している(ibid., p.243)。. 著者は,組織へと参加し,仕事や遊びの中で WASP の消費を観察し,夕食を食べ,協会へ出 席し,政治的な議論を交わしたり,あるいは百貨店やスーパーで買い物をすることで,フィー ルド視察におよそ18ヶ月もの歳月を費やした。獲得された知識の断片は,突如としてあるパ ターンが現れるまで,ごたまぜの中に漂っているように思えた。WASP の消費者がいくつか 成すること,ニーズを充足させること,あるいはウォンツを満たすことに失敗すれば,完了は挫折す る。(7)(起こりうる挫折も含め)完了の過程は,それゆえに,消費者研究にとって基本的な主張で ある」(Holbrook[1987], p.128)。 この「完了」という行動はマーケティングや消費者研究ではあまり馴染みがないが,心理学におい ては「完了」行動(consummatory behavior)と呼ばれるものである。それは動物が種に固有の行 動,すなわち本能的行動を実行することによって,その行動を生起させた欲求(衝動)を解消させる ことを指す。つまり,行動は何らかの形で欲求や衝動と結び付いており,行動が発現し,終了すると いうことは,その行動を生起させた欲求が解消したと言えるのである(中島[1999] , p.149 )。.

(7) 134. 三. 田. 商 学 研. 究. のコンテクストの中で著者に言語的に表現したり,あるいは他の記録的的証拠が示唆している ような中核的な価値の周辺を形成しているパターンは彼らの世界観の基盤である。突如(のよ うに思えた),著者はこれらに共通する価値(例えば,実践性,保守主義,個人責任,自己統制). が実際にそれらの消費者のライフスタイルのすべての諸側面――すなわち,衣服の選好から自 動車,余暇活動に至るまで―― の中に表出していることを理解したのであった。一旦,この 「コード」の価値が理解されると,消費のあらゆる領域にそれが現出していることが確認され, そのサブカルチャーの本質が明らかとなったのである。. 以上のように,積極的な参与観察を続けていく中で Hirschman は WASP の消費行動には実践性, 保守主義,個人責任,自己責任といった価値が一貫して表出していることを明らかにしたのだった。 次に,この研究プログラムに特徴的なことは,実際の消費者行動に加えて,映画などの芸術作品が 10). 解釈されていることであろう。その代表的な事例としては Holbrook & Grayson[1986]による映 11). 画『Out of Africa』の解釈が挙げられる。彼らは『Out of Africa』の中で描かれている消費財や 登場人物の消費行動が作品の意味を伝達する重要な役割を果たしていると. えている。それらは. 「消費の象徴的表現(consumption symbolism)」と呼ばれているが(Holbrook & Grayson[1986], p. 12). 375),彼らはこれらの象徴的表現を解釈していくことを主題とするのである。そして彼らはそこか. ら以下のような含意を引き出している。. 10) 人文科学とはもともと人間性の本質を探究する学問であり,それに迫るための手引きとしての文 学・芸術・哲学・歴史などを解釈することが中心的な活動であった。そこにおいて,テクストは「人 間の諸条件に関する意義深いことをあれこれと述べており,またそれとともに人生に関する重要な何 かに関しても言及しているとされた。それゆえに(人文科学ではテクストが)広い意味での縮図とし ての人間(microcosm)として解釈される」(Holbrook, Bell & Grayson[1989 ], p.35, 括弧内は付 加)のである。また Holbrook は同様に以下のように述べている。 幾人かの研究者が,芸術作品そ れ自体が消費行動に直接的な洞察を与えるかもしれないこと,また消費象徴主義が芸術作品の解釈に 導くことを示唆しており,また体系的な内容分析は漫画,シリーズ番組,小説,そして広告の中に見 受けられる消費に関するテーマに取り組んでいる。より一般的に,われわれは何者なのかということ に関する理解や,われわれはどこに向かっているのかということに関する説明を明確にするのに役立 つ物語を提供しており,この点で人文科学は消費者研究において役割を果たすだろう」(Holbrook [1987] , p.130)。 このように芸術作品が消費者行動に関する何かを語っており,また消費者研究の題材を提供してい るとみなすという理由から,Holbrook らは映画や小説における登場人物の消費行動を解釈していく のである。 11) この映画は邦題『愛と悲しみの果て』として出版されているので,ストーリーや登場人物に関する 詳細はそちらを参照されたい。 12) 消費の象徴的表現には主要なものと,副次的なものがあり,前者が映画の主要テーマと大まかな性 格描写を展開させ,後者が筋書(plot)と登場人物の微妙なニュアンスを表現することに役立ってい るとされる(Holbrook & Grayson[1986] , p.375)。また,副次的な消費の象徴的表現は具体的に, 以下の6つのテーマを伝達する役割を果たしているとされる。それは,(1)地位の順位付け,(2)カ ルチャー・ショック,(3)登場人物の微妙なニュアンス,(4)感情的な愛着,(5)知的な雰囲気,(6) 時間の推移,である(ibid., pp.377-378)。.

(8) マーケティング研究における解釈的アプローチの方法論的背景. 135. まず(1)登場する製品がその映画のコンテクストの中で記号的示唆を与えていること,である。 13). このことは例えば,登場人物たちの豪奢な消費がヨーロッパのライフスタイルを象徴している,あ 14). るいは消費財が登場人物の社会経済的な地位を体現している,といった記述の中に見出すことがで きる。Holbrook & Grayson はヨーロッパのライフスタイルを詳細な形で描き出そうとしている けれども,これは一般的に登場人物の消費パターンを特定化する試みであると言える。 次に(2)この映画の中では快楽的消費の事例が示唆されていること,である。例えば,愛人の Denis から贈られた蓄音機や黄色いペン,コンパスなどは,主人公の Karen にとっては単なる消 費財ではない。それらには Denis の記憶や彼への愛情が付着しており,Karen がそれらを使用す るたびに Denis への愛情や記憶が蘇るのである(ibid., p.379)。明確に言及されているわけではない けれども,このように情動の喚起を伴う種類の消費はまさしく先の快楽的消費である。従って,こ れらの事例は快楽的消費を「理解」するために取り上げられていると えられるのである。 では,以上のような芸術テクストを「理解」するための方法とはどのようなものであろうか。 Holbrook は「理解」の方法を擁護する中で次のように言及している。 解釈者の全体的なテクス トの一時的な把握はその部分的な最初の解釈を導く。次いで,詳細な読解を行うことが,その原文 の全体像の修正へと導く。読者とテクストとの間の対話はまた不合理なものとは異なり,妥当性を 増していく方向でその修正へと向かう傾向がある」(Holbrook & O Shaughnessey[1988], p.400)。 次節において再び論じるが,解釈がテクストとの関係の中で修正されながら,その妥当性を獲得し ていく「解釈学的循環」のプロセスを内包しているのは Gadamer の「理解」である。従って, Holbrook は Gadamer の「理解」に依拠していると. えられるが,このような Gadamer の方法. の擁護は後の Hirschman との共著『Postmodern Consumer Research』[1992]の中で「社会科学 の研究者にとって,この(解釈的)アプローチの最も良いモデルは Gadamer の研究の中に見出せ るだろう」(p.87, 括弧内は付加)と明確な形で述べられることになる。 以上,人文科学的研究プログラムの研究を概観してきたが,そこでは実際の「完了」行動ととも に,映画に代表される芸術作品上の「完了」行動までもが分析の対象となっていること,及びその 2つの分析対象に対応する形で2つの異なる「理解」の方法が擁護されていることが特徴として挙. 13) 例えば,Karen が水晶やリモージュ産の陶器をアフリカの生活へと持ち込んでいることや,ある いは Karen と Denis は「真新しいテーブルクロス,豪奢な席,クラシック音楽の名匠たちによる心 地よいディナー・ミュージック,花瓶,そして先に登場したワインクーラーに囲まれての食事をする」 (Holbrook & Grayson[1987],p.376)場面から,Holbrook & Grayson は「この支配的で,一徹で, ほぼ保守的とも言うべき(ヨーロッパの)消費パターンが『Out of Africa』の核心である」(ibid.,p. 376,括弧内は付加)と主張している。また Karen の家やその中にある物がヨーロッパ文化を象徴し ているという記述もある(ibid., p.377)。 14) 例えば,主人公が着用している無機能的な衣服(Karen が結婚式で着用していた頭を覆うような ベール付の帽子など)が高い社会的地位を象徴しているとされる(Holbrook & Grayson[1986] , p. 378)。.

(9) 136. 三. 田 図1. 商 学 研. 究. 記号論の概要. コード体系(ラング) 統辞規則 意味規則. バ. 送. ロ ー. 者. シ ニ 記 号 ィ 内 エ 容. ル. シ ニ フ ィ ア ン. 記 号 表 現. コード変更・作成 コンテクスト. シ ニ フ ィ ア ン. 記 号 表 現. シ 受 ニ 記 号 ィ 内 エ 容 者. コード変更・作成 コンテクスト. 伝 達 の 記 号 論. 意 味 作 用 の 記 号 論. (出典)堀越[1988], p.18 より転記して記載. げられる。. 2-2.記号論的研究プログラム 記号論的研究プログラムの代表的な研究としては,星野克美による記号論マーケティング(星野 [1984]; [1985] ;[1991]; [1993])が挙げられる。記号論マーケティングは1970年代から1980年代に. おけるわが国の市場の混迷化に伴う従来のマーケティングの不振を打開すべく登場したのであった。 当時,消費者のニーズやライフスタイルが個性化,多様化が進んだ結果として,マーケターには市 場が把握し辛く混沌として見えたのであり,また実際に企業によるマーケティングが実際に通用し なくなった,あるいは不振に陥ったと言われた時期でもあった(星野[1985], p.12)。 このような市場のカオス的状況に対して,記号論という観点から一つの分析枠組みを与えたのが フランスの社会学者 Baudrillard であった。 『物の体系』以来の一連の著作において,Baudrillard は消費が製品の「有用性」ではなく,イメージ的または記号的な「差異性」によって営まれている ことを指摘した。そして彼の記号消費社会の理論は当時の日本の経済をうまく説明していると え られ,広く受容された。またマーケティングにおいても記号分析的なアプローチを利用した市場分 析に期待が寄せられるようになり,星野[1984]によって記号論マーケティングが提出されるに 至ったのである。 記号論マーケティングの理論的基礎を提供している記号論の基本構想に関しては,堀越[1988] によってすでに概説されているので,まずはそちらを確認しておこう。 記号論において,記号現象は記号の送信者,受信者,記号(記号表現・内容)から構成されてお.

(10) マーケティング研究における解釈的アプローチの方法論的背景. 137. り,送信者と受信者の間におけるメッセージの作成と交換行為はパロールと呼ばれている。またパ ロールには2通りあり,受信者によって一義的な記号の意味(デノテーション)が確定される場合 と,多義的な意味(コノテーション)が引き出される場合に分けられる。そして前者の過程を取り 扱う領域は「伝達の記号論」 ,後者の過程を取り扱う領域は「意味作用の記号論」と呼ばれている (堀越[1988] , p.18)。. この記号論的枠組みを援用して,記号論マーケティングでは送信者・受信者・記号が企業・消費 者・4P などのマーケティング諸手段へと置き換えられるている(堀越,前掲書,p.19)。なぜなら, そこでは企業のマーケティング活動によってメッセージが送信され,そのメッセージが消費者に よって読み取られること,すなわち企業と消費者の間でメッセージの授受がなされるという意味で ある種のコミュニケーションが生じていると. えられているからである。こうして記号論マーケ. ティングではマーケティング活動が記号を交換する言語活動とのアナロジーとして捉えられるので 15). ある。 では記号論マーケティングは何を分析するのだろうか。Baudrillard は消費が「物の有用性(デ ノテーション)」ではなく「差異性(コノテーション)」によって営まれていることを示した。つまり. コノテーションの領域の研究のシフトを促したことが Baudrillard の功績であるが,星野はその功 績を基本的には評価しながらも,他方で消費をすべて「差異の欲求」や「差異性」から一元的に説 16). 明してしまうことには批判的である。むしろ記号論マーケティングは消費者が製品にどのような欲 望を投影しているのかを問題にするのであり,とりわけコノテーションの内容を分析する必要性を 主張するのである。 そこで星野は新たに Jung の「集合無意識(collective unconcious)」という概念を導入する。星 野によれば, 集合無意識はコミュニケーションにおいても作用し,送り手と受け手が個々のコ ミュニケーションに先立って意識の潜在下において意味的世界を共有することを可能にし,メッ セージの伝達と意味解釈を促進したりメッセージに固有の意味を付加する働きをする……集合無意 識――元型的イメージは,有形のコードを超えて意識下の世界でのコミュニケーションを支配して いる」(星野[1984], p.112)。つまり特にコードが不明瞭なコノテーションの場合には,集合無意識 なるものが作動し,企業と消費者の間の記号の交換を可能にするという。そこで記号論マーケティ ングは,コノテーションを背後から規定している集合無意識の解読を研究目標に据えるのである。 15) Baudrillard の「消費される物になるためには,物は記号にならなくてはならない」という「記号 になった物」の命題を受容したことに基づいている(星野[1985] , p.14)。 16) 星野は以下のように Baudrillard を批判している。 豊饒にして高度な消費文明においては,物は 有用性はもとよりたんなる差異性だけでもなく,必要性をはるかに超えた人間の欲望そのものと深く 関わることによって記号に化すのだといってよい。つまり物は,いまや欲求を充たす有用性でも他者 との存在を分かつ差異性だけでもなく,解放されんとする本能的欲望のイメージを体化した象徴性に よって記号化するのだ。物とは,欲望のイメージをコノテーションの深部に意味作用する記号なので ある。」(星野[1984] , pp.91-92)。.

(11) 138. 三. 田 図2. 商 学 研. 究. シティの解釈. S:玩具のような車 Sa: トール・ ボーイ」. Se:仲間のような愛すべき存在 Sa:若者に人気の車 Sa: ライフ・ ビーグル」. Se:おもしろ感覚 かわいい感覚. Se:ニュースに あふれた車. Sa:小型エンジン, Se:高性能, 高出力,低燃費, 効率性, 低価格,広い車室 経済性 (出典)星野[1984] , p.127 より転記して記載. では集合無意識を解読する方法とはどのようなものであろうか。星野は,数多くの記号が錯綜す る混沌とした現象の中から意味ある記号を採取し,そこから何らかの生活様式や消費パターンを発 見することは困難な作業であるが,しかしながらそれを可能にする方法はあると主張する(星野, 前掲書,pp.38-39 )。すなわち Peirce のアブダクションにその可能性を見出すのである。アブダク. ションとは「世界の意味を表象する問わず語りの記号から,解釈者の無意識の中にすでに存在する 意味仮説を構成する要素に記号を――実は記号が抱く意味――を,稲妻のようなひらめきの一瞬に おいて結合させる行為である」(星野,前掲書,p.39)。このような閃き的な「直観」によって,集 合無意識を反映したコノテーションが導出できるとされるのである。 最後に,星野によって行われたホンダの小型自動車シティの記号解釈をみておこう。彼は従来の 乗用車とシティを比較する中で,シティが有している小型のエンジン・高い出力・低い燃費・安い 価格・効率的な車内空間という性能や特徴から,まず「高性能・効率的・経済的」というデノテー ションを導出する(星野,前掲書,pp.125-126)。同様にしてシティの個性的なデザインや親しみや すい「トールボーイ」という愛称などから, ニュースにあふれた車・おもしろ感覚・かわいい感 覚・仲間のように愛すべき存在」といったコノテーションを導出している。それらは図2のように 要約されている。このように製品を記号とみなし,そこから物的な有用性としてのデノテーション だけでなく,集合無意識を反映した形でコノテーションを解読することが記号論マーケティングの 特徴であると言えよう。. 2-3.ナチュラリスティック・インクワイヤリー ナチュラリスティック・インクワイヤリーの代表的な研究者としては Belk, Sherry & Wallendorf[1988]が挙げられるが,それはもともと社会学者の Lincoln & Guba[1985]によって提唱 17). された定性的な研究方法である。 そこでは行為者(消費者)の解釈過程を再構成( 理解」)することが研究の主題なのであり,そ.

(12) マーケティング研究における解釈的アプローチの方法論的背景. 139. のために行為者(消費者)を取り巻くコンテクストを捨象することなくホリステックに捉えること 18). が肝要とされ,最終的に「分厚い記述(thick description)」と呼ばれるコンテクスト依存的な現象 の説明を提出することを目的としている(Belk, Sherry & Wallendorf[1988], p.449,450)。まずはナ チュラリスティック・インクワイヤリーの研究プロセスを概観し,そこで擁護されている「理解」 の方法を確認していこう。 ナチュラリスティック・インクワイヤリーは研究者が実際にマーケティング現場へと赴き,デー タ収集・分析を行い,そして最終的に解釈を提出するという研究プロセスを る。データ収集では 控えめな観察,参与観察,深層面接などが実施され,獲得されたデータはフィールドノートや日記, 写真,ビデオテープなどに記録され,保管される(ibid., pp.449-450)。また心理学,社会学,そし て人類学といった社会科学の諸学科から召集された学者からなる研究チームや自己駆動(autodriving)などの技術も利用される(ibid.,pp.453-455)。さらにナチュラリスティック・インクワイヤリー. は目的サンプリング(purposive sampling)と呼ばれるサンプリング・デザインが採用されている。 一般的に実証主義的研究ではサンプルの内容・範囲・数量等に関わるデザインが事前に決定される が,ナチュラリスティック・インクワイヤリーでは事前にそれが決定されない。つまりサンプリン グ・デザインは研究の進行状況にあわせて適宜発展,修正されていくという柔軟なスタンスが採ら れるのである。 以上のようなデータ収集の後には,解釈を導出し,テストするデータ分析のプロセスが続く。解. 17) Lincoln & Guba[1985]では直接的には言及されていないけれども,ナチュラリスティック・イン クワイヤリーは Schutz の現象学的社会学,Garfinkel のエスノメソドロジー,あるいは Blumer の シンボリック相互作用論といった社会学における「解釈的パラダイム」(山口[1982] , p.134)と呼ば れる一連の意味研究の流れを汲んでいると思われる。というのも, 解釈的パラダイム」においては 反 Parsons,または反構造−機能主義というテーマが一貫して継承されているのだが,そのテーマは ナチュラリスティック・インクワイヤリーにおいても同様に表れているからである。 構造−機能主義は人間の行為がある一定のルールに支配されていると仮定している。内面化された ものであれ,制度化されたものであれ,そのルールはある特定的な状況(S)の下では特定の行為 (A)を引き起こすのである。従って,観察される個々の行為や相互作用はそのルール(S,A)が表 出した事例とみなされ,それら諸行為は自然科学的な演繹的推論によって説明されるのである(山口, 前掲書,p.134)。 それに対して,解釈的パラダイムでは,行為は相互作用が単なるルールの具体化とはみなされない。 そこでは(S)であれば(A)と受動的に反応するのではなく,むしろ「行為や相互作用を不断の意 味解釈過程として捉え,そのなかで行為が形成され,新たな意味付与が行われ,それとともに行為を とり囲む状況もまたたえず新たに定義しなおされ,つくり変えられていく,当事者間の相互了解過程 として捉え」(山口,前掲書,p.134)られるのである。解釈的パラダイムは,多かれ少なかれ,この 「相互了解過程」を取り扱うのであるが,そこでは構造−機能主義によってなされるような演繹的な 説明ではなく,行為者の内面へと入り込み,そしてその内的過程を再構成する「理解」の方法が採用 されるのである。 18) 分厚い記述とは「もともとイギリスの哲学者 Gilbert Ryle が用いた表現を,人類学者 Criford Geertz が人類学的解釈の特徴を示す熟語として特殊化したもの」(Flick[1995] , 同訳, p.391)であ る。分厚い記述においては,あるコンテクストの中で出来事をいかに詳細な形で記述し,説明できる かが問われている。.

(13) 140. 三. 田. 商 学 研. 究. 釈導出の手続きではデータから解釈が帰納的に導出されるのであり,それは帰納的データ分析 (inductive data analysis)と呼ばれている(Lincoln & Guba[1985] , p.203)。そしてその手続きに. よって導出された解釈はメンバー・チェックや外部監査,三角測量といった種々のテストにさらさ 19). れることになる。以上がナチュラリスティック・インクワイヤリーの研究プロセスの概要であり, このプロセスを通じて解釈が導出されるのであるが,しかしながらその「理解」の方法がどのよう な特徴を持っているのかに関して,Belk らは明確な形での言及を避けている。従ってこの点に関 しては推測するより他ないのであり,次節4項で改めて検討することにする。 最後に,Belk ら[1988]によって提出されたレッド・メサ交換即売会(Red Mesa Swap M eet)に 関する解釈を確認しておこう。交換即売会とは蚤の市やガレージ・セールのようなもので,屋外で 20). 催される交換取引所のことである。 Belk らは蚤の市,ガレージ・セール,チャリティー・バザー等 を取り上げた多くの先行研究をレビューし, 人々が実際に交換即売会に関与するようになるプロ セスを る研究はほとんどない」(ibid., p.458)と指摘した上で,交換即売会では「非経済的な諸特 徴が,郊外のショッピングモール,百貨店,ファーストフードの販売店といった慣例的に研究され ている小売環境ではほとんど見られない,あるいは全く見受けられないような興味深い機能を果た している」(ibid., p.458)と主張している。非経済的な諸特徴は非経済的動機と言い換えて差し支え ないだろうが,ここで Belk らは交換即売会へ集まる売り手と買い手の非経済的動機を探ろうとす るのである。 Belk らはレッド・メサ交換即売会へ集まる売り手と買い手の非経済的動機として4つのテーマ (①自由対規則,②境界対変遷,③競争対協調,そして④神聖なもの対通俗的なもの)を導出している。. ここでは①自由対規制というテーマを中心に取り上げておこう。Belk らは「当該交換即売会にお ける売り手と買い手の双方にとって重要な動機とは自由であり,それはしばしば経済的動機を凌駕 する」(ibid., p.462)と述べている。例えば売り手が当該即売会へ集まるのは「仕事,店,会社,売 り上げや所得税,そして行動等にまつわる屋内の格式ばった小売規則などの制度的制約から逃れる ことを享楽している」(ibid., p.462)ためである。また実際に売り手が当該即売会の規則を頻繁に軽 視・無視しているという事実が確認されるという。以上のことから,売り手の行動は秩序や規則か ら逃れ,自由を享受したいという動機に基づいていると結論付けるのである。. 19) メンバー・チェックとは,サンプルのメンバーとして協力を得た情報提供者に対して,当該プロ ジェクトの報告をし,彼らに解釈の妥当性をチェックしてもらう作業である(Belk, Sherry & Wallendorf[1988].,pp.455-456)。また外部監査とは,ナチュラリスティック・インクワイヤリーに精通 した研究者に解釈のチェックを依頼することである。そこでは主として 解 釈 が 完 全 な データ 群 (フィールドノート,日記,写真,ビデオテープ)から論理的に導出されているかどうかがチェック されるのである(ibid., pp.456-457)。 20) レッド・メサ交換即売会の立地,会場の雰囲気,売り手と買い手の情報などに関しては Belk, Sherry & Wallendorf[1988](pp.458-462)によって詳細に記録されているので,そちらを参照さ れたい。.

(14) マーケティング研究における解釈的アプローチの方法論的背景. 141. 他方, 買い手における自由という動機は彼らが購買する製品群に表象されているという(ibid.,p.462)。. われわれが同伴したある母親は,自分の買い物をしている間,彼女の息子の楽しみとして中古 の玩具の銃を買い与えた。ある大きな陳列棚では,ナイフ,剣,メリケンサック,そして他の 準軍備的な武器が提供されていた。10代に人気のファッションである軍の迷彩服は,他のいく つかの大きな陳列棚でも提供されていた。映画『ランボー:First Blood,Part II』やマリ ファナの葉が描かれたポスター,そしてモーター・サイクル・クラブの印は何人かの商人が販 売していた。他の商人は,石膏でできた骸骨の彫像やナチスのヘルメット,反逆の旗,卑猥な 言葉が記されたTシャツや帽子,そして同様のタトゥーを提供していた。それらの商品は,伝 統的な規則への抵抗の雰囲気を強化するほど十分に目立っていた。. これらの製品群が象徴していることは「伝統的な規則への抵抗の雰囲気」(ibid., p.462)であり,買 い手はこの雰囲気を味わうためにそれらの製品を購入するのである。このように買い手の購買行動 も同様に自由に動機付けられているとされるのである。 以上のように,売り手と買い手の双方がレッド・メサ交換即売会へ現れる動機は,ともに自由を 追求するためであると説明されている。つまりそこでは売り手も買い手も財の経済的動機に基づい た交換を行うべく当該即売会に現れるのではなく,何らかの非経済的動機に基づいて行動すること 21). が例証されているのである。. 2-4.解釈的アプローチによる研究の特徴 これまで解釈的アプローチの主要な3つの研究プログラムを概観してきたが,次にそれらの個別 的な議論を総括して,3つの研究プログラムの全体としての解釈的アプローチの研究が実証主義的 アプローチのそれとどう異なるのか,あるいは別の言い方をすれば,解釈的アプローチの研究のど こが新しいのかという点を明らかにしていく。それは大きく2つの側面から,すなわち対象と方法 の両面から論じられるのであり,まずは対象の方から見ていくことにする。 研究対象の特徴としては,解釈的アプローチが「完了」行動という新たな研究対象を見出すこと によって消費者研究の領域を拡大したことが挙げられる。この拡大傾向は以下の2点から示すこと. 21) 例えば,神聖なもの対通俗的なものという4番目のテーマにおいても,非経済学的動機に導かれた 売り手の行動が例証されている。そこでは,離婚した前夫のゴルフクラブを販売する女性の事例 (Belk,Sherry& Wallendorf[1988],p.461)が挙げられている。Belk らによれば,彼女の販売行動 は,神聖なもの(特別な意味が染みこんでいるゴルフクラブ)を通俗的なもの(市場価値を持つゴル フクラブ)へと変換するプロセスであるとされる。言い換えれば,ゴルフクラブを販売する動機とは 「生活の一部だった物にこびりついた自分自身の一部を販売する(ないし,彼ら自身から遠ざける)」 (ibid., p.465)ためであり,そのことはすなわち前夫を忘れるためであるとされる。.

(15) 142. 三. 田. 商 学 研. 究. ができる。まずは,(1)実際の消費概念が「完了」にまで拡大されたことである。それは「快楽的 消費」に新たに注目したこと(選択行動から使用行動への拡大)と,Holbrook[1987]が「完了」と いう概念を提出したこと(獲得・使用・廃棄行動への拡大),の2段階から成っていた。この「完了」 という概念が導入されたことによって,獲得・使用・廃棄行動が新たに研究対象として追加される 22). ことになったのである。 次に(2)解釈的アプローチは実際の消費者行動だけではなく,小説や映画といった芸術作品上 の消費者行動を分析対象にしていることである。Holbrook & Grayson[1986]による映画『Out of Africa』の解釈はこのことを示す良い事例であるが,ここには実際の消費者行動だけでなく, 23). 芸術作品などのテクストを分析対象にまで含めるというもう一つの拡大傾向が指摘できる。このよ うに芸術作品をも分析対象に含める理由は,テクストに描かれている「完了」行動を分析すること が,実際の「完了」行動のよりよい「理解」に繫がるからである。つまるところは,実際の「完 了」行動を「理解」する,あるいはその「理解」を深めるための手段として芸術作品が用いられて いるのである。 次に,方法に関して,これまでの議論からも明らかな通り,実証主義的アプローチの「説明」や 「予測」といった方法に対して,解釈的アプローチは独自の歴史的方法である「理解」を擁護した のだった。両アプローチが異なる方法を擁護するようになったのは,研究対象とその取り扱い方に 関して双方の見解が相違しているからである。すなわちそれは研究関心の相違と言い換えられるけ れども,このことに関して Hudson & Ozanne[1988]は以下のように述べている(p.511)。. 実証主義者は研究を一般化していくアプローチを採用する。すなわち彼らは無限の現象,人間, 状況,時間に理論上適用可能な普遍的かつ抽象的な法則を探し出す。言い換えると,実証主義 者は時間−文脈的に自由な一般法則,または法則定立的な言明を同定しようとする。反対に,解 釈主義者はより歴史的,個別的な研究アプローチを採用している。すなわち彼らはある特定の 時間と空間における特殊な出来事を研究するのである。解釈主義者は法則めいた規則性を確定 しようとするよりは,むしろ時間−文脈的に制限された動機,意味,理由やその他の主観的経験 を確定しようとする。Geertz はこの文脈依存的な説明様式を「分厚い記述」と呼んだ。この. 22) 記号論的研究プログラムやナチュラリスティック・インクワイヤリーもまた「完了」行動という指 針に沿った形で研究を行っているのであり(例えば,脚注20で取り上げた前夫のゴルフクラブを販売 する女性の行動は廃棄行動を示す一事例である),この種の拡大傾向はおおむね解釈的アプローチ全 体の特徴とみなしてよいと思われる。 23) このようなテクスト分析の試みは目下,Hirschman や Holbrook の人文科学的研究プログラムに 特有なものであり,解釈的アプローチの特徴として一般化することには疑問が提起されるかもしれな い。しかしながらこの新しい意欲的な試みは消費者研究の領域の拡大という点に大きく貢献している のであり,無視できない重要性を持っていると思われる。従って,同じく研究対象の拡大傾向を示す 第2のものとして指摘しておく。.

(16) マーケティング研究における解釈的アプローチの方法論的背景. 143. ような焦点の相違――普遍的対個別的――は2つの研究プログラムの違いを構成するのである。. 実証主義的アプローチにおいては,個々の出来事が普遍法則へと包摂されると えられており,そ れゆえにそれは法則の一事例とみなされている。従って,その出来事は法則によって演繹的に「説 明」または「予測」されると えられている。それに対して,解釈的アプローチが関心を持ってい る特殊な出来事(すなわち「完了」行動)は時間的にも空間的にも制限された出来事であり,普遍 法則の一事例とはみなされない。従ってこの特称的な出来事に対しては「説明」や「予測」といっ た方法は適用できないと えられている。ここに「説明」や「予測」に取って代わる新たな研究方 法が要請されるのであり,それに答える形で「理解」という研究方法を擁護するに至ったのである。 Hudson & Ozanne は,このような両アプローチの関心の相違を「普遍的対個別的」として定式化 しているけれども,Popper の言葉を借りるなら,実証主義的アプローチは理論的関心に,そして 24). 解釈的アプローチは歴史的関心に基づいていると言い換えられよう。そしてこの2つの研究関心の 相違が両アプローチの方法の相違を引き起こしているのである。 以上のように,解釈的アプローチの研究の特徴は, 完了」行動という概念を提出することに よって研究対象を拡大したこと,そしてその「完了」行動を分析するために歴史研究の方法として の「理解」の方法が擁護したことの2点に集約されるだろう。また研究対象の拡大には実際の消費 行動を「完了」にまで拡大したことと,芸術作品上の消費行動をも分析対象に含めるという2種類 の拡大傾向を指摘した。このように研究領域を拡大し,そこに消費者研究の新たな可能性を見出し たことに対しては一定の評価を与えてもよいと思われるが,しかしながらそこで採用されている方 法には問題があり無条件には擁護できないのである。そこで次節では,その「理解」の方法を提供 していると思われる解釈学をみていくことにする。. 3.方法論的基礎としての3つの解釈学. これまでマーケティング研究における解釈的アプローチの諸特徴を確認してきたが,ここでは解 釈的アプローチに方法論的基礎を与えていると思われる解釈学自体を概説していく。具体的には, ロマン主義的解釈学,還元的解釈学,そして存在論的解釈学といった3つの立場が挙げられる。それ ら3つの解釈学を説明した後に,3つの解釈学と解釈的アプローチとの対応関係を示すことにする。. 24) 理論的関心と歴史的関心という区別は,Popper によって示された理論的科学と歴史的科学という 2つの科学の区別に基づいており,またそれに対応している。理論的関心とは法則や一般化を希求す る研究態度のことであり,歴史的関心とは現実の個別的な事実,すなわち特称的な事実を説明しよう とする研究態度のことである(Popper[1957] , 同訳, pp.216-222)。.

(17) 144. 三. 田. 商 学 研. 究. 3-1.ロマン主義的解釈学 ロマン主義的解釈学とは,数ある解釈学的潮流の中でも,テクストの背後にある著者の意図や 「生(知・情・意)」といった心理状態を「理解」する解釈学のことで,Schleiermacher と Diltheyの 25). 解釈学がこれに該当する。19世紀前半に登場した Schleiermacher の一般解釈 学は著者の意図の 「理解」を目指しており,解釈は「文法的解釈」と「技術的(心理的)解釈」という2つの側面か ら構成されている。文法的解釈とはテクストの言語的意味を確定する解釈であり,技術的解釈とは 著者の意図を把握することである。これら2つの解釈規則は補完関係にあり,互いが互いの解釈の 26). 深化を助けることによって「解釈学的循環」が進行していくのである。 解釈学的循環」とは「理 解」の過程を示すもので,一般的にはテクストの部分と全体を往復する運動として表されるが, Schleiermacher においては,それはあくまで著者がどのように意図してテクストを著したのかと いう点に集中されている。このようにテクストの著者の意図を把握する傾向は Diltheyの「生」と いう概念へと継承され,またその心理的な側面を 理解」する傾向は強調されることになるのである。 Diltheyの研究は最初から解釈学へと捧げられていたわけではない。もともと彼の中心的なテー マは自然科学に拮抗するような精神科学を確立することであった。Diltheyにおいて精神科学は 「生を生それ自身から理解する」というテーゼとして定式化されている(丸山[1985], p.53)。それ ゆえに人間の「生(知・情・意)」を研究対象とし,それを「理解」することを目的としている。そ して Diltheyは, 生」と「理解」の方法を学問的に基礎付けることを自身の課題としたのであっ. 25) 西洋の知的伝統において,解釈学(Hermeneutik)はテクスト解釈のための技法ないし技法論と して成立した。その主たるテクストは文学や哲学などの古典的著作,聖書や経典であり,テクストの 種類に応じて文献学的解釈学・神学的解釈学・法学的解釈学に分かれており,それぞれが特殊解釈学 として独自の発展を遂げていた。17世紀中頃になるとこれら特殊解釈学を統合し,あらゆるテクスト に適用可能な解釈の規則ないし原則を整理し,体系化することを目指す一般解釈学を確立する動向が 生まれることになる。しかしそれらは依然として解釈の技法論から抜け出すことができなかったので あり,解釈学の体系化は19世紀前半に Schleiermacher が打ち出した一般解釈学の新たな構想を待つ こととなる(丸山[1997], pp.40-43)。 26) 理解」の運動は「絶えず(テクストの)全体から(テクストの)部分へ,そして再びそこから全 体へ帰ると言うふうに経過する」(Gadamer[1959 ],同訳,p.164, 括弧内は筆者)。このような全体 から部分へ,部分から全体へという「理解」の往復プロセスは一般的に「解釈学的循環」と呼ばれて いる。 もともとこの解釈学的循環は Ast によって定式化されたのだが,これを Schleiermacher は文法的 解釈と技術的解釈との関連の中で再定式化したのである。具体的には「文法的解釈は,単語の意味を それらがその一部である文との関連で決定しようとする。そして文を全体としての作品との関連から 決定しようとする。最終的には,それらは作品をその言語使用の文脈やそれの属する文学的ジャンル の中に置く。それと同時に,文や作品,文学的ジャンル,それに言語使用といったものの理解は,よ り大きいこれらの全体を構成しているより小さい部分の理解から作られている。心理学的解釈(技術 的解釈)について言えば,それは作品を著者の人生やその時代の歴史の文脈の中に置く。その一方で 同時にそれは,個人的経験や研究対象にされている作品のような個人的仕事を分析することによって, 著者の人生やその時代といったものの知識を作り上げる」(Warnke[1987] ,同訳,p.34, 括弧内は 筆者)。以上のように文法的解釈と技術的解釈という2つの解釈が互いに補い合うことによって解釈を 仕上げていくのである。.

(18) マーケティング研究における解釈的アプローチの方法論的背景. 145. た。こうして精神科学の存在論的・認識論的基礎を探っていく中で彼はまずは心理学へと接近し, そして挫折を味わった後に,解釈学へと転回していくのである。 Diltheyが精神科学の基礎としての心理学を模索し始めたとき,心理学の主流は自然科学的な方 法に依拠した Wundt 流の実験心理学であった。それは「原子論的物理学の方法を模範にして,一 義的に規定された限られた数の心理的要素を設定し,これらの要素を仮説的に結合することによっ て,精神現象の因果連関を説明しようとする」(向井[1997], p.79)ものであった。しかしながら, 自然科学的な思惟では豊かな生(知・情・意)を捉えきれないと えていた Dltheyにとってその類 の心理学は到底受け入れられるものではなかった。そこで彼は実験心理学に代わる記述的分析的心 27). 理学と呼ばれる独自の心理学を提唱したのである。 そこで Diltheyは,記述的分析的心理学において生の「構造連関」を把握することを目指し,そ 28). れを把握するための方法として内的知覚という概念を提出した。内的知覚(後述の「体験」と同義) とは人間の豊かな精神生活を把握するためのものであり,そこでは生の全体的な連関が直接的に与 えられ, 体験」されるという。そして内的知覚においては,主体(の生)と客体(の生)との神秘 主義的な合一が果たされ,客体の生の連関が生き生きと「体験」されるのである(向井,前掲書, pp.80-83)。その「体験」を通じて獲得された生を認識することがまさしく Diltheyの「理解(Verstehen)」ある。Diltheyはこうした「体験」に基づく「理解」の方法に精神科学の確固たる認識論. 的基盤を見出したのである。 しかしこの記述的分析的心理学は,新 Kant 派の一潮流であるドイツ西南学派の Windelband と 心理学者の Ebbinghaus によって痛烈な批判を浴びることとなる。簡単に紹介しておくと,Windelband は,生の構造連関という研究対象が精神科学を存在論的に基礎付けるものとして提出され 29). ているが,その概念は極めて自然科学的であると批判したのであった。また Ebbinghaus の批判は Diltheyが提出した「体験」の概念へと向けられた。Ebbinghaus は「体験」を取り上げ,それが 実際には,Diltheyが えていたようなものではなく,分析者の後付け的な思. あるいは推測に過. 30). ぎないことを指摘したのであった。 27) Diltheyにおいて記述的分析的心理学が展開されるようになったのは,1984年の論文『記述的分析 的心理学についての理念』においてであるとされる(伊藤[2001] , p.51)。 28) 内的知覚は,現象をなんらかの因果連関とみなす自然科学的な思惟である外的知覚に対置されてい る。本文中で言及した Wundt の実験心理学などが外的知覚に依拠しているとされるが,外的知覚と は,精神現象をいくつかの要素へと分解し,それらを因果的につなぎ合せることによって説明する認 識のことである。 29) Windelband の批判は以下の通りである。Diltheyの心理学においては,生の「構造連関」の把握 が目指されているが,それはつまり精神現象の同型性を認識することを課題としている。結果的に, そのことは法則を追求する自然科学と精神科学が同一の目標を設定していることになる。とすれば, もともと Diltheyは自然科学を批判しながらも,その内実は自然科学に従属してしまっていることに なる。この点に Windelband は Diltheyの矛盾を見出したのであった(向井[1997] , pp.89 -95)。 30) Ebbinghaus の批判は内的知覚,すなわち「体験」へと向けられたのであった。本文でも述べたと おり,Diltheyは「体験」に基礎を置く「理解」に精神科学の認識論的基礎を置いたが,Ebbinghaus.

(19) 146. 三. 田. 商 学 研. 究. これらの痛烈な批判を浴びせられたことを契機に Diltheyは心理学を離れることになるが, Schleiermacher の研究を通じることによって解釈学へと転回していくことになる。解釈学へ接近 するに伴って Diltheyの「理解」は若干の修正が施された。それまで「理解」は「体験」を「理 解」するという「体験・理解」の二項から規定されていたが,Diltheyの解釈学においては新たに 「表現」が加えられ「体験・表現・理解」という三項原理が採用されたのである。 表現」とは「文 字にして固定された生の表出」(Dilthey[1931],同訳,p.103)と定義されているが,簡単に言えば 文書一般のテクストのことである。それゆえに「理解」とは「表現(テクスト)」を媒介にして過 去の著者の生を再び「体験」すること,すなわち著者の生を「追体験」するという形で再定式化さ れたのである。このように「表現(テクスト)」という媒介的な概念を導入することで,Diltheyの 「理解」はそれまでの心理学的な基礎に代わる,解釈学的な基礎を獲得したのであった。 以上のように,Diltheyは精神科学を存在論的・認識論的に基礎付けるという目的のために,ま ずは心理学へ接近し,そして紆余曲折を経た後に解釈学へと到達したのであった。しかしながら Diltheyにおいて心理学から解釈学へというダイナミックな思想の展開は見られるものの,彼の 「理解」は本質的には一貫した特徴を保持し続けていると思われる。それはすなわち著者の生を 「体験」するという類のものであり,基本的には追体験型の「理解」であることに変わりはないの である。. 3-2.還元的解釈学 還元的解釈学とはテクストの背後にある共通した意味,すなわち潜在的な意味の把握を目指す解 釈学のことである。テクストの潜在的な意味を探るという点でロマン主義的解釈学と似ているが, 還元的解釈学の「理解」は追体験という方法を採らない点でロマン主義的解釈学と異なる。M arx と Nietzsche の思想,そして Freud の精神分析学などがこの解釈学に属している。フランスの哲 学者 Ricouer は著書『Freud を読む 解釈学試論』[1965]において,還元的解釈学,なかでも 31). Frued の精神分析学を取り上げ,自らの回復的解釈学との対決を試みてい る。ここでは Ricouer [1965]に依拠して,Freud の還元的解釈学を明らかにしていこうと思う。. はこの主張の土台を掘り崩すような痛烈な批判を浴びせかけたのである。すなわち Diltheyは「体 験」によって生の構造連関がありのままに獲得されると主張するが,実際には他者の生の構造連関を ありのままに「体験」することなどできないのである。 体験」とはその内実,生の構造連関が事後 的に推測され,把握されることに他ならないのであり,分析者の後付け的な思 によって付加された 仮説に 過 ぎ な い の で あ る(向 井[1997],pp.112-114)。以 上 の よ う に,Ebbinghaus は Diltheyの 「理解」の論理的な飛躍を指摘し,見事にその欠点を露呈させたのであった。 31) 1960年代の Ricouer の研究は主として象徴テクストへと向けられており,そこで彼は象徴テクス トを解釈する自らの回復的解釈学(象徴を増幅させ,新たな象徴を再獲得する解釈学)と,それに相 対する還元的解釈学とを対決させ,弁証法的に統合しようとした。しかし Ricouer において,最終 的には,それら二つの項を統合する第三項は引き出されなかった(巻田[1997] ,p.157)。.

(20) マーケティング研究における解釈的アプローチの方法論的背景. 147. まずなぜ Freud の精神分析学が解釈学となりえるのか,という疑問が提起されるだろう。第1 に,精神分析学の「企図というのは,単に精神医学を革新するというだけでなく,夢から出発して, 芸術,道徳を経て宗教までに及ぶ,文化の領域に属する心的産物の総体を再解釈しようとするもの だった」(Ricouer[1965],同訳,p.5)からである。第2に,Freud の分析の中心にあるのは欲望そ れ自体ではなく,欲望の言語だからである(ibid., 同訳,p.6)。例えば夢分析の場合,分析の対象と なるのは被分析者の夢ではない。分析されるのは被分析者によって事後的に語られた夢( 夢語り のテクスト」と呼ばれている)である。つまり夢分析は夢そのものではなく,夢に関する言説(言語 テクスト)を分析するのである。そして,この言語分析的手法を用いるという点で精神分析学は解. 釈学となりえるのである。 ここで精神分析学における夢分析の要諦を示しておこう(ibid., 同訳,pp.174-175)。. 1.夢は意味を持つこと。夢には「思想」があり,それは覚醒時の思想と変わらない。 2.夢は抑圧された欲望の擬装された充足である。このテーゼが,精神分析学の解釈を導く。 すなわち,暗号解読の解釈学である。夢のなかで,欲望は隠れているために,解釈は欲望 の闇を,意味の光に換えねばならない。 3.その擬装の作業は 夢の作業」である。それは,置き換え,圧縮,形象化などに代表される。 4.夢によって表象される欲望は,必然的に幼児的であり,退行的である。 5.夢は検証を続けていくことによって,欲望の言語と呼ばれるものに仕上げることができる。 その欲望の言語が典型的で普遍的であれば,そこに象徴的機能を構成できる。. Feud の精神分析学の功績は,意識や思 や思. の背後に無意識という領域を設定し,実は無意識が意識. を規定していることを指摘したことにある。その中で Frued は「抑圧」のメカニズムを展. 開している。抑圧とは意識の中から受け容れ難い記憶や観念,欲望などを無意識の中に一旦排除す ることである。Frued の理論においては,抑圧された欲望は再び意識の中に再び戻ってこようとす 32). る。それが夢という形を採るのであり,このことは「夢の作業」と呼ばれている。従って,夢は無 意識(欲望)が表出したものと えられるのだが,しかし欲望はそのままの形で夢に表れることは なく,その姿形を変えて表れる。すなわち擬装された形で夢の中に表出するのである。このような 擬装作業が行われるのは,抑圧された欲望が「検閲」というプロセスを経らなければならないから である。抑圧された記憶や欲望は意識が認めることができないからこそ抑圧されたのであるが,そ れらが再び意識の中に戻ってこようとする際に,意識がそれらを受け容れやすいように検閲によっ て加工されるのである。こうした擬装作業によって,無意識は意識に上がってくることをいわば合 32) 無意識へと抑圧された欲望や記憶は,夢の他にも,日常の失錯や神経症の症状といった形で意識の 中に再び蘇ってくるとされる(鈴木[1999] , pp.58-59 )。.

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