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Chapter 7 Ajia shokoku no seiji chitsujo no keisei to chihō bunken: Kaihatsu shugi seiji to chihō no yakuwari

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(1)

第7章 アジア諸国の政治秩序の形成と地方分権 :

開発主義政治と地方の役割

著者

村松 岐夫

雑誌名

日本の政治経済とアジア諸国【上巻】政治秩序篇

.030-A

ページ

157-173

発行年

2003-10-01

その他のタイトル

Chapter 7 Ajia shokoku no seiji chitsujo no

keisei to chiho bunken: Kaihatsu shugi seiji

to chiho no yakuwari

(2)

第7章

ア ジア諸 国 の政 治 秩 序 の 形 成 と地 方 分 権

開発主義政治 と地方 の役割

村松 岐夫

1.は じめ に 2.ア ジア にお け る政 治 秩 序 の 形 成 と地 方 分権 3.日 本 にお け る政 策 秩 序 の 形 成 と地 方 分権 4.ア ジア 諸 国 の地 方 分 権 と 開発 主 義 5.結 び 1.は じ め に 97年 経 済 危 機 は 、 本 研 究 テ ー マ に豊 富 な 情 報 を 与 え て い る事 件 で あ った よ うに 思 わ れ る。 こ の経 済 危 機 は 、順 調 に進 ん でい るか に見 え た ア ジ ア諸 国 にお い て、 従 来 の 政 治 体 制 と政 治 指 導 者 に対 す る批 判 の機 会 とな っ たが 、 そ の 際 どの よ うな 中 間層 が どの よ うに育 っ て い た か は 、 危 機 を乗 り切 り、 そ の後 の秩 序 を形 成 して い く上 で 、 き わ め て重 要 な こ とで あっ た よ うに思 わ れ る の で あ る。 しか し、 こ の経 済 危 機 と政 治 的変 革 の過 程 にお い て、 諸 政 治 的 ア ク ター が これ を どの よ うに利 用 した か は多 様 で あ る。 他 の全 て の政 治 的変 動 にお け る と 同様 に、 中間層 だ け で は政 治 を動 かす エネ ル ギ ー は生 まれ ず 、 変 革 の 政治 過 程 は 、指 導 者 の 対 応 、 民 衆 の とっ た ア ク シ ョン 、軍 部 の動 き の入 り交 じっ た複 雑 な も の で あ っ た。 危 機 の 中で 、 民 衆 が 起 ち上 が り政 権 を倒 した 国 、 民 衆 と知 的 エ リー トが体 制 側 に 変 革 を約 束 させ た 国 、 トップ が 批 判 勢 力 を押 さ え る こ とに成 功 した 国 、従 来 型 の手 続 き で トップ を 交代 させ て収 ま った 国 な ど様 々 で あ り、 そ の結 果 は 、 中 間層 の在 り方 と 関係 して い る よ うに思 われ る1。 ま た 、 これ らい ず れ の形 で危 機 を乗 り切 っ た 際 に も政府 改 革 の キ ー ワー ドの1っ が 地 方 分権 で あ っ た こ と に注 目 した い。 こ こ 1服 部 民 雄 ・船 津 鶴 代 ・鳥 居 高 編 『ア ジア 中 間層 の 生 成 と特 質 』(ア ジ ア経 済 研 究所 、2002)が 、 豊 富 な情 報 で ア ジ ア 諸 国 の 中 間層 の分 析 を して い る。 中 間 層 と政 治 的 発 展 の 関係 に つ い て は 、 セ イ モ ア ・リ プ セ ッ トの 研 究 以 来(:Lipset,1960)、 概 して 、 中 間層 の成 長 は 、異 な っ た価 値 観 へ の 寛容 を発 展 させ る こ とに よっ て 、 そ れ ぞ れ の社 会 の 民主 的 能 力 の発 展 につ な が る と して き た 。 中 間 層 の 特 徴 は 政 治参 加 の拡 大 が 政 治 過程 の 質 を 高 め る と も考 え られ た 。

(3)

第2部 ア ジア諸 国の地方分権 に は、 ア ジ ア諸 国 の政 治 秩 序 と開 発 経 済 を考 察 す る1つ の 手 が か りが あ る よ うに思 われ る。 地 方 分 権 の概 念 は 、地 域 的 な 「政 権 」 に よ って 中央 政府 とは 異 な っ た政 治 的 主 張 が行 われ る こ と を容 認 す る制 度 で あ る。 地 方 に裁 量 を与 え る政府 制 度 は 、 近 代 の 大規 模;国家 の発 生 と と も に 始 ま っ た の で あ る が、 どの 国 にお い て も地 方 に大 きな 権 力 を与 え る こ とは 、 単 に法 制 度 と し て の地 方 政 府 に権 限 を与 える とい うの で は な く、政府 を構 成 す る主 流 民族 ・宗 教 とは別 の 民族 ・ 宗 教 に権 力 を与 え る とい うこ とで も あ るの で 、 中央 政府 か ら見 れ ば危 険 な こ とで あ り得 る。 そ れ ゆ え、 近 代 国家 で は集 権 的 な制 度 の枠 組 み が まず 必 要 と考 え られ て き た。 西 欧 諸 国 の場 合 は そ うで あ り、多 数 の 国 はま ず 集 権 国 家 をつ く った。 日本 も これ に な らっ た。 これ らの 国 で は 、 主権 の あ る 国家 の確 立 の 後 で 、地 方 の個 性 の 主張 が 強 ま る につれ て地 方制 度 の充 実 に進 ん で い っ た が 、 ア ジ ア の途 上 国 の場 合 ど うで あ った の か 。 地 方 分 権 の主 張 をや や 単 純 に述 べ た が、 地 方 分 権 が 制 度化 され るに つ い て は 、 それ ぞれ の 国 に お け る政 治 的理 由 が あ る こ と も指 摘 され ね ば な らな い。 政権 と 中間層 の 関係 や お かれ た経 済 状 態 は 国 ご とに異 な る し、 望 ま れ る地 方 分 権 の 形 態 も異 な るの で 現在 の筆 者 に は そ の政 治 的理 由 の確 定 は で き ない が、 全 体 と して 見 れ ば地 方 分 権 を 受 けい れ る こ とに よっ て 、政 権 は 、 中 間 層 とイ ン テ リ にそ れ ぞ れ の文 脈 の 中 で 、 歩 み 寄 っ た の で あ る2。 こ う考 え て な お 疑 問 に思 うの は 、 地 方 分 権 の概 念 は、 中央 政 府 が 主 導 す る開 発 主 義 に 対 して は 必 ず し も好 意 的 で は な い はず だ とい うこ とで あ る。 分 権 の 政 治 的 必 要 が あ る と して も経 済発 展 を願 う政 策 ア ク ター が 地方 分 権 を主 張 す る に は 、 あ る種 の ジ レ ンマ が あ るは ず で は な い か 。 しか し、 現代 の途 上 国 に 関す る 地 方 分 権 論 で は 、 こ の ジ レ ンマ が 必 ず しも語 られ て い な い よ うに思 わ れ る。 本稿 で と りあ げ る ア ジア 諸 国 と は、 イ ン ドネ シア 、 タイ 、 フ ィ リピ ン3国 が 中 心 で あ るが 、 韓 国 、 マ レー シ ア に も言 及 し、 特 に 日本 との 比 較 を試 み るつ も りで あ る。 とい うよ り も、 日本 の 「分 権 と開発 」 に 関す る 日本 人 の理 解 をア ジ ア諸 国 との 比 較 で 検 証 す る こ とに ウエ イ トをお き な が ら ア ジ ア諸 国 の分 権 も理 解 した い とい うのが 本 稿 の 目的 で あ る。 経 済発 展 あ るい は 開発 と民 主 化 とい う二つ の課 題 を背 負 った 戦 前 戦 後 の 日本 の 分 析 は 、 同 じ課 題 を背 負 っ た ア ジ ア の 途 上 国 の 分 析 に資 す る とこ ろが あ る よ うに思 わ れ るの で あ る。

2.ア

ジアにおける政治秩序 の形成 と地方分権

地方 自治 制 度 に与 え られ て い る長 期 的 な役 割 は 、地 域 的住 民 の満 足 と行 政 のル ー テ ィ ン に よ っ て 中央 政 権 負 担 を軽 減 す る こ とで あ る。 地 方 政 府 の 活 動 が 円滑 に行 わ れ て い るな らば 、 中央 政 2ガ バ ナ ン ス は 、 あ る国 の 民 主 化 の 推 進 や 経 済 的 成 果 を もた らす 政 治 行 政 シ ステ ム の在 り方 を論 じ る分 野 で あ る が 、 そ の 前提 に は 政治 秩序 の 問 題 が あ る。 途 上 国 の 研 究 は ガバ ナ ン ス論 を展 開す る た め に 良 い 分 野 で あ る。

(4)

第7章 アジア諸国の政治秩序の形成 と地方 分権(村松) 府 は そ の任 務 に 専念 す る こ とがで き る。 しか し、 同時 に地 方 自治 は、 先 述 の ご と く、 地域 が独 自の決 定 を行 うこ とを可 能 にす る こ と に よ っ て、 中央 と異 な る政 治 勢 力 を 政 治 シ ス テ ム 内 に 存 立 させ る こ とを 可能 にす る。 地 方 自治 と分 権 は、 以 上 の よ うな趣 旨で 「成 立 した ば か りの政 治 体 制 に とっ て は 、危 険 で あ る。 しか し、 そ れ を早 く根 づ か せ るな らば 、 体 制維 持 の装 置 と して 有 益 で あ る。」 とい っ た パ ラ ドック ス を もつ シス テ ム で あ る。 それ ゆ え 、 地 方 シス テ ム の分 権 化 が新 興 国 家 に生 まれ や す い参 加 意 欲 を しっ か り と勘 定 し、 ハ ンテ ィ ン トン流 に い え ば 、 これ を含 ん で政 治 的 な 「制 度 化 」 を行 うこ とが で き るか ど うか 。 この 問題 が 、新 興 国家 の課 題 で あ る が 、 同 時 に も う一 つ 、 開発 が新 興 国家 の大 き なテ ー マ に な る。 (1)政 治 秩 序 の 形 成 ア ジ ア諸 国 に お け る権 威 主 義 体 制 の崩 壊 とそ の後 の 民 主 化 ・分 権 化 に つ い て述 べ る な らば 、 まず 、韓 国 は 自主 改革 の連 続 に よ っ て、 民 主 化 を達 成 した とい うこ とが で き る。 バ ク政 権 の政 治 につ い て の評 価 は割 れ てい る が 、 こ の時 代 に涵 養 した 経 済 力 が 、 韓 国 が漸 進 的 に 民主 化 を 図 る の に貢 献 した こ とは言 うま で も ない 。 チ ャ ン ドハ ン大 統 領 か ら ノテ ウ大 統領 へ の 引継 が選 挙 を通 じて行 われ た こ とが重 要 で あ っ た よ うに思 われ る。 さ らに キム ヨ ンサ ン とキ ムデ ジ ュ ウを 選 出 した大 統 領 選 が 円滑 に受 け入 れ られ た こ とで この 国 の民 主 主 義 は 大 き く進 展 した。 台 湾 は、 国 際法 的 問題 を別 に してみ れ ば 、領 土 の一 部 の な か の こ とで あ るが 、 国 民 党 に よる 自主 政 権 が 長 期 に継 続 した こ とに よ り民主 化 は進 んだ 。 さ らに 旧国 民 党 政 権 の 内 部 変 革 が あ り、つ いで 野 党 が政 権 を 奪 うこ とに よ っ て 民主 化 は ほ ぼ完 成 した。 これ ら二 国 の 民 主化 は 、 日本 の民 主化 よ りも 時代 的 に は遅 れ る が 、 自前 の要 素 が多 い こ とは注 目され て よい 。 い ず れ にせ よ 、韓 国、 台 湾 は 強 い 経 済 を 手 掛 か りに 民 主 化 を進 め た 点 で 、 日本 の50年 代 を 見 る思 い で あ る。 これ らの 国 は、 まず 政 治 を安 定 させ 有効 な政 策 に よ って 経 済 的成 功 をお さめた。 そ の結 果 、 これ らの 国 々 は 民 主化 の 秩 序 を ほ とん ど手 に入 れ た とい っ て よ い ので は なか ろ うか 。 これ に対 して 、 フ ィ リ ピン 、イ ン ドネ シ ア 、 タイ は、 憲 法 的 に はい ず れ も権 威 主 義 体 制 を脱 した が 、 民 主化 の仕 組 み が社 会 に埋 め込 まれ て い る とい うわ けで はな い。 この部 分 を補 うた め に分 権 に期 待 が集 ま る とい う印象 が あ る。 さて 、 これ らの 国 で どれ だ けの 分権 の現 実 が生 じ う る か。 タ イ で は 、91年 の 軍 部 ク ー デ ター 以 降 、 市 民 社 会 へ 向 か う運 動 が 勢 い を得 て97年 憲 法 が 制 定 され 、議 院 内 閣 制 の 下 で 改:革が進 ん で い る。 タ イ で も分 権 の アイ デ ィア は 、 いつ ま で遡 り う る か は 別 に して 、 少 な く と も80年 代 か ら90年 代 の前 半 を通 じて 、 イ ン テ リの 主 張 に な って い た 。 そ して この 国 で は 、97年 に高 ま る 民 主 化 の動 き の 中 で97年 憲 法 に詳 細 な 内 容 の 分 権 条 項 の 導入 に 成 功 した の が 転機 で あ っ た。 現 在 、 そ の 実行 の た め の努 力 が継 続 され て い る。 それ か ら数 年 を 経 て もな お 市 民 社 会 に 大 幅 に進 ん で い る とい うわ け で は ない が 、 一 歩 の歩 幅 は小 さ く て も前進 して い る と ころ に この 国 の 政 治 的 面 白 さが あ る よ うに思 われ る。 フ ィ リピ ンで は 、 選 挙 に お け る 買 収 は 常 態 で あ る し、政 治 家 自身 の腐 敗 も指 摘 され る が 、 司

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第2部 アジア諸 国の地方 分権 法制 度 は機 能 して い る し、 そ の政 治 シ ステ ム に は民 主 主 義 の規 範 が 定 着 して い る。 しか し、 こ の 国 は 、 国 家財 政 は 弱 く、 「近 代 国 家 」 の もつ 力 強 さに欠 け る。 この 国 で は 、 「富 国 強 兵 」 の ナ シ ョナ リズ ム は 国 民 的 に 共有 され て い ない し、 民 主 主 義 の手 続 きの 部 品 は も ろい 。 そ れ で もマ ル コ ス の 退 陣 とア キ ノ 大 統 領 就 任 以 降 、 民 主 化 の 舟 を 出発 させ る こ とが で き た。 竹 中治 堅 (2002)の い う民 主 途 上 体 制 が 成 立 した の で あ る3。 注 目す べ き こ とは 、 法制 度 が 高 い 比 率 で ワー ク して い る よ うに 見 え る こ とで あ る。 政 治 的 企 業 家 も時 々 に生 ま れ る。 フ ィ リピ ンで は ア キ ノ政 権 誕 生 以 降 、 す ぐに 地 方 分 権 が 唱道 され1991年 に か な り思 い 切 っ た 分 権 化 に 向 け て 新 しい 地 方 自治 法 の 制 定 が行 わ れ た 。1994年 以 後 、 地 方 自治 法 は 、 何 度 も修 正 され た 。 す で に 地方 自治 法 を持 っ フ ィ リ ピン に お い て は 、97年 危 機 は、 保 健 行 政 の分 権 化 を再 調 整 す る な ど、 リ ソー ス の 再 配 分 の 転機 とな っ て い る4。 イ ン ドネ シ ア で も、 地 方 分 権 は 、97年 に い た る ま で の発 展 の 中 で も、 ガバ ナ ン ス の 改 善 の た め の望 ま しい 改 革 の1つ と して提 案 され て い た よ うに思 われ る。 しか し、 現 実 には 、 イ ン ド ネ シア で は1974年 第5号 法 は む しろ 中央 地 方 関係 を確 定 した 法律 で あ っ た。 さ ら に 、 政 治 的 に は 、 ゴル カ ル を介 して 、 中央 は地 方 を 支 配 して い た 。 変 化 は 、90年 代 半 ば 以 降 に生 じ る。 この 頃 に 地 方議 会 の 実 質化 とか 地方 分 権 が民 主 化 の一 環 と して意 識 され る よ うに な って い た 。 グ ローバ リゼ ー シ ョ ンが 、途 上 国 を巻 き込 ん で行 われ 、 こ う した地 域 も国 家 の 壁 を低 くす る と い う前提 で 、 世 界銀 行 の ガバ ナ ンス研 究 で は 、地 方 分 権 は途 上 国 の政 府 改 革 の 目玉 とされ は じ め た。 この 頃 か ら この よ うな背 景 の 中 で 、地 域 が 当事 者 意 識 を持 たね ば競 争 に勝 て ない と指 摘 す る論 文 の 出 版 が 多 くな っ た 。 イ ン ドネ シ ア で も97年 危 機 が 生 じた とき 、 ス ハ ル ト以 後 にお け る3代 の 大 統領 の 下 で 、 実 質 的 な地 方 分 権 を求 め る法 律 が制 定 され た ので あ る。 さて 、 こ こで これ らの 国 に とっ て 、地 方 分 権 とは何 で あ る の か。 一 口で 言 え ば、 政 治 学 にお い て は 、 開 発 独裁 とい わ れ た マル コスや スハ ル ト体 制 が再 び 生 まれ ない よ うに とい う願 い を地 方 分権 で 実 現 しよ うと して い る とい う印象 で あ る。 した が っ て 、 こ の段 階 で 主 張 され て い た 地 方 分権 の 理 由の 第 一 は 、 政 治 的 理 由 で あ る。 地 方 分 権 は 、 民 主化 へ の一 歩 、 市 民 社 会 へ の一 歩 で あ る と位 置 づ け られ た 。 しか し、興 味深 い の は 、第 二 の経 済 的理 由 で あ る。 それ は 、援 助 機 関 にお け る地 方 分 権 論 で あ り、 この援 助 機 関 の 主 張 が 、 これ らの 国 の政 策 当局 に も一 部 支 持 さ れ て い る。 そ れ は 新 古 典 派 経 済 学 の 思想 の 系譜 に属 す る分 権 論 と言 っ て よい 。 す な わ ち 、地 方 3竹 中 治 堅 『民 主 化 途 上 の挫 折 』(東 京 大学 出版 会 、2002) 4持 田 信 樹 「第5章5-2財 政 シ ス テ ム と 日本 の経 験 」(JICA国 総研 『地 方行 政 と地 方 分権 』、2002) 関 連 して 述 べ る な ら、 タ イ に お け る分 権 化 へ の波 は4度 あ っ た の で は な い か と思 わ れ る。 以 下 、永 井 史 男 に 負 うの で あ るが 、 第 一 は 、1932年 立憲 革 命(絶 対 王政 か ら立憲 君 主 制 に移 行)で 、 こ の とき に 国 政 選 挙 が 行 わ れ た り、 テ ー サ バ ー ンを1935年 に設 置 して 一部 で 地方 議 会 選 挙 を行 っ た。 二つ め の波 は 、 1950年 代 前 半期 で 、 県 自治 体(PAO)、 ス カ ー ビバ ー ン(衛 生 区)、 タ ム ボ ン 自治 体 な どを 設 置 し た 時 点 で あ る。 そ して 三つ め は 、1973年 か ら1976年 の時 期(軍 事 政権 の 間 の 民 主 化 の 時 期)で 、 こ の とき 、 タ ム ボ ン に付 属 して設 置 され て い た 「タ ム ボ ン評 議 会 」 が 開 発 計 画 を策 定 す る権 限 を得 た 。 最 後 の 四 つ め の 時 期 が 、1992年 以 降 、 特 に1997年 以 降 で あ る。

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第7章 アジア諸国の政治秩序の形成 と地方分権(村松) 分 権 と発 展 が 結 び つ け られ て 、 次 の よ うな 主 張 が行 わ れ て い る ので あ る。 「リ ソー ス の配 分 の 効 率 を 考 え る とき 、 中央 で はモ ラル ハ ザ ー ドが生 じや す い。 これ に対 して 、 分 権 的 な シ ス テ ム を持 て ば 、地 域 ご との責 任 感 と当事 者 意識 が高 ま る。 住 民 は サー ビ ス の質 が 高 い か 、 コス ト ・ 税 が安 い 地域 を選 ん で移 住 す る・の で 、地 域 間 に行 政 サー ビス の競 争 が生 じる。 この 住 民 の モ ニ タ ー が 利 い て 、 地 方 政 府 の 問 に は 、 効 率 的 な リ ソー ス 配 分 と効 率 的 な行 政 が行 わ れ る。」 この 地 方 分 権 論 は 、 別 にfiscalfederalismと も言 わ れ る5。fiscalfederalismは 、 政 治 学 に お い て 分 離型 と呼 ば れ る英 米 の 地方 自治 に近 い も の で あ り、英 米 両 国 は 、 民 主的 国家 の代 表 で あ るた め に 、 そ の 分権 論 は モ デル と して そ の ま ま 受 け 入れ られ や す い。 新 古典 派 経 済 学 につ な が る経 済 学 の 地方 自治論 は 、経 済 との 関係 も明 快 で あ る。 地 方 自治 は 、 リソー ス の 効 率 的 配 分 を保 証 す る と言 っ て い る。 しか し、 途 上 国 に お け る政 治 的 現 実 は、 そ こ で 仮 定 され て い る もの で は な い。 途 上 国 で は 、 地域 へ の 分 権 化 が腐 敗 を増 加 させ る との危 惧 も あ る。 他 方 、 日本 の戦 前 戦 後 に おい て は 、む しろ あ る程 度 の集 権 が国 民 的 な平 等 と同時 に リ ソー ス の効 率 的 な配 分(開 発 と経 済発 展)に も有 益 と され て い た よ うに思 わ れ る。 地 方 自治 は、種 々 の 政 治 的 機 能 だ けで な く経 済 発 展 に も関係 づ け られ て い た の で あ る。 特 に 、戦 後 の経 済 成 長 下 の地 域 開 発 は 日本 の 地 方 制 度 と密 接 に 関係 して い る。 政 治 秩 序 と経 済 効 率 へ の 地方 自治 の貢 献 につ い て 日本 が どの よ うな 経 験 を した の か を振 り返 って み た い 。

3.日

本 における政策秩序 の形成 と地方分権

(1)政 治 秩 序 の 形 成:「 民 主 化 途 上 の 挫 折 」 日本 に お け る近 代 国家 と して の政 治 秩 序 の形 成 と民 主化 へ の過 程 は どの よ うな 道 を 歩 ん だ と 言 え る の か。 ま た そ の全 体 にお け る地 方 の役 割 は何 で あ っ た とい うべ きで あ るか 。 これ らの 問 い に対 して は 、 明治 の近 代 化 以 来 、 日本 で は 、 地方 は き わ め て重 要 な政 治 戦 略 的 な 拠 点 と して 位 置 づ け られ て い た とい え る。 しか し、 地 方 分権 の経 済 的意 味 を語 る文 献 は戦 前 日本 に は ほ と ん どな い よ うに思 わ れ る。 地 方 分 権 と経 済 が 日本 で 論 じ られ る の は1950年 代 か らで は ない か 。 そ の議 論 に い た る前 に 、 「近 代 化 と地 方 自治 」 の全 体 を瞥 見 して お き た い。 明 治 以 降 、 近 代 国家 と して の 秩 序 形 成 に 日本 は 一 応 成 功 した が 、1930年 代 に は 軍事 政 権 に よ って挫 折 し、 太 平 洋 戦 争 の 後 占領 改 革 を経 て 新 しい 憲 法 の 下 で今 日の政 治 シ ステ ムが 成 立 し た 。 こ の100年 の歴 史 の 中で 、 竹 中治 堅 が い う よ うに 民 主 化 の挫 折 が あ っ た とい わ ざ る を えな い 。 竹 中 は 、 明 治 以 降 の戦 前 の 分 析(1919-1937)の た め に、 民 主化 途 上 とい う概 念 を作 り だ して い る。 竹 中 に よれ ば 、 民 主 主 義 の 崩 壊 を決 め るの は 、 正 統性 の 後 退(そ して喪 失)、 準 5CharlesM.Tibout,APureTheoryofLocalExpenditures,64J.POL.ECON.416(1956).

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第2部 アジア諸国の地方分権 忠 誠 、反 逆 で あ る。 大 正 デ モ ク ラシ ー の 時代 の政 府 は は じめ十 分 な正 統 性 を持 ち 、 そ の ま ま 民 主 化 が進 む よ うに見 え た。 宮崎 隆次 の言 葉 を借 りれ ば、 戦 前 にお い て も政 治 に お け る選 出 部 分 が非 選 出 部 分 の権 威 を 抑 制 す る こ とに成 功 す る か に 見 えた こ と も あ る6。 しか し、政 治 を 支 え るエ リー トの 中 に、1930年 代 の 政 治 の 中 で 民 主 主 義 の信 念 を 揺 るが す 行 動 が 現 れ た 。 外 交 や 経 済 の 問 題 もあ るが 、 今 か ら考 え る と 、1930年 、 政 友 会 が 政権 奪 取 を 目的 の た め 、 ロ ン ドン 条 約 批 准 に 際 して 、非 選 出部 分 で あ る枢 密 院 を して 政 権 を批 判 させ た こ とは 大 き な 政 治 的 失敗 で は なか っ た か。 この行 為 は若 槻 内 閣下 にお い て 行 わ れ た 枢 密 院 に よ る金 融 恐慌 打 開 の た め の 緊 急 勅 令 の否 決 の 先 例(1927)が あ る こ と を盾 に行 わ れ た 。 これ は 、 国 民 に選 出 され た議 会 と議 員 の 権 威 を否 定す る こ とで あ っ た。 この よ うな行 動 は 国会 議員 の準 忠 誠 と位 置づ け られ る。 こ う した 政 治 家 に よ る政 争 は、 明 らか に民 主 化 途 上 の 体 制 の 正 統 性 を 弱 め た。 さ らに最 終段 階 で は 正 統 性 は反 逆 に よ って 奪 わ れ る。 反 逆 は 陸海 両 軍 部 に よっ て な され た。 軍部 主 導 で の 戦争 突 入 の 決 定 は、 民 主 化 の挫 折 を意 味 した と され る。 中 国 へ の侵 略 とア メ リカ との戦 争 へ の過 程 に 関 わ る 意 思決 定 は 、民 主化 の挫 折 の 中で 行 われ た。 日本 は政 治 的離 陸 後 に失敗 した ので あ る。 そ の 中で の 地 方 は ど うい う役 割 で あっ た の か 。 日本 の 地 方 分 権 と中央 地 方 関係 は 、 知 られ て い る よ うに 、 戦 前 に お い て は 、 ヨー ロ ッパ 大 陸 国 を モ デ ル と し、 戦 後 にお い て は 、 ア メ リカ の影 響 を 受 け て発 展 した。 明治 政 府 は 、大 区小 区 制 や 郡 や 県 な どの 中 間 政 府 につ い て の トライ ア ル ・ア ン ド ・エ ラー の経 験 の 後 、 明 治21年 に 市 制 町 村 制 、23年 に府 県 制 を設 置 した 。 これ は 、 山県 有 朋 の 構 想 が実 現 した も の で あ るが 、 これ は 当 時 か ら大 胆 な構 想 と して受 け止 め られ た。 市 町村 レベ ル で は地 方議 会議 員 を公 選 と し、 長 を そ の 議 会 か ら間 接 的 に 選 ば せ た。 歴 史 家 は 、 これ を 自由 民権 運 動 へ の妥 協 と対 策 で あ っ た と指 摘 して き た。 この 時 期 に、 公 選 の長 と議 会 を持 つ 構想 は進 歩 的 で あ った。 しか し、 山県 は 、 元老 院 に お け る一 部 の 論者 な ど明 治 体制 を 強 く固 い も の に した い と考 え る反 対 を押 し切 っ て実 施 した7。 山 県 の 狙 い は 、 自由 民 権 な ど理 想 論 に傾 く地 方 有 力 層 に彼 らの 自己統 治 をあ る程 度 認 め る な らば彼 等 を 体 制 の 一部 とす る こ とが で き 、 そ の結 果 、 中央 の政 局 が不 安 定 化 す る時 で も 、地 方 が 中央 の 政 局 の影 響 を受 け な い です む よ うにす る こ とに あ っ た。 これ は、 こ の地 方 有 力 層 を地 方 公職 者 に任 命 す る こ とに よ っ て取 り込 も う と した も の で あ り、 スハ ル トのイ ン ドネ シ ア にお い て 、 中枢 が"ゴ ル カル"を 通 じて細 部 を統 制 す る の とは反 対 に官 僚 制 に よ る行 政 統 制 の 中 に 地 方 を 取 り込 む構 想 で あ っ た。 大 正 デ モ ク ラ シー ま で の経 緯 は、 こ の 山県 の企 図 が成 功 した こ とを 証す る と され る。 明治 地 方 自治制 度 の成 立 以 降 、地 方 は 、期 待 され た役 割 を果 た した。 中央 政 局 の 変 動 に影 響 され る こ とな く地域 は安 定 した政 治 単位 と して の役 割 を果 た した。 そ れ は行 政 サ ー ビス の 提 供 者 で あ る と同 時 に 民 主 主義 の学 校 と して の役 割 で あ る。 明治 憲 法 体 制 の下 で 、 中間 層 が か な り 6宮 崎 隆 次 「戦 前 日本 の政 治 発 展 と連 合 政 治 」(篠 原 一 編 『連 合 政 治 』1岩 波 書 店1984) 7橋 川 文 三 『近 代 目本 政 治 思 想 の 諸 相 』(未 来 社 、1968)

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第7章 ア ジア諸国の政治秩序の形成 と地方分権(村松) の広 が りを みせ る 明治 の終 わ り頃か ら、 大 正 民主 主義 と呼 ばれ る 「市 民 社 会 」 志 向が 地 域 で も 生 まれ る。 この 時期 、市 町 村 で は、 自治 権 の拡 充 運 動 が 出 てい る。 政 府 内 に も この 市 民 社会 へ の 同調 者 が あ っ た。 両 税 委 譲 論 の 内務 官 僚 ・岡実 な どで あ る。 大 正デ モ ク ラ シー の成 果 を地 方 制 度 か ら見 る とす れ ばや は り郡 制 度 と郡 役 所 の 廃 止 が 指摘 さ れ ね ば な らな い。 地 域 の生 産 活 動 の 中で は小 作 争 議 が多 発 す る よ うに な って い く。 市 町 村 の 権 限拡 充 と合 併 に よ っ て市 町 村 の実 力 が 強 化 され る 一方 で 、小 作 争 議 の多 発 に よ って 紛 争解 決 者 と して の郡 制度 の存 在 理 由 が薄 れ て い った 。 権 威 主義 体 制 の下 で の地 方 政府 も地 方 政 治 生活 も 民 主化 途 上 に入 っ た の で あ る。 戦 前 の 「地方 」 につ い て は 、普 通 男 子 選 挙 権 の確 立 と郡 制 度 の廃 止 、 特 別 市 運 動 の成 果 と し て府 県 に よ る 大規 模 都 市 へ の監 督 の緩 和 が あ っ た こ とが地 方 分 権 へ の動 き と して 指 摘 され て き た 。 これ を 上述 の よ うに 民 主化 途 上 の プ ロ セ ス と見 る わ け で あ る。 しか し、1930年 代 に な る と、 政 治 制 度 は 軍 部 支 配 の拡 大 と とも に 、 急 転 直 下 、 町 内会 の 法 制 化(昭 和18年)に 見 られ る よ うな 中 央集 権 に 向 っ た。 戦 争 の末 期 に は 、戦 争 遂 行 の た め に全 国 を9ブ ロ ッ ク に編 成 した 行 政 体 制(昭 和19年)が と られ た。 こ う して 地 方 レベ ル の 民 主 化 途 上 も挫 折 した の で あ る。 地 方 か ら中 央 に抵 抗 す る動 き は 見 られ な い。 この 時期 迄 に 明治 指 導 層 の集 権 化 とナ シ ョナ リズ ム の 鼓 舞 は 成 功 して い た の で あ る。 これ を 地 方 の実 態 か ら見 て み よ う。 雨 宮 昭 一 は 、 最 新 作 『総 力 戦 体 制 と地 域 自治 』 にお い て 、1930-45年 の 間 と、45年 以 降 の数 年 の 時 期 にお け る茨 城 県 とそ の 市 町村 レベ ル につ い て現 在 の衆 議 院 第3区 の地 域 に 限定 され て はい るが 、 丹 念 な調 査 を して い る8。 雨 宮 は 、 県会 議 員 や 市 町 村 会 議 員 の役 職 者 の分 析 を通 じて 、1920年 代 か ら1940年 代 に か け て 次 第 に総 力 戦 体制 に は い り、 地域 に も翼 賛 体制 が形 成 され る過 程 を2つ の視 点 か ら観 察 して い る。 第1に 、1920年 代 前 後 か ら民 主 化 の 進 展 の 中 で 、 市 町 村 に は各 職 域 や 地 域 に 自治 が 生 ま れ て い るが 、 既成 勢 力 に 不満 を持 つ 中 間層 以 下 の層 が 、 それ ま で に あ った 自 由主 義 的 な部 分 を 否 定 し、 総 力 体 制 を 支持 して い く とい う こ との 指 摘 で あ る。 こ の指 摘 か ら、 日本 の経 済 は 十 分 に 中間層 を発 展 させ て い な か っ た が 、小 作 層 が 政 治参 加 を拡 大 して い た こ と(自 由主 義 的 契 機)を 知 る こ とが で き る。 第2に 、 市 町村 レベ ル の活 動 に は 、政 治 に純 化 され ない 地 域 の人 の 生 活 が あ り、 これ が 地 域 の 自治 を 支 え る とい うこ とで あ る。 この 第2の 地 域 の生 活 が 経 済 の 進 展 と と もに 、 地 主 一 小 作 関係 、 産 業組 合 の 規 模;の拡 大 、 消 防 団 の整 備 、 繭 の産 業 の発 達 とい っ た よ うに多 面 化 して い た こ とが 、 第1に い う"自 由主 義 の 契機"の 土 台 とな っ た。 地 域 の政 治 生 活 は 多 元 化 され 、 村 の 公 共 政 策 に お い て もま た あ る時 点 ま で は 恐慌 や 災害 復 興 の た め の農 村 更 生 運 動 に 力 点 が お か れ た の で あ る。 しか し、 国 の政 治 が 日中 戦 争 へ の コ ミッ トメ ン トを深 く す る と とも に、 村 の 政 治 は 、 生 産 の発 展 や 生 活 の 多 様 化 や 合 理化 よ り も、戦 時 体 制 を支 え る組 織 に な るの で あ る。 村 の 政 治 も緊 張 す る。 調 査 対 象 の 村 で は 政 治 秩 序 は 、政 友 会 の村 長 、民 政 8雨 宮 昭 一 『総 力 戦 体 制 と地 域 自治 』(青 木 書 店 、2001)

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第2部 アジア諸 国の地方 分権 党 改 造 派 の助 役 、無 産 系 の指 導者(役 職 的 に は部 落 会 長)の 三 者 併 存 で 維 持 され て い た 。 雨 宮 は 、 村 の 政 治 秩 序 が この 三 者 に よっ て 維 持 され て い る こ と を指 摘 す る と同 時 に 、 そ れ ぞ れ が 「自 己革 新 」 を して 翼 賛 体 制 の ア ク タ ー に 変 身 して い くこ とも観 察 して い る。 これ は 、 地 域 の 底 か らの 総 力戦 体制 で あ る とい うこ とで あ る と同時 に、 行 政 シス テ ム に も変 容 を生 ぜ しめ た 。 す な わ ち 、 日中戦 争 全 面化 以後 に は 、村 議 会 よ りも、 連 絡 員 と呼 ば れ る部 落 会 長 に よ る連 絡 会 議 が村 の 重 要事 項 を決 定す る よ うに な った とい う。 こ の こ とは 戦 争 の 政 治 が 、 上 述 の よ うな 法 制 度 的 な集 権 化 を こえ て行 政 の枠 に入 らぬ 活 動 を増 大 させ て い る こ と を示 して い る よ うに 思 わ れ る。 雨 宮 自身 は 、戦 争 に志 向す る翼 賛 体 制 が 軍 部 に よ る強 圧 に よっ て で な く、 地 域 の 自発 性 に支 持 され て い た と述 べ て い る。 雨宮 は 同 じ地 域 につ い て そ の戦 後 の状 況 を分 析 して い る。 無 産 層 の 代 表 で 連 絡 員 で あ っ た1 名 を含 む2名 が 戦 後 最 初 の 村 会 議 員 選 挙 に 共 産 党 の名 の 下 に 当選 し、 残 り13名 の 無 所 属 も圧 倒 的 に 自小 作 層 が多 か っ た(地 主 は1名)。 この 体 制 で 、戦 後 の 重 要 な 政 治 課 題 で あ る農 地 改 革 が遂 行 され た。 既 成 勢 力 の政 友 会 は一 時 後 退 し、 他 の 二 本 柱 で あ る民 政 党 改 造 派 と無 産 派 は 生 き残 っ て戦 後 の担 い手 とな っ た の で あ る。 これ ら新 しい 政 治 的 指 導 層 の 影 響 力 は 、 戦 前 に お け る読 書 会 、青 年 運 動 の 実績 を基 礎 に して い た 。 (2)戦 後 の 政 治 的 離 陸 と経 済 戦 前 日本 は も ち ろ ん の こ と、 そ して お そ ら くは1950年 代 半 ば ま で の 戦 後 日本 も、 経 済 的 に 途 上 国 で あ っ た と言 うべ きで あ ろ う。 戦 前 日本 の 経 済 の頂 点 は 、GDPで 見 れ ば1937年 に あ る が(実 質 国民 総 支 出 を 個 人 消 費 支 出総 額 で み る と1936年 が110億 円 、37年115億 円 、38年114 億 円、39年108億 円 と下 降 しそ の 後 は1950年 ま で 最低 の ライ ンで あ るが 、1952年 に129億 円、 1955年 に159億 円 に な る。1936年 のGDPに 到 達 す る の は 、 だ い た い1952年 で あ る)9、 明 治 以 来 、1937-1952の15年 間 を除 く と、 日本 の経 済 発 展 は 、 ほ ぼ右 肩 上 が りで あ っ た 。 この1936 年 レベ ル の 日本 経 済 が 、 「離 陸」 と言 え る もの で あ った の か ど うか。 仮 に言 え る と して も、 そ の離 陸 は 、 そ の後 す ぐに 日中戦 争 が生 じた こ とか らも分 か る よ うに、 無 理 を重 ね た 結 果 で あっ た し、 そ れ ま で に 作 り上 げ て き た 政 治 的 秩 序 も、 不 安 定 な もの で あ った 。 経 済 面 で は 、1936 年 は 、 明 ら か に戦 時経 済 に入 っ て い る。 軍 備 増 強 の た め の 歳 出 拡 大 は 顕 著 で あ る10。この 反 面 で は、 同 時 に 、 軍事 費 と経 済 や 民政 の在 り方 にっ い て の葛 藤 が あ った 。 そ の 葛 藤 を経 て 、 この 時 期 以 降 、 軍部 が政 策 過 程 の前 面 に 出て くる ので あ る11。 これ に 対 して 、 戦後 日本 にお け る経 済的 離 陸 と飛行 高度 へ の到 達 に い た る期 間 は短 か っ た し、 これ を支 え る政 治 秩 序 もす ぐに安 定 した よ うに 思 わ れ る。1951年 に 日本 は 主 権 を 回復 した後 、 9『 数 字 で み る 日本 の100年 』(国 勢社 、2000年)中 村 隆英 『昭 和 史 』(東 洋 経 済 新 報 社 、1993) 10『 昭 和 国勢 総 覧 』(東 洋 経 済 新 報 社 、1985)。 ま た 、 中村 隆 英 『昭 和 史 』(東 洋 経 済新 報社 、1993) 11竹 中 治 堅 『民 主 化 途 上 の挫 折 』(東 京 大 学 出版 会 、2002)

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第7章 アジア諸 国の政 治秩序の形成 と地方分権(村松) 1955年 に は 、 社 会 党 の 統 一 に対 抗 す る保 守 合 同 に よ って 自民 党 を組 織 した。 自民 党 の 結 成 に よ る 政 治 的 安 定 は 、 経 済 界 の 強 い 要 請 で も あ っ た12。「か な り強 い野 党 」 と 自民 党 に よ る1ヶ 1/2政 党 政 治 は 、 そ の後41年 間続 く こ とに な っ た。 要 す る に 日本 の政 治 は 、 戦 後 、 比 較 的 に 早 く安 定 し、 それ が継 続 した 。 継続 した 理 由 と して は、 自民 党 の 柔 軟 性 が 一 つ に は あ る。 しか し、 社 会 党 も適 当 に 強力 な政 党 と して 国 民 の支 持 を維 持 しっ づ けた 。 さ らに、 地 方 自治 論 を 見 る と、 大 き な 政 策 転 換 を迫 られ て い た1970年 代 前 後 、 地 方 自治 体 にお け る 革 新 勢 力 の権 力 奪 取 が、福 祉 政 策 と公 害 問題 へ の シ フ トを可 能 に した こ とを重 視 す べ きで あ る。 大都 市 圏住 民 は 、 国政 で 自民 党 を 自治 体 選 挙 で革 新 支 援 の知 事 を支 持 した。1970年 前 後 の都 市 住 民 は 、 地 方 首 長 選 挙 を通 じて 、 国政 を動 か した ので あ る。 筆 者 も、 こ の よ うな政 治 を観 察 して 多 元 主義 政 治 の到 来 を主 張 した。 も う少 し丹 念 に 政 治 の 安 定 と経 済 の 関係 を 考 察 す る と、 日本 の政 治 経 済 研 究 にお い て は 、 政 治 の安 定 が 経 済 の 発 展 の た め の基 盤 で あ っ た と思 わ れ る。 保 守 政 党 が非 効 率 な ポー クバ レル 政 治 の誘 惑 と要 請 を一 手 に 引 き受 け て官 僚 制 に よ る合 理 的政 策 決 定 の ア リー ナ を確 保 す る壁 の 役 割 を 果 た し、 そ の 壁 の 中で優 秀 な行 政 が 大 き な役 割 を果 た した との 見解 が今 なお 通 説 的 見 解 で あ る13。これ は 国 家 の 産 業 政 策 を好 意 的 に評 価 す る見 解 で あ る。 日本 に続 い て発 展 を 遂 げ た 韓 国 、 台 湾 が や や 異 な っ た 形 で は あ る が 「強 い 政 府 」 の 国 で あ っ た こ とか ら、東 ア ジ ア には 同 じ モ デ ル に よ る雁 行 的 経 済 発 展 が あ っ た こ と、 そ の 発 展 は 政府 の リー ドで行 われ た との理解 が 一 般 化 した 。 チ ャー マ ー ズ ・ジ ョン ソン の 「発 展 志 向 国 家 」論 が 広 く読 ま れ 、 こ の印 象 を強 化 し た 。 ジ ョ ン ソ ン は 日本 の経 済 発 展 が 戦 前 か らの 発 展 志 向 国 家 の 方針 と ビヘ イ ビア が戦 後 も続 き つ が れ 、 これ が 成 功 に貢 献 した こ とを 強 調 した 。 これ に 対 して 、 戦 前 の発 展 につ い て は、 国家 の 関 与 に よ る もの で あ る と して も、戦 後 は 、 市場 化 の推 進 に よっ て 、国 家 の 関与 が最 小 限 に な っ た こ とが 成 功 の 原 因 で あ った の で は な い か 、 と見 る見 解 が生 まれ る14。さ らに 最 近 は 、 も う一 転 して 、 金 融 にお いて は、 官 僚 の 関 与 す る領 域 が 依 然 大 きか っ た こ とが 明 らか に な っ た た め 、 元 の 官 僚 重 視 の見 解 の支 持 も あ る意 味 で 強 くな っ てい る。 む し ろ戦 前 の 方 が よ り資 本 主義 的 で あ った と も され る。 国家 の 関与 と経 済 の 関係 を見 る見 解 はい ま も一 定 して い な い。 しか し、 政 府 の 関与 の効 果 に つ い て は これ らの どの見 解 を とる に して も、 経 済 発 展 の 前 提 に政 治 的安 定 が あ る と して い る。 政治 的安 定 の 中で 適 切 な経 済的 結 合 が生 ま れ 育 っ もの と思 わ れ る。 政 治 的 秩 序 の崩 壊 は 、経 済 の 営 み を 中止 させ て しま う。 ア ジ ア諸 国 の経 験 を見 て も、 政 治秩 序 問題 は 、 経 済 に先 行 す る もの と考 え る。 韓 国 の朴 政 権 の経 済発 展 や 台 湾 の国 民 党 とそ の 後 の 内 地 人 へ の 権 力 の静 か な シ フ トの 中で 、経 済 発 展 が生 じた こ とが重 要 視 され る所 以 で あ る。 た だ しあ る国 家 が 一 時 は 政治 的安 定 を確 保 して も、 この 「離 陸以 後 」 を維 持 す る こ とは 困 難 12KentCalder,CrisisandCompensation:publicpolicyandpoliticalstabilityinノ穡an,1949-1986,Princeton UniversityPress,1988. 13村 上 泰 亮 『新 中 間 大 衆 の 時 代 』(中 央 公 論 社 、1983) 14そ の 一 っ の 例 と し て 、 三 輪 芳 朗 『政 府 の 能 力 』(有 斐 閣 、1998)

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第2部 アジア諸国の地方分権 で あ る。 ま ず 問 題 は権 力 の継 承 が で き るか ど うか で あ る。 言 い換 えれ ば 、政 権 トップ交 代 の手 続 きが 定 着 す るか 、 そ して 、 この 手続 き を 遵 守 す る政 権 の交 代 は い か に して生 じるか 。 この領 域 の 専 門 家 は 、 この よ うな権 力 の継 承 は稀 な こ とで あ っ て 、多 くの途 上 国 で 体 制 は壊 れ るま で維 持 され る傾 向 が あ る とい う。 民 衆 の批 判 を通 じて 、体 制 に改 革 ・改 良 が 行 わ れ る と い う展 開 を引 きお こす 手続 き が ビル トイ ン され て い な い か らで あ る。・そ の た め に権 力 者 が加 齢 す る と と も に、 経 済 活 動 の先 行 き は不 透 明 に な る。 途 上 国 にお い て 政 治 と政 策 の 改 良 は 生 じに くい。 国 民 の批 判 精神 の 弱 い こ とや 政 府 活 動 の透 明度 が低 くて 、 問 題 発 見 が 容 易 で な い こ とが 原 因 と して 指摘 され るが 、や は り問題 の発 見 と提 起 され た 問題 を採 用 す る手 続 きが 整備 され て い な い こ とが重 要 で あ る15。経 済 状 況 の 悪 化 の 中 で権 力 の継 承 は 円滑 に行 われ ず 、 体 制 に危 機 が 生 じる。 そ して 、 そ の危 機 後 に は 、 当然 、政 治 改 革 が主 張 され る。 地 方 分 権 も この 文 脈 で 主 張 され た わ け で あ る。 そ の た め地 方 自治 の政 治 的諸 機 能 の 中で も、 体 制 ・中央 へ の 自立 と抵 抗 15山 影 進 は 、 ス ハ ル ト体制 の崩 壊 を 見 な が ら、 筆者 の 問 い と同 じ問 い を 「長期 政権 は 、 なぜ 体 制 の 不 安 定 を高 めや す い の だ ろ うか 」 と表 現 しな が ら解 答 を見 出そ う と して い る 〔「安 定性 神 話 の克 服 に 向 け て 」 (『ワー ル ド ・ トレン ド』2001・7月 号)〕。 彼 の関 心 は、 本 当は 、 「短 期 か 長 期 か 」 とい う こ とで は な く、 長 期 間 に わ た っ て 「無 理 に 政 権 を 安 定 させ 」 て い る体 制 のそ の無 理 を制 度 面 で指 摘 す る こ とに あ る。 彼 が あ げ る の は 、 長 期 体 制 に お い て は 「野 党 指 導 者 の 拘 束 又 は懐 柔 」、 「国家 的危 機 を 口実 に した戒 厳 令 ま た は非 常 事 態 の宣 言 」、 「治 安 組 織 な ど警 察 へ の 恣 意 的 な指 令 」 「言 論 機 関 の統 制 」、 「裏 社 会 の暴 力 集 団 の利 用 」、 「後 継 者 候 補 へ の 干 渉 」、 「選 挙 民 や 議 員 の 買 収 、投 票 結果 の 操 作 」、 「選 挙 区 の 区 割 り操 作 」、 「選 挙 民 の 住 所 変 更」 な どで あ る。 これ らを 通 じて 、 長 期 政 権 が 無 理 に維 持 され て い る の で あ る。 山 影 はそ れ ゆ え 、 逆 に 、 この よ うな 権 力 が 一 旦 崩 壊 し始 め る と、 崩 壊 は早 く も ろい と言 う。 イ ン ドネ シ ア に は、 オ ラ ン ダ領 東 イ ン ドの 統 治機 構 を引 き 継 い で い た ので 、 統 治 の 安 定 の た め に あ る種 の制 度 的遺 産 は あっ た 。 そ の上 、1920年 代 か らの 長 い 歴 史 と独 立 戦 争 に よっ て は ぐ くま れ た ナ シ ョナ リズ ム も 国 家 形 成 を助 け た 。 ア ン ダー ソン は 、 こ の広 大 な面 積 、 多 種 の 宗 教 と民族 の 中 で成 立 した 結 束 を 「想 像 の 共 同 体 」 と表 現 した 〔ベ ネ デ ィ ク ト ・ア ンダ ー ソン 『想 像 の共 同体 』(白 石 隆 ・白石 さや 訳 、NTT出 版 、1997)〕 。 しか し、 ス カル ノ とス ハル トの 体制 は 、 実 態 と して は 、 権 威 主 義 的 な シス テ ム で あ り、 上 記 の よ うな 無 理 を 重 ね て や っ と長期 に権 力 を維 持 で きた もの で あ る。 そ して 、97年 の経 済危 機 にお い て 体 制 の崩 壊 は 、 激 し く早 か っ た 〔白石 隆 『崩 壊 イ ン ドネ シ ア は どこ へ行 く』(NTT出 版 、1999)〕 。 民 衆 の不 満 は蓄 積 し て い た し 、 こ の 間 に 育 っ た 中 間層 は 批判 を 高 め て い た 。 華 人 の 産 業 資 本 は、 権 威 主 義 体 制 下 で の経 済 発 展 に 限 界 を 感 じて い た。 中 間層 は 、 権 威 主 義 的 体 制 の 崩 壊 期 に は革 命 勢 力 と な る。 こ れ に 対 して 、 民 主 制 は 、 問題 の発 見や 解 決 の仕 組 み を そ の 中 に 持 つ こ と に よ って 問 題 の 早 期 か つ 斬 新 的 な解 決 を 可 能 に す る。 す な わ ち、 民 主 制 は 、 「政 権 の不 安 定 性 を制 度 的 に組 み 込 む こ と に よ っ て 体制 の 安 定 性 を追 求 し て い る」 と され 、 そ の安 定性 を 追 求 す る制度 ・手 続 が あ る と主 張 す るの で あ る。 そ の よ うな 問題 解 決 の 仕 組 み と し て、 「与 党 と野 党 の 拮 抗 関 係 」、 「定 期 的 な競 争 的 選 挙 」、 「秘 密(無 記名)投 票 」、 「最 高 地位 の 重 任 制 限 」、 「重 要 な公 職 の兼 任 制 限 」 な どが例 示 され る(山 影 の 関 心 は 、 従 来 、"政 治 的 安 定 が 経 済 発 展 を 助 け る"と の命 題 が あ っ た が 、 山影 は 、 この 政 治 的 安 定 自体 に問 題 が あ る こ と を指 摘 しよ う とす る の で あ る)。 これ ら の装 置 は 、 政 権 に 失 敗 が あ れ ば これ を交 代 させ た り、 政 権 の権 力 乱 用 を 抑 制 す る こ と を 可能 に す るが 、 問題 は 、そ の トレー ガ ー で あ る。 こ こで議 論 は 冒頭 に述 べ た 中間 層 の 成 長 に 結 び つ く。 トレー ガ ー と して期 待 され る の は 、安 定 的 な 中 間 層 で あ る。 現 在 、 途 上 国 にお い て も形 式 的 な権 力 承継 の 手続 き は普 通 選 挙 で あ る が 、 中 間層 は公 正 な 選 挙 を 支 持 す る こ と に よ って 選 挙 結 果 を受 け入 れ て 政権 の 正統 性 を保 証 す る役 割 を持 つ 。 市 民社 会 論 は 、 しか し、 こ こ に 山影 を紹 介 す る こ と を通 じて示 した 方 向 を 目指 し た知 的 な政 治 運 動 と して理 解 す る こ とが で き る よ うに 思 う。 しか し、 こ の よ うな仕 組 み に よ る 改革 は 漸 進 的 で あ る。 こ の民 主 的 手続 き の保 障 す る改 革 が 漸 進 的 で あ る こ と と、 途 上 国 の改 革 に性 急 さが あ る こ と との 間 に は 、 あ る種 の ズ レが感 じ られ る。

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第7章 アジア諸国の政治秩序の形成 と地方分権(村松) とい う側 面 に注 目が 集 ま る。 日本 の戦 後 政 治 経 済 にお い て 、 地 方 自治 が 積極 的 な 意 思形 式 と 中 央 へ の主 張 を行 う 「ア ク ター 」 と して の役 割 を果 た す よ うに な った の は い つ か らで あ ろ うか。 まず 大 正 デ モ ク ラ シー の経 験 が あ る。 決 定 的 で あ った の は、 占領 改 革 が枢 密 院 を廃 止 し議 会 の 権 限 を強 化 し最 終 決 定 権 者 とす る と と もに分 権 化 改 革 を行 った こ とで あ る。 しか し、 実 際 の 活 動 を 見 る と、 最 初 の30年 間 に お い て は 、 い ま だ 中央 政府 の 意 思 に反 して も別 の 政 策 体 系 を 追 求 す る ま で に は い た っ て い ない 。 よ り強 い 自治 の確 立 の た め に は 、 地 域 開 発 政 策 や1970年 代 の革 新 自治 体 の登 場 を待 た ね ば な らな い の で あ る。 (3)地 域 開 発 と 地 方 自 治 戦 後 日本 の地 方 政 府 は、 多 くの制 度 的拘 束 を排 除 し、 憲 法 的 な 規 定 に よっ て 自治 を獲 得 す る が 、積 極 的 な政 治 的 自治 を獲 得 す る転 機 は 、1950年 代 後 半 か ら60年 代 を通 じて 議 論 に な っ た 地 域 開発 で あ っ た よ うに思 わ れ る。 雨 宮 の研 究 にお い て は、 戦 後 も 占領 改 革 以 後 に な る と、 元 県 官 僚 と 旧名 望 家 の連 合 が この地 域 の 町 市 の役 職 者 と して 勢 力 を盛 り返 す 様 子 が 描 かれ てい る。 しか し、 筆 者 に は 、雨 宮 の研 究 にお い て も次 の段 階 が 重 要 に な る と思 わ れ る。 す な わ ち 、戦 後 経 済 発 展 にお い て地 方 権 力 構 造 が ど う変 わ っ た か 。 雨 宮 に よ って 描 か れ て は い な い が 、他 の 多 くの地 域 で は16、影 響 力 は、 地 方 名 望 家 連 合 か ら新 しい経 済 の 担 い 手 層(中 央 経 済 と リン ク し た 層)に シ フ トしてい る。 こ の雨 宮 の研 究 した 地 域 で い つ そ れ が 生 じた か は と もか く、 日本 の 各 地 で、 農 村 地 域 も含 め て、 地 域 は 高度 成 長 の過 程 を受 け入 れ は じめ るの で あ る。 こ う した 地 域 構 造 の変 化 を プ ロモ ー トした の が 地域 開発 で あ る。 こ の地 域 開 発 が イ ン フ ラ整 備 を府 県 の重 要 な役 割 と させ る こ と とな った 。 地 方 政府 を 「計 画 的 に」 巻 き込 む 地域 開発 が 「上 か らの近 代 化 」 を押 し進 め た戦 前 よ りも、 戦 後 に積 極 的 に展 開 され た こ と に注 目 した い。 地方 が地 域 開発 政 策 の実 施 の 中 で 、 どの程 度 どの 意 味 で 自治 的 で あ った か は あい ま い で あ る。 政 治 学 界 で は 、 「追 い つ き 型 近 代 化 」 に と もな う中 央 監 督 を で き る だ け排 除 しよ うとい う 「純 粋 地 方 自治 論 」 が 有 力 で あ っ た が17近代 化 推 進 の 主役 と して 自負 して い た 官 僚 集 団 は 、 こ の種 の地 方 自治 論 に対 して ほ とん ど考 慮す る こ とな く、 経 済 発 展 の イ ン フ ラ整 備 戦 略 を 、府 県 を 地 方 の 代 理 人 と して 実 行 しよ う と した。1960年 か ら30年 間 に及 ぶ 全 国総 合 開 発 計 画 、 新 全 国総 合 開発 計 画 、第 三次 、第 四次 全 国 総合 開 発 計 画 等 にお い て はイ ン フ ラ整 備 計 画 を 実行 す る 受 け皿 と して都 道 府 県 が想 定 され て きた。 都 道 府 県 は さ らに市 町 村 を代 理 人 と して 事業 の実 施 の徹底 を は か っ た。 通 常 、 こ の プ ロセ ス と シ ステ ム が戦 後 日本 が 戦 前 か ら続 けて き た集 権 的 な 中央 地 方 関係 で あ る と説 かれ る。 しか し、 これ に対 して は3点 の留 保 が 必 要 で あ る。 16大 原 光 憲 、横 山桂 次 『産 業 社 会 と政 治 過 程:京 葉 工 業 地 帯 』(日 本 評 論 社 、1965) 17そ れ は 、 開発 主 義 の経 済 に 注意 を払 わ ない 啓 蒙 的 な 地 方 自治 論 で あ っ た。 日本 の 開発 主義 が 「上 か ら の キ ャ ッチ ア ップ 」 の 形 態 を とっ た の で 、 純 粋 地 方 自治 論 者 は 、 目本 経 済 の発 展 に 関 す る経 済 戦 略 を 拒 否 す る こ とに よっ て 批 判 した 。 そ れ は 、 高 速 道 路 を産 業 道 路 と して 消極 的 に評 価 し、 生活 道 路 を主 張す る地 方 自治 論 で あ る。 日本 に お け る地 方 自治 論 者 は 開発 経 済 と対 立 して い た 。

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第2部 ア ジア諸 国の地方分権 第 一 点 は 、 こ の よ うなイ ン フ ラ整 備 の た めの 開発 事 業 は 、 中央 政府 の官 僚 支 配 に よ っ て行 わ れ た とい うよ りも 、地 方 も 自発 的 に これ を受 け入 れ る形 で行 わ れ た もの で あ る。 日本 の追 いつ き型 近 代 化 は 、 国 民 も参 加 した 政 治 過 程 で あ る。 地 域社 会 で は 、 支 配 は 旧エ リー ト層 か ら新 し い 政 権 グル ー プ に移 っ てい った 。 第 二 に 、戦 後 日本 の地 方 自治 は 中央 の 強 い 意 図 に 対抗 す る政 策 の提 案 を行 うこ とが可 能 な シ ス テ ム で あ っ た こ とで あ る。 第 三 点 目は、1980年 以 降 の 変 化 に 見 られ る。 こ の 時 期 以 降 、機 関 委任 事 務 改革 が 実 現 す る ま で を見 る と、 日本 の地 方 自治 へ の支 持 が い っそ う大 き くな っ た こ とが分 か る。 戦 後 日本 にお け る地 方 自治 論 は 、い わ ゆ る進 歩 派 の 戦 前 の 遺 制 へ の批 判 に原 点 を持 つ の で あ る が 、そ の後 は 地 域 開発 と革 新 自治 体 の経 験 の 中で 自信 を拡 大 し積 極 的 な 自治 を 主 張 しは じめ た とい うべ き で あ ろ う。 さ らに そ の後 は、 必 ず しも体 制 批 判 者 で は な い層 の 政 治 的 主 張 と して通 りは じめ た よ うに思 わ れ る。 宮 沢 政 権 の 時 に お け る国 会 決 議(1992)や 細 川 政 権(1993-94)に よ る準 備 過 程 を経 て 、1995年 、 村 山政 権 の 下 に 設 置 され た 地 方 分 権 推 進 委 員 会 に よ っ て機 関 委 任 事 務 廃 止 改 革 が 実現 した。 日本 の 地 方 自治50年 間 の 経 験 は 、 市 民 参 加 や 中央 負 担 の 軽 減 、 権 力 分 立 等 の諸 機 能 を果 た して い る こ とを示 してい るが 、 同 時 に、 開発 主義 経 済 過 程 に お い て 、都 道府 県 の積 極 的 参 加 が 、 地 方 行 政 力 の強 化 につ なが った こ と も指 摘 され ね ば な らな い 。 国 の 地域 開発 政 策 は 、都 道 府 県 が 地 域 発 展 の構 想 力 や 統 計 学 な ど の技 術 を含 む 行 政 能 力 の 向 上 を図 る機 会 とな っ た。 戦 後 の 経 済 発 展 政 策 が18、戦 前 とは異 な り地 方 を広 範 に動 員 して い るの は な ぜ な の か 。 筆 者 は、 戦 後 の発 展 は 目指 す 経 済 規 模 が 大 き く、 そ の 開発 は 戦 前 に比 べ て い っ そ う深 く地方 を巻 き 込 ん で 実 行 され る必 要 が あ った か らで はな い か と思 うの で あ る。 別 の 言 い 方 をす れ ば 、戦 後 経 済 は、 戦 前 の よ うな部 分 的 ・局 所 的 発 展 と は異 な り、 全 地域 の 開 発 志 向 を 支 え と した全 国 的 な 展 開 で あ った た め に、 「地 方 」 の積 極 的 な支 持 が 必 要 で あ っ た の で は な い か 。 さ らに興 味深 い の は、 そ の地 域 開発 は動 員 的 で あ った が 、 地 方 の 支 持 は 中央 政府 の 予想 を上 回 っ て い た こ とで あ る。1960年 前 後 の 地 域 開 発 の結 果 と して 、 府 県 や 市 町 村 の行 政 能 力 は 向 上 した し、 地 域 権 力 構 造 に変 動 が生 じた。 地 元 政 治 家 の 中央 へ の働 きか け も活 発 にな り、 中央 地 方 の 交渉 も多 く な った 。 全 国 的 な 開発 政 策 が地 方 分 権 と民 主 化 の 定 着 に さ ら に貢 献 した の で あ る。 開発 主 義 に お いて そ の 中枢 機 能 担 当機 関 の業 務 は多 い 。 開発 の産 業 を決 め これ に優 先 順位 を つ け る こ とを 国 民 に納 得 させ な けれ ばな らない。 そ のた め には 開発 計 画 が合 理 的 な内 容 を もって 形 成 され な けれ ば な らない 。 開発 機 能 の 分 担 協 力 者 を地 方 の 中か ら選 び 、 これ に受 け皿 と して の 役 割 を果 た して も らわね ばな らな い。 受 け皿 組 織 と して は 、 結 局 、 中央 政 府 の政 策 に 賛 同 す るパー トナー が 選 ばれ る。 戦 前 と戦 後 を比 べ るな らば 、 開 発 主 義 の分 担 者 に は 、戦 前 は財 閥 や 18開 発 主 義 と途 上 国 を 論 じ る場 合 、 村 上 泰 亮 『反 古 典 の 経 済 学 』(中 央 公 論 社 、1996)が 刺 激 的 な議 論 を展 開 して い る。 本 叢 書 で は下 巻 第1章 の 恒 川 論 文 を参 照 。

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第7章 アジア諸 国の政治秩序 の形成 と地方分権(村松) 満 鉄 な どの 中央 政 府 と密接 に 関係 を持 った 諸 組 織 が あ った のに対 して 、 戦後 は都 道 府 県 が加 わ っ た。 戦 前 の開 発 は一 部 の地 域 や 、 「我 田 引鉄 」 の利 益 誘 導 のた め の格 好 の材 料 とな る事業 が 目立 っ く らいで 比 較 的 に 限 定 され て いた 。 江 澤 譲 爾 『国 土計 画 の基 礎 知 識 』 に よれ ば、 開 発 計 画 は 、 せ いぜ い 昭 和14年 の 「工 業 地 方 分 散 計 画 等 」 に 見 られ る く らい で あ る が、 この 計 画 も 「国 防 経 済」 を主 眼 と してい た19。しか し、戦 後 の 大 規 模 経 済 の 展 開 等 で は、 都 道 府 県 の諸 部 局 は、 中央 政 府 省 庁 の 代 理 人 と して 機 能 す る こ と とな った 。 上 記 の よ うな 中央 に よ る国 土 開 発 計 画 を受 け て都 道 府 県 で も総 合 開発 計画 が10年 か15年 ご とに改 訂 され て今 日に至 って い る。 府 県 に は膨 大 な業 務 が 委 ね られ た 。 地 方 行 政 に は は じめて 独 自の 開発 促 進 能 力 が求 め られ た20。戦 前 と比べ る と、 府 県 議 会 も主 役 で は ない が 、 準 主 役 と して 開発 過 程 に巻 き込 まれ る。 特 に 中央 政 治 家 との 折 衝 や 媒 介 役 と して 活 躍 した。 市 町村 も国 が行 う全 国 開発 計 画 ・都 道 府 県 の総 合 計 画 の 中で 、 役 割 を 与 え られ た。1961年 の 新 産 業 都 市 へ の指 定 を 巡 っ て は、 厂史 上 最 大 」 と表 現 され た府 県 に よ る陳 情 合 戦 が行 われ た。 市 町 村 も一 時 的 に 開発 政 策 に 巻 き込 まれ た。 そ の後 、府 県 と市 町 村 は 、 前者 が 、 国 の積 極 的 な開 発 の パ ー トナ ー と して 、 後 者 が 、 行 政 事 務 の担 当者 と して 、 そ れ ぞれ に、 戦 後 政 治 を担 う分 業 に戻 るの で あ るが 、 開 発 政 策 は 、地 方 を 目覚 め させ た。

4.ア

ジア諸 国の地方分権 と開発 主義

本 章 第2節 に お い て 、 ア ジ ア の途 上 国 の地 方 分 権 化 を論 じた が 、本 稿 の主 題 で あ る 「開発 と 分 権 」 のテ ー マ に つ い て は触 れ ない で きた 。 日本 の経 験 に基 づ い て多 少 比 較 の 視 点 で説 明 した 方 が よい と考 え た か らで あ る。 筆 者 に と って 興 味深 い の は 、途 上 国で は分 権 化 も開発 も主 張 さ れ る が 、地 方 の巻 き込 まれ 方 が大 分 低 い こ と で あ る。 なぜ か?こ の問 い は、 逆 に、 日本 で は 、 戦 後 日本 の地 方 政 府(特 に府 県)は 、 全 国計 画 の遂 行 の た め に 中央 政 府 の 「代 理 人 」 と して利 用 され て い た が 、 それ は なぜ か とい う問い に な る。 こ の 問 い につ いて は前 節 で 解 答 を試 み た。 こ の解 答 を途 上 国 に適 用 す るな らば 、途 上 国 の多 く にお け る経 済 開 発 が 戦後 日本 とは 異 な って 、 地 方 を ま き こ ま な い で い る の は それ ほ ど大 き な もの で は な か っ た か らで あ る と思 わ れ る。 これ らの 国 で は 、 中央 政 府 が 開発 を 自 ら実 行 し、 地方 自治 は 開発 と切 り離 す とい う選 択 が な され て い る。 戦 後 の 日本 で は 、 大規 模 経 済 の受 け皿 とな る地 域 を必 要 と して い た 。 そ こで道 府 県 に対 して イ ン フ ラ整備 へ の協 力 を求 め る と同 時 に 、協 力 した府 県 に分 け前 を 与 え る仕 組 み を 作 った 。 19江 澤 譲 爾 『国 土計 画 の基 礎 知 識 』(日 本 評 論 社 、1937) 20戦 後 の 府 県 と市 町 村 は、 この要 請 に対 応 す る ことを通 じて行 政 の ノウハ ウと知 識 を習 得 した。 しか し、 社 会 科 学 系 の学 会 で は英 米 モデル が何 とな く理 想 で あ ったため に、 府 県 能 力 向上 が 自治 に貢 献 した こ とは評 価 され なかった 。 多 くの 人 は、 地 方 自治 論 において 、 地 方 が元 々 中央 行 政 のパー トナー である とい うこ とを忘 れ る傾 向 があ る。 それ に加 えて、 英 米 モデル の 地 方 自治 論 には 、 あま りに 与 件 が多 い。 この議 論 の 与 件 の一 つ に、 肝 心な 地 方 の 「行 財 政 能 力 」 があ るので ある。

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第2部 アジア諸 国の地方分権 そ れ が60年 代 の 地 域 開発 で あ る。 タ イ の 場 合 で も他 の 途 上 国 で も今 の とこ ろ経 済 の大 規 模 化 を計 画 す る の で な い 限 り、 地 域 を 巻 き込 む こ との必 然 性 は少 な い21。これ らの途 上 国 で は 、 規 模 の大 き な 開発 主義 よ り も住 民 の地 域 生 活 の た め のイ ン フ ラ整 備 を開 発 と呼 ん で い る。 そ う し た こ とを 実 行 す る行 政 的 キ ャパ シ テ ィが 求 め られ て い る。Capacitybuildingと い われ るの は そ の意 味 で の 人材 育成 で あ る。 タイ を例 に と るな らば 、 この 国 の最 近 の地 方 分 権 の背 景 は次 の よ うな こ とで あ ろ う。 す なわ ち 、97年 経 済 危 機 は あ っ た が 、 イ ン ドネ シ ア の よ うに政 治 体 制 の 崩 壊 が あ っ た わ け で は な い し、 地域 の 不満 が 暴発 した わ け で も ない。 しか し、そ れ ま での 経 済発 展 と 中間層 の伸 び とに よ っ て、 市 民 社 会化 の 要請 が 高 ま っ た の で 、地 方 分 権 化 を主 張 す る層 に対 して 体 制 が 譲 歩 した とい うこ とで は な か ろ うか。 憲法 や そ の他 の法 律 に お け る地 方 分 権 規 定 を現 実 の もの とす る に はま だ時 間 が か か りそ うで あ る。 た とえ ば 、地 方 へ の事 務 配 分 を実 行 す る必 要 が あ るが 、 そ の 前 提 に は受 け皿 自治 体 が どの 「地方 」 で あ るか(タ ンポ ン かテ ー サ バ ー ンか)を 確 定 す る こ とが 必 要 で あ る 。 タ ンポ ン 自治 体や テー サバ ー ンへ の事 務 移 管 が実 施 され るた め に は、 地 方 公 務 員 数 の充 実 が な けれ ば な らな い 。 地 方 自主 財 源 の 確 保 も必 要 で あ る。 これ らがす べ て こ の 国 で は 「審 議 中 」 で あ る。 現 在 の と ころ 、 経 済 発 展 はバ ン コ ク とそ の 周 辺 地 域 を受 け皿 とす る こ とで ほ ぼ十 分 で あ る との認 識 が あ るの で は な か ろ うか。 フ ィ リ ピ ン にお い て は 、 開発 志 向 は 、 市 町村 レベ ル で の市 長 の企 業 家 精 神 に よ って 担 われ て い る。 世 界 銀 行 やIMFも 国 と州 を飛 び 越 して 一 挙 に 地 域 を世 界 市 場 に結 び つ け る よ うな 発 展 が望 ま しい こ と を示 唆 して い る。 開発 経 済 の 主 体 が 市 町村 レベ ル にお りて い る とい う印 象 で あ る。 た と えば 、 ダバ オ 、 セ ブ な どの拠 点 的発 展 が あ り、 そ の発 展 が それ らの周 辺 地 域 に トリ ッ クル ダ ウ ン して い く こ とが 期待 され て い る。 フ ィ リ ピ ン の基 礎 自治 体 に あ た るの は バ ラ ンガ イ で あ るが 、 この 単位 が マル コス独 裁 時代 に で き た とい うの は多 くの こ と を示 唆 す る。 バ ラ ンガ イ は 市 民集 会 が発 展 して 出来 た末 端 行 政 単 位 で あ る 。 マ ル コス は、 他 の 勢力 を飛 び越 して 独 裁 の 正 統性 を 当初 非 公 式 的存 在 で あ っ た 市 民 集 会 に 求 めた 。 こ の こ と は、 旧勢 力 を温 存 させ る こ と を意 味 した。 権 力 の 基礎 を 地域 の組 織 に 求 め るの は各 国 に お け る新 権 力 が とる戦 略 で あ る22。こ の よ うに考 え る と、 フ ィ リピ ン の 中央 政府 に よ る 開 発 主 義 に基 づ い た 地方 戦 略 がnegligibleと も断 言 で き な い が 、 戦 後 日本 の府 県 を 21玉 田芳 史 「開発 事 業 にお け る 中央 集 権 と地 方 分 権 」(村 松 岐 夫 編 『途 上 国 の 地 方 分 権 と 開発 』 平 成13 年3,月 、 科 学 研 究 費 成 果 報 告 書 、 課 題 番 号11552001)も タイ の 開発 事 業 が 中央 官 庁 の 仕 事 で あ る こ と を指 摘 して い る。 タ イ につ い て は次 の よ うな 趣 旨の 説 明 を永 井 史 男(本 書 第6章 執 筆)か ら受 け た こ と が あ る 。 タイ で も80年 代 に入 って か ら、 中部 タイ 、北 部 タイ 、南 部 タイ 、東 北 タ イ の い くつ か に経 済 発 展拠 点 都 市 を作 り、 そ こ に 中央 か ら直接 投 資 を行 うとい う。 しか し、 こ の計 画 は 、経 済 の 大規 模 化 を 計 画 す る とい うよ りもバ ン コク に一 極 集 中 す る人 口 を地 方 に も分 散 させ 、 中央 ・地 方 の所 得 格 差 を な くそ う とい う点 に重 点 が あ った 。 22こ の 種 の集 会 が政 府 制 度 に な っ た とい うの は珍 しい。 この レベ ル の行 政 の 必 要 が満 た され て い な か っ た の で あ ろ うか 。

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第7章 アジア諸国の政治秩序の形成 と地方分権(村松) 動 員 す る の と似 た大 規 模 で実 効 的 な 地 域 開発 計 画 は存 在 しな い。 イ ン ドネ シ ア で は 、建 国以 来 、 連 邦 制 を採 用 す るべ し との主 張 も あ り、 実 際 に も数 年 間 の経 験 が あ る が 、 概 して 集 権 シ ス テ ム で 統 治 され て きた 。 ス ハ ル ト時 代 の1974年 第5号 法 は 、 そ の 当 時 の集 権 シ ステ ム を確 認 しよ うとす る も の で あ っ た。 しか し、 ス ハ ル ト以 降 、 ハ ビ ビ時代 にお い て他 の 多 く の公 約 と とも に地 方 自治 拡 大 が行 われ 、 これ が ワ ヒ ド政 権 で も メガ ワテ ィ政 権iでも継 承 され た。98年6月 に ス ハ ル ト政 権 が崩 壊 した が 、 そ の約1年 後 に 地 方 行 政 の基 本 と中央 地 方 の 財 政 均 衡 の枠 組 み を決 め る法律 が成 立 してい る ので 、 制 度 面 で の 対 応 は 素 早 い と 言 っ て よい 。 地 方 分 権 は政 権 担 当者 に 差 し迫 っ たテ ー マ で あ った こ とが 分 か る。 権 限 の決 め方 は、 中央 政府 の 権 限 を列 挙 し、 そ の他 の権 限 を州 以 下 の地 方 政 府 に委 ね る とい う方 法 で あ る。 開発 を埋 め込 ん だ 中央 地 方 関係 の制 度 化 の た め に は 、府 県 あ るい は 中間 団 体 が 重 要 で あ る と考 え る筆 者 か ら は地 方 自治 拡 充(地 方分 権)と い え ば州 制 度 に注 目す る こ とに な るが 、 イ ン ドネ シ アで 実 際 に進 行 した の は、 州 レベ ル 以 下 の 地 方 制 度 につ い て の 綿密 な 法 制度 化 で あ る。 こ こ で は、 開 発 と地 方 制 度 の 関連 は 、今 の と こ ろ筆 者 に は定 か で はな い23。 こ こで 直 接 の研 究 対 象 と して い な い マ レー シ ア で は、 開 発 型 経 済 の組 織 的 な運 営 が な され て い る。 こ こで の 地 域 の位 置 は明 らか で は な い 。 地 域 よ りもプ ル ミ トラ優 先 の よ うな人 種 と宗 教 に 関わ る リソー ス 再 配 分 が 重視 され て い る。 5.結 び 90年 代 の ア ジ ア の 途 上 国 にお い て は そ の 経 済 発 展 に よっ て 民 主 制 へ の 移 行 の条 件 が 生 ま れ つ つ あっ た 。 経 済発 展 が続 けば 、順 調 に 民 主 化 を発 展 させ 成 功 した と も考 え に くい が、 経 済 発 展 に よっ て成 長 した 中間 層 は 、 これ らの3国 にお い て も、 他 の ア ジ ア の 国 々 で も民 主 化 の 政 治 過 程 を動 か して い く大 きな 要 因 に な っ て い っ た で あ ろ う。 そ の模;索の 政 治 過 程 の 中 で 、97-98年 の経 済 危 機 が 生 じた 。 そ して い くつ か の 国 で それ は 政 治 的 危 機 とな り、 イ ン ドネ シ ア の 場 合 、 スハ ル ト体 制 が 崩 壊 した 。 「体 制 」 の崩 壊 にい た らな い 国 々 で も 、既 存 の 体 制 は 弱 体 化 し、 多 くの 途 上 国 で い っそ うの 民 主化 に 向 け て シス テ ム の 転 換 が始 ま っ た と言 っ て よい よ うに 思 わ れ る。 民 主 化 途 上 の再 出 発 で あ る。 しか し、 そ の 再 生 は再 びODAに 依 存 す る と ころ が 大 きい 。 こ の 過 程 が成 功 す る の か ど うか は 、90年 代 の 政 治 経 済 危 機 に と もな う混 乱 の程 度 、 政 治 的 再 出発 の 順 調 さ、 経 済 回復 の 能 率 にか か って い る。 こ う した 緊 張 の 中で 地 方 分 権 は97年 23州 制 度 の 議論 で は 、開 発 を 制度 に織 り込 も う とす る企 図 は感 じ られ る。州 制 度 を ど う扱 うか は 、 アチ ェ 特別 自治 州 や イ リヤ ン ・ジ ャヤ 州 の独 立 要 求 を ど う処 理 す るか とい う政 治 的 判 断 で も あ る。 ま た ス ハ ル ト時 代 に お け る 中央 集 権 の仕 組 み の 中で 開発 が 遅 れ る地 域 が あ った とい う経 験 か ら地 域 の 自主 的 な 開 発 を促 進 す る こ と も考 慮 の 中 に あ る。 州 の 自治 を 拡 大 す る とい うこ とに な れ ば 、 そ こに は 天 然 資 源 の 豊 富 な 地域 に独 自の 取 り分 を認 め る意 味 も あ る。

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