ナビール・アルティクリーティ(メアリー・ワシントン大学准教授):まず今回、JIIAに招へい いただいたことに、深く御礼を申し上げます。いま酒井先生が私の申し上げたかったこと、つま り、スンニとシーア、そしてクルド族という三部構成に関して話されたわけですが、先生とは違 う観点からお話しさせていただきたいと思います。
まずコメントということで、最初のアブドゥルジャッバールさんは歴史について触れたわけです が、おっしゃった点のほとんどが非常に正確だと思います。ただ、世界で地理的な決定論に意味 があるというのは、まさに日本という島国だからかもしれません。他の国にはこれは適用されな いかもしれません。また、イラクというのは行政単位であると。民族国家ではなかったけれども、
オスマン帝国の中ではいわゆる行政地区に過ぎなかったとおっしゃったわけです。
イラクというのは時に建設的なユニットであり、そうでない時もありました。単位であった時も そうでなかった時もあったわけです。オスマンの地理的なところでは、イラクというのは地域に 過ぎなかったわけです。
ひとつ文献が書かれていて、そこではっきり示されている点ですが、バグダッドはオスマン帝国 の下では三つのプロビンスのうちのひとつであったわけです。それぞれ歴史によってどこが重要 かは違ったわけですが、バグダッドを通じてということでバグダッドの重要性がありました。
それから最初のスピーカーがおっしゃった点、特に君主制の第2期の時の国家建設について、そ の5カ年が、まさに近代的なイラク建設の時期にあたるという説が妥当かどうか、今の私には判 断できません。
この三部構成、トライパータイトの考え方、三民族構成ということですが、ワシントンで話をす ると、意外なことに日本の同僚から日本でもこのアイディアがよく知られているということを聞 きます。私はそう思ってはいなかったのです。日本人の外交官がアメリカの外交官と同じように この点をご存知だったとは思っていなかったのですが、楽しい意味で意外に思いました。
ですからこの点について、私の 10 分間で触れたいと思います。通説としては、イラクはイギリ スによって人為的につくられたと。そして三つの州から成っている。モースルとバスラとバグダ
ッドということです。しかもスンニとシーアとクルドという三民族だということが、ワシントン で普通いわれているわけです。
5 年ほど前に、私はワシントンへ行ってこれに反論しました。その反論ですが、まず第一点に私 が申し上げたのは、イラクというのは何らかのかたちで地理的な単位として存在していたという ことです。南部と北部の側面があったわけです。バベルとメソポタミアであり、アル・ジャジー ラであり、それから南の方にもありましたし、それより歴史はあったようです。
それからモンゴル以降の 13 世紀の時期には、イラキアラブとして知られていたわけです。これ はイラキアラブ対イラキアジア軍と区別していると。イランニアンのイラクとアラブのイラクが あったということです。アラブのイラクというのは、今日のイラクの前身ということになります。
それからメソポタミアの後、そしてアル・ジャジーラの後ということですが、すべて地理的な
determinismということだと思います。
さきほど申し上げたように、オスマン帝国の下ではイラクは行政単位、行政地域であった。そこ にはまとまりがあったわけです。そして、その官僚制度の中で行政地区として扱われていたとい うこと。
ただ三つのモースル、バグダッド、バスラですが、これは三つのオスマン時代の構造であったと。
19 世紀後半の行政の定義上でこの三つがあったということです。これがイギリスが統治する前、
第一次世界大戦前のオスマン帝国の最後の時代の30年間だったわけです。
この地域ですが、それがスンニとシーアとクルドにはそれぞれ合致しなかったわけです。さきほ ど示していた地図は非常に役に立ったのですが、このマップではなく、もうひとつの民族によっ て三つに分かれていた地図のほうを見てください。
なぜそれが合致しないかといえば、バスラです。これは非常に南の地区ですが、スンニが支配し ていた。そして、スンニあるいはバスラの都市のキリスト教徒が州としてコントロールしていた。
バグダッドは北と南の中央あたりですが、おもにシーアであった。モースルに関しては非常に様々 で色々なものがあったわけで、必ずしもクルド人が過半数ではなかったわけです。ですから、三 つに分かれていたわけではないということです。
もうひとつ申し上げたいのは、さきほど教授がおっしゃった点と同じですが、2003年以前、イラ クはいわゆる宗派的な考え方をしていなかった。むしろディビジョンであった。分断はあったわ
けですが、分裂の仕方は違ったわけです。分類として、2003年以前のものはアメリカ人がこのス ンニ、シーア、クルドというアイディアを提起する前の時期です。
意図的にそうしたわけではなく、たまたま知的に少し怠慢であったということでこういった分類 があったのだと思いますが、2003年以前にはもっと重要な分断があります。バース党と非バース 党、あるいは反バース党というものです。
クルド系とアラブ。これが 2003 年以前には、さらに重要な分類でした。民族的な分類、そして 言語的な分類、バグダッドと他のプロビンスということ。バグダッドであれば首都の人間でコス モポリタンであると。どういったかたちにしても、他の遠くの州の人たちとは違う。
それから国家なのか、国家ではないのか。国家の一部であれ、官僚なのか政治家なのか軍人なの か、それとも国とは全く関係のない人間なのか。これも重要な分類でした。民族の単位というも のも、2003年以前は宗派、侵略の後よりもずっと重要であったわけです。
政治的にも色々な構造がありました。さきほど最初に申し上げたようにアラブのナショナリスト、
イラクのナショナリスト、シーアのコミュニタリアン、それから反シーア主義、共産主義、それ からいくつかのもう少し小さなグループというような分類もできました。これは歴史を振り返っ てみればということです。
そしてスンニ派ですが、私の考えでは、必ずしも自らをスンニとは位置付けてはいなかった。例 えばアメリカの白人は必ずしも自分を白人と位置付けていない。スティーブン・コルベアという コメディアンがいますが、彼は白人であるということで、必ずしも人種ということを見ないと。
当たり前と考えてしまうわけです。同じようにスンニとシーアに関しても、2003年はいまのよう な見方はしていなかった。一部それを選ぶ人もいて、反シーア主義の人はそういった見方をした かもしれませんが、他のシーア派はそうは思っていなかった。ですから、アメリカ人が作った考 え方だと。
それから、ひとつ証拠として 2003 年以前にはなかったという証拠。宗派戦争が起きたのは、例 えば16世紀にさかのぼってお互いを侮辱すると。タクフィールといった言い方は16世紀の言い 方だったわけです。まさにその時に400年前に最後の宗派的な紛争があり、その時の言葉を侮辱 に使ったと。今、イラクにナショナリズムというものが少し帰ってきました。そして、これがか なり力をつけてきていると思います。
最後に申し上げたい点は、日本の潜在的な役割ということです。私はトルコに非常に注目すべき だと思います。トルコは地域において、非常に急速に重要性を増しています。イランとの関係も 非常によく、様々な水準で付き合っていますし、シリアとの国境も開放しています。これは大き な変化です。
さらに、トルコはイラクのクルディスタンの経済をしっかりコントロールしています。クルドの 経済に関しては絶対的なコントロールです。そしてトルコ側の希望としては、徐々にオスマン帝 国のスペースをまた作りたいということだと思います。それを露骨に言った政治家も数は少ない ものの存在します。これに関しては徐々に進歩がある。前進している。日本の外交官の方は、そ れに注目していただきたいと思います。すなわち変貌するトルコの役割です。
それから日本がこの地域のために何ができるかということですが、まず第1点として、チグリス・
ユーフラテスの川に関して日本が果たす役割があると思います。チグリス・ユーフラテスに関し て、イラク、トルコ、シリアの間の合意をする上での役割というものがあると思います。また、
ニッチとして技術移転といったものももちろんあります。
それからトルコのイニシアティブに力を貸して、もしトルコの役割がポジティブだと日本が思う 時にはそれに力を添える。それからある意味でカウンターウェイトとして、中国のこの地域にお ける影響にカウンターウェイトとしての役割を日本が果たす。アメリカの影響は段々減ってくる と思います。アメリカの経済や政治制度といったものに関しては減ってくるということです。そ れから、対立の調停と平和の構築が、日本に期待されています。
酒井啓子(東京外国語大学教授):いまパネリストからコメントをいただいた後に、フロアから のご質問もお受けしたいと思います。お手元に質問票の用紙が配られていると思います。もしお 手元にない方がいらっしゃいましたら、手を挙げていただければ事務スタッフの者がお配りいた します。そちらにご記入いただき、次のパネリストである山尾さんのコメントの後に提出してい ただきたいと思います。御案内が遅れて大変申し訳ありませんが、次のパネリストの後にご提出 いただきますのでよろしくお願いいたします。
それでは、パネリストの最後に九州大学の講師である山尾大さんにコメントをお願いいたします。
山尾さんは、今年の3月に博士論文を出されて博士号を取得された新進気鋭のイラク研究者です。
彼の博士論文のテーマがイラクにおけるイスラム運動、シーア派のイスラム運動ということで、
まさにいまマーリキー首相が率いるダアワ党、あるいはISCIと呼ばれるハキームの政党などが どのように成立してきたか。あるいはその思想は何かというところに焦点を当て、アラビア語、