KSKQ
第三都郵便物題可KSXQ(サロン・あぺの)通巻増刊3g号19gl年11月29日出会レ、 ふれあレ一 助もナ合レー
あペの巨∃
ようやく秋らしさが増してき
た十月十九日︵土︶午後一時〜
四時︑育徳コミュニティセンタ ー研修室において︑大阪府立大 学社会福祉学部助教授の定藤丈
サロン・あべの十月の出会い 毎月三回︵一〇二一〇二二〇日︶発行一九九一年九月三日弟三棚郵釜可弘先生を招いて﹁社会福祉のQ
OL﹂というテーマでお話を伺
った︒
クオリティ︒オブニフィフ︵
QOL︶ということばは︑経済
の分野では︑物質的な豊かさを 追求することから心の豊かさを 求めることの重視に転換するこ とによって﹁生活の質を豊かに する﹂ことをめざすという概念 で捉えられている︒
社会福祉のQOLという場合
には﹁重度障害者の自立﹂をめ
ざすことを中心にした概念とし
て使われている︒﹁ADLから
QOLへ﹂というスローガンに
みられるように︑日常生活の自
立︵ADL︶だけを自立とする
ではなく︑もっと有意義な生活
を獲得する﹁人間的復権﹂をめ
ざすことがQOLの基本的な考
え方である︒
例えば︑衣服の着替えを二時
間かけて自力でやり︑そのため
に時間がなくて外出できない人
と︑人に手伝ってもらって十五
分で着替えて仕事や活動に出か
ける人を比べてみると︑ADL
の観点でみれば前者の方が自立
しているといえるかも知れない︒
しかし︑有意義な生活という点
では必ずしもそうではない︒ど
(1)
第三種郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)通巻増刊3g号19gl年11月29日
・
ちらを選ぶかは個人の選択の問 題であるが︑身辺的自立を基本 にした人間的尊厳の捉え方を変 えて﹁依存による自立﹂を理解 するという発想の転換が必要な のである︒自立の条件として大切なこと
は︑まず障害者の自己決定と選
択が確保されるということであ
る︒これは自立生活に不可欠な
介助者との関係において︑介助
者を自らの意志で管理し︑良い
人間関係をつくることであるが︑
そのためには自らの生活を自己
管理できなくてはならない︒ま
た︑さまざまなサービスの提供
﹁クオリティ オブ ライフ﹂に関して︑
書いてくださいとの御依頼︒しかし︑大正
世代で小学校卒だけの私には︑恥ずかしな
がら何のことやらサッパリ︒娘に聞くと﹁
生括の賢の向上という意味や﹂と一言︒こ 思いつくま1に を受ける専門家に対しても︑自 立した対等な関係をつくってい くことが必要であるが︑これは 消費者の立場郁らサービスの運 営に参加するということである︒ 障害者自身が障害者の相談に応 じるピア・カウンセリングも自 立の意識を高めるとともに障害 者の社会参加の場︑働く場とし て重要である︒
自立するためにはリスクヘの
挑戦ができるかどうかが大きな
要因となる︒親の丸がかえの考
え方が自立の妨げになっている
のであり︑失敗を恐れず︑失敗
を積み重ねることによって自立
れでは情ないが益々判からない︒あまり考
えたこともないテーマだが︑自己流解釈で
取り敢えずペンを執ることにしょう︒
さて︑生活の質ということだが︑それは
物と心に区分出来るのではないだろうか︒
⁚甲北野俊一
が獲得されることが理解されな ければならない︒もちろんその ためには安全管理を徹底して行 うことは当然のことである︒QOLを実現していく上で最
も重要なことはひとりひとりの
ライフスタイルを確立するとい
うことである︒決まりきった型
にはまることをやめて︑その人
なりの個性のある生活をめざし
ていかなければならない︒職業
的能力を人間の評価の尺度とし
てきた一般的な考え方が重度障
害者に自立の大きな壁になって
きたことに挑戦して︑あえて働
くことを拒否することもそのひ
誰しも家電製品の完備した一発小屋ではない
家に住み︑最新のファッションを着て︑グ
ルメとやらで食べ歩く︑そんな夢をコーマ
シャルが目から耳から入り乱れ﹁あれもほ
しい︒これもほしい︒﹂でも物をいくら摘 定藤先生には︑当日お体の調 子が良くない中で︑ユーモアを 交えながら予定の時間をオーバ ーして熱心なお話をいただいた︒ このお話をもとにして十一月出 会いで自分自身のQOLを考え ることとして閉会した︒
この日の参加者は二〇名︒司
会は原田仁︵まとめも原田︶ とつの考え方である︒働くこと が自立生活を制限するものであ れば︑より可能性のある生き方 を追求することもQOLの実現 のためには必要なのである︒
第三鍾郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)通巻増刊39号1991年11月29日
えても︑美食の限りをつくしたとしても︑
それが生活の向上とは言えないでしょう︒
人の慾望は限りありません︒大和の山の辺
の追の村はずれの小さな寺の門の脇に〃何
不足︑生れた時は丸裸︑今在るものをあり
がたく⁝⁝云々〃と書いてありました︒
勿︑今の世は高齢化社会へと進んでいま
す︒私も二度の定年を過ぎ〃年金〃とやら
も頂く立派な?老齢ですが︑頭が弱いせい
か︑それとも体が丈夫な為か︑全くその意
識が無く︑元気で働いております︒でも脈
ては忍び寄るであろう〃老い〃に立ち向う
ことは常に考えております︒﹁美しく老ゆ
る﹂とかの言葉がありますが︑それは心︵
気持︶の豊かさの表現ではないでしょうか︒
生腹鼓育とかいわれていますが︑超味と
か教義を身につけることは︑老醜からへの
逃避ともなると思っております︒カルチャ
ーセンターとやらも良いでしょう︒多くの
人に接する機会を作る︑いわゆる〃ふれあ
い〃は年齢を重ねる程大切なことと思って
おります︒ですが︑そんな暇もお金も無か
っても︑また私の様に無学︑無数着であっ
ても︑それなりに今よりも少しでも向上心
を持つことだと思います︒知ることであり︑
誠ろうとする心こそ常々持っておりたいも のです︒生括の合理化︑利便性は必要なことです︒
物を買わねば︑資太主義経済は成り立ちま
せん︒唯︑自分の力の範囲内で収めるべき
だと思います︒昭和初期の俳人僧に種田山
頭火という人がおりました︒寺もなく家も
なく金もない乞食功主でしたが︑自然を愛
し︑人を愛し︑動物を愛したその句はどん
底の中の幸福そのものでした︒
十 二 月 の 出 会 い
日 時 平成三年 十二月 七日︵土︶
午後一時〜四時
場 所 幸分ホール
︵育穂園=いつもの研修室の北向
い側の建物=三階︑スロープ・車
椅子トイレあり︶ ﹇大阪市阿倍野
区阪南町五−十二−五﹈
内 容 ﹁ジングルベルが聴こえたら
今年もHAPPY XmaS!﹂
ゲスト
﹁アンサンブル・ひまわり﹂
会 費一〇〇〇円︵プレゼントを含む︶
申 込 十二月三日迄
問い合わせ 阻.喜・冨T−ONひ︵宮田慶子︶
♯ 感 謝 し ま す ♯
カンパ・冊子・はがき・バザー用の品等
ありがとうございました︒
お礼を申し上げます︒
十月のカンパ 金六︑000円
秋野富美子︑小倉寛一︑金子花江︑
斉藤良造︑中野君江︑松田峰子︑
匿名二名様︵敬称略︶ 丸山寿美子︑
お ㌣HV ら
(3)
第三種郵便物懲可KSKQ(サロン・あぺの)通巻増刊39号1991年11月2g日
大阪市リハビリテーション市民講座
その一
十月十九日︑二〇日﹁サロン・あべの﹂
の例会を今回はパスさせてもらって︑長居
の身障者スポーツセンターで開かれた﹁大
阪市リハビリテーション市民講座﹂に参加
した︒
今回のテーマは﹁バリア・フリーの社会
をめざして﹂︒
﹁バリア・フリー﹂?︑このなじみのな
い横文字を自分なりに解釈してみようと考
えながら会場に入り︑受付で渡された冊子
に目をやる︒
何のことはない︒その一ページ日にちゃ
あんと﹁バリア・フリー﹂について解説の
一文が載っていた︒やはり主催者の方々も
いろいろと気を使ってくれている︒
いけない事かもしれないが︑無断で一部
をここで引用させてもらう︒
ナンペイの
ひとこと&ふたこと◎
﹁バリア・フリー︵﹁障壁のない﹂とい
う意味︶⁝⁝聞き憤れない言葉かもしれま
せん︒﹁バリア・フリー﹂とは︑障害のあ
る人も︑ない人と同じように社会参加をす
すめていくときの基準となる考え方で︑物
理的に障壁のない状態をさしています︒例
えば︑建物が︑入口や内部に段差がなく︑
エレベータが設置され︑車椅子利用者単独
でも利用可能な状態にあるとき︑﹁バリア
︒フリーである﹂といえます・・・・︵以
下略︶ ﹂
なるはど車椅子の障害者が︑ひとりでも
行きたいと思う時に︑行きたい所へ自由に
出掛けられる︑もちろん自立︵あるいは自
律︶した生括も営める︒そんな社会の状態
を﹁バリア︒フリー﹂と呼ぶことがわかっ
た︒ついでに︑この冊子の表紙には十一月
の中頃から全国ではじめて走るという︑リ
フト付路線バスの完成予想図が描かれてい て︑このバスの絵によって﹁バリア・フリ ーの社会﹂をめざしている︑この帯座の主 催者である大阪市の姿勢を強調しているこ ともよくわかった︒ただ︑このバスを走ら せる大阪市の交通局では︑リフト付バスに 乗るときでさえ介助者が必要だと考えてい るとかで︑それではどこが﹁バリア・フリ ー﹂をめざしているんだろう︑と頭をかし げたくなる︒
もちろん本当の﹁バリア・フリー﹂の言
葉のなかには︑ただ単に物理的な﹁障壁﹂
を取り除くだけではなく︑差別や偏見とい
う心理的﹁障壁﹂の存在をも認めない︑許
さない社会の状態を指すのであって︑二日
間の講座でも各港隕着から心理的﹁障壁﹂
をなくするための努力がいかに必要か︑と
いうことが何度となく語られていた︒物理
的・心理的︑どちらの﹁障壁﹂を取り去る
ことが重要かなどと比較するものではない
が︑その困難さからいえば追かに﹁心理的
な障壁﹂を消すことがより大きなウエイト
を占めることを︑喪を聞きつつあらため
て思った︒
︵講演の内容は次回に書かせて戴きます︒︶
南 光 龍 平
第三楓郵便物認可KSKQ(サロン・あぺの)通巻増刊39号1991年11月29日
平成三年十月二六︑二七日ついに︑第二
七回全国身体障害者スポーツ大会︻ほほえ
みの石川大会︼が素晴らしい秋晴れの下︑
石川県で開会された︒
選手団の入場行進が南の沖縄県から始ま
り︑行進の順番を待っているうちに徐徐に
緊張の高まりを感じながら私達大阪市選手
団も行進に続いた︒兢技頓に入るとスタン
ドから大勢の観客の温かい拍手や声援が選
手団を迎えてくださる︒私達もそれに応え
ながら行進していくと正面スタンドには皇
太子殿下がお見えになられていた︒
ほほえみの石川大会 汰漁欝㌢紘飽膠r敵遜欝★
山 村 貴 司
入場行進がおわり各選手団が整列し︑石
川県知事の開会宜言が行われ︑大会関係者
の挨拶の後︑皇太子殿下のお言葉を承った︒
その後︑石川県内の聾学校の児童・生徒に
よる鼓笛隊の妖美が始まり︑その演奏を聴
いているうちに脱がいっぱいになってしま
った︒開会式がおわり選手団は退場し︑そ
れぞれの競技場へと向った︒
私の第一日日の競技種目は水泳二五m平
泳ぎで︑プログラムでは出番が早かったの
で︑早速着替えて順番を待っていた︒入場
行進でも緊張していたのに︑兢技となれば
より一層緊正した︒水泳会場でも温かい声
援が自分を励ましてくれた︒そして︑自分
の出番がやって乗た︒コース手前の椅子に
座り︑名前が呼ばれ水に入り︑スタート準
備︒ ﹃ヨーイ・ドン﹄︒
練習してきたこと全て出し尽くそうと︑
もう無我夢中で泳ぐ︒
﹃ゴール﹄︒
兢技の結果は第一位の金メダル︵障害区分 肢体3−3の部で大会新︶︑表彰台の上で
金メダルを首にかけてらった時は本当に嬉 しかった︒
第二日日の競技種目はソフトボール投げ
でこの結果は残念ながら第四位︑けれど精
一杯やれた︒他の選手達もそれぞれの兢技
で日頃の練習の成果を発揮して︑競技後︑
爽やかな笑顔でお互いを潰えあっていた︒
身障者国体に出場し︑金メダルを獲れた
ことは嬉しかったが︑それ以上に嬉しかっ
たことは多くの人と出会い︑そして友情の
輸が広がったことたった︒地元の人々の各
競技会場での拍手や声援︑会場周辺の道路
での励ましの言葉︑閉会式の惜別の退場行
進︑選手団のお世話をしてくださった石川
県職員の方々やコンパニオンの人達との交
流︑これらの全てが私達に深い感動と素晴
らしい思い出を与えてくれた︒けれど私達
は今年の身障者国体に行けなかった人や行
きたくても行けない人がいることを忘れて
はいない︒だから︑私達が一生に一度の身
障者国体で体験した言葉で言い表わせない
感動を︑まだ出場していない多くの人達に
これからの大会で体験してはしいと願って
いる︒
(5)
第三緩郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)通巻増刊39号19gl年11月29日
皆さん︑こんにちわ︒
私は︑初夏の頃より手足に力が入らない
状態になって︑急遽七月初めに大阪大学付
嵐病院へ入院し︑朝髄の手術をしました︒
この手術前に頭と体を固定させる為︑ハロ
ーベストなる物を装着しました︒ハロー・
ベストという名は︑天使の輸︵ハロー︶と
胴着︵ベスト︶を結びつけた言葉です︒こ
のハローに四本の鉄の柱が直結され︑固い
プラスチックでできた胴着と固定される︒
頚の手術のあと︑首を一ミリも動かさない
ための装置で︑おへそのあたりから顔のて っぺんまでを完全に固定するのです︒丸三 カ月ずぅっと着けたまま過ごしました︒ベ ストと体の間には三〜四センチのムートン ︵毛皮状のもの︶があって拍一本入りませ ん︒夏のあつい時はしんどいでした︒又︑ かゆい時は困りました︒
看護婦さんが一日一回体を拭きに乗て︑
その間にあるさらしを換えてくれます︒さ
らし一枚がやっと入るだけでしたが︑段々
痩せてきて最近は拍が入るようになってい
ました︒ギプスをはめているのと一緒です︒
四角形の棚の中に頭が入っている感じです
ので︑寝返りをうつのも一大事で︑九〇度
をいっきに横にならなければいけませんで
した︒とにかく﹁しんどかった﹂の一言で す︒そのハローベストが今日︵十月二二日︶ 取れました︒そのかわりに発泡スチロール の軽い物で胸から顎︑首を固定して︑保護 する﹁フィラデルフィア﹂をしています︒ 顎がしまっているので痛いのですが︑食べ るのは楽になりました︒ハローベストは三 キロ程ありましたので︑軽くなった分︑動 きやすいはずですが︑不安感があって動く ことに用心深くなっています︒
しびれは残っていますが︑緊張がなくな
った様です︒リハビリで車椅子から並行棒
で立つ練習をしていますが︑緊張がなくて
立てるのが不思議に思っています︒
先々週︑家から電動事椅子を持ってきて
もらい︑今は病院内をちょくちょく走りま
わっています︒患者さんや姦婦さんとの
友達も増えて︑けっこう楽しんでいます︒
リハビリも順調で︑回復は早いと言われ
ていますので︑十一月中旬頃にはここ東大
阪病院を出られる予定です︒その日を楽し
みにがんばります︒
退院間近かとはいえ︑ご迷惑をかえりみ
ず病室へ電話取材をかけ︑申し訳ありませ
んでした︒
第三種郵便物毯可KSKQ(サロン・あべの)通巻増刊39号19gl年11月29日
団
こ
れ
ま で み
ナ骨・・翔一…
て き た よ う
に 社 協
と
民 間 推 進
六 社協のボランティアセンター
運営主体としての問題点
Volunteer Center
︵以下VC︶=社協という図式で社協にV
Cが設置されてきたきらいがある︒ここで
は社協のVC運営主体としての問題点をみ
ることによって役割分担を検討する要素を
考えたい︒もちろん社協も地域によってさ
まざまであるが︑一般論として考えたい︒
①社協の準行政機関的性格
社協は民間の自主的な組織であるとしな
がらも︑運営面・組織面などで行政とのつ
ながりや影哲が大きいのが現状である︒こ
うした性格は行政の意向にそったボランテ
ィアの育成になりやすいという危険性をも
っている︒とくに日本ではボランタリズム
の本質が広く理解されているとはいえない
ため︑ボランティアは行政のお手伝いをす
るものという考えになりかねない︒
②ボランティア活動の社協活動との一体化
社協の活動でも在宅福祉サービスを供給
する事業が︵地域福祉活動にせよ行政サー
ビスの受託にせよ︶多くなり︑その担い手
としてボランティアに対する期待も高い︒
そのこと自体はともかく︑社協の活動を反
映してボランティアの活動内容が在宅福祉
サービスの供給などに偏り︑多様な活動を
希望するボランティアに援助することがで
きなくなりがちであることが問題である︒ ③社協の連結調整機能上の問題
社協は地域の住民やさまざまな関係機関
や団体を組織して連絡調整を図る組織化機
能が大きな役割である︒VCもその中の関
係機関のひとつとして︑他の関係機関︒団
体と協力していかなければならないが︑調
整役の社協がVCを直接運営すると中立な
立場での調整が難しくなる︒
④社協の組織的活性化を目的とした
ボランティアの育成や組織化
社協ではボランティアを増やすことを組
織自体の活性化に役立てようという要素が
みられる︒しかし︑これはボランティアを
手段とすることになり︑本来の姿ではない︒
①〜④まで問題点をあげたが︑もちろん
これらはすべての社協にあてはまるもので
はなく︑社協の努力で解決しているところ
も少なくない︒しかし︑ここで考えるぺき
ことはVCは社協の専売特許ではなく︑よ
り本来的なあり方としての市民団体による
運営も検討しなければならないということ
である︒
原 田 仁
(7)
第三脚使物認可KSKQ(サロン・あべの)通巻増刊39号19gl年11月29日
他の教員にさそわれて︑ひとりの病 気の学生を見舞いに行った︒カーテン で仕切られた病室をみつけて中に入る と︑当の病人はカウンセリングを受け ているとかで︑ベットの上には誰もい ない︒そばには彼女の母親が何度も頭
を下げて︑ぼくたちに挨拶していた︒
なにやかやと話していると︑﹁T先 生には丁寧なお手紙までいただきまし て﹂ と︑母親が言う︒T先生とは︑ぼ 愛情の警 くたちの大学に果ている非常勤の先生 である︒過一回︑大学に来て諦義をさ れるが︑その他の日は福祉の現場で働
かれている︒病人が戻ってくると︑T先生の手紙 を見せてもらった︒この先生はある分 野ではかなり有名な人であり︑非常に 忙しく活動しているはずの人である︒ その先生の彼女への手紙は︑ゆつくり と落ち着いた筆跡で︑数枚の便せんに 形式に流れない親身な言葉でつづられ
ていた︒ ﹁T先生って︑いい先生だね﹂ と︑ぽくは言いながら手紙を返すと︑学生 は信じきったような蕨をして︑うん︑ とうなづく︒いやあ︑こんなことは︑ ぽくには到底できないよという︑ぼく なりの娩曲的な拒否的含みもあったわ けだが︑彼女は言葉どおり素直に受け
取っていた︒T先生の︑こうい︑つ人柄は︑ぼく自 身個人的にも知っていた︒ぼくは自分 のあるプライベートな問題をほとんど
それまで面識のなかった先生に偶然の 機会を利用して相談したことがある︒ それは︑先生の専門分野に重なること ではあったが︑どこまでも偶然の機会 を利用したにすぎなかったので︑聞き 流してくれてもよかったのだ︒しかし 数週間あと︑ヱちらが忘れたころにT 先生は自分の友人関係を使っていろい
ろ調べた︑つえで︑やはり丁寧な手紙を 下さったのである︒ なぜ︑こ︑ついう心の余裕があるのか不思議なのである︒実はぼくにも入院 している知人がいるのであるが︑手紙 一本書いたことがない︒書こうと思え ば書けるはずなのだが書いていない︒ 面倒という表現は︑使うのも申し訳な いが︑実際のところ短い手紙を書けな いほどに忙しい生活をしているわけで
はない︒手紙を書くにしろ︑相手の話をじっ くり聴くにしろ︑愛憎による行為に割 ける時間は限られていると思うのであ る︒高校時代︑試験までに二十四時間 残っていても︑勉強できるのはせいぜ い三︑四時間だったのと似ている︒注 意力や意識の集中を必要とする行為に は︑時間と労力が必要であり︑したが
ってできる行為の量は限られてくる︒こうした屁理屈で︑ぼくは人間の愛 情には総量的に限界があるものと信じ ている︒つまり人間が啓ける親身な手 紙の総数には限界があり︑親身な会話 に費やせる時間にも限界がある︒愛情
にも量的な限界があるのである︒図書館に行くと︑思想家たちの膨大
第三極郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)通巻増刊39号1991年11月29日
な著作集を見ることができるが︑これ とてこのよ︑つに文字の形で極めて効率 よく仕事の量全体が残されただけかも しれない︒同時代の勤勉なパン職人が もし青年時代から焼いてきたパンの蓄 積を図書館に並べるなら同じ驚きを訪 問する人に与えたかもしれないのだ︒ 愛憎の対象を人に限らず︑自然や仕 事や趣味括動などに広げて考えれば︑ 人間の愛情の総量は︑おおよそ誰にと っても同じようなものではないかと思 えてくる︒にもかかわらず︑それに差 異があるように見えるのは︑その総量 を相殺する何かがあるからだろ︑つ︒ それは虚栄心などを満たそうとする 自己愛的なものだと息︑つ︒自分に与え られた時間と労力を自分の中だけで浪 費してしま︑つ自己愛は︑何も産みださ ず︑死とともに全てを無にしてしまう 人間を残すだけなのである︒ T先生は内部障害者であると聞く︒ おそらく体力的には優れた人ではない だろう︒にもかかわらず多くの仕事を しながら︑たまたま出会った大学生に 心をヱめて手紙を書ける先生は︑きっ と私心のない人なのだろ︑つ︒そして︑ そのことが先生の﹁愛情の総量﹂を大 きくしているのではないかと想像して
︵知︶
いるのである︒
一段と力がいるけれど︑ゆっくりと閉じる ので心せく事なく出られます︒が︑軽いド アだと開けるのにはあまり力も入れなくて 開くのでよいのですが︑その半面早く閉ま るので気がせいて体が挟まれないかと心配 でなりません︒近くの郵便局へ出かけても︑用件を頼ん
でいる聞の待ち時間にも︑お年寄りの方が
こられたらドアを開けてあげて︑入っても
らう様に心掛けています︒
私の一番困るのは︑何時も行く美容院の
ドアです︒階段を三段上がり︑そこでドア
を開けて中に入ります︒帰る時は︑踊り場
があり︑ゆっくりドアを開けて出るのです ドアに思う事
中 野 君 江
昨今は︑どこへ行っても自動ドアで助か
っていますが︑まだまだ手動ドアが多くて︑
私達障害者にとって苦労の種の一つです︒
どっしりとしたドアの場合は開けるのに
︽新︾なんとかしてェ〜な
り﹁ボランティア活動を通して︑ふれあい
とぬくもりのある福祉のまちづくりに貢献
した⁝﹂として感謝状を受けました︒
これは︑いつもサロン情動にご理解下さ
る皆様方のご協力とご支横をいただいてい
これを励みにして︑より一層充実したサ
ロン情動を続けていきたいと思います︒
今後とも︑どうぞよろしくお願い申し上
げます︒ る賜物と思っております︒
が︑持つ所がないので気がせいて困ります︒
何時も行く所ですから︑休も早く慣れた
らとうらめしく患うのですが︑その日の体
の調子もあるので⁚・︒そこが障害者ゆ
えと自分で云いきかせている有様です︒
この度︑∧サロン・あべの∨が大阪市よ ﹁感謝状﹂授与
(9)
第三種郵便物牡可KSKQ(サロン・あぺの)通巻増刊39号1g91年11月29日
スウェーデン生活体験記
5
ピーター達の学校も見学させていただき
ましたが︑やはり︑障害児もいて介助者が
保障されていました︒学校の中は︑荒れて
いるようで落書きがあったりたばこなども
落ちていて︑障害児用のトイレもカギをか
けないと︑中に入り壊したりする子がいる
そうです︒
こんな日本と同じような問題を抱かえな
がらも︑福祉国家を集いているのだなぁと
思い︑スウェーデンがとても身近な国なの
だと思えるようになりました︒
ケア付き住宅も三個所見学させていただ
きましたが︑どこも地域に溶け込んでいて︑
障害者がいつでもボタン一つでヘルパーを
美智子のこんな話
毎月三回︵一〇ニー〇・三〇日︶発行一九九一年九月三日鱒二種郵便物波両
∞サロン・あべの紙の
朗読テープが出来ました∞
山木敬子さんのご協力で︑サロン・あべ
の紙六四号の録音テープが出来ました︒
バックナンバーは三九号から︑六四号の
分があります︒五〇号は五周年記念紙にな
っており九〇分と六〇分の二太のテープに
収録されています︒
サロン紙朗読テープご希望の方は︑冨田
までお申し出下さい︒ ︵m喜・冨T−ON豊 呼べるように工夫されていましたし︑二四 時間の介助保障が出来ていました︒
でも︑お風呂やトイレなどの同性介助は
出来ていませんし︑障害者の立場に立った
介助が出来るヘルパーは︑やはり少なく︑
入れ代わりも撤しいようでした︒
しかし︑日本の山奥の施設での雑居部屋
ではなく︑あのオーセたちの豪華な設備の
整った︑ケア付き住宅の風景が忘れられま
せん︒
ほんとうに︑この旅行は色々と初体験の
連続でしたが︑その一つ一つが︑これから
の私の人生にきっと自伝を与えてくれると
思います︒
充実した紙面でご報告したいとの 希いを持って新しくしました。
皆様と共に創っていくサロン紙で す。今後ともよろしくお願い致し
ます。 (T)
今月より「サロン。あぺの」紙 の表題字が変わりました。
サロン・あぺのの委員である斉 藤老文氏の筆による「サロン」と 活字の「あべの」を組み合わせ、
温かみのあるサロン活動をして、