ニI葛余レ、 一ミ、オ1あレ、 助もサイゝレ→
サロン・あペの
<サロン・あべの>NO.41
平成 元年11月25日(土)発行
∧サロン・あべの>十月の出会い
自然史博物館の玄関ホールに入ると︑大
きなナウマンゾウが鼻を高々と上げて︑私
達を出迎えてくれた︒このオリエンテーシ
ョンホールで館の展一空茶内のパンフレット
を受け取り︑各々が順路に従って自由に展
示室を巡った︒
当博物館は︑昭和四九年四月にこの地に
開館され︑六一年四月に展一変雪が一新され
ている︒人と自然とのかかわりを大阪とい
う身近な場所と自然をもとにして四つの展
示室で各テーマを持って︑私達に﹁自然と
人間﹂の関係をわかりやすく見せていた︒
○第一展示室
﹁大阪の自然﹂と崩して︑この一〇〇年 金木犀の香りがただよい晴天に恵まれた 平成元年十月ニー日︵土︶午前十一時〜午 後三時三〇分︑大阪市立自然史博物館︵東
住吉区長居公園南東角にある市立長居植物
園内︶を見学し︑十月の集いを持った︒べ惑 大阪の自然史を
○第二展示室ここでは︑﹁大阪平野のおいたち﹂から
順に時代をさかのぼり︑日東列島のなりた
ちや地球の歴史がそこに現われた生物の移 ほどの間に変化していった自然環境が再現 されている︒外国からの帰化植物︵西洋タ ンポポ等︶や魚介類︵ブラックバス・ムラ サキ貝︶ の対比展示に始まり︑今ではよほ どの郊外へ行かないと見られないであろう と思われる里山や村の自然が︑動植物の姿 を通して語られている︒ドングリ・シイの 実︑ネズミ・イタチ・イノシシ・シカ︑キ ジ︒スズメ・カラス等々︑なじみの動植物 達の姿が見られる︒
たずねて
り変わりを通してみられる︒
シダ類やアンモナイトの化石等が昔の姿
そのままに凹版画のよう︒人類の時代を迎
えるまでの生物の盛衰がはっきりと記憶さ
れている白魚の確かさを感じた︒また︑手
でさわれるコーナーも看り︑アンモナイト
や石炭の感触を楽しめた︒
記念撮影「ハイチーズ」
第二展示室から︑二階へ階段が通じてい
るが︑車椅子使用者には館のエレベーター
を利用させてもらえた︒大きな箱で電動事
椅子三台が一度に乗ってもまだゆとりがあ
った︒何回かに分けて十三台の車椅子が職
員のお世話になり︑二階の展示室へと移動
して行った︒
○第四展示室
﹁白魚のめぐみ﹂の代表として森林は︑
今日まで人間の食べ物や生活文化に深く関 ○第三展示室
地球が誕生して約四六億年︑そして生命
が現われてから約三五億年になり︑その間
に様々な生命が生れ進化して︑現在の地球
には二〇〇万種とも三〇〇万種ともいわれ
る生物が生活している︒その中で私達人間
も自然界の一員として進化してきた︒それ
は︑種の誕生から始まり生命どうしのつな
がりへと拡がっていく過程の中から︑二本
足で歩きだした人類にとっては全てに関係
している︒骨格棟木の姿を見れば︑それが
一目で解り︑一時﹁一皮めくれば皆同じ﹂
と感じ︑生命の重さ尊さを見た︒ わってきた︒科学.の発達した現在でも人間 は︑自然のめぐみを受けその関係にたよっ ている︒穀類︑野菜︑果物類︑いも類等々 豊かな自然の中にこそ私達の生括と文化の 繁栄が成り立つ︒道端の章一表でさえ地球 の仲間であり︑人間にとっては自然のめぐ みといえる︒生きている私達が大切に守り 育ててゆきたいものである︒ ○特別展示壷
ジャンプするクジラとして知られている
ザトウクジラの胸ヒレ部分の化石︵右肩甲
骨︑右上腕骨︑右とう骨︶が︑この三月大
阪市中央区の工事現場から出土し︑十月二
一日から三一日まで特別展示されていた︒
第二展示室で︑大阪平野の生いたちをみた 砦
わ.こチて見つかっ六=
ザトウクジラの骨格
出土した部分
時︑六〇〇〇年前には今の大坂城を先端に
して阿倍野区周辺を根にして上町台地がは
っきりと姿をみせていた︒海は生駒山のふ
もとまで広がっており︑河内持とよばれ大
きなクジラも入りこんで︑豪快な潮吹きの
姿がみられた⁝とは︑なんとも楽しい︒
地形と生物との関係が自然という大舞台
で見せてくれたはるかなロマン︒たった三
片の化石とはいえ︑合わせた長さは二・九
m︵ザトウクジラの平均的体長は︑十五m
前後︑体重六五七で胸びれが長い︶には︑
六〇〇〇年前の潮騒が感じられた︒
他に大阪のクジラとしてミンククジラ・
マッコウクジラの化石が展示されている︒
一時間余りの見学会をした後︑まぶしく
澄みきった青空の下に出た︒公園の大々は
まだ線が膿い︒バラ園の深紅のバラは香ぐ
わしい︒他のアヒルが水面を滑り︑噴水の
しぶきが虹を作る︒芝生広場にはお弁当を
広げる人達があちこちに見られる︒タイム
カプセルを抜け出してきたような自由な空
気を胸いっぱいに吸いこんで︑私達は陽気
にしゃべりあいながら木陰を選び︑車座に
なった︒∧サロン・あべの∨で用意したさ
さやかなお弁当が手癖され︑一時静けさが
流れる︒未もれ陽がゆれ︑鳥の声が遠くで 聞こえる︒何千年もの背から続いている営 み︑その一瞬に参加している私達︒黙って いるだけでも満ちたりた想いがするが︑お 腹がくちくなると元気に青臭が飛び交い︑ 自己紹介へと移っていった︒
今回は︑初参加老が多かったが︑特にボ
小春日和の昼下がり︑広々とした公 園での語らいはそれだけで楽しいもの ですが︑それにボランティアとして参 加きれた四人のアメリカのひととの出 会いが加わり︑異なった社会生活の一
こんな出会いもありました
盛観腎鹿野慮甑野
ランティアとして参加して下さったアメリ カの四人の青年方には︑あれこれ質問が出 された︒時ならぬ国際交流の場となり流暢 な日太請の答に安心して想うままに請nノあ え︑時間の経つのも忘れ予定時間を超えて三時半に解散した︒
司会は︑河合恵子さん︒参加者二八名︒
端をうかがうことができた今回のサロ ン︒このひとたちはいずれも十九1二 十一歳の大学生で休学して日本に采て いるそうですが︑滞日一年十ケ月のチ ャペルさんはとても日本語が巧み︒日 本にきて一年が過ぎたというアステン さんはフットボール︒バスケット・野 球が好きなスポーツ青年︒ジャズと演 劇ファンのリングウォールさんは来日 して二︒五ケ月︒バスケットと水上ス キ1が好きなダーフィーきんはまだや ってきて三週間︒アイダホから来たア ステンさん以外の三人は︑ユタ州出身︒ 全出席者の自己紹介のあと︑彼らに様 々な質問をしたり︑音楽や映画など話 の輪が広がりました︒そのなかで印象 的だったのはハンディをもった人も普 通の学生と変わらず︑大学で学んでい るということでした︒ ︵河合恵子︶
このたび︑南光龍平氏に﹁龍平・仁子の
ハワイ珍道中﹂を連載していただくことに
なりました︒南光氏は車椅子で︑昨年︑一
昨年とハワイや韓国へと横極的に出かけら
れており︑物見准山も地についた楽しいお
話が伺えることと思います︒ 物のはずみとは恐ろしい︒ 友達の家で︑一杯やりながら話しに花を
咲かせていたら︑いつのまにやらハワイヘ
行ってしまっていた・・・
というのは少 。
しオーバーだけれど今回のハワイ旅行は︑
友達との話の中で出た﹁東京ディズニーラ
ンドヘ行くのに二〇万円もかかるんや!﹂
という言葉につられて我が女房の発した﹁
それだけあればハワイヘいけるやん﹂の一
言で決った︒
一杯入っていた勢いも手伝い︑話はどん
どん膨らんでいき︑二組の夫婦の聞の夢物
語の中へ途中からもう一組の夫婦も巻き
込み︑いよいよ具体的な話へと進んでいく︒
じっは私達夫婦は昨年の一月にも十人余
りのツアーでハワイ旅行を経験している︒
その経験から﹁二〇万円もかかるんならハ
ワイヘ・・・﹂という音量が出たのだが︑
そんな経線があるおかげで︑今回の旅行の
幹事というか連絡役は私になってしまった︒
︹禍福はあざなえる縄の如︺ さっそく翌日︑前回のツアーでお世話に なった旅行社に電話︒
電話の相手は︑障害者の海外旅行を何回
も手掛けているNさん︒﹁またハワイヘ旅
行を考えているんですがお願いできますか
?﹂という私の言葉に︑最初はいつもの明
るい声で応対してくれていたが︑参加メン
バーの内容を話すうちに徐々に声のトーン
が落ちていくのが分かる︒
無理もない︒参加するのは夫婦三組︑う
ち二組は車椅子︒さらにそのうち二台は電
動車椅子︒残る一組はご両人とも松葉づえ︒
おまけに介護者はゼロ︒<普通∨の感覚か
ら考えれば︑はなはだ無謀且つ大胆な冒険
ツアーだ︒
それでも︑Nさんの努力の賜物で我々の
言いたい放嶺のスケジュールが固まってい った︒
五泊七日の日程︑観光用の潜水艦での水
中散歩︑スキューバダイビング︑サンセッ
トクルーズ︑フリーマーケットやショッビ
ングセンターでの買い物︑等々︒精一杯み
んなの希望を盛り込んだ楽しい旅の予感が
してくる︒ただひとつ最後まで決らなかっ
たのが︑こともあろうに出発の飛行機の時
刻︒夏休みの観光シーズンからは少しはず
れている時期で多少は空いているだろうと
いうことで︑わざわざ九月のはじめの頃を
狙って予定を立てたつもりだったのが︑こ
の時期になっても飛行機は満席︑棲み残し
まででる便があったとのこと︒改めて海外
旅行ブームの凄さを思い知らされた︒もっ
とも我々のような着でも出掛けて行こうと
いう時代なのだから無理もないなぁ︑と納
く︑本当にヒヤヒヤしながら出発の時刻の 感心したり・・・︒それはともか 得したり
決るのを待つ日が続いた︒
結局は︑成田経由のノースウエストの便
で行くことが決まり︑参加者一同ホッと胸 をなでおろす︒ところが︑いざ出発の日になってまたま
たハプニング︒
普段の行ないの悪い老の集団のためか︑
はたまた雨男と雨女の集りだったのか︑出
発当日は文字どおりバケツをひっくりかえ
したような︑というよりジャンボジュトも
飛べないような大雨︒なんと大阪空捲で四
時間も足止めを喰うはめになってしまった︒
しかし︑禍福はあざなえる縄の如し!?
未来なら一般の搭乗口からではなく︑荷
物用リフトに乗せられて別の搭乗口から乗
り込むことになっていたのが︑大雨と時間
の遅れとが重なってそんな遠回りなことを
している場合ではないという機長の判断で︑
結局一般の搭乗口から乗り込めるようにな
った︒おまけに︑我々の席が入口から遠い
ということもあって︑空いていたファース
トクラスに乗れることになった︒もちろん
成田までの一時間余りのことだったが︑フ
ァーストクラスなんて多分︵いや紙対に︶
最初で最後の経験︒﹁定刻通り﹂にはいか
なかったが︑そのぶんリッチな気分を満喫
︵つづく︶ してこの旅はスタートした︒
♯ 感 謝 し ま す ♯
カンパ・切手・ご協力ありがとうございました︒
お礼を申し上げます︒
十月のカンパ合計四〇〇〇円
柿岡 線︑関太邦雄︑匿名様二名
︵敬称略︶ 十二月のサロン
日 時 十二月 九日︵日︶
午後一時〜四時
場 所 育徳コミュニティーセンター
二階研修室︵賀−︶.幸吉忘き
内 容 ﹁クリスマスinサロン﹂
会 費 一二〇〇円︵すてきなプレゼン
トを用意しています︶
申込み先 十二月五日までに
冨田慶子阻.ロ㍗冨T−ロN∞ へ
染筆繋叢諺薫葦思索菜語群雑鶉整試肇専窯ず薫罫曇痛漫蕊
お し Pnノ せ
小学校の五年生の夏だったと思うのだが︑ 林間学校というものがあり︑ぽくは︑大き なお寺が頂上にある山で一晩すごしたこと
がある︒
そのとき︑住職のひとりが︑生徒たちの 前でお寺の説明をした︒﹁この山の中のお 寺で︑たくさんのお坊さんたちが︑みなさ
んの幸せのために祈っているんです﹂と︑
その人は言った︒
その一書が︑林間学校の思い出として︑
妙にあざやかに残っている︒ こんな山の中で︑祈って何になるのだろ
う︒それにこちら側が頼んでもいないのに︑ どういうことだろう︒祈ってくれているこ とさえ︑いままで知らなかったし︑それに
ぼく自身は仏様なんて信じていないのに︑
祈りをうけて
それでも意味があるのだろうか︒ まあ︑祈ってくれていても︑ぼくに面倒 なことがおこるわけではないから︑祈って くれるのは構わないのだけれど︑それにし てもわけのわからない話だなあというのが︑ 当時のぽくの印象だった︒ あれから二十年ほどたった最近︑ぽくが 以前通っていた教会の牧師かち︑一通の葉 書が届いた︒﹁あなたのことを︑紅拝の時 間に祈りました﹂という内容だった︒礼拝 の司会の人が︑ぽくのことを祈ってくれた らしいのである︒ 実は︑つい先日まで︑複雑な国情をかか えた外国人の女性と結婚することによって︑ たいへん面倒な問題にまきこまれていた︒ 教会の人たちは︑それをとても心配してく れていたのである︒林間学校の真の日から二十年たって︑ぽ くは再び︑自分の知らないところで自分の 知らないときに ﹁祈り﹂ を受けていること
を知らされたのである. 気づくことなく ﹁祈り﹂を受けていたと き︑ぼくは何をし︑何を思っていたのだろ う︒毎日と変わらぬままに新聞を読み︑あ るいはテレビを見︑地下鉄の座席にすわっ て︑うつらうつらと眠っていたのかもしれ ない︒ ﹁祈り﹂とは何と不思議な行為だろう︒ ぽくたちは﹁祈り﹂ によって︑神や運命を 動かすことはできないと知っているはずで ある︒それを知っていて﹁祈る﹂とは︑ど ういうことなのだろう︒
祈るとき︑ぽく.たちは手を合わせるのだ が︑それは手を広げて身構える姿勢とは全 く逆の︑無防備な危うい形である︒そのよ
うな︑外敵に対して無力な構えを通じて︑
ぽくたちは祈る︒ ぽくのことを言えば︑いまのぽくのひと つの祈りは︑重い病と関っている友人の回 復である︒その人が生命を保つためにぽく ができることは何もない︒しかし︑何もで きないからと言って︑その人の病のことを 忘れることもできない︒その人に会ったと き︑ぼくが戸惑うでもなく恐れるのでもな く︑真正面からその人を受けとめることが できるために︑ぽくができることは︑毎日
の ﹁祈り﹂ しかないような気がするのであ
る︒
﹁聞かれざる祈り﹂があると︑ぽくに葉
書を書いてくれた牧師は︑よく言っていた︒
しかし︑﹁祈り﹂は虚しいものではなく︑
わずかだが重みがあり︑﹁積み重ねる﹂ こ
とができるのだという気がする︒
﹁祈り﹂ はたとえ聞かれなくても︑祈ら れた願いは︑わずかな重みとともに︑ぽく たちの周囲に残るのではないか︒その重み
は積み重なり︑何かを確実に変えていく︒ 微風にも揺れる小雪の降り積もりが︑つい には大地を竪め清めるように︑ぽくたちの 小さな祈りも祈る者自身を変え︑やがては 祈りを受けたものをも変えていくのだと信
じたい︒ ︵知︶
平成元年十月二十八日 ︵土︶・二十九
日 ︵日︶ の両日︑大阪市身体障害者スポ
ーツセンターにおいて︑大阪市リハビリ
テーション市民講座が開催されました︒
六回目になります今年のテーマは︑﹃レ
クリエーション﹄ でした︒
少し冷たい風が吹いていたものの︑ま
ずまずのお天気に恵まれた二十八日︵日︶
に見学して来ました︒﹁旅﹂・﹁スポー
ツ﹂︒﹁ゲーム﹂ の三つのコーナーに分
かれた展示のほかに︑アーチェリー場で
は︑ミニ動物園が開かれ︑子供達も楽し
んでいました︒
その中で私が一番興味を持ったのは︑
﹁旅﹂ についての展示でした︒主に車椅
子の人を対象とした︑全国各地のガイド ブック ︵観光情報を含んだもの︶が集め
られ︑旅行に役立つ情報がたくさんあり
ました︒ ︽第六回 大阪市リハビリテーション市民講座︾ ●
リハビリテーションといえば︑歩行訓
練であったり︑職業訓練であったり︑と
かく︑自立するための手段と思いがちで
す︒また︑つらく︑きびしく︑暗いとい
うようなイメージがありました︒ところ
がこの市民講座では︑ゲームやスポーツ
や旅行など︑レクリエーションを通じて︑
生きていてよかったと感じ︑生きる意欲
を創りだそうと掟案しています︒つまり︑
レクリユーションは精神面からリハビリ
テーションを支えていくものではないで
しょうか︒
健常者とおなじように︑障害者にも豊
かな生活を営む権利があるのです︒人間
らしく生きること︑人生を楽しむことの
権利も︑保障されなければならないので
す︒障害者にとってのレクリエーション
が︑これから︑ますます注目されていく
ことを願います︒ ︵U︶
■肌 ■■■lll l川
ろうあ者福祉行政︒施策上の問題点
二.社会参加促進事業・その他の問題
この事業の主要部分をなす﹁手話通
訳関係事業﹂の問題点についてはこれ
までにふれてきたが︑そのほか難聴者︑
中途失聴者を主たる対象とする﹁要約 筆記事業﹂では︑登録奉仕員の数が不
足している︒このような奉仕員養成・
派遣事業は︑実際の登録者数だけでそ
の事業の充実度を判断することばで■き
ない︒奉仕員事業である限り︑事実上
旭 純 f
の活動可能音数はその一部に過ぎない
からである︒しかし行政側ば委託団体
からの数値報告のみにより事業把捉を
行いがちであるため︑行政とろうあ団
体の見方は矛盾する点が見受けられる
のである︒講習会を何回行ったとか︑
登録者数が何人などという数値上の実
績判断でなく︑もっと深い内容的把握︑
ろうあ者のニーズの把握を重視した事
業の実施が要求きれる︒
そのはか補聴器や日常生活用具の開
発は︑日常生活の不便を補足する上で
必要であるが︑補聴器の給付には所得
制限︑日常生活用具の給付には限度額
があって︑ろうあ暑が十分に利用でき
る制度となっていない︒また︑屋内信
号灯を受給している家庭で︑たまたま
来訪者があった時に他の部屋や台所に
いたり︑入浴中で気づかず︑あとで非
発されたり︑ひどい時には人間関係を
絶つ羽目になったという友人は︑各部 屋に屋内信号灯設置を認めて欲しいと
話していた︒
一方︑ろうあ者更生援護施設の不足
は︑施設収容の必要なろうあ者への措
置を著しく欠く原因となっている︒硯
∞サロン・あべの紙の朗読テープが出来ました∞
﹁阿倍野区ボランティア連絡協議会﹂の
朗読グループのご協力により︑サロン︒あ
べの紙の録音テープを作っていただいてい
ます︒サロン紙四〇号は︑梶原慶子さんに
朗読していただきました︒バックナンバー
は三八号︑三九号があります︒
サロン紙朗読テープご希望の方は︑冨田
までお申し出下さい︒ ︵m宗よ芝⊥ON豊
行制度では既存施設の拡大利用にとど まっており︑ろうあ者が専門的に更生 指導︑訓練を受けられる施設の都道府 県単位の設立が望まれる︒さらに言え ば︑各所の老人ホームに点在すると思 われるろうあ老人のための﹁ろうあ老 人ホーム﹂や︑二十四時間生活施設を 含めたコロニー的絵合施設も今後必要 とされるのではないだろうか︒
ー ●1
とっても機嫌がいいんです︒そりやあ日
本シリーズは残念だったけど︑あの激戦の
パ・リーグを制したんですから︒
ほくが近鉄ファンになったのは︑大好き
だったアーモンドグリコキャラメルのCM
に太田幸司が出てたということだけ︒でも
その頃からもう二十年位になるんですね︒
大阪に釆てからはときどき観に行くんで
すが︑僕が藤井寺に行くと絶対負けない︒
じゃぁ全試合行ったら全部勝つ︑わけ絶対
ないから︑ここぞという時に行くんです︒
で︑今年はあの十月十四日︑これに勝っ
たら優勝という日に行った︒その日はもう
始まる前から異様な盛りとがりようで︑ゲ
ームも最高︒スタンドものりにのって︑そ
して優勝−・いやぁ感激しました︒思いっ
きりバンザイして喜んで︒
雲づくりのはなし 第 九 話
やっぱりやってみるもんだ ︶ 0 1 ︵ところが⁚なんです︒ものすごく嬉しい
んだけど︑胴上げして︑走り回っている選
手の人たちを見てると︑なんか違うような︑
取り残されたような気持ちがする︒でも︑
原 田 仁
「サロン・あべの」は、1985年、
‥
冨田慶子さん 新聞に!
のと 「最近、障害者同士の構のつな つ健 がりも生まれてきましたし、サロ な常 ンに参加ルた人に、町で声をかけ が看 てもらったりすることも増えてき
ました」と、代表の冨田慶子さん
(48)=写真。介助される側と、
当り前ですよね︑毎日一生懸命に頑張って
きた彼らと︑ビール飲んでテレビを観てい
た僕が同じなんてわけないんです︒
ひょっとしたら︑まちづくりも同じかな
って思います︒何でもいい︑見てるより頑
張ってやってみる︒それで何かがちょっと
でもできれば︑きっとこんなに嬉しいこと
はないって思えるんです︒
する側という枠を超え て、陪賓老と健常者が横 の関係を結び7こいと毎 月、いま話題になってい る社会問題などを取り上 げ、勉弓壷会を開いている。
i欠回は、1】月25日午前 11蒔から、大阪市身l本陣 害者スポーツセンター で、‡殉倍野区ボランティ アスクールの受講生との
「ふれあい交流会」に参 加する〇
私は︑カッターシャツブラウスにジーン
ズのズボンというファッションが大好きで
す︒動き易いし︑色々な組み合わせが自由
に出来るからです︒ところがこのスタイル
になるにはちょっと不便を感じています︒
カッターシャツブラウスの釦が小さくて
私の指では掴みにくいのです︒それにボタ
ンホールも小さく︑止められません︒
そこで母にボタンホールの穴を大きくし
てもらったことがあるのですが︑止め易く
なった分だけ釦が腕の動きや体の動きにつ
れて動き︑知らない聞に釦がはずれてたり
したのでそれも止めました︒
自分一人で着られるカッターシャツブラ
ウスがあれば︑もっとオシャレが出来るの
になぁ・・︒︒
● 0 ど ㌦ L悪品こ 0
⁝︒︒︒ ㌔ ・⁝︒
大は小を兼ねないボタンホール ・
㌦中 西 利 春
編 集 後 記
初めて太紙の朗読テープを聞かれた方か ら「相当な訓練を積まれたものと拝禦いた します。とくに記事の内容によって声音を 変えての読みの配慮は、聞くものを捉えて はなさない・。・」と。
手紙で「39号、40号の『お湯まわり
』はショックでした。一日の疲れがどっと 出るとは・・。」
10月の出会いに参加された方からは、
「たまに外で皆いっしょに食べるのも楽し
いね」との声も。 (石)
捌いわさきちひろのカレンダー
昭和町1−2−5(地下鉄文の里駅北 出口すぐ)にあります、どろんこ共同保 育所では、いわさきちひろのカレンダー
を販売しています。1部1,250円です。
そのほかにも、うどん、お茶、乾燥わか
め、チョコレート、電化製品の取り次ぎ販売などもしています。
どろんこ共同保育所は、主に0歳児で
一般の保育所に入る前の乳児を預かって います。しかし、大阪市からの補助金がなく、保育料だけではとても運営してい くことができません。保母や、親たちや
OBが、カンパやバザーをしながら 、な
んとか運営している保育所なのです。
くわしくは、℡621−4365 ウユヒラまで。よろしくお願いします。
<サロン・あべの>第41号
発行日 平成 元年11月25日(土)
発行・編集<サロン・あべの>運営委員会
[大阪市阿倍野区阪南町6−3−26 電話(06)691−1028高田慶子]
印 刷 セルフ社 電話(06)69ト2365
[阿倍野区西田辺2−2−10
グレース鶴ヶ丘101号]¥62.