出会レー ふれあも、 助lナ金レ、
サ・ロン・あべの
昭和62年4年18日(土)発行
サロン・あぺのNO. 1 0昭和六十二年三月十四日︵土︶
午後一時から︑育徳コミュニティー
センターにおいて︑∧サロン・あぺ
の∨三月の出会いが開かれた︒
あいにく︑どしゃぷりの雨︑足も
とが悪いにもか1わらず︑十四名が
集う︒この中には 旧青年ボランテ
ィア グループのメンバーの顔もみ
え︑明るく︑はなやいだ雰囲気のう
ちに︑お・か・し を囲んだ︒
サロンの生みの親であり︑育ての
親でもある岡さんが︑上智大学への
赴任が決まり︑送別会を兼ねての出
会いとなった︒
おかし=岡氏と お菓子を囲んで
の語らいは 白魚と<サロン・あべ
の∨のことに⁝⁝
サロンでは︑してあげる介助︑捷
快音意識をもった手助けなど︑精神
的上下関係を感じることはない︒い
いかえれば︑ボランティアする人︑
される人の粋がなく︑障書の種類︑
障専のあるなしに関係なく︑お互い 助け合い︑表書の発言︑行動︑付き 合いが出来るボランティア グルー プといえる︒これからボランティア グループとしてのサロンが幹事者と 健常者が出会う場︑ふれあう場︑助 け合う場作りをしていくにはどうす ればよいか︑注意する点はー おか しを囲んでの話しはす1む︒
サロンの講損金やパネルディスカ
ッションなどに︑参加んてきた人に
心をこめて応対することが大切であ
る︒そして︑参加者みんなが︑いき
いきとした社交の場を︑サロンの中
で求められるよう︑もてなしをしな
ければいけない︒経とも話しをせず
お・か・しを
一二月の出A貫い 囲ん で
に帰っ・ていく人がいたとする︒これ ではまだまだ気くぼりがたりないし 研究もたりない︒誠心誠意ふれあっ ていくうちにやって兼た人が自分は サロンの着であるという所属意識を もつようになり︑サロンでの自分の 役割や∵位置の確警−するといった いわゆる自己承認の欲求を充すよう になる︒こうなって︑はじめて︑ボランテ
ィアとしてのサロンの価値がでて乗
るのではないだろうか︒
最後に︑つけ加えて岡さんは ちょ
っと途絶えているが︑毎月の出会い
の最後に︑ミニ手話教皇を︑皆でし
ていたが︑これはサロン独自の文化
として︑今後も続けていけば⁝⁝と︒
岡さんの赴任地は︑大阪から遠く
はなれていても︑気持は今迄通り︑
サロンの近くにあって︑時には温か
く︑時には叱咤してサロンを大きく
育て1いただくよう︑お願いして︑
三月の出会いを終った︒
的なボランティア活動であると書いたが︑ やや抽象的な説明だったので︑今回はそれ をもう少し具体的に書いてみたい︒ ボランティアとしてのサロン活動は︑ひ とことで言えば﹁もてなし﹂ということだ
と思う.手元にある辞書で調べてみると︑
﹁もてなし﹂とは﹁客を心をこめて応対す
ること﹂とある.狭い意味では﹁客に心を こめた茶菓・酒食を供すること﹂であると いう︒ やって乗る人を﹁心をこめて応対するこ と﹂にこそ︑サロンにおけるボランティア 活動の本質がある︒﹁心をこめて﹂という 点が大切だ︒表面的に﹁ハイハイ︑そうで すか﹂などと応えてはいけないのである︒ だから︑例えばサロンで講師を招くこと
前回︑サロ﹁もてなし﹂のボランティア
ンはあまりにもボラン ティア
を考えたときに︑諌師との打ち合わせや会 場の準備なども重要だが︑それだけに終 わってしまい︑講師の話が始まれば﹁やれ やれ︑これで一休みできる﹂と︑あとは ﹁客﹂のような顔をして請演を聞いてし まっているとしたら︑本末転倒であろう︒ それでは﹁諌演台の準備活動﹂であって︑ ﹁サロン活動﹂であるとは言いがたい︒ 誇演会やパネルディスカッションをして も︑それは﹁心をこめて応対する﹂ための ﹁材料﹂にすぎない︒ちょうど﹁客﹂に ﹁茶菓・酒食﹂を出しても︑それ比﹂心を
こめて応対する﹂ための﹁間Lをつくるた
めにすぎないのと同様である.
サロンにおいては︑会場の準備や司会を
者﹂気分が抜けない人を﹁心をこめて応対 活動として最も重要なのは︑ することも大切な活動だが︑
することLにあるのである.
だから︑誇演がどれほど成功しようと も︑誰とも轟をせずに一人で来て一人で帰 る人がそこに一人でもいたのなら︑それは に釆た人︑
サ のである︒ ロンとしては失敗であったと言うべきな
またサロンに来てもまだ﹁よそ 初めてサロン
ボランティア︵知︶
ろうあ老の持つコミュニケーション障害
は︑生活の基未をなす家庭生活の頓におい
て︑深刻な影響をもたらすことになる︒個
人に対する望ましい家庭機能として︑﹁家
庭内で個々の家族員のパーソナリティの助
長発達﹂ ﹁家族間の高度で健全な役割相補
性﹂ ﹁地域社会への積極的な適応﹂の三機
能があげられているが︑ろうあ老は彼らの
THE DEAF肌TE l
旭
純 子
有する障害によって︑これらの家庭機能の
恩恵を受けることが困難であるばかりでな
く︑家族との意志疎通も充分に図れず︑家
庭の中でひとり取り残されてしまうことも︑
しばしば起こるのである︒
例えば︑健常者の家族︵両親・兄弟・祖
父母等︶と生活しているろうあ老の中には︑
家族同志の会話が理解できず︑太来ならば
最も心の安定・充足を感じることのできる
はずの一家の団らんにも︑ひとり融けこめ
ず︑疎外感を味わっている老も多い︒実際
﹁家にいてもおもしろくないから︑仕事が
終ったら手話サークルに行ったり︑ろう学
校の時の友達と会ったりして︑帰宅は毎日
遅くしている︒豪族といるより︑手話サー
クルの友達や︑ろうあ老同志でいる方がず
っと楽しい﹂と話すろうあ老が︑筆者の周
囲にもかなhソいる︒
いつも背痴をビンと伸ばし︑ケリア君
︵盲導犬︶の道案内で︑どこへでも出ていかれる血行勤派の大島さん︒大きな声なの に優しく聞えるのは︑ていねいな言葉使い だからなのか︒よく解る言葉順でひとつず つ押えるように話して下さる︒
中途失明で︑太東なら動きの取れない状
態と思われるが︑持ち前のファイトでやる
き満々︒福祉法﹁わがまち﹂の発行者をは
じめ︑多くの仕事を持ち︑知識︑お顔とも
非常に広い︒∧サロン・あぺの>の発起人
の一人として︑助言︑企画︑対応など様々
な事柄の良きアドバイザーである︒が︑時
として現時点のサロンではまだまだ力不足
のためとまどってしまうほど︑大きな構想
が出てくることがある︒一日も早く︑大島
さんの想いに追いつき充実した∧サロン・
あべの∨にしていきたいものと思う︒
プロフィール⊥八 島 功 さ ん ︷=折
私がはじめて﹁事イス﹂を知ったのは︑
映画﹁アルプスの少女﹂を観た時です︒そ
れから何十年も過ぎてから︑自分が必要に
なるとは︑夢にも考えていませんでした︒
私が車イスを使いだしたのは︑八︑九年
前からです︒それも︑外出する時だけ使用
して︑家の内にいる時は︑松葉杖をついて
いますので︑〃事イスとのつきあい〃も他
の方からみれば︑浅いものと思います︒
それに︑手動車イスは︑私の手では動き
ませんので︑今はもっぱら電動車イスを便
車イスとのつきあい 用しています︒と言いましても︑臆病な着 で遠出をしたことは無く︑近所周りをする ぐらいのものです︒昨年のあべのボランティアビューローの
スクールで﹁幸イスの介助﹂の講座があり
私は︑初めて〃車イスの乗り方〃について
︵表当は︑事イスの押し方の学習︶知り芳
した︒車イスで︑歩道の段差の上り下りや
︑歩道橋の上げ降ろしの実習に参加して︑
介助して下さる方の気配り︑労力の大変さ
を知りました︒よほど︑体力に自信が持て
ないと窃で車イスの人を見かけても︑声を
かけらわない︒と言った人の気持が解る思
いがしました.冊いた時は︑そんなこと思
わないで︑一人で介助してもらうのではな
いのだから 四︑五人の人にお願いして⁝
︵労力は四等分にな一り.重くは無いのだか
ら︶と︑考えていたのです︒ところが︑乗
って感じたのですが歩道橋の幅が狭くて
車イスを抱えて︑四 五人がさっと上れる
状態ではなlいのです︒先生は︑慣れるとコ
ツが解ります︑と言っておられましたが︑
快く介助をして下さる方の〃しんどさ〃を
忘れてはいけないとつくづく思いました︒
事に弱い私は︑手動車イスでも長く乗っ
ていると︑気分が悪くなってきてこまりま
す︒美術館や博物館などでは︑いつも最後
の方は生アクビが出て観賞どこをではあり
ません︒横揺れする車イスは良くありませ
ん︒と実習の先生が言っておられましたが
私の場合︑そればかりでは無い気もします
ハイジとクララは事イスから解放されま
したが︑これからの私には︑第二の足とし
て増々必要になってくることでしょう︒
人と出会いを作ってくれる車イスに感謝
しながら付き合っていきたいものです︒.●
先日︑サロンでうっかりロを滑らせてし
まって︑新人類ならぬ︑新語をいってしま
いました︒それが今から︑からっぼの頭を
しぼって書こうとしている︑﹁精神的上下
関係﹂なのです︒
私自身︑この言葉をロにしたのは︑つい
最近のことなのです︒障事を持っている人
持っていない人︑いわゆる︑障尊者とボラ
ンティアとの人間関係とでも言いましょう
か?
ボランティアの人との出会いは︑何かの
介助をきっかけとして︑知りあいになりま
す︒大なつ小なり自然とやってもらうとい
う気持をもつものです︒それが当然な事だ
と患います︒私ぐらいの年齢になりますと
どうしても私の方が年上になってしまいま
す︒妹︑弟に手伝って写っという事になり 精神的上下関係
山 太 篤 江
ます︒考えてみてください︑妹︑弟に何か
を顔むなんて﹁イヤ!﹂でしょう︒ボラン
ティアの人もすごく神経異になっているの
がよく解るのです︒年上として付き合えば
いいのか︑また︑友達として話をすればい
いのかで︑白魚とそうなるのでしょう︒在
家庭の人は特にそれが強いと苛つのです︒ それを解っていながらお互いどうする事も 出来ずにいるのが︑大半の障害者とボラン
ティアではないですか?今造︑取りとめのないことを言ってきま
したが︑三−Rでまとめてみると︑年下の人
にやってもらわねばならない︑障害者の僻
みみたいなものなのでしょう︒
でも︑私達も︑僻んでばかりはいられま
せん︒物質的に出来る事が少なくってもそ
れに代わる何かを身につけるのが︑私達の
課題だと思います︒
一■ 一 ■一■−■ ■● ●●
■●−
栗W 知 1hノ せ
∧サロン・あべの>五月の出会い
日時 昭和六十二年五月十六日︵土︶
午後一時〜四時
場所 育徳コミュニティーセンター二階
研修室;〒サ車責て有り︶
内容 ﹁障害者と結婚﹂−手話通訳者り︒
障害者の結婚を皆さんとご一緒に
考えてみませんか︒
会費 なし︵カンパ大歓迎︶
連絡先 電話〇六⊥ハ九一−一〇二八冨田
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まごころの集い社
切 手 販 売
まごころの集い社では
使用済み切手を収集・整
理をして、バザーやホー
ムで趣味をお持ちの方々
に版元して、その収益を
金運営の一部に当ててい
ます。ご不用の切手があ りましたら、よろしくお 願い申し上げます。
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日々のよろこび鋳えて
サロン・あぺのに贈る〃灯〃
三月のカンパ合計三五〇〇円
ありがとうございました︒ 一
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f・ミき古.
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縞 三;!;
三月の出会い﹁お・か・しを囲んで﹂で は︑みなさまから︑サロンに対する︑建設 的なご意見が︑いっぱい出きれ︑二年目の サロンにとって︑心強い限りです︒その日 のお茶うけにと︑山木敏子様より︑ドーナ ツを頂戴いたし£した︒ご馳走さまでした︒
サロン・あぺの一周年記念紙︵第九号︶
の増刷が出来ました︒お知り合いの方々に
お渡しいただいて︑大いにP・Rをして下
さい︒
日時 5月9日〜10日 10時〜16時
場所 宝塚市立図書館(括荒神下車すく)
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