KSKQ 第三踵郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻486号1 993年 7月1Tロ
出会しヽ j、れあし、 助巨ナ合し、
あべの巨】
帝鈴 憶静 ◎ 辱
1静穏 翁
溶融
令◎ ◎ 翰 や 馳や ぬ翰 槍
蒋 ◎ 魯 尊命 添 ⑧
酷 熱 車◎ ◎ 8 ◎◎
◎ ◎ く静穏 さ 紗 1浄
ふれあい文庫主宰 岩田美津子氏
◎◎◎ 魯 ◎
☆ 稔 噂 や ㊥
平成五年六月十九日︵土︶︑
あいにくな梅雨空のなか︑育徳
コミュニティセンター研修室に
おいて︑サロン・あべのの六月
の出会いを開催した︒
今月のパネラーは︑昨年﹁見
えないお母さん絵本を読む﹂と
いう本を出版された岩田美津子
さんである︒
そのタイトルにもあるように︑
目が見えないというハンディを
お持ちの︵男の子お二人の︶お
母さんである︒しかも︑点訳絵
本の制作・貸し出しをしておら
れる﹁ふれあい文庫﹂の代表で
あり︑日本福祉放送︵有線︶ で
は︑自らプロデュースしパーソ
﹁こんな出会いがあったから⁝﹂
I私を育ててくれた人々−
サロン・あべの六月の出会い 毎月十二回︵二・四・六・八の日︶発行一九九一年九月三日垂二種郵便物庇可ナリティまでこなすという︑絵
本の番組まで持っておられるの
である︒
生い立ち
先天性緑内障で︑ほぼ生まれ
つき視力がなかった岩田さんは︑
十四年間︵小・中・高・専攻科
と︶盲学校で寮生活を送られて
いる︒その間︑身の回りの事は
すべて︑ご自分でできたため︑
目が見えないことに不便を感じ
ることはなかったそうである︒
しかし︑卒業・就職という段階
になって︑自分の希望と現実と
の間のギャップに︑全盲のハン
ディを痛感されたそうである︒
いったん病院に就職したものの︑
対人関係の難しさなどから退職︒
その後︑大阪の鶴見区にある︑
視覚障害者の生活訓練センター︵日本ライトハウス︶に入所︒
再就職に向けて模索中に︑同じ
センターの先輩と知り合い︑結
婚︒二児の母親となられたので
ある︒
点訳絵本
母親として︑子供に絵本を読
んでやりたいと患うのは当然で
あるが︑目が見えないというハ
ンディから︑それは容易なこと
ではなかった︒
試行錯誤の末︑まず︑たどり
着いたのが︑さわる絵本である︒
元々が︑視覚障害児のためのも
のであるから︑岩田さん親子が
十分に楽しめるものであった︒
しかし︑子供が成長するにつ
れて︑それでは物足りなくなり︑
また︑健常児として︑︑市販さ
れている普通の絵本も︑読んで
やりたいという思いから︑点訳
絵本の制作がスタートした︒
最初の点訳絵本は︑透明で真
に接着剤のついているシートを︑
第三饉郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻486号1g93年 7月17日
絵の形に合わせて切り取り︑そ
こに絵の名前などを点字で打っ
て︑ベースとなる絵本に︑はり
合わせたのである︒もちろん文
章も透明シートに点字を打って
はりつけたのである︒この方法
なら︑見た目に違和感がなく︑
指でさわっても︑絵の形がわか
るのである︒
ふれあい文庫
こうして自分の子供のために
始めた点訳絵本づくりだったが︑
冊数が増えたこともあり︑他の
視覚障害者にも絵本を楽しんで
もらおうと︑﹁岩田文庫﹂とし
て︑貸し出しをすることになっ
た︒
岩田美津子氏
そして︑この活動に︑多くの
ボランティアが集まり︑絵本も
読者もどんどん増えて︑発展的
に﹁ふれあい文庫﹂となり︑現
在に至っている︒その間には︑
点訳絵本の郵送料の無料化とい
うことまで実現されている︒
出会い
とても順調に発展してきたよ
うに見える︑この文庫活動も︑
その都度︑近所の主婦や︑図書
館員や︑本屋さんなどとの︑出
会いと協力があったからこそ可
能だったのである︒対人関係で
失敗したこともあるそうだが︑
それも教訓として︑しつかり︑
今に生かしておられる︒
常に前向きに︑目の前の問題
を一つずつ︑解決されてきた︑
その姿勢がとてもよく伝わる︑
お話であった︒
二十名
冨田慶子
上平幸雄
点字のシート(透明の塩化ビニール)を貼った絵太
第三種郵便物認可KSKQ(サロン・あぺの)増刊通巻486号1993年 丁月17日
いい出会い、重ねるたびにうれしぐこ
毎日の生活で見すごしがちな事柄でも、
歳月を重ねて振り返ってみると、人生の節
目となっている出会いがいくつかある事に
気がつきます。その事に気づかせてくれる のも又、日々の生活ではないでしょうか。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
仕事のベースになった出会い
山 根 匡 子
ずい分とたくさんの出会いがあったのに︑
出会いのさ中には︑その意味に気づかない
ことがあります︒そして︑そんな出会いの
方が自分の生き方に大きな意味を持ってい
るのかもしれません︒
仕事︵障害児施設の指導員︶に就いて数
カ月たった頃のAさんとの出会いもそうで
した︒思春期のまっ只中︑お母さんとの関
係がうまくいか姦に入所してきたAさ
んは︑毎日︑毎日︑苛立っていました︒
職員を﹁お前︑先公﹂と呼び︑グサグサ
と人の心を傷つける青書吐きながら︑つ
かみかかりました︒新米職員の私は︑両腕
をかきむしられ︑あまりの情けなさに涙を
流すこともありました︒今日もAさんとひ
と悶着あるかもと思うだけで︑先の重くな
るような日々でした︒
Aさんの行動は︑反抗と言ってしまえば
それまでですが︑私には︑彼女が全身全霊
で闘っているように思えてきたのです︒
表現の仕方はあまりに過渡ですが︑
﹁なんで私だけ︑こんな所にいてなあかん ねん﹂ ﹁なんで︑そんなこと勝手に決められなあ かんねん﹂ ﹁なんで⁝﹂ と︑当り前の苛立ちもたくさんあったので す︒
出会いのさ中には︑しんどい日々でした
が︑﹁なんで⁝︑なんで⁝﹂と全身全霊で
訴えた彼女の思いが︑私の仕事のベースと
なりました︒
そして︑最後に私を好きだと手紙をくれ
た彼女のお陰で︑今も私は仕事を続けるこ
とができるのだと思います︒
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
私を育ててくれたいろんな友人たち
原 田 博 子
生まれて二十九年間︒思い返してみると︑
出会った瞬間に運命的なものを感じた︑と
いうような劇的な出会いはありませんでし
たが︑何年かたってみると﹁あの人︵たち︶
との出会いがあの頃の私に大きな影響を与
えてくれたんだなぁ﹂と思うことが多かっ
たようです︒
私は︑幼い頃から﹁友だち運﹂にめそま
第三鍾郵便物乾可KSKQ(サロン・あぺの)増刊通巻486号1993年 7月17日
れていて︑いつも心を割って話せる友人が
身近にいました︒物心ついて気がつけば友
だちだった︑という幼なじみも︑共に将来
の夢を話し合った高校時代の友人も︑その
時々に︑とても大切な私の相談相手として
私を支えてくれていました︒
大学時代に出会った友人たちは同級生と
はいえ年も違い︑生括体験なども自分とは
全く異なっていて考え方もしっかりしてい
るし︑今までつきあってきた友人達とはひ
と味もふた味も違っていました︒自分がい
かにも子供っぽく思え︑社会のことにも疎
く︑大学生と名乗るのも恥ずかしい気がし
ました︒そんな友人たちとの出会いのおか
げで私の4年間の大学生滴はずいぶん充実
したものになりました︒勉学に励んだ記憶
はあまりありませんが︑勉学以外の学生生
酒ではいろんな経験をしたなぁと思います︒
その大学生括を終えて選んだ仕事が﹁ボ
ランティアコーディネーター﹂でした︒こ
の仕事を通じて出会った人たちは︑本当に
未熟だった私を一応それなりの﹁社会人﹂
に育ててくれたように思います︒この仕事
は同じ組織の人とだけ一緒に仕事をするわ
けではなく︑むしろいろんな職種の人と接
していかなくてはいけないし︑なにより仕 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
節目の出会い
辻 太 障 子
﹁袖振り合うも多生の縁﹂と言う様に︑
心ある一言から出会いが生れ︑生捷の伴侶
又友情を育む方が多い様に︑素晴らしい出 事として関わっていない﹁ボランティア﹂ と一緒に社会づくりを目指す仕事です︒仕 事というよりも︑むしろ友人のように私に 接してくれ︑アドバイスを与えてくれ︑支 えてくれました︒やはりここでも私は﹁友 だち運﹂に恵まれたようです︒仕事を離れ た今も︑この頃の友人たちとの交流は続い ていますし︑それがややもすると錆びそう になる私の頭に︑油をさしてくれる役目を 果たしてくれています︒
今︑私がいちばん楽しみにしている出会
いは︑来年のl月くらいには会えるだろう
わが子との出会いです︒彼︵女︶らがもた
らしてくれるであろういろんな世界との出
会いも︑またいろんな人との出会いも︑私
を大きく成長させてくれるだろうし︑きっ
と楽しいものになるだろうなぁ︑と心を踊
らせているところです︒ 会いは神様からのプレゼントと思って大切 にしています︒
出会いも人ばかりでなく︑私の人生の節
となった出会いは︑一台のオートマチック
車でした︒
﹁乗ってみませんか﹂
﹁乗ってみたいな﹂
が発端でした︒
事で走れるなんて夢の夢︑不安いっぱい
の決心でした︒
残された能力を生かして︑不可能を可能
に変えられるものなら⁝と︒
それからは模索しっ1諸機関の方々との
出会いを重ね︑常に私を支えて行動を共に
してくれた友に助けられ︑門真造の厳しい
遣を到達出来たと今も感謝の■界持ちを忘れ
ずにハンドルを纏っています︒
辛が足着りとなってからは︑行動範囲も
広がりました︒サロンとの出会いも適いま
した︒広い分野のプロの出会いで視野も広
まhリました︒
この様にさまざまな出会いで︑自分を高
める事が出来ればと︑皆様との出会いを財
産として︑大切にしていきたいと思ってい
ます︒
第三鍾耕靴可KSKQ(サロン・あぺの)増刊通巻486号19g3年 丁月1丁日
﹁そうや﹂・ ﹁タネぎれかいな﹂ ﹁はよゆうたら︑そぅや﹂ ﹁そうやろ息た﹂ ﹁なんでや﹂
﹁先月のん︑あれなんや︒ ﹁なんや︑今月はエッセイ休みかいな﹂
あれみたら︑あ
出 会
しヽ
を
フ ン 丁 イ ア
あ︑これは︑も︑つあかんな︑息たで﹂
﹁えらい︑きびしいな﹂ ﹁そらそやで・・・︒ まあ︑よろし︒今月 はどうすんねん﹂ ﹁原田くんのが終ったやろ︒あの後︑書い
てくれる人を︑冨田さんに頼まれてさがし とったんやけど︑なかなか見つからんかっ
た︒そいで︑その責任とって︑今回だけは︑ ぼくの定番のものといっしょにして長編の を書くことにしたんや﹂ ﹁そらええけど︑なんか手え抜いとるとい ︑つ感じやで﹂ ﹁そない︑いいないな﹂ ﹁そいで︑テーマはなんや﹂
﹁<出会いを助けるボランティア>や﹂ ﹁なんのこつちや﹂
﹁つまりやな︑人はみんな出会いを求めと るやろ﹂
﹁ロマンチックやなあ〜﹂
﹁いや︑別にロマンチックな話とちごて︑ 人間には仲間が必要やとい︑つことや﹂ ﹁なんで﹂ ﹁おまはん︑ひとりで︑どないすんねん︒
いっつも一人でおったら︑せつないやろ﹂ 一そら︑せつないわ﹂ ﹁しやけど︑仲間ちゅうのも︑なかなかつ くるのは難しい﹂ ﹁<しやけど>? どこの言葉や︒まあえ えわ︑どこが難しいねん﹂ ﹁おまはんらみたいに︑ボーッと︑なんか ついでに生きてるような人間にはわからん かもしれへんな!﹂ ﹁なに怒ってんねん﹂ ﹁これから親から自立しようと息て︑障害 をもった人が新しい生括を新しいとこで始 めるとしいな︑新しい仲間がいるやろ﹂ ﹁そうかもしれん﹂ ﹁<そうかもしれん>やないわい︒ぜった い要るんじゃ﹂ ﹁いや︑ぼくの言︑つのはな︑別に障害があ るとか︑ないとか︑そうい︑つこととは関係 ないやろと言うことやけ一人暮らしになっ たお年寄りもそうやろし︑新しく大阪に働 きにきた若い人もそうやろしね﹂ ﹁おう︑わかっとるやないか﹂ ﹁ひとり暮らしの人だけやないで︒家族が おっても︑家族だけでは︑あかんこともあ る︒地域の中で︑だあれも知らんもんばつ かりのなかで暮らしてみ︑家族がおったか て︑ほんま︑息つまるで﹂ ﹁しやけど︑仲間がほしいと言うたかて︑ 電車のなかで︑誰かれ見つけて︑<友達に
第三鍾郵便物皆可KSKQ(サロン・あぺの)唱和通巻486号1993年 7月17日
なってくれ>とは言えんやろ﹂
﹁ま︑そら言えんわな﹂ ﹁かといって︑家のなかに閉じこもってい るだけ︑家と職場を往復するだけでは︑近 所に仲間はできひんで﹂ ﹁ま︑そら︑そ︑つやろ﹂ ﹁そやからな︑サロンは︑出会いの場をつ くっていくんや﹂ ﹁あ︑なるほど︑ほいでサロンなんやな﹂ ﹁ほんでもって︑サロンでは出会いのお手 伝いが必要なんやとい︑つことを︑ぼくは言
いたいわけや﹂ ﹁なんや︑よう︑わからん﹂ ﹁なにが﹂ ﹁仲間づくりの場とか出会いの場にサロン がなる︑ということはわかった︒そやけど 出会いなんか︑それぞれ自然にできるんと ちやうか︒なんで手伝わなあかんのや﹂ ﹁たとえば︑おまはんなんか︑新しい友達 をつくりたいと息て︑サロンにくるわな︑
そのとき︑何がいちばん辛い?﹂
﹁何が︑いうて︑まあ︑はじめは知らん人 ばっかりやから︑・どないしたらええんか︑
わからんのが辛いな﹂ ﹁そうやろ︒そんなとき︑気がるに声をか けてくれる人がおったら︑助かるやろ﹂ ﹁ま︑そうかもしれへんな︒けど︑そいで も︑何︑しやべったら︑ええんかもわからん かったら︑やっぱり︑きつい﹂ ﹁そやから︑毎月︑サロンでプログラムを
阻んどるんやないか︒その話をしたらええんや﹂ ﹁あ︑なるほどな﹂ ﹁話題がちやんと用意されとるわけや﹂ ﹁つまり︑仲間づくりという目的があって︑ そのあとに話題の提供がくるわけやな﹂ ﹁まあ︑そない極端には言えんけども︑そ れに近いもんがある︒宴会を考えてみいな︒
ぎょうさん食べるもんや飲みもんがでるけ ど︑食べたり飲んだりするために宴会やるんとちや︑つやろ︒もともとは楽しいに語り
あうというのが︑目的や︒目のまえに︑なんもの︑つて︑ほんなら︑語りあいまひょ︑ い︑つても︑なんか頼んないわな﹂ ﹁気づまりやな﹂ ﹁テーブルの上になんもなかったら︑それ
こそ︑入社試験の面接みたいになるで︒食 べもんが目の前にあったら︑話題がとぎれ たら︑それ食べとったらええんや︒うまい なあ︑とか︑まずいとか︑なんでも言えるやんか﹂ ﹁サロンで︑いろいろ講師の先生を呼んで
やってるわな︒ほなら︑あれも酒の肴︵さ かな︶みたいなもんなんか﹂﹁まあ︑そないゆ︑つたら申し訳ないけど﹂ ﹁申し訳ないけど︑どないやねん﹂ ﹁申し訳ないけど︑そうい︑つこつちや﹂ ﹁なんやねんーこ
﹁みんなが話しおうて︑仲よ︑つなるための 話題提供とい︑つことやな﹂ ﹁ほなら︑あれか︑00先生の話をききに きました︑い︑つて︑先生の話が終ったら︑ ほな︑サイナラとい︑つ人は・・・﹂ ﹁サロンをぜんぜん誤解してはりますな﹂ ﹁ははあ︑なるほど﹂ ﹁ただ︑酒の肴い︑つても︑なんでも︑ええと い︑つわけではないわな︒このサロンの理念 ちゆうのを表現したもんでないとな﹂ ﹁えらい︑難しいんやな﹂ ﹁で︑お手伝いの具体的方法は⁚︒﹂ ﹁ああ︑残念︑もう時間切れや﹂ ﹁なんやねん︑それは﹂ ﹁まあ︑要するに︑講師を呼んできて︑話 をさせて︑それで終りとい︑つのではアカン とい︑つこつちや︒そこでいくつの出会いが あったかとい︑つことやな︒会全体が盛りあ がったとい︑つことだけが大事やの︑つて︑そ の場のなかで︑ひとりひとりが誰かと出会 えるよ︑つに手伝うのや﹂ ﹁たとえば・・・﹂ ﹁たとえばやね︑出席している人のひとり ひとりに注意することやな︒話をしたいと 思っていてもきっかけをつかめんで困っと んのか︑も︑つ少し様子をみたいと患とんの か︑自分に注意を向けてほしいと患とんの か︑そういうひとりひとりの心の︑つごきを 察していくわけや︒黙っている人には発言第二篠鰭便鞠盆可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻48¢号19g3年 7月17日
の機会を与える︑やなんて単純なやり方は あかんで︑え︒黙っているのは︑話しと︑つて も話す勇気があらへんのか︑それとも話し とうないのか︑それを見分けなあかんわな﹂ ﹁えらい難しいな﹂ ﹁それと︑ひとりひとりの毎回の変化に気 をつけなあかんわ︒人間関係とい︑つのは︑ 生き物なんやで︒近こうなったり達︑つなっ たり︑いっつも動いとるんや︒その動きを つかまえんとな︒ そやから︑サロンのいちばん大切な部分 はな︑プログヲムの始ぎる前と終ったあ七 の︑自由な空白の時間にあるんや︒そこで いくつの出会いの手助けをできるか︑それ こそ︑サロン・ボランティアの短い時間の 真剣勝負やでぇ﹂
﹁ああ︑ほんで︑<出会いを助けるボラン
︵知︶ ティア>ちゆうわけやね﹂
一
かをつくりだすことにおいて男や女︑
或は年が若いとか老いているというこ
と︑また障害者か健常者かといったこ
とより︑なんといってもつくるひとの
豊かな感受性と何かを表現しようとす
る技術と情熱は︑見るひと︑聞くひと︑
読むひと︑食べるひとに伝わりますね︒
さてこの六月ちょっと素敵な染色展
を見せていただきました︒一畳くらい
の大きな布に鳥をモチーフに描かれた
きまざまな作品︒インドやインドネシ
作る・つくる・創る﹁あなた作るひと︑わたし食べるひ
と﹂という言葉︵逆だったかしら︶が
論議を呼んだことがありましたが︑何
●河合恵子
アの更紗のようですが︑荒々しい経と 落ち着いた色︑そして蟻緬特有の表現 が大胆でしかも織細な作風を作りあげ ていて︑とても魅力的でした︒また会 場の人口近くに作者二才の鳥の絵が甜 けられていて︑こうした作品を残して おかれたご両親っていいなあと感じた ものです︒ところでこの作家は現在︑ 初芝高校講師でまた大阪芸術大学で染 織を学び続けている石田元きん︒われ らがサロン誌編集長のご子息︒心斎橋 のヤマハのお店のウインドーディスプ レイの制作もされており︑こちらは明 るく親しみやすいタビストリーの作品︒ これから︑どのような作品を創りだき れるのか︑わくわくします︒
第三饉郵便物認可KSKQ(サロン・あぺの)増刊通巻486号1g98年 丁月・17日
の下院議員に書きました。もしも、痛みや けいれんが起きてもコントロールのもとで 私はもっと機能することができるのです。
彼らはレントゲン写真(走査写真?)を掘 って骨折した肋骨を見つけました。
そして現在、背骨を動かさないようにす るため起き上るときはコルセットをっけな
ければなりません。それはかさばって、ぎ
ごちないのですが、少しは助けになります。また、右足にも打撲から関節が抜けない ように足のコルセットをっけます。
私は、1987年に薬物治療の失敗を受 けました。私は、あなたのグループの人た
ちに手紙を書くことや情報交換に関心を持 っています。痛みに対してどんな治療の違 いがあるのか、またそれを受けたあとの結 果はどうなのかを知りたいと思います。私の叔父は日東で医者をしています。私
は日大話を書けません。そして、彼は私の
′t′5e人轡ノ仰eハ」山・も工山[:し
、−
∵∴.− −・三−∴・ニ
手紙を理腐できませんでした。私が病気で
あるととは理解して、それは彼を.漉させ
ました 。私の母(彼女は日大人)が毎日こ こへ来て、私たち2人で彼に何とか手紙を 書けるかも知れません。あなたはニュースレターを出しておられ るのですか。ミーティングでは何をなさる のですか。あなた方のミーティングでよい 反響はなかったのでしょうか。多くの日大 人は冷静でまさにタイプA(まさに私もそ うです!)であることを知っています。そ れを(私の望んでいることが)受け入れら れなければ私たち(私と母)はくじけてし
まうか傷ついてしまうでしょう。
いずれ、私は障害者になることがわかっ ているので、そのことは私を落胆させるで
しょう。
私は、あなたとあなたのグループからの 返事を待っています。
パティー・トラッキー 叫症ノk5P定 瑚ふJ人ん右⊥
J′れ{C山一ヱむ▲㌦ハdも山払
こ
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 ̄叫uふしLし「もqD√ し〜 餌「h正当
第三桂郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻486号1g93年 丁月17日
アメリカからの手紙
親愛なる慶子さんへ
すぐにお手紙書かなかったことを謝りま す。
私は、病気だったのです。痛みとけいれ
んの発作を押えるため、神経ブロック(神 経を麻酔で遮断する)を受けるため2週間 半入院していました。かぎ形に曲がったところに薬物治療をコントロールするポンプ のカテーテルを差し込んで置くために硬膜 外ブロックを3回受けました。
彼ら(医者)は背中の上の方にも、もう 一度神経ブロックを行いました。彼らは、
私が交換神経筋ジストロフィーと繊維質リ ューマチを患っているために決定したので す。不幸にも、その神経ブロックが最後で
はなかったのです。彼らは、私の腕にも神
経ブロックをしただけでなく、首にも針を 突き刺したのです。そのため手が使いにく くなりました。そもそもは、後頭部と首のβ払4松江。‥ 年虹い号93
1
1
−−
‥・・‥−∴・
∴.
下と両肩の注射が最初だったのです。それ らは、助けになりました。2回連続で、し たのが病状を軽くしてい亀した。日大では 慢性の痛みに対してどんな篠類の治療がな
されるのですか。私は、指圧.創覿カ
イロプラクティック、リラックステクニク スなどはとんどすべてのものを10回単位 で受けました。その後、復活祭の頃、栽類を訪ねたり、
2回復括条に出かけたりしてうちに煽った
時、倒れたのです。医者がやってきて、私
の体にモルヒネ(麻酔薬)のポンプをつけ ました。それは全く痛みを取り去ることは できず、もっと痛くなりました。私は、モルヒネの移植をしてほしいので
すが、メディケア(医療保険制度)もブル
ークロスもそれを認可していないのです。−彼らは、それを実験的なものだと言う
のです。それで私軋抗議の手鑑を私の力
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二::■
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−=_‥、l′l.い,J・・い.・_ き、−−.・一 寸k Dra£Lnヽ1}−kd r咋し(んⅦ
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∴∴し∴
コニ
−
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し人J山守P√叫ぬ一叫3り
第三鍾郵便物超可KSKQ(サロン・あぺの)増刊通巻486号1998年 7月17日
初めて参加した昭和六一年の﹁あぺのカ
ーニバル﹂も無塞におわり︑バザーの店を
出したサロンは三九八三〇円の収益金智得
ることが出来ました︒これで今までの運営
費の補填が出来て︑まずはホッとしました︒
この年の八月兼にあべのボランティア・
ビューローのコーディネーター交代があり
ました︒そこで︑サロン関係の有志が集り︑
東京の大学へ赴任される同氏の送別会と︑
新任の前田博子さんを迎える歓誓兼ね
で︑あぺのセンタービルの九階コンコルド でささやかな﹁歓送迎仝この場を持ちまし
た︒
さて︑昭和六一年秋の出会いは︑九月二
〇日︵土︶ ﹁コミュニティケアとボランテ
ィア﹂︑十月十八日︵土︶ ﹁障害老が誇る
地域生括﹂がテーマでした︒
内容としましては︑参加された障害者と
健常者とで︑障害者が地域で自立生活を送
る上での様々なハンディについて話合いま
した︒まだ︑初対面の人達が多く︑障害に
ついてもお互いに解り合えないところが多
くありました︒その分︑お互いに率直な異
聞が出来たのではないかと思います︒
特に聴音障害者の社会的ハンディ︵外見
は健常者で︑誤解を受けやすいということ
︶は︑視力障害者や肢体障害者には思いも
かけないことでした︒障害について重い軽
いは︑短絡に言えないと思いました︒
その当事者にとって障善がどのように関
わっているのか︑それをどのように受け止
めていくのかで︑各々の障専に対する姿勢
が伺えました︒その中で︑障害者には情報
が必要と情報紙を発行されていた春山満氏
の熟ぽい話が印象的でした︒また︑石田氏
が﹁出会い・ふれあい・助け合いをモット 一に参加している﹂とさらりと言われた言 葉が心に残りました︒それで︑十一月の案 内チラシには﹁∧サロン・あべの>三つの 愛 出会い・ふれあい・助け合い﹂と使わ せてもらっています︒この言葉は︑その後 サロン括動の基本テーマにもなり︑サロン
紙のキャッチフレーズにもなりました︒
サロン情動は︑色々な人達の参加で順調
に進んでいましたが︑ボランティアグルー
プの精勤としては知名度が低く︑何とかサ
ロンのことを多くの方々に知って欲しいと
希っていましたところ︑あべのボランティ
ア・ビューロー主催で第一回の阿倍野区ボ
ランティア交流凌が開催されることになり
ました︒それは︑第三土曜日の十一月十五
日︑サロンの出会いの日でもありました︒
阿倍野区内のボランティアグループの交流
会に∧サロン・あべの∨はボランティアグ
ループとして参加して良いのかという不安
もありました︒今まで介助や介護を受ける
側であった障害者が︑健常者と共に活動し
ているとは言え︑ボランティアとして参加
する事を一般のボランティアがどのように
受け止められるか︑とても不安でした︒
サロン括動を説明するにも︑具体例は少
第三種郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻486号1993年 7月17日
なく﹁お互いに出会う﹂事がサロンの最初
の目的という︑掴みどころのない抽象的な
言葉でしか表現出来ないもどかしさを持っ
ていました︒
交流会は︑各ボランティアグループの人
達がばらばらにテーブル毎に集り︑お互い
のボランティア情動を紹介したり︑意見交
換をしていくという内容でした︒
その時集ったグループは阿倍野区ボラン
ティア連絡協議会︵大阪市立大学医学部付
属病院・身障者スポーツセンター・友愛・
朗読・みどり教室・洋裁︑茶道・身障者団
体等グループ︶と︑丸山地区社協︑阪南地
区社協︑ビューローグループでした︒
各テーブルに着いたサロンの人達が︑そ
こでサロン情動をどのように伝えて下さる
かも心配でした︒あれこれ考えているとサ
ロン・あべのが押し潰されていくような変
な気持ちになってきたりしました︒が︑こ
れらの不安は全て杷憂に終りました︒
ボランティア交流会の前日︑ビューロー
から一過の通知を受取りました︒それは︑
夏に大阪市社会協議会に申請していたボラ
ンティア活動振興基金の助成金交付決定の
通知書でした︒
﹁さろん亨﹂ヘエールをおくる<サロン・あべの∨紙︑毎月あり
がとうございます︒
﹁はあとが︑はろー!﹂第五︑テ
ントの苦労を読ませていただき︑大
変御苦労がおありだった事を知り︑
わずかばかりの品物を捷供させてい
ただいてただけの身勝手が︑申し訳
ないような気持ちです︒
今年もあべのカーニバルに﹁さろ
ん草﹂をオーブンされます由︑御準
備は大変だと思いますが︑お身体に
気をつけてより多くの出会いと思い
出を作って下さい︒
陰ながら応揺させていただきます︒
そろそろ梅雨も上る頃と思います
が︑くれぐれも御身大切にして下さ
︒ N・N
劇三種#使物鯉可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻486号1993年 7月17日
*ナンペイの﹁ジ﹂ゥデン白書口﹂*
﹁ハワイ珍道中﹂ にはじまり︑この ﹁ひ
とこと&ふたこと﹂ コーナーも今回で30回
ということになりました︒
その間には︑アホなことやらいろんなボ
ヤキの様なこと︒そしてプルトップやアル
ミ缶集めに協力して下さったことへの感謝
の気持ち︑などなど色々なことを番かせて
いただきました︒
勝手気僅に書かせてもらっているのに︑
﹁がんばって書いてください︑楽しみに読 ∧サロン・あぺの∨の活動がボランティ
ア清動として認められたのでした︒
これはボランティアグループとしての最
高のお墨付きでした︒太当に嬉しく思いま
した︒
十五日の阿倍野区ボランティア交流会に
ナンベイの
ひとこと&ふたこと◎
んでいますよ﹂と声を掛けてくださる方も
おられ︑そういったことも大変な励ましに
なって三年以上も続けて書かせて頂くこと
が出来たと思います︒
ただ︑ここへ釆て﹁筆不精の虫の大暴
れ﹂と言うか︑﹁話のネタ不足﹂ の苦しみ
に陥ってしまい︑︵ほんとうは己の力不足
なのです︒︶期限を大幅に過ぎての入稿や︑
それでもどうしても間に合わず﹁休載﹂と
言うことにしてもらったりの状況でした︒
そんな私を見かねての編集長からの︑
は︑各テーブルにサロンの人達が加わり︑ 障害者が地域で生精していくには︑まずお 互いに知りあうのが大切と︑﹁出会い﹂の 一歩を体験しました︒何が出来るかではなく︑ありのままの障
害者の姿と生活を知ってもらう中から︑支
﹁一度︑充電期間を置いてみては?﹂
というやさしいひとこと︒
﹁ソレ︑イタダキ!﹂
と言った具合に︑思い切ってしばらくのあ
いだこのコーナーを閉じることにしました︒
もちろん︑﹁でたがり﹂のナンペイのこ
とですから時折ヒョイヒョイと顔を出すこ
ともあると思います︒そしてまた︑エネル
ギ・−をたっぷりと蓄えたときにはこのコー
ナーを再開して勝手気優に﹁ひとこと&ふ
たこと﹂ならぬ﹁みこと&よこと﹂ ︵あん
まり語呂はよくないですネ︶を書かせてい
ただければ︑と思っています︒そのときに
はまた宜しくお願いいたします︒
みなさん︑永い闇ありがとうございまし
た︒
南光龍平
えあう地域社会のありかたが見えてくるの だと思いました︒
<サロン・あべの>運営委員会が名実と
もにボランティアグループとして︑紹介さ
れたことは言うまでもありませんでした︒
勢≡権郵便物諺可KSKQ(サロン・あべの) 増刊通巻486号1993年 7月17日
︽障害者の﹁自立﹂にむけ︑
始動・開始だ〜ツ!︾
九三年度の全体合宿では︑外出サービス とウイル作業所の組臓の統一という︑大き な課題について討議されました︒ また︑その討議内容の三として︑会の 名称も変更して︑新たな気持ちで情動を︑ 展開していこうということになりました︒ そして︑施設・地域の障害者が当り前の 生活を作り出し︑それらを支える仲間のつ ながりを広げていこうといった︑みんなの 気持ちや願いを込めた名称として︑﹃ライ フ・ネットワーク﹄と決定しました︒ この新しい名称については︑九三年六月 より実施していきます︒ 美智子のこんな話 また︑会の名称が変ったからと言って︑ 活動や取り組みの内容は変りません︒
従来通りの︑施設障青書の外出支援活動
を中心にして︑施設間魔の取り組みや︑障
害老の自立や生括作りなどについて︑しつ
かりとみんなと一緒に活動を展開していき ます︒
今年度もどうぞよろしくお願いします︒
∞サロン・あべの紙の
朗読テープが出来ました∞ 山太敏子さんのご協力で︑サロン・あべ の紙八四号の銀章アーブが出来ました︒ バックナンバーは三九号から︑八四号の 分があります︒五〇号は五周年記念紙にな っており︑九〇分と六〇分の二木のテープ に収録されています︒
サロン紙朗読テープをご希望の方には︑ ダビングをしますので︑宮田までお申し出
下さい︒ ︵℡O﹂ハー六九一⊥〇二八︶
♯ 感 謝 し ま す ♯ カンパ・切手・バザー用の晶・冊子等︑
ありがとうございました︒
お礼を申し上げます︒
六月のカンパ
金七九︑五〇〇円
旭 純子︑大堀一枚︑岡 知史︑
奥田久子︑金子花江︑小西千代子︑
斉藤孝女︑崎太ヒサユ︑竹村定子︑
田中康弘︑富田万里子︑東谷和代︑
一松孝博︑匿名三名︒
︵敬称略︶第三饉郵便物蛮可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻486号1993年 7月17日
六月十三日の﹁AMFCエスカルゴ対大
阪ローリングタートル﹂弟五回定期大会に
向け︑五月のサロンでは熱いエールを贈っ
ていただき︑選手蓑込んでいたのです
が︑大変残念な結果になってしまいました︒
試合は︑前後半︑そして延長戦と︑○対
○の緊迫したムードの中︑始終名古屋チー
ムが優勢にたっていたことは事実だと思い
ます︒観戦していた私達も︑昨年より一段
と力をつけた名古屋チームの攻撃に圧倒さ
れる思いさえありました︒
大阪チームにもチャンスがなかった訳で
はありませんが︑後もう一歩の詰めがや1
弱かったと思います︒でも︑選手は︑調子
が上りきらないま1にも固い守りを見せ︑
一点も許さなかったの年日頃の練習の成
果を発揮し︑良く頑張ってくれた結果だと
思います︒
匪一
惜 敗
対エスカルゴ第五回定期大会 土 井 俊 次
﹁一1.i 最近︑とても疲れている気がする︒
こんごう案に来て一年と七カ月がすぎて︑最初は太当に﹁寮生さんの
おもちゃ﹂でいいから︑楽しい日々
を一緒にすごしたいと思っていた︒
それが︑日々の案で定められたプ
ログラム︑他職員との関わりからく
る﹁指導員﹂としての変な自覚に流
されて︑いつのまにか﹁おもろい姉
ちゃん﹂が﹁口うるさい姉ちゃん﹂
に変わりつつある︒ロうるさい姉ち
ゃんは︑私の性に合わないから疲れ
てくる︒
ふと︑周りを見れば﹁田淵のおば
はん﹂だ︒
ちょっと 反省 ﹁ブタ﹂だと言って︑まだ遊んでくれる寮生さんがいる︒
彼達︑彼女達に見捨てられないう
ちに︑もう一度﹁おもろい姉ちゃん
﹂に戻ろうと思う︒
今月は︑ちょっと反省しました︒
田 渕 美登利
乳三踵郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)増刊通巻486号1g93年 7月17【l
そして︑熱戦の結果PK戟にて二対三で
破れてしまいました︒選手はしきりと反省
し︑悔しがっていますが︑この悔しさを次
の秋の大会への励みとして︑また皆で練習
を重ね︑頑張っていきたいと思います︒
試合後の交流会では︑﹁遠征のときの∧
移動∨の苦労は両チーム共通の悩み⁝﹂と
大いに盛り上り︑負けた悔しさも忘れ︑爽
やかな気持ちになって帰ってきました︒
秋の大阪大会には︑ぜひサロンの皆さま
応援にきてください︒
︵大阪ローリングタートル代表︶
8 月 の 出 会 い 日 時 8月8[](日)午後1時〜
内 容 『さろん亭』
「あべのカーニバル」なんでも市 通りに開店(販売は3暗から)
場 所 市立工芸高校グランド
[阿倍野区役所の東隣り]
その他 なんでも市以外にも色々な催しが 盛りだくさんです。(雨天中止)
*お顔い・物品を寄贈してくださる方。
・準備を手伝ってくださる方。
・販売を手伝ってくださる方。
・買いに釆てくださる方。
ご協力お願いします。
問い合わせ先
℡06−691−1028(冨田慶子)
「ふれ愛空の旅」(上平幸雄)は、今月 休ませていただきます。次回はいよいよ最 終回となりますが、どうぞお楽しみに。
お待ちどうさま、いよいよ河合恵子さんの登場です。
「作る つくる 創る」をご期待ください。
語呂の悪い「みこと&よこと」での再会を約して、ナンぺ 編 集 後 記
イの「ひとこと&たこと」は終ります。30回の永きにわたって執筆の南光龍平さん、番外
編の仁子さん、ありがとうございましたこ
太紙は<100号>まであと15(石)
第三種郵便物認可KSKQ(サロン・あべの)喝Ⅲ通巻486引993年 7月17日
毎月十二回︵二・四二ハ・八の日︶発行一九九一年九月三日第三種郵便物籠可
編集人;サロン・あべの運営委員会・<サロン・あべの>NO.85【、93.7.17発行】定価¥100.
代 表;上平幸雄〒545大阪市阿侶野区阪南町2−19−2−303. 電話08−62ト4365 連絡先;冨田康子〒545大阪市阿侶野区阪南町6−3−26.電話06−691−1028 表 題;斉藤孝文。筆
印 刷;セルフ社〒545大阪市阿倍野区西田辺町2−2−10−101.TEL.06−691−2365.
発行人;関西障書名定期刊行物協会[大阪而妓女区東中浜2−10−13奴緬グリーンハイツ1F]